ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2024.07.03
巨匠ジョン・カーペンターによるSFホラーの金字塔!その恐怖の舞台裏に迫る!『遊星からの物体X』
実は2度目の映画化だった ホラー映画の巨匠ジョン・カーペンター監督が手掛けた、SFホラー映画史上屈指の傑作である。舞台は雪に閉ざされた冬の南極観測基地。殺した人間や動物を体内に取り込んで細胞レベルからコピーし、本物と成り代わってしまう謎のエイリアンが犬を介して基地内へ秘かに侵入。一人また一人と隊員を殺しては同化し、さらにそこから分裂と増殖を繰り返していく。気心の知れた同僚が気付かぬうちに本人ソックリの怪物と入れ替わってしまう恐怖。誰が本物で誰が偽者なのか…?という疑心暗鬼とパラノイアを描いた、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を彷彿とさせる緊迫したストーリーの面白さも然ることながら、特定の形状を持たず自由自在に擬態・変態を繰り広げるグロテスクなエイリアンを、当時の最先端テクノロジーを駆使して表現したドロドロ&グチャグチャなSFXシーンの強烈なこと!あんな映像、当時は他で見たことなかった。いわゆるクリーチャー・エフェクトに革命をもたらした映画でもあったのだ。筆者は高校生だった’80年代半ばに東京都内の名画座で初めて見たのだが、あの時のスリルとショックと興奮は未だに忘れられない。 原作はアメリカの大物SF作家ジョン・W・キャンベルが、1938年にドン・A・スチュアートのペンネーム(元ネタは最初の妻ドナ・スチュアート)で発表した短編小説「影が行く」。キャンベルの母親は一卵性双生児だったそうで、息子でも見分けがつかないほど母親と瓜二つだが性格は真逆のおばさんと彼は折り合いが悪かったらしく、そこから「愛する人の中身が邪悪な別人だったら?」という小説のベースとなるアイディアが生まれたという。これが今までに2度、ハリウッドで映画化されている。 最初の映画化は’51年。『暗黒街の顔役』(’32)や『赤ちゃん教育』(’38)、『三つ数えろ』(’46)などでお馴染みの巨匠ハワード・ホークスがプロデュースを担当し、ホークス作品の編集者だったクリスチャン・ネイビイが監督を任されたRKO配給作品『遊星よりの物体X』である。実際は大半のシーンをホークスが演出したとも噂される同作は、ロバート・ワイズ監督の『地球の静止する日』(‘’51)と並んで、’50年代SF映画ブームの起爆剤となった名作。しかし、当時の技術では忠実な映画化が困難だったためか、原作の内容はだいぶ改変されてしまった。中でも最大の違いは地球外生命体の「物体X」である。フランケンシュタインの怪物みたいな容姿の「物体X」は植物が進化した知的生命体で、そのため感情や感覚がなく武器も通用しないという設定。一応、短時間で繁殖が可能という設定だけは残されたが、しかし他の生物を体内へ取り込んで擬態することはなく、ただ単に人間や動物の血を吸って殺すだけ。極めてオーソドックスなモンスターとなってしまった。 ‘51年版に多大な影響を受けていたカーペンター監督 それから20年以上の歳月が流れた’70年代半ば、ある人物が原作小説の再映画化に動き出す。当時、主にテレビ業界で活動していた新進の若手プロデューサー、スチュアート・コーエンだ。「影が行く」の映画化権を手に入れた彼は、知人だった『ゲッタウェイ』(’72)や『新・動く標的』(’75)のプロデューサー、デヴィッド・フォスターに再映画化を提案。これを気に入ったフォスターは、当時コンビを組んでいた『卒業』(’68)の名プロデューサー、ローレンス・ターマンと一緒にユニバーサルへ企画を持ち込んだところ承認されたというわけだ。さらにユニバーサルは、当時RKO作品の権利を所有していたウィルバー・スタークから『遊星よりの物体X』のリメイク権も獲得。その際の交換条件として、スタークは本作の製作総指揮に名前がクレジットされている。後にスタークは自分が脚本執筆に関わったと主張したそうだが、しかし実際は製作過程に一切タッチしていないという。 こうして企画の動き出した『遊星からの物体X』。発案者であるスチュアート・コーエンが当初より監督に想定していたのは、南カリフォルニア大学映画芸術学部時代の友人ジョン・カーペンターだった。そもそも彼が再映画化を思いついたきっかけは、自主制作のデビュー作『ダークスター』(’74)が劇場公開へ漕ぎ着けたばかりのカーペンターやダン・オバノンと、ロサンゼルスで食事をした際に『遊星よりの物体X』が話題に上ったこと。少年時代に同作を見て夢中になったというカーペンターは、当然ながらジョン・W・キャンベルの原作小説も熟読していた。何よりもカーペンターはハワード・ホークスの熱狂的な崇拝者である。再映画化の演出を任せるに適任と思われたが、しかし当時のカーペンターはまだ無名に等しかったため、ユニバーサルの重役陣が首を縦に振らなかった。 代わりにユニバーサルが企画を任せようとしたのが、『悪魔のいけにえ』(’74)を大ヒットさせたトビー・フーパー監督とその盟友の脚本家キム・ヘンケル。しかし、方向性を巡って制作陣と意見が折り合わなかったために2人は降板し、その後も様々な人物が入れ代わり立ち代わり携わったが、なかなか企画は前に進まなかったという。そうこうしているうちに、カーペンター監督の出世作『ハロウィン』(’78)が口コミで空前の大ヒットを記録。さらに、リドリー・スコット監督の『エイリアン』(’79)の大成功でSFホラーが注目されたことから、ユニバーサルは今や時の人となったカーペンター監督を起用して企画に本腰を入れるようになったのだ。 ちなみに、『ハロウィン』の劇中で『遊星よりの物体X』がテレビ放送されているのはご存知の通り。これがユニバーサルへのアピールだったのかどうかは定かでないが、しかし撮影監督のディーン・カンディが明かしたところによると、『ハロウィン』の撮影に入る前にカーペンター監督の自宅で見せられた「参考作品」が、他でもない『遊星よりの物体X』のビデオテープだったという。それくらい、同作はカーペンター監督に多大な影響を与えているのだろう。 閑話休題。予てより適任の脚本家を探していたコーエンは、『がんばれベアーズ』(’76)シリーズの脚本に感心して、同作の脚本家ビル・ランカスター(俳優バート・ランカスターの息子)を起用。改めて事前にRKO版を見たカーペンター監督とランカスター、そしてプロデューサー陣は、『遊星よりの物体X』のリメイクではなく原作小説の忠実な映画化という方向性で意見が一致したという。当時『ザ・フォッグ』(’80)のポストプロダクションに取り掛かっていたカーペンター監督は、その合間を縫ってランカスターと脚本の内容を打ち合わせたという。そのうえで、ランカスターはカーペンター監督が『ニューヨーク1997』(’81)を撮影中に脚本を執筆。’80年の暮れ頃には第一稿が完成していたという。それまで自作の脚本は自ら書いていたカーペンター監督だが、本作で初めて他人が書いた脚本に満足できたのだそうだ。 屋外シーンのロケ撮影にこだわったカーペンター監督だが、しかし南極大陸での撮影はさすがに不可能。そこで代替のロケ地として選ばれたのが、極北のアラスカおよびカナダのブリティッシュ・コロンビア州だった。撮影監督には『ハロウィン』以来の常連ディーン・カンディを起用。’81年6月(一部に8月説もあり)にアラスカで撮影はスタートした。冒頭のノルウェー隊のヘリがハスキー犬を追いかけるシーンだ。8月に入るとロサンゼルスのユニバーサル・スタジオで屋内シーンの撮影も開始、その一方で、ブリティッシュ・コロンビア州のスチュワート近郊の鉱山跡に理想的なロケ地を発見した制作チームは、まだ雪の少ない夏を利用して南極観測基地の実物大セットを建設し、そのまま冬を待つこととなる。 ロサンゼルスの屋内シーン撮影は10月に終了。12月に入るとカナダでのロケ撮影が始まる。その頃になるとスチュアート近郊も一面銀世界。夏の間に建てられた南極観測基地のセットは、すっかり降り積もった雪に覆われており、とても撮影用のセットとは思えない「本物」らしさ醸し出す。初日に現場へ着いたキャスト陣も「まるで、ずっとそこに建っていたみたいだ」と驚いたそうだ。プロダクション・デザインを担当したのはユニバーサル専属のベテラン、ジョン・ロイド。これは屋内シーンにも言えることだが、まるで実際にそこで人が暮らして来たような生活感の滲み出る彼の撮影用セットは、本作の陰鬱とした禍々しい空気感に圧倒的なリアリズムを与えていると言えよう。 ・『遊星からの物体X』撮影現場でのキャスト集合写真 特殊メイクの若き天才ロブ・ボッティンの功績 生活感が滲み出ると言えば、地味ながらも渋い名優たちが揃ったキャスティングも良かった。とりあえずメジャースタジオの大作映画であるため、主人公マクレディ役にはカーペンター映画の常連俳優でもある人気スター、カート・ラッセルを起用。かつてディズニー映画の人気ティーン・アイドル・スターだったラッセルは、カーペンター監督のテレビ映画『ザ・シンガー』(’79)のエルヴィス・プレスリー役で大人の俳優への脱却に成功し、『ニューヨーク1997』のスネーク・プリスキン役でタフガイ・スターの仲間入りを果たしたばかりだった。 そのラッセルの脇を固めるのは、西部劇スタントマン出身のカウボーイ俳優ウィルフォード・ブリムリー(生物学者ブレア役)にロバート・アルトマン作品の常連俳優ドナルド・モファット(観測隊隊長ギャリー役)、テレビ『L.A.ロー/七人の弁護士』(‘86~’94)も懐かしいリチャード・ダイサート(コッパー医師役)、『チャンス』(’80)の弁護士役や『ミッシング』(’81)の米国領事役が印象深いデヴィッド・クレノン(ヘリ操縦士パーマー役)などなど、名前は知らずとも顔は知っている’80年代ハリウッド映画の名脇役ばかり。後に『プラトーン』(’86)や『オールウェイズ』(’89)などで有名になる黒人俳優キース・デイヴィッドは、本作の最期まで生き残る機械技師チャイルズ役で映画デビューを果たし、カーペンター監督とは『ゼイリブ』(’88)でも組むことになる。 さて、本作の撮影と同時に進められたのが肝心要となるクリーチャー・エフェクトの制作。当初、プロデューサーのデヴィッド・フォスターとローレンス・ターマンは、自らが製作した『おかしなおかしな石器人』(’81)でユニークなクリーチャーをデザインしたデイル・カイパーズに白羽の矢を立てた。カーペンター監督がこだわったのは「着ぐるみモンスターだけは絶対に避ける」こと。その要望を基にデザインされたカイパーズのアイディアをカーペンターは気に入ったそうだが、しかしそのカイパーズが怪我で企画から降板せざるを得なくなる。そこでカーペンターが声をかけた代役が、製作スタート当時まだ21歳だった若手特殊メイクアップ・アーティスト、ロブ・ボッティンだった。 根っからのホラー&SF映画マニアだったボッティンは、弱冠14歳にして特殊メイクの神様リック・ベイカーに弟子入り。『ハロウィン』を見てカーペンター監督の大ファンになった彼は、『ロックンロール・ハイスクール』(’79)で仕事をしたディーン・カンディに頼んでカーペンター監督を紹介してもらい、『ザ・フォッグ』の特殊メイクに参加したほか幽霊船の船長役で出演まで果たしていた。その後、ボッティンは『ハウリング』(’81)で披露した狼人間の変身シーンでセンセーションを巻き起こし、その見事な仕事ぶりに感心したカーペンター監督によって本作に起用されたというわけだ。 ただし、もともとカーペンター監督はクリーチャー・エフェクトの造形・操作だけをボッティンに任せる予定で、クリーチャー・デザイン自体はデイル・カイパーズのものを採用するつもりだったらしい。当然ながら、若くて創造力とやる気に溢れるボッティンは、他人のデザインを実現するだけの仕事なんて不満でしかなく、そのうえカイパーズのデザインが『エイリアン』のギーガーのデザインに似ていることも気になった。そこでボッティンが出したデザイン代案が、まさに原作や脚本のイメージをそのまま具現化したような、まるでH・P・ラヴクラフトのクトゥルフ神話に出てくるようなニョロニョログチャグチャの異形のモンスター。独創性においてもインパクトにおいても格段に優れているのは一目瞭然で、おのずとこのロブ・ボッティン案が採用されることとなったのである。 ただ、やはりこの複雑怪奇で斬新すぎるクリーチャー・デザインを実際に映像化するのは至難の業だったようで、おかげでSFXシーンの撮影は延びに延びてしまう。全米公開の予定は’82年6月。しかし、3月に入ってもSFX撮影は終わらず、休日返上で1日18時間働きづくめだったボッティンは、食事の暇も惜しんでキャンディバーとソーダだけで腹ごしらえをしていたこともあり、極度の疲労で病院に担ぎ込まれてしまった。そこで助っ人として呼ばれたのが『ターミネーター2』(’91)や『ジュラシック・パーク』(’93)などでオスカーに輝くスタン・ウィンストン。犬小屋の変態シーンはウィンストンの仕事だ。また、エイリアンが巨大化するクライマックスはストップモーション・アニメで制作することになり、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのVFXマン、ランドール・ウィリアム・クックがミニチュア撮影を担当。ようやく完成したのはプレビュー試写の直前だったという。 劇場公開時に過小評価されてしまった理由とは? かくして、ユニバーサルが自信をもって贈るサマーシーズンのブロックバスター映画として、’82年7月25日に全米840の映画館で一斉に封切られた『遊星からの物体X』。ところが、今となっては信じられないことだが、批評的にも興行的にも当時は大惨敗を喫してしまう。その最大の原因が、過剰なまでにグロテスクなクリーチャー・エフェクト。犬の顔が食肉植物みたいにパカッ!と開いて無数の触手がヒュルヒュルと飛び出したり、人間の頭部が勝手にギューッと伸びて首から引きちぎれて転げ落ちたと思ったら、口から蜘蛛の脚みたいなものがニョキニョキと生えて歩き始めたり、人間や犬のボディパーツがグッチャグチャに入り交じったモンスターが巨大化したりと、思わず笑いがこぼれてしまうほどトゥーマッチなゴア描写は、それこそ特撮マニアであれば狂喜乱舞する見事な出来栄えだったが、しかし当時の大方の映画観客や批評家には刺激が強すぎたようで、「気持ちが悪すぎる!」「紛れもないゴミだ!」などと散々な言われようだった。中には「こんな映画、子供には見せられない!」との批評もあったそうで、それを読んだキース・デイヴィッドは「なら子供に見せなけりゃいいだろ!」と突っ込んだのだとか(笑)。ただ、確かに本作はその過激なゴア描写のせいでR指定を受けてしまい、それが客足の鈍化につながったことは否定できない事実だろう。特にサマーシーズンのブロックバスター映画にとって、子供連れのファミリー層に見てもらえないR指定は大きな痛手である。 さらに、本作は公開されたタイミングも悪かった。なにしろ、’82年サマーシーズンのブロックバスター映画といえば、『コナン・ザ・グレート』に『ロッキー3』、『マッドマックス2』(本国オーストラリアでは’81年12月公開)に『スタートレックⅡカーンの逆襲』、さらには『E.T.』に『ポルターガイスト』に『トロン』に『愛と青春の旅立ち』に『初体験リッジモントハイ』に『13日の金曜日3』にと、例年になく話題作が勢ぞろいした文字通りの「豊作の年」だったのだ。 もともとハリウッド映画の稼ぎ時というのは年末のホリデー・シーズンを軸とした冬だったが、しかしスティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』(’75)やジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(’77)の大成功をきっかけに、従来は映画館に客が入らないと言われた夏休みシーズンに、大手スタジオ各社がイチオシの大作映画を封切るケースが増えて行く。そのサマー・ブロックバスターが本格化した最初の年が、他でもない’82年だったとも言われるのだ。しかも、2週間前に公開されたのがまるで正反対の心温まるファミリー向けSF超大作『E.T.』、本作の同日公開がリドリー・スコットの『ブレードランナー』である。あまりにも話題作が目白押しすぎるうえ、社会現象となった『E.T.』ブームの真っ只中とあれば、さすがに分が悪すぎたと言えよう。 おかげで、カーペンター監督は次回作として予定されていたユニバーサルの『炎の少女チャーリー』をクビになったばかりか、同社で複数の映画を撮るという契約も破棄されてしまうことに。当然ながら、当時のカーペンターは大変なショックだったらしく、その後数年間はインタビューでも本作の話題を避けるほど深いトラウマを残したという。本作が正当な評価を得るようになったのは、’80年代半ばにビデオ発売されてからのこと。今ではエンターテインメント・ウィークリーやローリング・ストーン、エスクワイアやヴァラエティなど、各主要メディアの選ぶSF映画やホラー映画の歴代名作ランキングでは必ず上位に入って来るし、ギレルモ・デル・トロやエドガー・ライト、J・J・エイブラムスなど本作に影響を受けたと公言する映像作家も少なくない。筆者もVHSにLD、DVDにブルーレイと本作のソフトを買い続け、これまでにどれだけ繰り返し見てきたことか!もちろん、何度見たって飽きることなどナシ!これぞ理屈を超えた面白さ、紛うことなき「不朽の名作」である。■ 『遊星からの物体X』© 1982 Universal City Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.07.01
大ヒットホラー『X エックス』と『Pearl パール』の生みの親タイ・ウェストの魅力に迫る!
出世作は惜しくも日本未公開 『ヘレディタリー/継承』(’18)や『ミッドサマー』(’19)の製作会社A24が新たに放つホラー映画として、ここ日本でも話題となったタイ・ウェスト監督のスラッシャー映画『X エックス』(’22)と、その前日譚に当たるサイコホラー『Pearl パール』(’22)が、7月のザ・シネマにて一挙放送される。そこで今回は、アメリカでは高く評価されながらも日本ではまだ知名度の低いタイ・ウェスト監督の作家性を紐解きつつ、その代表作となった『X エックス』と『Pearl パール』の見どころをご紹介したい。 アメリカ東海岸はデラウェア州の商業都市ウィルミントンに生まれ、本人曰く「典型的な郊外の中流家庭」に育ったというタイ・ウェスト監督。1980年生まれの「ミレニアル世代」だが、しかし少年時代にレンタル・ビデオで見た’70~’80年代のホラー映画に影響を受けて映画監督を志すようになった。本人が最も好きな映画として度々挙げているのは、ピーター・メダック監督の『チェンジリング』(’80)にニコラス・ローグ監督の『赤い影』(’73)、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(’80)にウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(’73)。なるほど、好みの傾向が分かろうというものですな。派手なショック演出よりも禍々しい雰囲気を重視し、ホラー要素よりも人間ドラマやテーマ性に比重が置かれ、じっくりと時間をかけて徐々に恐怖を盛り上げていく知的なホラー映画。それは、後のタイ・ウェスト監督作品にも共通する特徴と言えよう。 ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで映画作りを学んだウェスト監督は、恩師ケリー・ライカート(!)に紹介されたニューヨーク・インディーズ界の鬼才ラリー・フェッセンデンのプロデュースで、自身初の商業用長編作品となるヴァンパイア映画『The Roost』(’05・日本未公開)を発表。これがテキサス州で毎年開催される映画と音楽の大規模見本市「サウス・バイ・サウスウェスト」で評判となり、さらにハリウッド大手のパラマウントからDVD発売されたことから、ウェスト監督はイーライ・ロス監督の大ヒット・ホラー『キャビン・フィーバー』(’03)の続編『キャビン・フィーバー2』(’09)の演出を任されることとなる。 ところが、作品の方向性を巡ってウェスト監督とプロデューサー陣が真っ向から対立。あえてブラック・コメディ路線を狙った監督だが、しかしプロデューサーたちはその意図を理解してくれなかったという。『キャビン・フィーバー2』の撮影自体は’07年4月にクランクアップしていたそうだが、しかし劇場公開まで2年以上もお蔵入りすることに。その間に、プロデューサー側はウェスト監督に無断で追加撮影と再編集を行っており、これに強い不満を持ったウェスト監督は「アラン・スミシー名義」の使用を要求したが、しかし当時まだ彼は全米監督協会の会員でなかったために使用許可が下りなかったという。すこぶる評判の悪い同作だが、実はこういう裏事情があったのだ。 そんなタイ・ウェスト監督の出世作となったのが、’80年代のスラッシャー映画ブームにオマージュを捧げた『The House of the Devil』(‘09年・日本未公開)。これは、筆者がウェスト監督の才能に注目するきっかけとなった作品でもある。舞台は「悪魔崇拝者が子供たちを誘拐・虐待している」という噂が全米に広まり、いわゆる「サタニック・パニック」と呼ばれる集団ヒステリーが巻き起こった’80年代前半のアメリカ北東部。アパートの家賃支払いに困った10代の女子大生が、やけに時給の高いベビーシッターのアルバイトに応募したところ、それは生贄を求める悪魔崇拝カルトの仕掛けた罠だった…というお話だ。 生まれて初めて独り暮らしをすることになった貧乏学生のヒロイン。そんな彼女の抱える不安や心細さが、いかにも怪しげな古い大豪邸で過ごすひとりぼっちのアルバイトの不安や心細さと絶妙にシンクロし、やがてその漠然とした恐怖が現実のものとなっていく。細やかなディテールの積み重ねで、徐々に恐怖を煽っていくストーリーは地味ながらも圧倒的な真実味がある。なによりも、まるで本当に’80年代に作られた映画のような雰囲気に驚かされた。撮影では16ミリフィルムを使用。セットや衣装はもちろんのこと、オープニング・クレジットのフォントデザインからエンディング・クレジットの表示形式、劇中のカメラワークからチープな音楽スコアまで、’80年代の低予算スラッシャー映画のクリシェを徹底して模倣することで、当時の空気感までリアルに再現してしまうウェスト監督の演出力に感心させられる。この見事な作品が、いまだ日本で見ることが出来ないというのは実に惜しい。 タイ・ウェストの描くホラー映画の真髄とは? ちなみに、ここで注目したいのが『The House of the Devil』で主人公の親友を演じたグレタ・ガーウィグと、同作で911オペレーターの声を担当したレナ・ダナムの存在だ。ダナムは次作『インキーパーズ』(’11)にも脇役で出演している。ご存知、どちらも現在のアメリカのインディペンデント映画界を代表する女性作家にして、’00年代初頭にインディーズ映画のメジャー化に対抗する形で派生したサブジャンル「マンブルコア」(これを映画運動と見る向きもある)の代表的なフィルムメーカーに数えられている人たちだ。 マンブルコアとは自主製作映画の原点に立ち返り、現代アメリカ社会の日常に根差した身近なテーマを、自然体の即興芝居やモゴモゴとした聞き取りにくいセリフ(=マンブルコアの語源)、シンプルかつ自由な演出などを駆使して描いた、ウルトラ低予算の私小説的な映画群のこと。そのルーツはジョン・カサヴェテスやウディ・アレン、ミケランジェロ・アントニオーニやエリック・ロメールに求められる。アメリカでは’00年代に一世を風靡したマンブルコアだが、しかし日本では多くの作品が未公開のため認知度はそれほど高くない。とりあえず、ガーウィグが主演したノア・バームバック監督の『フランシス・ハ』(’12)や、そのガーウィグが監督した『レディ・バード』(’17)辺りは、’10年代以降のいわゆる「ポスト・マンブルコア」の系譜に属する作品。レナ・ダナムのテレビシリーズ『GIRLS/ガールズ』(‘12~’17)もマンブルコアの影響下にあると言えよう。他にもアダム・ウィンガードやジョー・スワンバーグ、デュプラス兄弟にアーロン・カッツ、「マンブルコアのゴッドファーザー」と呼ばれるアンドリュー・ブジャルスキーなどがマンブルコアの重要な作家と言われているが、実はタイ・ウェストもその仲間だった。 まあ、よくよく考えてみれば学生時代の恩師からして、マンブルコアの作家たちと親和性の高そうな「アメリカン・インディーズの至宝」ケリー・ライカートである。ガーウィグやダナムがウェスト作品に関わったように、ウェスト監督もウィンガードやスワンバーグの作品に役者として出演。マンブルコアの作家たちは互いの交流が活発だ。そもそもウェスト監督の『The House of the Devil』や『インキーパーズ』、ウィンガード監督の『サプライズ』(’11)や『ザ・ゲスト』(’14)などはマンブルコアのホラー版とも見做され、マンブルコアならぬ「マンブルゴア(マンブルコア+ゴア)」という造語まで生まれた。そういう視点でウェスト監督作品を改めて見返すと、「自分をホラー映画監督だとは思っていない」という彼の言葉にも少なからず納得できるだろう。 「恐怖というのは日常の延長線上にあるもの」というタイ・ウェスト監督。そのうえで、自身が作っているのはホラー映画ではなく、「ホラー映画へと変化する普通の映画」だと述べている。そういえば彼は『エクソシスト』や『シャイニング』を評価する理由として、前者は「病気の娘を抱えた女性」を描いており、後者は「家族を憎むアル中男」を描いている、どちらも「まずはドラマが優先でホラーは2番目」であることを挙げていたが、確かに彼自身の作品もホラー要素と同じかそれ以上にドラマ要素が重視される。そこはホラー映画ファンの間でも賛否の分かれるところで、実際にウェスト監督自身は「ハードコアなホラー映画マニアは僕のことを嫌っている」と感じているそうだ。 さて、その『The House of the Devil』でスクリームフェストやサターン賞などのジャンル系賞レースを賑わせたウェスト監督は、続くお化け屋敷映画『インキーパーズ』が初めて興行収入100万ドルを超えるスマッシュヒットを記録。友人のウィンガードやスワンバーグも参加したオムニバス・ホラー『V/H/Sシンドローム』(’12)や『ABC・オブ・デス』(’12)にも短編作品を提供し、かの有名な人民寺院の集団自殺事件をモデルにした実録恐怖譚『サクラメント 死の楽園』(’13)も話題となったが、しかし「ホラー映画だけの監督と思われたくない」との理由から挑んだ西部劇『バレー・オブ・バイオレンス』(’16)がまさかの大コケ。なんと、興行収入6万ドル強という桁外れ(?)の大失敗作となってしまったのだ。 それっきり、暫く映画の世界から姿を消してしまったウェスト監督。その間、『ウェイワード・パインズ 出口のない街』シーズン2や『アウトキャスト』、『エクソシスト』に『チェンバース:邪悪なハート』などなど、ホラー系やミステリー系のテレビシリーズのエピソード監督として活躍。脚本の執筆から資金集め、予算のやり繰りから完成後のプロモーションまで監督自身が奔走せねばならないインディペンデント映画に対して、完全なる雇われ仕事のテレビシリーズは余計なストレスが少ないため、色々な意味で良い骨休めになったという。そうして長い充電期間を過ごしたタイ・ウェスト監督が、およそ6年ぶりに挑んだ映画復帰作が『X エックス』だった。 極めてアメリカ的なメンタリティが根底に流れる『X エックス』 舞台は1979年。有名になることを夢見るポルノ女優志望のストリッパー、マキシーン(ミア・ゴス)は、映画プロデューサーを自称する恋人ウェイン(マーティン・ヘンダーソン)やその仲間たちと共に、自主制作のハードコアポルノ映画を撮影するためにテキサスの田舎へと向かう。彼らが辿り着いた先は、ハワード(スティーブン・ユーレ)にパール(ミア・ゴス)という高齢の老夫婦が暮らす広大な農場。その一角に建つ古い納屋を借りた一行は、老夫婦に内緒でこっそりとポルノ映画の撮影を始めるのだが、しかしマキシーンだけは老女パールの怪しげな様子が気にかかる。 実は、若い頃はマキシーンと同じくスターになることを夢見ていたパール。しかし、夢を実行に移すだけの勇気が彼女にはなく、田舎の片隅で後悔と不満を抱えたまま年老いていたのだ。そして今、フレッシュな若者たちの出現がパールの歪んだ承認欲求を刺激し、彼女を狂気へと駆り立てていく…。 以前から「いつか一緒に仕事をしよう」と言いながら実現しなかったA24の重役ノア・サッコに、ダメもとで脚本を送ったところすんなり企画が通ってしまったというウェスト監督。トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』(’74)から多大な影響を受けた作品であることは明白だが、それにしても’70年代のインディペンデント系ホラー映画の雰囲気が驚くほど忠実に再現されている。さすがはタイ・ウェスト監督。『The House of the Devil』と同じく、まるで実際に当時作られた映画みたいだ。ただし、今回は16ミリフィルムでの撮影は叶わなかった。’70~’80年代のインディーズ系ホラー映画の多くがそうだったように、当初は16ミリフィルムの使用を検討したというウェスト監督。しかし、本作が撮影されたのはコロナ禍のニュージーランド。通常よりもフィルムを現像するのに時間がかかるため、撮影期間中にラッシュを確認することが難しいことから断念、デジタルカメラで撮影せざるを得なかったという。 そんな本作でウェスト監督が描かんとしたのは、いわばアメリカ的な「起業家精神」。舞台となる’79年といえば、いわゆる「ポルノ黄金時代」の真っ只中である。今となっては信じられない話かもしれないが、当時は成人指定のハードコアポルノが映画市場を席巻し、中には『ディープ・スロート』(’72)や『ミス・ジョーンズの背徳』(’73)、『Debbie Does Dallas』(‘78・日本未公開)などのように、それこそメジャー映画並みの興行収入を稼ぐ作品まで登場、その『ディープ・スロート』の主演女優リンダ・ラヴレースや『グリーンドア』(’72)のマリリン・チェンバースなどはハリウッド・スターばりのセレブとなった。しかも、大半の作品は自主製作映画も同然のものばかり。つまり、無名の素人でも成功への足掛かりを掴むことが可能だったのだ。そんな一獲千金のチャンスを夢見てポルノ映画を撮影する、いわば「起業家精神」溢れるハングリーな若者たちを、田舎の片隅で叶わなかった若い頃の夢と満たされぬ欲望を抱えたまま年齢を重ね、静かに狂ってしまった老女パールがひとりまたひとりと殺していく不条理に、ある種の憐れみを込めた本作の恐怖の根源があると言えよう。 ちなみに、主人公をポルノ映画の撮影隊にした理由について、ウェスト監督は「ポルノとホラーは似ているから」と答えている。なるほど確かにその通り。どちらも低予算で作れるうえに、キャストやスタッフが無名でも客入りが期待できるため、他のジャンルに比べると極めて敷居が低い。特に’70年代当時は、それこそ本作に影響を与えた自主制作映画『悪魔のいけにえ』がメジャー級の大ヒットを記録し、そのおかげでトビー・フーパー監督もハリウッド入りしたように、ホラー映画はポルノ映画と同じく、映画界にコネのない人間がキャリアをスタートするに最適なジャンルだった。と同時に、その気軽さゆえ安易に量産されやすく、なおかつ金儲けのためにポルノなら本番シーン、ホラーならゴアシーンと刺激ばかりを追究するようになり、映画として大事なストーリー性や芸術性が蔑ろにされやすいという点でも似たものがあると言えよう。 ‘22年3月に全米公開され、興行収入1500万ドル超えというタイ・ウェスト監督のキャリアで最大のヒットを記録した『X エックス』。その半年後という異例のスピードで封切られたのが、若き日のパールを主人公にした前日譚『Pearl パール』である。 古き良きアメリカのダークサイドを浮き彫りにする『Pearl パール』 時は第一次世界大戦下の1918年。テキサスの田舎の農場に暮らす若い女性パール(ミア・ゴス)はハリウッド映画が大好きで、秘かに自分もスターとなることを夢見ている。しかし現実の彼女は保守的で厳格な母親(タンディ・ライト)に支配され、体の不自由な父親(マシュー・サンダーランド)の介護と農場の仕事に忙しく追われる毎日。そのうえ、若くして結婚した彼女は戦地へ出征した夫ハワード(アリステア・シーウェル)の帰りを待たねばならない。妻として娘として家庭に縛り付けられたパールに、自分の夢を追いかける自由などなかったのだ。 彼女の抑圧された願望や承認欲求を刺激するのが、街の小さな映画館のハンサムな若い映写技師(デヴィッド・コレンスウェット)。彼から「夢を追いかけるべきだ」と励まされるパールだが、しかし彼女にはそれだけの勇気も行動力もなかった。そんな折、義妹ミッツィ(エマ・ジェンキンス=プーロ)から軍隊慰問ショーのダンサーのオーディションがあると聞いたパール。この狭くて息苦しい田舎町から出ていく千載一遇のチャンスだ。ようやく人生に希望の光を見出した彼女は、親に内緒でミッツィと一緒にオーディションを受けることを決意。なにがなんでも合格して、スターになる夢を叶えたい。もはやそれしか考えられなくなったパールは、邪魔になる人間を次々と殺して狂気を暴走させていく…。 前作が’70年代のインディーズ系ホラー映画風だとすると、今回はハリウッド黄金期のテクニカラー映画風。中でも『オズの魔法使い』(’39)や’50年代のダグラス・サーク映画からの影響はかなり濃厚だ。当初はドイツ表現主義風のモノクロ映画にするという案もあったという。確かに、精神を病んだ人間の心象世界を表現するのにドイツ表現主義は適したスタイルだが、しかしパールの場合はちょっと病み方が違う。華やかな映画スターに憧れる彼女の心象世界は、むしろカラフルで煌びやかで狂気に満ちたものと考える方がしっくりとくる。ウェスト監督が言うところの「歪んだディズニー映画」だ。そこで落ちついたのが、ハリウッド黄金期のテクニカラー映画風スタイル。まだ映画がモノクロ&サイレントだった1910年代という時代設定からはズレるが、まあ、同時代を舞台にした『武器よさらば』(’57)とか『マイ・フェア・レディ』(‘64)みたいなものと受け止めればよかろう。 もともと『X エックス』の製作がスタートした当初は、シリーズ化の企画などなかったというウェスト監督。しかし以前に『サクラメント 死の楽園』で、撮影のために何もないところから建てた新興宗教コミュニティの巨大セットを取り壊した際に「勿体ない」と感じた彼は、今回もテキサスに見立ててニュージーランドに建てた農場のセットを、映画一本だけで取り壊してしまうのは惜しいと考え、同じセットを使ってもう一本映画を撮ろうと考えたという。そこで思いついたのが、殺人鬼の老婆パールがなぜサイコパスと化したか?を描く前日譚だったというわけだ。 脚本の執筆にはパール役のミア・ゴスも参加。たったの2週間で書き上げたそうで、『X エックス』の撮影が始まる前には既に『Pearl パール』の脚本も完成していたという。おかげで、後者のネタを前者に忍び込ませることも出来た。例えば、『X エックス』でパールは「ブロンドが嫌い」だと呟くが、その理由は続編『Pearl パール』で詳らかにされる。ほぼ同時に作られたからこそ可能になった仕掛けだ。実際、『X エックス』のクランクアップから3週間後に『Pearl パール』の撮影は始まっている。 浮かび上がるのは保守的な田舎の伝統的な家父長制にがんじがらめとなり、女というだけで人生の選択肢を狭められてしまったヒロイン、パールの痛みと哀しみだ。一見したところ平和で長閑な日常の裏で抑圧され、少しずつ狂気を醸成させていくパール。古き良き理想のアメリカが、誰のどんな犠牲の上に成り立っていたのか分かろうというものだろう。演じるミア・ゴスは、「もしパールが別の時代に生まれていて、もっと理解のある両親に恵まれていたら、あんな殺人鬼にはなっていなかったと思う」と語っているが、確かにその通りかもしれない。いわば、周りの環境が彼女をモンスターにしてしまったようなもの。だからこそ、本作は恐ろしくも哀しく切ないのだ。 そうそう、主演女優のミア・ゴスについても触れねばならないだろう。ラース・フォン・トリアーの『ニンフォマニアック』(’13)でデビューした頃から、そのクセの強い個性と大胆不敵な芝居が映画ファンの間で評判となりながら、しかし決定打と呼べるような代表作になかなか恵まれなかったゴス。この『X エックス』と『Pearl パール』の2作品で初の単独主演を果たし、ようやく女優としてブレイクすることとなった。「ミアが引き受けてくれなければ(『X エックス』も『Pearl パール』も)作ることはなかっただろう」というウェスト監督だが、なるほどマキシーン役もパール役も彼女以外に考えられないほどハマっている。ミア・ゴスなしではシリーズの成功もなかったはずだ。 なお、『X エックス』の後日譚に当たるトリロジー最終章『MaXXXine』(‘24・日本公開未定)もすでに完成しており、去る’24年6月24日にロサンゼルスのチャイニーズ・シアターでプレミア上映が行われたばかり。今回は1985年のロサンゼルスが舞台で、夢を叶えて有名なポルノ・スターとなったマキシーン(ミア・ゴス)が、一般作へのステップアップに挑む一方で謎の連続殺人鬼に命を狙われる。ウェスト監督曰く、ポール・シュレイダー監督の『ハードコアの夜』(’79)やゲイリー・シャーマン監督の『ザ・モンスター』(’82)、さらにはジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』(’84)やイタリアのジャッロ映画などに影響を受けたとのこと。共演陣もエリザベス・デビッキにケヴィン・ベーコン、ミシェル・モナハン、リリー・コリンズ、ジャンカルロ・エスポジトなどシリーズ中で最も豪華だ。’80年代キッズの映画マニアとしては期待度満点!日本公開の時期はまだ未定だが、とりあえずトリロジーの最終章をしっかりと見届けるためにも、ぜひこの機会にザ・シネマで『X エックス』と『Pearl パール』を楽しんでおいて頂きたい。■ 『X エックス』© 2022 Over The Hill Pictures LLC All Rights Reserved. 『Pearl パール』© 2022 ORIGIN PICTURE SHOW LLC. 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COLUMN/コラム2024.06.05
巨匠サム・ペキンパーが放った映画史上屈指の壮絶な反戦バイオレンス映画。『戦争のはらわた』
超有名なブロックバスター映画を断って本作を選んだペキンパー 「バイオレンス映画の巨匠」として名高いハリウッドの鬼才サム・ペキンパーが、それこそ人間のはらわたも飛び散る戦場の地獄を生々しく描いた凄まじい戦争映画だ。しかも、第二次世界大戦時のナチス・ドイツ軍部隊が主人公で、なおかつ彼らを血の通った人間として描いている。第3回アカデミー賞作品賞に輝いたルイス・マイルストーンの『西部戦線異状なし』(’30)やフランク・ボーゼージの『三人の仲間』(’38)など、第一次世界大戦を題材にした映画に限っていえば、ハリウッドの映画人がドイツ兵を人間らしく描いた作品は少なからず存在するものの、しかし第二次世界大戦となるとまた話は別。ホロコーストという人類史上最悪の戦争犯罪に手を染めたナチス・ドイツの軍人たちを、ハリウッドの映画人は往々にして許されざる絶対悪として描いてきた。ところが、本作でペキンパーは彼らを完全なる善人でもなければ完全なる悪人でもない、長所もあれば短所もある泥臭い人間の集団として描く。前年に封切られたジョン・スタージェスの『鷲は舞いおりた』(’76)と並んで、当時としては斬新な視点の戦争映画だったと言えよう。 ただしこの作品、厳密に言うとハリウッド映画ではない。まずはその辺りの背景事情から解説していこう。以前に本サイトに寄稿した『バイオレント・サタデー』(’83)のレビューでも言及したように、『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』(’73)を最後に興行的・批評的な失敗が続き、なおかつ頑固者で気難しいアルコール&ドラッグ依存症のトラブルメーカーとして悪名を馳せたことから、すっかり映画界の鼻つまみ者となってしまったペキンパー。それでも『キングコング』(’76)に『スーパーマン』(’78)というブロックバスター映画のオファーを立て続けに受けたらしいが、しかしどちらも本人の好むような企画ではなかったため、仕事がないにも関わらずあえなく断ってしまう。そんな折に舞い込んだのが、本作『戦争のはらわた』の企画だった。 発起人は西ドイツの映画プロデューサー、ヴォルフ・C・ハイドリッヒ。’50年代から主に低予算のB級娯楽映画を手掛けてきたドイツ版ロジャー・コーマンみたいな人で、中でも若い女性のセックス事情を疑似ドキュメンタリー形式でセンセーショナルに描いたソフトポルノ映画『女学生(秘)レポート』(‘70~’80)シリーズを世界的に大ヒットさせた商売人である。「ドイツ人がドイツを題材に国際規模のメジャー映画を作って成功できるかどうか試したかった」というハイドリッヒは、ドイツ側の視点から第二次世界大戦の東部戦線を描いたヴィリー・ハインリッヒの小説「Das Geduldige Fleisch(患者の肉体)」の映画化権を獲得。世界に通用する大作映画として仕上げるべく、ヨーロッパでも知名度の高い巨匠ペキンパーに白羽の矢を立てたというわけだ。ただし、今のようにネットニュースなど影も形も存在しない時代、どうやらペキンパーの悪評はハリウッドから遠く離れた西ドイツにまで届いていなかったらしく、いざ撮影が始まるとハイドリッヒは頑固で気難しい映画界の問題児に悩まされることとなる。 もともとドイツ人脚本家の用意した脚本原案があったそうで、それを土台に『カサブランカ』(’42)でオスカーに輝く大ベテランのジュリアス・エプスタインがオリジナル脚本を完成。しかし、エプスタインの脚本は極めてオーソドックスな正統派の戦争物だったらしく、これを気に入らなかったペキンパーは無名の若手ジョシュ・ハミルトンにリライトを任せ、さらに撮影中も愛弟子ウォルター・ケリーに随時指示しながら修正や追加を繰り返したという。ケリーは脚本のみならず一部シーンでペキンパーに代わって演出も手掛けている。 ロケ地は鉄のカーテンの向こう側! ロケ地に選ばれたのは旧東欧圏のユーゴスラヴィア。当時の共産圏陣営にあって一定の自由市場経済や言論の自由が認められ、ソ連ともアメリカとも距離を置いていた同国は、当時のチトー大統領が大変な映画好きだったこともあり、西側からの映画撮影誘致に積極的だった。イタリアの戦争映画や一部のマカロニ・ウエスタンはユーゴで撮影されたものが多かったし、バート・ランカスター主演の『大反撃』(’69)やクリント・イーストウッド主演の『戦略大作戦』(’70)などのハリウッド映画もユーゴでロケしている。’60年代の西ドイツではカール・メイ原作の国産西部劇映画(いわゆるザワークラウト・ウエスタン)が大変な人気を集めたが、それらも実は主に現在のクロアチアのパクレニツァ国立公園辺りをアメリカ西部に見立てて撮影されていた。人件費は安いし経験豊富なスタッフも撮影機材も揃っている。なるべくコストを抑えたい映画プロデューサーにとっては理想的なロケ地であろう。 ユーゴスラヴィア政府も撮影にはとても協力的で、戦闘シーンではユーゴスラヴィア人民軍がエキストラのみならず第二次世界大戦で実際に使われたロシア製やドイツ製の武器・戦車などを提供(ただし、ロシア製戦車は3台しか調達できず、なおかつそのうち1台は動かなかったため、編集技術で何台もあるように見せている)。しかしその一方、ディテールにまで強くこだわるペキンパー監督の演出方針に加えて、クルーやキャストがギャラの週給制度を要求し、毎週金曜日の給料日に支払いが遅れるとみんなで仕事をボイコットしたため、撮影スケジュールが大幅に伸びてしまった。また、現地の食事がお気に召さなかったペキンパーは、製作スタッフにイタリアで大量の牛肉の塊を買ってこさせ、ロケ地で薪や枯れ木を集めて火を焚き、自ら肉を切り分けてクルーやキャストにバーベキューを振る舞ったという。 そんなこんなで、当初400万ドルだった予算は最終的に600万ドルへと膨れ上がり、資金調達に行き詰まったプロデューサーたちがロケ地へ乗り込んで撮影を強制終了。「今日でクランクアップだ」と言われたペキンパーは目に涙を浮かべながら猛抗議し、主演のジェームズ・コバーンも激怒したそうだがプロデューサー陣には通用せず、仕方なく4台のカメラをフル稼働して最低限必要なシーンを滑り込みで撮り終えたのだそうだ。ペキンパー本人によると、本当ならあと数日で完了するはずだったという。その後、ロンドンでのポスト・プロダクション費用は共同制作を担当したイギリスのEMIフィルムが追加提供。当時、ドイツ映画としては戦後最高額の予算をかけた超大作と宣伝されたが、しかし例えば『遠すぎた橋』(’77)の2500万ドルや『ナヴァロンの嵐』(’78)の1050万ドルなど、同時代の戦争大作映画と比べると明らかに安価で作られている。そもそもストーリーの規模を考えてみれば、当初の400万ドルという数字自体が少なすぎたのだ。 そこに描かれるのは戦場のリアルな地獄 時は第二次世界大戦下の1943年、場所は東部戦線のクリミア半島。ソ連軍の猛反撃にナチス・ドイツ軍が苦戦を強いられる中、怖いもの知らずの英雄シュタイナー伍長(ジェームズ・コバーン)率いるならず者部隊が孤軍奮闘する。自由気ままで粗野で反抗的なシュタイナーだが、しかしリーダーシップは抜群で部下からの信頼も絶大ゆえ、上司であるブラント大佐(ジェームズ・メイソン)やキーゼル大尉(デヴィッド・ワーナー)も一目を置く存在だ。そんなところへ、西部戦線のフランスからエリート将校シュトランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)が新たに赴任してくる。ドイツ軍人最高の栄誉である鉄十字勲章が喉から手が出るほど欲しいシュトランスキーは、劣勢の東部戦線で武勲を立てれば必ずや受勲できると考えて志願したのだ。 そんなシュトランスキーのことをシュタイナーははなから軽んじる。なにしろ、見るからに威張りくさった優等生。ソ連軍の砲弾が飛んでくる度ビクビクしている様子から察するに、ろくに前線で戦った経験がないことは明らかだ。実際、戦闘中は安全な塹壕の会議室から一歩も外へ出ようとしない臆病者。そのくせ自己評価とエリート意識だけは高くて尊大なクソ野郎だ。一方、プロイセン貴族出身であることを最大の誇りにする権威主義者シュトランスキーにしてみれば、一介の無名兵士に過ぎない平民出身のシュタイナーが、生まれも育ちも特権階級である高級将校の自分に敬意を払わないことが許せない。それでも、鉄十字勲章を得るにはシュタイナーを味方につけた方が得策と考えたシュトランスキーは、彼を曹長に昇格させてご機嫌を取ろうとするものの、名誉だの階級だのに無関心なシュタイナーの反応は素っ気なかった。 ソ連軍の大規模攻撃によりナチス・ドイツ軍は大勢の犠牲を出し、さすがのシュタイナーも重傷を負ってしまう。収容された病院で久々に平穏な時間を過ごし、担当看護婦エヴァ(センタ・バーガー)と束の間の愛を交わすシュタイナー。しかし、負傷兵たちの慰問に訪れたエリート将校たちの他人事な態度に憤慨し、たまたま病院を訪れた部下の顔を見て戦場へ戻ることを決意する。そこで彼を待っていたのは、戦死したマイヤー少尉(イゴール・ガロ)の手柄を自分のものにして、念願の鉄十字勲章を手に入れようと画策するシュトランスキー。既に、右腕トリービヒ中尉(ロジャー・フリッツ)は同性愛者であることをネタに脅され、本来ならマイヤー少尉のものである武勲をシュトランスキーのものと偽証する宣誓書にサインをしていた。シュタイナーにも同様の推薦書を書いて欲しいと頼むシュトランスキー。しかし、ひと足先に鉄十字勲章を授与されたシュタイナーは「こんな鉄くずの塊に何の価値があるのか?」と、呆れるようにしてシュトランスキーの申し入れを断る。これを深く恨んだシュトランスキーは、わざとシュタイナーの小部隊だけに退却命令を伝えず、彼らを敵陣に取り残して部隊ごと皆殺しにしてしまおうとするのだが…? 砲弾で吹っ飛ばされた兵士の内臓が飛び出し、機関銃で蜂の巣にされた兵士の全身から血が噴き出し、亡骸となった兵士が戦車の下敷きでペチャンコにされる。そんな見るも無残で醜くて恐ろしい戦場のリアルな地獄を、ペキンパー監督のトレードマークであるスローモーションをフル稼働して、余すことなくスクリーンにぶちまけてくれるのだから恐れ入る。もはや戦場のヒロイズムなど微塵もなし。劇場公開当時、ペキンパーは「(観客に)戦場の匂いや空気まで感じ取って欲しい」と語っていたが、これほど戦争というものの非人間性をまざまざと見せつけるような映画は稀であろう。さながら『プライベート・ライアン』(’98)の先駆的な作品であり、映画史上屈指の見事な反戦映画であると言えよう。 そのうえで、本作は軍組織が象徴する階級制度や権威主義などを真っ向から否定しつつ、ナチス・ドイツを生んだものとは何だったのか、なぜ一度は興隆を極めた第三帝国が破滅へ向かったのかを、一介の無名兵士シュタイナーの視点から考察していく。その主軸となるのがシュタイナーと上官シュトランスキーの対立である。古き封建時代のヨーロッパを体現する支配階級出身のシュトランスキーと、どれだけ戦果を挙げようとエリートの仲間入りなど出来ない労働者階級出身のシュタイナー。前者にとって戦場は出世の踏み台だが、後者にとっては純然たるサバイバルだ。生まれながらの特権を持つシュトランスキーは最前線に立つ必要もなければ、たとえ戦争に負けたとしても社会的地位や莫大な財産を失うことなどないが、しかしシュタイナーにとって戦争の勝ち負けは自身の生死をも左右する。なんたる不公平。なんたる理不尽。シュタイナーの怒りと不満はごもっとも。戦争も軍隊も階級制度も権威主義も、みんなまとめてクソ食らえである。 お気に入り女優が振り返るスランプ期のペキンパー そのシュタイナー役にはペキンパー作品の常連でもある親友ジェームズ・コバーン。最初から候補は彼以外にいなかったという。対する宿敵シュトランスキー役を任されたのは、オーストリア出身の世界的な名優マクシミリアン・シェル。英国映画界の重鎮ジェームズ・メイソンは、節税対策のため西ドイツからもユーゴからも比較的近いスイスに住んでいたらしい。ただ、やはり大ベテランゆえギャラも高かったため、契約書で定められた拘束期間はたったの8日間。それゆえ、彼の出番を最初にまとめて撮影したそうだ。キーゼル大尉役のデヴィッド・ワーナーは、『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』(’70)と『わらの犬』(’71)に続いてのペキンパー作品で、当時は『オーメン』(’76)の写真家役が話題となったばかりだった。 もともとオリジナル脚本には存在しなかった看護婦エヴァ役には、数少ないペキンパーお気に入り女優のひとりセンタ・バーガー。’60年代にハリウッドへと進出し、ペキンパーの『ダンディー少佐』(’65)にも出演していた彼女は、当時すでに活動の拠点を母国・西ドイツに移していたのだが、本作の製作準備のためミュンヘンを訪れていたペキンパーと偶然にも業界パーティで再会。その場で出演をオファーされ、ペキンパーは彼女のために看護婦エヴァというキャラを追加したのである。そのバーガー曰く、当時のペキンパーは「イエスマンばかりに囲まれ、彼らのいいように利用されていた。本人がそのことに全く気付いていない様子だったのが残念」だったそうだ。 ちなみに、冒頭でシュタイナーの小部隊が命を助けるロシア人少年兵を演じているスラヴコ・スティマツはクロアチア出身の有名な子役スターで、後にエミール・クストリッツァ監督の『ドリー・ベルを覚えているかい?』(’81)と『ライフ・イズ・ミラクル』(’04)に主演し、カンヌ国際映画祭のパルムドールに輝いた『アンダーグランド』(’95)でも主人公マルコの弟イヴァンを演じていた。 こうして完成した『戦争のはらわた』は、ヨーロッパやアジアの各国で大ヒットを記録。中でも日本での成功は抜きん出ていたらしい。当時、宣伝キャンペーンのため来日したサム・ペキンパーとジェームズ・コバーンは、日本のアパレル企業ダイトウボウの紳士服「ロッキンガム」のCMをペキンパー演出・コバーン出演で撮っている。ただ、肝心のアメリカでは折からの『スター・ウォーズ』ブームの陰に隠れ、残念ながら全米興行では惨敗を喫してしまった。■ 『戦争のはらわた』© 1977 Rapid Film GMBH - Terra Filmkunst Gmbh - STUDIOCANAL FILMS Ltd
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COLUMN/コラム2024.05.31
南北統一への願いも込められた韓国発の超痛快バディ・アクション!『コンフィデンシャル/共助』
北と南の刑事がタッグを組んで悪に立ち向かう! 韓国と北朝鮮の刑事がコンビを組んで凶悪犯罪に立ち向かうという、それまでありそうでなかった斬新な設定が話題を呼び、韓国では’17年度の映画観客動員数で上半期No.1の大ヒットを記録したクライム・アクションである。現地で本作が劇場公開された’17年2月といえば、前年10月に発覚した「崔順実ゲート事件」で朴槿恵大統領が弾劾訴追され、韓国社会にリベラルな市民革命の波が押し寄せていた、いわば大きな転換期の真っ只中。その朴槿恵大統領は就任当初こそ北朝鮮と良好な関係を保っていたが、しかし政権後半になると両者の関係は著しく悪化してしまった。本作が当時の韓国で大成功を収めた背景には、もしかすると来るべき朴大統領退陣後の世界を見据えて、北との関係改善を望む国民感情が少なからず作用していたのかもしれない。 物語の始まりは北朝鮮。ピョンヤン近郊の第215工場では、秘かに米ドル紙幣の偽造が行われていた。工場の外では、人民保安部の特殊捜査隊チームが監視している。彼らは正体不明の犯罪グループを追って第215工場へと辿り着いたのだ。ほどなくして、工場内で銃声が鳴り響く。使命感の強いイム・チョルリョン少佐(ヒョンビン)は、明け方まで外で待機しろという上司チャ・ギソン大佐(キム・ジュヒョク)の指示を無視し、部下たちを引き連れて工場内へと急行。ところが、彼らの前に現れた犯罪グループの黒幕は、他でもない上司ギソンその人だった。武装した犯罪グループは、工場職員も特殊捜査隊もまとめて皆殺しに。チームの一員であるチョルリョンの妻もギソンの銃弾に倒れる。目の前で最愛の人を殺され、自身も銃撃戦で負傷したチョルリョンは、果てしない絶望の中で意識を失っていく。 ギソン率いる犯罪グループの目的は、北朝鮮の最新技術の粋を集めた偽造紙幣印刷用の銅版「明刀銭(ミョンドジョン)」の強奪。これのおかげで北朝鮮は、スーパーノートと呼ばれる100米ドル紙幣の超精巧な偽札を大量生産してきたのだ。その「明刀銭」を奪ったギソン一味は、中国を経由して韓国のソウルへ。恐らく高値で売りさばくつもりなのだろう。もし銅版の存在が世界に知れたら一大事だ。慌てた北朝鮮上層部は一計を案じる。北側からの提案で南北長官級会談を韓国ソウルでセッティングし、その使節団のメンバーとして捜査官を送り込もうというのだ。選ばれたのは九死に一生を得たチョルリョン。当初、ただひとり生き残ったことから逆に共犯を疑われて拷問を受けたチョルリョンだったが、妻を殺したギソンへの激しい復讐心に駆られて危険な任務を引き受ける。 一方その頃、ソウル警察庁の刑事カン・ジンテ(ユ・ヘジン)は、捜査中に娘からの電話に出て容疑者を取り逃がすという大失態を演じ、3ヶ月の停職処分を食らってしまう。人情に厚くて同僚や部下から愛されるジンテだが、しかしお人好しな性格から損な役回りばかり引き受けてしまい、おかげで出世コースとは縁のない万年ヒラ刑事。停職処分などと知れたら気の強い妻ソヨン(チャン・ヨンナム)から大目玉を食らってしまうし、そもそも育ち盛りの娘ヨナ(パク・ミナ)や居候の義妹ミニョン(ユナ)の生活費も稼がねばならない。さて困った…と頭を抱えていると、上司のピョ班長(イ・ヘヨン)から特別任務の相談を受ける。 その特別任務とは「南北共助捜査」。なんでも、脱北した殺人犯を秘密裏に捕らえるため、南北長官級会談に合わせて北の捜査官がソウルへ来るらしい。そこで、韓国側の刑事がパートナーとして合同捜査することになったというのだ。ただし、合同捜査はあくまでも形だけ。ジンテの役目は北の捜査官から犯人の詳しい情報を入手し、捜査に協力するふりをして遠ざけること。犯人逮捕の実務は韓国の国家情報院が行う。なぜなら、わざわざ北側が韓国まで追いかけて来るほど重要な犯罪者が、単なる殺人犯とは考えにくいから。それならば自分たちの手で捕え、犯人の正体と北側が躍起になる理由を突き止めようというわけだ。 詳細を聞いて一瞬ためらうジンテ。正直なところ、ピョ班長から厄介事を押し付けられたような形だが、しかし任務に成功すれば早期の復職が叶うばかりか出世も期待できる。そう考えて引き受けることにしたジンテだったが、想像以上にやり手だったチョルリョンの大胆で命知らずな捜査に次々と振り回されていく…。 見どころは超絶スタントばかりじゃない! 韓国映画お得意のハードなアクションとバイオレンスが満載。登場人物たちと一緒になって縦横無尽に駆け回るカメラワークの圧倒的な没入感を含め、それこそ「ジェイソン・ボーン」シリーズも顔負けの派手なスタントは、もはやハリウッド映画以外では韓国映画の独壇場と言えよう。見ていて思わず笑みがこぼれてしまうほどの迫力。日本人にもお馴染みのお洒落な繁華街・梨泰院(イテウォン)をはじめ、実際のストリートへ飛び出してのカーチェイスやら銃撃戦やらの危険なアクションは、そもそも日本では撮影許可自体が下りないはずだ。なおかつ、最大限CGに頼らないリアルなスタントを目指した本作では、その表情までもカメラに捉えるため役者自身が多くのスタントに挑戦しており、中でも主演のヒョンビンは全体の90%をスタントダブルなしで本人が演じているという。しかも、接近戦の肉弾バトル・シーンではロシア軍特殊部隊から生まれた格闘術「システマ」を採用。それこそ『イコライザー』シリーズのデンゼル・ワシントンの如く、身近にある日用品までも武器に変えてしまう驚異の格闘アクションを披露する。 ただし、本作の最大の魅力はそうした映像的に派手な見せ場の数々よりも、泥臭くて人間味のある登場人物たちのキャラクターと、サスペンスやユーモアの中に朝鮮半島の平和と南北統一への願いを込めた脚本の奥深さにあると言えよう。犯人逮捕のためなら手段を選ばない命知らずの若手エリート刑事チョルリョンと、グウタラなダメ人間だけど部下想いで家族を大事にする人情家のベテラン刑事ジンテの顔合わせは、さながら『リーサル・ウェポン』シリーズのリッグスとマータフの如し。気が強くて口も悪いけど誰よりも夫を愛するジンテの妻ソヨン、我がままだけど無邪気で愛くるしい娘ヨナ、美人だけどジンテ以上にグウタラなダメ人間の義妹ミニョンと、かなりクセ強めなジンテの家族も親しみやすくて魅力的だ。 もちろん、クールでストイックでハンサムなチョルリョンを演じる韓国のトップ俳優ヒョンビン、見るからに風采の上がらないオジサンだけどお人好しで憎めないジンテを演じる名脇役ユ・ヘジンと、実に好対照な主演コンビのキャスティングも強力な武器であろう。美女と野獣ならぬ美男と野獣(笑)。加えて、筋骨隆々の精悍な悪党ギソン役のキム・ジュヒョクがまたカッコいいのなんのって!韓流ノワール『毒戦BELIEVER』(’18)で演じた中国人麻薬商人も強烈だったが、それだけに45歳の若さで交通事故死してしまったことは本当に惜しまれる。なお、義妹ミニョン役を演じるユナは、K-POP第二世代を代表するガールズグループ、少女時代のメンバーだ。 殺された妻の復讐を果たすため、そして独裁国家へ絶対的な忠誠を誓った捜査官としての職責を全うするため、是が非でも宿敵ギソンを捕らえねばならないチョルリョン。一方のジンテはなるべく面倒なトラブルを避け、何事もなく穏便にミッションを終えて職場復帰したいのだが、しかし危険を顧みないチョルリョンの大胆不敵な行動力と、現場の刑事を便利な駒としか考えない国家情報院の理不尽な要求に振り回される。そんな2人の凸凹コンビぶりがスリルと笑いを生んでいくわけだが、同時に国家権力によって都合良く使い捨てにされる者の悲哀までもが滲み出る。だからこそ、互いに反発しつつも次第に共鳴し、やがて固い友情で結ばれていくことになるのだ。そういえば、妻を収容所で失ったことから共和国に恨みを持つようになったギソンも、よくよく考えると北朝鮮の全体主義が生み出したモンスターであり、国家権力の哀れな犠牲者とも言えますな。 そのうえで本作は、たとえ国は違ってもそこに住むのは同じ血の通った人間、しかも韓国と北朝鮮の場合は言語や文化を共有する同じ民族であることを再認識させ、両国民がお互いを理解して歩み寄ることの大切さ、朝鮮半島の平和と南北統一の実現へかける期待、そして権力者の思惑に踊らされて民衆同士が対立や分断を深めることの無益を訴える。同じようなことはロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナにも言えるだろう。表向きは超絶アクション満載の痛快・爽快なエンターテインメント映画でありながら、しかしその根底には万国共通の普遍的なヒューマニズムの精神が流れている。それこそが本作の圧倒的な強みだと言えよう。 なお、本作の韓国公開から約3ヶ月後に文在寅政権が誕生。翌’18年2月の平昌オリンピック開会式では韓国と北朝鮮の選手が統一旗を掲げで合同で入場し、4月には板門店での南北首脳会談が実現するなど、一時的にせよ南北の融和ムードが一気に高まることとなった。■ 『コンフィデンシャル/共助』© 2017 CJE&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2024.05.02
いつの時代も変わらぬ自由と幸福への渇望を鮮やかに描いた‘80年代青春コメディ映画の傑作『フェリスはある朝突然に』
青春映画の巨匠ジョン・ヒューズの代表作 ‘80年代を代表するティーン向け青春映画のひとつである。当時のアメリカでは史上初めて、10代の若年層が映画観客の主流を占めるようになり、おのずと彼らをターゲットにした青春映画が量産されるようになった。’80年代が青春映画の黄金時代と呼ばれる所以だ。恐らくブームの火付け役はエイミー・ヘッカリング監督の『初体験/リッジモント・ハイ』(’82)か、フランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』(’83)辺りだろうと思われるが、しかしブームを牽引したのは間違いなくジョン・ヒューズ監督であろう。 デビュー作の学園ドラマ『すてきな片想い』(’84)が若者たちの間で大評判となり、続く『ブレックファスト・クラブ』(’85)や製作・脚本を担当した『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(’86)のブロックバスター・ヒットで一躍時の人となったヒューズ監督。どこにでもいる今どきのティーンエージャーたちを主人公に、いつの時代も変わらぬ若者たちの夢と希望と悩みをユーモラスに描いた彼の作品群は、それゆえ大勢の同世代の若者から熱狂的に支持されたのである。そんなジョン・ヒューズ監督による一連の青春映画で最大のヒットとなったのが、500万ドルの予算に対して全米興行収入7000万ドルを記録した『フェリスはある朝突然に』(’86)だった。 主人公はシカゴ近郊の住宅街に住む高校3年生フェリス・ビューラー(マシュー・ブロデリック)。ハンサムで人懐こくてチャーミングで、なおかつ頭の回転が速くて口の達者なフェリスは、学校中の生徒はもとより町中の人々からも愛される人気者だ。それはとある晴れた日の朝のこと。こんな天気の良い日に学校へ行くなんてもったいない!と考えた彼は、仮病を使って学校をさぼることにする。息子を溺愛する共働きの両親(ライマン・ワード&シンディ・ピケット)が出勤し、世渡り上手な兄に嫉妬する妹ジーニー(ジェニファー・グレイ)が登校したところでズル休み作戦スタート!万が一、親が様子を見るため仕事の途中で戻ってきたり、学校の先生が訪ねてきたりした時のため、家中に様々な偽装工作を仕掛けておくフェリス。ついでに後輩たちへ大袈裟な嘘を吹き込んで、「どうやらフェリスが重病らしい」との噂を学校中どころか町中に広め、さらには学校のコンピューターをハッキングして欠席日数のデータもちゃっかりと誤魔化す。全ては今日を思いきり楽しむため。さすが、さぼりの常習犯だけあって計画に抜かりはない。 そのうえで、本当に体調が悪くて休んでいる悪友キャメロン(アラン・ラック)を呼び出し、さらには恋人スローン(ミア・サラ)のお祖母ちゃんが亡くなったと嘘の連絡を学校へ入れる。休日を存分に楽しむには、やはり気心の知れた仲間も必要だ。キャメロンの父親の愛車フェラーリに乗り込んだ2人は、学校前で帰宅許可の出たスローンをピックアップ。そのままシカゴの街へと繰り出したフェリスとキャメロン、スローンの3人は、野球スタジアムでシカゴ・カブスの試合を観戦したり、予約でいっぱいの高級レストランに予約客のふりして乗り込んで美食を堪能したり、シカゴ美術館で芸術鑑賞に浸ってみたり、さらには大通りのパレードに参加して歌とダンスを披露したりと、文字通りやりたい放題!最高に充実した休日を過ごしていく。 ところが、フェリスのズル休み作戦をまんまと見抜いた人物がいた。学校のルーニー校長(ジェフリー・ジョーンズ)である。生徒たちが教師を尊敬しなくなったのはヤツのせいだ!と一方的にフェリスを目の敵にするルーニー校長は、なんとかしてズル休みの証拠を掴んでやろうと、あの手この手を使ってフェリスの行方を追跡していく。さらに、お兄ちゃんばかりいつも得をしてズルい!と怒り心頭の妹ジーニーもまた、両親へ告げ口をするためにフェリスのズル休みを立証しようと奔走していた…! 誰の心にもフェリスは存在する というわけで、調子が良くて抜け目のない高校生フェリスが、果たして親にバレることなく、はたまた校長先生に捕まることもなく、無事にズル休みの1日を満喫できるのか?という実に他愛のないストーリーの青春コメディ。しかも、いやいや、それって出来過ぎだよね!?ってくらい万事が順調に運んでいく。そればかりか、フェリスを懲らしめてやろうと息巻くルーニー校長は、用意周到なフェリスの悪知恵に次々と出し抜かれ、そのうえ泥だらけになったり犬に追いかけられたりと散々な目に遭うし、誰からも愛される兄フェリスの化けの皮を剥がしてやろうとした妹ジーニーも、自身の愚かな嫉妬心に気付いて反省することになる。これをご都合主義と捉える向きもあるかもしれない。そもそも、「人生なんて短いんだから楽しまなくちゃ!」というフェリスの姿勢に異を唱える人だっているだろう。そりゃそうだ、人生というのは上手くいかないことの方が多いし、当然ながら楽しんでばかりもいられないのだから。 しかし、恐らくそんなこと作り手であるジョン・ヒューズはもちろん、主人公フェリスだって百も承知だろう。だからこそ、フェリスはスクリーンの向こうから観客に話しかけ、画面上には要点を説明するテロップが表示され、常にこれはあくまでも映画ですよ!ということを主張し続ける。こんな素敵な一日が過ごせたら、こんなに万事が順調にいったらどんなにいいだろう。しかし、現実にそんなことはあり得ない。それを十分過ぎるくらいに分かっているからこそ、スクリーンの中のフェリスたちの大冒険が眩しいくらいにキラキラと輝くのだ。そして、ルールやしきたりや常識で他人を縛ろうとする大人に平然とノーを突きつけるフェリスは、同時にルールやしきたりや常識に縛られた人間を「もっと肩の力を抜いていいんだよ!」と言って解放してくれる。自分もフェリスのように自由に振る舞えたら、フェリスのように大胆に行動できたら。若者はもちろん大人も同様、誰の心にも多かれ少なかれフェリスは存在するはずだ。しかし、大半の人は実行になど移せない。妹ジーニーが彼に対して腹を立てる本当の理由もそこにあるだろう。 自分は嫌でも我慢して学校へ行っているのに、平気で楽をしようとするお兄ちゃんが許せない。しかも、そんなお兄ちゃんばかりみんなから愛されるなんて不公平だ。不満と怒りを募らせたジーニーに、警察署でたまたま会った不良少年(チャーリー・シーン)がさりげなく指摘をする。それはフェリスじゃなくて君自身の問題ではないかと。自分が被害をこうむるわけでもないのに、なぜ兄のやることに腹が立つのか。ズルいと思うのなら自分もズル休みすればいい。嫌なことを我慢する必要などないだろう。でも、捕まることが怖いジーニーには出来ない相談である。そう、彼女がフェリスに対して抱く不満は、常識に縛られた自分自身に対する不満だ。それは単なる嫉妬と羨望の裏返しに過ぎない。彼女が我慢して学校へ行くのは彼女の選択であり、フェリスのズル休みとは何ら関係がないのだ。 フェリスの大親友でありながら、その一方で彼に引け目を感じているキャメロンにも似たようなことが言えるだろう。真面目で臆病で気の弱いキャメロンは、いつも厳しくて口うるさい父親の言いなり。言い返す勇気も自己主張する覚悟もなく、そのストレスからしょっちゅう体調不良で学校を休んでいる。そんなキャメロンにしてみれば、なんでも口八丁手八丁で思い通りにしてしまうフェリスは、そうなりたくても絶対になれない理想の存在でもある。実のところ、このフェリスとキャメロンの関係性こそが本作の核心ではないかと思う。要するに、フェリスは自分の殻に閉じこもったままのキャメロンを解放するため、自由奔放で大胆不敵なズル休みの1日に彼を誘ったのだ。 実はスピンオフ映画の企画が進行中…!? さながら、いつの時代も人々が抱く自由と幸福への渇望を、お茶目で愉快な青春コメディとして仕立てた現代の御伽噺。現実にはあり得ないからこそ愛おしい。この見事な脚本を、ジョン・ヒューズ監督はたったの6日間で書き上げたというのだから驚きである。後の『ホームアローン』(’90)を彷彿とさせるポップで軽妙洒脱な演出がまた実に楽しい。最初からフェリス役の第1候補だったというマシュー・ブロデリック、彼とはブロードウェイの舞台「ビロクシー・ブルース」で共演して私生活でも親友だったアラン・ラック、そしてトム・クルーズと共演した『レジェンド』(’85)の美少女ぶりも話題になったミア・サラと、主演キャストたちも大変魅力的だ。っていうか、この頃のマシュー・ブロデリックは本当にキラッキラの美少年でしたな!しかも、飄々とした個性と軽やかな芝居がフェリス役にピッタリ。最高のキャスティングである。 もちろん、『ハワード・ザ・ダック』(’87)や『ビートルジュース』など悪役俳優として引っ張りだこだったジェフリー・ジョーンズ、翌年の『ダーティダンシング』(’87)で大ブレイクするジェニファー・グレイ、そのジェニファーの紹介で不良少年役に起用されたチャーリー・シーンなど脇役陣も充実。フェリスの両親を演じたのは、ロジェ・ヴァディム監督の『ナイトゲーム』(’80)で売り出されたシンディ・ピケットとジョン・ヒューズ監督作品の常連ライマン・ウォードで、2人は本作での共演がきっかけで結婚した。また、校長秘書グレース役のイーディ・マクルーグは、『キャリー』(’76)のいじめっ子グループのひとりを演じた女優さんだが、本作ではそのとぼけた味わいが実に絶妙!フェリスのクラスメート役で、当時まだ15歳だった無名時代のクリスティ・スワンソンが出ているのも見のがせない。 なお、本作の大ヒット受けて続編企画も浮上したが実現せず。その代わりにテレビシリーズ版『Ferris Bueller』が’90年に放送されたが、たったの13話でキャンセルされてしまった。このテレビ版では、無名時代のジェニファー・アニストンがジーニー役を演じている。ちなみに、’22年にアメリカの動画配信サービスParamount+が本作のスピンオフ映画の製作を発表。劇中でキャメロンの父親のフェラーリを勝手に乗り回す駐車係2人組が出てくるが、目下進行中だというスピンオフ映画は彼らを主人公にしたアクション・コメディとなるようだ。■ 『フェリスはある朝突然に』Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.04.30
鬼才クライヴ・バーカーが生んだカルトホラー映画の傑作『ヘルレイザー』シリーズの魅力を紐解く!
そもそも『ヘルレイザー』シリーズとは? 謎のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を解くと地獄へ通じる門が開き、セノバイト(魔道士)と呼ばれる世にも恐ろしい魔界の使者たちが出現、好奇心で彼らを召喚した人間は地獄へと引きずり込まれ、肉体的な快楽と苦痛を極限まで追究するための実験台にされてしまう。そんな一種独特の都市伝説的な怪奇幻想の世界を描き、以降も数々の続編やリブート版が作られるほどの人気シリーズとなったのが、あのスティーブン・キングとも並び称されるイギリスのホラー小説家にして舞台演出家、劇作家、イラストレーターにコミック・アーティスト、ビジュアル・アーティストなど、マルチな肩書を持つ鬼才クライヴ・バーカーが監督したホラー映画『ヘル・レイザー』(’87)である。 原作は’86年に出版されたダーク・ハーヴェスト社のホラー・アンソロジー「Night Visions」第3集にバーカーが寄稿した小説「ヘルバウンド・ハート」(’88年に単独でペーパーバック化)。『13日の金曜日』(’80)の大ヒットに端を発する空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代、その牽引役となったのは殺人鬼がティーン男女を血祭りに挙げるスラッシャー映画と生ける屍が人間を食い殺すゾンビ映画だが、しかし’80年代半ばにもなるとどちらも供給過多で飽和状態に陥ってしまう。そのタイミングで登場したのが本作だった。 古典的なゴシックホラーとアングラなパンク&ニューウェーヴを融合したエッジーな世界観、ボディピアシングやボディサスペンションなどのSM的なフェティシズムを取り込んだ過激なスプラッター描写。当時量産されていたスラッシャー映画やゾンビ映画と一線を画す独創性こそが成功の秘訣だったように思う。中でも、身体改造とボンデージの魅力を兼ね備えたセノバイトたちの変態チックなキャラ造形(バーカー自身がデザイン)はインパクト強烈。そのリーダー格であるピンヘッドはシリーズの実質的な看板スターとして、『エルム街の悪夢』シリーズのフレディや『13日の金曜日』シリーズのジェイソン、『悪魔のいけにえ』シリーズのレザーフェイスなどと並ぶホラー・アイコンとなった。 今のところ合計で11本を数える『ヘル・レイザー』シリーズだが、5月のザ・シネマでは初期の1作目~4作目までを一挙放送。そこで、今回は該当する4作品を中心にシリーズの見どころを振り返ってみたい。 『ヘル・レイザー』(1987) 物語の始まりは北アフリカのモロッコ。快楽主義者のフランク・コットン(ショーン・チャップマン)は、究極の快楽世界への扉を開くと言われる伝説のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れ、実家へ持ち帰ってパズルを解いたところ、地獄から現れたセノバイト(魔導士)たちによって八つ裂きにされる。彼らにとって究極の快楽とは究極の苦痛でもあるのだ。 それから数年後、フランクの兄ラリー(アンドリュー・ロビンソン)が妻ジュリア(クレア・ヒギンズ)を連れて実家へ戻って来る。屋根裏部屋には消息を絶ったフランクの私物がそのままになっていた。漂うフランクの残り香に身悶えるジュリア。実は彼女とフランクはかつて不倫の関係にあり、ジュリアは今もなお彼の肉体を忘れられないでいたのだ。すると引っ越し作業中にラリーが手を汚してしまい、屋根裏部屋の床に零れた血液からフランクが復活してしまう。ジュリアの目の前に現れたのは、まだ完全体ではない「再生途中」のフランク。元の姿へ戻るためには生贄が必要だ。そう言われたジュリアは、ラリーの留守中に行きずりの男性を家へ連れ込んでは殺害し、フランクは犠牲者たちの精気を吸収していく。 一方、ラリーと前妻の娘カースティ(アシュレイ・ローレンス)はジュリアの怪しげな行動に気付き、屋根裏部屋で何が行われているのか確認しようとしたところ、世にも醜悪な姿の叔父フランクと遭遇。驚いた彼女はパズルボックスを奪って逃げるも途中で気を失ってしまう。病院で意識を取り戻したカースティは、好奇心に駆られてパズルボックスを解いたところ、ピンヘッド(ダグ・ブラッドレイ)をリーダーとするセノバイトたちが地獄より出現。フランクが地獄から逃げたことを知ったピンヘッドは、カースティを使って彼を再び地獄へ引き戻そうとするのだが…? これが長編劇映画デビューだったクライヴ・バーカー監督。それまで2本の短編映画を撮った経験しかなかったバーカーだが、しかし脚本に携わった自著の映画化『アンダーワールド』(’85)や『ロウヘッド・レックス』(’86)の出来栄えに不満足だったことから、自分自身の手で演出まで手掛けることにしたというわけだ。もともとヴァージン・レコード傘下のヴァージン・フィルムが出資を検討したが最終的に手を引き、アメリカのB級映画専門会社ニューワールド・ピクチャーズが全額出資することに。ラリー役に『ダーティハリー』(’71)の殺人鬼スコルピオ役で有名なアンディ・ロビンソン、その娘カースティ役に新人アシュレイ・ローレンスと、メインキャストにアメリカ人が起用されたのはアメリカ資本が入っているため。さらにアメリカ市場で売りやすくするべく、ニューワールド幹部の指示で一部イギリス人キャストのセリフをアメリカ人俳優が吹き替え、舞台設定もイギリスなのかアメリカなのかをあえて曖昧(撮影地はロンドン)にしている。 飽くなき欲望に取り憑かれた男女による、世にも残酷で醜悪なラブストーリー。見ているだけで痛そうな生々しい残酷シーンの不快感も然ることながら、この人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられるような後味の悪さは、いわゆるハリウッド製ホラーと一線を画す英国ホラーらしい点であろう。そう、実のところ本作におけるメイン・ヴィランはジュリアとフランクであり、あくまでもピンヘッドやセノバイトたちは彼らに審判を下す存在、いわば「地獄の判事」とも呼ぶべきサブキャラに過ぎなかったりする。そもそも、この1作目ではまだ「ピンヘッド」という呼称すら使われていない。どうやら、少なくとも本作の製作時においては、バーカー監督も製作陣もピンヘッドがフレディやジェイソンに匹敵するほどの人気キャラになるとは想像もしていなかったようだ。 そのピンヘッド役を演じたのが、バーカー監督の高校時代の後輩で演劇部の仲間、彼が主催した前衛劇団「ザ・ドッグ・カンパニー」にも参加した盟友ダグ・ブラッドレー。頭部全体に待ち針を刺した異様な見た目のインパクトも然ることながら、舞台俳優ならではの発声法を活かした独特の喋り方やクールで知的な立ち振る舞いなど、その他大勢のホラーモンスターと一線を画すピンヘッドのカッコ良さは、間違いなくブラッドレーの役作りと芝居に負う部分が大きい。恐らく、演者が彼でなければピンヘッドもこれほどの人気キャラにはなっていなかったろう。当初、バーカー監督からピンヘッド役か引っ越し業者役のどちらかを選んでいいと言われたというブラッドレー。これが映画初出演だった彼は、「素顔のはっきりと分かる役柄の方が、あの映画のあの役をやっていたと証明しやすいため、自分のキャリアにとってプラスになるのではないか」と考え、一度は引っ越し業者役を選ぼうとしたらしい。いやあ、最終的に考え直してくれて良かった! 『ヘルレイザー2』(’88) 前作の予想を上回るスマッシュヒットを受け、矢継ぎ早に作られたシリーズ第2弾。日本語タイトルはこれ以降「・(ナカポツ)」が消えて「ヘルレイザー」となる。そもそもアメリカ側の出資元ニューワールド・ピクチャーズは1作目の仕上がりに大変満足したそうで、実は劇場公開前のタイミングで既に続編のゴーサインが出ていたらしい。ただし、当時のクライヴ・バーカーはちょうど『ミディアン』の製作に取り掛かったばかりで手が離せず、その代役として白羽の矢が立てられたマイケル・マクダウェルも健康問題などで降板せざるを得なくなったため、1作目の編集にノークレジットで参加した元ニューワールド・ピクチャーズ重役のトニー・ランデルが監督に抜擢される。また、脚本はバーカーと劇団時代からの友人であるピーター・アトキンスが担当。当時、売れないバンドのリードボーカリストだったアトキンスは、さすがに30代にもなって芽が出ないのは厳しいだろうと音楽のキャリアに見切りをつけ、これを機に映画脚本家へ転向することとなった。 時は1920年代。パズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れた英国軍人エリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)は、箱のパズルを解いたばかりに地獄へと引きずり込まれ、セノバイト(魔道士)のリーダー、ピンヘッドとなる。 そして現在。地獄から甦った叔父フランクと継母ジュリアに最愛の父ラリーを殺されたカースティ(アシュレイ・ローレンス)は、邪悪なフランクとジュリアに復讐を果たしたものの、しかしトラウマを抱えて精神病院へ収容されていた。担当医のチャナード医師(ケネス・クラナム)と助手カイル(ウィリアム・ホープ)に事の次第を説明し、恐るべきパズルボックスやセノバイトの存在に警鐘を鳴らすカースティ。いくら説明しても信じてもらえないことに苛立つ彼女は、せめてジュリアが死んだベッドのマットレスだけは処分して欲しいと訴える。死に場所の屋根裏部屋で甦った叔父フランクのように、ジュリアもそこから復活する可能性があるからだ。 ところが、実はこのチャナード医師、長いこと「ルマルシャンの箱」を研究してきた危険人物だった。カースティの話にヒントを得た彼は、問題のマットレスを病院のオフィスへ持ち込み、そこへ患者の血を垂らしたところ地獄からジュリア(クレア・ヒギンズ)が復活。たまたまその様子を目撃したカイルは、カースティの話が本当だったことに気付いて彼女を病室から逃がす。父親ラリーが地獄に囚われていると信じ、なんとかして救い出す方法を考えるカースティ。一方、ジュリアの復活に手を貸したチャナード医師は、パズルの才能がある精神病患者の少女ティファニー(イモジェン・ブアマン)を使って「ルマルシャンの箱」を解き、長年の夢だった地獄へと足を踏み入れる。その後を追って地獄入りし、父親を探し求めるカースティ。そこは、聖書に出てくる魔物リバイアサンが支配する迷宮のような異世界だった…! ということで、地獄から甦った魔性の女ジュリアが、魔物リバイアサンの手先として大暴れするという完全に「ジュリア推し」のシリーズ第2弾。実際、ストーリー原案と製作総指揮に関わったクライヴ・バーカーは、悪女ジュリアをシリーズの顔にするつもりだったらしい。ところが、そんな思惑とは裏腹にファンが熱狂したのはピンヘッドとセノバイト軍団。そのうえ、ジュリア役のクレア・ヒギンズが3作目への出演オファーを断ったため、ピンヘッドを看板に据えたシリーズの方向性が固まったのである。 そのピンヘッドやセノバイトたちが、実はもともと人間だったことが明かされる本作。1作目の段階では「裏設定」としてスタッフやキャストに共有されていたそうだが、今回はきっちりとストーリーに組み込まれている。そのうえで本作は、地獄とはいったいどのような空間でどういう仕組みになっているのか、どうやって人間がセノバイトへと生まれ変わるのかなど、シリーズの背景となるベーシックな世界観を掘り下げていく。そのぶん、前作で見られた背徳的かつ変態的なアングラ感はだいぶ薄れたようにも感じる。恐らく、そこは評価の分かれ目かもしれない。 『ヘルレイザー3』(‘92) 前作『ヘルレイザー2』を上回る大ヒットを記録し、いわばシリーズの人気を決定づけた第3弾。しかしその一方で、ファンの間では激しく賛否の分かれる作品でもある。恐らくその最大の理由は、初めて舞台設定をアメリカのニューヨークと明確にし、実際にイギリスではなくアメリカ(ロケ地はノース・カロライナとロサンゼルス)で撮影を行ったことで、映画全体がすっかりアメリカンな雰囲気になったことであろう。しかも監督はアンソニー・ヒコックスである。前2作と著しく毛色の違う映画になったのも無理はない。 『電撃脱走 地獄のターゲット』(’72)や『ブラニガン』(’75)で知られる娯楽職人ダグラス・ヒコックス監督と、『アラビアのロレンス』(’62)でアカデミー賞に輝く伝説的な映画編集技師アン・V・コーツを両親に持つ映画界のサラブレッド、アンソニー・ヒコックス。少年時代よりハマー・ホラーを熱愛する根っからのホラー映画マニアで、そのオタクっぷりを遺憾なく発揮した『ワックス・ワーク』(’88)シリーズや『サンダウン』(’91)は筆者も大好きなのだが、しかしスタジオシステムが健在だった時代の古き良きクラシック映画の伝統を踏襲した彼の王道的な作風は、パンク&ニューウェーヴの時代の申し子であるクライヴ・バーカーのエクスペリメンタルでアナーキーな感性とは対極にあると言えよう。どちらも同じイギリス人とはいえ、持ち味はまるで違うのだ。しかもヒコックス監督によると、本作のオファーを受けた際にプロデューサーのローレンス・モートーフから、「カルト映画的なイメージを捨てたい、思いっきりメインストリーム映画にして欲しい」と指示されたという。その結果、前2作とは一線を画す極めてハリウッド的なB級ホラー映画に仕上がったのだ。 プレイボーイの若き実業家J・P・モンロー(ケヴィン・バーンハルト)は、ふと立ち寄った画廊で奇妙な彫刻の施された柱に魅了されて衝動買いし、自身が経営する流行りのナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のプライベートスペースに飾る。だがそれは、前作のラストでピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)とパズルボックスを封印した魔界の柱だった。それからほどなくして、テレビの新米レポーター、ジョーイ(テリー・ファレル)は病院の緊急救命室を取材していたところ、怪我で担ぎ込まれた若者が怪現象によって惨死する現場を目撃してしまう。付き添いの女性テリー(ポーラ・マーシャル)によると、ナイトクラブ「ボイラー・ルーム」にある奇妙な柱から出現したパズルボックスが事件に関係しているらしい。そのテリーと一緒に奇妙な柱の出所を調べ始めたジョーイは、やがて一本のビデオテープを発見する。そこに映されていたのは、パズルボックスとセノバイトの危険性を訴える女性カースティ(アシュレイ・ローレンス)の姿だった。 その頃、いつものようにクラブの女性客と適当にセックスを楽しんで追い返そうとしたモンロー。すると、柱から飛び出した鎖が女性客を惨殺し、封印されていたピンヘッドが覚醒する。外の世界へ出るためには更なる生贄が必要だ。そこで、モンローは強大な権力と引き換えに、ピンヘッドのため生贄を捧げることを約束する。一方、徐々にパズルボックスの謎を解き明かして来たジョーイの夢の中に、ピンヘッドの前世であるエリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)が出現。実は前作でチャナード医師に倒されたピンヘッドは、その際に善(=スペンサー大尉)と悪(=ピンヘッド)が完全に分離していたのだ。自らがセノバイト(魔道士)となるまでの複雑な過去を明かしたスペンサー大尉は、今や純然たる悪と化したピンヘッドの暴走を阻止すべく力を貸して欲しいとジョーイに告げる…。 冒頭の手術室で看護師が器具を並べるシーンはデヴィッド・クローネンバーグの『戦慄の絆』(’88)、怪我をした若者が病院へ担ぎ込まれるシーンはエイドリアン・ラインの『ジェイコブス・ラダー』(’90)、ジョーイが自宅の窓ガラスを通り抜けて異世界へ迷い込むシーンはジャン・コクトーの『詩人の血』(’30)に『オルフェ』(‘50)といった具合に、全編に渡って大好きな映画へのオマージュが散りばめられているのはヒコックス監督らしいところ。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』(’77)へのオマージュの元ネタが、よりによってジェシカ・ハーパーがウド・キアーを訪ねるシーンなのは、さすがにマニアック過ぎてニヤリとさせられる。さらに、ナイトクラブでの虐殺シーンをはじめとして、過激なスプラッター描写は前2作以上にてんこ盛り。CDJセノバイトにカメラマン・セノバイトなど、ややコミカル寄りな新キャラの造形は少々悪乗りし過ぎという気もするが、それもまたヒコックス監督一流の「サービス精神」の為せる業と言えよう。間違いなく、シリーズ中で最もエンタメ性の高い作品だ。 ちなみに、製作会社との意見の相違からメイン撮影に一切ノータッチだったクライヴ・バーカーだが、しかしプロモーション戦略の上で原作者のお墨付きが欲しいプロデューサー陣に懇願され、製作総指揮として追加撮影およびポスプロの段階から関わったらしい。一方、前作に続いて脚本を書いたバーカーの盟友アトキンスはヒコックス監督とすっかり意気投合し、俳優としてもナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のバーテン役&有刺鉄線セノバイト役で出演。また、これ以降『ヘルレイザー』シリーズの製作は、ミラマックス傘下のディメンション・フィルムズが担当することになる。 『ヘルレイザー4』(’96) 監督を手掛けた大物特殊メイクマン、ケヴィン・イェーガーが編集を巡る争いで降板したことから、『THE WIRE/ザ・ワイヤー』や『FRINGE/フリンジ』などのテレビシリーズで知られるジョー・チャペルが追加撮影を行い、最終的にアラン・スミシー名義で公開されたという曰く付きのシリーズ第4弾である。 映画はいきなり2127年の近未来から始まる。自らが設計した宇宙ステーション「ミノス」を占拠した科学者ポール・マーチャント博士(ブルース・ラムゼイ)は、ロボットアームで慎重にパズルボックスを解いてピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)を召喚する。それにはある目的があったのだが、しかしそこへ武装した特殊部隊が突入。身柄を拘束されたマーチャント博士は、パズルボックス「ルマルシャンの箱」と自身の家系の忌まわしい歴史について語り始める。 時は遡って1796年のフランスはパリ。マーチャント博士の先祖に当たる玩具職人フィリップ・ルマルシャン(ブルース・ラムゼイ)は、快楽主義者の不良貴族デ・リール公爵(ミッキー・コットレル)の依頼でパズルボックス「ルマルシャンの箱」を製作する。ところが、邪悪なデ・リール公爵は道で拾った貧しい女性アンジェリーク(ヴァレンティナ・ヴァルガス)を生贄にし、「ルマルシャンの箱」を介して地獄の門を開こうとしていた。その様子をたまたま目撃したフィリップは深く後悔し、逆に地獄の門を封じるためのパズルボックスを新たに作ろうとするものの失敗。そのためルマルシャン家は末代まで呪われることとなる。 再び時は移って1996年、アメリカへ移住したルマルシャン家の子孫ジョン・マーチャント(ブルース・ラムゼイ)は建築デザイナーとして大成し、ニューヨークのマンハッタンに「ルマルシャンの箱」をモチーフにした超高層ビルを建てる。彼は秘かに全ての地獄の門を閉じるためのパズルボックスを研究開発していたのだが、そんな彼の前にセノバイトと化したアンジェリークが現れ、召喚したピンヘッドと共にジョンを亡き者にしようと画策。しかし、お互いに信念の相違からピンヘッドとアンジェリークは敵対していく…。 過去・現在・未来と3つの時間軸を跨いで、パズルボックス「ルマルシャンの箱」を作った一族の数奇な運命を描いた大河ドラマ的なエピックストーリー。クラシカルなコスチュームプレイやスペース・オペラ的なサイエンス・フィクションの要素を兼ね備えたプロットは実に贅沢だが、しかしその割にコンパクトでチープな仕上がりなのは、脚本はおろか粗筋すら読まずにゴーサインを出したミラマックス幹部が、後からスケールの大きさに気付いて予算を出し惜しみしたせいだと言われている。 それでもなお、パズルボックスのルーツが解き明かされる中世編はロマンティックな怪奇幻想の香りが漂って秀逸だし、前作のクライマックスで登場した高層ビルの正体が判明する現代編も面白い。恐らく、宇宙ステーションを舞台にした近未来編は、もっとスケールの大きな話になるはずだったのだろう。そう考えると、予算との兼ね合いでクライヴ・バーカーの初期構想を破棄せねばならなかったことが惜しまれる。 その後の『ヘルレイザー』シリーズ 興行成績はまずまずの結果を残したものの、しかし批評的には大惨敗だった『ヘルレイザー4』。これを最後に生みの親クライヴ・バーカーも手を引いてしまうのだが、しかし製作会社ディメンション・フィルムズにとって『ヘルレイザー』シリーズは依然として金の生る木だったため、これ以降もビデオスルー作品として順調に継続していくこととなる。最後にその変遷をザッと辿ってみよう。 21世紀を迎えて早々に作られた『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』(’00)は、連続殺人事件を追う汚職警官の心の闇にピンヘッドが付けこむネオノワール風ホラー。これがまるで、『ジェイコブス・ラダー』×『ロスト・ハイウェイ』と呼ぶべきシュール&ダークな仕上がりで、間違いなくシリーズ屈指の傑作となった。監督は『フッテージ』(‘12)や『ブラック・フォン』(’22)などの小品ホラーで高く評価され、マーベルの『ドクター・ストレンジ』(’16)も手掛けたスコット・デリクソン。これがデビュー作だったが、当時からその才能は抜きん出ていた。 続く『ヘルレイザー/リターン・オブ・ナイトメア』(’02)ではアシュレイ・ローレンス演じるカースティが久々に復活。’02年にルーマニアで同時撮影された『ヘルレイザー/ワールド・オブ・ペイン』(’05)と『ヘルレイザー/ヘルワールド』(’05)は、前者ではルマルシャン家の子孫の率いるカルト集団がセノバイトを支配しようとし、後者ではゲーム版『ヘルレイザー』に熱中する若者たちが次々とピンヘッドに殺されていくメタ設定を採用するなど、どちらも創意工夫を凝らしているものの、残念ながら成功しているとは言えなかった。ちなみに、『ヘルレイザー/ヘルワールド』には無名時代のキャサリン・ウィニックと、撮影当時まだ19歳の初々しいヘンリー・カヴィルが出ている。 その後、6年ぶりに『ヘルレイザー:レベレーション』(’11)が登場するのだが、しかしこれがなんとも酷かった!いよいよダグ・ブラッドレーがピンヘッド役を降板し、新たにステファン・スミス・コリンズという俳優を起用、特殊メイクのデザインも一新されたのだが、残念ながらダグ・ブラッドレー版ピンヘッドのオーラもカリスマ性も皆無。そのうえ、メキシコへヤンチャしに行った不良坊ちゃんコンビがうっかりピンヘッドを召喚してしまうというストーリーもダメダメで、明らかにシリーズ最低の出来栄え。続く『ヘルレイザー:ジャッジメント』(’18)は、『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』に倣ったネオノワール・スタイルの犯罪サスペンス・ホラーで、『バートン・フィンク』や『セブン』を彷彿とさせる作風は悪くなかったが、いかんせん安っぽすぎた。 そして、満を持して発表された1作目のリブート版…というよりも原作「ヘルバウンド・ハート」の再映画化が、ディメンション・フィルムズから新たに20世紀スタジオへ権利が移って制作された『ヘル・レイザー』(’22)。といっても、ストーリーは原作とも1作目とも大きく違っている。ピンヘッドも男性から女性へ。セノバイトたちのデザインも刷新された。どうしても「誰か」に「何か」に依存してしまうリハビリ中の薬物中毒患者と、あらゆる悪徳と快楽に溺れてもなお満足できない大富豪を主人公に、人間の弱さと強さ、善と悪、理性と欲望の葛藤を描くストーリーは、『ダークナイト』三部作のデヴィッド・S・ゴイヤーも脚本原案に携わっているだけあって良質な仕上がり。同じデヴィッド・ブルックナー監督で続編も企画されているそうなので、期待して待ちたい。■ 『ヘル・レイザー』『ヘルレイザー2』『ヘルレイザー3』© 2019 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.『ヘルレイザー4』© 2021 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2024.04.01
‘70年代パニック映画ブームの起爆剤となった不朽の名作!『ポセイドン・アドベンチャー』
映画の草創期からみんなパニック大作が大好きだった! ‘70年代のハリウッドを席巻したパニック映画ブーム。その原点は『エアポート』シリーズ第1弾の『大空港』(’70)とされているが、しかしブームの起爆剤となったのは間違いなく『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)であろう。アメリカでは「ディザスター映画」と呼ばれる一連のパニック映画群。その名の通り天災や事故、パンデミックなどの大規模な災害(ディザスター)パニックを題材に、そこへ運悪く巻き込まれてしまった人々による決死のサバイバルを描く。そもそも、映画業界の草創期から非常にポピュラーなジャンルのひとつだ。古くは大地震を題材にした『桑港』(’36)に『シカゴ』(’37)、南の島に巨大台風が襲来する『ハリケーン』(’37)、地球と惑星の衝突を描いた『地球最後の日』(’51)、旅客機が太平洋横断中にエンジン故障に見舞われる『紅の翼』(’54)などが有名だが、しかしなんといってもディザスター映画の王道といえば豪華客船の沈没であろう。 なにしろ、世界で最初のディザスター映画と呼ばれるのが、タイタニック号の沈没を描いたドイツ映画『In Nacht und Eis(夜と氷の中で)』(’12)である。以降も巨匠E・A・デュポンの『アトランチック』(’29)にジーン・ネグレスコの『タイタニックの最期』(’53)、ロイ・ウォード・ベイカーの『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』(’58)などなど、主にタイタニック号事件を直接的ないし間接的な元ネタとしたスペクタクルな海洋パニック映画が数多く作られてきた。この『ポセイドン・アドベンチャー』については、ポール・ギャリコの原作小説も含めてタイタニック号事件との関連性は全くないものの、しかしこうしたジャンルの伝統と系譜をしっかりと受け継いだ正統派のディザスター映画であることは間違いない。 まずはあらすじをザックリと紹介しよう。ある年の大晦日のこと。ニューヨークからアテネへ向けて航海中の豪華客船ポセイドン号では、ベテランのハリソン船長(レスリー・ニールセン)と船主代理人ライナーコス(フレッド・サドフ)が激しく対立していた。というのも、船体が老朽化していることもあって転覆の危険性があるため、安全第一を考えるハリソン船長は速度を落として慎重に航行していたのだが、しかしコスト最優先のライナーコスは3日間の遅れが出ていることを問題視し、全速力で船を走らせるよう要求していたのだ。それでも頑として譲ろうとしないハリソン船長。しかし、最終的な決定権を持つライナーコスに逆らいきれず、不本意ながらも部下へ全速前進を指示するのだった。 一方、それぞれに事情を抱えた乗客たちは、新年パーティへ出席するための準備をしている。「神は自ら努力する者だけを救う」と主張するスコット牧師(ジーン・ハックマン)は、その弱者を切り捨てるような主張が教会から非難され、左遷先のアフリカ大陸へ向かう途中だった。ユダヤ人の金物屋マニー(ジャック・アルバートソン)とベル(シェリー・ウィンタース)のローゼン夫妻は、孫に会うためギリシャ経由でイスラエルへ向かうところ。彼らは一人旅をする親切な独身中年男性マーティン(レッド・バトンズ)を何かと気にかけていた。17歳のスーザン(パメラ・スー・マーティン)と12歳のロビン(エリック・シーア)のシェルビー姉弟は、目的地のアテネで両親と落ち合う予定。ニューヨーク市警のマイク・ロゴ警部補(アーネスト・ボーグナイン)は、元売春婦の妻リンダ(ステラ・スティーヴンス)と新婚旅行でイタリアへ向かう途中なのだが、しかし昔の客と遭遇することを恐れるリンダは客室から出ようとせず、それが夫婦喧嘩の原因になっていた。 やがて夜になると大食堂ホールで盛大な新年パーティが始まり、カウントダウンへ向けて乗客たちも大いに盛り上がる。ところがその頃、操縦室では重大な問題が起きていた。クレタ島の北西部で大規模な地震が発生したとの連絡が入ったのだ。慌てて遭難信号を送信したうえで、来るべき津波を警戒するハリソン船長と乗組員たち。ところが、それは彼らの想像を遥かに超えた大きさで、あっという間にポセイドン号は津波に飲み込まれてしまう。新年を迎えて祝賀ムードに沸き立つ大食堂ホールも、一転して阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌。転覆した船体は180度ひっくり返り、乗客たちは次々と天井へ真っ逆さまに落ちていく。 ほどなくして意識を取り戻した生存者たち。責任者のパーサーは「このまま救助隊が来るまでじっと待つべきだ」と指示し、生存者たちの大半が従うことにするのだが、しかしスコット牧師はこれに強く反発する。今やここが船底だ。いつ来るか分からない救助隊を待っていても、それまでに浸水してしまう危険性が高い。ならばイチかバチかでも上へあがって、すぐに助けてもらえるような場所へ移動するべきじゃないか!というわけだ。このスコット牧師の主張に賛同したのは、ローゼン夫妻にロゴ警部補夫妻、シェルビー姉弟にマーティン氏、そしてパーティ・バンドの歌手ノリー(キャロル・リンレイ)にボーイのエイカーズ(ロディ・マクドウォール)と僅か9名だけ。巨大クリスマスツリーを伝って上へ登った彼らだが、その直後に船内で爆発が起きて大食堂ホールへ海水がなだれ込む。断末魔の悲鳴を上げながら沈んでいく大勢の人々。その光景を目の当たりにして茫然とするスコット牧師だったが、それでも生き残りを賭けて9名の生存者たちの先頭に立っていく。彼らの行く手に次々と立ちはだかる試練と難関。果たして、全員が無事に生きて脱出することは出来るのか…? 原作者の実体験から生まれた作品だった! 『ポセイドン・アドベンチャー』の生みの親はプロデューサーのアーウィン・アレン。本作に続いて『タワーリング・インフェルノ』(’74)や『スウォーム』(’78)、『世界崩壊の序曲』(’80)などを世に送り出し、「ディザスター映画の王様」の異名を取ったアレンだが、もともとはテレビ・ドラマの出身だった。当時の彼が得意としていたのは『原子力潜水艦シービュー号』(‘64~’68)に『宇宙家族ロビンソン』(‘65~’68)、『タイムトンネル』(‘66~’67)などなど、劇場用映画ばりのスケール感で大ヒットした特撮アドベンチャー物。これらの成功に手応えを感じていたアレンは、おのずとテレビから映画への進出を目論むようになり、当時ちょうど出版されたばかりだったポール・ギャリコの同名小説の映画化企画を、専属契約を結んでいた20世紀フォックスに提案したのである。 1969年に出版されたポール・ギャリコの小説「ポセイドン・アドベンチャー」。ギャリコといえば「ハリスおばさん」シリーズや「七つの人形の恋物語」などが日本でも人気の高い作家だ。ポセイドン号のモデルになったのは、実在した有名な豪華客船クィーン・メリー号。1936年から’67年まで北大西洋を横断する定期便として運行したクィーン・メリー号は、乗客2020名に乗員1200名を収容することが出来るという超大型客船で、同時期に活躍したクィーン・エリザベス号に匹敵するほどの人気を誇った。作者のギャリコも’37年に乗船。ところが、船は2日間に渡って荒波に揉まれ、ギャリコが一等客専用の食堂で昼食を取っていたところ、急な高波に襲われて船全体が激しく傾いたことがあった。大事には至らなかったものの、それでも食堂は大変なパニックに陥ったという。その時の恐怖体験を基にして書き上げた小説が「ポセイドン・アドベンチャー」だったというわけだ。 ところが…である。20世紀フォックスはアレンの企画提案をにべもなく却下してしまう。なにしろ、当時のフォックスは『ドリトル先生不思議な旅』(’67)に『スター!』(’68)、『ハロー・ドーリー』(’69)と多額の予算を投じた大作映画が立て続けに興行的惨敗を喫しており、そのせいで会社の経営自体が傾いていた。明らかに予算のかかるディザスター映画を作っている余裕などなかったのである。加えて、当時はアメリカン・ニューシネマの全盛期。映画界のトレンドは『真夜中のカーボーイ』(’69)や『イージー・ライダー』(’69)などの小規模なアート映画だった。本作のような、いかにもハリウッド的な大作映画は客の入る見込みが低かったため、どうやらスタジオは二の足を踏んだようだ。 その後、’71年に帝王ダリル・F・ザナックが財政不振の責任を取って社長の座を降り、新社長ゴードン・T・スタルバーグのもとで経営再建に舵を切った20世紀フォックス。ここへきてようやく、『ポセイドン・アドベンチャー』の企画にもゴーサインが出る。とはいえ、与えられた予算はたったの500万ドル。『大空港』の1000万ドル、『タワーリング・インフェルノ』の1400万ドルと比べると、いかに低予算だったのかお分かりいただけるだろう。しかも、途中で会社側が金を出し渋り始めたため、最終的にプロデューサーのアレンが予算の半分250万ドルを、友人・知人からかき集めて調達することとなったそうだ。 キャスティングにも予算を抑えるカラクリが!? やはり最大の見どころは、上下逆さまとなった豪華客船内で繰り広げられる決死のサバイバル・アドベンチャー。中でも、実物大のセットを本当に丸ごとひっくり返したという津波パニック・シーンは今見ても圧巻である。特撮の演出を担当したのはアーウィン・アレン。よくこれだけ大掛かりな見せ場を用意しながら、500万ドルの予算内にきちんと収めたもんだと感心するが、そこはやはり長いことテレビ・シリーズを手掛けてきた人だけあって、少ない予算でいかに見栄えを良くするのか熟知していたのであろう。一方、作品全体の演出は『ミス・ブロディの青春』(’69)で高い評価を得たイギリス出身のロナルド・ニーム監督が担当。もともと巨匠デヴィッド・リーンの脚本家だっただけあって、登場人物それぞれの人生背景を丁寧に織り込んだ濃密な人間ドラマに冴えを見せる。この手のパニック大作は人間描写がおろそかになりがちだが、本作に限っては手抜かりが全くない。 また、’70年代パニック大作映画の定番であるオールスター・キャストにも、実は予算を抑えるためのカラクリが隠されている。どういうことかというと、当時旬の大物スターはスコット牧師を演じるジーン・ハックマンひとりだけ。それ以外は、既に全盛期を過ぎた過去のスターたちで固めているのだ。何故なら、旬のスターはギャラも高くついてしまうが、しかし過去のスターであれば知名度の割にギャラは安く済むから。なので、アーネスト・ボーグナインにシェリー・ウィンタース、ジャック・アルバートソンと3名のオスカー俳優が含まれながら、実はキャストの出演料はそれほどかかっていないのだ。なお、主演のハックマンは本作の撮影中に『フレンチ・コネクション』(’71)でオスカーに輝いている。 ちなみに、劇中の新年祝賀パーティで演奏される主題歌「モーニング・アフター」も忘れてはならないだろう。地獄のような一夜を経て訪れる、希望の朝の安堵感を歌った爽やかなソフトロック・ナンバー。アカデミー賞では見事にオリジナル歌曲賞を獲得し、その直後からラジオ局へのリクエストが殺到したそうで、最終的にビルボードのシングル・チャートでナンバーワンを獲得、’73年の年間シングル・チャートでも28位をマークした。これがレコード・デビューとなった歌手モーリーン・マクガヴァーン(劇中の歌声はセッション歌手のレネー・ア-マンド)は、その後も『タワーリング・インフェルノ』やロジャー・ムーア主演作『ゴールド』(’74)などにも参加し、映画やドラマの主題歌シンガーとして引っ張りだこになる。 かくして、1972年12月12日にロサンゼルスのエジプシャン・シアターでプレミア上映され、なんと予算の25倍に当たる1億2500万ドルもの興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなった『ポセイドン・アドベンチャー』。アカデミー賞ではオリジナル歌曲賞と特別賞(特撮チーム)に輝き、’73年の年間興行収入ランキングでは堂々の第1位をマークした。この大成功を機にディザスター映画ブームが本格的に到来し、ハリウッド業界は徐々に大作主義の時代へと向かっていくことになる。■ 『ポセイドン・アドベンチャー』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation.
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COLUMN/コラム2024.04.01
アメコミの世界観をM・ナイト・シャマラン流に換骨奪胎した『アンブレイカブル』三部作
驚きの結末で話題をさらった心霊ミステリー『シックス・センス』(’99)の大ヒットで一躍ハリウッドの注目株となったM・ナイト・シャマラン監督が、矢継ぎ早に放ったスーパーヒーロー映画らしからぬ印象のスーパーヒーロー映画『アンブレイカブル』(’00)。どこにでもいるごく平凡な中年男性が、己に秘められた超人的なパワーに目覚めていく姿を、極めてリアリスティックな人間ドラマとして描いた同作は、「映画史上最も優れたスーパーヒーロー映画のひとつ」と呼ばれるほど高く評価された。おのずと続編の可能性も噂され、実際に主演のブルース・ウィリスやサミュエル・L・ジャクソンはインタビューで続編への期待に言及し、シャマラン監督自身も続編の構想をほのめかしていたものの、しかし当時はそれっきり全く進展することがなかった。 ところが、それから16年後に公開された多重人格ホラー『スプリット』(’16)が、本編のクライマックスで実は『アンブレイカブル』の続編であったことが判明。この予期せぬサプライズに映画ファンが湧きたつ中、シャマラン監督自身が三部作の構想を正式に発表し、ほどなくして最終作となる異色のスーパーヒーロー映画『ミスター・ガラス』(’19)が完成したのである。この『アンブレイカブル』三部作がザ・シネマにて一挙放送。そこで、改めてシリーズの全貌を振り返ってみたい。 <アンブレイカブル> 物語の始まりは1961年。フィラデルフィアのデパートで妊娠中の女性客が産気づき、店員に補助されて自力で出産する。生まれた男の子をイライジャと名付ける母親プライス夫人(シャーレーン・ウッダード)。しかし、激しく泣き続ける赤ん坊の様子を変に感じた彼女は、遅れて駆けつけた産婦人科医にイライジャを診てもらったところ、胎内にいた時から既に両腕と両脚を骨折していたようだと聞かされて大きなショックを受ける。 時は移って現代。ニューヨークからフィラデルフィアへ向かう特急列車が脱線事故を起こし、乗員乗客131名が命を落とす。助かったのはたったのひとりだけ。アメフト・スタジアムの警備員として働く平凡な中年男性デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)だ。あれだけの凄惨な列車事故に遭遇しながら、かすり傷ひとつないデヴィッドの様子に首を傾げる医師。デヴィッド自身もまた、なぜ自分ひとりだけが無事だったのかと困惑する。そんなある日、彼のもとに一通の手紙が届く。そこに記されていたのは「あなたは今までの人生で何日間病気になりましたか?」という疑問。送り主はリミテッド・エディションという画廊を経営する男性イライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)。そう、40年近く前に両腕両脚を骨折した状態で生まれた人物だ。 コミックは歴史を伝える手段であり、そこに描かれる内容は誰かが実際に体験した事実だと主張するイライジャ。骨形成不全症という先天性疾患のせいで、全身の骨がガラスのように壊れやすい体質の彼は、それならば自分と正反対に決して病気や怪我などしない強靭な人間もいるに違いないと考え、大事故に遭っても無傷だったデヴィッドこそがその「スーパーヒーロー」ではないかと睨んだのである。そんなバカバカしい話があるもんかと一笑に付すデヴィッドだが、しかし実は思い当たる節が幾つもあった。 確かにこれまで一度も病気や怪我などした記憶がない。学生時代に交通事故で怪我をして、将来を有望視されていたアメフト選手を引退したことになっているが、しかしそれは妻オードリー(ロビン・ライト)と結婚するための口実に過ぎず、実際はかすり傷ひとつ負わなかった。そればかりか、彼には他人の体に触れるだけで相手が危険人物かどうかを察知する不思議な能力が備わっていた。もしかすると、自分の本当の使命はスーパーパワーを使って他人を助けることなのではないか?そう考えると、日常的に抱いている漠然とした不満の原因も見えてくる。自分のなすべきことに気付いていなかったからだ。おかげで、妻オードリーや息子ジョセフ(スペンサー・トリート・クラーク)との関係もギクシャクしてしまった。徐々に自らの秘めたパワーを自覚したデヴィッドは、自分の可能性を信じてくれる息子にも背中を押され、スーパーヒーローとしての第一歩を踏み出すのだが…? 映画の冒頭、平均的なコミックは1冊35ページ、コマ数124、価格は1冊1ドルから14万ドル以上まで幅があり、米国では1日17万2000部のコミックが販売されている云々と、いきなりアメコミに関する基本情報が淡々と紹介されて「一体なんのこっちゃ?」と思っていると、物語が進むに従って徐々に、本作がアメコミの世界をベースにしていることが見えてくる。ただし、どこまでも限りなく荒唐無稽を排した、いわば「大人向け」のアメコミ・ワールド。イライジャの経営する画廊リミテッド・エディションで、コミックの原画を買おうとした客が子供にプレゼントするつもりだと知り、コミックをバカにするんじゃねえ!と怒ったイライジャがその客を追い返す場面が出てくるが、あれはまさに本作の基本姿勢を象徴する重要なシーンだと言えよう。 そのうえで、本作はあえて「ヒーローであることを主人公が自覚するまで」の物語しか描かない。いわば、スーパーヒーロー誕生秘話である。一応、当初はヒーローとして覚醒した主人公が悪を相手に戦って大活躍するという「ありがち」な展開も考えていたシャマラン監督だが、しかしどうしても興味が湧かないためボツにしてしまったという。よくあるスーパーヒーロー映画であれば、まさにここから主人公の活躍が本格的に始まるというタイミングでジ・エンドとなる本作。しかしここで重要なのは、どこにでもいる平凡で疲れた冴えない中年のオジサンが、自分の中に眠っていた本当の自分を発見することで人生に意味を見出すこと。誰にだって何かしらの人と違った特別な才能があるはずで、その「ありのまま」の自分を肯定することによって人は初めて真価を発揮することが出来る。それこそが核心的なテーマではないかと考えると、本作の物語がここで終わることも十分に納得が出来るだろう。これはあくまでも、アメコミの世界観を応用したドメスティックな自分探しの物語。その先を描くと蛇足になってしまうからだ。 と同時に、本作はスーパーヒーローと敵対するスーパーヴィランの誕生秘話でもある。イライジャが自分と正反対の強靭な肉体を持った人間を探し求め、ようやく見つけたデヴィッドがヒーローとして覚醒するよう仕向けるのは、己の中に眠る本当の自分=ヴィランを覚醒させるため。なぜなら、善がいなければ悪は成立しないからだ。もちろん、その逆もまた真なり。いずれにせよ、物語のクライマックスではイライジャがスーパーヴィランとしての正体を現し、ガラスのように壊れやすい肉体に邪悪な魂を宿らせたミスター・ガラスとして自己を確立することになる。 ちなみに、本作のビジュアルや衣装のデザインは大きく分けて2つのカラートーンで構成されている。ひとつはデヴィッドの世界を表現するグリーンを基調とした暖かなカラー、そしてもうひとつがイライジャの世界を表現するパープルを基調とした冷たいカラー。しかし、デヴィッドが己の秘めたるパワーに気付いていくにつれ、アメコミ的なハッキリとした原色カラーが増えていく。それもまた、本作の基本設定がコミックに根差していることの象徴だ。 <スプリット> 原作のないコミック映画でありながら、あえてコミック映画を名乗らなかった『アンブレイカブル』。そこには、ストーリーのリアルな世界観を尊重するという意図もあったと思うが、しかし宣伝戦略において「コミック」や「スーパーヒーロー」のワードを使わなかったのは、それが映画会社タッチストーンによって禁止されていたからだという。なぜなら、本作が公開された’00年当時はまだMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)もDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)も存在せず、マーケットがニッチなコミック映画は客層が限定されてしまうと考えられていたからだ。しかしそれから16年後、ハリウッド映画界でアイアンマンやキャプテン・アメリカなどコミック由来のスーパーヒーローたちが大活躍する中で登場した『スプリット』もまた、その実態がコミック映画であることをばかりか、実は『アンブレイカブル』の続編であることすらオクビにも出さず公開されたのである。 大好きだった父親を亡くし、保護者となった叔父から性的虐待を受けて育った女子高生ケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)は、それゆえ幸せな家庭に恵まれた同級生たちとは馴染めず、孤独で辛い毎日を過ごしていた。そんなある日、クラスメイトのクレア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の誕生会に招かれた彼女は、クレアの父親の車で家まで送り届けて貰うことになったのだが、そこへいきなり乗り込んできた正体不明の男によって、クレアやマルシア(ジェシカ・スーラ)と一緒に誘拐されてしまう。気付くと窓のない部屋に監禁されていた3人の少女たち。怯える彼女たちの前に誘拐犯が姿を現す。 犯人はケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)という見ず知らずの若者。だが、なぜか姿を現すたびに名前も性格も性別や年齢もコロコロと変わることから、勘の鋭いケイシーは彼が解離性同一性障害、いわゆる多重人格であることに気付く。3歳の時に父親が家を出て行き、ストレスを溜めた母親から虐待を受けて育ったケヴィンは、壊れかけた心を守るために23もの人格を持つ多重人格者となってしまったのだ。そして今、超人的なパワーを持つ24番目の人格「ビースト」が目覚めようとしており、副人格のデニスとパトリシアはその「ビースト」の生贄にするため少女たちを誘拐したのだ。そのことに気付いて脱走方法を模索する3人。ケイシーは9歳の少年人格ヘドウィグと親しくなり、なんとか脱走の手助けをさせようとする。一方その頃、ケヴィンの主治医である精神科医フレッチャー(ベティ・バックリー)は、セラピーへ訪れる彼の様子がいつもと違うことから、何か不穏な事態が起きていることを察知し始めるのだが…? というわけで、とりあえず表向きはサイコパスの多重人格者に誘拐・監禁された少女たちの恐怖と脱走劇を描く猟奇ホラー。しかし、その実態は『アンブレイカブル』と同じく変化球的なコミック映画であり、クライマックスにブルース・ウィリス演じるデヴィッドが登場することで示されるように同作の続編映画でもある。注目すべきはフレッチャー医師が劇中で披露する仮説だろう。曰く、解離性同一性障害は思考ばかりか肉体の化学反応まで変わってしまう。つまり、人間は望めば自分がそうだと信じる「完全な別人」へ変身することが出来る。それこそが、実は超能力(=スーパーパワー)の由来なのではないか。要するに、人間は誰もがスーパーヒーローやスーパーヴィランになれる可能性を秘めているというわけだ。そして実際、本作の主人公ケヴィンは野獣的な怪物である24番目の人格ビーストへと変貌し、超人的なパワーを発揮することになるのだ。 ちなみに、もともとケヴィンは『アンブレイカブル』の脚本から削除されたキャラクターで、実はスタジアムで警備中のデヴィッドとすれ違う母親と少年(母親から虐待を受けていることが示唆される)が幼少期のケヴィンとその母親だとされている。長いことこのキャラクターが脳裏から離れなかったというシャマラン監督は、改めて彼を主人公とした新しい脚本を書きおろし、かつて頓挫した『アンブレイカブル』の続編にしたというわけだ。 なお、本作はA24配給のインディーズ・ホラー『ウィッチ』(’15)で注目された女優アニャ・テイラー=ジョイにとって、初めてメジャー・ヒットとなった出演作でもある。これで彼女を知ったという映画ファンも少なくなかろう。また、フレッチャー医師役をベティ・バックリーが演じていることも見逃せない。ミュージカル『キャッツ』でトニー賞の主演女優賞に輝くブロードウェイの大女優だが、古くからの映画ファンにとってバックリーといえば『キャリー』(’76)の体育教師コリンズ先生であろう。基本的に舞台が中心で映画出演の少ない人だが、シャマラン監督と組むのは『ハプニング』(‘08)に続いてこれが2度目である。 <ミスター・ガラス> 『アンブレイカブル』の8分の1の予算で作られた『スプリット』が、興行収入では同作を大きく上回ったことから、予てよりブルース・ウィリスやサミュエル・L・ジャクソンから提案されていた三部作の完結編に着手したシャマラン監督。問題は『アンブレイカブル』の権利元がディズニー(当時の配給元タッチストーンの親会社)、一方の『スプリット』はユニバーサルが権利を持っているため、両者のキャラや設定をブレンドするとなると著作権がバッティングしてしまうことだったが、しかしシャマラン監督がディズニーのCEOショーン・ベイリーに相談したところ、ユニバーサルとの共同制作を条件に『アンブレイカブル』のキャラクターおよび映像の使用を許可される。おかげで実現したのが、『アンブレイカブル』のデヴィッド・ダンとイライジャ・プライス、そして『スプリット』のケヴィン・ウェンデル・クラムの3者が集結した『ミスター・ガラス』だった。 超人的な怪力と強靭な肉体で犯罪者を次々と成敗し、世間から「監視人(オーバーシーヤー)」と呼ばれている謎のスーパーヒーロー。その正体は平凡な中年男デヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)である。かつてアメフト・スタジアムの警備員だったデヴィッドは独立して電気店を経営しつつ、相手に触れるだけで危険人物かどうか見分けられる特殊能力を活かし、息子ジョセフ(スペンサー・トリート・クラーク)の協力で犯罪の撲滅に尽力していたのである。そんな彼が現在追っているのは、24の人格が共存することから「群れ(ホード)」と呼ばれている解離性同一性障害のサイコパス、ケヴィン・ウェンデル・クラム(ジェームズ・マカヴォイ)だ。ある日、デヴィッドは偶然すれ違った風変わりな青年がケヴィンだと気付き、後を追ったところ倉庫の廃墟で彼に誘拐された生贄の女子高生たちを発見する。すぐに彼女らを解放するデヴィッド。すると、そこへ怪物的なスーパーヴィランの副人格ビーストへ変貌したケヴィンが現れ、デヴィッドと凄まじいバトルを繰り広げる。やがて、気が付くと武装した警官隊に囲まれていた2人。先頭に立つ女性科学者ステイプル博士(サラ・ポールソン)によって、彼らは身柄を拘束されてしまう。 厳重な警備体制の敷かれたレイヴン・ヒル記念病院へ送られたデヴィッドとケヴィン。そこにはなんと、薬物治療のせいで半ば廃人と化した悪漢ミスター・グラスことイライジャ・プライス(サミュエル・L・ジャクソン)も収容されていた。ステイプル博士が彼らを拘束した目的は精神治療。この世にコミックのようなヒーローやヴィランなど存在しないという彼女は、あなたたちは自分に特殊能力があると思っているかもしれないが、それは精神疾患による思い込みに過ぎないとして、彼ら自身がスーパーパワーの存在を否定するよう仕向けて行く。本人のためだとして、ジェイソンやケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)、プライス夫人(シャーレーン・ウッダード)にも協力させるステイプル博士。デヴィッドおよびケヴィンの人格たちは、次第に「そうなのかもしれない…」と思い始める。一方、実は廃人のふりをしていただけのイライジャは、世間にヒーローやヴィランの存在を知らしめるための計画を実行するべく、ステイプル博士や病院スタッフの目を盗んで秘かに脱走を準備していた。果たして、彼は何をしようと計画しているのか。さらに、ステイプル博士の意外な正体と真の目的も明らかとなっていく…。 最終章にしてようやく「スーパーヒーロー」を全面的に押し出した本作。コミックは実際に起きたことを娯楽として表現した歴史の記録であり、とりあえずコミックのように派手な見た目やパワーはないかもしれないが、しかしそれでも超人的な能力を持つヒーローもヴィランも現実に存在するのだというテーマは、1作目『アンブレイカブル』の時よりも明確となっている。そういう意味で、これは「コミック映画」というよりも「コミックについての映画」と呼ぶべきであろう。そして今回もまた、よそのスーパーヒーロー映画であればここからが本番!というタイミングで終わりを迎える。なぜなら、これはスーパーヒーローについての映画ではなくコミックについての映画だから。さらに言えば、人間はみんなそれぞれに特殊な才能がある、それを否定する権利など誰にもないというメッセージこそが、実は恐らく三部作を通してのストーリー的な核心であり、だからこそ結果的にシリーズ全体がヒーローとヴィランの覚醒を描く「誕生秘話」となったのではないかと思う。 こうして一応の完成を見た『アンブレイカブル』三部作。完結編の『ミスター・ガラス』も興行的に大成功したことから、このままシリーズ続行もあり得るのではないかと噂されたが、しかしシャマラン監督本人はそれを全面的に否定している。確かに本作の結末を考えると、まあ、そこから話を続けること自体はいくらでも可能だと思うが、しかし全く意味のないものになってしまうであろうことは想像に難くない。■ 『アンブレイカブル』© 2000 Touchstone Pictures 『スプリット』© 2017 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved. 『ミスター・ガラス』© 2022 Universal Studios and Buena Vista International, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.03.04
欲に目のくらんだ悪党どもが激突する血みどろ韓流ノワール!『アシュラ』
悪に染まった汚職刑事が辿り着いた先とは…? 『MUSA -武士-』(’01)や『無垢なる証人』(’19)のチョン・ウソンに『新しき世界』(’13)や『国際市場で逢いましょう』(’14)のファン・ジョンミン、『神と共に』(‘17~’18)シリーズのチュ・ジフンに『哭声/コクソン』(’16)のクァク・ドウォンと、いずれ劣らぬ韓国の名優たちがズラリと揃い、野心と欲望に目のくらんだ悪人どもの血で血を洗うような争いを描いた韓流ノワールだ。韓国では18歳未満お断りの青少年不可映画に指定されながら、オープニング週末の売り上げ140億ウォン(興行収入ランキング1位)という大ヒットを記録。第37回青龍映画賞で7部門にノミネートされ、最優秀撮影賞など3部門に輝いた名作である。 舞台はソウル郊外の京畿道に位置する架空の地方都市・アンナム市。ここは韓国の首都圏にある多くの衛星都市と同様、大規模な再開発計画が進行しているのだが、その裏では莫大な利権を巡って激しいバトルが繰り広げられていた。争いの先頭に立つのは現職の市長パク・ソンベ(ファン・ジョンミン)だ。自らが関与するニュータウン建設を推し進めたいパク市長は、あらゆる手段を使って反対派の抵抗を抑え込もうとしていた。その汚れ役を一手に引き受けているのが地元警察の刑事ハン・ドギョン(チョン・ウソン)である。 俺は勝つ側につくだけだと嘯くハン刑事だが、実は妻の腹違いの兄がパク市長。その妻は末期ガンの症状に苦しんでいる。しかし、刑事の安月給では最先端の医療を受けさせることも難しい。そこで彼は、多額の賄賂と引き換えにパク市長の裏工作や尻拭いを請け負っているのだ。今回も選挙法違反で起訴されたパク市長のため、検察側の証人を消したハン刑事。おかげでパク市長は逆転無罪を勝ち取り、ハン刑事は警察を辞職して市長のもとで働くことになる。ところが、上司のファン班長が彼の悪事に気付いてしまい、揉み合いの末にハン刑事は上司を転落死させてしまう。チンピラに罪を着せて事なきを得ようとしたハン刑事。しかし、地検特捜部のキム・チャンイン(クァク・ドウォン)とト・ハンチャク(チョン・マンシク)に目を付けられてしまった。パク市長が証人の拉致を指示した証拠を持ってこないと、これまでの悪事を暴いてやると脅されたハン刑事は、仕方なく地検特捜部へ協力することに。これで警察を辞職することも出来なくなったため、彼は代わりとして後輩のムン・ソンモ刑事(チュ・ジフン)をパク市長のもとへ送り込む。 生き残るためにも、市長側と検察側の間で上手く立ち回ろうとするハン刑事。その一方で、真面目で正義感の強い純朴な若者だったソンモは、パク市長のもとで働くようになると瞬く間に悪へ染まり、元先輩であるハン刑事のことも蔑んだ目で見るようになる。自分の立場が危うくなってきたことに焦り、若いソンモに対してライバル心と嫉妬心を燃やすハン刑事は、パク市長の寵愛を取り戻すべく、以前にも増して裏工作に手腕を発揮していく。すると、これに対抗せんとしたソンモが功名心を先走らせ、パク市長に反旗を翻した暴力団系企業の社長テ・ビョンジョを殺してしまう。これを境にパク市長はソンモを重用するようになり、ハン刑事に対する地検特捜部の圧力も増していく。四面楚歌に追い込まれたハン刑事は、事態を打開するべくイチかバチかの賭けに出るのだが…? 監督が描かんとしたのは巨悪に飼われたちっぽけな悪人 本作の劇場公開時、「権力を持たない悪人たちの疲弊した生活」を描きたかったと語っていたキム・ソンス監督。日本ではチョン・ウソンと組んだ『MUSA -武士-』の監督として知られ、最新作『ソウルの春(原題直訳)』(‘23・日本公開未定)が韓国国内で’23年最大の興行収入を稼ぎ出したキム監督だが、本作の当時は大作映画『FLU 運命の36時間』(’13)が興行的にも批評的にも失敗したばかり。次は自分が本当に撮りたい映画を撮ろうと心に決めたという彼は、ずっと好きだったという刑事映画のジャンルへ挑戦することにしたのである。「今の時代、本当の悪は暗黒街のボスではなく政治指導者や権力者だ」というキム監督。しかし、あえて彼が本作で焦点を当てたのは、その巨悪の飼い犬として悪事に加担する汚職刑事。つまり中途半端でちっぽけな悪人だ。 犯罪アクション映画に出てくるような悪党の子分たちに注目し、リスクの大きさに比べると明らかに見返りが少ないにも関わらず、なぜ彼らは巨大な悪に忠誠心を示して搾取されるのか考えてみたというキム監督。本作で描かれるその答えはシンプルだ。弱肉強食の泥沼にハマって抜け出せなくなった彼らにしてみれば、もはや「そうする以外に生き残る術がない」からである。妻の医療費を稼ぐためとはいえ、バレたら確実に刑務所行きとなるような違法行為を数百万ウォンのはした金で引き受け、気が付くと後戻りできないほど多くの悪事を重ねてしまったハン刑事。それは後輩ソンモや地検特捜部のキム検察官とて似たようなものであろう。 最初はパク市長のもとで働くことに後ろめたさのあったソンモだが、しかし高級スーツや高級車を買えるようになると、金銭感覚ばかりでなく善悪の感覚まですっかり麻痺し、やがて自ら進んで殺しにまで手を染める。一方、パク市長の悪事を暴くという大義名分を掲げるキム検察官もまた、正義の名のもとに違法尋問や違法捜査を重ねてきた人権感覚ゼロの冷血漢。そのうえ彼の上司である部長検事はパク市長の反対派に買収されている。つまり、彼もまたハン刑事と同じ巨悪の「パシリ」に過ぎないのだ。 架空の都市・アンナム市のモデルとは? どこを向いても悪人だらけ。金銭欲と権力欲に駆られた連中が、お互いに噛みつき噛みつかれ、みんな揃って真っ逆さまに地獄へ堕ちていく。18禁の理由にもなったクライマックスの血みどろ殺戮大会は圧巻!そこには、「この世界から悪を全滅させ、何もない状態にしないと希望は生まれない」というキム監督のメッセージが込められている。国土が焼け野原となることで初めて大日本帝国の悪夢と決別し、何もない状態から民主主義国家として戦後の繁栄を手に入れた我々日本人にとって、その言葉は大きな説得力を持つように思う。 舞台となる架空の都市・アンナム市を、DCコミック「バットマン」シリーズのゴッサム・シティに例えたキム監督は、ゴッサム・シティが治安の悪かった時代のニューヨークをモデルとしているように、韓国で特に政財界の癒着と不正が酷かった’70~’80年代、つまり軍事独裁政権時代の荒んだ郊外都市をそこに投影したという。劇中に登場するアンナム市は、一部についてはソウル市内や釜山、仁川などでロケされたが、しかし大半のシーンは美術監督のチャン・グニョンが手掛けたセットで撮影されている。クライマックスで殺戮の舞台となる葬儀場は勿論のこと、貧困地区の路地裏や朽ちかけた古いビルも、実はみんなセットだというのだから驚く。 韓国ではアシュリアンと呼ばれる熱狂的なファンも誕生したという本作。奇しくも韓国で劇場公開された直後、当時のパク・クネ大統領の不正事件が明るみとなり、意図せずしてタイムリーな話題性を纏うことになったのは興味深いところだろう。アシュリアンが企画したグループ鑑賞会では、ゲストとして招かれたチョン・ウソンが劇中のセリフ「パク・ソンベ、表に出てこい」に引っ掛けて、「パク・クネ、出てこい」と叫んだもんだから会場は大盛り上がり。さらに、パク・クネ政権の退陣を求める大規模デモでは、アンナム市民連帯の旗などを掲げたアシュリアンたちも参加したそうだ。BTSのアーミーもそうだが、こういう単なる推し活の枠を超えたファンダムの政治的な活動は、韓国社会の健全な一面を現しているのではないかと思う。■ 『アシュラ』© 2016 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
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COLUMN/コラム2024.03.01
ミステリー・ファンを魅了してきたアガサ・クリスティ映画の軌跡
ミステリーの女王は自作の映画化に後ろ向きだった? アカデミー賞で6部門にノミネートされた『オリエント急行殺人事件』(’74)の大ヒットをきっかけにブームとなったアガサ・クリスティ映画シリーズ。折しも、’50年代半ばから’60年代にかけて、スタジオシステムの崩壊やテレビの普及などの影響で低迷したハリウッド映画界が、ニューシネマの時代を経て往時の勢いと輝きを取り戻しつつあった当時、キラ星の如きオールスター・キャストに贅の限りを尽くした美術セットと衣装、セックスやバイオレンスよりも謎解きのトリックとメロドラマを楽しむ優雅なストーリーなど、まるで黄金期のハリウッド映画を彷彿とさせるようなグラマラスなゴージャス感が、世界中の映画ファンを虜にしたのである。3月のザ・シネマでは「ミステリーな春/アガサ・クリスティ特集」と銘打って、当時のシリーズ作品の中から『ナイル殺人事件』(’78)に『クリスタル殺人事件』(’80)、『地中海殺人事件』(’82)を放送。そこで、今回は同シリーズを中心としたアガサ・クリスティ映画の軌跡を振り返ってみたい。 「ミステリーの女王」として世界中の推理小説に多大な影響を与えたイギリスの推理作家アガサ・クリスティ。なにしろ知名度の高いスター作家ゆえ、その作品は古くから映画化されてきた。最も古い映画化作品は「謎のクイン氏」シリーズ第1弾「クイン氏登場」を原作とするイギリス映画『The Passing of Mr. Quin』(’28・日本未公開)とされているが、最初の重要な作品はフランスの巨匠ルネ・クレールがクリスティの同名小説をハリウッドで映画化した『そして誰もいなくなった』(’45)であろう。 とある島の豪邸に招かれた10名の客人と召使いが、童謡「10人のインディアン」の歌詞になぞらえて次々殺されていくという傑作ミステリー。そもそも原作小説がクリスティの代表作として名高い傑作ゆえ、その映画版も極めて完成度が高かった。その後、イギリスの有名なB級映画プロデューサー、ハリー・アラン・タワーズが原作の映画化権を入手し、『姿なき殺人者』(’65)に『そして誰もいなくなった』(’74)、『アガサ・クリスティ/サファリ殺人事件』(’89)と3度に渡って映画化。中でも、’74年版の『そして誰もいなくなった』は同年公開された『オリエント急行殺人事件』を強く意識し、オリヴァー・リードにリチャード・アッテンボロー、シャルル・アズナヴール、エルケ・ソマーなどヨーロッパ映画界のビッグネームをズラリと揃えたオールスター・キャスト映画だった。 また、『サンセット大通り』(’50)や『お熱いのがお好き』(’59)の巨匠ビリー・ワイルダーが、クリスティの「検察側の証人」を映画化した『情婦』(’57)も評判となり、アカデミー賞で6部門にノミネート。’60年代にはイギリスの名脇役女優マーガレット・ラザフォードが素人探偵ミス・マープルを演じた『ミス・マープル/夜行特急の殺人』(’61)が大ヒットし、以降も3本の続編が作られるほどの人気シリーズとなったものの、しかし「ABC殺人事件」を映画化した『The Alphabet Murders』(’65・日本未公開)を最後にアガサ・クリスティ作品の映画化がしばらく途絶えてしまう。というのも、同作は小説版をコメディへと大胆に改変したのだが、これを見た原作者のクリスティは大いに失望したのである。そもそも、それまでの映画化作品の多くも、彼女にはいろいろと不満ありだったらしい。これ以降、原作「終わりなき夜に生まれつく」をほぼ忠実に映画化した『エンドレス・ナイト』(’71)を唯一の例外として、クリスティは自作の映画化を許可しなくなってしまった。 シリーズは『オリエント急行殺人事件』から始まった 時は移って’70年代初頭。シェイクスピア映画『ロミオとジュリエット』(’68)で有名なプロデューサー・コンビ、ジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンは、英国ロイヤル・バレエ団が着ぐるみで動物を演じる異色のバレエ映画『ピーター・ラビットと仲間たち』(’71)を大ヒットさせる。同作は共産圏のソヴィエトでも評判となり、グッドウィンはモスクワへ招待されることになった。本人の記憶だと’73年頃のことだという。その際、彼は当時まだ小学生だった娘デイジーを同伴したのだが、モスクワ滞在中に彼女は持参した本をずっと夢中になって読んでいた。それがアガサ・クリスティの小説「オリエント急行の殺人」だったのである。特にこれといってクリスティのファンではなかったというグッドウィンだが、娘に誘発されて自分も読んでみたところハマってしまったのだそうだ。 これは絶対に映画化すべきだと考えたグッドウィンだが、しかしクリスティが自作の映画化をなかなか許可しないという情報も知っていた。そこで一肌脱いだのがビジネス・パートナーのブレイボーン卿である。実はブレイボーン卿の妻パトリシアはヴィクトリア女王の玄孫にしてエリザベス2世の三又従妹、義理の父親ルイス・マウントバッテン伯爵はインド総督も務めた伝説的な海軍元帥で、ブレイボーン卿本人も由緒正しい男爵家の次男坊。さらに、住まいもクリスティのご近所さんだった。その人脈をフル稼働してクリスティの自宅を訪ね、映画化の説得を試みたブレイボーン卿。すると、彼とグッドウィンが『ピーター・ラビットと仲間たち』のプロデューサーだと知ったクリスティは、あの映画と同じくらい原作へ敬意を払ってくれるのであれば…という条件のもとで映画化を許可してくれたのである。 イギリスのEMIとアメリカのパラマウントが予算を半分ずつ提供することになり、監督はハリウッドの名匠シドニー・ルメットに決定。当初、ブレイボーン卿もグッドウィンも英国映画らしい小規模でリアリスティックなミステリー映画を想定していたが、しかしルメットはグラマラスなオールスター映画に仕立てるつもりだった。なにしろ、物語の時代設定はハリウッド黄金期の’30年代半ば。トルコのイスタンブールとフランスのパリを結ぶ豪華絢爛な国際寝台列車・オリエント急行を舞台に、優雅な上流階級の人々が絡んだ殺人事件の謎を名探偵エルキュール・ポワロが解明する。古き良きハリウッド・スタイルを再現するには格好の題材だ。 そのうえ、当時は『大空港』(’69)や『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)、『タワーリング・インフェルノ』(’74)など、オールスター・キャストのパニック映画がブームになっていた。なんといっても、スターが雲の上の存在だったハリウッド黄金期の伝説的スターや名バイプレイヤーたちが、まだまだ存命だった時代である。今や名前だけで客を呼べるような映画スターはトム・クルーズくらいになってしまったが、当時のハリウッドにはネームバリューのある新旧映画スターが大勢ひしめき合っていた。オールスター映画の人材には事欠かなかったのである。 ショーン・コネリーやジャクリーン・ビセットといった当時旬のトップスターから、ローレン・バコールにイングリッド・バーグマンなどハリウッド黄金期の大スター、ジョン・ギールグッドにウェンディ・ヒラーなど英国演劇界のレジェンドに、マーティン・バルサムやレイチェル・ロバーツなどの名バイプレイヤーと、総勢14名もの錚々たる役者たちが勢ぞろい。主人公である名探偵ポワロ役には、当時「ローレンス・オリヴィエの後継者」と目されていた天下の名優アルバート・フィニーが起用された。 かくして完成した『オリエント急行殺人事件』は全米の年間興行成績ランキングで11位という大ヒットを記録。先述したようにアカデミー賞で6部門にノミネートされ、イングリッド・バーグマンが助演女優賞に輝いた。原作者のクリスティも出来栄えに大満足。この成功に手応えを感じたブレイボーン卿とグッドウィンは、アガサ・クリスティ映画の第2弾を企画する。それが、’76年のクリスティ死去を挟んだことから完成までに時間のかかったジョン・ギラーミン監督の『ナイル殺人事件』(’78)である。 ロケ地エジプトの灼熱と不便さに悩まされた『ナイル殺人事件』 原作は「エルキュール・ポワロ」シリーズの「ナイルに死す」。今回はエジプトのナイル川を下る豪華客船で大富豪の令嬢リネット(ロイス・チャイルズ)が銃殺され、たまたま友人(デヴィッド・ニーヴン)と乗り合わせた名探偵エルキュール・ポワロ(ピーター・ユスティノフ)が犯人捜しに乗り出したところ、乗客たちの誰もがリネットに対して強い恨みを抱いていたことが判明する。リネットに婚約者(サイモン・マッコンキンデール)を奪われた元親友にミア・ファロー、リネットの宝石を狙うアメリカの大富豪夫人にベティ・デイヴィス、その付添人マギー・スミスは実家がリネットの両親のせいで破産し、自由奔放なロマンス作家アンジェラ・ランズベリーはリネットから誹謗中傷で訴えられ、その大人しい娘オリヴィア・ハッセーはリネットに嫉妬し、筋金入りの社会主義者ジョン・フィンチは特権階級のリネットを蔑み、メイドのジェーン・バーキンはリネットに結婚を反対され、ドイツ人の医師ジャック・ウォーデンはリネットにヤブ医者扱いされ、顧問弁護士ジョージ・ケネディはリネットの資産を使い込んでいた。要は、乗客の全員にリネットを殺す動機があったのだ。 名探偵ポワロ役は、前作のアルバート・フィニーからピーター・ユスティノフへ交代。役柄よりも実年齢がだいぶ若かったフィニーは、ポワロ役を演じるためのメイクが嫌で再登板を断ったとも伝えられるが、いずれにせよ原作のポワロに年齢も体型も近いユスティノフの起用は大正解だったと言えよう。おかげで、ポワロは彼の当たり役となり、以降も映画やドラマで繰り返し演じることになる。脇を固めるキャスト陣も、前作に負けず劣らず豪華!チョイ役にも、サム・ワナメイカーやハリー・アンドリュースなどの名優が顔を出している。 また、今回はエジプトのナイル川や古代遺跡で実際にロケをした観光映画としても見どころが盛りだくさん。豪華客船は1901年に製造された古い蒸気船をカイロで発見し、ボロボロだった床板などを撮影のために修復した。エジプトは気温が高いため、午後のロケ撮影は不可能。1日の撮影を午前中で終えなくてはならないことから、スタート時刻は早朝4時だったという。毎朝一番に現場へ現れ、誰よりも先に準備を終えていたのが、当時69歳だった大女優ベティ・デイヴィス。最年長の彼女がお手本を示したことで、共演者の誰もが遅刻することなく時間を守ったのだそうだ。なお、砂漠のど真ん中では夜間撮影用の照明をたく電源が確保できず、そのため夜間シーンはロンドン郊外のパインウッド・スタジオに豪華客船のセットを組んで撮影。そもそも、当時のエジプトはまだ発展途上国だったことから、例えばロンドンと連絡を取るにしても1日20分のテレックスしか通信手段がないなど、かなり不便なことが多かったようだ。 さらに、本作でアカデミー賞に輝いたアンソニー・パウエルのデザインによるお洒落な衣装も大きな見どころ。舞台が’30年代半ばということで、基本的には当時のファッション・トレンドを基調にしているものの、しかし中高年女性のキャラクターにはそれよりも古い時代のスタイルを採用したという。なぜなら、人間は往々にして人生で最も幸せだったり、最も元気だったりした若い頃の流行に執着してしまうものだから。なので、ベティ・デイヴィスの衣装は1910年代風、アンジェラ・ランズベリーの衣装は1920年代風に仕立てられている。 どれもエレガントで豪華で洗練されたコスチュームばかりだが、中でも特に印象的なのはミア・ファローがエジプトで着ているストライプ柄のノースリーブ・トップス。実はこれ、使い古しの布巾をリメイクしたものだったらしい。華奢な体型のミアに似合うような、’30年代風のゆったりしたパジャマ・トラウザーをデザインしたパウエルは、これに合うようなリゾートスタイルのノースリーブ・トップスを作ろうとするも、しっくりくる生地がどこを探しても見当たらなかったという。仕方なく作業場へ戻ってきたところ、ストーブにぶら下がっている汚れた布巾が目に入った。これはフランシス人アシスタントの母親が持ち込んだ私物で、衣装部スタッフのために作業場で料理を作る際に使っていたらしい。よく見ると、ストライプ柄がパジャマ・トラウザーにピッタリ。そこで、汚れを落とすために何度も何度も繰り返し煮沸したうえで、トップスの生地として使用したのだという。ただし、臭いまで落としきることは出来なかったらしく、何も知らないミアは「誰かニンニクでも食べた?」と首を傾げていたそうだ(笑)。 アメリカでは前作ほど客足が伸びなかったものの、ヨーロッパやアジアでは大ヒットした『ナイル殺人事件』。リチャード・グッドウィンによると、中でも日本の興行成績は良かったという。まあ、「ミステリー・ナイル」という日本独自の主題歌を宣伝に使ったり、地方では同時上映にアニメ『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(’78)をブッキングしたりと、配給会社の戦略が功を奏した面もあったろうが、その一方でちょうど70年代の日本で海外旅行ブームが盛り上がっていたことも、少なからず影響していたのではないかとも思う。依然として庶民にとっては高根の花だった海外旅行だが、しかしそれでも頑張れば手が届くかもしれない夢…くらいには身近になりつつあった時代。テレビドラマ『Gメン’75』の香港ロケやヨーロッパ・ロケが話題となったように、海外観光への興味や関心も高まっていたように記憶している。エジプトの観光映画を兼ねた本作が、そんな日本人の海外旅行熱を刺激したとしてもおかしくはなかろう。 毒のあるブラック・ユーモアも楽しい『クリスタル殺人事件』 この『ナイル殺人事件』のスマッシュヒットを受けて、矢継ぎ早に作られたのが「鏡は横にひび割れて」を映画化した『クリスタル殺人事件』だ。監督は前作のジョン・ギラーミンから007映画で名を上げたガイ・ハミルトンへバトンタッチ。もともと原作本は『オリエント急行殺人事件』のヒットに便乗しようとしたワーナーが映画化を発表していたものの、最終的にジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンが権利を手に入れたというわけだ。 今回は風光明媚なイギリスの片田舎が舞台。舞台は1953年である。住民の誰もがみんな顔見知りという小さな村で、ハリウッド映画のロケ撮影が行われることとなり、久しぶりに現役復帰する大女優マリーナ(エリザベス・テイラー)を囲んだレセプションパーティで殺人事件が起きる。マリーナの大ファンである地元女性が毒殺されたのだ。ところが、目撃者の証言から毒入りカクテルはもともとマリーナのものだったことが判明。つまり、被害者女性は誤って毒入りカクテルを飲んでしまっただけで、犯人の本来のターゲットはマリーナだった可能性が浮上したのだ。そこで、村でも有名なゴシップ好きで推理好きの老女ミス・マープル(アンジェラ・ランズベリー)が、甥っ子であるロンドン警察の主任警部ダーモット(エドワード・フォックス)と組んで真相の究明に乗り出す。 恐らく、オールスター・キャストの顔ぶれはシリーズ中で本作が最も豪華かもしれない。物語の時代設定が’50年代ということで、往年の大女優マリーナにエリザベス・テイラー、その夫で映画監督のジェイソンにロック・ハドソン、マリーナとは犬猿の仲のライバル女優ローラにキム・ノヴァク、そしてローラの夫でプロデューサーのマーティにトニー・カーティスと、’50年代のハリウッド映画を代表するトップスターが勢ぞろい。当時、テイラー自身もマリーナと同じくキャリアのスランプに陥っており、劇中のセリフでも揶揄される体重の増加や容姿の衰えをいたく気にしていたそうだが、しかしロック・ハドソンとは『ジャイアンツ』(’56)で共演して以来の大親友だし、ミス・マープル役のアンジェラ・ランズベリーとも『緑園の天使』(’44)で姉妹役を演じた仲だし、トニー・カーティスも古い友人。昔からの仲間が一緒ならば心強いということで、3年ぶりの本格的な映画出演となる本作のオファーを引き受けたのだそうだ。 主演のアンジェラ・ランズベリーはクリスティの原作で描かれるミス・マープルを忠実に再現。当初、ランズベリーは3本の映画でミス・マープルを演じる契約をEMIと結んでいたが、しかし残念ながら興行的に不入りだったため彼女のミス・マープルはこれっきりとなってしまった。ただ、後に主演して代表作となったテレビ・シリーズ『ジェシカおばさんの事件簿』(‘84~’96)の主人公ジェシカ・フレッチャーは、明らかに本作のミス・マープル役を下敷きにしており、そういう意味では彼女にとって重要な作品だったと言えよう。そのほか、ジェラルディン・チャップリンにエドワード・フォックスも登場。ガイ・ハミルトンが手掛けた『007/ダイヤモンドは永遠に』(’71)の悪役チャールズ・グレイがマリーナの執事役を演じているのも見逃せない。 そんな本作が過去2作品と決定的に違うのは、毒っ気たっぷりのブラック・ユーモアがふんだんに盛り込まれている点であろう。特にマリーナとローラによる女優同士の嫌味と悪口の応酬はなかなか過激(笑)。「顔の皴で線路が出来る」とか、「目の下のたるみよ、ドリス・デイに飛んでいけ」とか、ビッチ丸出しなセリフの数々に思わず大爆笑だ。ちなみに、ドリス・デイは’50年代にロック・ハドソンと数々のロマンティック・コメディで主演コンビを組んだトップ女優。もちろん、それを大前提としての辛辣な内輪ジョークである。これらのセリフを書いたのは『カンサス・シティの爆弾娘』(’72)や『面影』(’76)の脚本家バリー・サンドラー。本人はオープンリー・ゲイなのだそうだが、なるほど確かにクイアーなユーモアのセンスをしていますな。もともと本作の脚本はジョナサン・ヘイルズが単独で手掛けていたものの、しかし原作に忠実過ぎて面白みがないと感じた製作陣の依頼で、サンドラーがリライトを担当したのだそうだ。 シリーズに終止符を打った『地中海殺人事件』 そして、結果的にシリーズ最終作となったのが『地中海殺人事件』(’82)。やはり前作の不入りで予算が大幅に減ったのか、どうも全体的に出がらし感が否めない。監督はガイ・ハミルトンが続投。脚本は『ナイル殺人事件』のアンソニー・シャファーが再登板し、前作のバリー・サンドラーがノー・クレジットでリライトを手掛けている。前回のエリザベス・テイラーとキム・ノヴァク同様、本作でもダイアナ・リッグとマギー・スミスが女同士のいがみ合いで火花を散らせるが、その毒舌ユーモアたっぷりの際どいセリフを再びサンドラーが担当したのだそうだ。 で、そのマギー・スミスを筆頭に、ピーター・ユスティノフとジェーン・バーキン、コリン・ブレイクリーにデニス・クイリーが2度目のシリーズ出演。まあ、名探偵ポワロ役のユスティノフは仕方ないにせよ、メインキャスト10人中の半分が再登板というのはいかがなもんだろうかとは思う。その他のキャストも、映画界のレジェンドと呼べるのはジェームズ・メイソンくらいか。ダイアナ・リッグは確かに一世を風靡した女優だが基本的にはテレビ・スターだし、シルヴィア・マイルズはニューシネマで頭角を現したアングラ女優だし、ロディ・マクドウォールも名子役出身の性格俳優だしと、オールスター映画を謳うにはちょっとばかり顔ぶれが弱いことは否めない。 とはいえ、芸能界で敵ばかり作って来た大女優がバカンス先のリゾート・ホテルで殺されるというストーリーは、いかにもアガサ・クリスティらしいゴシップ紙感覚の愛憎劇で面白いし、最大の目玉である謎解きのトリックも当然ながら良く出来ているし、なおかつロケ地となったスペインのマヨルカ島の美しい景色も非常に魅力的。『ナイル殺人事件』以来となる、アンソニー・パウエルの手掛けた衣装も、’30年代のファッション・トレンドを鮮やかに再現したノスタルジックで優美なデザインが見目麗しい。筆者が最初に映画館で見たアガサ・クリスティ映画ということもあって、個人的には特に思い入れの強い映画でもある。 しかしながら、この『地中海殺人事件』が大幅な赤字を出してしまったことから、ジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンのコンビによるアガサ・クリスティ映画シリーズは終了。その後、「無実はさいなむ」をドナルド・サザーランド主演でノワール風に映画化した『ドーバー海峡殺人事件』(’84)、ポワロ役のピーター・ユスティノフを筆頭にオールスター・キャストを揃えた「死との約束」の映画化『死海殺人事件』(’88)、同名小説の三度目の映画化となった『アガサ・クリスティ/サファリ殺人事件』などが登場するも、残念ながらいずれも不発に終わった。『死海殺人事件』はキャストの顔ぶれといいクラシカルな雰囲気といい、いかにもブレイボーン卿&グッドウィンの作品みたいだったが、実際はキャノン・フィルムのメナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスが製作した映画だ。 一方、テレビではピーター・ユスティノフが名探偵ポワロを、大女優ヘレン・ヘイズがミス・マープルを演じたテレビ映画シリーズがヒットしたほか、ジョーン・ヒックソン主演の『ミス・マープル』(‘84~’92)、グラナダ・テレビが製作した『アガサ・クリスティー ミス・マープル』(‘04~’13)、デヴィッド・スーシェ主演の『名探偵ポワロ』(‘89~’13)など、本場イギリスでは長年に渡ってアガサ・クリスティ原作のテレドラマが愛され続けている。そうした中、ケネス・ブラナーが名探偵ポワロ役を演じて監督も兼ねたリメイク映画版『オリエント急行殺人事件』(’17)が登場。続編として『ナイル殺人事件』(’22)に『名探偵ポワロ:ベネチアの亡霊』(’23)が作られるなど、好評を博しているのはご存知の通りだ。■ 『ナイル殺人事件(1978)』© 1978 STUDIOCANAL FILMS Ltd『クリスタル殺人事件』© 1980 / STUDIOCANAL Films Ltd『地中海殺人事件』© 1981 Titan Productions