COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
-
NEWS/ニュース2017.10.30
『ブレードランナー 2049』の公開にあわせ、ハリソン・フォードほかキャスト、監督が来日!都内でおこなわれた来日記者会見を完全レポート!
▼登壇ゲスト :ハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、シルヴィア・フークス、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督 日時:2017年10月23日(月) 場所:ザ・リッツ・カールトン東京 司会:伊藤さとり 通訳:戸田奈津子、鈴木小百合 沢山の報道陣の熱気と作品の世界観を現したパネルが印象的な記者会見会場。盛大な拍手と共に、和やかな雰囲気でハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、シルヴィア・フークス、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が登壇。 司会:ようこそお越しいただきました。ひと言ずつご挨拶をいただければと思います。素晴らしい映像世界を作り上げてくださいました、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督からお願いします ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督:本当に、日本に来られて非常に光栄に思います。この作品を皆さんと一緒にシェアできるということ、とても今興奮しております。司会:どうもありがとうございます。最強の女性レプリカントのラブ役を演じましたシルヴィア・フークスさんです。シルヴィア・フークス:私は初来日なので、今とても幸せですし、本当にエキサイティングな気持ちです。東京に初めて来て、まさに『ブレードランナー』の世界に入り込んだような、そういう感覚にとらわれています。司会:ライアン・ゴズリング扮するKの恋人ジョイをチャーミングに演じられました、アナ・デ・アルマスさんです。アナ・デ・アルマス:皆さんこんにちは。東京は2回目です。19歳の時だったと思いますけれども、小さなスパニッシュ映画祭がございまして、その時に来ました(2009年「ラテンビート映画祭」で初来日)。また帰ってこられて、本当にうれしい。この映画のことをいろいろお話ししたいと思います。司会:最後に、再びデッカードを演じられました、9年ぶりの来日となるハリソン・フォードさんです。 ハリソン・フォード:私も、また日本に戻ってこられて大変うれしく思っております。台風も追い払ってくださいまして、本当にありがとうございました。昨日の台風は、大変興味深い経験でした。今回この『ブレードランナー』の続編を持ってこられたことを大変うれしく思っております。最初の『ブレードランナー』が、日本での反響がとてもよかったことを覚えており、非常に幸せに思っておりました。この続編を日本の皆さまが、楽しんでいただけることを願っております。 司会:どうもありがとうございました。代表質問をさせていただきます。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に質問です。『ブレードランナー2049』で描かれている世界観でこだわった部分を教えてください。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督:オリジナルの『ブレードランナー』は2019年という設定でした。我々はその時代に近づいてきていて、最初の映画で描かれた世界とはかなり違う世界になっております。ですから、ある意味パラレルワールド的な別の世界観、最初の『ブレードランナー』の繋がりとして、30年後の世界を今回は描いています。そこにスティーブ・ジョブズは存在しません(笑) 実際の現代社会よりも遥かに厳しい気候や過酷な生活の中で、建築物や乗り物、テクノロジーが進歩した世界を描いています。私にとって一番興味深いのは、未来についてこの映画が語っていることではなく、現在について語っていることです。 司会:ハリソン・フォードさんに質問です。前作から35年ぶりにデッカードのオファーが届いた時の率直な気持ちを教えてください。 ハリソン・フォード:撮影が始まるたぶん4年前だったと思いますが、リドリー・スコットから「デッカードをもう一度やる気があるか?」という電話がありました。「ストーリー次第だけど、とてもやりたい」という気持ちを伝えました。その後、リドリー・スコットから、ハンプトン・ファンチャー(本作の原案を担当)のオリジナル短編を元に書いたシナリオが送られてきました。デッカードがエモーショナルな次元で非常によく書かれており、とても共感できるキャラクターであり、これならいけると思い出演しました。 司会:シルヴィアさんとアナさんにお伺いしたいと思います。『ブレードランナー』への出演オファーを受けた時の気持ちを教えてください。 シルヴィア・フークス:最初のリアクションはプロデューサーのオフィスで、本当に大きな声で叫んだ後、号泣しました(笑)。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、ハリソン・フォード、ライアン・ゴズリング…こういう方々と仕事ができるという喜びがありました。そしてこの作品が、私にとって人間的にも女優としても大変重要な映画でした。この方々とこの映画の世界に入り込めるチャンスを掴んだということで圧倒されました。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督:オファーを彼女に伝えた張本人なのですが、彼女の叫び声があまりにも大きくて、耳がちょっと痛かったなと。プロデューサーに「彼女、死んじゃったの?」と(笑) アナ・デ・アルマス:エモーショナルな部分で貴重な経験ができました。ナーバスにもなりましたし、この映画の世界の一部に自分がなるということで、非常にドキドキする部分もありました。皆さんが期待するような演技をできるようにというプレッシャーがありました。素晴らしいキャスト、クルーの方たちと一緒にお仕事をできるということも、非常に胸がワクワクする経験でした。私が演じた「ジョイ」というキャラクターも非常に興味深い女性ですし、一体どういう人間なのかという好奇心も駆られ、非常にやりがいのある役でした。この映画はオーディションからリハーサル、撮影の5か月間、そのすべての期間が私にとって本当に実りある時間でした。 記者1:ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督に質問です。日本のアニメーション監督にも影響を及ぼした前作『ブレードランナー』ですが、監督が35年前にご覧になった時のその衝撃をお聞かせ下さい。また、監督された作品にどんな影響がありましたか?ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督:ある意味『ブレードランナー』以前と以後で、だいぶ違うと思います。リドリー・スコット監督の照明の使い方、また雰囲気の作り方、まったく見たことのない世界観。私の映画にも非常に影響を与えていますし、私の友だちや、同世代の監督たちはこの『ブレードランナー』から非常に影響を受けていると思います。 記者2:ハリソン・フォードさんに質問です。昨日は丸一日オフだったということですが、どのように過ごしましたか?また、どこか行きたい場所はありますか? ハリソン・フォード:雨だったので、近くのショッピングモールを歩いたり(笑)。ホテルの部屋がとても高層だったので、この2日間、雲に閉じ込められて全然外が見えなくて、今朝になってやっと景色が見えました(笑) 東京と京都はもう何度も来ています。京都だけで5度くらい。もし機会があれば地方を自分で運転しながら、ドライブ旅行をしてみたいです。もっと日本のいろんなところに行きたいですね。 記者3(フジテレビ、軽部さん):『ブレードランナー』とハリソン・フォードさんに敬意を表して、こういう衣装(デッカードの衣装をハリソン・フォードに見せて)で来たのですが、いかがでしょう? ハリソン・フォード: (OKサインを出す) 記者3(フジテレビ、軽部さん):ありがとうございます。ハリソン・フォードさんは、『スター・ウォーズ』のハン・ソロも30年以上、『インディ・ジョーンズ』も随分時間を経て、また同じ役を演じていらっしゃいます。今回のデッカードも35年ぶりということですが、同じ役を長い時間を経てもう一度演じるというのは、どういう気持ちで、どんなことを感じますか? ハリソン・フォード:やっちゃいけないですか?(ニヤリ)各作品とも凄くファンがいる映画ですね。そういう機会を楽しみに待っている人がたくさんいる。それに応えて、自分が昔演じたキャラクターをもう一度繰り返して、ハン・ソロが30年後にはどうなっているか、デッカードが35年後にはどうなっているか、その時の流れがどういう影響を与えているか、人生をどう生きてきたかということを演じることは、俳優として非常に興味深いことでもあります。それでそういうことを繰り返しているということになるんだと思います。 記者4:前作公開当時、生まれていない若者もこの作品に触れると思います。彼らに対しての何かメッセージはありますか? ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督:『ブレードランナー2049』は、これだけ観ても十分わかるように意図して作られております。そうは言っても、本当にオリジナルを観てほしい。オリジナルは、本当に美しくパワフルな映画で、サイエンス・フィクションとしても金字塔的な作品ですから、両方観てほしいという思いです。最近SFは戦争ものが多い。そういう中で、『ブレードランナー』の世界観というのは、SFを啓示ものとして扱っていますし、謎を解いていくというミステリーなんです。ですから、すごくエモーショナルなものもあります。ハリソン・フォード:今の監督のコメントを聞いて、彼こそ続編を作る正しい監督だったということがおわかりになったと思います。彼はキャラクターからこの作品にアプローチして、感情というものに非常に注意深く描いている。それが作品に対する正しいあり方だと思います。最初の作品はやはり観てほしい。映画をひとつの織物としますと、前作を観るともっと大きな織物が観られる体験できると思います。本作だけでも非常に壮大なスケールですし、満足のいく経験ができます。それに加えて、もし前作を観ればちょっと違った経験も感じることができるんじゃないかと思います。記者5:シルヴィアさんとアナさん、ハリソン・フォードさんと初めてお会いした時の印象、教えてください。それを受けてハリソン・フォードさん、ひと言お願いします。 シルヴィア・フークス:この役の準備のために、ハードなトレーニングをしなくちゃいけなかった。とにかくお腹がすくので、丁度ケータリングのテーブルのところで、色んなモノに食らいついていたんです(笑)。そこにハリソン・フォードさんが素敵なイヤリングをしてクールな感じで来まして、「明日のシーンのことなんだけど…」と言われて、もうごはんを飲み込めなくなってすごく大変な思いだったのを覚えています(笑)。最初のシーンはすごく小さな空間だったのですが、彼を見ると「ハン・ソロだ! インディ・ジョーンズだ!」と思ってしまうので、なるべく彼を見ないように地面を見ていました(笑)。でも彼が、私が彼の方をチラッと見た時、急にジョークを言ったんです。「ある時、バーに犬がいてね」と始まって、それからずっと私を笑わせてくれました。その日はいろんなシーンの合間合間で、彼のジョークがあって。とても温かい人柄と、そしてクリエイティビティーを大事にされる方です。ですからとにかく笑って楽しい雰囲気でした。アナ・デ・アルマス:いつだったかしらと記憶が定かでなくて。ラスベガスにある彼のアパートのシーンだった気がします。ジョイという役の衣装がいつもミニスカートとセーター(笑)。とてもセクシーなので、ライアン・ゴズリングもとても気に入ってくれました。寒い衣装なので、ハリソンはそれを気遣ってくださって「寒くないかい?」とか「そのブーツ、大丈夫?」とか「これ、貸してあげよう」とか、非常にいつも気遣って心配してくれました。「覚えている?」と聞いたら、「全然覚えてない」と(笑)。ハリソン・フォード:とにかく楽しい現場でした。一日一日とても長い時間をかけての撮影ですし、シーンも複雑なので難しい映画なのですが、雰囲気はとても和気あいあいとしていて、私の記憶の中で、この映画の撮影中は楽しかったというものです。 記者6:全世界45か国以上で、初登場No.1を獲得した反響をどう思われているか教えてください。 ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督:私たち全員そうですが、この映画を制作するプレッシャーは凄く感じていました。もちろん最初のオリジナルの『ブレードランナー』というのが名作中の名作ということで、その続編を作るというのは、私たちにとってものすごく興奮することであり、そして同時に非常に緊張感、恐怖を覚えました。最高のものを作るべく、ベストを尽くしました。そして今、映画の神様に感謝をしたいと思います。これだけ世界中で反響を呼び、そして非常にヒットしているということで、本当に私は心から感謝をしていますし、誰も私の車の下に爆弾を置かないということは安心できます(笑)。この映画に関わったアーティストたちは、ほぼ全員が『ブレードランナー』ファンでしたし、ですから我々全員が非常に敬意を払って作品作りをしよう、我々の中のこの記憶とか思い出をリスペクトしようという気持ちでした。ハリソン・フォード:この映画は、確かに世界中でヒットしております。それも、いろんな文化が違うところで、ちゃんとヒットしているわけです。それは私にとっては興味深い。話自体はカリフォルニアとラスベガスが舞台ですが、やっぱりこの映画が伝えたいのは、場所じゃなくてキャラクターであり、キャラクターのストーリーなんです。人間とは何かとか、人間は運命をコントロールできるのかとか、そういうどんな文化も超えた人間の自然に抱く質問に答えようとする映画、人間のエモーションに関して答えようとする映画で、そういう意味でこの映画は文化圏を超えたインターナショナルな映画と言うことができると思います。この映画が成功したとすれば、成功の鍵はそこにあると。真の意味で「インターナショナル」ということだと思います。シルヴィア・フークス:この映画を撮っていた時には、まるで本当に小さい独立系の映画のある自由とか信頼を、監督が与えられてくれました。監督は本当に俳優を信頼してくださって、何でもやらせてくれる環境を作ってくれるんですね。ですから、これだけのクリエイティビティーと創造性を出すことができました。これだけアウトハウス的な制作をして公開されると、非常に大きな映画で、それでまた成功しているということはこれ以上ない幸せですし、私たちが一生懸命やったものがこれだけ多くの人たちに温かく迎えられている、そして世界中の人にこの作品が通じているというのがとてもうれしいことです。アナ・デ・アルマス:付け加えることはもうないのですが、とにかくあらゆるところでヒットしていることは本当にうれしいことです。人々の心にタッチしているという、そういう映画でございまして、それはとてもうれしいこと。それはクリエイティブな面でも、それからエモーショナルな面でも人々を動かしているということだと思います。素晴らしいことだし、本当にスペシャルな映画だと思います。そういう映画に携われたことに非常にハッピーに思っております。司会:どうもありがとうございました。 フォトセッション後、会見終了となりました。■ 『ブレードランナー 2049』原題:Blade Runner 2049上映時間:163分製作総指揮:リドリー・スコット監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ出演:ライアン・ゴズリング、ハリソン・フォード、ロビン・ライト、ジャレッド・レトー、アナ・デ・アルマス、シルヴィア・フークス、カーラ・ジュリ、マッケンジー・デイヴィス、バーカッド・アブディ、デイヴ・バウティスタ 2017年/アメリカ/2D・3D配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント2017年10月27日(金)より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー■公式サイト:http://www.bladerunner2049.jp/
-
COLUMN/コラム2017.10.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年11月】キャロル
『ワイルド・スピード』シリーズのポール・ウォーカーと、女優・企業家・3児の母としてスポットライトを浴び続けるジェシカ・アルバ共演の、もはや夏の定番ともいえる『イントゥ・ザ・ブルー』。今や“豪華”共演ともいえる夏休み感満載の映画を、秋真っ盛りの11月に放送します!(公開も秋だったモンネ)監督のジョン・ストックウェルは、『クリスティーン(1983)』で注目され、トム・クルーズと『トップガン(1986)』含め二度共演を果たすなど、もともとは俳優としてキャリアを積んでいた人物。やがて脚本家・監督としての才能も発揮し、サーフィン大会を目指す女子を描いた青春映画『ブルー・クラッシュ(2002)』でブレイク。本作『イントゥ・ザ・ブルー(2005)』を続けて大ヒットさせます。この2本のヒットでマリン系が得意なイメージが定着しました。そんなわけで本作は、海の底には莫大な財宝が眠っている・・・という海洋ロマンを描いたアクション・サスペンスです。が・・・!見どころは唯一、ジェシカ・アルバのプリップリボディにあり。と言い切っても良いかもしれません!!ジェシカは、ティーネイジャーの頃にテレビシリーズ『ダーク・エンジェル(2000)』で大ブレイク。30代の今もその輝きは衰えることなく、女優という職業を超え、ファッションアイコンとして、そして年商180億の企業家として、さらに3児の母として、ハリウッドセレブでありながら地に足の着いた等身大の姿が、世界中の女性たちから絶大な支持を得ています。パッチンパッチンにはじけるボディで一時期はセックスシンボルとも称されましたが、実は敬虔なカトリック教徒でも有名(後にセックスシンボルの扱いに”very uncomfortable”であったと告白している)。ピュアな信仰心が全身から滲み出ているからかどうなのか、はじけるボディの水着姿がもはや神々しいというかスピリチュアルというか、なぜかイヤらしくないという不思議!スキューバダイビングのライセンスも取得しているだけあって、泳ぎのシーンも美しい。是非堪能してください。さいごに、主演のポール・ウォーカー。『ワイルド・スピード』シリーズで一躍スダーダムを駆け上がった彼は、人気絶頂の時期に本作『イントゥ・ザ・ブルー』に出演。昨年11月30日、『ワイルド・スピード』第7作目の撮影期間中、チャリティイベントの帰路で交通事故に遭い、40歳という若さで惜しくもこの世を去りました。一回忌に合わせて、11月30日に、ザ・シネマでは主演作『イントゥ・ザ・ブルー』を放送します!どうぞお楽しみに。■ ©2005 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC.. All Rights Reserved
-
COLUMN/コラム2017.10.26
『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』に出てくるアイルランド料理「コルキャノン」のレシピに挑む!!!
写真/studio louise 10月23日、選挙明けの月曜日。通勤時間帯に台風直撃につき会社を休んだため急遽時間ができましたので、ズル休みと言われたくないから仕事しよ。『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』に登場する「コルキャノン」というアイルランド料理を作ってみました。れっきとしたお仕事でしょ?ちょっと前回のプッタネスカからあまり間が空いてませんが連投ご容赦を。書くなら書くで少々急ぎたい理由がございまして。10月31日までにアップしないと時宜を逸する。 まず映画紹介から。幼い息子を亡くしたジョニーとサラの夫婦は心機一転、娘のクリスティとアリエル2人を連れてアイルランドからニューヨークに移住する。古アパートで新生活を始めるが貧しさに苦しみ、また息子の死の哀しみから抜け出せず、夫婦の間にはすれ違いが生じていた。それでも娘たちは、何もかも新鮮な毎日に幸せを見出していく。そんなある日、幼い娘たちはアパートの不気味な隣人マテオと知り合い、絆を深めていくが…。 監督のジム・シェリダン自身がダブリン出身のアイルランド人で、半自伝的な作品とのこと。39℃のうだるような夏にマンハッタンに越してきて、秋、冬、と、過ぎ行く季節の中で末っ子を失った傷を癒し再生していく家族の物語が綴られます。家族の閉じた関係への闖入者として、ご近所さんのアフリカ人(アフリカ系ではなく本物のアフリカ人)画家マテオが関わってくる。 演じるのはジャイモン・フンスー。恐モテですよね。本作でも、マンションのドアに「入って来るな!」とペンキで大書したり独り暮らしの自室で大声を発し意味不明なことを叫んだりと、超恐い。集合住宅でドアに怪文書みたいなの貼ってたり支離滅裂なことわめき散らしてる隣人がいる、って、それは超恐い!そして、よくある話だ!! けど知り合ってみると意外と良い奴だとわかり、食事に招待するのですが、それはちょっと緊張感をともないます。その日はハロウィンです。日本人にも今やすっかりお馴染み「トリック・オア・トリート!」で娘たちがマテオのドアをノックしてしまい、それキッカケでそういう成り行きになったのです。 そのハロウィンの食卓でふるまわれるのが、「コルキャノン」という料理。ちょっと、見た目がベチャベチャしててあまり美味そうには見えなかったなぁ、この映画を初見で見た時には。マテオも引きます。「こりゃ何だ!?」と。 小さい方の女の子が「コルキャノン」と教え、お姉ちゃんが「ジャガ芋とキャベツよ」と説明する。ただ、英語のセリフだと、It's potatoes mixed with curly kale. と言っていて、具材が違う!キャベツなのかケールなのかどっちなんだ!と思いますが、気になってレシピをあれこれ調べてみますと、どっちも正解。どっちも使う(またはどっちか一方でもいい)とわかりました。 で、この映画を最初に見てすぐに気になって作って食べたのですが、一言で言うと、マッシュポテトにケールかキャベツか両方かは知りませんが緑の野菜がただ入っただけのもの、です!別にベチャベチャはしていません。 監督はあまり食い物を撮ることに関心がないのかな?食い物のシーンでは作家性が出ますな。当企画でも、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』は“飯テロ”なんて言われるぐらいに超美味そうに撮ってましたが、『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』は皿をほぼ映しもしませんでしたしね。まったく食に関心がない監督なのでしょう。本作は、関心がないのか、それとも意図的にマテオ視点で“付き合いのないご家庭にお呼ばれして得体の知れない食い物を出された”という緊張感を演出したいのか断定できませんが、少なくとも美味そうには撮ってない。 でも、実際に食べると、地味に美味かったですよ。全然なにかの付け合せとしては“有り”です。ただ、とにかくマッシュポテトに毛の生えたようなものなので、これだけをワン&オンリーなメインディッシュとして食べることは不可能だと、最初に作った時に思い知りました。飽きる!これはあくまで付け合せです。 ということで学習しました!今回は簡単な肉料理もついでに作ってみました。そちらは映画には出てこないので詳しく書きませんが、別に何でもいいと思います!よく見ると劇中でも肉らしい一皿が別にありますな。とにかく、コルキャノン1品だけってのはオススメできません。 さてと、前置きはこれくらいにして早速いってみましょう!本場アイルランドではハロウィンの定番メニューというこのコルキャノン。作るとしたら今ですよ!? 【材料(2人分)】 ・キャベツ×半玉 ※外葉3枚は肉料理に流用 ・牛乳×250ml ※肉料理にも使う ・バター×適量 ・リーク×1本(無ければ長ネギで代用) ・生クリーム×1パックの半分 ※残り半分は肉料理に流用 ・ケール×数枚 ・男爵いも2個×人数分 【作り方】 ① 鍋にジャガイモを入れ水をヒタヒタに。沸騰させ、ほとんど水が蒸発し残り1~2cmになるまで沸かし続ける。これは時間がかかるので、②、③の作業を進めておく。 ② キャベツ半玉、では多すぎるので外葉3枚ほどはむしって取っておき、残った中心部を適当な大きさに切る(軸は捨てる)。ケールも適当な大きさに切る。フライパンでしんなりするまで熱を入れ(油は不要。焦げそうなら水を少量足して)、しんなりしてきたらリーク(長ネギ)小口切りを最後に投入し、ラスト2分ほど加熱。最初からネギを入れて加熱するとネギっ臭さが飛んで風味が失われてしまうため。 ③ フライパンの中身②をフードプロセッサーにかける。 ④ ジャガイモが茹で上がったら鍋から出し、いったん鍋を空にし水を切り、ポテトマッシャーでマッシュポテト状にしたものを再び鍋へ。最後に加熱し、ベチョベチョになりすぎないよう水気を飛ばす。 ⑤ ④の上に③、その上にバター、塩、コショウすべてお好みの量を。 ⑥ 生クリーム半パック、牛乳1/2パックのさらに半分(250ml)を注ぎ入れ、バターが溶けるまで加熱しながら混ぜる。ボソボソすぎる場合はさらに若干の牛乳を追加して滑らかに整える。 完成!ただ、これだけだと飽きるということで、今回はプラスもう1品。「ベーコン&キャベツ」という、これまたアイルランドの伝統料理もあわせてご紹介。ただしこちらは映画に登場しないので、レシピも一言で短く済ませる。ブロックベーコン1本を香味野菜(タマネギ×1個、ニンジン×1本、セロリ×1本、ローリエの葉1枚)と一緒の鍋に入れ、水をヒタヒタにして30分煮込む。途中で前述の②で残ったキャベツの外葉3枚も入れ、クッタリしたら引き上げ水気を切り大皿に敷き詰める(キャベツは煮込みすぎ禁物。とろろ昆布みたいに解けちゃうので)。30分たったらブロックベーコンを引き上げ冷めるまで待ち、冷めたら極力薄くスライスし、大皿の上のキャベツの上に並べる。香味野菜は香り付けなので、捨てるの勿体無かったら自由なスープの具にでもして食べちゃってOK。一言じゃムリだった!二言で。ソースも作る。ソースパンで⑥で残った生クリーム半分を加熱し塩コショウ。フードプロセッサーでみじん切りにしたパセリも投入し、パセリソースを作る。ドロドロ状に煮込むがドロドロになりすぎた場合は⑥の牛乳の残りで薄めて、程よい状態に整えたら、大皿の上のキャベツの上にかけ流す。以上! 【実食】 いや~、素朴でうまいっすねー!いろどりも緑で、緑ってのはアイルランドのシンボル・カラーなのです。あと、ジャガイモはアイルランドの名物食材で、ヨーロッパで日本人好みの男爵イモ系ホクホク食感のジャガイモを好むのはアイルランド人だけだと言われております。アイルランド料理のいいところは、素朴な味わいにありますね。ニンニクもあまり使わないぐらいで塩味ベースで。ただ、コルキャノンだけでは飽きるので(本来は付け合せですからね)、ガッツリ肉も必要です。今回はベーコン&キャベツで。ご飯とおかずみたくコンビで食します。 あと言うまでも無く、こりゃギネスが合う味ですな!当然、それを食べる用に土地の酒というのは発達してきましたから、合わないワケがない!超イメージだけで言いますと、ホッコリ素朴なアイルランド料理は、冬こそ似合う。映画と無関係なので紹介しませんが、ダブリン・コドルとか、あと、もしマトン肉が売ってたらアイリッシュ・シチューというそのものズバリな名前の料理とかを作ってみるのもオススメします。特に冬場には!この2つはジャガイモをゴロゴロ使ったアイルランド版の鍋物ですが、煮込めば部屋ごと温まる、これからの季節にぴったりのメニューです。 [余談ながら] ハロウィンはもともとアイルランドの風習だったのです。これについては、アイルランドのアニメ『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』で監督インタビューした際、ガッツリ監督と語り合ったことがありますので、そのリンクも載せておきましょう。ハロウィンとは何ぞや!? この機会にお読みいただければ幸い。 © 2003 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2017.10.20
『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』に出てくる「パスタ・プッタネスカ」こと「風俗嬢パスタ」のレシピに挑む!!!
写真/studio louise 今回は『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』の中で印象的に登場する、「パスタ・プッタネスカ」の作り方をご紹介しましょう。 映画チャンネルなのでまずは映画紹介から。 ボードレール家の子供たちは火事で両親を失った。少女発明家の長女ヴァイオレットと、読書好きの弟クラウス、そして末っ子の赤ちゃんサニーは、オラフ伯爵という遠い親戚に引き取られる。だが遺産目当てのオラフは子供たちを殺して遺産を我が物にしようと画策。子供たちはオラフの元から逃げ、別の遠い親戚に預けられることに。しかし、三文役者のオラフは変装し、周囲の大人たちの目を誤摩化して子供たちに付きまとう。 一見して、超ティム・バートンっぽいダーク・ゴス・メルヘンチックな映像と世界観の映画なのですが、その見立てはハズレてはおりません。そもそも監督に当初ティム・バートンが打診されており、またそのためか、撮影監督に『スリーピー・ホロウ』でアカデミー撮影賞ノミネートの(てか当代最高のカメラマンの)エマニュエル・ルベツキ、美術には完全にバートン組の一員であるリック・ハインリクスといった面々が名を連ねていますからね。 あと、ジム・キャリー扮演の悪党の三文役者オラフ伯爵が変装して遺産狙いで子供たちを追い回すというお話なので、ジム・キャリーの『マスク』ばりの変キャラ七変化や過剰演技が楽しめるのですが、もう一点、これは人それぞれ趣味もあるとは思いますけど、エミリー・ブラウニング史上この時がいちばん可愛いですわ! エミリー・ブラウニング嬢、ロリ系女優としてその後もご活躍。日本風スク水ずん胴(いや、良い意味でね)姿を披露した『ゲスト』、日本風愛と正義のセーラー服美少女戦士役でアクションしまくった『エンジェル ウォーズ』、脱いだ『スリーピング ビューティー/禁断の悦び』、美声を聞かせたレトロキュートなミュージカル『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』(写真)と、文化系男子好みな作品選定で全幅の信頼を置かれてますが、本作でのゴスロリ黒ドレス姿の可憐さたるや! このエミリー・ブラウニング嬢たち3姉弟が、悪党オラフ伯爵に引き取られてきた初日に即、ディナーを30分で作るよう命じられる。いきなりの家政婦扱い。姉「パスタにしましょう」弟「パスタ・プッタネスカなら、少ない材料で出来るからね」 ということで、ザルの代わりに網戸を、鍋の代わりに痰壷を使い、パスタ・プッタネスカを手早く作るのです。 Netflixオリジナルの連続ドラマ版には、姉弟が図書室に行ってレシピを調べるシーンがあります。[図書室にて]姉「これなら作れそう。パスタ・プッタネスカ!」弟「イタリア語でどんな意味だろう?」姉「(料理本を読み上げ)ニンニクとタマネギを炒めて、オリーヴとケイパー、アンチョビ、刻んだパセリとトマトを入れて煮る」[キッチンにて]ナレーション「パスタを茹でるまでの間、ヴァイオレットはニンニクを炒め、アンチョビを洗って切った。クラウスはトマトとオリーヴの準備。(中略)そして末っ子がパセリを歯で食いちぎる作業を終えると、初めて伯爵の家に来た時の気持ちは消えた。惨めな気持ちは薄れていたのだ」姉「このソース、パパも誉めてくれたはず!」 ええと、これからご紹介するワタクシのレシピでは、タマネギは使いません。甘味が出ちゃうのがイヤなのと、ワタクシが参考にした幾つかのレシピでは使ってませんでしたから。あと、「アンチョビを洗う」という行為は意味がわかりません!英語でもそう言ってるんだけど、ダメ!絶対!! この2点は原作に書かれてないので、文字通りのNetflixオリジナルのアレンジらしい。ダメ!絶対!! あと、弟君に「イタリア語でどんな意味だろう?」と言わせておいて答を劇中で教えないのが、実は、軽くイタズラ心に溢れていて面白い。これも原作に書かれていないNetflixオリジナル台詞みたいなんですが、実は「プッタネスカ」って、子供に意味を教える訳にはいかない、とんでもない意味なのです! 「プッタネスカ」とは「風俗嬢の」という意味で、「パスタ・プッタネスカ」でしたら「風俗嬢パスタ」ということ。これ、イタリアで風俗嬢が客を取る合間にチャチャっと作って手早く食事を済ませていたから、それくらい簡単に作れるお手軽レシピ、ということが語源との説があります。ま、お子様には秘密ということで。 では、前置きはこれくらいにして早速いってみましょう! 【材料(4人分)】 ・唐辛子×2本・ドライオレガノ×2つまみ・ニンニク×1片・チェリートマト×1パック(有っても無くても)・生イタリアン・パセリ×売ってる1袋・トマトペースト(有っても無くても)・パスタ(ここではリングイネ。スパゲッティーでももちろん可。ただ麺が良い)・トマト缶×1缶・ケイパー・アンチョビいっぱい(5尾以上は!味の決め手なので!)・黒オリーヴ(種有りの方が断然味が良いのでオススメ) 【作り方】 ① フライパンにオリーヴオイルを注ぎ、唐辛子とニンニクのみじん切りとアンチョビいっぱいを入れ、超極弱火で熱を入れていく。トマトの食感がお好きならここで生チェリートマトを半分に切ったものも加熱する(別に無くてもいい)。 ② 5分も加熱するとアンチョビが熱で崩れる。この状態まで加熱したら、 ③ この時点でパスタ用の湯を大鍋で沸かし始めること。それと同時にフライパンの方は中火にヒートアップし、イタリアンパセリを除く全ての材料を一斉に投下!すなわち、トマト缶1缶、トマトペースト適量(無くても可)、ケイパーとブラックオリーヴお好みの量、乾燥オレガノを加え、材料外だが塩(適量)も加えて味を調える。 ④ 湯が沸いたらパスタを茹でる。湯が沸くまで15分ぐらいか?そしてパスタの茹で時間は普通7分?アルデンテ着地狙いで6分?超適当だが、トマトソースの方の煮込み時間もそれで十分。この時間を活用してイタリアン・パセリを適当に刻んでおこう。 ⑤ パスタ茹で上がり=ソース煮詰まり完了。パスタをソースに絡め、皿に盛り付け、最後に生イタリアン・パセリをたっぷりと散らす。 【実食】 うん!いつもながら、地味に美味いな!とにかく簡単、ってことが、この料理最大のメリットで、簡単すぎて失敗しようがないのですが、コツはアンチョビをケチらないことですな。肉を使ってないので、味のゴージャス感はアンチョビだけにかかってます。これケチると味気ない貧乏ったらしい味になってしまうので。 にしても、妻が実家出産でしばらく独り暮らししてた頃は、仕事終えて家に帰ったらいつもパパっと作って平日2回ぐらいはこれ食いながら安ワインで映画を見てましたね。やっぱ、映画ですから!自分で言うのもなんですが、映画見るなんて、そこそこオシャレで知的で洗練された趣味だとは思いませんか皆さん!エクスペンダブルズとか!! であるならば、コンビニエントでインスタントな夕食よりかは、手抜きとはいえ多少はこだわった、自分でチャチャっと作る簡単ディナー程度は、映画見る晩には格好つけたいじゃないですか、皆さん!■ COPYRIGHT © 2017 BY DREAMWORKS LLC AND PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
-
COLUMN/コラム2017.10.15
多重人格(?)ジョニー・トー監督の本領発揮作『MAD探偵 7人の容疑者』〜10月05日(木)ほか
香港。西九龍署のバン刑事は、人が内に秘めた人格を察知する特殊な能力を持つ刑事。さらに被害者や加害者の状況を疑似体験して事件の真相を知ることで、数々の難事件を解決してきた有名刑事である。しかしバン刑事の異常行動は、事件捜査の際だけでなく、署長退任時に自身の右耳を切り取ってプレゼントするなどエスカレート。バン刑事は、状態的に奇行を繰り返すようになっていき、ついには精神病と診断されて警察も追われてしまった。 『MAD探偵 7人の容疑者』は衝撃的かつ不可解な始まり方をする映画だ。説明が極力省略されていることで、バン刑事の周囲で起こる異常な状態と異常な行動を、観客はバン刑事の周囲の人物たちと同様に「一体何が起こっているのか?」という目線で見始めることになる。 5年後、バンのもとにホー刑事がやってくる。ホー刑事は新人刑事時代に、バンと共に殺人事件を担当し、その衝撃的な捜査スタイルが強く印象に残っており、今自身が担当している事件への協力を依頼したのだ。その事件とは“ウォン刑事失踪事件”。1年半前のある夜、同僚のコウ刑事と共に窃盗事件の捜査中だったウォン刑事は、犯人を追う中で山中で姿を消した。しかしウォン刑事の拳銃が複数の強盗事件で使用され、4人の死者も出る事態となっていたのだ。ウォン刑事の生死も不明な中で事件捜査は難航し、担当のホー刑事はバンに助けを求めたのだった。 バンはコウ刑事を見るなり、コウ刑事が内面に秘める7人の人格を察知。ウォン刑事失踪事件の犯人は、コウ刑事であることを断定する。突飛で不可解な行動を繰り返しながらも事件解決に向けて少しずつ前進するバンを理解しようと努力するホー刑事だったが、バンはホー刑事の警察手帳と拳銃を持ち去って勝手に捜査を開始してしまう事態になってしまい……。 バンの持つ能力は、サイコメトリー能力(残留思念を読み取る能力)であり、ビジュアライズされたテレパシー能力(相手の考えていることが分かる能力)。サイコメトリーと言えばデヴィッド・クローネンバーグの『デッドゾーン』(83年)を想起するが、『デッドゾーン』と違ってその能力の具体的な裏付けの説明が一切ないため、バンが超能力者なのか、実はただのサイコパスなのかは最後まで明確にされることは無いというのが特徴的な作品。 監督はジョニー・トーとワイ・カーファイのゴールデンコンビ。主役のバン役には目力が強力な野性味あふれるラウ・チンワン。バンに事件解決依頼をしたために本当にひどい目に遭うホー刑事役には、アクション映画で実力を発揮するアンディ・オン。事件の当事者であるコウ刑事役は、香港の蟹江敬三ことラム・カートン。ビジュアライズ化されたコウ刑事の7人の人格役にはラウ・カムリン、ラム・シュー、チョン・シウファイらが配役されている。 89分というタイトな映画であるが、中身がギュウギュウに詰まった映画で、ラウ・チンワンが同じ食べ物を何度も注文する食事シーンや、ラウ・カムリンの立ちションシーンなど印象的なシーンの目白押し。メキシカン・スタンドオフが炸裂するドラマティックなクライマックスと、唐突に終わる間抜けにもほどがあるラストのコントラストは衝撃的だ。 さて、本作の監督であるジョニー・トーは、もちろんご存じの通り香港を代表する世界的な監督であるのだが、筆者はトー監督もまた多重人格なのではないかと疑っている。 ジョニー・トーは1955年生まれの62歳。香港の九龍に生まれたトーは、17歳の時に香港最大のテレビ局TVBでアシスタントとしてキャリアをスタートする。翌年にはバラエティ番組のディレクターとして演出家デビュー。数々のテレビ番組やテレビドラマを演出した後、1980年には『碧水寒山奪命金』で映画監督デビュー。1989年にはチョウ・ユンファ主演の『過ぎゆく時の中で』を監督し、スマッシュヒットを飛ばす。アンディ・ラウの『raiders レイダース』(91年)やチャウ・シンチーの『チャウ・シンチーの熱血弁護士』(92年)など、若手の有望株の主演作を次々と監督し、その実力を認められたトー監督は、1993年に香港版『チャーリーズ・エンジェル』とも言うべき『ワンダー・ガールズ 東方三侠』を監督。アニタ・ムイ、ミシェル・ヨー、マギー・チャンという美女三人が大活躍するアクションコメディは大ヒットを記録し、同年中に続編も制作されている。また第二次世界大戦中の中国空軍兵のラブロマンス『戦火の絆』(96年)、ラウ・チンワンと初タッグを組んだ消防士アクション映画『ファイヤーライン』(96年)と、佳作を量産体制に入る。また1996年には、TVBでプロデューサーとして活躍していた同い年のワイ・カーファイと銀河映像を設立しており、トー監督作品はこの銀河映像で制作されることになる。 1998年、名曲『上を向いて歩こう』をバックに敵対する組織に属する殺し屋2人の絆を描く『ヒーロー・ネバー・ダイ』(98年)で、カルト的な人気が爆発。さらにヤクザの親分のボディガードたちの死闘と友情を描く『ザ・ミッション 非情の掟』(99年)で、香港電影金像奨の最優秀監督賞を受賞して完全に覚醒する。『ヒーロー~』と『ザ・ミッション』で新世代香港ノワールの旗手として完全に認識されたトー監督だったが、翌年には盟友ワイ・カーファイと共同監督した『Needing You』が香港で凄まじい大ヒットを記録する。本作はアンディ・ラウと歌手として大活躍するサミー・チェンがドタバタを繰り返しながら接近していく様子を描く胸キュンラブコメディで、トー監督が香港ノワールの監督とレッテルを貼っていたファンは度肝を抜かれることとなる。 さらにアンディ・ラウとサミー・チェンを続けて起用した、香港版『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』とも言うべき『ダイエット・ラブ』(01年)を発表。特殊メイクで激太りさせた主演2人のドタバタ喜劇は、またまた大ヒットしている。 香港ノワールの巨匠、ラブコメの帝王の名を欲しいままにしたトー監督だったが、その後は日本から反町隆史を招いて制作された『フルタイム・キラー』(01年)を発表。アンディ・ラウが謎日本語を駆使し、謎が謎を呼ぶ悪夢のような展開によって、ヘンテコ映画として認識されることになる。さらに2003年にはジョニー・トーのヘンテコ路線の究極系である『マッスルモンク』を発表。未見の読者には是非観て頂きたいのであるが、とにかく凄まじく変な映画で、前半のスチャラカコメディタッチのデタラメ展開から、後半のシリアス展開へのギャップも凄く、唖然とすることを請け合いの怪作である(しかし本作は香港電影金像奨で13部門にノミネートされ、最優秀作品賞を受賞するという快挙を成し遂げる……謎である)。 ここで「ジョニー・トーもすっかり変な監督になっちまったな……」と思わせておいて発表されたのが『PTU』(03年)。香港警察特殊機動部隊の一夜を描く『PTU』は、改めてトー監督の実力を満天下に知らしめる大傑作。香港電影金像奨で10部門にノミネートされ、トー監督は最優秀監督賞を受賞している。かと思えば同年には金城武主演の軽いテイストのラブコメディ『ターンレフト・ターンライト』(03年)を発表。2003年にはノワール、ラブコメ、ヘンテコの3作品を発表しているのだ(さらにSARSでパニックになった香港を励ますために『1:99 電影行動』も監督している)。 その後もヘンテコ路線として『柔道龍虎房』(04年)、『強奪のトライアングル』(07年)、『僕は君のために蝶になる』(08年)を、ノワール路線として『ブレイキング・ニュース』(04年)、『エレクション』シリーズ(04年~)、『エグザイル/絆』(06年)、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(09年)を、さらにラブコメ路線として『イエスタデイ、ワンスモア』(04年)、『単身男女』(11年)、『香港、華麗なるオフィス・ライフ』(15年)を監督している。 さらにこの3つのジャンルをそれぞれミックスしたようなハイブリッド作品として、『MAD探偵 7人の容疑者』(ノワール+ヘンテコ)のような作品も発表する。3つのジャンルを縦横無尽に行き来しながら年に3本も4本も映画を監督し、しかも次々と傑作・怪作・ヒット作を連発するという芸当は並みのことではない。こんな作品を発表し続けるトー監督は、やはり多重人格なのではないかと思うのだ。■ © 2007 One Hundred Years Of Film Company Limited All Rights Reserved
-
COLUMN/コラム2017.10.10
【再掲載】3つの『ブレードランナー』、そのどれもが『ブレードランナー』の正しい姿だ!
例えば『ゾンビ』のように、公開エリアによって権利保持者が違ったため、各々独自の編集が施されたケースもあれば、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『アバター』のように、劇場公開版とは別の価値を持つものとして、DVDやBlu-rayなど制約のないメディアで長時間版を発表する場合もある。 『ブレードランナー』もそれらのように、いくつもの別バージョンが存在する作品として有名だ。しかし、先に挙げた作品とは「発生の理由」がまったく異なる。いったいどのような経緯によって、同作にはこうしたバージョン違いが生まれたのだろうか? なぜバージョン違いが生まれたのか? それは最初に劇場公開されたものが「監督の意図に忠実な作品ではなかった」というのが最大の理由だ。 映画の完成を定める「最終編集権」は、作品を手がけた「監督」にあると思われがちだ。しかし、その多くは作品の「製作者」が握っており、監督が望む形で完成へと到らないケースがある。『ブレードランナー』もまさしくそのひとつで、1982年に劇場公開された「通常版」は、製作者の権利行使によって完成されたものなのだ。 当然、それに納得いかなかったのが、監督のリドリー・スコットである。醇美にして荘厳な映像スタイルを自作で展開させ「ビジュアリスト」の名を欲しいままにする希代の名匠。そんな完璧主義の鬼が、自らの意図と異なるものに寛容であるはずがない。そう、もともと『ブレードランナー』は、リドリーの意図に忠実に編集されていたのである。しかし製作側が完成前にテスト試写をおこない、参加者にアンケートをとったところ、以下のような驚くべき意見が寄せられてしまったのだ。 「映画に出てくる単語や用語が難しい。“レプリカント”って何? そもそも“ブレードランナー”って何なの?」 「ラストが暗すぎる。デッカード(ハリソン・フォード)とレイチェル(ショーン・ヤング)は、あの後どうなったの?」 こうした意見に製作側が戦々恐々となったのは言うまでもない。そして収益に響いては困るとばかりに、編集に修正を加えるのである。「用語が難しい」という問題には、劇中にわかりやすいナレーションを入れることで対応し、そして「ラストが暗い」には、「レイチェルには限られた寿命がなく(レプリカントは4年しか生きられない)、ふたりは生き延びて仲良く暮らしました」とでも言いたげなハッピーエンド・シーンを追加した。 しかし、今となっては考えられないことかもしれないが、こうした製作側の配慮もむなしく、『ブレードランナー』はヒットには到らなかったのである。 何が問題だったのか? それは懸念された「内容の難解さや暗さ」ではなく、ダークなセンスこそ光る本作を「SFアクション劇」で売ろうとした製作側の大きな宣伝ミスだったのだ。そして皮肉にも、その退廃的な未来図像や哲学的なストーリーが目の利いた映画ファンから絶賛され、『ブレードランナー』は年を追うごとに注目を集め、マスターピースとしてその名を高めていくのである。 ■「ディレクターズ・カット/最終版」(1992年)の誕生 商業性を優先した製作側に、作品を曲解されてしまったとリドリー・スコット監督は考えていた。作品の評価が高まるにつれ、彼は今そこにある『ブレードランナー』が、自分の意図どおりのものでないことにジレンマをつのらせたのである。そして「いつか私の『ブレードランナー』を作る」と、来るべき機会をじっと待っていたのだ。 そして、ついにその祈願が果たされるときがやってくる。1991年、ワーナー・ブラザースが同作のファンの需要に応え、「通常版」の前のバージョンの公開を局地的に展開していた。そう、リドリーの意向に沿った編集版だ。 それに対してリドリーは、 「あの編集バージョンはあくまで粗編集で、未完成のものだ。公開を承認することはできない。これはビジネスの問題じゃなくて芸術の問題だ」 と、公開にストップをかけたのだ。そしてワーナーに対し、ある代案を呈示したのである。 「監督である私の意図にしたがい、新たに編集したものならば公開してもいい」。 この代案が受け入れられ、編集権はリドリーに譲渡される形となった。そしてリドリーは自分どおりの、新たな編集による『ブレードランナー』を発表することになったのだ。それが「ディレクターズ・カット/最終版」である。 ■「通常版」と「ディレクターズ・カット」、ここを見比べよう! 監督の意図に忠実な「ディレクターズ・カット/最終版」は、「通常版」に入れられたナレーションをすべて取り払い、そして最後に追加されたハッピーエンド・シーンも削除したバージョンだ。そこには監督の「混沌とした未来像をありのままに受け止めてほしい」という演出プランが息づいている。 こうした点にこだわりながら、改めて両バージョンを見比べてほしい。ナレーションのない「ディレクターズ・カット/最終版」は、耳からくる情報収集で聴覚を奪われないぶん、視覚を集中して働かせられる。そのため、映像が放つインパクトをより強く受け取ることができるのだ。公開当時、革命的で前代未聞といわれたデッドテックな未来像。その視覚的ショックを、監督の思う通りに実感できるという次第だ。 さらにリドリーは「ディレクターズ・カット/最終版」に新たなショットを付け加えることで、観客がこれまで抱いてきた『ブレードランナー』の固定観念を覆すことに成功している。それが「森を駆けるユニコーン(一角獣)」のイメージ・シーンである。 デッカードが見る「夢」として挿入されるユニコーンの映像。それは彼の同僚ガフ(エドワード・ジェームズ・オルモス)が捜索現場に残した「折り紙のユニコーン」と重なり合う。デッカードの脳内イメージを第三者であるガフが知っているということは、「デッカード自身もレプリカントなのでは?」という疑念を観る者に抱かせるのだ。そしてその疑念こそが「ディレクターズ・カット/最終版」の、もうひとつの変更点=“ハッピーエンドの否定”へとリンクしていく。 「ならば『通常版』は、監督の意図と違うからダメなのか?」 と訊かれれば、それはノーだ。「通常版」固有のナレーションは、1940?50年代に量産された「フィルム・ノワール(犯罪映画)」や「ハードボイルド小説」のスタイルを彷彿とさせる。『マルタの鷹』や『三つ数えろ』『ロング・グッドバイ』など、主人公が自身の行動や考え、感情をストーリーの流れに沿って口述する文体は、フィルム・ノワール、特にハードボイルド小説の「探偵ジャンル」に顕著なものだ。そうした古来の語り口を介することで、『ブレードランナー』もまた「孤独な主人公が犯罪者を追う」古典的な物語であることを認識させてくれるのである。 そういう観点からすれば「通常版」は“未来版フィルム・ノワール”として独自の価値を持つものであり、監督が思うほど「ディレクターズ・カット/最終版」に劣るものでは決してないのである。 ■さらに作品を極めたい?そして「ファイナル・カット版」(2007年)へ リドリーは紆余曲折を経て、自分の意向に沿った『ブレードランナー』を世に出すことに成功した。だが、それだけでは満足しないのがアーティストの性(さが)だろう。「さらに極めたものを作りたい」という思いは、完璧主義者としての彼の奥底に深く根を張っていたのだ。 そうした自身の思いと、多くのファンの作品に対する支持はワーナー・ブラザースを動かした。同社は『ブレードランナー』公開から25周年を迎えるにあたり、改めて同作の権利契約を結び、“究極”ともいえる「ファイナル・カット版」の製作にゴーサインを出したのである。 「ファイナル・カット版」は、基本的には前述の「ディレクターズ・カット/最終版」をアップデートしたものだ。なので「通常版」→「ディレクターズ・カット/最終版」に見られたような大きな違いはなく、下記のようにディテールの修正が主だった変更点である。 【1】撮影・編集ミスによる矛盾の修正 撮影ミスや編集ミスで、カットごとに違うものが映し出されるシーン(不統一な看板の文字など)や、または矛盾を生じるセリフの修正などが徹底しておこなわれている。特に代表的なのは、ブライアント(M・エメット・ウォルシュ)がレプリカントに言及するセリフで「(6体の逃亡したレプリカントのうち)1匹は死んだ」としゃべっていたものを、「2匹が死んだ」と変えている場面だ。これはデッカードが追う残り4体のレプリカント(ロイ、ゾーラ、リオン、プリス)の数に合致させるための変更である。 あるいは修正のために、新たに映像素材を撮影したシーンもある。デッカードに撃たれたゾーラが倒れるシーンで、スタントの代役が如実に分かるミスショットがあるが、ゾーラ役のジョアンナ・キャシディを招いて撮ったアップショットを代役にリプレイスメント(交換)することで解決へと導いている。また人口蛇をめぐってデッカードがアブドルと話すシーンでの、声と口の動きが一致していない問題点には、ハリソン・フォードの実子ベンジャミン・フォード(お父さんそっくり!)の口もとを合成し、同様に解決されている。 【2】特殊効果シーンの一部変更ならびに修正 オプチカル(光学)による合成ショットのブレや、シーンによって左右反転するデッカードの頬傷メイク、あるいはスピナーが浮上するさいに見える、吊り上げるためのワイヤーなど、ミスや製作当時の技術的な限界を露呈した点がデジタル処理で修正されている。またバックプレート(背景画像)が大きく入れ替えられている部分もあり、たとえばロイの死の直後にハトが飛び去るショットは、前カットとの連続性を持たせるために晴天から雨天へとレタッチされ、下部分に写る建造物も新たにデジタル・ペイントされて、違和感をなくしている。 【3】未公開シーンの挿入 デッカードがゾーラを訪ねるシークエンスで、繁華街に登場するホッケーマスクのダンサーなど、未公開だったショットが追加されている。またユニコーンのシーンも1ショット追加され、それにともないデッカードのアップにユニコーンのショットがインサートされる編集処理となり、ユニコーンのシーンはディゾルブ(オーバーラップ)でなくなった。 すべてのバージョンが『ブレードランナー』である ! そう、1982年の『ブレードランナー』初公開から四半世紀の間に、映画の世界には大きな変革が及んだ。「デジタル技術」の導入により、そのメイキング・プロセスや作品の仕上がりに高いクオリティが与えられたのだ。監督とスタッフは「ファイナル・カット版」作成に際し、オリジナルの本編シーン35mmネガ、そして視覚効果シーンの65mmと70mmオリジナルネガをスキャンしてデジタルデータに変換し、すべての編集や修正をコンピュータベースでおこなっている。 その結果、同バージョンは「ディレクターズ・カット/最終版」と比較(あるいは「通常版」と比較)しても、とにかく映像の美しさという点で勝っている。デジタルによる高解像度のスキャンによって、これまでの別バージョンに較べて画面の隅々までが明瞭に見えるようになったし、照明効果の暗かった場面の光度や輝度をデジタル処理で上げることで、暗部に隠れた被写体の可視化に「ファイナル・カット版」は成功している。 また映像面だけでなく、サウンドにおいても微細に加工が施されている。セリフ、効果音、スコアそれぞれのトラックからノイズをデジタルで消去し、それらをリミックスして響きのいい音を提供している。またナレーションを排したために、ところどころで音の隙間が出来てしまった場面においても。スピナー飛行時の通信ノイズや街の雑踏など新たなサウンドエフェクトで補っているのだ。 こうした丹念な修正作業と、リドリー・スコット監督の執念によって、「ファイナル・カット版」は『ブレードランナー』の“完成型”といえるものに仕上がった。とはいえ、デジタルという態勢下で加工された「ファイナル・カット版」に対し、あくまでフィルムベースで存在する「通常版」「ディレクターズ・カット/完全版」の“映画らしい質感”を称揚する者も少なくない。なにより私(筆者)自身、作家性を重んじる立場から「ファイナル・カット版」に感動しつつも、「最初に劇場公開されたものこそオリジナル」という主義でもあるので、すべてのバージョンを観るたびに心が揺れる。だからどの『ブレードランナー』を支持するかは、観る者の嗜好によって一定ではないだろう。 しかし、誰がいかなるバージョンに触れたとしても、やはり『ブレードランナー』という作品そのものが持つ「魅力」と「偉大さ」を、改めてすべての人が感じるに違いない。■ 【3月放送日】 『ブレードランナー』…5日、25日 『ディレクターズカット/ブレードランナー 最終版』…11日、29日 『ブレードランナー ファイナル・カット』…20日、26日 『(吹)ブレードランナー ファイナル・カット』…20日、26日 『デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー』…5日、20日 TM & © The Blade Runner Partnership. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2017.10.09
26世紀青年
2005年のある日。米軍勤務(といっても最前線で戦う兵士ではなく、軍事基地の資料室で受付係をしている)ジョー・バウアーズは、極秘の人体実験への参加を命じられる。その内容とは1年間の冷凍睡眠。「一般人は冷凍睡眠に耐えられるのか」を実証するために、最も平均的なスペックを持つジョーが選ばれたのだ。彼は渋々ながら、やはり平均的な女性リタ(但しその正体は起訴処分取り下げを条件に実験に応じた売春婦)とともに眠りについた。ところが実験の存在は忘れられてしまい、ふたりが目覚めたのは500年後のことだった。 そこでジョーが見たものは、ジャンクフードとTVとセックスにしか興味のない未来人とゴミの山。21世紀に入って、優秀な人間が子どもを作ることに慎重になった一方で、バカは相変わらず避妊せずにセックスして子どもをバンバン作ったことで<逆自然淘汰>が起こり、人類はバカばっかりになってしまっていたのだ。合衆国政府はタコベルに買収され、スターバックスは風俗チェーンに業態変更。テレビでは男がひたすら金玉を痛めつけられる「タマが痛い」が高視聴率を獲得し、尻だけがひたすら映し出される映画がアカデミー賞を独占していた。 そんな中、ジョーは不審人物として逮捕されてしまう。だが連れていかれた先は刑務所ではなくホワイトハウスだった。理由は逮捕時に受けたテストでの信じられない高得点。大統領は、深刻な食料危機の解決をジョーに命令する。しかし彼は26世紀では世界一の天才でも、あくまで普通の男にすぎないのだ……。 『26世紀青年』は、ピクサーが2008年に放った大ヒットアニメ『ウォーリー』を2年も先駆けて公開されたディストピアSFコメディだ。二作は、長い時空を超えてきた平凡な主人公にゴミの山、そして退化した未来人など設定の多くが共通している。しかし家族揃って見られる『ウォーリー』と比べると、未来人の醜悪さがこれでもかと言うほどリアルに描かれているため、毒は遥かに強烈だ。 監督と脚本を手掛けたのは、『サウスパーク』に多大な影響を与えた『ビーバス&バットヘッド』(93〜97年)や『キング・オブ・ザ・ヒル』(97〜10年)といったシニカルなアニメで知られる鬼才マイク・ジャッジ。脚本にはジャッジのアニメ作品に参加してきた右腕的存在のイータン・コーエンも参加している。 徹底的に普通の男ジョーを演じたのは、『キューティ・ブロンド』シリーズ(01〜03年)や『Gガール 破壊的な彼女』(06年)といった作品でのイイ人ぶりが印象に残るルーク・ウィルソン。リタ役に『SNL』出身で、ポール・トーマス・アンダーソンのパートナーとしても知られるコメディエンヌ、マヤ・ルドルフ、未来社会の弁護士フリート役に『ザスーラ』(05年)の宇宙飛行士役で注目されたばかりのダックス・シェパードが扮している。メガヒットとは言わないまでもスマッシュ・ヒットが期待出来そうなメンツだ。 ところが映画は2005年に完成したにもかかわらず、製作会社の20世紀フォックスは1年以上塩漬けに。翌年やっと公開を決めたものの、試写会を一切開催しなかったばかりか、予告編すら作らなかった。そして全米130スクリーンだけでひっそりと上映し、さっさと打ち切ってしまったのだった。『26世紀青年』は闇へと葬り去られたのだ。 製作会社のそんな不可解な対応に対し、マイク・ジャッジのファンから怒りと疑問の声があがった。やがてある噂がネット上を飛び交い出した。20世紀フォックスは、系列のFOXニュースに配慮して『26世紀青年』を実質お蔵入りにしたのではないか? FOXニュースは、CNNのライバル局として1996年に設立されたニュース専門チャンネルだ。中立的な報道を行なうCNNに対して、FOXニュースは、「彼らはリベラルに偏向している。我々こそが中立」と主張。アメリカ人に都合が良いニュースばかりをオンエアした。そしてアメリカ同時多発テロ事件を機にCNNを視聴率で逆転したのである。 そんな局にとって『26世紀青年』のどこが都合が悪いのか? それは映画で描かれる未来人たちの姿にある。昼からビールを飲みまくり、プロレスやストックカーレースが大好きな彼らは明らかに現代のプアホワイト(白人低所得者層、ホワイト・トラッシュとも呼ばれる)を戯画化したものだった。そしてFOXニュースのメインターゲットこそがそのプアホワイトだったのだ。 噂が本当なら、マイク・ジャッジは「FOXニュースばかり観るとバカになるよ」と主張する映画を、こともあろうに総本山で撮ってしまったことになる。当のジャッジはというと、インタビューで「シークレットで行った試写の結果がものすごく悪かったと製作会社から言われた」と発言している。個人的にはその可能性はゼロではないと思う。マイク・ジャッジとイータン・コーエンはそれぞれエクアドルとイスラエル生まれの移民なので、プアホワイトの知り合いはいないはずだ。だが観客の多くを占めるヨーロッパ系白人の場合、もし本人がそうでもなくても親戚の誰かがプアホワイトであってもおかしくない。彼らは未来どころではない醜悪な現在を再確認してゲンナリしてしまった可能性もある。もっとも事実は藪の中なのだけど。 『26世紀青年』はそんなわけで興行的に失敗に終わったものの、ジャッジはT.J.ミラーをスターにしたコメディ・ドラマ『シリコンバレー』(14年)を大成功させ、イータン・コーエンは『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』(08年)や『メン・イン・ブラック3』(12年)の脚本を手がけたあと、ウィル・フェレルとケヴィン・ハートの共演作『ゲット・ハード/Get Hard』(15年)で監督デビュー。フェレルがシャーロック・ホームズに扮する『Holmes and Watson』(18年)でも監督と脚本を手がけるなど、いずれもアメリカン・コメディ界のキーパーソンになりつつある。 一方、アメリカ合衆国はというと、2009年にティーパーティー運動が勃興。初の黒人大統領となっていたバラク・オバマがアメリカ国籍を持っていないとか、イスラム教徒だというデマを撒き散らすようになった。彼らの裏付けのない主張には共和党主流派も批判的なほどだったが、やがて共和党はティーパーティー的な考えに飲み込まれていった。 その結果が、2016年大統領選における共和党候補ドナルド・トランプの勝利である。『26世紀青年』でテリー・クルーズが演じるバカの塊のような合衆国大統領コマーチョは元プロレスラーでポルノ俳優という設定だったが、トランプもプロレス団体WWEに参戦経験があり、ヌードビデオ「プレイボーイ・センターフォールド」に出演したことがある。プアホワイト好みのこうしたメディアに露出することによって、人気者になって大統領にまでなってしまった点においてトランプとコマーチョは瓜二つなのだ……いや、黒人のコマーチョは人種差別は行っていないようなのでトランプの方がヒドいかもしれない。 『26世紀青年』の原題は『Idiocracy(IdiotとDemocracyを合成した造語、バカ主義とでも言うべきか)』という。トランプが大統領選に当選した際にメディアは一斉に「アメリカはIdiocracyの国になってしまった」と嘆き、10年前の上映以来、久々に『26世紀青年』に注目が集まったのだった。しかも今回は「現在を予言した黙示録的映画」として。もっともマイク・ジャッジはインタビューでこう答えたようだ。「僕は預言者なんかじゃないよ。だって予言の時期を490年も外しちゃったんだからね」 © 2006 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2017.10.05
「ロシアSFアクション大作」を開拓した記念碑的作品『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』〜10月10日(火)ほか
■ロシア映画史上最大規模のSFファンタジー ロシアのSF映画で即座に思い浮かぶ作品というと、未だにアンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』(72)や『ストーカー』(80)あたりが、日本人の一般的認識として幅を利かせているような気がしてならない。もちろん、これらが歴史的名作であることは言を俟たないが、我が国におけるロシア映画の市場が先細りしている影響もあって、最近の作品があまり視野に入ってこないのも事実だ。 しかし2000年代を境に、ロシアではハリウッドスタイルのスケールの大きな映画が興隆を成し、SFジャンルも観念的でアート志向なものばかりではなく、エンタテインメントに徹した作品が量産されている。 こうしたロシアの映画事情の様変わりは、2004年製作のダークファンタジー『ナイト・ウォッチ』に端を発する。同作を手がけた監督ティムール・ベクマンベトフが、当時小さく散らばっていたロシア国内の特殊効果スタジオをひとつにまとめ、大型の作品にも対応できる製作体制を整えた。これはジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』(77)を手がけ、視覚効果スタジオの大手であるILM(インダストリアル・ライト&マジック)設立をうながし、後のSPFX映画のムーブメントを発生させたのと同じ流れである。つまり映画技術のインフラ整理によって、ロシアは「エンタテインメント大作」としてのSF映画の開発に勢いをつけたのだ。(『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』に関しては、今冬の「シネマ解放区」にて解説の予定) この『プリズナー・オブ・パワー』も、日本円にして約37億という、当時のロシア映画史上最高額の製作費をかけた大作SFとして公開され、国内で20億円という興行成績を記録している。「それ、赤字じゃないのか?」と思われるだろうが、本作は全世界展開を視野に入れた作りをほどこし、さらに21億円という外貨を稼いでいるのである。1シークエンスにつき1セットという豪華なセット撮影や、完成度の高いCGに支えられたVFXショットの数々。バルクールを取り入れた肉体アクションはハリウッドにも劣らぬものとして観る者の目を奪い、また音楽も当初は『ダークナイト』『パイレーツ・カリビアン』シリーズなどハリウッドアクションスコアの巨匠ハンス・ジマーが担当する予定だったというから、世界市場に打って出ようとする、その本気の度合いがうかがえるだろう。 なにより専制君主の強大な権力を打ち負かそうとする自由な主人公は、ハリウッド映画のヒーローキャラクターを彷彿とさせるものだ。この明快さこそが、本作を「ロシアSFアクション大作」たらしめる牽引力といっていい。 ■ストルガツキー兄弟の小説に最も忠実な映画化作品 しかし意外にも、この『プリズナー・オブ・パワー』、物語に関してはロシアらしいメンタリティを強く放っている。原作は同国を代表するSF文学の大家・アルカージー&ボリス・ストルガツキーの手による長編小説『収容所惑星』。ストルガツキー兄弟は前述したタルコフスキーの『ストーカー』や、2015年の「キネマ旬報」外国映画ベスト・テンで6位に選出されたアレクセイ・ゲルマン監督の『神々のたそがれ』(13)など、映画との関わりは深い。 ただ『ストーカー』や『神々のたそがれ』が原作と大きく異なるのに比べ、『プリズナー・オブ・パワー』は意外にも、原作にほぼ忠実な形で映画化がなされている。こうした大作ともなれば、原作は名義貸し程度であるかのごとく大幅に改変されるが、ストルガツキー原作映画の中でも、最もその世界観に肉薄したものとなっているのだ。 とはいえ、原作と異なる点もなくはない。たとえば主人公マクシム(ワシリー・ステパノフ)の容姿は、映画では青い目をしたブロンド髪だが、原作では黒い瞳のブルネットだ。そして彼の乗る宇宙船は、映画だと小惑星との衝突によって破壊されるが、原作では自動対空砲で撃墜されている。またマクシムは惑星サラクシの住人の言葉を自動翻訳機を通じて理解するが、原作では徐々に現地語を覚えていくのである。 他にもクライマックスでは、国家検察官ユニーク(フョードル・ホンダルチュク)が責任を回避するため自ら死を選ぶが、原作における彼の最後は不明のままになっているし、マクシムと影の統治者ストランニック(アレクセイ・セレブリャコフ/原作では〈遍歴者〉と呼称)との壮絶な一騎打ちも、原作だと淡白な話し合いにとどまり、過激なアクション展開は映画の中だけのことだ。もっとも、これらあくまでディテールの差異にすぎず、物語を大きく激変るようなアレンジではない。 それよりも原作に忠実であるがゆえに、映画も出版当時の社会主義を批判する内容となっているところに注目すべきだろう。マクシムが敵対する惑星サラクシは、政府が「防衛塔」と呼ぶ電波塔からコントロール波を流し、国民を従属させている全体主義国家だ。彼らの服装にはナチス・ドイツのような意匠が見られるが、根底にあるのは社会主義国時代のソ連の姿である。 ロシアNIS貿易会の機関紙「ロシアNIS調査月報」の連載ページ「シネマ見比べ隊」で、記事担当者である佐藤千登勢は、 「保守派政党である統一ロシアの党員である監督が、面と向かってロシア批判をするはずがない。なので惑星サラクシの独裁体制をナチス・ドイツ的に描くことで、反体制的なメッセージをカモフラージュしているのではないか?」 といった旨の考察をしている。確かにそのような考えも成り立つが、この映画の場合は単純に、ストランニックの「ドイツ語をしゃべる地球人」というキャラクター設定にリンクさせたり、また世界展開を視野に入れた作りのため、わかりやすい悪役像としてナチス・ドイツの意匠が用いられたのだと考えられる。 ちなみにこの『プリズナー・オブ・パワー』の監督を務めたフョードル・ホンダルチュクは、名作『戦争と平和』(66)『ネレトバの戦い』(69)で知られる俳優セルゲイ・ボンダルチュクの息子で、姉は『惑星ソラリス』でケルヴィン博士の妻を演じた女優、ナタリヤ・ボンダルチュクという芸能一家の出身である。『プリズナー~』以降は、スターリングラード攻防戦をソ連軍の視点から描いた戦争アクション『スターリングラード 史上最大の市街戦』(13)など、統一ロシア党員らしい作品を手がけたりしているが、『パシフィック・リム』(12)のキービジュアルを模したポスターであらぬ誤解を受けた戦争ファンタジー『オーガストウォーズ』(12)や、今年公開された侵略SF『アトラクション 制圧』など、ロシア映画のエンタテインメント大作化に寄与している監督だ。自身の政治的スタンスがいかにあれ、今いちばん評価が待たれる作家といっていいだろう。 ■「インターナショナル版」と「全長版」との違い ところで、この『プリズナー・オブ・パワー』には「インターナショナル版」と、ロシアで公開された「全長版」がある。日本で公開されたのは前者で、ザ・シネマで放送されるバージョンもそれに準ずる。後者は第一章『Обитаемый остров(有人島)』と第二章『Схватка(武力衝突)』の二部からなる構成なのだが、上映時間の総計は217分と「インターナショナル版」より97分も長い。 こう触れると、やはり気になるのは後者の存在だろう。なので両バージョンの相違をここで具体的に記したいのだが、とにかく当該箇所が多いので、大まかに触れるだけに留めておく。なんせ開巻、いきなりマクシムが惑星に不時着するオープニングからして縮められているし、他にも「全長版」はマクシムが牢獄で再会するゼフ(セルゲイ・ガルマッシュ)が収監される経緯や、ストランニックを筆頭とする高官のいびつな人間関係、あるいは政府軍の軍人だったガイ(ピョートル・フョードロフ)が支配の陰謀を知り、マクシムと共に戦おうとする改心のプロセスなどがスムーズに描かれている。加えて同バージョンでは、マクシムとガイの妹ラダ(ユーリヤ・スニギル)が互いに心を通わせていくところを丁寧に描き、捕虜となった彼女を救う意味がきちんと納得できる編集になっているのだが、「インターナショナル版」ではそのあたりが完全に削り取られ、唐突感の否めない構成になってしまっている。 他にも政府がテレビや新聞などメディア報道を徹底的にコントロールし、厳しい統制をおこなっている描写も広範囲にわたって削られているし、ミサイル攻撃を受けたマクシムとガイが政府の潜水艦に潜入し、軍のミュータント虐待を知る重要なシーンも「インターナショナル版」にはない。 このように列記していくと、「インターナショナル版」はドラマ部分をタイトにまとめ、アクションシーンに重点を置いたバージョンのように感じるだろう。しかし、そのアクションシーンも実のところ、かなり刈り込まれているのだ。特にカフェの出口でマキシムが暴漢に襲撃され、それを見事に返り討ちにするアクションシーンは、2009年の「ロシアMTVムービーアワード」で「ベストアクション賞」を獲た名場面でありながら、後半部がかなり短縮されているのだ。加えてクライマックスの凄絶な戦車戦も「全長版」より3分短かくされ、その編集の暴威はとどまるところをしらない。 放送に合わせたコラムなので、本来ならば「無駄な部分を削ぎ落としたぶん、すっきりして見やすい」とフォローしたいところだが、作品を深掘りしていく「シネマ解放区」の趣旨からすれば、正直「インターナショナル版」は短くなってしまったことで、かえって映画が分かりにくくなっている点を主張せねばならない。現状では権利の関係もあって「全長版」の放送は難しいようだが、いずれは朗報を伝えることができるかもしれない。ともあれ、ひとまず今回放送の「インターナショナル版」に優位性を指摘するならば、日本ではDVD(SD画質)でしかリリースされていない本作を、HDで観られる点にある。ハリウッド映画に拮抗するそのゴージャスな作りは、HDで観てこそ価値を放つ。その満足感たるや『惑星ソラリス』で時代が止まっていた人の、ロシア製SF映画に対する認識を一新させるに違いない。 ちなみに「全長版」にはないが「インターナショナル版」にある要素も存在しており、それがアヴァンタイトルを経て登場する、コミック調のオープニング・クレジットだ。擬音に日本語のカタカナ表記が使われているのと、ラダが日本のアニメやコミックに登場しそうな巨乳美少女に描かれているなど、いかにも海外市場に目配りしたかのような映像だが、そうではない。じつは本作、映画化に合わせてコミックスが刊行され、いわゆるメディアミックス的な展開が図られている。つまりあのオープニングタイトルの絵は、本作のコミック版なのである。序文を原作者のボリス・ストルガツキーが手がけ、映画以上に原作の精神を受け継いでいるとのこと。機会があれば、そのコミックス版も読んでみたいものだ。■ ©OOO “BUSSINES CONTACT”.2010
-
NEWS/ニュース2017.10.05
9月9日公開。クリストファー・ノーラン監督待望の新作『ダンケルク』監督来日記者会見レポート!!
▼登壇ゲスト 監督:クリストファー・ノーラン ファン代表:岩田剛典(EXILE/三代目J Soul Brothers) 日時:2017年8月24日(木) 場所:六本木アカデミーヒルズ タワーホール 司会:荘口彰久(以下司会) 通訳:今井美穂子 作品の巨大垂れ幕が印象的な記者会見会場。クリストファー・ノーラン監督を紹介するVTR上映後、監督本人が登壇。 司会:『ダークナイト』『インセプション』のクリストファー・ノーラン監督が初めて実話に挑んだ最新作『ダンケルク』。今見ていただいた映像やプロデューサーのエマ・トーマスさんが言っていたように、新たな究極の映像体験できる、まさにノーラン監督の最高傑作と言える作品です。いち早く全世界で公開されて、大ヒットを記録しておりますが、すでに多くのメディアでアカデミー賞を有力視されております。早速ご紹介しましょう。大きな拍手でお迎えください。『インセプション』以来、7年ぶりの来日を果たされました。クリストファー・ノーラン監督です。 クリストファー・ノーラン監督(以下監督):皆さん、今日は誠にありがとうございます。今回7年ぶりの来日となるわけですが、再び日本に来れてとても光栄に思います。訪れる場所としては世界の中でも一番好きな国のひとつです。日本の観客の皆さんにこうやって新作を届けることができ、ワクワクした気持ちでいっぱいです。 質問1:圧倒的な映像体験と臨場感がある作品と感じました。この作品は実話ということもあり、臨場感のある映像に込めた思いは? 監督:歴史的な史実に基づく映画を作るのは初めてですので、かなり徹底的にリサーチを重ねました。ダンケルクにいた方々の証言を聞き、入念に彼らの実体験を調べていきました。緊迫感溢れる映画、観客がまるで当事者であったかのような疑似体験できるような映画を作りたかった。作品を撮るにあたり、帰還兵たちの証言を集めている史学者のジョシュア・レヴィーンさんに歴史アドバイザーとして参加して頂きました。この映画を企画していく中で、まだご存命でダンケルクを体験された方々をジョシュアさんが紹介してくださり、彼らにインタビューすることができました。直接お話を聞くことができ、非常に心揺さぶられるものがありました。実際に彼らの実体験、体験談は反映されていて、脚本を書いていく上で取ったアプローチは、架空の人物に彼らの体験談を語ってもらう、そういう手法を取りました。 質問2:この作品は戦争映画ではつきものである残虐なシーンがあまり描かれていない印象です。今回そのような手法を取られた理由は? 監督:今回なぜその手法を取らなかったのか、つまり血を見せなかったのか。それはダンケルクの話は、他の戦争とそもそも性質が違うからです。これは戦闘の話ではなくて撤退作戦なわけです。この物語を語る手法として、サスペンススリラーを描くというアプローチを取りました。従来の戦争映画であれば、戦争がいかに恐ろしいか、目を背けたくなるホラーとして語る手法がありますが、ダンケルクはホラーではなく、サスペンスを語るという手法にしました。目をそむけたくなるどころか、目が釘付けになってしまう、そういうアプローチを取っています。この作品にある緊張感は他の戦争映画とはちょっと違うモノだと思います。グロテスクなもの、敵の姿さえも見せていません。これはサバイバルの話であり、何かジリジリと寄ってくる敵の存在感を感じさせる、そういう手法でサスペンスフルな映画にしています。そして何よりも、タイムリミットがあるという部分も非常にこの作品を緊迫感あるものにしています。 質問3:監督はスピルバーグやジョージ・ルーカスがお好きと伺っております。本作の製作にあたってまたは、同じフィルムメーカーとして彼らから影響を受けたことは? 監督:スピルバーグ監督やルーカス監督から影響は受けています。僕が7歳の時に見た『スターウォーズ』は、非常に決定的な出来事でした。映画を撮ることとなる私にとって非常に影響を受けました。またスピルバーグ監督は、自身が持っていた『プライベート・ライアン』の35ミリのプリントを貸してくださいました。それをスタッフ全員で観させて頂き、非常に参考になりました。今見ても名作ですし、この作品と競争するわけにはいかないと思いました。スピルバーグ監督が『プライベート・ライアン』で成し遂げた緊張感というのは、私たちが『ダンケルク』で狙っている緊張感とは違うこともわかりました。またスピルバーグ監督は水上で撮影する時はどうしたらいいのかという、貴重なアドバイスもたくさん下さいました。ジョージ・ルーカス監督やスピルバーグ監督に加え、ヒッチコック監督、デビッド・リーン監督の影響も受けています。監督として重要だと思うのは、彼らがどういったことをどのようにして成し遂げたのか、これを学ぶということです。これらを参考にして自分の映画作りをしていくということが大事だと思っています。 質問4:世界中で対立が深まっている中、あえて逃げるという題材を選んだ監督の思いは? 監督:映画の作り手として、世の中で起きていることに影響を受けずにはいられないので、少なからず映画の中に反映されているかもしれませんが、故意にそうしているのではありません。世の中で起きていることを描くためにモチーフ使って描き、あるいは説教するというつもりは全くありません。今日の世界は、個人の業績などをもてはやす傾向にありますが、そうではなくみんなが協力し合ってできるものの偉大さ。『ダンケルク』は英国人であれば昔から聞いている物語であり、みんなで力を合わせればどんな逆境でも超えることができるということを思い出させてくれる話なんです。この話はイギリスのみならずどんな文化圏であっても、どんな地域の方々でも共感してもらえると思います。~ノーラン監督のファン代表、EXILE/三代目J Soul Brothers 岩田剛典さんが登壇~ 司会:目の前にノーラン監督がいらっしゃいます。今の気持ちどうですか。 岩田さん:感激です。本物のノーランだと思って。すごく光栄です。この作品は本当に今までのノーラン作品とテイストもどれも違いますし、実話をもとに作られた作品ということで、いい意味でノーランっぽくない作品なのかなと思って拝見しました。作品が始まってすぐ5秒くらいで一気に戦場に連れていかれる。本当に自分があたかも戦場にいるかのような、VR体験じゃないですが、そういう疑似体験をさせてもらえる、映画ならではの表現というか、そういうところも細部までこだわってらっしゃって。エンターテインメント作品でもあり、本当にドキドキハラハラさせられる映画っていう意味ではテーマ性というのは抜きにしても楽しめるし、登場人物ひとりひとりにストーリーがあるので共感できる作品と思いました。監督:どんな年齢の観客でもご堪能いただけるような映画になっていると思いますが、特に若い世代に訴えかけるような映画になればと思います。キャスティングをする上でも、ハリウッドにありがちな、例えば40歳の俳優に若い兵士役をやってもらうとか、そういうことはやりたくなかった。実際、戦場で戦っていたのは18歳、19歳、20歳そこそこの兵士でしたから、色んな若者を見てきました。例えばドラマスクール、演劇学校に行ってスカウトしたり、まだ駆け出しの若い俳優さんを見てみたりと。キャスティングするにあたって、映画初出演という方々にも出てもらっています。これは非常に大事なポイントでした。戦場の現実というものを見せていかなければならないと思ったからです。自分の年齢の人たちがこういう現状を突き付けられていた現実を共感していただければと思います。 司会:岩田さんはインタビューの中で、ノーラン監督が「頭の中をのぞいてみたい人ナンバー1」とおっしゃっていました。 岩田さん:監督の作る作品は、完成図を想定してどう作り上げていくのかというところを、結果がわかった上で逆算して作っているようなイメージをもっています。その映像を撮るにあたって色んなインスピレーションや表現したいものが明確になっていないと、色んなスタッフ、や様々な人の協力がないと形にすることが難しいと思います。それをハリウッドで毎回、作りたいものを作っているという監督は本当に稀有な存在と感じています。この人の頭の中どうなっているだろうと。才能がうらやましいです。 監督:優しいお言葉ありがとうございます(笑)。監督業の面白いところは、何かひとつのことに秀でてなくても構わない(笑)。やるべきことは自分の興味を持った対象、思ったことだとか、やり遂げたいことをやるのに、才能ある人々を集めればいいわけです。彼らの意見やと視点を束ねる、これが監督業の仕事だと思います。つまり、色んな意見に一貫性を持たせるということ。カメラに例えるならばレンズの部分かもしれません。色んな視点の焦点を定めるというとことだと思います。それがうまくいけば、洗練された映画ができると思います。映画のビジョンをうまく明確にし、様々なパズルを一緒にくっつけ合わせるという作業です。他の職業に例えるならば、例えば建築家。図面をスケッチするのは建築家であっても、実際に現場で働くのは色んなスタッフであるわけです。あるいは才能あるミュージシャンを束ねていく、楽団の指揮者にも似ているかもしれません。 司会:岩田さん、せっかくですので監督に質問はありますか? 岩田さん:シンプルに、現場感を大切にされる監督だと伺っていて、いつもモニターというよりは、カメラのすぐわきでディレクションされているそうですが、作品作りで最も重点を置いていることというか、大切にしているポイントを伺いたいと思います。 監督:映画作りは色んな段階を経て完成します。撮影当初は、みんなエネルギッシュで意気揚々と取り組めて、現場は楽しいです。撮影がしばらく続くとそのうち疲弊して、皆疲れ切った状態になりますが、それが終了すると今度は編集です。撮った映像をどういう風につなぎ合わせて、どういう風にベストな映画を作るかというのを四苦八苦しながら、色々考えながらやっていくわけですが、楽しい作業であります。中でも一番好きなのは音のミックシング。これは数か月がかりですが、その頃には編集も終わっていて、絵としては完成しています。サウンドミックシングは、何千という音や効果音と音楽をつなげ合わせて、より良い作品にするにはどうしたらいいのかを考えます。そしてお客様にとってベストな体験となるように工夫していく、非常に充実感のある作業です。 岩田さん:世界各国を飛び回られて映画のことばかり聞かれていると思いますので、日本の訪れた場所で好きな場所、好きな食べ物は何ですか? 監督:前回は家族と一緒に来日しました。新幹線で京都へ行って、旅館に泊まりました。子供たちも連れていけたので、非常にいい思い出になりました。子供たちもよく覚えてくれていて。木刀を買って障子に穴をあけてしまった(笑)。私たちも非常に京都旅行はいい思い出になっています。もう一回来たいと思っています。 司会:実はここでノーラン監督から岩田さんにサプライズプレゼントが 監督:『ダンケルク』の英語版の脚本です。中の方にサインを入れています。岩田さん、今日は本当にご一緒させてもらって本当にありがとうございました。優しい言葉もたくさんいただけて、とても楽しいひと時を過ごせました。本当にありがとうございます。 岩田さん:むちゃくちゃ嬉しいです。童心に帰りました。ありがとうございます。 フォトセッション後、会見終了となりました。■ 『ダンケルク』 原題:Dunkirk上映時間:106分監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン出演:トム・ハーディ、キリアン・マーフィー、ケネス・ブラナー、 マーク・ライランス、ハリー・スタイルズ、フィン・ホワイトヘッドほか2017年/アメリカ/2D・MX4D・IMAX©2017 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED配給:ワーナー・ブラザーズ映画2017年9月9日(土)より全国公開
-
COLUMN/コラム2017.10.05
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年10月】うず潮
不慮な事故で死んでしまった彼女がゾンビになっても彼を愛し続ける!元カノ(ゾンビ)と今カノの間で揺れる青年の顛末を描くゾンビ・コメディ!監督は『グレムリン』シリーズなどのヒット作を手がけたジョー・ダンテ。御年70歳を迎えても精力的に作品を造り続ける彼は、『冒険野郎マクガイバー』の新TVシリーズ『MACGYVER/マクガイバー』でも監督しています(スゴイ!)。そんな彼が66歳の時に撮ったのがこの『ゾンビ・ガール』。熟練の技によるおバカ加減が絶妙で、『シッチェス映画祭ファンタスティック・セレクション2015』にて全国劇場公開された話題をさらいました! 三角関係で揺れるホラー映画マニア青年マックス役を、『ターミネーター4』『スター・トレック』新シリーズに出演した新鋭アントン・イェルチンが軽妙に演じ、その彼女でゾンビになっても彼を愛し続けるイタイ役を、『トワイライト・サーガ』シリーズに出演したアシュリー・グリーンがウザさMAXで好演。さらに2012年の「世界で最も美しい顔100人」の第3位に輝いたアレクサンドラ・ダダリオがキュートに今カノを演じています。彼女は『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』シリーズ(ザ・シネマで10月放送)にも出演していて、そのお顔はお美しいのひと言。元カノ(ゾンビ)と今カノの美女ふたりに言い寄られる彼の行動にツッコミを入れながら見るとより楽しい1本です!■ ©2014 BTX NEVADA, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.