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COLUMN/コラム2018.04.11
【男たちのシネマ愛ZZ⑦】『MOVE』
飯森:次にご紹介するのが、先月の『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』と同じく、これが恐らく本邦初公開となる激レア未公開作品で邦題もまだ付いてない『MOVE』ですね。 なかざわ:のっけから人を食ったような展開で、思わず呆気にとられましたよ(笑)。マーヴィン・ハムリッシュによる、いかにも’70年代らしいポップなテーマ曲がまた良いんだよなあ。 飯森:マーヴィン・ハムリッシュとは? なかざわ:作曲家です。恐らく一番有名なのはバーブラ・ストレイサンド主演の『追憶』と、ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォードの『スティング』ですかね。あとはブロードウェイ・ミュージカル『コーラスライン』の音楽も彼の仕事ですよ。 飯森:うわっ!ものすごい超大物じゃないですか!! この映画では、それほど耳に残る音楽がなかったような気もしますけど…(笑)。 なかざわ:いや、僕はこういう’70年代的なイージーリスニング風の爽やかサウンドは好きですね。確かに『追憶』や『スティング』ほどの強烈なインパクトはないかもしれませんが。で、冒頭で主演のエリオット・グールドが道を歩いていると、反対側から道路工事のローラー車が近づいてきて、とんでもないことになっちゃう。 飯森:両足がアスファルトにくっついちゃって動けなくなる。そこへローラー車がどんどんと近づいてきて、「動けねーよー!」と叫んでいるうちにペッチャンコに轢き潰されるという(笑)。まるっきし漫画。あれって夢落ちでしたっけ? なかざわ:いや、これが白日夢というか、要するにストレスを抱えた主人公の妄想で、全編に渡ってあちこちで、こういった妄想が差し込まれるんですよ。 飯森:しかも、どこまでが現実でどこからが妄想なのか、その境界線が全く分からないような描き方がわざとされていますよね。 なかざわ:そう!他にもほら、近所の奥さんが赤ちゃんにオッパイをあげていると… 飯森:胸が3つあるという。『トータル・リコール』かっつーの(笑)。赤ん坊嫌いという意味なのか、エリオット・グールドいつもイラついてますからね。 なかざわ:現実と妄想の線引きが全くなされないまま、いきなりあれが出てくるからビックリしますよ。これが『暴力脱獄』や『マシンガン・パニック』のスチュアート・ローゼンバーグ監督の作品だっていうんだから、なおさら狐につままれたような気分になっちゃいます。 飯森:以前になかざわさんとの対談でも語った『マジック・クリスチャン』に通じる雰囲気がありますよね。あの時代特有のシュールな空気感は似ているんだけど、でもあそこまでぶっ飛んでいるわけでもない。本作には物語のすじはちゃんとありますからね。エリオット・グールド扮する主人公は脚本家を目指しているんだけどスランプ気味で、今現在はエロ小説の執筆で生計を立てている。それと犬の散歩バイト。 なかざわ:犬の散歩のアルバイトって他の映画でも見たことあるんですけど、実際にああいう仕事があるんですかね? 飯森:それがアメリカでは今もバリバリあるらしいです。中堅以下の大学を卒業しても就職口が見つからない、とはいえ学費ローンは卒業後すぐから返済せねばならない、ということで卒業して犬の散歩師になった若者の話題を、どこかの経済ニュースでここ数年以内に見た記憶がありますから。お客さんから預かったペットの犬を外へ連れ出し、散歩がてらウンチやオシッコをさせる仕事らしんですが、アメリカは家の中に犬用のトイレはないのかよ!?と。 なかざわ:ない方がおかしいような気もしますけどね。 飯森:でしょ?にしても、当時の日本では考えられないことですよね。今だと普通ですが。 なかざわ:確かに、昔のマンションはペット厳禁のところが多かったと思います。 飯森:さすがアメリカは進んでいて、あの頃からすでにマンハッタンのマンションでは大型犬が飼われていた。 なかざわ:その依頼人のお婆ちゃんをメエ・クェステルがやっているんですよね。アニメの『ベティ・ブープ』の声優として有名な。 飯森:ああ!そういえば、そんな声のお婆ちゃん出てきましたね。 なかざわ:彼女は晩年にウディ・アレンの『ニューヨーク・ストーリー』にも出ているので、恐らくニューヨーク在住だったんでしょうね。 飯森:で、まあ、エロ小説書いて犬を散歩させて、それで食っていけて本人も自由で楽しい人生だと言うんだったら別に一向に構わないと思うんですけど、彼自身は「こんな人生クソだ…」と、あせりとイラ立ちを覚えてる。 なかざわ:上昇志向というか、より豊かな生活をしたいという野心は強いんでしょうね。というのも、これからもっと広いアパートに引っ越しをするという設定じゃないですか。 飯森:美人の奥さんもいますし、いずれ子供もできるかもしれないし、エロ小説と犬の散歩だけで一家を養っていくというのは、さすがに自由奔放すぎるかもしれない、それじゃダメだと。脚本家として認められたいと思いつつ、嫌々ながらも食うために今の仕事をやっているんですよね。しかもエロ小説書いてるわりに自身の下半身はインポ。そういう環境の中で自信を失っているのかな。 なかざわ:男性としてってことですね。 飯森:それでも奥さんは文句を言わない。いい奥さんなんですよね。自分で仕事も持っていて。旦那さんに「もっと稼いできなさいよ!」なんてガミガミ言うこともないし。むしろ、夫がインポ気味でセックスレスになっていることに寂しさを感じている。とても優しい奥さんなんだけど、エリオット・グールドはイライラして八つ当たりするんですよね。で、よりによってそんな時に引っ越しをしようとしている。 なかざわ:で、よりによってその引っ越し屋がなかなか来ない(笑)。そればかりか、彼の思い通りにならないようなことが次から次に起きる。 飯森:あれを見ていて『インサイド・ヘッド』を思い出したんですけど、あの映画でも引っ越し屋が約束の日になかなか来ないじゃないですか。 なかざわ:日本だったらあり得ませんね。そんな業者はすぐに廃業ですよ。 飯森:確かに、賃貸契約が明日までっていう時に引っ越し屋が来なかったら大事になっちゃいますもんね。そういうわけで、主人公が引っ越したいのに肝心の引っ越し屋は来ず、家中段ボールだらけで困った!という中でイライラもますます募り、しかも現状の自分には不満だし性的にも萎えちゃっている。そんな八方塞がりで悩んでいる時に、すげえ良い女から逆ナンされちゃうわけですけど、あのシーンって現実なんですかね?妄想なんですかね? なかざわ:それがこの映画だと分からないんです。あと、ちょいちょい社会風刺をぶっ込んでくるじゃないですか。 飯森:拳銃夫婦とかね。これ最近だと笑うに笑えないタイムリーすぎるギャグになっちゃってるんだけど、当時NYは治安が凄まじく悪かったじゃないですか、’60年代に政治の季節で荒れた名残りで。で、ここら辺は物騒だから銃規制すべき!ではなくて、むしろ物騒だから逆に銃武装しよう!という、アメリカ人以外には納得しづらいワイルドウエストの論理で拳銃を持った夫婦が、アパートで賊と銃撃戦を始めちゃう。 なかざわ:40年以上経った今もアメリカそこは全く変わってませんね。 飯森:ってか200年変わってない(笑)。せめてこの時代に手を打っていればねぇ…。でも、この映画の良いところは、そういうこと言っている奴らをおちょくっている点ですよ。エリオット・グールドが買い物から帰ってくると、アパートの踊り場で、拳銃夫婦の奥さんがどっかの田舎州の元ミスだったからとミスコンの格好をしていて、旦那の方は西部劇のガンマンみたいないで立ちで、同じく西部のアウトローみたいな格好しているチンピラと銃撃戦していて、自衛のために銃武装ってお前ら西部劇か!と風刺している。このシーンは現実ではなく妄想だって分かりやすいんですけど、そういう社会風刺的な見どころも多いですね。 なかざわ:この映画って’70年の7月にアメリカで封切られていて、ちょうど『ボブ&キャロル&テッド&アリス』や『M★A★S★H』でエリオット・グールドがブレイクしたばかりの時期なんですよね。それにもかかわらず、なぜかアメリカ本国でも滅多に見ることが出来ない。 飯森:そうなんですよ。残念ながら今回はあまり画質が良いとは言えない4:3の、つまりブラウン管時代の古いTV用マスターかVHSマスターで放送するんですが、その理由はアメリカ本国でもワイドのニューマスターのテープを作っていないから。それだけ貴重な作品をウチが発掘してきたということの証ではあるのですけどね。 なかざわ:もしかすると、当時の観客もこれを見て困惑してしまったのかな。それが理由でマイナーのまま? 飯森:いや、’70年代の観客であれば、この映画を理解できるだけのリテラシーは持ち合わせていたと思いますよ。 なかざわ:とはいえ、IMDbのユーザー・レビューも数えるほどしかない。よっぽど見ている人が少ないんでしょうね。 飯森:僕的には、「そんな映画も見れるザ・シネマって凄くないですか!?」とは、声を大にして訴えたい。そういえば、逆ナンしてくる女の子を演じているジュヌヴィエーヴ・ウェイトって、『ジョアンナ』に出ていた女優さんですよね。あの娘も’60年代~’70年代らしいというか、あまり肉感的ではなくて、ツィッギーみたいに細くてキュートな娘なんだけど、ここでは惜しげもなくヌードを披露している。 なかざわ:しかもエリオット・グールド相手に(笑)。 飯森:背中まで毛だらけで、あれは衝撃的!でも、エリオット・グールドがカッコいいっていうのも、いかにも’70年代っぽいですよね。 なかざわ:服を着ていても脱いでも、どこからどう見たってただのメタボ気味なオッサン。今のハリウッドではあり得ない体型ですよ。 飯森:でも、あの斜に構えたところと、その中に漂うシニカルな知性というのが、’70年代ならではの「いい男」なんでしょうね。彼とか『ソルジャー・ボーイ』のジョー・ドン・ベイカーとか、ブサイクなモッサいオッサンが最高にカッコ良かった、古き良き時代。俺もあの頃生まれていたら相当モテてたな(笑)、なんて言ったら怒られますが。 なかざわ:’70年代に持て囃されたスターたちって、’80年代以降の落ちぶれ方が激しい人も多いですもんね。エリオット・グールドだって、最近でこそテレビドラマで復活していますけど、一時期はまるでそっぽ向かれていましたから。 飯森:’70年年代後半、『スター・ウォーズ』とか日本だとピンク・レディーとか、あそこらへんを境に時代の求める顔や性格がガラリと一変しましたよね。それこそ、反体制の知的なムードやニヒリズムを売りにしていた人は、’80年代以降は悲惨だったかもしれない。エリオット・グールドだって、反体制的でやさぐれた感じが売りでしたからね。 なかざわ:そう、その不健康な感じが’80年代以降、彼にとって不利になったのかもしれません。 飯森:それにしても、こういうナンセンスな不条理コメディってのも、最近ではすっかり見かけなくなりましたねぇ…。 なかざわ:僕の記憶にある限りでは『マルコビッチの穴』が最後ですかね。 飯森:それだってもうずいぶん昔ですよ。 なかざわ:そういうちょっと首を傾げるようなユーモアの中にこそ、実は社会風刺なり人間風刺なりを滑り込ませやすいと思うんですけどね。そう考えると、これは非常に知的で様々な解釈を許容する大人向けの不条理コメディと言えるかもしれません。 飯森:この映画って、最後の終わり方もまたちょっと不思議なんですよね。ここから先はネタバレですけど、 【この先ネタバレが含まれます。】 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 引っ越し業者が来ないせいで無駄に何日も過ごしてしまい、外泊したエリオット・グールドが自宅へ帰ってみたら荷物はなくなっているし、奥さんの姿もないし、次の入居者がもう入っちゃってた。どうしよう!俺の居場所はもうない!とパニクって、一応ためしに新居の方を覗いてみたら、既に引っ越しは終わっていて奥さんがお風呂に入って待っていて、彼はなあんだとホッとする。 なかざわ:あの奥さん役の女優、ポーラ・プレンティスっていう’60年代の青春映画のスターだったんですよ。コニー・フランシスの主題歌で有名な『ボーイハント』とか。コメディエンヌとしても人気で、ピーター・セラーズの映画にも出ていましたね。 飯森:本作の頃にはいい具合に熟してます(笑)。その奥さんとエリオット・グールドが仲良く泡風呂で体を洗いっこしていると、カメラが俯瞰で真上から2人の姿を捉えながらグーッと上昇していってTHE ENDとなるんですが、カメラはいつまでも天井に突き当らず無限に上昇していく。浴室の四方の壁もそれにともなってビョ~ンと上に伸びていくんですよね。つまり、天井高が数百メートルもある縦穴みたいなありえない形の浴室で、最初は役者の数メートル上にあったカメラが、上昇して浴槽の夫婦からどんどん遠ざかり、穴の底の2人は点みたいになっていく。 これって、とりあえず引っ越しは終わったし、何か差し迫って困っているわけでもない、食ってはいけてるんだし、新居で夫婦水入らずで、幸せだから別にいいんじゃないの?ってことなんですかね?世界の底の狭い穴蔵に2人きりだけど、案外これも良いもんじゃないか、と。 なかざわ:いずれにせよ、この映画が非常に寓話的であることを物語るシーンですよね。 飯森:僕としては、『フランソワの青春』と同じテーマを逆から描いて正反対の結論に持っていってる映画だという気がするんですよ。要するに、閉塞感。閉塞感のある日常がまた無限に繰り返されて、主人公は脚本家として成功することもなく、これまで通り不本意なエロ小説の執筆と犬の散歩をずっと続けていくのかもしれないけれど、ちょっとMOVEして気分も変わり、今の俺の人生にも満足すべき要素だってあるじゃないか、そこに喜びを見出せばいいじゃないか、ってことに気が付いた。奥さんの存在ですね。 なかざわ:ささやかな幸せを噛み締めるというやつですね。 飯森:そう、閉塞感とささやかな幸せって、実は≒なのかもしれませんよね。日々激動するドラマチックすぎる人生に、ささやかな幸せなんて無いでしょう?『フランソワの青春』でネガティヴに描かれたテーマを、ここでは「それもまた良し」とポジティヴに描いている。その違いのように思うんですよね。だから、この2本はセットで見ていただいて確かめてもらえるといいかもしれませんね。 最後に、今回僕が20世紀フォックスから貰った画像の中にはなくて、本編の中でも出てこないんですけど、この映画の宣材写真で、奥さんのポーラ・プレンティスがヌードになっているお宝カットをネット上で発見したんですよ。エリオット・グールドと一緒に泡風呂に入っていて、泡にまみれながらオッパイ丸出しでカメラ目線。これがまた形の良いオッパイなんだ!さすがに商売柄、ネットで拾ってきた画像をここに著作権侵害で晒すわけにもいきませんので、リンクを貼ったツイートを僕のツイッターのトップに期間限定で4月いっぱい固定しておきますから、見たい人は見にきてください(笑)。 なかざわ:そうだ、あと今回も『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』と同様に、邦題も決めなければいけないんだった!しかし、これは難しいですね…。 飯森:僕も今回は降参ですわ。原題の『MOVE』には「動き出す」という意味と、「引っ越し」という意味の両方が含まれているわけですが、この英語のダブルミーニングを上手いこと邦題に生かそうとするのは無理!もう『MOVE』のまんまでいいんじゃないかと。 なかざわ:それは私も同感です。前回、飯森さんが仰っていたように、独創的過ぎるタイトルを考えても配給元からNGを喰らう可能性がありますしね。■ © 1970 Pandro S. Berman Productions, Inc. and Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation and Pandro S. Berman Productions, Inc. All rights reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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COLUMN/コラム2018.04.01
【男たちのシネマ愛ZZ⑥】『フランソワの青春』
飯森:先月に続く激レア映画対談、もとい映画闇鍋対談の後半戦ですね。今回は4月にお届けする20世紀FOXの激レア映画3本について、またまた熱く語り合いたいと思います! なかざわ:宜しくお願いいたします! 飯森:じゃあまずは『フランソワの青春』から始めましょうか。 なかざわ:いかにもあの時代、’60年代末の、ヨーロッパ映画、フランス映画の抒情的な香りを漂わす作品だと思いました。ジャンル的にいうと、いわゆる初恋ものですよね。童貞の少年が年上の大人の女性に恋をするというジャンル。ただし、主人公が年齢的にまだ小学生なので、『青い体験』とか『おもいでの夏』みたいに筆おろしまではいかない。 飯森:そこまでいったら『思春の森』になっちゃいますって(笑)。 なかざわ:主人公は、おじさん夫婦のもとで育てられている孤独なフランスの少年。ある出来事のせいで心に傷を負っている。その彼が、イギリスからやって来た、おじさんの戦友の娘だという美しい大人の女性に秘かな恋心を寄せる。この女性を演じているのがジャクリーン・ビセットなんですよね。 飯森:これですよ!僕は今回初めてこの作品を見たんですが、ずっと前からタイトルだけは知ってて見たいと思ってたんですけど、日本ではソフト化自体一度もされたことがないようで、中古VHSをヤフオク!で落とすという奥の手さえも使えずに困っていたんです。だったら最終手段、仕事にかこつけて(笑)買っちまおうと。全盛期ジャクリーン・ビセットの美貌を拝んでみたかったんですが、さすがにウルトラ綺麗っすね! なかざわ:ちょうどこの直前辺りが『ブリット』なんですけど、今まさに美貌の大輪が花開かんとする時期ですからね。ここから『大空港』や『映画に愛をこめて アメリカの夜』などを経て、’70年代を代表する美人女優となる。 飯森:濡れTシャツから乳首が透ける海洋アドベンチャー『ザ・ディープ』も眼福だったなぁ。だいたい、各時代に1人いるんですよね、彼女みたいな絶世の美人って。俺のタイプとか、好きな系統の顔とか、そんな個人的なつまらん趣味をはるかに超越した存在で、誰もが認めざるを得ない美人。言うなれば、美人の基準標本ですよ。「一般論として美人の典型例がこれです」と、例として示せるぐらいの。 なかざわ:ちょうど去年かな、『ナインイレヴン 運命を分けた日』という映画に出ていましたけど、お婆さんになっても絶世の美人でしたよ。 飯森:それは見れてないな。お婆さんになったジャクリーン・ビセットかぁ、う~ん、見たくないような…。見ても言われないと気づかないかもしれませんね。 なかざわ:いや一目で彼女だって分かります。恐らくリフトアップやボトックス注射などしてないので、皴の数なんかは年相応という感じですけれど、とても上品で美しい年齢の重ね方をしている。 飯森:おお、ほんとだ!iPhoneで検索したら、まんまですね。この人が道を歩いてたら「何者だあの婆さんは!?」とザワつきますな。 なかざわ:そのジャクリーン・ビセットが、主人公の11歳の少年がおじさん夫婦と暮らすフランスの田舎にある古いお屋敷に泊まりに来るわけです。 飯森:あれがまた、凄い大豪邸ですよね! なかざわ:いわゆるシャトーですよ。フランスの王侯貴族が、田舎の田園に別荘として建てたお屋敷です。 飯森:あのシャトーに暮らすおじさん夫婦って、王侯貴族にしちゃ地味に見えますけど? なかざわ:これってイギリスやイタリアもそうなんですが、ああいう古いお屋敷って維持費がかかるので、経済的に苦しい没落貴族だと比較的安く手放したりするケースもあるんですよね。田舎だと過疎化で人も少なくなってしまいますし。それを、裕福な中産階級や金持ちが買うことはよくあるんです。 飯森:確かに過疎化というのはその通りで、この映画の舞台って、本当に、凄まじい田舎ですもんね!ほぼ無人の世界に近い。 なかざわ:でも、それがいいんですよ。寂しげで哀愁が漂って。あの時代のフランス映画ならではの雰囲気だと思います。個人的な印象で言うと、ちょうどジャン=ガブリエル・アルビコッコの『さすらいの青春』辺りを彷彿とさせるような。で、監督のロバート・フリーマンという人、もともとは有名な写真家なんですね。 飯森:それもビートルズのアルバム・ジャケットなどを撮っていた。ちらっとネットで名前を検索してみたら、ビートルズの見たことのあるお馴染みの写真ばかりだったんで、あーこれこれ!とビックリしました。 なかざわ:確か映画監督としては、これを含めて数本しか撮っていない。 飯森:でも、言われてみると納得ですよね。これは確かに写真家の撮った映画だと。 なかざわ:そうです。セリフよりも映像の醸し出す雰囲気で淡々とストーリーを紡いでいく作品なんですよ。実際、初恋のほろ苦さをテーマにしたプロットそのものはシンプルでたわいない。 飯森:ただ、『おもいでの夏』みたいな映画と違うのは、一夏の思い出、童貞卒業、みたいなスッキリとしたヌキ所が無くって、最後まで見ても、なんとも言えないモヤモヤした未消化感と、あとはゾワゾワと心を波立たせるような不穏さがある。それが味ですよね。 例えば、風景がとても綺麗な映画で、これ今回ウチでHDで放送できますので(※HDサービス環境でご視聴の方は)、その綺麗さを存分にご堪能いただけると思うんですが、ただ、綺麗なだけじゃなくて、すごくシンメトリーな構図で画を捉えようとしますでしょ?お屋敷の門の真正面にカメラを置いて、まるで絵画のように全て左右対称に撮らえて。 なかざわ:視覚的なアプローチが写真家らしいですよね。 飯森:絵の中のような世界で、逆に、綺麗すぎて薄ら寒いんですよ。絵に閉じ込められて出られなくなったら怖いよな…と思わせる。綺麗なんだけど非日常的な感じに思わずゾワっとする。あと、主人公もすごい美少年で、女の子みたいな顔した男の子なんだけど、どこか暗い影があるというか、感情が乏しいというか。 なかざわ:いわゆる可愛らしい少年というより、ちょっと普通とは違う子だよねって雰囲気を醸し出している。 飯森:それがなぜか、ボロッボロの穴だらけの汚いセーターを着ているんですよね。あそこにもゾワっとくる。綺麗な風景の中にボロをまとった美少年。なんなんだこれは、と。 なかざわ:そう、あれがまた不思議なんだけど。別に虐待されているわけではない。確かにおばさんの接し方はちょっと冷たいけれど、虐められているわけじゃないですからね。 飯森:彼は普段は学校にも行かず家庭教師に勉強を教わっていて、しかも家にはおじさんとおばさん、召使のお爺さんがいるだけ。日常的な遊び相手がいないから、ずっとペットのウサギちゃんを抱っこしてて、ツリーハウスに上って独りぼっちで工作をしたりと、本当に孤独なんですよ。滅亡後の世界に独り取り残されたボロをまとった子、みたいなゾワゾワ感がある。 なかざわ:同年代の子供との交流もほんの僅かですもんね。 飯森:友達はちょっと出てくるけれど、学校に通ってないからたまにしか会ってないようだし、遊び場となると、東映特撮の採石場のような、あまり綺麗じゃない所で、あそこにもゾワっとする。そこへ行く道は、雑草の生い茂る野っ原で、そこにはセメントで護岸された汚い用水路が通ってるんだけど、水は濁ってて、なんか得体の知れん物が浮いてて、そこにドブ板みたいなのが橋として渡したあるだけで、まあ薄汚い。ゾワゾワする不穏な絵がチョイチョイ差し挟まれてくる。 これがこの子の世界の全てなのかよ、なんか閉じた世界だな…と。そんな、絵の中に閉じ込められたような、崩壊後の世界のような毎日が、来る日も来る日も繰り返される永劫の中で、ある日ジャクリーン・ビセットがお泊りにやって来て、彼は彼女に恋して、日常に変化の兆しが訪れるわけだけど、その恋の仕方がどうにも子供らしくない。 なかざわ:夜中にベッドで寝ているジャクリーン・ビセットにこっそり忍び寄っていってね。 飯森:おーはーよーございまーす、って感じで。マーシーか! なかざわ:でも布団にソッと入り込むのではなくて、髪の毛をハサミでちょん切る(笑)。 飯森:女の髪にフェティッシュな執着はあまり抱かんだろ、あの歳で。ジャクリーン・ビセットもビビりますよね。 なかざわ:あれがもうちょっとエスカレートして、バスルームでオッパイを触ったりするようになると『ナイト・チャイルド』のマーク・レスター君になるんですよ(笑)。あどけない美少年が実は変態サイコパスだったと。これはそういう映画じゃありませんが。ジャクリーン・ビセットはそんな少年を大人の対応で優しくたしなめるわけですけど。 飯森:でも理想的な大人の女性なのかというと、実はそんな女でもなさそうだということを、映画は徐々にほのめかしていく。僕が、ここ上手いなぁ!と感心したのは、男の子がジャクリーン・ビセットの部屋に忍び込んでクローゼットを漁る。下着でも盗むのかと思いきや、そういう変態マセガキ『ナイト・チャイルド』行為はせずに、香水だけ失敬して、あとは彼女の服をただウットリ眺めるだけなんですよね。大人の女の人のお洋服って綺麗だなぁ、ポォ~って。その中に、金属のドレスが一着ある。鎧かたびらのようなAラインのマイクロミニのノースリーブワンピね。当時流行ってた。あれって、パコ・ラバンヌというデザイナーのプレタポルテで、この頃のフランスだとフランソワーズ・アルディがよく着てたイメージですよ。映画だと『冒険者たち』でジョアンナ・シムカスも着てた。あの中でジョアンナ・シムカスは女流写真家で、自分の個展かなにかを開くときに、これからは私の時代よ!ってなノリであの派手な勝負ドレスで着飾って会場に乗り込みフラッシュを浴びる。でも、結局は大して注目されず鳴かず飛ばずで、中年負け犬男2人とトリオを組んで海洋トレジャーハントに夢をかけるようになる。つまりあの服って、虚栄心の象徴だと思うんですよ。自らを飾り立てて盛り立てて。でないとあんな金属で出来たドレスなんか着ませんよ普通! なかざわ:そもそも、あの頃のスウィンギン・ロンドンな最先端モードって、例えば全身が鎖で出来ているドレスとか、汗かいたら絶対に蒸れるビニール素材の『ブレードランナー』みたいなドレスとか、およそ実用的とは思えないようなファッションが多かったじゃないですか。 飯森:パコ・ラバンヌはその中でも極めつけで。なんせ『バーバレラ』の衣装担当ですからね。あれを生身の一般人が着るか普通!?という話ですよ。あの金属ドレスで、ジャクリーン・ビセットがどんな女か監督は描こうとしていると思うんですよね。当時のパコ・ラバンヌが持っていた意味合いは、ビートルズに付いて回ってたフォトグラファーなんだから百も承知してたはず。あれを着てる芸能人気取りの目立ちたがりの女を飽きるほど見てきたはず。その意味合いは何かと言えば、意外と、派手な場が好きな浮っついたチャラ女なんですよ、ということ。要はパリピなのよ。純真な少年の初恋に値するような、清純なマトモな女じゃないんですと。そのことを観客にだけ知らせるためのサインじゃないかと思うんです。子供は見てもわからない。でも当時の観客なら、あれ見ただけで一発でピンときたんだろうと想像するんですが、子供は誤解するんだ。金属の服を着ているから彼女はスパイだと(笑)。外国から来たって聞いたもんでソビエトによって追われてきたチェコの女スパイじゃないかって、『007』の見過ぎみたいなことを言う。 なかざわ:無知って素晴らしいですよね(笑)。 飯森:なぜに唐突にチェコと言い出したかというと、この映画の前年がプラハの春でしたからね。TVでプラハの春のニュース映像を見て、映画館では『007』を見て、おそらくその2つがゴッチャになっちゃってる。ちょっと夢見がちなところがあるんですかね、あの少年は。 なかざわ:ああいう周りに何もない環境で、しかも普段から独りぼっちということであれば、あらぬ空想や妄想を逞しくしてしまうのも頷ける話ではありますけどね。 飯森:で、ここから先はネタバレになりますが、 【この先ネタバレが含まれます。】 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 飯森:優しく綺麗なお姉さんだなぁと思っていたら、実はおじさんの知人の娘でもなんでもなくて、若い愛人だったと観客には後半でバーンと明かされる。パコ・ラバンヌの伏線、汚い用水路の伏線、もろもろここで回収です。 なかざわ:大人の世界は汚いですからねえ…。 飯森:あとは、少年を冷遇しているおばさん。少年のことを、息子も独立し久しぶりに夫婦水入らずだったはずの生活を台無しにするお邪魔虫として目の敵にしていて、すごくトゲトゲしく接するんですよね。だから彼は気にして家ではなくツリーハウスの方にずっといるんですが、この人がまたちょっと痛くて、成人した息子もいるのに未だに変に乙女なところがある。ヤな感じで色気づいているんですよね。大昔に旦那がくれたラブレターを引っ張り出してきて読み上げたりとか。妙な恋愛モードなのね。 なかざわ:髪を染めたりとかもして。ジャクリーン・ビセットに対抗意識燃やして。でも結局、旦那には「次に髪染めるときは色を変えろ」とか言われちゃうし(笑)。 飯森:まあ、あの奥さんの、大人になりきれていない、いつまでも腰を据えない乙女チッックテンションに、旦那はウンザリしてたのかもしれませんね。そして、そんな理由でおばさんに意地悪されてるあの男の子は一番可哀想。おばちゃん、いい歳なんだからもう落ち着いてくれよと。キャピキャピしてる暇があるんだったら俺のことちゃんと育てろよって(笑)。 なかざわ:悪い人じゃないんだけど自己中。 飯森:でもって最後はチャラ男ですよ。ジャクリーン・ビセットの滞在と時を同じくして、おじさん夫婦のチャラい放蕩息子が家に帰ってくる。 なかざわ:マルク・ポレルですね。彼はルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルードウィヒ/神々の黄昏』と『イノセント』に出ていて、恐らく晩年のヴィスコンティが第2のヘルムート・バーガーに育てようとしていたのだろうと思うんですけど、結局はB級アクション俳優みたいになっちゃった。 飯森:次に寵愛しようとしてたのかな?(笑) まあ、ヘルムート・バーガーもB級ポルノ俳優みたいになっちゃいましたけどね。そう言われると、この主人公の男の子もヴィスコンティ映画に出ていてもおかしくないような彫刻的な超絶美少年ですね。で、チャラ男に話を戻しますが、奴は親父の愛人だとはつゆ知らずにジャクリーン・ビセットを口説きまくるんだけど、ことごとくソデにされる。 こうして狂騒曲を、滑稽に、愚かしく、しかしこの映画ですから静謐に、大人どもが演じた挙句に、とうとうジャクリーン・ビセットが帰る日がやって来る。そして、これは究極のネタバレだな、でもハッキリ言っちゃいますけど… 少年の恋は最後まで実りませんよ。そりゃ当然でしょ!まだ11歳なんだもの、付き合ったり結婚したりというオチになろうはずがない。筆下ろしにしたって早すぎる。恋は実らず終い、結局は、全てが元に戻って終わる。 なかざわ:そうなんですよね。あそこで少年が何か突拍子もない行動にでも出るのかなと思ったら、まるで全てを受け入れるかのような表情でしたからね。 飯森:彼女のクローゼットからパクった香水を頭から1瓶丸ごとかぶるという奇行には出ますけどね。せいぜいがそれで、むせるような彼女の香りに全身包まれて、お終い。ゾッとする終わり方ですよ。絶望的になんにもない日常に戻る。「べた凪」って言葉あるじゃないですか。風や波がやんで、海の水面が鏡のように静まり返ってしまう。昔の帆船時代なら死ぬところ。そういう状態に戻っちゃう怖さですよ。綺麗なお姉さんがやって来て、性の目覚めではないかもしれないけど、少なくとも恋を知り、何かが変わってくれるかと思ったら、何一つ変わらなかった!ほろ苦い初恋というより救いのない絶望ですよ。せめて別れ際にエヴァでミサトさんがシンちゃんにしてくれたようなご褒美のチューでもくれてやって、「大人のキスよ。帰ってきたら続きをしましょ♥」とでもリップサービスの1つも言ってやればいいのに、それさえあげない。けっこう絶望的な、怖い怖い終わり方だなーとゾワッとしましたね。 なかざわ:でも、この映画の場合はそれで正しいんだ思いますよ。こういう、ほんのりと暗くて寂しくてセンチメンタルな作品は好きですね。 飯森:そう。褒めてます。胸にグッと迫る哀感があると思います。 なかざわ:この手の映画ってヨーロッパではいつの時代にも作られていて、なおかつ常に一定の映画ファン層に受け入れられる土壌があるように思います。 飯森:孤独と閉塞感というテーマに興味がある人にもオススメな1本ですね。 なかざわ:日常の中で何か決定的な不満があるわけじゃないんだけれど、漠然と満たされないものや息苦しさを抱えている人が、共感できるような部分はあるかもしれません。 飯森:人生のうちそういう瞬間って、誰しもあるかもしれません。僕も今こういう業界にいると、目まぐるしすぎてそれが悩みなんですけど、その前の仕事では、毎日が同じことの繰り返しで全く変化がない、という生活を送っていたことがあるんです。そうするとやがて閉塞感に襲われるんですよ。あれはなかなかしんどい!出口のない怖さを感じるんですね。あの息苦しさを上手く描出している映画だと思いました。それと、ジャクリーン・ビセットはとにかく綺麗と! なかざわ:歌手のシャンタル・ゴヤも出てきますよね。’60年代フレンチ・ポップス界のイエイエ・ガール。 飯森:プールのシーンですね。水着姿で。ジャクリーン・ビセットとシャンタル・ゴヤって、よくよく考えるとすごい顔合わせですよね!そういうキューティーたちの’60年代ヨーロッパ・カルチャーにアイドルを探せって感じで憧れてずっと見たいと願い続けてきた作品なんで、ほんとに、念願叶って良かった!! なかざわ:それと、あの意地悪なおばさん役をやっているジゼル・パスカルという女優さん、モナコ公国のレーニエ公がグレース・ケリーと結婚する前に付き合っていた元カノなんですよ。 飯森:ええっ!? マジですか?ほんとに王侯貴族予備軍だったのかよ! なかざわ:若い頃はムチャクチャ美人だったらしくて、あのゲイリー・クーパーと付き合っていたこともあるそうです。レーニエ公とはお互いに結婚まで考えたらしいんですけど、自分の息子を跡継ぎにしたいレーニエ公の姉アントワネット公女に「ジゼルは子供が生めない体だ」って根も葉もない噂を流されて、それが原因で破局してしまったと言われています。 飯森:そりゃまた、エグい話ですなあ…。意地悪バアさんどころか、気の毒な人だったのね…。 なかざわ:オードリー・ヘプバーンの『シャレード』で切手鑑定士を演じていたポール・ボニファスも、召使のお爺さんとして出てきますし、脇役のキャスティングにも注目して欲しいですね。■ © 1969 Les Productions Fox-Europa S.A.R.L. and Les Films du Siecle. Renewed 1997 Twentieth Century Fox Film Corporation and Les Films du Siecle. All rights reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存
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COLUMN/コラム2018.03.21
町山智浩のVIDEO SHOP UFO
<ザ・シネマ公式YOUTUBEへ遷移します>ビデオショップ店長に扮した映画評論家・町山智浩が「今の時代、忘れられかけてしまっている、またはソフトでの鑑賞も困難になってしまっている、しかし大変素晴らしい映画」という条件で作品を厳選。その映画を自ら解説するという企画。洋画専門チャンネル ザ・シネマでは本編を放送し、その前後に前解説と後解説(ネタバレ含む)を付けてお届け。前解説はここザ・シネマ公式YouTubeチャンネルにもアップしていきます。
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COLUMN/コラム2018.03.10
史実に忠実な局地戦映画『ズール戦争』は歴史的大傑作!
1800年代初頭に南アフリカに進出したイギリス帝国。先行して入植していたボーア人(オランダ系の植民者)はイギリス帝国の支配を嫌い、新たな入植地を求めてグレート・トレックと称される北上を開始した。そこには強大な戦力を誇るズールー王国が存在し、ボーア人たちとの血で血を洗う抗争を展開。1835年、ボーア人はブラッド・リバーの戦いでズールー族に勝利を収めると、この地にナタール共和国を建国した。しかしこのナタール王国もボーア人の独立を快く思わないイギリス帝国の侵攻によって、わずか4年という短い期間で崩壊してしまう。 その頃、ズールー王国ではボーア人に敗れたディンガネ国王は威信を失って失脚。後継のムパンデ国王の息子2人が後継の座を争って対立し、この内乱に勝利したセテワヨが国王に即位した。セテワヨは軍制を再編し、マスケット銃(先詰式の滑腔式歩兵銃)を装備した小銃部隊を編成するなど、軍の近代化を推進。これは拡大を続けるイギリス帝国を迎え撃つ準備であった。 セテワヨ自身はイギリス帝国との関係を良好に保とうとしていたが、イギリス帝国の原住民問題担当長官のシェプストンが高等弁務官フレアに対し、ズールー王国はイギリス帝国のアフリカ覇権最大の障害であることを報告。南アフリカ軍最高司令官のチェルムスフォード中将もこの意見に同意し、南アフリカのイギリス軍は着々とズールーとの戦争の準備を行うことになる。 1878年、高等弁務官のフレアは2人のズールー兵がイギリス領の女性と駆け落ちして越境したことを口実に、ズールー王国に対して多額の賠償を請求。ズールー王国がこれを拒否すると、フレアはズールー王国側に最後通牒を提示。13か条に及ぶこの最後通牒は、ズールー王国側が絶対に飲めない条件を列挙したものであり、ズールー王国のセテワヨ王はこれに対する明確な回答をせずにいた。 1879年1月、チェルムスフォードはヨーロッパ兵とアフリカ兵からなる17,100名の部隊を率いて、ズールー王国へと侵入を開始。迎え撃つズールー軍は4万の兵力。軍の近代化・火力化は未完だったが、イギリス帝国軍を上回る兵力と、圧倒的な士気の高さ、そして地の利を活かした機動力を持つ強力な部隊であった。 実戦経験の少ないチェルムスフォード中将は、部隊を複数に分割。そのため個々の部隊の兵力は手薄となり、第三縦隊1,700名はイサンドルワナに野営地を構築。そこに突如現れた約2万人のズールー軍が突撃を敢行し、“猛牛の角”と呼ばれる連続突撃戦術によってイギリス軍を全滅させてしまう。イサンドルワナの戦いはズールー軍の精強さをいかんなく発揮した戦いであり、ズールーの名を世界に轟かせることになったエポックな勝利であった。 前置きが長くなったが、ここからが今回ご紹介する『ズール戦争』(64年)の舞台となるロルクズ・クリフトの戦いが始まることになる。 1月22日にイサンドルワナの戦いでイギリス軍を撃破したズールー軍は、翌23日未明に約4,000人の部隊をイサンドルワナから15km離れたロルクズ・クリフトにある伝道所跡に駐屯するイギリス軍守備隊に突撃させた。イサンドルワナの敗戦を聞いたアフリカ兵が逃亡してしまい、ロルクズ・クリフトの守備隊の人数はわずか139人。30倍以上の敵軍に囲まれ、ろくな防御設備も無いロルクズ・クリフトの守備隊だったが、新任将校のチャード中尉指揮の下でズールー軍の猛烈な突撃を何度も撃退することに成功。イサンドルワナから退却してきたチェルムスフォードの本隊が接近したことから、2日間昼夜に渡る波状攻撃を繰り返していたズールー軍はようやく撤退した。ロルクズ・クリフトの戦いでイギリス人は27人が死傷。対するズールー軍は351人が戦死した。 このロルクズ・クリフトの戦いを描く『ズール戦争』は、監督のサイ・エンドフィールドがロルクズ・クリフトの戦いに関する記事を読み、インスピレーションを受けたことから始まる。エンドフィールドはこの映画の企画を友人で俳優のスタンリー・ベイカーに持ち込み、ベイカーはプロデューサーとして資金調達を実施。最低限の資金が集まると、早速映画製作を開始した。 集まった制作費はわずか172万ドル(メイキングでは見栄を張っているのか、260万ドルと称している)。そこでエンドフィールドは友人の俳優とスタッフを集めて制作費を抑え、さらにセット構築費を削減するために南アフリカでのオールロケーションを実施した。現地ではズールー族の協力を得て、1,000人以上のエキストラが参加。演技初体験のズールー族とのコミュニケーションをとるために、スタッフとキャストは積極的にズールー族とコミュニケーションを取る努力を行っている。しかし当時の南アフリカではアパルトヘイト法が存在しており、本作の脚本がズールー族を勇敢で敬意を受けるに足る存在として描いていることもあり、南アフリカの公安が撮影クルーの監視を行っている中での撮影となった。 『ズール戦争』は公開されるや興行収入は800万ドル、イギリス市場では過去最大級の記録的な大ヒット作品となった(映画の舞台となった南アフリカでは、映画に参加した一部のエキストラ以外の黒人はながらく観ることの出来ない映画となっていた)。本作はイギリス人の琴線に触れる作品となっており、毎年年末年始にTVで放映されるという『忠臣蔵』のような定番映画となっている。 本作の素晴らしさは、まず映画をロルクズ・クリフトの戦いのみを描いたことであろう。ズールー戦争全体を描けば、イギリス帝国の侵略戦争、黒人差別、虐殺といったセンシティブなキーワードに触れざるをえず、価値観が目まぐるしく変わる現代においては観る者によって評価を大きく変えてしまうポイントとなる。しかし本作では、どちらが正義でどちらが悪という描き方ではなく、純粋にひとつの戦いを史実に沿って描く作品とし、余計なものを極力そぎ落としている点が、後世でも高い評価を受けている大きな要因だろう。 また驚くべきことに1960年代の脚本にも関わらず、ズールー族を野蛮な原住民ではなく、特殊な美意識を持った尊敬すべき集団として描いている点も注目。逆にイギリス軍側は、侵略者でも犠牲者でもなく、絶望的な状況に放り込まれたごく普通の青年たちとして描くことで普遍性をゲットすることに成功している(フック二等兵の描き方には子孫からのクレームもあったが)。 また史実を忠実に再現し、緊急の防御陣地設営、長篠の戦いよろしくマルティニ・ヘンリー銃(5秒に1発射撃可能)での三段射撃で間断なく制圧射撃を繰り返す様子や、ズールー族側の“猛牛の角”作戦など、緻密なリサーチが行われたことが映画の端々から感じられ、マニアックな視点でも信頼性が非常に高い作品となっている。 他にも予算不足に起因したオールロケーションも、結果的には大成功。アフリカの広大な風景はセットやマットペイントでは決して再現できなかったであろう。音楽を担当したジョン・バリーも流石のお仕事だ。 そして本作で存在感を示したのは、準主役のマイケル・ケイン。ながらく下積みを続けていたケインは、オーディションの末にフック二等兵役となっていた。しかしブロムヘッド少尉役の俳優が降板し、現地入りした俳優の中で一番貴族出身将校っぽく見えるケインがブロムヘッド少尉役に抜擢。初めての大役で戸惑うケインの立ち位置と、初めての戦場で戸惑うブロムヘッドの立ち位置が見事にシンクロして高い評価をゲット。ケインは『国際諜報局』(65年)で世界的スターへと上り詰めていくことになる。 本作は英国映画協会が選ぶイギリス映画ベスト100でも、30位に入る作品。イサンドルワナの敗戦を描く『ズールー戦争』(79年)も併せて観ておきたい作品である。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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NEWS/ニュース2018.03.08
3/24(土)公開『BPM ビート・パー・ミニット』 生きるために闘うことの意義をみんなで考えてみよう-未来を切り開く若者トークショーに潜入!
2018年3月24日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国ロードショーされる『BPM ビート・パー・ミニット』。(公式サイトはこちら)本作は、第70 回カンヌ国際映画祭においてグランプリを受賞エイズ患者やHIV 感染者への差別や不当な扱いに対して、抗議活動を行う団体ACT UP のメンバーだったというロバン・カンピヨ監督自身の経験がベースにした物語です。1990 年初めのパリを舞台に ACT UP Paris で活動する HIV 感染者ショーンを主人公として、 限られた命の中で社会の変革に挑んだ若者たちの姿を鮮烈に描かれます。ザ・シネマでは、本作の公開を記念して行われた、本作に共感した若者代表として「未来のための公共」のメンバーである馬場ゆきのさん、「M E I J I A L L Y W E E K」を主宰する明治大学の学生・松岡宗嗣さんによるトークショーに潜入して参りました!本作の登場人物たちと同様、社会に対して行動を起している若者代表のお二人によるトークは、作品同様、疑問に思う事、行動する事、伝える事、の難しさと、しかしそれでも伝えていかなければいけないという強い思いを感じるものでした。ぜひ一人でも多くの方に、その模様をお伝えしたくトークショーの動画をザ・シネマyoutubeチャンネルで公開中です!※カメラの都合で、音声レベルが不安定だったり画ゆれがあったりします。ご容赦下さい※イベントの様子はこちらから!(ザ・シネマ公式youtubeチャンネルに飛びます!) 【登壇者】■馬場ゆきの(20)/未来のための公共2017年に結成され、国会前抗議などを呼びかけた10代・20代中心のグループ「未来のための公共」で活動。グループの顔として、メディアの取材を受けることも多い。大学では心理学を学んでいる。■松岡宗嗣(23)/MEIJI ALLY WEEK 代表明治大学政治経済学部に在籍。20歳の時にゲイであることを周囲に打ち明け、LGBT支援者であるAlly(アライ)を増やす日本初のキャンペーン「MEIJI ALLY WEEK」を主催。ハフィントンポストや東洋経済等に執筆するなど精力的に活動している。『BPM ビート・パー・ミニット』脚本・監督:ロバン・カンピヨ(『パリ20区、僕たちのクラス』脚本・編集)、『イースタン・ボーイズ』監督)出演:ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート、アルノー・ヴァロワ、アデル・エネル © Céline Nieszawer2017年/フランス/フランス語/カラー/シネマスコープ/5.1ch/143分映倫区分:R15+ 原題:120 battements par minute/英題:BPM (Beats Per Minute)
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COLUMN/コラム2018.03.05
ポランスキー的な“恐怖”と“倒錯”が濃厚に渦巻く悪夢的スリラーの傑作『テナント/恐怖を借りた男』
■『チャイナタウン』と『テス』の狭間に撮られた日本未公開スリラー 『反撥』(65)、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、『チャイナタウン』(74)、『フランティック』(88)、『戦場のピアニスト』(02)、『ゴーストライター』(10)などで名高いロマン・ポランスキーは、言わずと知れたサスペンス・ジャンルの鬼才にして巨匠だが、アルフレッド・ヒッチコックのような“華麗なる”イメージとは異質のフィルムメーカーである。その一方で“倒錯的”な作風においてはヒッチコックに勝るとも劣らないポランスキーの特異な個性は、彼自身の世にも数奇な人生と重ね合わせて語られてきた。 ユダヤ系ポーランド人という出自ゆえに第二次世界大戦中の少年期に、ナチスによるユダヤ人狩りの恐怖を体験。映画監督としてハリウッドで成功を収めて間もない1969年には、妻である女優シャロン・テートをチャールズ・マンソン率いるカルト集団に惨殺された。そして1977年、少女への淫行で有罪判決を受けてヨーロッパへ脱出し、今なおアメリカから身柄引き渡しを求められている。 このように“身から出た錆”も含めて災難続きの大波乱人生を歩んできたポランスキーだが、日本でも多くの熱烈なファンを持ち、母国ポーランドでの長編デビュー作『水の中のナイフ』(62)から近作『毛皮のヴィーナス』(13)までの長編全20本は、そのほとんどが日本で劇場公開されている。妻のエマニュエル・セニエとエヴァ・グリーンをダブル主演に据えた最新作『Based on a True Story(英題)』(17)はスランプ中の女流作家とその熱狂的なファンである謎めいた美女との奇妙な関係を描いたサイコロジカルなサスペンス劇。こちらもすでに日本の配給会社が買付済みで、年内の公開が予定されている。 今回紹介する『テナント 恐怖を借りた男』(76)は、シャロン・テート惨殺のダメージから立ち直ったハードボイルド映画『チャイナタウン』と文芸映画『テス』(79)の間に撮られた心理スリラーだ。原作はローラン・トポールの小説「幻の下宿人」。『ポランスキーの欲望の館』(72)、『ポランスキーのパイレーツ』(86)と合わせ、わずか3作品しかないポランスキーの日本未公開作の1本だが、上記の2作品とは違ってなぜ劇場で封切られなかったのか理解に苦しむハイ・クオリティな出来ばえである。さらに言うなら“ポランスキー的な恐怖”を語るうえでは絶対欠かせない重要な作品なのだ。 ■極限の疎外感に根ざしたポランスキー的な“恐怖” 主人公の地味なサラリーマン、トレルコフスキーはフランスに移り住んだポーランド人。彼はパリの古めかしいアパートを借りようとするが、やけに無愛想な管理人のマダム(シェリー・ウィンタース!)に案内されたのは、前の住人である若い女性シモーヌが投身自殺を図ったいわく付きの部屋。シモーヌは現在入院中なのだが、マダムは嫌な笑みを浮かべて「まだ生きてるけど、死ぬのは時間の問題よ」などと不謹慎なことを言い放つ。やがてシモーヌは本当に死亡し、トレルコフスキーはこの部屋での新生活をスタートさせるが、次々とおぞましい出来事に見舞われていく。 トレルコフスキーがまず悩まされるのは隣人トラブルだ。会社の同僚を部屋に招いて引越祝いのパーティーを開くと、上の階の住人からの苦情を受け、下の階に住む年老いた大家からは顔を合わせるたびに「君は真面目な青年だと思ったのだが」と皮肉交じりの小言を浴びせられる。こうしてトレルフスキーは“"物音”を立てることに過敏になっていくのだが、ある日訪ねた同僚の男は深夜にステレオを大音量で鳴らし、文句を言いに来た隣人を「いつ、どんな音で聴こうが俺の勝手だ!」と逆ギレして追い返す。何たる神経の図太さ。しかし小心者のトレルコフスキーには、そんなマネなどできるはずもない。この映画は社会のルールを守り、すべてを無難にやり過ごそうとするごく平凡な常識人が言われなき非難と攻撃を受け、精神的に孤立していく過程を執拗なほど念入りに描き、カフカ的な不条理の域にまで昇華させている。 むろん“倒錯の作家”ポランスキーが紡ぐ恐怖が、ただの隣人トラブルで済むはずもない。部屋のクローゼットからは前住人シモーヌの遺品である黒地の花柄ワンピースが発見され、壁の穴にははなぜか人間の歯が埋め込まれていることに気づく。そして夜な夜な窓の外に目を移すと、向かいの建物の共同トイレに人が立っている。しかもその人物は幽霊のように生気が欠落していて、身じろぎもせずただボーッと突っ立っているのだ。ここまで記した隣人、ワンピース、歯、共同トイレの幽霊人間のエピソードはすべて、このうえなく異常な展開を見せる後半への伏線になっている。ついでに書くなら、トレルコフスキーが行きつけのカフェで煙草のゴロワーズを何度注文しても、マスターが「マルボロしかない」と返答し、頼んでもいないホット・チョコレートを差し出してくる逸話も要注意だ。生前、このカフェに通っていたシモーヌはマルボロの愛好家であり、いつもトレルコフスキーが座る席でホット・チョコレートを飲んでいたのだ! かくしてトレルコフスキーはアパート関係者やカフェのマスターらがこっそり結託し、自分をシモーヌ同様に窓からの投身自殺へと追い込もうとしているのではないかというオブセッションに取り憑かれていく。こうした人間不信を伴う極限の疎外感こそが、まさに前述した“ポランスキー的な恐怖”の根源である。本作はそれだけにとどまらない。人間不信の被害妄想的な側面を徹底的に膨らませ、トレルコフスキーとシモーヌのアイデンティティーの一体化をまさかの“女装”によって直接的に表現しているのだ。むろん、そうした奇妙キテレツなストーリー展開はローラン・トポールの原作小説に基づいているが、グロテスクなようで怖いほどハマっている女装も含め、すべてを主演俳優でもあるポランスキー自身が演じている点が実に興味深い。 ■物語の見方がひっくり返されるポランスキー的な“倒錯” ひょっとすると、ブラックユーモアも満載されたこの映画は、現実世界で理不尽な厄災に見舞われ続けてきたポランスキーが、自らの内なる恐怖と向き合うセラピーを兼ねた企画なのではないかという気がしてくる。そう考えると、映画の見方そのものが根底からひっくり返される。そもそも前住人が怪死を遂げた事故物件を積極的に借りたがるトレルコフスキーの行動は不可解だし、入院中のシモーヌをわざわざ見舞いに行く律儀さも不自然だ。もしやトレルコフスキーは周囲の悪意に翻弄されて悲惨な運命をたどったのではなく、言わば“安らかな自己破滅”を望んでこのアパートにやってきたのではないか。理屈では容易に納得しがたいこのような突飛な解釈が脳裏をかすめるほど、本作には“ポランスキー的な倒錯”が濃厚に渦巻いている。 寒々しくくすんだ色調の映像を手がけた撮影監督は、イングマール・ベルイマンとの長年のコラボレーションで知られるスヴェン・ニクヴィスト。カメラがアパートの窓と外壁をなめるように移動するオープニングのクレーンショットからして印象的だが、そこで最初にクレジットされるキャストはイザベル・アジャーニである。前年に狂気の悲恋映画『アデルの恋の物語』に主演して一躍脚光を浴びた彼女は、本作の撮影時21歳。まさに売り出し中の新進美人女優だったわけだが、ここで演じるのはトレルコフスキーと出会ったその夜に映画館へ繰り出し、『燃えよドラゴン』を観ながら客席で発情するという変態的なヒロインだ。 そんなアジャーニの起用法も何かとち狂っているとしか思えないが、観ているこちらの困惑などお構いなしにポランスキーの神経症的な恐怖演出は冴えに冴えている。とりわけ『世にも怪奇な物語』のフェリーニ編を想起させる“生首”の幻想ショットには、何度観てもうっとりせずにいられない。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ⑤中締めの挨拶
なかざわ:そろそろ対談もお開きの時間になろうかと思いますが…。 飯森:最後に次回4月の予告をさせて下さい。まずは『フランソワの青春』。僕がずっと見たかった映画なんですよ。でも未ソフト化で見れなかった。美しさの絶頂期だったジャクリーン・ビセットが年上の女性を演じるという初恋作品。かねてからそこでのジャクリーン・ビセットの綺麗さはヤバいと噂だけは聞いていたんですけれど、それを晴れて放送できるというのは大変うれしい。 あと『ソルジャー・ボーイ』はようやくソフト化はされたんですけれど、『ランボー』の元ネタとしても有名ですね。なので、今回の『キッド・ブルー』→次回の『ソルジャー・ボーイ』→『ランボー』の順に見ていただくと、流れ者を目の敵にするスクエアな奴らってなんなんだろう、ということを深く考えていただけるのではないかと(笑)。 そして、全く謎なのがエリオット・グールド主演の未公開作『Move』ってやつ。『M★A★S★H』と『ロング・グッドバイ』のはざまで日本に入りそびれちゃったようなんですよ。これは僕もこれから見ますので完全に闇鍋状態で、またこれも邦題から我々で付けねばなりません。 ということで、次回も楽しみにしてください!なかざわさん、また後半3本、来月、熱く語り合いましょう! なかざわ:はい、よろしくお願いしまーす! 愛はここから始まった >> シネマ愛 へ 愛はここへつながった >> シネマ愛Zへ
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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ④『The Duchess and the Dirtwater Fox』
なかざわ:そして最後は『The Duchess and the Dirtwater Fox』。日本語タイトルすら存在しない映画ですね。 飯森:どんだけ貴重なんだと。しかも、手前味噌で恐縮ですけど、ムチャクチャ面白いときたもんだ。 なかざわ:僕はこのメルヴィン・フランクという監督さんが大好きなんですよ。ダニー・ケイの映画とか、ボブ・ホープの「珍道中」シリーズなどで有名な人なんですけど、ジーナ・ロロブリジーダ主演の『想い出よ、今晩は!』も最高に面白かった。ヴィットリオ・デ・シーカ監督がソフィア・ローレン&マルチェロ・マストロヤンニのコンビで撮ったようなセックス・コメディを、そのまんまの風刺精神でハリウッド流にアレンジする手腕が見事だと思いましたね。 飯森:すると、ずっとコメディ一筋でやってきた人なんですね?なるほど道理で上手いわけだ!ぶっちゃけ、ゴールディ・ホーンの歴代主演作の中でもベスト5に入るような面白さですよ。それがなんで日本では未公開なんだ!もはや怒りすらこみあげてきますね。 なかざわ:この映画のゴールディ・ホーンは素晴らしくコケティッシュ。 飯森:そして芸達者! なかざわ:ミュージック・ホールのパフォーマンス・シーンでは、実際に歌って踊っていますし。彼女が映画で歌声を披露したのは、この映画が初めてだったみたいです。 飯森:この映画はコメディ西部劇で、彼女はサンフランシスコの売春婦なんですよね。ショーパブのステージに立ちつつ、その傍らで春をひさいでいるという。オープニングではドイツ語で喧嘩するシーンがありますけど、ドイツ系移民ってことなのかな。 なかざわ:そういえば、途中でジョージ・シーガル演じる詐欺師と外国語訛りの英語で喋るシーンもありましたよね。 飯森:ああ、あれ凄いですね!タモリの4か国語麻雀みたいなやつ(笑)。3人で狭い馬車の中にスシ詰めで座っていて、真ん中の第三者に会話の内容を悟られないように、語尾だけフランス語風やイタリア語風にして、数カ国語ペラペラの上流階級のマルチリンガル同士の会話を装い、実は超お下劣きわまりない話を堂々としている。つまり、タモリの4か国語麻雀を余裕でやってのけてしまう才能を持ったゴールディ・ホーンだったわけですよ!彼女がコメディエンヌとして成功した理由がよく分かります。 先ほど触れた歌とダンスのパフォーンスでもね、お尻に食い込むようなランジェリー姿で、お下劣極まりない歌を歌うわけですよ。「♪私のプラムをイジっちゃイヤ~ン」とか「♪あの人のプラムをイジりたいわ~ン」とか(笑)。果物のプラムにかこつけて、全く別のモノをイジるだの、揉むだの、シゴくだの言っているわけ。 なかざわ:そんな彼女がモルモン教徒の大金持ちと結婚しようとする。 飯森:この映画は1882年が舞台だと冒頭にテロップで出てくるんですが、1890年まではモルモン教は一夫多妻制だったんですね。で、その7人目の妻に収まれば、1週間に1晩夜のお勤めするだけで、あとの6日は遊んで暮らせると踏んだわけですな。そこで、上流階級風の上品なドレスを買って名門の侯爵夫人に成りすまし、まずはその金持ちの子供たちの住み込み家庭教師としてお近づきになろうとする。すると採用面接で「音楽の授業はできるか?ためしに1曲歌ってみてくれ」と言われるんだけど、そこで例のプラムの歌を歌う。でも、とっさのひらめきで下品な歌詞をアドリブで直す。メロディはまんま同じだし歌詞も大して違わないんだけど、要所要所の決定的NGワードだけ変え、アレンジをガラリと変え、イギリス英語でお淑やかに歌うことで、『王様と私』や『マイ・フェア・レディ』さえ霞むほどお上品な曲に変えてしまう。それでまんまと大富豪に見初められるわけです。このゴールディ・ホーンの芸達者なことときたら! なかざわ:一方、ジョージ・シーガル演じる詐欺師の男は、ギャング集団に無理やり拉致られて銀行強盗に加担させられる。で、上手いこと彼らを騙して大金を奪って逃走するわけですが、その豪遊先で知り合ったのがゴールディ・ホーンだった。そこから、お互いの素性を知った2人が旅の道中でも一緒になり、追いかけてきたギャング集団から逃げ回っていくうち、いつしか好意を寄せ合うようになっていくというわけですね。 飯森:しかし本当に、これだけ面白い映画がなんで日本ではスルーされたのか! なかざわ:相手役がジョージ・シーガルだからですかね(笑)?でも、当時はジョージ・シーガルも『レマゲン鉄橋』とか『ジェット・ローラー・コースター』とか話題作に主演していましたけど。 飯森:ゴールディ・ホーンが『サボテンの花』でアカデミー賞を獲ったのが69年でしたっけ。それから7年くらいが経っているわけで、当時すでにハリウッドのトップスターですよ。それにも関わらず、この映画がこれほどまでに知名度が低いことの理由は、まず宣材写真が悪いことが挙げられるんじゃないですかね。権利元から送られてきた写真の中に、ヒロインの魅力を伝えるような写真が1枚もありませんでしたから。ネットで画像検索しても1枚も出てこないので、そもそも撮ってなかった、宣材カメラマンの腕が悪かったということなんでしょう。ゴールディ・ホーンも本編では可愛いのに、スチル写真はろくなものがない。ポスターのデザインも良くないですし。宣材が悪いと宣伝のしようがないんですよね。このページで上の方に載せてるポスターは、見るからに後年フォトショップで合成したやつですね。逆に言うと、それぐらい無かった。 なかざわ:そう考えると、もしかすると映画会社があまり力を入れてなかったのかもしれませんよ。メルヴィン・フランク監督も当時は全盛期を過ぎていましたし。 飯森:仮にそうだとしても、今見ればボブ・ホープなんかと仕事をしてきた大ベテランが、職人としての手堅い手腕を存分に発揮して、初期ゴールディ・ホーンのコケティッシュな魅力や、コメディエンヌとしての不世出の才能を引き出した傑作だと言えますよね。これを本邦初公開作品としてご紹介できるのは、映画チャンネルとして誇らしいことですし、今回の企画の目玉にしてもいいくらいだと思っています。 なかざわ:メルヴィン・フランクは、この映画の撮影当時で既に60歳。昔の60歳ですから、今で言うと70~80といった感じでしょうか。そんな年齢を感じさせないくらい演出が若いというか、ちゃんと’70年代のコンテンポラリー感があるんですよね。 飯森:そういう意味でも、これは実に不遇な映画だった。改めて日本で陽の目を見るためにも、ここで思い切って邦題を我々2人で決めてしまいましょう! なかざわ:それは事前に飯森さんから頼まれていたので、実は個人的に一番シックリ来るような邦題を考えてきたんですよ。あまり原題から大きく逸脱せず、かといってただの直訳にならないようなものをということで、考え付いたのが『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』。いかがでしょうかね。 飯森:いってみましょうか、これで! なかざわ:エっ、一発OKですか!?原題をそのまま訳すと『侯爵夫人と泥水狐』という意味不明なタイトルになってしまいますので、これくらいの意訳がほど良いのかな、と思うのですが。 飯森:ですよね。これで権利元に確認出ししてみようと思います。さすがに我々だけで勝手に決めることは人様の映画なので出来ませんから(笑)。でも、これで20世紀FOXからアプルーバル(承認)が下りれば、この映画の日本における題名は『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』になるわけだ! なかざわ:うわー、ドキドキっすね。 飯森:そうなれば以後永久にこれです。 なかざわ:そういえば、飯森さんからの案はないんですか? 飯森:ありましたよ。いかにもサラリーマン的な発想ですが『侯爵夫人とダートウォーター・フォックス』というのが一番通りやすいと思ったんですよね。なんの工夫もしていません。通りやすさ優先で直訳にしてやろうと。思考放棄。ダートウォーター・フォックスは役名なので翻訳できない。字幕でもそのまま「ダートウォーター・フォックスさん」と出てきますので、『侯爵夫人とダートウォーター・フォックス』しかないかと。「直訳でーす。何の独自性も盛り込んでませーん。だから承認して❤」とここはした手に出ようかと。ここでNGが出てもやりとりしている時間が無いものでして。でも、これだと意味わかりませんから、なかざわ案が良いと思いますよ。それでいってみましょう! にしても、映画の邦題って時々モメるじゃないですか。なんじゃこれ?ふざけんな!みたいに炎上するようなこともあったりして。どこのどれとはあえて申しませんが、割と最近でもありましたよね? なかざわ:それって、『ドリーム』…?(笑)。 飯森:とかね(笑)。でも、それについて某ウェブメディアの取材にその映画の担当者が真摯に答えていらっしゃって、邦題が決定するまでのプロセスを丁寧に説明されていたんですね。やはり、そこにはヒットさせるための計算とか狙いとか想いとかが込められているわけですよ。その人も、インディペンデント系の上質な作品を熱心に日本に持って来てくれている、業界では有名な人で、この方のシネマ愛が無ければ日本で見れなかった良作も山ほどあるんじゃなかろうか。シネマ愛が無いから適当な邦題つけたんだろ?なんて逆に絶対ありえないんですよ。むしろ直訳の方が思考放棄・努力の放棄ということだってあるんです。あ、それが俺か(笑)。同じフォックス作品でもまんまカタカナ表記の『ホワット・ライズ・ビニース』の方が、僕個人としてはとっつきにくかったですね。英語が赤点だった僕のような劣等生には、何のこっちゃか全然意味がわからない。 なかざわ:まあ、邦題といっても名タイトルから珍タイトルまでありますよね。その昔『ホラー喰っちまったダ!』なんてのもありました。 飯森:なんですか、それは!? なかざわ:おや、ご存じない(笑)?原題が『Microwave Massacre』というインディペンデントのC級ホラーで、奥さんを殺した旦那がその死体を電子レンジでチンして食べるという話なんですが、それが日本でビデオ発売された際に『ホラー喰っちまったダ!』という邦題が付けられたんですよ。 飯森:とても権利元にアプルーバル(承認)取っているとは思えませんな。さすがに天下の大フォックス様の作品で、それはできない(笑)。絶対に怒られるでしょう。 なかざわ:あと、一時期なんでもかんでも邦題に『愛と~の~』って付けるのが流行った時期がありますよね。 飯森:『愛と青春の旅だち』以降ね。『愛と青春の旅だち』についてはウチのブログで深く論考したことがあって、なぜあの邦題になったのかということも語っています。ちゃんとした理由があるんですけど、その後に粗製乱造というか、似たようなタイトルが次々と出てくるようになっちゃったんですよねぇ…。 なかざわ:そうだ!あと忘れちゃいけない、この映画は音楽もいいんですよ。ラストに流れる主題歌を歌っているのはボヴィー・ヴィントン。 飯森:以前になかざわさんにセレクトして頂いたパラマウントのこれぞゲスの極み映画『ハーロー』の主題歌を歌っていたクルーナー歌手ですね。 なかざわ:そうなんですよ。この主題歌を含めた音楽全般を手掛けているのがチャールズ・フォックスという人で、彼は映画音楽だと『バーバレラ』が一番有名なんですけれど、恐らく最大の代表作はロバータ・フラックが歌った全米ナンバーワン・ヒット『やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)』。日本ではネスカフェのCMにも使われましたが、あの名曲を書いた人が音楽を担当しているんですよ。そこも注目ポイントだと思いますよ。 飯森:そもそもこの映画、コメディ・ウエスタンではありますけれど、音楽の要素もかなり大きいですからね。ゴールディ・ホーンの歌った「プラムの歌」もさることながら、彼女とジョージ・シーガルが迷い込むユダヤ人の結婚式で流れる音楽も、これまた、一度聴いたらなかなか耳から離れないようなトラウマ曲。あのシーンがまた死ぬほど笑えるんだ!本当に、これは映画ファンなら必見の映画ですよ。フォックスの激レア作品は来月も3本放送しますけど、個人的に今月来月で一番見て欲しい作品はこれですね。 次ページ >> 中締めの挨拶 『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』© 1973 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.『The Duchess and the Dirtwater Fox』© 1976 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ③『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』
なかざわ:次は『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』ですね。これ、見始めてからしばらく完全に西部劇だと思ってたら、すぐに現代の話だってことが分かってビックリしました。 飯森:とにかく映像がキレイですよね!冒頭でも述べた通り、本作はHDマスターが存在しないためSDで放送せざるを得ないのですが、まことに勿体ない! なかざわ:これぞアメリカ!と言うべき雄大な自然を丁寧にカメラで捉えている。まるで昔のタバコのCMみたいですよね。 飯森:マルボロとかですか。辺り一面の白樺か何かの木々が黄葉している、白と黄色のロッキー山脈の絶景の中で、インディアンの少年がクマと兄弟みたいに仲良く一緒に暮らしているんですけど、両親が死んでしまってクマと2人きりなんですよね。そこで、お爺さんに連れられ山を下りてクマと一緒に先住民居留地の寄宿学校へ通うんだけれど、いくらなんでもクマと一緒にいられないし、ほかの子供たちからも浮きまくってる。先生にもクマ捨てろ!と言われ大騒ぎになる。とても文明社会では暮らしていけないような野生児なんですね。で、そこから話は一気にタイムワープ。 なかざわ:18~19歳の年齢にまでジャンプしますね。 飯森:相変わらず文明社会には馴染めないんだけれど、しかし実は荒馬を乗りこなせることが分かる。それを見つけたリチャード・ウィドマークが、こいつをロデオ選手にしたら儲かるぞと考えて拾ってくれるわけですね。 なかざわ:そのウィドマーク演じるオヤジさんと、フレデリック・フォレスト演じるインディアン青年による、疑似親子的な関係を主軸にしたロードムービーといったところでしょうか。その中で、現代アメリカ社会におけるインディアンの置かれた状況も織り込まれていきます。 飯森:日本語字幕では分かりやすく「ロデオ」と訳しているんですけれど、原語だと「ブロンコ(野生馬)ライディング」と言っているんですよね。ロデオと一口に言ってもいろいろな競技があって、その中でも暴れ馬を乗りこなす競技がブロンコ・ライディング。ロデオは猛牛乗りでしょ?ウィドマークはそのブロンコ・ライディングの方のトレーナーなんですが、最初のうちはすごく良い人なんですよ。主人公の才能を初めて認めてくれて、親身になってくれて、なおかつロデオ選手として成功するチャンスまで与えてくれる。インディアンだからって差別されそうになると、相手のことをブン殴ってまで守ってくれる。まさに良き育ての親で大恩人なわけだけど、実は… ==============この先ネタバレが含まれます。============== いろいろと問題もある人物だということが分かってくるんですね。 なかざわ:でも、だからこそ面白くて興味深いキャラクターだと思います。これがただの良い人だったら、作品自体も薄っぺらなフィール・グッド・ムービーで終わってたはずです。 飯森:とにかく酒癖が悪くて自らを律することが出来ない。しかも、確かに主人公を守ってくれるしチャンスもくれるんだけど、その一方で金儲けの道具としてがっつり搾取もしているんですよね。 なかざわ:そう、決して根っからの悪人ではないのだけれども、かといって清廉潔白な善人というわけでもない。 飯森:いますよねえ、こういうボス!社員に対してどこまでも情に厚いんだけれど、 しかし実際やっていることは完全にブラック経営者という(笑)。 なかざわ:だからこそ、主人公は憎んでも憎み切れないわけですよ。 飯森:愛憎相半ばする。雇用主としてもですが親としてもそうですよね。今で言う毒親問題みたいなテーマも描いています。 なかざわ:演じるリチャード・ウィドマークはクールな中に狂気を秘めたような役が多かったように思いますけど、ここでは感情全開で泥臭い人間を演じているのがちょっと珍しいなと思いましたね。 飯森:それと、彼は毒親であるのと同時に、最近の言葉で言うところの下流老人でもある。ロデオで儲けた金もすぐ酒で使ってしまうような刹那的な生活が祟って、悲惨な老後を送っている。そんな人物を、往年の西部劇スターでもあったウィドマークが演じているところも興味深い。 なかざわ:ただ、ウィドマークも問題ありますが、主人公の若者も若者で、文明社会はおろか同胞であるネ イティブ・アメリカンのコミュニティにすら馴染もうとしない。どこにも居場所のない孤高の一匹狼です。 飯森:彼はもともと野生児ってことなんですかね? なかざわ:この映画には原作小説があるらしいんですが、原作では両親が生きている頃の描写もあるみたいなんですよ。そこが映画版ではバッサリとカットされている。 飯森:なんであんなコロンブス以前のような原始的な生活をしているのか、さっぱり分からない(笑)。で、そういう昔ながらの古き良き暮らしを同胞に教えてやるんだと意気込んで山から里へ下りるんですが、それよりお前の方がちっとは文明社会での暮らしを学べ!と返り討ち的に言われてしまって、現代アメリカ社会に参加し、そして成長してからはロデオ生活の旅へ出るわけですね。そして、最後は十分に学んだからといってネイティブのコミュニティに戻ってくる。 なかざわ:学校で馬の世話をしながら静かに暮らすことになる…というような終わり方ですね。 飯森:そこは、なんとなくおとぎ話的な雰囲気がありますよね。来た・見た・帰った、みたいなお話で。最後に帰還するまで、彼はロデオ・スターとしての華々しい成功を手に入れつつ、70年代当時のアメリカ社会の暗部や歪みも目の当たりにする。酸いも甘いも経験したうえで、戻るべき場所へ戻ってくるわけです。淡々としつつも上質なドラマなんですよね。文明社会に飛び込んだインディアンの野生児の目を通して、70年代当時のアメリカ社会を批評的に見つめるという。 なかざわ:そうした社会的な要素も、あくまで現実世界に存在する動かしがたい事実として描きこまれているだけであって、決してメッセージ性の高い映画というわけではないように思います。 飯森:印象深かったのは、スター選手として華々しく活躍するようになった主人公が出場した競技大会で、ナレーション・パフォーマンスみたいなものがあるんですよ。「ご来場の皆さん、ここにいる彼らこそがアメリカを開拓して、国の礎を作った英雄たちの子孫なんです!」みたいな選手入場アナウンスが流れ、会場はヤンヤヤンヤの拍手喝采。白人のロデオ選手たちに混じって主人公のインディアン青年もいるわけですけど、でも彼だけは征服された側の人間なんですよね。あの時の黙って耐えてるような表情が、何とも言えず微妙で味わい深い。心の中では「勝手なこと言ってやがんなぁ…」と思っているはずなんですけど、大人げないので別にそこでゴネたり騒いだりはしない。 なかざわ:彼は自己主張こそするけれども、差別に対しては決して真っ向から反発して挑んで行ったりはしませんね。 飯森:この映画って、インディアンへの差別問題も描くけれども、それに対する怒りからドラマが生まれることはないんですよね。これが70年代の西部のリアルなんだ、という中で生きている人の姿を等身大にカメラで追っていくというような映画。 なかざわ:恐らく彼と同じような立場、境遇にあるインディアンの若者であれば、当時は当然のようにそうしただろうなということがリアルに描かれている。 飯森:こうした状況って、今はちゃんと変わっているのでしょうかねえ。 なかざわ:そういえばフレデリック・フォレストって、子役からバトンタッチした時点で18~19歳という設定ですけど、この撮影当時で既に30代半ばだったんですよね。そうは見えないほどムチャクチャ若い! 飯森:それもそうですし、後の彼からは想像がつかないくらい二枚目なんですよね!別人みたいにシャープな印象ですし。この作品ではゴールデン・グローブの新人賞を貰うなど高く評価されたみたいですね。あと、これがデビュー作だったのかな。 なかざわ:いや、それ以前にも何本か出ているんですけど、名前が違うんですよ。フレデリック・フォレストとして出演したのは初めてですけれど。 飯森:少なくとも、これをきっかけに注目されたことは確かですね。その点でも一見の価値はあると思います。 なかざわ:ちなみに、後半で主人公といい仲になるナース役を演じている女優ルアナ・アンダースって、『おたずね者キッド・ブルー』繋がりになるんですけれど、デニス・ホッパーの『イージー・ライダー』に出ているんですよ。彼女はもともとロジャー・コーマン組の女優さんで、その当時からジャック・ニコルソンとかなり親しかったらしく、以降もずっとニコルソンはことあるごとに彼女を自分の映画に出演させているんです。で、デニス・ホッパーとも『ナイト・タイド』という映画で共演して親しかった。ニューシネマ周辺を語る上では欠かせない女優さんの一人ですね。 飯森:そういえば、ナースと出会う前に逆ナンしてきた女性がいますよね。それまで女っ気の全然なかった主人公が、ロデオで成功してチヤホヤされて、なんだかジゴロみたいになってしまう。 なかざわ:文明社会の悪いところに染まってしまうんですよね。 飯森:八百長もやらされたりして、名声は得るんだけれどこれじゃない感も強くなっていく。そんな時に、ちゃんと誠意をもって向き合える相手として登場するのがナースなんですよね。恐らく彼女の存在によって、今みたいな生活を続けていたら、行きつく先はウィドマークみたいになっちゃうよ、ってことに気付かされたんでしょう。 なかざわ:そう考えると、とても王道的な成長物語でもありますね。じんわりと胸に染みるような映画だと思いますよ。そういえば、今日の飯森さんはブルージーンズで決めていらっしゃいますけど、もしかしてこの映画のフレデリック・フォレストを意識したとか? 飯森:よくぞ聞いてくださいました!僕は1975年の生まれで、アメカジ直撃世代でもあるわけですよ。それこそ古着のジーパンが30万円とかした狂った時代(笑)。いまだにその病気は治っておりません。なので、この『ロッキーの英雄』には心底しびれました!デニムバブル世代の人間として、この作品の現代ウエスタン・ファッションは堪らないものがあります。ここに出てくるジーンズは全部リーバイスで、フレデリック・フォレストはリーバイス3rdと呼ばれるジージャンを着て出てくるんですが、あれがむちゃくちゃカッコ良い!胸ポケットのフラップをカットオフしてて、「こんな着方があったのか!」と、初めて知る裏技に驚かされましたね。映画におけるファッションってのは大きなお楽しみ要素だと個人的には思ってるんですよね。ファッション誌で映画をファッションのお手本にしようと特集が組まれていた時代もかつてはあったでしょう?インスタでお手本ファッション調べるのも手軽でいいかもしれないけど、ああいうインスタントではない、映画の豊かな周辺文化も、また復活して欲しいと思いますね。インスタではインスタントすぎる。 次ページ >> 『The Duchess and the Dirtwater Fox』 『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』© 1973 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.『The Duchess and the Dirtwater Fox』© 1976 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ②おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗
飯森:さて、まずは西部劇『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』から始めましょうか。 なかざわ:これはデニス・ホッパーが主演。アンチヒーローという意味では、当時のホッパーらしい役どころだと思うのですが、その一方でキャラクターそのものは非常にライトですよね。そこは意外だったと思います。 飯森:『イージー・ライダー』が1969年ですよね?で、これは… なかざわ:1973年です。 飯森:アメリカン・ニューシネマの代表作ベスト3に入るような名作『イージー・ライダー』を撮ったホッパーが、その数年後に主演した映画ということですが、これまたまごうかたなきニューシネマですよね。 なかざわ:これは舞台となるアメリカ西部の町、保安官曰く「真面目でまともな人しか住んでいない町」に、製作当時のアメリカ社会における体制側を投影していますよね。 飯森:そういうことを言い出す奴が出てきたらヤバい!怖い世の中になりつつある!真面目でまともって、そうと認められなかった奴は住めないのかよ、誰が何の権利で決めてるんだよ、と。怖い社会ですねえ。70年代の流行語では「スクエア」と呼びましたね、こういうことを言う、体制側の古い頑迷な人間のことを。 なかざわ:そんな町へ、強盗稼業から足を洗って更正を決意したデニス・ホッパーがやって来るわけです。 飯森:後半のセリフによると相当な大物アウトローだったらしいんですけどね。冒頭で仲間が怪我したことで「俺、足を洗おっかなぁ」と、意外とそこは軽い。 なかざわ:そう、しかもけっこう素直で真面目。心を入れ替えてコツコツと働くわけです。 飯森:最初は床屋の床掃除なんかをするんだけど、偏見に満ちたスクエアな大人たちから目の敵にされて辞めてしまう。その次に鶏肉の加工業者に行ったら、今度はブラック企業だったのでまた辞めちゃって、最終的にアメリカの後の工業化を先取りしたような象徴的な工場で過酷な労働を強いられる。職業を転々とするわけだけど、それって根気が続かないとか飽きっぽいとかいった彼の側の問題じゃないんですよね。多分に社会の側の問題ですよね。そして、そんな彼に対するスクエアな住民の接し方も、極めて“上から”というかね。同じ下宿で寝泊まりしている、やけにデカいツラしたがるオッサンとか。 なかざわ:「お前みたいな性根の腐った若造は軍隊で鍛え直すべきだ!」みたいなこと言う人ですよね。 飯森:ありがちで益体も無いオッサンの説教ですけど、でもキッド・ブルーって兵隊上がりだと思うんですよ。南北戦争の北軍の青い軍服着てるじゃないですか。 だから二つ名も「キッド・ブルー」なんでしょう?劇中で具体的に言及されないものの、元北軍の兵隊くずれだと解釈するのが妥当だと思うんですよ。オッサンは目の前の若造がその悪名高いキッド・ブルーとは知る由もない。服も軍服ではなくオーバーオールの作業着に着替えちゃってますからね。というか逆に、あのオッサンの方こそ、むしろ軍隊経験あるのかよ?と。 なかざわ:だいたい、そういう偉そうなことを言う奴に限って自分のことは棚に上げがちですからね。 飯森:そうそう!最近の日本でもよく見受けられる(笑)。キッド・ブルーは戦争を経験したせいで心が荒んじゃって、列車強盗の方がまだマシだとアウトローになっちゃった可能性もある。要するに、おっしゃる通り軍隊に行きましたけど、その結果こうなっちまったんだよバカヤロー!という(笑)。 なかざわ:ちょっと話が横道にズレますけど、この映画ってキャスティングにもちゃんと意味があると思うんです。例えば、この宿泊客のオッサンを演じているのはラルフ・ウェイト。彼は当時アメリカのテレビで9年間続いた国民的なホームドラマ『わが家は11人』で、古き良きアメリカの理想的な父親像を演じた俳優なんですよ。さらに、キッド・ブルーを目の敵にする保安官役にはベン・ジョンソン。巨匠ジョン・フォードの西部劇映画で、不器用だけど真面目で誠実なアメリカ南部の男性像を演じた名優です。このまさに「古き良きアメリカの良心」を象徴するような役者たちに、あえて体制側の「悪い奴」を演じさせているというのは、明らかに意図されたものだと思うんですね。 飯森:ほほう。ベン・ジョンソンは分かりますけど、ラルフ・ウェイトという人は知りませんでしたね。邦題が付いているということは、その『わが家は11人』は日本でも放送していたんですか? なかざわ:はい、ただ全シーズンは放送されていないと思います。日本だとあまり受けなかったようですから。ラルフ・ウェイトは4年前に亡くなったんですけど、晩年はドラマ『NCIS~ネイビー犯罪捜査班』で主人公ギブスの父親役をやっていました。 飯森:なるほど、70年代当時、スクエアどもが盲信していた古い価値観や古い社会構造そのものに対して物申したのがニューシネマだったわけですけど、その意図を汲んだようなキャスティングなのですね。決して極端な悪人というわけではないんだけど、自由奔放な主人公に対してネチネチと小うるさいというか…。体制に与さない者や体制を批判する者を敵視するような連中。 なかざわ:自分たちの考える規範から外れた人間は目障りでしょうがないんですよ。 飯森:でも宿泊客のオッサン、後半ではよそ者の女と援交してたりするんですけどね(笑)。 なかざわ:そう、結局どいつもこいつも偉そうなこと言うくせに、行動が伴わない偽善者なんです(笑)。 飯森:そう考えると、これは当時なぜ注目されなかったのか不思議に思えるくらい、典型的なニューシネマ映画なんですよね。知らない世代に説明すべきニューシネマ的特徴を全て押さえていて、ニューシネマの名作ベスト20くらいには入ってきても全然おかしくないですよ。 ==============この先ネタバレが含まれます。============== ただし、たいていのニューシネマは最後って主人公が意味もなく死ぬじゃないですか。当時の、行きたくもないし戦う意味も解らないベトナム戦争に行かされて犬死するという若者世代のリアルが投影されていて、自由を求めて反抗しても結局、俺たち若者なんて体制の中で意味なく潰されていくんだよ、という諦観と厭世観が物悲しい味わいとなって、ニューシネマには一般的にある。しかしこれはネタバレですが、この映画ではそうはならないんですよね。その点では異色かもしれません。 なかざわ:明朗快活というか、後味の良い終わり方をしますよね。 飯森:これは恐らく、たまたま日本ではすり抜けてしまったんでしょうね。きちんとした形で日本公開されていれば、それなりに高い評価を得て、当時の若者たちの心に残っていたはずの映画だと思います。日本未公開でさらに未ソフト化なのがとにかく勿体ない。それを今回、ウチで放送できるというのは素直にうれしい! なかざわ:そういえば、床屋でキッド・ブルーに難癖をつけて、そのあと酒場で殺し合いする男いますよね。あれをやっているのって、『悪魔の追跡』のジャック・スターレット監督なんですよ。彼はもともと俳優からスタートして、本作の当時は監督業と並行して役者の仕事もしていたんですけど、後に『ランボー』でもスタローンを痛めつける保安官補役を演じているんです。 飯森:というか、この映画のベン・ジョンソンの保安官って、『ランボー』でブライアン・デネヒーが演じた保安官と被りますよね。長髪の流れ者ランボーが町にやって来るわけだけど、ここはお前みたいな薄汚い長髪の流れ者がいて許される町じゃねえんだから一刻も早く出ていけという。その意味不明なレッテルの貼り方が実にソックリで。典型的なスクエア! なかざわ:価値観が合わなければ無視でもすりゃいいのに、徹底的に排除しないと気が済まない。 飯森:そんなところに、唯一の理解者である良き友人として移住者ウォーレン・オーツの夫婦が出てくる。 なかざわ:いやあ、デニス・ホッパーにウォーレン・オーツですよ!すごい顔合わせですよね。 飯森:本当にこれでなぜ劇場公開されなかったのか、首を傾げたくなります。で、そのウォーレン・オーツ。良き理解者と言えば良き理解者なんだけど、だいぶ理解のしすぎというか(笑)。あそこまでいくと完全にBL。 なかざわ:ん~、本人的には無自覚のようにも思えますが。 飯森:でも一緒にお風呂にまで入っちゃうんですよ?狭い一人用バスタブで体を密着させて!そんなことするのあとは淀長さんぐらいですって(笑)。ウォーレン・オーツ曰く、古代ギリシャは素晴らしかったと。人々は知を称揚して、義を重んじ、愛で結ばれていたんだと。お前と俺は親友だから、古代ギリシャ人だったなら「愛してるぜ!」と堂々と言い合えていたはずだ。今の俺たちの時代は不自由だからそんなこと言ったらダメってことになっているけど。だから古代ギリシャの方がいいだろ?なっ?そう思うだろ?って。これはもう明らかにBLでしょう!? なかざわ:でもまあ、70年代当時のヒッピーたちの、ラブ&ピースな精神を投影したものと解釈できなくもないですけどね。 飯森:なるほど、汎人類的な意味でのラブということですね。僕は結構なBLだと思いました。物語上の当時には許されていなかったことだから、さすがに公然とはカミングアウトできないだけで。というか自覚してないだけ。ウォーレン・オーツには確かに奥さんもいるけれど、それって男は女と結婚するもんだと思い込んでるから結婚したに過ぎなくて、奥さんに対しては愛情も、性欲さえもない。 なかざわ:確かに、そういえば奥さん、旦那に対してそういう不満を持っていますよね。 飯森:だからキッド・ブルーは、この欲求不満の奥さんに強引に迫られて、後にどうこうなっちゃうんだけど、そこでウォーレン・オーツは「よくも俺の妻に手を出したな!」と怒るんじゃなくて、「よくも俺以外の誰かとどうこうなったな!」と、そっちかよ!という嫉妬に怒り狂う(笑)。まあ、これはいろいろな見方があるとは思いますが。 なかざわ:映画ですから人によって解釈が違って当たり前ですよね。それにしても、このジェームズ・フローリー監督って、目立った代表作は『弾丸特急ジェット・バス』くらいしか思い浮かばない。 飯森:『刑事コロンボ』もけっこう撮っているみたいですね。 なかざわ:あとは『グレイズ・アナトミー』とか。基本的にテレビ畑の人ですよね。オールマイティだけど、映像作家としての個性は薄い。一方、脚本のバッド・シュレイクはクリフ・ロバートソン主演のカウボーイ映画『賞金稼ぎのバラード』やスティーヴ・マックイーン主演の西部劇『トム・ホーン』(allcinemaではバッド・シュレイダーと誤表記)、カントリー歌手ウィリー・ネルソンの自伝的映画『ソングライター』など、まさにカントリー&ウエスタンな作品ばかり書いてきた脚本家。なので、本作はシュレイクのカラーが前面に出た作品のようにも思います。 飯森:それを職人肌の何でもできる監督に任せたところ、意外にも佳作が出来ちゃったという感じなのかな。製作当時のアメリカ社会への風刺もたくさん込めましたね。 なかざわ:それでいて、難しい社会派の問題作ではなく誰が見ても楽しめるウエスタン・コメディとして仕上げられている。そのあたりは、器用な娯楽職人の監督に撮らせたことのメリットかもしれません。 飯森:ただ、恐ろしいというか皮肉なのは、この映画が作られてから既に40年以上が経っているにも関わらず、世界が全くと言っていいほど進歩していない点ですよ。ここに投影されている70年代当時の社会問題は、とっくの昔に解消されていなきゃならないと思うんですけどね。 なかざわ:ラルフ・ウェイトやベン・ジョンソンのセリフでも、あれ?それって最近誰かが言ってたよね?みたいなやつが多い。良い言い方をすれば、今でも通用する映画(笑)。 飯森:いやいや、全然良くないですってば(笑)。70年代当時にこうした古い社会、世にはびこる偏見や体制の問題点を変革しようとした人たちが2018年の世界を見たら、全く変わってない!むしろ後退してるじゃん!どんなディストピアだ!って思うでしょうね。 なかざわ:俺たちが戦ったものは何だったんだ!と。確かに、イラク戦争以降辺りから急激に時代が逆戻りしてしまった感はありますよね。 飯森:なので、1960年代から70年代にかけてのカウンターカルチャーという歴史的な文脈を踏まえながら見ていただくと、感じるところは多いと思いますし、そのうえで2018年の今、我々が住む世界はどうなっているのか、比べてみるとさらに感慨深い…というか、考え込むことになるかもしれない(笑)。 なかざわ:でも、そこから問題意識を持っていただけるとありがたいですよね。 飯森:そういえば、これは最近いろんなところで語っていることなんですが、僕はアメコミ映画も大好きで、公開を常に心待ちにしているジャンルなんですが、そろそろ供給過剰なような気もしてきたんです。逆に、僕がいま一番見たいのはこういったニューシネマ。社会派の良作は最近もあるんですが、「今の世の中ってけっこう絶望的だよね?ね?ね?」と同時代人と認識を共有しあうための、もしくは絶望的だと気付いてない人に気付かせるための、絶望映画。それすなわちニューシネマなんですが、その供給が足りていない。それは絶望を克服する足掛かりとなりますから必要なんです。なので、今回のように本物の昔のニューシネマの中から埋もれた名作を掘り出して、70年代当時の人々と問題意識を共有しながら、今の社会についていろいろと考えたいなと思うんです。本当は新作も見たいんですけどね。 [後日、男たちが『ブラックパンサー』試写会場でばったり出喰わし、上映後…] 飯森:(号泣しながら)いやはや!早くも前言を撤回せねばならない時がきたようです!! 絶望を克服するためのニューシネマが今こそ必要だ、アメコミヒーロー映画ばっか見てる場合じゃないぞ、と言ってたんですけど、この『ブラックパンサー』は、まさにそのための完璧な映画でしたね! なかざわ:早っ!舌の根も乾かぬうちに(笑) でも、確かに、今の世の中を見渡して、多くの心ある人々がモヤモヤと感じていることが、これでもかと詰め込まれていましたね。レイシズムについて。 飯森:早くも僕の今年のマイベストは『ブラックパンサー』で確定したことをこの場で宣言しときます。 なかざわ:凝ってるなぁと思ったのは、ブラックパンサーと女スパイのルピタ・ニョンゴと女戦士のダナイ・グリラの三人組が、着ている服の色が、黒・緑・赤でしたよね。これって汎アフリカン色ですよ!こんなところまで行き届いてるのかよ!?と感心しましたね。 飯森:それは気づかなかったです!それと、一般劇場公開でも付くのかどうか知りませんけど、我々がいま見たマスコミ試写バージョンだと、本編開始前にいかにもB-boyみたいな感じの監督が出てきて、「YOメーン、日本の兄弟たち、俺様が撮った『ブラックパンサー』、マジやっべえから見てくれよな、今までのマーベルヒーロー映画の常識をブッ壊してやったぜ!!」みたいなビッグマウスなMCかましてきたじゃないですか。あれで、「おいおい…このノリなのかよ…大丈夫か!?」と最初は不安に思ったんですけど、完全に杞憂でした。 なかざわ:そんな喋り方じゃなかったでしょ!にしても、もともと監督はこういう映画を撮るタイプじゃないじゃないですか。 飯森:なんの人なんですか? なかざわ:えっ?ライアン・クーグラーですってば! 飯森:えええっ!!!『フルートベール駅で』と『クリード チャンプを継ぐ男』の!? いやはや、それを聞いて納得ですわ!僕は予断を持つのが一番イヤなので映画見る前には前情報を一切遮断するよう意識して努めてるので、今の今まで全然知らなかったです。それは、驚愕と同時に、超納得! なかざわ:ジャンル的に本来はこういう映画を撮る人じゃないけれども、テーマ的、メッセージ的には、彼のフィルモグラフィの延長線上に確実にある作品でしたよね。『ブラックパンサー』自体はコミック原作があって、彼は雇われ仕事な訳だけれども、雇う方も彼のフィルモグラフィを踏まえた上での人選で、それが今回は上手くハマったってことですね。 飯森:いやぁ〜、道理で“今の時代に見る価値ある感”に号泣するような映画にな仕上がった訳だ!常々、「こんな悪は実在しねーよ!という悪を描いたって無意味。のどかでのんきで平和な時代ならともかく、今はこういう緊迫した時代なんだから!」と訴えてきたんですよ。もちろんノーランとか、マーベルでも『ウィンター・ソルジャー』とか『シビル・ウォー』とか、これまでにも深い作品はありましたけど、『ブラックパンサー』の登場でさらに一段階、位相が変わりましたね。これはマジで凄い!ということで、このクオリティなんだったらこれからもアメコミ映画どんどん作ってください!と、土下座しながら前言撤回します。 次ページ >> 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』 『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』© 1973 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.『The Duchess and the Dirtwater Fox』© 1976 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.