■ギリシャ神話をモンスターファンタジーにした『アルゴ探検隊の大冒険』

 1963年に製作された『アルゴ探検隊の大冒険』は、ギリシャ神話の叙事詩を現代的な物語に加工し、魅力的なファンタジーへと昇華させたアクション冒険映画だ。

 アリスト王を殺害し、テッサリアの玉座に収まった奸臣ペリアス。だが神の予言によれば、その地位はアリストの息子イアソンによって覆されるという。王への復帰を目指すイアソンは、ヘラクレスを筆頭とするギリシャ最強の男たちと探検隊を結成し、帆船アルゴ号に乗って奇跡を呼ぶ「黄金の羊皮」を探す航海へと出発する。

 ペリアスの妨害と、行く先々で待ち受けるモンスターによって、イアソンとアルゴ探検隊の旅は危機の連続だ。ジャン・リードのスリルに満ちた脚本、そして『恐竜100万年』(66)や『砂漠の潜航艇』(68)で知られる監督ドン・チャフィならではの弾むような演出が特徴的だが、なにより映画の魅力を占めるのは、レイ・ハリーハウゼンの想像力に富んだ特殊効果の数々だろう。『原始怪獣現わる』(53)を起点とし、『シンバッド七回目の航海』(58)に始まるシンドバッド三部作や『恐竜グワンジ』(69)etc、個性的なクリーチャーにコマ撮り撮影で命を吹き込んできた「ストップフレーム・モデルアニメーション」の熟練者は、本作で青銅の巨人タロスや、コウモリ型ヒューマノイドのハーピーなど異形きわまるモンスターをスクリーン狭しと大暴れさせている。

 

■特撮映画史上に残る、ガイコツ戦士との戦い

 特にクライマックスにおける、アルゴ探検隊とガイコツ兵団との戦いは観る者の口をあんぐりと開かせ、また世界のクリエーターの創造力に火を付ける至宝のシークエンスと呼んでいい。

 なによりこの圧倒されるハリーハウゼンの仕事は、気の遠くなるほどアナログな手技・手法のもとに成り立っている。アーマチュア(金属関節の人形)と俳優の動きをマッチさせるために、俳優は一連の動きをダンスのように覚えるまでリハーサルを繰り返し、ライブ撮影をおこなう。さらにはこの映像をミニチュア台の背景スクリーンに1フレームずつ投影し、手前に置いたガイコツ戦士のアーマチュアを背景の動きに合わせて1コマずつ動かして撮影し、驚異的なシーンを完成させるのだ。これはハリーハウゼンの特殊効果すべてにおいて共通する手法だが、本作のガイコツ戦士は7体という数の多さに加え、それぞれ個別の動きをつけるため、ライブアクションとアニメイトの手間も7倍となり、プロセスは複雑で非常に時間を食う。そのため1日にわずか13コマしか撮影することができず、このシークエンス全体を撮り終えるまでに4ヶ月半もかかったのだ。

 他にも7つの首と2本の尾を持つ巨竜ヒドラなど、可動部分のやたらと多いクリーチャーが複数登場したことも、この映画の創造のハードルを高いものにしている。本作の主な撮影は1961年後半から62年の初頭にかけ、ギリシャやイタリアでロケがおこなわれ、イギリスのシェパートンスタジオで撮影を完了。その後のポストプロダクションにおいてハリーハウゼンは、およそ2年間もの期間をかけて特撮を完成させたのである。

 しかしその甲斐あって、この幻想的なイメージと優れたテクニックの融合は、モデルアニメの歴史の中でも突出したものであり、ハリーハウゼンのキャリアにおけるマイルストーンを形成している。本作がハリーハウゼンの手がけた長編作品の中でもトップに挙げられるのも納得の仕事といえよう。

 

■来日したハリーハウゼンとの邂逅 

 そんな高度な職人技を持つ特撮の神様に、一度だけお会いしたことがある。

 今から20年前の1998年、広島でおこなわれた「国際アニメーションフェスティバル」で、ハリーハウゼンが名誉会長に就き、同大会で講演をおこなうために来日したのだ。

 筆者はまだ現在の仕事が軌道に乗る前のことで、一般客にすぎなかったが、ありがたいことに大学時代の恩師であり、国際アニメーション協会(ASIFA)会員として同大会に関わっていたアニメーション作家の相原信洋氏が、ハリーハウゼンの世話役として氏をサポートしていた。なので氏が会場から会場へと移動するさい、特権でハリーハウゼンに挨拶や握手をさせていただき、持参したガイコツ戦士のアーマチュアを間近で拝見するなど、厚意にたっぷりと甘えさせてもらった。アーマチュアの手触りはもはや忘却の彼方だが、当時すでに80歳に差しかかろうとしていたハリーハウゼンが思いのほか矍鑠(かくしゃく)としており、緊張と興奮のあまり周りに「本人がモデルアニメのようにカクカク動くんだな」と、不謹慎なコメントを放ったことだけはしっかりと憶えている。ちなみに「ガイコツ戦士は自分でもお気に入りのキャラクターなのか?」とハリーハウゼンに訊ねたところ、

「わたしの手がけたキャラクターでいちばん人気があるし、保存状態もいいから、イベントには彼を連れてくるんだ」

 との弁。アーマチュアの肉体はスポンジ製の素材なので、経年によって骨組みしか残らないというケースが多い。しかしガイコツ戦士はラテックスをアーマチュアに薄く肉付けしたのが功を奏し、かろうじて形を保っていたのである。骨格をかたどったキャラクターがいちばん原型のままで残っているというのは、なんとも笑えぬ冗談みたいだが。

 当然ながら、その日におこなわれた氏の講演、そして次世代の作家たちを相手におこなわれたティーチイン、ならびに記者会見にも参加したが、ハリーハウゼンは可能な限り聞き手の質問に答えると同時に「それはまだ発表する段階にない。後日に出版する自伝に事細かく記す予定だ」と回答を控えるケースもあった。このことに対して当時は「なんとビジネスライクな性格だろう」と思ったものだが、今となってはその行為の正当性に頷かされる。

 ハリーハウゼンは1982年の『タイタンの戦い』を最後に現役を引退後、1986年4月10日に「レイ&ダイアナ・ハリーハウゼン ファウンデーション」を設立し、広範囲なアーカイブの保護や、自分が持つ技術やキャラクターの権利を確立させるための動きを本格化させていた。こうした布石を踏まえうたうえで、ああ、この人は商業映画の特殊効果マンという役職以上に、その技芸はもはや固有のアーティストなのだ。と認識をうながされるのである。

『スター・ウォーズ』(77)の登場と、同作を契機とするビジュアル・エフェクトの革命以降、ハリーハウゼンの魔法を「時代遅れ」とみなす見解が一部評論家の間で見られた。リアリティを標榜する最先端のVFXからすれば、その言説にはあたかも正当性があるかのように思える。だがデジタル全盛の現在、CGIがもたらすイメージは匿名性を強いものとし、視覚上は画一化され、作り手の個性を希求する性質のものではなくなってしまった。そんな時代の趨勢とも照らし合わせたとき、ハリーハウゼンの技術はまぎれもなく芸術であり、作家性を尊重すべき「文化遺産」だと強く感じるのである。

 
■HD版で注目してほしいシーン

 最後に本作、日本ではパッケージソフトが現時点(2018年11月現在)でDVDしか発売されておらず、HDの鑑賞は配信やCS放送など機会が限られている。もともと同作の特撮シーンは背景スクリーンに既撮影のフッテージを映し、さらに手前には投影による写り込みを防止するためのフォアグラウンドのプレートを配置して撮るため、本編シーンに比べると画質は粗めの傾向にある。なので高解像度のメディアでの鑑賞は理想的といえるだろう。なによりハリーハウゼンによるコンセプチュアルかつ手の込んだクリーチャーの質感や、ガイコツ戦士たちが持つ盾のエンブレムのディテールの細かな部分など、高精細であればあるほど気づかされる部分は沢山ある。

 あと、高画質化にあたって修正されているところもあり、そこにも注目してほしい。特に知られているのは、コルキスにたどりついたイアソンとアルゴ探検隊が上陸をめぐり対立し、イアソンがアカスタスと格闘を繰り広げるシーン(本編開始から71分経過あたり)。ここは昼間に撮影がおこなわれ、視聴補正で夜のシーンに加工されていた(いわゆる「デイ・フォー・ナイト」と呼ばれる技法)。しかし初期のビデオ版ではそれが損なわれ、昼のままになって時間軸に狂いが生じていたのだ。現在は元に戻って夜のシーンとして直されているが、それでもハッキリとデイ・フォー・ナイトが分かるので、気をつけて見てみるのも一興だろう。▪︎

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