ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2022.08.08
不屈の精神と魂の自由を謳いあげた戦争映画の傑作『大脱走』
第二次世界大戦下のドイツで本当に起きた大脱走劇 捕虜収容所からの脱走劇を題材にした戦争映画は枚挙に暇ないが、しかしこの『大脱走』(’63)ほど映画ファンから広く愛され親しまれてきた作品は他にないだろう。実際に起きた脱走事件を基にしたリアリズム、史上最大規模と呼ばれる脱走計画を余すことなく再現したダイナミズム、自由を求めて困難に挑戦する勇敢な男たちの熱い友情を描いたヒロイズム。『OK牧場の決斗』(’57)や『老人と海』(’58)、『荒野の七人』(’60)などの名作で、不屈の精神を持った男たちを描き続けたジョン・スタージェス監督だが、恐らく本作はその最高峰に位置する傑作と言えよう。 舞台は第二次世界大戦下のドイツ。脱走困難とされる「第三空軍捕虜収容所」に、ドイツの捕虜となった連合軍の空軍兵士たちが到着する。彼らの共通点は脱走常習者であること。実は、当時のドイツ軍は頻発する捕虜の脱走事件に頭を悩ませていた。なにしろ、逃げた捕虜を捜索するためには貴重な時間と人員を割かねばならない。かといって、戦争に勝つことを考えれば敵兵を逃がして本隊へ戻すわけにはいかないし、ジュネーブ条約で捕虜の保護が義務付けられているので処刑するわけにもいかない。そこでドイツ空軍は脱走常習者だけを一か所に集めて厳しい監視下に置き、なるべく余計な手間を減らそうと考えたのである。 とはいえ、集まったのはいわば「脱走のプロ」ばかり。しかも、ナチス親衛隊やゲシュタポに比べるとドイツ空軍は良識的で、規則を破った捕虜への懲罰も比較的甘い。そのため、到着早々から脱走を試みる者が続出。フォン・ルーガー所長(ハンネス・メッセマー)から自重を求められた捕虜リーダーのラムゼイ大佐(ジェームズ・ドナルド)も、脱走によって敵軍を混乱させるのは兵士の義務だと言って突っぱねる。 それからほどなくして、「ビッグX」の異名を取る集団脱走計画のプロ、ロジャー・バートレット(リチャード・アッテンボロー)が収容所に連行されてくる。にわかに色めき立つ捕虜たち。目ぼしい英国空軍メンバーを一堂に集めたバートレットは、収容所の外へ繋がるトンネルを3カ所掘って、なんと一度に250名もの捕虜を脱走させるという壮大な計画を発表する。 トンネルの掘削に必要な道具を作る「製造屋」にオーストラリア人のセジウィック(ジェームズ・コバーン)、実際に掘削作業を請け負う「トンネル王」にポーランド人のダニー(チャールズ・ブロンソン)、資材を調達する「調達屋」にアメリカ人のヘンドリー(ジェームズ・ガーナー)、掘削作業で出た土を処分する「分散屋」にエリック(デヴィッド・マッカラム)、身分証などの書類を偽造する「偽造屋」にコリン(ドナルド・プレザンス)、収容所内の情報を収集する「情報屋」にマック(ゴードン・ジャクソン)といった具合に担当者を決め、捕虜たちは前代未聞の大規模脱走計画を着々と進めることとなる。 一方、彼らとは別に脱走計画を試みるのが一匹狼のアメリカ兵ヒルツ(スティーヴ・マックイーン)。何度も脱走を繰り返しては独房送りになるため通称「独房王」と呼ばれる彼は、その独房で隣同士になったアイヴス(アンガス・レニー)と組んで単独脱走を試みようとしていたのだ。それを知ったバートレットたちは、単独脱走が成功したらわざと捕まって収容所へ戻り、外部の情報を教えて欲しいとヒルズに頼む。というのも、集団脱走計画を成功させるためには逃走経路の確保も必須だが、しかし収容所内からは外の様子がよく分からないからだ。 当然ながら、この無茶な依頼を一旦は断ったヒルズ。ところが、その後トンネルのひとつが看守に発見されてしまい、ショックを受けて錯乱したアイヴスが立ち入り禁止区域に入って射殺されたことから、考えを改めたヒルツはバートレットらに協力することにする。こうしてヒルツの持ち帰った外部情報をもとに計画を進めた捕虜たちは、’44年3月24日に前代未聞の大規模な集団脱走を実行に移すのだが…? 各スタジオから企画を断られ続けた理由とは? 原作は実際に第三空軍捕虜収容所の捕虜だった元連合軍パイロット、ポール・ブリックヒルが執筆した同名のノンフィクション本。彼自身は実際に脱走しなかったものの、しかし計画そのものには加わっていた。’50年に出版されて大評判となった同著の映画化を、かなり早い時期から温めていたというジョン・スタージェス監督。当時MGMと専属契約を結んでいた彼は、最初に社長のルイス・B・メイヤーのもとへ企画を持ち込んだものの、「物語が複雑すぎるうえに予算がかかりすぎる」として断られたという。 その後独立してからも、あちこちの映画スタジオやプロデューサーに相談したが、スタージェス曰く「どこでも話を逸らされておしまいだった」らしい。最大のネックとなったのは、脱走した主要登場人物の大半が死んでしまうこと。気持ちの良いハッピーエンドがお約束だった当時のハリウッド映画において、この種のほろ苦い結末は観客の反発を招きかねないため、確かにとてもリスキーではあったのかもしれない。また、映画に華を添える女性キャラが存在しないこともマイナス要因だったそうだ。 風向きが変わるきっかけとなったのは、黒澤明監督の『七人の侍』(’54)をスタージェス監督が西部劇リメイクした『荒野の七人』。これが予想を上回る大ヒットを記録したことから、同作の製作を担当したミリッシュ兄弟およびユナイテッド・アーティスツは、いわばスタージェス監督へのご褒美として『大脱走』の企画にゴーサインを出したのだ。予算はおよそ400万ドル(380万ドル説もあり)。同年公開された戦争映画大作『北京の55日』(’63)の約1000万ドル、コメディ大作『おかしなおかしなおかしな世界』(’63)の約940万ドルと比べてみると、実はそれほど高額な予算ではなかったことが分かるだろう。 それゆえ、当初はカリフォルニアのパームスプリングス近郊を、戦時中のドイツに見立ててセットを組むという計画もあったらしい。ところが、組合の規定によってエキストラでもプロを雇わねばならず、そのため現地で人材調達をすることが出来ない。それではあまりに不経済であることから、やはりドイツが舞台ならドイツで撮影するのが理に適っているということで、ミュンヘン郊外のバヴァリア・スタジオで撮影することになったという。ちょうどスタジオの周囲も実際の収容所と同じく森に囲まれているし、大勢のエキストラも近隣の大学生を安く雇うことが出来た。収容所の屋外セットは400本の木を伐採し、森の中に空き地を作って建設したという。ちなみに、撮影終了後は倍に当たる800本の木の苗を新たに植えたそうだ。 撮影の準備で最大の難問だったのは、この第三空軍捕虜収容所のセットをどれだけ忠実に再現できるかということ。本来ならば実際に現地へ赴いて参考にすべきところだが、しかし収容所のあったザーガン(現ジャガン)周辺は戦後ポーランド領となり、当時は東西冷戦の真っ只中だったため視察が難しかった。現存する写真資料だけでは心もとない。そこで白羽の矢が立てられたのは、実際に脱走計画でトンネル掘削を担当した元捕虜ウォリー・フラディだった。劇中ではブロンソン演じるダニーのモデルとなった人物である。製作当時、母国カナダで保険会社重役となっていたフラディは、本作のテクニカル・アドバイザーとして招かれセット建設に携わり、捕虜収容所の外観だけでなくトンネルの中身まで、限りなく正確に再現したという。 豪華な名優たちの共演も大きな魅力 その一方で、史実を大幅にアレンジしたのは脚本。まあ、こればかりは仕方ないだろう。なにしろ、本作はドキュメンタリーではなくエンターテインメントである。なによりもまず、映画として面白くなくてはならない。脚本は映画『アスファルト・ジャングル』(’50)の原作者として有名な作家W・R・バーネットが初稿を仕上げ、戦時中に捕虜だった経験のあるイギリス人作家ジェームズ・クラヴェル(ドラマ『将軍 SHOGUN』の原作者)が英国軍人の描写に信ぴょう性を与えるためリライトを担当したそうだが、しかし最終的にはスタージェス監督自身が現場でどんどん書き直してしまったらしい。また、『ジャイアンツ』(’56)の脚本家として知られるアイヴァン・モファットもノークレジットで参加しているが、その件については改めて後述したいと思う。 実際にトンネルを抜けて捕虜収容所の外へ出たのは79名。そのうち3名が現場で捕らえられ、76名がいったんは逃げおおせたものの、しかし最終的に脱走に成功したのは3名だけで、再び捕虜となった73名のうち50名が見せしめのためゲシュタポによって処刑された。こうした動かしがたい事実をそのままに、脱走計画の詳細などもなるべく事実に沿って描きつつ、映画らしいアクションとサスペンスの要素をふんだんに盛り込んだ、ハリウッド流のエンターテインメント作品へと昇華させたスタージェス監督。そのほろ苦い結末にも関わらず、意外にも自由でポジティブなエネルギーに溢れているのは、やはり彼独特の揺るぎない反骨精神が物語の根底を支えているからなのだろう。 確かに脱走した捕虜の大半は処刑され、生き残った者も3名を除いて再び捕虜となってしまうが、しかしそれでもなお彼らは希望を棄てない。なぜなら、ナチスは彼らの身体的な自由を奪うことは出来ても、魂の自由まで奪うことは出来ないからだ。いわば独裁的な権力に対して、堂々と中指を立ててみせる映画。本作が真に描かんとするのは、権力の弾圧や束縛に決して屈しない強靭な精神の崇高さだと言えよう。だからこそ、あのクライマックスに魂の震えるような感動を覚えるのである。 『荒野の七人』でもスタージェス監督と組んだマックイーンにコバーン、ブロンソンをはじめ、英米独の名優たちがずらりと顔を揃えた豪華キャストの顔ぶれも素晴らしい。中でも、コリン役のドナルド・プレザンスは実際に第二次大戦で連合軍の爆撃隊にパイロットとして加わり、第三空軍捕虜収容所の近くにあった第一空軍捕虜収容所に収容されていたという経歴の持ち主。集団脱走計画に加わったこともあったという。また、調達屋ヘンドリー役のジェームズ・ガーナーも、朝鮮戦争へ従軍した際に部隊内の調達役を任されていたそうだ。この2人の熱い友情がまた感動的。ただし、彼らが飛行機で逃亡を試みるというプロットは本作独自のフィクションだという。 ほかにも魅力的な役者がいっぱいの本作だが、しかしテーマとなる「不屈の精神」を最も象徴的に体現しているのは、独房王ヒルツ役のスティーヴ・マックイーンだろう。表向きはクールな一匹狼だが、しかし内側に熱い闘志を秘めた生粋の反逆児。ただ、そんなヒルツも当初は単なるアウトサイダー的な描かれ方をしており、そのため撮影途中でラフ編集版を見たマックイーンは憤慨して席を立ってしまったらしい。おかげで撮影も一時中断することに。そこでスタージェス監督はマックイーンの意見を取り入れて脚本をブラッシュアップすべく、ハリウッドから脚本家アイヴァン・モファットを招いたというわけだ。オープニングでヒルツが立ち入り禁止区域にボールを投げ込むシーンは、その際に書き足された要素のひとつだったという。 やはり最大の見せ場は終盤のバイク逃走シーン。もちろん、これも映画オリジナルのフィクションである。大のオートバイ狂だったマックイーン自身がスタントも兼ねているが、しかしジャンプ・シーンなどの危険なスタントは保険会社の許可が下りなかったため、マックイーンの友人でもあるバイクスタントマンのバド・イーキンズがスタントダブルを担当。実は、ヒルツをバイクで追跡するドイツ兵の中にもマックイーンが紛れ込んでいるらしい。これぞまさしく映画のマジック(笑)。本当にバイクが好きだったんですな。 ちなみに、実際の集団脱走劇に加わったのは主にイギリス人やカナダ人の空軍兵士たちで、アメリカ人は脱走計画の準備にこそ参加したものの、しかし計画が実行される前に他の収容所へと移送されていたらしい。だが、最重要マーケットであるアメリカでのセールスを考えれば、有名ハリウッド俳優のキャスティングは必要不可欠。そもそも本作はハリウッド映画である。そのため、劇中では米兵の移送がなかったことに。主要キャラクターについても、一部はモデルとなった特定の人物がいるものの、それ以外は複数の人物をミックスした架空のキャラクターで構成された。また、捕虜たちが脱走計画に必要な物資を調達する方法に関しても、実際は英米の諜報機関が外部から協力していたらしいのだが、機密情報に当たるとして劇中では詳細が一部省かれている。■ 『大脱走』© 1963 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC. AND JOHN STURGES. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2022.08.04
ハリウッドの反逆児デニス・ホッパーによるフィルム・ノワールへのオマージュ『ホット・スポット』
‘80年代半ばから静かに盛り上がったネオ・ノワール映画ブーム 名優デニス・ホッパーが監督を手掛けたネオ・ノワール映画である。かつて’40年代半ば~’50年代にかけて黄金時代を迎えた犯罪映画のサブジャンル、フィルム・ノワール。ローキー照明で明暗のコントラストを強調し、トリッキーなカメラアングルや悪夢的なイメージを多用するなど、ドイツ表現主義の影響を色濃く受けたスタイリッシュなモノクロ映像が特徴的な当時のノワール映画群は、犯罪の世界を通してアメリカ社会や人間心理のダークサイドをシニカルな視点で見つめ、『深夜の告白』(’44)や『ローラ殺人事件』(’44)、『ギルダ』(’46)、『裸の街』(’48)、『アスファルト・ジャングル』(’50)、『黒い罠』(’58)などの名作を生んだわけだが、しかし’60年代に入ると急速に衰退してしまう。これは恐らく、ケネディ大統領暗殺やベトナム戦争の激化によって、映画よりも実際のアメリカ社会の方が暗くなってしまったからかもしれない。 そんなフィルム・ノワールのジャンルが再び台頭したのは’70年代に入ってからのこと。やはりきっかけはロマン・ポランスキーの『チャイナタウン』(’74)であろう。これが大ヒットしたことによって、『さらば愛しき女よ』(’75)や『ザ・ドライバー』(’78)などのノワール映画が注目を集めたのである。こうした作品は古典的なノワール映画の重要なエッセンスを継承しつつ、時代に合わせたテーマやカラー映画の特性を生かした映像スタイルなどのアップデートが施されたことから、古き良きモノクロのノワール映画とは区別してネオ・ノワール映画と呼ばれる。 さらに『アメリカン・ジゴロ』(’80)や『白いドレスの女』(’81)、『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(’81)の相次ぐ大成功によって、ネオ・ノワール映画はハリウッドのメインストリームに。特に’80年代半ば~’90年代初頭は同ジャンルの全盛期だった。『白と黒のナイフ』(’85)に『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(’85)、『ブルーベルベット』(’86)、『エンゼル・ハート』(’87)、『ブラック・ウィドー』(’87)、『フランティック』(’88)、『ブラック・レイン』(’89)に『シー・オブ・ラブ』(’89)、『グリフターズ/詐欺師たち』(’90)、『氷の微笑』(’92)などのネオ・ノワール映画が商業的な成功を収め、『大時計』(’48)が元ネタの『追いつめられて』(’87)や『都会の牙』(’50)が元ネタの『D.O.A.』(’88)など、往年の古典的ノワール映画のリメイクもこの時期に相次いだ。『チャイナタウン』の続編『黄昏のチャイナタウン』(’90)が作られたのも象徴的であろう。 また、MTVブームによって火の付いたミュージック・ビデオには、ノワール映画のスタイリッシュなビジュアルに影響を受けたものが多かった。『特捜刑事マイアミ・バイス』(‘84~’89)や『ツイン・ピークス』(‘90~’91)といったテレビ・シリーズのヒットも、ネオ・ノワール映画人気の副産物だったように思う。その『特捜刑事マイアミ・バイス』でブレイクした俳優ドン・ジョンソンが主演を務め、『ブルーベルベット』でキャリア復活したデニス・ホッパーが監督した本作もまた、こうしたトレンドの申し子的な作品だったと言えるだろう。 観客を映画の世界へと引きずり込むミステリアスなムード それは、とある暑い夏の日のこと。南部テキサス州の田舎町にハリー・マドックス(ドン・ジョンソン)という謎めいた流れ者がやって来る。ジョージ・ハーショウ(ジェリー・ハーディン)の経営する中古車販売店のセールスマンとして雇われた彼は、同店で事務員として働く19歳の清楚な美女グロリア(ジェニファー・コネリー)に惹かれるのだが、その一方でハーショウの若く妖艶なトロフィー・ワイフ、ドリー(ヴァージニア・マドセン)の誘惑にも抗えず、いつしかドリーとの激しい情事に溺れていく。 そんな折、中古車販売店の近くで火事が発生し、ハリーは町の銀行に勤める職員が消防士を兼ねていることを知る。そこで彼は空きビルに時限発火装置を仕掛けて火災を起こし、職員が出払っている隙を狙って銀行強盗を決行。留守番をしている支店長ウォード(ジャック・ナンス)を縛り上げ、まんまと大金を強奪することに成功する。何食わぬ顔をして消火活動を手伝うハリーだったが、誰もいないはずのビルに人が残されていたことから救助に向かい、かえって警察から怪しまれてしまう。保安官(バリー・コービン)に逮捕されて尋問を受けるハリー。しかし、警察に入ったアリバイ証言の通報で釈放される。証言主はドリー。ハリーが銀行強盗犯であることに気付いていた彼女は、これをネタに夫殺しを持ち掛けて来るものの、さすがのハリーも殺人は躊躇するのだった。 一方、ハリーはグロリアが町はずれに住むチンピラ、フランク・サットン(ウィリアム・サンドラー)に脅迫されていることを知る。かつてグロリアにはアイリーン(デブラ・コール)という姉妹同然の親友がいたのだが、学校の女教師と同性愛の関係にあったことをネタにサットンから脅迫され自殺していた。そしてグロリア自身もまた、アイリーンと全裸で川遊びしている姿をサットンに盗撮され、その写真をネタに金銭を要求されていたのだ。グロリアと本気で愛し合うようになっていたハリーは、サットンのもとへ乗り込んで彼に暴行を加え、脅迫をやめさせようとしたところ、勢い余って殺害してしまう。そこでハリーは銀行から奪った金を彼の自宅に仕込み、サットンを犯人に仕立てて警察の目を欺き、愛するグロリアを連れてカリブへ高跳びしようと目論むのだったが…? まるで’50年代で時の止まったような古き良きアメリカの田舎町。その裏側で秘かに蠢く犯罪の影、曰くありげなヒーローに怪しげなファムファタール、掴み損ねた夢とほろ苦い結末。ホッパーが出演した『ブルーベルベット』ともどことなく相通じる、古典的なフィルム・ノワールの香りがプンプンと漂う。むせかえるように暑いアメリカ南部の気だるい昼下がりと、ブルーやピンクの鮮烈なカラー照明に彩られた夜間シーンの対比が、およそ非現実的でミステリアスなムードを醸し出し、見る者を否応なく映画の世界へと誘っていく。冒頭で砂漠の向こうから車で現れた主人公ハリーが、再び車に乗って蜃気楼の向こうへと去っていくラストも非常に寓話的だ。 監督としての前作『ハートに火をつけて』(’89)でもノワーリッシュな世界に挑んだホッパーだが、長回しを多用したスローなテンポやスタイルを重視した様式美的な演出を含め、本作はより本格的で洗練されたネオ・ノワール映画に仕上がっている。マイルス・デイヴィスやタジ・マハール、ジョン・リー・フッカーら豪華ミュージシャンを演奏に迎えた、ジャック・ニッチェのブルージーで激渋な音楽スコアも最高。若い頃に俳優として、ニコラス・レイやヘンリー・ハサウェイといったノワール映画の名匠たちとも仕事をしていたホッパーにとって、これはそうした偉大なる先人たちへのオマージュでもあったように思う。初監督作『イージー・ライダー』(’69)でニューシネマの時代の到来を決定づけたハリウッドの反逆児が、リアルタイムでは一部を除き低予算のB級映画として過小評価されがちだったフィルム・ノワールに敬意を表するのは、ある意味で必然だったと言えるかもしれない。 撮影の始まる3日前に脚本が丸ごと差し替え! ただし本作、実はもともとデニス・ホッパーの企画ではなかったという。原作はアメリカのハードボイルド作家チャールズ・ウィリアムズが、’53年に発表したパルプ小説「Hell Has No Fury」。’81年に再出版された際に「The Hot Spot」と改題されている。当初監督する予定だったのは、後に『リービング・ラスベガス』(’95)でオスカーを席巻するイギリス出身のマイク・フィギス。母国で撮ったネオ・ノワール映画『ストーミー・マンデー』(’88)で注目され、当時ハリウッド進出を準備していたフィギスだったが、何らかの理由で本作を降板することとなり、『背徳の囁き』(’90)でハリウッド・デビューしている。その後釜として起用されたのがホッパーだったというわけだ。主演のドン・ジョンソンによると、脚本もフィギスの書いたものが既に存在していたが、しかし撮影の3日前になって突然、ホッパーから新しい脚本がキャスト全員に配られたらしい。 その新しい脚本というのが、原作者のウィリアムズ自身がノラ・タイソンと共同で脚色を手掛けたもの。少なくとも’62年には完成しており、一度はロバート・ミッチャム主演で映画化も企画されたそうだが、結局お蔵入りになったまま長いこと放置されていた。それをホッパーが引っ張り出してきて、銀行強盗に焦点を当てたフィギスの脚色と丸ごと差し替えたのである。撮影直前に脚本の内容が加筆修正されるなどはよくある話だが、しかし同じ小説を基にしているとはいえ、全く新しい脚本に変更されるというのは恐らく稀なケースであろう。 キャストには『特捜刑事マイアミ・バイス』の最終シーズンを撮り終えたばかりのドン・ジョンソンに加え、ヴァージニア・マドセンにジェニファー・コネリーという当時売れっ子の若手スター女優を配役。中でも白眉なのは、美しくも堕落したファムファタール、ドリーを演じているヴァージニアであろう。ネオ・ノワール映画『スラム・ダンス』(’87)でも悪女役に挑んだヴァージニアだが、本作では何不自由のない田舎暮らしに退屈して刺激を求める裕福な若妻を、少々大袈裟とも思えるような芝居で演じている。この「過剰さ」こそが実はキモであり、ある種の非現実的で悪夢的な本作のトーンを、ドリーという背徳的なバービードールが体現しているのだ。この役を演じるにあたって、『深夜の告白』のバーバラ・スタンウィックをお手本にしたというヴァージニア。劇中で着用するアンクレットもスタンウィックを真似したのだそうだ。 一方のジェニファー・コネリーは、往年のノワール映画であればテレサ・ライトやアン・ブライスが演じたであろう清楚な隣のお嬢さんグロリア役。当初、ホッパーはユマ・サーマンを候補に挙げていたらしいが、しかし『ダルク家の三姉妹』(’88)を見て一目惚れしたジェニファーに白羽の矢を当てたという。そういえば、本作の撮影監督ウエリ・スタイガーも、『ダルク家の三姉妹』がきっかけで起用したのだそうだ。なお、本作はヴァージニアとジェニファーがヌード・シーンを披露したことでも話題になったが、2人とも後姿の全身ショットはボディダブルを使っている。 ちなみに、主なロケ地となったのはテキサス州の田舎町テイラー。ここは本作の撮影から30年以上を経た今でもまだ’50年代の面影を残しているそうで、古き良きアメリカの田舎を体現するにはうってつけの町だったようだ。また、一部のシーンは州都オースティンでも撮影。例えば、ストリップ・クラブの外観はテイラーで現在も営業するメキシコ料理店を使用しているが、その内部はオースティン近郊に当時実在した「レッドローズ・クラブ」というストリップ・クラブで撮影されている。また、ジェニファー演じるグロリアが暮らす閑静な住宅街もオースティン近郊。よく見ると、隣家の軒先に日本の旭日旗が掲げられているが、当時のオースティンには日系人住民が多かったらしい。■ 『ホット・スポット』© 1990 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2022.07.11
ホラー映画文化とそのファンへ大いなる愛を込めた吸血鬼映画の傑作!『フライトナイト』
自身も熱烈なホラー映画ファンだったトム・ホランド監督 ハリウッドが空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代。ジェイソンにフレディにマイケル・マイヤーズにレザーフェイスなどなど、数々の血に飢えた連続殺人鬼がスクリーンを縦横無尽に暴れ回り、日進月歩で進化する特殊メイク技術を駆使した血みどろの残酷描写がファンを大いに沸かせた。その一方で、吸血鬼ドラキュラやフランケンシュタインの怪物やミイラ男といった、いわゆる古典的なホラー・モンスターは半ば絶滅の危機にあったと言えよう。唯一の例外は狼人間。『狼男アメリカン』(’81)でリック・ベイカーが披露した狼男の変身シーンは特殊メイクの世界に革命を巻き起こし、同じ年に公開された『ハウリング』(’81)と並んで人狼映画リバイバルの起爆剤となった。 それに対して、かつてホラー・モンスターの王様だった吸血鬼は、せいぜいコメディ映画でパロディにされるくらいが関の山。『ザ・キープ』(’83)や『スペース・バンパイア』(’85)のように変化球的な作品もあったが、しかし正統派の吸血鬼映画とは一線を画していた。そうした中、古典的な吸血鬼を現代風にアップデートし、誰も予想しなかったサプライズ・ヒットを記録した作品が『フライトナイト』(’85)だった。 産みの親は『チャイルド・プレイ』(’88)でもお馴染みのトム・ホランド監督。俳優としてキャリアをスタートしたホランドは、映画監督を志してまずは脚本家へと転身。カルト的な人気を誇るテレビ映画『のろわれた美人学生寮』(’78)が評判となり、リチャード・フランクリン監督の『サイコ2』(’83)の脚本で高い評価を得たホランドだったが、しかしマイケル・ウィナー監督の『Scream For Help』(’84・日本未公開)で脚本をズタズタにされてしまったことから、自分の書いたオリジナル脚本を自分自身の手で忠実に映画化したいと考えるようになる。 予てより、古典的ホラー・モンスターを現代に復活させたいと願っていたホランド監督。元ネタとなったのは、ある時思い浮かんだ「ホラー映画ファンの高校生が、隣家の住人が本物の吸血鬼であることに気付く」というアイディアだ。これは面白い映画になる!と思ったものの、しかしそこから1年近くもストーリーを発展させることが出来なかった。そこでホランドは「こういう場合に高校生の少年だったらどうするだろう?」と考える。恐らく周囲の大人に訴えても信じてもらえないはずだ。ならば誰に相談する?そこで彼は突然ひらめいたという。そうだ!ヴィンセント・プライスだ!と(笑)。こうして生まれたのが、ホランドにとって永遠の憧れであるピーター・カッシングとヴィンセント・プライスの名前を合体させた、ピーター・ヴィンセントというキャラクターだった。そう、トム・ホランド監督自身が、実は主人公の少年と同じく熱狂的なホラー映画ファンだったのだ。 アメリカのホラー映画文化に欠かせない「ホラー・ホスト」とは? アメリカの小さな田舎町に住む平凡な高校生チャーリー・ブリュースター(ウィリアム・ラグズデール)は、毎週金曜日の深夜にテレビで放送されるホラー映画番組「フライトナイト」を欠かさず見ている大のホラー映画ファン。ある晩彼は、長いこと空き家だった隣家に新しい住人が引っ越してきたことに気付くのだが、しかしよく見ると地下室に棺桶を運び込んでいた。ちょっと不思議に思うものの、その時は大して気にしなかったチャーリー。しかし、その日から町の周辺で若い女性の変死体が発見されるようになり、ニュース報道で犠牲者の顔写真を見たチャーリーは思わず目を疑う。前日に隣家を訪れたコールガールだったのだ。 新しい住人はジェリー・ダンドリッジ(クリス・サランドン)とビリー・コール(ジョナサン・スターク)の男性2人。しかし、ジェリーは日中ずっと留守にしているようだ。どう考えても怪しい。夜になって自室から隣家を覗き見にしていたチャーリーは、ダンドリッジが若い女性の血を吸おうとしている様子を目撃してしまう。あれは絶対に吸血鬼だ!そう確信したチャーリーは母親や警察に訴え出るも信じてもらえず、恋人エイミー(アマンダ・ビアース)や筋金入りのホラー映画マニアである親友エド(スティーブン・ジェフリーズ)から心配されてしまう。一方、正体がバレたことに気付いたダンドリッジは、これ以上ことを荒立てると殺すぞとチャーリーを脅迫。窮地に追い込まれたチャーリーが、最後の頼みの綱として相談したのは、テレビ「フライトナイト」のホスト役ピーター・ヴィンセント(ロディ・マクドウォール)だった。 吸血鬼ハンターを名乗っているヴィンセントだが、もちろんあくまでも番組内の設定であり、実際は落ちぶれた往年のホラー映画スターに過ぎない。しかも、視聴率不振で番組をクビになってしまった。ドラキュラだのフランケンシュタインだのといった、ヴィンセントが愛する古き良きホラー・モンスターはもう時代遅れなのだ。最初はチャーリーの訴えを真に受けず、大人をからかうのもいい加減にしなさいと突き放したヴィンセント。しかし、エイミーとエドから「チャーリーを正気に戻したい」と相談され、現金と引き換えに一肌脱ぐこととなる。番組の小道具である吸血鬼ハンター・グッズを使って、ダンドリッジが吸血鬼ではないことをチャーリーの目の前で証明しようというのだ。ところが、実際にチャーリーたちを連れてダンドリッジの屋敷を訪れたヴィンセントは、そこで彼が本物の吸血鬼であることに気付いてしまう…! 本作のことを「古き良きホラー映画とそのファンへ贈るラブレター」と呼ぶトム・ホランド監督。先述したように大のホラー映画ファンだった彼は、劇中のチャーリーと同じようにテレビのホラー映画番組をこよなく愛していたという。’50年代に古い映画のテレビ放送が始まったアメリカ。予算のないローカル局では、主に権利料の安いB級ホラー映画を毎週金曜の深夜に放送し、ティーンの視聴者から人気を集めた。そうした番組に欠かせなかったのが「ホラー・ホスト」。地元の売れない役者やタレント、局アナなどが、それぞれ独自に考え出したホラー・キャラクターに扮し、番組のプロローグとエピローグで今週のホラー映画を紹介するのだ。エド・ウッド映画にも出演した女吸血鬼ヴァンピラや、歌手デビューまでした妖怪ザッカリーなどがその代表格。’80年代にはエルヴァイラが大ブレイクし、主演映画まで作られた。 アメリカでは子供時代~青春時代にかけて、こうした番組でユニバーサル・モンスター映画やロジャー・コーマン映画、RKOホラーやハマー・ホラーなどの古典を見て育ったというホラー映画マニアがとても多い。もちろん、ホランド監督もそのひとり。主人チャーリーはまさに学生時代のホランド監督であり、その親友エドは当時のホラー映画ファン仲間であり、ヴィンセントは彼らの世代が夢中になったホラー映画番組ホストの象徴なのだ。しかも、’80年代半ば当時はホラー映画マニアが市民権を得始めた時代。今ほどではないにせよ、ファンの祭典であるホラー・コンベンションも増えつつあった。ホラー映画好きを公言しただけで白い目で見られた、ホランド監督の学生時代とは大違い。恐らく感慨もひとしおだったに違いない。これは言わば、脈々と受け継がれるアメリカのホラー映画文化と、それを形成してきたファンへの愛情がたっぷり詰まった作品。それこそが『フライトナイト』の本質的な魅力であり、’11年に作られたリメイク版で決定的に足りなかった点だと言えよう。 新時代の吸血鬼像を作り上げた気鋭の特殊効果チーム そんな本作の魅力を支える最大の功労者は、間違いなくヴィンセント役のロディ・マクドウォールであろう。彼の演じるヴィンセントなくして、本作は成立しなかったと言っても過言ではない。当初、ホランド監督はヴィンセント・プライスにオファーするつもりだったそうだが、しかし当時のプライスは高齢なうえに健康問題を抱えており、それなりの運動量を要求される本作は物理的に不可能だった。そこで浮上したのが、ホランドが脚本に携わった映画『処刑教室』(’82)に出ていたマクドウォールだったという。 ご存知の通り、12歳の時に出演したジョン・フォード監督の名作『我が谷は緑なりき』(’41)でスターダムを駆け上がり、本作の当時すでに40年以上のキャリアを誇っていたマクドウォール。その間に幾度となく浮き沈みを経験していたことから、「ヴィンセントは私そのものだ」と語るほど役柄に深い思い入れを持っていたという。しかも、プライベートでは膨大な数の映画フィルムをコレクションし、古き良き時代のハリウッド映画をこよなく愛した筋金入りの映画マニア。本作に込めたホランド監督の想いを、恐らく誰よりも理解していたに違いない。ちなみに、サイレント時代から同時代まで幅広い映画人と交友関係のあった彼は、週に2回自宅へ友人を招いてパーティを開いていたらしい。ただし、毎週火曜日がストレート向け、金曜日がゲイ向けと分けていたのだとか。ホランド監督や主演のウィリアム・ラグズデールも、そのストレート向けパーティに何度も招待され、そこで憧れのヴィンセント・プライスとコーラル・ブラウンの夫妻に紹介されて舞い上がったそうだ。 このように懐かしい時代へのノスタルジーが込められた作品だが、その一方で古式ゆかしい吸血鬼のイメージを’80年代仕様にアップデートした点も特筆すべきであろう。それまでの映画に出てくる吸血鬼と言えば、顔を青白く塗って牙を付けただけのベラ・ルゴシ型か、もしくは特殊メイクで野獣のように獰猛な顔をしたノスフェラトゥ型のどちらかだったが、本作の吸血鬼ダンドリッジはその両者を合体・進化させたハイブリッド型。普段はセクシーでハンサムな普通の人間だが、しかし血を吸う際には目を光らせて牙が飛び出し、さらに本性を現すと醜悪なノスフェラトゥ型モンスターへと変身する。中でも、当時最先端の特殊メイク技術を駆使して作られたノスフェラトゥ型は、それまでの吸血鬼映画とは比べ物にならないくらいリアルで凶悪だった。 これはやはり、『ポルターガイスト』(’82)や『ゴーストバスターズ』(’84)でもお馴染みのリチャード・エドランド率いる視覚効果&特殊メイク・チームの功績が大きいだろう。中でも、当時まだ駆け出しだったスティーヴ・ジョンソンが素晴らしい仕事をしている。もともとエドランドはリック・ベイカーに声をかけていたのだが、働き過ぎで休みが欲しいことを理由に断られたため、『ゴーストバスターズ』で実力を発揮したジョンソンに白羽の矢を立てたという。そのほか、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作でオスカーに輝くランドール・ウィリアム・クックや、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのケン・ディアスなど、後にハリウッドの大御所となる特殊効果マンたちが名を連ねている。本作で彼らが生み出した新時代の吸血鬼は、その後『ロスト・ボーイ』(’87)や『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(’96)などに受け継がれていくこととなる。■ 『フライトナイト』© 1985 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.07.01
美しい表層の裏に隠された魑魅魍魎を炙り出すデヴィッド・リンチの悪夢的世界『ブルーベルベット』
※下記レビューには一部ネタバレが含まれます。 『砂の惑星』での苦い経験から学んだリンチ監督 1980年代の半ば、映画監督デヴィッド・リンチはキャリアのどん底を経験していた。前衛アーティストして絵画や短編映画を作っていたリンチは、4年の歳月をかけて自主製作した長編処女作『イレイザーヘッド』(’76)がカルト映画として評判となり、アカデミー賞で8部門にノミネートされた名作『エレファント・マン』(’80)にてメジャーデビュー。この成功を受けて、イタリア出身の世界的大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが製作する超大作SF映画『砂の惑星』(’84)の監督に起用されるものの、しかし脚本の準備段階から様々な困難に見舞われる。そのうえ、最終的な編集権がスタジオ側にあったことから勝手な編集が施され、出来上がった映画はリンチ本人にとって不本意なものとなってしまい、結果として批評的にも興行的にも大惨敗を喫してしまったのである。 しかし、この失敗に全く懲りる様子のない人物がいた。金銭的に大損をしたはずのディノ・デ・ラウレンティスである。てっきり見限られたと思っていたリンチだが、そんな彼にデ・ラウレンティスは次回作の話を持ち掛けてきた。以前に見せてもらった脚本、あれは面白いから映画化しようと言われ、えっ?興味ないとか言ってなかったっけ?と驚いたというリンチ。その脚本というのが『ブルーベルベット』(’86)だった。 実は『イレイザーヘッド』を発表する以前から、リンチが温めていた企画だったという『ブルーベルベット』。といっても、最初は劇中でも流れるボビー・ヴィントンのヒット曲に由来するタイトルだけで、草むらに落ちている切断された人間の耳、クローゼットの隙間から覗き見る女性の部屋など、そのつど断片的に浮かび上がるイメージを、長い時間をかけながらひとつの脚本にまとめあげていったのだそうだ。 デ・ラウレンティスがプロデュースの実務を任せたのは、かつて彼の製作アシスタントだったフレッド・カルーソ。最初に算出された予算額は1000万ドルだったが、しかし当時のデ・ラウレンティスはアメリカに新会社を設立したばかりで、なおかつ自社スタジオの建設に着手していたため、それだけの資金を用立てている余裕がなかった。そこでリンチは自身のギャラをはじめとする製作コストを大幅に削減する代わり、編集権を含む全ての現場決定権を自分に与えるよう提案。これにデ・ラウレンティスが合意したことから、リンチは思い描いた通りの映画を自由に作るという権利を手に入れたのである。恐らく『砂の惑星』での苦い経験から学んだのであろう。ただし、同時期にデ・ラウレンティスが手掛けている他作品の監督たちに配慮して、あくまでも契約書には記載されない口約束だったらしい。それでもデ・ラウレンティスは最後まで現場に口出しをせず、リンチとの約束をしっかり守ったという。 リンチ監督の潜在意識を具現化したダークファンタジー 舞台はノースカロライナ州の風光明媚な田舎町ランバートン。大学進学のために町を出ていた若者ジェフリー(カイル・マクラクラン)は、父親が急病で倒れてしまったことから、家業である金物店の経営を手伝うため実家へ戻ってくる。病院へ父親を見舞った帰り道、家の近くの草むらで切断された人間の耳を発見するジェフリー。父親の友人であるウィリアムズ刑事(ジョージ・ディッカーソン)のもとへ耳を届けた彼は、「これ以上この事件には深入りしないように」と忠告を受けるのだが、しかしウィリアムズ刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)から「クラブ歌手のドロシー・ヴァレンズが事件に関係しているらしい」と聞いて好奇心を掻き立てられる。 ナイトクラブ「スロー・クラブ」で名曲「ブルーベルベット」を歌って評判の美人歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)は、ジェフリーの実家のすぐ近所に住んでいるという。サンディの協力で合鍵を手に入れたジェフリーは、事件に繋がる手がかりを探すためドロシーの留守宅にこっそりと忍び込むのだが、そこへクラブでの仕事を終えた本人が帰ってきてしまう。慌ててクローゼットに身を隠すジェフリー。そこで彼が目にしたものは、狂暴なサイコパスのギャング、フランク・ブース(デニス・ホッパー)とドロシーの変態的な性行為だった。どうやらドロシーは夫と息子をフランクの一味に拉致され、強制的に愛人にされているらしい。警察に通報すべきなのかもしれないが、しかし現時点では盗み聞きした情報しかない。さらなる具体的な証拠を求め、ドロシーやフランクの周辺を探り始めたジェフリーは、次第にめくるめく暴力と倒錯の世界へ足を踏み入れていく…。 まるで1950年代辺りで時が止まってしまったようなアメリカの田舎町ランバートン。そこに住む人たちの服装や髪型は明らかに’80年代のものだが、しかし住宅街に並ぶ家々は’50年代のホームドラマ『パパは何でも知っている』や『うちのママは世界一』からそのまま抜け出てきたみたいだし、街角のダイナーや道路を走る車もレトロスタイルで、ヒロインのサンディの部屋には’50年代の映画スター、モンゴメリー・クリフトのポスターが貼ってある。さらに言えば、ナイトクラブのステージでドロシーが使うマイクは’20年代のヴィンテージだし、ドロシーの住むアパートメントは’30年代のアールデコ建築。さながら古き良きアメリカの集大成的な異次元空間、デヴィッド・リンチの創り出した完璧な理想郷である。これは、その美しい表層の裏に隠された醜い闇をじわじわと炙り出していく作品。何事にも表と裏があり、光と影がある。本作のオープニングで、綺麗に手入れされた庭の芝生にカメラが近づいていくと、草むらの暗い陰に無数の虫たちが蠢いている。これこそが本作のテーマと言えるだろう。 鮮やかな色彩やドラマチックな音楽の使い方などを含め、’50年代にダグラス・サーク監督が撮った一連のメロドラマ映画をも彷彿とさせる本作。もちろん、同時代のフィルム・ノワール映画からの影響も大きいだろう。しかし、筆者が真っ先に連想するのはラナ・ターナー主演の『青春物語』(’57)である。同じく風光明媚な古き良きアメリカの田舎町を舞台にした同作では、さすがに本作のように倒錯的なセックスや暴力こそ出てこないものの、まるで絵葉書のように美しい田舎町の裏側に隠された貧困や差別、不倫やレイプなどの醜い実態を次々と暴き、神に祝福された理想郷アメリカの歪んだ病理を描いて全米にセンセーションを巻き起こした。その『青春物語』で母親の再婚相手にレイプされて妊娠する貧困層の少女セレーナを演じ、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた名女優ホープ・ラングが、本作でサンディの母親役を演じているのは恐らく偶然ではないだろう。 実は自身も本作に出てくるような’50年代のサバービアで育ったリンチ監督。ある時彼は、桜の木から滲み出る樹液に無数の蟻が群がっている様子を発見し、美しい風景もよく目を凝らすとその下に必ず何かが隠れていることを悟ったという。恐らく彼は、物事の美しく取り繕われた表層に居心地の悪さを感じ、その裏側に隠された魑魅魍魎の世界に魅せられるのだろう。そういえば、純粋さと危うさが同居する主人公ジェフリーといい、厚化粧でクールを装ったドロシーといい、本作の登場人物は誰もが表の顔と裏の顔を併せ持つ。これは、そんなリンチ監督自身の潜在意識を具現化したシュールなダークファンタジーであり、ある意味で『ツイン・ピークス』の原型ともなった作品と言えよう。 見過ごせないディノ・デ・ラウレンティスの功績 また、本作はデヴィッド・リンチ作品に欠かせない作曲家アンジェロ・バダラメンティが初めて関わった作品でもある。当初は、クラブ歌手ドロシーを演じるイザベラ・ロッセリーニのサポートとして呼ばれたというバダラメンティ。というのも、プロの歌手ではないロッセリーニのレコーディングが難航し、困った製作者のフレッド・カルーソがボーカル指導に定評のある友人バダラメンティに助け舟を求めたのだ。これが上手くいったことから、カルーソはエンディング・テーマの作曲も彼に任せることに。リンチ監督自身はUKのドリームポップ・バンド、ディス・モータル・コイルのヒット曲「警告の歌(Song to the Siren)」を使いたがったのだが、著作権使用料が高すぎるという理由でディノ・デ・ラウレンティスが首を縦に振らず、ならば似たようなオリジナル曲を作ってしまおうということになったらしい。 それ自体は大して難題ではなかったものの、バダラメンティを悩ませたのはリンチ監督から渡された歌詞。韻文やリフレインなどの定型ルールを無視しているため、歌詞として全く成立していなかったのである。なんとか楽曲を完成させたバダラメンティに、リンチ監督は「天使のように囁く歌声」のボーカリストを希望。そこで彼は当時関わっていたステージの歌手ジュリー・クルーズに、誰か条件に合致する候補者はいないかと相談したという。そこで3~4人の歌手を紹介してもらったものの、どれもいまひとつだったらしい。すると、ジュリーが「私にトライさせて貰えない?」と言い出した。しかし、当時の彼女はエセル・マーマンのようにパワフルに歌いあげる熱唱型歌手。さすがにイメージと違い過ぎると考えたバダラメンティだったが、「天使のように囁く歌声」を徹底的に研究したジュリーは、見事に希望通りの歌唱を披露してくれたのである。 このテーマ曲「愛のミステリー(Mysteries of Love)」でリンチ監督の信頼を得たことから、バダラメンティは本編の音楽スコア全般も任されることとなり、これをきっかけにバダラメンティの音楽はリンチ作品に欠かせない要素となる。ジュリー・クルーズも引き続き『ツイン・ピークス』のテーマ曲に起用された。 そういえば、本作はリンチ監督と女優イザベラ・ロッセリーニが付き合うきっかけになった映画でもある。当初リンチはドロシー役にヘレン・ミレンを希望していたらしい。ある時、デ・ラウレンティスの経営するイタリアン・レストランへ行ったリンチは、そこでたまたま知人に遭遇したのだが、その知人の連れがロッセリーニだったという。ちょうど当時、彼女は映画『ホワイトナイツ/白夜』(’85)でヘレン・ミレンと共演したばかり。これは奇遇とばかりにヘレンを紹介してもらうことになったのだが、ロッセリーニ曰くその2日後にリンチ監督からドロシー役をオファーされたのだそうだ。当時『エレファント・マン』は見たことがあったものの、それ以外はあまりリンチ監督のことを知らなかった彼女は、前夫マーティン・スコセッシに相談したところ『イレイザーヘッド』を見るように勧められたという。それで彼の才能を確信して出演を決めたのだとか。で、これを機に私生活でも親密な関係になったというわけだ。 ちなみに、劇中でジェフリーが発見する切断された耳はシリコン製で、最初は特殊メイク担当ジェフ・グッドウィンが自分の耳で型取りしたものの、リンチ監督から「小さすぎる」と指摘されたことから、プロデューサーのフレッド・カルーソの耳をモデルにして製作したという。さらに、リンチ監督がトレーラーで散髪した際にその髪を集め、シリコン製の耳に貼り付けたとのこと。撮影では耳に蜂蜜を塗ったうえで草むらに置き、そこへ冷凍で仮死状態にした蟻をバラまき、気温で蟻が蘇生して動き出すまで待ってカメラを回したそうだ。また驚くべきは、クライマックスで銃殺されたフランクの頭から脳みそが飛び出すシーンで、本当に人間の脳みそを使用していること。リンチ監督の希望で西ドイツから取り寄せたらしい。 当初のオリジナルカットは3時間57分もあったらしいが、リンチ監督自身が再編集を施して2時間ちょうどに収まった本作。初号試写で「これを配給する会社はないだろう」と判断したディノ・デ・ラウレンティスは、本作のために新たな配給部門を立ち上げたという。さらに、ロサンゼルスのサンフェルナンド・ヴァレーで一般試写を行ったのだが、これが関係者も頭を抱えるほどの大不評で、アンケート用紙には監督への非難や罵詈雑言のコメントが並んだらしい。しかし、これに全くたじろがなかったのが、またもやディノ・デ・ラウレンティス。「彼らは何も分かっていない、これは素晴らしい映画だ、1フレームたりともカットするつもりはない」と作品を全面擁護し、「予定通りに公開する、批評家は絶対に気に入るだろうし、そうなれば観客だってついてくるさ」と予見したという。実際にその言葉通り、本作は最初こそ世間からブーイングを浴びたものの、やがて口コミで評判が広がって大ヒットを記録。リンチ監督はアカデミー賞監督賞にノミネートされ、現代ハリウッドを代表する鬼才とも評されることとなる。こうした『ブルーベルベット』の成功を振り返るにあたって、やはりディノ・デ・ラウレンティスの功績を忘れてはならないだろう。■ 『ブルーベルベット』© 1986 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.06.07
インディペンデント映画の巨匠ジョン・カサヴェテスの原点『アメリカの影』
始まりは演劇ワークショップだった アメリカにおける「インディペンデント映画のパイオニア」と呼ばれるジョン・カサヴェテス監督の処女作である。時は1950年代末。折しもイギリスではフリーシネマ、フランスではヌーヴェルヴァーグが興隆し、世界各地で旧態依然とした映画界に抗う若い映像作家たちが新たなムーブメントを起こしつつあった時代だ。無名の役者ばかりを起用して即興演出で撮影され、映画会社や製作会社の資本に頼らず作られた完全なる自主製作映画だった本作も、ヴェネチア国際映画祭や英国アカデミー賞などで高く評価され、映画の都ハリウッドを擁するアメリカでも新世代の独立系作家が台頭するきっかけを作った。 ご存知の通り、もともとは俳優としてキャリアをスタートしたカサヴェテス。大学を中退してニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで演劇を学んだカサヴェテスは、卒業と同時に舞台やテレビで頭角を現すようになり、映画でも黒人青年と白人青年の友情を描いた『暴力波止場』(’57)に主演して注目されるようになる。その傍ら、彼は友人の演劇コーチ、バート・レイン(女優ダイアン・レインの父親)と共に演劇ワークショップを立ち上げて後進の指導に当たっていた。集まったのは19名の無名俳優たち。当時アメリカの演劇界で主流だったアクターズ・スタジオのメソッド演技に懐疑的だったカサヴェテスは、メソッド演技のように俳優が役柄と一体化して別人になり切るのではなく、俳優自身の内側から湧き出るものを役柄に活かす即興演技の訓練を行った。生徒それぞれの実像に近いキャラクターを設定し、それを基にみんなでストーリーを考案していったという。実は、このワークショップの課題を映画化したのが本作『アメリカの影』だった。 映画の製作資金は一般からの寄付。今で言うクラウドファンディングである。ニューヨークのローカル・ラジオ局WORでジーン・シェパードがDJを務めるトーク番組「Night People」にゲスト出演した際、カサヴェテスがリスナーに寄付を呼び掛けたところ、当時としては決して少なくない金額の2000ドルが集まったという。さらに、ウィリアム・ワイラー監督やジョシュア・ローガン監督など映画界の友人からも寄付を募り、映画を作るのに十分なだけの資金を揃えることが出来た。そういえば、近ごろ日本では役と引き換えに受講者の無名俳優から製作費の一部を徴収するワークショップが問題視されたが、本来はこのように主催者が自らの責任のもとでスポンサーから資金を集め、俳優にもスタッフにも金銭的な負担をかけないというのが筋であろう。 大都会の中心で愛を求める人々の群像劇 物語は大都会ニューヨークに暮らす3兄妹を中心に展開する。売れないジャズ歌手の長男ヒュー(ヒュー・ハード)に自称ジャズ・ミュージシャンの次男ベン(ベン・カルザース)、そして作家志望の妹レリア(レリア・ゴルドーニ)。実は3人とも黒人の血を引いているのだが、しかしベンとレリアは肌の色が薄いため白人にしか見えない。同じアパートで生活する彼らは普段から仲睦まじいが、しかしビートニックを気取った次男ベンは不良仲間と遊び呆けてばかりで、真面目な兄にしょっちゅう金を無心している。放蕩者の弟を心配する長男ヒューは家族思いのしっかり者だが、思い通りにならないキャリアに悩んでいた。そんな2人から大事にされている妹レリアは、おかげでどこか世間知らずなところがあり、年上の恋人デヴィッド(デヴィッド・ポキティロー)からも子ども扱いされている。 そんなある日、レリアはパーティでトニー(アンソニー・レイ)という若い白人男性と知り合い、デヴィッドへの当てつけのつもりで彼と寝てしまう。実は処女だったレリア。初体験のセックスは想像と違って苦痛だった。それでもトニーと付き合おうと考えたレリアは、彼を自宅へ招くのだったが、しかし兄ヒューを一目見たトニーは凍りつく。まさか彼女が黒人だとは思わなかったのだ。苦し紛れの言い訳をするトニーをアパートから追い出すヒュー。ショックを受けてふさぎ込むレリアだったが、ヒューとベンに慰められて気を取りなおし、友達から紹介された黒人の若者デヴィッド(デヴィッド・ジョーンズ)とデートをする。一方、自らの失礼な態度を反省したトニーは、レリアに謝罪しようとするのだったが…。 公民権運動やウーマンリブが芽生え始めた’50年代末アメリカの世相を敏感に捉えつつ、混沌とする大都会のど真ん中で愛と幸福を求めて彷徨う若者たちのリアルな日常を切り取った群像劇。登場人物の誰もが矛盾を抱えた不完全な存在で、誰かに愛されたい認められたいと願いながらも、どうすればよいのか分からずにもがき苦しんで互いを傷つけてしまう。これは、その後の『フェイシズ』(’68)や『こわれゆく女』(’74)、『オープニング・ナイト』(’78)などのカサヴェテス作品にも共通するテーマだ。いわゆる起承転結の明確なストーリーがないのは、もちろん即興性を重視してアウトラインしか用意しなかった演出の方向性に因るところも大きいが、なによりも多種多様な人物像を描くことで愛と人生について考察し、その真理を見極めようとしたカサヴェテスの作家性ゆえとも言えるだろう。彼の映画ではストーリーそのものよりもキャラクター、つまり人間が最も重要なのだ。 また、実は予てから映画での仕事に少なからぬ不満を持っていたカサヴェテスは、本作を通して彼が理想とする映画の芝居を追求しようとしたようだ。舞台やテレビの生放送は自由で楽しいのに、なぜ映画だと窮屈に感じてしまうのか。映画というメディアは好きだが、しかし映画での芝居はどうしても好きになれない。どうすれば映画でも自由な演技が可能になるのか。その方法を模索するための実験という側面もあったという。なので、もともとカサヴェテスは本作を商業用映画として劇場公開するつもりはなかったらしい。 そこでカサヴェテスの取った手段が即興演出だった。一般的な映画だと役者の動作やポジションはリハーサルで事細かく決められ、撮影が始まるとカメラの動きや照明の当たる範囲に気を配って演技をすることになる。しかし本作では役者が直感で自由自在に動き回り、カメラはそれに合わせて移動したという。監督は余計な口を挟まない。セリフも芝居も即興ならカメラも即興。俳優は演じる役柄を生きることに集中し、監督とカメラマンはその様子を映像に捉える。そうすることによって、映画全体に自然なリズムが生まれたとカサヴェテスは振り返っている。 実は全体の半分以上が差し替えだった ただし、結果的に本作は大幅な撮り直しを余儀なくされた。1957年2月~5月半ばにかけて16ミリフィルムで撮影され、編集作業に予想外の時間がかかったものの、’58年にはマンハッタンのパリス・シアターで初お披露目された『アメリカの影』。実験映画の巨匠ジョナス・メカスからは大絶賛されたらしいが、それ以外の観客には大層不評だったようで、途中で席を立つ人も多かったという。カサヴェテス曰く、最初のバージョンは映画的な技巧ばかりに囚われており、確かに知的な映画ではあったが人間味に欠けていたとのこと。 そこで彼は再びキャストとスタッフを招集し、10日間のスケジュールで追加撮影を敢行。今回はちゃんとした脚本も用意したそうだ。新たに追加されたのは、レリアが兄ヒューを駅で見送るシーン、その帰り道で42番街の映画館に立ち寄るシーン、トニーとレリアが肉体関係を結ぶベッドシーン、レリアが黒人のデヴィッドとチークダンスを踊るナイトクラブ・シーンなど。実質的に全体の半分以上が差し替えられたという。おかげでメインとなる3人兄妹、中でも特に妹レリアの人物像や心理描写に深みが与えられることとなった。以降の作品でも女性キャラに焦点を定めることの多いカサヴェテスだが、その傾向は初監督作品から健在だったわけだ。こうして’59年に完成したセカンド・バージョンが、現在我々が見ることの出来る『アメリカの影』なのである。 先述した通り、撮影当時は無名だった役者ばかりだが、ヒロインのレリア・ゴルドーニはマーティン・スコセッシ監督の『アリスの恋』(’74)やフィリップ・カウフマン監督の『SF/ボディ・スナッチャー』(’78)などに出演し、地味ながらも息の長い名脇役女優となった。ヒューのエージェント役を演じたルパート・クロスも、スティーヴ・マックイーン主演の『華麗なる週末』(’69)でアカデミー助演男優賞候補となったが、惜しくも癌のため45歳の若さで亡くなっている。トニー役のアンソニー・レイは、あの名匠ニコラス・レイの息子で、後にプロデューサーへ転向して『結婚しない女』(’78)を手掛けている。 ちなみに、42番街でレリアを尾行してちょっかい出そうとする怪しげな男は、フランスを拠点としていたギリシャ人の映画監督ニコ・パパタキス。あのジャン・ジュネの親友にして、反体制派の極左活動家でもあった彼は、当時は政治的な理由からニューヨークで逃亡生活を送っており、アンディ・ウォーホルとも付き合いがあったという。ヴェルヴェット・アンダーグランドの女性ボーカリスト、ニコの芸名は、元恋人だったパパタキスから取られている。しかも、最初の奥さんは『男と女』(’66)のアヌーク・エーメで、再婚相手はルチオ・フルチ作品でもお馴染みのオルガ・カルラトス。とんでもないモテ男である。そんな彼がどういう経緯でカサヴェテスと知り合ったのか定かでないが、本作の追加撮影にあたって資金集めに協力したらしい。■ 『アメリカの影』© 1958 Gena Enterprises.
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COLUMN/コラム2022.06.01
‘50年代の「空飛ぶ円盤」騒動が生んだハリーハウゼンの名作SF映画『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』
米軍も注目した「空飛ぶ円盤」騒動とは? 1950年代のハリウッドで沸いたSF映画ブーム。その背景には、東西冷戦下で加熱する米ソの宇宙開発競争によって、アメリカ国民の宇宙に対する関心が高まったことが挙げられるだろう。さらに、当時のアメリカで吹き荒れた反共産主義運動、いわゆるマッカーシズムの嵐も少なからず影響を及ぼしていた。アメリカがソ連や中国のスパイに侵略されて「赤化」するのではないか? その過剰な恐怖心や警戒心に基づくパラノイアが、遠い宇宙から地球を侵略しにやって来るエイリアンとして映画に投影されたのである。そしてもうひとつ忘れてならないのが、当時のアメリカで巻き起こった「空飛ぶ円盤」騒動である。 事件が起きたのは’47年6月24日のこと。アメリカの実業家ケネス・アーノルドが、ワシントン州の上空で高速編成飛行を行う9つの発光体を発見し、これにアメリカ空軍が興味を示したことから、全米のメディアを騒然とさせる大騒動へと発展したのだ。この際、マスコミの取材に対して、飛行物体のことを「コーヒーカップの受け皿を重ねたみたいだった」とアーノルドが語ったことから、「空飛ぶ円盤(Flying Saucer=空飛ぶ皿)」という単語が初めて生まれたのである。 ただし米軍部は当初、アーノルドの目撃証言を幻覚、もしくは蜃気楼ではないかとコメントしていた。ところが、その翌’48年1月7日、空飛ぶ円盤と思しき飛行物体を追跡していたマンテル空軍大尉が謎の死を遂げたことから、ほどなくして米空軍は未確認飛行物体の調査機関「プロジェクト・サイン」(後のプロジェクト・ブルーブック)を発足。これほど軍部が「空飛ぶ円盤」に強い関心を示したのは、なにも彼らが宇宙人の存在を本気で信じていたからではなく、やはり共産圏のスパイ活動に対する国家安全保障上の懸念が高まっていたためではないかと思われる。 そして’49年12月、元米海軍中尉でパルプ小説家のドナルド・キーホーが、雑誌トゥルーに「空飛ぶ円盤は実在する」という論文を発表。これは翌年にペーパーバック化されて50万部以上を売り上げ、たちまちキーホーはUFO研究の第一人者として有名になる。このキーホーのUFO関連本第2弾「外宇宙からの空飛ぶ円盤」を原作に、特撮映画の神様レイ・ハリーハウゼンと盟友チャールズ・シュニーアが手掛けたSF映画が、この『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(’56)だったのである。 実はブームに当て込んだ便乗企画だった!? 大ヒットした特撮怪獣映画『水爆と深海の怪物』(’55)で初めてコンビを組み、それ以降数々の名作を生み出したハリーハウゼンと製作者シュニーア。当時、アーウィン・アレン監督のドキュメンタリー映画『動物の世界』(’56)に、恐竜シークエンスのアニメーターとして参加したハリーハウゼンは、そちらの撮影を終えてすぐにシュニーアと合流。折からの「空飛ぶ円盤」ブームに便乗して一儲け出来ないかと考えていたシュニーアと、以前から「空飛ぶ円盤」を題材にしたアドベンチャー映画の構想を温めていたハリーハウゼンの意見が一致し、異星人が空飛ぶ円盤で地球を襲撃するという侵略型SF映画を作ることになる。 脚本は『透明人間の逆襲』(’40)や『狼男』(’41)、『ドノヴァンの脳髄』(’53)などのジャンル系映画で高い評価を得ていたカート・シオドマクに依頼。特撮を担当することになったハリーハウゼンと共同でストーリーのアウトラインを考えていたが、その途中でシュニーアがキーホーの著作の権利を取得したことから、そこに記された様々な「空飛ぶ円盤」の調査結果を脚本に取り入れることとなった。さらに、ジョージ・ワーシング・イェーツが第2稿を、バーナード・ゴードン(レイモンド・T・マーカスの変名を使用)が最終稿を手掛けて脚本は完成。コロムビア映画のB級専門監督フレッド・F・シアーズが演出を手掛けることとなった。 ストーリーは至ってシンプル。世界各地で「空飛ぶ円盤」の目撃情報が相次ぐ中、宇宙線観測所の責任者マーヴィン博士(ヒュー・マーロウ)と妻で秘書のキャロル(ジョーン・テイラー)もドライブ中に円盤と遭遇。観測所ではこれまでに打ち上げた人工衛星が通信不能となっていたが、実は「空飛ぶ円盤」によって全て破壊されていたのだ。そうとは知らぬマーヴィン博士は、新たな衛星ロケットの打ち上げを敢行。するとそこへ「空飛ぶ円盤」が飛来し、その中から異様な姿をした異星人が姿を現す。警備に当たっていた軍隊は先制攻撃を開始。すると、異星人も殺人光線を使って反撃し、軍隊ばかりか衛星ロケットも研究所も焼き尽くしてしまう。 辛うじて難を逃れたマーヴィン博士とキャロルは、観測所が「空飛ぶ円盤」によって破壊されたことを報告。たまたま録音されていた異星人のメッセージから、彼らが地球人との対話を望んでいることを知った2人だが、しかし他に生存者がいないこともあって、軍幹部はマーヴィン博士とキャロルの証言に懐疑的だった。そこで、博士たちは異星人とコンタクトを取って彼らと直接面会する。異星人は滅亡した惑星の生き残りで、地球への移住を希望していた。衛星ロケットを墜落させたのは、それが自分たちを攻撃する武器ではないかと疑ったからだ。ワシントンD.C.で各国首脳と面談することを要求する異星人。しかし、彼らの目的が地球侵略ではないかと疑ったマーヴィン博士は、軍と協力して新兵器「高周波砲」を開発し、万が一の事態に備えるのだったが…!? 低予算をものともしないハリーハウゼンの創意工夫とは? 平和的な使者かと思われた異星人が実は侵略者だった…というのは、SF映画ブームの火付け役になった名作『地球の静止する日』(’51)の逆バージョン。当時すでに大量生産されていた侵略型SF映画のひとつに過ぎず、そういう点で特筆すべきものはあまりないだろう。やはり本作の最大の見どころは、レイ・ハリーハウゼンによるストップモーションを用いた特撮である。もともと「空飛ぶ円盤」に関心を持っていたハリーハウゼンは、実際の目撃者や研究グループに会って話を聞いたうえで、劇中に登場する円盤モデルをデザイン。表面にスリットを幾つか入れることで、ツルンとした印象の円盤が回転していることも一目瞭然となり、なおかつアニメート作業がしやすくなったという。この「空飛ぶ円盤」の洗練された造形とリアルな浮遊感が秀逸。ストップモーション撮影ではワイヤーを使って吊るしているが、実は現像されたフィルムを1コマずつチェックし、モノクロの背景に合わせてワイヤーを丁寧に塗りつぶしている。この実に面倒な細かい作業のおかげで、低予算映画らしからぬハイクオリティな特撮に仕上がったのだ。 円盤が実際のロケーションに登場するシーンは、予め35mmフィルムで風景映像を撮影し、それを背景に投影しながらコマ撮りで「空飛ぶ円盤」をアニメートするリアプロジェクション方式を採用。ホワイトハウスの敷地に円盤が着地する場面では、撮影許可の手続きを省略するため、フェンスの隙間にカメラのレンズを押し込んで撮影したという。要するに、無許可のゲリラ撮影だったのだ。今だったら大問題になっていただろう。 恐らく最大の見せ場は、「空飛ぶ円盤」の大編隊がワシントンD.C.を襲撃するクライマックス。基本的に予算が少ないため、大掛かりなミニチュアセットを組むことが難しかった本作だが、このパニック・シーンだけはそうはいかなかった。全部で7つのミニチュアを作成。連邦議会議事堂のドームに円盤が突っ込むシーンでは、予め壊しておいたドームの破片をひとつひとつワイヤーで繋ぎ合わせて形を整えたうえで、円盤が突っ込んでドームが粉々になる様子を4日がかりでアニメートしている。ただしこのシーン、実はドームより下の議事堂本体はスチール写真。なので、特定のアングルからしか撮影することが出来なかった。とはいえ、仕上がりの完成度が非常に高いため、言われなければ分からないだろう。低予算をものともしないハリーハウゼンの技術力に舌を巻く。 その一方で、低予算が裏目に出てしまったのが異星人のデザインである。本来ならばクリーチャーモデルをアニメートするところだが、しかし予算の都合で不可能だったため、俳優にスーツを着せることとなった。このスーツもハリーハウゼン自身がデザインしたのだが、しかし急いで考えたために満足のいくものではなかった。ラテックスゴム製の質感も、正直なところちょっと安っぽい。予算も時間もないという悪条件ゆえ仕方ないとはいえ、大いに惜しまれる弱点と言えよう。 個人的に印象深い特撮は、異星人の監視カメラである球体「聖エルモの火」。これは電気ドリルの先に長い棒を繋げ、その棒の先に小さな電球を付けた円形のプラスチック板を装着。スタジオの明かりを消して暗くしたうえで、電気ドリルのスイッチを入れて電球を回して撮影している。そうすることによって、回転する電球の光だけがフィルムに映し出されるという。これを俳優が演技をしている実写フィルムに重ね焼きしたのである。現代のCG技術などとは比べるべくもない、極めてアナログな特撮ではあるものの、しかし出来上がった映像を見ると驚くほどリアル。本当に光る球体が宙を浮いているようにしか見えない。 ちなみに、宇宙線研究所の地下コントロール・センター内部は、スタジオのセットではなくロサンゼルスのヘルモサ・ビーチにあるプレヤ・デル・レイ下水処理施設でロケされている。地下パイプが幾つも通った複雑な造りが科学研究所にピッタリで、ダミーのコントロールパネルを幾つか加えるだけでそれらしく見えるようになったという。その際、ハリーハウゼンとシュニーアは分解タンクが排水を処理する不気味な音に着目し、これを音響スタッフに録音させて「空飛ぶ円盤」の音として使用したのだそうだ。 ‘56年の夏休みにホラー映画『The Werewolf』(日本未公開)との2本立てで全米公開された本作は、中でもハリーハウゼンによる特撮が各方面から大絶賛され、彼の名声をなお一層のこと高めることとなった。余計な人間ドラマや恋愛要素を最小限に抑え、特撮の見せ場をふんだんに盛り込みながらサクサクと展開していくスピード感も魅力的だ。出し惜しみをしないところがいい。ただ、ハリーハウゼン自身はシリアスなSF物よりも夢と冒険溢れるファンタジーが好みだったらしく、純然たるSF映画は本作と『月世界探検』(’64)の2本しか残していない。■ 『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』© 1956, renewed 1984 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.05.02
‘70年代ブラックスプロイテーション映画ブームが生んだ異色の犯罪アクション映画『110番街交差点』
「ブラック・パワー」ムーブメントから生まれたブラックスプロイテーション映画 いわゆるブラックスプロイテーション映画を代表する名作のひとつである。’70年代前半のハリウッドで巻き起こったブラックスプロイテーション映画のブーム。折しも公民権運動や左翼革命の嵐が吹き荒れた当時のアメリカにあって、ファンキーなソウル・ミュージックに乗せて反権力的な黒人ヒーローが活躍するブラックスプロイテーション映画は、黒人だけでなく白人の若者たちからも熱狂的に支持された。まずは、そのブラックスプロイテーション映画の歴史から簡単に紐解いてみよう。 ご存知の通り、もともとハリウッド業界では、カメラの前でも後でも黒人の地位が低かった。なにしろ、サイレント期には白人俳優が黒塗りで黒人を演じる「ブラックフェイス」が当たり前にまかり通っていたくらいだ。『風と共に去りぬ』(’39)ではスカーレット・オハラの乳母を演じた女優ハッティ・マクダニエルが、黒人として史上初のオスカーを獲得するものの、それで黒人俳優に大きな役が回ってくるようなこともなかった。彼らに割り当てられるのは、良くて白人の引き立て役かコミック・リリーフ。その一方で、黒人観客層に向けて黒人キャストを揃えた「人種映画」も作られたが、その殆どが弱小スタジオによるマイナー映画で、上映される映画館も非常に限られていた。 やがて、’50年代に入ると公民権運動の気運が徐々に高まり、ハリウッドでも遂に本格的な黒人の映画スターが登場する。シドニー・ポワチエだ。紳士的でクリーンなイメージのポワチエは、キング牧師が推し進めた当時の公民権運動における、「黒人も白人と同じ普通の人間だ」という主張を体現するような存在だったと言えよう。しかし、こうした穏健派の活動には限界があり、’65年に公民権法は制定されたものの、しかし人種差別が収まる気配は全くなかった。そのうえ、指導者であるマルコムXとキング牧師が相次いで暗殺され、やがて目的のためなら暴力も辞さない急進派の活動家が台頭していく。その象徴がマルコムXの影響を受けたブラック・パンサー党だ。彼らはむしろ「黒人は白人と違う」「黒人は美しい」と主張し、長いこと虐げられてきた黒人の民族的な誇りを取り戻そうとした。いわゆる「ブラック・パワー」の時代の到来だ。 そうした中、1本の映画が公開される。ブラックスプロイテーション映画第1号と呼ばれる、黒人監督メルヴィン・ヴァン・ピープルズの名作『スウィート・スウィートバック』(’71)だ。白人警官殺しの容疑で追われる貧しい黒人青年の逃避行を描いたこの映画は、反体制的な「ブラック・パワー」のムーブメントに後押しされるようにして大ヒットを記録。ヴァン・ピープルズ監督が私財を投じたインディーズ映画ながら、1500万ドルという大作映画も顔負けの興行収入を稼ぎ出した。その数か月後には、黒人アクション映画『黒いジャガー』(’71)も興収ランキング1位を獲得。かくしてメジャーからインディーズまで、ハリウッドの各スタジオが競うようにして黒人映画、すなわちブラックスプロイテーション映画を作るようになったのである。 ブラックスプロイテーション映画の定義とは? それでは、何をもってブラックスプロイテーション映画と定義するのか。舞台の多くはニューヨークやロサンゼルスなどの大都会。主人公は刑事から私立探偵、麻薬の売人からヒットマンまで様々だが、いずれも既存の価値観やルールに縛られないアンチヒーローで、ハーレムやスラム街に蔓延る悪を相手に戦うこととなる。敵は必ずしも白人ばかりではなく、むしろ同胞を搾取する黒人の犯罪者も多かった。基本的には大衆向けの娯楽映画だが、しかし物語の背景には多かれ少なかれ黒人を取り巻く貧困や差別などの社会問題が投影され、白人の作り上げた資本主義社会や格差社会に対する痛烈な批判が含まれていることも多い。ブームが広がるにしたがってジャンルも多様化し、犯罪アクションのみならずセックス・コメディやホラー映画なども作られるようになった。 もちろん、キャストは黒人俳優がメイン。その中から、フレッド・ウィリアムソンやリチャード・ラウンドツリー、ロン・オニール、ジム・ブラウンなどのタフガイ的な黒人スターが次々と登場。パム・グリアやグロリア・ヘンドリーなど女優の活躍も目立つようになる。その一方で、作り手は黒人でないことの方が多かった。メルヴィン・ヴァン・ピープルズやゴードン・パークス、オシー・デイヴィスなど重要な役割を果たした黒人監督もいるにはいたが、しかし当時のハリウッドではまだ経験豊富な黒人フィルムメーカーが不足していたため、ジャック・スターレットやラリー・コーエン、ジャック・ヒルなど、既に実績のある白人監督が起用されがちだったのである。 そして、ブラックスプロイテーション映画を語るうえで絶対に外せないのが音楽である。『スウィート・スウィートバック』ではアース・ウィンド&ファイア、『黒いジャガー』ではアイザック・ヘイズ、『スーパーフライ』(’72)ではカーティス・メイフィールド、『コフィー』(’73)ではロイ・エイヤーズといった具合に、今を時めく大物黒人アーティストがテーマ曲や音楽スコアを担当。それらのファンキーなサウンドも、ブラックスプロイテーション映画が人気を博した大きな理由のひとつだった。 ハーレムの悲惨な日常をリアルに映し出す社会派映画 いよいよここからが本題。大手ユナイテッド・アーティスツがフレッド・ウィリアムソン主演の『ハンマー』(’72)に続いて配給したブラックスプロイテーション映画『110番街交差点』である。舞台はニューヨークのハーレム。アパートの一室が警官に変装した黒人3人組の強盗に襲撃され、イタリアン・マフィアの裏金30万ドルが奪われてしまう。ニューヨーク市警のベテラン刑事マテリ警部(アンソニー・クイン)が現場に駆け付けるも、地元住民は警察を嫌っているため有力な情報は出てこない。そればかりか、事件が人種問題に発展することを恐れた上層部の指示で、大学出のエリート黒人刑事ポープ警部(ヤフェット・コット―)が捜査の陣頭指揮を任されることに。暴行や恐喝など朝飯前の昔気質な叩き上げ刑事マテリと、ルールや人権を尊重するリベラル派のインテリ刑事ポープは、その捜査方針の違いからたびたび衝突することになる。 一方、110番街交差点を挟んでセントラルパークの反対側に拠点を構えるイタリアン・マフィアは、現金を奪い返して組織の威厳を回復するため、ボスの娘婿ニック(アンソニー・フランシオサ)をハーレムへ送り込む。出来の悪いニックは組織の厄介者で、これが彼に与えられた最後のチャンスだった。そんな彼を迎え入れるのは、ハーレムを仕切る黒人ギャングのボス、ドック・ジョンソン(リチャード・ウォード)。彼らもまた現金強奪事件で痛手を負っていた。とはいえ、あくまでもイタリアン・マフィアの下働き。それゆえニックは偉そうな態度を取るのだが、もちろんドックはそれが気に食わない。ここは俺たちのシマだ。お前らに好き勝手などさせない。所詮は金だけで繋がった組織同士、決して一枚岩ではなかったのだ。 その頃、現金強奪事件の犯人たちは、何事もなかったように普段通りの生活を送っていた。恋人に食わせてもらっている前科者ジム(ポール・ベンジャミン)にクリーニング店員ジョー(エド・バーナード)、そして無職の妻子持ちジョンソン(アントニオ・ファーガス)。彼らはみんなハーレムに生まれ育った幼馴染みだった。夢も希望もないこの街から出ていきたい。しかし、学歴も資格もない無教養な彼らには、外の世界で人生を立て直すだけの資金もなかった。そんな3人にとって、現金強奪はまさに最後の賭けだったのである。ほとぼりが冷めるまで静かにしているはずだったが、しかし調子に乗って浮かれたジョンソンが派手に女遊びを始めたことから、ニックとドックの一味に存在を気付かれてしまう。マフィアよりも先に犯人グループを逮捕せんとする警察だったが…? どん底の経済不況と犯罪の増加に悩まされた’70年代初頭のニューヨーク。中でも黒人居住区ハーレムの治安悪化は深刻で、余裕のある中流層はクイーンズやブルックリン、ブロンクスなどへ移り住んでしまった。つまり、当時のハーレム住民の大半は、本作の現金強奪犯グループと同様、ハーレムから出たくても出られない、ここ以外に住む場所のない最底辺の貧困層ばかりだったのだ。そんな暗い世相を背景にした本作では、白人マフィアが黒人ギャングを搾取し、その黒人ギャングが同胞である黒人住民を搾取するという、まるでアメリカ社会の縮図のような構造が浮き彫りになっていく。しかも移民の歴史が浅いイタリア系は、支配階級の白人層から見れば差別の対象であった。要するにこれは、弱者がさらなる弱者を抑圧するという負のサイクルを描いた作品でもあるのだ。 この人種間および階級間の軋轢と衝突は、警察組織にもおおよそ当てはめることが出来る。その象徴が、主人公であるハーレム分署のマテリ警部とポープ警部だ。容疑者には殴る蹴るの暴行を加えて自白を強要し、ギャングには軽犯罪を見逃す代わりとして賄賂を要求するマテリ警部。汚職まみれの典型的な不良刑事だが、しかし根っからの悪人ではない。警部という役職など名ばかり。安月給で朝から晩までこき使われ、守っているはずの住民からは嫌われる。心が荒んでしまうのも不思議ではない。しかも、50代にさしかかって昇進も見込めないマテリ警部は、ここ以外に行く当てがない。つまり、彼もまたハーレムから出たくても出られないのである。 そこへ、外部からやって来たエリート刑事に捜査の指揮権を奪われたのだから、心穏やかではいられないだろう。しかも、相手は普段から彼が見下している黒人だ。そのポープ警部は大学出のインテリ・リベラル。政治家や警察上層部からの覚えもめでたく、出世コースは約束されたも同然だ。そもそも立派な身なりからして違う。粗野でみすぼらしいマテリ警部とはまるで正反対だ。しかしそんなポープ警部も、自らの崇高な理想がまるで通用しないハーレムの現実に阻まれ、警察官としての強い信念が少しずつ揺らいでいく。この2人の対立と和解が、モラルの崩壊した世界における正義の在り方を見る者に問いかけるのだ。 ブラックスプロイテーション映画の枠に収まらない特異な作品 こうして見ると、本作は当時作られた数多のブラックスプロイテーション映画群にあって、かなりユニークな立ち位置にある作品だと言えよう。確かにキャストの大半は黒人だし、ハーレムに暮らす貧しい黒人を取り巻く様々な問題に焦点を当てている。血生臭いハードなバイオレンス描写や、ボビー・ウーマックによるソウルフルなテーマ曲と音楽スコアもブラックスプロイテーション映画のトレードマークみたいなものだ。しかしその一方で、社会の底辺に生きる庶民の日常を、徹底したリアリズムで描いていくバリー・シアー監督の演出は、ジュールズ・ダッシン監督の『裸の町』(’48)に代表される社会派フィルムノワールの影響を強く感じさせる。優等生の黒人警官と堕落した白人警官の組み合わせはシドニー・ポワチエ主演の『夜の大捜査線』(’67)を、ニューヨーク市警の腐敗や暴力に斬り込む視点はフランク・シナトラ主演の『刑事』(’68)を彷彿とさせるだろう。 これは恐らく、本作がもともとはブラックスプロイテーション映画として企画されたわけではないからなのだろう。ユナイテッド・アーティスツがウォリー・フェリスの原作小説の権利を入手したのは’70年の夏。同年9月には俳優アンソニー・クインが製作総指揮に関わることが決まったが、しかしマテリ警部役のキャスティングは難航した。第1候補のジョン・ウェインに却下され、さらにはバート・ランカスターやカーク・ダグラスにも断られ、仕方なくクイン自らが演じることになった。また、ポープ警部役も当初はシドニー・ポワチエの予定だったが、黒人コミュニティからの「イメージに相応しくない」との声を受けて変更されている。白人であるバリー・シアー監督の登板にも疑問の声があったようだ。さらに、ハーレムでのロケ撮影や黒人住民の描写について、ニューヨークの様々な黒人団体と事前に協議を重ね、意見を取り入れる必要があった。こうした事情から準備に時間がかかり、そうこうしているうちブラックスプロイテーション映画のブームが到来。やはりジャンル的に意識せざるを得ない…というのが実際のところだったようだ。 劇場公開時は賛否両論。残酷すぎる暴力描写に批判が集まったものの、しかし当時のブラックスプロイテーション映画群の多くがB級エンターテインメントに徹していたのに対し、シリアスな社会派ドラマを志向した本作は、特に黒人の批評家や知識人から高い評価を受けている。ボビー・ウーマックのテーマ曲もビルボードのR&Bチャートで19位をマーク。クエンティン・タランティーノ監督がブラックスプロイテーション映画にオマージュを捧げた『ジャッキー・ブラウン』(‘97)のサントラでも使用されている。■ 『110番街交差点』© 1972 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.04.28
「スウィンギン・ロンドン」前夜の自由な空気を今に伝えるお洒落でシュールなコメディ『ナック』
ユース・カルチャーが台頭した’60年代半ばのロンドン 時代の空気と息吹を鮮やかに封じ込めた、さながらタイムカプセルのような映画である。時は1960年代半ば、場所はイギリスのロンドン。ヨーロッパ諸国に比べて第二次世界大戦後の経済復興が遅れたイギリスだが、しかし’60年代に入ると国民生活も次第に豊かとなり、さらにベビーブーム世代に当たる中流層の若者が経済力を持つことで、本格的な消費社会が到来する。’64年にはそれまでの保守党に代わって、中道左派の労働党政権が誕生。そうした中でファッションやポピュラー音楽などの若者文化が大きく花開き、首都ロンドンは世界に冠たるトレンド発信地へと成長する。 ビートルズにミニスカート、モッズ・カルチャーにカーナビー・ストリート。いわゆる「スウィンギン・ロンドン」の時代だ。’50年代を通して重苦しい空気に包まれたロンドンは、見違えるほど華やかでカラフルな街へと生まれ変わる。欧米のマスコミがロンドンをスウィンギン・シティ(イケてる都市)と呼ぶようになるのは’65~’66年にかけてのこと。’64年に撮影されて’65年に公開された映画『ナック』は、新たな時代へ向けて急速に変わりゆくロンドンの、若さ溢れる楽天的なエネルギーを思う存分に吸い込んだ作品だったのである。 主人公はちょっとばかり神経質な若き学校教師コリン(マイケル・クロフォード)。自宅の部屋を他人に貸している彼は、女性の出入りが激しいモテ男の下宿人トーレン(レイ・ブルックス)にイラっとしており、そのせいで無関係な女性たちにも厳しく当たってしまうのだが、しかし本音を言うと自分もモテたくて仕方がない。女性をゲットするにはどうすればいいのか。このままじゃ将来は欲求不満のスケベおじさんになってしまう! 思いつめた彼は恥を忍んで、トーレンに女性からモテる「コツ(英語でナック)」を伝授してもらおうとする。ところが、面倒くさがりで無責任なトーレンは、「んー、やっぱ食い物じゃね? チーズとかミルクとか肉とか。要するにプロテインよ」「っていうか、直感は大事だよね。でも、こればっかりは生まれつきの才能だからなあ」とテキトーなことばかり。最終的に「女は強気で支配するに限るね」などと言い出す。 その頃、故郷の田舎から長距離バスでロンドンへやって来た若い女性ナンシー(リタ・トゥシンハム)。右も左も分からない大都会に少々面喰いつつも、とりあえずYWCA(キリスト教女子青年会)を探して歩き回るナンシーだったが、しかしなかなか辿り着くことが出来ない。すれ違う人々に道を尋ねても、知らないと首を横に振られたり、間違った道順を教えられたり。そればかりか、見るからに田舎者といった感じの彼女を言いくるめて騙そうとしたり、バカにして軽んじたりする威圧的な男性ばかりに出会う。とはいえ、純朴そうに見えて実は意外としたたかなナンシーは、天性の勘と機転で「女性の危機」を上手いことやり過ごしていく。 一方、女性にモテたいならまずはベッドを大きくしなくちゃね!というナゾ理論に落ち着いたコリンは、部屋を真っ白に塗り替えないと気が済まない新たな下宿人トム(ドナル・ドネリー)に付き添われてベッドを新調することに。スクラップ置場で理想の中古ベッドを発見した彼は、そこへ迷い込んできたナンシーと仲良くなり、3人で意気揚々とロンドンの街を駆け抜けながら自宅へベッドを運ぶ。そこへ現れたトーレンはナンシーに興味津々。コリンも彼女に気があるものの、そんなこと全くお構いなしのトーレンは、チョロそうな田舎娘ナンシーを強気で口説こうとするのだが…!? 新進気鋭の鬼才リチャード・レスターとフリー・シネマの総本山ウッドフォール 本作の基になったのはアン・ジェリコーの同名舞台劇。’62年にロンドンのロイヤル・コートで初演されて評判になった同作は、古い貞操観念や男女の役割に凝り固まった旧世代の保守的なモラルを笑い飛ばす風刺喜劇だった。この舞台版をプロデュースしたのがオスカー・レウェンスタイン。ロンドンの有名な舞台製作者だったレウェンスタインは、その一方で友人トニー・リチャードソンやジョン・オズボーンの設立した映画会社ウッドフォール・フィルムにも深く関わっていた。 ウッドフォール・フィルムといえば、『怒りをこめて振り返れ』(’56)や『土曜の夜と日曜の朝』(’60)、『長距離ランナーの孤独』(’62)などの名作を次々と生み出し、同時期に起きたフランスのヌーヴェルヴァーグと並ぶ重要な映画運動「フリー・シネマ」の中心的な役割を果たしたスタジオである。この舞台版を見て映画化を思いついたリチャードソンは、舞台演出家時代から気心の知れたレウェンスタインに映画版のプロデュースも任せることに。そんな彼らが本作の演出に白羽の矢を立てたのが、当時ビートルズ映画で大当たりを取っていた新進気鋭の映画監督リチャード・レスターだった。 フィラデルフィアで生まれた生粋のアメリカ人だが、少年時代からハリウッド映画よりもヨーロッパ映画を好んで育ったというレスター。19歳で大学を卒業して大手テレビ局CBSに就職したものの、なんとなくアメリカの水が肌に合わないと感じていた彼は、’55年に開局したイギリスのテレビ局ITVの立ち上げに携わり、そのまま同局の番組ディレクターとしてロンドンに居ついてしまう。やがてテレビCMの世界にも進出し、仕事を通じてピーター・セラーズと意気投合したレスターは、セラーズ主演の短編コメディ『とんだりはねたりとまったり』(’59)で映画監督デビュー。そして、この映画の大ファンだったビートルズの指名によって、『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(’64)と『ヘルプ!4人はアイドル』(’65)の監督に起用され、テレビCMで培ったポップで斬新な映像感覚が注目される。本作はその合間に手掛けた作品だった。 当時まだ32歳のフレッシュな才能リチャード・レスターと、フリー・シネマの総本山ウッドフォール・フィルム。「スウィンギン・ロンドン」時代の幕開けを告げる映画として、これほど理想的な顔合わせはないだろう。根っからのビジュアリストであるレスター監督は、原作の舞台劇をそのまま映画化するのではなく大胆に改変。重要な要素である「性の解放」と「世代間ギャップ」というテーマはしっかり残しつつ、現実と妄想が巧みに交錯するシュールでお洒落なブラック・コメディへと昇華させている。 早回しや逆再生、ジャンプカットなどの映像技法を凝らした自由奔放な演出は、まさしくビートルズ映画で世に知らしめた当時の彼のトレードマーク。早口で飛び交うリズミカルなセリフのやり取りは、まるでメロディのないミュージカル映画のようだ。バスター・キートンやジャック・タチを彷彿とさせる、とぼけたビジュアル・ギャグの数々も皮肉が効いている。自分たちを縛ろうとする固定概念にノーを突きつけ、今まさに生まれ変わろうとするロンドンの街を、自由気ままに駆け抜けていく4人の若い男女に思わずウキウキワクワク。そんな彼らを見て眉をひそめ、陰口をたたくオジサンやオバサンたちの様子がまた面白い。実はこれ、ロケ現場でたまたま居合わせた通行人を隠し撮りした映像を使っている。そこへ後からセリフを被せているのだ。当時のイギリスの中高年層が、ベビーブーム世代の若者たちをどのような目で見ていたのか分かるだろう。 ヒロインのナンシーを演じるのは、舞台版に引き続いてのリタ・トゥシンハム。当時の彼女はトニー・リチャードソンの『蜜の味』(’61)やデズモンド・デイヴィスの『みどりの瞳』(’64)に主演し、文字通り「フリー・シネマのミューズ」とも呼ぶべき存在だった。そういえば彼女、’60年代のロンドンを描いた『ラストナイト・イン・ソーホー』(’21)にも出ていたが、あの映画のヒロイン、エリーとサンディは本作のナンシーの暗黒バージョンみたいなものと言えよう。後にロンドンとブロードウェイの初演版『オペラ座の怪人』などに主演し、ミュージカル界の大スターとなるマイケル・クロフォードもウルトラ・チャーミング。そのピュアな少年っぽさは、どことなくエディ・レッドメインを彷彿とさせる。 さらに本作は、無名時代のジェーン・バーキンにジャクリーン・ビセット、シャーロット・ランプリングが出演していることでも知られている。夢とも現実ともつかぬオープニング・シーンで、モテ男トーレンに会うため階段にズラリと並んで列を作っている美女たち。ドアを開けたコリンの目の前に立っている女性がジャクリーン・ビセットだ。さらに、コリンの部屋に椅子を借りに来て、その後トーレンのバイクに乗って颯爽と去っていく美女がジェーン・バーキン。また、トーレンやコリンと水上スキーを楽しむダイビングスーツ美女2人の片割れがシャーロット・ランプリングである。 同年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールと青少年向映画国際批評家賞の2部門に輝き、リチャード・レスター監督の名声を決定的なものにした『ナック』。当時は斬新だった映像技法やユーモアも、時代と共に色褪せてしまった感は否めないものの、しかし「スウィンギン・ロンドン」前夜の活気溢れるロンドンの空気を今に伝える作品として、映画ファンならずとも見逃せない作品だ。■ 『ナック』© 1965 Woodfall Film Productions Limited. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.04.06
ヌーヴェルヴァーグの先駆者シャブロルの代表作『いとこ同志』
「フランスのヒッチコック」とも呼ばれたシャブロルとは? ‘50年代後半から’60年代にかけて、フランス映画界を席巻した「ヌーヴェルヴァーグ」の大きな波。当時のヨーロッパではイギリスのフリー・シネマやドイツのニュー・ジャーマン・シネマなど、各国で新世代の先進的な若手映像作家が急速に台頭し、旧態依然とした映画界に変革を起こしつつあった。それはヨーロッパ最大の映画大国フランスでも同様。従来のスタジオシステムに囚われない若い才能が次々と登場し、その大きなうねりを人々は「新たな波=ヌーヴェルヴァーグ」と呼んだのである。 このヌーヴェルヴァーグのムーブメントには、大きく分けて「カイエ・デュ・シネマ派」と「セーヌ左岸派」が存在した。前者は雑誌「カイエ・デュ・シネマ」に寄稿していたフランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、エリック・ロメールなどの映画批評家たち、後者はパリのセーヌ左岸に集ったアラン・レネやアニエス・ヴァルダ、ルイ・マルなど主にドキュメンタリー出身の作家たち。その「カイエ・デュ・シネマ派」の中でも先陣を切って映画制作に乗り出し、トリュフォーやゴダールと並んでヌーヴェルヴァーグの旗手と目されたのがクロード・シャブロルだった。 とはいえ、当時のヌーヴェルヴァーグ作家群の中でも、シャブロルは少なからず異質な存在だったと言えよう。ゴダールは自己表現のために映画を利用し、シャブロルは映画そのものに奉仕すると言われるように、彼は特定のジャンルやイデオロギーに囚われることなく様々なタイプの映画に取り組む、純粋な意味での「映画作家」だった。なので、やがてヌーヴェルヴァーグの勢いが落ち着いていくと、商業映画に背を向けたゴダールやリヴェットが政治的に先鋭化し、資金繰りに窮したロメールはテレビへ活路を見出し、トリュフォーはメインストリームのアート映画を志向するなど、ヌーヴェルヴァーグの仲間たちが各々別の道を模索していく中、シャブロルは折から流行のスパイ・コメディなど大衆娯楽映画に進出する。恐らく彼にとっては、たとえ低予算のプログラム・ピクチャーであろうと、大好きな映画を撮り続けることが重要だったのだろう。 中でも彼が最も得意としたのはミステリー映画。アルフレッド・ヒッチコックやフリッツ・ラング、ジョゼフ・L・マンキーウィッツなどをこよなく愛し、ロメールと共著でヒッチコックの研究書も執筆したことのあるシャブロルは、’60年代後半から’70年代にかけて『女鹿』(’68)や『肉屋』(’69)など数々の優れたミステリー映画を発表し、一時は「フランスのヒッチコック」とも評されるようになる。ヌーヴェルヴァーグを一躍世に知らしめたと言われ、ベルリン国際映画祭では金熊賞を獲得した監督2作目『いとこ同志』(’59)にも、既にその兆候を垣間見ることが出来るだろう。 明暗を分ける「いとこ同志」の青春残酷物語 法学の試験を受けるため、田舎から大都会パリへとやって来た若者シャルル(ジェラール・ブラン)。真面目でシャイなお人好しの彼は、同じく法律を学ぶ従兄弟ポール(ジャン=クロード・ブリアリー)と同居することを条件に、過保護な母親の許しを得ることが出来たのだ。そのポールは、シャルルとまるで正反対の破天荒で不真面目なプレイボーイ。広い高級アパートに遊び仲間を集めては、夜な夜なドンチャン騒ぎを繰り広げている。その贅沢な暮らしぶりに圧倒される田舎者のシャルルだったが、少しずつグループの輪にも慣れていき、大都会での暮らしを満喫しつつ勉学に励む。日頃から傲慢で自堕落なポールも、実のところ根は悪い人間ではなかった。 そんなある日、シャルルはポールの取り巻きグループの女性フロランス(ジュリエット・メニエル)に一目惚れする。恋に落ちると周りが見えなくなってしまう初心で不器用なシャルル。それなりに恋愛遍歴を重ねてきたフロランスも、今どき珍しく純情で一途なシャルルに好感を抱き、デートの誘いに応じるようになる。ところがある時、約束の時間を間違えたフロランスがアパートでシャルルを待っていたところ、ポールとその悪友クロヴィス(クロード・セルヴァル)に忠告される。真面目過ぎるシャルルと遊び慣れた君とでは絶対に合わない、いずれ退屈して彼を傷つけることになるだけだ…と。なんとなくその場の雰囲気でポールとキスしたフロランスは、そのまま彼の恋人として同居することになる。 この予期せぬ展開に大きなショックを受けるシャルルだったが、それでもなんとか平静を装い、試験に合格して見返してやろうとする。なにより、女手ひとつで育ててくれた母親の恩に報いるためにも、試験に落ちるわけにはいかなかった。とはいえ、目の前でいちゃつく2人との共同生活はストレスで、なかなか勉強にも身が入らない。そんなシャルルの複雑な心境も考えず、勉強ばかりしないで一緒に遊ぼうよ!と無邪気に誘うポールとフロランス。おかげで、シャルルはあえなく試験に落第してしまう。一方、ろくに勉強などしなかったポールは、賄賂とコネを使ってちゃっかり合格を手に入れていた。恋人を横取りされたうえに、試験でも負けてしまったシャルル。やはり貧乏人は金持ちに敵わないのか。無力感と敗北感に苛まれた彼の心に、やがてポールへの殺意が芽生えていく…。 また、本作はシャブロルにとって最大の協力者である脚本家ポール・ジェゴフとの初仕事でもあった。ルイ・マル監督の『太陽がいっぱい』(’60)の脚本家としても知られ、シャブロルとは「カイエ・デュ・シネマ」時代からの親友だったジェゴフ。実は『美しきセルジュ』でも彼に手伝ってもらうつもりだったシャブロルだが、しかし当時のジェゴフは20世紀フォックス広報部の業務で忙しかったために叶わなかった。まあ、もとはといえば先にフォックスで仕事をしていたシャブロルが、スタッフ増員の際にジェゴフを引き入れたので、その経緯を考えれば無理を言えた義理ではなかったのだろう。その後、仕事に嫌気のさしたジェゴフはフォックスを退社。めでたく(?)本作での初コラボが実現することとなったわけだ。 基本的にジェゴフが草稿を書き上げ、そこにシャブロルが加筆・修正を加えていくというスタイルで完成した本作の脚本。元になったあらすじはシャブロルのものだが、しかし出来上がった脚本の99.5%はジェゴフのものだという。そんなジェゴフは相当に破天荒な人物だったそうで、なおかつ女性関係にもだらしなかったという。もしかすると、ポールのモデルは彼だったのかもしれない。ただまあ、若い頃のシャブロルもなかなかのヤンチャ坊主で、しかも女癖の悪さを治すために結婚したというほどの遊び人だったらしいので、反対にジェゴフがシャブロルをもとにしてポールの人物像を作り上げたとも考え得る。その辺りも興味深いところだ。 ちなみに、本作は後にシャブロルのミューズとして数々の映画に主演し、2番目の妻ともなる女優ステファーヌ・オードランとの初仕事でもある。ポールの友人で生真面目すぎる若者フィリップを振り回す、プラチナブロンドの浮気性女フランソワーズを演じているのがオードランだ。主演のジェラール・ブランとジャン=クロード・ブリアリーは、前作『美しきセルジュ』からの再登板。これが本格的な映画デビューだったフロランス役のジュリエット・メニエルは、化粧石鹸の広告で彼女を見かけたシャブロルによってスカウトされたという。■ 『いとこ同志』© 1959 GAUMONT
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COLUMN/コラム2022.04.06
『ジョーズ』ブームの流れを汲むエログロ満載の海洋モンスター映画!『モンスター・パニック』
男は殺して女はレイプする!残酷でスケベな半魚人軍団が漁村を襲撃! ハリウッド映画にセックスとバイオレンスが溢れていた時代を象徴するようなモンスター映画である。1934年に映画界の自主規制条項ヘイズ・コードが実施されて以降、キリスト教のモラルに反するような性描写や暴力描写などが半ばご法度となってしまったハリウッド。ヘイズ・コード自体に法的な強制力があったわけではないが、しかし全米の映画館の大半はアメリカ映画製作者配給者協会(現在の映画協会)の承認した映画しか上映せず、その承認を得るためにはヘイズ・コードの条項を遵守したうえで審査を受ける必要があった。そのため、草創期のアメリカ映画には存在したセックスとバイオレンスが、30年以上に渡ってほとんど影をひそめてしまったのである。 もちろん、そうした実質上の「検閲」を意に介さないフィルムメーカーたちも存在はした。ハリウッドの映画業界とは縁もゆかりもなく、従ってヘイズ・コードの審査を通す必要もないインディペンデント映画の製作者たちだ。彼らはメジャーな映画をレンタルする経済的な余裕がない場末の映画館やドライブイン・シアターのため、安上がりで刺激的な内容の性教育映画やヌーディスト映画、スプラッター映画を供給したのである。ただ、それらの作品は上映できる場所が限られていたため、一般的な映画ファンの目に触れる機会はあまりなかった。しかし、社会の意識改革が進んだ’60年代半ばになるとヘイズ・コードの影響力も薄れ、’68年には廃止されて現在のレーティング・システムが導入されることに。’70年代以降はハリウッドのメインストリーム映画でもセックスとバイオレンスが本格的に解禁され、中でも商魂たくましいB級エンターテインメントの世界では我先にと過激さを競うようになる。血みどろの残酷描写とあられもない女体ヌードが満載の本作『モンスター・パニック』(’80)も、そんなハリウッドのエログロ全盛期に誕生した映画のひとつだった。 舞台はカリフォルニア州の小さな漁村ノヨ。豊かな自然に恵まれた平和な場所だが、しかしその水面下では住民同士の対立が深まっていた。というのも、数年前から地元に大きな缶詰工場の建設が計画され、その経済効果に期待する推進派と環境破壊を懸念する反対派が互いにいがみ合っていたのである。中でも推進派の代表格ハンク(ヴィック・モロー)と、反対派のリーダーであるネイティブ・アメリカンの青年ジョニー(アンソニー・ペーニャ)は犬猿の仲。人種差別主義者でもあるハンクはジョニーを目の敵にし、子分どもを率いてたびたび嫌がらせをしていたのだが、村人からの信頼も厚い中立派のジム(ダグ・マクルーア)の仲裁で、なんとか決定的な衝突が避けられているような状態だった。 そんなある日、沖合に出ていた漁船が正体不明の巨大生物に襲われて大破し、さらに地域で放し飼いにされていた犬たちが大量に殺される。これを反対派の仕業だと勝手に思い込んで報復を計画するハンク一味。しかし、真犯人は海から陸へ上がって来た半魚人の群れだった。やがて、海岸でデートをしている若いカップルが次々と半魚人に襲撃されていくのだが、しかし殺されるのは男性だけ。一方の女性は片っ端からレイプされてしまう。ジョニーの自宅でバーベキューを楽しんでいたジムの弟トミーと恋人リンダも被害に遭い、辛うじてトミーは一命を取り留めたものの、助けを呼ぶため車を走らせたリンダは、半魚人に襲われて端から転落死してしまった。ジョニーの証言によって村の危機を知ったジムは、缶詰工場の顧問を務める生物学者スーザン(アン・ターケル)の協力を得て真相究明に乗り出す。 以前から運営会社に環境破壊の危険性を警告していたスーザンは、会社が秘密裏に遺伝子操作で開発した新種のサーモンが工場から流出し、それを食べた海洋生物が突然変異でヒューマノイド化したと推測する。しかも、彼らは種を進化させるために人間の女性との交配を目論み、不要な男性は容赦なく殺していたのである。折しも、村では毎年恒例のサーモン祭が開かれようとしていた。住民や観光客に警戒を呼び掛けようとするジムとスーザン。しかし時すでに遅く、大量の半魚人軍団に襲撃されたサーモン祭は阿鼻叫喚の地獄と化してしまう…! 『モンスター・パニック』© 1980 New World Productions, Inc. All Rights Reserved.