信頼は勿論、絶大な権力も与えられた法王は、さそがし世界中の枢機卿たちにとって憧れのポストに違いない!?と思いきや、けっこうそうでもないことが「ローマ法王の休日」を見るとよく分かる。

 いきなり法王の葬儀から始まる映画が事細かに描くのは、その後に行われる法王の後任選び=コンクラーヴェ、つまり法王選挙。この冒頭から、元水球選手という異色の経歴を持つイタリア人監督、ナンニ・モレッティが謎に包まれたコンクラーヴェの実態を独特のユーモアを以て詳らかにしていく。それは、例えばこんな感じだ。世界中から集結した枢機卿たちが朱色のマントを羽織って投票会場に入場する時(その中にはバチカン資料館員という肩書きの日本人、高田枢機卿の姿も)、入口で1人1人名前が呼ばれる仕来りなのだが、係が一瞬名前を忘れて妙な静寂が走る(そりゃあ、全員の名前を覚えるのは大変なはず)。会場のシスティーナ礼拝堂が停電した時、ある枢機卿が蝋燭を点してはどうかと呟くが、フレスコ画が傷むからという理由で却下される(バチカン市国全体が世界遺産だもの)。投票用紙を見つめながら、全員が書くべき名前を思い付かずペンをコトコトさせる…そう、誰も名誉どころか、重圧でしかない法王になんかなりたくないのだ!

 そうだったのか!?従って、投票者の2/3以上の票を獲得しなければ法王の資格はないというコンクラーヴェの掟をクリアする者は現れず、地獄の投票は何度も繰り返される羽目になる。使用済みの投票用紙は暖炉で燃やされ、証拠は残さず、この時に煙突から立ち上がる煙の色で観衆は選挙の推移を確認するという手はずだ。煙が黒なら未決、白なら決定というのが何だかとても映画的ではある。投票結果が発表される度に「神よ、どうか私が選ばれませんように」と祈る枢機卿もいて、思わず、そんな時にお前が神を持ち出すな!と突っ込みたくなるが、しかし、当然の如く"犠牲者"が神の御許に差し出される。決選投票でサプライズ的に選出されたメルヴィルだ。ところが、メルヴィルはバチカン宮殿を見上げる広場に集まった信者たちの前に歩み出る直前、突如任務を放棄してしまう。「私にはできない!」と言い張るメルヴィルに固まる侍従たちは、とりあえず心身の異常を疑うが、どうやら問題はなさそうだ。要するに、メルヴィルには自信がないだけ。神に選ばれた身として、11億人の信仰の象徴を演じ切る勇気が。

 頭を抱えたバチカン事務局は、新法王が就任演説直前に祈祷に入られた、ことにして時間稼ぎを画策するのだが、さらに深刻な事態が。警備に守られ、こっそりローマ市内のセラピストを訪れたメルヴィルが、ほぼ発作的に失踪してしまうのだ。そこで事務局は、世界中のカトリック教徒にも、そして、事態打開までバチカン内に缶詰状態の枢機卿たちに対しても、法王は自室に籠もっていると苦しい嘘をつくことになる。

 このシチュエーション、どこかで見たことはないだろうか?重い責務を担った超VIPが失踪して周囲をあたふたさせるというプロットは、そう、『ローマの休日』(53)とそっくり。突然街に飛び出し、離婚した女性セラピストを始め、偶然同じホテルで出会った演劇集団との関わりを通して、かつて志した演劇の魅力を再発見し、やがて、自分にとって本当の居場所はどこかを実感していくメルヴィルは、新聞記者のジョーと恋に落ちて真の自由を謳歌するアン王女と同じく、ローマで秘かな休日を楽しんだ"お仲間"なのだ。

 アン王女はジョーへの思いを友情に止めて、宮殿の中へ足早に消えて行ったけれど、メルヴィルはさて、どうするか?それは見てのお楽しみとして、本作はメルヴィルを介して重圧と自我の葛藤を描いた人間ドラマであると同時に、閉ざされた小国、バチカンへの潜入体験記的な旨味がある。冒頭で、コンクラーヴェの生中継を希望するテレビクルーに対し、バチカン側は冷徹に立ち入りを拒否するが、映画のカメラはするすると警備をかい潜って総本山内部へと足を踏み入れる。警備主任はモレッティ自らが演じる精神科医を治療のためにバチカンに呼び寄せた際、彼の携帯電話を取り上げ、外部との接触を遮断する。新法王表明までバチカン滞在を義務づけられた枢機卿たちの中の数人が、美味しいシュークリームを食べに出かけたいと申し出るが、却下される。夜、枢機卿たちは各々の自室に籠もってバイシクルマシーンを漕ぎ、ジグソーパズルを楽しむ一方で、悪夢にうなされて叫ぶ声が廊下にこだまする、等々、潜入ルポの目線はけっこうブラックだ。

 もし、これがハリウッド映画だったら、バチカンは現状のまま公開を許可しただろうか?と疑問に思わないでもないけれど(同じくコンクラーヴェが登場するトム・ハンクス主演の『天使と悪魔』(06)はローマ教会がイエス・キリストを冒涜しているとしてボイコットを呼びかけた)、癖のあるユーモアを武器にイタリア映画を、イタリアン・カルチャーを世界に拡散し続けるナンニ・モレッティだからこそ許されたと取るべきかも知れない。それは、本作が2011年のイタリアン・ゴールデングローブ賞(外国人ジャーナリストによる選出)とナストロ・ダルジェント賞(イタリア映画記者組合による選出)で作品賞をW受賞したことでも明らかだ。

 ところで、劇中に登場するシスティーナ礼拝堂は本物ではない。さすがにナンニ・モレツティと言えども礼拝堂内部での撮影は許可されず、チネチッタ・スタジオ内部にセットが組まれてコンクラーヴェ会場が再現されている。モレッティ扮する精神科医の提案でバチカンの中庭に即席コートがセッティングされ、そこで枢機卿たちによる国別バレーボール大会が開催されるシーンは、ローマのパラッツォ・ファルネーゼの中庭で撮影されたそう。メルヴィルが立つのをためらうサンピエトロ大聖堂のファザード(建物の正面)も、形状からしてパラッツォ・ファルネーゼではないかと思われる。何しろ、設計したのはサンピエトロ大聖堂の建設にも関わったルネッサンスを代表する建築家、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネなのだ。

 パラッツォ・ファルネーゼは現在、ローマのフランス大使館として使用されている。本作がイタリアとフランスの合作なのは、そのあたりに起因しているのかも知れない。そう言えば、メルヴィルを演じるミシェル・ピコリもイタリア系フランス人。デビュー以来、150本以上の映画に出演してきた彼が裁判官を好演してカンヌ映画祭最優秀男優賞に輝いたのも、イタリア人監督、マルコ・ベロッキオの「Salto nel vuoto」(80)だった。かつてロジェ・ヴァディムやルイス・ブニュエル作品で渋い脇役を演じて来たピコリが、流暢なイタリア語を駆使して内気で自信喪失気味の枢機卿を演じる姿は、国籍を超えた愛らしさがある。■

© Sacher Film . Fandango . Le Pacte . France 3 Cinéma 2011