ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2023.08.01
ディレクターズ・カット版で味わいに深みを増した’80年代青春映画の金字塔『アウトサイダー』
アメリカの光と影を映し出す、貧しい若者たちの群像劇 巨匠フランシス・フォード・コッポラが監督を手掛け、アメリカはもとより日本でも爆発的な大ヒットを記録した、’80年代を象徴する青春映画の金字塔『アウトサイダー』(’83)。いつまでも若かりし頃の輝きを失わないで…と歌う、スティーヴィー・ワンダーの主題歌「ステイ・ゴールド」の美しくも抒情的なメロディと共に記憶している映画ファンも多いことだろう。 ‘80年代のハリウッドといえば青春映画の全盛期。『初体験リッジモント・ハイ』(’82)や『プライベート・スクール』(’83)のようなセックス・コメディから、ジョン・ヒューズ監督の『すてきな片想い』(’84)や『ブレックファスト・クラブ』(’85)のようにお洒落な学園ドラマ、さらには『セント・エルモス・ファイアー』(’85)に『プリティ・イン・ピンク』(’86)に『ダーティ・ダンシング』(’87)に『ヘザース/ベロニカの熱い日』(’88)にと、等身大の若者たちを鮮やかに描いた青春映画が次から次へと大ヒットし、ブラット・パック(悪ガキ集団)と呼ばれる若手の青春映画スターたちがハリウッドのニュー・セレブとして持て囃された時代だ。そのブラット・パック第一世代(マット・ディロンやC・トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、トム・クルーズなど)の俳優たちがズラリ勢ぞろいした本作は、さしずめ’80年代青春映画ブームの原点にして頂点と呼べるかもしれない。 原作はデビュー当時まだ18歳だった女性作家S・E・ヒントンが高校在学中に執筆し、処女作として’67年に発表してベストセラーとなった同名のヤングアダルト小説。ヒントン自身が生まれ育ったオクラホマ州の町タルサを舞台に、行き場のない怒りや不満や哀しみをぶつけるかのごとく、喧嘩ばかりに明け暮れる貧しい若者たちの青春群像が描かれる。まずはそのストーリーから振り返ってみよう。 時は’60年代半ば。主人公はリーダー格のクールなタフガイ、ダラス(マット・ディロン)を筆頭に、両親を交通事故で亡くした14歳の最年少ポニーボーイ(C・トーマス・ハウエル)、その兄貴のダレル(パトリック・スウェイジ)とソーダポップ(ロブ・ロウ)、親からの虐待に苦しむジョニー(ラルフ・マッチオ)、ひょうきんで明るいツー・ビット(エミリオ・エステベス)に筋肉バカのお調子者スティーヴ(トム・クルーズ)など、「グリース」と呼ばれる貧困層の不良少年グループだ。肩で風を切るようにしてイキがっている彼らだが、しかしその素顔はごくごく平凡な普通の若者たち。中でも、物語の語り部であるポニーボーイは映画と本をこよなく愛する芸術家肌の秀才で、その親友ジョニーも争いごとを嫌う繊細で心優しい少年だ。しかし、たまたま運悪くスラム地区の貧困層に生まれ育ってしまった彼らは、普段からタフを装わなくては弱肉強食の世界を生き抜くことが出来ないのである。 そんな「グリース」の面々にとって最大のライバルは、山手の高級住宅地を根城にする富裕層の不良グループ「ソッシュ」。普段から小競り合いの絶えない「グリース」と「ソッシュ」だが、ある晩ドライブイン・シアターでポニーボーイたちが「ソッシュ」の美少女チェリー(ダイアン・レイン)と親しくなったことから、これに嫉妬した「ソッシュ」のリーダー格ボブ(レイフ・ギャレット)が仲間を引き連れてポニーボーイとジョニーを襲撃。目の前でリンチされるポニーボーイを助けようとしたジョニーだったが、しかし無我夢中だったために勢い余ってボブをナイフで刺し殺してしまう。恐れをなして一目散に逃げだした「ソッシュ」の連中。ボブの死体と共に取り残されて途方に暮れるポニーボーイとジョニー。2人はダラスの助言で遠く離れた古い教会の廃墟へ身を隠し、熱(ほとぼり)がさめるのを待つことにするのだが、そんな彼らを皮肉な運命が待ち受ける…。 巨匠コッポラを突き動かした原作ファンのティーンたち 『風と共に去りぬ』(’39)のキッズ版をコンセプトにしたというコッポラ監督。なるほど、確かに夕焼けの空を背景にしたオープニングのタイトル・シークエンスをはじめ、明らかに『風と共に去りぬ』からインスパイアされたと思しきシーンは少なくない。さらに言えば、愛情に飢えた不良少年たちを巡る切なくもほろ苦い青春ストーリーは、まるでジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』(’55)や『エデンの東』(’55)の如し。興行的に大惨敗を喫した前作『ワン・フロム・ザ・ハート』(’82)でも垣間見せた、ハリウッド黄金期のスタジオ映画に対するコッポラ監督の愛情と憧憬が滲み出ている映画と言えるだろう。 それにしても、『ゴッドファーザー』(’72)シリーズでマフィアの熾烈な権力争いを描き、『地獄の黙示録』(’79)では戦場の地獄と狂気をスクリーンにぶちまけたフランシス・フォード・コッポラが、一転してなぜ、これほどまでに瑞々しい正統派の青春メロドラマを世に送り出したのか。その経緯がまたちょっと興味深い。 そもそもの始まりは、’80年の春にコッポラのもとへ届いた一通の手紙。それは、カリフォルニア州フレズノ市のローン・スター小学校に勤める図書館司書ジョー・エレン・ミサキアンが、8年生の生徒たちに代わって代筆したもの。封筒にはS・E・ヒントンの小説「アウトサイダー」が同梱され、手紙には「これを貴方に映画化して欲しい」との旨がしたためられていた。どうやら、原作の熱心なファンで映画化を望んでいた8年生の生徒たちは、『ゴッドファーザー』の映画化に成功したコッポラであれば適任だろうと考えたようだ。手紙には生徒たちの署名まで添えられていたらしい。そこで、当時はS・E・ヒントンの名前すら知らなかったコッポラ監督だが、子供たちの熱意に心を動かされて原作本を読み、さらにオクラホマ州タルサにも足を運んで作者ヒントンと親しくなり、最終的に映画化へ踏み切ることにしたのである。要するに、きっかけは原作ファンからのご指名ラブコールだったのだ。 また、先述したようにブラット・パックと呼ばれる新世代の若手スターを数多く輩出した本作だが、配役選考の際にコッポラ監督が採用したユニークな形式のオーディションも今や語り草となっている。キャスティング・ディレクターを任されたのは、『ゴッドファーザー』以来の付き合いである盟友フレッド・ルース。なるべく手垢の付いていない無名俳優を中心に、ルースは数十名の候補者を全米各地から探し出してきたという。その中には、最終的に合格したメイン・キャスト陣はもちろんのこと、次作『ランブルフィッシュ』(’83)で起用されるミッキー・ロークやヴィンセント・スパーノをはじめ、デニス・クエイドにスコット・ベイオ、アンソニー・マイケル・ホール、アダム・ボールドウィン、ヘレン・スレイターにキャサリン・メアリー・スチュワート、ケイト・キャプショーなどなど、後に映画界で名を成す有望な新人が多数含まれていた。 若手俳優たちを戸惑わせた前代未聞のオーディションとは? で、そんな才能あふれる候補者たちをコッポラ監督がどうしたかというと、まずはオーディション会場に全員集めて複数のグループに分け、その場で指定したシーンを交代で演じさせたという。通常、オーディションというのは審査員を前に個別で行うものなので、この前代未聞のグループ・オーディションには多くの参加者が戸惑った。なにしろ、審査員だけでなく他の参加者も見ている前で芝居をしなくてはならない。駆け出しの若手俳優にとっては相当なプレッシャーだったはずだ。しかも、コッポラは各人の適性や相性をチェックするため、あえて全員に複数の役柄を演じさせた。実際、トム・クルーズがダラス役を、エミリオ・エステベスがソーダポップ役を演じたオーディション映像も残っている。最初からジョニー役を希望していたというラルフ・マッチオは、ポニーボーイやツー・ビットのセリフ読みをさせられるたび、「このままだとジョニー役は貰えないかもしれない」と不安になったそうだ。 こうした実験的なプロセスを経て選ばれたのが、本作を機にスターダムを駆け上がったブラット・パック第一世代の面々。ただし、ダラス役のマット・ディロンはすでにティーン・スターとして頭角を現しており、中でも特に日本では『リトル・ダーリング』(’80)や『マイ・ボディガード』(’80)のヒットで絶大な人気を誇っていた。筆者はこれまでに2回ほどマット・ディロンに単独インタビューをしているが、若い女性ファンから追いかけられるような経験をしたのは日本だけだと語っていたのが印象的。当時はアメリカ本国よりも日本での人気の方が高かったのだ。 それはともかく、コッポラ監督がオーディションで最初に手応えを感じたのもマット・ディロンだったという。なにしろ、本人は高校の授業をさぼってまでS・E・ヒントンの小説を貪り読むほどの熱烈なファン。役柄だけでなく作品の世界も誰より理解していた。しかも、当時はヒントンの小説を映画化した『テックス』(’82)に主演したばかり。その過程で原作者ヒントンとも大親友になっていた。もはや、『アウトサイダー』に出ることは彼の宿命みたいなものだったと言えよう。実際、かなり早い段階でコッポラは彼をダラス役に決めたらしいのだが、しかし監督から「もう帰っていいよ」と言われたディロンは、オーディションに落ちたものと勘違いしてムチャクチャ凹んだそうだ。 当時すでにスターだったといえば、ヒロインのチェリー役を演じているダイアン・レインも同様。なんたって、13歳の時に主演した映画デビュー作『リトル・ロマンス』(’79)で天下の名優ローレンス・オリヴィエと渡り合い、マスコミから「第二のグレース・ケリー」とまで呼ばれた逸材である。また、富裕層グループ「ソッシュ」のリーダー、ボブ役のレイフ・ギャレットも、当時すでに全盛期を過ぎて落ち目だったとはいえ、’70年代に全米で絶大な人気を誇ったスーパー・ティーンアイドル。歌手としてもシングル「ダンスに夢中」が全米チャート・トップ10に入り、日本のお菓子メーカーのTVCMにも起用された。田原俊彦のデビュー曲「哀愁でいと」も、実はレイフ・ギャレットのカバー曲である。 ちなみに、本作は若手俳優のオーディションだけでなく演技指導もかなり実験的。まずメイン・キャストは撮影開始の3~4週間前にロケ地のタルサへ入り、本番さながらのリハーサルを行い、その様子を全てビデオ撮影&デジタル編集していたという。そうすることによって、撮影本番へ入る頃には役柄と同じような信頼関係がキャストの間にも生まれたのだとか。さらに、コッポラ監督は「グリース」役の俳優たちをホテルの安い部屋へ泊らせ、反対に「ソッシュ」役の俳優たちは高い部屋に泊まらせる、「グリース」役の役者たちの台本はプラスチック製のバインダーで、「ソッシュ」役の役者たちには革製のバインダーを与えるなど、両者の扱いに差をつけることで互いへのライバル意識を芽生えさせたのだそうだ。まあ、このやり方には恐らく賛否あることだろう。実際、撮影現場の外でも喧嘩沙汰が起きたらしいので、少なからず問題のある演技指導だったのではないかとも思う。 「ディレクターズ・カット版」の見どころもチェック こうして出来上がった映画『アウトサイダー』は、世界中のティーンエージャーたちの共感を集めて大ヒットを飛ばし、『ワン・フロム・ザ・ハート』の大失敗で危機に陥ったコッポラのキャリアを救ったわけだが、その一方で原作ファンにとって大事なシーンが幾つも抜けていることから、監督のもとには「もっと原作に忠実であった方が良かった」との不満を示すファン・レターが長年に渡って多く届いていたらしい。そう言われると、筆者も初見時はノスタルジックな映像の美しさや旬な若手俳優たちの魅力に心酔しつつ、どことなくストーリーに物足りなさを感じていたことは否めない。それゆえ、同じくコッポラがヒントンの小説を忠実に映画化した次回作『ランブルフィッシュ』の方が、作品の出来栄えに軍配が上がると考えていたのだが、どうやらコッポラ監督自身も劇場公開版には不満があったらしい。 というのも、もともと本作は原作小説に出来る限り忠実な内容で、上映時間も当初は2時間近くあったのだが、これを長すぎると感じた配給元ワーナーの指示によって91分に短縮させられていたのだ。そこで劇場公開から23年後の’05年、コッポラ監督は削除シーンを再編集で復元した「ディレクターズ・カット版」を初めて発表。これが劇場公開版を遥かに凌駕するほど素晴らしい出来栄えだった。 まずはメインキャラクターやストーリーの設定背景を詳しく掘り下げた導入部分が復活。おかげで、劇場公開版ではなんとなく浅く感じられた彼らの友情と絆の描写に、圧倒的な深みと説得力が加わっている。これは恐らく誰の目にも明らかであろう。さらに、ポニーボーイとソーダポップ、ダレルのカーティス3兄弟に関するシーンも大幅に復活し、どれだけの困難に見舞われようともお互いに助け合う兄弟愛の美しさと尊さが描かれる。中でも、ポニーボーイとソーダポップが同じベッドでお互いを抱きしめながら、人生の様々なことについて本音で語り合うシーンは素直に感動的だ。そういえば、ポニーボーイは親友ジョニーともよくハグしていたっけ。ゲイではないストレートの男同士だって抱きしめ合うことは恥ずかしいことじゃないし、辛いときにお互いを慰めたっていい。もちろん、男が弱音を吐いたって泣いたって構わないし、男だからって強くなくてはいけないわけじゃない。そもそも、男同士がいちいちマウントを取って強さを競ったりするの、ホントに無益で下らないからやめようよ。そんな「有害な男らしさ」からの脱却を、今から40年も前にハッキリと描いていたことは本作の先見の明であろう。 さらに、劇場公開版では『風と共に去りぬ』のキッズ版というコンセプトのもと、コッポラ監督の実父カーマインが甘美で壮麗な音楽スコアを作曲したのだが、これがまたあまりにもメロドラマ的過ぎた。そのため、「ディレクターズ・カット版」ではオリジナル・スコアを大幅にカットし、代わりにビートルズ上陸以前のアメリカのティーンたちに愛されたエルヴィス・プレスリーやカール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイスなどのヒットソングをたっぷりとフィーチャー。そこへ、当時のロックンロールやR&Bをベースにしたマイケル・セイファートとデイヴ・パドラットのクールな音楽スコアを新たに追加することで、映画そのものがリアルな時代性をまとい、作品全体の印象も引き締まったように感じられる。 しばしば商業的な理由を最重要視して編集された「劇場公開版」に対して、監督自身が本来ならこうあるべきと考える理想形を追求した「ディレクターズ・カット版」は、それゆえ自己満足に陥りがちだったりもするのだが、少なくとも本作の場合はセルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(’84)と同じくオリジナルの完成度を確実に上回っている。初公開時に映画館で見て夢中になったという人はもちろんのこと、実は周りの評判ほど感動しなかったという人にもぜひ、この「ディレクターズ・カット版」を見て頂きたいと切に願う。■ 『アウトサイダー【ディレクターズ・カット版】』© 2005 / ZOETROPE CORPORATION - Tous Droits Réservés
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COLUMN/コラム2023.07.26
‘80年代最強のゾンビ・コメディ映画!その見どころと製作舞台裏を徹底解説!『バタリアン』
知られざる『バタリアン』誕生秘話 日本でも大変な話題となった’80年代ゾンビ映画の傑作である。いわゆる「走るゾンビ」の先駆け的な存在。そればかりか、本作の「生ける屍」たちは言葉を喋るうえに知恵だって働く。食料(=人間の脳みそ)をまとめて調達するために罠を仕掛けるなんて芸当も朝飯前だ。これぞまさしくゾンビ界の新人類(?)。『エイリアン』(’79)の脚本で一躍頭角を現し、本作が満を持しての監督デビューとなったダン・オバノンは、ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロ監督作品との差別化を図ってコメディ路線を採用したのだが、その際にホラー映画として肝心要である「恐怖」にも手を抜かなかったことが成功の秘訣だったと言えよう。シニカルな皮肉を効かせたブラック・ユーモアのセンスも抜群。賑やかで楽しいけれど怖いところはしっかりと怖い。もちろん、血みどろのゴア描写も容赦なし!やはりメリハリって大事ですな。 また、日本では『バタリアン』という邦題をはじめ、劇中に登場するオバンバやらタールマンやらハーゲンタフやらのゾンビ・キャラなど、キャッチーなネーミングを駆使したプロモーション作戦も大いに功を奏したと思う。そこはさすが、『サランドラ』(’77)のジョギリ・ショックに『バーニング』(’81)の絶叫保険など、とりあえず目立ってナンボのハッタリ宣伝で鳴らした配給会社・東宝東和である。そういえば、本作も「バイオSFX方式上映」とか勝手に銘打ってたっけ。なんじゃそりゃですよ(笑)。いずれにせよ、ちょうど当時は『狼男アメリカン』(’81)や『死霊のはらわた』(’81)、『死霊のしたたり』(’85)に『ガバリン』(’86)などなど、シリアスな恐怖とブラックな笑いのハイブリッドはホラー映画界のちょっとしたトレンドだったわけで、その中でも本作は最も成功した作品のひとつだった。 原題は「The Return of the Living Dead」。勘の鋭いホラー映画ファンであれば、このタイトルだけで本作がジョージ・A・ロメロ監督によるゾンビ映画の金字塔『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(’68・以下『NOTLD』と表記)の続編的な作品であることに気付くはずだ。実際、劇中では『NOTLD』の存在がセリフで言及され、その内容が実話であったとされている。つまり、これは間接的な後日譚に当たるのだ。とはいえ、製作陣が公式に「続編」を名乗ったことは一度もない。そもそも、本作には『NOTLD』の「続編」を名乗ることのできない理由があった。その辺の裏事情も含め、まずは『バタリアン』の知られざる生い立ちから振り返ってみよう。 本作の生みの親はジョン・A・ルッソ。そう、『NOTLD』の脚本を共同執筆したロメロの盟友である。『There’s Always Vanilla』(’71・日本未公開)を最後にロメロと袂を分かったルッソは、その直後にラッセル・ストレイナー(『NOTLD』のプロデューサー)やルディ・リッチと共に製作会社ニュー・アメリカン・フィルムズを立ち上げ、独自に『NOTLD』続編の企画を準備し始めたという。なにしろ彼にとっては唯一にして最大の代表作である。しかも、共同脚本家として著作権はロメロとルッソの双方が所有。なので、続編を作る権利はルッソにもあったのだ。しかも、一連のアル・アダムソン監督作品で知られる配給会社インディペンデント=インターナショナル・ピクチャーズの社長サム・シャーマンから、『NOTLD』の続編があればうちで配給したいと声をかけられていたらしい。そりゃ、ご要望にお応えしないわけにはいくまい。 かくして、ストレイナーやリッチの協力のもと『The Return of the Living Dead』のタイトルで脚本執筆に取りかかったルッソ。しかし、幾度となく修正を重ねたために時間がかかり、なおかつ製作資金の調達も難航したという。そこで、ルッソは企画の宣伝も兼ねてノベライズ本を’77年に発表。ホラー・マニアの間では評判となったが、あいにく出版社が弱小だったため5万部しか売れなかった。そんな折、ロメロが『NOTLD』の続編『ゾンビ』(’78)を撮ることになり、ルッソとの間で著作権を巡って裁判が勃発。当人同士は穏便に済ませたかったそうだが、しかし第三者も関わるビジネスの問題なのでそうもいかなかったのだろう。その結果、ロメロの『ゾンビ』が『NOTLD』の正式な続編となり、そのためルッソの脚本は対外的に続編を名乗ることが出来なくなったのである。 それから3年後の’81年、ルッソは『The Return of the Living Dead』の映画化権を知人の紹介で無名の映画製作者ポール・フォックスへ売却する。もともとシカゴ出身の投資銀行家だったというフォックスは、その傍らで映画界への進出を目論んでいたらしく、安上がりに儲けることが出来るホラー映画は優良な投資物件と考えたのだろう。とはいえ、金融の世界ではプロかもしれないが、しかし映画作りに関しては素人も同然。あちこちの製作会社へ企画を売り込んだものの、手を組んでくれる相手はなかなか現れなかった。ようやく企画が動き始めたのは’83年のこと。後に『ターミネーター』(’84)や『プラトーン』(’86)で大当たりを取る製作会社ヘムデイルがパートナーとして名乗りをあげ、同社と提携を結んでいたオライオンが配給を担当することになったのだ。監督にはオカルト映画『ポルターガイスト』(’82)を大ヒットさせたばかりのトビー・フーパーも決定。そこで、予てよりオリジナル脚本に不満を持っていたフォックスは、『エイリアン』でお馴染みのダン・オバノンに脚本のリライトを依頼したのだ。 ところが…!である。ヘムデイルの資金調達に思いがけず時間がかかったため、その間にトビー・フーパーはキャノン・フィルムと専属契約を結んで、やはりダン・オバノンが脚本に参加したSFホラー『スペースバンパイア』(’85)をロンドンで撮影することとなってしまったのだ。そこで制作陣は、代打としてオバノンに監督のポジションをオファー。自分で作るのであればロメロの真似だけは避けたいと考えたオバノンは、全面的な脚本の書き直しを条件にオファーを引き受け、実質的に『NOTLD』の続編的な内容だったオリジナル脚本のストーリーを刷新する。ルッソやオバノンの証言によれば、オリジナル版と完成版の脚本はタイトル以外に殆ど共通点がないそうだ。 ‘69年に起きたゾンビ・パニックの真実とは…!? オープニング・テロップ曰く、「この映画で描かれる出来事は全て事実であり、登場する人物や組織の名前も実在する」とのこと。時は1984年7月3日、場所はケンタッキー州ルイビル。人体標本などの医療用品を供給する会社に就職した若者フレディ(トム・マシューズ)は、先輩のベテラン社員フランク(ジェームズ・カレン)から信じられないような話を聞かされる。有名なゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が、実際に起きた出来事を基にしているというのだ。 それは1969年のこと。ピッツバーグの陸軍病院で「トライオキシン245」という化学兵器がガス漏れを起こし、その影響で墓地に埋められた死者が次々と甦って生者を食い殺したのである。事態を収拾した陸軍は事件の隠蔽工作を図ったのだが、しかし配送ミスによって闇へ葬られるはずのゾンビがこの会社へ届いてしまい、今もなお倉庫の地下室に保管されているのだという。半信半疑のフレディを納得させるため、実際に地下室へ案内して本物のゾンビを見せるフランク。ところが、調子に乗ったフランクがゾンビを保管するタンクを叩いたところ、中に充満していた「トライオキシン245」が外へ漏れ出してしまい、思いきりガスを吸ったフレディとフランクは気を失ってしまう。 暫くして意識を取り戻したフレディとフランク。よく見るとタンクの中のゾンビは姿を消し、倉庫の冷凍室では実験用の死体が甦って大暴れしている。警察に通報しても信じてもらえないだろうし、ましてや軍隊に知れたら口封じのため何をされるか分からない。慌てた2人は社長バート(クルー・ギャラガー)を呼び出し、ゾンビ化した実験用の死体を捕らえて頭部を破壊する。「ゾンビを殺すなら頭を狙え」はゾンビ映画の鉄則だ。ところが、頭を破壊しても首を切断してもゾンビは元気いっぱいに走り回っている。「なにこれ!まさか映画は嘘だったわけ!?」と困り果てる3人。バラバラにしても死なないゾンビをどう始末すればいいのか。そこでバートは近所の葬儀屋アーニー(ドン・カルファ)に相談し、ゾンビを焼却炉で火葬してもらう。さすがのゾンビも焼かれて灰になったらオシマイだ。ところが、ゾンビを焼いた煙には「トライオキシン245」が含まれており、折からの悪天候によって雨と一緒に地上へ降り注いでしまう。 その頃、倉庫近くの古い墓地では、フレディの仕事終わりを待つ友人たちがパーティを開いていた。そこへ急に雨が降ってくるのだが、しかしこれがどうもおかしい。酸性雨なのか何なのか分からないが、肌に触れるとヒリヒリして痛いのだ。慌てて雨宿りをする若者たち。そんな彼らの目の前で、墓場の底から次々と死者が甦る。雨に含まれた「トライオキシン245」が埋葬された遺体をゾンビ化させてしまったのだ。やがて大群となって襲いかかってくるゾンビたち。生存者は会社の倉庫や葬儀屋のビルに立て籠もるのだが、しかし動きが速くて言葉を理解して知能の高いゾンビ軍団に警察もまるで歯が立たない。そのうえ、ガスを吸い込んだフレディとフランクも体調に異変をきたし、生きながらにしてゾンビへと変貌しつつあった。果たして、この未曽有のゾンビ・パニックを無事に収集することは出来るのだろうか…!? 撮影現場では嫌われてしまったオバノン監督 この軽妙洒脱なテンポの良さ、適度に抑制を効かせたテンションの高さ。これみよがしなドタバタのスラップスティック・コメディではなく、極限の状況下に置かれた人々による必死のリアクションが笑いを生み出していくというスクリューボール・コメディ的なオバノン監督の演出は、それゆえにシリアスで残酷で血生臭いホラー要素との相性も抜群だ。ジャンルのクリシェを逆手に取ったジョークを含め、その語り口は実にインテリジェントである。しかも、カメラの動きから役者のポジションに至るまで、全編これ徹底的に計算されていることがひと目で分かる。実際、オバノン監督は撮影前の2週間に渡って入念なリハーサルを行い、役者の立ち位置や動作、セリフのスピードやタイミングなどを細かく決め、相談のない勝手なアドリブは許さなかったらしい。少々大袈裟で演劇的な群像劇も監督の指示通り。あえて「わざとらしさ」を狙ったという。根っからの完璧主義者である彼は、どうやら映画の総てを自分のコントロール下に置こうとしたようだ。 そして、その強権的な姿勢が現場でトラブルを招いてしまう。あまりにも注文が多いうえに要求レベルが高いため、オバノン監督はスタッフやキャストから総スカンを食らってしまったのだ。当時を振り返って口々に「現場は地獄だった」と言う関係者たち。予算も時間も無視したオバノン監督の要求に対応できなくなった特殊メイク担当のビル・マンズは途中降板することになり、その代役としてケニー・マイヤーズとクレイグ・ケントンが呼び出されたのだが、彼らもまたいきなり初日からオバノン監督に怒鳴り散らされて面食らったという。 また、演じる役柄と同様に大人しくて控えめなティナ役のビヴァリー・ランドルフも、もしかするとそれゆえターゲットにされたのかもしれないが、監督が人一倍厳しく接した相手のひとりだったらしい。タールマンと遭遇したティナが逃げようとしたところ、階段から落ちて怪我をするシーンでは、オバノン監督は演じるビヴァリーに階段の板が外れることを黙っていたという。いやあ、現在のハリウッドでそんなことしたら大問題になりますな。結局、何も知らないビヴァリーは、本当に階段から転落して足を捻挫してしまった。なかなか起き上がれずに苦悶の表情を浮かべているのは芝居じゃないのだ。 さらに、撮影開始の直前になってキャスティングされ、そのためリハーサルに参加できなかったベテラン俳優クルー・ギャラガーは、監督からの有無を言わせぬ一方的な要求に「俳優への敬意がない!」とブチ切れ、小道具のバットだか何かを振り回しながら監督を追いかけたこともあったという。それを見て、ビヴァリーら若手俳優たちは内心スカッとしたのだとか(笑)。生前のオバノン監督自身も当時の自分がサイテーだったことを素直に認めており、監督としての初仕事ゆえ多大なプレッシャーを抱えていたとはいえ、あんな態度でスタッフやキャストに接するべきではなかった、もっと自分の感情をコントロールすべきだった、みんなから嫌われたのは私の自業自得だと大いに反省していたようだ。 そんな本作で抜きん出て良い仕事をしたのは、上半身裸の老女ゾンビ=オバンバのデザイン・造形・操演を担当した特殊メイクマン、トニー・ガードナー。ダフト・パンクのロボット・ヘルメットなどのデザイナーとして、名前を聞いたことのある人も少なくないだろう。もともとリック・ベイカーのアシスタントで、撮影当時まだ19歳の若者だった彼にとって、本作は初めて名前がクレジットされた大仕事だった。実はモヒカン頭のパンク少年スクーズを演じるブライアン・ペックの友人だったガードナー。普段はナード系のペックをパンク少年らしくイメチェンさせるため、コワモテっぽく見えるような義歯をオーディション用に作ってあげたところ、これがオバノン監督の目に留まって特殊メイク班に起用されたのである。ちなみに、トビー・フーパーが本作を降りて『スペースバンパイア』を撮ったことは先述した通りだが、そういえば『スペースバンパイア』に出てくる精気を吸われてミイラ化した女性被害者とオバンバがどことなく似ているような…? おっちょこちょいなダメオジサン、フランクの切ない名場面は脚本になかった? そうそう、人間味あふれるベテラン俳優たちの顔ぶれも、本作の大きな強みだったように思う。中でもフランク役を演じるジェームズ・カレンはマジ最高ですな!ゾンビ化していくことに絶望したフランクが、自らの意思によって焼却炉で焼かれるシーンの切なさは筆舌に尽くしがたい。実はこのシーン、ジェームズ・カレン自身のアイディアだったという。もともとオバノンの書いた脚本では、フレディと同じくフランクも凶暴なゾンビとなってしまうはずだったのだが、それでは面白くないとカレン本人が出した代案をオバノンが採用したのだそうだ。そのカレンをフランク役に起用したのは、実はトビー・フーパー監督だったとのこと。いわば置き土産だったわけだ。前作『ポルターガイスト』にも登場し、幽霊騒動の元凶を作った強欲な不動産会社社長を演じていたカレンを、恐らくフーパー監督は贔屓にしていたのだろう。この翌年、フーパー監督は『スペースバンパイア』に続いて『スペースインベーダー』(’86)でも再びオバノンとタッグを組むのだが、そこではジェームズ・カレンもまた海兵隊の将軍役で大活躍することになる。 なお、ハリウッド業界で人望が厚く交友関係の広かったカレンは、本作の撮影中に親しい友人だった天下の名優ジェイソン・ロバーズをロケ現場へ招いているのだが、その際に撮影されたスナップ写真をプロデューサー陣はロビーカードなどの宣材として使っている。全く、ちゃっかりとしてますな(笑)。 医療品会社の社長バート役には、ドン・シーゲルの『殺人者たち』(’64)やピーター・ボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』(’71)でもお馴染みの名優クルー・ギャラガー。もともとこの役は往年のB級西部劇スター、スコット・ブレイディに決まっていたものの病気で降板し、レスリー・ニールセンなど複数の俳優に断られた末にギャラガーが引き受けた。これが初めてのホラー映画出演だった彼は、その後『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』(’85)や『ヒドゥン』(’87)など数々のホラー映画へ出ることになる。また、アーニー役のドン・カルファはボグダノヴィッチの『ニッケルオデオン』(’76)やスピルバーグの『1941』(’79)などに端役で出ていた人で、その強烈なマスクと芝居で印象を残す「名前は知らないけど顔は知っている俳優」のひとりだったが、本作以降はメジャーどころの役柄も増えていく。実際、この人が出てくると一挙一動から目が離せない。いやあ、実に芸達者! 一方の若手俳優に目を移すと、『13日の金曜日 PART6/ジェイソンは生きていた!』(’86)と『13日の金曜日 PART7/新しい恐怖』(’87)でトミー・ジャーヴィス(ジェイソンと対峙したトラウマからジェイソン化していく若者)を演じたトム・マシューズ、『新・13日の金曜日』(’85)の屋外トイレでジェイソンに殺される黒人の不良デーモンを演じたミゲル・A・ヌネス・ジュニア(スパイダー役)、同じく『新・13日の金曜日』で患者仲間を殺してしまう精神病患者ヴィックを演じたマーク・ヴェンチュリーニ(スーサイド役)と、『13金』シリーズ繋がりのキャストが目立つ。要するに、それくらい当時は大勢の無名若手俳優が『13金』シリーズに出ていたのである。 ちなみに、トム・マシューズが劇中で着用しているノースリーブシャツ。「DOMO ARIGATO」と日本語をあしらった旭日旗デザインが印象的なのだが、これは当時マシューズが広告モデルを務めていた衣料品メーカー、VISAGEのもの。なぜ「DOMO ARIGATO」なのかというと、やはりスティックスの全米トップ10ヒット「ミスター・ロボット」の影響力でしょうな。当時のアメリカではニンジャ映画が流行るなど日本ブームの真っ只中だったわけだし。で、マシューズはそのVISAGE関係者を『バタリアン』の試写会にも招いたそうなのだが、どうやら相手はホラー映画が大の苦手だったらしく機嫌を損ねてしまい、それっきり広告モデルに呼ばれなくなったという。なんたる藪蛇…。 とはいえ、やはり若手キャストの中で最も目立つのは、露出狂のパンク娘トラッシュを演じたスクリーム・クィーン、リニア・クイグリーであろう。彼女が夜の墓地で繰り広げる全裸ストリップは本作の名場面のひとつだ。もちろん、撮影では前貼りで局部を隠しているのだが、当初は何も付けない文字通りのスッポンポンだったらしい。しかし、たまたま現場を見学に訪れた製作者ポール・フォックスがビックリして、「ダメダメ!毛が丸出しじゃないか!」と注意。ところが、何を考えたのかオバノン監督はリニアにアンダーヘアを剃らせたという。いやいや、そうじゃないだろう(笑)。案の定、「違うってば!それもっとダメじゃん!」とフォックスに突っ込まれ、特殊メイク班に前貼りを作らせることに。その結果、リニアの股間はツルッツルで何もない「バービー人形状態」となったのである。ちなみに、パーティガールのケイシーを演じているジュエル・シェパードは、もともとオバノン監督が常連客だった会員制高級クラブのストリッパーで、当初は彼女にトラッシュ役がオファーされていたそうだが、映画では脱ぎたくないという理由から断ったらしい。 ジョージ・A・ロメロのゾンビ3部作最終編『死霊のえじき』(’85)が全米で封切られたのは’85年7月。当初は年末公開を目指していたという『バタリアン』だが、しかし本家の話題性に便乗せんとばかり8月に繰り上げ公開され、予算300万ドルに対して興行収入1400万ドル以上というスマッシュヒットを記録する。これまでに5本の『バタリアン』シリーズが制作されており、「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたブライアン・ユズナ監督の3作目『バタリアン・リターンズ』(’93)は個人的に隠れた傑作だと思っているが、しかしそうは言ってもやはり、この1作目がベストであることに変わりはないだろう。結局、H・P・ラヴクラフト原作の監督第2弾『ヘルハザード・禁断の黙示録』(’91)が製作会社から勝手に編集されたうえ、アメリカ本国では劇場未公開のビデオスルーという憂き目に遭ってしまい(それでも数あるラヴクラフト映画の中では傑出した1本)、映画監督として必ずしも大成することの出来なかったオバノン。それでもなお、みんなが大好きな『バタリアン』を世に送り出してくれたことの功績は計り知れない。■ 『バタリアン』© 1984 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.06.30
#MeTooとSNSの時代を映し出す古典的SFホラーの見事な新解釈版『透明人間』
かつて透明人間は日本映画でも人気者だった! 『ミイラ再生』(’32)をリメイクした『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(’99)の大成功とシリーズ化をきっかけに、『ヴァン・ヘルシング』(’04)や『ウルフマン』(’10)、『ドラキュラZERO』(’14)など、往年のクラシック・モンスター映画をコンスタントにリメイク&リブートしてきたユニバーサル・スタジオ。’14年にはフランチャイズ化(後に「ダーク・ユニバース」と命名)も発表され、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)やDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)にも匹敵する壮大なシェアード・ユニバースが展開されるはずだった。 ところが、その第1弾『ザ・マミー/呪われた砂漠の女王』(’17)がまさかの大失敗に終わり、フランチャイズ化の計画は一転して白紙撤回されることに。トム・クルーズにジョニー・デップ、ハヴィエル・バルデムにラッセル・クロウと、錚々たるビッグネームを揃えた「ダーク・ユニバース」のコンセプト写真に、企画発表の当時からワクワクしていた筆者は思わずガッカリしたものである。そして、その代わりとなる単独映画として作られたのが、本作『透明人間』(’20)だった。 ご存知、オリジナルはSF小説の大家H・G・ウェルズの同名小説を、巨匠ジェームズ・ホエールが映画化したユニバーサル・ホラーの名作『透明人間』(’33)。人間を透明にする薬品を開発した科学者グリフィン博士(クロード・レインズ)が、自ら実験台となって透明化に成功するものの、しかし薬品の副作用によって狂暴化してしまう…というお話。いわば、「ジキル博士とハイド氏」の系譜に属するマッド・サイエンティスト物である。グリフィン博士が頭部に巻いていた包帯を解いていくと、なんと中身は透明で何も見えません!という特撮は、今となっては極めて原始的な合成技術に過ぎないのだが、しかし90年前の公開当時はこれが大変な評判となった。そもそも、この透明効果を映像化するのが技術的に困難ゆえ、それまでウェルズの原作は1度も映画化されたことがなかったのだ。1933年といえば、あの特撮怪獣映画の金字塔『キング・コング』(’33)も公開されている。ハリウッドの特撮技術が飛躍的な進化を遂げた記念すべき年だったと言えよう。 これ以降、ユニバーサルは『透明人間の逆襲』(’40)など合計で4本(1作目を含めると5本)の続編シリーズを製作。中でも最終作『The Invisible Man’s Revenge』(’44)は、徐々に透明化していく過程を移動撮影で描いたことが画期的だった。また、人気コメディアン・コンビ、アボット&コステロ主演の『凸凹透明人間』(’51)や、透明エイリアンが地球を侵略する『インベーダー侵略 ゾンビ来襲』(’59)、ギャング組織が透明技術を悪用する『驚異の透明人間』(’60)など、パロディ映画や亜流映画も各映画会社で続々と作られ、やがて透明人間はSFホラーの定番キャラクターへと成長する。 ちなみに、戦後の日本映画でも透明人間が流行った。その原点は円谷英二が特撮を手掛けた大映の『透明人間現わる』(’49)。ユニバーサルの『透明人間』を徹底的に研究した円谷は、透明人間が煙草をふかすシーンなど、当時としては画期的な特撮の見せ場を披露するも、しかし本人は「力量不足」と満足しなかったそうで、その後も東宝の『透明人間』(’54)で再挑戦している。また、大映は的場徹に特撮を任せた『透明人間と蠅男』(’57)を発表。興味深いのは、ハリウッド映画の透明人間が基本的にヴィランであるのに対し、国産の東宝版と大映版2作目は透明人間を正義の味方として描いていることだろう。いわば変身ヒーローの先駆けだ。そのほか、怪人二十面相が透明化する『少年探偵団 透明怪人』(’58)や、南蛮の秘薬で透明化した武士が復讐に走る特撮時代劇『透明天狗』(’60)などが作られている。 そもそも、ディズニー俳優ディーン・ジョーンズがイタリアで主演した『透明人間大冒険』(’70)や、ドイツの犯罪アクション映画「マブゼ博士」シリーズのひとつ『怪人マブゼ博士・姿なき恐怖』(’62)など、それこそ世界中の映画に登場してきた透明人間。やはり、透明になって姿を消すことは人類共通の夢みたいなものなのだろうか。また、ハイレベルな特撮技術を求められるため、透明人間映画は作り手の創造力を刺激するのかもしれない。そういう意味で、初めて透明人間をCGで描写したジョン・カーペンター監督の『透明人間』(’92)は画期的だったし、透明化していく過程の血管やら筋肉やら骨やらまで見せるポール・ヴァーホーヴェン監督の『インビジブル』(’01)はまたグロテスクでインパクト強烈だった。 なので、CG技術が飛躍的に進化した現代に『透明人間』のリメイクというのは理に適っているのかもしれないが、しかしこの2020年版『透明人間』で最も評価されるべき点は、実は最新のデジタル技術を駆使したVFXよりも、古典的な題材を現代的にアップデートした脚本の妙にあると言えよう。 ヒロインだけでなく観客も追いつめられるガスライティングの恐怖 真夜中に防犯システムを完備した大豪邸からこっそりと逃げ出す女性セシリア(エリザベス・モス)。彼女は世界的な光学研究の第一人者エイドリアン・グリフィン博士(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)の恋人なのだが、しかし嫉妬深くて束縛が強くて支配的な彼との暮らしは生き地獄だったため、いよいよ覚悟を決めて脱出を企てたのである。睡眠薬で眠らせたはずのエイドリアンが、文字通り鬼の形相で追いかけてきたものの、電話連絡を受けて駆け付けた妹エミリー(ハリエット・ダイヤー)の車で逃げ切ることに成功したセシリア。その後、彼女は警察官である友人ジェームズ(オルディス・ホッジ)の自宅に匿われたが、しかしエイドリアンから受け続けた精神的な暴力によるトラウマはなかなか癒えなかった。 そんな折、驚くべきニュースが飛び込む。エイドリアンが自殺を遂げたというのだ。彼の兄である弁護士トム(マイケル・ドーマン)に呼び出され、500万ドルの遺産まで相続することになったセシリア。しかし、彼女はエイドリアンの死をにわかに信じることが出来ない。なぜなら、彼は自己愛の強いソシオパスで、全てを自分の思い通りにせねば気が済まない性格の持ち主。とてもじゃないが自殺をするような人間ではない。他人の目を欺くことにだって長けている。ましてや彼は世界的な科学者だ。自殺を偽装するなど朝飯前であろう。 やがて彼女の周辺では奇妙な出来事が起きるようになり、エイドリアンに見張られているのではないかと感じ始めるセシリア。当然、ジェームズやエミリーは思い過ごしだと受け流すが、しかしセシリアは送った覚えのない誹謗中傷メールでエミリーと絶縁する羽目になり、さらにジェームズの娘シドニー(ストーム・リード)を殴ったと疑われてしまう。私は何もしていない。エイドリアンが透明人間になって私を陥れようとしているのだ。証拠を掴むためエイドリアンの自宅へ行ったセシリアは、そこで人体を透明化する特殊スーツを発見。やはりそうだったのか。疑惑が確信へと変わった彼女は、エミリーに全てを打ち明けようとするのだが、しかしそこで最悪の悲劇が起きてしまう。果たして、エイドリアンは本当にまだ生きているのか、それとも全てはセシリアの被害妄想の産物なのか…? もちろん、一連の出来事は透明人間になったエイドリアンの仕組んだ罠なのだが、いずれにせよ主人公の名前(グリフィン博士)および透明人間という設定を継承しただけで、それ以外はほとんど原形をとどめていない大胆なアレンジに驚くホラー映画ファンも多いことだろう。オリジナル版の天才科学者グリフィン博士も、透明薬の副作用が少なからず影響しているとはいえ、優性思想に染まった誇大妄想狂のクソ野郎だったが、このリメイク版のグリフィン博士は典型的なDVモラハラ男として描かれる。まさしく、#MeToo時代に相応しい新解釈版『透明人間』だ。 被害者が精神的におかしいのではないか?と本人だけでなく周囲にも信じ込ませ、巧みに窮地へと追い詰めていく心理的虐待をガスライティングと呼ぶのだが、なるほど確かにガスライティングと透明人間は驚くほど親和性が高い。姿が見えなければやり放題だ。これまでありそうでなかった新しい切り口と言えよう。加えて、己の姿を一切見せることのないグリフィン博士の執拗な嫌がらせは、いわゆるソーシャルメディア・ハラスメントをも想起させる。SNSで匿名に隠れて他者を攻撃する加害者などは、まさに透明人間みたいなものだ。そういう意味でも、これは極めて今日的なテーマを扱った作品だ。 しかも、本作は透明人間ではなくその被害者の視点でストーリーが語られるため、観客はヒロインに降りかかる心理的な恐怖や絶望を生々しく追体験することになる。この息の詰まるような恐ろしさときたら!それゆえ、DVやハラスメントの被害者はフラッシュバックする恐れがあるので、鑑賞する際には注意が必要かもしれない。 監督と脚本を手掛けたのは、盟友ジェームズ・ワンと共に『ソウ』(’04)シリーズや『インシディアス』(’10)シリーズを生んだオーストラリア出身の脚本家リー・ワネル。前作『アップグレード』(’18)では、『狼よさらば』(’74)的なリベンジ・アクションを『ターミネーター』(’84)的な科学の暴走へと昇華させたていたワネル監督だが、本作ではその逆パターンを採用している。要するに、「科学の暴走」そのものである『透明人間』の物語を、『狼よさらば』というよりは『リップスティック』(’76)や『天使の復讐』(’81)的な性暴力被害者の復讐譚として仕上げたのだ。 さらに本作で目を引くのは透明人間のカラクリだ。ご存知の通り、H・G・ウェルズの原作小説や’33年版のグリフィン博士は、特殊な薬品を投与することで透明人間となる。その後の透明人間映画の多くも、この透明薬を採用してきた。その他にも、原子力を用いた放射能光線や透明化装置などもポピュラーだったが、本作では着用すると透明になれる特殊なボディスーツが使用される。 これがどういう仕組みかというと、スーツ全体に無数の小型カメラレンズが埋め込まれており、それぞれのレンズが周囲の様子をリアルタイムで細かくホログラム化。その映像で全身を覆い隠すことによって、周囲に溶け込んで透明化したように見える…ということらしい。なので、一度投与したら透明化したままの薬品と違って、それこそプレデターのように姿を見せたり隠したりが自在に出来るのだ。ある意味、CG加工と似たような原理である。実際、本作では透明人間役のスタントマンが全身グリーンのボディスーツを着用し、ポストプロダクションの際にはその部分だけをデジタル消去することで透明化している。なるほど、現実が空想科学にだんだんと追いついてきたわけだ。 ヒロインのセシリア役にエリザベス・モスを選んだのもドンピシャ。なにしろ、出世作『マッドメン』(‘07~’15)では男社会の会社組織で女性差別やセクハラに苦しむキャリア女性ペギー・オルセンを、初主演作『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』(‘17~)では全体主義国家アメリカで妊娠出産に奉仕させられる侍女ジューンを演じた、いわば#MeToo時代のハリウッドを象徴するような女優である。金持ち男性が囲い込む女性としては容姿が地味過ぎやしないか…との声も一部にあったようだが、しかし見た目が地味で大人しそうな女性ほど性暴力被害に遭いやすいとも言われる。まあ、そりゃそうだろう。DV男やモラハラ男は、自分に自信がなくて支配しやすい女性を狙うものだ。そう考えると、彼女の起用は十分に説得力があると思う。 ちなみに、『マトリックス』シリーズのゴースト役で知られる俳優アンソニー・ウォンが、交通事故に遭った車からフラフラしながら出てくるドライバー役でチラリと登場。その直後、セシリアが彼の車を奪って精神病院から逃走するのだが、その際にほんの一瞬だけ「ソウ人形」の落書きが画面に映る。くれぐれもお見逃しなきよう。 そんなこんなで、コロナ禍での劇場公開という圧倒的に不利な状況にも関わらず、世界興収1億4300万ドルというスマッシュヒットを記録し、ハリウッド批評家協会賞やサターン賞といった賞レースを席巻するなど、批評的にも極めて高い評価を得た本作。目下のところリー・ワネル監督による続編映画、そしてエリザベス・バンクスを監督に起用したスピンオフ映画の企画が進行しているという。それより前に、ホラー映画ファンとしては『スクリーム』製作チームによる、’24年春公開予定のタイトル未定ユニバーサル・モンスター映画というのが大いに気になるところですな!■ 『透明人間(2020)』© 2020 Universal City Studios Productions LLLP. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2023.06.28
古き良きモンスター映画の魅力を現代に受け継いだ正統派ゴシック・ホラー『ウルフマン』
※本レビューには一部ネタバレが含まれるため、鑑賞後にお読み頂くことを推奨します。 狼男はいかにしてホラー映画のメジャースターとなったのか? ハリウッド産ホラー映画の殿堂ユニバーサルが、往年の名作『狼男』(’41)を21世紀に甦らせたリメイク映画『ウルフマン』(’10)。「吸血鬼」や「フランケンシュタインの怪物」などと並ぶ、古典的ホラー・モンスターの代表格「狼男」だが、しかし映画の世界では長いこと不遇の扱いを受けることが多かった。そこでまずは、狼男伝説の基本をおさらいしつつ、人狼映画の変遷を振り返ってみたい。 普段は平穏に暮らしている普通の人間が、満月の夜になると全身が狼のように毛むくじゃらの怪物へと変身し、文字通り野獣本能の赴くままに殺戮を繰り広げる狼男(=人狼)。襲われた人間もまた人狼となってしまう。唯一の弱点は銀製の弾丸や武器だが、この設定は19世紀に加わったものと言われる。ヨーロッパの民間伝承では古くから知られており、そのルーツは遠くギリシャ神話やローマ神話の時代にまで遡るという。アルカディア王リュカオンの伝説だ。詩人オウィディウスの叙事詩「変身物語」には、自分のもとへ訪れた最高神ゼウスを本物かどうか試そうとしたリュカオンが、そのことでゼウスの怒りを買って狼へ変えられたという記述がある。このリュカオンこそが、人狼=ライカンスロープの語源となったのだ。 さらに、中世ヨーロッパでは各地に人狼事件の記録が残っており、特に魔女狩りの嵐が吹き荒れた16世紀から17世紀にかけては、実に3万件もの人狼裁判が行われたそうだ。また、1764~67年にフランスのジェヴォーダン地方で100人近くが狼のような野獣に襲われたという、いわゆる「ジェヴォーダンの獣」事件にも人狼説が存在する。ただ、この頃になると「狼憑き」は精神疾患の一種と見做されるようになっていたようだ。実際、ライ麦パンを主食とする貧困層が、そのライ麦に寄生した麦角菌の中毒が原因で「狼憑き」状態に陥ったケースも多かったらしい。 かように長い歴史と伝統を誇る怪物・狼男(=人狼)だが、しかし映画のスクリーンで暴れまわるまでには時間がかかった。世界初の人狼映画と呼ばれるのは、ユニバーサルが配給した『The Werewolf』(’13)という短編サイレント映画。これは、先住民ナバホ族の呪術師が、白人侵略者を殺すため我が娘を狼に変えるという話だった。しかし、サイレント期に作られた人狼映画は、これとジョージ・チェセブロ主演の『Wolf Blood』(’25)くらいのもの。吸血鬼およびフランケンシュタインの怪物に比べて人狼が不人気だったのは、「吸血鬼ドラキュラ」や「フランケンシュタイン」のように著名な原作が存在しなかったからと考えられる。また、人間→モンスターへ変身する過程の描写が、当時の映像技術では極めて難しかったことも理由として挙げられるだろう。 やがて、’30年代に入ると『魔人ドラキュラ』(’31)と『フランケンシュタイン』(’31)の大ヒットを皮切りに、いわゆるユニバーサル・モンスター映画ブームが到来。フランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフが一躍注目されたことから、そのカーロフを単独主演に据えた次回作として、実はスタジオ側が人狼映画の企画を準備していたらしい。監督と脚本も『モルグ街の殺人』(’32)のロバート・フローリーに決まっていたという。ところが、人間が野獣に変身するのは冒涜的ではないか?と、カトリック系団体からの反発を恐れたユニバーサルが途中で企画を断念。その代わりとして製作したのが『倫敦の人狼』(’35)だった。ただし、人狼治癒効果のある希少な植物を研究する学者が人狼に変身するというストーリーは、「ジキル博士とハイド氏」のバリエーションという印象。劇中に登場する人狼の特殊メイク(ジャック・ピアースが担当)も、なるべくショッキングになり過ぎないよう配慮され、あえて野獣的なイメージが薄められてしまった。 そのユニバーサルが、ようやく本腰を入れて世に送り出した本格的な人狼映画がジョージ・ワグナー監督の『狼男』(’41)。兄の死をきっかけに故郷へ戻った名家の御曹司ローレンス・タルボット(ロン・チェイニー・ジュニア)が、夜の森で狼に襲われたことから、満月の夜になると人狼へと変身してしまう。普段は善良で心優しい青年が、理性なき凶暴なケダモノと化してしまう衝撃。そして、己の残酷な運命に苦悩した彼が、さらなる惨劇を防ぐため自らの死を望むという悲劇。そのドラマチックなストーリーは、原作小説のないオリジナル作品でありながら文学的な香りが色濃く漂う。脚本を手掛けたのはSF作家としても知られるカート・シオドマク。ジャック・ピアースによる野獣的な特殊メイクの仕上がりも素晴らしく、以降の人狼映画におけるプロトタイプとなる。技術的な粗を巧みに隠した変身シーンの演出も上出来だった。 この『狼男』が大ヒットしたおかげで、いよいよ人気ホラー・モンスターの仲間入りを果たした人狼。ユニバーサルは引き続きロン・チェイニー・ジュニアをローレンス・タルボット(=狼男)役に起用し、『フランケンシュタインと狼男』(’43)や『フランケンシュタインの館』(’44)、『ドラキュラとせむし女』(’45)などのモンスター競演映画を製作する。また、20世紀フォックスもジョン・ブラーム監督の『不死の怪物』(’42)という人狼映画の隠れた名作を発表。ただ、やはり特殊メイクに手間暇がかかるうえ、当時の技術では変身プロセスをリアルに見せることが困難だったためか、’50年代以降のハリウッドはあまり作られなくなっていく。 一方、ヨーロッパではオリヴァー・リードの出世作となったハマー・プロの英国ホラー『吸血狼男』(’60)や、『吸血鬼ドラキュラ対狼男』に始まるポール・ナッシー主演のスパニッシュ・ホラー「狼男ヴァルデマル・ダニンスキー」シリーズなどが登場し、アメリカへも上陸してヒットしている。さらに、’80年代になるとハリウッドの特殊メイクや視覚効果の技術が飛躍的に向上。ジョー・ダンテ監督の『ハウリング』(’81)とジョン・ランディス監督の『狼男アメリカン』(’81)が相次いで全米公開され、いずれも当時としては画期的な人狼の変身シーンが話題となった。人狼映画にとって長年の課題が遂に解決したのである。中でも、リック・ベイカーが特殊メイクを担当した『狼男アメリカン』は、人間から野獣へと変化していく過程を細部まで克明に表現。もはや特殊メイクの世界そのものに革命を巻き起こしたと言えよう。 こうして、長年に渡って進化を遂げてきた人狼映画。やがてCG全盛の時代が訪れると、毛の質感をいかにデジタルで表現するかが新たな課題となったが、しかし『アンダーワールド』(’03)シリーズや『トワイライト』(’05)シリーズを見ても分かるように、それもまた着実に改善されてきているだろう。とはいえ、デジタル処理された昨今の狼男に少なからず物足りなさを感じることも否定できまい。特に『トワイライト』シリーズの人狼は、もはや人狼というより狼そのものだし、なによりも変身シーンのあまりの呆気なさときたら(笑)。なので、『ドッグ・ソルジャー』(’02)や『ローンウルフ 真夜中の死闘』(’14)のような、極力CGを最小限に抑えてフィジカルな特殊メイクやアニマトロニクスにこだわった作品に、どうしてもシンパシーを覚えてしまう。いずれにせよ、そんな過渡期の時代にあえて登場したのが、人狼映画の古典にして金字塔『狼男』をリメイクした本作だった。 脚本・演出・特殊メイクの総てに溢れるオリジナルへのリスペクト! 舞台は19世紀末のイギリス。兄弟ベンが行方不明になったとの一報を、彼の婚約者グエン(エミリー・ブラント)より受けたシェイクスピア俳優ローレンス・タルボット(ベニチオ・デル・トロ)は、公演先のロンドンから故郷の村ブラックムーアへ25年ぶりに戻って来る。生家のタルボット城へ到着した彼を待っていたのは、長いこと複雑な関係にある父親ジョン(アンソニー・ホプキンス)。幼い頃に愛する母親を自殺で失い、その現場を目撃してしまったローレンスは、父親によって精神病院へと入れられ、退院後はアメリカに住む叔母のもとへ預けられたのだ。その父親ジョンの口から告げられたのはベンの訃報。遺体は無残にも引き裂かれており、まるで獰猛な野獣に襲われたようだった。いったいベンの身に何が起きたのか。ローレンスは真相を突き止めることを誓う。 実は、ローレンスの母親が亡くなった25年前の満月の夜にも、村では同様の事件が起きていた。一部の村人は人狼の仕業と信じているようだ。亡きベンが流浪民と関わっていたことを知ったローレンスは、手がかりを掴むために流浪民の野営地を訪ねるのだが、そこへ突然現れた人狼が大殺戮を繰り広げ、ローレンスもまた襲われて重傷を負ってしまう。瀕死の彼を助けたのは流浪民の占い師マレバ(ジェラルディン・チャップリン)。辛うじて一命を取り留めたローレンスは、驚くほどのスピードで回復。そんな彼の身辺を、警察庁のアバライン警部(ヒューゴ・ウィーヴィング)が調べ始める。精神疾患の過去があるローレンスに大量殺人の疑いを向けたのだ。徐々に自らの身体的な変化に違和感を覚えていくローレンス。そして訪れた満月の晩、彼はみるみるうちに狼人間へと姿を変えて村人を襲う。果たして、ベンを殺してローレンスを襲撃した人狼の思いがけない正体とは?そして、やがて明らかとなる母親の死の真相とは…? オリジナル版のストーリーを下敷きにしつつ、主人公ローレンスを舞台俳優に変えるなど随所で様々な設定変更を施し、さらに母親の死という新たな設定を加えた本作。ヒロインのグウェンも、オリジナル版ではローレンスの恋人となる骨董品店の娘だった。しかし恐らく最大の違いは父親ジョンの設定であろう。旧作のジョンは息子を誰よりも愛する理知的で温厚な天文学者だったが、本作のジョンはシニカルで冷笑的な名門貴族の隠居老人で、息子に対してもどこか冷淡なところがある。そればかりか、実は彼こそがベンを殺してローレンスを襲った人狼だった。この大胆な新解釈によって、ストーリー後半の展開も旧作とは意味合いが異なるものとなっている。 人狼としての野獣的な本能を受け入れ、むしろ優越感をもってそれを愉しむようになったジョン。一方の息子ローレンスは、抗いたくても抗うことのできない野獣的な本能に苦悩し、全ての元凶である父親に復讐を果たして自らも死を選ぼうとする。本編後半で繰り広げられる両者の全面対決は、それすなわち人間的な理性と動物的な本能の葛藤だと言えよう。確かに、父と子の死闘は旧作のクライマックスでも描かれるが、しかしオリジナル版の父親ジョンは目の前の人狼が我が子ローレンスだとは知らなかった。血を分けた親子の戦いというのは多分にシェイクスピア的であり、このリメイク版ではその宿命的な悲劇性がなおさらのこと際立つ。ローレンスの職業をシェイクスピア俳優に変えたことには、そういう意図も含まれていたに違いない。『セブン』(’95)のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが手掛けた脚本を、『ロード・トゥ・パーディション』(’02)のデヴィッド・セルフがリライトしたそうだが、この肉親同士の非情な対立と隔絶の要素には後者の個性が色濃く出ているようにも思う。 ちなみに、グエンのナレーションによって読み上げられる冒頭の「清らかな心を持ち/祈りを欠かさぬ者も/トリカブトの咲く/秋月の輝く夜に/人狼にその姿を変える」という一文は、旧作『狼男』を筆頭にユニバーサル・ホラーでたびたび登場する人狼伝説の有名なフレーズ。一部では実在する東欧系流浪民の言い伝えだとも噂されてきたが、実際はオリジナル版の脚本家カート・シオドマクが考え出したものだった。 かように文学的で品格のある脚本を、正統派のゴシック・ホラーとして映像化したジョー・ジョンストンの演出も評価されて然るべきだろう。濃い霧の立ち込めるダークで重厚な映像美は、オリジナル版のイメージを最大限に尊重したもの。さらに、舞台設定を旧作の現代から19世紀末に移し替えたことで、メアリー・シェリーやブラム・ストーカーの小説にも相通じるクラシカルな怪奇幻想譚の世界を創出している。VFXの使用を必要最小限に抑えたことも、物語にリアリズムを与える上で非常に効果的だったと言えよう。中でも特に、昔ながらのフィジカルな特殊メイクで人狼を表現したのは賢明な選択だ。 特殊メイクのデザインを担当したのは、先述した『狼男アメリカン』の画期的な人狼メイクで業界に革命を巻き起こした巨匠リック・ベイカー。なにしろ、少年時代に見た旧作『狼男』や『フランケンシュタイン』に感化されて、特殊メイク・アーティストを目指した人物である。これほど適した人選もなかろう。事実、本作の企画を知ったベイカーは、「何が何でも俺がやりたい!」と自ら名乗りをあげたそうだ。その『狼男アメリカン』や『ハウリング』の成功以来、人間よりも本物の狼に寄せたデザインが主流となっていたハリウッド映画の人狼だが、本作ではベイカーも尊敬するジャック・ピアースが手掛けた旧作の人間寄りデザインを採用。そこに最先端の特殊メイク技術を活用したアップデートを施している。 例えば、趾行動物の特徴を受け継いだ人狼の独特な歩き方。旧作では単純に役者がつま先立ちをしているだけだったが、本作では競技用義足を応用することで、より動物的な歩行を表現している。また、旧作の狼男は材質が固かったため表情を変えることが難しかったが、その点も本作では大きく改善されており、なおかつ役者本人の顔つきや身体的な特徴を生かしたデザインが考案された。おかげで、CG人狼にありがちなアニメっぽさが感じられないのは有難い。なにより、古き良き伝統的な狼男を甦らせてくれたことは、ホラー映画ファンとして素直に嬉しいと言えよう。とはいえ、さすがに変身プロセスではCGを使用。一応、見せるパーツを選ぶことでデジタルの粗を隠しているが、それでも部分的には隠しきれていないところも見受けられる。そこは本作で唯一不満の残る点であろう。 なお、今回ザ・シネマにて放送されるのは、劇場版よりも17分ほど長いディレクターズ・カット版。オープニングのスタジオ・ロゴも、オリジナル版が公開された’40年代当時のものを再現している。また、劇場版ではグウェンからベン失踪を告げる手紙を受け取ったローレンスが、故郷のブラックムーアへ急いで向かう様子を駆け足で手短にまとめていたが、ディレクターズ・カット版ではそこへ至るまでの過程が詳しく描かれる。注目すべきは、クレジットにない名優マックス・フォン・シドーの登場であろう。ローレンスが機関車のコンパートメントで知り合う謎めいた老人役。終盤のストーリーで重要な役割を果たす純銀製のステッキは、この老人から譲り受けたものだったのだ。しかも、ジェヴォーダンで作られたものだというのだから、分かる人なら思わずニンマリとするに違いない。 特殊メイクを手掛けたリック・ベイカーとデイヴ・エルシーが第83回アカデミー賞に輝いたものの、しかし公開当時の批評は決して高かったとは言えず、興行的にも残念な結果に終わってしまった本作。正直なところ、理不尽なほどの過小評価だったと言わざるを得まい。実際は極めて良質なゴシック・ホラー映画。特に、ローレンス・タルボットやヴァルデマル・ダニンスキーの名前を聞いて思わず胸がキュンとなるような、筋金入りのクラシック・モンスター映画ファンならば必見である。現在、ユニバーサルは新たなリブート版の企画を進めているとのこと。大いに期待して待ちたい。■ 『ウルフマン [ディレクターズカット版]』© 2010 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.05.31
‘70年代アメリカの殺伐とした世相を映し出すパニック・サスペンス巨編『パニック・イン・スタジアム』
ディザスター映画ブームの最盛期に誕生した異色作 ‘70年代のハリウッドで大流行したディザスター映画。日本ではパニック映画とも呼ばれた同ジャンルは、地震や洪水のような自然災害からテロやハイジャックのような犯罪事件に至るまで、様々な危機的状況に巻き込まれた人々による決死のサバイバルを描き、’50年代半ばにスタジオシステムが崩壊して以降、斜陽の一途を辿っていたハリウッド映画の復興に一役買った。 トレンドの口火を切ったのは「エアポート」シリーズの第1弾『大空港』(’70)。これを皮切りに『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)や『タワーリング・インフェルノ』(’74)、『大地震』(’74)に『カサンドラ・クロス』(’76)、さらには『大空港』の続編に当たる『エアポート’75』(’74)や『エアポート’77』(’77)などのディザスター映画が次々と大ヒットする。いずれも大掛かりな特撮やスタントを駆使した派手なスペクタクル描写と、新旧の有名スターを総動員した煌びやかなオールスターキャストの顔ぶれが人気の秘密。ブームの最盛期に登場した本作『パニック・イン・スタジアム』(’76)も同様だが、しかしこの作品がその他大勢のディザスター映画群と一線を画したのは、あくまでもスペクタクル描写はオマケに付いてくる豪華特典であり、基本的にはリアリズムを重視した社会派の犯罪サスペンスだったことだ。 舞台は現代のロサンゼルス。日曜日の早朝、市内のホテルに宿泊する正体不明の男が、おもむろに取り出したライフルでランニング中の中年夫婦を銃撃する。すぐにホテルをチェックアウトした男が向かったのは、アメフトの試合が行われるロサンゼルス・メモリアル・コロシアム。地元のロサンゼルス・ラムズ対ボルチモア・コルツの対戦だ。続々と入場する大勢の観客に紛れてコロシアムへ侵入した男は、会場全体を一望できる時計台の屋上に陣取り、試合の開始を待って静かに息をひそめる。 一方、会場には様々な事情を抱えつつも試合を心待ちにするアメフト・ファンたちが集まってくる。ワケアリな中年カップルのスティーヴ(デヴィッド・ジャンセン)とジャネット(ジーナ・ローランズ)、ギャンブル中毒で多額の借金を抱えた中年男スチュー(ジャック・クラグマン)、幼い子供が2人もいるのに失業した若い父親マイク(ボー・ブリッジス)と妻ペギー(パメラ・ベルウッド)、彼氏に誘われただけでアメフトには興味のない美女ルーシー(マリリン・ハセット)、そんな彼女に一目惚れして口説き始める男性アル(デヴィッド・グロー)、友人のスター選手チャーリー(ジョー・キャップ)を応援しに来た教会の牧師(ミッチェル・ライアン)、そして浮かれた観客のポケットから財布を盗むスリの老人(ウォルター・ピジョン)などなど。誰一人として会場に狙撃犯が潜んでいることなど気付かず、やがて大歓声に包まれて試合がスタートする。 ライフルの照射眼鏡を覗きながら客席の様子をじっと観察しつつ、しかし一向に行動を起こす様子のない狙撃犯。ほどなくしてテレビ中継カメラのひとつが彼の姿を捉え、不審に思ったスタッフが警備担当者サム(マーティン・バルサム)に報告する。ライフルを構えた狙撃犯の姿を見て戦慄し、慌ててロス市警の分署長ピーター・ホリー(チャールトン・ヘストン)に連絡するサム。通報を受けて現場へ到着したホリー署長と警官隊は、人目を引かぬよう注意深く時計台の男を観察する。 果たして彼は本気で凶行に及ぶつもりなのか。だとすれば単独犯なのか、それとも仲間がいるのか。会場には市長や議員も訪れているが、いったいターゲットは誰なのか。すると、事態を知った管理責任者ポール(ブロック・ピータース)が、時計台へ上がろうとして男に突き落とされ死亡する。すぐさまホリー署長はSWAT(特殊部隊)チームを招集。観客の安全を最優先に考えつつ、会場の各所に隊員を待機させて犯人確保のタイミングを狙うSWATのバトン隊長(ジョン・カサヴェテス)。やがてアメフトの試合はクライマックスへと差し掛かり、終了2分前のタイムアウト(ツー・ミニッツ・ウォーミング)が訪れる…。 ラリー・ピアース監督の代表作『ある戦慄』との類似性とは? 肝心の見せ場であるパニック・シーンは終盤の20分ほど。コロシアムに集まった9万1000人の観客が、次々と狙撃犯の凶弾に倒れる犠牲者や会場に響き渡る銃声に青ざめ、大混乱を起こして一斉にコロシアムの外へ向かって逃げ出す。もちろん、実際に9万人以上のエキストラを逃げ惑わせることなど不可能であるため、撮影はシーンやカットごとに何週間もかけて行われたのだが、それでもなお最大で1日3000人近くのエキストラを動員したという群衆パニックは圧倒的な迫力だ。これぞディザスター映画の醍醐味。しかも、ただスケールが大きいだけではなく、危機的状況に陥って冷静な判断力を失った人々の行動をつぶさに捉え、いざという時の群集心理の恐ろしさと危うさをこれでもかと見せつける。 とはいえ、本作のキモはそこへ至るまでの生々しいサスペンス描写にあると言えよう。狙撃犯の素性も動機も目的も劇中では一切明かされず、クライマックスへ至るまで顔すら殆んど映し出されず、辛うじて最後に所持品から名前が判明するだけ。その得体の知れなさが漠然とした不安と恐怖を徐々に煽り、ケネディ大統領暗殺事件やテキサスタワー乱射事件より以降の、アメリカ社会を包み込む殺伐とした空気をリアルに浮かび上がらせていく。’60年代末から顕著になったアメリカの治安悪化は、’70年代に入ってますます深刻となり、犯罪発生件数は増加の一途を辿っていた。もはやこの国に安全な場所など残されていない。平和な日常のどこに犯罪者が潜んでいるか分からないし、いつ凶悪犯罪に巻き込まれたっておかしくない。それこそが本作の核心的なテーマであり、あえて犯人像を透明化した理由であろう。 監督はテレビ出身のラリー・ピアース。黒人男性と再婚した白人女性に立ちはだかる困難に人種問題の根深さを投影した『わかれ道』(’64)や、富裕層のお嬢さまと平凡な若者の格差恋愛を通して階級間や世代間のギャップを描いた『さよならコロンバス』(’69)など、アメリカ社会の「今」を鮮やかに捉えた人間ドラマで定評のある名匠だが、中でも最高傑作との呼び声も高い『ある戦慄』(’67)と本作の類似性は見逃せない。 ニューヨークの地下鉄にたまたま乗り合わせた平凡な人々が、傍若無人なチンピラに絡まれるという理不尽な恐怖体験を描いた『ある戦慄』。『パニック・イン・スタジアム』でアメフトの試合会場に集まってくる観客たちと同様、『ある戦慄』の地下鉄乗客たちもそれぞれに複雑な事情を抱えており、そのひとつひとつに貧困や格差や差別などの社会問題が映し出される。そのうえで、まるで自然災害のごとく理屈の通用しない凶暴なチンピラたちの脅威に晒されることによって、善良な市民の赤裸々な醜い本性が暴かれていくことになるのだ。 日常空間に突如として現れる得体の知れない暴力、極限状態に置かれた人間のパニック心理、そこから浮かび上がるアメリカ社会の殺伐とした暗い世相。クライマックスの衝撃へ向けて、少しずつ不安と恐怖を煽っていくヒリヒリとした演出も含め、犯罪の増加やベトナム戦争の泥沼化などに揺れる’60年代末アメリカのリアルな実像に迫る『ある戦慄』は、それゆえに『パニック・イン・スタジアム』と符合する点が少なくない。前作『あの空に太陽が』(’75)をきっかけに、本作を含めて4本の映画で組んだ製作者エドワード・S・フェルドマンが、『ある戦慄』を念頭に置いてオファーしたのかどうかは定かでないものの、しかしピアース監督が本作を演出するに最適な人物であったことは間違いないだろう。 主演のチャールトン・ヘストンを筆頭に、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの夫婦、『十二人の怒れる男』(’57)でも共演したマーティン・バルサムにジャック・クラグマン、ハリウッド黄金時代を代表する二枚目スターのひとりウォルター・ピジョン、テレビ界の人気者だったデヴィッド・ジャンセンにデヴィッド・グローなどの名優たちを起用した豪華キャストも魅力。後にピアース監督夫人になったマリリン・ハセット、『ある戦慄』でも共演したボー・ブリッジスにブロック・ピータースなど、ピアース作品の常連組も揃う。ヘストンはピアース監督の仕事ぶりを気に入り、『原子力潜水艦浮上せず』(’78)の演出をオファーしたそうだが、しかし監督は好みのジャンルでないことを理由に断ったという。 当時まだ新人だったパメラ・ベルウッドは、その後一世を風靡したドラマ『ダイナスティ』(‘81~’89)でテレビ界のトップスターとなる。また、ウォルター・ピジョン扮するスリの相方を演じている女優ジュリー・ブリッジスは、当時すでに離婚していたボー・ブリッジスの元奥さんである。当時まだ無名だった『エクスタミネーター』(’80)のB級アクション俳優ロバート・ギンティが、売店のお兄ちゃん役で顔を出すのも見逃せない。それにしても、群衆に巻き込まれながらのメインキャストの芝居など、さぞかし大変だったろうと思うのだが、実は周囲に10~15名のスタントマンを配置してスペースを確保したり誘導したりしていたのだそうだ。 なお、劇中で展開するアメフトの試合は学生リーグで、ユニフォームを見れば一目瞭然だが、実はスタンフォード大学と南カリフォルニア大学の対戦。テレビ中継のディレクターとして登場するのは、当時実際にスポーツ中継ディレクターの第一人者だったアンディ・シダリス。そう、後に『グラマー・エンジェル危機一発』(’88)や『ピカソ・トリガー/殺しのコード・ネーム』(’88)など、一連のB級ビキニ・アクション映画を手掛けるアンディ・シダリス監督その人である。 幻のテレビ放送版も徹底検証! ちなみに、本作は1979年2月6日に米ネットワーク局NBCにて、3時間の特別枠でテレビ放送されたのだが、その際に大幅な追加撮影と再編集が行われている。かつてのアメリカでは劇場でヒットした話題作映画をテレビ放送する際、様々な理由から追加撮影や再編集を施したテレビ向けのロング・バージョンを作ることが少なくなかった。『大地震』や『キングコング』(’76)、『スーパーマン』(’78)などが有名であろう。この『パニック・イン・スタジアム』の場合は、理由なき無差別殺人という題材や血生臭い暴力描写が子供や老人も見るテレビには不向きと見做され、ゴールデンタイムの特別枠を欲しかった権利元ユニバーサルが独断で追加撮影と再編集に合意したらしい。 準備された予算は50万ドル。当時は低予算のインディーズ映画を1本撮れる金額だ。おのずと劇場版の監督であるラリー・ピアースに追加撮影の依頼があったそうだが、しかし『大地震』のテレビ放送版にも携わったフランチェスカ・ターナーの脚本が酷かったため断ったという。最終的に誰が追加撮影分の演出を担当したのか分かっていないが、完成版ではジーン・パーカーという匿名でクレジットされている。 このテレビ放送版と劇場公開版の最大の違いは、狙撃犯の正体が美術品強盗グループの一味と設定されていることだ。どういうことかというと、テレビ放送版には美術品強盗作戦というサブプロットが存在するのである。実はロサンゼルス・メモリアル・コロシアムの向かいに美術館があり、そこに展示されている国宝級の美術品を盗もうと画策する強盗グループが、目眩ましとして狙撃犯を試合会場に送り込んだというのだ。あくまでも目的は警察の注意をコロシアム側に引いて、その隙に仲間が美術品を盗み出すこと。人は殺さないというのが大前提だ。なので、狙撃犯のターゲットは会場の照明器具や誰も座っていない空席。その銃声で観客はパニックに陥るのだが、最後までメインの登場人物は誰一人として死なない。たまたま照明の陰に隠れていたSWAT隊員が1人、運悪く銃弾に当たって殺されるだけだ。 さらに、劇場公開版では最後に名前が判明するだけで、その素性も動機も目的も分からず、顔も殆んど見せなかった狙撃犯だが、テレビ放送版では最初から顔も名前も堂々と明らかにされ、美術品強盗グループの仲間であることはもちろん、実はベトナム帰還兵だったという設定まで加わっている。なるほど、ラリー・ピアース監督が関わり合いになることを拒否したのも納得。これじゃ映画本来の意図が台無しである。しかも、恐らく相当急ピッチで撮影された様子で、例えば車のリアウィンドウに映る景色がグリーンバックのままになっていたりする。これはさすがに不味いだろう(笑)。 こうした追加撮影分のサブプロットが本編に混ぜ込まれる一方、劇場公開版に存在するシーンの多くがテレビ放送版ではカットされている。例えば、ランニング中の夫婦が銃撃されるオープニングのホテル・シーンは丸ごと全て消えているし、狙撃犯が会場へ向かうドライブ・シーンや観客たちの背景を描く人間ドラマも大幅に短縮。バトン隊長の家族も一切出てこないし、狙撃犯の仲間と疑われた迷惑客を手荒に尋問するシーンも存在しない。その結果、最終的にCMを含む3時間の放送枠に収まるよう再編集された、合計で約2時間半のテレビ向けロング・バージョンが出来上がったのである。 追加撮影分に登場する主なキャストは以下の通り。美術品強盗グループのリーダー、リチャード役には『コマンドー』(’85)のカービー将軍役でお馴染みのジェームズ・オルソン。本作でもベトナム帰りの元陸軍将校という設定だ。同じく強盗グループのブレーンである美大教授には、ハリウッド・ミュージカル『南太平洋』(’58)でも有名なイタリアの名優ロッサノ・ブラッツィ。狙われる美術品のオーナーである大富豪アダムス氏は、『カーネギー・ホール』(’47)や『ガントレット』(’77)のウィリアム・プリンス。その恋人で実は強盗グループの仲間である美女パトリシアには、『007/カジノ・ロワイヤル』(’67)のマタ・ボンド役で知られるジョアンナ・ペティット。後に『スカーフェイス』(’83)で南米カルテルのボスを演じるポール・シェナーも強盗グループの一員、トニー役を演じている。なかなか豪華な顔ぶれだ。 さらに、主演のチャールトン・ヘストンも追加撮影に参加。強盗計画のタレこみ情報を受けた美術館の警備担当者からホリー署長が電話連絡を受けるシーンと、終盤でホリー署長が警官隊を美術館へ向かわせるシーンに登場するのだが、よく見ると劇場公開版の映像に比べて髪型が微妙に違う。そういえば、『大地震』のテレビ放送版でも、追加撮影シーンに出てくるヴィクトリア・プリンシパルのアフロ・ウィッグが明らかに別物だったっけ(笑)。また、追加撮影では狙撃犯役のウォーレン・ミラーも再登板。劇場公開版と同じ衣装を着用している。残念(?)ながら、日本では見ることのできない『パニック・イン・スタジアム』テレビ放送版だが、米盤ブルーレイの映像特典として収録されている。好事家の映画マニアであれば一見の価値くらいはアリだろう。■ ◆本作撮影中のラリー・ピアース監督 『パニック・イン・スタジアム』© 1976 Universal Pictures, Ltd. 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COLUMN/コラム2023.05.29
「カンフー映画の王様」の誕生を告げるブルース・リーの記念すべき初主演作!『ドラゴン危機一発』
ハリウッドを振り向かせるために香港へ戻ったブルース 永遠不滅のカンフー映画スター、ブルース・リーの初主演映画であり、’70年代カンフー映画ブームの原点とも呼ぶべき作品だ。’71年10月23日に香港で封切られるや大反響を巻き起こし、これを皮切りにアジア各国はもとより中東やヨーロッパ、アメリカでも大ヒットを記録。もともと予算10万ドルのB級映画だった本作だが、最終的には当時の香港映画として史上最高額となる5000万ドルの興行収入を稼ぎ出してしまう。 当時すでに香港のカンフー映画はアジア諸国で人気を博していたものの、しかし世界規模で成功した作品は『ドラゴン危機一発』が初めてだったとされる。おかげで、長いことハリウッドで燻っていたブルースは、一夜にして香港映画界を代表するトップスターへと飛躍。韓国や日本など一部の国では’73年7月20日のブルースの死後、ハリウッドでの初主演作『燃えよドラゴン』(’73)の爆発的ヒットを受けて劇場公開されているが、いずれにせよ『ドラゴン危機一発』の大成功が来るべきカンフー映画ブームの素地を作ったことは間違いないだろう。 アメリカ生まれで香港育ちのブルース・リー。日頃の素行不良を心配した両親の薦めもあって、13歳の頃から伝説的な武術家イップ・マンのもとに弟子入りをした彼は、そこで初めて生まれ持った武術の才能を開花させるわけだが、しかし喧嘩っ早い性格は一向に治らず問題ばかり起こすため、有名な俳優だった父親は当時まだ18歳のブルースに100ドルを持たせて渡米させる。「可愛い子には旅をさせよ」というわけだ。アメリカでは学業の傍らで武術道場を開いたブルース。やがて大学を中退した彼は道場の経営に専念し、自らが理想とする武術の追求と普及に邁進していくこととなる。 大きな転機が訪れたのは’66年。その2年前にカリフォルニアで開催された第1回ロングビーチ国際空手大会に参加したブルースは、そこで自らの編み出した驚異的な技を披露して観衆の度肝を抜いたのだが、これを見て強い感銘を受けたハリウッドのTVプロデューサー、ウィリアム・ドジャーの推薦によって、ドジャーが大ヒット作『バットマン』(‘66~’68)に続いて製作したヒーロー活劇ドラマ『グリーン・ホーネット』(‘66~’67)の準主演に抜擢されたのである。 ブルースが演じたのは覆面ヒーロー、グリーン・ホーネットの運転手兼助手である日本人カトー。残念ながら番組は1シーズンで打ち切りとなったが、しかし劇中でブルースが披露した中国武術のインパクトは大きく、これを機に彼のもとには脚本家スターリング・シリファントや俳優ジェームズ・コバーンにスティーヴ・マックイーンなどなど、ハリウッドの大物セレブたちが門下生として続々と集まってくる。中でもマックイーンとはお互いに固い友情で結ばれたというブルース。その一方で、彼はマックイーンに対して激しいライバル意識も燃やしていたという。なぜなら、自分もマックイーンのようなトップスターになりたかったからだ。 シリファントの紹介で映画のスタント監修やテレビドラマのゲスト出演をこなしつつ、ハリウッドでの成功を夢見て各スタジオに自らの企画を売り込んだというブルースだが、しかしどこへ行っても門前払いを食らってしまう。最大のネックは彼が中国人ということ。ドラマ『燃えよ!カンフー』(‘72~’75)がブルースの原案を下敷きにしているというのは実のところ誤情報だったらしいが、しかし当初は劇場用映画として企画された同作の主演スターとして、ワーナー・ブラザーズの重役フレッド・ワイントローブ(後に『燃えよドラゴン』をプロデュース)がブルース・リーに白羽の矢を立てていたことは事実だそうで、しかしやはり中国人が主役ではヒットが望めないとして却下されてしまったという。 一流の人材を求めているはずのハリウッドのスタジオが、なぜ一流の武術家である自分を受け入れてくれないのか?と思い悩んだというブルース。そんな彼にワイントローブやコバーンが香港行きを強く勧める。ハリウッド業界を振り向かせたいならば、映画スターとしての実力を証明しなくてはいけない。そのためには格闘技だけでなく演技力も磨かねばならないし、名刺代わりとなる主演映画だって必要だ。ハリウッドではハードルが高いかもしれないが、しかし香港であればそれも可能だろう。要するに「急がば回れ」である。そこでブルースは故郷・香港へ戻り、当時同地で最大の映画会社だったショウ・ブラザーズと交渉するのだが、しかしギャラの金額が折り合わずに決裂する。 そんな彼に声をかけたのが、’70年にショウブラから独立して新会社ゴールデン・ハーヴェストを立ち上げたばかりの製作者レイモンド・チョウ。ちょうど当時、香港では『グリーン・ホーネット』が再放送されており、ブルースの知名度も高かったことから商機ありと見込んだのだろう。かくして、’71年の夏にゴールデン・ハーヴェストとの契約を結んだブルース。その第1回出演作となったのが本作『ドラゴン危機一発』だった。 『燃えよドラゴン』へと繋がった舞台裏秘話とは? 舞台は東南アジアのタイ。親戚を頼って出稼ぎにきた中国人の若者チェン(ブルース・リー)は、初めて会う従兄弟シュウ(ジェームズ・ティエン)やその妹チャオ・メイ(マリア・イー)らと共同生活を送りつつ、彼らの勤務先である地元の製氷工場で働くことになる。ところがこの製氷工場、実は麻薬密売の拠点となっていた。社長マイ(ハン・インチェ)はマフィアのボスで、出荷される氷の中に麻薬を隠して売りさばいていたのである。そのことに気付いた従兄弟たちが次々と消され、ついにはシュウまで殺されてしまう。喧嘩はしないと母親に誓っていたチェンは、余計なトラブルに巻き込まれないよう事態を静観していたものの、兄の安否を心配するチャオ・メイのためにも真相を探り始めるのだったが…? もともと本作は当時すでにスターだったジェームズ・ティエンの主演作であり、新参者のブルースは準主演として起用されたという。しかし、格闘シーンの凄まじい迫力を目の当たりにし、感心した制作陣は彼を主演へ格上げすることを決定。おのずと脚本も書き直されることとなった。実際、映画そのものは必ずしも上出来とは言えず、脚本や演出にも突っ込みどころは少なくないのだが、しかしブルース・リーがいざ戦い始めると途端に雰囲気は一変。その圧倒的なスターのオーラと鍛え抜かれた肉体の美しさ、人並外れた身体能力に目が釘付けとなる。たとえ格闘技のことに詳しくなくとも、もはや彼が別格の存在であることは誰が見ても一目瞭然。ただひたすらカッコいいのである。当時は香港でもアメリカでも、興奮した観客がスクリーンのブルース・リーに向かって、声援や拍手を送って大騒ぎだったと伝えられているが、然もありなんといったところである。 ロケ地はタイのパークチョン郡。当時は劣悪な環境だったそうで、ホテルの水道の蛇口をひねれば黄色い水が出るわ、そこら中に蚊やゴキブリがいるわという状態だったらしい。そのうえ高温多湿の気候が厳しく、新鮮な食材も手に入りにくいため、さすがのブルースも体調管理に難儀したとされ、撮影中に体重が激減してしまったという。また、アクションシーンの撮影にトランポリンを使ったり、敵役が壁を突き抜けると人型の穴が開いたりといった、マンガ的に誇張されたロー・ウェイ監督の演出にもブルースは不満を示したと言われる。確かに、生真面目で本物志向なブルースの趣味でなかっただろうことは想像に難くないが、まあ、いかんせん荒唐無稽が身上のロー・ウェイ作品なので…。 そのアクションシーンの武術指導を手掛けたのが、俳優として製氷工場の極悪社長役を演じているハン・インチェ。巨匠キン・フー監督による一連の武侠映画でも俳優兼武術指導を担当した人物で、それこそトランポリンを用いたアクロバティックなスタントも彼の十八番だった。格闘シーンでブルースが口元で血を拭ってみせる仕草は、ハン・インチェが『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』(’67)で演じた刺客マオの真似だとも言われている。また、次回作『ドラゴン怒りの鉄拳』(’72)でヒロインを演じる女優ノラ・ミャオが、かき氷屋の娘としてゲスト出演しているのも見逃せない。 なお、本作は合計で3種類の音楽スコアが存在することでも知られている。まずは香港での初公開時に使用されたワン・フーリンの音楽スコア。良くも悪くも印象に残らない平凡なカンフー映画の音楽スコアなのだが、これを「東洋的すぎる」と考えた西ドイツの配給会社は、’60年代に同国の人気スパイ映画「ジェリー・コットン」シリーズのテーマ曲などを手掛け、ジャーマン・ラウンジミュージックの巨匠としても知られる作曲家ピーター・トーマスに新たな音楽スコアを発注。これがドイツ語吹替版のみならず全米公開された英語吹替版でも使われている。さらに、日本公開された別の英語吹替版でも独自の音楽スコアを使用。これは広東ポップスの作曲家としても有名なジョセフ・クーが手掛けたもので、エンディングには日本公開版オリジナルの主題歌「鋼鉄の男」(歌:マイク・レメディオス)が流れる。ただし、実際に聞き比べてみると分かるのだが、この日本公開版ではピーター・トーマスの音楽スコアも一部で使われている。 ちなみに、ゴールデン・ハーヴェストは’82年のリバイバル公開時に広東語吹替版を製作。これが現在に至るまでスタンダードなオリジナル音声として流通しているのだが、しかし一部の(特に日本の)ファンからはすこぶる評判が悪い。というのも、もともと本作ではまだブルース・リーのトレードマークである「怪鳥音」は存在しなかったのだが、このリバイバル公開版では別のブルース・リー作品から切り抜いたと思しき「怪鳥音」を無理やり被せているのだ。そればかりか、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンの楽曲パーツまで勝手にサンプリング…というか無断使用(笑)。いったいどういう経緯でこうなったのか首を傾げるところではある。 とにもかくにも、ハリウッドでは見向きもされなかったブルース・リーにとって念願の映画初主演となった本作。彼に香港行きを勧めたワーナー重役フレッド・ワイントローブによると、本作の完成直後にブルースから本編フィルムが彼のもとへ送られてきたという。これを当時のワーナー会長テッド・アシュリーに見せると大変気に入ったらしく、すかさずワイントローブが「ブルースのために脚本を用意してはどうだろうか」と提言したところ、とんとん拍子で話がまとまって企画が実現する。それがワーナーとゴールデン・ハーヴェストの共同制作による、ブルース・リーのハリウッド初主演作『燃えよドラゴン』だったというわけだ。■ 『ドラゴン危機一発』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.05.02
アメリカン・ドリームの不都合な真実を暴いた鬼才ヴァーホーヴェンの問題作『ショーガール』
劇場公開時に受けた不当なバッシングの理由とは? ハリウッド映画史上、恐らく最も不当に過小評価された作品のひとつであろう。劇場公開から30年近くを経た今でこそ、カルト映画として熱狂的なファンを獲得しているものの、しかし当時は「中身のない低俗なポルノ映画」「ハリウッドは一線を越えてしまった!」などとマスコミから猛攻撃され、一般の観客からも「不愉快な映画」「生々しすぎる」と総スカンを食らってしまった。中には、脚本家ジョー・エスターハスの出世作『フラッシュダンス』(’83)にひっかけ、本作を「トラッシュダンス」などと呼ぶ映画評論家まで出てくる始末。おのずと興行収入でも大赤字を出してしまう。さらに、’95年度のラジー賞では最低作品賞や最低監督賞、最低女優賞など、史上最多となる合計13部門を獲得。その4年後の同賞では、過去10年間で最も出来の悪い映画に贈られる「’90年代最低作品賞」にも選ばれてしまった。 その一方で、当時から本作を高く評価する向きも少ないながら存在した。例えばフランスの名匠ジャック・リヴェット監督は「過去数年間で最も偉大なアメリカ映画のひとつ」と評しているし、クエンティン・タランティーノ監督もたびたび本作を擁護していたと記憶している。筆者も日本公開時に本作を見て、「なんたる傑作!最高じゃないですか!」と大満足して映画館を後にしたのだが、それだけにアメリカでの低評価やバッシングはなんとも理解し難く感じたものである。 とはいえ、確かに激しく賛否の分かれる映画であることは間違いない。ラスベガスの夜を彩るトップレスダンサーたちの熾烈な競争を描いた、欲望と策略と虚飾の渦巻くサクセス・ストーリー。しかも、監督を務めるのはオランダ出身の鬼才ポール・ヴァ―ホーヴェンである。母国で手掛けた『ルトガー・ハウアー/危険な愛』(’73)や『娼婦ケティ』(’75)、『SPETTERS/スペッターズ』(’80)などで国際的に注目され、ハリウッドへ拠点を移してからは『ロボコップ』(’87)と『トータル・リコール』(’90)の大ヒットでメジャー監督の仲間入りを果たしたヴァーホーヴェン。人間や社会の醜悪な部分を包み隠すことなく描き、あえて見る者の神経を逆撫でする過剰で挑発的な作家性はハリウッドにおいても健在で、ちょうど当時はエロティック・スリラー『氷の微笑』(’92)で物議を醸したばかりだった。そのストーリーや題材ゆえ、本作はさらに過激なセックスとバイオレンスがてんこ盛り。ヨーロッパに比べて遥かに倫理観の保守的なアメリカの観客が、本作に少なからぬ嫌悪感や拒否感を覚えたのも、冷静になって考えてみればそれほど不思議でもあるまい。 弱肉強食のショービズ界を這い上がるヒロイン 舞台はギャンブルとショービジネスの街ラスベガス。トップダンサーを目指してやってきた若い女性ノエミ・マローン(エリザベス・バークレー)は、ヒッチハイクで乗せてもらったドライバーの男に騙され、身ぐるみを剥がされて途方に暮れる。そんな彼女に声をかけたのが、ステージの衣装デザイナーとして働くモリー(ジーナ・ラヴェラ)。ノエミの窮状を知って同情したモリーは、自宅トレーラーに彼女を住まわせることにする。 過激なサービスが売りのトップレス・クラブでダンサーとして働くようになったノエミ。ある日、彼女はモリーの職場を見学させてもらう。そこはラスベガスでも随一の人気を誇る高級ホテル、スターダスト・カジノの看板トップレスショーの舞台裏。自分の働くクラブとは比べ物にならない豪華なステージに目を奪われ、トップスターのクリスタル(ジーナ・ガーション)に紹介されて興奮を隠せないノエミだったが、しかしそのクリスタルから場末のダンサーであることをバカにされて憤慨する。そこで彼女は憂さ晴らしにモリーと夜遊びへ繰り出すことに。無我夢中になって踊り狂う彼女を、売れないダンサーのジェームズ(グレン・プラマー)が見染める。 それからほどなくして、ノエミの職場にクリスタルが恋人の舞台プロデューサー、ザック(カイル・マクラクラン)を連れて来店する。ザックにラップダンスのサービスをさせようとノエミを指名するクリスタル。場末のダンサーなんて娼婦も同然よと、ノエミを侮辱する魂胆は見え見えだ。頑として要求をはねつけるノエミだったが、しかしクリスタルから提示された500ドルに目のくらんだ店長アル(ロバート・デヴィ)が引き受け、ノエミは仕方なくクリスタルの目の前でザックに性的サービスを提供する。その様子をたまたま目撃し、娼婦のような真似をして才能を無駄にするんじゃないと忠告するジェームズ。彼は自身のプロデュースするダンスショーを企画しており、そのメインダンサーをノエミにオファーする。再び男になど騙されまいと警戒しつつ、ジェームズの熱意に少しずつ心を開くノエミ。しかし結局、彼は行きずりでセックスをしたノエミの同僚ダンサー、ホープ(リーナ・リッフェル)と組むことになる。 一方、ノエミのもとにはスターダスト・カジノから欠員オーディションのオファーが舞い込む。喜び勇んで会場へ向かうノエミだったが、しかし演出家トニー・モス(アラン・レイキンズ)によるセクハラまがいの指導にブチ切れてしまう。これでオーディション落選も決定的かと思いきや、なぜか合格の連絡を受けて驚くノエミ。どうやらクリスタルが裏で手を回したようだ。持ち前の負けん気でハードなトレーニングをこなし、念願だった一流のステージに立つノエミだったが、そんな彼女に同性愛的な欲望の眼差しを向けるクリスタルは、その一方で若くて野心家のノエミからトップスターの座を守らんと屈辱的な嫌がらせも仕掛けていく。愛憎の入り雑じった一触即発のライバル関係を築いていくノエミとクリスタル。そんな折、クリスタルの代役ダンサーが怪我で入院し、ノエミにチャンスが巡って来る。女の武器を使ってザックを誘惑し、代役の座を得ようとするノエミだったが…? アメリカ的なるものへ批判の目を向けたハリウッド時代のヴァーホーヴェン いわば、男性が権力を握る男社会のショービジネス界で、その搾取構造に抵抗しながらも成功を掴もうとする女性の闘いを描いた物語。他人を蹴落としたり騙したり陥れたりと、とにかく嫌な奴ばかり出てくる映画だが、その中でも特に男性キャラは揃いも揃って女性を食い物にするクズばかりなのが印象的だ。結局、「女の敵は女」とばかりに女性同士を対立させるのも、男たちが作り上げた性差別的なシステムが原因。そのことに無自覚だったノエミだが、しかしある事件をきっかけに男社会の搾取構造へ加担することを拒絶し、むしろ女性の誇りと尊厳を守るために男たちへ反旗を翻すことになる。これが実に痛快!胸がすくような思いとはまさにこのことだろう。 劇場公開時には「男尊女卑的な映画」との批判も受けた本作だが、しかしその評価は明らかに全くの的外れ。これはあくまでも「男尊女卑的なシステムを批判的に描いた映画」であって、作品の趣旨そのものはヴァーホーヴェンの最新作『ベネデッタ』(’21)と同様に極めてフェミニスト的だ。よくよくストーリーや設定を紐解いていくと、その基本プロット自体が『ベネデッタ』と酷似していることにも気付かされるだろう。 思い返せば、『ロボコップ』ではアメリカの警察組織を、『氷の微笑』ではアメリカ男性のマチズモを、『スターシップ・トゥルーパーズ』(’97)ではアメリカの帝国主義をと、ヨーロッパ人の視点からアメリカ的なるものへ鋭い批判の目を向けたハリウッド時代のヴァーホーヴェン監督。本作でもショービズ界の男尊女卑的なシステムを風刺しつつ、その背景として「金と権力」がものを言うアメリカ型資本主義の在り方そのものを痛烈に批判し、男たちの野心と欲望によってスターへと仕立て上げられていくノエミの成功を通してアメリカン・ドリームの不都合な真実を暴く。もしかすると、アメリカの観客が「不愉快だ」と感じた最大の理由はそこにあるのかもしれない。 そもそも、そのキャリアの初期から一貫して、ヴァーホーヴェン監督は社会や組織や権力への全般的な不信を露わにしてきたと言えよう。そういう意味でも、本作は紛れもないヴァーホーヴェン映画。『ベネデッタ』との類似性はすでに指摘した通りだが、男性からの暴力に対する女性の復讐劇は『ブラックブック』(’06)や『エル ELLE』(’16)とも共通するし、ノエミやクリスタルのようなタフで強い女性はもはやヴァーホーヴェン映画のトレードマークみたいなものだ。そういえば、ノエミもクリスタルも貧困時代にドッグフードを食べていたそうだが、『SPETTERS/スペッターズ』のヒロインも料理にドッグフードを使っていたっけ。なお、日本では「ノエミ」と表記される主人公だが、厳密にはノーミ(Nomi)と発音するのが正しい。 そのノエミ役に抜擢された主演女優エリザベス・バークリー。日本ではほぼ無名に等しかったが、しかしアメリカではテレビの人気シットコム『Saved By The Bell』(‘89~’93・日本未放送)でフェミニストの優等生少女ジェシー役を演じ、お茶の間のアイドルとして親しまれたスターだった。本作は満を持しての映画初主演作だったのだが、しかし世間からは映画と共に彼女の演技も酷評されてしまう。なるほど確かに、感情直下型ですぐに激昂する短絡的なノエミは、なかなか共感しづらいキャラクターではある。しかし、本編後半で明かされる通り、不幸な生い立ちから悲惨な人生を歩んできた彼女は、その過程で他者からさんざん傷つけられたであろうことは想像に難くない。彼女の攻撃的で感情的なリアクションは、恐らく辛酸を舐めてきた人間だからこその自己防衛本能が働いているのだろう。要するに、自分を傷つけようとする人間への威嚇だ。そう考えれば、ノエミの直情的な行動原理も理解できるし、エリザベス・バークリーの芝居にも納得がいく。むしろ非常に説得力があると言えよう。それだけに、本作の悪評が災いして大成できなかったことは誠に気の毒だった。 ちなみに実はヴァーホーヴェン監督、当初は本作の企画をパスするつもりだったらしい。というのも、ジョー・エスターハスが最初に仕上げた脚本が、あまりにも『フラッシュダンス』とソックリだったため、ヴァーホーヴェンも製作者マリオ・カサールも食指が動かなかったのだそうだ。ちょうどその時期、アーノルド・シュワルツェネッガーを主演に十字軍を題材にした歴史大作『Crusades』の企画が浮上し、ヴァーホーヴェンはそちらへ着手することに。ところが、製作準備開始から半年が経っても資金が集まらず、そのうえ製作会社カロルコが『カットスロート・アイランド』(’95)に多額の予算を注ぎ込んだため、モロッコにエルサレムのセットを組み始めたタイミングで『Crusades』の製作中止が決定。その代わりにフランスの製作会社が『ショーガール』の企画に興味を示し、製作資金の提供を申し出たことから本作のゴーサインが出たのだそうだ。 ブロードウェイの内幕を描いた名作『イヴの総て』(’50)を参考に、なるべく『フラッシュダンス』から遠ざかるよう脚本を書き直したヴァーホーヴェン監督。実際のラスベガス以上にラスベガスらしい世界を創出し、煌びやかな虚構の裏側でうごめく醜いアメリカン・ドリームの実像を徹底的に炙り出すべく、あえて演出も脚本も演技も音楽も全てを過剰なくらい大袈裟にしたという。劇場公開当時はあまりに不評だったため、果たして自分の演出方針は正しかったのかと自信が揺らいだそうだ。’16年のインタビューでは「今になって見直すと、興味深いスタイルだったと思う」と語っているヴァーホーヴェンだが、まさしくその過剰で大袈裟なスタイルこそ、本作が時を経てカルト映画として愛されるようになった最大の理由ではないかとも思う。■ 『ショーガール』© 1995 - CHARGETEX
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COLUMN/コラム2023.04.27
巨匠コッポラのパーソナルな想いが込められた青春映画の傑作『ランブルフィッシュ』
『アウトサイダー』に続くS・E・ヒントン原作の映画化 ‘80年代青春映画の金字塔『アウトサイダー』(’83)を大成功させたフランシス・フォード・コッポラ監督が、文字通り矢継ぎ早に送り出した青春映画『ランブルフィッシュ』(’83)。どちらも原作はS・E・ヒントンが書いたヤングアダルト小説で、マット・ディロンにダイアン・レインという主演キャストの顔合わせも同じ、オクラホマ州タルサに住む貧しい不良少年たちの青春模様を描いたストーリーも似ていたが、しかし両者の最終的な仕上がりはまるで対照的だった。 ハリウッド王道のメロドラマ的な青春映画である『アウトサイダー』に対し、『ランブルフィッシュ』はフランスのヌーヴェルヴァーグ作品を彷彿とさせるクールなアート映画。そもそも、前者は色鮮やかなカラー映画だが、後者はフィルムノワール・タッチのダークなモノクロ映画だ。『アウトサイダー』の記憶があまりに鮮烈だったこともあって、劇場公開時は全く毛色の違う本作に戸惑った観客は少なくなかった。筆者もそのひとりなのだが、しかしこのシュールかつマジカルで神話的な世界観には、なんとも心を捉えて離さない不思議な魅力がある。あれから既に40年近く。改めて両作品を見直すと、『アウトサイダー』はどこか時代に色褪せてしまった感が否めないものの、しかし『ランブルフィッシュ』は今なお圧倒的に新鮮で刺激的でカッコいい。コッポラが「自分の映画の中で最も好きな作品のひとつ」というのも頷けるだろう。 地方都市タルサの荒廃した下町。不良少年グループのリーダー、ラスティ・ジェームス(マット・ディロン)がプールバーでビリヤードに熱中していると、そこへ白いスーツに身を包んだ若者ミジェット(ローレンス・フィッシュバーン)が訪れ、敵対グループのリーダー、ビフ(グレン・ウィスロー)からのメッセージを伝える。今夜10時に例の橋のたもとに来い。さもなければぶっ殺す。要するに決闘の果たし状だ。待ってましたとばかりに挑戦を受けたラスティ・ジェームスは、幼馴染みのスティーヴ(ヴィンセント・スパーノ)や右腕のスモーキー(ニコラス・ケイジ)ら仲間たちに声をかける。 昔は不良グループ同士の喧嘩沙汰など日常茶飯事だった。久しぶりにかましてやるぜ!と鼻息を荒くするラスティ・ジェームスだが、しかし仲間たちはいまひとつ気乗りしない様子だ。そもそも、決闘はモーターサイクル・ボーイ(ミッキー・ローク)が禁止したはずだ。モーターサイクル・ボーイとはラスティ・ジェームスの兄貴で、かつて地元の不良たちの誰もが尊敬して恐れた伝説のリーダー。しかし、2カ月前に忽然と姿を消したまま音沙汰がなかった。今はこの俺がリーダーだ。幼い頃から兄貴を尊敬してやまないラスティ・ジェームスは、たとえモーターサイクル・ボーイの言いつけを破ってでも、自分が後継者として相応しいことをみんなに証明したかったのである。 集合する時間と場所を確認して仲間と別れたラスティ・ジェームスは、恋人パティ(ダイアン・レイン)の家を訪ねる。心優しくて気さくな普通の少年の顔を覗かせるラスティ・ジェームス。俺も兄貴みたいになりたいんだとこだわる彼に、パティはもっと自分の良さを大切にするよう諭すが、しかし頑ななラスティ・ジェームスは聞く耳を持たない。そしていよいよ決闘の時間。仲間たちが次々と集まる中、ビフの一味も現場へと到着し、たちまち不良少年同士の大乱闘が始まる。凄まじい気迫でビフをボコボコにするラスティ・ジェームス。すると、そこへ消息不明だったモーターサイクル・ボーイが突然現れ、呆気に取られて立ち尽くしたラスティ・ジェームスは、その隙を狙ったビフに腹を切りつけられて怪我を負う。 負傷したラスティ・ジェームスを介抱するモーターサイクル・ボーイとスティーヴ。意識を取り戻したラスティ・ジェームスは、以前とはまるで別人になってしまった兄貴に困惑する。色覚異常があって色を識別できず、さらに軽度の聴覚障害も患っているモーターサイクル・ボーイは、もともと一種独特の近寄りがたい雰囲気を持っていたが、今ではすっかり物静かで穏やかな人物になっていた。いったいどうしちまったんだ。戸惑いを隠せないラスティ・ジェームスに、飲んだくれの父親(デニス・ホッパー)が言う。みんなモーターサイクル・ボーイのことを誤解している。あいつは生まれてくる場所を間違えただけだと。その意味を理解できないラスティ・ジェームスは、兄貴が家出した母親の行方を探してロサンゼルスへ行っていたことを知る。カリフォルニアはいいぞ。そう呟くモーターサイクル・ボーイ。夢も希望もない地元のスラム街を初めて出て、外の広い世界を知ってしまった彼の中で、何かが大きく変化していたのだ…。 ヨーロッパの名匠たちに影響を受けたティーン向けのアート映画 生まれ育ったスラム街の劣悪な環境に縛られ、自分も兄貴と同じ道を歩む宿命にあると頑なに信じ込んでいた若者が、人生には様々な可能性と選択肢があること、自分らしい人生を自分の意思で選ぶ自由があることに気づくまでを描いた作品。そのことをひと足早く悟った兄貴モーターサイクル・ボーイは、しかしそれゆえに自分が人生の大切な時間を浪費してしまったという現実にもぶち当たる。もっと早く気づけばよかった。自分はもう手遅れかもしれないが、しかしまだ10代の弟ならきっと間に合うはずだ。彼はそのことをラスティ・ジェームスに伝えるため、わざわざ故郷へと戻ってきたのだ。 若いうちは時間なんていくらでもある。どれだけ無駄に過ごしたって平気のへっちゃら。大人になってようやく初めて、人生の時間には限りがあると気づくのさ。劇中でトム・ウェイツ演じるプールバーの店主ベニーが呟く独り言は、まさにそのまま本作のテーマだと言えよう。それゆえ、本作は全編を通して「時間」が重要なモチーフとなっている。足早に流れる空の雲、急速に伸びていく非常階段の影、画面のあちこちに登場する大小の時計、時を刻むようなリズムの実験的な音楽。それらの全てが、登場人物たちの知らぬ間に過ぎ去って行く時間の速さを象徴しているのである。 その実存主義的なテーマを孕んだストーリーには、コッポラ監督が青春時代に見て強い感銘を受けたという、ミケランジェロ・アントニオーニやイングマール・ベルイマンなどのヨーロッパ映画と相通ずるものを見出せるが、中でも主人公ラスティ・ジェームスが生まれて初めて海岸を目の当たりにするクライマックスが象徴するように、フランソワ・トリュフォーの名作『大人は分かってくれない』(’59)からの影響は見逃せないだろう。また、被写体を歪んだ角度から捉えたり、陰影を極端に強調したりしたスタイリッシュなモノクロ映像は、『カリガリ博士』(’20)を筆頭とするドイツ表現主義映画に倣っている。どうやらコッポラ監督は、こうしたヨーロッパの芸術映画群から自身が若い頃に受けた驚きや感動を、本作を通じて’80年代の若者たちにも伝えたいと考えたそうだ。彼が『ランブルフィッシュ』を「ティーンエイジャー向けのアート映画」と呼ぶ所以だ。 そのコッポラ監督がS・E・ヒントンの原作を初めて読んだのは、実は『アウトサイダー』の製作に着手してからのことだったという。そもそも『アウトサイダー』の企画自体が彼の発案ではなく、原作のファンである中学生たちから「コッポラ監督に映画化して欲しい」との署名を渡されたことがきっかけ。実は、それまでヒントンの小説を一冊も読んだことがなかったのである。『アウトサイダー』の製作準備を進める合間に本作の原作を読んだコッポラ監督は、『アウトサイダー』よりもこちらこそ自分が本当に映画化したい作品だと感じたという。その最大の理由は主人公兄弟の関係性だ。 頭が良くて人望のある兄モーターサイクル・ボーイに羨望の眼差しを向け、自分もああなりたいけれどなれない現実に焦りと葛藤を抱えたラスティ・ジェームス。それは、少年時代のコッポラ監督そのものだったらしい。コッポラ監督よりも5つ年上の兄オーガスト(ニコラス・ケイジの父親)は、ヘミングウェイの論文などで知られる研究者であり、カリフォルニア州立大学の理事やサンフランシスコ州立大学芸術学部の学部長も務めたインテリ知識人。少年時代のコッポラ監督にとって優秀な兄は憧れであると同時に、どう頑張っても乗り越えられない壁でもあったそうだ。コッポラ監督は原作を読んで、これは自分と兄の物語だと感じたという。本編のエンドロール後に「この映画を、私の最初にして最良の師である兄オーガスト・コッポラへ捧ぐ」と記されているのはそのためだ。 念願だった役柄を手に入れたマット・ディロンの好演 かくして、『アウトサイダー』の撮影と並行して、原作者S・E・ヒントンと共同で脚本を書き進め、クランクアップの2週間後には『ランブルフィッシュ』の製作に取り掛かっていたというコッポラ監督。半年に渡って取り組んできた『アウトサイダー』とはかけ離れた映画にしたい。そう考えた彼は、色覚異常というモーターサイクル・ボーイの設定に着目し、全編をモノクロで撮影することにした。そもそも、舞台となるスラム街も主人公ラスティ・ジェームスも、いわばモーターサイクル・ボーイの多大な影響下にあるわけだから、劇中の世界全体が彼の色=モノクロに染まっていることは理に適っているだろう。 その中にあって、タイトルにもなっている「ランブルフィッシュ(=闘魚)」だけは鮮やかな色がついている。狭い水槽の中に閉じ込められ、お互いに殺し合う魚たちは、いわばラスティ・ジェームスやモーターサイクル・ボーイの心理的なメタファーだ。そして、最終的にラスティ・ジェームスが兄の呪縛から解き放たれた時、映画の世界は一瞬だけだがフルカラーになる。すぐ元のモノクロの世界へ戻ってしまうのは、恐らくこれがラスティ・ジェームスの人生において、新たな一歩の始まりに過ぎないことを示唆しているのかもしれない。つまり、今度は彼自身が自分の色で自分の世界を染めていくのだ。 ちなみに、現在のようなデジタル加工技術が存在しなかった当時、どうやってランブルフィッシュだけに色を付けたのかというと、その仕組みは意外と簡単。例えば、ラスティ・ジェームスとモーターサイクル・ボーイが水槽の魚を眺めるシーンは、先にモノクロ撮影した俳優たちの映像を背景のスクリーンに投影し、カメラの手前に魚の入った水槽を設置してカラー撮影している。いわゆるバック・プロジェクションというやつだ。 劇中ではチンピラに頭を殴られたラスティ・ジェームスが気を失い、幽体離脱の臨死体験をするシーンも印象的だが、この撮影トリックも実は非常にシンプル。なるべくリアルな映像を撮りたいと考えたコッポラ監督は、フィルム合成やワイヤーの使用は避けたかったという。そこで、ラスティ・ジェームスを演じるマット・ディロンの胴体から型抜きした人体固定用の特製ボディスーツを制作し、それをクレーンや電動式伸縮ポールの先端にセッティング。撮影の際にはマット・ディロンの胴体をそこにはめて固定し、その上から衣装を着用して動かすことで、幽体離脱したラスティ・ジェームスの体が空中を浮遊する様を再現したのである。 そのラスティ・ジェームスを演じるマット・ディロンは、ティム・ハンター監督の『テックス』(’82)を含めると、S・E・ヒントン原作の映画に出演するのはこれが3作目。彼自身、高校時代に授業をさぼってヒントンの小説を読み漁ったほどの大ファンで、中でも『ランブルフィッシュ』の原作は一番のお気に入りだったという。そのため、『テックス』の出演が決まって原作者ヒントンと初めて面会した際には、もしも「ランブル・フィッシュ」が映画化されることになったらラスティ・ジェームスを自分にやらせて欲しいと願い出ていたのだとか。まさに念願の役柄だったわけだが、これが実によくハマっている。粗暴なワルを気取った繊細で優しい少年という設定こそ『アウトサイダー』で演じたダラスと似ているのだが、しかし不良少年グループの兄貴分だったダラスに対して、こちらのラスティ・ジェームスは大好きな兄貴を慕うピュアな弟。どこか愛情に飢えた孤独な子供のようなディロンの個性は、実はこのような弟キャラでこそ真価を発揮する。なお、ラスティ・ジェームスとは原作者ヒントンが飼っていた猫の名前から取られたのだそうだ。 モーターサイクル・ボーイ役のミッキー・ロークは、『アウトサイダー』でダラス役のオーディションを受けたものの年齢を理由に不合格となったのだが、その時のことを覚えていたコッポラ監督に声をかけられて本作への出演が決まった。そういえば、原作でも映画版でもモーターサイクル・ボーイの本名に言及されていないのだが、原作者ヒントンによれば、これは彼がある種の神話的な存在だからなのだという。地元の不良少年たちにとって伝説的なヒーローである彼は、いわばローカル神話における神様のようなもの。そして、神様に本名など必要ないのである。 そのモーターサイクル・ボーイにぞっこんな元恋人カサンドラ(ダイアナ・スカーウィッド)は、誰からも信じてもらえない呪いをかけられたギリシャ神話の預言者カサンドラがモデル。また、原作に出てこない黒人の若者ミジェットは、ギリシャ神話における夢と眠りの神であり、死へ旅立つ者の道先案内人ヘルメスの役割を果たしている。このキャラは『地獄の黙示録』(’79)でローレンス・フィッシュバーンを気に入ったコッポラ監督が、彼のためにアテ書きしたのだそうだが、同時にこの物語の本質が神話であることを監督自身もよく理解していたのだろう。 なお、『テックス』では学校教師役、『アウトサイダー』では病院の看護師役でカメオ出演していた原作者ヒントンだが、本作では黒人居住地区の繁華街でラスティ・ジェームスとスティーヴに声をかける売春婦役で顔を出している。 全米では『アウトサイダー』の劇場公開から約7ヶ月後の’83年10月に封切られた『ランブルフィッシュ』。先述したように「ティーンエイジャー向けのアート映画」を志したわけだが、しかしそのティーンエイジャーを集めた一般試写での反応は芳しくなかったという。観客からは「理解できない」との感想が多かったそうだが、なにしろ当時はスピルバーグ映画やスラッシャー映画の全盛期、恐らくアート映画とは無縁の平均的なアメリカの若者には、ちょっと前衛的過ぎたのかもしれない。それでも、数あるコッポラ監督作品の中でも本作は間違いなくベストの部類に入る。「自分の昔の映画を見直すとダメなところばかりに目が行くが、この映画は奇跡的にも殆どが思い通りに上手くいった」というコッポラの言葉が全てを物語っているだろう。■ 『ランブルフィッシュ』© 1993 Hot Weather Films. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.04.03
‘80年代の日本の映画ファンを熱狂させたロックンロールの寓話『ストリート・オブ・ファイヤー』
アメリカよりも日本で大ヒットした理由とは? 日本の洋画史を振り返ってみると、本国では不入りだったのになぜか日本では大ヒットした作品というのが時折出てくる。その代表格が『小さな恋のメロディ』(’71)とこの『ストリート・オブ・ファイヤー』(’84)であろう。リーゼントに革ジャン姿のツッパリ・バイク集団にロックンロールの女王が誘拐され、かつて彼女の恋人だった一匹狼のアウトロー青年が救出のため馳せ参じる。ただそれだけの話なのだが、全編に散りばめられたレトロなアメリカン・ポップカルチャーと、いかにも’80年代らしいMTV風のスタイリッシュな映像が見る者をワクワクさせ、不良vs不良の意地をかけた白熱のガチンコ・バトルと、ドラマチックでスケールの大きいロック・ミュージックが見る者の感情を嫌が上にも煽りまくる。血沸き肉躍るとはまさにこのことであろう。 当時まだ高校生1年生だった筆者も、映画館で本作を見て鳥肌が立つくらい感動したひとりだ。その年の「キネマ旬報」の読者選出では外国映画ベスト・テンの堂々第1位。エンディングを飾るテーマ曲「今夜は青春」は、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌「今夜はエンジェル」として日本語カバーされた。当時の日本で『ストリート・オブ・ファイヤー』に熱狂した映画ファンは、間違いなく筆者以外にも大勢いたはずだ。それだけに、実は本国アメリカでは見事なまでに大コケしていた、どうやら興行的に当たったのは日本くらいのものらしいと、だいぶ後になって知った時は心底驚いたものである。 ではなぜ本作が日本でそれだけ受けたのかというというと、あくまでもこれは当時を知る筆者の主観的な肌感覚ではあるが、恐らく昭和から現在まで脈々と受け継がれる日本の不良文化が背景にあったのではないかとも思う。実際、良きにつけ悪しきにつけ’80年代はツッパリや暴走族の全盛期だった。なにしろ、横浜銀蝿やなめ猫やスケバン刑事が大流行した時代である。加えて、当時の日本ではロックンロールにプレスリーにジェームズ・ディーンなど、本作に登場するような’50年代アメリカのユース・カルチャーに対する憧憬もあった。まあ、これに関しては、同時代のイギリスで巻き起こった’50年代リバイバルやロカビリー・ブームが日本へ飛び火したことの影響もあったろう。さらに、’70年代の『小さな恋のメロディ』がそうだったように、劇中で使用される音楽の数々が日本人の好みと合致したことも一因だったかもしれない。いずれにせよ、アメリカ本国での評価とは関係なく、本作には当時の日本人の琴線に触れるような要素が揃っていたのだと思う。 実は『ウォリアーズ』の姉妹編だった!? 冒頭から「ロックンロールの寓話」と銘打たれ、続けて「いつかどこかで」と時代も舞台も曖昧に設定された本作。まるで’50年代のニューヨークやシカゴのようにも見えるが、しかしよくよく目を凝らすと様々な時代のアメリカ文化があちこちに混在しているし、確かにリッチモンドやバッテリーという地名は出てくるものの、しかしどうやら実在する土地とは全く関係がないらしい。つまり、これは現実とよく似ているが現実ではない、この世のどこにも存在しない架空の世界の物語なのだ。 とある大都会の寂れかけた地区リッチモンドで、地元出身の人気女性ロック歌手エレン・エイム(ダイアン・レイン)のコンサートが開かれる。詰めかけた大勢の若者で熱気に包まれる会場。すると、どこからともなくバイク集団ボンバーズの連中が現れ、リーダーのレイヴン(ウィレム・デフォー)の号令で一斉にステージへ乱入する。バンドマンやスタッフに殴りかかる暴走族たち、パニックに陥って逃げ惑う観客。悲鳴や怒号の飛び交う大混乱に乗じて、まんまとレイヴンはエイミーを連れ去っていく。その一部始終を目撃していたのが、近くでダイナーを経営する女性リーヴァ(デボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ)。警察なんか頼りにならない。なんとかせねばと考えた彼女は、ある人物に急いで電報を打つのだった。 その人物とはリーヴァの弟トム・コディ(マイケル・パレ)。かつて地元では札付きのワルとして鳴らし、兵隊を志願して出て行ったきり音沙汰のなかった彼は、実はエレンの元恋人でもあったのだ。久しぶりに再会した弟へ、誘拐されたエレンの救出を懇願するリーヴァ。だが、音楽の道を目指すエレンと苦々しい別れ方をしたトムは躊躇する。なぜなら、今もなお心のどこかで彼女に未練があるからだ。それでも姉の説得で考えを変えたトム。しかし、エレンのマネージャーで現在の恋人でもある傲慢な成金男ビリー(リック・モラニス)から負け犬呼ばわりされた彼は、カチンときた勢いで1万ドルの報酬と引き換えにエレンを救い出すことに合意する。別に未練があるわけじゃない、単に金が欲しいだけだという言い訳だ。 ボンバーズの本拠地はリッチモンドから離れた貧困地区バッテリー。バーで知り合ったタフな女兵士マッコイ(エイミー・マディガン)を相棒に従え、古い仲間から武器を調達したトムは、依頼人のビリーを連れてボンバーズが根城にする場末のナイトクラブ「トーチーズ」へ向かう。客を装って潜入したマッコイがエレンの監禁場所を押さえ、その間にトムが表でたむろする暴走族を銃撃して注意をそらすという作戦だ。これが見事に功を奏し、エレンを無事に奪還することに成功したトムたちだが、しかし面目を潰されたレイヴンと仲間たちも黙ってはいなかった…! 本作の生みの親はウォルター・ヒル監督。当時、エディ・マーフィとニック・ノルティ主演の『48時間』(’82)を大ヒットさせ、ハリウッド業界での評判もうなぎ上りだった彼は、それこそ「鉄は熱いうちに打て」とばかり、すぐさま次なる新作の構想を練る。その際に彼が考えたのは、自作『ウォリアーズ』(’79)の世界に再び挑戦することだったという。実際、本作を見て『ウォリアーズ』を連想する映画ファンは多いはずだ。ニューヨークのコニー・アイランドを根城にする不良グループが、ブロンクスで開かれたギャングの総決起集会に参加したところ罠にはめられ、逃亡の過程で各地区の不良グループと戦いながら地元へ辿り着くまでを描いた『ウォリアーズ』。「都会のヤンキーがよその縄張りへ行って帰って来るだけ」というストーリーの基本プロットは本作と同じだ。雨上がりの濡れたアスファルトに地下鉄や車などを乗り継いでの逃避行、アメリカ下町の不良文化など、それ以外にも符合する点は少なくない。グラフィックノベルの実写版的な世界観も共通していると言えよう。さながら姉妹編のような印象だ。 400万ドルの製作費に対して2200万ドルもの興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなった『ウォリアーズ』だが、しかしウォルター・ヒル監督にとってはいろいろと悔いの残る作品でもあった。同作をグラフィックノベルの実写版として捉え、ポスプロ段階でコミック的な演出効果を加えようと考えていたヒル監督だが、しかしパラマウントから指定された締め切りを守るために断念せざるを得なかった(’05年に製作されたディレクターズ・カット版でようやく実現)。しかも、劇場公開時には映画の内容に刺激された若者たちが各地で暴動を繰り広げ、恐れをなしたパラマウントはプロモーション展開を自粛。一部の映画館では上映を中止するところも出てしまった。そもそもヒル監督によると、パラマウントは最初から同作の宣伝に非協力的だったという。紆余曲折あって『48時間』では再びパラマウントと組んだヒル監督だが、しかし同社から次回作を要望された彼が、あえて本作の企画をパラマウントではなくユニバーサルへ持ち込んだことも頷ける話だろう。 恐らく彼としては、『ウォリアーズ』で叶わなかった理想を本作で実現しようと考えたのかもしれない。シーンの切り替わりで象徴的に使われるギザギザのワイプなどは、なるほどコミック的な演出効果とも言えよう。また、今回はユニバーサルから潤沢な予算が与えられたこともあり、一部のシーンを除く全てをスタジオのセットで撮影。高架鉄道や多階層道路のシーンはシカゴで、貧困地区バッテリーはロサンゼルス市内の工場廃墟で撮影されているが、主な舞台となるリッチモンド地区はユニバーサル・スタジオに大掛かりなオープンセットを組み、夜間シーンはそこに天幕を張って撮影されている。おかげで、狙い通りのコミック的な「作り物感」が生まれ、より「ロックンロールの寓話」に相応しい世界を構築することが出来たのだ。 ‘80年代のトレンドを吸収したウォルター・ヒル流「MTV映画」 もちろん、ヒル監督が熱愛する西部劇の要素もふんだんに盛り込まれている。そもそも、郷里に舞い戻ったヒーローが相棒を引き連れ、無法者たちにさらわれたヒロインを救い出すという設定は西部劇映画の王道である。中でも、監督が特に意識したのはセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタン。ニヒルでクールで寡黙な主人公トム・コディは、さながら若き日のクリント・イーストウッドの如しである。また、本作の主要キャラクターはほぼ若者で占められ、中高年は全くと言っていいほど出てこないのだが、これは当時ハリウッドを席巻していたスティーヴン・スピルバーグとジョン・ヒューズの映画に倣ったとのこと。つまり、若い観客層にターゲットを定めたのである。実際、’80年代のハリウッド映画は若年層の観客が主流となり、その需要に応えるかのごとくトム・クルーズやモリー・リングウォルドやマイケル・J・フォックスなどなど、数えきれないほどのティーン・アイドル・スターが台頭していた。そこで本作が集めたのは、駆け出しの新人を中心とした若手キャストだ。 主人公トム・コディにはトム・クルーズ、エリック・ロバーツ、パトリック・スウェイジがオーディションを受けたが、最終的にヒル監督はマイナーな青春ロック映画『エディ&ザ・クルーザーズ』(’83)に主演した若手マイケル・パレに白羽の矢を当てる。ヒロインのエレン役には、当時18歳だったダイアン・レイン。本作のキャストでは唯一、知名度のある有名スターだ。もともとはダリル・ハンナが最有力候補だったが、結局はキャリアもネームバリューもあるダイアンが選ばれた。恐らく、マイケル・パレがまだ無名同然だったため、引きのあるスターが欲しかったのだろう。エレンのいけ好かないマネージャー、ビリー役は、当時テレビのお笑い番組「Second City Television」で注目されていたコメディアンのリック・モラニス。プロデューサーのジョエル・シルヴァーがモラニスの大ファンだったのだそうだ。 さらに、当初トムの姉リーヴァ役でオーディションを受けたエイミー・マディガンが、トムの相棒マッコイ役を演じることに。本来、この役はラテン系の巨漢男という設定で、役名もメンデスという名前だったという。しかし「これを女に変えて私にやらせて!絶対に面白いから!」とエイミー自らが監督に直訴したことで女性キャラへと変更されたのだ。そういえば、ヒル監督が製作と脚本のリライトを手掛けた『エイリアン』(’79)の主人公リプリーも、もともとは男性という設定だったっけ。代わりに姉リーヴァ役に起用されたのは、『ウォリアーズ』のヒロイン役だったデボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ。さらに、ヒル監督がキャスリン・ビグローの処女作『ラブレス』(’82)を見て注目したウィレム・デフォーが、暴走族のリーダー、レイヴン役を演じて強烈なインパクトを残す。本作で初めて彼を知ったという映画ファンも多かろう。 そのほか、ビル・パクストン(バーテン役)にE・G・デイリー(エレンの追っかけベイビードール役)、エド・ベグリー・ジュニア(バッテリー地区の浮浪者)、リック・ロソヴィッチ(新米警官)、ミケルティ・ウィリアムソン(黒人コーラスグループのメンバー)など、後にハリウッドで名を成すスターたちが顔を出しているのも要注目ポイント。デイリーは歌手としても成功した。また、『フラッシュダンス』(’83)でジェニファー・ビールスのボディダブルを担当したマリーン・ジャハーンが、ナイトクラブ「トーチーズ」のダンサーとして登場。ちなみに、トーチーズという名前のクラブは、ヒル監督の『ザ・ドライバー』(’78)や『48時間』にも出てくる。 ところで、ヒル監督が本作を撮るにあたって、実は最も影響されたというのがその『フラッシュダンス』。全編に満遍なく人気アーティストのポップ・ミュージックを散りばめ、映画自体を1時間半のミュージックビデオに仕立てた同作は空前の大ブームを巻き起こし、その後も『フットルース』(’84)や『ダーティ・ダンシング』(’87)など、『フラッシュダンス』のフォーマットを応用した「MTV映画」が大量生産されたのはご存知の通り。要するに、『ストリート・オブ・ファイヤー』もこのトレンドにちゃっかりと便乗したのである。そのために制作陣は、パティ・スミスやトム・ペティのプロデューサーとして知られるジミー・アイオヴィーンを音楽監修に起用。ジョン・ヒューズの『すてきな片想い』(’84)では当時のニューウェーブ系ヒット曲を総動員したアイオヴィーンだが、一転して本作ではユニバーサルの意向を汲んで、映画用にレコーディングされたオリジナル曲ばかりで構成することに。オープニング曲「ノーホエア・ファスト」を書いたジム・スタインマンを筆頭に、トム・ペティやスティーヴィー・ニックス、ダン・ハートマンなどの有名ソングライターたちが楽曲を提供している。 ダイアン・レインの歌声を吹き替えたのは、ロックバンド「フェイス・トゥ・フェイス」のリードボーカリスト、ローリー・サージェントと、ジム・スタインマンの秘蔵っ子ホリー・シャーウッド。「ノーホエア・ファスト」と「今夜は青春」には、「ファイアー・インク」なるバンドがクレジットされているが、これは「フェイス・トゥ・フェイス」のメンバーを中心に構成された覆面バンドだ。また、挿入曲「ソーサラー」と「ネヴァー・ビー・ユー」は、サントラ盤アルバムのみ前者をマリリン・マーティン、後者をマリア・マッキーと、当時売り出し中の若手女性ボーカリストが歌っている。つまり、映画とサントラ盤では歌声が別人なのだ。これは黒人コーラスグループが歌う「あなたを夢見て」も同様。劇中ではウィンストン・フォードという無名の黒人男性歌手が歌声を吹き替えていたが、しかしサントラ盤アルバムを制作するにあたって作曲者のダン・ハートマンが自らレコーディング。これが全米シングル・チャートでトップ10入りの大ヒットを記録する。 ちなみに、映画の最後を締めくくる楽曲は、本作とタイトルが同じという理由から、ブルース・スプリングスティーンの「ストリーツ・オブ・ファイアー」のカバー・バージョンが選ばれ、実際に演奏シーンも撮影されていたのだが、しかしレコード会社から著作権の使用許可が下りなかった。そこで、急きょジム・スタインマンが「今夜は青春」を2日間で書き上げ、改めてラスト・シーンの撮り直しが行われたのである。ダイアン・レインの髪型がちょっと不自然なのはそれが理由。というのも、当時の彼女は次回作(恐らくコッポラの『コットン・クラブ』)の撮影で髪を切っていたため、本作の撮り直しではカツラを被っているのだ。 一方、ポップソング以外の音楽スコアは、『48時間』に引き続いてジェームズ・ホーナーに依頼されたのだが、しかし出来上がった楽曲が映画のイメージとは全く違ったためボツとなり、ヒル監督とは『ロング・ライダーズ』(’80)と『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(’81)で組んだライ・クーダーが起用された。確かに、ロックンロール映画にはロック・ミュージシャンが適任だ。むしろ、なぜジェームズ・ホーナーに任せようとしたのか。そちらの方が不思議ではある。 ロックンロールに暴走族に西部劇にレトロなポップカルチャーと、ウォルター・ヒル監督が少年時代からこよなく愛してきたものを詰め込んだという本作。プレミア試写での評判も非常に良く、製作陣は「絶対に当たる」との自信を持っていたそうだが、しかし結果的には大赤字を出してしまう。ヒル監督やプロデューサーのローレンス・ゴードン曰く、カテゴライズの難しい作品ゆえにユニバーサルは売り出し方が分からず、アメリカでは宣伝らしい宣伝もほとんど行われなかったという。映画でも音楽でも小説でもそうだが、残念ながら内容が良ければ成功するというわけではない。本作の場合、アメリカではビデオソフト化されてから口コミで評判が広まり、今ではカルト映画として愛されている。これをいち早く評価していたことを、日本の映画ファンは自慢しても良いかもしれない。■ 『ストリート・オブ・ファイヤー』© 1984 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.03.31
アメリカの銃社会に警鐘を鳴らした先駆的なサスペンス映画『殺人者はライフルを持っている』
コーマン門下生ピーター・ボグダノヴィッチの処女作 『ラスト・ショー』(’71)や『ペーパー・ムーン』(’73)でニューシネマ時代のハリウッドを牽引した名匠ピーター・ボグダノヴィッチの監督デビュー作である。瑞々しい青春ドラマやクラシカルなコメディで鳴らしたボグダノヴィッチにとって、本作は恐らく唯一のサスペンス・ホラー。ボリス・カーロフ演じる往年の怪奇映画スターが、ロサンゼルスを恐怖に陥れる本物の無差別殺人犯と対峙する。あのクエンティン・タランティーノ監督をして、「史上最も偉大な監督デビュー作のひとつ」と言わしめた傑作。世界的に有名な映画ハンドブック「死ぬまでに観たい映画1001本」にも選出された。しかし、「SFとホラーは嫌いなジャンルだ」と公言していた彼が、なぜ本作のような恐怖映画を撮ったのか。その背景には、ボグダノヴィッチ監督の恩師ロジャー・コーマンの存在があった。 もともとニューヨークの映画評論家で、「エスクァイア」誌や「サタデー・イヴニング・ポスト」誌などに映画評を寄稿していたボグダノヴィッチ。その傍ら、ニューヨーク近代美術館で映画の回顧上映を企画したり、俳優や演出家として舞台劇に携わったりしていたのだが、しかしやはり最終目標は少年時代から憧れていた映画監督だった。そのためにロサンゼルスへと拠点を移し、映画評論家としてのコネを使って業界パーティや新作プレミアに足繁く通った彼は、とある試写会で近くに座っていた映画監督ロジャー・コーマンと親しくなる。ご存知の通り、映画界を目指す若者たちを積極的にスタッフとして雇い、フランシス・フォード・コッポラにマーティン・スコセッシ、ジョー・ダンテにジェームズ・キャメロンなどなど、数多くの愛弟子を一流の映画人へと育てたコーマン御大。ボグダノヴィッチもまたその門下生となり、当時コーマンが準備していた監督作『ワイルド・エンジェル』(’66)の脚本の手直しを皮切りに、助監督から雑用係までどんな仕事でもこなすようになる。 そんなある日、ボグダノヴィッチはコーマン師匠から電話で「監督しないか?」と唐突に誘われ、「はい、もちろん!」と二つ返事で引き受けたという。それこそ棚から牡丹餅みたいな話だが、しかしこれにはいくつかの条件があった。大前提は俳優ボリス・カーロフを使うこと。『フランケンシュタイン』(’31)で有名な大物怪奇映画俳優カーロフ。当時すでに80歳近い高齢者だったが、一般的な知名度が高いわりにギャラは安いこともあって、コーマンはしばしば自作に出演させていたのだが、そのカーロフとの出演契約が2日分余ってしまったため、これを上手く有効活用して新作映画を1本作れというのだ(実際は5日間かかったらしい)。 とりあえず2日間あれば本編20分くらいは撮影できる。また、コーマンの監督したカーロフ主演作『古城の亡霊』(’63)のフィルムも抜粋して使用できる。そのうえで、カーロフ以外のキャストを用いて1時間分のシーンを撮影すること。こちらは2週間以内での完了が目標。こうすればトータル1時間半の映画が出来るというわけだ。予算は総額12万5000ドル。もちろん、金を出すのはコーマン師匠である。ただし、そのうち2万5000ドルはカーロフのギャラなので、実際の映画作りは残りの10万ドルでやりくりせねばならない。まあ、なかなかハードルの高い条件だが、しかしコーマン監督のもとで低予算映画作りのノウハウを叩きこまれたボグダノヴィッチにしてみれば、決して無理な相談などではなかっただろう。むしろ彼が頭を悩ませたのはシナリオ作りだったそうだ。 なにしろ、古典的な怪奇映画俳優であるボリス・カーロフを使い、さらにゴシック・ホラー映画『古城の亡霊』のフィルムを流用するわけだが、しかし予算の金額からして大掛かりなセットを組む余裕などないため、どう考えても映画の内容は現代劇にするほかない。実際、本作では内装を変えながらひとつのセットを何度も繰り返し使い回している。劇中で老俳優が宿泊するホテルの部屋も、スタッフと打ち合わせる高級レストランも、殺人犯が家族と一緒に暮らす自宅も、実はみんな同じセットなのだ。 いずれにせよ、どうやってカーロフと『古城の亡霊』を現代劇として料理したものか。当時の妻だった脚本家ポリー・プラットと何時間も相談しあったボグダノヴィッチは、しまいに煮詰まり過ぎてこんな冗談を飛ばす。映画会社の試写室でボリス・カーロフが自分の出演する『古城の亡霊』を見ている。で、上映が終わるとカーロフが振り返って、ロジャー・コーマンに「最低の映画だな」と文句を言うんだ。あくまでもタチの悪いジョークのつもりだったが、しかしこれが意外にも脚本作りの突破口となり、キャリアの限界を感じて引退を決意した往年の怪奇映画俳優という、本作を構成する2つのプロットのうちのひとつが誕生したのである。 もうひとつのプロットである無差別殺人犯の話は、撮影の前年に当たる’66年に起きた「テキサスタワー乱射事件」が下敷きとなった。元海兵隊員の若者チャールズ・ホイットマンが、母校であるテキサス大学オースティン校の時計塔展望台に立て籠もり、たまたま通りがかった眼下の通行人を次々と無差別に射殺したのである。最終的に15名が死亡し、31名が負傷。ホイットマンは事件を起こす直前に、同居する妻と実の母親まで殺害していた。当時としては前代未聞の大量殺人に全米は文字通り震撼。加えて、ホイットマンが恵まれた家庭に育った普通の明るい好青年だったこと、犯行の動機がハッキリとしないことも世間に大きな衝撃を与えた。今なお後を絶たないアメリカの銃乱射事件の、いわばルーツのような事件だ。 実は、本作のオファーを受ける数か月前、ボグダノヴィッチは「エスクァイア」誌の編集者から、チャールズ・ホイットマンを題材に映画を撮ってみてはどうかと薦められていた。これはいいアイディアかもしれない。しかも、2つの全く異なるストーリーを並行して交互に描いていけば、ボリス・カーロフの出番も少なくて済む。このような制作進行上の都合もあって、ボグダノヴィッチは銃乱射事件のプロットをもうひとつの大きな柱としたのだが、これが結果的には大正解だった。 今なお絶えない銃乱射事件を取り上げた社会性と先見性 とある映画会社の試写室。最新主演作の完成版を見終えた往年の怪奇映画俳優バイロン・オーロック(ボリス・カーロフ)は、これを最後に俳優業から引退すると宣言する。既に次回作も決まっているというのに!と大慌てするプロデューサー。居合わせた新人監督サミー・マイケルズ(ピーター・ボグダノヴィッチ)も困惑する。今回の映画でようやくデビューのチャンスを掴んだ彼は、再びオーロックを主演に据えた次回作で勝負に出ようと考えたのだからたまらない。なんとか引退を思い止まらせようと説得するサミーだったが、しかしオーロックの決意は揺るがなかった。 自分の時代はもうとっくに終わった。新聞を見てみなさい。私の出るホラー映画なんかよりも、よっぽど恐ろしい事件が現実に起きているじゃないか。そう言って、L.A.市内のドライブイン・シアターで予定されているプレミア上映のゲスト登壇もキャンセルしようとしたオーロックだったが、しかし映画監督として才能も将来性もある若者サミーの顔を立てるため、娘のように可愛がっている中国人の秘書ジェニー(ナンシー・シュエ)と共に会場へ向かうことにする。 一方、ベトナム帰還兵の平凡な若者ボビー・トンプソン(ティム・オケリー)は、人知れず深刻な悩みを抱えていた。働き者で心優しい妻に恵まれ、同居する両親のことも敬う優等生のボビーだが、その一方で拳銃やライフルのコレクションに執着しており、自らの内側で沸々と湧き上がる殺人衝動に言いようのない不安を感じていたのだ。家族にも相談できず思いつめた彼は、ある朝突然、愛する妻と母親、そして運悪く居合わせた宅配人の若者を射殺し、父親と兄へ向けた遺書を残して自宅を後にするのだった。 車へ積み込んだ荷物には複数の銃器と大量の銃弾。高速道路沿いのガスタンクに上って陣取った彼は、行き交う自動車のドライバーたちを次々と射殺していく。しかし、ほどなくしてパトカーや白バイ警官が到着したため、慌ててL.A.市内を車で逃亡したボビーは、たまたま迷い込んだドライブイン・シアターで次なる凶行を計画する。そう、バイロン・オーロックの新作映画が上映されるプレミア会場だ。スクリーンの裏側に忍び込み、着々と準備を整えるボビー。やがて周辺では夜の帳が下り、ゲストのオーロックも到着。映画の上映が始まると、ボビーは駐車場に並んだ観客の車に向かって次々と発砲する…。 まさしく現代アメリカの深刻な病理を抉り出した問題作。ごくごく当たり前の日常を過ごしていた平凡な若者が、いきなり明確な理由もなく見知らぬ人々へ銃口を向ける。劇中に映し出される1枚の写真は、ボビーがベトナム帰還兵であることを示唆しているが、果たして彼が凶行に及んだのは戦争のPTSDに起因する殺人衝動のせいなのか。それとも、日々新聞やテレビで凶悪犯罪の報道を目にして、その影響で倫理観がぶっ壊れてしまったからなのか。その真意は図りかねるものの、少なくとも銃器が誰でも容易に手に入るような環境でなければ、このような惨劇は起き得なかったはずだ。 怪奇俳優オーロックが「自分の時代は終わってしまった」と嘆くのも無理からぬこと。映画のラストで彼は「これが現実なのか」と呟くが、ボグダノヴィッチ監督曰く、ここでの「現実」とは「恐怖」の暗喩だという。要するに、現実の恐怖が虚構を超えてしまったことに、古き良き恐怖映画を体現する老人オーロックは愕然とするのである。これは21世紀の今もなお解決されることのない、アメリカの銃社会に警鐘を鳴らした先駆的な映画。本作の劇場公開直前に、マーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・ケネディ議員が相次いで銃殺されたのも実に皮肉な話だ。タランティーノ監督が本作について、「社会批判の要素を内包したスリラーではなく、スリラーの要素を内包した社会批判だ」と評したのは誠に正しいと言えよう。 恩師コーマンから受け継いだ低予算映画ならではの秘策とは? 2つのプロットを交互に描いていくにあたって、ボグダノヴィッチ監督はオーロック側の世界をレッドやブラウンやベージュなどの暖色系で、ボビー側の世界をホワイトやブルーやパープルなどの寒色系で統一。今はどちらの世界なのかをひと目で分かるようにすることで、観客が混乱をきたさないように細心の注意が払われている。さらに、あえて音楽スコアを一切使わず、映像だけで登場人物の感情を表現することに努めた。もちろん、音楽スコアの制作に割くだけの予算がなかったという事情もある。劇中で使用されるBGMはラジオから流れてくる音楽だけ。それ以外は生活音や環境音が音楽の代わりとなり、スクリーンには映らない周辺の出来事までも見る者に想像させ、ストーリーの奥行きと広がりをより大きなものにしている。アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(’54)をヒントにしたそうだが、限られた時間と資材で撮影せねばならない低予算映画にとって、これは非常に有効な手法だ。 低予算映画ならではの経費節減策といえば、当局の許可を得ないゲリラ撮影もその代表格。ロジャー・コーマンもゲリラ撮影が得意だったが、その愛弟子ボグダノヴィッチも師匠に倣い、高速道路での銃乱射シーンおよび市内の逃走シーンなどでゲリラ撮影を敢行している。そもそも、高速道路での撮影は法律で禁じられており、付近での撮影はおろか高速道路にカメラを向けることすらご法度だったという。なので、たとえ申請したとしても許可は下りない。そうとなれば無許可で勝手に撮るしかなかろう。テキパキと素早く撮影するため、現場での録音も一切なし。道路を行き交う車の音はもちろんのこと、コーラの蓋を開ける音も炭酸がはじける音も、ライフルを構えて照準を合わせるボビーの息遣いの音まで含め、高速道路の銃乱射シーンは全て後から音響効果で処理をされている。あまりにも自然なので誰もが驚くはずだ。ちなみに、たまたま現場を通りがかったパトカーや白バイも、そのままカメラに収めて使用している。 さらに、プロのエキストラを動員する予算も足りないため、スタッフやその家族はもちろんのこと、無料で出てくれる友人やそのまた友人もめいっぱいかき集めたという。例えば、高級レストランのシーンでボリス・カーロフの肩越しに見える別テーブルの男性客は、『理由なき反抗』(’55)や『ジャイアンツ』(’56)などで有名な俳優サル・ミネオ。高速道路で撃たれるドライバーの中には、『風と共に去りぬ』(’39)などの製作者デヴィッド・O・セルズニクの次男ダニエルの姿もある(オープンカーを運転する男性)。車から飛び出して助けを求める女性は俳優ロバート・ウォーカー・ジュニアの奥さん。ドライブイン・シアターの受付の若者は、本作の助監督も務めたフランク・マーシャル(後のスピルバーグ映画のプロデューサー)だ。ボビーのターゲットになる観客の中には、今もハリウッド大通りで営業する映画関連書籍の専門書店ラリー・エドモンズのオーナー夫妻やフランク・マーシャルの両親なども含まれている。 殺人犯ボビー役のティム・オケリーは本作が初の大役だった若手俳優。クリーンカットのオールアメリカン・ボーイといった雰囲気は役柄にピッタリだし、モデルとなったチャールズ・ホイットマンにも容姿が似ている。新人映画監督サミー・マイケルズは、当初はボグダノヴィッチ監督の友人ジョージ・モーフォゲンを起用する予定だったが、都合が折り合わなかったためボグダノヴィッチ自身が演じることとなった。劇中ではテレビで放送されているハワード・ホークス監督の『光に叛く者』(’31)を見て、サミーが「回顧上映で見たことがある」というセリフが出てくるが、実際にボグダノヴィッチはニューヨーク近代美術館のハワード・ホークス回顧上映を企画したことがあるし、その際にホークスとのロング・インタビューも行っている。必ずしも彼自身をモデルにした役柄ではないものの、重なり合う部分が少なからずあることは間違いないだろう。 ちなみに、サミー・マイケルズという役名は、映画監督サミュエル・フラーの本名サミュエル・マイケル・フラーから取られている。というのも、ボグダノヴィッチは友人でもあったフラー監督に本作の脚本を書き直して貰っているのだ。その際、クレジットに名前を出すことを申し出たボグダノヴィッチに対して、フラーは「これは君の書いた脚本だ。私の名前を出す必要はない」と辞退したという。そんな謙虚で懐の深い大先輩へのオマージュとして、監督役に彼の本名を使ったのである。 とはいえ、やはり『殺人者はライフルを持っている』はボリス・カーロフの映画である。実際、ボグダノヴィッチはカーロフ本人をモデルにしてバイロン・オーロックという役柄を書き上げた。ただし、カーロフ自身は俳優を引退する気などさらさらなかったのだが。ご存知の通り、もともとはギャング映画などの悪役俳優だったカーロフ。先述した『光に叛く者』はその出世作だったのだが、しかし彼に真の名声をもたらしたのは、空前の大ヒットを記録した主演作『フランケンシュタイン』をはじめとする一連のホラー映画群だった。 「これ以上老醜を晒したくない」と漏らす劇中のオーロックだが、演じるカーロフ自身も当時は両脚が湾曲したうえに呼吸も困難。歩くことすらままならないため、歩行ギプスを付けて撮影に臨んでいたという。晩年は低予算のB級・C級映画への出演が多く、オーロック同様に半ば過去の人となっていたカーロフだが、本作での芝居を見ると彼が怪奇映画俳優の枠に収まることのない、ストレートなドラマ映画も十分いける正統派の名優だったことがよく分かる。サマセット・モームの短編「サマラの約束」を独り語りするシーンなどは実に見事!撮影が終わると共演者やスタッフから感動の拍手が沸き起こり、その様子に同席したカーロフ夫人は涙を流して喜んだそうだが、長いキャリアの最晩年に本作のような映画に出会えたことは、カーロフにとって少なからぬ幸運だったのではないかと思う。■ 『殺人者はライフルを持っている』TM, ® & © 2023 by Paramount Pictures. 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