ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2021.10.11
ブルース・リーの遺志を継いで作られた最後の主演作(?)『ブルース・リー/死亡遊戯』
実は『燃えよドラゴン』の前に撮影されていたブルースの出演シーン ハリウッドでの初主演映画『燃えよドラゴン』(’73)の大ヒットによって国際的なトップスターとなり、世界中で時ならぬカンフー映画ブームを巻き起こした香港映画のカンフー・レジェンド、ブルース・リー。だが、本人はその直前の’73年7月20日に、病気のためこの世を去ってしまう。享年32。あまりにも突然の悲劇からおよそ5年後、生前のブルースの未公開フィルムを使った「最後の主演作」が公開される。それが、この『死亡遊戯』(’78)だ。 もともと「死亡的遊戯」と題されていたという本作は、実は『燃えよドラゴン』よりも前にブルースの監督・脚本・主演で企画されていたのだが、その撮影途中にワーナー・ブラザーズとゴールデン・ハーベストが合作する『燃えよドラゴン』のオファーを受けたことから中断していた。先述した未公開フィルムというのは、この時点で既に撮影されていた分の映像である。ブルースは『燃えよドラゴン』の撮影終了後に本作の製作を再開させるつもりだったそうだが、しかし本人が急逝したことによって一度は頓挫してしまう。言わばその遺志を受け継いだのが、『燃えよドラゴン』でブルースと組んだロバート・クローズ監督。さらにブルースの後輩であるサモ・ハン・キンポーが武術指導を担当し、遺されたフィルムを使用したブルース・リーの「最後の主演作」が作られることとなったのである。その際に、ブルースが手掛けたオリジナル・ストーリーも大幅に変更されている。 当初、ブルースが演じるキャラクターは格闘技の元世界チャンピオンという設定で、家族を拉致したマフィアに強要され、各地から集められた格闘家たちと共に、韓国にある五重塔でのデスゲームに挑むこととなる。この五重塔では各階にそれぞれ格闘技の達人がひとりずつ配置されており、彼らとのデスマッチに勝利すれば順番に上の階へと進むことが出来る。そして、ほかの格闘家たちが次々と敗れていく中、主人公だけが無事に勝ち進んでいき、いよいよ最上階で最強の敵(カリーム・アブドゥル=ジャバー)と対決することになる…というお話だったという。最上階にはなにかお宝のようなものが隠されているらしいのだが、残念ながら現存する資料ではその詳細は分かっていない。 そして、ブルースが存命中に撮影されていたのは、主にこの五重塔でのクライマックスシーンだった。しかも、3階から5階までのパートしか存在していない。およそ39分間に及ぶこのクライマックスだが、しかし最終的に『死亡遊戯』完成版では11分強しか使われなかった。というのも、このシーンではブルース以外にジェームズ・ティエンとチェン・ユアンが共に最上階を目指す格闘家として登場するのだが、この2人が78年版の撮影には参加できなかった(ユアンは既に死亡していた)ため、彼らの出番を削らねばならなくなったのだ。さらに、五重塔という設定もなかったことにされ、クライマックスの舞台はシンジケートの隠れ家である料理店(香港に実在する有名な四川料理店・南北樓)の上階ということになった。ただし、ジェームズ・ティエンがカリーム・アブドゥル=ジャバーに殺される場面だけは、過去にシンジケートの犠牲となったカンフー映画スターのフラッシュバック・シーンとして前半で使用されている。 ブルースに見立てられた代役たち 完成版でブルース・リー(実際は大半のシーンが代役)が演じるのは、彼自身をモデルにしたような世界的なカンフー映画スター、ビリー・ロー。恋人の人気歌手アン・モリス(コリーン・キャンプ)が白人というのも、ブルースの実生活の妻リンダを彷彿とさせる。このところ、ビリーが主演する映画の撮影現場では不可解な事故が相次いでいるのだが、実は彼は香港を根城とする国際的な巨大シンジケートから脅されていたのだ。というのも、ドクター・ランド(ディーン・ジャガー)がボスとして君臨するシンジケートは、有名な映画スターやスポーツ選手と終身専属契約を結ぶことで、彼らの収入から違法に手数料を搾取していたのだが、しかしビリーは頑なにシンジケートとの契約を拒んでいたのである。 やがて組織からの脅迫はエスカレート。それでもビリーが屈しなかったことから、ドクター・ランドの右腕スタイナー(ヒュー・オブライエン)は、組織の刺客スティック(メル・ノヴァク)を送り込み、撮影現場のどさくさに紛れてビリーを射殺する。だが、殺されたと思われたビリーは奇跡的に一命を取り留めていた。友人の新聞記者マーシャル(ギグ・ヤング)の協力で死を偽装した彼は、密かにシンジケートへの復讐を計画することに。その一方でドクター・ランドやスタイナーは、事情を知りすぎたビリーの恋人アンを始末しようとしていた…。 実際に使用できる未公開フィルムが僅かであることから、『燃えよドラゴン』以前にブルースが主演した香港映画の映像も多数流用。例えば、ビリーが撮影現場で銃弾を受ける場面は『ドラゴン怒りの鉄拳』(’72)のラストシーンだし、本編冒頭で撮影している格闘シーンは『ドラゴンへの道』(’72)のコロッセオにおけるチャック・ノリスとの対決シーンだ。チャック・ノリスの出演はこの流用シーンだけなのだが、しかし当時の宣伝ポスターやオープニング・クレジットでは名前が堂々と使われている。まあ、いろいろと大らかな時代だった(笑)。それ以外にも、ブルース主演作の細かい映像がそこかしこで切り貼りされている(ビリーの葬儀シーンはブルース本人の葬儀映像)のだが、当然ながらそれだけではストーリーが成り立たないため、大半のシーンは別人の代役をブルースに見立てて撮影している。 代役を主に演じたのは、韓国出身のアクション俳優タン・ロン(本名キム・テジョン)とされている。ほかにもユン・ピョウやアルバート・シャムが代役を担当したシーンもあり、ユン・ピョウによるとブルースのスタントマンだったユン・ワーも参加したそうだが、誰がどこのシーンをどれくらいやったのかは、いまひとつハッキリしていない。ただ、代役がブルースと別人であることは、フィルムの質感が異なることもあって一目瞭然。最初のうちこそサングラスで顔を隠そうとしているものの、クライマックスへ至る頃にはそれすらしなくなっている。そういえば、鏡にビリーのクロースアップが映るシーンで、代役の顔部分にブルース本人の顔写真の切り抜きを合成しているのは前代未聞の珍場面だ。これは鏡に直接、写真を張り付けたとも言われているのだが、いずれにしても実に大胆不敵である(笑)。 ブルース・リーの恋人役として「共演」するのは、『メイク・アップ』(’77)や『トラック29』(’88)などで知られるカルト女優コリーン・キャンプ。『ポリス・アカデミー2全員集合!』(’85)や『ダイ・ハード3』(’95)、『スピード2』(’97)など続編女優としてもお馴染みで、最近でも『ルイスと不思議の時計』(’18)や『メインストリーム』(’20)などで健在だ。本作では劇中の挿入歌も本人が歌っている。そのほか、オスカー俳優のギグ・ヤングにディーン・ジャガー、テレビ『保安官ワイアット・アープ』(‘55~’61)のヒュー・オブライエンといった往年の名優が出演。『燃えよドラゴン』でブルース・リーの師匠役を演じたロイ・チャオが、本作では京劇俳優のおじさんとして顔を出しているのも要注目だ。また、武術指導のサモ・ハン・キンポーも、格闘技の試合シーンでシンジケートの用心棒ミラー(ロバート・ウォール)の対戦相手として登場する。 ちなみに、今やブルース・リーのトレードマークとも言える、黄色に黒のラインが入ったジャンプスーツは本作で初めて着用したもの。また、五重塔の階を上がるごとにさらなる強敵が待ち受けているというオリジナル・コンセプトも、その後の様々なアクション映画や格闘ゲームなどに影響を与えることとなった。劇場公開時からファンの間でも賛否両論あることは確かだし、これをブルース・リー主演作と呼べるのかどうか疑問ではあるものの、少なくともカンフー映画史上において重要な位置を占める作品のひとつであることは間違いないだろう。■ 『ブルース・リー/死亡遊戯』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.09.08
非暴力主義と平和主義を謳った巨匠ウィリアム・ワイラーの西部劇大作『大いなる西部』
西部劇はワイラー監督の原点 巨匠ウィリアム・ワイラーが手掛けた壮大な西部劇叙事詩である。およそ45年のキャリアでアカデミー賞の監督賞に輝くこと3回。『嵐が丘』(’39)や『女相続人』(’49)のような文芸映画から『我等の生涯の最良の年』(’46)のような社会派ドラマ、『ローマの休日』(’53)のようなラブロマンスから『ベン・ハー』(’59)のようなスペクタクル史劇まで、特定のジャンルやスタイルに縛られることなく多種多彩な映画を撮り続けたワイラーは、それゆえにDirector with No Signature=署名サインがない監督、つまり「ひと目で彼の映画と分かるような特徴のない監督」と揶揄されることも少なくなかったのだが、しかしそんな彼のキャリアを語るうえで欠かすことの出来ないジャンルがある。それが西部劇だ。 1902年にユダヤ系スイス人の息子としてドイツに生を受けたワイラー。少年時代から人一倍反骨精神の旺盛な問題児だった彼は、家業の服飾品店を継ぐ気もなく職を転々としていたところ、母親の遠縁の従兄弟に当たる親戚カール・レムリからアメリカへ来ないかと誘われる。そう、あのユニバーサル映画の創業社長カール・レムリである。’20年に渡米したワイラーはユニバーサルのニューヨーク本社に勤務するものの、しかし映画監督を志して撮影所のあるハリウッドへと異動することに。現場の雑用係から徐々に経験を積んでゆき、’25年には当時のユニバーサルで最年少の映画監督へと昇進する。そんな新人監督ワイラーに与えられた仕事が、サイレント期のユニバーサルが最も力を入れていたジャンル「西部劇」だった。 ‘25年から’28年までのおよそ3年間で、実に30本近くもの西部劇映画を演出したワイラー。当時アメリカの映画館では、まずニュース映像に近日公開作品の予告編、5分以内の短編アニメに30分以内の短編映画、さらに1時間以内の中編映画を経てようやくメインの長編映画を上映するというパッケージ形式が一般的だった。まだ経験の浅い新人ワイラーの手掛けた西部劇も、そうした併映用の短編・中編映画だったのである。各作品の予算は上限2000ドル。金曜日に脚本を渡されて土曜日にキャスティングや打ち合わせを行い、翌週の月曜日から水曜日までの3日間で撮影完了。追加撮影などが必要な場合は予備の木曜日を使い、金曜日にはまた新たな脚本を渡される。当時の家内工業的なスタジオシステムだからこそ可能だったスケジュールだが、こうした時間にも予算にも厳しい制約がある中での西部劇製作は、ワイラーにとって映画監督としての技術を磨く格好の修行現場でもあった。要するに、西部劇は映画監督ウィリアム・ワイラーの礎を築いた重要なジャンルだったのである。そして、巨額の予算を投じた3時間近くにも及ぶ超大作『大いなる西部』(’58)は、まさしくその集大成的な映画だったと言えるだろう。 開拓時代と近代化の狭間で揺れ動く大西部の物語 舞台は西部開拓時代も終わりに差し掛かった19世紀末、南北戦争後のアメリカ。東海岸の大都会ニューヨークから、テキサスの田舎町へとひとりの青年紳士がやって来る。海運業を営む裕福な家系の御曹司ジム・マッケイ(グレゴリー・ペック)だ。そんな彼を出迎えたのは、地元の大地主ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の愛娘パトリシア(キャロル・ベイカー)。数か月前にニューヨークで知り合い恋に落ちた2人は、パトリシアの実家で結婚式を挙げることになったのだ。いかにも都会的な洗練された身なりのジムに好奇の眼差しを向ける住民たち。ジムもまたジムで、西部開拓時代そのままの地元住民の好戦的な価値観に戸惑いを覚える。中でも、平和を愛する非暴力主義者のインテリ青年ジムにとって受け入れ難いのは、これから義父となるテリル少佐とその宿敵ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)の血で血を洗うような激しい対立だった。 豊かな牧草地帯に大豪邸を構えるテリル家と、荒涼とした山岳地帯のあばら家に暮らすヘネシー家。どちらも広大な土地と大勢の牧童を擁する地元の2大勢力なのだが、それゆえ当主であるテリル少佐とルーファスは昔から犬猿の仲で、両家はなにかにつけていがみ合っていた。ジムも到着早々にヘネシー家の長男バック(チャック・コナーズ)とその子分たちから嫌がらせを受けるのだが、一切抵抗することなくやり過ごす。余計な争いごとは起こしたくなかったからだ。しかし、それを知ったテリル少佐はジムに忠告する。この土地では力を持つ男だけが尊敬され勝ち残ることが出来る。反対に優しさは弱さと受け取られ、弱みを見せた者は引きずりおろされるのだと。この嫌がらせ事件を機にテリル家とヘネシー家の争いは本格化。安易な暴力的手段に訴える両家を強く非難するジムだったが、そんな彼の主張を婚約者パトリシアは理解できず恥だと感じ、彼女を秘かに愛する牧童頭スティーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)もジムのことを女々しい腰抜けだと蔑む。 この無益な争いを終わらせるにはどうすればいいのか。思い悩むジムが着目したのは、パトリシアの親友である女教師ジュリー(ジーン・シモンズ)が所有する土地だった。亡き祖父からジュリーが相続した土地には近隣で最大の水源ビッグ・マディがあり、これがテリル家とヘネシー家が対立する大きな理由のひとつだった。テリル少佐もルーファスもビッグ・マディを自分のものにしようと狙っていたのだ。そこでジムは、自分がビッグ・マディを買い取ることを思いつく。テリル少佐でもルーファスでもない第三者の自分が水源を所有し、テリル家だろうかヘネシー家だろうが分け隔てなく平等に開放することで、争いごとの根源を絶つことが出来るのではないかと考えたのだ。ジムと同じく平和主義者のジュリーも賛成し、彼に土地を売り渡すことにするのだが、しかしこれが思いがけない波乱を招くこととなってしまう…。 トラブル続きだった撮影の舞台裏 先住民の襲来や大自然の脅威などに武器を持って立ち向かい、障害を取り除いて自分の所有地を切り拓いていく。これは、そんな暴力と略奪に根差した西部開拓時代のフロンティア精神を真っ向から否定する野心的な西部劇だと言えよう。米陸軍航空隊中佐として第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に参加したワイラーは、戦後になると復員兵の苦悩を通して平和な日常の尊さを描いた『我等の生涯の最良の年』や、独立戦争に巻き込まれたクエーカー教徒の葛藤を描く『友情ある説得』(’56)など、たびたび反戦や非暴力主義をテーマにするようになったのだが、本作などはまさにその真骨頂と言えるだろう。本当の強さとは腕力や勇気を誇示することでもなければ、ましてや喧嘩に勝つことでもない。どこまでも己の理想と信念を貫き通すことであり、自分だけではなくみんなの幸福のため、忍耐強く粘ってでも平和と共存を目指すことである。ジムが暴れ馬を根気よく手懐けて乗りこなすようになる様子を描いたシーンなどは、まさにその象徴と言えよう。そのうえで、ジムとスティーヴの殴り合いをロングショットのカメラで淡々と描くことによって、ワイラーは厳かな眼差しで暴力の無意味さを浮き彫りにしていく。 と同時に、本作は無益な争いの本質をも炙り出した映画でもある。敵対するテリル少佐もルーファスも、我の側にこそ正義があると思い込んでいるが、しかし彼らの考える正義とは単なる己の利益とか欲とかプライドに過ぎず、そもそも初めから正義などと呼べるような代物ではない。「正義の反対は別の正義」などというのはただの幼稚な詭弁だ。本当の正義とは立場や考え方の違いに関係なく他者の権利を尊重し、困っている者があれば手を差し伸べ、争うことなく利益や恵みを分かち合い、多様な人々が共存共生していくことなのではないか。現代にも通じるこのメッセージには、恐らく本作の直前にハリウッドを吹き荒れたマッカーシズムに対する強い批判が込められているのだろう。なにしろ、ワイラーはジョン・ヒューストン監督や女優マーナ・ロイと並んで、赤狩りに抗議するリベラル映画人組織「アメリカ合衆国憲法修正第1条委員会」を立ち上げた発起人のひとりである。しかも、本作の企画を彼のもとへ持ち込んだのは、ハリウッドきっての平和主義者で人道主義者でもあった主演俳優グレゴリー・ペック。マッカーシズム的な保守主義や利己主義に対するアンチテーゼが、ストーリーの根底に流れていても何ら不思議はない。むしろ、そう考えるのが自然だ。 いわば、ハリウッドを代表するリベラルの監督と俳優がタッグを組んだ本作。ペックはプロデューサーも兼任し、まさしく二人三脚の共同プロジェクトとなったのだが、しかしその舞台裏はトラブル続きだったという。最大の問題は脚本。ドナルド・ハミルトンの原作小説に惚れ込んだワイラーとペックだったが、しかし合計で5人の脚本家が携わった脚本は満足のいくものではなく、撮影に入ってからもワイラーとペックの2人が現場で書き直しを続けたため、俳優陣は大いに混乱することとなってしまう。なにしろ、せっかく覚えたセリフも撮影時に変えられてしまうのだから。しかも、納得がいくまで何度でもリテイクを重ね、俳優には一切演技指導をしないことで有名なワイラー監督。「撮影現場は演技学校じゃない」という考え方のワイラーは、俳優が自分の頭で考えて軌道修正することを求めていたのだが、それゆえにスターと軋轢が生じることも多かった。本作の場合も、度重なる脚本の変更とリテイクで女優ジーン・シモンズがノイローゼになってしまい、ベテラン俳優チャールズ・ビックフォードも強く反発したという。さらに、キャロル・ベイカーが妊娠を理由に終盤で撮影から降板するという事態まで起きてしまった。 しかし、それらの問題以上に深刻だったのがワイラー監督とペックの不和である。その最初のきっかけは、劇中で使用する牛をプロデューサーであるペックが4000頭オーダーしたのに対し、共同プロデューサーを兼ねるワイラーが「予算の無駄遣いだ」として400頭に減らしたこと。ここから2人の意見の違いが少しずつ表面化し、主人公ジムがヘネシー家の長男バックらに嫌がらせを受けるシーンを巡って決定的となってしまった。自分の演技に不満のあったペックは撮り直しを要求したのだが、ワイラーは理由も言わず無視を決め込んだため、怒ったペックは撮影を放棄してロスの自宅へ戻ってしまったのだ。結局、残りの出番をこなすため現場復帰したペックだったが、しかしワイラー監督とは一言も喋らず、『ローマの休日』で意気投合して大親友となった2人は、本作を最後に絶縁してしまう。その後、’76年にワイラー監督がアメリカ映画協会(AFI)から生涯功労賞を授与された際、その授賞式にペックが出席したことで、ようやく拗れた関係を修復することが出来たという。 それとは反対に、本作を機にワイラーと親交を深めたのがスティーヴ・リーチ役のチャールトン・ヘストン。ちょうど『十戒』(’56)でスターダムを駆け上がったばかりのヘストンは、キャストクレジットが4番目の脇役であることを不満に思い、当初は本作のオファーを断っていた。ところが、それでもワイラー監督が「この役は君じゃないとダメだ」と諦めないことから、言うなれば根負けしてスティーヴ役を引き受けたのだという。そんな監督の期待に応えて、フロンティア精神の塊だった好戦的な男スティーヴが、反発しながらもジムの平和主義に少しずつ感化され、やがて暴力の虚しさに気付いていく姿をパワフルに演じるヘストンが素晴らしい。この演技に強い感銘を受けたワイラーが、次作『ベン・ハー』の主演に彼を起用したのも大いに納得である。そういう点でも、本作はワイラーとヘストンのキャリアにおいて重要な位置を占める作品と言えるだろう。■ 『大いなる西部』© 1958 Estate of Gregory Peck and The Estate of William Wyler. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.09.08
『0011ナポレオン・ソロ』の映画リメイクは60’sマニアも大満足の仕上がり!『コードネームU.N.C.L.E.』
伝説のTVスパイ・アクション『0011ナポレオン・ソロ』とは? 日本のお茶の間でも空前の大ブームを巻き起こした、’60年代の人気TVスパイ・アクション『0011ナポレオン・ソロ』(‘64~’68)の映画版リメイクである。ご存じの通り、ジェームズ・ボンド映画第1号『007は殺しの番号(007 ドクター・ノオ)』(’62)の大ヒットを皮切りに、世界中で吹き荒れたスパイ映画ブーム。東西冷戦の時代を背景に、スリルとサスペンスとアクションを盛り込んだ諜報合戦は、まさしくタイムリーな題材だったと言えよう。当然ながら、世界中の映画プロデューサーが『007』シリーズをパクるように。その結果、ジェームズ・ボンドに続けとばかり、マット・ヘルムやハリー・パーマー、デレク・フリントにブルドッグ・ドラモンド、さらにはフランスのユベール・オスニール(OSS 117)にイタリアのディック・マロイ(077)、西ドイツのジェリー・コットン、日本のアンドリュー星野などなど、ハンサムでダンディな洒落たスパイたちが各国のスクリーンを賑わせることとなった。 そして、このスパイ映画ブームの流れはテレビ界へも押し寄せることに。ロジャー・ムーアの出世作『セイント天国野郎』(‘62~’69)を筆頭に、スパイ・コンビが世界的テニス選手とコーチを隠れ蓑にした『アイ・スパイ』(‘65~’68)、スパイ×西部劇というアイディアが斬新だった『0088/ワイルド・ウエスト』(‘65~’69)、元祖『裸の銃を持つ男』と呼ぶべきコメディ『それゆけスマート』(‘65~’70)、不可能なミッションにチームで挑む『スパイ大作戦』(‘66~’73)などなど、数多くのスパイ・シリーズが人気を集めるようになったのだが、その中でも最も成功したドラマが『0011ナポレオン・ソロ』だったのである。 主人公は女好きでチャラチャラしたアメリカ人スパイのナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)と、生真面目で物静かな頑固者のロシア人スパイのイリヤ・クリヤキン(デヴィッド・マッカラム)。国際諜報機関UNCLE(United Network Command for Law and Enforcementの略)に所属するまるで正反対な2人がコンビを組み、ボスである指揮官アレキサンダー・ウェイバリー(レオ・G・キャロル)の指示のもと、世界征服を企む謎の巨大犯罪組織THRUSH(スラッシュ)に立ち向かっていく。ジェームズ・ボンドの生みの親であるイアン・フレミングも企画に携わった本作は、もともとは「Ian Fleming’s Solo」というタイトルで企画が進行していたものの、同時期に製作中だった映画『007 ゴールドフィンガー』(’64)にソロというキャラクターが登場することから、著作権の兼ね合いで『The Man from U.N.C.L.E.』へとタイトル変更を余儀なくされた。 実は、主人公も当初はナポレオン・ソロひとりで、相棒のイリヤ・クリヤキンは単なるサブキャラに過ぎなかったのだが、エピソードを重ねるごとにナポレオン・ソロを上回るほどのイリヤ・クリヤキン人気が高まったことから、制作陣はダブル主人公のバディ物へと設定を変更。番組自体もノベライズ本やボードゲーム、ランチボックス、アクション・フィギュアなどの関連グッズが発売されるほどの大ヒットとなり、さらに製作元のMGMは複数エピソードに追加撮影を施して再編集した劇場版まで製作。こちらの劇場版シリーズも合計8本が公開されている。日本では1965年から’70年まで放送。年間視聴率ランキングのトップ20に食い込むほど大評判となった。 華やかな‘60年代をお洒落に甦らせたオリジン・ストーリー そんな’60年代を象徴する人気ドラマを21世紀に蘇らせた映画リメイク版『コードネームU.N.C.L.E.』。舞台はテレビ版の放送がスタートする1年前の’63年。ソロとクリヤキンのファースト・ミッションを描いた、いわば『0011ナポレオン・ソロ』のオリジン・ストーリーである。行方不明になった世界的な科学者テラー博士(クリスチャン・ベルケル)を探すため、博士の娘ギャビー(アリシア・ヴィキャンデル)を東ベルリンから脱出させたCIAスパイのナポレオン・ソロ(ヘンリー・カヴィル)。しかし、テラー博士失踪の背景にイタリアを拠点とする大企業ヴィンチグエラの存在が浮上する。彼らの正体は国際的な犯罪組織で、誘拐したテラー博士に核兵器を開発させているらしい。このままでは世界のパワーバランスが崩れてしまう。そこで、本来なら宿敵同士であるアメリカのCIAとソ連のKGBがタッグを組み、「共通の敵」であるヴィンチグエラからテラー博士と研究データを奪回することを計画。ソロが上司サンダース(ジャレッド・ハリス)から紹介されたミッション遂行の相棒は、彼とギャビーの東ベルリン脱出を邪魔しようとしたKGBスパイ、イリヤ・クリヤキン(アーミー・ハマー)だった。 クリヤキンとギャビーがソ連の建築家とその妻、ソロがアメリカの古美術品ディーラーに扮してローマへ向かうことに。ヴィンチグエラの創立50周年記念パーティへ潜入した彼らは、そこで社長夫妻アレクサンダー(ルカ・カルヴァーニ)とヴィクトリア(エリザベス・デビッキ)、同社の幹部であるギャビーの伯父ルディ(シルヴェスター・グロート)と接触する。クリヤキンとギャビーはルカを通して、ソロは組織の実権を握る美しき悪女ヴィクトリアを通して、テラー博士と核兵器開発の情報を得ようとするのだが、ある人物の裏切りによって正体がバレてしまう。そこへ助けに現れた自称石油会社役員アレキサンダー・ウェイバリー(ヒュー・グラント)の正体とは?果たして、ソロとクリヤキンはヴィンチグエラの野望を打ち砕くことが出来るのか…!? 軟派なナポレオン・ソロに硬派なイリヤ・クリヤキンというテレビ版の基本設定はそのままに、それぞれ映画版独自のバックストーリーを付け加えることでキャラクターを膨らませた本作。実はお金持ちのボンボンだったソロは、第二次大戦時に米陸軍の軍曹としてヨーロッパ戦線へ加わり、そこで培った知識と人脈を活かして美術品泥棒を繰り返していたが逮捕され、無罪放免と引き換えにCIAスパイとして当局に協力することとなった。さながらテレビ『ホワイトカラー』(‘09~’14)の天才詐欺師ニール・キャフリーである。そういえば、演じるヘンリー・カヴィルもマット・ボマーとなんとなく似ている。一方のクリヤキンはスターリンの腹心だった最愛の父親が汚職で粛清されたという暗い過去を持ち、そのトラウマのせいで暴力衝動を抱えているという設定。テレビ版のクリヤキンはクールで真面目な人物だったが、映画版ではマッチョな男臭さが加味され、ソロとの差別化が明確に図られている。それは2人の見た目の印象も同様。ブランド物の高級スーツで全身を固めたお洒落なソロに対し、クリヤキンの服装はシンプルかつカジュアルで無骨。それすなわち、米ソのステレオタイプ的な男性像のカリカチュアとも言えよう。 やはり本作で最も目を引くのは、’60年代のヨーロッパの街並みや風俗・ファッションを細部まで丹念に再現した華やかなビジュアルであろう。過去の時代の忠実な再現はハリウッド映画の最も得意とするところだが、本作はその中でも別格の仕上がり。イタリアのロケ・シーンではフェリーニの『甘い生活』(’60)を参考にしたそうだが、第二次世界大戦終結から20年近くを経て高度経済成長を達成したヨーロッパの豊かさと活気がスクリーンの隅々に漲っている。女優陣のゴージャスでモダンなファッションやメイクも鮮やかだ。ナポリの倉庫で発見したものを修繕したというヴァルトブルクをはじめ、’60年代当時のクラシックカーも大挙して登場。厳密に言うと時代考証的なツッコミどころは少なくないものの、あくまでも「我々がイメージする’60年代の再現」としては申し分のない完成度である。 興味深いのは、全体的な印象として『0011ナポレオン・ソロ』というよりも、ジェームズ・ボンド映画に影響された『サイレンサー』シリーズや『ディック・マロイ』シリーズなどの亜流スパイ映画のノリに近いという点であろう。大のスパイ映画マニアだというガイ・リッチー監督だけあって、当時のお洒落で荒唐無稽で楽しい大人向けB級スパイ映画の魅力を知り尽くしているように見受けられる。ジャズからR&B、カンツォーネに至るまで懐メロ満載のBGMも最高。ペッピーノ・ガリアルディの『ガラスの部屋』なんか、’67年のヒット曲なので時代設定は間違っているものの、使い方が実に巧いので許せてしまう。エンニオ・モリコーネやステルヴィオ・チプリアーニのマカロニサウンドの使用はタランティーノっぽいセンスだし、そうした古典的なサウンドと混在しても全く違和感のない、ダニエル・ペンバートンによるグルーヴィでスウィンギンなオリジナル・スコアもカッコいい。60’sカルチャーのマニアとしては大満足の一本である。■ 『コードネーム U.N.C.L.E.』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2021.08.11
ピーター・ジャクソンが製作を手掛けたスチームパンクなアドベンチャー大作『移動都市/モータル・エンジン』
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『ホビット』シリーズの製作チームが再集結したスチームパンク系のファンタジー・アドベンチャーである。原作はイギリスのSF作家&イラストレーターのフィリップ・リーヴが発表した小説「移動都市」4部作の第1弾『移動都市』。荒野を移動する巨大都市が小さな都市を捕食し、さらに巨大化していくという独創的なコンセプトのもと、争いに明け暮れる弱肉強食の世界で自由と共存を求める反逆者たちの物語を描く。 人物関係や設定が複雑に入り組んだ作品ゆえ、本稿ではなるべく全体像が掴みやすくなるよう、背景を含めたストーリーをかみ砕きながら説明していこう。なお、一部ネタバレが含まれているため、なるべく本編鑑賞後にお読み頂きたい。 巨大移動都市が荒野を駆け巡る西方捕食時代の物語 舞台は遠い未来のこと。高度に発達した人類の文明は、2118年に起きた「60分戦争」によって滅亡。生き残った人々の多くはノマド(放浪民)となり、エンジンと車輪を用いた都市を形成して移動するようになる。これが「偉大なる西方捕食時代」の幕開け。人類の文明はハイテクからアナログへと後退し、人々は限りある食料やエネルギーを奪い合い、弱者は狩られて強者は勢力を拡大していった。 それからおよそ1600年後、かつてヨーロッパだった広大な荒野を支配し、小さな都市を次々と捕食していくのは巨大移動都市ロンドン。彼らは捕食した都市の資源を再利用し、そこに暮らしていた人々を奴隷化することで、さらに大きく成長し続けていた。ロンドンの内部は7つの層で構成されており、階層を上がるごとに住民の生活も豊かになっていく。いわば未来の新階級制度だ。最上層では特権階級の人々が暮らし、セント・ポール大聖堂などの歴史的建造物がそびえ立ち、失われたハイテク文明(通称オールドテク)の遺物を展示する博物館も存在する。その博物館で働く歴史家見習いの青年が、最下層出身者のトム・ナッツワーシー(ロバート・シーアン)だ。 そんなある日、逃げ遅れた小さな採掘都市がロンドンに捕食される。そこに紛れ込んでいたのが、ロンドンの史学ギルド長ヴァレンタイン(ヒューゴ・ウィーヴィング)に復讐を誓う少女ヘスター・ショウ(ヘラ・ヒルマー)だ。ロンドンの人々から尊敬される博識な歴史学者で、今やロンドン市長(パトリック・マラハイド)に次ぐナンバー2の権力を持つヴァレンタインだったが、実は他人に知られてはならない裏の顔と暗い過去があった。 かつて同じ考古学者仲間のパンドラ・ショウ(カレン・ピストリアス)と深く愛し合い、小さな島で一緒に暮らしていたヴァレンタインだったが、ある時パンドラが発見した「あるもの」を巡って激しい口論となる。いずれ捕食する都市がなくなれば西方捕食時代も終わりを告げるだろう。来るべき新たな時代を切り拓くため、ヴァレンタインはその「あるもの」を必要としたのだが、しかしパンドラは彼の考え方を危険視する。激しく抵抗するパンドラを躊躇せず殺害し、「あるもの」を強引に奪い取ったヴァレンタイン。その光景を目撃したのが、当時まだ8歳だったパンドラの娘へスターだったのである。 ロンドンの最下層へ降りてきたヴァレンタインを発見したヘスターは、迷うことなく宿敵である彼に襲いかかる。ところが、たまたまその場に居合わせたトムが、尊敬するヴァレンタインを守ろうとヘスターを制止し、逃走する彼女の後を追いかける。何も事情を知らないトムに「ヴァレンタインは私の母親を殺した」と告げ、外の世界へと逃げ去るヘスター。すると、トムに秘密を知られたことに気付いたヴァレンタインは、命の恩人である若者を無情にもロンドンの外へと突き落とす。 広大な荒野に2人だけ残されたヘスターとトム。厳しい世界を生き抜いてきたヘスターは、世間知らずでお人好しなトムを最初は足手まといに感じるが、しかし実直で正義感の強い彼の人柄に心を開いていく。なにより、トムもまた幼い頃に親を失っていた。やがて、人身売買組織に捕らえられて競売にかけられる2人。そこへ救出に現れたのが、反移動都市同盟のリーダー、アナ・ファン(ジヘ)だった。 反移動都市同盟とは、「60分戦争」の後でノマドの生活を選ばなかった人々の末裔。「楯の壁」と呼ばれる巨大な防壁を守り、その向こうに広がる自然豊かな静止都市シャングオを拠点とする彼らは、自由と共存と平和の理念を掲げており、それゆえ弱肉強食と争いの象徴である巨大移動都市ロンドンに抵抗していたのだ。真っ赤な飛行船ジェニー・ハニヴァー号に乗って大空を駆け巡るリーダーのアナ・ファンは、実はヘスターの母親パンドラの古い友人だった。卓越した戦闘能力を駆使して、ヘスターとトムを救い出すアナ。すると、今度はヘスターを執拗に追いかけるストーカー(復活者)のシュライク(スティーブン・ラング)が出現する。 ストーカー(復活者)とは、何百年も前に人類が開発した人間と機械のハイブリッド。人間だった頃の記憶も感情も心臓も持たない彼らは、人間を狩り殺すことを目的に作られた。その最後の生き残りがシュライクなのだが、実は母親を殺されて行き倒れになった幼い頃のヘスターを発見し、まるで拾った人形を愛でるようにして育ったのが彼だったのだ。この世に絶望した少女時代のヘスターは、自分も手術を受けてシュライクのように記憶や感情を持たぬ機械人間になることを約束。ところが、ロンドンがすぐ近くに接近したことを知った彼女は、ヴァレンタインに復讐を果たすためシュライクとの約束を破ったのだ。これに激怒した彼は、裏切り者を抹殺するべくヘスターを追いかけてきたのである。 その頃、トムと親しかったヴァレンタインの娘キャサリン(レイラ・ジョージ)は、父親が何かを隠していることに気付き始めていた。トムの親友ベヴィス(ロナン・ラフテリー)から、父親がトムを外へ突き落したことを聞いて大きなショックを受けるキャサリン。ヴァレンタインが一部の部下たちを抱き込み、セント・ポール大聖堂の中で極秘プロジェクトを進めていることを知った彼女は、ベヴィスと共に事実を確かめるべく内部へ潜入する。そこで彼らが見たのは、かつてパンドラが発見した「あるもの」を利用して作られた巨大装置。実は、「あるもの」とはコンピューターの心臓部で、ヴァレンタインが作り上げた巨大装置の正体は、かつて人類を「60分戦争」で破滅へ追いやった量子エネルギー兵器メドゥーサだったのだ。 人類は「戦争」という過ちを再び繰り返さぬよう、ハイテク技術を捨て去ったはずだった。しかし、資源の枯渇で西方捕食時代が終わりを迎えることを予見したヴァレンタインは、「楯の壁」を破壊して静止都市シャングオを侵略するべく、メデューサを用いて戦争を仕掛けようと画策していたのだ。その頃、ヴァレンタインの計略に気付いて「楯の壁」の防御を固める反移動都市同盟とヘスター、トムたち。果たして、彼らは迫りくる戦争の危機を阻止することが出来るのか…? VFX工房WETAデジタルの底力を感じさせる圧巻のビジュアル 歴史学者が過去の歴史から学ぶことを放棄し、いわば「自国ファースト」の大義名分のもと、限りある資源を略奪するために愚かな戦争へ突き進んでいく。原作小説が出版されたのは’01年のことだが、しかし’18年製作の映画版自体は明らかにトランプ時代以降の、各地で全体主義と民族主義が台頭する世界情勢を念頭に置いているように思われる。かつてドイツのナチズムや日本の軍国主義がどんな結果を招いたのかを忘れ、世界は再び同じような過ちを繰り返そうとしているのではないか。いつの時代にも通用する戦争への警鐘を含みつつ、そうした現代社会へ対する危機感が作品の根底に流れているように感じられる。 もともと映画版の企画がスタートしたのは’05年頃のこと。しかし陣頭指揮を執るピーター・ジャクソン監督が『ホビット』三部作の制作に取り掛かったため、『移動都市』の映画化企画はいったん中断することとなってしまう。再開したのは’14年に最終章『ホビット 決戦のゆくえ』が劇場公開されてから。長年のパートナーであるフラン・ウォルシュやフィリッパ・ボウエンと脚本の執筆に着手したジャクソンは、自身の長編処女作『バッド・テイスト』(’87)からの付き合いである特殊効果マン、クリスチャン・リヴァーズに演出を任せることにする。 ジャクソン監督の『キング・コング』(’05)でアカデミー賞の視覚効果賞を獲得したリヴァーズは、その傍らで『ホビット』シリーズでは助監督を、『ピートと秘密の友達』(’16)では第2班監督を務めており、映画監督としての素地は既に出来上がっていた。そんな彼に以前から監督として独り立ちするチャンスを与えようと考えていたというジャクソンだが、しかし最大の理由は「クリスチャンが監督してくれれば、僕は観客として楽しむことが出来るから」だったそうだ(笑)。 ロケ地は多くのピーター・ジャクソン監督作品と同じく母国ニュージーランド。原作本と同じくヴィクトリア朝時代のスチームパンクをコンセプトとした美術デザインは素晴らしく、デジタルの3Dモデルとフィジカルな実物大&縮小セットを駆使して作り上げられた巨大移動都市ロンドンや空中都市エアヘイヴンなどのビジュアルも壮観!ジャクソンが設立したVFX工房WETAデジタルの底力がひしひしと感じられる。残念ながら劇場公開時は興行的に奮わなかったものの、恐らくそれは先述したような人物関係や設定の複雑さが原因だったように思う。是非とも2度、3度と繰り返しての鑑賞をお勧めする。きっとストーリー以外にも様々な発見があるはずだ。■ 『移動都市/モータル・エンジン』© 2018 MRC II Distribution Company L.P. and Universal City Studios Production LLLP. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.08.04
中国伝統の水墨画をモチーフにしたチャン・イーモウ監督の傑作武侠アクション『SHADOW/影武者』
巨匠にとって名誉挽回のチャンスだった…? 中国映画界の巨匠チャン・イーモウが放った武侠アクション映画の傑作である。処女作『紅いコーリャン』(’87)でベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得して以来、数々の名作で世界中の映画祭を席巻してきたチャン・イーモウ。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞と女優賞(コン・リー)に輝いた『秋菊の物語』(’92)や、チャン・ツィイーを一躍トップスターへと押し上げた『初恋のきた道』(’99)など、チャン・イーモウ監督といえば中国の田舎を舞台にした素朴でノスタルジックな作品を思い浮かべる映画ファンも多いと思うが、しかしカンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞した『活きる』(’94)や『妻への家路』(’14)では中国の近代史をヒューマニズムたっぷりに振り返り、『キープ・クール』(’97)や『至福のとき』(’00)では変わりゆく現代中国を独自の視点で見つめるなど、実のところ30年以上に渡る長いキャリアで多彩な作品群を手掛けてきた。 中でもチャン・イーモウ監督作品のイメージを大きく変えたのが、大胆なワイヤー・アクションと鮮烈な色彩の洪水が圧倒的だった武侠アクション映画『HERO』(’02)と『LOVERS』(’04)。ハリウッド映画にも負けないエンタメ性と中国の伝統文化に根差す芸術性を兼ね備えた両作は、従来のファンからは賛否両論ありつつも、映像作家として同監督の懐の深さを広く知らしめたと言えよう。 しかしその一方で、本格的なハリウッド進出作となった米中合作『グレート・ウォール』(’16)は、巨額の製作費を投じただけの空虚なB級モンスター映画となってしまい、「チャン・イーモウよ、一体どうしてしまった!?」と悪い意味で驚愕させられた。7500万ドルの赤字を出したとも言われる同作は、中国国内の映画レビューサイトでも低評価を受けて物議を醸すことに。その輝かしいキャリアに大きなミソを付ける形となったわけだが、そんなチャン・イーモウ監督が見事に汚名を挽回した会心の作が、久々の武侠アクション映画となったこの『SHADOW/影武者』(’18)である。 策士たちの思惑に翻弄される影武者の運命とは? ※下記あらすじにおける()内の平仮名は漢字の読み、カタカナは俳優の名前 時は戦国時代。度重なる戦や権力抗争で命の危険に晒された王侯貴族は、密かに「影」と呼ばれる身代わりを仕立てていた。影たちは命を懸けて主君に仕えたものの、しかしその存在が歴史の記録に残されることはなかった。これはそんな時代に生きた影武者の物語。中国南部に位置する弱小の沛(ぺい)国は、強大な炎国に領土の一部・境(じん)州を奪われながらも、その屈辱に甘んじて休戦同盟を結んだ。 それから20年後、境州の奪還を強く主張する沛国の重臣・都督(ダン・チャオ)は、境州を統治する炎国の楊(やん)将軍(フー・ジュン)に独断で決闘を申し込み、あくまでも現状維持を望む享楽的な若き国王(チェン・カイ)の逆鱗に触れる。とはいえ、相手は民衆からも宮廷内からも人望が厚い英雄・都督。さすがの国王でもぞんざいに扱うことは出来ない。そのため、国王は琴の名手でもある都督と妻・小艾(しゃおあい/スン・リー)に演奏を命じてお茶を濁そうとするが、しかし都督は「境州を取り戻すまで琴は弾かない」と頑なに断るのだった。 というのも、実は国王の目の前にいる都督は影武者だったのである。8歳の時に母と生き別れ、彷徨っているところを都督の叔父に拾われた彼は、たまたま都督と瓜二つだったことから影武者として育てられたのだった。1年前に受けた刀傷が原因で病を患ってしまった都督は、その事実を隠すために自らは屋敷の秘密扉から通じる地下洞窟へ身を隠し、その代わりに影武者を立てて周囲を欺いていたのである。この事実を知っているのは、都督と影武者そして妻・小艾の3人だけだった。 都督の描いた筋書き通りに動く影武者は、国王に自らを厳罰に処するように求め、官職を剝奪されると「一介の民」であることを理由に楊将軍との決闘へ赴くことを宣言する。これはあくまでも私と楊将軍との問題であり、国王も沛国も関係ないというわけだ。しかし、都督は楊将軍との決闘を口実に敵陣へ攻め入り、境州を奪還して自らが沛国の王となることを画策していた。そのために100人もの囚人たちを軍隊として鍛え、小艾のアイディアによって傘の戦術を編み出す。これは鋼で作られた鋭利な傘を武器に、女体のごとき柔らかな動きで楊将軍や炎国軍の豪快な剣術に対抗しようというのだ。 しかしその一方で、都督の動きをけん制するように国王も動き始めていた。楊将軍に使者を遣わした国王は、実の妹・青萍(ちんぴん/クアン・シャオトン)と将軍の息子・平(ぴん/レオ・ウー)を政略結婚させ、両国の休戦同盟をより強固なものにしようとする。ところが、相手方からの返答は「姫を側室に迎える」という屈辱的なものだった。それでも国益のため受け入れようと考える国王。だが、その裏にはうつけものを装った国王の狡猾な策略があった。かくして迎えた決戦の時。炎国の大軍が待ち受ける境州の関所へ向かった影武者だったが…? 手作りの職人技にこだわった圧倒的な映像美 真っ先に目を奪われるのは、まるで中国の伝統的な水墨画の世界を思わせるスタイリッシュなモノクロの世界。しかもこれ、モノクロで撮影されているわけではなく、美術セットから衣装まで全て白と黒のモノトーンで染め上げられているのだ。赤を基調とした初期の「紅三部作」を筆頭に、鮮やかな色彩を効果的に使ってきたチャン・イーモウ監督だが、本作はまさしく逆転の発想。しかも、この作品全体を統一する白と黒の対比は、そのままストーリーの光と影、登場人物たちの表と裏、そして都督と影武者の主従関係を象徴するメタファーとなっている。この野心的かつ革新的な映像美だけを取っても、チャン・イーモウ監督の本作に賭ける意気込みや覚悟のようなものが如実に伝わってくることだろう。 さらに、監督は劇中で使用する衣装や小道具など全てにおいて、中国の素材を使って中国の職人が手作業で作り上げる「職人技への回帰」を標榜。デザインに関しても「中国の伝統」に徹底してこだわり、韓国や日本を感じさせるような要素は全て排除されたという。中でも、兵士たちの鎧や甲冑、鋼の刃を仕込んだ傘などのデザインのカッコ良さにはゾクゾクとさせられる。 もちろん、その傘を使用した終盤の大規模な合戦アクションも素晴らしい。雨の降りしきる中、敵陣の町へと潜入した100名の囚人部隊が、グルグルと回る傘で身を守りながら坂道を滑り降り、周辺を取り囲む敵軍に刃を飛ばしていくシーンは、過去のどんな映画でも見たことのないような奇策に思わず興奮してしまう。よくぞ考え付いたもんですよ。楊将軍との対決で影武者が披露する、ダンスのように華麗な武術技もお見事。ワイヤーやCGなどをなるべく使わず、リアリズムにこだわったスタントは「本物」ならではの迫力と緊張感だ。実際、撮影に使用された特製の傘は切れ味が鋭く、一歩間違えば大怪我をする可能性もあったという。ある意味、俳優やスタントマンも命がけだったのである。 ちなみに、本作の元ネタとなったのは『三国志』に出てくる荊州争奪戦。製作総指揮を務めるエレン・エリアソフがチャン・イーモウ監督に持ち込んだオリジナル脚本は、『三国志』をかなり忠実に脚色した内容だったそうだが、しかしチャン監督はそのままではつまらないと考え、以前から興味を持っていた「影武者」をテーマに大胆なアレンジを施した。ロケ地には荊州と同じ中国南部の湖北省をチョイス。これまでの『三国志』の映像化作品は、荊州争奪戦を北部の乾燥した地域で撮影することが多く、雨や霧の多い荊州とは全く環境が異なっていたからだ。これまたチャン監督が目指したリアリズムのひとつ。終盤の舞台となる町の巨大セットは6ヶ月かけて建設され、沛国の囚人部隊が水中へ潜って敵陣へ乗り込むシーンでは、375トンの水を張った巨大プールが用意されたという。撮影チームは総勢1000人近く。紛うことなき超大作だ。 主人公の影武者と都督をひとりで演じ分けたのが、チャウ・シンチー監督の『人魚姫』(’16)にも主演した中国のトップ俳優ダン・チャオ。これまでアクション映画の経験があまりなかった彼は、およそ2ヶ月に渡る筋トレと食事で体重を72kgから83kgへと増やし、筋骨隆々とした肉体を作り上げたという。そのうえで1日6時間のアクション・トレーニングを4か月間続け、まずは先に影武者のシーンを撮影した。それが終わると今度は、食事制限によるダイエットを行い、5週間で体重を20kg落とすことに成功。病で肉体の衰えた都督を演じたわけだが、ダン自身も過度なダイエットのせいで体力が減退してしまい、撮影中にたびたび低血糖で倒れてしまったらしい。まさしくデ・ニーロやクリスチャン・ベールも真っ青のメソッド・アクティング。しかも都督に瓜二つの顔をした影武者と、別人のように老け込んでしまった都督を、一人二役で演じるというややこしさ。これだけの難役を、よくぞこなしたものだと感心する。 なお、本作は台湾の映画賞・金馬奨で最優秀監督賞や最優秀美術賞など4部門を獲得し、ジャンル系映画の殿堂サターン賞でも最優秀国際映画賞など4部門にノミネート。これによって、チャン・イーモウ監督は『グレート・ウォール』で傾きかけた信頼と名声を取り戻すことに成功した。■ 『SHADOW/影武者』© 2018 Perfect Village Entertainment HK Limited Le Vision Pictures (Beijing) Co.,LTD Shanghai Tencent Pictures Culture Media Company Limited ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2021.07.06
ABBAのエバーグリーンな名曲に彩られた大ヒット・ミュージカル映画『マンマ・ミーア!』
世界中のファンを虜にした4人組ABBAとは? スウェーデン出身の世界的なポップ・グループ、ABBAの名曲に乗せて綴られる、悲喜こもごもの母親と娘の愛情物語。クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」やエルトン・ジョンの「ロケットマン」、エルヴィス・プレスリーの「オール・シュック・アップ」などなど、有名アーティストのヒット曲を散りばめたジュークボックス・ミュージカルは、’00年代以降のロンドンやニューヨークで一躍トレンドとなり、今やミュージカル界の定番ジャンルとして市民権を得た感があるが、その火付け役となったのが1999年4月にロンドンのウエスト・エンドで開幕したABBAのミュージカル「マンマ・ミーア!」だった。 ご存知、1970~’80年代初頭にかけて、文字通り世界中で一世風靡した男女4人組ABBA。代表曲「ダンシング・クイーン」や「ザ・ウィナー」などを筆頭に、数多くのキャッチーなポップ・ナンバーを各国のヒットチャートへ送り込み、’60年代のビートルズと比較されるほどの社会現象を巻き起こした。ソビエト連邦やポーランドなど、冷戦時代に鉄のカーテンの向こう側でもブームを呼んだ西側のポップスターは、後にも先にもABBAだけだろう。メンバーは全ての作詞・作曲・プロデュースと演奏を担当する男性メンバー、ビョルン・ウルヴァースとベニー・アンデション、そして卓越した歌唱力でボーカルを担当する女性メンバー、アグネッタ(正確な発音はアンニェッタ)・ファルツコッグとアンニ=フリッド・リングスタッド(愛称フリーダ)。アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダがそれぞれカップルで、4人の名前の頭文字を並べてABBAと名付けられた。 メンバーはいずれもABBA結成以前から地元スウェーデンでは有名なスター。ベニーは’60年代に「スウェーデンのビートルズ」と呼ばれたスーパー・ロックバンド、ヘップスターズの中核メンバーで、ビョルンは人気フォークバンド、フーテナニー・シンガーズのリードボーカリストだった。お互いのバンドのライブツアー中に公演先で知り合い意気投合した彼らは、ソングライター・コンビとして様々なアーティストに楽曲を提供するようになる。一方、アグネッタは’67年に17歳でデビューし、当時としては珍しい作詞・作曲もこなす女性歌手としてナンバーワン・ヒットを次々と放った美少女アイドル、フリーダもスウェーデンの音楽番組で活躍する本格的なジャズ・シンガーだった。つまり、どちらも今で言うところのセレブカップルだったのである。 ただし、もともと彼らにはグループとして活動するという意思はなかった。’70年頃からお互いのプロジェクトで協力し合うようになった彼らは、1回きりのつもりで’72年に4人揃ってレコーディングしたシングルを発表。これが予想以上の好評を博したことから、後にクインシー・ジョーンズをして「世界屈指の商売人」と言わしめた所属レコード会社社長スティッグ・アンダーソンが、彼らをABBAとして世界へ売り出すことにしたのである。’74年にシングル「恋のウォータールー」がユーロビジョン・ソングコンテストで優勝したことを契機に人気は爆発。ボルボと並ぶスウェーデン最大の輸出品とも呼ばれ、音源の著作権管理する音楽事務所ポーラー・ミュージックおよびユニバーサル・ミュージクの公式発表によると、これまでに全世界で3億8500万枚のレコード・セールスを記録。’82年に活動を休止して40年近くが経つものの、いまだに年間100万枚以上を売り上げているという。 「マンマ・ミーア!」への長い道のり そんなABBAとミュージカルの関係は意外と古い。どちらも幼い頃から伝統的なスウェディッシュ・フォークに慣れ親しんで育ち、10代後半でビートルズやフィル・スペクター、ビーチボーイズに多大な影響を受けたビョルンとベニー。若い頃の彼らにとってミュージカルは時代遅れの文化に過ぎなかったが、そんな2人の認識を変えたのが’72年にスウェーデンでも上演されたロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」(奇しくもマグダラのマリア役を演じたのはアグネッタ)だった。僕らもいつかはああいうミュージカルを作ってみたい。そう考えた彼らは、’77年に発表した5枚目のアルバム「ジ・アルバム」に“黄金の髪の少女”というミニ・ミュージカルを収録。やがて音楽的な成熟期を迎えたABBAは、’80年代に入るとアルバム「スーパー・トゥルーパー」や「ザ・ヴィジターズ」でトレンディなポップスの枠に収まらないミュージカル的な楽曲にも取り組んでいく。 一方その頃、「ジーザス・クライスト・スーパースター」や「エビータ」などのミュージカルで知られる脚本家ティム・ライスは、’70年代から温めてきた冷戦をテーマにした新作の企画を実現するため、当時「キャッツ」にかかりきりだった盟友アンドリュー・ロイド・ウェッバーに代わる作曲パートナーを探していた。そこで知人の音楽プロモーターから紹介されたのが、ABBAの活動に一区切りをつけてミュージカル制作に意欲を燃やしていたビョルンとベニー。この出会いから誕生したのが、全英チャート1位に輝く「アイ・ノー・ヒム・ソー・ウェル」や「ワン・ナイト・イン・バンコック」などの大ヒット曲を生んだ名作ミュージカル「チェス」だった。’86年から始まったロンドン公演もロングラン・ヒットとなり、ミュージカル・コンポーザーとして幸先の良いスタートを切ったかに思えたビョルンとベニーだったが、しかし演出や曲目を変えた’88年のブロードウェイ版がコケてしまう。今なおミュージカル・ファンの間で愛されている「チェス」だが、ビョルンとベニーにとっては少なからず悔いの残る結果となった。 その後、ビョルンとベニーはスウェーデンの国民的作家ヴィルヘルム・ムーベリの大河小説「移民」シリーズを舞台化したミュージカル「Kristina from Duvemåla(ドゥヴェモーラ出身のクリスティーナ)」を’95年に発表。本格的なスウェディッシュ・フォークを下敷きにしたこの作品は、地元スウェーデンでは大絶賛され、4年間に渡って上演されたものの、ロンドンやニューヨークでは英語バージョンがコンサート形式で演奏されたのみ。ミュージカルの本場への正式な上陸には至っていない。 こうして、ビョルンとベニーがミュージカル作家として地道に経験を積み重ねている頃、ABBAのヒット曲を基にしてミュージカルを作ろうと考える人物が現れる。それが、ティム・ライスのアシスタントだった女性ジュディ・クレイマーだ。もともとパンクキッズだったジュディは、ティム・ライスのもとで「チェス」の制作に携わったことから、それまで食わず嫌いだったABBAの音楽を聴いてたちまち夢中になる。そこで彼女は、’83年にフランスで放送されたABBAのテレビ用ミュージカル映画「Abbacadabra」を英語リメイクしようと思い立つ。そう、「マンマ・ミーア!」以前にアバのヒット曲を基にしたジュークボックス・ミュージカルが既に存在したのである。フレンチ・ミュージカルの傑作「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」の脚本家で、フランスにおけるABBAの著作権管理者でもあったアラン・ブーブリルが企画し、ビョルンとベニーの2人はノータッチだった「Abbacadabra」は予想以上の好評を博し、その年のクリスマスにはロンドンでの舞台公演も実現。しかし、ブーブリルの許可が下りなかったため、英語版テレビ映画リメイクの企画は頓挫してしまう。 こうなったら自分で新たなABBAのミュージカルをプロデュースするしかない。そう考えたジュディは、「チェス」を介して親しくなったビョルンとベニーを根気よく説得し、ようやく「良い脚本があれば反対しない」とのお墨付きを得る。そこで彼女は新進気鋭の戯曲家キャサリン・ジョンソンに声をかけ、共同でミュージカルの制作に取り掛かった。最初にジュディが決めたルールは、ビョルンが書いた原曲の歌詞を変えないこと、共通のテーマを見つけて物語を構築していくこと、そして有名無名に関係なくストーリー重視で楽曲を選ぶこと。さらに、当時イギリス演劇界で高い評価を得ていたフィリダ・ロイドを監督に抜擢したジュディは、フィリダを伴ってストックホルムのビョルンとベニーのもとをプレゼンに訪れ、遂にミュージカル「マンマ・ミーア!」のゴーサインを正式に得ることに成功したのだ。 先述した通り、1999年4月にロンドンで開幕した「マンマ・ミーア!」は、ウエスト・エンド史上7番目となるロングラン記録を更新中。新型コロナ禍のため’20年3月に上演中止となったものの、’21年8月より再開される予定だ。また、ニューヨークのブロードウェイでは’01年10月から’15年9月まで14年間に渡って上演され、ブロードウェイ史上9番目のロングランヒットを達成した。そのほか、日本や韓国、ドイツ、フランス、ブラジルなど世界50か国以上で翻訳上演されている。’92年に発売されたベスト盤「ABBA Gold」の大ヒットに端を発する、’90年代のABBAリバイバル・ブームも追い風となったのだろう。筆者もホテル「マンダレイ・ベイ」で行われたラスベガス公演を見たが、ステージと客席が一体となってABBAのヒット曲を大合唱するフィナーレは感動ものだった。 一流の豪華キャストが揃った映画版シリーズ もはや、21世紀を代表する名作ミュージカルの仲間入りを果たしたといっても過言ではない「マンマ・ミーア!」。映画化の企画が立ち上がるのも時間の問題だったと言えよう。監督にフィリダ・ロイド、製作にジュディ・クレイマー、脚色にキャサリン・ジョンソンと、舞台版の立役者たちが勢揃いした映画版『マンマ・ミーア!』(’08)。もちろんミュージカル・ナンバーのプロデュースはビョルンとベニーの2人が担当し、演奏にはABBAのレコーディングに携わったスタジオ・ミュージシャンたちも参加している。 物語の舞台はギリシャの風光明媚な小さい島。ここでホテルを経営する女性ドナ(メリル・ストリープ)は、女手ひとつで育てた娘ソフィ(アマンダ・サイフリッド)の結婚式を控えて大忙し。ところが、その結婚式の前日、招いた覚えのないドナの元カレ3人が島へとやって来る。アメリカ人の建築家サム(ピアース・ブロスナン)にイギリス人の銀行家ハリー(コリン・ファース)、そしてスウェーデン人の紀行作家ビル(ステラン・スカルスガルド)。実は、彼らを結婚式に招待したのはソフィだった。母親の日記を読んで3人の存在を知ったソフィは、彼らの中の誰かが自分の父親ではないかと考えたのである。予期せぬ事態に大わらわのドナ。果たして、3人の男性の中にソフィの父親はいるのだろうか…? シンプルでセンチメンタルで明朗快活なストーリーは、基本的に舞台版そのまま。それゆえに映画としての広がりに欠ける印象は否めないものの、その弱点を補って余りあるのが豪華キャスト陣による素晴らしいパフォーマンスと、誰もが一度聞いただけで口ずさめるABBAの名曲の数々であろう。中でも、メリル・ストリープの堂々たるミュージカル演技は見事なもの。オペラを学んだ下地やブロードウェイでミュージカルの経験もあることは知っていたが、しかしここまで歌える人だとは失礼ながら思わなかった。名曲「ザ・ウィナー」では、オリジナルのアグネッタにも引けを取らない熱唱を披露。親友役ジュリー・ウォルターズやクリスティーン・バランスキーとの相性も抜群だ。劇中に使用される楽曲も、ABBAの代表曲をほぼ網羅。舞台設定に合わせたギリシャ民謡風のアレンジもお洒落だ。 ちなみに、実はこの『マンマ・ミーア!』によく似た設定のハリウッド映画が存在する。それが、大女優ジーナ・ロロブリジーダ主演のロマンティック・コメディ『想い出よ、今晩は!』(’68)。こちらの舞台は南イタリアの美しい村。女手ひとつで娘を育てた女性カルラは、終戦20周年を記念する村のイベントを控えて気が気じゃない。というのも、かつて村に駐留していた米軍兵たちが招待されているのだが、その中に娘の父親である可能性の高い男性が3人もいたのだ…というお話。『マンマ・ミーア』と違って、こちらはドタバタのセックス・コメディなのだが、しかし南欧に暮らす母娘の前に3人の父親候補が現れるという基本設定はソックリ。キャサリン・ジョンソンとジュディ・クレイマーが本作を参考にしたのかは定かでないものの、単なる偶然とはちょっと考えにくいだろう。 閑話休題。全世界で6億5000万ドル近くを売り上げ、年間興行収入ランキングでも5位というメガヒットを記録した映画版『マンマ・ミーア!』。この予想以上の大成功を受けて製作されたのが、映画版オリジナル・ストーリーの続編『マンマ・ミーア!ヒア・ウィ・ゴー』(‘18)である。物語は前作から数年後。既に他界した母親ドナ(メリル・ストリープ)の念願だったホテルの改修工事を終えたソフィ(アマンダ・サイフリッド)は、リニューアル・オープン式典の準備に追われているが、その一方で遠く離れたニューヨークで仕事をする夫スカイ(ドミニク・クーパー)との仲はすれ違い気味。そんなソフィの迷いや葛藤と並行しながら、若き日のドナ(リリー・ジェームズ)と3人の恋人たちの青春ロマンスが描かれていく。 舞台版ミュージカルの映画化という出自が少なからず足枷となった前作に対し、新たに脚本を書きおろした本作は時間や空間の制約から解き放たれたこともあり、前作以上にミュージカル映画としての魅力を発揮している。しかも、今回はABBAファンに人気の高い隠れた名曲を中心にセレクトされており、これが驚くほどエモーショナルにストーリーの感動を高めてくれるのだ。どれをカットしてもシングルとして通用するようなアルバム作りをモットーとしていたABBA時代のビョルンとベニー。熱心なファンであればご存じの通り、ABBAはアルバム曲やB面ソングも珠玉の名曲がズラリと揃っている。さしずめ本作などはその証拠と言えるだろう。中でも、子供を出産したソフィと亡き母親ドナの精霊の想いが交差する「マイ・ラヴ、マイ・ライフ」は大号泣すること必至!改めてABBAの偉大さを実感させられる一本に仕上がっている。 なお、プロデューサーのジュディ・クレイマーによると、シリーズ3作目の企画が進行中とのこと。’21年内に発表される予定のABBAの39年振りとなる新曲も使用されるという。公開時期などまだ未定だが、期待して完成を待ちたい。■ 『マンマ・ミーア!』© 2008 Universal Studios. All Rights Reserved.『マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー』© 2018 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.06.30
憧れの古き良き’50年代を再現した青春ミュージカル映画の傑作『グリース』
誕生の背景には’70年代のレトロ・ブームが? ハリウッド映画の伝統的な王道ジャンルといえば西部劇とミュージカル。中でも、ブロードウェイ出身の一流スターたちによる華麗な歌とダンスを配し、熟練した職人スタッフによって夢のような映像世界を作り上げたミュージカル映画の数々は、世界に冠たる映画の都ハリウッドの独壇場だったと言えるだろう。そもそも史上初の長編トーキー映画『ジャズ・シンガー』(’27)からしてミュージカル。初期の作品群こそ単なるレビューショーに過ぎないものが多かったが、しかし天才演出家バスビー・バークレイの登場でミュージカル映画は一気に芸術の域へと達し、フレッド・アステアやジンジャー・ロジャース、ジュディ・ガーランドにジーン・ケリーといったキラ星の如きスターたちの活躍によって、ミュージカルはハリウッド映画の代名詞ともなっていく。 しかし、’50年代半ばにハリウッドのスタジオ・システムが崩壊すると、家内工業的な職人技術に支えられていたミュージカル映画の製作本数は激減。その代わり誕生したのが、既存のブロードウェイ・ミュージカルを巨額の予算で映像化した、『マイ・フェア・レディ』(’64)や『サウンド・オブ・ミュージック』(’65)のような大作ミュージカル映画群だった。ところが、’60年代にアメリカン・ニューシネマの時代が到来し、ハリウッド映画がリアリズム志向へと大きく舵を切ると、その対極にあるミュージカルの人気も急落。『ハロー・ドーリー!』(’69)や『ペンチャー・ワゴン』(’69)、『ラ・マンチャの男』(’72)などの大作ミュージカルが次々とコケてしまい、ハリウッドのプロデューサーたちはミュージカル映画を敬遠するようになる。 その一方で、’70年代は『ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター』(’73)や『ロッキー・ホラー・ショー』(’75)、『トミー』(’75)など、ヒッピーやロックといった当時のサブカルチャーをふんだんに盛り込んだ若者向けの新感覚ミュージカルが台頭。さらには、ケネディ大統領暗殺やベトナム戦争以前の、古き良き平和で無垢な時代のアメリカを懐かしむ青春映画『アメリカン・グラフィティ』(’73)が大ヒットし、当時の懐メロ・ヒットナンバーを詰め込んだサントラ盤レコードもベストセラーに。同じような趣向のテレビ・シリーズ『ハッピー・デイズ』(‘74~’84)や、同時代の大学生活を描いたコメディ映画『アニマル・ハウス』(’78)なども話題を集め、アメリカでは時ならぬレトロ・ブームが巻き起こる。そんな’70年代半ばのトレンドを背景に生まれたのが、全米の年間興行収入ランキングで『スーパーマン』(’78)に次ぐ第2位を記録した青春ミュージカル『グリース』(’78)だった。(ちなみに第3位は『アニマル・ハウス』) 映画化の牽引役はショービズ界の名物仕掛け人 舞台は1958年の南カリフォルニア。夏休みの旅行先で知り合った男子高校生ダニー(ジョン・トラヴォルタ)とオーストラリア人の美少女サンディ(オリヴィア・ニュートン=ジョン)は、ひと夏の淡い恋の思い出を胸に別れるのだが、しかし9月の新学期を迎えた学校で2人は思いがけず再会。母国へ帰るはずだったサンディはアメリカへ留まることとなり、ダニーの通うライデル高校へ編入して来たのだ。しかし、不良少年グループ「T・バーズ」のリーダーとして、プレスリーばりにクールなリーゼントヘアを決めたダニーは、仲間の手前もあってサンディに冷たい態度を取ってしまう。女ごときに優しくしたら男がすたるってわけだ。これにショックを受けたサンディはダニーと絶交し、アメフト部の人気者ラガーマン(無名時代のロレンツォ・ラマス!)と付き合うように。内心焦りまくったダニーが彼女の気を惹こうと行いを改める一方、不良少女リゾ(ストッカード・チャニング)の率いる女子グループ「ピンク・レディーズ」と仲良くなったサンディもまた、品行方正でお堅い優等生の殻を破ろうとする…というお話だ。 原作は1971年にシカゴで初演された同名ミュージカル。翌年にはミュージカルの本場ブロードウェイへと進出し、後に『コーラスライン』に破られるまで、ブロードウェイの最長ロングラン記録をキープするほどの大ヒットとなった。リーゼントにポニーテールにロックンロールと、’50年代末の懐かしいアメリカン・ユースカルチャーをたっぷりと盛り込み、オリジナル・ソングだけでなく劇中当時の全米ヒットチューンを散りばめた内容は、まさしく『アメリカン・グラフィティ』に端を発するレトロカルチャー・ブームの先駆け。そんな舞台版『グリース』をシカゴの初演で見て強い感銘を受けたのが、ピーター・セラーズやアン=マーグレット、ポール・アンカなどの錚々たる大物クライアントを持つ名うてのタレント・エージェントで、プロモーターとしてもヒュー・ヘフナーやトルーマン・カポーティらのスキャンダラスな話題作りを仕掛けたことで有名なアラン・カーだった。 ‘60年代末から映画の製作やプロモーションにも関わっていたカーは、ロック・ミュージカル映画『トミー』の宣伝を手掛けたことをきっかけに、同作のプロデューサー、ロバート・スティッグウッドとコンビを組むことに。もともとザ・フーやビージーズなどの音楽エージェントだったスティッグウッドは、当時テレビ・シリーズ『Welcome Back, Kotter』(‘75~’79・日本未放送)のイケメン不良高校生役でティーン・アイドルとなった若手俳優ジョン・トラヴォルタと専属契約を結び、彼を主演に3本の映画を製作することとなる。その第1弾こそが、ディスコ・ブームの黄金時代を象徴するメガヒット映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(’77)だった。これに続く作品を探していたスティッグウッドに、ビジネス・パートナーであるカーが『グリース』の映画化を進言。実は、無名時代のトラヴォルタは地方公演版『グリース』で、主人公ダニーの不良仲間ドゥーディ役を演じていたことから、あれよあれよという間に映画化が決定したのである。 そのトラヴォルタが監督として指名したのが、本作に続いてブルック・シールズ主演の青春ロマンス『青い珊瑚礁』(’80)を大ヒットさせたランダル・クレイザー。2人はトラヴォルタ主演のテレビ映画『プラスチックの中の青春』(’76)で組んで以来の大親友で、義理堅いトラヴォルタは本作でクレイザーに劇場用映画デビューのチャンスを与えたのである。相手役のサンディには、当時ポップス界のプリンセスとして人気絶頂だった歌姫オリヴィア・ニュートン=ジョン。大物歌手ヘレン・レディの自宅パーティでアラン・カーと知り合ったオリヴィアは、その際にサンディ役をオファーされたのだが、女優経験がほとんどないことからスクリーンテストを希望したという。まずはテストフィルムを撮影してみて、みんなが納得できるようであればオファーを引き受けるというわけだ。もちろん結果は合格。共演するトラヴォルタとの相性も抜群だった。 そのほか、ブロードウェイ版『グリース』でダニー役を演じたジェフ・コナウェイがダニーの親友ケニッキー、同じくブロードウェイ版で太目女子ジャンを演じたジェイミー・ドネリーが映画版でもジャンを演じるなど、舞台版『グリース』のオリジナル・キャストが大挙して脇を固めている。サンディの親友フレンチー役のディディ・コンは、デビー・ブーンの全米ナンバーワン・ヒット曲「恋するデビー」を生んだ青春映画『マイ・ソング』(‘77)の主演で注目されたばかりの女優。最も難航したキャスティングは不良少女リゾ役だったが、当時アラン・カーのクライアントだった32歳の女優ストッカード・チャニングに白羽の矢が立てられた。 主演コンビのスターパワーも大ヒットの要因 そんな本作の魅力は、なんといっても底抜けにポジティブな明朗快活さにあると言えよう。’50年代末~’60年代に愛された一連のプレスリー映画やフランキー・アヴァロン&アネット・ファニセロ主演のビーチ・パーティ映画、サンドラ・ディー主演のティーン・ロマンス映画などをお手本に再現された1958年の学園生活は、イジメともドラッグとも校内暴力とも無縁のキラキラとした夢の世界。終盤のカーレースシーンは『理由なき反抗』(’55)へのオマージュだが、しかしジェームズ・ディーンと違って本作の主人公たちには、恋愛の悩みくらいしか深刻な問題は存在しない。非行と言ったって、せいぜい大人の目を盗んでの喫煙と飲酒、不純異性交遊あたりが関の山。実に可愛いもんである。 さらに、ビーチ・パーティ映画シリーズの主演スターで、全米ナンバーワン・ヒット「ヴィーナス」で有名な’50年代のティーン・アイドル、フランキー・アヴァロンが天使役でドリーム・シークエンスに登場。マクギー校長役のイヴ・アーデンとカフェのウェイトレス役のジョーン・ブロンデルは、どちらも’30年代から活躍するハリウッドの大物女優だが、前者はテレビの人気シットコム『Our Miss Brooks』(‘48~’57・日本未放送)で、後者はオスカー候補になった『青いヴェール』(’51)や『シンシナティ・キッド』(’65)などの映画で、’50~’60年代のアメリカ人にお馴染みのスターだった。ほかにも、スタンダップコメディアンのシド・シーザーやバラエティ・タレントのドディ・グッドマン、ドラマ『サンセット77』(‘58~’64)のエド・バーンズなどなど、’50年代のポップカルチャーを象徴する有名人が勢揃い。ベトナム戦争やウォーターゲート事件などの暗い時代を経験し、犯罪率の増加など深刻な社会問題に悩まされた’70年代当時の観客にとって、アメリカが最も豊かで幸福だった時代を振り返る本作は、いわば格好の現実逃避でもあったのだろう。 もちろん、ジョン・トラヴォルタにオリヴィア・ニュートン=ジョンという主演コンビの旬なスターパワーの効果も大きい。先述したように『サタデー・ナイト・フィーバー』で映画界のスターダムに上りつめたばかりだったジョン・トラヴォルタ。テレビ時代からの「本当は純情な下町の不良少年」というイメージを活かした本作では、その卓越した歌唱力でミュージカルスターとしての実力も証明している。なにしろ、今の若い人は知らないかもしれないが、「レット・ハー・イン」という全米トップ10ヒットを持ち、「初恋のプリンス」や「サタデー・ナイト・ヒーロー」などのアルバムもリリースしたプロの歌手ですからね。 一方、これが本格的な女優デビュー作だったオリヴィア・ニュートン=ジョンは、もともと歌手として定評のあった感受性の豊かな表現力を演技でも遺憾なく発揮。劇中では清楚な優等生からタイトなスパンデックスのパンツにハイヒール姿のセクシー美女へと大変身するサンディだが、演じるオリヴィアも本作の直後にリリースした’79年のアルバム「さよならは一度だけ」で大胆にイメチェンを図り、それまでの隣のお姉さん的な親しみやすい歌姫からゴージャスなポップス界のセックスシンボルへと変貌を遂げている。 また、映画化に際して舞台版のオリジナル曲や懐メロだけでは弱いと感じたアラン・カーとロバート・スティッグウッドは、映画用として新たに書き下ろした楽曲を映画のハイライト・シーンで使用。この賢明な判断も結果的に功を奏した。まずは主題歌「グリース」を、スティッグウッドの前作『サタデー・ナイト・フィーバー』と同じくビージーズのバリー・ギブに依頼し、フォー・シーズンズのリードボーカリストとしても有名なフランキー・ヴァリに歌わせた。’70年代的なディスコ・ソングは本編に合わないとの批判もあったが、しかし先行シングルとしてリリースされるや全米ナンバー・ワンの座を獲得。さらに、オリヴィアの歌うバラード曲「愛すれど悲し」と、オリヴィア&トラヴォルタのデュエット曲「愛のデュエット」を、当時オリヴィアの専属プロデューサー兼ソングライターだったジョン・ファラーが担当。前者が全米3位、後者が全米1位をマークし、さらに舞台版でも使用された「思い出のサマー・ナイツ」も全米5位をマークしている。サントラ盤アルバムも最終的に全世界で3800万枚のセールスを記録。その後の『フェーム』(’80)や『フラッシュダンス』(’83)、『フットルース』(’84)に代表される’80年代サントラ・ブームは、『サタデー・ナイト・フィーバー』と本作が火付け役だったとも言えよう。■ 『グリース』TM, (R) & COPYRIGHT (C) 2021 BY PARAMOUNT PICTURES. 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COLUMN/コラム2021.06.08
「良質の伝統」を継承する名匠ジャン・ドラノワが挑んだフレンチ・ノワール『太陽のならず者』
ヌーヴェル・ヴァーグ世代に否定された心理的リアリズム映画の職人 フランス映画における「良質の伝統」を最も体現する職人監督として、カンヌ国際映画祭のグランプリに輝いた『田園交響楽』(’46)や『愛情の瞬間』(’52)、『クレーヴの奥方』(’61)など数々の映画を大ヒットさせ、しかしそれゆえにヌーヴェル・ヴァーグ世代の若手から罵倒にも等しい批判を受けた名匠ジャン・ドラノワが手掛けた、フィルムノワール風の犯罪アクション映画である。 映画批評家ジャン=ピエール・バローが’53年に論文で言及した「良質の伝統」とは、それすなわち「職人的な映画人の手による完璧な映画」のことで、具体的には’30年代のフランス映画黄金期を彩った『外人部隊』(’34)や『望郷』(’37)、『大いなる幻影』(’37)、『霧の波止場』(’38)といった詩的リアリズム映画の数々、そしてそれらの流れを汲む自然主義的な映画群のことを指すとされている。主に社会の底辺で暮らす労働者階級の人々の、運命に抗いながらも欲望や情熱ゆえに不幸な結果を招く姿を描いた詩的リアリズム映画は、本質的には通俗的なメロドラマであったものの、しかしジャック・プレヴェールやシャルル・スパークといった名シナリオ作家たちによる人間心理に迫った脚本や、スタジオセットを駆使することで生まれる洗練された映像美によって、フランス映画独特の芸術性をまとっていた。 この詩的リアリズム映画に象徴されるフランス映画の「良質の伝統」は、第二次世界大戦後に心理的リアリズム映画として復活し、先述したドラノワ監督の『田園交響楽』を筆頭として、クロード・オータン・ララの『肉体の悪魔』(’47)やルネ・クレマンの『禁じられた遊び』(’52)、マルセル・カルネの『嘆きのテレーズ』(’53)といった名作を生み出すわけだが、その一方で戦前の詩的リアリズム映画の焼き直しに過ぎないとの批判も受けるようになる。その急先鋒となったのが映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」に集った若手批評家たちだった。 映画監督が作品を通して自らの哲学や美学を表現する作家主義を理想とし、アルフレッド・ヒッチコックやハワード・ホークスといった作家性の高い映画監督を称賛した彼らにとって、シナリオ作家が主導権を握って映画監督が現場を仕切る職人に徹した一連の心理的リアリズム映画群は否定すべき存在であり、そうした作品が大衆に受け入れられるという当時の状況は恐らく由々しき事態だったのだろう。中でも、フランソワ・トリュフォーが’54年に発表した論文「フランス映画のある種の傾向」は、いくぶん抽象的な表現を含みながらも旧態依然としたフランス映画界の現状を激しく批判して大きな反響を呼ぶことになる。 当時まだ22歳だったトリュフォーは、フランス映画を代表する著名なシナリオ作家たちを名指しで攻撃し、彼らを「良質の伝統」に育まれた「心理的リアリズム」の元凶だとして強く非難。シナリオ作家の書いた脚本が作品の良し悪しを左右し、肝心の映画監督の存在が形骸化していることを嘆く。彼の言わんとすることは、シナリオ作家主体のフランス映画は単なる文学の延長線上に過ぎず、映画でしか成し得ない表現を放棄しているということなのだが、同時に一見したところ難解そうな主題や言葉を用いることで通俗的なメロドラマを高尚な芸術作品のように装った心理的リアリズム映画の「偽善性」をも見抜いていた。そうした「良質」な作品の監督として、いわばやり玉に挙がったのが、クロード・オータン・ララであり、ルネ・クレマンであり、イヴ・アレグレであり、ジャン・ドラノワだったのである。 しかも、この時期ドラノワはトリュフォーばかりでなく、ジャン=リュック・ゴダールやジャック・リヴェットからも非難の対象となっている。その理由は、もちろんドラノワが「良質の伝統」を継承する旧世代の象徴だったからということもあるが、恐らく『田舎司祭の日記』(’51)の映画化権を巡ってロベール・ブレッソンと争った経緯も少なからず影響していると思われる。孤高の映像作家と呼ばれたブレッソンは、ジャン=ピエール・メルヴィルと並んでカイエ・デュ・シネマ派=ヌーヴェル・ヴァーグ作家たちのヒーロー的な存在だ。心証が悪くなるのも当然と言えば当然かもしれない。しかも、ドラノワは『クレーヴの奥方』を巡っても再びブレッソンと争っている。ゴダールたちにとってみれば「ドラノワ許すまじ!」という心境だったのだろう。 そんな半ば私怨のこもったようなカイエ・デュ・シネマ派による批判は、恐らくドラノワ本人にしてみれば「とんだとばっちり」みたいなものだったはずだ。トリュフォーは「ジャン・ルノワールの駄作はジャン・ドラノワの傑作よりも良く出来ている」とすら述べているが、さすがにそれはちょっと言い過ぎだろうと思うし、そもそも「フランス映画のある種の傾向」を改めて読み返すと、今となっては感情的な極論が過ぎて賛同できない点も少なくない。いずれにせよ、この時期を境にドラノワ監督は「良質の伝統」を離れ、『マリー・アントワネット』(’56)や『ノートルダムのせむし男』(’56)のような史劇大作・文芸大作から、ジャン・ギャバン主演のメグレ警部シリーズ『殺人鬼に罠をかけろ』(’58)や『サン・フィアクル殺人事件』(’59)のような犯罪サスペンスまで、多岐に渡るジャンルの娯楽映画を手掛けるようになる。これはカイエ・デュ・シネマ派による批判の影響というよりも、時代の流れだったのだろう。ジャン・ギャバンが老練な銀行強盗にふんした『太陽のならず者』(’67)も、当時大ヒットしていた『地下室のメロディー』(’63)や『サムライ』(’67)など、一連のフィルムノワール人気に便乗した企画だったはずだ。 ソビエトではパロディ・アニメ化されるほど人気に 舞台はフランスの地方都市。地元のカフェやレストランなどを所有する初老の紳士ドニ・ラファン(ジャン・ギャバン)は、長年連れ添った妻マリー・ジャンヌ(シュザンヌ・フロン)と悠々自適な老後を送る実業家のように見えるが、しかし実はかつて裏社会で勇名を馳せた筋金入りの犯罪者だ。そんな彼が英国人女性ベティ(マーガレット・リー)に経理を任せているカフェの向かいには銀行があり、毎月末の給料日になると近くの米軍が5億フランもの現金を運んでいく。若かりし頃の血が騒ぐドニは、現金輸送車の到着時間などをこまめにチェックしていたが、しかし犯罪の世界には二度と戻らないという妻との約束を守るため、それ以上のことは何もせず退屈な毎日をやり過ごしていた。 そんなある日、店に因縁を付けに来た麻薬組織のチンピラ集団と対峙したドニは、15年前にベトナムのサイゴンで一緒に仕事をしたアメリカ人ジム(ロバート・スタック)と再会する。今は麻薬組織の用心棒をしているジムを自宅へ招き、昔話に花を咲かせるうち犯罪の誘惑に抗えなくなったドニは、ジムを誘って銀行強盗計画を実行に移そうと考える。信頼できる仲間を秘かに集め、慎重かつ入念に計画を練る2人。その一方、男盛りでハンサムなジムはベティとねんごろになるのだが、抜け目がなくて鼻の利くベティが強盗計画に気付いてしまったため、ドニとジムは仕方なく彼女も仲間に加える。そして、いよいよ決行の日。銀行強盗は首尾よく運び、一味はまんまと5億フランを手に入れるのだが、しかしひょんなことから麻薬組織のボス、アンリ(ジャン・トパール)がドニの仕業と気付き、妻マリー・ジャンヌが誘拐されてしまう。身代金として5億フランを要求する組織。仕方なく要求に応じようとするドニだったが…? ジャン・ギャバン演じる初老の元犯罪者が、年下の若い相棒と一緒に人生最後の大博打として銀行強盗を企てる。明らかにアンリ・ヴェルヌイユの『地下室のメロディー』を意識したプロットだ。テレビ『アンタッチャブル』(‘59~’63)のエリオット・ネス役でお馴染みのハリウッド俳優ロバート・スタックは、さすがにアラン・ドロンと比べてしまうと精彩を欠くことは否めないものの、当時B級映画の女王としてヨーロッパ各国の娯楽映画に引っ張りだこだったセクシー女優マーガレット・リーが華を添える。なにより、ドラノワ監督の軽妙洒脱な演出は当時59歳と思えないような若々しさで、あの『田園交響楽』を撮った同一人物の映画とはにわかに信じがたい。フランシス・レイのお洒落な音楽スコアの使い方も気が利いている。確かにドラノワ監督の代表作とまでは言えないものの、しかし娯楽映画として実に良心的な仕上がりだ。さすがは天下の職人監督。やはり器用な人だったのだろう。 ちなみに、フレンチ・ノワール映画の人気が高かったソビエト時代のロシアでは、なんと本作のパロディ・アニメが作られている。それが、世界各国の犯罪事情を名作映画へのオマージュを込めて描いたオムニバス・アニメ『Ограбление по...(…式強盗)』(’78)。第2話のフランス篇が本作を下敷きにしている。刑務所から出てきた老ギャング、ジャン・ギャバンが、カフェで知り合った若いカップル、アラン・ドロンとブリジット・バルドーの2人と組んで銀行強盗を行うも、酔っぱらいの中年男ルイ・ド・フュネスに現金を持ち去られてしまう…というストーリー。当時のソビエトでは、アメリカ映画に比べてフランス映画やイタリア映画はわりと積極的に輸入されていたのだが、本作も『Вы не всё сказали, Ферран(隠し事をしていたな、ラファン)』というタイトルで劇場公開されヒットしている。 なお、日本公開された作品はこれが最後となってしまったドラノワ監督だが、本国フランスではテレビ映画を中心に’90年代半ばまで現役を続け、2008年に満100歳で天寿を全うしている。■ 『太陽のならず者』© 1967 STUDIOCANAL - Fida Cinematografica
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COLUMN/コラム2021.06.08
ヒッチコックの「ピュアシネマ」を実践したブライアン・デ・パルマ監督の傑作スリラー『殺しのドレス』
※注:本稿は一部ネタバレを含みますので、予めご了承ください。 公開当時に物議を醸した問題作 『悪魔のシスター』(’72)や『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)のカルト・ヒットを経て、『キャリー』(’76)の大成功によってハリウッドのメジャー・シーンへと躍り出たブライアン・デ・パルマ監督。’80年代に入るといよいよキャリアの全盛期を迎えることとなるわけだが、その幕開けを告げる象徴的な作品がこの『殺しのドレス』(’80)だった。血みどろの残酷描写や際どい性描写のおかげでレーティング審査ではMPAA(アメリカ映画協会)と揉め、女性やトランスジェンダーの描写が人権団体から激しく非難を浴びる一方、ヒッチコックへのオマージュを独自の映像言語へと昇華させたスタイリッシュなサスペンス演出は、ロジャー・エバートやポーリン・ケールといったうるさ型の映画評論家から大絶賛され、興行的にも『キャリー』に迫るほどの大ヒットを記録した。 舞台は現代のニューヨーク。上流家庭の美しい人妻ケイト・ミラー(アンジー・ディッキンソン)は、ベトナムで戦死した前夫との息子ピーター(キース・ゴードン)を愛する良き母親だが、しかしその一方で裕福な夫マイク(フレッド・ウェバー)の無関心な態度に日頃から不満を覚えている。今朝も久しぶりに夫が体を求めてきたと思ったら、まるで人形を相手にするかの如く一方的に射精してオシマイ。もはや私には女性としての魅力がないのだろうか?かかりつけの精神分析医エリオット(マイケル・ケイン)のセラピーを受けた彼女は、「先生は私とセックスしたいと思ったことある?」と問い詰めてエリオット医師を困らせてしまう。 その日の午後、ケイトはひとりでメトロポリタン美術館へと足を運ぶ。たまたま隣に座ったハンサムな男性に惹かれ、思わせぶりな態度を取って相手の反応を試すケイト。向こうもまんざらではなさそうだ。大人の男女による無言の駆け引き。一度は彼を見失ってしまったケイトだったが、しかし美術館の外に出ると男性はタクシーに乗って待っており、2人はそのまま彼のアパートへと直行する。夜になって家へ帰ろうとするケイト。寝ている男性に置手紙を残そうと書斎デスクの引き出しを開けた彼女は、たまたま病院の診断書を見つけて驚く。男性は性病にかかっていたのだ。罪の意識と後悔の念に狼狽してエレベーターへ乗り込むケイト。そんな彼女を尾行する怪しい人影。忘れ物に気付いたケイトが彼の部屋へ戻ろうとしたところ、サングラスをかけたブロンドの女にカミソリで惨殺されてしまう。 その頃、別の階でエレベーターを待っていた高級コールガールのリズ・ブレイク(ナンシー・アレン)。扉が開くと、そこには血まみれになったケイトが倒れていた。虫の息のケイトに手を差し伸べようとするリズだったが、エレベーター内の鏡に映る犯人の姿に気付き、とっさに凶器のカミソリを拾って逃げ出し警察に通報する。事件の第一発見者にして最重要容疑者となってしまったリズ。警察のマリーノ刑事(デニス・フランツ)も売春婦の言うことなどまともに取り合ってはくれない。ケイトの息子ピーターと組んで真犯人を突き止め、身の潔白を証明しようとするリズ、そんな彼女を秘かに尾行するサングラスのブロンド女。一方、エリオット医師は患者のトランスジェンダー女性ボビーが犯行を告白する留守電テープを聞き、警察よりも先に彼女の身柄を確保しようと奔走するのだったが…? 全編に散りばめられたヒッチコックへのオマージュ 本編をご覧になった方は既にお気づきのことと思うが、『キャリー』と同じく本作におけるヒッチコックの『サイコ』(’60)からの影響は一目瞭然。オープニングとクライマックスを女性のシャワー・シーンで飾っているのは象徴的だし、映画の前半と後半でヒロインがバトンタッチするという展開も『サイコ』のプロットをお手本にしている。女装した犯人がカミソリでケイトを惨殺するエレベーター・シーンは、そのスピーディで細かい編集を含めて、『サイコ』の有名なシャワー・シーンの、より残酷で血生臭い再現と言えるだろう。性欲が殺意のトリガーとなるのもノーマン・ベイツと一緒。もちろん、ヒッチコック映画へのオマージュは『サイコ』だけに止まらない。犯人の女装姿は『ファミリー・プロット』(’76)のカレン・ブラックとソックリだし、エリオット医師のオフィスに単身乗り込んだリズをピーターが双眼鏡で見守るシーンは『裏窓』(’54)を彷彿とさせる。元ネタ探しを楽しむのもまた一興だろう。 そんな本作の中でも、恐らく最もヒッチコック的と呼べるのが美術館シーンである。女性の肖像画の前に座ったアンジー・ディッキンソンは、さながら『めまい』(’58)のキム・ノヴァク。ふと周りを見回して来場客たちの様子を観察する姿は、アパートの部屋から隣人たちの生活を覗き見する『裏窓』のジェームズ・スチュアートである。そして、たまたま隣に座ったハンサムな男性に心惹かれたヒロインは、広い美術館の中を歩き回りながら、追いつ追われつの男女の駆け引きを繰り広げ、最終的に美術館の外へ出たところでタクシーに乗った男性と合流する。ここまでセリフは一切なし。まるでサイレント映画の如く、映像と伴奏音楽だけでストーリーを雄弁に物語っている。これは『めまい』の尾行シーンや『鳥』(’63)のボート・シーンなどでも試みられた、ヒッチコックが言うところの「ピュアシネマ」の応用だ。しかも、ヒッチコックの時代にはなかったステディカムを駆使することで、より純度の高い映像技法をものにしている。ヒッチコキアンたるデ・パルマの面目躍如と言えるだろう。 ちなみに、美術館の外へ出たケイトの目線の先をカメラが追いかけていく(これまたヒッチコックのトレードマーク的な演出)と、タクシーに乗って待つ男性の手元へと辿り着くわけだが、その間に一瞬だけ女装した犯人の姿が映像に写り込む。これは犯人が美術館から彼女を尾行していたということの証なのだが、しかしストーリーの展開上、この時点で観客にはまだ殺人者の存在は明かされていないため、2度目以降の鑑賞で初めて写り込みに気づく観客が大半であろう。これを見て思わず連想するのが、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリアPART2』(’75)。そう、犯人の顔が写り込んだ鏡の廊下のシーンである。デ・パルマがアルジェントを意識したのかは定かでないものの、映画ファンとして強く興味を惹かれるポイントではある。 実は的外れだったミソジニスト批判 こうした巧妙な映像技法の活用や名作へのオマージュを含めて、いかにして観客を怖がらせて楽しませるのかというヒッチコック映画一流のショーマンシップを継承した本作。先述したように、公開当時は女性に対する露骨な暴力描写やトランスジェンダーへの偏見を助長するような描写を激しく非難され、一部からはミソジニストというレッテルまで貼られてしまったデ・パルマ監督だが、しかし本人が「か弱い女性が危険な目に遭うというサスペンス映画の伝統を踏襲したに過ぎない」と語るように、スリルや恐怖を盛り上げるためのセオリーを追求した結果こうなったというのが真相なのだろう。それに、本作のストーリーをちゃんと理解していれば、むしろミソジニーとは正反対の視点が貫かれていることに気付くはずだ。 中でも特にそれが顕著なのは、2人のヒロインの描写である。良き妻であり良き母親である以前に一人の女性であることを自覚し、結果的に過ちではあったものの能動的に行動することを選んだ人妻ケイト、ちゃんと納得した上で自らの性を売り物にし、そこで稼いだ金を賢く株や美術品などの投資に回す高級コールガールのリズ。旧態依然とした保守的な社会が女性に求める規範から明らかに外れたヒロインたちを、本作では強い意志を持つ自立した現代女性として同情的に描く一方、そんな彼女たちを「釣った魚」や「性的オブジェクト」のように扱う尊大な男性たちに批判の目が向けられているように思える。 実際、本作に登場する男性キャラは、揃いも揃って身勝手で独善的な無自覚のミソジニストばかり。唯一の例外は、ケイトの息子である未成年(=まだ男になりきれていない)のピーターだけだ。そもそも、殺人犯を凶行へと駆り立てる要因だって、自らが内在する女性性を頑なに否定しようとする男性性である。すなわち、本作における諸悪の根源は男性優位主義的なマチズモであり、それが意図したものであるかどうかはまた別としても、どことなく中性的な童貞オタク少年ピーターを自らの分身だと語るデ・パルマが、その対極にあるマチズモを否定すべきものとして描いていることは明らかだ。確かに、トランスジェンダーを解離性同一障害のように描いている点は誤解を招きかねないと思うが、しかし少なくとも本作が女性蔑視的であるという当時の批判は的外れであったと言えるだろう。■ 『殺しのドレス』© 1980 Warwick Associates. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.04.07
ペキンパー自身を投影したような負け犬中年男の意地と暴走『ガルシアの首』
良き理解者を得て実現した究極のペキンパー映画 そのキャリアを通じて他に類を見ない「暴力の美学」を追求し、一切の妥協を許さぬ厳しい姿勢ゆえに映画会社との衝突が絶えなかった孤高の映画監督サム・ペキンパー。彼ほどスタジオからの横やりに悩まされた監督はいなかったとも言われているが、そんなペキンパーが「自分のやりたいように作った」と自負した数少ない映画のひとつであり、「良くも悪くも、好むと好まざるに関わらず、これは自分の映画だ」とまで言い切った作品が『ガルシアの首』(’74)である。 その前年に公開された西部劇『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』(’73)では撮影中から製作会社MGM社長との対立や自身のアルコール問題の悪化、さらにはインフルエンザの蔓延など次々とトラブルに見舞われ、さらにはフィルムの編集権を取り上げられズタズタに切り刻まれるという憂き目に遭ってしまったペキンパー。そんな彼のある意味で救世主となったのが、後にペキンパーのエージェントともなる映画製作者マーティン・ボームだった。ペキンパーの良き理解者であったボームは、映画界の問題児として既に悪名高かった監督から持ち込まれた企画を引き受けたばかりか、彼が自由に映画を撮れるよう取り計らったという。メキシコの大地主の娘を孕ませた男ガルシアの首を巡って、殺し屋たちが凄まじい争奪戦を繰り広げて死体の山が積みあがっていく…基本的にただそれだけの映画のために資金繰りなど奔走するわけだから、よっぽど監督への理解と信頼がなければ実現不可能だったはずだ。 メキシコの大地主エル・ヘフェ(エミリオ・フェルナンデス)の娘テレサが妊娠する。子供の父親が誰なのか問い詰めるエル・ヘフェ。頑として口を割らなかったテレサだったが、しかし激しい拷問に耐えかねて「アルフレド・ガルシア」という名前を口にする。かつてエル・ヘフェが息子のように可愛がっていた部下だった。怒りの収まらない彼は「ガルシアの首を持ってきた奴には賞金100万ドルを払う」と宣言。グリンゴ(白人)の忠実な右腕マックス(ヘルムート・ダンティーネ)にその任務が託される。ちなみに、日本の資料では大地主とされているエル・ヘフェはスペイン語で「ボス」という意味。劇中で具体的な説明や描写がないため解釈は分かれるが、犯罪組織のボスとも考えられる。 それから数か月後、マックスのもとでガルシアの行方を追うスーツ姿の殺し屋コンビ、サペンスリー(ロバート・ウェッバー)とクイル(ギグ・ヤング)は、メキシコシティの小さな酒場へ立ち寄る。2人から報奨金と引き換えにガルシアのことを尋ねられ、これ見よがしに答えをはぐらかす元米兵のピアニスト、ベニー(ウォーレン・オーツ)。ガルシアは店の常連だったのだが、報奨金を吊り上げられると睨んで黙っていたのだ。店の従業員から自分の恋人エリータ(イセラ・ヴェガ)がガルシアと浮気していたと聞かされ憤慨するベニー。彼女を問い詰めてガルシアの居場所を聞き出そうとしたベニーだが、そこでエリータは思いがけない事実を彼に伝える。ガルシアは1週間ほど前に飲酒運転で事故死していたのだ。 たまげると同時にホッとするベニー。なんだ、もう死んでいるんだったら殺す手間も省ける。埋葬された死体から首を切り落とし、証拠として差し出せば済むじゃないか。こんな旨い儲け話はないぞ、というわけだ。元締めマックスのもとへ意気揚々と乗り込んだベニーは、既にガルシアが死んでいることを隠して報奨金を1万ドルに吊り上げ、ガルシアの首は俺が持ってくるから任せろと自信たっぷりに仕事を引き受ける。だが、ガルシアが埋葬された墓地を知っているのはエリータだけ。そこで、彼は一緒にピクニックへ行こうと彼女を誘い出し、生死を確認するだけだと誤魔化してガルシアの墓へ案内させようとする。 ベニーの言い訳がましい説明に首を傾げつつも、久々に2人きりで過ごす時間に満ち足りた幸福を感じるエリータ。長い付き合いとなる2人だったが、しかしいつも肝心な話題になると逃げてしまうベニーは、これまでちゃんとエリータに愛を告白したことがなかった。彼女がガルシアと浮気をしてしまった理由も、ベニーのその煮え切らない態度のせいだ。ここへきてようやく、大金が手に入った暁には結婚式を挙げようというベニー。なぜ今までプロポーズしなかったのかと問い詰めるエリータに、思わず彼は「分からない。今なら分かるが」と言葉を詰まらせる。本音を言えば「男のプライド」が邪魔したのだろう。しがない貧乏人のピアノ弾きのままでは、愛する女と結婚する資格などないと。一緒に苦労する覚悟のあるエリータにしてみれば、2人で暮らせるならそれだけで幸せなのだが、しかし男は女に楽をさせてこそ一人前という、下らない「男のプライド」に縛られたベニーにはその覚悟がなかったのだ。 ちなみに、このシーンはベニーが言葉を詰まらせる場面で終わるはずだったという。だが、役に入り込んだエリータ役のイセラ・ヴェガが「だったら今すぐプロポーズして」と台本にないセリフを続け、そのアドリブに呼応するようにベニー役のウォーレン・オーツが演技をつなげ、2人して喜びにむせび泣くという実に味わい深くも感動的な大人のラブシーンが出来上がったのである。実は事前にヴェガとペキンパーは打ち合わせをしていたとも言われているが、しかしそれにしても監督の言わんとするところを十二分に理解し、何も知らされていない共演者を巻き込みながら、求められる以上の芝居へと昇華させた女優イセラ・ヴェガの鋭い勘と豊かな才能には舌を巻く。もちろん、この予期せぬ展開にきっちりと応えてみせたオーツも素晴らしい。これこそが役者魂というものだろう。 身の破滅を招く「男らしさ」という幻想 しかし、これを境にベニーとエリータの運命は雲行きが怪しくなっていく。車のエンジントラブルで野宿することにした2人だったが、通りがかった2人組のバイカー(クリス・クリストファーソン&ドニー・フリッツ)に拳銃で脅され、エリータがレイプされてしまう。奪った拳銃でバイカーどもを射殺するベニー。2人はいよいよガルシアの故郷へと到着する。死体の首を切り取って持ち帰るというベニーに呆れるエリータ。お金なんてなくたっていい、このまま引き返しましょうと訴える彼女だったが、しかし意固地になったベニーは全く耳を貸さず、仕方なしに折れたエリータは真夜中に墓地へ向かう彼に同行する。意を決してガルシアの墓を掘り起こすベニー。ところが次の瞬間、背後から忍び寄った何者かに頭を殴られて気絶し、意識を取り戻すと既にガルシアの首は持ち去られており、ベニーの横には愛するエリータの亡骸が横たわっていた。にわかに状況を呑み込めずにいたものの、しかしふつふつと湧き上がる怒りと悲しみに打ちのめされ、やがて激しい憎悪に駆られていくベニー。もはや復讐の鬼と化した彼は、ガルシアの首を奪い返してエリータの仇を討つべく暴走していく…。 もともと本作の企画はペキンパーが『砂漠の流れ者』(’70)の撮影中、同作でセリフ監修を務めた盟友フランク・コワルスキーの何気ないアイディアによって生まれたのだという。「首に懸賞金のかかった男が実は既に死んでいた」という設定を気に入ったペキンパーは、当時彼の愛弟子的な存在だった脚本家ゴードン・ドーソンに脚本の草稿を依頼する。『ダンディー少佐』(’65)の衣装アシスタントだったドーソンは、そのケンカの強さをペキンパーに気に入られ、以降も『ワイルド・バンチ』(’68)や『砂漠の流れ者』、『ゲッタウェイ』(’72)などに関わってきたという親しい仲。彼は師匠であるペキンパーをモデルに主人公ベニーを書き上げ、主演のウォーレン・オーツもペキンパーの特徴を模倣しながら演じたという。ドーソンによると、いつものようにペキンパーが脚本を自由に書き換えると思っていたそうなのだが、最終的にベニーのキャラだけがそのままになっていて驚いたらしい。 本当は心優しくて気が弱い男なのに、タフで男臭いアウトローを演じてみせるベニー。心から愛する女に対しても素直になれず、ついつい粗末に扱ってしまう。なんとも矛盾した格好悪い男なのだが、しかしそれゆえに憎めないというか、なぜか愛さずにはいられない。なるほど、確かに近しい関係者から伝え聞くペキンパーの実像に似たものが感じられるだろう。もしかすると、ペキンパーも自分がベニーの元ネタであることを重々承知のうえだったのかもしれない。なにしろ、当時のペキンパーは『ビリー・ザ・キッド~』の一件で打ちのめされていた時期。自信を失い卑屈になった負け犬ベニーに、自らの姿を投影していたとも考えられる。「これば自分の映画」という彼の言葉には、そういう意味も含まれているのだろう。 そもそも、本作に出てくる男たちは揃いも揃ってみんな矛盾を抱えている。思考と行動が首尾一貫しているのはエリータとエル・ヘフェの娘テレサくらい。つまりは女性だけだ。父親の威厳を保つため手下に最愛の我が娘を拷問させるエル・ヘフェをはじめ、クールなビジネスマン風の紳士コンビを気取ったゲイ・カップルの殺し屋サペンスリーとクイル、見ず知らずの子供たちを可愛がりつつ平然と人を殺す手下のチャロとクエト。エリータをレイプするバイカーたちだって中身は無邪気な子供も同然だ。誰もが人間らしい感情や愛情を内に秘めながらも、しかしなぜかそれが相反する暴力へと向かい、最終的には悲惨な末路を辿ることになってしまう。彼らが執拗にこだわり続け、それゆえに身の破滅を招く原因になったもの。それはマチズモ、つまり「男らしさ」という幻想であろう。彼ら(ゲイ・カップルを含め)は男らしさを誇示するため女を粗末にし、そればかりか自分より弱い男も暴力で踏みつけ力を誇示する。自身も男らしさにこだわり男らしく振る舞っていたというペキンパーだが、実のところそれが内面の弱さの裏返しであることに自覚があり、社会にとって害悪を及ぼすものであると考えていたのではないか。本作を見ているとそんな風にも思えてくる。 なお、今でこそペキンパーの隠れた名作として世界的に高く評価され、当時の彼にとって渾身の一作であったはずの『ガルシアの首』だが、しかし劇場公開時は批評家からも観客からも理解されずに総スカンを食らってしまった。当時ヒットしたのは日本だけだったとも言われる。そのことを我々は誇ってもいいかもしれない。■ 『ガルシアの首』© 1974 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.