飯森:最後に語っておきたいのが、ザ・シネマ社内で勃発した“「ブリングリング」ゲイ論争”です。

なかざわ:へ? どういうことです?

飯森:いや、あの作品が公開された時に、いつもの調子でうちのスタッフと感想や解釈について雑談していたんですけれど、僕は主人公の男の子がゲイだとは全く気付かなかったんです。本国のティーザー【注73】版ポスターには、主人公たちが格好つけてかけるサングラスだけが縦に並んでいて、そこに各キャラクターそれぞれの肩書きが書いてあるんですね。こいつが「首謀者」、こいつは「スター」みたいな感じに。で、この男の子のサングラスにはThe Right-Hand Manと書かれているんです。直訳すると「右手男」。これはどういう意味だろうと。日本では頼りにしている手下のことなどを「ボスの右腕」なんて呼んだりしますが、果たして英語の慣用表現でもそう言うのか?まあ、辞書で調べれば一発で分かったものを、調べるまでもなく、僕はマスタベーションのことだろうと即・思ったわけです(笑)。「右手が恋人」って表現が日本語にはあるじゃないですか。

なかざわ:はいはい、だったら左利きの人はどうするんだって話ですけどね(笑)。

飯森:左手だと他人に手コキされてるみたいでもっと気持ちいいという真面目な学説もありますが(笑)。まあ、それはいいとして、僕はThe Right-Hand Manというのを、オナニーしまくっている童貞野郎という意味に曲解したんです。

なかざわいやいや、英語でも「右腕」で正解ですよ(笑)。

飯森:首謀者である中国系の娘の右腕ってことが正解だったんですけどね。僕は、転校生で友達のいない主人公が、たまたま仲良くなった女の子とつるんで女子グループに入れてもらい、あわよくば誰でもいいから一発やらせてくれ!一番気が合う中国娘だったら最高だけれど、ハーマイオニー【注74】でも相手にとって不足はない、他の名も無き脇役みたいな娘たちでも一手ご指南願えるんだったら選り好みはしないんで是非とも!というわけで、彼女たちに気に入られようとワンチャン狙いでパシリとして仕える“童貞残酷物語”だと勘違いしちゃったんですよ。これがね、うちの女性スタッフによると「違う!彼はもともと男子グループよりむしろ女子グループにこそ入りたいようなメンタルの持ち主なんだ」と。男同士つるんでマッチョにスポーツなんかするよりは、女子に混じってファッションの話をしたいゲイの男の子なんだと言うんですが、悔しいことに僕には1ミリたりともゲイの要素がないので、当時はその解釈に納得いかなくて大論争にハッテン、もとい発展したんですよ。僕はゲイの考えは分からないけど、童貞の考え方なら理解できる。っていうか残念ながらそれしか理解できない。なので、主人公と主犯格の中国系の女子とは波長の合う親友、という描き方をソフィアたんはしていただけだったんですが、僕には主人公が彼女に惚れていて、やりたがっているようにしか見えなかった。そして、最後には捕まって刑務所送りになる。刑務所行きの護送車で、ダニー・トレホ顔【注75】とかアイス・キューブ顔【注76】が並ぶ囚人の中、ツルンとした顔の紅顔の美少年がただ1人。これはもう…

なかざわ完全にやられちゃうなと(笑)。

飯森:女子とやりたい一心で犯罪にまで手を染めちゃった童貞小僧が最後はダニー・トレホにやられちゃうという、まことに皮肉な、因果応報なお話でしたとさ!と綺麗にオチがつく解釈のはずだったんですけれど、うちの女性スタッフからは「どこをどう見たらそんな話になるんだ!ソフィアを汚すな!!」って憤慨されましてね(笑)。その後で、いろんな人の話を聞いても、僕以外は全員、あの子はどう見てもゲイじゃん?って言うんですよね。

なかざわ:まあ、確かに彼の立ち位置は微妙ですけれどね。明確に彼はゲイです、っていう直接的な描写もありませんし。

飯森:でも、彼がパリス・ヒルトンの家から盗んだ靴を、下着姿になって履くシーンがありますよね。

なかざわ:とはいえ、世の中にはノンケでも女装が好きな人は結構いますし、なにしろ、パリス・ヒルトンの靴ですから、思わず履いてみるっていうのも有り得ますよね。シャンパンを注いで飲む奴もいそうですけど(笑)。

飯森それじゃ元彼のタランティーノじゃないですか(笑)。でも、ですよねえ!僕だって絶対に履いちゃいます。綺麗な女性芸能人の靴が手元にあったら、そりゃノンケだって普通は履いてみるでしょう。でもね、今となっては、この論争は勝負アリなんですよ。僕の完敗です。まず過去の監督やキャストのインタビューを見ると、「彼はゲイ」と明言していたんですよ。もちろん、映画は作り手のものではなく我々観客のものなので、受け手によって解釈は自由です。見る方がノンケだと感じたのならそれがその人にとっては唯一絶対の正しい解釈なんですけど、ただしこの論争に関しては、僕が全面的に間違っていたと負けを認めざるをえない。というのも、もしこいつがノンケだとしたら、今まで述べてきたソフィアたんの作家性と合致しなくなってしまうから。
 最後に刑務所へ護送車で送られていく彼の表情がその決定的証拠です。罪の意識や後悔の念を感じているようには見えない。女子たちの誰かに童貞を捧げられなかった無念さも無論ありません。彼が脱童貞のために女子のパシリをしていたノンケなんだったら、ここで「女とやりたくて犯罪にまで手を染めたのに、結局やれず終いで、逆に男にやられちゃうのかよ、チキショー!」という顔をしていなければならない。でも、 それどころか、満足気な達成感すら見て取れるんです。微妙に眩しそうに微笑んでいるように見える。たまたま異性だった、恋愛には発展しえない親友の女子と、思いっきりやりたい放題を楽しんだ、そのキラキラした瞬間の数々、“10代キラキラ”と“ラブストーリー一歩手前キラキラ”を思い返して眩しそうに目を細めている。そう解釈したほうがよほどソフィアたんらしい。

なかざわ:そう考えると、彼女はセックスというものを、結構どうでもいいものに分類しているように思えますね。

飯森:だから、前月のヴァレリアン・ボロフチック特集の次にソフィア・コッポラを特集できるというのは、本当に良かったと思うんです。セックスというものが人間にとって欠くべからざる重要なファクターだというボロフチックに対して、セックス?恋愛?どーでもいいわ!というのがソフィアたん。彼女はそういう白か黒かみたいなことには興味がなくて、その中庸にこそホンワカとした機微のようなものを見出している。ここはぜひ、オジサンたちもボロフチックは見るでしょうから、今回ソフィアたんの作品にも触れていただいて、十代の頃に戻ってもう一度“キラキラ感”を体感して欲しいと思いますね。うおっまぶしっ!

(終)

<注73>一般的には本格的な広告展開を行う前の段階として、商品などの詳細を明かさないことで消費者の注意を喚起する宣伝手法のこと。映画やテレビドラマなどにおいても、作品のタイトルやイメージ画像のみを使用したポスターや予告編を流布し、その次に展開する正式なポスターや予告編へと繋げていく。 
<注74>「ハリー・ポッター」シリーズのキャラクター。演じるのはエマ・ワトソン。1990年生まれ。イギリスの女優。「ブリングリング」では、空き巣に積極的に加わりながら家庭では良い子を演じ、事件発覚後は巻き込まれただけと主張する悪役を好演している。
<注75>1944年生まれ。アメリカ出身の俳優。元ギャング。コワモテの悪役俳優として活躍し、「マチェーテ」シリーズ(’10、’13)で主演し注目される。
<注76>1969年生まれ。アメリカ出身のラッパー、俳優。伝説のヒップホップグループN.W.A.の元メンバーで、映画に進出してからは出演だけでなく、製作、脚本、監督までこなす。

『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved