ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2023.04.03
‘80年代の日本の映画ファンを熱狂させたロックンロールの寓話『ストリート・オブ・ファイヤー』
アメリカよりも日本で大ヒットした理由とは? 日本の洋画史を振り返ってみると、本国では不入りだったのになぜか日本では大ヒットした作品というのが時折出てくる。その代表格が『小さな恋のメロディ』(’71)とこの『ストリート・オブ・ファイヤー』(’84)であろう。リーゼントに革ジャン姿のツッパリ・バイク集団にロックンロールの女王が誘拐され、かつて彼女の恋人だった一匹狼のアウトロー青年が救出のため馳せ参じる。ただそれだけの話なのだが、全編に散りばめられたレトロなアメリカン・ポップカルチャーと、いかにも’80年代らしいMTV風のスタイリッシュな映像が見る者をワクワクさせ、不良vs不良の意地をかけた白熱のガチンコ・バトルと、ドラマチックでスケールの大きいロック・ミュージックが見る者の感情を嫌が上にも煽りまくる。血沸き肉躍るとはまさにこのことであろう。 当時まだ高校生1年生だった筆者も、映画館で本作を見て鳥肌が立つくらい感動したひとりだ。その年の「キネマ旬報」の読者選出では外国映画ベスト・テンの堂々第1位。エンディングを飾るテーマ曲「今夜は青春」は、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌「今夜はエンジェル」として日本語カバーされた。当時の日本で『ストリート・オブ・ファイヤー』に熱狂した映画ファンは、間違いなく筆者以外にも大勢いたはずだ。それだけに、実は本国アメリカでは見事なまでに大コケしていた、どうやら興行的に当たったのは日本くらいのものらしいと、だいぶ後になって知った時は心底驚いたものである。 ではなぜ本作が日本でそれだけ受けたのかというというと、あくまでもこれは当時を知る筆者の主観的な肌感覚ではあるが、恐らく昭和から現在まで脈々と受け継がれる日本の不良文化が背景にあったのではないかとも思う。実際、良きにつけ悪しきにつけ’80年代はツッパリや暴走族の全盛期だった。なにしろ、横浜銀蝿やなめ猫やスケバン刑事が大流行した時代である。加えて、当時の日本ではロックンロールにプレスリーにジェームズ・ディーンなど、本作に登場するような’50年代アメリカのユース・カルチャーに対する憧憬もあった。まあ、これに関しては、同時代のイギリスで巻き起こった’50年代リバイバルやロカビリー・ブームが日本へ飛び火したことの影響もあったろう。さらに、’70年代の『小さな恋のメロディ』がそうだったように、劇中で使用される音楽の数々が日本人の好みと合致したことも一因だったかもしれない。いずれにせよ、アメリカ本国での評価とは関係なく、本作には当時の日本人の琴線に触れるような要素が揃っていたのだと思う。 実は『ウォリアーズ』の姉妹編だった!? 冒頭から「ロックンロールの寓話」と銘打たれ、続けて「いつかどこかで」と時代も舞台も曖昧に設定された本作。まるで’50年代のニューヨークやシカゴのようにも見えるが、しかしよくよく目を凝らすと様々な時代のアメリカ文化があちこちに混在しているし、確かにリッチモンドやバッテリーという地名は出てくるものの、しかしどうやら実在する土地とは全く関係がないらしい。つまり、これは現実とよく似ているが現実ではない、この世のどこにも存在しない架空の世界の物語なのだ。 とある大都会の寂れかけた地区リッチモンドで、地元出身の人気女性ロック歌手エレン・エイム(ダイアン・レイン)のコンサートが開かれる。詰めかけた大勢の若者で熱気に包まれる会場。すると、どこからともなくバイク集団ボンバーズの連中が現れ、リーダーのレイヴン(ウィレム・デフォー)の号令で一斉にステージへ乱入する。バンドマンやスタッフに殴りかかる暴走族たち、パニックに陥って逃げ惑う観客。悲鳴や怒号の飛び交う大混乱に乗じて、まんまとレイヴンはエイミーを連れ去っていく。その一部始終を目撃していたのが、近くでダイナーを経営する女性リーヴァ(デボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ)。警察なんか頼りにならない。なんとかせねばと考えた彼女は、ある人物に急いで電報を打つのだった。 その人物とはリーヴァの弟トム・コディ(マイケル・パレ)。かつて地元では札付きのワルとして鳴らし、兵隊を志願して出て行ったきり音沙汰のなかった彼は、実はエレンの元恋人でもあったのだ。久しぶりに再会した弟へ、誘拐されたエレンの救出を懇願するリーヴァ。だが、音楽の道を目指すエレンと苦々しい別れ方をしたトムは躊躇する。なぜなら、今もなお心のどこかで彼女に未練があるからだ。それでも姉の説得で考えを変えたトム。しかし、エレンのマネージャーで現在の恋人でもある傲慢な成金男ビリー(リック・モラニス)から負け犬呼ばわりされた彼は、カチンときた勢いで1万ドルの報酬と引き換えにエレンを救い出すことに合意する。別に未練があるわけじゃない、単に金が欲しいだけだという言い訳だ。 ボンバーズの本拠地はリッチモンドから離れた貧困地区バッテリー。バーで知り合ったタフな女兵士マッコイ(エイミー・マディガン)を相棒に従え、古い仲間から武器を調達したトムは、依頼人のビリーを連れてボンバーズが根城にする場末のナイトクラブ「トーチーズ」へ向かう。客を装って潜入したマッコイがエレンの監禁場所を押さえ、その間にトムが表でたむろする暴走族を銃撃して注意をそらすという作戦だ。これが見事に功を奏し、エレンを無事に奪還することに成功したトムたちだが、しかし面目を潰されたレイヴンと仲間たちも黙ってはいなかった…! 本作の生みの親はウォルター・ヒル監督。当時、エディ・マーフィとニック・ノルティ主演の『48時間』(’82)を大ヒットさせ、ハリウッド業界での評判もうなぎ上りだった彼は、それこそ「鉄は熱いうちに打て」とばかり、すぐさま次なる新作の構想を練る。その際に彼が考えたのは、自作『ウォリアーズ』(’79)の世界に再び挑戦することだったという。実際、本作を見て『ウォリアーズ』を連想する映画ファンは多いはずだ。ニューヨークのコニー・アイランドを根城にする不良グループが、ブロンクスで開かれたギャングの総決起集会に参加したところ罠にはめられ、逃亡の過程で各地区の不良グループと戦いながら地元へ辿り着くまでを描いた『ウォリアーズ』。「都会のヤンキーがよその縄張りへ行って帰って来るだけ」というストーリーの基本プロットは本作と同じだ。雨上がりの濡れたアスファルトに地下鉄や車などを乗り継いでの逃避行、アメリカ下町の不良文化など、それ以外にも符合する点は少なくない。グラフィックノベルの実写版的な世界観も共通していると言えよう。さながら姉妹編のような印象だ。 400万ドルの製作費に対して2200万ドルもの興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなった『ウォリアーズ』だが、しかしウォルター・ヒル監督にとってはいろいろと悔いの残る作品でもあった。同作をグラフィックノベルの実写版として捉え、ポスプロ段階でコミック的な演出効果を加えようと考えていたヒル監督だが、しかしパラマウントから指定された締め切りを守るために断念せざるを得なかった(’05年に製作されたディレクターズ・カット版でようやく実現)。しかも、劇場公開時には映画の内容に刺激された若者たちが各地で暴動を繰り広げ、恐れをなしたパラマウントはプロモーション展開を自粛。一部の映画館では上映を中止するところも出てしまった。そもそもヒル監督によると、パラマウントは最初から同作の宣伝に非協力的だったという。紆余曲折あって『48時間』では再びパラマウントと組んだヒル監督だが、しかし同社から次回作を要望された彼が、あえて本作の企画をパラマウントではなくユニバーサルへ持ち込んだことも頷ける話だろう。 恐らく彼としては、『ウォリアーズ』で叶わなかった理想を本作で実現しようと考えたのかもしれない。シーンの切り替わりで象徴的に使われるギザギザのワイプなどは、なるほどコミック的な演出効果とも言えよう。また、今回はユニバーサルから潤沢な予算が与えられたこともあり、一部のシーンを除く全てをスタジオのセットで撮影。高架鉄道や多階層道路のシーンはシカゴで、貧困地区バッテリーはロサンゼルス市内の工場廃墟で撮影されているが、主な舞台となるリッチモンド地区はユニバーサル・スタジオに大掛かりなオープンセットを組み、夜間シーンはそこに天幕を張って撮影されている。おかげで、狙い通りのコミック的な「作り物感」が生まれ、より「ロックンロールの寓話」に相応しい世界を構築することが出来たのだ。 ‘80年代のトレンドを吸収したウォルター・ヒル流「MTV映画」 もちろん、ヒル監督が熱愛する西部劇の要素もふんだんに盛り込まれている。そもそも、郷里に舞い戻ったヒーローが相棒を引き連れ、無法者たちにさらわれたヒロインを救い出すという設定は西部劇映画の王道である。中でも、監督が特に意識したのはセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタン。ニヒルでクールで寡黙な主人公トム・コディは、さながら若き日のクリント・イーストウッドの如しである。また、本作の主要キャラクターはほぼ若者で占められ、中高年は全くと言っていいほど出てこないのだが、これは当時ハリウッドを席巻していたスティーヴン・スピルバーグとジョン・ヒューズの映画に倣ったとのこと。つまり、若い観客層にターゲットを定めたのである。実際、’80年代のハリウッド映画は若年層の観客が主流となり、その需要に応えるかのごとくトム・クルーズやモリー・リングウォルドやマイケル・J・フォックスなどなど、数えきれないほどのティーン・アイドル・スターが台頭していた。そこで本作が集めたのは、駆け出しの新人を中心とした若手キャストだ。 主人公トム・コディにはトム・クルーズ、エリック・ロバーツ、パトリック・スウェイジがオーディションを受けたが、最終的にヒル監督はマイナーな青春ロック映画『エディ&ザ・クルーザーズ』(’83)に主演した若手マイケル・パレに白羽の矢を当てる。ヒロインのエレン役には、当時18歳だったダイアン・レイン。本作のキャストでは唯一、知名度のある有名スターだ。もともとはダリル・ハンナが最有力候補だったが、結局はキャリアもネームバリューもあるダイアンが選ばれた。恐らく、マイケル・パレがまだ無名同然だったため、引きのあるスターが欲しかったのだろう。エレンのいけ好かないマネージャー、ビリー役は、当時テレビのお笑い番組「Second City Television」で注目されていたコメディアンのリック・モラニス。プロデューサーのジョエル・シルヴァーがモラニスの大ファンだったのだそうだ。 さらに、当初トムの姉リーヴァ役でオーディションを受けたエイミー・マディガンが、トムの相棒マッコイ役を演じることに。本来、この役はラテン系の巨漢男という設定で、役名もメンデスという名前だったという。しかし「これを女に変えて私にやらせて!絶対に面白いから!」とエイミー自らが監督に直訴したことで女性キャラへと変更されたのだ。そういえば、ヒル監督が製作と脚本のリライトを手掛けた『エイリアン』(’79)の主人公リプリーも、もともとは男性という設定だったっけ。代わりに姉リーヴァ役に起用されたのは、『ウォリアーズ』のヒロイン役だったデボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ。さらに、ヒル監督がキャスリン・ビグローの処女作『ラブレス』(’82)を見て注目したウィレム・デフォーが、暴走族のリーダー、レイヴン役を演じて強烈なインパクトを残す。本作で初めて彼を知ったという映画ファンも多かろう。 そのほか、ビル・パクストン(バーテン役)にE・G・デイリー(エレンの追っかけベイビードール役)、エド・ベグリー・ジュニア(バッテリー地区の浮浪者)、リック・ロソヴィッチ(新米警官)、ミケルティ・ウィリアムソン(黒人コーラスグループのメンバー)など、後にハリウッドで名を成すスターたちが顔を出しているのも要注目ポイント。デイリーは歌手としても成功した。また、『フラッシュダンス』(’83)でジェニファー・ビールスのボディダブルを担当したマリーン・ジャハーンが、ナイトクラブ「トーチーズ」のダンサーとして登場。ちなみに、トーチーズという名前のクラブは、ヒル監督の『ザ・ドライバー』(’78)や『48時間』にも出てくる。 ところで、ヒル監督が本作を撮るにあたって、実は最も影響されたというのがその『フラッシュダンス』。全編に満遍なく人気アーティストのポップ・ミュージックを散りばめ、映画自体を1時間半のミュージックビデオに仕立てた同作は空前の大ブームを巻き起こし、その後も『フットルース』(’84)や『ダーティ・ダンシング』(’87)など、『フラッシュダンス』のフォーマットを応用した「MTV映画」が大量生産されたのはご存知の通り。要するに、『ストリート・オブ・ファイヤー』もこのトレンドにちゃっかりと便乗したのである。そのために制作陣は、パティ・スミスやトム・ペティのプロデューサーとして知られるジミー・アイオヴィーンを音楽監修に起用。ジョン・ヒューズの『すてきな片想い』(’84)では当時のニューウェーブ系ヒット曲を総動員したアイオヴィーンだが、一転して本作ではユニバーサルの意向を汲んで、映画用にレコーディングされたオリジナル曲ばかりで構成することに。オープニング曲「ノーホエア・ファスト」を書いたジム・スタインマンを筆頭に、トム・ペティやスティーヴィー・ニックス、ダン・ハートマンなどの有名ソングライターたちが楽曲を提供している。 ダイアン・レインの歌声を吹き替えたのは、ロックバンド「フェイス・トゥ・フェイス」のリードボーカリスト、ローリー・サージェントと、ジム・スタインマンの秘蔵っ子ホリー・シャーウッド。「ノーホエア・ファスト」と「今夜は青春」には、「ファイアー・インク」なるバンドがクレジットされているが、これは「フェイス・トゥ・フェイス」のメンバーを中心に構成された覆面バンドだ。また、挿入曲「ソーサラー」と「ネヴァー・ビー・ユー」は、サントラ盤アルバムのみ前者をマリリン・マーティン、後者をマリア・マッキーと、当時売り出し中の若手女性ボーカリストが歌っている。つまり、映画とサントラ盤では歌声が別人なのだ。これは黒人コーラスグループが歌う「あなたを夢見て」も同様。劇中ではウィンストン・フォードという無名の黒人男性歌手が歌声を吹き替えていたが、しかしサントラ盤アルバムを制作するにあたって作曲者のダン・ハートマンが自らレコーディング。これが全米シングル・チャートでトップ10入りの大ヒットを記録する。 ちなみに、映画の最後を締めくくる楽曲は、本作とタイトルが同じという理由から、ブルース・スプリングスティーンの「ストリーツ・オブ・ファイアー」のカバー・バージョンが選ばれ、実際に演奏シーンも撮影されていたのだが、しかしレコード会社から著作権の使用許可が下りなかった。そこで、急きょジム・スタインマンが「今夜は青春」を2日間で書き上げ、改めてラスト・シーンの撮り直しが行われたのである。ダイアン・レインの髪型がちょっと不自然なのはそれが理由。というのも、当時の彼女は次回作(恐らくコッポラの『コットン・クラブ』)の撮影で髪を切っていたため、本作の撮り直しではカツラを被っているのだ。 一方、ポップソング以外の音楽スコアは、『48時間』に引き続いてジェームズ・ホーナーに依頼されたのだが、しかし出来上がった楽曲が映画のイメージとは全く違ったためボツとなり、ヒル監督とは『ロング・ライダーズ』(’80)と『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(’81)で組んだライ・クーダーが起用された。確かに、ロックンロール映画にはロック・ミュージシャンが適任だ。むしろ、なぜジェームズ・ホーナーに任せようとしたのか。そちらの方が不思議ではある。 ロックンロールに暴走族に西部劇にレトロなポップカルチャーと、ウォルター・ヒル監督が少年時代からこよなく愛してきたものを詰め込んだという本作。プレミア試写での評判も非常に良く、製作陣は「絶対に当たる」との自信を持っていたそうだが、しかし結果的には大赤字を出してしまう。ヒル監督やプロデューサーのローレンス・ゴードン曰く、カテゴライズの難しい作品ゆえにユニバーサルは売り出し方が分からず、アメリカでは宣伝らしい宣伝もほとんど行われなかったという。映画でも音楽でも小説でもそうだが、残念ながら内容が良ければ成功するというわけではない。本作の場合、アメリカではビデオソフト化されてから口コミで評判が広まり、今ではカルト映画として愛されている。これをいち早く評価していたことを、日本の映画ファンは自慢しても良いかもしれない。■ 『ストリート・オブ・ファイヤー』© 1984 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.03.31
アメリカの銃社会に警鐘を鳴らした先駆的なサスペンス映画『殺人者はライフルを持っている』
コーマン門下生ピーター・ボグダノヴィッチの処女作 『ラスト・ショー』(’71)や『ペーパー・ムーン』(’73)でニューシネマ時代のハリウッドを牽引した名匠ピーター・ボグダノヴィッチの監督デビュー作である。瑞々しい青春ドラマやクラシカルなコメディで鳴らしたボグダノヴィッチにとって、本作は恐らく唯一のサスペンス・ホラー。ボリス・カーロフ演じる往年の怪奇映画スターが、ロサンゼルスを恐怖に陥れる本物の無差別殺人犯と対峙する。あのクエンティン・タランティーノ監督をして、「史上最も偉大な監督デビュー作のひとつ」と言わしめた傑作。世界的に有名な映画ハンドブック「死ぬまでに観たい映画1001本」にも選出された。しかし、「SFとホラーは嫌いなジャンルだ」と公言していた彼が、なぜ本作のような恐怖映画を撮ったのか。その背景には、ボグダノヴィッチ監督の恩師ロジャー・コーマンの存在があった。 もともとニューヨークの映画評論家で、「エスクァイア」誌や「サタデー・イヴニング・ポスト」誌などに映画評を寄稿していたボグダノヴィッチ。その傍ら、ニューヨーク近代美術館で映画の回顧上映を企画したり、俳優や演出家として舞台劇に携わったりしていたのだが、しかしやはり最終目標は少年時代から憧れていた映画監督だった。そのためにロサンゼルスへと拠点を移し、映画評論家としてのコネを使って業界パーティや新作プレミアに足繁く通った彼は、とある試写会で近くに座っていた映画監督ロジャー・コーマンと親しくなる。ご存知の通り、映画界を目指す若者たちを積極的にスタッフとして雇い、フランシス・フォード・コッポラにマーティン・スコセッシ、ジョー・ダンテにジェームズ・キャメロンなどなど、数多くの愛弟子を一流の映画人へと育てたコーマン御大。ボグダノヴィッチもまたその門下生となり、当時コーマンが準備していた監督作『ワイルド・エンジェル』(’66)の脚本の手直しを皮切りに、助監督から雑用係までどんな仕事でもこなすようになる。 そんなある日、ボグダノヴィッチはコーマン師匠から電話で「監督しないか?」と唐突に誘われ、「はい、もちろん!」と二つ返事で引き受けたという。それこそ棚から牡丹餅みたいな話だが、しかしこれにはいくつかの条件があった。大前提は俳優ボリス・カーロフを使うこと。『フランケンシュタイン』(’31)で有名な大物怪奇映画俳優カーロフ。当時すでに80歳近い高齢者だったが、一般的な知名度が高いわりにギャラは安いこともあって、コーマンはしばしば自作に出演させていたのだが、そのカーロフとの出演契約が2日分余ってしまったため、これを上手く有効活用して新作映画を1本作れというのだ(実際は5日間かかったらしい)。 とりあえず2日間あれば本編20分くらいは撮影できる。また、コーマンの監督したカーロフ主演作『古城の亡霊』(’63)のフィルムも抜粋して使用できる。そのうえで、カーロフ以外のキャストを用いて1時間分のシーンを撮影すること。こちらは2週間以内での完了が目標。こうすればトータル1時間半の映画が出来るというわけだ。予算は総額12万5000ドル。もちろん、金を出すのはコーマン師匠である。ただし、そのうち2万5000ドルはカーロフのギャラなので、実際の映画作りは残りの10万ドルでやりくりせねばならない。まあ、なかなかハードルの高い条件だが、しかしコーマン監督のもとで低予算映画作りのノウハウを叩きこまれたボグダノヴィッチにしてみれば、決して無理な相談などではなかっただろう。むしろ彼が頭を悩ませたのはシナリオ作りだったそうだ。 なにしろ、古典的な怪奇映画俳優であるボリス・カーロフを使い、さらにゴシック・ホラー映画『古城の亡霊』のフィルムを流用するわけだが、しかし予算の金額からして大掛かりなセットを組む余裕などないため、どう考えても映画の内容は現代劇にするほかない。実際、本作では内装を変えながらひとつのセットを何度も繰り返し使い回している。劇中で老俳優が宿泊するホテルの部屋も、スタッフと打ち合わせる高級レストランも、殺人犯が家族と一緒に暮らす自宅も、実はみんな同じセットなのだ。 いずれにせよ、どうやってカーロフと『古城の亡霊』を現代劇として料理したものか。当時の妻だった脚本家ポリー・プラットと何時間も相談しあったボグダノヴィッチは、しまいに煮詰まり過ぎてこんな冗談を飛ばす。映画会社の試写室でボリス・カーロフが自分の出演する『古城の亡霊』を見ている。で、上映が終わるとカーロフが振り返って、ロジャー・コーマンに「最低の映画だな」と文句を言うんだ。あくまでもタチの悪いジョークのつもりだったが、しかしこれが意外にも脚本作りの突破口となり、キャリアの限界を感じて引退を決意した往年の怪奇映画俳優という、本作を構成する2つのプロットのうちのひとつが誕生したのである。 もうひとつのプロットである無差別殺人犯の話は、撮影の前年に当たる’66年に起きた「テキサスタワー乱射事件」が下敷きとなった。元海兵隊員の若者チャールズ・ホイットマンが、母校であるテキサス大学オースティン校の時計塔展望台に立て籠もり、たまたま通りがかった眼下の通行人を次々と無差別に射殺したのである。最終的に15名が死亡し、31名が負傷。ホイットマンは事件を起こす直前に、同居する妻と実の母親まで殺害していた。当時としては前代未聞の大量殺人に全米は文字通り震撼。加えて、ホイットマンが恵まれた家庭に育った普通の明るい好青年だったこと、犯行の動機がハッキリとしないことも世間に大きな衝撃を与えた。今なお後を絶たないアメリカの銃乱射事件の、いわばルーツのような事件だ。 実は、本作のオファーを受ける数か月前、ボグダノヴィッチは「エスクァイア」誌の編集者から、チャールズ・ホイットマンを題材に映画を撮ってみてはどうかと薦められていた。これはいいアイディアかもしれない。しかも、2つの全く異なるストーリーを並行して交互に描いていけば、ボリス・カーロフの出番も少なくて済む。このような制作進行上の都合もあって、ボグダノヴィッチは銃乱射事件のプロットをもうひとつの大きな柱としたのだが、これが結果的には大正解だった。 今なお絶えない銃乱射事件を取り上げた社会性と先見性 とある映画会社の試写室。最新主演作の完成版を見終えた往年の怪奇映画俳優バイロン・オーロック(ボリス・カーロフ)は、これを最後に俳優業から引退すると宣言する。既に次回作も決まっているというのに!と大慌てするプロデューサー。居合わせた新人監督サミー・マイケルズ(ピーター・ボグダノヴィッチ)も困惑する。今回の映画でようやくデビューのチャンスを掴んだ彼は、再びオーロックを主演に据えた次回作で勝負に出ようと考えたのだからたまらない。なんとか引退を思い止まらせようと説得するサミーだったが、しかしオーロックの決意は揺るがなかった。 自分の時代はもうとっくに終わった。新聞を見てみなさい。私の出るホラー映画なんかよりも、よっぽど恐ろしい事件が現実に起きているじゃないか。そう言って、L.A.市内のドライブイン・シアターで予定されているプレミア上映のゲスト登壇もキャンセルしようとしたオーロックだったが、しかし映画監督として才能も将来性もある若者サミーの顔を立てるため、娘のように可愛がっている中国人の秘書ジェニー(ナンシー・シュエ)と共に会場へ向かうことにする。 一方、ベトナム帰還兵の平凡な若者ボビー・トンプソン(ティム・オケリー)は、人知れず深刻な悩みを抱えていた。働き者で心優しい妻に恵まれ、同居する両親のことも敬う優等生のボビーだが、その一方で拳銃やライフルのコレクションに執着しており、自らの内側で沸々と湧き上がる殺人衝動に言いようのない不安を感じていたのだ。家族にも相談できず思いつめた彼は、ある朝突然、愛する妻と母親、そして運悪く居合わせた宅配人の若者を射殺し、父親と兄へ向けた遺書を残して自宅を後にするのだった。 車へ積み込んだ荷物には複数の銃器と大量の銃弾。高速道路沿いのガスタンクに上って陣取った彼は、行き交う自動車のドライバーたちを次々と射殺していく。しかし、ほどなくしてパトカーや白バイ警官が到着したため、慌ててL.A.市内を車で逃亡したボビーは、たまたま迷い込んだドライブイン・シアターで次なる凶行を計画する。そう、バイロン・オーロックの新作映画が上映されるプレミア会場だ。スクリーンの裏側に忍び込み、着々と準備を整えるボビー。やがて周辺では夜の帳が下り、ゲストのオーロックも到着。映画の上映が始まると、ボビーは駐車場に並んだ観客の車に向かって次々と発砲する…。 まさしく現代アメリカの深刻な病理を抉り出した問題作。ごくごく当たり前の日常を過ごしていた平凡な若者が、いきなり明確な理由もなく見知らぬ人々へ銃口を向ける。劇中に映し出される1枚の写真は、ボビーがベトナム帰還兵であることを示唆しているが、果たして彼が凶行に及んだのは戦争のPTSDに起因する殺人衝動のせいなのか。それとも、日々新聞やテレビで凶悪犯罪の報道を目にして、その影響で倫理観がぶっ壊れてしまったからなのか。その真意は図りかねるものの、少なくとも銃器が誰でも容易に手に入るような環境でなければ、このような惨劇は起き得なかったはずだ。 怪奇俳優オーロックが「自分の時代は終わってしまった」と嘆くのも無理からぬこと。映画のラストで彼は「これが現実なのか」と呟くが、ボグダノヴィッチ監督曰く、ここでの「現実」とは「恐怖」の暗喩だという。要するに、現実の恐怖が虚構を超えてしまったことに、古き良き恐怖映画を体現する老人オーロックは愕然とするのである。これは21世紀の今もなお解決されることのない、アメリカの銃社会に警鐘を鳴らした先駆的な映画。本作の劇場公開直前に、マーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・ケネディ議員が相次いで銃殺されたのも実に皮肉な話だ。タランティーノ監督が本作について、「社会批判の要素を内包したスリラーではなく、スリラーの要素を内包した社会批判だ」と評したのは誠に正しいと言えよう。 恩師コーマンから受け継いだ低予算映画ならではの秘策とは? 2つのプロットを交互に描いていくにあたって、ボグダノヴィッチ監督はオーロック側の世界をレッドやブラウンやベージュなどの暖色系で、ボビー側の世界をホワイトやブルーやパープルなどの寒色系で統一。今はどちらの世界なのかをひと目で分かるようにすることで、観客が混乱をきたさないように細心の注意が払われている。さらに、あえて音楽スコアを一切使わず、映像だけで登場人物の感情を表現することに努めた。もちろん、音楽スコアの制作に割くだけの予算がなかったという事情もある。劇中で使用されるBGMはラジオから流れてくる音楽だけ。それ以外は生活音や環境音が音楽の代わりとなり、スクリーンには映らない周辺の出来事までも見る者に想像させ、ストーリーの奥行きと広がりをより大きなものにしている。アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(’54)をヒントにしたそうだが、限られた時間と資材で撮影せねばならない低予算映画にとって、これは非常に有効な手法だ。 低予算映画ならではの経費節減策といえば、当局の許可を得ないゲリラ撮影もその代表格。ロジャー・コーマンもゲリラ撮影が得意だったが、その愛弟子ボグダノヴィッチも師匠に倣い、高速道路での銃乱射シーンおよび市内の逃走シーンなどでゲリラ撮影を敢行している。そもそも、高速道路での撮影は法律で禁じられており、付近での撮影はおろか高速道路にカメラを向けることすらご法度だったという。なので、たとえ申請したとしても許可は下りない。そうとなれば無許可で勝手に撮るしかなかろう。テキパキと素早く撮影するため、現場での録音も一切なし。道路を行き交う車の音はもちろんのこと、コーラの蓋を開ける音も炭酸がはじける音も、ライフルを構えて照準を合わせるボビーの息遣いの音まで含め、高速道路の銃乱射シーンは全て後から音響効果で処理をされている。あまりにも自然なので誰もが驚くはずだ。ちなみに、たまたま現場を通りがかったパトカーや白バイも、そのままカメラに収めて使用している。 さらに、プロのエキストラを動員する予算も足りないため、スタッフやその家族はもちろんのこと、無料で出てくれる友人やそのまた友人もめいっぱいかき集めたという。例えば、高級レストランのシーンでボリス・カーロフの肩越しに見える別テーブルの男性客は、『理由なき反抗』(’55)や『ジャイアンツ』(’56)などで有名な俳優サル・ミネオ。高速道路で撃たれるドライバーの中には、『風と共に去りぬ』(’39)などの製作者デヴィッド・O・セルズニクの次男ダニエルの姿もある(オープンカーを運転する男性)。車から飛び出して助けを求める女性は俳優ロバート・ウォーカー・ジュニアの奥さん。ドライブイン・シアターの受付の若者は、本作の助監督も務めたフランク・マーシャル(後のスピルバーグ映画のプロデューサー)だ。ボビーのターゲットになる観客の中には、今もハリウッド大通りで営業する映画関連書籍の専門書店ラリー・エドモンズのオーナー夫妻やフランク・マーシャルの両親なども含まれている。 殺人犯ボビー役のティム・オケリーは本作が初の大役だった若手俳優。クリーンカットのオールアメリカン・ボーイといった雰囲気は役柄にピッタリだし、モデルとなったチャールズ・ホイットマンにも容姿が似ている。新人映画監督サミー・マイケルズは、当初はボグダノヴィッチ監督の友人ジョージ・モーフォゲンを起用する予定だったが、都合が折り合わなかったためボグダノヴィッチ自身が演じることとなった。劇中ではテレビで放送されているハワード・ホークス監督の『光に叛く者』(’31)を見て、サミーが「回顧上映で見たことがある」というセリフが出てくるが、実際にボグダノヴィッチはニューヨーク近代美術館のハワード・ホークス回顧上映を企画したことがあるし、その際にホークスとのロング・インタビューも行っている。必ずしも彼自身をモデルにした役柄ではないものの、重なり合う部分が少なからずあることは間違いないだろう。 ちなみに、サミー・マイケルズという役名は、映画監督サミュエル・フラーの本名サミュエル・マイケル・フラーから取られている。というのも、ボグダノヴィッチは友人でもあったフラー監督に本作の脚本を書き直して貰っているのだ。その際、クレジットに名前を出すことを申し出たボグダノヴィッチに対して、フラーは「これは君の書いた脚本だ。私の名前を出す必要はない」と辞退したという。そんな謙虚で懐の深い大先輩へのオマージュとして、監督役に彼の本名を使ったのである。 とはいえ、やはり『殺人者はライフルを持っている』はボリス・カーロフの映画である。実際、ボグダノヴィッチはカーロフ本人をモデルにしてバイロン・オーロックという役柄を書き上げた。ただし、カーロフ自身は俳優を引退する気などさらさらなかったのだが。ご存知の通り、もともとはギャング映画などの悪役俳優だったカーロフ。先述した『光に叛く者』はその出世作だったのだが、しかし彼に真の名声をもたらしたのは、空前の大ヒットを記録した主演作『フランケンシュタイン』をはじめとする一連のホラー映画群だった。 「これ以上老醜を晒したくない」と漏らす劇中のオーロックだが、演じるカーロフ自身も当時は両脚が湾曲したうえに呼吸も困難。歩くことすらままならないため、歩行ギプスを付けて撮影に臨んでいたという。晩年は低予算のB級・C級映画への出演が多く、オーロック同様に半ば過去の人となっていたカーロフだが、本作での芝居を見ると彼が怪奇映画俳優の枠に収まることのない、ストレートなドラマ映画も十分いける正統派の名優だったことがよく分かる。サマセット・モームの短編「サマラの約束」を独り語りするシーンなどは実に見事!撮影が終わると共演者やスタッフから感動の拍手が沸き起こり、その様子に同席したカーロフ夫人は涙を流して喜んだそうだが、長いキャリアの最晩年に本作のような映画に出会えたことは、カーロフにとって少なからぬ幸運だったのではないかと思う。■ 『殺人者はライフルを持っている』TM, ® & © 2023 by Paramount Pictures. 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COLUMN/コラム2023.03.01
ミュージカル映画の巨匠がヒッチコックの世界に挑んだロマンティック・サスペンスの傑作『シャレード』
キャスト変更の可能性もあった『シャレード』誕生秘話 恋愛ロマンスとサスペンス・スリラーの要素を兼ね備えた、いわゆるロマンティック・サスペンス映画は古今東西に数多くあれども、この『シャレード』に匹敵するような傑作はなかなか見当たらないだろう。主演はハリウッド黄金時代の大スター、ケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーン。舞台は花の都パリである。裕福なフランス人男性と結婚したアメリカ人女性が、ある日突然、身に覚えのない陰謀事件に巻き込まれ、正体不明の男たちから逃げる羽目となる。まるでアルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画のようだが、実際にスタンリー・ドーネン監督は、ケーリー・グラントが主演したヒッチコックの『北北西に進路を取れ』(’59)を強く意識していたという。本作が「ヒッチコックの監督していない最良のヒッチコック映画」と呼ばれる所以だ。 と同時に、本作は’60年代当時ブームとなりつつあったスパイ映画のジャンルにも相通ずるものがある。なにしろ、タイトル・シークエンスのスタイリッシュなグラフィック・デザインを担当したのは、007シリーズのタイトル・デザインでも有名なモーリス・ビンダーである。もちろん、ビンダーはヒッチコック監督の『めまい』(’58)も担当しているので、ヒッチコック映画へのオマージュ的な意味合いもあったであろう。さらに、ヘンリー・マンシーニによるラウンジ・ミュージック・スタイルの音楽スコアもボンド映画っぽい。甘いメロディの印象的なテーマ曲「シャレード」は、やはりボンド映画群の主題歌と同じくスタンダード・ナンバーとして親しまれ、アンディ・ウィリアムスやシャーリー・バッシーなど数多くの歌手がカバー・バージョンをレコーディングした。さながら、’50年代的なエレガンスと’60年代的なモダニズムを併せ持った映画とも言えよう。 原作はピーター・ストーンとマーク・ベームの書いた小説「Unsuspecting Wife(疑わない妻)」。しかし、実はその小説の元となった映画用の脚本が存在する。執筆したのはピーター・ストーン。’30年代に人気を博した犯罪ミステリー映画『チャーリー・チャン』シリーズで有名な映画製作者ジョン・ストーンの息子としてハリウッドで生まれ育ったストーンは、やはり映画脚本家だった母親ヒルダ・ストーンが再婚してフランスへ移り住んだことから、まだ大学生だった19歳の時に初めてパリを訪れ、たちまち魅了されてしまったという。そこで、大学を卒業した彼はCBSラジオのパリ支局に就職し、報道部で働きつつ大好きなパリを舞台にしたミステリー映画の脚本を書き上げる。それが『シャレード』だった。 完成した『シャレード』の脚本を持ってアメリカへ一時帰国し、ハリウッドのメジャースタジオ7社に売り込みをかけたストーンだが、しかしどこへ行っても断られてしまったという。そこで妻に勧められて脚本を小説として書き直すことにしたのだが、それまで小説を書いたことがなかったため、同じくパリ在住のアメリカ人だった作家マーク・ベームに協力を仰いだのである。そうして出来上がった小説版は、アメリカの有名な女性誌「レッドブック」に掲載されることとなる。その際、編集部の要望で「Unsuspecting Wife」というタイトルが付けられた。というのも「レッドブック」誌では、タイトルに「Wife」「God」「Dog」「Lincoln」のいずれかの単語が入った小説は当たる、というジンクスがあったからなのだとか。実際に掲載された小説は評判となり、かつて脚本を断ったスタジオ7社の全てが映画化権を手に入れようとアプローチしてきたという。 一方その頃、『雨に唄えば』(’52)などのミュージカル映画で巨匠としての地位を確立していたスタンリー・ドーネン監督も、エージェントから送られてきた雑誌を読んで原作を気に入り、自身の製作会社スタンリー・ドーネン・フィルムズの企画として映画化権の購入に動いていた。当時の2人はお互いに全く面識がなかったものの、ストーンはメジャースタジオ各社からのオファーを断って、ドーネン監督と直接契約を結ぶことにする。最大の理由は、ロサンゼルスではなく実際にパリで全編ロケ撮影することをドーネンが約束したこと。さらに、当初からケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンを主演に想定していたストーンにとって、そのどちらとも仕事をしたことのあるドーネン監督は映画化を任せるに最適な人物だった。中でも特にグラントとは、共同で製作会社グランドン・プロダクションズを立ち上げるほどの親しい間柄である。まさに理想的な人選だ。 ところが、以前からグラントと共演したかったオードリーは出演を快諾したものの、肝心のグラントがハワード・ホークス監督の『男性の好きなスポーツ』への出演を希望して『シャレード』を断ってしまった。そのため、グラントとの共演が必須条件だったオードリーも降板することに。そこで、当時ドーネン監督は映画会社コロムビアと提携を結んでいたのだが、そのコロムビア幹部の提案でウォーレン・ベイティとナタリー・ウッドに白羽の矢が立てられ、実際に本人たちも出演を承諾したのだが、しかしギャラの金額が折り合わなかったらしく、最終的にコロムビアは企画そのものから手を引いてしまった。 はてさて困った…とドーネン監督は頭を抱えたわけだが、その直後に『男性の好きなスポーツ』を降板したグラントから連絡が入り、やっぱり『シャレード』に出演したいとの申し出があったという。そこからとんとん拍子でオードリーの出演も決定し、ドーネン監督は改めて企画をユニバーサルに持ち込んだところ、すんなりとゴーサインが出たのである。ただし、グラントは出演契約を結ぶにあたって、ひとつだけ条件を付けたという。それは、撮影前に脚本家と打ち合わせをして、自分の意見を脚本へ取り入れること。そこで脚本担当のピーター・ストーンがグラントと会うことになり、ニューヨークのプラザ・ホテルで数日間に渡って綿密な打ち合わせを行った。 その際にグラントがストーンに最も強く要望したのは、自分の演じるピーターがオードリー演じるレジーナを口説くのではなく、反対にレジーナがピーターを口説くという設定にすることだった。というのも、当時のグラントは58歳でオードリーは33歳。親子ほど年の離れた中年男性が若い女性を口説くのはみっともないと考えたのだ。また、劇中ではピーターがシャワーを浴びるシーンがあるのだが、若い頃に比べて体型が衰えたことを理由に、グラントはシャワーシーンで脱ぐことを拒否。その結果、服を着たままシャワーを浴びるというユーモラスな場面が出来上がったのだが、いずれにせよ当時のグラントは自身の年齢をいたく気にしていたらしい。実際、長年に渡ってロマンティックな二枚目スターとして女性ファンを魅了してきたグラントは、本作を最後に「二枚目役」を卒業することとなる。 フランス・ロケの魅力を存分に生かした撮影舞台裏エピソード 主人公はフランス人の大富豪と結婚したアメリカ人の元通訳レジーナ・ランパート(オードリー・ヘプバーン)。親友シルヴィ(ドミニク・ミノー)とその幼い息子ジャン=ルイ(トーマス・チェリムスキー)と一緒に、フレンチ・アルプスへスキー旅行に出かけた彼女は、よく素性も分からぬまま結婚した夫チャールズとの離婚を決意する。ところが、パリへ戻ってみると自宅はもぬけの殻で、家財道具はもちろんチャールズの姿もない。そこへやって来た警察のグランピエール警部(ジャック・マラン)によると、夫は家財道具を競売にかけて得た25万ドルを持ってパリから逃げようとしたところ、何者かに列車から突き落とされて死亡したという。警察署で夫の遺体を確認し、誰もいない自宅で茫然自失となるレジーナ。するとそこへ、旅行先で知り合ったアメリカ人男性ピーター・ジョシュア(ケイリー・グラント)が現れ、新聞記事で事件を知ったと言って慰めてくれるのだった。 教会で執り行われたチャールズの葬儀。親友シルヴィとグランピエール警部以外、弔問客も殆どなかった。すると、見たこともない3名の男性が入れ代わり立ち代わりやって来る。小柄の中年男ギデオン(ネッド・グラス)にのっぽのテックス(ジェームズ・コバーン)、そして右手に義手をはめた大男スコビー(ジョージ・ケネディ)。3人ともなぜか、夫が本当に死んだのか確認しているようだ。その後、CIAパリ支局の捜査官バーソロミュー(ウォルター・マッソー)にアメリカ大使館へ呼び出されたレジーナは、そこでチャールズの本名がチャールズ・ヴォスという男であること、彼が第二次世界大戦中に情報機関OSSに所属していたこと、当時の仲間と米政府の金塊25万ドル分を横領したことを知らされる。しかも、夫は仲間と分配するはずの金塊をひとりで持ち逃げしていたのだ。戦時中のチャールズの写真を見せられたレジーナは、そこに写っている仲間たちが葬儀に現れた3名の男性であることに気付く。 夫が殺された際に持っていた25万ドルの行方をバーソロミューに問い詰められるレジーナだが、そもそもチャールズの正体を初めて知ったばかりの彼女に心当たりなどあるはずがない。夫の遺品を受け取って持ち帰った彼女は、気を紛らわすためピーターとデートに出かけるのだが、そんな彼女の前に例の3人が次々と現れて「金を返せ」と脅迫する。身の危険を感じたレジーナはピーターと一緒にホテルへ身を隠し、消えた25万ドルの所在を突き止めようとするのだったが…? 原作だとヒロインの姓はランパート(Lampert)でなくランバート(Lambert)だったそうだが、アメリカ国内に同姓同名の女性が3名実在したため変更されたという。また、ピーター・ジョシュアという役名は、ドーネン監督の2人の息子ピーターとジョシュアから取られている。男性が列車から突き落とされる謎めいたオープニングと、その後に続くカラフルでお洒落でウルトラモダンなタイトル・シークエンスのたたみかけが実にお見事!まさに掴みはオッケーという感じで、思わず期待と興奮に胸がドキドキと高鳴る。よく事情も知らぬまま陰謀事件の渦中に放り込まれたヒロイン、そんな彼女を助ける謎めいたヒーロー、そして次から次へと襲い来る危機に意表をつく驚きのどんでん返し。ロマンスとサスペンスのツボを心得たピーター・ストーンの脚本は、スリルとユーモアのバランス感覚もまた抜群に絶妙である。主演のケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンの顔合わせも実にゴージャスだし、’60年代当時のパリの街並みや景色がまたロマンティックなムードを一層のこと高めてくれる。 冒頭のスキー旅行シーンのロケ地となったのは、ロスチャイルド家御用達のスキー・リゾート地としても有名なムジェーヴという町。撮影に使われたホテルも実はロスチャイルド家の別荘だった。劇中でジャン=ルイ少年がロスチャイルド男爵に雪の玉を投げつけて叱られるというエピソードは、いわばちょっとした内輪ジョークだったのである。ちなみに、ロケに同行したストーンによると、この別荘には当時ロミー・シュナイダーとアラン・ドロンがお忍びで宿泊していたそうだ。また、ジャン=ルイ少年がレジーナに水鉄砲を向けるシーンでは、最初に映し出されるクロースアップショットをよく見ると、子供ではなく大人がピストルを握っているように見える。実際、撮影では助監督マーク・モーレットが水鉄砲を握っていたらしい。観客をドキッとさせるためには、ひと目で子供の手だと分かってしまっては都合が悪かったのだ。 パリ市内のロケでも、セーヌ川のほとりやノートルダム寺院などの観光名所をたっぷりと楽しませてくれるが、その中でも謎を解くための重要なカギとして使われたのが、シャンゼリゼに近いマリニー通りの有名な切手市。ここでは現在も毎週木曜日と土曜日と日曜日の3日間、切手業者が蚤の市を開いて世界中から切手コレクターが集まる。いわば知る人ぞ知る穴場スポットのようなものだ。ただし、本作では定休日に切手市の場所だけ借り、撮影用にエキストラを集めて普段の様子を再現したのだそうだ。そういえば、レジーナとピーターが微笑ましく眺める路上の人形劇も、シャンゼリゼ通りで200年以上に渡って市民から親しまれているパリ名物である。 また、終盤の大きな見せ場として登場するのがパレ・ロワイヤル。17世紀の歴史に名高い宰相リシュリューの城館として建てられた歴史的建造物だが、当初は文化省が入っているからという理由で撮影許可が下りなかったのだそうだ。そこでドーネン監督は当時の文化相アンドレ・マルローに直談判して許可を取ったという。作家でもあったマルロー氏は、映画の撮影にとても協力的だったらしい。ただし、レジーナが逃げ込む劇場コメディ・フランセーズは入り口だけが本物で、中身は全く別の劇場で撮影されている。 このように、フランス現地のロケーションを存分に生かした本作だが、その一方でスタジオ撮影が非常に印象的だったのは、ケーリー・グラントとジョージ・ケネディがビルの屋上で格闘する緊迫のアクション・シーンである。実は、このビルの屋上はもちろんのこと、周囲の建物や眼下に見える車も全てスタジオに建てられた精巧なセット。遠近法を利用して適度な距離感を表現するべく、周囲の建物は全て実物大よりもだいぶ小さく作られており、完成した本編映像では見えづらいものの、一部の窓際には人影を映すためミゼットのエキストラを立たせたそうだ。もちろん、屋上から見下ろした路上の車は全てミニチュアである。 なお、劇中には脚本家ピーター・ストーンが2度ばかり登場する。まずはレジーナが最初にアメリカ大使館を訪れたシーンで、エレベーターのドアが開いた際に立ち話している男性2人のうち、右側に立っている背の高い黒縁メガネの男性がストーン。ただし、なぜか声だけはスタンリー・ドーネン監督が吹き替えている。そして、2度目はクライマックスでレジーナとピーターがアメリカ大使館を訪れるシーン。門番の若い海兵隊員にレジーナが公金返還の担当部署を訊ねるのだが、その若い海兵隊員の「声」を吹き替えたのがストーンだった。 かくして、1963年の12月初旬にアメリカで封切られた『シャレード』。興行的には大ヒットを記録するものの、同時に2つの大きな問題が発生する。ひとつめは本編中のセリフ。劇場公開の直前にケネディ大統領の暗殺事件が発生し、当時全米はもとより世界中に衝撃が走っていたのだが、本作ではレジーナとピーターがセーヌ川沿いを散歩するシーンで、「暗殺する(Assassinate)」という単語が2度も出てくるのだ。これが不謹慎に当たると考えたドーネン監督は、全米公開の間際に大急ぎで該当箇所の音声をカットし、代わりに「抹殺する(Eliminate)」とアフレコで差し替えたのである。なお、現在ユニバーサルがテレビ放送やソフト販売などで使用しているバージョンは、該当箇所が元の「暗殺する」に差し戻されている。 そしてもうひとつの問題が、本編中で著作権の表記を忘れたことである。正確に言うと、著作権者としてユニバーサル映画とスタンリー・ドーネン・フィルムズの名前は表記されているものの、それが著作権者であることを明確に示すCopyrightの文字やロゴマークを入れ忘れたのである。そのため、法律によって本作は著作権を放棄したものとみなされ、’80年代に家庭用ビデオが普及すると数多くの海賊版ビデオソフトが出回ることとなってしまう。本作の格安DVDは日本でも沢山出ているが、どれも使い古しの上映用フィルムやテレビ放送用マスターからコピーした代物。オリジナル・フィルムを使用した正規版マスターを保有しているのは現在もユニバーサルだけなので、映画ファンはくれぐれも注意されたし。■ 『シャレード』© 1963 Universal Pictures, Inc. & Stanley Donen Films, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.03.01
ヴァン・ダムが双子の兄弟を演じた異色アクションは製作舞台裏も面白エピソードがいっぱい!『ダブル・インパクト』
原作はフランスの古典文学だった!? 当時、飛ぶ鳥を落とす勢いでスター街道を爆走していたアクション俳優ジャン=クロード・ヴァン・ダムが、1人2役で双子の兄弟を演じたことが話題となったマーシャルアーツ映画である。ご存知の通り、ベルギー出身の有名な格闘家だったヴァン・ダム。’80年に全欧プロ空手選手権のミドル級王座に輝いた彼は、’82年に選手生活にピリオドを打つと映画スターを目指してロサンゼルスへ拠点を移す。アルバイトと掛け持ちしながらスタントマンとして映画の仕事をこなし、虎視眈々とチャンスを狙っていたところ、その甲斐あってキャノン・フィルムズの名物社長メナハム・ゴーランへの売り込みに成功。香港を舞台にした初主演映画『ブラッドスポーツ』(’88)の大成功を皮切りに、『サイボーグ』(’89)や『キックボクサー』(’89)、『ブルージーン・コップ』(’90)など次々とヒットを重ねていく。 その『ブラッドスポーツ』で初めて知り合ったのが脚本家シェルドン・レティック。アメリカ海兵隊出身でベトナム戦争への従軍経験もあるレティックは、ストイックな元格闘家のヴァン・ダムとウマが合ったのだろう。すっかり意気投合した2人は、レティックの監督デビュー作である『ライオンハート』(’90)など数々の映画でコンビを組むこととなる。そのレティック監督によると、もともと本作『ダブル・インパクト』の企画がスタートしたのは『ブラッドスポーツ』の直後だったという。同作の想定外の大ヒットに上機嫌だったメナハム・ゴーランは、ヴァン・ダムとレティックを自身のオフィスへ呼び出し、棚に並べられた無数の脚本の中から次回作を自由に選ぶよう勧めた。そこでレティックの目に入ったのが「Corsican Brothers」というタイトルの脚本だった。 古典文学に明るい方なら御察しの通り、これはフランスの文豪アレクサンドル・デュマが1844年に発表した小説「コルシカの兄弟」をベースにした作品。原作は離ればなれで暮らすコルシカ島出身の双子の兄弟を主人公に、弟が決闘で殺されたことをテレパシーで察知した兄が復讐を果たすという物語だ。オリジナルの脚本がこれをどう料理していたのかは定かでないものの、リライトを手掛けたレティック監督とヴァン・ダムによれば、そこからさらに原型をとどめないくらい改変してしまったらしい。確かに、完成した映画本編を見ると「双子の兄弟」「復讐」という2つのキーワード以外、デュマの小説と共通するものはほぼないと言えるだろう。 かくしてリライト作業を進めている間に、キャノン・フィルムズは経営不振に陥ってメナハム・ゴーランが会社から追放され、レティックはヴァン・ダム主演の『ライオンハート』でひと足先に監督デビュー。そんな折、ヴァン・ダムは『クリーチャー』(’85)や『ザ・ニンジャ/復讐の誓い』(’85)などの低予算映画で注目され、当時『ブランケット城への招待』(’88)や『カンザス/カンザス経由→N.Y.行き』(’88)などでメジャー進出を図っていたトランス・ワールド・エンターテインメントの創業社長モシュ・ディアマントと契約を結び、「Night of the Leopard」という作品に主演する予定だったのだが、この企画が諸事情によって頓挫してしまう。それを知ったレティック監督がディアマントに「Corsican Brothers」の企画を売り込んだことから、『ダブル・インパクト』の企画にゴーサインが出たのである。 ちなみに、ディアマントは「Corsican Brothers」というタイトルを気に入らず変更を要求したのだが、その際に『ダブル・インパクト』を提案したのはヴァン・ダムだったという。当時『ライオンハート』の編集作業中だったレティック監督は、アクション・シーンにインパクトを付けるため、別角度から撮った同じカットを2度連続で編集していたのだが、ヴァン・ダムはそれをヒントにして新タイトルを思いついたらしい。 生き別れになった双子兄弟の復讐劇! 物語の始まりは1966年。香港でトンネル建設事業に携わった裕福な実業家ワグナーが共同経営者のグリフィス(アラン・スカーフ)に裏切られ、地元の中国系ギャングによって妻もろとも殺されてしまう。その際、まだ生後数か月の赤ん坊だった双子の息子たちだけは辛うじて難を逃れる。中国人のメイドに助けられたアレックスはカトリック系の養護施設へ預けられ、ボディガードのフランク(ジェフリー・ルイス)に助けられたチャドは逃亡先のフランスで育てられた。 それから25年後。明るく溌溂とした青年に成長したチャド(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)は、育ての親であるフランクと共にアメリカの西海岸へ移住し、ロサンゼルスの高級住宅街ビバリーヒルズでエクササイズジム兼格闘技道場を経営していた。この間、ずっとアレックスの行方を探していたフランクは、依頼していた私立探偵からアレックスを香港で発見したとの報告を受け、何も知らないチャドを連れて25年ぶりに香港へと渡る。天涯孤独の身で育ったアレックス(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)は、それゆえ裏社会へ足を踏み入れて逞しく生き残り、現在は密輸業者として生計を立てていた。 お互いに自分と瓜二つの兄弟がいると知って困惑するアレックスとチャド。そんな2人にフランクは事情を説明する。かつて兄弟の両親がグリフィスに殺されて会社を奪われたこと、手を下したのが裏社会の元締めザング(フィリップ・チャン)であること、そして今こそ兄弟が団結して復讐を果たす時であること。しかし、シニカルで猜疑心の強い苦労人アレックスと、ノリの軽い遊び人チャドはまるで水と油。どうしてもお互いに反発してしまう。しかも、宿敵グリフィスは今や香港でも有数の大富豪で、おいそれと近付くことも出来ない。そのうえ、仲間のザングも巨大なファミリーを抱えている。兄弟とフランクの3人では多勢に無勢だ。 そこで心強い味方となったのがアレックスの恋人ダニエル(アロナ・ショウ)だ。実はグリフィスの会社で働いているダニエル。尊敬する社長がそんな極悪人だとは信じられないダニエルだったが、しかし愛するアレックスのため内部の機密情報を探っているうち、動かしがたい犯罪行為の証拠を見つけてしまう。ところが、そんな彼女の動向をグリフィスの女用心棒カーラ(コリー・エヴァーソン)が秘かに監視していた。アレックスとチャドの存在に気付き、亡き者にすべく追っ手を差し向けるグリフィスとザングの一味。果たして、兄弟は親の仇を取ることが出来るのか…!? ヴァン・ダムは成功しても義理人情に厚い男だった! 実は、主人公のアレックスとチャドには、それぞれ名前の由来となった人物がいる。まずアレックスの元ネタは、ヴァン・ダムの恩人であり芸名(本名はジャン=クロード・カミーユ・フランソワ・ヴァン・ヴァレンバーグ)の由来となった人物ポール・ヴァン・ダムの息子アレックス。ベルギーの裕福な実業家だったポール・ヴァン・ダム氏は大の格闘技マニアで、知り合った当時まだ17歳だったヴァン・ダムの実力を高く評価し、なにかと金銭的な面倒を見てくれていたらしい。一時期、彼は香港へ渡ってカンフー映画スターを目指したこともあるのだが、その渡航費などを提供してくれたのもヴァン・ダム氏だったようだ。その際、一緒に香港へ同行したのが氏の息子アレックス。君はいつか必ず有名な映画スターになる!と背中を押してくれた恩人に対する、ヴァン・ダムからのささやかなオマージュだったのだろう。 一方のチャドは、無名時代のヴァン・ダムと親友だったチャド・マックイーンが元ネタ。そう、あのスティーヴ・マックイーンの子息である。彼もまた下積み生活を送るヴァン・ダムを励まし、あちこち遊びにも連れ出してくれたという。受けた恩は決して忘れない。そんな義理堅いヴァン・ダムの真面目な性格を、主人公たちのネーミングから伺い知ることが出来ると言えよう。 ヴァン・ダムの義理堅さといえば、本作のキャストやスタッフの顔ぶれにもよく表れている。例えば、ザングの用心棒である怪力マッチョ男ムーンを演じている香港俳優ボロ・ヤン(ヤン・スエ)。『燃えよドラゴン』(’73)の悪漢ボロ役で世界的に知られ、筆者世代の日本人にはテレビドラマ『Gメン’75』の香港空手シリーズでもお馴染みのカンフー・スターだ。ヴァン・ダムとは前作『ブラッドスポーツ』でも共演。その際にヴァン・ダムは、「次は必ずもっと大きな映画で呼ぶから」と約束したそうだが、本作ではそれをちゃんと守ったのである。ちなみに、ボロは英語がほとんど喋れず、なおかつ優しいトーンの声だったため、セリフは全て別人がアフレコで吹き替えている。 また、アレックスが隠れ家にしている麻雀店の店長マーを演じているカメル・クリファは、ヴァン・ダムとは13歳の頃からの付き合いである長年の大親友。『ブラッドスポーツ』の大ヒットで名を成したヴァン・ダムは、当時ベルギーでレストランを経営していたクリファをパーソナル・トレーナーの名目でハリウッドへ呼び寄せ、『ライオンハート』以降の多くの出演作に役者としても起用。本作からはプロデューサーとして製作にも携わるようになった。レティック監督とのパートナーシップも同様だが、決して自らの成功を独り占めにはしない、それもまたヴァン・ダムの義理堅さである。 さらに、ウエスタン・ブーツのかかとに仕込んだ拍車を武器にするグリフィスの用心棒を演じるピーター・マロータは、アルバニア出身の有名なテコンドー師範。ヴァン・ダムとは以前から顔見知りだったそうだが、テコンドーの講習会を開くためパリに滞在していたところ、ちょうど『ライオンハート』のプロモーションで訪仏していたヴァン・ダムとたまたま遭遇し、本作の用心棒役およびスタント・コーディネーターをオファーされたという。彼もまた、これ以降『ユニバーサル・ソルジャー』(’92)や『ボディ・ターゲット』(’93)、『クエスト』(’96)などなど、俳優兼スタント・コーディネーターとしてヴァン・ダム作品に欠かせない常連組となり、『ジャン=クロード・ヴァン・ダム/ファイナル・ブラッド』(’17)では監督にまで進出している。 本国アメリカ側とロケ地・香港側でバトルが勃発!? 主なロケ地となったのは、ヴァン・ダムにとって個人的な思い入れも深い香港。現地での撮影コーディネートは『キックボクサー』でも組んだ地元プロデューサー、チャールズ・ワンが取り仕切り、観光客が足を踏み入れることのないディープなロケ地から格闘技の心得のあるエキストラまで、なんでも格安ですぐに調達してくれたという。ところが、この香港側のワン氏とアメリカ側のプロデューサー陣との間で対立が勃発し、撮影途中で香港から引き揚げなくてはならない事態となる。アメリカ側はワン氏のことが信用ならないと主張したのだが、しかしレティック監督によると本当の問題はアメリカ側にあったらしい。 本作の製作を手掛けたストーン・グループ・ピクチャーズは、先述したモシュ・ディアマントと俳優マイケル・ダグラスが共同出資して立ち上げた製作会社。当時、ストーン・グループでは元アメフト・スター選手ブライアン・ボスワース主演のアクション映画『ストーン・コールド』(’91)と『ダブル・インパクト』の2本を同時進行で製作していたのだが、会社的にはボスワースを第2のシュワルツェネッガーに育てるという目論見もあって、本作よりも『ストーン・コールド』の方に力を入れていたという。そのため、実は『ダブル・インパクト』の予算をこっそり『ストーン・コールド』に回していたらしく、それにワン氏が気付いてしまったことから対立に発展したというのだ。 事情を知ったヴァン・ダムもレティック監督もワン氏の味方に付いたものの、結局はアメリカ側の強引な独断によって香港から撮影隊を撤収することが決定。とりあえず屋外シーンのロケだけは全て香港で済ませ、残りの屋内シーンはロサンゼルスで撮影されたのである。ただし、蓋を開けてみれば予算2500万ドルの『ストーン・コールド』は世界興収900万ドルという超大赤字。ボスワースを第2のシュワルツェネッガーに育てることは叶わなかった。一方の『ダブル・インパクト』は予算1500万ドルに対して、世界興収3000万ドルというスマッシュヒットを記録。改めてヴァン・ダムのスター・パワーを見せつける結果となった。 ちなみに、本作には最終版でカットされた幻の別エンディングが存在する。全てが終わってアメリカへの帰路に就いたチャドとフランク。ロサンゼルス行きの旅客機に乗った2人に声をかける客室乗務員を見ると、なんとアレックスの恋人ダニエルと瓜二つではないか!えっ、もしかしてダニエルにも実は双子の姉妹がいたの…!?と、チャドとフランクがビックリ仰天したところでジ・エンドとなる。■ 『ダブル・インパクト』© 1991 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.01.31
テレビ版の魅力を継承しつつ進化させた映画版の見どころをチェック!『チャーリーズ・エンジェル(2000)』
‘90年代後半から流行したテレビシリーズの映画版リメイク ‘90年代後半から’00年代にかけて、ハリウッドでは名作テレビドラマの映画版リメイクが流行った。それ以前にも、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』(’87)やトム・ハンクスとダン・エイクロイド主演の『ドラグネット 正義一直線』(’87)、ハリソン・フォード主演の『逃亡者』(’93)などのリメイク映画が存在したものの、大きなきっかけになったのはそのデ・パルマが手掛けた『スパイ大作戦』(‘66~’73)の映画版リメイク『ミッション:インポッシブル』(’96)であろう。シリーズ化もされた同作の大成功に倣って、『セイント』(’97)や『ロスト・イン・スペース』(’98)、『アベンジャーズ』(’98)、『ワイルド・ワイルド・ウエスト』(’99)、『アイ・スパイ』(’02)、『S.W.A.T.』(’03)、『スタスキー&ハッチ』(’04)、『奥さまは魔女』(’05)などなど、数多くの名作テレビドラマが劇場用映画として甦った。 それゆえ、当時「ハリウッドはネタが尽きた」などとメディアでも揶揄されたものだが、恐らく実際そうだったのだろう。ヒット・ポテンシャルの高い企画を常に求めている各映画会社にとって、既に知名度がある往年の名作テレビドラマの映画化は、一からストーリーやキャラクターを作る必要もないため、手軽に稼げる美味しいネタと考えられたのかもしれない。ただ、映画ファンならばご存知の通り、当時雨後の筍のごとく作られたそれらのリメイク映画の大半は、興行的にも批評的にも決して満足のいく成果を上げたとは言えなかった なにしろ、テレビドラマというのは登場人物とそれを演じるスターの魅力が命。だからこそ、視聴者は毎週の放送を楽しみにして待ってくれる。しかし、当然ながら映画版リメイクでは別のスターが演じることになるわけで、そうなると作品のイメージそのものが変わってしまう。オリジナルの知名度が高ければ高いほど、ファンの期待を裏切ってしまうリスクは高い。『ミッション:インポッシブル』の成功だって、あれはトム・クルーズという希代のスターの存在があってこそだ。そうした中にあって、その『ミッション:インポッシブル』に次ぐ大成功を収めたテレビドラマの映画版リメイクが、同じくシリーズ化もされた『チャーリーズ・エンジェル』(’00)だった。 ‘70年代だからこそ生まれたテレビ版『チャーリーズ・エンジェル』 オリジナルはもちろん、’70年代に世界中で一大旋風を巻き起こした大ヒット・ドラマ『地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル』(‘76~’81)。警察学校を卒業した元婦人警官ジル・モンロー(ファラ・フォーセット)にサブリナ・ダンカン(ケイト・ジャクソン)、ケリー・ギャレット(ジャクリン・スミス)の美女3人が、声だけで姿を一切見せない謎多き大富豪チャーリー・タウンセンド(ジョン・フォーサイス)の経営する探偵事務所に雇われ、ちょっとトボケたオジサン上司ボスレー(ジョン・ドイル)の指示のもと、依頼人から相談された様々な事件や謎を究明するべく潜入捜査を試みる。さながら女性トリオ版ジェームズ・ボンドである。 全盛期の平均視聴率25.8%と驚異的な数字を叩き出し、着せ替え人形からノベライズ本まで様々な関連グッズが売れまくったという本作。その最大の理由は、間違いなく主人公のエンジェルたちであった。中でも、ジル・モンロー役のファラ・フォーセットは’70年代を象徴する国民的なセックス・シンボルとなり、アメリカ中の女性がライオンのたてがみのような彼女のヘアスタイルを真似たとも言われる。番組とは直接関係がないものの、彼女の水着ポスターも600万枚以上を売り上げた。また、明るくて天然ボケ気味のカリフォルニア娘ジルに、気が強くてお転婆な良家の令嬢サブリナ、モデルのようにエレガントでフェミニンなケリーと、三者三様のユニークな個性もバランスが良かった。番組では定期的にメンバー交代が行われたものの、ジルの妹クリス・モンロー役のシェリル・ラッド、ティファニー・ウェルズ役のシェリー・ハック、ジュリー・ロジャーズ役のタニア・ロバーツと、交代メンバーたちもいずれ劣らぬ魅力の美女揃い。その全員が、当番組を機にハリウッドのスターダムを駆け上がった。それもまた稀有な現象だったと言えよう。 そんな美しきヒロインたちが、任務のために毎回様々なコスチュームを披露してくれるのも番組名物。特に、半ばお約束となったビキニの水着シーンを目当てに、番組を楽しんだ男性ファンも多かったようだ。ほかにも、露出度の高い大胆なパーティ・ドレスや、時には色っぽい着替えシーンまで登場することもあった。ご存知の通り、アメリカのテレビは性描写に対して非常に保守的であるため、おのずと当番組も少なからぬ批判を受けたそうだが、なにしろ当時はリベラルなフリーセックスの時代である。そんなアメリカ社会の自由な空気が、本作の人気を後押しした面も恐らくあっただろう。 時代と言えば、男性の助けを借りずに悪者と戦うことの出来る、強くてパワフルで聡明なヒロイン像を打ち立てたという点でも、本作はウーマンリブの波が押し寄せた’70年代に生まれるべくして生まれた番組だった。それ以前にも、例えばアン・フランシスがセクシーな黒のレザースーツで活躍する探偵ドラマ『ハニーにおまかせ』(‘65~’66)やステファニー・パワーズがキュートな女性エージェントを演じるスパイ・ドラマ『0022アンクルの女』(‘66~’67)、アンジー・ディッキンソンがタフでセクシーな女性警部ペッパー・アンダーソンを演じた犯罪ドラマ『女刑事ペッパー』(‘74~’78)など、自立した強いヒロインが活躍するアクション・ドラマは幾つか存在したものの、しかしいずれもピンチの際に彼女たちを助ける男性パートナーの存在があった。一応、この『チャリエン』でも男性上司ボスレーのバックアップはあるものの、しかし現場で頼りになるのは自分たちだけ。決して強い男性に頼ることはない。そういう意味でも本作は画期的だった。 映画版はオリジナルと地続きの続編だった!? かくして、’70年代の社会ムーブメントすらも体現した金字塔的ドラマを映画として復活させたのが、’00年公開の『チャーリーズ・エンジェル』。本作が数多のテレビドラマに比べてリメイク向きだったのは、登場人物やキャストが変わってもあまり違和感がないことだろう。つまり、謎の大富豪チャーリー・タウンセンドの探偵事務所に雇われた3人の美女が活躍する…という基本設定さえ押さえておけば、そのメンバーが入れ替わっても大して問題ないのだ。実際、テレビ版もメンバー交代を繰り返しながらシーズンを重ねたわけだし、シリーズの終了から20年近くも経っているわけだから、エンジェルたちも世代交代していると考えた方がむしろ自然である。幸い、このリメイク版ではチャーリー役にオリジナルのジョン・フォーサイスが再登板。なおさら、時代が変わって世代交代が進んだことに説得力が増す。ビル・マーレ―のボスレーはコードネームと理解すればよろしかろう(笑)。なので、これはテレビドラマの映画版リメイクというよりも、テレビドラマから地続きの映画版続編と捉えた方が正しいかもしれない。 そんな新世代のエンジェルたちが、キャメロン・ディアス演じるナタリー・クックにドリュー・バリモア演じるディラン・サンダース、そしてルーシー・リュー演じるアレックス・マンデイの3人だ。笑顔のキュートな天然ボケ気味のカリフォルニア娘ナタリー、反骨精神旺盛なおてんば娘のディラン、エレガントな女王様タイプのアレックスと、各人がテレビ版のジル、サブリナ、ケリーのイメージをそれとなく継承しつつ、一方で演じる女優たちの個性を存分に際立たせた独自のヒロイン像を打ち出している。’70年代のエンジェルたちがセクシーでグラマラスならば、’00年代のエンジェルたちはワイルドでクレイジー。当たり前のことだが、求められる理想の女性像も変わったのだ。 その点は、監督のMcG(マックジー)も十分に意識していたはずだ。「一般的なアクション映画における男女の役割を逆転させた」と監督が語っている通り、あらゆる場面で主導権を握るのはあくまでもエンジェルたち、つまり女性である。一応、ナタリーとアレックスにはボーイフレンドがいるものの、ハッキリ言って単なる添え物にしか過ぎない。もちろん、プロデューサーに名を連ねたドリュー・バリモアの意向もあっただろう。そもそも、本作の企画を最初に立ち上げたフラワー・フィルムズは、ドリュー・バリモアと親友ナンシー・ジュヴォネンが創設した製作会社。恐らく、女性へのエンパワメントという意図もあったに違いない。その方向性は、同じくフラワー・フィルムズが製作した3作目『チャーリーズ・エンジェル』(’19)でより明確なものとなる。 また、本作は香港映画でもお馴染みのワイヤー・アクションをふんだんに取り入れた点でも印象的だった。ちょうど当時のハリウッドは、ジャッキー・チェンやチョウ・ユンファ、ジョン・ウー監督ら香港映画の才能が次々と進出していた時期である。恐らくハリウッド映画で最初に香港のワイヤー・アクションを導入したのは『マトリックス』(’99)だと思うが、しかし王道的なアクション映画で本格的に取り入れたのは本作が初めてだったかもしれない。ジョン・ウー作品など香港映画のファンを自認するMcG監督は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地黎明』(’91)などで有名な武術監督ユエン・チョンヤンを香港から招へい。メインキャストたちは1日8時間、週5日間のカンフー・ブートキャンプを3カ月間みっちり続けたという。その甲斐あって、エンジェルたちのアクロバティックなアクションは実に見事な仕上がりだ。 一方、ストーリーは実にシンプルで単純明快である。新興ハイテク企業の創立者で天才エンジニアのエリック・ノックス(サム・ロックウェル)が誘拐され、共同経営者ヴィヴィアン(ケリー・リンチ)の依頼でエンジェルたちは捜査を開始。ライバル企業の社長コーウィン(ティム・カリー)とその手下の殺し屋・ヤセ男(クリスピン・グローヴァー)を怪しいと睨むも、実は全てエンジェルたちに近づくためノックスが仕組んだ狂言だった。その目的は、探偵事務所のボスであるチャーリーへの復讐。亡き父親がチャーリーのせいで殺されたと信じている彼は、謎に包まれたチャーリーの居場所を突き止めて抹殺するつもりだったのだ…! 実は、テレビ版にも似たようなストーリーのエピソードがある。それがシーズン1第5話「標的にされたエンジェル達」と、シーズン4第12話「チャーリー出動!孤島のエンジェル狩り」。どちらもチャーリーに恨みを持つ犯罪者がエンジェルたちの命を狙い、その住所すら誰も知らないチャーリーをおびき出して殺そうとする。具体的な設定や展開はだいぶ違うので、映画版がこれらのエピソードを下敷きにしたというわけではないが、もしかするとヒントくらいにはなったのではないかとも思う。 ちなみに、テレビ版「標的にされたエンジェル達」にはチャーリーの屋敷が出てくるのだが、これがまるでヒュー・ヘフナーのプレイボーイマンションみたい(笑)。そういえば、番組では声だけで後ろ姿しか登場しないチャーリーだが、いつも周囲にセクシーな若い美女をはべらせていたっけ。しかし、それから20年近く経った映画版のチャーリー宅は上品で落ち着いた雰囲気。やはり後ろ姿しか出てこない本人も、ひとりでのんびりとビーチを散歩している。年を取ってすっかり丸くなったようだ。 なお、本作にはテレビ版へ直接オマージュを捧げたシーンも存在する。それが、タイトルクレジットで登場する、囚人服を着たエンジェルたちが手錠に繋がれて逃亡するシーンだ。これはMcG監督が大好きだというシーズン1第4話「潜入!戦慄の女囚刑務所」からの引用。裏で人身売買を行っている刑務所にエンジェルたちが潜入するという、まるで’70年代にロジャー・コーマンが製作したB級女囚映画のようなお話だ。しかも、ゲストにはロジャー・コーマン映画の常連でもあったカルト女優メアリー・ウォロノフやクリスティナ・ハート、無名時代のキム・ベイシンガーも出ている。筆者もお気に入りのエピソードだ。その終盤で3人のエンジェルが手錠に繋がれたまま脱走を試みるのだが、映画版ではそのワンシーンを再現しているのだ。 ほかにも、『E.T.』(’82)や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(’85)、『フェリスはある朝突然に』(’86)など、大の映画マニアでもあるMcG監督が大好きな作品へのオマージュがそこかしこに盛りだくさん。ノックスが住んでいる近未来的なデザインの家はブライアン・デ・パルマ監督作『ボディ・ダブル』(’84)の再現だし、キャメロン・ディアスが華麗に舞い踊るドリーム・シークエンスはMGMミュージカルにインスパイアされたという。赤や青やグリーンの原色を大胆に使った色彩は、テレビ版シリーズのオープニング・シーンを彷彿とさせるが、同時に昔懐かしいテクニカラーへのオマージュでもある。「華やかで弾けていてカラフルで愉快な映画」を目指したというMcG監督だが、実際に目論見通りの理屈抜きで楽しい娯楽映画に仕上がった。この天衣無縫さが本作の最大の魅力かもしれない。■ 『チャーリーズ・エンジェル (2000) 』© 2000 Global Entertainment Productions GmbH & Co. Movie KG. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.01.30
マイケル・マン監督の映画版リメイクをテレビ版オリジナルと徹底比較!『マイアミ・バイス』
そもそも『特捜刑事マイアミ・バイス』とは? ‘80年代を代表する人気テレビ・シリーズ『特捜刑事マイアミ・バイス』(‘84~’89)を、同番組に製作総指揮として携わっていたマイケル・マン監督が劇場版リメイクした作品である。『スパイ大作戦』を映画化した『ミッション:インポッシブル』(’96)シリーズの成功に端を発した、往年の名作ドラマの映画リメイク・ブームは、『チャーリーズ・エンジェル』(’00)シリーズのヒットによってさらに加速。『刑事スタスキー&ハッチ』(‘75~’79)のような知名度の高い作品から、『特別狙撃隊S.W.A.T.』(‘75~’76)のようにカルトな人気を誇るマニアックな作品まで、’00年代は数多くのテレビ・シリーズがスクリーンに甦った。ちなみに、前者はベン・スティラーとオーウェン・ウィルソン主演の『スタスキー&ハッチ』(’04)、後者はコリン・ファレル主演の『S.W.A.T.』(’03)。そうした中、筆者のような80年代キッズにとっては、まさに真打登場!といった感のあったのが本作『マイアミ・バイス』(’06)だった。 日本では’86年~’88年まで夜9時より放送された『特捜刑事マイアミ・バイス』。そう、昔は地上波のゴールデンタイムに海外ドラマが放送されていたのである。恐らく、本作はその最後の番組のひとつだったはずだ。常夏のリゾート地にして全米有数の犯罪都市マイアミを舞台に、ペットのワニとボートで暮らす喧嘩っ早い熱血刑事ソニー・クロケット(ドン・ジョンソン)と、ニューヨークからやって来た女好きのプレイボーイ刑事リカルド・タブス(フィリップ・マイケル・トーマス)が、得意の潜入捜査で麻薬密売組織や人身売買組織などの凶悪犯罪に立ち向かっていく。設定自体は必ずしも目新しいとは言えないバディ物の犯罪ドラマだったが、しかし当時としては様々な点で画期的な番組でもあった。 まずは、主人公のクロケットとタブスのファッションである。それまでアメリカの刑事ドラマといえば、むさ苦しいスーツ姿のオジサンかジーンズにTシャツ姿の若者か、いずれにせよオシャレとは程遠いヒーローが主人公だった。なにしろ警察官は公務員である。安月給なうえに多忙な仕事では、ファッションに気を遣う余裕などなかろう。ところが、本作の主人公たちは2人ともトレンディな高級イタリアン・スーツを着用。実にファッショナブルでスタイリッシュだった。実際、番組ではアルマーニやヴェルサーチなど高級ブランドの最新コレクションを撮影に使用していたという。一般的にアメリカ人男性はファッションに無頓着な人が多いのだが、本作の影響によってアメリカでもヨーロッパの男性向け高級ブランドが普及したとも言われる。クロケットが愛用するレイバンのサングラスも流行った。 さらに、ミュージックビデオを彷彿とさせる洗練された映像もまた抜群にオシャレだった。当時はMTVが世界中の若者の間で大ブームだった時代。’81年に開局した音楽専門チャンネルMTVは、最新ヒット曲のミュージックビデオを24時間流し続けるというコンセプトで大当たりし、それまであまり一般的ではなかったミュージックビデオを普及させ、いわば最強のプロモーションツールへと押し上げた。映画界でも『フラッシュダンス』(’83)や『フットルース』(’84)のようにMTV的な演出を取り入れた作品が次々と登場したが、テレビドラマの世界では『特捜刑事マイアミ・バイス』が最初だったように思う。そもそも、番組のコンセプト自体が「MTV世代向けの刑事ドラマ」だったらしい。そのため、番組中では当時の全米トップ10ヒットソングがたっぷりと使用され、よりミュージックビデオっぽさを盛り上げていた。しかも全てオリジナル・アーティストのオリジナル・バージョン。そのため楽曲使用料が大変な金額にのぼったとも言われている。シーズン1のパイロット・エピソードで、フィル・コリンズの名曲「夜の囁き」が流れる夜のドライブシーンは特に印象的だ。ヤン・ハマーの手掛けた番組テーマ曲も、全米シングル・チャートでナンバーワンとなった。 また、実際にマイアミで全て撮影されたことも大きな特色だったと言えよう。今でこそアメリカのテレビ・シリーズは舞台となる場所の現地でロケ撮影することが主流だが、しかし『ハワイ5-0』(‘68~’80)や『刑事コジャック』(‘73~’78)のような一部の例外を除くと、10年ほど前までは舞台の設定がどこであれ、基本的にロサンゼルス周辺やハリウッドのスタジオ、もしくはカナダのトロントやバンクーバーで撮影されるのがテレビ・シリーズの定番だった。『特捜刑事マイアミ・バイス』も当初はロサンゼルスをマイアミに見立てる予定だったが、しかし古いアールデコ様式の建物が並ぶマイアミ独特の街並みの再現が難しいこともあって、現地での撮影が選ばれることになった。おかげで、アメリカの南の玄関口とも呼ばれるマイアミならではのエキゾチックな雰囲気が、番組自体のトレードマークともなった。中でも、マイケル・マンの映画を彷彿とさせるネオン煌めく漆黒のナイトシーンと、明るい太陽がビーチに降り注ぐカラフルなデイシーンの強烈なコントラストが印象的だ。 あえてテレビ版とは差別化を図った映画版だが…? そんな懐かしの刑事ドラマを21世紀に甦らせた映画版『マイアミ・バイス』。クロケット役にコリン・ファレル、タブス役にジェイミー・フォックスとキャスト陣も刷新し、オリジナルとはまた一味違うクライム・アクション映画に仕立てられている。まずはそのストーリーを振り返ってみよう。 マイアミ・デイド郡警察の特捜課に所属する潜入捜査官のソニー・クロケット(コリン・ファレル)とリカルド・タブス(ジェイミー・フォックス)。ある時、2人と付き合いの長い情報屋アロンゾ(ジョン・ホークス)の妻が殺害され、悲嘆に暮れたアロンゾ自身も自殺してしまう。そのちょうど同じ頃、南米コロンビアの麻薬組織を追っていたFBIの潜入捜査官も殺された。どうやら、相手は仲介役のアロンゾがFBIのスパイだと知っており、その妻を拉致監禁して脅迫することで潜入捜査の情報を得ていたようだ。この一件はFBIだけでなく麻薬捜査局や税関、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)も加わった共同特別捜査。当局の管理システムがハッキングされ、そのどこかからか情報が洩れている。そこでFBIの責任者フジマ(キアラン・ハインズ)は、組織の実態と情報の漏洩元を把握するべく、クロケットとタブスに潜入捜査を依頼する。地元警察は共同捜査に参加していないため、相手方に素性のバレる危険性が少ないからだ。 組織の元締めと見られるのは大物密売人ホセ・イエロ(ジョン・オーティス)。コロンビアの麻薬はボートで運ばれ、カリブ海経由でマイアミへ密輸される。その運び屋を叩いたクロケットとタブスは、馴染みの情報屋ニコラス(エディ・マーサン)の仲介でイエロにコンタクトを取り、代わりの新たな運び屋として自分たちを売り込む。タブスの恋人で同僚のトルーディ(ナオミ・ハリス)は彼の妻役だ。指定場所のハイチへ飛んだクロケットとタブスは、綿密に捏造された犯罪歴と巧みな芝居で用心深いイエロを納得させ、組織の黒幕モントーヤ(ルイス・トサル)を紹介される。ボスだと思われたイエロは単なる仲介人で、組織の実態はFBIの想定よりも遥かに大規模だったのだ。モントーヤにも認められ、麻薬の運び屋を任されることとなったクロケットとタブス。その傍らでクロケットはモントーヤに関する情報を得るため、彼の愛人で組織のナンバー2である美女イザベラ(コン・リー)に接近するのだが、いつしか本気で愛し合うようになってしまう…。 実はこのストーリー、テレビ版シーズン1の第15話「運び屋のブルース」が下敷きとなっている。これは’84年に発表されたグレン・フライのアルバム「オールナイター」収録の楽曲「スマグラーズ・ブルース」をモチーフに、そのグレン・フライ自身も役者としてゲスト出演したエピソード。テーマソングとしても使用された「スマグラーズ・ブルース」は、エピソードの放送に合わせてシングルカットもされ、全米チャートで最高12位をマークした。 ストーリーの基本的な設定や流れはテレビ版とほぼ同じ。ただし、当時は管理システムのハッキングなるものが存在しないため、クロケットとタブスはFBI内部の密通者を突き止める。組織の黒幕モントーヤとその愛人イザベラも映画版オリジナルのキャラクターだが、その一方でテレビ版でグレン・フライが演じた飛行機パイロットも映画版には出てこない。最初に犠牲となる家族同然の情報屋も、ドラマ版だと警察がマークしていた下っ端の運び屋。FBIの協力者だった運び屋が家族を人質に取られ、麻薬組織に捜査情報を流した挙句に家族もろとも殺されるという事件が相次ぎ、組織に顔の割れていないクロケットとタブスが運び屋に化けて南米へ飛び、潜入捜査でFBI内部の密通者を炙り出す。同僚トルーディがタブスの妻役で、組織に拉致され爆弾が仕掛けられるという展開も一緒だが、しかしテレビ版ではトルーディとタブスが恋仲という設定はないし、トルーディが大怪我を負うこともない。かように映画版では随所で独自の脚色や改変が施され、2時間を超える劇場用映画らしいスケールの大きな物語に生まれ変わっている。ちなみに、クロケットとイザベラの間に芽生える悲運のロマンスは、売春組織に潜入したタブスがボスの娘と恋に落ちるシーズン1第16話「美少女売春!危ない復讐ゲーム」を彷彿とさせる。もしかするとヒントになったのかもしれない。 映画化に際してマイケル・マン監督は、なるべくテレビ・シリーズのイメージを避けることにしたという。そのため、番組のトレードマークだったヤン・ハマーのテーマ曲は使用されず、テレビ版では白やパステルカラーを基調にしていたクロケットとタブスのファッションも黒やグレーのモノトーンに統一され、陽光眩しい白砂のビーチもカラフルな水着姿の美男美女も出てこない。クロケットの住居であるボートもペットのワニも存在しないし、テレビ版ではチャラ男キャラだったタブスも映画版ではクールなタフガイとして描かれている。あえてテレビ・シリーズとの差別化を図っているのは一目瞭然であろう。 とはいえ、テレビ版で特に印象的だったフィル・コリンズの「夜の囁き」が映画版ではフロリダのロックバンド、ノンポイントによるカバーバージョンで流れるし、ジェイミー・フォックスが劇中で着用するスーツはイギリスの有名デザイナー、オズワルド・ボーテングのものだし、そもそもテレビ版のナイトシーンはマイケル・マン作品の世界観を明らかに踏襲していた。実際、テレビ版と酷似したようなシーンは少なからず見受けられる。映画版のクロケットとタブスがハイチで宿を取る場末のホテルも、元ネタになったエピソード「運び屋のブルース」に出てくる南米のオンボロ・ホテルと内装が瓜二つだ。むしろ、本作はマイケル・マン流にアップデートされた進化版『マイアミ・バイス』と見做すべきではないかと思う。■ 『マイアミ・バイス』© 2006 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.12.29
見る者によって様々な感想と解釈を許容するショッキングな恋愛サスペンス『危険な情事』
※注:以下のレビューには部分的なネタバレが含まれます。 公開当時に様々な論議を呼んだ理由とは? 今からおよそ35年前、世界中で物議を醸した問題作である。どこにでもいる平凡な既婚男性が一夜限りのつもりで浮気をしたところ、相手の女性から執拗に付きまとわれて家庭崩壊の危機に瀕するという衝撃の恋愛サスペンス。妻子のいる身でありながら別の女に手を出した男の自業自得なのか、それとも男の浮気を本気に受け取ってしまった無粋な女が悪いのか。当時を知る筆者の記憶だと、劇場公開時の日本では主人公の浮気男に同情する声が多かったように思う。もちろん、それだけ真に迫った映画だったからこそ世間をざわつかせたわけだが、同時に「浮気は男の甲斐性」などと言われた昭和の日本にあって、単なる出来心では済まされない不倫の恐ろしい顛末を描いた本作は、ある意味でカルチャーショックのようなものだったのかもしれない。 かたや海外でも「不倫は恐ろしい!」との反応が大きかったらしく、エイドリアン・ライン監督は映画を見たという男性たちからたびたび「浮気をする気が失せた」などと声をかけられたそうだ。振り返ってみれば、不倫や浮気を題材にした映画は世の東西を問わず数多いが、それを「良くないこと」とする大前提がありつつも、しかしどこか「禁断の甘い果実」のように美化されてきたことは否めないだろう。ところが、本作では軽い気持ちで浮気をしてしまった男が、それゆえに悪夢のような地獄へと突き落とされ、あまりにも大きな代償を支払わされることになる。確かに、これを見てゾッとしてしまう男性も多かろう。 その一方で、本作はストーカー化する浮気相手の女性を独身のキャリアウーマンと設定したことで、フェミニストを中心とする一部の女性たちから猛反発を受けてしまう。結婚よりも仕事を選んだ女性を、まるで孤独なサイコパスのように描いたことを問題視されたのだ。もちろん、作り手側にそのような意図は全くなく、たまたま浮気した相手がバリバリ働く独身女性で、なおかつサイコパス的な気質の持ち主だったというだけなのだが、しかし不評を買ってしまった理由も分からなくはない。 これは海外も日本も同じだと思うが、なにしろ「結婚して家庭に入って子供を産み育てることこそ女性の幸せ」と考えられた時代が長かった。それゆえ、結婚もせず子供も作らない女性は孤独で不幸せ、いつまでも独身でいる女性は人間的に問題がある、キャリアウーマンは男にモテないから仕事を選んだなどと、あからさまな偏見の目を向けられる女性もかつては少なくなかった。’70年代に世界各地で盛り上がったウーマンリブの運動は、まさにそのような家父長制的な男社会で培われた女性への悪しき偏見と闘ってきたわけだ。なので、本作に反発を覚える女性がいたとしても全く不思議はないだろう。 しかも、よくよく考えてみれば「一夜限りの関係」だと考えていたのは男の方だけで、相手にその旨をきちんと伝えたわけでもない。「大人なんだから言わずとも分かるだろう」はまことに身勝手な言い分である。確かに既婚者であることは最初に明かしているものの、しかし優柔不断で中途半端な優しさは相手を勘違いさせて当たり前だ。その優しさだって、結局は「セックスをしたい」という下心からくるもの。なので、一度コトが終われば瞬時に醒めてしまう。今風に言えば「賢者タイム」だが、要するに体の良い「やり逃げ」である。「人間扱いされてない」と女性が感じたとしても仕方あるまい。女性側に立ってみれば酷い侮辱である。自分が誰かの妻でも母親でもない独身の女だから、あと腐れなく簡単にやれると思ったのか。実際、そう考えて不倫をする既婚男性も少なくなかろう。家父長制的な男社会では、家庭に属さない女性はなにかと軽んじられがちだ。本作のヒロインの怒りも当然である。 もちろん、だからと言ってストーカー行為に走ることは許されないが、しかし見方によっては同情の余地も十分にあるだろう。そんな女性を、本作では凶暴なモンスターのように描く。それもまた、公開当時にフェミニストから批判された理由のひとつだったと思う。いずれにせよ、見る者の立場や考え方によって、受ける印象も抱く感想も全く変わる作品であることは間違いない。 実は2種類あったエンディング 舞台は大都会ニューヨーク。優しくてしっかり者の妻ベス(アン・アーチャー)と可愛い娘エレン(エレン・ハミルトン)に恵まれた弁護士ダン・ギャラガー(マイケル・ダグラス)は、顧問を務める出版社のパーティで同社の女性編集者アレックス(グレン・クローズ)と知り合う。後日、会社の会議で再会した2人は意気投合。ちょうどその週末、妻が娘を連れて実家へ帰省していたこともあって、独身気分のダンはつい魔がさしてアレックスと寝てしまう。誰もいない我が家へと朝帰りするダン。すると、そこへアレックスから電話がかかり、なにも告げずにさっさと帰ってしまったことをなじられる。冷たくしてしまった負い目もあって、アレックスから求められるがまま再会するダンだったが、その優柔不断な態度が裏目に出てしまう。アレックスに「私は愛されている」と勘違いさせてしまったのだ。 帰省していた妻子が週明けに戻ってきたことから、アレックスとの関係をなかったものにしようとするダン。しかし、彼女を避けようとすればするほど、アレックスのダンに対する執着心は増して行き、遂には彼の目の前で手首を切って自殺未遂をはかる。とんでもない相手と関わってしまった。後悔したダンは自宅の電話番号を変更し、妻が希望していた郊外の一軒家へ引っ越しを決めるのだが、しかしアレックスの常軌を逸した付きまといはどんどんとエスカレート。やがて、愛する家族の身まで危険に晒すこととなってしまう…。 実は本作、元になった作品が存在する。それが、イギリスの映像作家ジェームズ・ディアデン(父親は往年の巨匠ベイジル・ディアデン)が監督・脚本を務めたテレビ向けの短編映画『Diversion』(’79)だ。主人公はロンドン在住の作家ガイ・ブルックス。妻アニーが子供を連れて実家へ戻った週末、原稿の執筆に行き詰まった彼は、先日のパーティで知り合った独身女性エリカを気晴らしのため食事に誘い、そのまま彼女の自宅でベッドインしてしまう。一度きりの関係で終わらせるつもりだったガイだが、しかしやり逃げ同然の扱いを彼女に責められ、罪滅ぼしのため再会に応じたところ泥沼にハマっていく…というストーリー展開は『危険な情事』とほぼ同じ。ただし、こちらではダンとの不倫関係に執着するようになったエリカが、彼の自宅へ電話をかけるところでジ・エンドとなり、その後ストーカー行為へ発展するであろうことを示唆するにとどめている。 この50分にも満たない短編映画に注目したのが、夫婦の離婚問題に斬り込んだ『クレイマー、クレイマー』(’79)やレイプ問題を正面から描いた『告発の行方』(’88)など、数々の問題作を世に送り出してきた映画プロデューサーのスタンリー・ジャッフェと、当時のビジネス・パートナーだったシェリー・ランシング。これを長編にしたら面白いと考えた2人は、作者のディアデンをロンドンからカリフォルニアへ招き、早々に出演の内定したマイケル・ダグラスも交えつつ、およそ半年間に渡って協議を重ねながら脚本を練り上げたという。ただし、そのディアデンが後に語ったところによると、実際の脚本執筆期間は4年にも及んだそうで、しかも当初の段階ではアレックスにもっと同情的な内容となるはずだったという。そこでネックになったのが、主人公ダン役のマイケル・ダグラスだったらしい。ハリウッドのトップスターであるダグラスが演じるからには、観客が共感できるキャラクターでなくてはならない。製作会社のパラマウントからそのような要求があったため、幾度となく脚本の書き直しを進めるうち、どんどんとアレックスが怪物化してしまったのだそうだ。 そんな本作には、実は2通りのエンディングが存在する。全米での封切直前にお蔵入りしたオリジナル版エンディングと、その代わりに差し替えられた劇場公開版エンディングだ。先述したように、本来であればアレックスに同情的な内容となるはずだった本作。その名残りなのか、オリジナル版エンディングでは絶望の淵に追いやられたアレックスが自殺を遂げ、これを他殺と疑った警察によって浮気相手のダンが逮捕されてしまう。結局、無実である証拠が見つかって終わるのだが、そこにはそもそもの原因を作ったダンに対して、それ相応の罰を与えようという作り手側の意図が垣間見える。実にフェアな結末だと思うのだが、しかしこれが一般試写では観客から大変な不評だったらしい。というのも、映画がクライマックスへ差し掛かる頃になると観客はすっかりダンに感情移入してしまい、平和で幸福な家庭を壊す悪女アレックスに対して強い怒りを覚えていたことから、彼女が自ら死を選ぶという結末に釈然としなかったのだ。要するに、観客はダンではなくアレックスを罰したかったのである。 そこで、監督やプロデューサー陣はエンディングを丸ごと撮り直すことに。みんなオリジナル版エンディングで満足していたのだが、しかし観客の反応は興行成績にも結び付くため無視できない。苦渋の決断だった。新たなエンディングの執筆には、『スタートレック』シリーズの監督や脚本で知られるニコラス・メイヤーが起用された。復讐の鬼と化したアレックスがダンの自宅へと乗り込み、バスルームで妻ベスに襲いかかるという有名なエンディングは、こうして誕生したのである。だが、この撮り直しにアレックス役のグレン・クローズが猛反対した。なぜなら、新たな結末だとアレックスが同情の余地のない悪魔となってしまいかねないからだ。頑として首を縦に振らないクローズを脚本家のディアデンが説得したそうなのだが、どうしても納得できない彼女は涙を流しながら必死に抗議したという。結局、このままでは映画に関わった全ての人に迷惑がかかるとエージェントに諭され、渋々ながらも撮り直しに応じたクローズだったが、恐らく彼女にしてみれば不本意な譲歩だったに違いない。 とはいえ、最終的に出来上がった劇場公開版を見ると、確かにこちらのエンディングの方がショッキングだし、なにより映画的にも大いに盛り上がる。オリジナル版の方が現実的であることは間違いないが、しかし地味過ぎてカタルシスに欠けることも否めないだろう。この新たなエンディングがあったからこそ、本作は様々な論議を巻き起こして大ヒットしたのだと思う。果たして、あなたは迂闊な浮気男ダンに我が身を重ねて震えあがるのか、それとも愛に飢えた孤独な女性アレックスに同情して復讐を望むのか。見る者の価値観や道徳意識が問われる映画でもある。■ 『危険な情事』COPYRIGHT © 2022 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2022.12.26
‘60年代の「スウィンギング・ロンドン」を’90年代に甦らせた爆笑スパイ・コメディ!『オースティン・パワーズ』
日本でも世界でも60年代リバイバルがトレンドだった’90年代 ‘60年代後半に世界を席巻した英国発祥の若者文化「スウィンギング・ロンドン」。ミニスカートに厚底ブーツにベルボトムといったカーナビー・ストリート・ファッション、ビーハイブにボブカットなどのヘアスタイル、ビートルズやローリング・ストーンズに代表されるポップ・ミュージック(通称「ブリティッシュ・インベージョン」)、ジェームズ・ボンド・シリーズに端を発するお洒落なスパイ映画、カラフルでサイケデリックなポップアートなどが流行し、ドラッグとフリーセックスとウーマンリブのリベラルな気運が社会に広がった。そんな「スウィンギング・ロンドン」時代のトレンドを’90年代に甦らせて大ヒットしたのが、マイク・マイヤーズ主演のスパイ・コメディ映画『オースティン・パワーズ』(’97)だった。 そもそも’90年代を振り返ってみると、世界中で「スウィンギング・ロンドン」的な’60年代カルチャーがリバイバルした時代だったと言えよう。それがいつ頃始まったのかは定かでないが、トム・ジョーンズやダスティ・スプリングフィールドがヒットチャートに復活し、B-52’sのアルバムがバカ売れした’80年代末には、すでにその下地が出来ていたのかもしれない。筆者が’60年代リバイバルをハッキリと意識するようになったのは、恐らくディーライトのデビュー曲「グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート」が大ヒットした’90~’91年頃だろうか。カラフルでサイケなカーナビー・ストリート・ファッションに身を包み、当時最先端のハウス・ミュージックに’60年代末~’70年代初頭のR&Bやファンクを取り入れた彼らのルックスとサウンドは、まさしく「スウィンギング・ロンドン」の’90年代的アップデートに他ならなかった。その後もレニー・クラヴィッツやジャミロクワイ、カーディガンズなど’60年代カルチャーの影響を受けたアーティストが次々と台頭し、ベルボトムや厚底ブーツを筆頭とする’60年代風ファッションも流行。特に『オースティン・パワーズ』が公開された’90年代後半はそのピークだったかもしれない。 時を同じくして、ここ日本でも独自の60’sリバイバルが巻き起こっていた。その引き金となったのは「渋谷系」ブームだ。ピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターといったお洒落な渋谷系アーティストの人気は、彼らが影響を受けた海外の’60年代カルチャーにまで広がり、バート・バカラックやクインシー・ジョーンズなどのラウンジ・ミュージック、ロジャー・ニコルズやクロディーヌ・ロンジェなどのサンシャイン・ポップス、セルジュ・ゲンズブールやフランス・ギャルなどのフレンチ・ポップス、エンニオ・モリコーネやアルマンド・トロヴァヨーリなどのイタリア映画音楽が、渋谷を発信源として流行に敏感な当時の若者たちに次々と再発見されたのだ。そのトレンドはファッションや映画などにも波及。『黄金の七人』シリーズやカトリーヌ・スパーク主演作などを、映画館のリバイバル上映で追体験できたのは、それこそ「渋谷系」ブームのもたらした恩恵だったと言えよう。こうした日本ならではの少々マニアックな60’sリバイバルも、海外のムーブメントと呼応するようにして世界へと広がっていったのである。思い返せば、当時の東京はロンドンやニューヨークと並ぶ世界的な若者トレンドの発信地でもあった。なんとも文化的に豊かで幸福な時代だったと思う。 さらに、『オースティン・パワーズ』が大成功した背景には、ジェームズ・ボンド映画の人気復活も影響していたように思われる。’60年代スパイ映画ブームの起爆剤であり、「スウィンギング・ロンドン」時代の象徴のひとつでもあったジェームズ・ボンド映画シリーズ。しかし、3代目ロジャー・ムーアの後期作品『007 オクトパシー』(’83)辺りから人気に陰りが見え始め、続く4代目ティモシー・ダルトンの『007 リビング・デイライツ』(’87)と『007 消されたライセンス』(’89)は、地味なシリアス路線が災いしてか興行的に不発。おかげで、それまで2~3年毎のペースで作られてきたシリーズが、初めて6年という長いブランクを開けることとなる。だが、軽妙洒脱で荒唐無稽でお洒落な往時のボンド映画スタイルを取り戻した、5代目ピアース・ブロスナンのお披露目作『007 ゴールデンアイ』(’95)が久々の大ヒットを記録。再びジェームズ・ボンド映画は世界的なドル箱シリーズへと復活を遂げたのだ。『オースティン・パワーズ』がブロスナン版第2弾『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(’97)と同じ年に公開されたのは、もしかすると偶然などではなかったのかもしれない。 現代に蘇った伝説のチャラ男スパイが巻き起こす珍騒動! 物語の始まりは1967年のロンドン。普段は女性にモテモテのトレンディなファッション・フォトグラファー、しかしその素顔は世界を股にかける凄腕の英国諜報員というオースティン・パワーズ(マイク・マイヤーズ)は、相棒のセクシーな女性スパイ、ミセス・ケンジントン(ミミ・ロジャース)と共に、国際的な犯罪組織ヴァーチュコンを率いる宿敵Dr.イーヴル(マイク・マイヤーズ2役)を追いつめるものの、しかしあと一歩のところで取り逃がしてしまう。人気ファミレス・チェーン「ビッグ・ボーイ」のマスコット人形の形をしたロケットで宇宙へ逃亡したDr.イーヴルは、近い将来の復活を予言して自身と愛猫ビグルスワースを冷凍保存。そこで、オースティンも同じく自信を冷凍保存し、来るべきDr.イーヴルの復活に備えるのだった。 それから30年後の1997年。あのビッグ・ボーイ人形が大気圏に突入したことから、米軍より緊急連絡を受けたイギリス国防省は、極秘施設で冷凍睡眠に入っていたオースティン・パワーズを解凍させる。新たな相棒となったのは、ミス・ケンジントンの娘である見習い諜報員ヴァネッサ(エリザベス・ハーリー)。母親から常々聞かされていた伝説の大物スパイとの対面に胸を躍らせるヴァネッサだが、しかし仕事よりも夜遊びやセックスのことで頭がいっぱい、スウィンギング・ロンドンそのままのド派手なファッションで闊歩するお気楽なプレイボーイ、オースティンの破天荒すぎる言動に目を丸くするのだった。 一方、同じく30年ぶりに冷凍から目覚めたDr.イーヴルは、その間にヴァーチュコンを巨大企業へと成長させた腹心Mr.ナンバー・ツー(ロバート・ワグナー)やドイツ人の女性幹部フラウ・ファービッシナ(ミンディ・スターリング)、さらに人工授精で生まれた息子スコット(セス・グリーン)などを招集。物価や国際情勢などの大きな変化に戸惑いつつ、核弾頭を奪って世界の平和を脅かすという昔ならではの手法で、国連に莫大な金を要求することにする。その頃、ヴァーチュコンの幹部が入り浸っているという、ラスヴェガスのカジノへと乗り込んだオースティンとヴァネッサ。そこでMr.ナンバー・ツーの愛人アロッタ・ファジャイナ(ファビアナ・ウーデニオ)とムフフな関係になったオースティンは、Dr.イーヴルが邪悪な計画を企んでいると知る。懐かしの上司バジル(マイケル・ヨーク)の指示のもと、世界を救うためDr.イーヴルの野望を打ち砕こうとするオースティンとヴァネッサだったが…!? マイク・マイヤーズの好きなものが目いっぱい詰まったおもちゃ箱 オースティン・パワーズの元ネタとなったのは、主演のマイク・マイヤーズがレギュラー番組「サタデー・ナイト・ライヴ」の中で’91年に結成した’60年代英国風ロックバンド、ミン・ティー(本作のエンドロールにも登場)。このバンドには元バングルズのスザンナ・ホフスやマシュー・スウィートなどが参加し、マイヤーズはリードボーカルとギターを担当したのだが、そのキャラクター名がオースティン・パワーズだったのだ。このオースティンを主人公に映画を作ったらどうか?と妻に勧められた彼は、自ら書いた脚本をホフスの旦那であるジェイ・ローチ監督に持ち込んだことから本作が生まれたのである。 映画そのもののベースは、もちろん’60年代のジェームズ・ボンド映画シリーズ。Dr.イーヴルは明らかに『007は二度死ぬ』(’67)でドナルド・プレザンスが演じたブロフェルドをモデルにしているし、A Lotta Vagina(ワギナがたくさん)をもじった悪女アロッタ・ファジャイナの名前は『007 ゴールドフィンガー』(’64)のボンドガール、プッシー・ガロア(プッシーがいっぱい)のパロディだ。黒の眼帯をしたMr.ナンバー・ツーは『007 サンダーボール作戦』(’65)のエミリオ・ラーゴ、強面オバサンのフラウ・ファービッシナは『007 ロシアより愛をこめて』(’63)のローザ・クレッブが元ネタであろう。 ただし、主人公オースティン・パワーズはジェームズ・ボンドよりも、その影響下で作られた’60年代スパイ映画『サイレンサー』シリーズの軽薄なチャラ男スパイ、マット・ヘルム(ディーン・マーティン)に近い。劇中のカラフルでスウィンギンでサイケデリックなファッションや美術セットも、『サイレンサー』シリーズや『黄金の眼』(’68)などの影響が色濃いように思う。また、黒縁メガネをかけたオースティンのルックスは、マイケル・ケインが演じた『国際諜報局』シリーズの主人公ハリー・パーマーをモデルにしたそうだ。 そのほか、’60年代のオースティンの相棒ミセス・ケンジントンは英国ドラマ『おしゃれ(秘)探偵』でダイアナ・リッグが演じた、黒革のジャンプスーツ姿で空手技を操る女スパイ、エマ・ピールが元ネタだし、オースティンが女性ファンから追いかけられるオープニング・クレジットは『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』(’64)へのオマージュだし、エンド・クレジットのフォトセッション・シーンはミケランジェロ・アントニオーニ監督のイギリス映画『欲望』(’66)のパロディ。劇中で随所に差し込まれる、オースティンとバックダンサーたちが決めポーズを取るシーン・ブレイクは、’60年代末に人気を博したお笑い番組『Rowan & Martin’s Laugh-In』のパロディである。また、おっぱいから銃口が飛び出す女性型ロボット軍団「フェムボット」は、『華麗なる殺人』(’65)でブラジャーに拳銃を仕込んだグラマー美女ウルスラ・アンドレス、もしくはヴィンセント・プライス主演の『ビキニマシン』(’65)に登場するビキニ姿のロボット美女軍団をヒントにしたものと思われる。 生まれも育ちもカナダのマイク・マイヤーズだが、両親はリヴァプール出身のイギリス人で、幼少期から英国文化に親しんで育ったという。中でも、’60年代当時の映画や音楽を愛した父親からの影響は大きく、マイヤーズが本作のために設立した自身の製作会社Eric’s Boyは、’91年に亡くなった父親エリックの名前から取られている。恐らく、彼が子供の頃から大好きだったものを目いっぱい詰め込んだ、おもちゃ箱のような映画が『オースティン・パワーズ』だったのであろう。■ 『オースティン・パワーズ』© MCMXCVII New Line Productions, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.12.02
ジョン・ヒューズ監督が高校生たちの忘れられない1日を描いた青春群像劇『ブレックファスト・クラブ』
土曜日の補習授業で何かが起こる…? 処女作『すてきな片想い』(’84)で16歳の誕生日を迎えた女子高生の1日を通して、思春期の少女とその友達の揺れ動く多感な心情や自我の目覚めを鮮やかに浮き彫りにしたジョン・ヒューズが、今度は土曜日の補習授業に呼び出された高校生たちの1日を描いた監督2作目である。青春映画の黄金期と呼ばれる’80年代において、まさに時代の象徴的な存在だった巨匠ジョン・ヒューズ。特に本作と『フェリスはある朝突然に』(’86)の2本は、’80年代青春映画を語るうえでも絶対に外すことの出来ない傑作と言えよう。 それは1984年3月24日の土曜日のこと。イリノイ州のシャーマー高校では、ひとけのない閑散とした校舎に5名の生徒たちが集まってくる。レスリング部の花形選手である体育会系のアンドリュー(エミリオ・エステベス)、お高くとまった金持ちのお嬢さまクレア(モリー・リングウォルド)、成績はトップだが見た目の冴えないガリ勉くんブライアン(アンソニー・マイケル・ホール)、奇行を繰り返して周囲をドン引きさせる不思議ちゃんアリソン(アリー・シーディ)、そして口が悪くて反抗的な不良少年ベンダー(ジャッド・ネルソン)。普段の学校生活では決して交わることのない彼らは、それぞれ問題行動を起こした罰として、休日の朝7時から補習授業を受けることになったのだ。 学校の図書館に集まった生徒たちを待ち受けていたのは、口うるさくて厳しい副校長のヴァーノン先生(ポール・グリーソン)。勝手に喋るな、席を移動するな、居眠りをするなと注意された彼らは、午後4時までに作文を書き上げるよう指示される。テーマは「自分とは何か」。ウンザリとした表情を浮かべる生徒たち。仕方なしに作文を書こうとするものの、みんな一向にペンが進まない。図書館に漂う沈黙と退屈。口火を切ったのは、ルール無視など日常茶飯事のベンダーだ。ほかの4人がなぜ補修の罰を受けたのか、しつこく聞き出そうとするベンダー。その無神経な態度にはじめは苛ついていたアンドリューたちだったが、しかしこれをきっかけに段々と打ち解けるようになる。 ヴァーノン先生がトイレに行った隙を見計らって、こっそり図書館を抜け出す生徒たち。ベンダーはロッカーに隠していたマリファナを回収する。ところが、図書館への帰り道を間違えて危機一髪。ヴァーノン先生に見つかったら大目玉を食らってしまう。そこで言い出しっぺのベンダーが先生の注意を惹きつけ、仲間を救って自分だけが罰を受けることに。反省するまで物置に閉じ込められたベンダーだが、性懲りもなく通気口から逃げ出して図書館へ無事に帰還。物音に気付いたヴァーノン先生が駆け込んでくるものの、4人はベンダーを匿って守り通す。ささやかな友情の絆が芽生え始めた生徒たち。マリファナを吸って解放感に浸った彼らは、やがてそれぞれが学校や家庭で抱える悩みや不安、怒りや不満などの本音を打ち明けるのだった…。 ハリウッドで初めてスクールカーストを真正面から描いた作品 前作『すてきな片想い』に続いて、ヒューズ監督の故郷であるイリノイ州を舞台にした本作。主人公たちにとって「忘れられない1日」の出来事を描くというプロットは、『すてきな片想い』だけでなく『フェリスはある朝突然に』とも共通した点だが、しかし高校の図書館という限定された空間をメインにして展開する会話劇スタイルは、それこそヨーロッパ映画やインディーズ映画を彷彿とさせるものがあり、当時のハリウッド産青春映画においては画期的な手法だったと言えよう。中でも、当時の若者特有のスラングを盛り込んだ活きの良いセリフがユニーク。大人が作った青春映画にありがちな不自然さがないのだ。 実は『すてきな片想い』よりも前に脚本が出来上がっていたという本作だが、しかしアート映画的な実験性の強い内容ゆえなのか資金がなかなか集まらず、そのため後回しにされたという経緯があったらしい。ヒューズ監督が真っ先にやったのは、メインの若手キャストを集めたリハーサル。ハリウッドだと事前の準備は会議室での読み合わせ程度、リハーサルは現場で撮影と並行しながらというケースも少なくないが、本作の場合は1週間以上に渡ってみっちりとリハーサルを重ね、物語の進行とお互いのキャラクターの特徴を頭に叩き込んだという。そのうえで、撮影に入るとヒューズ監督は若い役者たちの好きなように演じさせたのだそうだ。ノリに応じてセリフやリアクションを変えるなどのアドリブもオッケー。本作の会話劇に噓がないのは、このように若い俳優たちの主体性を尊重した演出の賜物だったのかもしれない。 だが、この映画が劇場公開時において最も画期的だったのは、アメリカの学園生活を構成するクリーク、すなわち日本で言いうところの「スクールカースト」の存在をテーマに据えたことであろう。ジョックス(体育会系)のアンドリュー、ミーン・ガールズ(女王様集団)のクレア、ナード(オタク)のブライアン、ゴス系(もしくはエモ・キッズ)のアリソン、グリーザーズ(ヤンキー系)のベンダーと、本作に登場する5人の高校生たちは、そのいずれもがスクールカーストの代表的な集団を象徴している。 同じ学校に通いながらもそれぞれ別の集団に所属し、お互いに相手のことをバカにしたり敬遠したり無視したり。普段なら決して相交わることのない彼らが、いざ腹を割って話をしてみると、親からのプレッシャーや将来への不安など、みんな同じような悩みを抱えていることを知り、お互いに友情や親近感を覚えるようになる。いつもは「キャラ」という名の鎧を身にまとっている彼らも、一皮むけばどこにでもいる普通の高校生なのだ。それまでも学園内のスクールカーストを背景にした青春映画は存在したものの、それをメインテーマとして扱った作品は恐らくこれが初めて。なおかつ、社会の縮図とも言えるその集団構造を通して、今も昔も変わらぬ等身大のティーンエージャー像を描く。それこそが、本作の持つ揺るぎない普遍性であり、その後のハリウッド産青春映画および青春ドラマに多大な影響を及ぼした理由であろう。 かつて子供だった大人と、いずれ大人になる子供 加えて、本作ではそこに大人たちの視点もさらりと盛り込まれる。最近の子供たちは不真面目で弛んでいる、昔の学生とはすっかり変わってしまった!と嘆く副校長ヴァーノン先生に、いや、変わってしまったのはお前だよ、自分が16歳の頃を思い出してみろと釘をさす用務員のカール(ジョン・カペロス)。今の子供は理解できないと大人から言われた子供が、大人になると全く同じことを子供に言う。いつの時代も変わらぬ光景だ。それは逆もまた然り。大人を自分とは別の生き物みたいに思って、なにかと反抗したりバカにしたりする子供たちも、いずれ自分もその大人になってしまうことを分かっていない。冒頭で校内に掲げられた歴代の優等卒業生写真の中央に、溌溂とした笑顔で映っている人気者の若者が、実は高校生時代のカールであることに、果たしてどれだけの学生が気付いているだろうか。 また、’90年代のグランジ・ルックを先取りしたようなベンダーのファッション、青白い顔に黒のアイラインを強調したゴス系のルーツみたいなアリソンの個性的なメイクなども興味深いところ。本作の時代を先駆けた先見性はもちろんのこと、トレンドというものがある日突然出現するのではなく、時間をかけて徐々に浸透・拡大していくものだということが分かるだろう。 トレンドといえば、ジョン・ヒューズ監督作品に欠かせないのがポップ・ミュージック。前作『すてきな片想い』ではトレンドのヒットソングをこれでもかと詰め込んでいたが、本作では曲数を最小限に絞り込んでいる。中でも印象的なのは、全米チャートでナンバーワンに輝いたシンプル・マインズのテーマ曲「ドント・ユー?」。挿入曲の大半を手掛けたソングライターのキース・フォーシーは、ジョルジオ・モロダーの重要ブレーンとしてドナ・サマーやアイリーン・キャラ、スリー・ディグリーズなどのヒット曲を書いた人で、本作では音楽スコアも担当している。『フラッシュダンス』(’83)や『ネバーエンディング・ストーリー』(’84)、『ビバリーヒルズ・コップ』(’84)などのテーマ曲も彼の仕事だ。 主人公の高校生役を演じているのは、ブラット・パック(悪ガキ集団)と呼ばれた当時の青春映画スターたち。『すてきな片想い』に引き続いて起用されたモリー・リングウォルドとアンソニー・マイケル・ホールは、実際に撮影時16歳の高校生だったが、それ以外の3人はいずれも20代(最年長は25歳のジャッド・ネルソン)である。最初にオファーされたのは、ヒューズ監督が自分の分身として贔屓にしていたアンソニー。モリーは当初アリソン役に予定されていたそうだが、本人の希望でクレア役を演じることになった。エミリオももともとはベンダー役だったが、キャスティングに難航したアンドリュー役を与えられることに。その代わりとして、オーディションで役になりきって臨んだジャッドがベンダー役を任された。ジャッドとアリソン役のアリー・シーディは、その後も『セント・エルモス・ファイアー』(’85)や『ブルー・シティ/非情の街』(’86)でも共演している。それぞれの役柄に自身の一部を投影したというヒューズ監督だが、見ている観客も5人のうち誰かに自分を重ねることが出来るというのも本作の魅力だろう。 ヴァーノン先生役のポール・グリーソンは、『ダイ・ハード』(’88)の居丈高なロス市警副本部長役でもお馴染み。用務員カールを演じているジョン・カペロスは、ロケ地でもあるシカゴの有名な即興喜劇集団セカンド・シティ(出身者はジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、ジョン・キャンディ、マイク・マイヤーズ、キャサリン・オハラなど)のメンバーで、当時は同郷の仲間であるヒューズ監督作品の常連俳優だった。ちなみに、クレアの父親が運転しているBMWはヒューズ監督の私物。ラストシーンではブライアンの父親役として、ヒューズ監督がチラリと顔を見せている。■ 『ブレックファスト・クラブ』© 1985 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.11.30
ジョン・カーペンターが西部劇にオマージュを捧げたヴァンパイア・アクション!『ヴァンパイア/最期の聖戦』
大の西部劇ファンだったカーペンター 『ハロウィン』(’78)や『遊星からの物体X』(’82)などで知られるホラー&SF映画の巨匠ジョン・カーペンター。幼少期に映画館で見たSFホラー『遊星よりの物体X』(’51)に強い衝撃を受け、自分もああいう映画を作ってみたい!と感化されて映画監督を目指したという彼は、しかしその一方でサスペンスからコメディまで幅広いジャンルの映画をどん欲に吸収して育ったシネフィルでもあり、中でも「映画監督になった本当の理由は西部劇を撮ること」と発言したこともあるほど大の西部劇映画ファンだった。 実際、例えば『ジョン・カーペンターの要塞警察』(’76)がハワード・ホークス監督作『リオ・ブラボー』(’59)へのオマージュであることは有名な逸話だし、『ニューヨーク1997』(’81)や『ゴースト・ハンターズ』(’86)などでも西部劇映画からの影響が随所に散見される。ただ、本人が「誰も自分に西部劇を撮らせてくれない」とぼやいて(?)いたように、ホラー映画やSF映画のエキスパートというイメージが災いしたせいか、カーペンターに西部劇を撮らせようと考えるプロデューサーがついぞ現れなかったのである。もちろん、彼が頭角を現した’70年代末~’80年代の当時、既に西部劇というジャンル自体が衰退の一途を辿っていたという事情もあろう。そんな西部劇マニアのカーペンター監督が、十八番であるホラー映画に西部劇テイストを融合させてしまった作品。それがこの『ヴァンパイア/最後の聖戦』(’98)だった。 舞台はアメリカ南部のニューメキシコ州。とある寂れた田舎のあばら屋に、武器を手にした屈強な男たちが集まってくる。彼らの正体は吸血鬼ハンターの傭兵部隊。両親を吸血鬼に殺されたリーダーのジャック・クロウ(ジェームズ・ウッズ)は、バチカンが秘かに支援する吸血鬼ハンター組織スレイヤーズのメンバーとなり、部下を率いて全米各地の吸血鬼を討伐していたのである。あばら屋に潜んでいた吸血鬼集団を全滅させたスレイヤーズ。吸血鬼の巣窟に必ずいるはずのボスが不在なのは気になったものの、ひと仕事を終えた彼らはモーテルに娼婦たちを呼んで祝杯をあげる。 ところが、そこへ吸血鬼のボス、ヴァレック(トーマス・イアン・ハンター)が乱入。これまで見たこともないほど強力なパワーを持つヴァレクは、予期せぬ敵の来襲に混乱するスレイヤーズと娼婦たちを片っ端から皆殺しにしてしまう。辛うじて生き残ったのは、ジャックとその右腕トニー(ダニエル・ボールドウィン)、そしてヴァレックに血を吸われた娼婦カトリーナ(シェリル・リー)の3人だけだ。血を吸われた人間と吸血鬼はテレパシーでお互いに繋がる。仲間を殺された復讐に燃えるジャックは、ヴァレックをおびき寄せるエサとしてカトリーナを連れて脱出するのだった。 バチカン側の窓口であるアルバ枢機卿(マクシミリアン・シェル)と合流したジャックたち。そこで彼らは、スレイヤーズのヨーロッパ支部が全滅したことを知らされる。犯人はヴァレック。14世紀にプラハで生まれた彼は全ての吸血鬼のルーツ、つまり史上最初にして最強のヴァンパイアだったのだ。その彼がなぜ今、アメリカに出現したのか。カトリーナにヴァレックの動向を透視させたジャックは、彼がバチカンによって隠された伝説の十字架を探し求めていることを知る。アルバ枢機卿にチームの監視役を任されたアダム神父(ティム・ギニー)によると、その十字架を儀式に用いることで、明るい昼間でも吸血鬼が外を歩けるようになるらしい。そうなれば、ヴァレックは文字通り無敵となってしまう。なんとしてでも阻止せねばならない。すぐさま敵の行方を追うジャックだったが、しかし時すでに遅く、ヴァレックは十字架の隠し場所を突き止めていた…。 あのフランク・ダラボン監督もカメオ出演!? 原作はジョン・スティークレイの小説「ヴァンパイア・バスターズ」。トビー・フーパー監督の『スペースバンパイア』(’85)や『スペースインベーダー』(’86)で知られ、カーペンターがプロデュースした『フィラデルフィア・エクスペリメント』(’84)の原案にも参加したドン・ジャコビーが脚本を手掛けているが、主人公ジャックのキャラや基本設定のほかはだいぶ脚色されている。もともと本作は『ハイランダー 悪魔の戦士』(’86)のラッセル・マルケイ監督が演出する予定で、ドルフ・ラングレンも主演に決まっていたが、製作会社との対立でマルケイがプロジェクトを降板したことから、ジョン・カーペンターに白羽の矢が立ったという。ちなみに、マルケイ監督とラングレンは本作の代わりに『スナイパー/狙撃』(’96)でタッグを組んでいる。 当時のカーペンターは興行的な失敗が続いて、本人も引退を考えるほどキャリアに行き詰まっていた時期。起死回生として挑んだ『ニューヨーク1997』の続編『エスケープ・フロム・L.A.』(’96)も、莫大な予算をかけたにも関わらず結果はパッとしなかった。ただ、予てから西部劇とホラーの融合に興味を持っていた彼は、舞台がアメリカ南部で主人公は殺し屋という、まるで西部劇みたいな本作の設定に創作意欲を掻き立てられたようだ。結果的にこの目論見は大当たり。具体的な世界興収の数字は不明だが、本作はカーペンター監督にとって久々のヒット作となる。 あばら屋の前にスレイヤーズが集結する冒頭シーンの、ジャックとあばら屋の扉を交互に接写していく演出は、クローズアップ・ショットがトレードマークだったセルジオ・レオーネ監督作品へのオマージュ。口より先に手が出る粗暴なタフガイ・ヒーロー、ジャックのキャラクターは、ハワード・ホークス作品におけるジョン・ウェインをイメージしたという。主人公たちの別れを描いたクライマックスは、ホークス監督×ウェイン主演の名作『赤い河』(’48)にインスパイアされたそうだ。さらに、カーペンター監督自身の手掛けた音楽スコアは、いかにもアメリカ南部らしいカントリー&ウェスタンやブルースを基調としつつ、一部では『リオ・ブラボー』のディミトリ・ティオムキンの音楽も参考にしている。 ただし、映画全体としてはサム・ペキンパーの『ワイルド・バンチ』(’69)からの影響が濃厚。赤褐色を基調としたカラートーンやスタイリッシュなカメラワーク、ハードなバイオレンス描写はもちろんのこと、モーテルでのスレイヤーズ虐殺シーンをあえてスローモーションで見せるあたりなども『ワイルド・バンチ』っぽい。なお、通常の映画フィルムが毎秒24コマで再生されるのに対し、スローモーションは60コマとか72コマあたりが一般的なのだが、本作は34~36コマというイレギュラーなフレーム数を採用。この微妙なサジ加減が、大殺戮のパニックとアクションを際立たせている。ちなみに、娼婦役のエキストラにはロケ地ニューメキシコでスカウトしたストリッパーたちが混じっているそうだ。 吸血鬼ハンターと最強吸血鬼のバトルを軸としたプロットは非常にシンプル。残念ながら十字架もニンニクも全く効果なし、吸血鬼を殺すならば太陽のもとへ晒さねばならない、なので陽が沈んだ夜は非常に危険!という基本設定も単純明快で、古き良きB級西部劇映画のごとくアクションとガンプレイにフォーカスしたカーペンター監督の演出が活きている。ホラー映画ならではの血しぶき描写は控えめであるものの、ここぞという場面ではしっかりと人体破壊スプラッターも披露。吸血鬼がウィルス感染するという設定については、リチャード・マシスンの小説「アイ・アム・レジェンド」を元ネタにしたそうだ。カーペンター作品としては、全盛期だった80年代のような冴えこそ影を潜めているものの、それでも理屈抜きに楽しめるアクション・エンターテインメントに仕上がっている。 主人公ジャック・クロウを演じているのは、予てよりアクション映画のヒーローをやってみたかったというジェームズ・ウッズ。相棒トニーには当初アレック・ボールドウィンが指名されていたが、諸事情で出演が叶わなかったことから、本人から弟ダニエルを推薦されたらしい。ヒロインの娼婦カトリーナにはテレビ『ツイン・ピークス』のシェリル・リー。次第に吸血鬼へと変貌していく過程で、徐々に野獣本能に目覚めていく芝居がとても巧い。アルバ枢機卿にはオスカー俳優マクシミリアン・シェル。最強吸血鬼ヴァレック役のトーマス・イアン・グリフィスのロングヘア―はエクステンションだったそうだ。モーテルで殺されるスレイヤーズの中には、日系人俳優ケリー・ヒロユキ・タガワも含まれている。 ちなみに、モーテルを脱出したジャックたちは、たまたま通りがかったキャデラックを奪って逃走を続けるわけだが、このキャデラックのドライバー役で顔を出しているのがフランク・ダラボン。そう、『ショーシャンクの空に』(’94)や『グリーンマイル』(’99)の監督である。もともとホラー映画畑出身のダラボン監督はカーペンター監督とも親しく、どうしても本作に出演したいと懇願されたのだそうだ。■ 『ヴァンパイア/最期の聖戦』© 1998 LARGO ENTERTAINMENT., INC. All Rights Reserved.