ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2021.06.08
「良質の伝統」を継承する名匠ジャン・ドラノワが挑んだフレンチ・ノワール『太陽のならず者』
ヌーヴェル・ヴァーグ世代に否定された心理的リアリズム映画の職人 フランス映画における「良質の伝統」を最も体現する職人監督として、カンヌ国際映画祭のグランプリに輝いた『田園交響楽』(’46)や『愛情の瞬間』(’52)、『クレーヴの奥方』(’61)など数々の映画を大ヒットさせ、しかしそれゆえにヌーヴェル・ヴァーグ世代の若手から罵倒にも等しい批判を受けた名匠ジャン・ドラノワが手掛けた、フィルムノワール風の犯罪アクション映画である。 映画批評家ジャン=ピエール・バローが’53年に論文で言及した「良質の伝統」とは、それすなわち「職人的な映画人の手による完璧な映画」のことで、具体的には’30年代のフランス映画黄金期を彩った『外人部隊』(’34)や『望郷』(’37)、『大いなる幻影』(’37)、『霧の波止場』(’38)といった詩的リアリズム映画の数々、そしてそれらの流れを汲む自然主義的な映画群のことを指すとされている。主に社会の底辺で暮らす労働者階級の人々の、運命に抗いながらも欲望や情熱ゆえに不幸な結果を招く姿を描いた詩的リアリズム映画は、本質的には通俗的なメロドラマであったものの、しかしジャック・プレヴェールやシャルル・スパークといった名シナリオ作家たちによる人間心理に迫った脚本や、スタジオセットを駆使することで生まれる洗練された映像美によって、フランス映画独特の芸術性をまとっていた。 この詩的リアリズム映画に象徴されるフランス映画の「良質の伝統」は、第二次世界大戦後に心理的リアリズム映画として復活し、先述したドラノワ監督の『田園交響楽』を筆頭として、クロード・オータン・ララの『肉体の悪魔』(’47)やルネ・クレマンの『禁じられた遊び』(’52)、マルセル・カルネの『嘆きのテレーズ』(’53)といった名作を生み出すわけだが、その一方で戦前の詩的リアリズム映画の焼き直しに過ぎないとの批判も受けるようになる。その急先鋒となったのが映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」に集った若手批評家たちだった。 映画監督が作品を通して自らの哲学や美学を表現する作家主義を理想とし、アルフレッド・ヒッチコックやハワード・ホークスといった作家性の高い映画監督を称賛した彼らにとって、シナリオ作家が主導権を握って映画監督が現場を仕切る職人に徹した一連の心理的リアリズム映画群は否定すべき存在であり、そうした作品が大衆に受け入れられるという当時の状況は恐らく由々しき事態だったのだろう。中でも、フランソワ・トリュフォーが’54年に発表した論文「フランス映画のある種の傾向」は、いくぶん抽象的な表現を含みながらも旧態依然としたフランス映画界の現状を激しく批判して大きな反響を呼ぶことになる。 当時まだ22歳だったトリュフォーは、フランス映画を代表する著名なシナリオ作家たちを名指しで攻撃し、彼らを「良質の伝統」に育まれた「心理的リアリズム」の元凶だとして強く非難。シナリオ作家の書いた脚本が作品の良し悪しを左右し、肝心の映画監督の存在が形骸化していることを嘆く。彼の言わんとすることは、シナリオ作家主体のフランス映画は単なる文学の延長線上に過ぎず、映画でしか成し得ない表現を放棄しているということなのだが、同時に一見したところ難解そうな主題や言葉を用いることで通俗的なメロドラマを高尚な芸術作品のように装った心理的リアリズム映画の「偽善性」をも見抜いていた。そうした「良質」な作品の監督として、いわばやり玉に挙がったのが、クロード・オータン・ララであり、ルネ・クレマンであり、イヴ・アレグレであり、ジャン・ドラノワだったのである。 しかも、この時期ドラノワはトリュフォーばかりでなく、ジャン=リュック・ゴダールやジャック・リヴェットからも非難の対象となっている。その理由は、もちろんドラノワが「良質の伝統」を継承する旧世代の象徴だったからということもあるが、恐らく『田舎司祭の日記』(’51)の映画化権を巡ってロベール・ブレッソンと争った経緯も少なからず影響していると思われる。孤高の映像作家と呼ばれたブレッソンは、ジャン=ピエール・メルヴィルと並んでカイエ・デュ・シネマ派=ヌーヴェル・ヴァーグ作家たちのヒーロー的な存在だ。心証が悪くなるのも当然と言えば当然かもしれない。しかも、ドラノワは『クレーヴの奥方』を巡っても再びブレッソンと争っている。ゴダールたちにとってみれば「ドラノワ許すまじ!」という心境だったのだろう。 そんな半ば私怨のこもったようなカイエ・デュ・シネマ派による批判は、恐らくドラノワ本人にしてみれば「とんだとばっちり」みたいなものだったはずだ。トリュフォーは「ジャン・ルノワールの駄作はジャン・ドラノワの傑作よりも良く出来ている」とすら述べているが、さすがにそれはちょっと言い過ぎだろうと思うし、そもそも「フランス映画のある種の傾向」を改めて読み返すと、今となっては感情的な極論が過ぎて賛同できない点も少なくない。いずれにせよ、この時期を境にドラノワ監督は「良質の伝統」を離れ、『マリー・アントワネット』(’56)や『ノートルダムのせむし男』(’56)のような史劇大作・文芸大作から、ジャン・ギャバン主演のメグレ警部シリーズ『殺人鬼に罠をかけろ』(’58)や『サン・フィアクル殺人事件』(’59)のような犯罪サスペンスまで、多岐に渡るジャンルの娯楽映画を手掛けるようになる。これはカイエ・デュ・シネマ派による批判の影響というよりも、時代の流れだったのだろう。ジャン・ギャバンが老練な銀行強盗にふんした『太陽のならず者』(’67)も、当時大ヒットしていた『地下室のメロディー』(’63)や『サムライ』(’67)など、一連のフィルムノワール人気に便乗した企画だったはずだ。 ソビエトではパロディ・アニメ化されるほど人気に 舞台はフランスの地方都市。地元のカフェやレストランなどを所有する初老の紳士ドニ・ラファン(ジャン・ギャバン)は、長年連れ添った妻マリー・ジャンヌ(シュザンヌ・フロン)と悠々自適な老後を送る実業家のように見えるが、しかし実はかつて裏社会で勇名を馳せた筋金入りの犯罪者だ。そんな彼が英国人女性ベティ(マーガレット・リー)に経理を任せているカフェの向かいには銀行があり、毎月末の給料日になると近くの米軍が5億フランもの現金を運んでいく。若かりし頃の血が騒ぐドニは、現金輸送車の到着時間などをこまめにチェックしていたが、しかし犯罪の世界には二度と戻らないという妻との約束を守るため、それ以上のことは何もせず退屈な毎日をやり過ごしていた。 そんなある日、店に因縁を付けに来た麻薬組織のチンピラ集団と対峙したドニは、15年前にベトナムのサイゴンで一緒に仕事をしたアメリカ人ジム(ロバート・スタック)と再会する。今は麻薬組織の用心棒をしているジムを自宅へ招き、昔話に花を咲かせるうち犯罪の誘惑に抗えなくなったドニは、ジムを誘って銀行強盗計画を実行に移そうと考える。信頼できる仲間を秘かに集め、慎重かつ入念に計画を練る2人。その一方、男盛りでハンサムなジムはベティとねんごろになるのだが、抜け目がなくて鼻の利くベティが強盗計画に気付いてしまったため、ドニとジムは仕方なく彼女も仲間に加える。そして、いよいよ決行の日。銀行強盗は首尾よく運び、一味はまんまと5億フランを手に入れるのだが、しかしひょんなことから麻薬組織のボス、アンリ(ジャン・トパール)がドニの仕業と気付き、妻マリー・ジャンヌが誘拐されてしまう。身代金として5億フランを要求する組織。仕方なく要求に応じようとするドニだったが…? ジャン・ギャバン演じる初老の元犯罪者が、年下の若い相棒と一緒に人生最後の大博打として銀行強盗を企てる。明らかにアンリ・ヴェルヌイユの『地下室のメロディー』を意識したプロットだ。テレビ『アンタッチャブル』(‘59~’63)のエリオット・ネス役でお馴染みのハリウッド俳優ロバート・スタックは、さすがにアラン・ドロンと比べてしまうと精彩を欠くことは否めないものの、当時B級映画の女王としてヨーロッパ各国の娯楽映画に引っ張りだこだったセクシー女優マーガレット・リーが華を添える。なにより、ドラノワ監督の軽妙洒脱な演出は当時59歳と思えないような若々しさで、あの『田園交響楽』を撮った同一人物の映画とはにわかに信じがたい。フランシス・レイのお洒落な音楽スコアの使い方も気が利いている。確かにドラノワ監督の代表作とまでは言えないものの、しかし娯楽映画として実に良心的な仕上がりだ。さすがは天下の職人監督。やはり器用な人だったのだろう。 ちなみに、フレンチ・ノワール映画の人気が高かったソビエト時代のロシアでは、なんと本作のパロディ・アニメが作られている。それが、世界各国の犯罪事情を名作映画へのオマージュを込めて描いたオムニバス・アニメ『Ограбление по...(…式強盗)』(’78)。第2話のフランス篇が本作を下敷きにしている。刑務所から出てきた老ギャング、ジャン・ギャバンが、カフェで知り合った若いカップル、アラン・ドロンとブリジット・バルドーの2人と組んで銀行強盗を行うも、酔っぱらいの中年男ルイ・ド・フュネスに現金を持ち去られてしまう…というストーリー。当時のソビエトでは、アメリカ映画に比べてフランス映画やイタリア映画はわりと積極的に輸入されていたのだが、本作も『Вы не всё сказали, Ферран(隠し事をしていたな、ラファン)』というタイトルで劇場公開されヒットしている。 なお、日本公開された作品はこれが最後となってしまったドラノワ監督だが、本国フランスではテレビ映画を中心に’90年代半ばまで現役を続け、2008年に満100歳で天寿を全うしている。■ 『太陽のならず者』© 1967 STUDIOCANAL - Fida Cinematografica
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COLUMN/コラム2021.04.07
ペキンパー自身を投影したような負け犬中年男の意地と暴走『ガルシアの首』
良き理解者を得て実現した究極のペキンパー映画 そのキャリアを通じて他に類を見ない「暴力の美学」を追求し、一切の妥協を許さぬ厳しい姿勢ゆえに映画会社との衝突が絶えなかった孤高の映画監督サム・ペキンパー。彼ほどスタジオからの横やりに悩まされた監督はいなかったとも言われているが、そんなペキンパーが「自分のやりたいように作った」と自負した数少ない映画のひとつであり、「良くも悪くも、好むと好まざるに関わらず、これは自分の映画だ」とまで言い切った作品が『ガルシアの首』(’74)である。 その前年に公開された西部劇『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』(’73)では撮影中から製作会社MGM社長との対立や自身のアルコール問題の悪化、さらにはインフルエンザの蔓延など次々とトラブルに見舞われ、さらにはフィルムの編集権を取り上げられズタズタに切り刻まれるという憂き目に遭ってしまったペキンパー。そんな彼のある意味で救世主となったのが、後にペキンパーのエージェントともなる映画製作者マーティン・ボームだった。ペキンパーの良き理解者であったボームは、映画界の問題児として既に悪名高かった監督から持ち込まれた企画を引き受けたばかりか、彼が自由に映画を撮れるよう取り計らったという。メキシコの大地主の娘を孕ませた男ガルシアの首を巡って、殺し屋たちが凄まじい争奪戦を繰り広げて死体の山が積みあがっていく…基本的にただそれだけの映画のために資金繰りなど奔走するわけだから、よっぽど監督への理解と信頼がなければ実現不可能だったはずだ。 メキシコの大地主エル・ヘフェ(エミリオ・フェルナンデス)の娘テレサが妊娠する。子供の父親が誰なのか問い詰めるエル・ヘフェ。頑として口を割らなかったテレサだったが、しかし激しい拷問に耐えかねて「アルフレド・ガルシア」という名前を口にする。かつてエル・ヘフェが息子のように可愛がっていた部下だった。怒りの収まらない彼は「ガルシアの首を持ってきた奴には賞金100万ドルを払う」と宣言。グリンゴ(白人)の忠実な右腕マックス(ヘルムート・ダンティーネ)にその任務が託される。ちなみに、日本の資料では大地主とされているエル・ヘフェはスペイン語で「ボス」という意味。劇中で具体的な説明や描写がないため解釈は分かれるが、犯罪組織のボスとも考えられる。 それから数か月後、マックスのもとでガルシアの行方を追うスーツ姿の殺し屋コンビ、サペンスリー(ロバート・ウェッバー)とクイル(ギグ・ヤング)は、メキシコシティの小さな酒場へ立ち寄る。2人から報奨金と引き換えにガルシアのことを尋ねられ、これ見よがしに答えをはぐらかす元米兵のピアニスト、ベニー(ウォーレン・オーツ)。ガルシアは店の常連だったのだが、報奨金を吊り上げられると睨んで黙っていたのだ。店の従業員から自分の恋人エリータ(イセラ・ヴェガ)がガルシアと浮気していたと聞かされ憤慨するベニー。彼女を問い詰めてガルシアの居場所を聞き出そうとしたベニーだが、そこでエリータは思いがけない事実を彼に伝える。ガルシアは1週間ほど前に飲酒運転で事故死していたのだ。 たまげると同時にホッとするベニー。なんだ、もう死んでいるんだったら殺す手間も省ける。埋葬された死体から首を切り落とし、証拠として差し出せば済むじゃないか。こんな旨い儲け話はないぞ、というわけだ。元締めマックスのもとへ意気揚々と乗り込んだベニーは、既にガルシアが死んでいることを隠して報奨金を1万ドルに吊り上げ、ガルシアの首は俺が持ってくるから任せろと自信たっぷりに仕事を引き受ける。だが、ガルシアが埋葬された墓地を知っているのはエリータだけ。そこで、彼は一緒にピクニックへ行こうと彼女を誘い出し、生死を確認するだけだと誤魔化してガルシアの墓へ案内させようとする。 ベニーの言い訳がましい説明に首を傾げつつも、久々に2人きりで過ごす時間に満ち足りた幸福を感じるエリータ。長い付き合いとなる2人だったが、しかしいつも肝心な話題になると逃げてしまうベニーは、これまでちゃんとエリータに愛を告白したことがなかった。彼女がガルシアと浮気をしてしまった理由も、ベニーのその煮え切らない態度のせいだ。ここへきてようやく、大金が手に入った暁には結婚式を挙げようというベニー。なぜ今までプロポーズしなかったのかと問い詰めるエリータに、思わず彼は「分からない。今なら分かるが」と言葉を詰まらせる。本音を言えば「男のプライド」が邪魔したのだろう。しがない貧乏人のピアノ弾きのままでは、愛する女と結婚する資格などないと。一緒に苦労する覚悟のあるエリータにしてみれば、2人で暮らせるならそれだけで幸せなのだが、しかし男は女に楽をさせてこそ一人前という、下らない「男のプライド」に縛られたベニーにはその覚悟がなかったのだ。 ちなみに、このシーンはベニーが言葉を詰まらせる場面で終わるはずだったという。だが、役に入り込んだエリータ役のイセラ・ヴェガが「だったら今すぐプロポーズして」と台本にないセリフを続け、そのアドリブに呼応するようにベニー役のウォーレン・オーツが演技をつなげ、2人して喜びにむせび泣くという実に味わい深くも感動的な大人のラブシーンが出来上がったのである。実は事前にヴェガとペキンパーは打ち合わせをしていたとも言われているが、しかしそれにしても監督の言わんとするところを十二分に理解し、何も知らされていない共演者を巻き込みながら、求められる以上の芝居へと昇華させた女優イセラ・ヴェガの鋭い勘と豊かな才能には舌を巻く。もちろん、この予期せぬ展開にきっちりと応えてみせたオーツも素晴らしい。これこそが役者魂というものだろう。 身の破滅を招く「男らしさ」という幻想 しかし、これを境にベニーとエリータの運命は雲行きが怪しくなっていく。車のエンジントラブルで野宿することにした2人だったが、通りがかった2人組のバイカー(クリス・クリストファーソン&ドニー・フリッツ)に拳銃で脅され、エリータがレイプされてしまう。奪った拳銃でバイカーどもを射殺するベニー。2人はいよいよガルシアの故郷へと到着する。死体の首を切り取って持ち帰るというベニーに呆れるエリータ。お金なんてなくたっていい、このまま引き返しましょうと訴える彼女だったが、しかし意固地になったベニーは全く耳を貸さず、仕方なしに折れたエリータは真夜中に墓地へ向かう彼に同行する。意を決してガルシアの墓を掘り起こすベニー。ところが次の瞬間、背後から忍び寄った何者かに頭を殴られて気絶し、意識を取り戻すと既にガルシアの首は持ち去られており、ベニーの横には愛するエリータの亡骸が横たわっていた。にわかに状況を呑み込めずにいたものの、しかしふつふつと湧き上がる怒りと悲しみに打ちのめされ、やがて激しい憎悪に駆られていくベニー。もはや復讐の鬼と化した彼は、ガルシアの首を奪い返してエリータの仇を討つべく暴走していく…。 もともと本作の企画はペキンパーが『砂漠の流れ者』(’70)の撮影中、同作でセリフ監修を務めた盟友フランク・コワルスキーの何気ないアイディアによって生まれたのだという。「首に懸賞金のかかった男が実は既に死んでいた」という設定を気に入ったペキンパーは、当時彼の愛弟子的な存在だった脚本家ゴードン・ドーソンに脚本の草稿を依頼する。『ダンディー少佐』(’65)の衣装アシスタントだったドーソンは、そのケンカの強さをペキンパーに気に入られ、以降も『ワイルド・バンチ』(’68)や『砂漠の流れ者』、『ゲッタウェイ』(’72)などに関わってきたという親しい仲。彼は師匠であるペキンパーをモデルに主人公ベニーを書き上げ、主演のウォーレン・オーツもペキンパーの特徴を模倣しながら演じたという。ドーソンによると、いつものようにペキンパーが脚本を自由に書き換えると思っていたそうなのだが、最終的にベニーのキャラだけがそのままになっていて驚いたらしい。 本当は心優しくて気が弱い男なのに、タフで男臭いアウトローを演じてみせるベニー。心から愛する女に対しても素直になれず、ついつい粗末に扱ってしまう。なんとも矛盾した格好悪い男なのだが、しかしそれゆえに憎めないというか、なぜか愛さずにはいられない。なるほど、確かに近しい関係者から伝え聞くペキンパーの実像に似たものが感じられるだろう。もしかすると、ペキンパーも自分がベニーの元ネタであることを重々承知のうえだったのかもしれない。なにしろ、当時のペキンパーは『ビリー・ザ・キッド~』の一件で打ちのめされていた時期。自信を失い卑屈になった負け犬ベニーに、自らの姿を投影していたとも考えられる。「これば自分の映画」という彼の言葉には、そういう意味も含まれているのだろう。 そもそも、本作に出てくる男たちは揃いも揃ってみんな矛盾を抱えている。思考と行動が首尾一貫しているのはエリータとエル・ヘフェの娘テレサくらい。つまりは女性だけだ。父親の威厳を保つため手下に最愛の我が娘を拷問させるエル・ヘフェをはじめ、クールなビジネスマン風の紳士コンビを気取ったゲイ・カップルの殺し屋サペンスリーとクイル、見ず知らずの子供たちを可愛がりつつ平然と人を殺す手下のチャロとクエト。エリータをレイプするバイカーたちだって中身は無邪気な子供も同然だ。誰もが人間らしい感情や愛情を内に秘めながらも、しかしなぜかそれが相反する暴力へと向かい、最終的には悲惨な末路を辿ることになってしまう。彼らが執拗にこだわり続け、それゆえに身の破滅を招く原因になったもの。それはマチズモ、つまり「男らしさ」という幻想であろう。彼ら(ゲイ・カップルを含め)は男らしさを誇示するため女を粗末にし、そればかりか自分より弱い男も暴力で踏みつけ力を誇示する。自身も男らしさにこだわり男らしく振る舞っていたというペキンパーだが、実のところそれが内面の弱さの裏返しであることに自覚があり、社会にとって害悪を及ぼすものであると考えていたのではないか。本作を見ているとそんな風にも思えてくる。 なお、今でこそペキンパーの隠れた名作として世界的に高く評価され、当時の彼にとって渾身の一作であったはずの『ガルシアの首』だが、しかし劇場公開時は批評家からも観客からも理解されずに総スカンを食らってしまった。当時ヒットしたのは日本だけだったとも言われる。そのことを我々は誇ってもいいかもしれない。■ 『ガルシアの首』© 1974 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.04.06
女性同士の友情を超えた固い絆を通してフェミニズムの発芽を描く女性映画の佳作『女ともだち』
戦争によって運命を翻弄され、愛のない結婚生活に縛られた2人の女性 筆者が大学時代に映画館で見て強い感銘を受けた作品のひとつである。日本公開は本国フランスから遅れること約3年の1986年1月だが、当時高校3年生だった筆者は受験勉強に忙しくて映画を見る暇などなかったため、恐らく日本大学芸術学部に入学してから都内の名画座で見たと記憶している。都営浅草線の西馬込から五反田で山手線に乗り換え、池袋経由で西武池袋線の江古田へ通っていた筆者は、その沿線にある五反田東映シネマや目黒シネマ、早稲田松竹に文芸座といった名画座へ足繁く通っていた。今となっては、そのうちのどこで本作を見たのか定かではないが、1940~50年代のフランスを舞台としたノスタルジックな映像美、ありきたりな友情を超えた女性同士の固い絆を描く繊細なドラマ、そして映画音楽の名匠ルイス・バカロフの紡ぎ出す抒情的な美しいメロディ、そのいずれもが忘れ難く、輸入盤で手に入れたセミダブル・ジャケットのサントラLPを溝が擦り切れるまで繰り返し聴いて映画の余韻に浸ったものだった。 物語の始まりは1942年。ドイツ占領下のフランスではユダヤ人の排斥が進み、この頃になると外国系ユダヤ人の取り締まりが一層のこと厳しくなっていた。その背景には、外国籍のユダヤ人をナチスに売り渡すことで、フランス国籍のユダヤ人を守ろうとした在仏ユダヤ人総連合の協力があったと言われている。南仏ピレネー=オリアンタルのユダヤ人収容所へ到着したヒロイン、レナ(イザベル・ユペール)もユダヤ系ベルギー人だ。劇中では具体的な収容所の名前は出てこないものの、恐らくピレネー=オリアンタルに実在したリヴザルト収容所と思われる。ここはいわゆる通過収容所で、最終的にはドイツ及び各国の強制収容所へ送られることになる。42年から43年にかけて、4000人近くのユダヤ人がリヴザルトからアウシュヴィッツへ送られたらしいが、本作のレナもまた同じ運命を辿るはずだった…。 ところが、ある日彼女は見知らぬ男性から手紙を受け取る。送り主は給食係の冴えない兵士ミシェル(ギュイ・マルシャン)。一方的にレナに一目惚れしたミシェルは、フランス人である自分と結婚すれば収容所を出られると持ち掛けてきたのだ。突然の申し出に面食らうレナだったが、しかし背に腹は代えられないため、この奇妙なプロポーズを受けることにする。収容所の外へ出たらサヨナラすればいい。そう考えていたものの、財産も行く当てもない彼女はそのままミシェルと暮らすことに。しかも、なんと彼もまた生粋のユダヤ人だった。先述したように、当時はフランス国籍のユダヤ人は収容所送りを免れていたのである。しかし、その後ユダヤ人排斥のターゲットはフランス国籍保持者にも及び、レナとミシェルは徒歩で国境を越えてイタリアへと脱出。いつしか夫婦の絆のようなものが生まれていた。 そのちょうど同じ頃、美大生のマドレーヌ(ミュウ=ミュウ)は同級生レイモン(ロバン・レヌッチ)と結婚して幸せの頂点にあった。ところが、恩師カルリエ教授(パトリック・ボーショー)の逮捕に抗議する学生が集まった際、レジスタンスとゲシュタポの銃撃戦が勃発し、マドレーヌを守ろうとしたレイモンが銃殺されてしまう。最愛の人を失ったことから生きる気力を失った彼女は、終戦後に知り合った売れない役者コスタ(ジャン=ピエール・バクリ)と成り行きで結婚する。 時は移って1952年。たまたま子供たちが同じ学校に通っていたことから、学芸会で知り合ったレナとマドレーヌはたちまち意気投合する。自動車整備工場を経営するミシェルとの間に2人の娘をもうけたレナ。夫の仕事は順調で羽振りも良く、何不自由ない生活を送っているレナだったが、必ずしも幸せとは言い切れないでいた。家庭を大事にする善良なミシェルは良き夫であり良き父親だが、無教養で車とスポーツ以外には関心がなく、知的好奇心の旺盛なレナは物足りなさを感じていた。一方のマドレーヌもコスタとの間に一人息子をもうけたが、しかし夫は相変わらず売れない役者のままで、一獲千金を夢見ては怪しげな商売に手を出して借金を作っている。どちらも生活のために愛のない結婚をし、不満の多い日常生活に縛られた女性同士。やがて、お互いに胸の内をさらけ出せる親友として、なくてはならない存在となっていく…。 ヒロインたちのモデルとなったのは監督の母親とその親友 物語の焦点となるのは、お互いに最大の理解者として深い友情を育みながら、やがて女性としての自我と自立心に目覚めていくヒロインたちと、そんな妻たちの精神的な成長を一家の大黒柱たる男として受け入れることの出来ない夫たちの葛藤だ。戦時中は激動する社会に運命を翻弄され、戦後の平和な時代になると今度は家庭に縛られ、常に誰かに人生をコントロールされてきたレナとマドレーヌ。私たちも自身の力で何かを選択して挑戦したい。そう考えた2人は共同でブティックを開業しようと計画するが、しかしレナの夫ミシェルは彼女が自分のもとを離れるのではないかと恐れてマドレーヌとの交際を禁じ、マドレーヌの夫コスタは家族を養うべき男としてのプライドを傷つけられたと憤慨する。これは女性の自立が叫ばれるようになる以前の時代、2人の平凡な主婦を通してフェミニズムのささやかな発芽を描いた物語と言えるだろう。 監督はこれが長編劇映画3作目だった元女優のディアーヌ・キュリス。ルイ・デリュック賞に輝く処女作の青春映画『ペパーミント・ソーダ』(‘77・日本未公開)では自身の少女時代を瑞々しく描き、カンヌ国際映画祭のコンペティションに出品された『ア・マン・イラブ』(’88)では妻子あるハリウッド俳優と恋に落ちる無名女優に自身の体験を投影したキュリス監督だが、実はアカデミー外国語映画賞候補になった本作も実話を基にしている。ヒロインのレナとマドレーヌのモデルとなったのは、キュリス監督の実の母親とその親友なのだ。彼女の両親(名前もレナとミシェル)は’42年にリヴザルト収容所で出会い結婚し、’53年に離婚している。マドレーヌは本作が完成する2年前に亡くなったという。初公開時にレナとマドレーヌの関係は同性愛とも解釈されたが、実際の2人を知るキュリス監督によると、そうとも言えるし、そうとも言えない、つまり定義付けの出来ない特別な関係だったのだそうだ。 また、先述したようにルイス・バカロフの手掛けた音楽スコアも本作の大きな魅力のひとつである。アカデミー作曲賞に輝いた『イル・ポスティーノ』(’96)をはじめ、クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』にも引用された『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』(’71)やジャンゴ映画の元祖『続・荒野の用心棒』(’66)、巨匠フェリーニの『女の都』(’80)など、主にイタリア映画で活躍したアルゼンチン出身の作曲家バカロフにとって、本作は初めてのフランス映画だった。東欧ユダヤの伝統音楽クレズマーをモチーフ(バカロフ自身もユダヤ系)にしたテーマ曲をはじめ、ジャズやシャンソン、民謡などを巧みにブレンドしたノスタルジックでセンチメンタルな音楽スコアがとにかく素晴らしい。2010年にボーナストラック入りの完全版が500枚限定プレスでCD化され、筆者も迷わず手に入れて家宝にしているが、より幅広く知ってもらうためにも改めての再発が望まれる。 ちなみに、キュリス監督は近作『女性たちへ』(‘13年・日本未公開)でも両親をモデルにしている。母親レナ役はメラニー・ティエリー、父親ミシェル役はブノワ・マジメル。今度は終戦直後にフランスへ戻ってからマドレーヌと知り合うまで、つまり『女ともだち』では描かれなかった空白の期間を題材に、夫ミシェルの生き別れた弟と惹かれあうレナの葛藤が描かれているという。日本で見ることの出来ないのが惜しい。■ 『女ともだち』© 1983 STUDIOCANAL - Appaloosa Dvpt - Hachette Première || "&" || Cie - France 2 Cinéma
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COLUMN/コラム2021.02.05
初恋のときめきと喜び、痛みと哀しみを瑞々しく描く普遍的なラブストーリー『君の名前で僕を呼んで』
8年間の紆余曲折が結実した名作 1980年代のイタリア、木漏れ日の眩しい緑豊かな田舎の避暑地、ゆったりと過ぎていくのどかで平和な時間、初めて出会った17歳の少年と24歳の青年が、生涯忘れられぬひと夏の恋を経験する。思春期の若者の揺れ動く感情と抑えきれぬ性の衝動、誰もが一度は経験する初恋のときめきと興奮と喜び、そして否応なく訪れる別れの痛みと哀しみとほろ苦さ。そんな世代や性別を問わず共感できる普遍的なラブストーリーを、これほど瑞々しく鮮やかに描き出した作品はなかなかないだろう。 原作はエジプト出身でニューヨーク在住の文学研究者アドレ・アシマンが’07年に発表した同名小説。出版と同時に全米のメディアで称賛され、優れたLGBTQ文学に贈られるラムダ文学賞にも輝く同作に強い感銘を受けた人々の中に、『花嫁のパパ』や『天使のくれた時間』のプロデューサー、ハワード・ローゼンマンと元俳優の脚本家ピーター・スピアーズがいた。’08年に共同で映画化権を取得した2人は、スピアーズの友人でもあるイタリアの監督ルカ・グァダニーノに演出をオファーするものの、当時多忙だった彼はプロデュースのみで関わることにしたという。そこでローゼンマンとスピアーズは他を当たることになるのだが、なかなか先へ進まないまま時間だけが経ってしまった。 そんな本作の企画に大きな動きがあったのは’14年のこと。『眺めのいい部屋』や『モーリス』、『ハワーズ・エンド』、『日の名残り』などで知られる巨匠ジェームズ・アイヴォリーが脚本を執筆することになったのだ。さらにグァダニーノ監督のスケジュールも調整がつき、当初はアイヴォリーとの共同監督という案もあったものの、最終的に監督は1人の方がいいという判断から、グァダニーノが単独で演出を手掛けることとなる。その後も相次いでキャストやスタッフ、ロケ地も決まるが、しかしストーリーの都合で夏にしか撮影できないという制限があったため、関係者のスケジュールが変わるたびに撮影が延期され、ようやく着手できたのは’16年の夏だったという。 それはいつもと変わらぬ夏休みのはずだった… 時は1983年の夏、場所は北イタリアの風光明媚な田舎町。ギリシャ=ローマ美術史の教授サミュエル(マイケル・スタールバー)を父に、幾つもの言語に精通した翻訳家アネラ(アミラ・カサール)を母に持つ17歳の少年エリオ(ティモシー・シャラメ)は、自身もイタリア語に英語、フランス語を自在に操るマルチリンガルで、ピアノやギターの優れた演奏家でもあり、文学と音楽をこよなく愛する知的で感受性の豊かな思春期の少年だ。17世紀に建てられた先祖代々受け継がれる美しいヴィラに暮らし、眩い太陽の光と緑豊かな自然に囲まれて読書や音楽を楽しみ、フランス人のマルシア(エステール・ガレル)やキアラ(ヴィクトワール・デュボワ)など近所の幼馴染らと無邪気に戯れながら長いバカンス・シーズンを過ごすエリオ。それはいつもと変わらぬ夏休みのはずだった。 そんなある日、24歳の大学院生オリヴァー(アーミー・ハマー)がアメリカからやって来る。エリオの父親は自身の研究活動を手伝ってもらうため、毎年アメリカから大学院生をインターンとして受け入れ、自宅に6週間滞在させていたのだ。ハンサムで知的で自信に満ち溢れたオリヴァーに、これまでのインターンとは違う何かを感じて惹きつけられるエリオ。オリヴァーもまた、聡明で繊細なエリオに好感を抱いている様子で、積極的にスキンシップをとって来るのだが、エリオはついつい本心とは裏腹に意地悪な態度を取ってしまう。そればかりか、ダンスパーティでキアラと親しげに踊るオリヴァーを見たエリオは嫉妬し、わざとマルシアとのデートを自慢して彼を挑発する。当然ながらオリヴァーはエリオと距離を置くように。それがまたエリオには苛立たしい。 とある晩、親子3人の団欒の場で母アネラが、16世紀フランスの小説をドイツ語でエリオに読み聞かせる。それは身分違いの王女に恋した騎士の話。その想いを王女に告白すべきか否か。翌朝、自転車に乗ってオリヴァーと2人で町へ出かけたエリオは、意を決して彼に自らの素直な気持ちを打ち明ける。それを口にしちゃいけないと年下のエリオをけん制しつつも、自らも同じ想いであることを否定しないオリヴァー。これを境にエリオとオリヴァーの距離はだんだんと縮まり、2人はかけがえのない幸福な時間を過ごすのだが、しかし夏の終わりは少しずつ、だが確実に近づいていた…。 あるべき大人の姿が物語の屋台骨を支える 恐らく本作の最も特筆すべき点は、男性同士の恋愛を男女のそれと全く変わらぬものとして、ごくごく自然な筆致で描いていることであろう。なので、LGBTQを題材にした映画でよくあるような、差別や偏見との闘いや葛藤などはほとんど存在しないに等しい。もちろん、全くないというわけじゃない。現にエリオもオリヴァーも、自分たちの関係を周囲には隠し通そうとする。恐らく理解されないと考えているのだろう。しかし、恋に落ちた2人だけの煌めく世界には迷いも苦悩も罪悪感も一切ない。ただひたすら、心から純粋に愛し愛されることの歓喜と幸福に満ちているのだ。 そんな彼らを温かな目で見守るのが、優しくて落ち着いていてユーモアのセンスがあり、息子の知性や意思をきちんと尊重して受け止める、エリオの進歩的で教養豊かな両親だ。ゲイ・カップルと家族ぐるみの付き合いをしているくらいだから、当時としてはかなりリベラルなインテリ夫婦なのだろう。息子とオリヴァーの関係だって、言われずともすべてお見通し。それでいて、息子が必要とする時に支えるだけで、それ以外は一切口出しをしない。まさに大人とはかくあるべし。一歩間違えれば綺麗ごとになりかねないキャラクターだが、しかし終盤で父親サミュエル(原作者の父親がモデルだという)がエリオに語る含蓄に溢れる言葉が、この映画の意図するところを明確にし、絵空事にならない豊かな説得力を両親の役割に与えている。 自分が若かった頃に必要だった人間になること。それが次世代の若者の手本となり、やがては彼らが生きやすい社会を形成することにもつながるだろう。映画もまた然り。相手が誰であろうと人を心から愛することに優劣はないし、ましてや恥ずべきことでは決してない。そもそも愛情とは人間にとってごく自然な感情であり、その喜びも哀しみも痛みもすべてをひっくるめて、かけがえのないほど素晴らしいものなんだ。そんなメッセージを持った映画を若い頃に求めていた作り手たちが、次世代の若者たちへ向けて贈る人生の指標的な物語。それがこの『君の名前で僕を呼んで』なのだと言えよう。 古き良き時代ののどかで素朴な北イタリア、のんびりと流れていく贅沢な時間。その中で一進一退を繰り返しながらも、確かな愛情の絆を育んでいくエリオとオリヴァー。その全てを端正な映像美と穏やかなテンポで描いていくルカ・グァダニーノの監督の演出がまた筆舌に尽くしがたい。特に、’80年代当時に思春期真っ盛りだった世代の映画ファンにとっては、本作の驚くほどリアルで鮮やかな時代の再現力には息を吞むはずだ。グァダニーノ監督が参考にしたというモーリス・ピアラ監督の名作『愛の記念に』(’83)や『ラ・ブーム』(’82)など、当時のヨーロッパ産青春映画のノスタルジックで甘酸っぱい世界そのもの。また、監督の地元であるロンバルディア州の町クレマとその近郊で撮影されたというロケーションには、どこかベルナルド・ベルトルッチ作品を彷彿とさせるものも感じられる。 さらに、イタリア語に英語、フランス語、ドイツ語など多言語が自在にポンポンと飛び交うセリフも、主人公の育った環境の豊かさや登場人物たちの教養の高さ、そしてヨーロッパの地政学的な背景を雄弁に物語る。これは日本語吹替版ではなかなか伝わらない要素なので、やはり字幕版で見るべき作品なのかもしれない。 ‘80年代ヨーロッパを彩った名曲の数々にも注目 加えて、’80年代ノスタルジーを一層のこと掻き立てるのが、全編に渡って散りばめられたBGMの数々である。アメリカのシンガー・ソングライター、スフィアン・スティーヴンスのオリジナル曲を中盤とエンディングに使用している本作だが、それ以外では’80年代当時のヒット曲が様々な場面で流れる。この選曲がまた極めてヨーロッパ的で面白い。 今以上にヒットチャートのローカル色が強かった当時、アメリカとヨーロッパでは上位にランキングされる楽曲やアーティストのメンツもかなり異なっていた。ヨーロッパで一世を風靡するような大ヒット曲が、アメリカでは全く受けないなんてことはザラだったし、もちろんその逆もまた然り。本作のサントラはグァダニーノ監督自身が選曲したそうだが、恐らくアメリカ人の監督だったらこうはならなかったであろう。そこで、最後は劇中で使用された印象的な楽曲を幾つか紹介して、本稿の締めくくりとさせていただきたい。 「Paris Latino」Bandoleroフランス出身の一発屋ディスコ・バンド、バンドレロが’83年にリリースしたデビュー曲。タイトル通りのラテン風ユーロディスコ・ナンバーで、フランスやベルギーなどフランス語圏を中心にヨーロッパ各国で大ヒット。その大きな波を受けて、アメリカやイギリスでもヴァージン・レコードから発売されたがパッとしなかった。劇中では、オリヴァーに肩を触られたエリオがドギマギするバレーボールのシーンで使用されている。 「Lady Lady Lady」Giorgio Moroder featuring Joe Espositoドナ・サマーのプロデューサーとして一時代を築いたジョルジオ・モロダーが、そのドナの大ヒット曲「バッド・ガールズ」などの共同ソングライターだったジョー・エスポジートをボーカルに迎えて発表したバラード曲。もともとは映画『フラッシュダンス』のサントラ用にレコーディングされ、同年発売されたモロダーとエスポジートのコラボ・アルバム「Solitary Man(邦題『レディ・レディ・レディ』)」にも収録された。アメリカでは全米チャート86位と振るわなかったが、ヨーロッパ各国ではトップ10入りするヒットに。劇中ではダンスパーティのチークタイム曲として使用されている。 「Love My Way」The Psychedelic Fursその「Lady Lady Lady」に続いて流れるダンス・ナンバーが、’80年代に日本でも人気だったUKのポストパンク・バンド、ザ・サイケデリック・ファーズが’82年に出したシングル「Love My Way(邦題『ラヴ・マイ・ウェイ』)」。彼らといえば、後に映画『プリティ・イン・ピンク』で使用された同名曲(’81年発売)が恐らく最も有名だと思うのだが、こちらを選ぶあたりは大ファンを自認するグァダニーノ監督らしいセンスと言うべきだろうか。 「Words」F.R. Davidエリオがマルシアと屋根裏部屋でセックスをするシーンで、ラジオから流れてくる甘く切ないポップ・バラードが、フランス出身のシンガー・ソングライター、F・R・デヴィッドの代表曲「Words(邦題『ワーズ』)」。これは当時、日本のディスコでもかなり流行ったので、ご存知の方も少なくないかもしれない。’82年にリリースされるやヨーロッパ各国のヒットチャートで1位を独占し、全英チャートでも最高2位をマーク。今なお’80年代を代表する名曲としてヨーロッパで愛され、幾度となくリミックス盤もリバイバル・ヒットしているのだが、なぜかアメリカでは不発に終わってしまった。■ 『君の名前で僕を呼んで』© Frenesy, La Cinefacture
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COLUMN/コラム2021.02.02
原作者スティーブン・キングが小説版以上の出来と認めた青春ホラーの傑作『キャリー』
ブラアン・デ・パルマをメジャーな存在へと押し上げた出世作 ブライアン・デ・パルマ監督の出世作である。ニューヨークのインディーズ業界からハリウッドへ進出したものの、初のメジャー・スタジオ作品『汝のウサギを知れ』(’72)が勝手に再編集されたうえに2年間もお蔵入りするという大きな挫折を経験したデ・パルマ。その後、『悪魔のシスター』(’72)や『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)がカルト映画として若い映画ファンから熱狂的に支持され、敬愛するヒッチコックへのオマージュを込めた『愛のメモリー』(’76)も好評を博す。そんな上昇気流に乗りつつあった当時の彼にとって、文字通り名刺代わりとなるメガヒットを記録した作品が、スティーブン・キング原作の青春ホラー『キャリー』(’76)だった。 主人公は16歳の女子高生キャリー・ホワイト(シシー・スペイセク)。狂信的なクリスチャンのシングルマザー、マーガレット(パイパー・ローリー)に厳しく育てられた彼女は、それゆえに自己肯定感が低く内向的な怯えた少女で、学校ではいつも虐めのターゲットにされている。宗教本を押し売り歩く母親マーガレットも、近所では鼻つまみ者の変人。アメリカのどこにでもある平凡な田舎町で、隔絶された世界に住む母子は完全に浮いた存在だ。 そんなある日、学校のシャワールームでキャリーが初潮を迎える。だが、知識のないキャリーは下腹部から流れ出る鮮血に慄いてパニックに陥り、その様子を見たクラスメートたちは面白がってはやし立てる。そればかりか、帰宅して生理の来たことを報告したキャリーを、母親マーガレットは激しく叱責する。それはお前が汚らわしい考えを持っているからだと。神に祈って許しを請うよう、嫌がる娘を狭い祈祷室に無理やり閉じ込めて罰するマーガレット。この一連の出来事が起きて以来、キャリーは自らの特異な能力に気付いていく。実は彼女、怒りの衝動によって周囲の物を動かすことが出来るのだ。図書館で調べたところ、それはテレキネシスと呼ばれるもので、世の中には他にも同様の能力を持つ人がいるらしい。自分は決してひとりじゃない。そう思えた時、キャリーの中で何かが少しずつ変わり始める。 一方、学校ではシャワールームの一件に腹を立てた体育教師コリンズ先生(ベティ・バックリー)が、虐めに加わった女生徒たちに放課後の居残りトレーニングを課す。さぼった生徒はプロム・パーティへの参加禁止。これに不満を持ったリーダー格の人気者クリス(ナンシー・アレン)が抵抗を試みるものの、コリンズ先生の怒りの火に油を注いでしまい、彼女だけがプロムから締め出されることとなる。そんな懲りないクリスとは対照的に、虐めに加わったことを深く反省する優等生スー(エイミー・アーヴィング)は、ボーイフレンドのトミー(ウィリアム・カット)にキャリーをプロムへ誘うよう頼む。それは彼女なりの罪滅ぼしだった。 学校中の女子が憧れるハンサムな人気者トミーからプロムの誘いを受け、思わず頬を赤らめて舞い上がるキャリー。烈火のごとく怒り狂い猛反対する母親をテレキネシスで抑えつけた彼女は、精いっぱいのおめかしをして意気揚々とプロムへと出かけていく。さながら醜いアヒルの子が美しい白鳥へと変貌を遂げた瞬間だ。プロム会場では人々から羨望の眼差しを向けられ、そのあどけない笑顔に自信すら覗かせるようになったキャリーは、トミーに優しくリードされて夢心地のチークダンスを踊る。これまでの惨めな人生で味わったことのない高揚感と幸福感に包まれるキャリー。だが、その裏で彼女を逆恨みするクリスが、恋人の不良少年ビリー(ジョン・トラヴォルタ)や腰巾着ノーマ(P・J・ソールズ)らと結託し、公衆の面前でキャリーを貶めるべく残酷ないたずらを仕組んでいた…。 紆余曲折を経た映画版製作までの道のり 学校では虐められ、家庭では虐待を受ける孤独な超能力少女の復讐譚。幸福の頂点から地獄へと叩き落されたキャリーが、いよいよ強大なテレキネシスの能力に覚醒し、炸裂する怒りのパワーによって凄まじい大殺戮が繰り広げられる終盤の阿鼻叫喚は、スプリット・スクリーンやジャンプカットの効果を存分に活かしたデ・パルマ監督のダイナミックな演出も功を奏し、ホラー映画史上屈指の名シーンとなった。とはいえ、本質的には大人への階段を上り始めた少女の自我の目覚めと、若さゆえに残酷な少年少女たちが招く悲劇を丹念に描いた普遍的な青春ドラマ。超能力はあくまでもヒロインの自我を投影するギミックに過ぎない。だからこそ、劇場公開から45年近くを経た今もなお、観客に強く訴えかけるものがあるのだろう。そもそも、スティーブン・キング作品の映画化に失敗作が少なくないのは、こうしたストーリー上の超常現象的なギミックに惑わされてしまい、核心である日常的なドラマ部分を軽んじてしまいがちになるからだ。そう考えると、原作の本質を見失うことなく映画向けに再構築した脚本家ローレンス・D・コーエンの功績は計り知れない。 スティーブン・キングの処女作として’74年に出版され、翌年にペーパーバック化されると大きな反響を巻き起こしたホラー小説『キャリー』。当時、映画製作者デヴィッド・サスキンドのアシスタントとして働いていたコーエンは、持ち込まれた多くの企画の中から2つの作品に目をつける。それが『アリスの恋』(’74)のオリジナル脚本と、まだ出版される前の『キャリー』の原稿だった。中でも、10代の若者の純粋さや残酷さを鮮やかに捉えた『キャリー』に強い感銘を受けたという。だが、前者はマーティン・スコセッシ監督による映画化がすぐ決まったものの、後者はボスであるサスキンドのお眼鏡に適わなかった。なにしろ、ホラー映画はB級という先入観がまだまだ強かった時代だ。基本的にフリーランスの立場だったコーエンは、折を見て幾つもの映画会社や製作者に『キャリー』を持ち込んだが、しかしどこへ行っても眉をひそめられたという。 製作主任を務めた『アリスの恋』の撮影終了後、新たな仕事を探していたコーエンは、親しい友人の勧めで『明日に向かって撃て』(’69)の製作者ポール・モナシュの面接を受ける。しかし興味を惹かれるような企画がなかったため立ち去ろうとしたところ、モナシュから「そういえば、もうひとつ企画があったな。『キャリー』っていうんだけれど、知っているかね?」と声をかけられて思わず振り返ってしまったという。実はモナシュが既に映画化権を手に入れていたものの、まだベストセラーになる前だったため埋もれていたのだ。運命を感じたコーエンは、モナシュのもとで『キャリー』の企画を担当することに。テキサス在住の若い新人女性が書いたという脚本の草稿を読んだところ、原作に忠実でもなければ本質を捉えてもいないため、コーエンが一から脚本を書き直すこととなったのだ。 こうして出来上がった新たな脚本を、当時モナシュと配給契約を結んでいた20世紀フォックスに提出したコーエン。通常、映画会社が判断を下すのに数週間はかかるのだが、本作はその翌週にフォックスから却下の返答があったという。当然ながら、脚本の仕上がりに自信のあったモナシュとコーエンは落胆する。しかし捨てる神あれば拾う神あり。世の中には不思議な偶然があるもので、ちょうど同じ時期に『キャリー』の映画化権をモナシュに売却した出版エージェント、マーシア・ナサターがユナイテッド・アーティスツ(UA)の重役に就任し、『キャリー』の映画化企画を持ちかけてきたのである。 原作に惚れぬいた2人の才能の奇跡的な出会い 一方その頃、『キャリー』の映画化に情熱を燃やす人物がもう一人いた。ブライアン・デ・パルマ監督である。原作本を読んですっかり夢中になったデ・パルマは、なんとしてでも自らの手で映画化したいと考え、エージェントを介してモナシュにコンタクトを取ったという。当時まだデ・パルマのことをよく知らなかったモナシュは、何人もいる監督候補のひとりとして面接することに。しかし、これが上手くいかなかった。長い下積みを経て映画プロデューサーへと出世した典型的なハリウッド業界人であるモナシュの目には、口数が少なくて控えめな芸術家肌のデ・パルマは理解し難い人種だったのだろう。結局、モナシュとコーエンはデ・パルマを監督候補から外し、ロマン・ポランスキーやケン・ラッセルを有力候補として検討する。 ところがその後、UAの制作部長からモナシュに、デ・パルマを監督に起用するようお達しが来る。というのも、『キャリー』を諦めきれなかったデ・パルマがエージェントを通してUAに売り込みをかけたところ、たまたま制作部長がデ・パルマのファンだったというのだ。かくして、UA側の意向でブライアン・デ・パルマが『キャリー』の演出を任されることに。ちょうど同じ頃、完成したばかりの『愛のメモリー』を試写で見たコーエンは、もしかするとデ・パルマはこの作品に適任かもしれないと考えを改めるようになり、実際にニューヨークで本人と打ち合わせしたことで、その予感が確信に変わったという。改めて本人と話をしてみると、キング作品の本質的な魅力はもちろんのこと、コーエンが書いた脚本の意図も十分に理解していた。デ・パルマが要求した脚本の大きな改変は2つだけ。キャリーが母親マーガレットを殺すシーンと、劇場公開時に話題となったクライマックスの結末だ。 原作ではキャリーがテレキネシスで母親の心臓を止めるのだが、しかしこれをそのまま映像にすると地味でパッとしない。コーエンも頭を悩ませていたシーンだったが、最終的にデ・パルマが見事な解決策を思いつく。キッチンの包丁やハサミをテレキネシスで次々と飛ばし、まるで殉教者セバスティアヌスのごとく母親マーガレットを磔にしてしまうのだ。さらに、原作ではキャリーと同じような能力を持つ少女がほかに存在することを示唆して終わるものの、コーエンの書いた初稿では惨劇をただひとり生き延びた優等生スーが精神病院へ幽閉されて幕を閉じていた。しかし、これまた映画のエンディングとしてはインパクトが弱い。結局、撮影が始まっても結末を決めかねていたデ・パルマとコーエンだったが、ギリギリの段階でデ・パルマはジョン・ブアマン監督の『脱出』(’72)をヒントに、後に数々のエピゴーネンを生み出す衝撃的なラストを考えついたのである。 そのほか、『ファントム・オブ・パラダイス』のオーディションで知り合い惚れ込んだ女優ベティ・バックリーをキャスティングするため、コリンズ先生の役柄を膨らませて出番を増やしたり、原作では卑劣な悪人であるクリスやビリーのキャラクターにユーモアを加えることで、ともすると重苦しくなりかねないストーリーにある種の口当たりの良さを盛り込んだりと、いくつかの細かい改変をコーエンに指示したデ・パルマ。ちなみに、原作だとキャリーは超能力を使って町を丸ごと破壊してしまうが、さすがにこれは予算の都合を考えると不可能であるため、当初からプロム会場を全滅させるに止める方針だったようだ。 さらに、デ・パルマの功績として忘れてならないのは、イタリアの作曲家ピノ・ドナッジョの起用である。当初、デ・パルマは『愛のメモリー』に続いてヒッチコック映画の大家バーナード・ハーマンに音楽を依頼するつもりだったが、同作の完成直後にハーマンが急逝してしまう。そこで彼が白羽の矢を立てたのが、ダンスティ・スプリングフィールドもカバーしたカンツォーネの名曲「この胸のときめきを」で知られるイタリアの人気シンガーソングライター、ドナッジョだった。もともとドナッジョが手掛けたニコラス・ローグ監督の『赤い影』(’73)のサントラ盤を気に入っていたデ・パルマは、随所でハーマンのトレードマークだった『サイコ』風のスコアを要望しつつも、ホラー映画のサントラには似つかわしくない甘美なメロディをドナッジョに書かせる。これは英断だったと言えよう。その結果、キャリーの深い孤独や悲しみを際立たせるような、実に繊細でロマンティックで抒情的な美しいサウンドトラックが出来上がったのだ。本作で見事なコラボレーションを実現したデ・パルマとドナッジョは、これ以降も通算8本の映画でコンビを組む。なお、プロム会場のチークダンス・シーンで流れるバラード曲を歌っているのは、当時スタジオのセッション・シンガーだったケイティ・アーヴィング。スー役を演じている女優エイミー・アーヴィングの姉だ。 かくして、スティーブン・キングの小説に惚れ込んだブライアン・デ・パルマにローレンス・D・コーエンという、2人の優れた才能が奇跡的に巡り合ったからこそ生まれたとも言える傑作『キャリー』。実際、原作者のキング自身が高く評価しているばかりか、小説版よりも良く出来ていると太鼓判を押している。映画の作り手にとって、恐らくこれ以上の誉め言葉はないのではないだろうか。■
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COLUMN/コラム2021.01.04
ダリオ・アルジェントの代表作にしてイタリアン・ホラーの金字塔『サスペリア』
日本でも社会現象となった大ヒット作 イタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの名刺代わりというべき代表作であり、恐らくイタリア映画史上、最も世界的な成功を収めたホラー映画であろう。イタリアを皮切りに公開されたのは1977年。ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』とスティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』によって空前のSF映画ブームが巻き起こり、ジョン・トラヴォルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコ・ブームが頂点に達した年である。改めて振り返ると凄い一年であったと言えよう。 もともとホラー映画があまり一般受けしないイタリア本国で大ヒットしたのは勿論のこと、ここ日本でも「決してひとりでは見ないでください」という秀逸なキャッチコピーの効果もあってたちまち社会現象に。アメリカでは20世紀フォックスが配給権を獲得したものの、血みどろの残酷描写が問題視されるのを恐れたらしく、即席で立ち上げたペーパー会社インターナショナル・クラシックスで配給することとなり、盲目のピアニストが盲導犬に喉元を食いちぎられるシーンなど約8分の映像をカットしたうえで劇場公開したが、こちらもフォックスの予想を遥かに上回る興行成績を記録し、気を良くした同社はアルジェントの次回作『インフェルノ』(’80)に出資することとなる。 アルジェント監督のターニングポイントに そんな本作は、それまで一連のジャッロ映画で鳴らしたアルジェント監督が、初めてスーパーナチュラルなオカルトの世界に挑戦することで、独自の映像美学をとことんまで極めたターニングポイント的な作品でもあった。ジャッロ(日本ではジャーロと表記されることもあるが、本稿では原語の発音に近いジャッロで統一する)とは、’70年代に一世を風靡したイタリア産猟奇サスペンス・ホラーのこと。本来はイタリア語で“黄色”を意味するのだが、昔からイタリアではペーパーバックで売られる犯罪スリラー小説の表紙が黄色に装丁されていたため、いつしか犯罪スリラーのジャンル全体をジャッロと呼ぶようになった。 そのジャッロ映画ブームの口火を切ったのが、アルジェント監督の処女作『歓びの毒牙(きば)』(’70)。女性ばかり狙う連続殺人鬼の正体を追うアメリカ人作家をスタイリッシュな映像美で描いた典型的なジャッロ映画なのだが、これが全米興行収入ランキングで1位という誰も想像しなかったような大ヒットを記録したことから、イタリア中の映画会社がこぞって似たようなジャッロ映画を量産するようになる。アルジェント自身も『わたしは目撃者』(’71)に『4匹の蠅』(’71)とジャッロ映画の秀作を連発。畑違いの歴史ドラマに挑んだ『ビッグ・ファイブ・デイ』(’74)が大コケした後、『サスペリアPART2』(’75・日本では『サスペリア』の大ヒットを受け、勝手に続編と銘打って劇場公開)でジャッロの世界へ戻ったアルジェントは、いい加減に猟奇サスペンス・ホラーの世界から足を洗おうと考える。恐らく、ジャッロ映画の最高峰とも呼ばれる『サスペリアPART2』を以てして、彼としてはやり尽くしてしまった感があったのだろう。 やはり本作でひときわ目を引くのは、けばけばしい極彩色と壮麗な美術セットによって表現された、一種異様なまでに幻惑的なゴシック映像美であろう。さながら、アルジェントのダークでディープなイマジネーションから生まれた悪夢のような異世界。冒頭、ニューヨークからドイツへと到着したスージーは、空港の自動ドアを出た瞬間から、さながら「不思議の国のアリス」の如く、世にも奇妙で残酷で恐ろしいアルジェント・ワールドへと足を踏み入れるのだ。そこでは、全ての事象がアルジェント流のロジックで展開する。そもそも、アルジェント作品は処女作『歓びの毒牙(きば)』の頃からそうした異空間的な傾向が少なからずあり、ストーリーはあくまでも彼の思い描くビジョンをスクリーンに現出させるためのツールに過ぎなかったりするのだが、本作ではオカルトという非現実的かつ非日常的なテーマを手に入れたことによって、その独創的なアルジェント・ワールドを究極まで突き詰めることが出来たと言えるだろう。 中でもアルジェントがこだわったのは、往年のテクニカラー映画を彷彿とさせる鮮烈な色彩。特にディズニー・アニメ『白雪姫』(’37)は、アルジェントと撮影監督ルチアーノ・トヴォリにとって重要なお手本となった。ミケランジェロ・アントニオーニやマルコ・フェレーリ、モーリス・ピアラとのコラボレーションで知られるトヴォリは、もともと日常的なリアリズムを大切にするカメラマンで、なおかつホラー映画には全く関心がなかったため、本作のオファーを受けた当初は大いに戸惑ったそうだが、アルジェントの熱心な説得で引き受けることにしたという。当時既にテクニカラーは時代遅れとなり衰退してしまっていたが、アルジェントの要望に応えるべくトヴォリは発色に優れた映画用フィルム、イーストマン5254を使用。ただし、手に入ったのはテキサスの倉庫に保管されていた40巻のみだったため、現場では各シーンを2テイクまでしか撮影できなかったという。 さらに、照明の基本カラーを三原色の赤・青・緑に指定し、シーンに合わせて黄色などの補色を使用。通常の映画撮影ではあり得ないほど強い照度のカラー照明を、俳優などの被写体のすぐ近くに寄せて当てたのだそうだ。シャープな輪郭を強調するため、照明のディフューザーやカメラのフィルターレンズは不使用。そうして撮影されたフィルムは、当時テクニカラー社のローマ支社に唯一残されていたテクニカラー・プリンターでプリントされた。その仕上がりと完成度はまさに驚異的。同じように原色のカラー照明を多用した撮影は、イタリアン・ホラーの父と呼ばれる大先輩マリオ・バーヴァ監督が『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(’63)や『モデル連続殺人!』(’64)などで既に実践しているが、本作はその進化形と呼んでもいいかもしれない。 強い女性ばかりが揃ったメイン・キャスト なお、もともとヒロインのスージー役にはダリア・ニコロディが想定されていたものの、彼女が主演ではアメリカのマーケットで売れないと映画会社に判断され、アルジェントがブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オム・パラダイス』(’74)を見て気に入っていたジェシカ・ハーパーに白羽の矢が立った。当時、ジェシカはウディ・アレンの『アニー・ホール』(’77)の脇役をオファーされていたが、エージェントからの勧めもあって『サスペリア』を選んだという。その親友となるサラ役には、恋人だったベルナルド・ベルトルッチ監督の『1900年』(’76)でロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューを相手に3Pシーンを演じたステファニア・カッシーニ。性格の悪いオルガ役を演じているバーバラ・マニョルフィは、晩年のルキノ・ヴィスコンティがお気に入りだった美形俳優マルク・ポレルの奥さんだった人だ。 『サスペリア』©1977 SEDA SPETTACOLI S.P.A ©2004 CDE / VIDEA
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COLUMN/コラム2021.01.04
社会派エンターテインメントの巨匠が挑んだ’70年代らしいエコロジカル・ホラー『プロフェシー/恐怖の予言』
動物パニック映画ブームから派生したエコ・ホラーとは? ‘70年代のハリウッド映画で流行したエコロジカル・ホラー(通称エコ・ホラー)。その基本的なコンセプトは、「地球環境を破壊する人類に対して自然界(主に動物や昆虫)が牙をむく」というもの。これはスティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』(’75)を頂点とする’70年代動物パニック映画ブームにあって、そのサブジャンルとして派生したものと考えられる。 なにしろ、当時のアメリカ映画ではサメだのネズミだのアリだのクモだのと、ありとあらゆる生物が人間に襲いかかってきた。その要因のひとつとして、「環境破壊」という設定は非常に使い勝手が良かったのだろう。しかも、’70年に国家環境政策法が制定され、同じ年に環境保護庁が誕生したアメリカでは、環境破壊に対する危機感や懸念が国民の間で徐々に共有されるようになっていた。光化学スモッグに悩まされた日本をはじめ、当時は世界中の先進国が同様の問題に直面していたと言えよう。つまり、時代的にエコ・ホラーの受ける条件が整っていたのである。 ただ、エコ・ホラーというジャンル自体のルーツは、恐らく『キング・コング』(’33)にまで遡ることが出来るだろう。南海孤島の秘境で発見された巨大なゴリラ、キング・コングが大都会ニューヨークで大暴れするという物語は、まさしく「傲慢な人類」に対する自然界の逆襲に他ならなかった。また、核実験の影響で巨大化したアリとの死闘を描くSFパニック『放射能X』(’54)は、当時懸念されつつあった放射能汚染による環境破壊の問題が背景としてあり、そういう意味で’70年代に興隆するエコ・ホラーの直接的な原点とも言える。 『吸血の群れ』(’72)では環境汚染によって小さな島の爬虫類たちが人間への報復を開始、『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』(’74)では天体の異変によって高度な知性を持ったアリが人間を襲撃し、『アニマル大戦争』(’77)ではオゾン層破壊の影響で狂暴化した動物たちが自然公園のハイキング客たちを殺しまくる。さらに、オーストラリア映画『ロング・ウィークエンド』(’74)では「自然環境」そのものが意志を持って人間を狂気へと追い詰め、日本映画『ゴジラ対ヘドラ』(’71)では海洋汚染の生んだ怪獣ヘドラがゴジラと対決した。かように、’70年代は世界中のホラー映画やモンスター映画で大自然が罪深き人類に対して牙をむいたのである。水質汚染によってミュータント化したクマが、広大な森林で人間を次々と襲う『プロフェシー/恐怖の予言』(’79)もそのひとつだ。 自然豊かなメイン州の森林地帯を恐怖に陥れる巨大モンスター 主人公は大都会で恵まれない貧しい人々のために奔走するロバート・ヴァーン医師(ロバート・フォックスワース)。どれだけ行政に訴えても貧困層の住環境や健康問題が改善されないことに無力感を覚えているロバートは、ある日環境保護庁から自然環境調査の仕事を依頼される。メイン州の広大な森林地帯を地元の製紙会社が森林伐採のため購入したものの、その一帯に暮らす先住民たちが土地の所有権を訴えて裁判を起こし、両者ともに一歩も譲らない状態なのだという。そこで当局の導き出した解決策が、森林地帯の環境汚染状況を把握すること。もし環境汚染が立証されれば先住民側の有利になるし、汚染が確認されなければ製紙会社側の言い分が通る。どちらに転んでも、訴訟問題解決の糸口になると当局は考えたのだ。畑違いの依頼に躊躇するロバートだったが、しかしこれで当局に恩を売れば自身の仕事にも有利になると説得され引き受けることにする。 その頃、メイン州の森林地帯では不可解な出来事が起きていた。森の中で伐採作業中だった作業員たちが行方不明となり、その捜索に駆り出されたレスキュー隊も消息を絶ってしまったのだ。ロバートと妻マギー(タリア・シャイア)を出迎えた製紙会社の現場監督アイズリー氏(リチャード・ダイサート)は、先住民たちによる嫌がらせに違いないと疑っているが、しかし先住民たちは伝説の怪物カターディンが森を守っているのだと主張しているという。両者の対立はまさに一触即発。あくまでも中立を守る立場のロバートとマギーだが、先住民たちへの偏見や差別意識を隠さない製紙会社側の強硬姿勢に眉をひそめるのだった。 やがて調査を開始したロバートは、森林地帯で深刻な環境汚染が進行しているのではないかと疑いを持つ。というのも、川に棲息している鮭やオタマジャクシが異常な大きさへ成長し、性格の大人しいはずのアライグマが狂暴化して人間に襲いかかって来るのだ。しかも、先住民グループのリーダー、ホークス(アーマンド・アサンテ)とその妻ラモナ(ヴィクトリア・ラシモ)によると、森に住む先住民たちの間では健康被害が広がり、妊婦が奇形児を死産するケースも多いという。しかし、いくら当局に訴えても、川の水質検査では異常がないため聞き入れては貰えなかったのだ。 一方、製紙工場側のアイズリー氏は汚染物質の流出を完全に否定するが、しかしロバートは泥濘に溜まった銀色の物質を見逃さなかった。工場から流出する排水の中にメチル水銀が含まれており、それが森林一体の生態系に深刻な影響を及ぼしていたのだ。しかしメチル水銀は重いので川底に沈んでしまう。水質検査で異常がなかったのはそのためだった。事実を知った妻マギーは大きな衝撃を受ける。実は彼女は子供を妊娠しており、知らずに川で獲れた鮭を食べていたからだ。 その頃、森の中でキャンプを楽しんでいたネルソン一家が、醜悪な姿をした巨大モンスターに襲われ皆殺しにされる。それはメチル水銀に汚染された魚を食べてミュータント化したクマだった。しかし、地元の保安官やアイズリー氏は先住民グループの犯行と考え、ホークスらの逮捕に動き出す。事実を確認すべく惨劇の現場へと向かったロバートたち。折からの悪天候で森の中で足止めを食らった彼らに、狂暴な怪物クマが襲いかかる…。 ストーリーのヒントは『ローズマリーの赤ちゃん』!? 本作で最も注目すべきは、あのジョン・フランケンハイマー監督が演出を手掛けている点にあるだろう。『影なき狙撃者』(’64)や『大列車強盗』(’65)、『グラン・プリ』(’66)に『フレンチ・コネクション2』(’75)、『ブラック・サンデー』(’77)などなど、骨太な社会派エンターテインメント映画で一時代を築いた巨匠が、なぜ今さら出尽くした感のあるモンスター映画を!?と当時の映画ファンを大いに戸惑わせた本作。しかも、興行面でも批評面でも全く振るわず、これを機にフランケンハイマー監督のキャリアは下り坂となっていく。ただ、劇場公開から40年以上を経た今、改めて見直すと、決して出来の悪い映画ではないことがよく分かるだろう。 ■撮影中のジョン・フランケンハイマー監督(左) 環境問題や公害問題、先住民問題など、’70年代当時の社会問題を巧みに絡めたストーリー展開は、なるほど“社会派エンターテインメント映画の巨匠”の異名に恥じぬメッセージ性の高さ。むしろ、ミュータント化した巨大クマが巻き起こす阿鼻叫喚の恐怖パニックよりも、そうした社会派的なテーマの方に監督の強い思い入れが込められているように感じられる。醜悪なモンスターの全貌や血生臭い残酷描写をなるべくスクリーンでは見せず、観客の想像力に委ねることで緊張感を煽っていく演出も手馴れたものだし、スコープサイズの超ワイド画面のスケール感を生かしたカメラワークも堂に入っている。さすがは巨匠の映画らしい風格だ。ただ、それゆえ肝心のホラー要素がなおざりにされている印象も拭えない。恐らく、このモンスター映画らしからぬ“生真面目さ”が当時は仇となったのだろう。要するに、観客や批評家が求めるものとのギャップが大きかったのだ。 脚本を担当したのは『オーメン』(’76)で知られるデヴィッド・セルツァー。『オーメン』が劇場公開されて社会現象を巻き起こした直後、フランケンハイマー監督から「ホラー映画の脚本を書いてくれないか」と直々にオファーを受けたというセルツァーは、自身が多大な影響を受けたロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)をヒントにしたのだそうだ。さらに、当時メイン州の郊外に暮らしていた彼は環境問題や先住民問題にも関心があり、日本の水俣病についても勉強していた。当初は「メイン州の大自然を満喫していたキャンプ中の夫婦が、知らず知らずのうちメチル水銀に汚染された魚を食べてしまい、妊娠中の妻が奇形児を生んでしまう」という『悪魔の赤ちゃん』(’74)的なストーリーだったらしいが、脚本会議を重ねていくうちに巨大クマのアイディアが加わったようだ。 ただし、ロケ地となったのはメイン州ではなく、カナダはバンクーバー郊外の森林地帯。今では“ノース・ハリウッド”と呼ばれるカナダ映画産業のメッカで、ハリウッドの映画やテレビドラマが数多く撮影されているバンクーバーだが、本作はその最初期に作られたハリウッド映画と言われている。そういう意味でも興味深い作品と言えよう。目玉となる巨大クマのモンスタースーツは、ミニチュア撮影用とロケ現場用の2種類が製作され、『プレデター』(’87)のスーツアクターとして有名な身長2m20cmのケヴィン・ピーター・ホールと、後に『13日の金曜日 PART6 ジェイソンは生きていた!』(’86)や『ブロス/やつらはときどき帰ってくる』(’91)の監督となるトム・マクローリンが交互に演じている。実はマクローリン、もともとフランスでマルセル・マルソーに師事したパントマイム芸人だったらしい。 なお、モンスタースーツの製作は当初リック・ベイカーに依頼されたが短い納期を理由に断られ、次に声をかけたスタン・ウィンストンとはギャラの金額が折り合わず、最終的にトム・バーマンが引き受けることとなった。このグログロな巨大クマ、チーズの溶けたピザに似ていることから、撮影現場では「ピザ・ベアー」と呼ばれていたそうだ(笑)。■
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COLUMN/コラム2020.12.03
ベルトルッチの転機となった幻惑的なポリティカル・ミステリー『暗殺のオペラ』
ヒットに恵まれなかった初期のベルトルッチ 世界的に「革命の季節」とも呼ばれた’60年代末。イタリアでも’66年のトレント大学文学部の占拠や、’67年のサクロ・クオーレ・カトリック大学の3万人抗議デモといった学生運動が一気に盛り上がり、時を同じくして映画界でも反体制的な若手映像作家が次々と台頭する。その代表格が『ポケットの中の握り拳』(’65)のマルコ・ベロッキオであり、後に『青い体験』(’75)などのエロス映画を大成功させるサルヴァトーレ・サンペリであり、『殺し』(’62)で一足先にデビューしていたベルナルド・ベルトルッチだった。 イタリアの有名な詩人・学者であるアッティリオ・ベルトルッチの長男として生まれ、ブルジョワ階級の恵まれた家庭で育ったベルトルッチは、父親の親しい友人だったピエル・パオロ・パゾリーニの助監督として映画界入りし、そのパゾリーニの助力によって21歳という若さで監督デビューを果たす。処女作『殺し』は批評家から概ね好評で、ヌーヴェルヴァーグに多大な影響を受けた『革命前夜』(’64)もカンヌ国際映画祭で絶賛される。続く『ベルトルッチの分身』(’68)もヴェネチア国際映画祭のコンペティションに出品されたが、しかしいずれの作品も興行的には残念ながら不発に終わってしまう。 そんな折、イタリアの公共放送局RAIの出資でテレビ向けに映画を撮るという企画がベルトルッチのもとへ舞い込む。あくまでもテレビで放送されること大前提だが、しかし製作に当たっての条件は通常の映画と変わらないし、イタリア国外では劇場用映画として配給される。そこでベルトルッチは、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説「裏切り者と英雄のテーマ」を題材に選び、アイルランドが舞台の原作をイタリアへ置き換えて映画化することになる。それがこの『暗殺のオペラ』(’70)だったというわけだ。 反ファシズムの英雄だった父の死の真相を探る息子 中世の街並みをそのまま残す北イタリアの田舎町タラ。人気のない寂れた駅で一人の青年が列車から降りる。彼の名前はアトス・マニャーニ(ジュリオ・ブロージ)。タラが生んだ有名な反ファシズムの英雄アトス・マニャーニ(ジュリオ・ブロージ二役)の同姓同名の息子だ。町の老人たちは父親と瓜二つの息子を見て驚く。それは今から30年ほど前、1936年6月15日のこと。町で唯一のオペラ劇場でヴェルディの「リゴレット」を上演中、父アトスは何者かに背後から拳銃で撃たれて暗殺された。身の危険を感じた妊娠中の妻は町を出てミラノで出産。息子アトスが父親の故郷を訪れるのはこれが初めてだった。 そんな彼をタラへ呼び寄せたのは父アトスの愛人だった女性ドライファ(アリダ・ヴァリ)。たまたま見かけた新聞記事で彼の存在を知ったドライファは、息子であれば父親の死の真相を突き止め、謎に包まれた犯人を探し出すことが出来るのではないかと考えたのだ。彼女によれば、生前の父アトスにはファシストの敵も多く、中でも大地主ベカッチアは最大の宿敵だったという。その一方で、反ファシズムの志を同じくする心強い仲間もいた。それが映画館主コスタ(ティノ・スコッティ)、小学校教師のラゾーリ(フランコ・ジョヴァネッリ)、ハムの味ききガイバッツィ(ピッポ・カンパニーニ)の3人だ。しかし、父親のことをほとんど何も知らない息子にしてみれば、自分が生まれる前の事件に対する関心も薄い。ドライファの熱心な説得も空しく、彼は翌朝の列車でミラノへ戻ることにする。 とはいえ、タラの町に漂う不可解な雰囲気には引っかかるものがあった。昼も夜も人影はまばらで、しかも見たところ老人ばかりしかいない。その中には、どうやら英雄アトス・マニャーニの息子の帰還を快く思っていない住民もいるらしく、彼は何者かによって宿の馬屋に閉じ込められるなどの嫌がらせを受ける。この町の住民は何かを隠しているようだ。そう考えた息子アトスは町に残ることを決め、まずは手始めに大地主ベカッチアの屋敷を訪れるも追い返されてしまう。そんな彼に声をかけたのは、町の名産物であるハムの味ききガイバッツィ。さらにラゾーリやコスタといった亡き父親の同志たちと会った息子アトスは、彼らが30年前にムッソリーニ暗殺を計画していたことを知る。 オペラ劇場の落成式に国家元首が参列するという情報を掴んだ反ファシズムの闘士たちは、劇場に爆弾を仕掛けてムッソリーニを爆殺しようと計画。ところが、直前になってムッソリーニの来訪は中止され、隠していた爆弾も警察に見つかってしまった。何者かが警察に通報したのである。父親アトスと仲間たちは厳しい取り調べを受けたものの、証拠不十分で解放された。となると、やはりファシスト側の報復によって父親は殺されたのか。当時のタラにはファシストのシンパは少なくなかった。その親玉がベカッチアだ。彼が黒幕という可能性もある。だが、これ以上過去をほじくり返しても無駄だと感じた息子アトスは、引き留めるドライファを振り切ってミラノへ戻ろうとするが、しかしなぜか待てど暮せど駅には列車が来ない。仕方なく町へ引き返した彼は、ある思いがけない真実を突き止めることとなる…。 パーソナルな意味を含んだ「父と子の対立」のドラマ ベルトルッチ作品に共通する「父と子の対立」「主人公とその分身の対立」というテーマをより明確に際立たせた本作。原作では19世紀のアイルランドで起きた独立運動の英雄の暗殺事件の謎を、その子孫が解き明かしていくわけだが、本作では物語の発端を第二次大戦前夜のイタリアへと移し替え、反ファシズム運動の英雄だった父親の死の真相を、同姓同名で容姿も酷似した息子が調べていく。そこには、「ファシズムの時代=自身の父親世代」の残した問題を探るという、左翼革命世代の映像作家であるベルトルッチにとっての個人的な「父と子の対立」という意味も含まれていると言えるだろう。 そして、英雄アトス・マニャーニ暗殺事件に隠された意外な真実を突き止めた息子は、しかしそれでもなお、この町から出ていくことが出来なくなる。そもそも、30年前で時が止まってしまったような町タラは、いわば外の世界と隔絶され時間の流れからも取り残されてしまった異空間だ。フラッシュバックに登場するドライファやコスタたちも30年後の今と全く容姿が変わらず、物語が進むにつれて過去と現在の時間軸も曖昧になっていく。もはや列車など通れるはずもないほど、雑草の生い茂った駅の線路を映し出す衝撃的なラストショットは、ファシズムという過去の亡霊が今なおイタリア社会のどこかに息づいていることを示唆する。そう考えると、主人公はまるで蜘蛛の巣にかかった獲物(イタリア語の原題は‟蜘蛛の計略“)のごとく、亡霊たちの住む町に囚われてしまったのかもしれない。 これ以降、本作のポスト・プロダクション中に製作の決まった『暗殺の森』(’70)に『1900年』(’76)と、引き続きファシストの時代と向き合っていくことになるベルトルッチ。そういう意味でひとつの転機となった作品とも言えると思うのだが、やはり最大のキーパーソンは撮影監督のヴィットリオ・ストラーロであろう。『革命前夜』の撮影助手としてベルトルッチと知り合ったストラーロは、初めて撮影監督として組んだ本作で見事な仕事ぶりを披露している。中でも驚かされるのは、鮮烈なまでの色彩であろう。北イタリアの夏の色鮮やかで豊かな自然を捉えた映像の美しいことと言ったら!特に印象的なのは夜間シーンにおける、まるでルネ・マグリットの絵画の如き深いブルー。青のフィルターを使ったのかと思ったらそうではなく、夕暮れ時の僅かな時間を狙って撮影したのだそうだ。左右対称のシンメトリーを意識した画面構図もスタイリッシュで素晴らしい。映画史上屈指の監督&カメラマン・コンビとなるベルトルッチとストラーロだが、本作こそその原点だったのだ。 ちなみに、舞台となるタラは架空の町であり、本作の撮影はベルトルッチの故郷パルマにほど近い古都サッビオネータで行われている。また、後に映画監督となるベルトルッチの弟ジュゼッペが助監督を務め、エキストラとしてもワンシーンだけ顔を出す。サーカスから逃げたライオンを料理して食べたという過去のエピソードで、皿に盛られたライオンの頭を運んでくる2人の男性のうち、向かって左側がジュゼッペ・ベルトルッチだ。■
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COLUMN/コラム2020.12.03
フェリーニ映画という比類なきジャンルを確立した迷える映画監督の精神的な深層世界『8 1/2』
イタリア映画黄金期の寵児となった巨匠フェリーニ 2020年に生誕100年を迎えたイタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ。1920年1月20日に北イタリアの沿岸都市リミニに生まれた彼は、「映画がなければサーカスの座長になっていた」と本人が語るほど、幼少期はサーカスの世界に魅了されていたという。しかし、フェリーニが大人になる頃には旅回りのサーカスも衰退し、その代わりに映画が娯楽の王様となっていた。’39年にローマの新聞社で働くようになったフェリーニだが、そこで知り合った同僚がチェザーレ・ザヴァッティーニやエットーレ・スコラ、ベルナルディーノ・ザッポーニなど、後のイタリア映画界を背負って立つ偉大な才能たち。この新聞社時代のエピソードは、スコラの遺作となったドキュメンタリー映画『フェデリコという不思議な存在』(’13)にも詳しい。 やがてラジオの放送作家としても活動するようになったフェリーニは、取材で意気投合した名優アルド・ファブリーツィの紹介で映画の脚本も手掛けるように。その頃出会ったのが、後にフェリーニ映画のミューズとなる女優ジュリエッタ・マッシーナだった。当時ラジオの声優をしていたジュリエッタとフェリーニは’43年に結婚。戦争末期に生活のため風刺画屋を始めた彼は、店を訪れた映画監督ロベルト・ロッセリーニの依頼で、ネオレアリスモ映画の傑作『無防備都市』(’45)の脚本に参加する。これを機にロッセリーニやアルベルト・ラットゥアーダのもとで修業し、映画作りのノウハウを学んでいったフェリーニは、そのラットゥアーダとの共同監督で映画『寄席の脚光』(’51)の演出を手掛ける。 次回作『白い酋長』(’52)で一本立ちした彼は、3作目『青春群像』(’53)で早くもヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受賞。続いて妻ジュリエッタを主演に据えた『道』(’54)は日本を含む世界中で大ヒットを記録し、アカデミー外国語映画賞にも輝いた。そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのフェリーニにとって、大きな転機となったのがカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得した『甘い生活』(’60)だ。 そんなグイドの脳裏をよぎるのは、田舎の祖母(ジョージア・シモンズ)の家で若い乳母たちにチヤホヤされて育った幼少期、海辺の小屋に住む大女の娼婦サラギーナ(エドラ・ゲイル)とルンバを踊って神学校の教師に折檻された少年時代などの甘酸っぱい思い出。そして、理想の美人女優クラウディア(クラウディア・カルディナーレ)の幻影。夢の中に現れる両親(アンニバーレ・ニンキ、ジュディッタ・リッソーネ)に救いを求めるが、当然のことながら叶うはずもない。そうかと思えば、ホテルでたびたびすれ違うミステリアスな貴婦人(カテリーナ・ボラット)に興味をそそられるグイド。とりとめもない記憶やイメージを脚本に盛り込んでいくが、助言を求めた高名な映画評論家カリーニ(ジャン・ルゲール)からはことごとくダメ出しを食らう。 心細くなってしまったのか、グイドは夫婦仲の冷めかけた妻ルイーザ(アヌーク・エーメ)とその親友ロセッラ(ロセッラ・ファルク)らを湯治場へ呼び寄せるものの、運の悪いことに愛人カルラと鉢合わせてしまう。嘘に嘘を重ねる不誠実な夫に愛想を尽かすルイーザ。とはいえ、グイドの女好きは少年時代からの筋金入り。それをしつこく責められてうんざりした彼は、これまでの人生で出会ってきた女たちを支配する自分だけのハーレムを夢想して現実逃避する。一方、そんなグイドをよそに映画の製作準備は着々と進み、宇宙船発射台のオープンセットまで完成。もはやこれ以上は待てないと、製作者パーチェはテストフィルムを上映してグイドにキャスティングの決断を迫る。しかし、私生活を自分の都合よく解釈した内容に激怒したルイーザが彼のもとを立ち去り、ようやく出演オファーを引き受けてくれた女優クラウディアからは脚本を批判され、あなたは愛を知らないと言われてグイドは茫然とする。そして、製作発表の記者会見が行われることに。いよいよ逃げ場を失ってしまったグイドの取った行動とは…? 理解する映画ではなく心で感じる映画 これといって明確なストーリーラインはなく、そればかりか夢と現実と空想の境界線すら曖昧なまま、とりとめのないイメージやエピソードを羅列することによって、創作の危機に追い詰められた映画監督の混沌とする精神的な深層世界を掘り下げていく本作。実際、『甘い生活』で世界的な巨匠へと上りつめ、次回作への期待が高まる存在となったフェリーニは、大物製作者アンジェロ・リッツォーリと新作映画の契約を交わしたものの、肝心要となる脚本の執筆は思うように進まず、しまいには自分が何を描きたいのかも分からなくなってしまったという。そこで閃いたのが、今の自分が置かれた状況をそのまま映画にすることだったというわけだ。
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COLUMN/コラム2020.10.09
無敵のサイキック美少女の壮絶リベンジを描く韓流SFアクション!『The Witch/魔女』
徹底した娯楽精神と惜しみないサービス精神は韓国映画の強み さながら韓国版『ストレンジャー・シングス』もしくは『エルフェンリノート』である。『パラサイト 半地下の家族』(’19)がカンヌ国際映画祭のパルムドールとアカデミー賞の作品賞をダブルで制し、今や紛れもないアジア最大の映画大国となった韓国。その成功の秘訣は高い芸術性や自由で豊かな創造力など幾つも挙げられると思うが、中でも大きな強みとして欠かせないのは徹底した娯楽精神と惜しみないサービス精神だ。 近年のヒット作『新感染 ファイナル・エクスプレス』(’17)や『EXIT イグジット』(’19)、『エクストリーム・ジョブ』(’19)にしても、実はジャンルやプロットそのものは決して目新しくない。むしろ散々使い古されてきたものと言っても差し支えないだろう。しかし、韓国映画はそこに独自の視点で新たな“ひねり”を加え、アクションありユーモアありサスペンスありバイオレンスありの大盤振る舞いによって、極上のエンターテインメント作品へと昇華させるのが非常に上手い。このサイキック美少女アクション『The Witch/魔女』(’18)もまた同様だ。 先述した『ストレンジャー・シングス』や『エルフェンリノート』はもとより、『AKIRA』や『炎の少女チャーリー』、『スキャナーズ』などなど、似たような題材の映画やコミック、テレビシリーズを挙げればきりがないのだが、しかし「おっと、そうきますか!」というユニークな着眼点にワクワクさせられ、中盤のアッと驚くような“ひねり”に大興奮させられ、畳みかけるようなスリルとアクションとバイオレンスに圧倒される。これぞ韓国映画の醍醐味と言えるだろう。 謎の施設から脱走した少女の正体とは…? 物語の始まりは森に囲まれた謎の施設。責任者らしき女性ドクター・ペク(チョ・ミンス)が到着すると、そこは一面が血の海となっている。夜の闇に紛れて逃走する幼い少女。ドクター・ペクの手下ミスター・チェ(パク・ヒスン)率いる捜索隊が少女を追跡するも取り逃がしてしまう。どのみち少女は死んでしまうと言い残して去っていくドクター・ペク。その頃、森を抜けた少女は農場へとたどり着き、その姿を見かけた酪農家ク夫婦によって助けられる。 それから10年後。ジャユン(キム・ダミ)と名付けられた少女はク夫婦に育てられ、どこにでもいる平凡な女子高生として暮らしている。かつてアメリカ在住の建築家だった養父と養母は、交通事故で子供と孫を失っていたため、ジャユンには惜しみない愛情を注いできた。農場へ来る以前の記憶が一切ないジャユンだが、養父母だけでなく地元の住民たちからも可愛がられ、口が悪いけど気は優しい親友ミョンヒ(コ・ミンシ)と幸せで楽しい青春を謳歌しているようだ。 しかし、そんな彼女にも大きな悩みがあった。養父母の経営する農場が財政難に陥っていたのだ。そればかりか、ジャユンは定期的に起きる原因不明の激しい片頭痛に苦しみ、すぐに骨髄移植をしなくては余命2~3カ月だと医師に宣告される。だが、これ以上養父母に心配をかけるわけにはいかないと、ジャユンは病気のことを周囲には隠していた。なんとかして両親を楽にさせてあげたい。そう考えていたところ、ミョンヒからテレビのオーディション番組「スター誕生」の存在を知らされたジャユンは出場を決意。賞金を獲得して農場の借金返済へ充てることに望みを賭けたのだ。 愛らしい容姿と歌の上手さを活かして、見事に地方予選を勝ち抜いてソウルで行われる本選への出場を決めたジャユン。しかし、地方予選のテレビ放送を見た養父母は困惑する。というのも、審査員から特技を見せてくれと言われたジャユンは、マイクを宙に浮かせる“マジック”を披露したのだ。だが、これはマジックなどではなかった。幼少期から不思議な超能力を備えていたジャユンは、それを決して人前で見せてはいけないと養父母から固く注意されていた。世間は自分たちと違う人間を放っておかないから…と。 その頃、同じ放送を見ていたドクター・ペクとミスター・チェは驚く。これはあの逃げた少女に違いない、まだ生きていたのか!と。10年前に事件の起きた施設は、とある巨大企業の生物学研究所だった。そこでドクター・ペクは、遺伝子操作によるミュータントを生み育てることに成功していたのだ。ジャユンはその中のひとりだった。しかも、彼女には他の実験体とは比較にならないほどの優れた知能と超能力と残酷性が備わっており、“怪物”とまで呼ばれる最強のサイキック少女だったのである。 この日を境として、ジャユンの周辺で怪しげな人物が次々と暗躍する。ソウルへ向かう列車でジャユンとミョンヒの前に姿を現す若い男性(チェ・ウシク)、テレビ局の前で待ち伏せていた芸能事務所社長を名乗る男とボディガードたち。最高の実験体を自らの手元に取り戻したいドクター・ペクと、ジャユンを脅威と考える会社の指示で動くミスター・チェ、それぞれが追手を差し向けていたのだ。自分の正体を知らないジャユンは困惑して恐怖に怯えるものの、しかし愛する養父母やミョンヒに危険が迫った時、長く眠っていた彼女の凄まじい能力が一気に覚醒する…。 主演は『梨泰院クラス』のキム・ダミ! ネタバレするわけにはいかないため、残念ながらこれ以上多くは語れないものの、しかしヒロインのジャユンが“生みの親”たるドクター・ペクと対面し、ある衝撃的な真実が明かされる中盤にこそ、本作の核心的なテーマが秘められていると言えるだろう。果たしてジャユンの正体は善なのか悪なのか。そもそも、絶対的な悪=殺人兵器として生を受けた者が、その成長過程によって善へと生まれ変わることは可能なのか。人格形成のプロセスには遺伝子や家庭環境の影響など諸説あるものの、本作は善悪の境界線を曖昧にすることで、その答えを観客の想像と判断に委ねつつ、いったいジャユンの本性はどちらなのか?超能力者として覚醒した彼女は次に何をするのか?というサスペンスを盛り上げる。 もちろん、最強の殺人者としてのポテンシャルをフルに発揮していくジャユンの無双ぶりも大きな見どころだろう。なにしろ、それまでごく普通のか弱い女の子にしか見えなかった彼女が、不敵な笑顔を浮かべながら圧倒的な破壊力を駆使し、次々と悪人どもをなぎ倒していくのだから、そのカタルシスたるやハンパがない。もはやサイキック・バトルというよりも一方的な大虐殺。CGやワイヤーワークを全面に出し過ぎないスタント・アクションも完成度が高い。 監督と脚本を手掛けたのは、『悪魔を見た』(’10)の脚本家として注目され、『新しき世界』(’13)や『V.I.P.修羅の獣たち』(’17)などの韓流バイオレンスをヒットさせて来たパク・フンジョン。これまでハードボイルドな男性映画ばかり撮ってきた彼にとって、本作は珍しいSFアクション系の作品であり、同時に初めて“強い女性”をメインに据えた映画でもある。ヒロインのジャユンは勿論のこと、男社会たる組織での不満を抱えたマッド・サイエンティストのドクター・ペクもまた、ままならぬ人生を自分の思い通りに切り拓こうと闘うタフな女性だ。こうした、ある種のフェミニズム的な傾向もまた本作の意外な要素であり、パク・フンジョン監督の成長と変化を如実に感じさせる。 ジャユン役を演じるのは、参加者1500人のオーディションを勝ち抜いた新人キム・ダミ。日本で大ヒットしたばかりのテレビドラマ『梨泰院クラス』(’20)でもお馴染みの女優だ。これが初の大役だった彼女は韓国内の新人賞を総なめにし、たちまちトップスターの座へと躍り出た。それもそのはず、とにかく恐ろしいくらいに演技が上手い。しかも、あどけない少女の面影を残す無垢な存在感が、天使と悪魔の顔を併せ持つジャユンの得体の知れなさを引き立てる。対する悪女ドクター・ペク役のチョ・ミンスは、キム・ギドク監督の『嘆きのピエタ』(’12)で大絶賛された女優。また、『パラサイト 半地下の家族』の息子役で知られる純朴系俳優チェ・ウシクが、珍しくクールな悪役を演じているのも要注目だ。 なお、数々の謎を残して終わるエンディングをご覧になれば分かるように、本作はシリーズ映画の第1作目に当たる。一説によると三部作になるとも言われているが、最新の情報によると新型コロナのため第二弾の制作はスケジュールを調整中のようだ。■ 『The Witch/魔女』© 2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved