ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2024.12.04
誰もが童心に帰るレイ・ハリーハウゼンの傑作ファンタジー・アドベンチャー「シンドバッド3部作」の見どころを解説!
ストップモーション・アニメーションを駆使した創造性の豊かな特撮映画で一時代を築き、ことSF映画やファンタジー映画のジャンルに多大な影響を及ぼした映像クリエイター、レイ・ハリーハウゼン。少年時代に見た映画『キング・コング』(’33)に衝撃を受け、ミニチュアとモデル人形を用いたコマ撮りの技術によって、この世に存在しないクリーチャーたちに命を吹き込むストップモーション・アニメの世界に魅了された彼は、その『キング・コング』の特殊効果を手掛けたウィリス・オブライエンに影響されてアニメーターの道へ。高校時代から自主制作でストップモーション・アニメを製作していた彼は、南カリフォルニア大学を経て映画界へ入り、尊敬するオブライエンが特撮監修を務めた怪獣映画『猿人ジョー・ヤング』(’49)にアシスタントとして参加し、同作のアカデミー特殊効果賞獲得に大きく貢献する。 一般的には「特殊効果マン」として認識されているハリーハウゼンだが、しかし実際には特撮シーンの製作・演出・撮影はもとより、作品の基本コンセプトから脚本の執筆、実写部分の撮影にも大きく関わっており、映画監督組合の規定によって本編では実写部分の演出家が監督としてクレジットされていたものの、しかし実質的には彼こそが作品全体を主導する「監督」の役割を担っていることが多かった。初めて特殊効果の責任者を任されたのは日本の『ゴジラ』(’54)にも影響を与えたとされる『原子怪獣現る』(’53)。その次の『水爆と深海の怪物』(’55)で出会ったコロムビア映画のプロデューサー、チャールズ・H・シニアとタッグを組み、『地球へ2千万マイル』(’57)のようなSFモンスター映画から『アルゴ探検隊の大冒険』(’60)に代表されるファンタジー映画、英国のハマー・フィルムに招かれた『恐竜100万年』(’66)に端を発する恐竜映画などを次々と手掛けたハリーハウゼン。ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグを筆頭に、ジェームズ・キャメロンにティム・バートン、ギレルモ・デル・トロにピーター・ジャクソンなどなど、彼に影響を受けて尊敬していることを公言する映像作家は枚挙に暇ない。もちろん、フィル・ティペットにジョン・ダイクストラ、デニス・ミュレンなど特殊視覚効果のレジェンドたちもハリーハウゼンを師と仰いでいる。 そんな偉大なアニメーターにしてフィルムメーカーだったレイ・ハリーハウゼンの、恐らくライフワークと呼んでも過言ではない代表作「シンドバッド三部作」が12月のザ・シネマにお目見えする。同じく放送される『アルゴ探検隊の大冒険』と並んで、特撮ファンタジー映画の金字塔として熱烈なファンの多い「シンドバッド三部作」。今回はその見どころや舞台裏エピソードをご紹介しよう。 『シンバッド七回目の航海』(1958) シンドバッドの英語表記「Sinbad」に倣って邦題でもシンバッドの呼称が使われた本作は、「シンドバッド三部作」の記念すべき第1弾にして、ハリーハウゼンにとって初めてのカラー映画。なおかつ、ハリーハウゼン映画のトレードマークである「ダイナメーション」を宣伝文句に使った最初の映画でもある。ダイナメンション(立体)とアニメーションを結び合わせた造語であり、ハリーハウゼンが得意とするストップモーション・アニメとライブ・アクションを融合させた特撮技術を指す「ダイナメーション」。従来のストップモーション・アニメーションという単語だと、いわゆる漫画アニメと混同してしまう観客や批評家が多かったため、何か新しいキャッチーな呼び方が必要だと考えていたハリーハウゼンのため、相棒のシニアがドライブ中に思いついたのだそうだ。 そんな本作の企画が生まれたのは、ハリーハウゼンが『原子怪獣現る』の撮影を終えた頃のこと。フランスの画家ギュスターヴ・ドレの絵画をヒントに、「アラビアン・ナイト」の英雄シンドバッドと骸骨が剣を交えて戦う場面を連想したハリーハウゼンは、そのアイディアを基にした「Sinbad the Sailor(船乗りシンドバッド)」という長編映画を企画。いくつか考えた特撮シーンのコンセプト画と簡単な企画書を持って、各映画会社やプロデューサーのもとを回ったが、しかし当時はまだ具体的なストーリーがなかったせいか、どこへ持ち込んでもアッサリ断られてしまったという。 その後、『水爆と深海の怪物』に『世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(’56)、『地球へ2万マイル』と立て続けにSF特撮映画を作ったハリーハウゼンだったが、おかげで巨大生物が暴れまわったり都市が破壊されたりするような映画に飽きてしまった。そこで思い出したのが「船乗りシンドバッド」の企画だったという。とはいえ、当時はRKO製作のシンドバッド映画『四十人の女盗賊』(’55)が大惨敗したばかりで、ハリウッドではコスチュームプレイは時代遅れで当たらないという認識が広まっていた。そのうえ歴史物なので、それまでの映画に比べて遥かに予算がかかる。またもや門前払いを食らうのではないかと心配したハリーハウゼンだったが、しかし彼の描いたコンセプト画を見てヒットの可能性を見抜いたシニアは、映画会社の幹部を説得しやすいように実現可能なアイディアのみをまとめた企画書を作り直し、見事にコロムビア映画から製作許可を得たのである。 まずは特撮と合成の準備に取り掛かったハリーハウゼン。彼の作品は基本的に特撮シーンありきであるため、脚本は特殊効果と予算の兼ね合いを検討しながら改稿を繰り返していくのが通常だった。一般的に特撮は脚本を基にして準備が進められ、脚本の内容に従って製作されるものと考えられがちだが、ハリーハウゼン作品はその逆だったのだ。テレビドラマの人気脚本家だったケネス・コルブを雇い、ハリーハウゼンとシニアを交えた3人で会議を重ねた末に、およそ半年をかけて脚本が完成。映画の成功も失敗も特殊効果次第だと考えたシニアは、ハリーハウゼンの手に100万ドルの保険をかけたのだそうだ。 ストーリーは実にシンプル。異国の姫君パリサ(キャスリン・グラント)と婚約し、船長を務める船で故郷のバグダッドへ戻ることになったシンドバッド王子(カーウィン・マシューズ)は、その途中に立ち寄った謎の島コロッサで一つ目の巨人サイクロプスに襲われる魔術師ソクラ(トリン・サッチャー)を救出する。ところがこのソクラは邪悪な魔術師で、島では宝物庫から魔法のランプを盗もうとしてサイクロプスに追いかけられていたのだ。魔法のランプを諦められないソクラは、魔術を使ってパリサ姫を親指サイズの小人に変えてしまう。慌てたシンドバッドが犯人と知らずソクラに助けを求めたところ、パリサ姫を元へ戻すにはコロッサ島の巨大な怪鳥ロックの卵が必要不可欠だという。そう、ソクラはシンドバッドにコロッサ島へ戻る船を出させるため、パリサ姫に魔術をかけたのだ。かくして、謎多き島へ再び上陸したシンドバッド一行の前に、サイクロプスや双頭の怪鳥ロック、さらには火を噴く怪獣ドラゴンなどが立ちはだかる。 先述した通り、ストーリーはあくまでも特撮シーンの見せ場を軸にして構成されており、なおかつ子供向けの冒険活劇が基本コンセプトであるため、正直なところ脚本自体はあまり出来が良いとは言えない。だいたい、サイクロプスなんてギリシャ神話のキャラクターであり、本来なら「アラビアン・ナイト」の世界とは無関係。いい加減といえばいい加減である。やはり最大の目玉はハリーハウゼンの「ダイナメーション」だろう。中でも、企画の発端となったシンドバッドと骸骨の剣戟アクションは、両者の剣さばきが見事にマッチした素晴らしい出来栄え。モデル人形と俳優を「接触」させる映像を撮るのはこれが初めてだったため、ハリーハウゼンは自らフェンシングの訓練コースを受けて正しい剣さばきを勉強し、さらには剣戟の振り付けを担当するフェンシングの元オリンピック・イタリア代表選手エンツォ・ムスメッキ・グレコと打ち合わせを重ね、アニメート作業を念頭に置いたリズミカルな振り付けを考案したという。骸骨のモデル人形は体部分がラテックスを沁み込ませた綿、頭部はレジン(合成樹脂)で出来ており、『アルゴ探検隊の大冒険』の骸骨軍団のひとつとしても再登場する。 もちろん、サイクロプスとドラゴンの造形も見事で、両者が死闘を演じるクライマックスはなかなかの迫力だ。当初、サイクロプスをもっと人間みたいなデザインにするつもりだったハリーハウゼンだが、しかし観客から俳優が演じているものと勘違いされることを避けるため、『地球へ2千万マイル』の怪獣イミールの初期デザインを応用したモンスターに仕上げた。恩師ウィリス・オブライエンに言われた「現実に撮影できるものを作ろうとするのはやめるべきだ」というアドバイスも恐らく念頭にあったのだろう。 ちなみに、もともとのコンセプトだとコロッサ島はサイクロプスの居住地で、他にも大勢のサイクロプスが存在するという設定だったのだとか。実際、シンドバッドの部下の水兵がサイクロプスに捕まって丸焼きにされそうになるシーンで、2体のサイクロプスが「ご馳走」を巡って殴り合いの喧嘩をするというユーモラスな場面も予定されていたが、しかし時間と予算の都合で諦めたのだそうだ。また、ドラゴンが火を噴くシーンの撮影もコストがかかるため、本来ならもっと火を噴かせたかったが2回だけで断念。また、脚本執筆の段階では、人魚の姿をした女性の精霊セイレーンが嵐の岩場に現れたり、魔術師ソクラの洞窟で巨大ネズミの群れに襲われたりするシーンも存在したそうだが、前者は時間的な余裕がなかったため、後者は子供向け映画としては怖すぎるため削除された。 やはり本作で最大の難関だったのはカラー撮影である。というのも、当時はまだCGもデジタル合成も存在しない時代。ストップモーション・アニメとライブ・アクションの映像を合成するには、手前にモデル人形やミニチュアセットを配置し、背景のスクリーンに実写映像を投影(リアプロジェクション)しながらひとコマずつ撮影していく、いわゆる「スクリーンプロセス」の手法が用いられていた。ご想像の通り、それだとスクリーンに投影された実写映像をもう一度撮影することになるため、当たり前だがその部分だけ解像度が著しく落ちてしまう。これがモノクロ撮影だと画質や色の違いもなんとか誤魔化せるが、しかしカラーではハッキリと目立ってしまうのだ。ただでさえカラー撮影は費用がかさむうえ、そうした技術的な問題も孕んでいる。なので、もともとハリーハウゼンはモノクロでの撮影を考えていたが、しかし相棒シニアが「『アラビアン・ナイト』の世界にモノクロはそぐわない」とカラーでの撮影を主張し、ハリーハウゼンも「確かにその通りだ」と考えを改めたのである。 そこで、ハリーハウゼンはコロムビア現像所の所長ジェラルド・ラケットに相談し、複製ネガの画質がマスターポジに劣らないイーストマン・コダック社の新製品フィルム「カラーストック5253」をリアプロジェクション用に採用。さらに、当時の映画フィルムは撮影の際にマスキングされていたのだが、ハリーハウゼンはそれを外して露光領域を全て使うことを考案。これでリアプロジェクション映像を撮影すると。画像サイズが大きくなった分だけ解像度も上がり、画質や色の違いが少なく抑えられるというわけだ。ただし、カラーフィルムは温度変化に敏感で、例えばアニメート撮影を途中で切り上げて翌日に回したりすると、その間にフィルムの明度が変わってしまうため、ひとつのカットを一気に撮影せねばならなかったそうだ。 また、当時のハリウッド映画の歴史物はロサンゼルスのスタジオに巨大セットを作って撮影されることが多かったが、本作は製作費の節約のため人件費の安いスペインでロケを敢行。グラナダのアルハンブラ宮殿やコスタ・ブラーバのサガロ、マジョルカ島の洞窟などを使って実写映像を撮影しているのだが、これが実にエキゾチックかつ風光明媚な魅力を作品に与えて大正解。ロケハンのためスペインを訪れたハリーハウゼンはすっかり気に入ってしまい、以降もたびたび自作のロケ地としてスペインを選んだばかりか、一時期はスペインに住んでいたこともある。 監督として実写部分の演出を担当したのは『地球へ2万マイル』でも組んだネイサン・ジュラン。自分自身を「映画監督が天職というタイプではない」「映画に恋をしたようなこともない」と語っていたジュランは、自らの職務についても「スケジュールと予算をきちんと守ったうえで、脚本の内容を映像化する技術者」だと割り切っていた。それゆえ、ハリーハウゼンやシニアにとっては仕事をしやすい相手だったようだ。しかももともとは美術監督の出身であるため、本作では異国情緒溢れるゴージャスな映像美にその才能を発揮している。また、シンドバッド役のカーウィン・マシューズは当時コロムビア映画が猛プッシュしていた若手スターで、ハリーハウゼン曰く、目に見えないモンスターを想像しながら演技するのが非常に巧かったという。 最終的な製作費はたったの65万ドルだったが、コロムビア映画の派手なプロモーション効果もあってか大ヒットを記録。これを機にハリーハウゼンとシニアは大きな予算を確保できるようになり、いわゆるB級映画の世界から抜け出すことが出来たそうだ。 『シンドバッド黄金の航海』(1973) 本作も始まりはレイ・ハリーハウゼンの描いたイラストだった。再び「アラビアン・ナイト」の世界を映画化したいと考えた彼は、ケンタウロスとグリフォンの戦いなど何枚かのイラストを描いていた。1963~64年頃のことだ。しかし、当時はストーリーまでは思いつかなかったため企画を温存することにした。その後、何度か脚本家を雇ってアウトラインを考えたが実を結ばず。結局、興行的に不発だった『恐竜グワンジ』(’69)の完成後に、自身の手でシンドバッド映画第2弾のアウトラインを書くことになる。これを読んだ相棒のチャールズ・H・シニアは、『女子大生・恐怖のサイクリングバカンス』(’70)や『見えない恐怖』(’71)などの優れた英国サスペンスで知られるブライアン・クレメンスを脚本家として雇い、およそ1年間をかけて脚本会議を重ねながらストーリーを構成していく。そうやって最終稿が仕上がったのは1972年6月のことだった。 部下の水兵たちを伴って航海の旅を続ける船乗りシンドバッド(ジョン・フィリップ・ロー)は、ある時、船の上空を飛来した奇妙な生き物を射落とそうとしたところ、その生き物が運んでいた黄金のタブレットを手に入れる。すると、シンドバッドの目の前に美しい女性の幻が現れ、そのうえ奇妙な嵐に見舞われた一行は、気が付くと航路から大きく外れたマラビア王国へと辿り着く。上陸したシンドバッドから黄金のタブレットを奪おうとする魔術師クーラ(トム・ベイカー)。実は、タブレットを落としていった奇妙な生物は、魔術師クーラがマンドレイクの根から作った翼を持つ小型の人造人間ホムンクルスだった。王国軍によって助けられたシンドバッドは、クーラによって顔に火傷を負ったため黄金のマスクを被った宰相ビジエル(ダグラス・ウィルマー)に宮殿へ招かれる。 その宰相ビジエルによると、黄金のタブレットは3枚で構成されたパズルのひとつで、その全てを揃えた者は何か強大なパワーを得ることが出来るという。魔術師クーラはそれを狙っているのだ。実は宰相ビジエルも黄金のタブレットを持っており、シンドバッドのタブレットと併せてみたところ、それが伝説の島レムリアの位置を示す航海図であることに気付く。恐らく、そこに3枚目のタブレットがあるのだろう。宰相ビジエルと共にレムリア島へ向かうことにしたシンドバッドは、さらに幻で見た美女と瓜二つの女奴隷マルギアナ(キャロライン・マンロー)と商人の放蕩息子ハローン(カート・クリスチャン)を連れて航海の旅に出るのだが、その動きを察知した魔術師クーラが横取りしようと画策する…。 『シンバッド七回目の航海』よりも大人向けに仕上がった本作は、それゆえビジュアルもお伽噺風の煌びやかさや派手な色彩が抑えられ、全体的にどこかダークで神秘的なムードが漂う。中でもそれが顕著なのは、カンボジアのアンコール遺跡を参考にしたというレムリア島のデザインであろう。そのレムリア島の元ネタは、19世紀の動物学者フィリップ・ㇲクレーターが存在を主張した幻の大陸レムリア。かつてインド洋にあったとされていることから、ハリーハウゼンは本作もインドでロケ撮影しようと考えたが、しかし当時のインドでは官僚主義やお役所仕事で映画の撮影がなかなか進まず、そのうえ現地エキストラは複数の仕事を掛け持ちしているので平気で現場をすっぽかすとの悪評を聞いて断念する。なにしろ、ハリーハウゼン作品では撮影スケジュールと予算の厳守は必須だ。そのため、結局は前作と同じようにスペインで撮影をしている。 やはり本作の最大の見どころは、レムリア島の寺院に祀られたヒンドゥー教の陰母神カーリーの巨大な青銅像が動き出し、シンドバッド一行と激しい戦いを繰り広げるシーンであろう。実在しないクリーチャーに命を吹き込むこと以上に惹かれるのが、本来なら命を持たないただのモノに命を吹き込むことだというハリーハウゼン。そんな彼にとって、本作のカーリーは最も満足した仕事のひとつだったようだ。ただし、カーリーとシンドバッドたちのチャンバラ合戦は『アルゴ探検隊の大冒険』の骸骨軍団との戦いと同じくらい、複雑かつ困難なアニメート作業と合成が必要だったため、実写部分の撮影ではハリーハウゼン自身が最終的な完成映像を念頭に置いて役者の動きを指導したという。また、カーリーが踊り出すシーンではインドの舞踏家スーリャ・クマリに振り付けを依頼し、フィルム撮影された踊りを基にしてアニメート作業を行った。 もうひとつ、命を吹き込まれた命のないモノが、シンドバッドの船の船首像である。セイレーンをモデルにした船首像が、夜の暗闇で不気味に動き出すシーンは鳥肌ものの不気味さとカッコ良さ!また、サイクロプスの要素を取り込んだひとつ目のケンタウロスもデザインがユニークだし、そのケンタウロスとグリフォン(上半身が鷲で下半身がライオンという伝説のクリーチャー)の戦いも大きな見どころである。なお、本作ではダイナメーションに代わってダイナラマという新しい名称が使用されているが、これは映画会社の宣伝戦略で呼び方を変えただけだ。 監督に起用されたのは、AIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)で『呪われた棺』(’69)や『バンパイアキラーの謎』(’70)などのカルト・ホラーを手掛けたゴードン・ヘスラー。ファンタジーの世界にも造詣が深かった彼は、脚本会議にも途中から参加して様々なアイディアを提供し、ハリーハウゼンを大いに満足させたという。ダークで神秘的な世界観もホラー畑出身のヘスラーにはピッタリだった。シンドバッド役は『バーバレラ』(’68)や『黄金の眼』(’68)で有名なジョン・フィリップ・ロー。マッチョ過ぎないシュッとした体格はハリーハウゼンの理想通りだったが、しかしシニア曰く、前作のカーウィン・マシューズほど剣戟アクションが上手くないのは不満だったようだ。 ヒロインのマルギアナを演じるキャロライン・マンローは、当時ハマー・フィルムでクレメンスが撮り終えたばかりの初監督作『吸血鬼ハンター』(’73)の主演女優で、そのクレメンスの推薦で本作に起用された。従来のハリーハウゼン作品らしからぬセクシーなヒロイン像に、当時は胸をときめかせた映画少年も多かったようだ。また、魔術師クーラ役のトム・ベイカーは、かのローレンス・オリヴィエにも才能を評価されたシェイクスピア俳優だったが、しかし本作のオーディションを受けた当時は土木作業員のアルバイトをしながら食いつないでいたそうで、このクーラ役をステップにイギリスの国民的長寿SF番組『ドクター・フー』の4代目ドクター役に抜擢される。また、マカロニ・ウエスタンの悪役俳優アルド・サンブレルが、シンドバッドの腹心オマール役で顔を出しているのも見逃せない。 なお、井戸から現れる毛むくじゃらの預言者役は、もともとオーソン・ウェルズがキャスティングされていたものの、撮影直前になってエージェントがギャラの値段を吊り上げたために断念。その代わり、当時たまたまスペインで休暇中だった名優ロバート・ショーに出演してもらった。撮影はたったの1日で済んだそうだ。 『シンドバッド虎の目大冒険』(1977) 『シンドバッド黄金の航海』の完成後、次なる企画として「コナン」や「ホビットの冒険」などを検討していたというハリーハウゼンとシニア。しかし、同作が予想を上回る大ヒットを記録したことから、引き続きシンドバッド物を踏襲することになる。この勢いに乗っておかない手はないと考えたわけだ。ただし、単純な続編にすることは意図的に避けた。前作で使おうと思ったアイディアが幾つも残っていたため、それを基にして全くの独立したストーリーを考えたのである。そのひとつが、前作のアウトラインに含まれていた「人間が魔法で猿に変えられてしまう」という設定。これを土台にして話を膨らませ、大まかなあらすじを考えたハリーハウゼンは、1974年の5月にアウトラインを相棒シニアに送っている。 脚本執筆に起用されたのは『アルゴ探検隊の大冒険』でも組んだビヴァリー・クロス。脚本会議を重ねてもなかなか結末が決まらなかったそうだが、最終的にクロスが相応しいクライマックスを考えてくれたという。決定稿が出来上がったのは1975年6月。またもや1年以上かかってしまったのである。 物語の始まりはアラビアの都シャロック。先代のカリフが崩御し、その息子であるカシム王子(ダミアン・トーマス)の戴冠式が行われるのだが、実子ラフィ(カート・クリスチャン)を王位に就けたい継母ゼノビア(マーガレット・ホワイティング)の魔法によって、なんとカシム王子はヒヒに変えられてしまう。実は、ゼノビアは黒魔術を操る邪悪な魔女だったのだ。その頃、冒険の旅を終えた船乗りシンドバッド(パトリック・ウェイン)がシャロックを訪れる。カシム王子の妹ファラー姫(ジェーン・セイモア)と結婚するためだ。ところが、都は夜間外出禁止令が出ていて中へ入れない。そればかりか、ゼノビアとラフィの仕掛けた罠にまんまとハマって、シンドバッドと仲間たちは餓鬼グールや軍隊に襲撃される。 なんとか敵を倒してファラー姫を救出し、船へと戻ったシンドバッド。ファラー姫から事情を聞いた彼は、親友でもあるカシム王子を助けようと考える。7ヶ月以内に王子を元の姿に戻さねばラフィが王位に就いてしまう。高名な錬金術師メランシアス(パトリック・トラウトン)ならば何か分かるに違いないと思いついたシンドバッドは、ファラー姫やヒヒになったカシム王子を連れて、メランシアスが住むというギリシャのカスガル島を目指して旅に出る。そうと知った魔女ゼノビアもまた、息子ラフィや機械仕掛けの従者ミナトンと共にシンドバッド一行の後を追う。カスガル島で錬金術師メランシアスとその娘ディオーネ(タリン・パワー)と面会したシンドバッドらは、氷河に覆われた幻の大陸ヒュペルボレイオスに存在する、失われた民族アリマスピの神殿に呪いを解くヒントがあると教えられる。メランシアスとディオーネを旅の仲間に加え、極北の地を目指すシンドバッド一行。しかし、そんな彼らの行く手に魔女ゼノビアが立ちふさがる…! サイクロプスやドラゴン、ケンタウロスにグリフォンなど神話や伝説のクリーチャーがスクリーンを賑わせた前2作と違って、巨大なセイウチやサーベルタイガー、ネアンデルタール人トロッグにヒヒなど、実在の生物を基にしたクリーチャーが大半を占める本作。一応、機械仕掛けの従者ミナトンはギリシャ神話に出てくる半人半牛の怪物ミノタウロスが元ネタだが、しかし見た目は殆んどロボットである。おかげで、「アラビアン・ナイト」をベースにしたファンタジー活劇というよりも。エドガー・ライス・バローズやヘンリー・ライダー・ハガードの書いたSF冒険小説の世界に近くなったように思う。そこは恐らく賛否の別れるポイントだ。 その一方で、前作が大ヒットしたおかげで予算が跳ね上がり、コロムビア映画から350万ドルという破格の製作費を割り当てられたおかげもあって、実写シーンでは従来のスペイン・ロケに加えて、北極の氷河を横断するシーンはピレネーのピコス・デ・エウロパ、錬金術師メランシアスが住むカスガルはヨルダンのペトラ遺跡、シンドバッドの船やヒュペルボレイオスの神殿などの屋外セットはマルタ島といった具合に、世界各地で大規模な撮影を行っている。ただし、ピレネーやヨルダンのロケはキャストや監督が決まる前にハリーハウゼンが第2班を率いて撮っているため、ロングショットで本編に移っている登場人物たちはみんな代役だったそうだ。反対にクロースアップショットはスタジオで撮影されており、周りの風景がロケ映像のフィルムを使った移動マット合成であることが見て取れる。 監督は俳優としても有名なサム・ワナメイカー。シンドバッド役は続編のイメージを避けるというハリーハウゼンの意図に加え、さらにコロムビア映画が新しい俳優を望んでいたこともあって、ジョン・フィリップ・ローではなくハリウッド映画の王様ジョン・ウェインの息子パトリック・ウェインが起用された。ディオーネ役のタリン・パワーも往年の大スター、タイロン・パワーの娘。こうした2世スターの起用は良い宣伝材料になったという。ヒロインのファラー姫には『007/死ぬのは奴らだ』(’73)のボンドガールでブレイクしたジェーン・セイモア。ただし、クレジット上はタリン・パワーがパトリック・ウェインと並ぶ主演扱いで、自分がヒロインだと聞かされていたジェーンは撮影現場で脚本の決定稿を渡され、中身を読んだところ自分の出番が大幅に削られていてビックリしたという。ジェーン曰く、2世スター同士の顔合わせで売り出したい映画会社の意向だったそうだ。まあ、パトリック・ウェインもタリン・パワーもほどなくして映画界から消え、貧乏くじを引いたジェーン・セイモアは長く輝かしいキャリアを誇ることになるのだが。 ハリーハウゼンが最も満足したというのが魔女ゼノビア役のマーガレット・ホワイティング。ありきたりなケバケバしい魔女ではなく、威厳のある邪悪さを持ったコンラート・ファイトの女性版を望んだハリーハウゼンは、コーラル・ブラウンやヴィヴェカ・リンドフォースくらいの演技力を持った名女優でないと務まらないと考えたそうだ。そこで、アン・バクスターやマーセデス・マッケンブリッジ、パトリシア・ニールなどのベテラン女優を検討した末、ハリーハウゼンがゼノビア役をオファーしたのは映画史上屈指の大女優ベティ・デイヴィス。しかし提示されたギャラがあまりにも高すぎたため断念せざるを得ず、その代わりにウェスト・エンドの大物シェイクスピア女優ホワイティングに白羽の矢が立てられた。これが結果的に幸いしたとハリーハウゼンは振り返る。 1977年の夏休みシーズンに世界中で一斉公開された本作だが、映画会社が期待したほどの大成功には結びつかなかった。恐らくその最大の理由は、同時期に公開された『スター・ウォーズ』(’77)であろう。これを機にハリウッドでは最先端の特撮技術を駆使したスペクタクルなSF大作映画のブームが訪れ、ストップモーション・アニメを使った古式ゆかしいファンタジー映画は急速に時代遅れとなっていく。新たに特撮映画のジャンルを牽引するようになったのは、ハリーハウゼンの映画を夢中で見て育ったジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグの世代。まさに時代の節目だったのである。■ 「シンドバッド7回目の航海」© 1958, renewed 1986 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.「シンドバッド黄金の航海」© 1973, renewed 2001 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.「シンドバッド虎の目大冒険」© 1977, renewed 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.12.03
S・キングの才能を受け継ぐ息子の創造力と『ドクター・ストレンジ』監督の幼き日の記憶が融合したユニークなホラー映画『ブラック・フォン』
21世紀のホラー映画界を代表する制作会社ブラムハウスとは? 低予算かつ良質なホラー映画に定評のある、ハリウッドの制作会社ブラムハウス・プロダクションズの放った大ヒット作だ。ご存知の通り、『パラノーマル・アクティビティ』(’07)シリーズや『インシディアス』(’10)シリーズ、『パージ』(’13)シリーズに『ハッピー・デス・デイ』(’17)シリーズなどの人気ホラー・フランチャイズを世に放ち、『ゲット・アウト』(’17)ではホラー映画として珍しいアカデミー賞の作品賞ノミネートも果たしたブラムハウス。この『ブラック・フォン』(’22)も批評面・興行面の両方で大成功を収め、既に続編の劇場公開も決まっている。 近年のハリウッドではブラムハウスだけでなく、サム・ライミ監督のゴースト・ハウス・ピクチャーズやジェームズ・ワン監督のアトミック・モンスター・プロダクションズなどホラー映画に特化した新興スタジオが台頭。エッジの効いたアート系映画でハリウッドに革命を巻き起こしたA24も、アリ・アスター監督の『ヘレディタリー/継承』(’18)に『ミッドサマー』(’19)など芸術性の高いホラー映画に力を入れている。そうした中、この20年余りで200本を超える映画を製作して60億ドル近くの興行収入を稼いだとされ、アメリカのインディペンデント映画をリードする存在とまで言われるブラムハウスとは、いったいどのような会社なのか?まずはそこから話を始めてみたい。 ブラムハウス・プロダクションズの社長ジェイソン・ブラムは、もともと俳優イーサン・ホークが主催するニューヨークの劇団マラパート・シアターの演出家だった人物。その後、インディーズ大手のミラマックスの重役として映画界へ転向した彼は、大学時代のルームメイトだったノア・バームバックの処女作『彼女と僕のいた場所』(’95)でプロデューサーへ進出し、’00年に友人エイミー・イスラエルと共同で製作会社ブラム・イスラエル・プロダクションズを設立する。しかし、’02年にイスラエルと袂を別ったことから、社名をブラムハウス・プロダクションズへ変更したというわけだ。 当初はアート系のドラマ映画やコメディ映画を製作していたブラムハウス。しかし、’07年公開の『パラノーマル・アクティビティ』が、たった21万5000ドルの製作費で1億9400万ドルの興行収入を稼ぐ超メガヒットを記録したことから、これをきっかけにホラー映画を主力とした制作体制を敷くことになる。 ジェイソン・ブラム社長の掲げる制作方針は、①旬のトップスターではないが知名度の高い中堅どころの名優をキャスティングし、②金を出しても口は出さずに作り手の自由を尊重し、③派手なギミックよりもストーリー性を重視した低予算のホラー映画を作ること。もちろん低予算とはいっても、例えばアトミック・モンスターと共同製作した『M3GAN ミーガン』(’22)の予算は1200万ドル(当時の為替相場1$=130円で計算すると15億~16億円)、最新作「スピーク・ノー・イーヴル」(’24)にしたって1500万ドル(現在の為替相場1$=150円で計算して22億~23億円)。10億円を超えたら超大作と呼ばれる日本映画とはちょっと桁が違うのだけれど。 それにしても確かに、ブラムハウス制作のホラー映画といえば、イーサン・ホークにケヴィン・ベーコンのような往年のトップスターや、ヴェラ・ファーミガやフランク・グリロなどの玄人受けする性格俳優、エヴァ・ロンゴリアやアリソン・ウィリアムズなど人気テレビドラマの主演スターといった具合に、一般的な知名度は高いがギャラはそれほど高くないベテラン俳優と無名もしくは無名に近い若手俳優をバランス良く配している作品が多い。また、ブラム社長曰く、監督側にクリエイティブ面の主導権を保証すれば、むしろ気軽に色々な相談をしてくれるようになるのだそうだ。なぜなら、仮に返って来た答えが賛同できないようなものであっても、それをスタジオ側から無理強いされる心配がないと分かっているから。つまり、現場から警戒されずに済むというわけだ。 なので、「映画をより良くするためなら何をしても構いませんよ」というのが現場に対するブラム社長の基本姿勢。相談されれば意見することもあるが、もちろん強制したりなどしない。あくまでも選択肢のひとつに加えてくださいというだけ。そればかりか、例えば会社のスタンスに理解を示して協力してくれる有名俳優をリスト化しており、新人監督にはそこからキャストを選ぶように推薦したりする。また、スターのための個人用トレーラーなどはあえて用意せず、役者は主演クラスも脇役もみんな同じ場所で待機。ロサンゼルス近郊を撮影地に選ぶことが多いため、現場スタッフも勝手を知った常連組が中心。さらに、どの作品も基本はロケ撮影で、スタジオにセットを組むことは滅多にない。そうした諸々の工夫によって、撮影期間も製作費もなるべく節約できるように現場を全面バックアップしているという。 デイミアン・チャゼル監督の出世作『セッション』(’14)やスパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』(’18)など、時にはホラー映画以外のジャンルも手掛けたりするものの、それでもやはりブラムハウスといえばホラー映画。ただしブラム社長自身の認識としては、どれもホラーというジャンルのフォーマットを用いた「ドラマ映画」であり、必ずしも観客を怖がらせることが目的ではないとのこと。それは本作『ブラック・フォン』にも当てはまる理屈であろう。 得体の知れない怪物と対峙した少年の成長譚 舞台は1978年のコロラド州。デンバー北部の小さな田舎町に住む少年フィニー(メイソン・テムズ)は、草野球とロケット作りが得意な文武両道の物静かな優等生だが、しかし心優しくて気の弱いところがあるため、家では飲んだくれの父親による暴力に怯え、学校ではいじめの標的にされている。そんな彼にとって最大の理解者であり、心強い味方なのが負けん気の強い妹グウェン(マデリーン・マックグロウ)。しかし、父親テレンス(ジェレミー・デイヴィス)はそんな彼女にことさら厳しい。なぜなら、亡くなった妻と同様の能力を娘も持っているからだ。母親と同じく予知夢を見るグウェン。しかし、その予知夢に苦しめられた母親は、精神を病んで自殺してしまった。娘も同じ末路を辿るのではないか。そんな不安と恐怖に加えて、妻を亡くした哀しみや怒りが混ぜこぜになったテレンスは、グウェンがちょっとでも予知夢の話をしようものなら、酒に酔った勢いに任せて激しい体罰を加えるのだった。 折しも、町では10代の少年ばかりが次々と姿を消していた。警察は連続誘拐事件と睨んで捜査するも手がかりはなく、人々は犯人を「グラバー(人さらい)」と呼んで恐れている。フィニーの周囲でも草野球のライバル・チームの日系人少年ブルースや地元でも悪名高い不良のヴァンスが行方不明となり、ついには学校でいじめっ子から守ってくれるケンカの強いメキシコ人少年ロビン(ミゲル・カサレス・モーラ)までもが消息を絶ってしまった。そんなある日、学校帰りに妹と別れてひとり歩いていたフィニーは、黒塗りの営業車を停めた手品師に声をかけられ、足を止めた瞬間にクロロフォルムを嗅がされて車へ引きずり込まれる。やがて意識を取り戻したフィニー。そこは薄暗い地下室で、彼は自分がグラバー(イーサン・ホーク)に誘拐されたことを悟るのだった。 鍵のかかった地下室に監禁されたフィニー。そこにあるのは、薄汚れたボロボロのマットレスと、線が途中で切れた古い黒電話だけ。どうやら上はグラバーの住居らしい。ことさら危害を加えるような様子もなく、しかし不気味なマスクを被りながら黙ってフィニーを見つめるグラバー。不安と恐怖を煽って精神的に追い詰めつつ、徐々にいたぶっていくつもりらしい。それはさながら残虐なゲームだ。防音工事の施された地下室からは、どれだけ大声で叫んでも外には聞こえない。鉄格子のついた窓も手の届かない高さだ。圧倒的な絶望感に打ちひしがれるフィニー。すると、断線しているはずの黒電話のベルが不気味に鳴り、フィニーが恐る恐る受話器を取ってみたところ、電話の向こうから子供の声が聞こえる。グラバーに殺された少年たちの幽霊が、ここから脱出するためのヒントをフィニーに教えようとしていたのだ。その中には親友ロビンもいた。 一方その頃、妹グウェンは予知夢を手掛かりにフィニーの行方を掴もうとするのだが、しかし夢の読み解き方が分からず苦戦していた。息子の失踪にショックを受けて気落ちする父親を説き伏せた彼女は、半信半疑の警察の協力も得ながら、なんとかして兄をグラバーの魔手から救い出そうと奔走するのだが…? ジョン・ゲイシーを彷彿とさせる連続殺人鬼グラバーが、少年たちを誘拐して殺していくシリアル・キラー物かと思いきや、やがて殺された少年たちの幽霊が主人公を助けながら復讐を果たすという、リベンジ系のオカルト・ホラーへ展開していく。この意外性がひとつの見どころだが、しかし本作の核となるのは、やはり主人公フィニーの成長譚であろう。家庭内暴力にイジメに凶悪犯罪にと、日常生活が暴力で溢れたアメリカ社会の殺伐たる風景。無垢で繊細でか弱い少年フィニーは、グラバーという得体の知れない怪物と対峙することで恐怖を克服し、弱肉強食のアメリカ社会を生き抜くために必要な知恵と強さを身に付ける。妹グウェンとの絶対的な信頼関係と兄妹愛、殺された少年たちとの固い絆。そんな子供らが一致団結して、邪悪な連続殺人鬼に立ち向かっていく。この、背筋の凍るほど残酷で猟奇的なストーリーの根底に流れる、普遍的な愛と友情の切なくも感動的なドラマこそが、本作が商業的に成功した最大の要因だったのではないかと思う。 中でも、主人公フィニーを取り巻く学校や家庭の描写は圧倒的にリアル。おかげで作品全体にも揺るぎない説得力が生まれた。これは本作が、共同脚本を兼ねたスコット・デリクソン監督の少年時代を投影した、多分に半自伝的な要素の強い作品だからだと言えよう。 主人公フィニーは監督の分身だった 原作はスティーブン・キングの息子である作家ジョー・ヒルが’05年に発表した、短編集「20世紀の幽霊たち」に収録された小説「黒電話」。出版当時に読んで映画向きの内容だと考え、親友の脚本家C・ロバート・カーギルと映画化を検討したデリクソン監督だったが、しかし当時は長編映画として膨らませるためのアイディアが思い浮かばずに断念したという。 それから10年以上が経って、その間に『地球が静止する日』(’08)や『ドクター・ストレンジ』(’16)などの大作映画をヒットさせた彼は、自身の少年時代を映画化しようと思いつく。というのも、フィニーと同じく’70年代のデンバー北部に育ったデリクソン監督は、子供時代に受けた暴力のトラウマを抱えていたらしく、およそ5年に渡って受けたセラピーの過程で、自分の経験を映画にすべきなのではないかと考えたという。当初はフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(’59)のような作品を想定したそうだが、しかし映画として成立させるための印象的なエピソードが足りなかった。そこでカーギルから提案されたのが、かつて映画化を断念した短編小説「黒電話」に自身の少年時代の記憶を混ぜ合わせることだったのである。 原作小説は主人公の少年ジョンがグラバーに誘拐されるところから始まり、物語の大半は2人の会話と少年の回想で構成されている。家庭の描写はあるが学校の描写はなし。家族構成も映画版とは違うし、そもそも原作の舞台は携帯電話の普及した現代である。黒電話で話をするのも、小説では日系人少年ブルースの幽霊のみ。つまり、冒頭の25分はほぼ本作の完全なオリジナルであり、それ以外も脚色された要素が少なくないことになる。 子供の頃の記憶と直接的に結びつく感情は「恐怖」だったと振り返るデリクソン監督。映画の舞台となる’78年は12歳だった。当時のアメリカは経済不況による治安の悪化に加え、ベトナム敗戦やウォーターゲート事件による国家への不信も重なり、社会全体が殺伐としていた時代。デリクソン監督の故郷は貧しい肉体労働者の家庭が多かったそうで、子供たちが日常的に親から体罰を受けるのは当たり前、学校では暴力沙汰のいじめが蔓延り、登下校の最中に血みどろの喧嘩を見かけることも日常茶飯事だったという。 デリクソン監督自身も家庭では短気で暴力的な父親に怯え、学校ではいじめっ子たちから暴力を受けていた。主人公フィニーはまさに監督の分身だ。そして劇中で描かれる体罰やイジメは、どれも監督が経験した実話を基にしている。’70年代のデンバー北部には暴力が溢れていたが、しかしそれは当たり前の「普通」の光景だったという。加えて、当時のアメリカでは刑務所を脱獄した連続殺人鬼テッド・バンディがフロリダを逃亡してマスコミを賑わせ、カルト集団マンソン・ファミリーがもたらした悪夢も記憶に新しく、さらには全米各地で子供や若者の失踪事件が相次いで、これが’80年代に入ると悪魔崇拝カルトの仕業ではないかと噂される。そうした少年時代の暗い記憶が、小説の内容と奇跡的に結びついていった結果が本作の物語だったのである。 そのうえで、デリクソン監督は’70年代後半のアメリカをノスタルジックに描いたり、当時の世相や文化を美化したりすることを避け、子供だった自分が感じた空気をそのまま再現することに注力したという。ロケ地はコロラド州ではなくノース・カロライナ州だが、しかし雰囲気や街並みは当時のデンバー北部にそっくりだったのだとか。グウェンの予知夢を本物のスーパー8で撮影したのも効果的で、より一層のこと’70年代の空気感を表現できたのと同時に、まるでファウンド・フッテージのような薄気味悪さまで醸し出して秀逸だ。このような監督の実体験を投影した濃密な人間ドラマと、あの時代を知る者だからこそのリアリズムに基づいた映像が、単なる作り話にはない強い説得力を物語に与えているのだと言えよう。本作の真の強みはそこにあると思う。 ちなみに、主人公フィニーの父親はデリクソン監督の父親ではなく、近所に住んでいた友達のアルコール中毒の父親がモデル。フィニーをいじめっ子から守ってくれる少年ロビンも、実際にデリクソン監督の親友だったメキシコ人の少年がモデルで、年上の大柄な相手でもボコボコにしてしまうくらいケンカが強かったらしい。トイレでロビンが言う「血が多いほど野次馬に効果がある」というセリフも、その少年が実際に言った言葉をそのまま使ったのだそうだ。 成功のカギは子役たちの名演にあり! フィニー役のメイソン・テムズとグウェン役のマデリーン・マックグロウも素晴らしい。少年らしい無垢な繊細さと、大人びた聡明な思慮深さを兼ね備えたメイソンはまさに逸材で、本作を機にすっかり売れっ子となったのも納得である。特に彼は声が非常に印象的。落ち着いていて優しくて柔らかで、喋り方にも独特の温かみと力強さが感じられる。これはさすがに日本語吹替版では再現できまい。それはマデリーンの芝居も同様で、大人でもない子供でもない少女特有の揺れ動く繊細な感情を、言葉や息遣いの隅々から感じさせる彼女の圧倒的な芝居は、残念ながら大人の声優に表現できるものではないだろう。特に、父親から折檻されるシーンの恐怖と痛みと哀しみと怒りの感情が入れ代わり立ち代わり交錯する複雑なセリフ回しは圧巻。とてつもない才能だ。実は、スケジュールの都合で一度は出演が不可能になったというマデリーンだが、しかし「彼女でなければグウェン役は無理」と考えたデリクソン監督がプロデューサーのジェイソン・ブラムに掛け合い、撮影スタートを5カ月近くも遅らせたというエピソードにも納得である。 もちろん、グラバー役のイーサン・ホークも好演である。『いまを生きる』(’89)や『リアリティ・バイツ』(’94)などの青春映画で一世を風靡し、’90年代のハリウッドを代表するトップスターのひとりとなったホークだが、実はもともとホラー映画が大の苦手だった。初めてホラー映画に出たのは、デリクソン監督がブラムハウスで初めて撮った『フッテージ』(’12)。そういえば、あの作品もスーパー8で撮った映像を効果的に使っていたっけ。これを機に『パージ』や『ストックホルム・ケース』(’18)などブラムハウス作品に出るようになったホークだが、やはりホラー映画が苦手なことには変わりなかったらしく、本作のグラバー役のオファーも当初は渋ったらしい。しかし、脚本を読んで考えを変えたのだとか。 出番の大半でマスクを被っているホーク。見えない表情をカバーするための演劇的なセリフ回しや体の動作が、かえってグラバーという得体の知れない殺人鬼の底知れぬ狂気を表現して秀逸だ。特殊メイクの神様トム・サヴィーニがデザインを手掛けたマスクの仕上がりもインパクト強烈。ジェイソンにしろマイケル・マイヤーズにしろレザーフェイスにしろ、名物ホラー・キャラには個性的なマスクが付きものだが、今やグラバーもその仲間入りを果たしたと言えよう。 実際、原作者のジョー・ヒルもマスクの仕上がりを大絶賛し、これをひと目見た瞬間にシリーズ化を確信したという。なにしろ、小説では「革のマスク」としか書かれておりませんでしたからな。なおかつ興行的にも1億6000万ドルを突破する大ヒットを記録したことから続編企画にゴーサインが出され、’25年10月17日の全米公開を目指して、’24年11月4日よりカナダのトロントで撮影が進行している。ストーリーは今のところまだ詳細不明だが、とりあえずイーサン・ホークにメイソン・テムズ、マデリーン・マックグロウは再登板するとのこと。また、今のところ日本未公開のオムニバス・ホラー映画『V/H/S/85』(’23・原題)に収録されているデリクソン監督の短編「Dreamkill」は、グウェンと同じく予知夢の能力を持つ従兄弟が登場し、実質的に『ブラック・フォン』のスピンオフ作品となっている。続編映画は勿論のこと、こちらの日本上陸も期待したいところだ。■ 『ブラック・フォン』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.11.05
イタリア映画界の伝説的セックス・シンボル、エドウィジュ・フェネシュの代表作シリーズがザ・シネマに登場!
世界的に性の解放が叫ばれ映画における性表現が自由化された’70年代、イタリアではセックス・コメディ映画が大ブームを巻き起こす。Commedia sexy all'italiana(イタリア式セックス・コメディ)と呼ばれるこれらの映画群は、一部の野心的で志の高い作品を除けば美女たちの赤裸々ヌードと低俗な下ネタギャグで見せるバカバカしいB級エンターテインメントで、それゆえ当時の批評家からは散々酷評されたものの、しかし大学生や労働者階級の若者を中心とした男性ファンからは大いに支持された。バーバラ・ブーシェにグロリア・グイダ、ラウラ・アントネッリにアニー・ベル、フェミ・ベヌッシにリリ・カラーチにダニエラ・ジョルダーノにアゴスティナ・ベッリにジェニー・タンブリにキャロル・ベイカーなどなど、数多くのグラマー女優たちがイタリア式セックス・コメディ映画で活躍したが、中でも特に絶大な人気を誇ったのはエドウィジュ・フェネシュである。 「イタリア式セックス・コメディの女王」と呼ばれ、イタリアでは’70年代を象徴するセックス・シンボルとして有名なエドウィジュ・フェネシュ。欧米では今もカルト的な人気が高く、クエンティン・タランティーノ監督やイーライ・ロス監督もフェネシュの大ファンを公言しているほどだが、しかし日本では劇場公開作が少ないため知名度は極めて低い。そんな彼女の代表作のひとつである『青い経験』シリーズが、なんとザ・シネマで放送されるということで、今回は作品の見どころに加えて、日本ではあまり知られていない女優エドウィジュ・フェネシュとイタリア式セックス・コメディの世界について解説してみたいと思う。 ジャッロ映画の女王からイタリア式セックス・コメディの女王へ 1948年12月24日のクリスマス・イヴ、当時まだフランス領だった中東アルジェリアの古都ボーヌ(現在のアンバナ)に生まれたエドウィジュ・フェネシュ。父親フェリックスはスコットランドやチェコの血が入ったマルタ人、母親イヴォンヌはベネチアをルーツとするシシリア生まれのイタリア人だが、2人の間に生まれたフェネシュの国籍はフランスである。裕福な家庭に育って9歳からバレエを習っていたそうだが、しかし両親の離婚とアルジェリア独立戦争の影響から、母親に連れられて南仏ニースへ移住。18歳の時に初めて結婚したが、しかし1年も経たず離婚している。 人生の大きな転機が訪れたのはちょうどその頃。ニースの街を歩いていたところ、映画監督ノルベール・カルボノーにスカウトされ、出番1シーンのみの端役ながら’67年に映画デビューを果たしたのだ。その年、当時カンヌ国際映画祭で毎年行われていた美人コンテスト「レディ・フランス」に出場して優勝したフェネシュは、さらに欧州各国代表が集まる国際大会「レディ・ヨーロッパ」にも出場。惜しくも3位に終わったものの、しかしこれをきっかけにイタリアのエージェントから声がかかり、女性ターザン映画『Samoa, regina della giungla(サモア、ジャングルの女王)』(’68)に主演。フェネシュは母親と一緒にローマへ移り住む。 ただし、フェネシュが最初に映画スターとして認められたのはイタリアではなく西ドイツ。なかなかヒットに恵まれず燻っていた彼女は、イタリアの男性向け成人雑誌「プレイメン」でヌードグラビアを発表したところ、ひと足先に性の解放が進んでいた西ドイツへ招かれてセックス・コメディ映画に引っ張りだことなったのだ。その中の一本が、西ドイツとイタリアの製作会社が共同出資した『Die Nackte Bovary(裸のボヴァリー)』(’69)。この作品でフェネシュは、その後のキャリアを左右する重要な人物と出会うことになる。イタリア側の映画プロデューサー、ルチアーノ・マルティーノである。 祖父は日本でも大ヒットしたイタリア初のトーキー映画『愛の唄』(’30)で知られる往年の名匠ジェンナーロ・リゲッティ、祖母は「イタリアのメアリー・ピックフォード」と呼ばれた大女優マリア・ヤコビーニ、母親リア・リゲッティも元女優で、5つ年下の弟もB級娯楽映画の名職人セルジオ・マルティーノという映画一家出身のルチアーノ・マルティーノ。’60年代初頭よりミーノ・ロイとのコンビでソード&サンダル映画やマカロニ・ウエスタン、モンド・ドキュメンタリーなどのB級娯楽映画を大量生産してヒットを飛ばしたルチアーノは、’70年に自身の映画会社ダニア・フィルムを設立。弟セルジオやウンベルト・レンツィ、ドゥッチョ・テッサリ、ジュリアーノ・カルニメオなどの娯楽職人を雇い、ジャッロ(イタリア産猟奇サスペンス)やクライム・アクションといった人気ジャンルの映画を次々とプロデュースしていた。 そのルチアーノ・マルティーノと’71年に結婚(年齢差は15歳)したフェネシュは、いわばダニア・フィルムの看板スターとして売り出されることになる。第1弾となったのがセルジオ・マルティーノ監督のジャッロ映画『Lo strano vizio della signora Wardh(ワルド夫人の奇妙な悪徳)』(’71)だ。これがイタリアのみならずヨーロッパ各国やアメリカでもヒットしたことから、立て続けにジャッロ映画のヒロインを演じたフェネシュ。先述した通り「イタリア式セックス・コメディの女王」と呼ばれた彼女だが、同時に「ジャッロ映画の女王」でもあったのだ。タランティーノやイーライ・ロスが夢中になったのもジャッロ映画のフェネシュ。ただ、実のところ彼女が主演したジャッロ映画はせいぜい5~6本。数としては決して多くないのだが、しかしいずれも非常にクオリティが高く、中でもセルジオ・マルティーノ監督と組んだ『Lo strano vizio della signora Wardh』と『Tutti i colori del buio(暗闇の中のすべての色)』(’72)は、当時のダリオ・アルジェント作品と比べても引けを取らない見事な傑作。いまだ日本へ輸入されないままなのは実に惜しい。 次に、ルチアーノ・マルティーノは折からのイタリア式セックス・コメディの人気に便乗するべく、ピエル・パオロ・パゾリーニの『デカメロン』(’71)や『カンタベリー物語』(’72)に影響されたエロティック時代劇コメディ『Quel gran pezzo dell'Ubalda tutta nuda e tutta calda(全裸でセクシーなウバルダの見事な作品)』(’72)をエドウィジュ・フェネシュの主演で発表。これがイタリア国内で空前の大ヒットを記録したことから、イタリア式セックス・コメディのブームが本格的に到来したと言われている。もちろん、フェネシュにとってもキャリアの大きな転機となり、これ以降、彼女は年に3~5本のハイペースでイタリア式セックス・コメディ映画に主演することとなる。 イタリア式セックス・コメディが若い男性ファンに支持された理由とは? イタリア式セックス・コメディとは、’60年代に花開いた「Commedia all'italiana(イタリア式コメディ)のサブジャンル。高度経済成長期にさしかかった当時のイタリアでは、ローマやミラノなどの大都会を中心に庶民生活は豊かとなり、リベラルで進歩的な価値観が急速に浸透していったが、しかしその一方でカトリックの総本山バチカンのお膝元だけあって旧態依然とした保守的な価値観も根強く、さらに地方へ行けば家父長制の伝統も色濃い男尊女卑の風潮もまだまだ残っていた。そんなイタリア社会の矛盾を辛辣なユーモアで笑い飛ばしたのが、ジャンル名の語源ともなったピエトロ・ジェルミ監督の『イタリア式離婚狂騒曲』(’61)やディーノ・リージ監督の『追い越し野郎』(’62)、マルコ・フェレーリ監督の『女王蜂』(’63)といった一連の「イタリア式コメディ」映画。その中でも、イタリア庶民の大らかな性をテーマにした巨匠ヴィットリオ・デ・シーカの『昨日・今日・明日』(’63)や、デ・シーカに加えてフェリーニやヴィスコンティなどの巨匠が集結したオムニバス艶笑譚『ボッカチオ’70』(’62)辺りが、イタリア式セックス・コメディのルーツと言えるかもしれない。 そのイタリア式セックス・コメディが興隆したのは’70年代に入ってから。当時のイタリアでは学生運動や労働者運動など左翼革命の嵐が吹き荒れ、リベラルな気運が高まる中で映画の性描写も自由になっていた。実際、ヌードや濡れ場を積極的に描いたのは、ベルナルド・ベルトルッチやエリオ・ペトリ、サルヴァトーレ・サンペリなどの左翼系映画監督たちだ。パゾリーニなどはその代表格と言えよう。『デカメロン』と『カンタベリー物語』(’72)が立て続けにヒットすると、それをパクった「デカメロンもの」と呼ばれる映画群が雨後の筍のように登場。これをきっかけにイタリア式セックス・コメディが量産されるようになり、たちまち学園ものから犯罪ものまで様々にバリエーションを広げ、いわばポルノ映画の代用品として若い男性観客層から支持されるようになる。 先述したようにカトリック教会の影響などから、依然として保守的な価値観の根強かった当時のイタリア社会。それゆえ、映画における性表現の自由化は進んだものの、しかしこれがハードコア・ポルノとなるとまた話は別で、アメリカやフランスなど他国に比べると普及するのがだいぶ遅かった。イタリアで最初のポルノ映画館がミラノでオープンしたのは’79年。ちょうどアメリカとイタリアが合作したポルノ巨編『カリギュラ』(’79)が公開された年だ。最初の純国産ハードコア・ポルノ映画と言われているのは、ジョー・ダマート監督がドミニカ共和国で撮影した『Sesso nero(黒いセックス)』(’80)。それ以前は、例えばラウラ・ジェムサー主演のソフトポルノ『愛のエマニエル』(’75)のように、国外への輸出用などにハードコア・シーンを別撮りして追加するケースこそあったものの、しかし本格的なハードコア・ポルノ映画がイタリアで作られることはなかったそうだ。 ちなみに、ラウラ・アントネッリが主演したサルヴァトーレ・サンペリ監督の『青い体験』(’73)や、パスカーレ・フェスタ・カンパニーレ監督の強烈な風刺喜劇『SEX発電』(’75)などの一部作品を除くと、本国イタリア以外では滅多に配給されることもヒットすることもなかったというイタリア式セックス・コメディ。エドウィジュ・フェネシュの主演作にしたって、日本で劇場公開されたのは『ああ結婚』(’75)のみで、あとはテレビ放送やビデオ発売されただけ。それだって一握りの作品だけだ。なぜイタリア式セックス・コメディは国外で通用しなかったのか。その最大の理由は恐らく、セクシズム丸出しのユーモア・センスにあるのではないかと思う。 なにしろ、当時のイタリア式セックス・コメディは覗きや痴漢やレイプなど女性の人権を蔑ろにするような描写がテンコ盛りで、なおかつそれらを面白おかしく消費する傾向が強い。登場する女性キャラも男性に都合の良い好色な美女だったり、お堅い女性でも無理やり押し倒せばメロメロになったり。いわゆる「いやよいやよも好きのうち」ってやつですな。また、同性愛者や身体障碍者、有色人種などのマイノリティを小バカにするようなネタも多い。確かに当時のアメリカやヨーロッパ、日本などでも男尊女卑かつ差別的な表現を含むセックス・コメディは少なからず存在したが、しかしイタリア式セックス・コメディのそれはちょっとレベルが違うという印象だ。 とにもかくにも、こうしてイタリア式セックス・コメディの女王として超売れっ子となったエドウィジュ・フェネシュ。中でも特に人気を集めたのは、女性警官やらナースやらに扮したフェネッシュが、その美貌とお色気で性欲過多なイタリア男たちを大暴走させる職業女性ものである。セクシーでタフな美人女性警官が珍騒動を巻き起こす『エロチカ・ポリス』(’76)シリーズに、色っぽい女性兵士が男社会の軍隊を大混乱に陥れる『La soldatessa alla visita militare(女兵士の軍隊訪問)』(’76)とその続編の「女兵士」シリーズなど枚挙に暇ないが、今回はその中から妖艶な女教師が男子生徒ばかりかその父兄までをも悩殺する『青い経験』(’75)シリーズがザ・シネマにお目見えする。 エドウィジュ・フェネシュのセクシーな魅力が詰まった『青い経験』シリーズ 日本ではタイトルに「青い経験」を冠したエドウィジュ・フェネシュの主演作が全部で5本、テレビ放送ないしビデオ発売されているものの、しかし正式なシリーズ作品はナンド・チチェロ監督の『青い経験』(’75)とマリアーノ・ラウレンティ監督の『青い経験 エロチカ大学』(’78)、そしてミケーレ・マッシモ・タランティーニ監督の『青い経験 誘惑の家庭教師』(’78)の3本。それ以外は日本側で勝手にシリーズを名乗らせた無関係な映画である。その中から、今回ザ・シネマで放送されるのは2作目と3作目。そこで、まずはシリーズの原点である1作目を簡単に振り返っておきたい。 頭の中が女の子とセックスのことでいっぱいのお坊ちゃんフランコは、勉強などそっちのけで悪友たちとイタズラ三昧の毎日。息子の将来を心配した汚職議員の父親が、フランコの成績改善と引き換えに昇進を校長へ持ちかけたところ、エドウィジュ・フェネシュ演じる美人教師ジョヴァンナが家庭教師を務めることになり、すっかり一目惚れしたフランコは彼女をモノにするべく勉強そっちのけで猛アプローチを展開する。『青い体験』の影響下にあることは一目瞭然の性春コメディ。権力者の不正が蔓延るイタリア社会の悪しき風習をさりげなく皮肉っている辺りは、マカロニ・ウエスタンの名脚本家ティト・カルピの良心と言えるかもしれないが、しかしデート・レイプや人身売買を笑いのネタにしたり、同性愛に関する描写が偏見まみれだったり、やっぱり最後は男が女を強引に押し倒すことで結ばれてハッピーエンドだったりと、内容的に性差別的な傾向が顕著な作品でもある。 そして、今回放送されるのが2作目『青い経験 エロチカ大学』と3作目『青い経験 誘惑の家庭教師』。いずれもストーリー的には完全に独立しており、キャストの顔ぶれ自体は続投組が多いものの、しかし登場人物も設定も作品ごとに全く違うため、1作目を見ていなくても問題はないし、そればかりか見る順番すら気にする必要はないだろう。 邦題の通り大学キャンパスが主な舞台となる『青い経験 エロチカ大学』。謎の過激派グループから誘拐を予告された大富豪リカルド(レンツォ・モンタニャーニ)は、秘書ペッピーノ(リノ・バンフィ)の助言で貧乏人に化けて家族ともども下町へと引っ越すのだが、しかし大学生の息子カルロ(レオ・コロンナ)はそんなことお構いなしで、性欲を持て余した悪友たちとエッチなイタズラに勤しんでいる。そんな彼は学長の姪っ子である新任の美人英語教師モニカ(エドウィジュ・フェネシュ)に一目惚れするのだが、父親リカルドも町で偶然知り合った彼女に夢中となり、強引に理由を作ってモニカに英語の個人教授を依頼。すっかり2人が出来ているものと早合点したカルロは、なんとかしてモニカを自分のものにしようと大奮闘する。 ‘70年代のイタリアといえば、過激派テロ・グループ「赤い旅団」による政治家や富裕層を狙った誘拐事件が多発して社会問題となったわけだが、本作ではそんな危うい世相を背景に取り込んで金持ちの独善的な身勝手を揶揄しつつ、美人教師のお色気に理性を失って右往左往する男どもの愚かさを笑い飛ばす。モニカが英単語を学生たちに復唱させながら服を脱いでいくという、カルロが妄想する英単語ストリップ・シーンなどは捧腹絶倒のバカバカしさ(笑)。なんとも他愛ない学園セックス・コメディに仕上がっている。 続く『青い経験 誘惑の家庭教師』は、大作曲家プッチーニが生まれたトスカーナ地方の古都ルッカが舞台。ミラノ出身の美人ピアノ教師ルイーザ(エドウィジュ・フェネシュ)は、恋人である評議員フェルディナンド(レンツォ・モンタニャーニ)の住むルッカへ引っ越してくるのだが、そんな彼女に大家の息子マルチェロ(マルコ・ゲラルディーニ)が一目惚れ。ところが、悪友オッタヴィオ(アルヴァーロ・ヴィタリ)がルイーザを売春婦と勘違いして噂を広めたところ、色めき立ったアパート管理人アメデオ(リノ・バンフィ)や大家の外科医ブッザーティ(ジャンフランコ・バッラ)など、アパートの住人であるスケベ男たちが彼女の体を狙って我先にと殺到する。 これまた老いも若きも揃って過剰な性欲に振り回される、世の男たちの滑稽さと哀しい性を笑い飛ばした作品。さらに実は既婚者であることを隠しており、なおかつ市長選への出馬で不倫スキャンダルを隠し通したいフェルディナンドとの駆け引きも加わることで、上へ下へと大騒ぎのドタバタ群像劇が繰り広げられる。暴行まがいの展開でマルチェロがルイーザをモノにするラストは少なからず問題ありだが、それも含めてイタリア式セックス・コメディらしさが詰まった映画と言えよう。 どちらの作品も、エドウィジュ・フェネシュのルネッサンス絵画を彷彿とさせるヴィーナスのような美貌と、古代ローマの彫刻も顔負けの立派なグラマラス・ボディこそが最大の見どころ。また、レンツォ・モンタニャーニにリノ・バンフィ、アルヴァーロ・ヴィタリなど、フェネシュ主演作の常連でもあったイタリア式セックス・コメディに欠かせない名優たちの、実にベタでアクの強いコメディ演技も要注目である。 その後、’79年にルチアーノ・マルティーノと離婚したフェネシュは、引き続きイタリア式セックス・コメディで活躍しつつ、ディーノ・リージやアルベルト・ソルディなど一流監督の映画にも出るようになるのだが、しかし先述したようにハードコア・ポルノの普及でイタリア式セックス・コメディが急速に衰退すると、演技力よりも美貌とヌードが売りだった彼女にとって厳しい時代が訪れる。そこで、後にフェラーリ会長やアリタリア航空会長を歴任し、当時フィアット・グループの重役だったルカ・ディ・モンテゼーモロの恋人だったフェネシュは、その強力なコネを使ってテレビ界へ転身。バラエティ番組の司会者やエンターテイナーとして活躍するようになり、おのずとヌードも封印してしまう。ティント・ブラス監督の文芸エロス映画『鍵』(’83)の主演を断ったのもこの頃だ。 ちなみに、映画会社社長ルチアーノ・マルティーノに大物実業家ルカ・ディ・モンテゼーモロと、社会的地位の高い男性パートナーの影響力に助けられてキャリアを切り拓いたフェネシュだが、これは昔のイタリア女優に共通する処世術。ソフィア・ローレン然り、シルヴァーナ・マンガーノ然り、クラウディア・カルディナーレ然り、イタリアのトップ女優たちの多くは、夫や恋人である大物プロデューサーや有名映画監督などの後ろ盾があった。「イタリアではプロデューサーの妻やガールフレンドがいい役を独占する」と不満を持ったエルサ・マルティネッリは、アメリカでブレイクしたことからハリウッドに活動の拠点を移してしまった。なにしろ、伝統的に男尊女卑の根強いイタリアでは映画界も基本的に男性社会。女優が名声を維持するためには、権力を持つ男性のサポートが必要だったのである。 閑話休題。やがて舞台女優へも進出してセックス・シンボルからの脱却を図ったフェネシュは、’90年代に入ると自らの製作会社を設立して映画やテレビドラマのプロデューサーとなり、名匠リナ・ウェルトミュラーの『Ferdinando e Carolina(フェルディナンドとカロリーナ)』(’99)やアル・パチーノ主演の『ベニスの商人』(’04)、イタリアで話題になったテレビのロマンティック・コメディ『È arrivata la felicità(幸せがやって来た)』(‘15~’18)などを手掛けている。イーライ・ロス監督のアメリカ映画『ホステル2』(’07)へのカメオ出演で久々に女優復帰も果たした。最近では巨匠プピ・アヴァティが半世紀に渡る男性2人の友情を描いた映画『La quattordicesima domenica del tempo ordinario(平凡な時代の第14日曜日)』(’23)に、ガブリエル・ラヴィア演じる主人公マルツィオの別れた妻サンドラ役で登場。若き日のサンドラの母親役をシドニー・ロームが演じているそうで、これは是非とも見てみたい。■ 『青い経験 エロチカ大学』© 1978 DEVON FILM – MEDUSA DISTRIBUZIONE『青い経験 誘惑の家庭教師』© 1979 DEVON FILM – MEDUSA DISTRIBUZIONE
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COLUMN/コラム2024.11.01
バンパイア映画に変革を起こした’80年代ティーン向けホラー・コメディ映画の快作!『ロストボーイ』
スラッシャー映画ブームの真っ只中に登場したバンパイア映画復活の起爆剤 レーガン政権の打ち出した経済政策「レーガノミックス」による景気回復、MTVブームを筆頭とするユース・カルチャーの盛り上がり、さらには大型シネコンを併設したショッピングモールの急速な普及などを背景に、購買力があってトレンドに敏感な10代の若年層をメインターゲットに定めた’80年代のハリウッド映画。おのずとティーン受けを意識したような作品が増えたわけだが、その中でも特に人気があったのは青春映画とSFファンタジー映画、そしてホラー映画である。 ただし、当時のホラー映画で主流だったのはジェイソンやフレディ、マイケル・マイヤーズのような連続殺人鬼が、セックスとドラッグとパーティに明け暮れる今どきの若者たちを次々と殺しまくるスラッシャー映画。別名でボディカウント映画とも呼ばれたそれらの作品は、文字通り死体の数と血みどろゴア描写、さらには適度なエロスが主なセールスポイントで、それゆえ批評家からは「低俗」だの「悪趣味」だのと非難されたわけだが、しかし刺激的な娯楽を求めるティーンたちからは大喝采を受けた。『ハロウィン』(’78)の成功を経て『13日の金曜日』(’80)で火が付いたとされる’80年代のスラッシャー映画ブーム。その一方で、すっかり活躍の場を奪われたのは吸血鬼やフランケンシュタインの怪物、ミイラ男といった古典的なホラー・モンスターたちだ。 唯一の例外は狼男(人狼)であろう。特殊メイクの技術が飛躍的に進化したおかげで、人間から人狼への変身シーンをリアルに描くことが出来るようになったこともあり、『狼男アメリカン』(’81)や『ハウリング』(’82)など、いわば新感覚の人狼映画がちょっとしたブームに。古式ゆかしいゴシック・ムードを極力排し、コンテンポラリーなモダン・ホラーに徹したのも良かったのだろう。それに対し、依然としてクラシカルなイメージが強い吸血鬼やフランケンシュタインの怪物などのモンスターたちは、トニー・スコット監督の『ハンガー』(’83)やフランク・ロッダム監督の『ブライド』(’85)のようなアート映画に登場することはあっても、メインストリームのハリウッド映画からは殆んど姿を消してしまう。 そうした中、ハリウッドにおけるバンパイア映画衰退の風向きを変えたのが、古き良きバンパイア映画へのオマージュを青春コメディとして仕立てた『フライトナイト』(’85)。これが思いがけないサプライズヒットとなったことから、『ワンス・ビトゥン 恋のチューチューバンパイア』(’85)や『ヴァンプ』(’86)などのティーン向けB級バンパイア映画が相次いで登場する。にわかに盛り上がり始めたバンパイア映画の復活。いわばその起爆剤となったのが、850万ドルの低予算に対して全米興行収入3200万ドル超えのスマッシュヒットを記録した『ロストボーイ』(’87)である。 新しく住み始めた町はバンパイアの巣窟だった…!? 舞台はカリフォルニアの架空の町サンタカーラ(ロケ地はリゾートタウンとして有名なサンタクルーズ)。美しい砂浜や遊園地などの賑やかな行楽スポットに恵まれ、地元住民だけでなく大勢の観光客でごった返すサンタカーラだが、しかしなぜかティーンエージャーの行方不明事件も多く発生しており、巷では「殺人の名所」などと呼ばれている。そんな曰く付きの町へアリゾナから引っ越してきたのがエマーソン親子。紆余曲折の末に夫と離婚した母親ルーシー(ダイアン・ウィースト)は、18歳の長男マイケル(ジェイソン・パトリック)とヤンチャ盛りの次男サム(コリー・ハイム)を連れ、変わり者の祖父(バーナード・ヒューズ)がひとりで暮らす実家へと戻って来たのだ。 町で人気のビデオレンタル店で働き口を見つけ、紳士的でおっとりとした独身の店主マックス(エドワード・ハーマン)とお互いに惹かれ合うルーシー。その頃、弟サムを連れてビーチのロック・コンサートへ行ったマイケルは、そこで見かけたセクシーな美少女スター(ジェイミー・ガーツ)に一目惚れするのだが、しかし彼女はカリスマ的な不良デヴィッド(キーファー・サザーランド)をリーダーとするバイカー集団「ロストボーイズ」の一員だった。なんとか彼女に近づくため、デヴィッドとのバイクレース勝負に挑んだマイケル。その根性を気に入ったデヴィッドらは、隠れ家にしている海岸の洞窟へとマイケルを招き入れ、仲間の証として怪しげな赤い酒を飲むよう勧める。血相を変えて止めようとするスター。しかし、不良どもに舐められたくないマイケルはそれをグイッと飲んでしまう。 一方、大のアメコミ・マニアであるサムは、商店街のコミックショップで店番をしている同年代のエドガー(コリー・フェルドマン)とアラン(ジェイミソン・ニューランダー)のフロッグ兄弟と知り合う。ホラーが大の苦手という臆病なサムに、しきりにバンパイア本を勧めて来るフロッグ兄弟。曰く、この町で暮らすのに必要なサバイバル・マニュアルで、裏には緊急時の連絡先も記されているという。訳が分からず唖然とするサムだったが、しかしロストボーイズとつるむようになってから兄マイケルの様子がおかしい。昼夜の逆転したような生活を送るようになり、昼間は日光を嫌ってサングラスをかけている。ある晩、遂に愛犬ナヌークがマイケルに襲いかかり、サムは鏡に映った兄の姿を見て愕然とする。なんと、半透明だったのだ。 鏡に映らないのはバンパイアの証拠である。ロストボーイズの正体は血に飢えたバンパイア軍団で、地元で多発する行方不明事件も彼らの仕業。バンパイアの血を飲んだ者もまたバンパイアになってしまうのだが、マイケルが洞窟で飲まされた怪しげな赤い酒はデヴィッドの血だったのだ。しかし半透明ということは、まだ完全にバンパイアになりきったわけじゃない。いわば半バンパイアである。バンパイア本によれば、親バンパイアを殺せば半バンパイアは助かるらしい。そこで、サムはフロッグ兄弟の協力のもと、兄マイケルを救うため親バンパイアを倒そうとするのだが…? 当初の企画ではファミリー向けのキッズ・ムービーだった! 劇場公開時の映画ファンにとって斬新だったのは、バンパイアがロン毛にレザーコートを羽織った、ロックバンド風のクールな若いイケメン集団(+グルーピー風美女)であること。なにしろ、それまでの映画に出てくるバンパイアって、基本的にはドラキュラ伯爵的な紳士のイメージが強かったですからな。バンパイアが本性を現すとノスフェラトゥ型モンスターに変身するというのは『フライトナイト』と一緒だが、しかし役者のもとの顔を活かした「やり過ぎない特殊メイク」は、バンパイアの人間としての側面を見る者に意識させて秀逸。物語にある種のリアリズムを与えたと言えよう。 さらに、BGMにはINXSやフォーリナーのルー・グラム、エコー&ザ・バニーメンなどトップ・アーティストによる流行りのロックサウンドが満載。なおかつ、お洒落でスタイリッシュなビジュアルはまさしくMTV風である。そのうえ、アクションにユーモアにスプラッターも満載の賑々しさ。当時のティーンたちが熱狂したのも当然と言えば当然である。本作が後の『バッフィ/ザ・バンパイア・キラー』(’92)やそのテレビ版『バフィー~恋する十字架』(‘97~’03)、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(’96)に『ヴァンパイア/最後の聖戦』(’98)など、様々なバンパイア映画に少なからぬ影響を与えたことは明白。それこそ、サイレントの時代から長い歴史を誇るバンパイア映画の伝統に、新たな変革を起こした作品と呼んでも差し支えないかもしれない。 監督は『依頼人』(’94)や『バットマン フォーエヴァー』(’95)、『評決のとき』(’96)などでお馴染みの名娯楽職人ジョエル・シューマカー。当時は’80年代青春映画の金字塔『セント・エルモス・ファイアー』(’85)を大ヒットさせたばかりだった。実はもともとリチャード・ドナーが監督する予定だった本作だが、しかしゴーサインが出たタイミングで既に『リーサル・ウェポン』(’87)に取り掛かっていたことから、ドナー夫人ローレン・シュラーが過去にプロデュースしたテレビ映画で組んだシューマカー監督を推薦。当時のワーナー社長マーク・キャントンから直接オファーを受けたシューマカー監督だが、しかし最初はあまり気が進まなかったという。というのも、ジャニス・フィッシャーとジェームズ・ジェレミアスの書いたオリジナル脚本はファミリー向けのキッズ・ムービーだったらしい。 オリジナル脚本の主人公たちは13歳~14歳の子供ばかり。さながらドナー監督の手掛けた『グーニーズ』(’85)のバンパイア版という感じで、小さなお子様が見ても安心の健全な内容だったという。全く興味の湧かなかったシューマカー監督は、オファーを断るためエージェントに電話をかけたのだが、生憎ちょうどランチタイムで担当者は不在。仕方ないのでジョギングに出かけたところ、走りながら頭の中に様々なアイディアが湧いてきたという。登場人物たちの年齢は変えてしまえばいい。もっとセクシーでクールで刺激的な要素を盛り込んだら全然面白くなるはず。そんな風に考えているうち、すっかりやる気が出てきたのだそうだ。 『デッドゾーン』(’83)や『インナースペース』(’87)でジャンル系映画に実績のあるジェフリー・ボームに脚本のリライトを指示したシューマカー監督は、デザインのベースとなるロストボーイズのロックスターみたいな髪型やファッションのイメージ原案も自ら手掛けたという。さすがは衣装デザイナー出身である。若者の最新トレンドに敏感だったことは、本作だけでなく『セント・エルモス・ファイアー』を見ても分かるだろう。しかも、恐怖とユーモアのバランス感覚がまた絶妙。本編を見たワーナー幹部からは「ホラーなのかコメディなのか、どちらかハッキリさせろ」と、暗に再編集を要求するようなクレームが入ったそうだが、あえて無視して従わなかったのは大正解だ。 2人のコリーを筆頭に旬の若手スターたちが勢ぞろい また、メインキャストに当時の新進若手スターをズラリと揃えたのも良かった。中でも、『ルーカスの初恋メモリー』(’86)で全米のティーン女子のハートを鷲摑みにし、えくぼのキュートなアイドル俳優として大ブレイクしたばかりのコリー・ハイムは、ヤンチャで憎めない弟キャラのサム役にドンピシャ。軽妙洒脱な芝居のなんと上手いことか。コメディアンとしてのセンスは抜群。「兄ちゃんはバンパイアだ!ママに言いつけてやる!」は抱腹絶倒必至である。そんなサムを助けてバンパイア退治に大活躍するフロッグ兄弟には、『グレムリン』(’84)に『グーニーズ』、『スタンド・バイ・ミー』(’86)などで超売れっ子だったコリー・フェルドマンと、当時まだ無名の新人だったジェイミソン・ニューランダー。ことにフェルドマンとハイムの相性は抜群で、本作をきっかけに『運転免許証』(’88)や『ドリーム・ドリーム』(’89)など数多くの映画でダブル主演。ファーストネームが同じであることから「The Two Coreys」の愛称で親しまれ、私生活でも’10年にハイムが38歳の若さで急逝するまで生涯の大親友となった。 サムの兄貴マイケル役のジェイソン・パトリックは、キアヌ・リーヴスの後継者として『スピード2』(’97)に主演したことで知られているが、当時はティーン向けSF映画『太陽の7人』(’86)に主演して注目されたばかり。エージェントの勧めでオーディション初日に参加したというパトリックだが、しかし本人はB級ホラー映画に抵抗があって出演を渋ったらしく、シューマカー監督が6週間かけて口説き落としたという。『太陽の7人』といえば、ロストボーイズの紅一点スター役のジェイミー・ガーツも同作に出演しており、キャスティングの難航していたスター役にパトリックが推薦したのだそうだ。ロストボーイズのリーダーであるデヴィッド役のキーファー・サザーランドも、確か当時は『スタンド・バイ・ミー』の不良役で注目されたばかりでしたな。その子分のひとりで黒髪のドウェインを演じているビリー・ワースは、「セブンティーン」や「GQ」などの雑誌で引っ張りだこだった人気ファッション・モデル。『ビルとテッドの大冒険』(’89)シリーズでブレイクするアレックス・ウィンターが、最初に退治される吸血鬼マルコを演じているのも要注目だ。 そのほか、前年の『ハンナとその姉妹』(’86)でアカデミー助演女優賞を獲ったばかりだったダイアン・ウィースト、『アニー』(’82)のルーズベルト大統領など歴史上の人物を演じることが多かったエドワード・ハーマン、テレビのシットコム『ブロッサム』(‘91~’95)のお祖父ちゃん役で親しまれたバーナード・ヒューズなどのベテラン名優も脇を固めているが、やはり当時旬のティーン・スターたちの起用がヒットに繋がったであろうことは想像に難くないだろう。 なお、劇場公開の直後から続編を期待する声があり、実際にシューマカー監督は主要キャストを全員女性に変えた『The Lost Girls』というタイトルの続編を企画していたそうだが実現せず。ところが、21世紀に入って待望のシリーズ第2弾『ロストボーイ:ニューブラッド』(’08)がDVDスルー作品としてお目見えする。メインキャストは若手に刷新されているが、脇にはコリー・フェルドマン演じるエドガー・フロッグが登場し、エンディングにはサム役でコリー・ハイムもカメオ出演していた。さらに、第3弾『ロストボーイ サースト 欲望』(’10)もDVDリリース。今度はエドガーとアランのフロッグ兄弟が主役で、エドガー役のフェルドマンに加えてアラン役のジェイミソン・ニューランダーも復活。サム役でコリー・ハイムも参加予定だったがスケジュールの都合で出られず、本人は4作目があれば出演したいと言っていたみたいだが、残念ながら3作目がリリースされる7カ月前に病死してしまった。■ 『ロストボーイ』© 1987 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.10.07
MCU版『スパイダーマン』シリーズが世界中で愛される理由とは?
実写版マーベル作品と実写版スパイダーマンの歩み 今やハリウッド業界を代表する巨大フランチャイズと化したマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)。その第1弾はジョン・ファヴロー監督、ロバート・ダウニー・ジュニア主演の『アイアンマン』(’08)だったわけだが、しかしそれ以前のMCUなどまだ存在しない時代から現在に至るまで、数多くのマーベル・コミック・ヒーローたちが映画やテレビで実写化されてきた。その中でも最も実写化に成功したキャラクターと呼ばれるのがスパイダーマンである。 もともとライバルのDCコミックに比べて、自社コミックの実写化にあまり積極的ではなかったマーベル。最古の実写化作品と言われるのは、全15話の連続活劇映画(=シリアル映画)として作られた『Captain America』(’44)である。それっきりマーベルの実写化は暫く途絶えてしまうのだが、やはりDCコミックの『バットマン』(‘66~’68)や『ワンダーウーマン』(‘75~’79)といったTVシリーズのヒットや、世界中で空前のブームとなった映画『スーパーマン』(’78)シリーズの大成功を意識してなのか、マーベルも’70年代半ばよりテレビ向け実写ヒーロー物の製作へ本格的に乗り出す。その最初期の番組が、原作「スパイダーマン」では高校生だった主人公ピーター・パーカーを大学生に設定し直したテレビ版『The Amazing Spider-man』(‘77~’79・日本未公開)だ。 日本では1時間半のパイロット版が映画『スパイダーマン』(’77)として劇場公開された同番組のヒットを契機に、マーベルは日本でも人気を集めたテレビ・シリーズ『超人ハルク』(‘77~’82)、テレビ映画版『Dr. Strange』(’78・日本未公開)に『爆走ライダー!超人キャプテン・アメリカ』(‘79・日本未公開)などのテレビ向け実写ヒーロー物を相次いで製作。ここ日本でも東映がマーベルとライセンス契約を結び、日本独自のキャラクターと物語を設定した特撮ヒーロー番組『スパイダーマン』(’78)が作られている。 その後、チャック・ノリスやチャールズ・ブロンソンのB級アクションを中心に一時代を築いた映画会社キャノン・フィルムズが、’85年に「スパイダーマン」の映画化権を獲得して実写化に乗り出すも、しかしイスラエル出身でアメコミに馴染みの薄い社長メナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスがスパイダーマンのコンセプトを誤解していたこともあって製作は難航。そうこうしているうちに、キャノンが社運を賭けた超大作『スーパーマンⅣ/最強の敵』(’87)が興行的に大惨敗。おのずと実写版「スパイダーマン」の企画も暗礁に乗り上げてしまう。 そのうえ、DCコミックの『バットマン』(’89)シリーズやダーク・ホース・コミックの『マスク』(’94)シリーズが大成功を収める一方、マーベル・コミックの実写化はメナハム・ゴーラン製作の『キャプテン・アメリカ 卍帝国の野望』(’90)がビデオ・スルー扱いになったり、ロジャー・コーマン製作の『The Fantastic Four』(’94)がお蔵入りになったりと不運続き。しかし『ブレイド』(’98)と『X-メン』(’00)の相次ぐ大ヒットによって、徐々に風向きが変わってくる。 そうした中、’99年にソニー傘下のコロンビア・ピクチャーズが「スパイダーマン」の映像化権(実写とアニメを含む)を獲得。少年時代から原作コミックの大ファンだったというサム・ライミがメガホンを取り、トビー・マグワイアがピーター・パーカーを演じた映画『スパイダーマン』トリロジー(‘02~’07)が誕生したのである。CGの進化によってスパイダー・アクションをリアルに映像化できるようなったこともあり、サム・ライミ版トリロジーは世界中で空前の大ヒットを記録。『X-MEN』シリーズと並んでアメコミ・ヒーロー映画人気の立役者となり、さらにはMCU誕生の下地を作ったとも言えよう。 しかし、ライミ監督とソニーの対立が原因で予定されていた4作目が製作中止に。それに伴ってシリーズのリブートが決定し、監督もキャストも変えて作り直した新シリーズが生まれる。それが、当時『ソーシャル・ネットワーク』(’10)で頭角を現していた注目の若手アンドリュー・ガーフィールドをピーター・パーカー役に抜擢した、マーク・ウェブ監督の『アメイジング・スパイダーマン』(’12)だ。ところが、今度はソニーとマーベルが’15年に新たな契約を結び、マーベルとディズニーが展開するMCUへスパイダーマンを組み込むことが決まったため、結果的にマーク・ウェブ版は2作目で終了。まずはトム・ホランド演じる新生ピーター・パーカー/スパイダーマンを『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(’16)で初登場させたうえで、『スパイダーマン:ホームカミング』(’17)に始まるMCU版『スパイダーマン』シリーズが本格始動したというわけだ。 MCU版『スパイダーマン』の流れを総まとめ! まずはMCU版『スパイダーマン』シリーズの流れをザックリと紐解いてみよう。 先述した通り初登場は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』。同作ではバッキーが容疑者となったテロ事件を巡って、キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャース(クリス・エバンス)とアイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・ジュニア)が真っ向から対立。アベンジャーズが内部分裂したため、新たなメンバー候補を探したトニーは、ニューヨークで自警活動に勤しむ様子がSNSで話題の覆面ヒーロー、スパイダーマンに注目し、その正体である15歳の高校生ピーター・パーカー(トム・ホランド)をスカウトする。この時点では、クモに噛まれたせいで特殊能力を得たこと、若くて美人なメイおばさん(マリサ・トメイ)と2人暮らしであること以外に詳しい情報はなし。憧れのアベンジャーズに入れるかもしれないということで張り切ったピーターは、トニーからプレゼントされたハイテク・スーツに身を包んで、アベンジャーズ同士の空港での対決に参戦。しかし、それが終わると普通の生活へ戻るように言われて自宅へ帰される。 その直後から始まるのが第1弾『スパイダーマン:ホームカミング』だ。トニーに認めてもらいたい、アベンジャーズの一員になりたいと、放課後の部活も放り出してスパイダーマン活動に奔走するピーターだが、しかし治安の良い現代のニューヨークでは派手な活躍の場もなし。そんなある日、奇妙なハイテク武器を使ったATM強盗に遭遇したピーターは、その武器の出所を探っていったところ、盗んだ地球外物質を元手に開発した違法な武器を闇で売り捌く秘密組織の存在を知る。組織のボスは巨大な翼を持つハイテク・スーツに身を包んだ悪党バルチャー(マイケル・キートン)。その正体は残骸回収業者のエイドリアン・トゥームス(マイケル・キートン)だ。かつてアベンジャーズが戦った後の残骸回収事業を請け負っていたトゥームスだが、しかしその事業をトニー・スタークと政府の合弁会社に横取りされたことから、家族や仲間を養うため違法ビジネスに手を染めていたのである。自分をスパイダーマンだと知る親友ネッド(ジェイコブ・バタロン)と共にバルチャーの悪事を阻止せんとするピーター。しかし、未熟ゆえ他人を危険に巻き込んだことからトニーにハイテク・スーツを取り上げられ、さらにはトゥームスが片想い相手の美少女リズ(ローラ・ハリアー)の父親だと知って途方に暮れる…。 続いてスパイダーマンが登場したのはアベンジャーズ・シリーズの『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(’18)と『アベンジャーズ/エンドゲーム』(’19)。トニーとドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を助けて活躍したピーターは、晴れてアベンジャーズの一員となってサノス(ジョシュ・ブローリン)との決戦へ臨むのだが、しかし全てのインフィニティ・ストーンを手に入れたサノスのスナップ(指パッチン)によって全宇宙の半分の生命体が消滅。ピーターや親友ネッドなども塵となって消えてしまう。しかしそれから5年後、残りのアベンジャーズたちの活躍で「指パッチン」がリバースされ、ピーターを含む何十億という人々が復活。その代わりにトニーが命を落としてしまった。 この悲劇を受けて始まるのが『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(’19)。恩師トニーを失った悲しみを胸に秘めつつ、平和な日常生活を存分に満喫するピーター。その一方で、アベンジャーズの統率役ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)からの呼び出しを無視し続けている。何故なら、ヒーローの任務よりも青春を謳歌したいから。学校の企画で2週間のヨーロッパ研修旅行へ参加することになったピーターは、片想い中の同級生MJ(ゼンデイヤ)にパリでロマンチックな告白をしようと計画していた。ところが、最初の訪問先ヴェネチアで人型のウォーター・モンスターが出現。すると、どこからともなく現れた謎のヒーロー、ミステリオ(ジェイク・ギレンホール)がモンスターを倒す。予てより、アイアンマンの跡を継ぐのは荷が重いと感じていたピーターは、マルチバースの地球から今の地球を救うために来たというミステリオこそアイアンマンの後継者に相応しいと考え、トニーから受け取った人工知能メガネを譲り渡す。ところが、このミステリオの正体は、かつてトニーに解雇されたスターク社の社員。同じようにトニーに恨みを持つ仲間を集めて、ミステリオなるスーパーヒーローの虚像を作り上げていただけだった。騙されていたことに気付いたピーターは、親友ネッドと同じく自分の素性を知ったMJも仲間に加えて、派手な英雄伝説を作るため自作自演のテロ行為を重ねていくミステリオ一味を阻止しようとするのだが…? そして、実写版「スパイダーマン」映画史上最大のヒットを記録した傑作『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(’22)。前作のクライマックスでマスコミに正体をバラされたうえ、ドローン攻撃を仕掛けてミステリオを殺した犯人という濡れ衣を着せられたスパイダーマン。殺人に飢えた不良高校生、正義を騙るヴィランと罵られたピーターは、証拠不十分のため辛うじて起訴は免れたものの、しかし自分ばかりかメイ叔母さんや親友ネッド、恋人MJまでもが誹謗中傷に晒されたことに胸を痛める。そこで彼はドクター・ストレンジに相談。忘却の魔術「カフカルの魔法陣」を用いて、スパイダーマンの正体を知る全ての人々の記憶を消し去ろうとするのだが、しかし優柔不断なピーターが「やっぱりMJは例外にして」「あとネッドも!」「そうだ、メイおばさんも!」と繰り返し邪魔するためドクター・ストレンジの魔術が失敗。それどころか、マルチバースのあらゆる世界からスパイダーマンの正体を知る人々を集めてしまい、サム・ライミ版シリーズのグリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)やドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)、マーク・ウェブ版シリーズのエレクトロ(ジェイミー・フォックス)などのヴィランが次々と現れる…! トム・ホランドこそMCU版『スパイダーマン』成功のカギ! 同じ世界観をクロスオーバーする『アベンジャーズ』シリーズとの相乗効果もあってか、興行的にも批評的にもサム・ライミ版やマーク・ウェブ版を凌ぐほどの大成功を収めたMCU版『スパイダーマン』シリーズ。実は筆者も、このMCU版シリーズが実写版「スパイダーマン」映画の中で一番好きだったりする。もちろん、サム・ライミ版の偉大さは認めざるを得ないし、マーク・ウェブ版も十分に健闘していたと思うが、しかしこのMCU版シリーズには過去のスパイダーマン映画にはない独特の魅力がある。そのひとつが、明るくて爽やかで楽しい青春ドラマという基本路線を打ち出したジョン・ワッツ監督の明朗快活な演出だ。 ・『~:ノー・ウェイ・ホーム』演出中のジョン・ワッツ監督(左から2番目)と主要キャスト 例えば、従来のスパイダーマン映画におけるピーター・パーカーは、学校でも居場所のないいじめられっ子で友達も少なく、そのうえ自らの浅はかな行動のせいで父親代わりのベンおじさんを死なせてしまうなどの深いトラウマを抱えており、なるほど確かに根は純粋で素直で正義感溢れる若者だが、しかし同時に陰キャや非モテを拗らせたような暗い部分もあって、それゆえ「大いなる力には大いなる責任が伴う」というヒーローとしての宿命的な葛藤に思い悩む。要するに、キラキラとした青春の眩しさや瑞々しさばかりではなく、そのダークサイドにも焦点が当てられていたわけだ。 一方のMCU版シリーズに目を移すと、少なくとも主人公ピーターの日常にはそうした暗くて重い要素は殆どない。なるほど確かに、こちらのピーターも科学オタクのギークで決して学園の人気者とは言えないが、しかしかといっていじめられっ子というわけではないし、親友ネッドだけでなく趣味を同じくするギーク仲間たちにも恵まれている。ピーターにばかり意地悪するフラッシュといういじめっ子もいるにはいるが、しかしこのフラッシュも実のところスクールカーストではピーターと同じギーク仲間だし、そもそも彼に同調してピーターを苛めるヤツもいない。また、ベンおじさんにまつわるエピソードもMCU版シリーズでは描かれず、そもそもベンおじさんが存在したのかどうかも定かではない。むしろ、『ノー・ウェイ・ホーム』でメイおばさんがベンおじさんの役割を兼ね、ピーターの人間的な成長を後押しすることになる。 こうした大幅な設定変更もあって、MCU版シリーズにおけるピーターの青春模様は、少なくとも最大の困難に直面する『ノー・ウェイ・ホーム』までは底抜けに明るい。ピーターも天真爛漫で正直で真っすぐで、思い立ったら吉日の猪突猛進!単細胞なので迷う前に行動へ移してしまう。そのうえ、お喋りでおっちょこちょいなヤンチャ坊主。そうかと思えば、恋愛には意外と不器用なシャイボーイだったりする。良い意味で世間も苦労も疑うことも知らない純朴な15歳の子供である。しかも、とにかくヒーローとして活躍するのが楽しくて仕方ない。1日も早くアベンジャーズの仲間に入りたい!ということで、トニー・スタークに認めてもらうべく必死に自己アピールする健気な姿は、まるでご主人様の注意を惹こうとする子犬の如き可愛らしさだ。 そんなピーターと対峙するのが、理不尽な目に遭って辛酸を舐めてきたせいで心を病み、怒りや憎しみに目がくらんでしまったヴィランの大人たちだ。彼らは人生経験をもとに世界を冷酷非情で不公平なものだと考えており、それが自らの悪事を正当化する言い訳ともなっているのだが、しかし人生経験が浅いからこそ汚れのない真っ直ぐな眼で世界を見ているピーターにその理屈は通用せず、結果的にはスパイダーマンの少年らしい理想論的な正義こそが世界を混沌から救うことになる。この斜に構えたところのないヒーロー像も大きな共感ポイントと言えよう。ワッツ監督は『キャント・バイ・ミー・ラブ』(’87)や『セイ・エニシング』(’89)などのキュートな’80年代青春コメディをドラマ・パートのお手本にしたそうだが、そうか、トム・ホランドがどことなく青春映画アイドル時代のパトリック・デンプシーと似ているのはそのためか(?)。 で、このトム・ホランドをピーター・パーカー役に起用したことの功績もかなり大きいと言えよう。サム・ライミ版のトビー・マグワイアは1作目の時に27歳、マーク・ウェブ版のアンドリュー・ガーフィールドは29歳だったのに対し、MCU版のトム・ホランドは『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の時点で20歳。ピーター・パーカーの年齢設定に最も近い。しかも、その童顔といい高い声といい、まさにティーンの少年そのもの。明るくて元気で愛くるしい個性もピーターを演じるにピッタリだ。これほどのハマリ役もそうそうあるまい。オーディションによって7500人の中から選ばれたそうだが、恐らくトム・ホランドなくしてMCU版『スパイダーマン』シリーズの成功はなかったろうと思う。まさにキャスティングの勝利だ。 もちろん、その他にもMCUの世界観をシェアするヒーローたちとの関わりや、過去シリーズではピーターのお手製だったスパイダーマンスーツのハイテク化など、MCU版シリーズが愛される理由は枚挙に暇ないだろう。青春ドラマ的なワクワク感を前面に出した『スパイダーマン:ホームカミング』、ヨーロッパへ飛び出してアクションもロマンスもスケールアップした『スパイダーマン・ファー・フロム・ホーム』、そして思いがけず切なくて感動的なクライマックスを迎えるスパイダーマン映画の集大成的な『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』と、いずれ劣らぬ完成度の高さ。10月のザ・シネマではその3作品が一挙放送される。是非とも、MCU版「スパイダーマン」だからこその面白さを存分に堪能していただきたい。■ 「スパイダーマン:ホームカミング」(C) 2017 Columbia Pictures Industries, Inc. and LSC Film Corporation. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL 「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(C) 2019 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL 「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(C) 2021 Columbia Pictures Industries, Inc. and Marvel Characters, Inc. All Rights Reserved.|MARVEL and all related character names: (C) & TM 2024 MARVEL
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COLUMN/コラム2024.10.02
世界的ポップスターと数学教師の格差婚から、働く女性の理想の恋愛と結婚を考察する正統派ロマンティック・コメディ『マリー・ミー』
住む世界も価値観も正反対な男女の結婚の行方とは…? 女優・歌手・ダンサーと三つの顔を併せ持ち、今や映画界でも音楽界でも不動の地位を築いたハリウッドの女王ジェニファー・ロペス(aka J. Lo)が、自身を彷彿とさせる世界的な歌姫を演じたロマンティック・コメディである。 主人公は長いキャリアと世界的な人気を誇る音楽界のスーパースター、キャット・ヴァルデス(ジェニファー・ロペス)。年下の若いグラミー賞歌手バスティアン(マルーマ)とのデュエット曲「マリー・ミー」が目下大ヒット中の彼女は、プライベートでもバスティアンと交際して世間の注目を集めており、いよいよニューヨーク公演のステージで彼との結婚を発表することとなる。もちろん、この現代の御伽噺のようなビッグネーム同士の結婚に世間は話題騒然。コンサートはウェブでもライブ中継され、会場はもとより世界中の2000万人以上のファンが固唾を飲んで結婚発表を見守る。 ところが、コンサートの最中にバスティアンがキャットのアシスタントと浮気していたことが発覚。ウェブのゴシップサイトで大々的に報道され、会場に詰めかけたファンもスマホでニュースを知って困惑する。あまりのショックと屈辱にステージ上で茫然とするキャット。そこで彼女の目に入って来たのは、客席で「マリー・ミー」のプラカードを持つ中年男性チャーリー・ギルバート(オーウェン・ウィルソン)の姿だった。何事もなかったようにバスティアンとの結婚を発表なんて出来ないが、しかしかといってこのまま黙って引き下がるわけにもいかない。何らかの行動を起こさねばと焦った彼女は、思い余って見ず知らずのチャーリーとの結婚を発表してしまう。 チャーリーはニューヨーク市内の小学校に勤める平凡な数学教師。善良で心優しい男性だが生真面目で堅苦しいところがあり、それゆえ元妻と離婚する羽目となってしまい、近ごろは同居する年頃の娘ルー(クロエ・コールマン)からも敬遠されがちだ。アナログレコードと古いポップスを愛する彼は、最近の音楽トレンドや芸能ゴシップなどさっぱり。キャットのコンサートに足を運んだのも、小学校の同僚教師パーカー(サラ・シルヴァーマン)に誘われたからで、娘との親子関係を改善するきっかけになればと考えたのだ。なので、いきなりステージ上のキャットからプロポーズされてドン引きするチャーリーだったが、しかし彼女の切羽詰まったような表情からのっぴきならないものを感じ、その場の流れに任せてキャットとの結婚を世界中のファンの前で誓う。 かくして、当人たちにとっても想定外の展開で夫婦になったキャットとチャーリー。どうせスターの気まぐれ、すぐに守秘義務契約を交わして離婚すればいいと考えていたマネージャーのコリン(ジョン・ブラッドリー)だが、しかしキャットは当面のところ離婚するつもりなどないという。これまで幾度となく普通に恋愛をして結婚したが、そのたびに裏切られてきたキャット。そんな人生を変えるには、なにか違ったことをせねばと考えたのだ。それに、浮ついた業界人と違って地に足のついた、真面目で謙虚なチャーリーに少なからず好感を抱いていたのである。 一方のチャーリーもまた、マスコミが面白おかしく作り上げたイメージと違って実際は長所も短所もある普通の女性であるキャットに親近感を覚え、なおかつプロのエンターテイナーとして一切の妥協を許さず仕事へ臨む彼女に尊敬の念を抱いていく。確かに住む世界も価値観も全く違う2人だが、しかし相手を理解していくうちにキャットは忘れかけていた「普通」の感覚を思い出し、チャーリーは自分の殻を破って新しいことに挑戦しようとする。こうしてお互いの交流によって人間として成長し、やがてなくてはならない存在となっていくキャットとチャーリーだったが…? ジェニファー・ロペスの実体験が投影されたヒロイン像 原作は’12年に出版されたボビー・クロスビー原作のグラフィック・ノベル。コロナ禍の影響で全米公開が’22年2月へ大幅にずれ込んでしまったが、実際は完成する8年前にジェニファー・ロペスの製作会社ヌーヨリカン・プロダクションが原作の映画化権を取得し、コロナ前の’19年11月には撮影を終えていたらしい。パンデミックという不測の事態があったことを差し引いても、たっぷりと時間をかけて大切に温められた企画であったろうことは想像に難くない。 J. Loのチームが恐らく最もこだわったのは、ヒロインのキャットにジェニファー自身を重ね合わせることであろう。劇中のキャットと同じくジェニファーもまた、マスコミによってあることないこと面白おかしくゴシップ記事を書きまくられ、「気が強くて我がままな女王様気質のセレブ」というイメージを一方的に作り上げられてきた経緯がある。残念ながら男運があまりないのもキャットと一緒。恋多き女性として知られるジェニファーだが、しかし有名人ゆえ金に目のくらんだ最初の夫(一般人)からは暴露本やプライベートビデオをネタに食い物にされかけ、本人が「本物の愛で結ばれていた」という俳優ベン・アフレックとは彼がマスコミの注目を嫌うため上手くいかず、後に復縁・結婚しても長続きしなかった。いわば有名税みたいなもの。たとえば、結婚を機に芸能界を引退して家庭に入りますとなれば、もしかすると結婚生活も上手くいったのかもしれないが、しかしキャットと同じく天性のエンターテイナーであるジェニファーにそれは到底無理な話であろう。 そのうえで、本作は良くも悪くも世間の注目に晒される側の視点から「スーパースター」と呼ばれる女性セレブの人間的な実像に迫り、さらにはキャリア志向の強い「働く女性」にとって理想の恋愛と結婚、そして男性像とはどういうものかを考察していく。だいたい、主人公キャットだって別に多くを求めているわけじゃない。金持ちじゃなくてもイケメンじゃなくても構いません。とりあえずちゃんと仕事をしていて誠実で良識があればオッケー。大事なのは女性を対等の人間として扱ってくれて、その能力や仕事を正当に評価して尊重してくれること。そういう意味で、地味で真面目な数学教師チャーリーはまさに理想の男性なのだ。 そうしたフェミニスト的な視点は、ブレインとなる主要スタッフの大半が女性で固められていることと無関係ではなかろう。監督はインディーズ出身で本作が初のメジャー進出となったカット・コイロ。脚本家チームも3人のうち2人が女性だ。中でも特に重要な役割を果たしたのが、ジェニファー・ロペスと並んでプロデューサーに名を連ねているエレイン・ゴールドスミス=トーマスである。 もともとハリウッドのタレント・エージェントとしてジュリア・ロバーツやスーザン・サランドン、ジェニファー・コネリーなどの大物女優を顧客に持ってたゴールドスミス=トーマスは、ジュリア・ロバーツの製作会社レッド・オム・フィルムズに加わってプロデューサーへと転向。そこでの初プロデュース作品が、ジェニファー・ロペス主演の大ヒット・ロマンティック・コメディ『メイド・イン・マンハッタン』(’02)だった。その後、J. Loのヌーヨリカン・プロダクションへ移籍して社長(ジェニファーはCEO)に収まった彼女は、『ジェニファー・ロペス 戦慄の誘惑』(’15)以降のヌーヨリカン製作作品の殆んどでプロデュースを担当。本作のグラフィック・ノベルを読んで、脚本家たちに女性視点で脚色するよう指示したのはゴールドスミス=トーマスだったという。 観客5万人が詰めかけた本物のコンサート会場で撮影!? さらに、本作は主人公キャットの恋人である若手トップスター歌手バスティアン役として、コロンビア出身で南米はもとより北米でも絶大な人気を誇るラテンポップ・アーティスト、マルーマを起用したことでも話題に。これが演技初挑戦かつ映画デビューだったマルーマは、ジェニファーとデュエットするテーマ曲「マリー・ミー」などの楽曲も提供している。サントラで使用された楽曲の大半は本作のために書き下ろされたオリジナル曲だが、キャットが自らのコンサートで尼僧や僧侶に扮したダンサーをバックに歌い踊るダンスナンバー「Church」は、ジェニファーが以前よりストックしていた未発表曲を掘り起こしたものだという。J. Loが最も影響を受けたスターのひとり、マドンナの「Like A Prayer」を彷彿とさせる楽曲だ。 ちなみに、終盤でキャットがバスティアンのコンサートにゲスト出演し、デュエット曲「マリー・ミー」を披露するシーンは、バスティアンを演じるマルーマのマディソン・スクエア・ガーデン公演に便乗して撮影している。会場に詰めかけた5万人の聴衆は、映画のエキストラではなくコンサートの来場客だ。ただし、テーマ曲「マリー・ミー」がリリース前に流出しては困るため、同曲のパフォーマンス・シーンは事前に無観客で撮影を完了。そのうえで、観客の前ではテンポの良く似たジェニファーの楽曲「No Me Ames」(ファースト・アルバムに収録されたマーク・アンソニーとのデュエット曲)をマルーマとデュエットしてもらい、そのステージを見守る観客の映像を「マリー・ミー」のパフォーマンス映像と編集で混ぜ合わせたのである。 ロマンティック・コメディの大ヒットが減少している昨今、『ノッティング・ヒルの恋人』や『ローマの休日』を彷彿とさせる正統派ロムコムの本作も、予算2300万ドルに対して興行収入5000万ドル強と、必ずしも大成功とは言えない結果となってしまったが、しかし公開翌週の2月14日には全米興行成績ランキングで1位をマーク。バレンタイン・デーにロマンティック・コメディがトップに輝くのは史上初めてのことだったそうだ。むしろ本作は映画館よりも配信サービスやテレビ放送で好成績を記録しているらしい。そのホッコリとする温かな後味の良さも含め、自宅でのんびり寛ぎながら楽しむにうってつけの作品なのかもしれない。■ 『マリー・ミー』© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.09.04
下らなくてバカバカしいけど憎めない!今なお世界中(?)で愛されるキラートマト軍団の魅力に迫る!『アタック・オブ・ザ・キラートマト』
‘70年代のパロディ映画ブームが生んだ珍作 映画史上屈指の駄作として名高いZ級モンスター映画である。ある日突然、トマトが人間を襲い始めて全米がパニックに陥るというあまりにも下らないストーリー、アマチュアの自主制作映画とほぼ変わらないレベルの貧相で安っぽいビジュアル(なんと、予算はたったの10万ドル!)、見た目も演技力も素人丸出しの役者たちによるショボい芝居(実際にキャストの大半は素人の一般人)などなど、お世辞にも出来の良い映画とは言えないものの、しかしその屈託のないバカバカしさはなんだか妙に憎めないし、古き良き時代のモンスター映画にオマージュを捧げた頭の悪いギャグの数々も嫌いになれない。体に悪いと分かってはいても、ついつい手が出てしまうジャンク・フードみたいな映画。本作が今もなお、世界中でカルト的な人気を誇っている理由はそこにあると言えよう。 とある民家のキッチンで主婦が他殺体で発見され、捜査を担当する刑事たちは遺体に付着した赤い液体がトマトジュースだと知って困惑する。この日を境に、全米各地でトマトが罪のない人々を襲うという凄惨(?)な事件が多発。この異常事態を受け、ペンタゴンでは軍部が科学者を交えて対抗策「アンチ・トマト計画」を急ピッチで進める一方、ワシントンでは諜報部のトップ・エージェント、メイソン・ディクソン(デヴィッド・ミラー)や落下傘部隊出身のウィルバー・フィンレター(スティーブン・ピース)ら特殊部隊が、トマトたちの暴走を食い止めるために動き始める。 さらに、大統領の命を受けたホワイトハウス報道官ジム・リチャードソン(ジョージ・ウィルソン)も国民のパニックを防ぐべくプロパガンダ戦略を練り、政府の動きを察知した女性新聞記者ロイス・フェアチャイルド(シャロン・テイラー)がディクソンらの行動を追跡。だが、そうこうしているうちに狂暴化したトマトたちは巨大モンスターへと進化を遂げ、いよいよ軍が出動せねばならない事態となってしまう…! というのが大まかなあらすじ。古いB級特撮モンスター映画にありがちなプロットのパロディである。軍隊マーチ風の勇壮なサウンドに乗って「キラートマトが襲ってくる!キラートマトが襲ってくる!」と謳いあげるオープニングのテーマ曲からしてバカ丸出し(笑)。クレジットや本編の随所にサニー・ヴェール家具店なるショップの広告テロップ(昔のアメリカのテレビではこういうテロップCMが多かった)が流れたり、『北北西に進路を取れ』(’59)や『ジョーズ』(’75)など名作映画のパロディがあちこちで唐突にぶち込まれたり、そうかと思えば前触れもなく突然ミュージカルが始まったりする。この脈絡のなさときたら!あくまでも、ストーリーは映画としての体裁を整えるための建前みたいなもので、基本的には中学生レベルの下らない一発ギャグを適当に繋げているだけだ。 ちょうど’70年代当時は『ヤング・フランケンシュタイン』(’74)や『新サイコ』(’77)といったメル・ブルックス監督のウルトラ・ナンセンスなパロディ映画が大流行し、その人気に便乗して『名探偵登場』(’76)や『弾丸特急ジェット・バス』(’76)など似たようなパロディ映画が続々と登場した。本作も恐らくそのトレンドに乗って作られたと思うのだが、しかしどこまでも徹底した下らなさと意味のなさは、後のジム・エイブラハムズとザッカー兄弟による『フライングハイ!』(’80)シリーズや『トップ・シークレット』(’84)を先駆けていたとも言えよう。そこにはストーリーテリングの妙だとか、ユーモアに込められたメッセージだとかは一切なし。次から次へとバカバカしいギャグが繰り出されていくだけだ。そういう意味では、ケン・シャピロ監督の『ドムドム・ビジョン』(’74)とかジョン・ランディス監督の『ケンタッキー・フライド・ムービー』(’77)辺りと同列に語られるべき作品かもしれない。 元ネタになった日本映画とは…!? そんな本作を生み出したのは、監督・製作・脚本・編集を手掛けたジョン・デ・ベロ、製作・脚本・第二班撮影・出演(ウィルバー・フィンレター役)を兼ねるスティーブン・ピース、そして原案・脚本・助監督を務めたコンスタンチン・ディロンの3人である。彼らはいずれもカリフォルニア州のサンディエゴ出身で、高校時代から仲良しの映画仲間だった。これに大学で知り合ったマイケル・グラントが加わって4人組となった彼らは、学生映画集団「フォー・スクエア・プロダクションズ」を結成。この時期に『アタック・オブ・ザ・キラートマト』の原点となった自主制作映画を撮っている。それが8ミリフィルムで撮影された短編映画『Attack of the Killer Tomatoes』と『Gone with the Babusuland』の2本だ。 ある日突然、トマトが人間を襲い始めて全米が大パニックになるという基本プロットは長編版と全く同じで、なおかつソックリなシーンも多々あるのがオリジナル短編版『Attack of the Killer Tomatoes』。一方の『Gone with the Babusuland』は、FBIをもじった諜報機関FIA(連邦情報局)の捜査官マット・デリンジャー(まだ細くてイケメンだったデヴィッド・ミラー)と落下傘兵ウィルバー(当時も変わらずアクの強いスティーブン・ピース)の活躍を描いたジェームズ・ボンド風のスパイ・パロディ映画で、これが『アタック・オブ・ザ・キラートマト』におけるディクソン&フィンレターのコンビの元ネタとなったのである。 ちなみに、本編の冒頭テロップでヒッチコックの名作『鳥』(’63)に触れていることから、同作をヒントにした作品ではないかと思われがちだが、実はジョン・デ・ベロ監督らが高校時代にテレビで見た、とある日本の特撮モンスター映画が企画の元ネタになっているという。デ・ベロ監督が「素晴らしいくらい出来の悪い日本のホラー映画」と呼ぶその作品は、他でもない本多猪四郎監督による東宝特撮映画の名作『マタンゴ』(’63)!放射能に汚染されたキノコを食べてしまった人間が、世にも恐ろしいキノコ人間「マタンゴ」となって人間を襲うというお話だ。まあ、確かにプロット自体はバカバカしいかもしれないが、しかし極限状態に置かれた人間の怖さを徹底したリアリズムで描いた脚本の出来は素晴らしく、今ではカルト映画として世界中に熱狂的なファンがいる。 なので、なんだとぉ~!『マタンゴ』が出来の悪い映画とは何事だ!この不届き者め!と文句のひとつでも言いたくなるってもんだが、まあ、仕方あるまい。映画の感想は人それぞれである。しかも、テレビで見たということは、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが配給した英語吹替のトリミング&短縮版である。恐らく安っぽく見えてしまったのだろう。本作に登場する日本人科学者フジ・ノキタファ博士の声だけがアフレコで、なおかつ口の動きとセリフが全く合っていないというのは、かつてアメリカの深夜テレビ放送やドライブイン・シアターを賑わせた、日本製B級娯楽映画の英語吹替版の低クオリティを揶揄したジョークだ。 閑話休題。その『マタンゴ』よりも下らなくてバカバカしい映画を作ろう、ということで生まれたのが、野菜のトマトが人間を襲って食い殺すという珍妙なコンセプト。ただし『マタンゴ』と大きく違ったのは、そこに社会風刺や文明批判などのメッセージを込めるつもりなど、デ・ベロ監督たちには初めからこれっぽっちもなかったことであろう(笑)。 さて、大学を卒業後に「フォー・スクエア・プロダクションズ」を正式な会社とし、主に産業映画やスポーツ映画、テレビ・コマーシャルなどを作っていたデ・ベロ監督たち。その傍らで劇場用映画への進出を模索していた彼らは、大学時代に作った短編映画『Attack of the Killer Tomatoes』と『Gone with the Babusuland』の2本をひとつにまとめてリメイクすることを思いつく。それがこの『アタック・オブ・ザ・キラートマト』だったというわけだ。 劇中のヘリ墜落シーンは本物の事故だった! 友人・知人などから借金してかき集めた予算はたったの10万ドル。キャストやスタッフの大半は学生時代からの映画仲間や家族、親戚、隣人で固め、撮影も全て地元サンディエゴで行った。学生時代の短編版で特撮を担当したマイケル・グラントは、会社の「本業」であるCM制作などのために不参加。一応、客寄せのために有名人キャストも起用されたが、当時テレビの人気シットコム『The Bob Newhart Show』(‘72~’78・日本未放送)で全米に親しまれた喜劇俳優ジャック・ライリー(保安官役)と、映画『ポーキーズ』(’81)シリーズの校長先生役でも知られる名バイプレイヤー、エリック・クリスマス(ポーク上院議員役)の2人のみ。そのジャック・ライリーは「どうせ誰も見ない映画だから、小遣い稼ぎに出とけ」とエージェントから薦められて出演したらしいが、結果としてテレビのニュース番組で大々的に報じられることとなってしまった。どういうことかというと、撮影現場で彼の乗ったヘリコプターが墜落事故を起こしてしまったのだ。 そう、劇中に出てくるヘリコプターの墜落シーンは、なんと「演出」ではなく「ガチ」。本来はパトカーの横にヘリを着陸させるつもりだったが、タイミングを間違えたパイロットが慌てたせいで操縦を誤り、尾部ローターが地面に触れて墜落してしまったのである。乗っていたジャック・ライリーと報道官リチャードソン役のジョージ・ウィルソン、パイロットの3人は奇跡的に無事。この予想外の出来事に監督も撮影監督もビックリ仰天し、思わず撮影を止めてしまったのだが、しかし第2班カメラマンを務めていたスティーブン・ピースだけはカメラを回し続け、ヘリが墜落する様子もライリーたちが脱出する様子も撮影していた。当然、一歩間違えれば死者も出かねなかった事故はテレビのニュースで報道され、無事に生還したライリーは国民的人気トーク番組「トゥナイト・ショー」に招かれ、本来なら出たことを秘密にしておきたかった映画について話す羽目に(笑)。そして、そのライリーが「どうせなら事故映像を本編でそのまま使ったら面白いのでは?」と監督に助言したことから、劇中の迫力満点(?)なヘリ墜落シーンが出来上がったのである。 また、劇中で人気アイドル歌手ロニー・デズモンドの最新ヒット曲として紹介される挿入歌「思春期の恋」にも要注目。実在しない架空の歌手ロニー・デズモンドは、’70年代のアメリカで国民的な人気を誇っていたアイドル歌手ダニー・オズモンドが元ネタで、「思春期の恋」は当時量産されていたティーン向けバブルガム・ポップスを小バカにしたパロディだったという。で、その「思春期の恋」を実際に歌っている歌手としてクレジットされているフー・キャメロンは、当時地元サンディエゴの高校生だった少年マット・キャメロンの偽名。後にロックバンド、サウンドガーデンのドラマーとして高く評価され、さらに’98年以降はパール・ジャムのメンバーとしても活躍、ロックンロールの殿堂入りも果たした大物ミュージシャンである。 そういえば、後に有名になった人物はもう一人。海水浴に興じる若者たちがトマトに襲われる『ジョーズ』のパロディ・シーンで、ヨットに乗っている幼い少年にどこか見覚えがあると思ったら、後にテレビドラマ『ツイン・ピークス』(‘90~’91)のボビー役で有名になる俳優ダナ・アシュブルックだった。彼もまたサンディエゴの出身で、当時はまだ10歳の小学生。その後、テレビドラマのゲストを幾つもこなした彼は、『バタリアン2』(’88)や『ワックスワーク』(’88)などのB級ホラー映画でカルト的な人気を得ることになる。 劇場公開時は各メディアでケチョンケチョンに酷評され、興行的にも決して大成功とは言えなかったという本作。しかし『ロッキー・ホラー・ショー』(’75)との二本立て上映が全米各地で好評を博すなど、いつしか口コミで評判が広まっていき、やがてカルト映画として熱狂的なファンを獲得することになった。デ・ベロ監督らフォー・スクエア・プロダクションズの面々は、これを足掛かりとしてハリウッド進出を図り、人気コメディアンを多数起用したコメディ映画『大爆笑!ビール戦争/ぷっつんU.S.A.』(’86)を発表するも残念ながら失敗。一方、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』は’86年に初めてビデオゲーム化され、さらにはジム・ヘンソン製作の人気テレビ・アニメ『Muppet Babies』(‘84~’91・日本未放送)にキラートマトが登場するなど、カルト映画としての評価と知名度はどんどん高まっていく。そこへ転がり込んだのが、ニューワールド・ピクチャーズによる続編映画のオファーだった。 当初からシリーズ化するつもりなど全くなかったというデ・ベロ監督たち。しかし、当時のハリウッドではB級ホラー映画のフランチャイズ化がブームで、ニューワールド・ピクチャーズも『クリープショー2/怨霊』(’87)や『ガバリン2 タイムトラぶラー』(’87)に続く続編物の企画を探しており、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』に白羽の矢が立てられたのだ。提示された条件が良かったため引き受けたというデ・ベロ監督曰く、「なるべく出来の悪い映画を作ってくれと映画会社から指示されたのは、恐らくハリウッド映画の歴史上で僕らが初めてだろう」とのこと(笑)。かくして完成したジョージ・クルーニー主演(!)の第2弾『リターン・オブ・ザ・キラートマト』(’88)はスマッシュヒットを記録し、さらなる続編『キラートマト/決戦は金曜日』(’90)と『キラートマト 赤いトマトソースの伝説』(’91)も矢継ぎ早に登場。さらに、フィンレターの甥っ子チャドを主人公にしたテレビ・アニメ『Attack of the Killer Tomatoes』(‘90~’91・日本未放送)やコミック版(’08年出版)、ノベライズ版(’23年出版)も作られるなど、今なお根強い人気を誇っている。■ 『アタック・オブ・ザ・キラートマト』© 1978 KILLER TOMATO ENTERTAINMENT
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COLUMN/コラム2024.09.02
‘70年代アメリカ西海岸の甘酸っぱい青春を描いた珠玉の名作『リコリス・ピザ』の見どころを深掘り解説!
『ブギーナイツ』(’97)や『マグノリア』(’99)、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(’05)などで世界中の映画賞を席巻してきた鬼才ポール・トーマス・アンダーソンが、’70年代前半のロサンゼルスを舞台に、世渡り上手な男子高校生と10歳年上の不器用な女性のロマンスを瑞々しいタッチで描いた珠玉の青春映画である。 基本はいたって単純かつ古典的なボーイ・ミーツ・ガールのラブストーリー。とりとめのない日常的なエピソードを繋ぎ合わせつつ、そこかしこに実在の人物および実在の人物をモデルにした人物、実在したレストランやショップなどが次々と登場し、’70年代当時のトレンドやカルチャー、社会情勢が全編に渡って散りばめられている。いわば、虚実入り交じった古き良きロサンゼルスへの甘酸っぱいラブレター。さながらポール・トーマス・アンダーソン版『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』である。もちろん詳しい知識がなくとも十分に楽しめるとは思うが、しかし背景事情を知っていればより一層のこと興味深く鑑賞することが出来るはず。そこで今回は、全体のストーリーの流れに沿いながら、本作を楽しむうえで注目すべきトリビアについて解説していきたい。 主人公ゲイリーとアラナの実在モデルとは? 主な舞台となるのはロサンゼルスのサンフェルナンド・バレー。ハリウッドの北北西に位置するこの地域にはワーナーやユニバーサル、ディズニー、CBSにNBCなど映画&テレビの撮影スタジオが林立し、古くから映画スターやハリウッド関係者が大勢住んでいる。本作のポール・トーマス・アンダーソン監督もそのひとり。しかも、父親が有名なテレビ司会者だった彼にとって、サンフェルナンド・バレーは自身が生まれ育った故郷でもある。代表作の『ブギーナイツ』も『マグノリア』も『パンチドランク・ラブ』(’02)も舞台はサンフェルナンド・バレーだった。それくらい特別な思い入れのある土地の、自身が実際に少年時代を過ごした’70年代の景色を鮮やかに再現したのが本作。まるで、『がんばれベアーズ』(’76)や『ボーイズ・ボーイズ/ケニーと仲間たち』(’76)など’70年代のキッズ・ムービーを見ているような、あの時代の西海岸へタイムスリップして撮って来たような再現度の高さに思わず舌を巻く。 主人公である15歳の高校生ゲイリー・ヴァレンタイン(クーパー・ホフマン)のモデルとなったのは、アンダーソン監督の友人でもある映画プロデューサーのゲイリー・ゴーツマン。トム・ハンクスと共同で製作会社プレイトーンを経営し、『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』(’02)シリーズや『マンマ・ミーア!』(’08)シリーズなどのプロデューサーとして知られるゴーツマンは、劇中のゲイリーと同じくもともとハリウッドの子役スター出身。芸能界で行き詰ったゲイリーがウォーターベッドの販売を始めたり、後の大物映画製作者ジョン・ピーターズの自宅にウォーターベッドを設置したり、ピンボールの解禁に合わせてピンボール店を経営したりといった劇中のエピソードも、全てアンダーソン監督がゴーツマンから聞いた経験談を基にしている実話だ。 劇中でゲイリーが出演した映画『屋根の下』の元ネタは、ゴーツマンが子役時代に出演した映画『合併結婚』(’68)。8人の子供を持つ未亡人と10人の子供を持つ男やもめが再婚したことから巻き起こるドタバタ騒動を描いたコメディだ。主演女優のルーシー・ドゥーリトル(クリスティン・エバーソール)は、同作に主演したルシール・ボールがモデルとなっている。そう、今なお全米で愛される大人気シットコム『アイ・ラブ・ルーシー』(‘51~’57)や『ルーシー・ショー』(‘62~’68)などで、テレビ界の女王として君臨したアメリカの国民的大女優だ。『屋根の下』の子役たちが総出演するニューヨークのテレビ番組は、ビートルズが出演したことでも有名な伝説のバラエティ番組『エド・サリヴァン・ショー』が元ネタ。実際にゴーツマンも『合併結婚』のプロモーションで『エド・サリヴァン・ショー』に出演したことがある。ただし、劇中ではヒロインのアラナがゲイリーの母親に代わって保護者として付き添うが、実際はゴーツマン宅の近所に住んでいたバーレスク・ダンサーが保護者代わりを務めたのだそうだ。 そのアラナ・ケイン(アラナ・ハイム)のモデルとなったのは、高校時代のゴーツマンの彼女で、彼が経営するウォーターベッド販売店の店員でもあったハリウッド女優ケイ・レンツ。アンダーソン監督が本作を撮る際にお手本とした『アメリカン・グラフィティ』(’73)で映画デビューし、クリント・イーストウッドが監督を務めた『愛のそよ風』(’73)のヒッピー娘役で有名になった人だ。ただし、劇中のゲイリーやアラナと違って、レンツはゴーツマンのひとつ年下である。そもそも、本作の舞台は1973年だが、しかしゴーツマンやレンツの高校時代は’60年代末。ほかにも時代設定や時系列の改変が随所で見受けられるが、恐らく’70年代のサンフェルナンド・バレーを描くことが大前提だったためなのだろう。 ではなぜアラナがゲイリーの10歳年上という設定になったのかというと、実は本作の原点となった実際の出来事に由来する。それは2001年のこと。とある中学校を通りがかったアンダーソン監督は、写真撮影のために列をなしていた男子生徒のひとりが、撮影スタッフの女性に声をかけて電話番号を聞き出そうとする様子をたまたま目撃したという。あの2人がもし本当に付き合ったとしたら…?と考えたのが、本作の企画のそもそもの始まりだったらしい。それがオープニングで描かれるゲイリーとアラナの出会いシーン。ロケ地となったポートラ中学校は、アンダーソン監督が実際に中学生男子のナンパ現場を目撃した学校だ。ちなみにゲイリーが写真撮影の列に並んだ理由は、アメリカの学校生活の定番であるイヤーブックのため。日本では「卒業アルバム」と訳されることもあるイヤーブックだが、実際は卒業生だけでなく全校生徒のために毎年作られており、イヤーブックに載せる写真の撮影は毎年の恒例行事となっている。 「アジア人蔑視では?」と物議を醸したシーンも なお、ここでキャスティングについても言及しておきたい。ゲイリー役を演じるクーパー・ホフマンは、アンダーソン監督作品の常連でもあった亡き名優フィリップ・シーモア・ホフマンの息子。撮影当時17歳だった彼は本作が映画デビューだ。対するアラナ役のアラナ・ハイムは、実姉エスティとダニエルと共に結成した人気ポップ・バンド、ハイムのメンバーとして知られている。ハイム家はサンフェルナンド・バレー在住で、姉妹の母親はアンダーソン監督の少年時代の美術の先生。それゆえ長年に渡って家族ぐるみの付き合いがあり、バンドのミュージックビデオもアンダーソン監督が手掛けている。そのアラナの姉2人も、劇中のアラナの姉エスティ&ダニエルとして登場。両親役も姉妹の本当の両親だ。さらに、クーパーの姉妹タルラとウィラも生徒役で顔を出している。 こうしたアンダーソン監督の「身内」の出演も本作の見どころのひとつであろう。ゲイリーがオーディションを受けるキャスティング・ディレクター、ヴィックの助手ゲイルを演じるのは、アンダーソン監督のパートナーであるマヤ・ルドルフ。そのルドルフの継母であり、’70~’80年代にかけて活躍した日本人のジャズ歌手・笠井紀美子が、ゲイリーの行きつけのレストラン「テイル・オコック」の客として顔を出している。また、最近ではクラシック映画専門チャンネルTCMの経営再建のため一致協力するなど、大先輩スティーブン・スピルバーグと親しいアンダーソン監督だが、そのスピルバーグの長女サーシャが冒頭に出てくる写真撮影スタッフのシンディ、次女デストリーが日本料理店ミカドの従業員フリスビーを演じている。 さて、本作の劇場公開時に物議を醸したのが、その日本料理店ミカドにまつわる描写だ。現在もサンフェルナンド・バレーで営業する日本風ホテル・ミカドに、かつて併設されていた実在の日本料理店ミカド。本作に出てくる米国人オーナーのジェローム・フリック(ジョン・マイケル・ヒギンズ)も実在の人物である。問題となったのは、そのフリックが日本人妻に話しかける際、なぜかアジア風アクセントで喋るという描写。で、日本人妻は日本語で返答するのだが、一見したところ2人の会話は成立しているように見えて、実はフリックは妻の話す日本語がまるっきり分かっていなかったというオチが付く。どちらも純然たるギャグとして描かれているのだが、しかしこれが「アジア人蔑視ではないか?」と問題視されたのだ。 そもそも、本作には21世紀現在のアメリカでは決して許されないであろうセクハラ、パワハラ、シモネタが少なからず盛り込まれている。出張写真撮影スタジオのカメラマンはスタッフであるアラナのお尻をドサクサ紛れに触るし、ゲイリーは高校の同級生女子に「手コキ」当番をさせているし、最初に考え付いたウォーターベッドの商品名は「ソギー・ボトム(ぐっしょり下半身)」だし(笑)。もちろん、アンダーソン監督としては’70年代当時の価値観や世相を投影しただけであり、決してそれらの行為や発言を肯定しているわけではないのだが、折しも本作が封切られたコロナ禍のアメリカでは、よりによって合衆国大統領のドナルド・トランプが新型コロナを軽率にも「中国ウィルス」などと呼んだことが原因で、深刻なアジア人差別が蔓延してしまった。そのため、上記の日本語ジョークに関して、良識ある観客の間から疑問の声が沸きあがったのである。 実在したレストランといえば、ゲイリーの行きつけであるテイル・オコック(Tail o’ the Cock)もロサンゼルスの伝説的な名店だ。かつてウェスト・ハリウッドとシャーマン・オークスの2カ所で営業していたが、本作に登場するのはシャーマン・オークス店。すぐ近くにワーナー・スタジオやCBSスタジオ・センターがあったことから、劇中のように映画人のたまり場的な店になっていたという。残念ながら’87年に閉店してしまった。 ‘70年代前半はトレンドや価値観の転換期でもあった 劇中では10代半ばに差し掛かって、徐々に役者としての仕事がなくなってしまうゲイリー。そこで彼は、たまたま街中で見かけたウォーターベッドに商機を見出し、愛するアラナや弟グレッグ、さらには近所のティーンたちを誘ってウォーターベッドの販売代理店を立ち上げるのだが、彼らが最初にウォーターベッドを持ち込んだイベント「ティーンエイジ・フェア」は、かつて実際にハリウッド・パラディアムで毎年行われていたティーン向けコンベンション。テレビ・プロデューサーのアル・バートンが’62年に立ち上げ、10代の青少年をターゲットにしたファッションやトレンド・グッズの展示販売、さらには人気ロックバンドのライブイベントなどが行われていた。会場にはテレビの人気シットコム『マンスターズ』(‘64~’66)のブースが出展されており、主人公ハーマン・マンスターに扮した俳優フレッド・グウィンも登場するが、これを演じているのはアンダーソン監督作品の常連ジョン・C・ライリーである。 ちなみに、ウォーターベッドの宣伝モデルを務める女の子キキから「何しに来たの?」と訊かれたアラナが、とっさに「デヴィッド・キャシディに会いに来た」と返答する場面にも要注目。デヴィッド・キャシディといえば、’70年代のアメリカで空前絶後の人気を誇ったイケメンのティーン・アイドルで、当時は日本でも大人気だった。そのキャシディと電撃結婚を果たし、全米のティーン女子を敵に回したのが、アラナのモデルとなった女優ケイ・レンツ。これは、いわば内輪ネタのジョークである。また、ゲイリーがウォーターベッドを初めて見かけるウィッグ店の店長ミスター・ジャックとして、あのレオナルド・ディカプリオの実父ジョージ・ディカプリオが映画初出演を果たしているのも見逃せない。 さらに、ゲイリーはウォーターベッド販売店「ファット・バーニーズ」(モデルとなったゴーツマンが実際に経営していたウォーターベッド販売店と同名)のラジオCMを放送するのだが、そのFMラジオ局KCCPパサデナのDJとして登場するB・ミッチェル・リード(演じるは声優として有名なレイ・チェイス)も実在の人物だ。’73年当時の西海岸の音楽シーンでは’60年代の反体制的な空気が薄れ、今で言うところのAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)的なソフトで洗練された大人のロックが主流となりつつあった。本作でも当時のウェスト・コースト・サウンドがふんだんに使用されているが、その普及に多大な貢献を果たした名物ラジオDJのひとりがリードだったと言われている。 また、女優活動を始めることになったアラナは、ゲイリーの紹介でタレント・エージェントのメアリー・グレイディ(ハリエット・サンソム・ハリス)と面接するのだが、このグレイディも『大草原の小さな家』のメリッサ・スー・アンダーソンや『フルハウス』のオルセン姉妹を発掘した実在の伝説的な子役エージェントである。このシーンでアラナはグレイディから「ユダヤ人らしい鼻」を褒められるのだが、実はかつてユダヤ人独特の大きな鼻は重大なハンデとなるため、ユダヤ系の女優は売れるために鼻を整形で小さくすることが多かった。この常識を覆したのがミュージカルの女王バーブラ・ストライサンド。むしろその大きな鼻がトレードマークとなったバーブラの大成功によって、「ユダヤ人らしい鼻」がハンデとなる時代は終焉を迎えたのだ。 こうして女優となったアラナがオーディションで知り合うハリウッドのベテラン大物スター、ジャック・ホールデン(ショーン・ペン)は、言わずと知れたオスカー俳優ウィリアム・ホールデンが元ネタ。なぜウィリアム・ホールデンなのかというと、アラナのモデルとなった女優ケイ・レンツが、出世作『愛のそよ風』でホールデンと共演していることもあるが、それ以前にもともとアンダーソン監督自身がホールデンの大ファンなのだという。劇中で言及されるジャックの出演作『トコサンの橋』は、ウィリアム・ホールデンとグレース・ケリーが共演した戦争映画の名作『トコリの橋』(’54)をもじったもの。その監督であるマーク・ロブソンが、ジャックとテイル・オコックで再会する映画監督レックス・ブラウ(トム・ウェイツ)のモデルとなっている。 ハリウッド映画界の悪名高き名物男も登場! やがて、1973年の10月に起きた第四次中東戦争によって第一次オイルショックが発生。OPEC加盟国による石油禁輸措置を伝えるテレビのニュース映像が、本作の時代設定が1973年であることを明確に物語る。ウォーターベッドの素材であるビニールは石油製品。店じまいをせねばならなくなったゲイリーたちが、最後にウォーターベッドを売った相手として登場するのが実在の映画製作者ジョン・ピーターズ(ブラッドリー・クーパー)だ。ピーター・グーバーとのコンビで『フラッシュダンス』(’84)や『レインマン』(’88)、『バットマン』(’89)などを大ヒットさせる一方、業界内では露骨なセクハラやパワハラで悪名を轟かせたピーターズだが、本作の舞台となる’73年当時はまだセレブ御用達の美容師で、なおかつエンタメ界の女王バーブラ・ストライサンドのボーイフレンドとして名を馳せていた。そのバーブラが主演した映画『スター誕生』(’76)でプロデューサーへと転身したのである。昔からハリウッドの美容師にはゲイが多かったのだが、ピーターズは珍しく(?)バリバリにストレートのマッチョ男で、なおかつ顧客を喰いまくることで有名な絶倫プレイボーイ。映画『シャンプー』(’76)でウォーレン・ベイティの演じたヤリ〇ン美容師は彼がモデルと言われている。 先述したように、これはゲイリー・ゴーツマンがピーターズにウォーターベッドを売ったという実話がベースのエピソード。ただし、劇中のピーターズが「もし俺の家を汚したら、お前の弟を目の前で殺してやる」とゲイリーを脅迫したり、車がガス欠になったことに腹を立てたピーターズが暴走したりするシーンは、本人の悪しきイメージをカリカチュアしたアンダーソン監督の脚色である。リメイク版の『アリー/スター誕生』(’18)でピーターズと仕事をしたブラッドリー・クーパーの紹介で、直接本人から実名でのキャラ使用の了承を得たそうだが、よくまあオッケーを貰えたもんだとは思う。なお、その際にピーターズが提示した交換条件は、本人がお気に入りだという「ピーナッツバターサンドは好き?」という女性の口説き文句を劇中で使用することだったらしい(笑)。 やがて、10代の悪ガキたちとつるむことに疑問を抱くようになったアラナは、ロサンゼルス市長選に出馬するリベラルな若手政治家ジョエル・ワックス(ベニー・サフディ)の選挙事務所で、ボランティア・スタッフとして働くようになる。このワックスも実在の人物で、彼がクローゼット・ゲイだったことも事実(後にカミングアウトしている)。’73年と’93年と’01年の3度に渡ってロサンゼルス市長選へ出馬しているが、いずれも残念ながら落選している。 その選挙事務所でアラナの手伝いをしたゲイリーは、それまでロサンゼルスで禁止されていたピンボールが解禁されることをいち早く知り、ピンボールマシンを買い集めてピンボール店を開業するわけだが、これもまた事実に基づいている。かつて、ピンボールマシンはギャンブル性が高いとして、全米各地の大都市で禁止されていた時代があった。ロサンゼルスでも’39年から禁止されていたのだが、しかしマシンの改良によってスキルを磨けば勝てるゲームとなったため、’74年6月にカリフォルニア州の最高裁で禁止が覆されたのである。 さて、『リコリス・ピザ』のトリビア解説もそろそろオシマイなのだが、最後にタイトルについても触れておきたい。これはリコリス(甘草)をトッピングに使ったピザが当時流行っていたから…というわけではなく、’70年代に南カリフォルニアでチェーン展開していたレコード店の名前から取られているという。加えて、アンダーソン監督にとって「リコリス」と「ピザ」は、少年時代の甘酸っぱい思い出と直結するキーワードなのだとか。なるほど、確かにリコリスを使ったキャンディやグミは、昔からアメリカやヨーロッパでは子供たちに人気の高い定番菓子(薬みたいな味が日本人には嫌われるけど)である。なおかつ、ピザはもはやアメリカの国民食みたいなもので、特に子供たちはみんなピザが大好きだ。この2つの言葉には、即座に「あの頃」へと連れ戻してくれる力があるというアンダーソン監督。もはや2度と戻ることのない、古き良きロサンゼルスへの郷愁がたっぷりと込められたタイトルなのだ。■ 『リコリス・ピザ』© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2024.08.02
パレスチナ問題も見え隠れする’80年代の大型ミリタリー・アクション!『デルタ・フォース』
大作主義へ移行した’80年代半ばのキャノン・フィルムズ ‘80年代のハリウッドを席巻した独立系映画会社キャノン・フィルムズ。チャック・ノリスやチャールズ・ブロンソン主演のアクション映画を筆頭に、ホラーからミュージカル、コメディからエロスまで幅広いジャンルのB級娯楽映画を大量生産し、特に若年層の映画ファンから熱狂的に支持された会社だ。最盛期の製作本数はなんと年間30~40本にも上り、ハリウッドの各メジャー・スタジオを遥かに凌ぐほどの興行収入を記録。世界中の劇場チェーンやビデオメーカーも買収し、さながらハリウッド黄金期の如きスタジオ・システムを作り上げたのである。 その一方で、ジャン=リュック・ゴダールやフランコ・ゼフィレッリ、ロバート・アルトマンにジョン・カサヴェテスなど、国内外の巨匠・名匠たちのアート映画も積極的にプロデュースするなど、キャノンの作品ラインナップは極めてユニークかつバラエティ豊かだった。中でも、アメリカへ移住してから何年も仕事のなかったロシアの名匠アンドレイ・コンチャロフスキーに、ハリウッド・デビューのチャンスを与えた功績は高く評価されるべきだろう。もちろん、カサヴェテスの『ラブ・ストリームス』(’84)やバーベット・シュローダーの『バーフライ』(’87)など、大手スタジオであれば間違いなく却下されたであろう地味なアート映画に金を出したのも偉い。しかも、これらの作品をB級娯楽映画と抱き合わせで、つまりチャック・ノリスやチャールズ・ブロンソンの映画が欲しければ、カサヴェテスやアルトマンの映画も一緒に買わないと売りませんよ~という戦略で、一般受けしづらいアート映画を世界中に売り捌いたというのだから見上げたものである。 こうして力を付けて行ったキャノンは、’80年代半ばから徐々に大作主義へと移行。トビー・フーパー監督のSFホラー『スペース・バンパイア』(’85)にロマン・ポランスキー監督の海賊映画『ポランスキーのパイレーツ』(’86)、シルヴェスター・スタローン主演の刑事アクション『コブラ』(’86)などなど、予算に超シビアなキャノンらしからぬ潤沢な製作費を投じた大作映画を立て続けに製作していく。そんなキャノン・フィルムズ版ブロックバスター映画を象徴するヒット作のひとつが、オールスター・キャストの大型ミリタリー・アクション『デルタ・フォース』(’86)だ。 物語の始まりは1980年。中東イラクのテヘランへ派遣された米陸軍の対テロ特殊部隊デルタ・フォースは、真夜中の人質救出作戦に失敗して撤退することに。逃げ遅れた仲間を命がけで救ったスコット・マッコイ大尉(チャック・ノリス)は、明らかに無茶な作戦を強行させた軍上層部や政治家に嫌気がさし、上司のアレクサンダー大佐(リー・マーヴィン)に辞意を伝える。 それから5年後。アテネの空港を出発したニューヨーク行きの旅客機、アメリカン・トラベル・ウェイ(ATW)202便が2人組のアラブ人テロリストにハイジャックされる。イスラム過激派のリーダーである主犯格のアブドゥル(ロバート・フォースター)は、コクピットのキャンベル機長(ボー・スヴェンソン)にベイルートへ航路を変更するよう指示し、さらにフライト・パーサーのイングリッド(ハンナ・シグラ)に命じて乗客全員のパスポートを没収。その目的は乗客の中からユダヤ人を隔離してベイルートのアジトへ連行し、アメリカ政府を脅迫するための人質にすることだった。まるでナチスによるホロコーストの再現。ドイツ人であるイングリッドは猛反発するが、テロリストたちに従うしか選択肢はなかった。 一方、キャンベル機長がとっさの機転で発信したハイジャック信号をアテネの管制塔がキャッチし、アメリカ大使館を通じてホワイトハウスへ連絡が行く。報告を受けたペンタゴンのウェドブリッジ将軍(ロバート・ヴォーン)はデルタ・フォースを招集するようアレクサンダー大佐に指示。ニュースで事態を知ったマッコイも駆けつけ、少佐に昇進してデルタ・フォースへの復帰を果たす。ATW202便がベイルートを経由してアルジェリアへ向かったことから、デルタ・フォースもすぐさま現地へ急行。女性の乗員乗客全員が解放されたタイミングを見計らって、機内に残った2人のテロリストを急襲する手はずだったが、しかしイングリッドからユダヤ人男性たちがベイルートで降りたことを聞いて中止。作戦変更を迫られたマッコイらは、イスラエル軍の協力を得てテロ組織のアジトを突き止め、人質となったユダヤ人たちを救出せんとする…。 実在の事件を題材にして当時のアメリカ社会の世相を反映 監督はキャノン・フィルムズを含むグループ企業「キャノン・グループ」の総裁でもあったメナハム・ゴーラン。もともと母国イスラエルで’60年代から活躍していたゴーランは、地元の映画賞はもとより米国のアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞も席巻して「イスラエルのクロサワ」と呼ばれた大物映画監督であり、日本でも大ヒットした性春コメディ『グローイング・アップ』(’78)シリーズなどを製作したイスラエル屈指の映画プロデューサーでもあった。そんな彼が従弟ヨーラム・グローバスと一緒にハリウッドでの成功を夢見て渡米し、倒産寸前の弱小映画会社キャノン・フィルムズを破格値で買収したのが’79年のこと。当初はなかなかヒットに恵まれなかったゴーラン&グローバスだが、しかしチャールズ・ブロンソンが主演した『狼よさらば』(’74)の続編『ロサンゼルス』(’82)が予算800万ドルに対して世界興収4000万ドルを記録。その後も、たったの3週間で撮りあげた『ブレイクダンス』(’84)が予算120万ドルで興行収入3800万ドル、チャック・ノリス主演の『地獄のヒーロー』(’84)が予算150万ドルで興行収入2600万ドルと大成功を収める。ブロンソンとノリスはキャノンの看板スターとなったわけだが、実はもともと本作はこの2人の夢の初共演として用意された企画だったという。 企画の発案者は当時キャノンの専属脚本家だったジェームズ・ブラナー。軍隊出身のブラナーは引退後に映画界を目指し、初めて書いた脚本を知人の紹介でチャック・ノリスに持ち込んだところ、それが『香港コネクション』(’81)として映画化されスマッシュヒットとなる。これで脚本のオファーが次々舞い込むと考えたブラナーだったが、しかし現実はそう甘くなく、それっきり映画の仕事は途絶えてしまった。その後、彼は『香港コネクション』のスタントマンに紹介された女性と結婚。この奥さんがノリスと親しかったらしく、彼女を介して久しぶりに依頼された仕事が『地獄のヒーロー』の脚本だった。 で、この『地獄のヒーロー』にテクニカル・アドバイザーとして参加していた元陸軍大尉ジム・モナハンが、実はデルタ・フォース創設時の訓練教官のひとりだったという。現在でも陸軍は公式に存在を認めていないデルタ・フォース。当時は一部の軍関係者しか存在を知らなかった。『地獄のヒーロー』の撮影現場でモナハンからデルタ・フォースに関する情報や逸話を聞いたブラナーは、これは映画の題材にもってこいだと考えて社長のメナハム・ゴーランに提案。当初は全く関心を示さなかったゴーランだが、しかし『地獄のコマンド』(’85)の撮影完了後に次回作としてゴーサインを出す。もちろん、最大の売りはチャック・ノリスとチャールズ・ブロンソンの初共演だ。すると、ちょうどその頃に中東で旅客機のハイジャック事件が発生。機を見るに敏なゴーランは、この事件を映画のストーリーに組み込むよう指示。そこでブルナーは、テレビや新聞のニュース報道をリアルタイムで追いかけながら脚本を書き進めた。 そう、本作にはモデルとなった実在の事件があるのだ。それが、’85年6月14日に起きた旅客機トランス・ワールド・アメリカ(TWA)847便のハイジャックテロ事件。アテネ発サンディエゴ行きのTWA847便がパレスチナ人のイスラム過激派テロリスト2名にハイジャックされたのである。犯人たちはイスラエルに囚われたシーア派活動家766名の解放などを要求。映画ではハッキリと言及されているわけではないが、アブドゥルと一緒にハイジャックを決行したムスタファはパレスチナ人と思われる。ユダヤ人だけが他の乗客と隔離されたり、たまたま乗り合わせた米海軍のダイバーが射殺されて滑走路へ投げ捨てられたり、中継地点(劇中ではベイルートだが実際の事件ではアルジェ)で武装した仲間のテロリストたちが乗り込んできたり、機長がコクピットでテロリストに銃を突き付けられながら記者会見に応じたりと、映画では実際の出来事をニュース映像やニュース写真を参考にしながら忠実に再現している。 ただし、終盤のデルタ・フォースによるテロ組織への総攻撃は完全なるフィクション。これは脚本の執筆中に実際の事件が解決しなかったからということもあるが、そもそも本作はデルタ・フォースの活躍を描くことが企画のベースであるし、なによりもこういうアクション・エンターテインメントには正義が悪を滅ぼしてメデタシメデタシのクライマックスが相応しい。それに、たとえ事件を最後まで見届けたうえで脚本に取り入れたとしても、恐らく映画としては全く面白味のないものになっていただろう。なにしろ、実際はギリシャやイスラエルなど各国の交渉によって乗客は段階的に解放され、テロリストの要求通りに766名のシーア派活動家たちも釈放され、犯人たちは罪に問われることなく事件の幕は下りたのだから。 いずれにせよ、当時のレーガン政権下におけるアメリカ社会の世相を考えても、本作の勧善懲悪なフィナーレは妥当と言えよう。「アメリカを再び偉大な国に!(Make America Great Again)」を合言葉に第40代米国大統領に当選したロナルド・レーガン大統領。前任者であるカーター大統領の平和外交を弱腰と非難した当時の米国民は、軍事予算を増やしてアメリカの軍備を強化し、中東でも南米でもアメリカに盾突く勢力は力でねじ伏せ、諸外国の事情など意に介さないという、レーガン大統領による自国中心主義の強気な外交を支持していた。本作はもちろんのこと、『ランボー/怒りの脱出』(’85)も『地獄のヒーロー』もそんな時代の産物と言えよう。 ちなみに、そのカーター大統領の支持率が急落する原因となり、後にレーガン政権が誕生するきっかけになったとされるのが、本作のオープニングの元ネタになった「イーグルクロー作戦」。’80年4月24日にイランで決行されたデルタ・フォースによる人質救出作戦だ。前年にイランのテヘランでアメリカ大使館人質事件が発生。軍事的手段を行使しないことを批判されたカーター大統領は、デルタ・フォースを含む米軍を総動員して「イーグルクロー作戦」と命名した人質救出作戦を行うのだが、これが見事に失敗してしまう。なので、いわばデルタ・フォースが過去の汚名を挽回する本作のクライマックスは、ある種の歴史修正主義的な側面があると言えよう。つまり、現実の世界でアメリカが受けた恥辱を、映画の中で晴らしたのである。なるほど、劇場公開時のアメリカで、「ナショナル・リベンジ・ファンタジー」と揶揄されたわけだ。 テロリストの描写に秘められたゴーラン監督のパレスチナへの想い こうして、実際に起きたハイジャックテロ事件をストーリーに取り入れることとなった本作。当初は『地獄のヒーロー』と『地獄のコマンド』でもチャック・ノリスと組んだジョセフ・ジトーが監督する予定だったが、ここへきて社長のメナハム・ゴーランが俄然やる気を出してしまう。というのも、かつてアカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた『サンダーボルト救出作戦』(’77)という、’76年に起きたエンテベ空港ハイジャック事件を題材にした類似映画を撮ったことのあるゴーランは、この手の実録ミリタリー・アクションが大好きだったのである。中盤までの荒唐無稽を排したシリアスなドキュメンタリータッチの演出はさすがの腕前。改めて見直して意外に思うのは、パレスチナ人のテロリストを極めて同情的に描いていることであろう。自身がパレスチナで生まれ育ったゴーラン監督は、アラブ人を冷酷非情な悪魔として描くことに強い抵抗があったらしい。’14年に85歳で亡くなったゴーランだが、もし彼が今も生きていたとしたら、現在のパレスチナで起きているイスラエル軍によるジェノサイドをどう考えるだろうか。当時とは違った見方の出来る映画でもある。それだけに、終盤へ差し掛かって突然、愛国ヒロイズムと米軍プロパガンダを全面に押し出したマンガ的な荒唐無稽アクションに方向転換してしまったのは残念だが、しかし当時の世相や観客受けを考えれば妥当な決断だったとも言えよう。 先述した通り、当初はチャック・ノリスとチャールズ・ブロンソンの初共演となるはずで、2人の写真を使った広告まで業界誌に出していたが、しかしブロンソンはスケジュールの都合がつかずに降板。代わりにアカデミー賞主演男優賞に輝くタフガイ俳優リー・マーヴィンが、代表作『特攻大作戦』(’67)を彷彿とさせるアレクサンダー大佐を演じている。脇を固める名優たちも、ジョージ・ケネディにシェリー・ウィンタース、ロバート・ヴォーンにロバート・フォースターなど、’70年代に流行ったオールスター・キャストのディザスター映画に出ていた顔触れ。そのほか、シナトラ一派のジョーイ・ビショップに’50年代の清純派アイドル女優スーザン・ストラスバーグ、『サイコ』(’60)や『ティファニーで朝食を』(’61)のマーティン・バルサムなど、全体的に古き良きハリウッド映画へのノスタルジーを感じるようなキャスティングだ。同時代のスターと呼べるのは、当時ドイツを代表するトップ女優だった客室乗務員イングリッド役のハンナ・シグラと、青春映画スターとして頭角を現していた若き尼僧メアリー役のキム・デラニーくらいか。なお、マッコイの右腕的な黒人隊員ボビー役のスティーヴ・ジェームズは、『アメリカン忍者』(’85)シリーズや『地獄の遊戯』(’86)でも主人公の相棒を演じたキャノン御用達の黒人スターだった。 日本での劇場公開版は118分、全米公開のオリジナル全長版は約130分の本作だが、実は最初に出来上がったバージョンは4時間近くもあったらしい。実際の事件で一躍英雄となった客室乗務員ウーリ・デリックソンをモデルにしたイングリッドのエピソードなど、乗員乗客を深掘りした人間ドラマが詳細に描かれていたようだが、さすがに長すぎるためバッサリとカットされてしまった。最終的にかかった製作費は900万ドルと意外に控えめだが、しかしアメリカ国内だけで1800万ドル近い興行収入を記録。おのずとシリーズ化されて『デルタフォース2』(’90)に『デルタフォース3』(’91)も作られる。キャノンの大作主義もますます加速。しかし、翌年のスタローン主演作『オーバー・ザ・トップ』(’87)とアメコミ・ヒーロー映画『スーパーマンⅣ/最強の敵』(’87)がコケてしまい、栄華を極めたキャノン・フィルムズの黄金時代はほどなくして終焉を迎えるのだった。■ 『デルタ・フォース』© 1986 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.07.31
シュワちゃん人気を不動のものにした’80年代バトル・アクションの快作!『コマンドー』
映画は当たっても2流スター扱いだった当時のシュワルツェネッガー ‘80年代のハリウッドを代表するアクション映画スター、アーノルド・シュワルツェネッガーの人気を決定づけた大ヒット作である。ご存知の通り、世界的なボディビルダーから俳優へと転向したオーストリア出身のシュワルツェネッガー。役者デビューは’70年にまで遡るのだが、しかしその人並外れたマッチョ体型と外国訛りの強い発音、さらには長くて覚えにくい名前がハンデとなってしまい、なかなか良い仕事に恵まれなかった。 大きな転機となったのは有名なファンタジー小説「英雄コナン」シリーズを映画化したヒーロー映画『コナン・ザ・グレート』(’82)。魔法や怪物が存在する太古の昔を舞台にした冒険活劇で、超人的な肉体を持つ英雄コナンはシュワルツェネッガーにしか演じられないハマリ役となる。なにしろ、それまで映画関係者から「気味が悪い」とまで言われたマッチョ体型がここでは存分に活かせるし、そもそも舞台設定が有史以前の世界なので英語のセリフに訛りがあっても不自然ではない。映画自体も世界的な大ヒットを記録し、シュワルツェネッガーは一躍注目の的に。続編『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』(’84)や姉妹編的な『レッドソニア』(’85)にも出演した。 その英雄コナン以上の当たり役となったのが、ジェームズ・キャメロン監督の出世作でもあるSFアクション映画『ターミネーター』(’84)で演じた、未来から現代へと送り込まれた無表情・無感情の殺人サイボーグ「ターミネーター」だ。同作は低予算のB級アクション映画ながらブロックバスター級のメガヒットとなり、これまでに5本の続編映画やテレビのスピンオフ・シリーズなどが誕生、シュワルツェネッガーのキャリアにおいて最大の代表作となったわけだが、しかしそれでもなお、当時のハリウッドにおける彼はまだまだぽっと出のB級映画スター、規格外の体型で原始人やロボットを演じるキワモノ俳優というイメージが強く、次から次へと現れては短命で消えていくアクション映画俳優のひとりと見做されていた。 実際、本作のヒロイン役を20名以上の有名女優にオファーしたものの、その全員からことごとく共演を断られてしまったという。要は2流扱いされていたのである。そんなシュワルツェネッガーが初めて等身大の人間臭いヒーローを演じ、大物シルヴェスター・スタローンの向こうを張るアクション映画スターとしての地位を不動のものにしたヒット作が、いかにも’80年代らしい勧善懲悪のバトル・アクション『コマンドー』(’85)である。 心優しき父親にして最強の殺人マシン、ジョン・メイトリックス! 主人公はアメリカ陸軍特殊作戦コマンドーの指揮官だったジョン・メイトリックス(アーノルド・シュワルツェネッガー)。今は陸軍を引退して大自然に囲まれた山荘で暮らし、愛娘ジェニー(アリッサ・ミラノ)と平凡だが満ち足りた幸福な毎日を送っているメイトリックスだが、そんな彼のもとへ陸軍時代の元上司・カービー将軍(ジェームズ・オルソン)が急遽やって来る。実は、メイトリックスの部隊に所属していた元隊員たちが、何者かによって次々と暗殺されているという。敵はメイトリックスの命も狙っているに違いない。そう警告しに来たカービー将軍は、護衛の兵士を置いて去っていくのだが、その直後に謎の武装集団が山荘を襲撃する。万が一のために備えていた武器で応戦するメイトリックス。しかし護衛の兵士たちは殺され、娘ジェニーも人質として連れ去られてしまう。決死の覚悟で敵を追跡するメイトリックスだが、結局は彼自身も捕らわれの身となってしまった。 敵のアジトへと連れて行かれたメイトリックス。そこで待ち受けていた黒幕は、かつて彼の部隊によって失脚させられた南米バルベルデ共和国の独裁者アリアス(ダン・ヘダヤ)だった。しかも、その一味の中には元部下ベネット(ヴァーノン・ウェルズ)も含まれている。メイトリックスに個人的な恨みを抱いているベネットは、アリアスに10万ドルの報酬で雇われ、己の死を偽装して一味の計画に加担していたのだ。その計画とは、バルベルデで英雄視されているメイトリックスを現地へ送り込み、彼を信頼する現職大統領を暗殺させてアリアスが再び権力へ返り咲くというもの。そのための人質として、娘のジェニーを誘拐したのだ。 協力を拒めば娘の命はない。仕方なく任務を引き受けたメイトリックスだが、しかし同行する監視役を殺してバルベルデ行きの飛行機から秘密裏に脱出する。というのも、任務が成功しても失敗しても敵はジェニーを殺すだろう。ならば相手が油断している隙に隠れ家を突き止め、監禁されているジェニーを救い出すべきだと考えたのである。ただし、飛行機がバルベルデへ到着すれば、こちらの動きもバレてしまう。残された猶予は11時間。それまでにジェニーを救出せねばならない。空港へ戻ったメイトリックスは、手がかりを知る敵の仲間サリー(デヴィッド・パトリック・ケリー)を尾行。たまたま居合わせた航空会社の客室乗務員シンディ(レイ・ドーン・チョン)を無理やり巻き込み、スパイも顔負けの秘密工作と諜報活動を駆使して、アリアス一味の隠れ家へ迫らんとするのだが…? ハードなアクションと軽妙洒脱なユーモアの組み合わせは、さながら古き良きジェームズ・ボンド映画の如し。実際、マーク・L・レスター監督はボンド映画を多分に意識したという。真面目な顔をしてジョークをかますのはシュワルツェネッガーの十八番だが、その原点はまさに本作。後に『ツインズ』(’88)や『キンダーガートン・コップ』(’90)を大成功させたことからも分かるように、コメディのセンスと才能に恵まれているのは、ライバルのシルヴェスター・スタローンにはないシュワルツェネッガーの長所と言えよう。なおかつ、本作では元特殊部隊の屈強な殺人マシンでありながら、心優しい普通の父親の顔も持ち合わせた正義の味方という頼もしいヒーロー像を体現。やがて日本でも「シュワちゃん」と親しみを込めて呼ばれることになる、「気は優しくて力持ち」的なイメージは本作で初めて確立したのではないかと思う。 もともと本作の脚本は、当時まだ無名の新人だったジョセフ・ローブとマシュー・ワイズマンが、ロックバンド「KISS」のジーン・シモンズのために書いたもの。しかし、シモンズ本人から却下されたためにお蔵入りしていたらしい。それを20世紀フォックスの書庫から発掘したのが、『48時間』(’82)シリーズや『リーサル・ウェポン』(’87)シリーズ、『プレデター』(’87)シリーズに『ダイ・ハード』(’88)シリーズなどでお馴染みの大物プロデューサー、ジョエル・シルヴァー。当初からシュワルツェネッガーの主演を念頭に脚本を探していたシルヴァーは、SFでもファンタジーでもない純然たるアクションが良いと考えてチョイスしたそうだが、しかしオリジナル脚本では主人公が元イスラエル兵だったりとシュワルツェネッガーが演じるには無理のある設定が多かったため、『48時間』や『ダイ・ハード』でもシルヴァーと組んだ売れっ子脚本家スティーブン・E・デ・スーザがリライトを任された。 監督に抜擢されたのは、ジョエル・シルヴァーがヒュー・ヘフナーのプレイボーイ・マンションのパーティへ招かれた際、たまたま知り合って親しくなったマーク・L・レスター。『スタントマン殺人事件』(’77)や『処刑教室』(’82)など良質なB級アクションで知られるレスター監督だが、しかし当時は自身初のメジャー大作『炎の少女チャーリー』(’84)が大コケしたばかり。それでもシルヴァーが彼を起用したというのは、恐らくよほどウマが合ったのかもしれない。そのレスター監督とデ・スーザを伴ってシュワルツェネッガーのもとを訪れ。出演交渉を行ったというシルヴァー。まだ脚本の最終版が仕上がっていなかったため、デ・スーザが口頭で内容を説明したのだそうだが、それを聞いたシュワルツェネッガーは「裸で走り回る石器人でもなければサイボーグでもない、普通の人間をようやく演じられる」と喜んだらしい。 とはいえ、切り倒した大木をひょいと肩に乗せて運んだり、公衆電話ボックスを中に人が入ったまま放り投げたり、サリー役デヴィッド・パトリック・ケリーの足を片手で掴んで逆さ吊りにしたり、なんだかんだと常人にはあり得ない怪力ぶりを発揮する主人公メイトリックス。演じるシュワルツェネッガーも現実にはそこまでの超人ではないため、劇中に出てくる大木も公衆電話ボックスも、実は本物より軽い撮影用のニセモノを使用している。もちろん、ボックスに入っている人間もダミー。また、デヴィッド・パトリック・ケリーを片手で逆さ吊りにするシーンでは、カメラに写らないようにしてクレーン車でケリーを吊り上げている。 実はメイトリックスに対するベネットの倒錯したラブストーリーだった!? ヒロインのシンディ役には、伝説的な音楽デュオにしてお笑いコンビ「チーチ&チョン」のトミー・チョンを父親に持つ黒人女優(厳密には父親が中国系とアイルランド系などのミックス、母親がアフリカ系と先住民チェロキー族のミックス)レイ・ドーン・チョン。彼女もまた父親譲りでコメディの才能に長けている人で、シュワルツェネッガーとの相性も抜群だ。また、メイトリックスの娘ジェニーを演じるアリッサ・ミラノは、当時テレビのシットコム『Who’s the Boss?』(‘84~’92)で大人気だったティーン女優。同番組が未放送だった日本では、本作をきっかけに美少女アイドルとして人気が沸騰し、日本市場向けに歌手デビューしたり、日本のテレビCMにも出演したりと大活躍だった。映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」のグラビアページや付録ポスターにもたびたび登場。50代以上の映画ファンには懐かしいスターと言えよう。 一方、メイトリックスの元部下で最大の宿敵ベネットには、『マッドマックス2』(’81)のモヒカン刈り暴走族ウェズの怪演で注目されたオーストラリア人俳優ヴァーノン・ウェルズ。もともとは別の役者がキャスティングされていたが、しかし撮影現場で演技を見たレスター監督はベネット役に向いていないと判断して初日でクビに。『マッドマックス2』で印象に残っていたウェルズを急きょ起用することになったという。また、南米の独裁者アリアス将軍役も当初は名優ラウル・ジュリアを想定していたが、しかし配給を担当する20世紀フォックスの重役から友人のダン・ヘダヤを使うよう指定されたという。体は小さいが態度はデカい小悪党サリーには、『ウォリアーズ』(’79)や『48時間』などウォルター・ヒル作品でお馴染みのデヴィッド・パトリック・ケリー。彼も本作を機に売れっ子の性格俳優となった。なお、メイトリックスとシンディが乗る水上セスナ機に無線で警告を発する、沿岸警備隊防空部の通信オペレーター役として、無名時代のビル・パクストンが顔を出しているのも要注目だ。 ちなみに、劇中ではいまひとつ曖昧にされているベネットがメイトリックスを恨む理由だが、レスター監督曰く撮影現場でキャストやスタッフに共有していた裏設定があるという。それによると、ある任務でベネットは自分が置き去りにされたと勘違いし、メイトリックスのことを「自分を見殺しにした男」として一方的に恨んでしまった…ということらしい。ただし、ファンの間ではベネットの服装がゲイっぽいことから、実はメイトリックスに片想いしているんじゃないかとの説も根強かったりする。反抗的な態度を取るのもメイトリックスの気を引きたいから。まさしく「可愛さ余って憎さ百倍」。俺のものにならないなら、いっそのこと殺してしまいたい!というわけだ。それを大前提にベネットの一挙一動を追っていくと、クライマックスの一騎打ちもやけに生々しく感じられるだろう。 映画をポップアートだと考えるというレスター監督は、プロデューサーであるジョエル・シルヴァーと相談のうえで、あえて本作のアクションも芝居も徹底して大袈裟に演出したという。そう言われると確かに、『処刑教室』にしろ『クラス・オブ・1999』(’90)にしろ『リトルトーキョー殺人課』(’91)にしろ、レスター監督のアクション映画はマンガ的な誇張が多いと言えよう。そのトゥーマッチ感こそが本作の面白さであり、興行的に成功した理由でもあったはずだ。中盤のハイライトであるショッピング・モールでの大立ち回りにおける、縦横無尽に駆け回るシュワルツェネッガーの大暴走ぶりなどはその好例。ちなみにロケ地となったショッピング・モールは、’80年代の西海岸で最大の若者トレンドの発信地と呼ばれ、『初体験/リッジモントハイ』(’82)や『ヴァレー・ガール』(’83)、『ナイト・オブ・ザ・コメット』(’84)に『キルボット』(’86)などなど、数多くのティーン向け娯楽映画の撮影に使われた「シャーマン・オークス・ガレリア」である。 およそ900万ドルという意外に控えめな予算に対し、世界興収5750万ドルという爆発的なヒットを記録した『コマンドー』。イタリア産アクション『ストライク・コマンドー』(’87)やフレッド・オーレン・レイ監督の『コマンド・スクワッド』(’87)などのパクり映画が世界中で量産されたほか、日本でも『必殺コマンド』(’85)や『コマンドー者』(’88)など勝手に邦題でコマンドー(ないしコマンド)を名乗ったB級C級アクション映画がビデオレンタル店にズラリと並ぶこととなった。なお、今回ザ・シネマで放送されるのは劇場公開版よりも2分ほど長いディレクターズ・カット版。メイトリックスがシングルファーザーになった経緯などの背景を説明するセリフや、アクション・シーンにおける過激な残酷描写カットが増やされており、より見応えのある映画に仕上がっている。■ 『コマンドー【ディレクターズカット版】』© 1985 Twentieth Century Fox Film Corporation. 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