ザ・シネマ 清藤秀人
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COLUMN/コラム2016.05.11
【DVD/BD未発売】"モンティ・パイソン"チーム、デビュー当時の渾身の一撃は、主役がジョン・レノンからリンゴに急遽スイッチ!?〜『マジック・クリスチャン』〜
映画は時代を映す鏡!それを、けっこうリアルに実感させてくれる作品がこれ。別に何か崇高なテーマがあるわけじゃない。でも、1960年代末期のイギリスに充満していた既存の文化や価値観(それは今でも変わらないのだが)をぶち壊そうとする勢いがあって、まるでハリウッドに吸収合併されたかのような最近のイギリス映画を憂うUKファンにとって、多分、意外な強壮剤になるはず。 怪しげなタイトルの『マジック・クリスチャン』とは、クライマックスに登場する"クィーン・エリザベス二世号"を思わせる豪華客船の名前。主人公の富豪、ガイ・グラント卿が閃きで養子にした元ホームレスの青年、ヤングマンやその他セレブたちと乗船し、タワーブリッジから北大西洋を横断しニューヨークへと船出するまでに、有り余る金を湯水の如く買収に注ぎこみまくる。 以上が、映画のプロットと言えばプロットで、その間をナンセンスなギャグで繋ぐのは、1969年にBBCで放送をスタートしたコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』が高視聴率を獲得し、勢いづいていたコメディグループ"モンティ・パイソン"の一員、グレアム・チャップマンとジョン・クリーズ(共に脚本&出演)。また、原作&脚本のデリー・サザーンは当時一世を風靡したカウンターカルチャー"スウィンギング・ロンドン"の中心的存在で、本作と同じ年に公開された『イージー・ライダー』の脚本でハリウッド映画に革命を起こした人物だ。 そして、サザーンをスタンリー・キューブリックに紹介し、『博士の異常な愛情』(64)で脚本家デビューへの道筋をつけたのが、グラント卿を怪演するピーター・セラーズ。言わずと知れた、UKコメディを代表する天才コメディアンだ。さらに、ジョン・レノンの代役だったとは言え(その経緯は後ほど)、『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(64)での演技が評価され、俳優業に興味津々だったリンゴ・スターがヤングマン役で急遽参加する。つまり、各方面で時代の寵児だった面々が、必然と偶然によって集い合った"徒花的怪作"。それが『マジック・クリスチャン』なのだ。 劇中で炸裂するギャグには"コメディ界のビートルズ"と表現された"モンティ・パイソン"流の風刺と笑いがごちゃ混ぜにブレンドされている。いきなりナレーションで『金、使います!』と宣言してスタートする物語は、跡継ぎを探していたグラント卿が偶然ハイドパークで出会い、養子縁組したヤングマンを伴い、宣言通り、札束で人々のホッペを叩きながら放蕩三昧に明け暮れる日々を追って行く。 まず、やり玉に挙げられるのはイギリスが誇る伝統文化だ。グラント親子がタキシードでドレスアップしてヘリコプターからリムジンを乗り継ぎ、一族が確保する劇場の桟敷席に到着するのは『ハムレット』の第3幕目から。ご存知"生きるべきか、死ぬべきか"の名場面だ。中抜き、いいとこ取りも甚だしいのだが、舞台は突然、悲劇からミュージカルへと転調。ハムレット(演じるのは王立演劇学校出身の舞台俳優でもあったローレンス・ハーヴェイ。イギリス人かと思いきや、実はリトアニア出身)がいきなりズボンのジッパーを下げ、ストリップをおっぱじめる。最後にはパンツまで脱いてすっぽんぽんになる転調ハムレットを、これを当たり役にしていたイギリス演劇界のドン、サー・ローレンス・オリビエがどんな顔で眺めていたか?それを想像するだけで楽しくなるではないか!? それはさて起き、次にグラントとヤングマンは"サザビーズ"のオークションヘ。そこで競りにかかる前のレンブラントを破格の3万ポンドで強引に競り落とした卿は、絵画の顔をナイフでくり抜いてしまう。3万ポンドにまんまと屈するオークションハウス職員、ダグデールに扮するのは、撮影当時39歳のジョン・クリーズ。若々しく意外にイケメンなので『ミラクル・ニール!』(15)等、近作での彼しか知らない若いファンはちょっと気づかないかも知れない。 極めつけは、卿に買収され、どんでもない事態に発展するテムズ川のレガッタレース。伝統と格式を重んじるプライベートスクールの両巨頭、オックスフォードとケンブリッジの対抗戦を前に、グラントはオックスフォードのコーチを金で買収。結果、レースは両艇沈没の大惨事へと雪崩れ込むのだが、買収されるコーチを演じるのが、これまた後にエリザベス女王からサーの称号を授与されるリチャード・アッテンボロー。実はケンブリッジ生まれのアッテンボローがオックスフォード側に付いて不正に荷担する。これも"モンティ"流のブラックユーモアなのかどうかについては、申し訳ないが定かではない。 セレブリティたちが挙って乗船する"マジック・クリスチャン号"では、ブラックなユーモアとあからさまな風刺がさらに凝縮して連発される。船内にはボーイに化けた吸血鬼(演じるのは勿論、御大クリストファー・リー)が潜んでいて、女たちを咬みまくるわ、船底ではグラマラスなムチ監督(グラマー女優の権化、ラクエル・ウェルチ)がオールを漕ぐ裸体の女奴隷たちを鞭打つわ、バーではドラッグクィーンがハンサムな男性客を色仕掛けで落とそうとするわ、等々。 ドラッグクィーンに『王様と私』(56)以来、マッチョスターとして君臨したユル・ブリナーを、男性客役にハリウッドデビュー直後の巨匠、ロマン・ポランスキーを各々配した点、鞭打ち奴隷船が『ベン・ハー』(59)を、NY行きの船内で暴れ回るゴリラに『キング・コング』(33)を各々イメージさせる部分は、すべてアンチ・ハリウッド的なメッセージ。全編を通して映画が発する反拝金主義と合わせて、それは原作者で脚本家でもあるテリー・サザーンが意図したもの。生粋のアメリカ人でありながら、古いハリウッドスタイルの映画作りに反発し、外部から革新を目指したその姿勢は、雑誌のインタビューを機にサザーンと交流を深め、自作に脚本家として招き入れたキューブリック(マンハッタンに生まれるもハリウッドとソリが合わず、移住したイギリス、ハートフォードシャーで生涯を終える)の影響が濃厚だと思う。 とまあ、おちゃらけ映画にはそこそこシリアスな一面も覗くのだが、最後にジョン・レノン→リンゴ・スターの経緯を。プロデューサーが狙っていたヤングマン役の第一候補はレノンだったが、クランクイン目前の1968年10月、レノンがマリファナ所持の罪で逮捕されたため、リンゴにスイッチ。結果、レノンはミュージシャンとして伝説の中に君臨し続け、リンゴは同じテリー・サザーン原作小説を映画化した『キャンディ』(68)、現在も夫人の女優、バーバラ・バックと出会うきっかけになった特撮コメディ『おかしなおかしな石器人』(81)等で、さらに映画俳優としてのキャリアを積むことになる。 そして、映画『マジック・クリスチャン』は、既存の価値観をぶち壊そうとした希代の風刺作家とギャグメーカーたちのために映画会社が大枚を叩いた、ある意味、古き良き時代のB級遺産。特に映画マニアは、グラント卿が走る列車内の会議室で重役を集めて経営方針を説明するシーンで、ピーター・セラーズが少しだけ垣間見せる"クルーゾー的動き"にほくそ笑むはず。突然、椅子から立ってかと思うと、すぐ座る。付け髭、近視メガネ等、変装術も忘れてない。堪えても堪えきれないコメディアンの性が覗く瞬間を、どうかお見逃しなく!■ COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.12.20
テロの時代を予見した作品とその監督を、単純に不運とは言わせない!!〜『ブラック・サンデー』〜
映画はアメリカ大統領を含む8万人の観衆がフットボール試合を観戦する巨大スタジアムで、パレスチナのテロ集団"黒い九月"が仕掛けた無差別テロ計画を、イスラエル諜報特務庁"ムサド"が阻止しようとするパニック・サスペンス。単なる娯楽映画の枠組みを超え、強烈なリアリズムが終始観客の心を掴み続ける力作である。だが、日本公開目前の1977年、配給元に「上映すれば映画館を爆破する」という脅迫が届いたため、用意されていたプリントは破棄され、公開中止が決定する。その3年前の1974年には、東アジア反日武装戦線"狼"による三菱重工ビル爆破事件が発生し、衝撃の余波が続いていたこともあった。しかし、たとえ公開中止になろうとも、1970年代のハリウッド映画を代表する話題作へのファンの評価と飢餓感は消えることなく、2006年にはソフト化され、2011年、"第2回 午前十時の映画祭"に於いて、遂に細々ではあるが劇場公開の運びとなる。製作時から実に34年後の公開だった。 この映画が長く語り継がれる所以は、人物や状況を手持ちカメラやロングショットで追い続けるドキュメンタリー・タッチにある。物語の幕開けはベイルート。"黒い九月"のメンバーが祖国アメリカへの復讐に燃えるベトナム帰還兵、ランダー(ブルース・ダーン)を操り、無差別テロを計画しているアジトに、"ムサド"の特殊部隊が乱入。しかし、リーダーのカバコフ(ロバート・ショー)はその時シャワーを浴びていたテロの首謀者、ダリア(マルト・ケラー)を見逃したため、計画はやがて実行へと移されることになる。映画監督デビュー前にアメリカ空軍の映画班で記録映画を数多く手がけ、その後、TVの生番組を152番組も演出した経験があるジョン・フランケンハイマーは、冒頭の数分で手持ちカメラを存分に駆使。その効果は絶大で、実際はモロッコのタンジールで撮影されたベイルートのざらざらとした画像とも相まって、観客を即座にテロ前夜の緊迫した世界へと取り込んでしまう。 フランケンハイマーのリアルなタッチは人物像にも及ぶ。 イスラエルとパレスチナの終わらない報復の連鎖の中で、家族を失い、必然的に孤高のテロリストとならざるを得なかったダリアを、気丈ではあるが不幸な戦争の被害者として、出征先のベトナムで捕虜となったばかりに、解放され、帰国後は母国民から裏切り者の烙印を押され、妻子にも去られ、精神に異常を来したランダーを、祖国から見放された狂気の人物として各々描写。さらに、"ムサド"を率いてきたカバコフにすら、劇中で「もう殺戮はたくさんだ」といみじくも独白させる。そんなテロ戦争の深い闇の中で、舞台となるアメリカとアメリカ国民はただ逃げ惑うしかないという矛盾が浮かび上がる。まるで、あの9.11を予言したかのような原作と脚色は、その後、『羊たちの沈黙』(91)で世に出るベストセラー作家、トマス・ハリスによるもの。これはハリスにとって最初に映画化された原作であり、『羊~』から続く『ハンニバル』シリーズ以外で唯一映画化された作品でもあるのだ。 気鋭の作家の筆力を得て、フランケンハイマー・タッチは後半、さらにヒートアップして行く。ダリアとランダーが武器として用意したプラスティック爆弾の密輸入に成功し、まずはその威力を試すため、カリフォルニアのモハベ砂漠の小屋で爆破させると、トタンに無数のライフルダーツが開くシーンの視覚的恐怖から、テロ一味が決行の日時と場所に設定したマイアミのスーパーボウル当日、ランダーが操縦する爆弾を搭載した飛行船がスタジアム上空に接近するのを、カバコフがヘンコプターから身を乗り出して追跡する空中戦へと転じるクライマックスのカタルシスは半端ない。リアルな犯罪サスペンスが娯楽アクションに俄然シフトする瞬間だ。 スーパーボウルのシーンはNFLの全面協力の下、マイアミのオレンジボウルで行われた第10回スーパーボウル、ダラス・カウボーイズVSピッツバーグ・スティーラーズの試合前日、10000人のエキストラを投入して撮影された。試合当日にパニックシーンの撮影は危険だったからだ。エキストラは全員ボランティアだったため、後日、フランケンハイマーは謝礼代わりに彼らの仕事ぶりを得意のドキュメンタリー映画に収めることで、その献身に応えている。タイヤメーカー、グッドイヤーが飛行船を提供したのもフランケンハイマーの尽力によるもの。彼とグッドイヤーはFIレースを描いた『グラン・プリ』(66)以来、信頼関係にあったからだ。 『ブラック・サンデー』を語る上で、改めてジョン・フランケンハイマーを取り上げないわけにはいかない。映画の公開直前、配給のバラマウントはかつてない量のモニター試写を行い、結果、かつてない程の好評を獲得し、自信を持って劇場公開に踏み切った。『ジョーズ』(75)に匹敵するブロックバスターになると信じて。ところが、映画は同じ1977年に公開された『スター・ウォーズ』の興収に遠く及ばなかった。そして、これを境にフランケンハイマーは映画作家としてのカリスマを失う。モンスター映画『プロフェシー/恐怖の予言』(79)、ドン・ジョンソン主演のディテクティブもの『サンタモニカ・ダンディ』(89)、H・G・ウェルズ原作『D.N.A./ドクターモローの島』(96)等を発表したものの、どれも『ブラック・サンデー』以前の代表作、アカデミー賞4部門に輝いた『終身犯』(62)以下、『グラン・プリ』『フィクサー』(68)『ホースメン』(71)『フレンチ・コネクション2』(75)等と比べて、質的に劣る作品ばかりだった。 そして、2002年、フランケンハイマーは脊髄手術の合併症により72歳で死去。1960~70年代のハリウッド映画に独自のダイナミズムとリアリズムを持ち込んだ巨匠は、惜しまれつつ、ファンの記憶の中に仕舞い込まれる。ハリウッドメジャーの期待を裏切った彼自身も、もしかして、映画と同じく不運な人だったのかも知れない。しかし、遊園地を舞台に爆弾魔と検査官を攻防を描いた『ジェット・ローラー・コースター』や、同じフットボール試合で発生する狙撃事件を追った『パニック・イン・スタジアム』等、'77年に起きたパニック映画ブームの一翼を担った他作品と比べると、『ブラック・サンデー』がいかに大人の鑑賞に耐え得る重層構造になっているかがよく分かる。単純な悪人も、ひたすら雄々しいヒーローも登場しないテロの時代の空虚を画面にとらえながら、同時に、娯楽的要素もたっぷりのバニック映画とその監督を、単純に不運と呼ぶのはいささか申し訳ない気がする。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.09.22
【DVD/BD未発売、ネタバレ】実在の保安官が愚直に悪と対峙。今は亡き女優たちの熱演と共に心に刻みたい快感と痛みが相半ばする伝説の復讐劇〜『ウォーキング・トール』〜
1973年と言えばハリウッド映画に暴力が渦巻いていた時代。俺の正義に則って暴力を行使して何が悪い?!と言わんばかりに、凶悪犯に平然と銃口を向けたのはサンフランシスコ市警察のはぐれ刑事『ダーティ・ハリー』(71)だったが、本作『ウォーキング・トール』で主人公、ビュフォード・パッサーが敵に回すのは生まれ故郷のほぼ町全体。かつて平和だったホームタウンを牛耳る得体の知れないならず者集団だ。やがて始まる反抗→制裁→復讐の執拗なループは、個人が集団相手に喧嘩を売るリベンジマッチが大好きな多くの映画ファンにとって、絶好の"ストレス発散サンドバッグ"となるだろう。 出来レースが常識のプロレス界に失望した元レスラー、ビュフォードが妻子を伴い帰郷してみると、懐かしい故郷テネシー州マクネアリ郡には売春宿とカジノが同居した怪しげな社交場"ラッキースポット"が店開きし、そこには町中の男たちが出入りしていた。お客も娼婦も全員見た目熟年風なのは、今と比べて人間の熟成速度が早かった時代の特色としてスルーするとして、ビュフォードは早速、カジノのディーラーのイカサマを見抜き、経営者等と殴り合いに。さすがプロレスに向かなかった正義漢らしい反応なのだが、彼がここで被る暴力のレベルがいきなり凄い。奴らはビュフォードをボコボコにした後、ナイフで胸と背中をズタズタに切り裂いた挙げ句、雨の国道に放置してしまうのだ。結果、200針も縫う大怪我を負うも、ビュフォードは見事復活。こん棒片手に!、単身売春カジノに乗り込み、悪者たちの急所を的確に殴打した後、所場代として支払った3630ドルだけキャッシャーから取り返し、暴力を振るった罪で逮捕される。待ち受けていたのは、金で買収された判事と、当初からビュフォードの帰還を快く思っていなかった保安官と警官チームだ。しかし、裁判を傍聴する陪審員たちに、言われなき暴力によって受けた胸の傷を見せながら自らの正当性を訴えたビュフォードは、見事無罪を勝ち取り、勢いで保安官選挙に立候補し、当選してしまう。 エンドロールの前に、お約束の「これは事実に基づいたフィクションです」との断り書きはあるものの、ベースになっているのは1964年にテネシー州マクネアリ郡で保安官に選出された実在の人物、ビュフォード・パッサーのリアル武勇伝。(あまくまで)記録によると、保安官在任中に8回撃たれ、7回刺され、1度に6人と格闘し(冒頭のカジノ殴り込みシーンと思われる)、3人を刑務所送りにし、3人を病院送りにしたという伝説的な人物だ。それを証明するように、劇中でもビュフォードの不治身ぶりはスーパーヒーロー並みだ。冒頭の200針縫い生還劇を筆頭に、例えば、深夜の国道を猛スピードで通り過ぎた暴走車をスピード違反で検挙しようとして、正面から銃弾を浴びるも、奇跡の生還とか、妻を助手席に乗せて走行中に襲われ、妻は死亡するも、自らはまたも奇跡の生還とか。 それらはある程度盛られている可能性は否めないものの、反面、ビュフォードが自ら実践し、数少ない部下たちに説き続ける"法と秩序の遵守"と"いかなる賄賂も拒否"の基本理念は、悪が堂々と蔓延っていた1970年代も今も変わらぬ人としての倫理感。過激すぎるバイオレンスが連打される中で、揺るぎないメッセージとして伝わってくる。 物語の背後に広がるアメリカ社会の深い闇が、痛快なリベンジ劇をさらにリアルなものにしている。帰郷直後にビュフォードが面会に訪れる幼馴染みのオブラは、黒人故に差別されてきた経験から、「お前にも少数派の気持ちが分かるか?」「1人では何も出来ない。団結することが必要だ」と吐き出す。舞台になるテネシー州最大の都市、メンフィスは、かつて、1968年4月4日にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された地であり、隣接するアラバマ州セルマはキング牧師等が黒人有権者登録の妨害に抗議して行進を始めた、言わば公民権運動発祥の地。そんな今も昔も変わらない封建的で排他的且つ危険な土地で、ビュフォードはオブラを副保安官に指名し、黒人たちに重労働を課して暴利を貪る白人密造酒業者を令状なしで摘発する。 彼がこん棒を持って立ち向かう相手はそれだけではない。平和な街を賄賂によって頽廃させた"ラッキースポット"のオーナーとその仲間は、州都ナッシュビルの大物(恐らく州議会議員)をも金で取り込み、圧倒的優位を以てビュフォードを圧殺しにかかる。 そんな劣勢をただ愚直に正義感のみで跳ね返そうとするなど狂気の沙汰ではないか!?無謀な反撃を続ける夫を心配する妻のポーリーンに対して、オブラは『あいつらと戦うには狂気と拳銃しかない』と静かに言い放つのだが、正義を支えるものが狂気以外あり得ないという現実が、殴るほどにサンドバッグの中からこぼれ落ちて来る。これは見た目痛快でも、中身は暴力と差別の連鎖を断ち切れない民主主義国家、アメリカのダークサイドがアッパーカットのように心を浸食する、けっこう痛い復讐劇なのだ。 裏話を少し。本作が予想外にヒットしたために、配給元のユニバーサルはビュフォード本人を主役に据え、タイトルも『ウォーキング・トール(胸を張って堂々と歩くの意)』から原題をズバリ『ビュフォード』に変えてシリーズ化を発表するが、その直後、ビュフォードは不運にも交通事故によって36歳の若さで他界してしまう。その結果、ガードンマン出身の巨漢俳優、ボー・スベンソンを新たな主役に迎え、『ウォーキング・トール2/新・怒りの街』(75)と続く『ウォーキング・トール3/続・怒りの街』(77)が製作された。時を経て、アメリカンプロレスWWEのCEO、ビンス・マクマホンが製作し、同組織のスーパースター、ザ・ロックが主演したリメイク作品『ワイルド・タウン/英雄伝説』(04)は、ザ・ロックの超人ぶりが誇張された荒唐無稽な活劇映画として世に放たれる。そこには、オリジナルが漂わせる閉塞感と絶望感は当然如く皆無だった。 『ウォーキング・トール』が漂わせる不思議なリアリティの原因は、ビュフォードを演じるジョー・ドン・ベイカーにあるような気がする。ベイカーのいかにも腕力に長けていそうな無骨さと、笑うと崩れるベビーフェイスが醸し出すアンバランスは、アクションスターにまず無駄な筋肉量を求めがちな今のハリウッドに絶えて久しい"普通の人"を想起させずにはおかないからだ。だからこそ、そんな普通人を狂気に駆り立てる悪意が際立つのだと思う。現在79歳のベイカーは『007』シリーズのヴィラン役等で今も活躍しているが、劇中でビュフォードがほのかな恋心を抱く娼婦、ルーアンを魅力的に演じるブレンダ・ベネットは、当時結婚していたTVシリーズ『超人ハルク』の主演俳優で夫のビル・ビクスビーを残し、1982年に自殺。ビュフォードの妻、ポーリーンを演じるエリザベス・ハートマンも、1987年にビルの5階から飛び降りて非業の死を遂げている。今は亡き女優たちの在りし日の姿を目に焼き付けつつ鑑賞したい、快感と痛みが相半ばする伝説的バイオレンス映画である。■ © 2015 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2015.09.09
【DVD/BD未発売】日本での劇場公開もソフトのリリースもなし。アメリカから届いたマイナー映画の力作をこのチャンスに是非!〜『ファミリー・ウィークエンド』〜
そもそも、ハリウッドのメジャーカンパニーはシリーズ映画のプリクエルかリブートしか作ってないのだ!と言ったら叱られるだろうか? それはさて置き、そんな知名度優先のハリウッドでも、年に数本、スター不在のシリーズ映画ではないオリジナル作品が細々と製作され、それなりの評価を得ている。『ファミリー・ウィークエンド』はまさにそんな1作だ。配給元としてクレジットされているBedford Falls Companyの過去作を調べてみら、ジェイク・ギレンホールとアン・ハサウェイがバイアグラの営業マンと若年性アルツハイマーを患う女性との恋を描いた『ラブ&ドラッグ』(10)にヒットした。なるほど、さもありなん。『ファミリー~』も頑張り屋の女子高生が両親を拘束するという危ない設定から、観客を一気に想定外の領域へと誘う異色コメディに仕上がっている。こんなチャレンジングな企画にGOサインを出せるのはインデペンデント系ならでは。全米公開から2年以上が経過した現時点で、日本での劇場公開もソフトのリリースもされてないので、映画好きにとってはお得感満載だ。 舞台は雪深いアメリカ、ミシガン。ある冬の朝、郊外に建つ瀟洒な豪邸で目覚めた主人公のエミリーが、家族の目に付きそうな場所に高校の縄跳びコンテストまで時間が迫っていることを記したメモを貼り付けている。なぜなら、今の家族は全員バラバラで、自分がコンテストで優勝しようがしまいが知ったこっちゃないことをエミリーは知っているから。案の定、見事優勝を勝ち取り、州大会へとコマを進めたエミリーを祝福する家族の姿は会場にはなかった。そこで、エミリーは一計を案じる。こうなったら、パパとママを睡眠薬で眠らせてから拘束し、もう一度夫婦とは、親とは、家族とはどうあるべきかを自らレクチャーしようと!?勿論、一歩間違えば、否、確実に罪に問われることを承知の上で。 果たして、エミリーの"両親拘束計画"は再び家族をひとつに束ねることになるだろうか?という、大方の道筋はインデペンデント系とは言えハリウッド映画の王道を外さないのだが、製作、監督、脚本各々の担当者がTVドラマに精通しているせいか、とにかくキャラクターの描き方が巧い。まず、今や立派なスポーツとしてギネスにも登録されているスピード縄跳び(1分間に何回飛べるかを競う)に熱中しているエミリーは、映画の冒頭から一点を見つめて小刻みに縄を飛び越える姿に象徴されるように、とにかく一所懸命で一途。家族を再生させるためなら命すら捨てそうな勢いでストーリーも牽引して、終始スピード感に溢れたメインキャラだ。そんなエミリーに負けず劣らず、問題の家族も曲者揃い。パパのダンカンはここ数年絵らしい絵を描いてない落ち目の画家で放任&自由主義者、ママのサマンサはそんな夫に脇目もくれず家にも堂々と仕事を持ち込むワーカホリックな広告ウーマン、兄のジェイソンは映像アーティストの自称、ゲイ、妹のルシンダは常に『タクシー・ドライバー』(76)でジョディ・フォスターが演じた少女娼婦を模している映画かぶれ、弟のミッキーは動物オタク、と言った具合に。 しかし、キャラクターは風変わりなまま放置されると意味をなさない。まるで拡散したまま元に戻るようには思えになった彼らが、歌好きのお祖母ちゃん、GGの提案で片手に縫いぐるみを持ってリビングに集まり、拘束されたままの両親を囲んで、縫いぐるみを介してそれぞれの胸の内を吐露し合った時、丸い輪を形成し始める。実はみんな、バラバラな家族の中で何とか自分の居場所を見つけ、藻掻いていたことが露わになる。そう、エミリーの無謀な計画は無駄ではなかったのだ。 そんな家族再生ドラマとしての側面に加えて、本作にはもう一つ重要なテーマがある。ギネス級とは言えマイナーなスピード縄跳びにはまっているエミリーも、未だフラワーチルドレンなパパも、仕事に飢えているママも、ゲイを装った映像作家の兄も映画や動物にぞっこんの弟妹たちも、全員イカれているけれど、夢中になれるものがあるステキな面々。そこには、たとえ世間一般の倫理を逸脱していようとも、常識
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COLUMN/コラム2015.07.20
プレップファッションとギャル語が満載!!みんながノーテンキでいられた時代のカルト映画『クルーレス』。
1995年に全米公開され、"ハイスクール・ロリータ"とも言われたファンシーなファッションとメイク、連発されるギャル用語、そして、主人公のブルジョワ女子高生、シェールの一見ノーテンキに見えて実は知的でイノセントなキャラクターが受けて、今でも少女たちの間でカルトムービーとして君臨する『クルーレス』。その根強い人気は、日本公開後にVHSが発売された後も、繰り返しDVDがリリースされ、公開後10年が経った2005年には"コレクターズエディション"と題する特典付きDVDが再度発売されたことでも明らかだ。何がそんなに受けるのか? まずは、ファッション。ビバリーヒルズの高校に通うシェールと親友のディオンヌが通学服として愛用している必須アイテムは、トラッドをガーリーにアレンジした'90's風プレップスタイル。冒頭で登場するタータンチェックのミニスカスーツを始め、女子高生たちが劇中で着るチェックの柄はシェールの7種類を始めトータルで実に53種類。また、シェールが散らかったワードローブの中から探し出そうとするお気に入りのシャツは、1961年にアメリカ西海岸で開業以来、複合セレクトショップとして人気の"フレッド・シーガル"でゲットしたもの。その日本一号店が、ようやく今年4月、東京の代官山にオープンしたのは記憶に新しい。また、男友達とドライブ中に喧嘩して、危険エリアのサン・バレーに置き去りにされる時にシェールが着ているのは、ボディコンシャスの権化、アズディン・アライアの赤いミニドレスだったり、狙いを定めたイケメン男子と初デートに出かける時に彼女が選ぶのは、カルバン・クラインの白いボディコンミニだったりと、表情はまだ子供なのに服は男の視線を刺激しまくり。そんな娘を見たパパが、「下着みたいだ」と怒るのも無理はない。この映画に"ロリータ"と形容詞が付く理由は、そんなところに起因するのだ。因みに、衣装デザインを担当しているのは、25歳のヒロインが17歳の女子高生に化けて高校に潜入する『25年目のキス』(99)や、同じ高校の同窓生たちが13年ぶりに再会する『アメリカン・パイパイパイ!完結編 俺たちの同騒会』(12)等、キャンパスルックのパイオニア、モナ・メイ。服好きで映画好きの女子たちの間ではレジェンドなデザイナーだ。 連発されるギャル語にも耳をそばだてよう。言葉は生きもの。時代の空気を映す鏡だ。今でもハリウッド映画やドラマでよく耳にする「whatever(どうでもいいじゃん)」や、「totally~(超なになに)」、「as if(サイテー~)」等々は、日本の女子高生用語としても転用できそうなフレーズだ。その場合は、シェールのように少しダレ気味に、相手を小馬鹿にする感じが必要だろう。また、お互いのパパとママが再婚し、2人が離婚した今も交流を続けている血が繋がらない兄のようなジョシュのことを、シェールが「ex-stepbrother(元・義兄)」なんて表現しているのも、アメリカの離婚事情の現れ。重ねて、言葉は生きもの。社会情勢の変化に伴い形を変えて当たり前なのだ。 シェールたちが学校で義務付けられているカリキュラムの中に、堂々と"ディベート"が組み込まれているのも、討論を重んじるアメリカならでは。ある日、国の移民政策に対して反対か賛成かを議論し合う授業で、シェールが賛成する理由を「パパが開くパーティにもっとたくさん人が呼べると楽しい。故に、移民も大歓迎」と発表してどん引きされるのだが、ロジックはどうであれ、反対意見と対決する姿勢こそが大事なわけだ。 監督と脚本を担当しているエイミー・ヘッカリングは、南カリフォルニアにある高校を舞台に、ロスト・ヴァージンを目指す女子高生の奮戦ぶりを描いた出世作『初体験 リッジモント・ハイ』(82)以来、不倫の末に産まれた赤ちゃん目線で母親や大人たちの騒動を眺める『ベイビー・トーク』(89)と、その赤ちゃんに妹ができる続編『リトルダイナマイツ★ベイビー・トークTOO』(90)、そして、年上の大学教授と不倫する女子大生に恋してしまう一途な男子学生の苦闘を綴る『恋は負けない』(00)等、愚かだけれど憎めない人々のささやかな物語を紡ぎ続け、今に至っている。ヘッカリング作品が時代や国境を超えて愛され続ける理由は、ファッションやカルチャーだけではない。難しい事は抜きにして楽しみ、時に懐かしみ、思い入れられるテーマが各々の作品のベースにあるからだ。それは、映画の公開後、『初体験 リッジモント・ハイ』『クルーレス』『ベイビー・トーク』の3作が次々とTVシリーズ化され、アメリカ国内のみならず全世界に拡散されていったことでも証明されている。 そして、『クルーレス』の世界観は、その後、シェールに負けず劣らずノーテンキなハイスクールギャルがハーバード大学に乗り込む大ヒット作『キューティ・ブロンド』(01)や、シェールたちの立ち位置をニューヨークのキャリアガールに置き換えた『セックス・アンド・ザ・シティ』(08)、さらに、ヘッカリング自身がエピソードの一部を監督したTVシリーズ『ゴシップガール』(12)にも引き継がれている。 偶然だが、シェール役の候補者の1人には、後に『キューティ・ブロンド』でブレイクするリース・ウィザースプーンがいたし、ライバルにはやはりブレイク前のアンジェリーナ・ジョリーやグウィネス・パルトロウ等、未来の大器がひしめいていた。そんな強者たちを押し退け、シェール役をゲットしたのがアリシア・シルバーストーンだ。15歳で映画デビュー後、18歳の時に出演した『クルーレス』でティーンエイジスターのトップに躍り出た彼女の、大人びたルックスと甘えた声のギャップは男女を問わず虜にし、一躍時代のアイコンにジャンプアップ。業界人としてもクレバーだったアリシアは直後、自ら製作プロ"ファースト・キス"を成立し、当時個性派俳優として注目され始めていたベネチオ・デル・トロを共演者に迎えた『エクセス・バケッジ シュガーに気持ち』(97)をプロデュースする等、活動の場を広げる。 しかし、9.11後、テーマ選びもバジェットに於いても守勢に回ったハリウッドに、アリシア等女優プロデューサーの出番は減り、かつて、エイミー・ヘッカリングが監督した、あのノーテンキなコメディ自体の需要が減ってしまったのは、実に嘆かわしいことだ。かつて、メディアの取材に応えて、「心が澱むから暗い話には興味がない」と明言したヘッカリングと、彼女の意図を汲み取ってお馬鹿だけど憎めない女子高生を好演したアリシアが、久々にコラボする機会を待ち焦がれているのは、何もファッションチェックに忙しい女子高生ばかりじゃない。夢見る男子だったオジサンたちだって、あの頃の自分に戻って泣き笑いしたいに違いないのだ。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.05.16
【DVD廃版】ハリウッド伝統の"泣かせ映画"を支えるベット・ミドラーの適役ぶり!!〜『ステラ』
1913年に著名なボードビリアンで映画プロデューサーでもあったジェシー・L・ラスキー、当時まだ無名監督だったセシル・B・デミルと共に、パラマウントの前進となる映画製作会社、ジェシー・L・ラスキー・フィーチャー・プレイ・カンパニーを設立。その後、1922年にはパラマウントと同じメジャースタジオのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー=MGMの母体となる製作会社を立ち上げ、翌年にはMGMを脱退し、自らの名前を冠にした独立プロ、サミュエル・ゴールドウィンを設立する。このように、まるでハリウッドの離合集散を象徴するようなゴールドウィンだが、映画作りのコンセプトはズバリ、文芸色の強い濃厚で波乱に富んだストーリー性。"ゴールドウィン・タッチ"と呼ばれるこの特性に則り、製作された彼の代表作と呼べるのがメロドラマの名作『ステラ・ダラス』だ。 今回放送されるベット・ミドラー主演の『ステラ』は、サミュエル・ゴールドウィンが製作した1925年の無声映画と、1937年のリメイク映画のリメイク。つまり、3度目の映画化というわけだ。映画のベースになっているのはオリーヴ・ヒギンズ・プローティ著のベストセラー小説『ステラ・ダラス』で、文芸志向の強いゴールドウィンはこの原作に惚れ込み、すでに取得していた他作品の著作権を担保にして映画化権をゲット。舞台出身の大物女優たちがオーディションに殺到する中、ゴールドウィン映画に数本出演経験があるだけの無名女優、ベル・ベネットがステラ役に、夫のスティーブン役にゴールドウィン社の看板スターだったロナルド・コールマンが各々配され、名匠ヘンリー・キングの下、第1作目の無声映画『ステラ・ダラス』は製作され、傑作として映画史に記録されることになる。 それから12年後、ゴールドウィンは再び『ステラ・ダラス』をトーキー映画として蘇らせる。ロシアの文豪トルストイの原作をオードリー・ヘプバーン主演で映画化した『戦争と平和』(56)で知られるキング・ヴィダーが監督し、バーバラ・スタンウィックがステラを演じたリメイク版は前作に勝るヒットを記録し、スタンウィックと娘のローレルを演じたアン・アシュレーがアカデミー主演女優、助演女優のW候補に。同じ配役でラジオドラマまで制作され、放送は何と延々18年間も続いた。主要な登場人物のその後を描いたドラマについて、原作者のプローティは版権使用を許可しなかったが、リスナーの欲求には勝てなかったのだろう。 では、なぜ、この物語が人々をそれ程までに魅了したのか?少なくとも、1925年製作の無声映画と1937年製作のトーキー映画は、共通したメッセージを孕んでいる。父親が経営していた銀行が破綻したために、婚約を破棄して別の町の工場で働き始めた主人公のスティーブンが、そこで出会ったステラと恋に落ち、結婚して一女のローレルをもうけるが、ステラとは口論が絶えず、やがて、離婚。ニューヨークへ栄転したスティーブンは元婚約者で今は未亡人となったヘレンと再会する。スティーブンは時折ローレルをニューヨークに招き、ローレルはヘレンの長男、リチャードに恋心を抱くようになり、1人取り残されたステラは嫉妬に狂い、スティーブンから離婚を提案されても承諾しなかった。しかし、そもそもが無教養で、上流社会に仲間入りしようとしても気持ちが空回りし、派手に振る舞い過ぎて浮いてしまう自らの思い違いが、ローレルやスティーブンを不幸にしていると知った時、ステラは決断する。夫と娘をヘレンに託して失踪したステラは、ローレルとリチャードの結婚式に姿を現し、会場の外から幸せそうな娘の姿を見届けると、そっとその場を後にする。 つまり、最愛の人の幸せを優先し、自らは舞台裏に退くというサクリファイスを、階級社会を背景に描いた点が、この物語に人々が惹きつけられる最大の要因なわけで、スタンウィック版が公開されたほぼ半世紀後の1990年に製作されたベット・ミドラー版にも、それはしっかりと踏襲されている。しかし、時代が変わればそれに準じて設定も変わるのが常識で、最大の改変ポイントは、ステラが娘のジェニー(ローレル改め。演じるのは1990年代に青春スターとして活躍したトリニ・アルバラード)を妊娠したと知った時、身分の違いを理由に端からスティーブに結婚など望んでない点。「自分は正しいことをしたい。だから、結婚する」という、半ば諦めにも似た言葉で責任を取ろうとするスティーブを突き放したステラは、一旦は中絶や里子を言葉にする。時代設定は1969年。偶然、ザ・シネマでも紹介した『さよならコロンバス』が公開された年だ。劇中で、ステラはその『さよなら~』を映画館で鑑賞中に破水してしまうのたが、若者の中絶問題に言及した話題の映画に絡めて、声高ではないけれど、中絶や女性の自立に目配せしているところが最新版の工夫点と言ったところか。 そんな1969年に始まり、マンハッタンの新たなランドマークとしてシティコープ・ビルが完成した1977年を経て、公開年の1990年へと至る物語には、ステラが生活費を稼ぐために化粧品の訪問販売に挑戦したり(今ならネット通販で事足りる)、ステラが初めて手にしたクレジットカードを使ってジェニーとマイアミ旅行に出かけたり等、今見ると時代を感じさせる要素も満載だ。 一方で、時代に関係なく弾けまくるのがベット・ミドラーだ。BARのウェイトレスという設定のミドラー=ステラは、冒頭でいきなりカウンターに上がってエロいストリップティーズをお見舞いした後、白けた食卓を温めようと、「ジョン・レノンの亡霊がマザー・テレサの前に現れて"ヘイ・ジュード"をリクエストするの。どう?可笑しいでしょう?」と爆笑ネタを披露したり、マイアミのビーチに悪趣味なサンドレスで登場し、ボーイ相手にサルサを踊って周囲をどん引きさせたり、シンガー・アクトレスの面目躍如な活躍ぶり。思えば、このステラ役、『ローズ』(79)でジャニス・ジョプリンがモデルのロックシンガーに扮してオスカー候補になった後、『殺したい女』(86)、『ビッグ・ビジネス』(88)とコメディでヒットを飛ばす傍ら、『フォーエバー・フレンズ』(88)から『フォー・ザ・ボーイズ』(91)へと続く"泣かせ路線"にも定評があったミドラー抜きには考えられないキャラクター。父親のサミュエル・ゴールドウィンが残した遺産を受け継ぎ、3度目の映画化に挑戦した息子のゴールドウィン・ジュニアが、映画の成否をミドラーに託したのも頷けるナイスなキャスティングだと思う。惜しくもミドラーのラジー賞候補入りという残念な結果にはなったけれど、長いハリウッドの歴史と時代の変遷と、そして、元気なベット・ミドラーを味わうには、絶好の作品ではないだろうか。■ STELLA © 1990 TOUCHSTONE PICTURES AND ORION PICTURES CORPORATION.. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2015.04.18
【ネタバレ】プレップスクールギャル・ファッション満載!アリ・マッグローのセンス炸裂の辛口青春ドラマ〜『さよならコロンバス』
1970年代前後から80年代にかけてハリウッドで脚光を浴びたモデル出身の女優たちの中で、最も成功したのはアリ・マッグローではないだろうか?まず、モデル時代の活躍ぶりが凄い。彼女はその個性的なルックス(スコッテッシュとハンガリアンの血を引く)を武器に、"ハーパース・バザール"を始め、一流ファッション誌のカバーや特集ページを次々席巻。特に、タートルネックのセーターにミニスカートという、典型的なアメリカ東部プレップスクールのライフスタイルを取り入れたコンサバな着こなしと、一転、バンダナを大胆に頭に巻き付けたボヘミアン調のスタイルは、当時のファッションシーンに強烈なインパクトを与えたものだ。彼女が仕掛けたトレンドは女優デビュー後も映画と巧く連動し、世界中に拡散して行った。それが、実際にプレップスクールを舞台にした純愛物語『ある愛の詩』(70)であり、デビュー2作目になる『さよならコロンバス』(69)なのだ。 さて、『さよならコロンバス』は小説家のフィリップ・ロスがアメリカに住むユダヤ人の生活形態や価値観を独特のユーモアと共に綴った作家デビュー作で、発刊されたのは1959年。その翌年、アメリカで最も権威のある文学賞の1つである全米図書賞に輝いた原作にハリウッドが目を付けたのは10年後、1969年のことだ。後に『クレイマー、クレイマー』(79)でアカデミー賞を獲得するスタンリー・R・ジョフィの初プロデュース作品で、監督はTV出身の新鋭、ラリー・ピアースに任される。原作の知名度もあり、読者のイメージを損なわない厳格なキャスティングが行われた結果、リチャード・ベンジャミンが演じる冷めたユダヤ人青年、ニールが恋に落ちる同じく裕福なユダヤ人ファミリーの令嬢、ブレンダ役に抜擢されたのが、モデルとして人気絶頂だったアリ・マッグローだった。映画の冒頭、プールサイドで女の子の水着チェックに余念がないニールの前に若干逆光気味に現れたブレンダが、『ちょっとサングラスを持っててくれない?』と語りかけるシーンから、彼女はニールと観客のハートを鷲掴みにしてしまう。 当時、マッグローは30歳でブレンダの設定年齢より10歳も年上だったが、それは問題ではなかった。彼女の前に役をオファーされたナタリー・ウッドは11歳も年上だったし、何よりも、マッグローはその年齢を超越した褐色の肌とモデル業で鍛え上げた身軽な身のこなしで、名門大学に通う女子大生のルックを完璧にクリアしていたのだから。ニューヨークのブロンクスで公立図書館員としてライブラリーを管理するニールは、大学を卒業して陸軍に入隊し、除隊後は大した野望もなくのんびりと暮らしている男だ。そんな掴みどころのなさが、一代で巨万の富を築いた父親や家族、また、その周辺にたむろする男達にはない魅力として映ったのか、ブレンダはニールの半ば強引なアプローチを受け容れ、2人は急接近して行く。 だが、2人は住む世界が違いすぎた。ニールが居候するブロンクスの親戚の家では、台所を預かる叔母が家族各々の好みに合わせて別々の料理を振る舞っているのに対し、ニールが招待されて席に着いたブレンダ家の食卓では、メイドがコース料理を家族全員に取り分け、それをみんなが黙々と食するのが決まりだ。料理にあまり手をつけない末娘に対し、ブレンダの母親は『世界には飢えている子供もいるのよ』と叱りつけるが、それを冷めた目で眺めるニールの表情が印象的だ。個人の好みを優先するか?それとも全員で飽食を貪るのか?この違いは、アメリカ社会に於けるユダヤ人の異なる立ち位置と価値観を暗示しているようで興味深い。つまり、ニール家は原作者フィリップ・ロスが属するアメリカ文学及びアメリカン・カルチャーを支える個人主義の象徴であり、一方、ブレンダ家はアメリカの実業界を牛耳るユダヤ人コミュニティの金満主義のシンボルと思えなくもないからだ。 そもそも、ニールとブレンダが本当に愛し合っていたのかどうかも、定かではない。結局、2人はブレンダの両親に隠れて頻繁にセックスを楽しんだ結果、決定的な意識のズレに直面し、決別することになるのだが、観客からしてみれば、それも想定内。人は未知のものに惹かれることはあっても、なかなか価値観を共有するまでには至らないことを、多くの人が経験上、知っているからだ。ユダヤ社会という特殊な世界で芽生えた一夏の恋にフォーカスしつつ、そこから人間関係の本質にまで言及している点が、フィリップ・ロスの作家として秀逸なところだ。 ニューヨーク近郊のマサチューセッツ州ケンブリッジにあるブレンダ邸の裏庭にはプールがあり、プールサイドでは頻繁にパーティが行われている。また、邸宅の周囲にはテニスコートや池があってニールとブレンダの絶好のデートコースだ。そんな背景に合わせて、マッグローはカプリパンツやボーダーのノースリーブ、短めのトレンチコート、そして、彼女が世に広めたセーターの肩掛けやスカーフの髪結び等々、トレンディな着こなしをファッション・フォトのように画面上に並べて行く。結果、原作者の意思を超越して、決して共感できないブレンダというヒロイン像が、魅惑のファッション・アイコンへと浄化されることになる。驚くのは、"ハーパース・バザール"が今年『ニュー・イングランド・スタイル』と題してボーダーのトップとパンツを穿いた『さよならコロンバス』のマッグローをそのまま掲載していること。彼女が希代のファッショニスタとして永遠の存在である証拠だ。 この後、マッグローは大学時代の旧友だったエリック・シーガルの原作『ある愛の詩』を、当時パラマウントの副社長だったロバート・エヴァンスに売り込み、映画版に主演して純愛ブームを巻き起こす一方で、エヴァンスの妻に収まりセレブライフを満喫。エヴァンスは愛妻のために『チャイナタウン』や『華麗なるギャツビー』(共に74)という魅惑の企画を用意するが、マッグローは『ゲッタウェイ』(72)の撮影中、恋に落ちたスティーヴ・マックイーンの元に走り、それらの企画はあえなく頓挫。マッグローとマックイーンは3年間、夫婦として生活を共にする。ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムにはマッグローの手形がしっかりと刻まれているが、『さよならコロンバス』『ある愛の詩』『ゲッタウェイ』『コンボイ』(78)と、以上たった4本の出演作で刻印の栄誉に与った女優は、ハリウッド史上珍しいことらしい。ファッショニスタは効率の良さでも他を圧倒しているのだ。 今年、アメリカの演劇界最大の事件は、『ある愛の詩』で一世を風靡したマッグローと相手役のライアン・オニールが、その続編とも言うべき舞台『Love Letters』で45年ぶりに共演し、一緒に全米をツアーすること。今年77歳になるマッグローは白髪の老婦人としてPRの席に現れ、顔に深く刻まれた皺を隠そうともせず微笑む姿は、口うるさいメディアを一瞬沈黙させるほど美しかったとか。■ TM & Copyright © 2015 Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2015.02.07
閉ざされた聖地、バチカンがイタリア映画だけに許可したと思しき潜入ルポが楽しめる〜『ローマ法王の休日』
信頼は勿論、絶大な権力も与えられた法王は、さそがし世界中の枢機卿たちにとって憧れのポストに違いない!?と思いきや、けっこうそうでもないことが「ローマ法王の休日」を見るとよく分かる。 いきなり法王の葬儀から始まる映画が事細かに描くのは、その後に行われる法王の後任選び=コンクラーヴェ、つまり法王選挙。この冒頭から、元水球選手という異色の経歴を持つイタリア人監督、ナンニ・モレッティが謎に包まれたコンクラーヴェの実態を独特のユーモアを以て詳らかにしていく。それは、例えばこんな感じだ。世界中から集結した枢機卿たちが朱色のマントを羽織って投票会場に入場する時(その中にはバチカン資料館員という肩書きの日本人、高田枢機卿の姿も)、入口で1人1人名前が呼ばれる仕来りなのだが、係が一瞬名前を忘れて妙な静寂が走る(そりゃあ、全員の名前を覚えるのは大変なはず)。会場のシスティーナ礼拝堂が停電した時、ある枢機卿が蝋燭を点してはどうかと呟くが、フレスコ画が傷むからという理由で却下される(バチカン市国全体が世界遺産だもの)。投票用紙を見つめながら、全員が書くべき名前を思い付かずペンをコトコトさせる…そう、誰も名誉どころか、重圧でしかない法王になんかなりたくないのだ! そうだったのか!?従って、投票者の2/3以上の票を獲得しなければ法王の資格はないというコンクラーヴェの掟をクリアする者は現れず、地獄の投票は何度も繰り返される羽目になる。使用済みの投票用紙は暖炉で燃やされ、証拠は残さず、この時に煙突から立ち上がる煙の色で観衆は選挙の推移を確認するという手はずだ。煙が黒なら未決、白なら決定というのが何だかとても映画的ではある。投票結果が発表される度に「神よ、どうか私が選ばれませんように」と祈る枢機卿もいて、思わず、そんな時にお前が神を持ち出すな!と突っ込みたくなるが、しかし、当然の如く"犠牲者"が神の御許に差し出される。決選投票でサプライズ的に選出されたメルヴィルだ。ところが、メルヴィルはバチカン宮殿を見上げる広場に集まった信者たちの前に歩み出る直前、突如任務を放棄してしまう。「私にはできない!」と言い張るメルヴィルに固まる侍従たちは、とりあえず心身の異常を疑うが、どうやら問題はなさそうだ。要するに、メルヴィルには自信がないだけ。神に選ばれた身として、11億人の信仰の象徴を演じ切る勇気が。 頭を抱えたバチカン事務局は、新法王が就任演説直前に祈祷に入られた、ことにして時間稼ぎを画策するのだが、さらに深刻な事態が。警備に守られ、こっそりローマ市内のセラピストを訪れたメルヴィルが、ほぼ発作的に失踪してしまうのだ。そこで事務局は、世界中のカトリック教徒にも、そして、事態打開までバチカン内に缶詰状態の枢機卿たちに対しても、法王は自室に籠もっていると苦しい嘘をつくことになる。 このシチュエーション、どこかで見たことはないだろうか?重い責務を担った超VIPが失踪して周囲をあたふたさせるというプロットは、そう、『ローマの休日』(53)とそっくり。突然街に飛び出し、離婚した女性セラピストを始め、偶然同じホテルで出会った演劇集団との関わりを通して、かつて志した演劇の魅力を再発見し、やがて、自分にとって本当の居場所はどこかを実感していくメルヴィルは、新聞記者のジョーと恋に落ちて真の自由を謳歌するアン王女と同じく、ローマで秘かな休日を楽しんだ"お仲間"なのだ。 アン王女はジョーへの思いを友情に止めて、宮殿の中へ足早に消えて行ったけれど、メルヴィルはさて、どうするか?それは見てのお楽しみとして、本作はメルヴィルを介して重圧と自我の葛藤を描いた人間ドラマであると同時に、閉ざされた小国、バチカンへの潜入体験記的な旨味がある。冒頭で、コンクラーヴェの生中継を希望するテレビクルーに対し、バチカン側は冷徹に立ち入りを拒否するが、映画のカメラはするすると警備をかい潜って総本山内部へと足を踏み入れる。警備主任はモレッティ自らが演じる精神科医を治療のためにバチカンに呼び寄せた際、彼の携帯電話を取り上げ、外部との接触を遮断する。新法王表明までバチカン滞在を義務づけられた枢機卿たちの中の数人が、美味しいシュークリームを食べに出かけたいと申し出るが、却下される。夜、枢機卿たちは各々の自室に籠もってバイシクルマシーンを漕ぎ、ジグソーパズルを楽しむ一方で、悪夢にうなされて叫ぶ声が廊下にこだまする、等々、潜入ルポの目線はけっこうブラックだ。 もし、これがハリウッド映画だったら、バチカンは現状のまま公開を許可しただろうか?と疑問に思わないでもないけれど(同じくコンクラーヴェが登場するトム・ハンクス主演の『天使と悪魔』(06)はローマ教会がイエス・キリストを冒涜しているとしてボイコットを呼びかけた)、癖のあるユーモアを武器にイタリア映画を、イタリアン・カルチャーを世界に拡散し続けるナンニ・モレッティだからこそ許されたと取るべきかも知れない。それは、本作が2011年のイタリアン・ゴールデングローブ賞(外国人ジャーナリストによる選出)とナストロ・ダルジェント賞(イタリア映画記者組合による選出)で作品賞をW受賞したことでも明らかだ。 ところで、劇中に登場するシスティーナ礼拝堂は本物ではない。さすがにナンニ・モレツティと言えども礼拝堂内部での撮影は許可されず、チネチッタ・スタジオ内部にセットが組まれてコンクラーヴェ会場が再現されている。モレッティ扮する精神科医の提案でバチカンの中庭に即席コートがセッティングされ、そこで枢機卿たちによる国別バレーボール大会が開催されるシーンは、ローマのパラッツォ・ファルネーゼの中庭で撮影されたそう。メルヴィルが立つのをためらうサンピエトロ大聖堂のファザード(建物の正面)も、形状からしてパラッツォ・ファルネーゼではないかと思われる。何しろ、設計したのはサンピエトロ大聖堂の建設にも関わったルネッサンスを代表する建築家、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネなのだ。 パラッツォ・ファルネーゼは現在、ローマのフランス大使館として使用されている。本作がイタリアとフランスの合作なのは、そのあたりに起因しているのかも知れない。そう言えば、メルヴィルを演じるミシェル・ピコリもイタリア系フランス人。デビュー以来、150本以上の映画に出演してきた彼が裁判官を好演してカンヌ映画祭最優秀男優賞に輝いたのも、イタリア人監督、マルコ・ベロッキオの「Salto nel vuoto」(80)だった。かつてロジェ・ヴァディムやルイス・ブニュエル作品で渋い脇役を演じて来たピコリが、流暢なイタリア語を駆使して内気で自信喪失気味の枢機卿を演じる姿は、国籍を超えた愛らしさがある。■ © Sacher Film . Fandango . Le Pacte . France 3 Cinéma 2011
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COLUMN/コラム2015.01.07
幼気でちょっぴりエッチな少年の日誌は人生の厳しさと温かさが混在している!?〜『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』
北欧スウェーデンは美女の宝庫として知られ、古くから様々なタイプの美人女優をハリウッドに輸出して来た。グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマン、アニタ・エクバーグ、そして、ちょっと意外なアン=マーグレット。映画監督では何と言ってもイングマル・ベルイマンだろう。"神と沈黙"をテーマに掲げた数々の名作を遺し、2007年に惜しまれつつ他界した20世紀を代表する名匠である。そして、ベルイマンと同じくスウェーデン出身で、今も現役バリバリでカメラを回している頼もしい後輩がラッセ・ハルストレムだ。 ベルイマンとハルストレムは作風もライフスタイルも対照的だ。ベルイマンが母国スウェーデンを一歩も出ずにレジェンドとなったのに対し、ハルストレムはニューヨークに住まいを構え、ハリウッドでジョニー・デップ主演の『ギルバート・グレイプ』(93)や『サイダーハウス・ルール』(99)と言ったオスカー級の話題作を発表して来た。デビュー当時は正確に発音するのが難しかった"ハルストレム"という名前も、冷徹なベルイマン作品には皆無だった人間への温かい眼差しも、今や映画ファンの間ですっかり定着している。そんな彼が世界に羽ばたく土台を築いた若き日の代表作、それが『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』だ。 舞台は1950年代後半のスウェーデンの田舎町。主人公の少年、イングマルがいつも思いを馳せるのは、人工衛星にむりやり乗せられ、5ヶ月も食事を与えられず宇宙の彼方で餓死したライカ犬のこと。それに比べたら、病床の母を持ち、旅がちな父親不在の家で暮らし、悪戯な兄に虐められ、コップの牛乳も上手に飲めないドジで間抜けな自分なんてましな方。というのが、イングマルの相対的且つ客観的人生論なのだ。イングマルのライカ犬に負けず劣らずの不運は続く。夏休み、彼は心配な母親を家に残し、グンネル伯父さんの家に預けられることになり、大好きな愛犬シッカンとも引き離されてしまう。しかし、こうして文字に置き換えると冷え冷えとする少年の現実が、ハルストレム的感性のフィルターを通すとどうだろう!?不幸は常時ユーモアにかき消され、厳しくとも生きる価値のある人生への愛おしさに心が震えてくる。 例えば、ユーモアはこんな場面で効果満点だ。母親が喧嘩を止めないイングマルと兄のエリクを打っている傍らで、シッカンが床に零れた牛乳をべろ飲みしている。グンネル伯父さん宅の階下で寝たきり生活を送るお祖父さんの願いで、イングマルが女性下着カタログの説明文を読んで興奮させてあげる。伯父さんが勤めるガラス工場の巨乳美女が彫刻家にヌードモデルを頼まれた時、同行したイングマルが美女の秘部を見たくて天窓に張り付き、重みで落下する、等々。その際、傷だらけのイングマルに巨乳姉さんは『堅信礼は受けられないわね』と呆れ顔で呟くのだが、キリスト教では子供にとって最も重要なこの信仰儀礼すら、ユーモアのツールに使ってしまうハルストレムのスウェーデン人らしからぬセンスは笑える。その一方で、おませなエリクが子供たちを地下室に集めて聞きかじりの性教育を施したり、イングマルが仲のいい女子に誘われて線路下の狭いトンネルで抱き合ったりするシーン等も含めて、笑いのソースが性に偏っているのは、この分野の先進国、スウェーデンならでは。すでに死語になった"フリーセックス"という価値観が持つ尖ったイメージをユーモアで再生した点も、ハルストレムの秘やかな功績なのではないだろうか。 イングマルが田舎で出会った、本当は男の子になりたいガキ大将の少女、サガに頼まれて、膨らんできた胸にさらしを巻いてあげるシーンも微妙に刺激的だ。この後、イングマルには最も恐れていた不幸が襲いかかるけれど、そのようにままならない日々を送るのは彼の家族も、サガも、そして、周囲の大人たちも同じ。厳しい現実はすべての人々に均しく試練を強いるけれど、そこには突拍子もない出来事と笑いがセットになっているところが『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の魅力であり、その後のハルストレム作品にも脈々と継承されて行く。 それは、アイオワの田舎町で家族の世話に青春を捧げた青年の旅立ちを祝う『ギルバート・グレイプ』(93)にも、孤児院で生まれた少年が外の世界に触れて成長していく『サイダーハウス・ルール』(99)にも、フランスの片田舎に住む村人の閉鎖性をチョコレートの甘さが溶かしていく『ショコラ』(00)にも、そして、フランス料理とインド料理が互いの偏見を乗り越えて1つになる最新作『マダム・ローリーと魔法のスパイス』(14)にも、しっかり受け継がれている。ハルストレムが凄いのは設定は異なってもライフワークとも言えるテーマをぶれることなく、しかも、商業ベースに乗せているところ。商業ベースとは言うまでもなく、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、ジュリエット・ビノシュ等、人気スターを常に主役に迎え、その中の多くをオスカー候補に送り込んでいることを意味する。 プライベートでは1994年に結婚した女優のレナ・オリンと未だ仲睦まじく、ニューヨークとストックホルムの間を行き来する充実した日々を送っているハルストレム。オリンはかつてベルイマン作品に脇役で出演したこともある、同じスウェーデン出身の実力派女優だ。夫妻が『ショコラ』や『カサノバ』(05)等でコラボしているところは、ベルイマンと彼のミューズと言われた女優、リブ・ウルマンの関係に似ていなくもないけれど、ベルイマンとウルマンが公然と愛人関係をキープしたのに対して、ハルストレムとオリンは正式に結婚し、'95年に生まれた愛娘のトーラ・ハルストレムは女優として活躍している。やっぱり、私生活でもベルイマンとハルストレムは作風が違うのだ。 もし、改めて、または、初めて『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』で心が温まり、ラッセ・ハルストレムに興味を持ったなら、監督としてブレイクスルー以前の作品に触れてみてはいかがだろう?『マイライフ〜』の原型と言われている劇場映画デビュー作『恋する男と彼の彼女』(75)も、その続編『僕は子持ち』(79)も、『マイライフ〜』の直前に監督した『幸せな僕たち』(83)も、全部ちゃんとDVD化されているのだから。 ところで、イングマル役を演じて天才子役と謳われたアントン・グランセウリスは、その後、どうなったか?前年に出演したTVドラマで発見され、イングマル役に大抜擢された彼だったが、映画俳優になる気は毛頭なかったらしく、天才子役の転落ルートは横目で回避し、今はスウェーデンのTV局、TV4のリアリティショーのプロデューサーとして活躍中とか。監督と同じく、これまたけっこうなことではないでしょうか!?■ ©1985 AB Svensk Filmindustri
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COLUMN/コラム2014.12.04
【未DVD化】思い出の2大アイドル競演映画は、舞台裏もおもしろネタ満載!?〜DVD未発売『リトル・ダーリング』
ストーリーを改めて精査する前に、2人がロケで合流するまでのプロセスと撮影中のきな臭いエピソードを、やはり紹介しないわけにはいかない。 まず、テイタムはこの映画に出演する前の1973年、父親のライアン・オニールと共演した『ペーパー・ムーン』で史上最年少の10歳でアカデミー助演女優賞を受賞後、『がんばれ!ベアーズ』(76)の豪腕ピッチャー役で名実共にトップアイドルの座をゲット。そして、同じ役を彼女と奪い合ったのが、何と奇遇にもクリスティ・マクニコルだった。『リトル・ダーリング』が公開された当時、ファンの間でまことしやかに囁かれた噂話がある。それは、当初、劇中で不良少女ぶりを炸裂させるエンジェル役をオファーされたテイタムが、ミスキャストを承知でお嬢様のフェリス役をチョイスしたという"わがまま伝説"。クリスティが映画女優としては一歩先を行くテイタムの希望を渋々受け容れたことは想定でき、その後、しばらくこの噂話は事実として語り継がれることになる。 ところが、事実はその反対だったという説もある。映画サイトのIMDbによると、映画が公開された1980年3月発売の芸能誌"ピープル"が、フェリス役を最初にオファーされたのはクリスティの方で、彼女がそれを断り、あえてエンジェル役を選択したことを伝えているのだ。理由として挙げられているのは、当時、クリスティは高視聴率ドラマ『ファミリー 愛の肖像』(76〜80)にレギュラー出演して高い認知度を誇っていたからというもの。オスカー女優か?TVのアイドルか?それは現役最高峰の演技派女優、メリル・ストリープと、TVのトークショーで天文学的なギャラを稼いだオプラ・ウィンフリーの比較論にまで繋がる、アメリカ・ショービズ界の永遠のテーマかも知れない。 とりあえず『リトル・ダーリング』が無事にクランクインしてからも、テイタムとクリスティの間には色々あったようだ。エンジェルは物語の最初から最後までタバコを吹かし続けるのだが、それまでタバコを吸ったことがなかったクリスティ(当時17歳)にタバコの味を教えたのはテイタム(当時16歳。何しろ彼女は9歳で出演した『ペーパー・ムーン』ですでにチェーンスモーカー役を演じているのだ。アカデミー協会、倫理的にどうなの!?) で、以来、クリスティは私生活でもタバコを手放せない体になってしまったとか。 しかし、撮影中、派手に問題を起こしたのはクリスティの方で、ロケの合間には退屈しのぎに車を飛ばしてカーブを曲がりきれず、ロケ地、ジョージア州マディソン郡の草むらにドーナツ状の跡をつけて警察沙汰にもなっている。その際、クリスティの実母が『ドラッグをやってなかっただけまし』と言い放ったことや、テイタムとクリスティが宣伝用にツーショット写真を撮る際、位置取りで揉めたという話も記録に残っている。どれもこれもゴシップ好きには堪えられない美味しい話ばかりだ。 映画自体も単純にアイドル映画としてカテゴライズすることは憚られる、けっこう意味を持った作品に仕上がっている。物語の舞台は各地から女子たちが集まってくるひと夏のサマーキャンプ。キャンプ場に向かう車中に、母子家庭で育った下町生まれのエンジェルと、対照的に山の手育ちのお嬢様、フェリスがいる。2人は共に15歳。偶然バスで隣り合わせになった時からソリが合わず、何かとぶつかり合う2人がどちらも処女であることがバレると、すでに14歳でセックスを知ったと豪語するおませな少女、シンダーが突如悪巧みを思い付く。エンジェルとフェリス、どちらが先に処女を捨てるか?全員で賭けをしようというのだ。その辺には特に興味津々の少女たちが思わず手を挙げたのは言うまでもない。そこから、ライバル2人の"ロスト・ヴァージン作戦"がスタートする。 1980年代当時も今も、男子の童貞喪失ものは枚挙に暇がない。1950年代のフロリダでセックスのことしか頭にない男子高校生の行状を描く『ポーキーズ』(81)やタイトルもずばり『初体験/リッジモント・ハイ』(82)、また、プロムを童貞喪失のタイムリミットに設定した男子の焦りを綴る『アメリカン・バイ』(99)、そして、物悲しくも可笑しい『40歳の童貞男』(05)まで、まるで、映画史に"童貞喪失映画"というジャンルが確立されているかのようだ。実は確立されていたりして。逆に、女子のヴァージン喪失映画は極めて稀だ。そこに、『リトル・ダーリング』は果敢にも挑戦している。 エンジェルが湖の反対側でキャンプを張るイケメン男子のランディ(これが映画デビューして2作目のマット・ディロン)に狙いを定め、その目的を隠すことなくアプローチする一方で、フェリスはお嬢様転じて肉食系と化し、キャンプ場の体育コーチ、キャラハンに体当たりをかます。その間、女子グループはエンジェルが運転するスクールバスでキャンプ場を抜け出し、公衆男子トイレに潜入して自動販売機からコンドームを大量に入手。勿論、目的はエンジェルとフェリスの"その時"のためだ。また、彼女たちは湖の向こう側で全裸になって泳ぐ男子の体を望遠鏡で視姦したりもする。それらの行動は童貞喪失映画ではお馴染みの光景。その逆バージョンを、このようにあっけらかんと、まして、1980年にやってしまっていることの意味は、フェミニズム的観点から鑑みても特筆すべきではないだろうか。 そして、エンジェルとフェリスは処女を捨てられたのか、どうか。物語の着地点は、大人になることを急いではいけない。また、同時に、セックスには必然性、つまり愛が伴わなくてはいけない。その2点に尽きる。これは、かつて乱発された童貞喪失映画がスルーしてきた、ヒロイン映画独特の普遍的で大人びた結論と言わざるを得ない。 最後に、『リトル・ダーリング』がDVD未リリース作品としても貴重であることを付け加えておこう。と言うのも、オリジナルの映画にはお馴染みのヒットソングが何曲かフィーチャーされているのだが、ハリウッドでは珍しく版権の処理過程に問題があったらしく、作品がビデオカセットとレーザーディスク化された際、それらの曲は削除され、各々の場面にマッチする他の適当な音楽に差し替えられたという。カットされたのは、スーパートランプの"スクール"、ジョン・レノンの"オー・マイ・ラブ"、そして、エンドロールにかかるベラミー・ブラザーズの"レッツ・ユア・ラブ・フロウ"の3曲。つまり、今回ザ・シネマ解放区ではオリジナルの名曲入り『リトル・ダーリング』が幸運にも鑑賞できるというわけだ!!■