ザ・シネマ なかざわひでゆき
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COLUMN/コラム2020.04.07
詩人ジャン・コクトーの芸術美学が詰め込まれた“大人のための御伽噺”。『美女と野獣(1946)』
原作『美女と野獣』とは…? フランスを代表する詩人であり小説家にして、戯曲家、画家、彫刻家、映像作家などなど、芸術的な好奇心と想像力の赴くままに様々な分野で類稀なる才能を発揮し、20世紀フランスの芸術文化に偉大な足跡を残した天才ジャン・コクトー。その彼が、第二次世界大戦の悪夢によって荒廃した人心を癒す“大人のための御伽噺”として制作し、後のディズニー・アニメ版『美女と野獣』(’91)にも少なからず影響を与えた作品が、この溜息が出るほどに幻想的で耽美的で、ほのかに官能的ですらある元祖映画版『美女と野獣』(’46)である。 原作は18世紀のフランス貴族ヴィルヌーヴ夫人が、1740年に発表した同名の御伽噺。『妖精物語』で知られるドーノワ夫人を筆頭に、17世紀後半~18世紀のパリ社交界では貴族のご婦人方が子供向けの御伽噺を出版することが流行った。それは一見したところ裕福な貴族女性の道楽みたいなものだったが、しかし同時に当時の封建的な貴族社会に対する彼女たちなりのささやかな抵抗という側面もあったと言えよう。しばしば彼女たちは、御伽噺のストーリーに家父長制や男女の不平等に対する痛烈な風刺を込め、抑圧された女性ならではの不満や願望をファンタジーの世界に投影していた。実際、ヴィルヌーヴ夫人の執筆したオリジナル版『美女と野獣』では、ベルおよび野獣それぞれの生い立ちに関する“秘密”が描かれているのだが、そこには当時の貴族社会で当たり前だった政略結婚への不満や、女性の経済的・社会的な自立に対する強い願望が見て取れる。 ただし、現在広く知られている『美女と野獣』の物語は、ヴィルヌーヴ夫人版を簡潔に短縮したボーモン夫人版である。ロンドン在住のフランス人家庭教師だったボーモン夫人は、教え子たちに読み聞かせることを念頭に置いて、自己流にアレンジした『美女と野獣』を1756年に出版。その際に彼女は原典の風刺的な要素をざっくりと取り除き、登場人物や設定をシンプルにすることで、典型的なシンデレラ・ストーリーとしてまとめ上げたのである。その粗筋はこうだ。 とある屋敷に住む裕福な商人には、3人の息子と3人の娘がいる。息子たちは兵隊に出ていて留守。娘たちはいずれも器量良しだったが、しかし最も美しいのは知的で心優しい末っ子のベルで、そのため傲慢で見栄っ張りな姉たちは彼女のことを嫌っていた。あるとき町へ向かった商人は、その帰り道に夜の暗い森で迷ってしまう。たまたま見つけた無人の城で温かい食事にありついた彼は、ベルが土産にバラの花を欲しがっていたことを思い出し、庭に咲いているバラを1輪摘んで持ち去ろうとしたところ、そこに城の主である野獣が現れた。恩を仇で返すのかと商人に迫る野獣は、命と引き換えに娘を差し出すよう要求。帰ってきた父親から話を聞いたベルは、自分が身代わりになろうと野獣のもとへ赴く。彼女の美しさに平伏す野獣。はじめこそ野獣の醜い姿を見て慄くベルだったが、やがて彼の純粋な心に惹かれていく。だが、大好きな父親に会いたい気持ちは募るばかり。そこで彼女は、1週間という期限付きで実家へ戻ることとなる。ところが、意地悪な姉たちはベルを引き留めようと画策。自分の不在中に野獣が衰弱していると知ったベルは、すぐに城へ戻って瀕死の野獣に愛を告白する。そのとたん、呪いの解けた野獣は彼女の目の前でハンサムな王子様に戻り、2人は結婚して末永く幸せに暮らしました…というわけだ。 コクトーと盟友ベラールの作り上げた幻想美の世界 そんな18世紀の古典的な御伽噺を、初めて長編劇映画化したのがジャン・コクトー。基本的な設定やストーリーはボーモン夫人版に忠実だが、最大の違いはヒロインのベル(ジョゼット・デイ)に横恋慕する美青年アヴナン(ジャン・マレー)の存在であろう。映画版に登場する商人の子供たちは娘3人に息子が1人。その放蕩息子ルドビック(ミシェル・オークレール)の悪友がアヴナンだ。ベルが1週間の約束で実家へ戻って来た際、2人の姉はお姫様のような美しい身なりの妹に嫉妬し、多額の借金を抱えたルドビックは野獣(ジャン・マレー2役)の城に眠るという財宝に関心を示すわけだが、ベルが野獣に心惹かれていると気付いたアヴナンは彼らを焚きつけ、野獣を殺して財宝を奪おうと計略を立てる。醜い容姿に美しい心を持つ野獣と、美しい容姿に醜い心を持つアヴナン。この両者を対比させることによって、コクトーは本作を単なるシンデレラ・ストーリーではなく、より深い示唆に富んだ純愛ドラマへと昇華させていると言えよう。 コクトーが本作の構想を練り始めたのは戦時中のこと。詩人として夢や空想の世界を通して真実を語ることを信条としていた彼は、ナチ・ドイツの侵略を受けたうえ、激しい戦火に見舞われ疲弊しきったフランス国民に必要なのはファンタジーだと考え、幼い頃に乳母から語り聞かされた『美女と野獣』の映画化を思いついたのだという。脚本が完成したのは終戦間際の’44年3月。野獣と王子、そしてアヴナンの3役は、当時コクトーの恋人でもあった二枚目俳優ジャン・マレーを当初から想定していた。映画会社ゴーモンとの交渉にはマレーのほか、当初からベル役を熱望していた女優ジョゼット・デイや作曲家ジョルジュ・オーリックらも同席し、’45年6月より撮影がスタートすることとなる。ところが、しばらくしてゴーモンからの出資が役員会議によって反故にされてしまった。理由は「モンスターの出てくる映画など当たるはずがない」から。やはり、当時のファンタジー映画に対する認識・評価はその程度のものだったのだろう。 そこでコクトーが企画を持ち込んだのが、脚本を手掛けた映画『悲恋』(’43)のプロデューサーだったアンドレ・ポールヴェ。脚本の読み合わせに同席した夫人が感動で涙を流したことから、妻の意見を尊重するポールヴェが自身のプロダクションでの制作を決めたと伝えられている。こうしてゴーサインの出た『美女と野獣』だったが、しかし戦前に50分強の中編実験映画『詩人の血』(’30)を発表していたとはいえ、コクトーにとって本格的な長編劇映画を演出するのはこれが初めて。しかも、大掛かりなセットや衣装、特殊効果を駆使するファンタジー映画である。自分一人では心もとないと感じたコクトーは、当時処女作『鉄路の闘い』(’46)を準備中だったルネ・クレマンにテクニカル・アドバイザーとして演出のサポートを依頼。さらに、コクトー自身が全幅の信頼を置く親友の一人、クリスチャン・ベラールに、本作で最も重要な位置を占める美術セットと衣装のデザインを任せることにする。 もともとシュールレアリスムの画家としてキャリアをスタートしたクリスチャン・ベラールは、ココ・シャネルやニナ・リッチなどのファッション・イラストレーター、クリスチャン・ディオールのショップ・デザイナー、バレエ・リュスのポスター・デザイナーとして活躍した人物だが、特に評価が高かったのは舞台演劇における豪華絢爛で想像力豊かな美術や衣装のデザインだった。そんな彼が知人を介してコクトーと知り合ったのは’25~’26年頃。どちらも当時はまだ珍しいオープンリー・ゲイだった2人は、芸術的な感性が似通っていたこともあり意気投合し、コクトーは自身の舞台劇の美術と衣装を彼に任せるようになる。映画未経験のベラールを『美女と野獣』のスタッフに加えることに現場からは異論もあったそうだが、しかし自身のイマジネーションを具現化するために必要不可欠な存在であることから、コクトーは周囲の反対を押し切って彼を起用したという。野獣の特殊メイクデザインも実はベラールの仕事。いわば作品全体のビジュアル・コンセプトを一任されたわけで、本作のオープニングでベラールが「イラストレーター」としてクレジットされている理由はそこにある。 本作でコクトーがベラールを介して表現しようとしたのは、その神秘的な作風が日本でも人気の高い版画家ギュスターヴ・ドレがシャルル・ペローの童話集のために制作した挿絵の世界観。実際、野獣の棲む森や城のシーンには、ドレのイラストにソックリなショットが幾つも出てくる。また、ベルが暮らす実家ののどかな日常風景は、ヨハネス・フェルメールやピーテル・デ・ホーホといったオランダ黄金時代の画家からインスピレーションを得た。女性たちが身にまとう豪奢なコスチュームは、まるでベラスケスやゴヤなど宮廷画家たちの肖像画を彷彿とさせる。廊下の壁から生えた人間の手が燭台を支えていたり、暖炉を囲む彫刻がよく見ると本物の人間だったりと、独創的かつ奇抜な美術セットのデザインにも驚かされる。 そんな摩訶不思議なダーク・ファンタジー的世界を、モノクロの陰影を強調した照明と流れるように滑らかなカメラワークで幻想的に捉えたのが、『ローマの休日』(’53)や『ベルリン・天使の詩』(’87)でも知られる名カメラマン、アンリ・アルカン。コクトーは当初、『詩人の血』で組んだジョルジュ・ペリナルを希望していたが、スケジュールが合わないためクレマンの推薦するアルカンが起用された。この夢と現実の狭間を彷徨うかのごとき、マジカルでシュールレアリスティックな映像美こそ、本作が数多の子供向けファンタジー映画と一線を画すポイントと言えよう。また、コクトーが庇護した作曲家集団「フランス6人組」の一人、ジョルジュ・オーリックによる華麗な音楽スコアもロマンティックなムードを高める。 こうして完成した『美女と野獣』は、出品されたカンヌ国際映画祭でこそ受賞を逃したものの、批評家からも観客からも大絶賛され、権威あるルイ・デリュック賞にも輝く。あのウォルト・ディズニーも本作の高い完成度にいたく感銘を受け、当時構想していた『美女と野獣』のアニメ化企画を諦めたと言われる(その40数年後に映画化されるわけだが)。当のコクトー自身は初めての長編劇映画ゆえ、どう受け取られるのか心配だったらしく、初号試写では緊張のあまり隣に座った親友マレーネ・ディートリヒの手を握りしめ続けていたそうだ。面白いのは、当時は心優しい野獣に同情や親しみを感じるあまり、最後にハンサムな王子様へ変身したことを不満に思う観客も少なくなかったらしい。あの大女優グレタ・ガルボが「私の野獣を返して!」と言ったのは有名な逸話だが、実際に観客からも抗議の手紙が多数舞い込んだそうだ。 これだけある!バラエティ豊かな映像版『美女と野獣』 ちなみに、恐らく今の日本の映画ファンにとって『美女と野獣』といえば、ディズニーによる’91年のアニメ版と’17年の実写版が最も親しまれていると思うが、このコクトー版の大成功を皮切りに、これまで数多くの映画化作品が作られている。その一つが、B級モンスター映画で有名なエドワード・L・カーン監督が撮った『野獣になった王様』(’62)。これは日没とともに野獣となってしまう呪いをかけられた若き王様が、王座を狙う宮廷内の陰謀をかわしつつ、心美しき婚約者のお姫様の愛によって救われるという、原作を大胆に改変したファンタジー映画で、特殊メイクをユニバーサル・ホラーで有名なジャック・ピアースが手掛けていることもあり、野獣が狼男にしか見えないという珍品であった。 ほかにも、ジョン・サヴェージとレベッカ・デモーネイが主演したキャノン・フィルム版『Beauty and the Beast』(’87・日本未公開)は、原作をミュージカル仕立てでほぼ忠実に再現した正統派。フランスでもヴァンサン・カッセルとレア・セドゥを主演に迎えた『美女と野獣』(’14)が作られている。さらに、『美女と野獣』のコンセプトを現代に置き換えた、ヴァネッサ・ハジェンズとアレックス・ペティファー主演の青春ファンタジー『ビーストリー』(’11)という作品もあった。現代版『美女と野獣』と言えば、’80年代に人気を博したリンダ・ハミルトン主演のテレビ・シリーズ『美女と野獣』(’87~’90)および、そのリメイクに当たる『ビューティ&ビースト/美女と野獣』(’12~’16)も忘れてはならないだろう。 また、実はボーモン夫人の原作の舞台をロシアに置き換えてアレンジした小説も存在する。それが、帝政ロシアの文学者セルゲイ・アクサーコフが1858年に出版した『赤い花と美しい娘と怪物の物語』。こちらもソ連時代に映画化され、アニメ版(’52年)と実写版(’78年)が作られているが、どちらも残念ながら日本では公開されていない。そうそう、旧東欧版『美女と野獣』といえば、チェコの鬼才ユライ・ヘルツによる『鳥獣の館/美女と野獣より』(’78)もカルト映画として有名。そのタイトルの通り、巨大な鳥の姿をした野獣のビジュアルがインパクト強烈で、ストーリー自体はボーモン夫人の原作にほぼ忠実であるものの、東欧映画独特の悪夢的な映像美がとてもユニークな作品だ。 『美女と野獣(1946)』© 1946 SNC (GROUPE M6)/Comité Cocteau
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COLUMN/コラム2020.03.31
巨匠コルブッチの作家性を語るうえで重要なマカロニ西部劇の佳作。『スペシャリスト(1969)』
実は『殺しが静かにやって来る』の姉妹編!? リアルタイムでは過小評価されながらも、今やマカロニ西部劇ファンの間ではセルジオ・レオーネとも並び称される巨匠セルジオ・コルブッチ。西部劇を通して人間の欲望と暴力に彩られたアメリカという国の裏歴史を炙り出そうとしたレオーネに対し、コルブッチは西部劇を現代社会の腐敗や不条理を映し出す暴力的な寓話として描いた。そんな彼の代表作といえば、『続・荒野の用心棒』(’66)と『殺しが静かにやって来る』(’68)。これには誰も異論がないだろう。そして、不幸にも長いこと見過ごされてきたものの、実はその『殺しが静かにやって来る』の姉妹編的な存在であり、なおかつコルブッチの作家性を語るうえで重要な作品のひとつが、この『スペシャリスト』(’69)である。 舞台は山々に囲まれた緑豊かなアメリカ北西部。全米に悪名を轟かせる凄腕のガンマン、ハッド・ディクソン(ジョニー・アリディ)が、生まれ故郷の田舎町ブラックストーンへと戻って来る。無実の罪で処刑された兄チャーリーの死の真相を突き止めるために。この付近ではエル・ディアブロ(マリオ・アドルフ)率いるメキシコ人の盗賊団が治安を脅かしており、銀行頭取の未亡人ヴァージニア(フランソワーズ・ファビアン)は、幼馴染でもあるチャーリーに銀行の現金をダラスへ運ばせたのだが、その道中で大怪我をしたチャーリーが発見され、彼が持っていたはずの現金は忽然と消えてしまった。そして、銀行に全財産を預けていた町の住民たちは、チャーリーが現金を奪ってどこかに隠したものと決めつけ、怒りのあまり暴徒と化して嬲り殺してしまったのだ。要するに私刑(リンチ)である。 そんなハッドを出迎えたのは、非暴力主義者の保安官ギデオン(ガストーネ・モスキン)。この町での暴力沙汰は二度と御免だと考えるギデオンは、拳銃の所持を厳しく禁止しており、ハッドもまた例外なく拳銃を没収される。しかし、町の住民は彼が自分たちに復讐するつもりではないかと警戒し、何者かに雇われた殺し屋たちが次々とハッドの命を狙う。一方、ヴァージニアをはじめとする町の有力者たちは、ハッドを利用して行方不明となった現金の在処を探し出し、それが済んだあかつきには彼を始末しようと考えている。そればかりか、エル・ディアブロ一味やよそ者のヒッピー(!?)たちも現金の行方を虎視眈々と狙っていた。果たして、いったい誰がチャーリーを陥れたのか、そして多額の現金はどこに隠されているのか…? 西部劇なのにヒッピーが登場! マカロニ・ウエスタンと言えば、その大半がメキシコ国境付近の荒れ果てた砂漠地帯を舞台とし、主にスペインのアルメリア地方で撮影されていたことは有名だが、しかし本作は『殺しが静かにやって来る』と同じくフレンチ・アルプスでロケされており、まるでテレビ『大草原の小さな家』のような美しい大自然が背景に広がる。マカロニらしからぬルックだ。また、『殺しが静かにやって来る』ではルイジ・ピスティッリが狡猾な銀行頭取ポリカットを演じていたが、本作で登場する銀行頭取の未亡人ヴァージニアの姓もポリカット。もしかして、これは後日譚なのか…?などと勝手な想像も膨らむ。ブラックストーンの町並みもローマ郊外にあるエリオス・フィルムの西部劇セットを使用。かように『殺しが静かにやって来る』との共通点は少なくない。まあ、エリオス・フィルムの西部劇セットに関しては、『続・荒野の用心棒』をはじめコルブッチの西部劇には欠かせないロケーションなのだけれど。 また、コルブッチ作品では往々にして無法者が世の不条理を正すヒーローとなり、本来尊敬されるべき社会的地位の高い人々が強欲で卑劣な悪人、一般市民もまた偽善的な日和見主義者として描かれることが多いのだが、本作は特にその傾向が強い。なにしろ、町を支配する有力者も善良なはずの市民もみんな金の亡者。金銭欲に駆られればリンチで人を殺すことすら厭わない。反対に、どんな時も冷静で正直で良識的なのは、売春婦や黒人奴隷、墓堀人など、普段は一般社会から爪弾きにされている弱者たちだ。コルブッチは『続・荒野の用心棒』や『殺しが静かにやって来る』などでも、世間から後ろ指をさされる底辺の人々に対し、ことさらシンパシーを寄せている。そして、『殺しが静かにやって来る』の保安官がそうであったように、本作の非暴力主義を掲げるギデオン保安官もまた、清廉潔白な理想主義者であるがゆえに最も無力な存在として描かれる。 こうした善悪の逆転したコルブッチの人間描写は、その根底にアメリカ的な資本主義や物質主義、拝金主義に対する彼の強い嫌悪感があることは間違いないだろう。さらにいえば、そうした社会的構造を土台として現代社会に蔓延する、権威主義や経済格差、汚職や差別など、あらゆる不正義に対する皮肉と風刺精神が感じられる。いわば、社会が偽善的で腐りきっているからこそ、ハッドのように筋の通った男はそこからドロップアウトせざるを得ないのだ。その視点は極めて左翼的である。なにしろ、本作が作られた’60年代末は革命の季節。メキシコ三部作と呼ばれる左翼色の強いマカロニ・ウエスタンを撮っていた人だけに、コルブッチが革命世代に共鳴する形で本作を撮ったと考えても不思議はなかろう。 ただ、そうなると興味深いのはヒッピー風の若者たちの描写である。そもそも西部劇にヒッピーってどうなのよ?と言いたいところだが、しかしコルブッチは意図して本作に彼らを登場させている。’71年にフランスの映画雑誌「Image et Son」に掲載されたインタビューによると、コルブッチは映画『イージー・ライダー』(’69)が大嫌いで、ヒッピーやドラッグを嫌悪していたそうだ。つまり、そうしたカウンター・カルチャーへのアンチテーゼとして、表層的にアウトローを気取るだけの無軌道で軟弱なヒッピーたちを西部劇の世界に投入したのだ。ファシスト政政権下のイタリアで育ち、青春時代に第二次世界大戦を経験した、いわば“パルチザン世代”のコルブッチにしてみれば、当時の革命世代の若者たちが掲げる理想には共鳴しても、彼らのやり方は軽薄短小に感じたのかもしれない。 本来の主演はリー・ヴァン・クリーフだった! ちなみに、実はもともとコルブッチ監督とリー・ヴァン・クリーフの初顔合わせとして企画がスタートしたという本作。ストーリーのアイディアにも、ヴァン・クリーフの提案が採用されていたそうだ。ところが、フランス側の出資者が主演に推したのは、当時フランスのみならずヨーロッパで絶大な人気を誇ったロック・シンガー、ジョニー・アリディだった。“フランスのエルヴィス”とも呼ばれたアリディは、57年間のキャリアで1億1000万枚ものレコードを売り上げたスーパースター。しかも当時はその人気の絶頂期で、日本でも大ヒットした『アイドルを探せ』(’63)を筆頭に、数多くの映画にも出演していた。とはいえ、俳優としては正直なところ大根。決して芝居の巧い人ではない。ただ、そのニヒルでクールな反逆児的ルックスはとても画になり、しかも本作では感情表現が必要とされるドラマチックなシーンも少ないため、寡黙で謎めいた凄腕ガンマン、ハッド役にはうってつけだったと言えよう。 一方、ファム・ファタール的なヒロインのヴァージニアを演じているのは、エリック・ロメール監督の『モード家の一夜』(’69)で有名なフランス女優フランソワーズ・ファビアン。若い頃はいまひとつキャリアが伸びず、中年になってから上品な大人の色香で人気を集めた遅咲きの女優さんだが、本作では珍しくヌードシーンまで披露している。というか、基本的にコルブッチはエロスや恋愛の要素にあまり関心がなかったので、彼の西部劇映画に女性のヌードが登場すること自体が異例だったと言えよう。ただ、彼女がレイプされるシーンはもともと脚本になかったらしく、撮影時はコルブッチと激しい口論になったらしい。 ギデオン保安官役のガストーネ・モスキンは、『黄金の七人』(’65)シリーズの泥棒や『暗殺の森』(’70)の捜査官でお馴染みの名脇役。『ゴッドファーザーPARTⅡ』(’72)ではリトル・イタリーの恐喝屋ドン・ファヌッチを演じていた。また、『ダンディー少佐』(’65)や『ブリキの太鼓』(’78)で有名なイタリア系スイス人の怪優マリオ・アドルフが、フェルナンド・サンチョ的なメキシコ盗賊のリーダー、ドン・ディアブロ役で登場し、その豪快かつアクの強い芝居で主役のアリディを食っている。ちなみに、酒場のギャンブラー、キャボット役のジーノ・ペルニーチェは、『続・荒野の用心棒』の生臭坊主ならず生臭宣教師を演じて以来、コルブッチ作品の常連だった俳優だ。 というわけで、本来であればリー・ヴァン・クリーフがハッド役を演じるはずだったものの、大人の都合でジョニー・アリディが起用されたことによって、コルブッチとヴァン・クリーフの夢の初タッグは幻となってしまい、残念ながらその後実現することはなかった。また、本作自体がコルブッチのフィルモグラフィーの中で埋もれてしまい、なおかつ長いこと画質の悪いソフトしか出回っていなかったことから、近年になるまで正当な評価を受けてこなかったことは惜しまれる。■ 『スペシャリスト(1969)』©1970- ADELPHIA CINEMATOGRAFICA - TF1 DROITS AUDIOVISUELS - NEUE EMELKA
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COLUMN/コラム2020.03.04
メルヴィルのノワール美学を最初に確立した傑作ギャング映画。『いぬ』
裏社会に生きる男たちの友情と裏切りと哀しい宿命 フレンチ・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルが生んだ“最初の傑作”とも呼ばれる映画である。メルヴィルといえば、マイケル・マンにウォルター・ヒル、ウィリアム・フリードキン、ジョン・ウー、リンゴ・ラム、キム・ジウン、パク・チャヌク、そして北野武に至るまで、世界中の映画監督に多大な影響を与えたウルトラ・スタイリッシュな演出とダークな映像美で知られているが、その「メルヴィル・スタイル」を最初に確立した作品が、裏社会に生きる男たちの友情と裏切りと哀しき宿命を描いたギャング映画『いぬ』(’63)だった。 原題の「Le doulos」とはフランス語で「帽子」を意味するスラングだが、同時に裏社会では「密告屋」の意味も兼ねるという。日本語タイトルの「いぬ」はそこから来ている。舞台はパリのモンマルトル。6年の刑期を終えて出所した強盗犯モーリス(セルジュ・レジアニ)が、かつての仲間ジルベール(ルネ・ルフェーヴル)のもとを訪ねるところから物語は始まる。服役中も支えてくれたジルベールを躊躇することなく射殺し、彼が直近の強盗仕事で稼いだ宝石類や現金を奪って、拳銃と一緒に街灯の下へ埋めるモーリス。そこへ、ジルベールのボスであるアルマン(ジャック・デ・レオン)とヌテッチオ(ミシェル・ピッコリ)が宝石を回収するため現れるが、モーリスはうまいこと逃げおおせる。 モーリスがジルベールを殺した理由は、服役中に妻アルレットを口封じのため殺害した犯人が彼だったから。友情に厚く裏社会の仁義を重んじるモーリスだが、それゆえ裏切り者に対しては容赦なく、復讐は必ず成し遂げる執念深い男だ。愛人テレーズ(モニーク・エネシー)のアパートに居候している彼は、新たな強盗計画を準備している。協力者は親友シリアン(ジャン=ポール・ベルモンド)とジャン(フィリップ・マルシュ)、レミー(フィリップ・ナオン)の3人だ。シリアンとジャンが手はずを整え、モーリスとレミーが実行に移す。ところが、計画通りに大豪邸へ押し入ったモーリスとレミーだったが、気付くとなぜか警官隊によって包囲されており、慌てて逃亡を図るもののレミーが射殺され、モーリスもサリニャーリ警部と相撃ちで重傷を負ってしまう。その頃、シリアンはテレーズの部屋へ押し入って犯行先の住所を聞き出していた。 ジャンの自宅で目を覚ましたモーリス。ジャンの妻アニタ(ポーレット・ブレイル)に介抱してもらうが、しかしどうやって彼が犯行現場からここまで運ばれたのか彼女は知らず、モーリス本人も意識を失っていたため記憶にない。それよりも誰が警察に密告したのか。レミーはサリニャーリ警部に殺されたし、ジャンは妻に頼んで自分を匿ってくれている。シリアンが警察の「いぬ」だという噂を耳にしたことはあったものの、無二の親友ゆえ頑なに信じようとしなかったモーリスだが、しかしこうなっては彼が密告屋だと考えざるを得ない。しかも新聞報道によると、テレーズが崖から車ごと転落して死んだという。これもシリアンの犯行かもしれない。猛烈な怒りと復讐心に駆られたモーリスは、自分の身に何か起きた時のため宝石を埋めた場所をアニタに伝え、シリアンの行方を探し始めるのだが、しかし警察のクラン警部(ジャン・ドザイー)によって逮捕されてしまう。 一方、シリアンはモーリスがジルベールから奪って埋めた宝石と現金、拳銃を秘かに掘り起こし、そのうえでかつての恋人ファビエンヌ(ファビエンヌ・ダリ)に接触する。今はヌテッチオの愛人となっているファビエンヌに、ジルベール殺しの犯人はアルマンとヌテッチオの2人だと吹き込むシリアン。「お前も今みたいな愛人暮らしなんて嫌だろう」「やつらを始末して俺と一緒にならないか」とファビエンヌに持ち掛けた彼は、アルマンとヌテッチオを罠にはめようと画策する。果たしてその意図とは一体何なのか、そもそもシリアンは本当に警察の「いぬ」なのか…? 偶然の積み重ねから実現した企画 極端なくらいにモノクロの陰影を強調した撮影監督ニコラ・エイエの端正なカメラワークと、厳格なまでにハードボイルドでストイックなメルヴィルの語り口にしびれまくる正真正銘のフレンチ・ノワール。セリフの多さが今となってはメルヴィルらしからぬと感じる点だが、しかしシーンの細部まで時間をかけて描いていくところや、日本の侘び寂びの概念にも通じる空間の取り方などは、まさしくメルヴィル映画の醍醐味。それまでにも『賭博師ボブ』(’56)や『マンハッタンの二人の男』(’59)でノワーリッシュな題材に挑んでいたメルヴィルだが、しかしその後の『ギャング』(’66)や『サムライ』(’67)、『仁義』(’70)、『リスボン特急』(’72)といった代表作に共通する、トレードマーク的な演出スタイルを初めて総合的に完成させた映画は本作だったと考えて間違いないだろう。 原作はフランスの大手出版社ガリマール傘下の犯罪小説専門レーベル、セリエ・ノワールから’57年に出版された作家ピエール・ルズーの同名小説。その校正刷りを手に入れて読んだメルヴィルはたちまち魅了され、自らの手で映画化することを望んでいたが、しかし密告屋と疑われる主人公シリアンに適した役者に心当たりがなく、これぞと思える人材と出会うまで企画を温存しておこうと考えたそうだ。それから3年後、メルヴィルは彼を心の師と仰ぐジャン=リュック・ゴダールの出世作『勝手にしやがれ』(’60)に俳優として出演し、そこで2人の人物と知り合って意気投合する。それが、同作のプロデュースを手掛けた新進気鋭の製作者ジョルジュ・ドゥ・ボールガールと主演俳優ジャン=ポール・ベルモンドだ。 ゴダールやジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダらの名作を次々と手がけ、ヌーヴェルヴァーグの陰の立役者となったボールガールは、当時イタリアの大物製作者カルロ・ポンティと組んでオーム・パリ・フィルムという制作会社を経営していた。『勝手にしやがれ』でメルヴィルと知遇を得た彼は、第二次世界大戦下のフランスを舞台に若き神父とレジスタンス女性の愛を描いたメルヴィル監督作『モラン神父』(’61)をジャン=ポール・ベルモンドの主演でプロデュース。続いてクロード・シャブロルの『青髭』(’63)を準備していたボールガールだったが、撮影に入る直前に共同製作者が突然降板したため予算不足に陥ってしまう。そこで彼は、手元にある資金で確実に当たる低予算の娯楽映画を急ピッチで製作し、そこから得た利益を『青髭』の予算に充てることを思いつき、その大役をメルヴィルに任せることにしたのだ。 ボールガールからメルヴィルに提示された条件は、当時すでにフランス映画界の若手トップスターとなっていたジャン=ポール・ベルモンドを主演に起用すること、そしてフランス庶民に絶大な人気を誇るセリエ・ノワールの犯罪小説シリーズから原作を選んで映画化することだった。当然、メルヴィルが選んだのは以前から目星をつけていた『いぬ』である。しかも、前作『モラン神父』で組んだベルモンドは主人公シリアンのイメージにピッタリだった。彼にとってはまさしく千載一遇のチャンス到来である。すぐさま脚本の執筆に取り掛かったメルヴィルは、’62年の晩秋から冬にかけて撮影を行い、翌年2月の劇場公開に間に合わせるという超速スケジュールを敢行。結果的に当時のメルヴィルのキャリアで最大のヒットを記録し、一か八かの賭けに出たボールガールも無事に『青髭』の製作費を確保することが出来たのである。 メルヴィル映画のアンチヒーロー像を体現したベルモンド 小説版の基本的なプロットだけを残し、それ以外は自由自在に脚色したというメルヴィル。先述したような洗練されたビジュアルの美しさもさることながら、誰が密告者で誰が嘘をついているのか、友情と裏切りと疑心暗鬼の渦巻く一連のストーリーの流れを、警察の「いぬ」と疑われたシリアンと彼への復讐に燃えるモーリス、それぞれの視点から交互に描きつつ、やがて予想外の真相へと導いていく脚本の構成が実に見事だ。蓋を開けてみれば「なるほど、そういうことか」と思えるものの、しかしそこへ辿り着くまでに観客の目を欺き翻弄していくメルヴィルの手練手管には舌を巻く。また、シリアンが警察署で尋問を受けるシーンも、実はおよそ10分近くにも及ぶワンカット撮影なのだが、あえてそうと観客に気付かせない巧みな演出に感銘を受ける。 常にクールで無表情、何を考えているか分からない謎めいた男シリアンを演じるジャン=ポール・ベルモンドも、ゴダールのヌーヴェルヴァーグ映画やフィリップ・ド・ブロカのアクション映画などで見せるエネルギッシュな個性とは全く異なる、メルヴィル映画らしいダンディなアンチヒーロー像を体現していてカッコいい。興味深いのは、トレンチコートに中折れ帽を被ったそのいで立ちが、長年のライバルと目されていた『サムライ』のアラン・ドロンと酷似している点であろう。そもそも、シリアンとモーリスの2人の主人公が鏡に向かって帽子を整えるシーンを含め、本作には後の『サムライ』を彷彿とさせるムードが色濃い。そういう意味でも、メルヴィル・ファンであれば見逃せない作品だ。 しかし、恐らく本作で最も印象深いのはモーリス役を演じるセルジュ・レジアニであろう。冷酷非情な犯罪者でありながら、その一方で暗黒街の掟や仁義を何よりも尊重する、まるで日本の任侠映画に出てくるヒーローのような男。アメリカの古い犯罪映画だけでなく、黒澤明や溝口健二などの日本映画も熱愛したメルヴィルならではのキャラクターだ。ジャック・ベッケルの『肉体の冠』(’51)でレジアニを見て以来、いつか一緒に仕事をしたいと熱望していたメルヴィルは、決して感情を表に出すことなく抑制を効かせた彼の芝居を高く評価していたという。ベルモンドが役作りをする際にも、メルヴィルはレジアニをお手本にするよう指導したとされる。しかし、あまりにもメルヴィルがレジアニばかりを褒めるものだから、すっかりベルモンドはへそを曲げてしまったらしく、直後に撮影された次回作『フェルショー家の長男』(’63・日本未公開)を最後に2人は袂を分かつこととなる。 なお、メルヴィルは『ギャング』の主人公役にもレジアニを起用しようと考えたが、紆余曲折あってリノ・ヴァンチュラを代役として立てることに。やはり、ビッグネームとは言えないレジアニに、映画の看板を背負わせるのは難しかったのだろう。その後、レジスタンス映画『影の軍隊』(’69)の脇役としてレジアニを使ったメルヴィルだが、彼らのコラボレーションもそれっきりとなってしまった。■ 『いぬ』© 1962 STUDIOCANAL - Compagnia Cinematografica Champion S.P.A.
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COLUMN/コラム2020.03.03
人間としての尊厳を賭けて闘う負け犬たちを描いた巨匠アルドリッチのスポ根映画。『ロンゲスト・ヤード(1974)』
低迷するアルドリッチにとって起死回生の大ヒットに 西部劇からフィルムノワール、戦争アクションにメロドラマと、その30年近くに渡る監督人生で様々なジャンルの映画を網羅しつつ、しかし常に人間としての尊厳や誇りを賭けて闘う人々の意地と執念を描き続けた反骨の巨匠ロバート・アルドリッチ。中でも、アカデミー賞5部門にノミネートされたホラー・サスペンス『何かジェーンに起ったか?』(’62)から、戦争映画の大傑作『特攻大作戦』(’67)に至るまでのおよそ5年間は、彼のキャリアにおいてまさに黄金期だったと言えよう。 ’70年代に入ってからも『傷だらけの挽歌』(’71)や『ワイルド・アパッチ』(’72)、『北国の帝王』(’73)など、今なおファンが愛してやまない名作群を発表したアルドリッチだが、しかし興行的にはいずれも惨敗を喫してしまう。そんな、もはや過去の人となりつつあった当時の彼にとって、思いがけず起死回生の大ヒットを記録した作品が、刑務所内のアメフト・マッチを描いた異色のスポ根映画『ロンゲスト・ヤード』(’74)だったのだ。 主人公はかつてプロのアメフト・リーグで、クォーターバックとして鳴らした元スター選手ポール・クルー(バート・レイノルズ)。しかし八百長疑惑によって選手生命を絶たれ、今は金持ちの愛人女性メリッサ(アニトラ・フォード)に食わせて貰っている。要するにヒモだ。そんな自分の生活に嫌気が差したのか、酒に溺れて自暴自棄になったポールは、メリッサを暴行して彼女の高級車を盗み、通報を受けたパトカーと盛大なカーチェイスを繰り広げた末にあえなく御用。1年半の懲役刑を宣告されて刑務所送りとなる。 ジョージア州の刑務所でポールを待っていたのは、「フットボールは若者の教育に役立つ!」「団結の精神が育まれる!」と鼻息を荒くするヘイズン所長(エディ・アルバート)。暇を持て余したプチ権力者の道楽として、看守たちで結成したセミプロのアメフト・チームを育成している所長は、意気揚々とした面持ちでポールにコーチを依頼する。しかし、囚人ごときに指導なんぞされてたまるもんか!とばかりに、看守長クナウアー(エド・ローター)から「コーチを引き受けたらぶっ殺す!」と脅迫されたポールは、わが身を守るため所長の申し出を断らざるを得ない。その結果、ヘイズン所長の機嫌を損ねてしまい、過酷な重労働に従事させられることに。そればかりか、看守たちから連日に渡って執拗な嫌がらせを受け、怒り心頭のポールはクナウアーに食ってかかったせいで独房送りになってしまう。 そこで再びヘイズン所長が登場。独房から出してもらうための条件として、ポールは看守チームの練習台となる囚人チームの育成を引き受ける。刑務所内で意気投合した“便利屋”ことファレル(ジェームズ・ハンプトン)、元プロのアメフト選手だったネート(マイケル・コンラッド)らの協力を得て、囚人たちの中から目ぼしいメンバーを集めてトレーニングに励むポール。普段から看守たちに虐められている彼らは、試合にかこつけて看守たちを殴れる絶好のチャンスとばかり喜び勇んで参加する。さらに、そんな彼らの様子を見た黒人たちもチームに合流。いつしか対立する人種の垣根も取り払われ、囚人たちは一丸となって看守チームとの対戦を目指すようになる。 とはいえ、囚人チームはあくまでも看守チームの引き立て役にしか過ぎない。ヘイズン所長は刑務所内に建てたスタジアムへ一般客を集め、練習試合で自らが率いる看守チームを勝利させることで、自分の権力をこれ見よがしに誇示するのが目的。なので、はなから囚人チームが勝つことなど許されていないのだ。そればかりか、看守たちはポールの足を引っ張ろうと画策し、クナウアーに煽られた刑務所内のタレコミ屋アンガー(チャールズ・タイナー)によって、大切な仲間であるファレルが殺されてしまう。これ以上やつらに踏みつけにされてたまるもんか!いよいよ迎えた試合の当日、グラウンドへ降り立ったポールたちは、己の尊厳を賭けて本気で勝ちに行こうとするのだが…? ベテランの巨匠らしからぬノリの良さが魅力 言うなれば、一般社会からドロップアウトして犯罪者へと落ちぶれた負け犬たちが、アメリカン・フットボールに全力投球することで生きる目的を見出し、勝ち目のない試合を戦い抜くことで自分たちを虐げる権力に対して反逆を試みるというお話。実に痛快かつ爽快で胸のすく映画であり、たとえアメフトに興味がなくとも血沸き肉躍ること間違いなし!恐らくそれこそが、スポーツ映画は当たらないという当時のハリウッドのジンクスをものの見事に覆し、年間興行収入ランキングで9位に食い込む大ヒットを記録した最大の理由であろう。 実にアルドリッチらしい反骨映画・反体制映画と言えるが、しかし物語のアイディアは製作者アルバート・S・ルディのものだった。そもそも、主人公ポールはルディの知人をモデルにしているという。具体的な名前は明かされていないものの、その人物はドラフト1位でロサンゼルス・ラムズに入団し、私生活では資産家令嬢と結婚したアメフト選手だったらしいのだが、脚の怪我が原因で選手生命を絶たれてしまい、妻の財産で生活せねばならない羽目になったという。ある日、たまたまその夫婦を街で見かけたルディは、金持ちの妻に高級スーツを買ってもらっている知人の姿を見て、本作のストーリーを考え付いたのだとか。なお、その後知人は妻に棄てられてしまったそうだ。 脚本を書いたのは往年の名脇役キーナン・ウィンの息子トレイシー・キーナン・ウィン。彼はトルーマン・カポーティが刑務所内の悲惨な現実を描いた小説のテレビ映画化『暗黒の檻を暴け』(’72)の脚本を手掛けており、その実績を買われての起用だったという。当時フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』(’72)をプロデュースして大当たりさせたルディは、同作の配給を担当したパラマウントから資金を調達することに成功。主人公ポール役にはフロリダ州立大学時代にアメフトの花形選手だったバート・レイノルズを口説き落とし、さらに監督として以前から組んでみたかった巨匠ロバート・アルドリッチに白羽の矢を立てる。 また、当時ジョージア州知事だったジミー・カーター(後の第39代アメリカ合衆国大統領)が本作に協力的で、ロケ地であるジョージア州立刑務所の撮影許可も特別に取ってくれたという。ところが、クラウンクインの3週間前になって突然、パラマウントから一方的に制作中止の通達が出たのだそうだ。最終的にルディが押し切る形で撮影開始されたのだが、なにしろ当時は「スポーツ映画は当たらない」が定説だったうえ、監督はこのところ興行的に失敗作続きのアルドリッチ、主演は人気沸騰中のセックス・シンボルとはいえ映画の一枚看板としては未知数のバート・レイノルズということで、スタジオ側としては当たるかどうか懐疑的だったのだろう。 どこか肩の力が抜けたように感じられるアルドリッチの演出は、もしかすると本作ではプロデュース面にタッチせず、雇われ監督に徹することが出来たからかもしれない。その語り口はまさに奇妙洒脱。『残虐全裸女収容所』(’72)などのB級映画でお馴染みのクール・ビューティ、アニトラ・フォードが無駄に肌を露出し、パトカーとのカーチェイスから酒場での乱闘へとなだれ込むタイトル前のオープニング・シークエンスだけを見ても、本作が純然たる男性向けプログラム・ピクチャーであることがよく分かる。基本的にシリアスな本作がしばしばコメディと呼ばれるのは、この圧倒的なノリの良さに依るところが大きいと言えよう。さらに、後半のアメフト・シーンでは、アルドリッチにしては珍しくスプリット・スクリーンを多用し、スポーツ映画としての臨場感と高揚感をガンガンと煽っていく。当時50代半ばを過ぎたベテラン監督とは思えないような若さだ。 トップスターとしての地位を確立したバート・レイノルズ 主演のバート・レイノルズは当時ジョン・ブアマンの『脱出』(’72)でブレイクしたばかり。雑誌「コスモポリタン」に掲載された胸毛ボーボーのヌード・グラビアも話題となり、一躍セックス・シンボルとして時の人となったものの、まだどこかイロモノ扱いされているところがあり、前年の『白熱』(’73)と本作の連続ヒットでようやくトップスターとしての地位を確立することとなった。 その相棒である便利屋ファレルには、『ティーン・ウルフ』(’85)のお父さん役でお馴染みのジェームズ・ハンプトン、ビーハイブ・ヘアのエロい所長秘書役には当時まだ無名だったブロードウェイの大女優バーナデット・ピータース。どちらもバート・レイノルズの親しい友人で、彼の推薦によってキャスティングされたという。また、ポールを脇で支える温厚で頼りになるネートを演じるマイケル・コンラッドは、本作で知名度を上げて後にテレビ『ヒルストリート・ブルース』で2度のエミー賞に輝く。 悪役のヘイズン所長を演じるのは名優エディ・アルバート。『ローマの休日』(’53)や『オクラホマ!』(’55)など善人のイメージが強い人だけに、外面だけは良い独善的な卑怯者という役柄は妙に説得力がある。さらに、その腰巾着でサディスティックな看守長クナウアー役のエド・ローターも超はまり役。この人も善人から悪人まで幅広く演じられる優れた性格俳優で、本作を機にヒッチコックの『ファミリー・プロット』(’76)などで重要な脇役を任せられるようになる。 そうそう、007シリーズのジョーズ役で有名になるリチャード・キールが、体はデカいけどお人好しな囚人サムソン役で顔を出しているのも要注目。彼は本作の撮影中にコインランドリーで知り合った地元の女性と結婚したのだそうだ。なお、終盤のアメフト・シーンで65番のユニフォームを着ている囚人チームの選手(カメラに向かってブラドヌールのジェスチャーをする)は、バート・レイノルズの実弟ジム・レイノルズである。 ちなみに、オープニングでポールがパトカーとチェイスを繰り広げる車は1973年型のシトロエンSM。撮影では実際にバート・レイノルズ本人が、盟友ハル・ニーダムの指導のもとで運転している。結局、クラッシュした挙句に水没してしまうわけだが、よく映像を見ると車体後部に引き上げ用のワイヤーがはっきりと映っている。なにしろ高級車なので廃棄処分するには忍びないということで、撮影終了後にコレクターへ売却されたのだそうだ。■ 『ロンゲスト・ヤード(1974)』Copyright © 1974 by Long Road Productions. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2020.02.04
ヴィン・ディーゼルが当たり役を演じた壮大なスペース・サーガ。『リディック』
究極のアンチヒーロー、リディックとは? ‘00年2月に全米公開され、予想外のスマッシュヒットとなったSFアクション『ピッチブラック』。当時スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(’98)において、体は厳ついが心は優しいカパーゾ二等兵役で注目されたばかりのヴィン・ディーゼルを中心に、ラダ・ミッチェルやコール・ハウザー、キース・デイヴィッドなど、いわゆる中堅どころの地味なキャストを揃えた低予算B級映画で、内容的にも『エイリアン』シリーズの二番煎じに過ぎないような作品だったが、しかし劇場公開後もDVDソフトが好調なセールスを示すなどカルト的な人気を博した。その最大の理由が、獰猛なエイリアンを素手で殴り倒す宇宙のお尋ね者リディック(ヴィン・ディーゼル)のインパクト強烈なキャラである。 スキンヘッドにバルクマッチョな肉体がトレードマークの屈強な男リディック。まだへその緒が付いた赤ん坊の頃に捨てられ、人生の大半を銀河系の様々な監獄惑星で過ごしてきたという天涯孤独の犯罪者だ。いつもゴーグル型のサングラスを着用しているのは、夜目が利くように改造した眼球を日差しから守るため。タバコ20箱と引き換えに刑務所の医師に手術を受けたと語っているが、実際のところ本当なのかは誰にも分からない。冷酷非情で残忍な宇宙屈指の悪党と呼ばれており、他人を寄せ付けない威圧的な雰囲気を漂わせているものの、しかしそれは弱肉強食の大宇宙を生き抜くための処世術でもある。自分以外の人間を信用せず、あえて他者に情けをかけたりしないのは、実のところ裏切られて傷つくことを恐れているからだ。 まさしく人間味あふれる究極のアンチヒーロー。シニカルでクールな冷血漢を気取ったリディックが、宇宙船の故障によって砂漠の広がる未知の惑星へと不時着し、どこまでも真っ直ぐで正義感の強い女性パイロット(ラダ・ミッチェル)に心動かされることで、惑星の暗闇に潜むモンスターの群れから他の生存者たちを守るため戦うことになる…というのが『ピッチブラック』の本質的な面白さだった。演じるヴィン・ディーゼルにとっても思い入れの強い役柄だったらしく、撮影中から既に続編の構想を練っていたのだとか。その後、『ワイルドスピード』(’01)と『トリプルX』(’02)でヴィンが一躍大ブレイクしたことから、製作元ユニバーサルは改めてリディックを単独の主人公に据えた続編を企画。それがこの『リディック』(’05)というわけだ。 強大な宿敵ネクロモンガー現る! 物語は前作から5年後。聖職者イマム(キース・デイヴィッド)と少年に化けた少女ジャックを未知の惑星から救出したリディックは、お尋ね者である自分の存在が彼らの迷惑にならぬよう、雪に閉ざされた極寒のUV星系第6惑星に身を潜めていた。ところが、そこへトゥームズ(ニック・チンランド)率いる賞金稼ぎチームがやって来る。しかも、その依頼主は他でもないイマムだった。友人に裏切られた思いのリディックは、真相を確かめるべくイマムの暮らすヘリオン第1惑星へと向かう。そこで彼は、イマムに紹介されたエレメンタル族の預言者エアリオン(ジュディ・デンチ)から、宇宙の侵略者ネクロモンガー帝国の軍団がヘリオンへと迫っていることを知らされる。 本編中での解説が断片的で分かりづらいため、ここで基本的な設定をまとめてみよう。ネクロモンガーとはネクロイズムの神を信仰する邪悪な民族で、もともとは惑星アシュラムの都市ネクロポリスを基盤にしていたのだが、やがて巨大宇宙空母バシリカを先頭に宇宙大艦隊を編成し、約束の地アンダー・ヴァースを目指して大移動を続けている。そして、多様な民族が多様な宗教を信仰しながら共存共栄する世界を否定し、全ての民族が一つの絶対的な宗教のもとに支配される全体主義的な世界を志向する彼らは、行く先々の惑星を次々と侵略して住民に改宗を迫り、歯向かう者は容赦なく抹殺してきたのだ。 この恐るべきネクロモンガー帝国の専制君主が6代目ロード・マーシャル(コルム・フィオール)。ただひとり、アンダー・ヴァースへ行ったことのある彼は、生と死の両方を兼ね備えた新たな生命体として戻ってきた。そのため、霊体と実体を使い分けた高速移動が可能で、超人的な攻撃能力を持ち合わせている。そんなロード・マーシャルの右腕が軍指揮官ヴァーコ(カール・アーバン)。主君に絶対服従を誓う忠実な家臣だが、野心家のヴァース夫人(タンディ・ニュートン)は夫の地位に満足しておらず、現ロード・マーシャルを亡き者にして夫を後釜に据えようと画策する。また、異教徒を改宗させるための説教師的な役割を果たす側近ピュリファイア(ライナス・ローチ)も、ある重大な秘密を周囲に隠していた。実のところ、侵略者ネクロモンガーも決して一枚岩ではないのである。 そして、いよいよヘリオン第1惑星へネクロモンガーの大軍が出現し、一夜にして占領されてしまう。妻子を逃がそうと抵抗したイマムは殺害され、大勢の住民が捕らえられて強制的に改宗させられる。辛うじて脱出することに成功したリディックは、わざとトゥームズの賞金稼ぎ一味に捕まり、灼熱の監獄惑星クリマトリアへ収監されることに。実はここに、かつてジャックという少年を名乗り、今はすっかりタフな若い女性へと成長したキーラ(アレクサ・ダヴァロス)が囚われの身となっていたのだ。昼間の気温は700度、夜間はマイナス300度にまで下がるクリマトリア。その地下刑務所をキーラと共に脱走し、ネクロモンガー帝国に戦いを挑もうとするリディックだったが…? 伝統とハイテクを融合した独特の世界観が魅力 特定の空間を舞台にしたモンスター・パニック的なB級SFアクションだった前作から一転し、まるで『スター・ウォーズ』シリーズを彷彿とさせる壮大なスペース・サーガへと大きく路線変更した本作。同じデヴィッド・トゥーヒー監督の演出とは思えないくらい、その映像的な印象はガラリと様変わりしている。シリーズ物によくありがちな、前作を踏襲しただけで終わるという失敗を避けたかったと監督は語っているが、なるほど、そういう意味ではかなり成功していると言えよう。また、1作目を見ていなくてもだいたい設定を把握できる脚本も親切だ。 中でも素晴らしいのは、絢爛豪華な美術セットや衣装のデザインである。ネクロモンガー帝国の建築物はバロック様式を採用し、軍隊の鎧兜には十字軍のイメージを投影したという。ゴシック様式だとあまりにもありきたりだから…というのが理由だそうだが、しかし先述したようなネクロモンガーの設定から考えても、バロックと十字軍という組み合わせは極めて妥当な選択だ。一方、ヘリオン第1惑星の都市ニュー・メッカはイスラム様式で統一。部分的にはアールデコの要素も取り入れられている。このような、中世の伝統と未来のハイテクを融合した独特の世界観は、なんとなくデヴィッド・リンチ監督の『砂の惑星』(’84)やピーター・イェーツ監督の『銀河伝説クルール』(’83)を彷彿とさせて面白い。 また、CGやグリーンバックにばかり頼ることなく、実物大セットとミニチュア・セットを使い分けながら作り上げられた王道的なVFXも好感が持てる。これはとても重要なポイント。どれだけ巧妙に仕上げられたCGでも、やっぱり本物の質感には敵わない。特に、本作が製作された’05年当時の技術を考えれば、まことに賢明な判断だと言えよう。ニュー・メッカの大通りを猛ダッシュするリディックに、ネクロモンガーの宇宙船が突っ込んでくるシーンも、実はCGでなくミニチュア合成だったりする。この時、ひっくり返った宇宙船に人物像のレリーフが彫られているのだが、これよく見るとデヴィッド・トゥーヒー監督の肖像(笑)。まさかのカメオ出演(?)である。 ちなみに、ネクロモンガーの軍隊に青い光を放つゴーグルマスクを被った奇妙な人々が混じっているが、監督自身の説明によると、あれは生命体を感知するレンザーという能力者で、負傷した元敵兵を手術で改造したヒューマノイドなのだとか。また、リディックの記憶を読み解こうとするクアジ・デッドなる不気味な連中は、いわばネクロモンガーの苦行僧みたいなもので、一切の食を拒むことで精神を統一し、テレパシーを使って人間の心や記憶を読むことが出来る。ただ、脳だけが発達して肉体が衰退したため、動いたり喋ったりできないことから、聖杯に溜められた水を通して会話するのだそうだ。この辺りも、劇中ではいまひとつ説明が足りないので、参考にしながら見て頂きたい。 で、やっぱり最大の見どころは我らがアンチヒーロー、リディックである。前作よりもさらに詳しく人物背景が描き込まれ、独特の考え方や価値観なども明確になることで、より人間的な魅力が増していると言えよう。その辺りは、一見したところ怖そうだけどよく見ると優しい目をしている、ヴィン・ディーゼル自身の魅力とも相通ずるものがある。本作に続いてシリーズ第3弾『リディック:ギャラクシー・バトル』(’13)も作られ、現在は4作目『Furya』(仮タイトル)の企画も進行中と伝えられているが、彼にとって『ワイスピ』シリーズのドミニクや『トリプルX』シリーズのザンダーと並ぶ当たり役であることは間違いない。■ 『リディック』©2004 Universal Studios All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2020.02.03
これが不滅のマカロニ・ヒーロー、ジャンゴの原点だ!『続・荒野の用心棒』
世界を席巻したジャンゴ旋風 マカロニ・ウエスタンの生んだ最大のヒーロー、ジャンゴの原点である。1966年4月に本国イタリアで封切られたのを皮切りに、同年9月には日本で、11月には西ドイツとフランスで劇場公開され、各国で関係者の予想を遥かに上回る大ヒットを記録したセルジオ・コルブッチ監督作『続・荒野の用心棒』。その主人公こそが、マシンガンを隠した棺桶を引きずるニヒルでシニカルな凄腕ガンマン、ジャンゴ(フランコ・ネロ)だった。あまりの熱狂ぶりから非公式の続編映画、つまり勝手に主人公をジャンゴと名乗らせた無関係なイタリア産西部劇が続々と作られ、その数は30本を超えるとも言われている。 ただし、フランコ・ネロがジャンゴを演じた作品は、オリジナルの本作と唯一の正式な続編『ジャンゴ/灼熱の戦場』(’87)の2本だけ。それ以外は、トーマス・ミリアンやアンソニー・ステファン、テレンス・ヒルにジョージ・イーストマンなど、様々な俳優たちがジャンゴを演じてきた。ちなみに、ジャンゴというキャラの名付け親は、本作で共同脚本を手掛けているピエロ・ヴィヴァレッリ。ちょうど彼は当時、コルブッチ監督にジャンゴ・ラインハルトのレコードを貸していたことから、打ち合わせで主人公の名前をどうしようかという話題になった際、思いつきでジャンゴと命名したのだそうだ。 さらには、シャマンゴやらデュランゴやらシャンゴやらと、似たような名前のマカロニ・ヒーローまで登場。中でも特にジャンゴ人気の高かった西ドイツでは、フランコ・ネロが主演する西部劇のタイトルを、配給会社が片っ端からジャンゴ映画シリーズへ変えてしまったという。ちょうど、日本の配給会社がセルジオ・レオーネ監督作『荒野の用心棒』(’64)と無関係の本作を、勝手に続編と銘打って公開してしまったように。 とはいえ、実は『荒野の用心棒』と本作には浅からぬ縁がある。ご存じの通り、『荒野の用心棒』は黒澤明の時代劇『用心棒』(’61)を西部劇として翻案したわけだが、レオーネにそのアイディアを提案したのは他でもないコルブッチだったそうだ。2人はコルブッチがレオーネの初監督作『ポンペイ最後の日』(’59)を手伝って以来の友人で、家族ぐるみの付き合いがあるほど親しい仲だった。さらに言えば、この『続・荒野の用心棒』のストーリーもまた、黒澤の『用心棒』を下敷きにしているのだ。 数多のマカロニ西部劇群でも類を見ないバイオレンス 舞台はメキシコ国境に位置する、泥濘だらけの寂れた田舎町。棺桶を引きずりながら泥にまみれて現れた元北軍兵のガンマン、ジャンゴ(フランコ・ネロ)は、今まさに処刑されかけている娼婦マリア(ロレダーナ・ヌシアック)を救出し、人気のない町で唯一営業している酒場へとやってくる。この町ではジャクソン少佐(エドゥアルド・ファヤルド)率いる元南軍のならず者集団と、ロドリゲス将軍(ホセ・ボダロ)率いるメキシコ革命軍が、縄張りを巡ってお互いに睨みあっていた。マリアはその両方を裏切ったために殺されかけたのだ。到着早々、ジャクソン少佐の手下たちを挑発するジャンゴ。実は彼、最愛の女性をジャクソン少佐一味に殺されていたのだ。己の復讐のために2大勢力を翻弄し、両者が共倒れするよう仕組むジャンゴだったが…? なるほど、日本の配給会社が『荒野の用心棒』の続編として売り出そうと考えたのも無理からぬ話。コルブッチ自ら、本作のストーリーやビジュアルは一連の黒澤明作品にインスパイアされたと回顧録に記しているが、少なくとも基本設定は『用心棒』を下敷きにしていると見て間違いないだろう。それゆえ、『荒野の用心棒』と似ている部分も少なくないわけだが、しかしその終末的な殺伐とした映像の世界観は、レオーネ作品よりもこちらの方がずっと黒澤映画に近い。さながら『七人の侍』と『用心棒』のハイブリッドといった印象だ。 やはり本作最大のハイライトは、中盤の棺桶に隠したマシンガンでジャクソン少佐一味を撃退するシーンだろう。この意表を突くと同時に胸のすくようなシーンのおかげで、マシンガンは以降のマカロニ・ウエスタンにおける必須アイテムのひとつとなり、オルガンやらミシンやらにマシンガンを仕込んだジェームズ・ボンド映画ばりの秘密兵器まで登場するようになる。また、凄惨なバイオレンス描写の面でも本作は、その後のイタリア産西部劇に多大な影響を与えたと言えよう。中でも最もインパクト強烈なのは、ロドリゲス将軍がジャクソン少佐の手下の耳をナイフで切り落として本人の口へ突っ込むシーン。残酷描写を売り物にしたことで、正統派の西部劇ファンからは眉をひそめられることの多いマカロニ・ウエスタンだが、それでもここまで過激な描写は他になかなかない。 さらに、マカロニ・ウエスタン最高の看板スターであるフランコ・ネロを輩出したことも、本作の大きな功績のひとつに数えられるだろう。もともと、コルブッチ監督は前作『リンゴ・キッド』(’66・公開時期は本作の後)に主演したアメリカ人俳優マーク・ダモンをジャンゴ役に考えていたのだが、そんな彼に助監督のルッジェロ・デオダートが「クリント・イーストウッド似の俳優がいる」と推薦する。それが、アントニオ・マルゲリティ監督のSF映画『惑星からの侵略』(’65)の撮影現場でデオダートと知り合った、当時まだ23歳の駆け出し俳優フランコ・ネロだったのである。 ただ、当初コルブッチはオーディションに現れたネロのことを気に入らなかったという。そんな彼に考え直すよう説得したのはコルブッチ夫人のノーリだった。ところが、プロデューサー陣は依然としてマーク・ダモンを推しており、さらにはピーター・マーテルことピエトロ・マルテランザではどうかという声も上がる。結局、なかなか意見がまとまらないことから、配給会社の社長に3人の宣材写真を見せて選んでもらうことに。その際に指をさされたのがネロだったのだそうだ。いやあ、そんな適当な方法で主演俳優を決めるのもアリなのか(笑)。 イギリスでは実質上の上映禁止に…!? 撮影が始まったのは’65年の12月、ちょうどクリスマスの2日前のこと。といってもジャンゴが酒場の2階の部屋でマリアと対面するシーンを、ローマ近郊の撮影所エリオス・フィルムで1日かけて撮ったのみで、本格的な撮影は年明けにスペインでスタートしたという。ただし、コルブッチ監督は独裁者フランコ将軍の政権下にある当時のスペインを嫌ったため、スペインでの演出は助監督デオダートに任されたという。その間にエリオス・フィルムでは美術監督カルロ・シーミが町の屋外セットを完成させ、すぐに撮影隊はイタリアへ戻ることになる。 ちなみに、当時のエリオス・フィルムはほとんど使われておらず、敷地の整備も全くされていなかった。それゆえに格安で借りられたのだが、なにしろ雨が多いため土地も泥だらけ。どうしたものかとスタッフが困っていたところ、監督はこの荒れ放題の環境をそのまま生かして屋外セットを作るよう指示したのだそうだ。その現場にはコルブッチの次回作『さすらいのガンマン』(’66)に主演が決まったバート・レイノルズや、盟友レオーネも見学のために訪れたという。先述した耳切断シーンの撮影に立ち会ったレイノルズはビックリ仰天したと伝えられる。 なお、冒頭で紹介した通り世界各国で大成功した本作だが、実はイギリスとアメリカでは事情が大きく違った。まずイギリスでは、残酷描写を理由にBBFC(全英映像等級審査機構)から審査そのものを拒否され、実質的に上映禁止の憂き目に遭ってしまう。’80年代にホラー映画をビデオ市場から駆逐しようとしたブラックリスト「ビデオ・ナスティー」の例もあるように、昔からイギリスは残酷描写の規制が非常に厳しいのだ。その後、’80年に海賊版ビデオが出回るようになり、’84年に正規版のホームビデオが発売されることに。そして、’93年になってようやく映画館での上映が許可される。ただし、18歳未満お断りの成人映画として。 一方のアメリカでは、そもそも配給先がなかなか決まらなかったそうだ。本作の翌年、ハリウッドのミュージカル大作『キャメロット』(’67)の撮影でロサンゼルスを訪れていたフランコ・ネロが、自らの主催で業界人向けのプライベート試写を実施。ポール・ニューマンやジャック・ニコルソンなどが訪れて大盛況だったそうで、ニコルソンなどは本作の配給権獲得にも動いたらしいが実現せず、’72年になってようやく独立系配給会社の手でアメリカ公開されたのだが、しかし場末のグラインドハウス映画館で短期上映されただけ、しかも残酷描写をカットした再編集版、なおかつタイトルも「Jango」とミススペルされるという有り様だった。 結局、アメリカでは長いこと幻のカルト映画とされ、その後発売されたホームビデオのおかげで評価が定着するようになる。タランティーノは『ジャンゴ 繋がれざる者』(’12)で本作にオマージュを捧げたが、恐らく彼もまたビデオで再発見した世代の一人であろう。■ 『続・荒野の用心棒』1966 B.R.C. S.r.l. - Surf Film All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2020.01.03
空前のディスコ・ブームに沸く’70年代アメリカの光と影。『サタデー・ナイト・フィーバー』
‘70年代最大のカルチャー・ムーブメントといえば、間違いなく「ディスコ」であろう。そのインパクトは’50年代のロックンロールや’60年代のブリティッシュ・インベージョンにも匹敵するほど強烈なものだったが、しかしディスコがそれらのユース・カルチャーと一線を画していたのは、人種や国境や年代の垣根を超えてあらゆる人々を巻き込みながら盛り上がったことだ。文字通り、世界中の老若男女が煌びやかなディスコに熱狂したのである。 それは音楽ジャンルの壁すらも軽く超越し、キッスやローリング・ストーンズといったロックバンドはもとより、フランク・シナトラやアンディ・ウィリアムスのようなクルーナー、果てはシャンソン歌手のダリダやミュージカル女優エセル・マーマン、演歌歌手の三橋美智也に至るまで、ありとあらゆるジャンルのアーティストが流行に遅れまいとディスコ・ナンバーを世に送り出した。そんなディスコ・ブームの頂点を極めたのが、ジョン・トラヴォルタの出世作ともなった映画『サタデー・ナイト・フィーバー』だ。 ディスコはただのブームではなかった ディスコ発祥の地はフランス。ジャズバンドの生演奏の代わりにDJの選んだレコードを演奏して客に躍らせるナイトクラブのことを、レコード盤の「Disc」とフランス語でライブラリーを意味する「Bibliothèque」をかけてディスコテーク(Discothèque)と呼んだのが始まりだ。アメリカには’60年代に上陸したが、しかし当初はニューヨークのル・クラブやアーサーに代表されるような、ジェットセッター御用達の特別な社交場に過ぎなかった。ディスコが本格的にアメリカ文化に根付き始めたのは、’60年代末~’70年代初頭にかけてのこと。ニューヨークやロサンゼルスなど大都市圏に住むゲイや黒人、ラティーノといった、マイノリティ向けのアンダーグランドなクラブ・シーンがその舞台となった。 折からの経済不況に苦しむ当時のアメリカの若者たち、中でも就職先に恵まれない貧しいマイノリティの若者たちは、せめて週末くらいは暗い日常を忘れて楽しもうとディスコに集い、DJのプレイする軽快なディスコ・ミュージックで踊り明かすようになる。また、当時はウーマンリブ運動の影響によって、都会では多くの若い独身女性が社会進出したわけだが、そんな彼女たちも気軽に遊べる場所としてディスコへ通うようになる。危ない目にあう心配がないからとゲイ・クラブを好んで利用する女性も多かったそうだ。そして、そんな彼ら・彼女らがディスコで踊ったダンサンブルなレコードを買い求めるようになり、やがて音楽業界もこの新たなムーブメントに注目するようになる。ほかのジャンルに比べてディスコに女性アーティストが多いのは、そうした背景もあったと言えよう。 さらに、’75年のベトナム戦争終結もディスコ人気が拡大するうえで重要なきっかけとなった。’60年代末から続く反戦とフォークと政治の暗い時代が終わりを告げ、アメリカ国民は明るくて楽しくてキラキラしたものを求めるようになったのである。フリーセックスやゲイ解放運動など、当時のリベラルで開放的な社会ムードも、本来はアンダーグランドなカルチャーだったディスコをメインストリームへ押し上げたと言えよう。ちょうどこの年、ヴァン・マッコイの「ハッスル」やドナ・サマーの「愛の誘惑」、KC&ザ・サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」といった、ブームの幕開けを告げる金字塔的なディスコ・ヒットが矢継ぎ早に生まれたのは、決して偶然の出来事ではない。 かくして、全米各地でディスコ専門ラジオ局が次々と誕生し、’75年に放送の始まった「Disco Step-By-Step」のように最新のダンス・ステップをレクチャーするテレビ番組が人気を集め、ディスコから生まれたヒット曲が次々と音楽チャートを席巻する。地域のコミュニティセンターや街角のガレージなどでもディスコ・パーティが企画され、年齢制限でディスコに入れない子供から夜遊びに縁遠いお年寄りまで、そして白人も黒人もヒスパニックもアジア人も関係なく、幅広い人種と世代のアメリカ国民がディスコ・ミュージックで踊り狂ったのだ。 さらには、もともと歌劇場だった老舗スタジオ54が’77年にディスコとして新装開店し、芸能界から政財界に至るまで名だたるセレブ達の社交場として人気を集めたことから、ディスコはアメリカで最もホットなトレンドとなったのである。そして、まさにその年に劇場公開されて爆発的なヒットを記録したのが映画『サタデー・ナイト・フィーバー』だった。 時代のトレンドを通して社会の実像に迫る 舞台はニューヨークの下町ブルックリン。主人公は貧しいイタリア系の若者トニー(ジョン・トラヴォルタ)。街角の小さな工具店で真面目に働くも給料は雀の涙、家に帰れば両親からダメ息子扱いされて居場所がない。そんなトニーにとって唯一の気晴らしは、近所の不良仲間とつるんで週末の土曜日に出かける地元のディスコだ。普段はうだつの上がらない負け組のトニーも、ここへ来ればダンスフロアで華麗なステップを踏んで周囲の注目を集める「ディスコ・キング」。ハンサムでセクシーで抜群にダンスの上手い彼は、若い女性客たちが放っておかない正真正銘のスターだ。もちろん、所詮は一晩だけの夢と本人も分かっている。しかし、彼にとって虚しい現実から逃れられる場所はここ以外にないのだ。 そんなある日、トニーはひときわ目立つ若い女性ステファニー(カレン・リン・ゴーニイ)と知り合う。美人だしダンスは上手いし、なによりもほかの下町の女の子たちとは明らかに違う、洗練された都会的な雰囲気がある。実際、彼女はマンハッタンの芸能エージェントに勤めるキャリア・ウーマンで、トニーの周りにはいないタイプのインテリ女性だった。といっても、その喋り方には下町訛りがかなり残っているし、話す内容も有名な芸能人が出入りする華やかな職場の自慢話ばかり。どうやらまだ就職して日が浅いらしく、近々ブルックリンからマンハッタンのアパートへ移り住むらしい。「私はあなたたちと違うのよ」というエリート意識が鼻につく上昇志向の強い女性だ。 しかし、それゆえにトニーは自分にないバイタリティを彼女に感じ、ディスコで開催される恒例のダンス・コンテストのパートナーとして彼女と組むことにする。夢を追いかけて地元から出ていくステファニーの強さと行動力に刺激を受けるトニー。一方の自分はといえば、異なる人種グループとの無意味なケンカでストレスを発散し、現実逃避でしかない夜遊び・女遊びに明け暮れる毎日。外の世界のことなど殆ど知らない。このままで俺は本当にいいのだろうか?今の生活を続けることに疑問を抱き始めた彼は、やがて自分の将来を真剣に考えるようになる…。 ‘76年に雑誌「ニューヨーク」に掲載されたイギリス人音楽ジャーナリスト、ニック・コーンのルポルタージュ記事を基にした本作。加熱するディスコ・ブームに当て込んだ便乗企画であったろうことは想像に難くないし、そもそも主人公トニーのモデルになった男性が原作者の創作だったことをコーン自身が後に認めているものの、しかし貧困やマイノリティ、ウーマンリブにフリーセックスと、当時の文化的・社会的な背景をきっちりと盛り込んだ脚本は、ディスコ・ムーブメントの本質を的確に捉えていると言えよう。そこはやはり、ジョン・G・アヴィルドセンの『ジョー』(’69)やシドニー・ルメットの『セルピコ』(’73)で、大都会ニューヨークのストリートを通して現代アメリカの世相をリアルに描いた、名脚本家ノーマン・ウェクスラーならではの社会派的な視点が光る。 もちろん、社会性とエンタメ性のバランスをきっちりと踏まえたジョン・バダム監督の演出も絶妙で、中でも着飾った若者たちが踊り狂う煌びやかなダンスフロアと薄汚れたブルックリンの生々しい日常との対比は、ディスコ・ブームに沸く’70年代アメリカの光と影を鮮やかに活写して秀逸だ。本作の大成功を受けて、『イッツ・フライデー』(’78)や『ローラー・ブギ』(’79)、『ミュージック・ミュージック』(’80)など柳の下の泥鰌が雨後の筍のごとく登場したが、時代のトレンドを通して社会の実像に迫る本作は、やはり数多の「ディスコ映画」とは明らかに一線を画すると言えよう。 なお、本作は’80年代映画サントラブームのルーツとしても重要な役割を果たしている。「オーストラリアのビートルズ」からディスコ・グループへと華麗なる転身を遂げたビージーズが新曲を提供し、「ステイン・アライヴ」や「恋のナイト・フィーバー」「愛はきらめきの中に」の3曲が全米チャート1位を獲得した本作。さらにイヴォンヌ・エリマンの歌った「アイ・キャント・ハヴ・ユー」も全米1位となり、ほかにもトランプスの「ディスコ・インフェルノ」やKC&ザ・サンシャイン・バンドの「ブギー・シューズ」など数々のディスコ・ヒットを全編に使用。それらを収録した2枚組のアルバムは全世界で4000万枚以上を売り上げるほどの社会現象となった。この「最新ヒット曲を集めたオムニバス盤」的なサントラ戦略の成功が、後の『フラッシュダンス』や『フットルース』などの布石となったと考えられる。■ 『サタデー・ナイト・フィーバー』© 2013 PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2020.01.03
アクション映画の歴史を変えたスティーヴ・マックイーンの代表作。『ブリット』
映画史上最高にクールな男スティーヴ・マックイーンが主演した、映画史上最高にクールなアクション映画である。人気テレビ西部劇『拳銃無宿』(‘58~’61)で脚光を浴び、『荒野の七人』(’60)と『大脱走』(’63)で映画界のスターダムを駆け上がったマックイーン。主演作『シンシナティ・キッド』(’65)も大ヒットし、『砲艦サンパブロ』(’66)ではアカデミー主演男優賞候補にもなった。そんな人気絶頂の真っただ中に公開され、全米年間興行収入ランキングで5位のメガヒットを記録した作品が、この『ブリット』(’68)だった。 舞台はサンフランシスコ。ミステリー作家ロバート・L・フィッシュがロバート・L・パイク名義で執筆した原作小説では、東海岸のボストンが舞台となっていたものの、当時のサンフランシスコ市長ジョゼフ・L・アリオートは映画撮影の積極的な誘致に乗り出しており、ロケ撮影にとても協力的だったことから同市が選ばれたという。実際、ここがアメリカ西海岸であることを忘れさせるような、サンフランシスコ市街地のお洒落でヨーロッパ的な佇まいは、スタイリッシュなムードを全面に押し出した本作において、もうひとつの主役とも言えるほど重要だ。 さて、そのサンフランシスコ市警の腕利き警部補ブリット(スティーヴ・マックイーン)が本作の主人公。上院議員チャルマース(ロバート・ヴォーン)に呼び出された彼は、シンジケート撲滅のため上院公聴会で証言する情報屋ジョー・ロスの保護を任される。ところが、チャルマース議員と警察しか知らない隠れ家の安ホテルへ2人組の殺し屋が現れ、ロスに瀕死の重傷を負わせたうえに護衛の刑事まで銃撃する。しかも、どうやらロス自身が殺し屋たちを部屋へ招き入れたらしい。なにかがおかしいと直感したブリットは、医師の協力を得て病院で死亡したロスの死体を隠し、まだ彼が生きていると見せかけて殺し屋をおびき出そうとする。 ストーリー自体は、正直なところ特筆すべきものでもない。謎めいたように思える事件の全容も、蓋を開けてみれば拍子抜けするほど単純だ。それよりも本作の面白さは、その後のハリウッド産アクション映画に多大な影響を与えたと言ってもいい、ピーター・イェーツ監督の徹底的にリアリズムを追究したアクション&バイオレンス描写にあると言えよう。中でも、今や伝説となっているカーチェイス・シーンは全ての映画ファン必見。坂道だらけのサンフランシスコ市街で、殺し屋2人組の乗った1968年型ダッジ・チャージャーと、ブリットが運転する1968年型フォード・マスタングGT390が凄まじい追跡劇を繰り広げるのだ。 そもそも、ピーター・イェーツ監督が本作に起用されたのも、カー・アクション演出の腕前を買われてのことだった。母国イギリスで撮った『大列車強盗』(’67)で、実に15分にも及ぶカーチェイス・シーンを披露したイェーツ監督。同作を見たマックイーン直々に指名された彼は、これが念願のハリウッド・デビューとなった。ロケでは実際にサンフランシスコの道路を封鎖して撮影を敢行。2人のカー・スタントマンがマックイーンの代役としてマスタングを運転しているが、しかしクロースアップではマックイーン本人がハンドルを握っている。なにしろ、カーレーサーとしても活躍した人だけあって、ハンドル捌きはプロのスタントマンも顔負けだ。車内の運転席から撮ったカーチェイス映像も、バックミラーにマックイーンの顔が映っているカットは本人の運転である。 一方、敵のダッジ・チャージャーを運転しているのは、殺し屋役を兼ねたカー・スタントマン、ビル・ヒックマン。彼は『フレンチ・コネクション』(’71)や『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』(’73)でも圧倒的なカーチェイスを披露している。なお、途中でカーチェイスに巻き込まれるバイクを運転しているドライバーは、『大脱走』でマックイーンのバイク・スタントの代役を務めたバド・イーキンズだ。どれもまだCGやVFXが存在しない時代の、文字通り命がけのリアルなスタントばかり。その度肝を抜かれるような迫力は、公開から50年以上を経た今も全く色褪せない。 『ブリット』は『ダーティ・ハリー』のルーツ!? もちろん、主人公ブリット警部補役を演じるスティーヴ・マックイーンの、クールで寡黙でニヒルでスマートなヒーローぶりも抜群にカッコいい。どこまでも冷静沈着で任務に忠実。上からの圧力にも決して折れず、時にはルールを無視することも厭わず、とことんまで犯罪者を追い詰めていく。そんな彼を上司のベネット署長(サイモン・オークランド)も全面的に信頼し、「いざとなったら俺が守ってやる」とまで言ってくれるんだから泣ける。 相棒のデルゲッティ刑事(ドン・ゴードン)ら同僚や部下の多くも、あえて口には出さないけれどブリットに厚い信頼を寄せている様子。この男同士のベタベタしない、暗黙のうちの友情ってのもいいのだよね。いけ好かないチャルマース議員に口うるさく非難されたブリットが、同じくチャルマース議員から人種的偏見で担当を外された黒人医師(ジョージ・スタンフォード・ブラウン)と、さり気なく視線を交わすだけでお互いに理解し合う瞬間の、あのなんとも言えない雰囲気も最高。近所の雑貨屋で買い物をするブリットの姿から、その人となりを雄弁に描くなど、セリフに頼らないイェーツ監督の人間描写・心理描写が素晴らしい。 そんなブリット警部補を演じるにあたってマックイーンが参考にしたのは、当時ゾディアック事件を担当して全米の注目を集めていた、サンフランシスコ市警の名物刑事デイヴ・トッシ。そう、あの『ダーティ・ハリー』(’71)シリーズのハリー・キャラハン警部のモデルにもなった人物だ。映画ポスターにも出てくるブリット愛用のショルダー・ホルスターも、実はトッシ刑事のトレードマークだった。サンフランシスコでのオール・ロケ、ハードなバイオレンス描写、ラロ・シフリンによるファンキーなジャズ・スコアなどを含め、本作は『ダーティ・ハリー』の先駆的な作品とも言えるのではないかと思う。 最後に共演陣にも目を向けてみよう。憎まれ役であるチャルマース議員を演じるロバート・ヴォーンは、これが人気テレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』(‘64~’68)終了後の初仕事だった。『荒野の七人』で共演したマックイーンに説き伏せられての出演だったという。それまでダンディなスパイ・ヒーローを颯爽と演じていた人が、今度は一転して鼻持ちならない傲慢な政治家を演じたのだから勇気が要ったのではないかと思うのだが、よっぽど本作の印象が強かったせいなのか、以降の彼は『タワーリング・インフェルノ』(’74)を筆頭に悪役をオファーされることが多くなる。 ブリットの恋人キャシー役には、その後ハリウッドの美人女優の代名詞ともなるジャクリーン・ビセット。当時はまだ頭角を現し始めた頃で、出番もそれほど多くはないのだが、犯罪捜査の殺伐とした世界に生きるブリットの、ある意味で救いともなるような存在として重要な役割だ。脇役でいい味を出しているのは、何と言ってもベネット署長役のサイモン・オークランドだろう。コワモテだけど頼りになるオヤジさんという雰囲気がいい。マックイーンとは『砲艦サンパブロ』でも共演済み。そういえば、デルゲッティ刑事役のドン・ゴードンも、『パピヨン』(’73)と『タワーリング・インフェルノ』でマックイーンと共演していた。ロバート・デュバルがタクシー運転手役で顔を出しているのも要注目。ちなみに、ブレットがタレコミ屋エディと待ち合わせするシーンで、レストランの席に座っているエディの連れの女性は、フォーク歌手ジョーン・バエズの妹ミミ・ファリーニャである。■ 『ブリット』© Warner Bros. Entertainment Inc., Chad McQueen and Terry McQueen
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COLUMN/コラム2019.12.04
ティム・バートンがリメイクしたホラー・コメディのルーツを探る!
監督ティム・バートン×主演ジョニー・デップという黄金コンビの顔合わせで、200年の時を経て現代へ甦ったヴァンパイアの巻き起こす珍騒動を描いたホラー・コメディ『ダーク・シャドウ』(’12)。本作がかつてアメリカで一世を風靡したソープオペラ(昼帯ドラマ)「Dark Shadows」の映画版リメイクであることはご存じの映画ファンも少なくないと思うが、しかし残念ながら日本では未放送に終わっているため、オリジナルのテレビ版がどのような作品だったのかは殆ど知られていないのが実情だろう。 それでも一応、テレビ版のストーリーを再構築した劇場版として、リアルタイムで制作された映画『血の唇』(’70)および『血の唇2』(’71)は日本でも見ることが出来る。とはいえ、どちらも劇場用に新しく撮り直しをしたリブート版であり、キャストの顔ぶれこそテレビ版を踏襲しているものの、設定は改変されているし、演出スタイルも劇場用モードに切り替わっているので、必ずしもテレビ版の雰囲気や魅力をそのまま伝えるものではない。そこで、まずは原点であるテレビ版「Dark Shadows」の詳細から振り返っていこう。 伝説のゴシック・ソープオペラ「Dark Shadows」とは? ‘66年6月27日から’71年4月2日まで、全米ネットワーク局ABCの昼帯ドラマとして放送された「Dark Shadows」は、今も昔も王道的なメロドラマで占められる同時間帯にあって、『嵐が丘』や『ジェーン・エア』を彷彿とさせるゴシック・ロマン・スタイルを全面に押し出した唯一無二の作品だった。企画・製作を担当したのは、『凄惨!狂血鬼ドラキュラ』(’73)や『残酷・魔性!ジキルとハイド』(’73)などテレビ向けのホラー映画を幾つも生み出し、劇場用映画としては幽霊屋敷物の佳作『家』(’76)を手掛けたダン・カーティス監督。もともとカーティスはプライムタイム向けの企画としてテレビ局幹部にプレゼンしたのだが、当時3大ネットワークで最も昼帯ドラマの視聴率が弱かったABCは、いわば現状打破するための起爆剤として、本作を月曜~金曜までの週5日間、昼間の時間帯に放送される30分番組としてピックアップしたのだ。 ただし、当初はそれこそ『嵐が丘』の系譜に属する純然たるゴシック・ロマンで、後に本作のトレードマークとなるスーパーナチュラルな要素は皆無だった。だが、放送開始から2ヶ月経っても3ヶ月経っても視聴率は低迷したまま。番組の打ち切りも囁かれ始めた頃、カーティスは思い切った勝負に出る。ドラマに幽霊や魔物を登場させたのだ。ここから徐々に視聴率が上り調子となるものの、しかしまだ決め手に欠ける。そこでカーティスが切り札として用意したのが、200年の時を経て蘇った孤高の吸血鬼バーナバス・コリンズだった。このバーナバスの登場によって番組の人気に火が付き、それまで4%台だった視聴率も一気に倍へと跳ね上がった。中でもカーティスやネットワーク局にとって嬉しい誤算だったのは、昼帯ドラマとしては異例とも言える若年層への人気拡大だ。 とういうのも、中部標準時間で午後3時、東部標準時間では午後4時から放送されたこの番組、ちょうど子供たちが学校から帰宅する時間帯に当たったのである。通常、この時間帯はテレビを付けても子供たちが楽しめるような番組は殆どない。しかし実は、そこにこそ想定外のニッチなマーケットが存在したのだ。吸血鬼やら幽霊やら魔女やらが登場する番組のホラー風味はたちまち若年層のハートを捕え、劇場版の制作はもとよりノベライズ本やコミック本、ボードゲームにジグソーパズルなどの関連商品も発売されるほどのブームを巻き起こす。さらには、サントラ盤LPが全米アルバムチャートのトップ20内にランキングされるという、テレビドラマとしては史上初の快挙まで成し遂げた。ただ、この若年層における人気が結果的に番組の弱点ともなる。なぜなら、当時のテレビ業界において昼間の時間帯のスポンサーは、主婦層向けの家庭用品メーカーや食品メーカーが主流。若年層の視聴者が中心の「Dark Shadows」はスポンサー企業のニーズと合致せず、テレビ局はCM枠を埋めるのに苦労した。そのため、’68~’69年のシーズンをピークに視聴率が下がり始めると、たちまちキャンセルが決まってしまったのである。 さて、放送期間およそ4年、総エピソード数1225本という、気の遠くなるほど膨大なストーリーから、重要な要素だけをかいつまむと以下のようになる。 ①メイン州の古い港町コリンズポート。その郊外に広大な屋敷コリンウッドを所有する由緒正しいコリンズ家の家庭教師として、身寄りのない女性ヴィクトリア(アレクサンドラ・モルトケ)が着任する。女主人エリザベス(ジョーン・ベネット)を筆頭に、愛憎の入り混じる複雑な事情を抱えたコリンズ家の人々。謎めいた前科者バーク(ライアン・ミッチェル)やウェイトレスのマギー(キャスリン・リー・スコット)と親しくなるヴィクトリアだったが、やがてエリザベスの弟ロジャー(ルイス・エドモンズ)を巡る暗い秘密が明らかとなっていく。さらに、コリンズポートで殺人事件が発生。犯人に捕らえられたヴィクトリアを救ったのは、200年前に自殺した令嬢ジョゼットの幽霊だった。 ②コリンズ家を脅迫していた男ウィリー・ルーミス(ジョン・カーレン)が、先祖の遺体と一緒に埋葬された宝石類を盗もうとコリンズ家の霊廟を暴いたところ、200年前に死んだ吸血鬼バーナバス・コリンズ(ジョナサン・フリッド)を蘇らせてしまう。イギリスからやって来た親戚を装ってコリンズ家に接近し、自分の下僕にしたウィリーを手足として使うバーナバスは、たまたま見かけたマギーに一目で心を奪われてしまう。200年前に自殺した恋人ジョゼットと瓜二つだったからだ。マギーを自分と同じ吸血鬼に変えようとするバーナバスを、ヴィクトリアやエリザベスの娘キャロリン(ナンシー・バレット)が阻止。正気を失ったマギーの治療を任された医師ジュリア(グレイソン・ホール)は、吸血鬼の治療法を探ってバーナバスを人間に戻そうとする。 ③交霊会の最中にヴィクトリアが忽然と姿を消す。気が付いた彼女は、1795年のコリンウッドで家庭教師となっていた。まだ吸血鬼になる前のバーナバスは、恋人ジョゼット(キャスリン・リー・スコット)との結婚を控えていたのだが、これに嫉妬を燃やしていたのがジョゼットの召使アンジェリーク(ララ・パーカー)。実は強大な力を持つ魔女であるアンジェリークは、秘かに横恋慕するバーナバスとジョゼットの結婚を邪魔するべく、様々な呪いを駆使するものの失敗。そこで彼女はジョゼットを自殺へ追い込み、バーナバスを吸血鬼へと変えてしまう。 ④辛うじて現代へ戻ってきたヴィクトリア。すると今度はロジャーが姿を消し、カサンドラ(ララ・パーカー)という女性と再婚してコリンウッドへ帰還する。そのカサンドラの正体が魔女アンジェリークであると一目で気付くバーナバスとヴィクトリア。アンジェリークはバーナバスに復讐するべく再び呪いをかけようとする。 ⑤1897年へタイムスリップしたバーナバス。イギリスから訪れた親戚を装い、コリンズ家の若き跡継クエンティン(デヴィッド・セルビー)に接近するバーナバスだが、彼の正体に気付いたクエンティンは魔女アンジェリークを復活させる。さらには、フェニックスの化身ローラまで登場し、コリンウッドは次から次へと危機に見舞われることに。さらに、クエンティンはアンジェリークの呪いで狼男となってしまう。 ⑥パラレルワールドの現代へ迷い込んでしまったバーナバス。そこではクエンティンがコリンウッドの当主で、前妻アンジェリークと死別した彼はマギーと再婚する。また、ウィリーは売れない作家でキャロリンと結婚していた。吸血鬼として処刑されかけたバーナバスを、現実世界から現れた医師ジュリアが救出し、全ては魔女アンジェリークの企みだと明かす。 ⑦1995年へタイムリップしたバーナバスと医師ジュリアは、ジェラルド・スタイルズという幽霊の呪いでコリンズ家が滅亡したと知る。1970年へ戻った2人は、現代に輪廻転生したクエンティンと一緒に呪いを食い止めようとするものの失敗。辛うじて1840年へ逃げたバーナバスとジュリアは、この時代のクエンティンに復讐を企てる魔法使いザカリーが呪いの元凶と気付くが、そんな彼らの前に再び魔女アンジェリークが立ち塞がる。 …とまあ、ザックリとしたポイントを要約しただけでも、テレビ版「Dark Shadows」がどれだけ荒唐無稽かつ奇想天外なドラマであったかがお分かりいただけるだろう。脚本のセリフも大袈裟なら役者の演技も大袈裟。しかも、週5日放送のタイトなスケジュールであるため、撮影は基本的にワンテイクで済ませたため、セリフを間違えたり小道具が落下したりなどのハプニングもそのまま残されている。ストーリーが大真面目であればあるほど、意図せずして笑えるシーンが少なくない。それがまた、番組のカルトな人気に拍車をかけたものと思われる。 オリジナルのエッセンスを拡大解釈した映画版リメイク そんな往年の人気ドラマを21世紀に映画として復活させたティム・バートン監督の『ダーク・シャドウ』は、あえてオリジナルの「意図せずして笑える」という要素に焦点を絞ることで、いわばパロディ的なテイストのホラー・コメディとして仕上げている。そこがアメリカでも大きく賛否の分かれたポイントと言えるだろう。 物語は18世紀から始まる。水産会社を経営する大富豪の家庭に生まれ、イギリスからアメリカへ移住して育ったバーナバス・コリンズ(ジョニー・デップ)。しかし、火遊びをしたメイドのアンジェリーク(エヴァ・グリーン)が実は魔女で、その呪いによって最愛の恋人ジョゼット(ベラ・ヒースコート)は自殺を遂げ、バーナバス自身も吸血鬼に変えられて生きたまま地中へ埋められてしまう。 それから200年後の1972年。ある秘密を抱えた女性マギー・エヴァンズ(ベラ・ヒースコート)は、ヴィクトリア・ウィンターズと名前を変えてメイン州のコリンズポートへと到着し、今はすっかり没落したコリンズ家の家庭教師となる。その頃、近隣の森で工事業者が土地を掘り起こしていたところ、偶然にもバーナバスを復活させてしまった。初めて見る電光掲示板や車に戦々恐々としつつ、変わり果てた我が家コリンウッドへと戻ってくるバーナバス。召使ウィリー(ジャッキー・アール・ヘイリー)に催眠術をかけた彼は、イギリスから来た親戚としてコリンズ家に身を寄せることとなる。 コリンズ家の末裔は誇り高き女主人エリザベス(ミシェル・ファイファー)と不肖の弟ロジャー(ジョニー・リー・ミラー)、エリザベスの反抗的な娘キャロリン(クロエ・グレース・モレッツ)、そして母親を亡くして情緒不安定なロジャーの息子デヴィッド(ガリー・マグラス)。さらに、主治医ジュリア・ホフマン(ヘレナ・ボナム・カーター)が同居している。早々に自らの素性をエリザベスだけに明かしたバーナバスは、秘密の隠し部屋に眠る財宝を元手にコリンズ家の再興を計画。ところが、そんな彼の前に立ちはだかるのが、今や町を牛耳る女性経営者となった不老不死の魔女アンジェリークだった…! オリジナル・ストーリーにおける①~③の要素を融合し、独自の設定を加味しながら2時間以内にまとめ上げた本作。最大の特徴は、オリジナル版のキャラ、マギーとヴィクトリアを1人に集約させている点であろう。キャロリンが実は狼人間だったという設定は、オリジナル版のキャロリンが狼男クリスと交際するというサブプロットに、⑤で描かれた祖先クエンティン・コリンズの運命を融合させたもの。ウィリーがコリンズ家の召使となっているのは、映画版『血の唇』で採用された新設定を踏襲している。テレビ版では最後まで活躍する名物キャラの女医ジュリアが、バーナバスを裏切って報復されるという流れも、『血の唇』で改変された新設定をなぞったものだ。そのほか、オリジナル版ではフェニックスの化身という魔物だったデヴィッドの母親が本作では息子を守る幽霊に、生まれ変わりを繰り返していたアンジェリークが不老不死にといった具合で、こまごまと変更された設定は枚挙にいとまない。 溢れ出んばかりの家族愛に燃えるバーナバスが、かつての栄光を再びコリンズ家にもたらすべく、一族の宿敵である魔女アンジェリークと壮絶な戦いを繰り広げるというのが物語の主軸だが、やはり最大の見どころは20世紀の現代社会についていけない時代遅れな吸血鬼バーナバスの巻き起こす珍騒動、そのバーナバスとアンジェリークによるトゥー・マッチな愛憎ドラマの生み出すシュールな笑いだ。お互いの持つ魔力がぶつかり合い、部屋中を破壊しまくる濃密(?)なラブシーンなどはその好例。善と悪の魅力を兼ね備えたバーナバスのキャラを含め、オリジナル版の拡大解釈とも呼ぶべきコミカルな味付けは、確かに賛否あるのは当然だと思うものの、しかしティム・バートン監督がテレビ版のカルト人気の本質をちゃんと見抜いた証だとも言える。 なお、オリジナル版の熱狂的なファンで、本作の監督にバートンを推薦したのが主演のジョニー・デップ。エリザベス役のミシェル・ファイファーも番組のファンで、リメイク版の企画を知ってすぐに自らをバートン監督へ売り込んだという。また、アリス・クーパーもゲスト出演するパーティ・シーンでは、オリジナル版のバーナバス役ジョナサン・フリッド、アンジェリーク役ララ・パーカー、クエンティン役デヴィッド・シェルビー、マギー役キャスリン・リー・スコットがカメオ出演。「お招きどうも」と挨拶して来場する男女4人が彼らだ。 ‘91年にリメイク版が全米放送されて話題となった「Dark Shadows」。’04年にも新たなリメイク版シリーズの企画が立ち上がり、パイロット版まで制作されたがお蔵入りとなった。生みの親ダン・カーティスは’06年に亡くなり、バーナバス役ジョナサン・フリッドも映画版完成の直後に急逝。当初予定された映画版の続編企画は立ち消えたが、先ごろワーナー・テレビジョンがオリジナル版の続編シリーズ「Dark Shadows: Reincarnation」の制作を発表したばかりで、シリーズのレガシーはまだまだ今後も続きそうだ。■ 『ダーク・シャドウ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.12.02
巨匠セルジオ・レオーネの一番弟子による師匠への壮大なオマージュ『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』
マカロニ・ウエスタン・ブームの終末期に登場した、紛うことなき正統派のマカロニ・ウエスタンである。セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(’64)を皮切りに、世界中で人気を博したイタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタン。当時を知るイタリアの映画製作者エットーレ・ロスボックによると、カンヌ国際映画祭のフィルム・マーケットへ持ち込めば、マカロニ・ウエスタンというだけで瞬く間に世界中から買い手が付いたという。 しかし、巨匠レオーネの『ウエスタン』(’68)を頂点として、ブームは衰退期へと入っていくことに。その年だけで75本ものイタリア産西部劇が公開されたが、翌69年には一気に26本へと激減する。’70年は35本と若干持ち直すものの、しかし一時ほどの勢いがジャンルから失われつつあるのは誰の目から見ても明らかだった。 そこで、イタリアの映画製作者たちは、日本の座頭市のごとき盲目のガンマンが登場する『盲目ガンマン』(’71)や、香港のカンフー映画と合体させた『荒野のドラゴン』(’72)など、奇をてらった変わり種を続々と投入してジャンルの再活性化を図ろうとする。中でも特に成功したのは、テレンス・ヒル(マリオ・ジロッティ)とバド・スペンサー(カルロ・ペデルソーリ)のコンビによる、パロディ的なコメディ・ウエスタン『風来坊/花と夕日とライフルと…』(’70)。おかげで『風来坊』シリーズを真似たコミカルな西部劇が次々と作られ、ほんの一時的ではあれども活力を取り戻したかに思えたマカロニ・ウエスタンだが、しかしかつてのユニバーサル・モンスター映画然り、’80年代のスラッシャー映画然り、パロディの登場はすなわちジャンルの終焉を意味する。 そんな時期に登場した本作『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』(’72)は、さながら全盛期のレオーネ作品を彷彿とさせる王道的なマカロニ・ウエスタンだった。それもそのはず、監督を手掛けたジャンカルロ・サンティは、巨匠レオーネ自らが後継者と認めた愛弟子だったのである。 デビュー作に込めた愛弟子の意地 1939年10月7日にローマで生まれ、18歳の時に映画界へ入ったサンティは、希代の異端児にして鬼才中の鬼才マルコ・フェレーリの助監督を長年に渡って務め、『続・夕陽のガンマン』(’66)と『ウエスタン』(’68)でレオーネの助監督につく。特に『ウエスタン』では実質的な第二班監督として、サンティが単独で演出を任されたシーンも少なくなかったという。その熱心な仕事ぶりにレオーネも満足し、『ウエスタン』が完成した際には「俺の後を継ぐのはお前だ」とサンティのことを褒めたそうだ。実際、レオーネは次作『夕陽のギャングたち』(’71)の監督として、当初サンティを指名していた。ところが、これにアメリカ側から異論が出る。レオーネ自身が演出すると思っていたから出資したのだと。中でも、俳優ロッド・スタイガーは無名の新人監督と組むことを露骨に嫌がった。これにはさすがの巨匠も折れざるを得ず、結局レオーネが監督の座に座り、サンティは第二班監督へ昇進するに止まった。 一方その頃、ポーランド出身でイタリアを拠点とするベテラン製作者ヘンリク・クロシスキーは、当時マカロニ・ウエスタンの大スターとして活躍していたハリウッド俳優リー・ヴァン・クリーフと以前に交わした出演契約が、履行されないまま放置されていたことに気付く。なんていい加減な…!と言いたくなるところだが、当時のイタリア映画界では決して珍しいことではなかったらしい。いずれにせよ、早急にヴァン・クリーフの主演作を作らねばならない。そこで彼は、ヴァン・クリーフ主演の大ヒット西部劇『怒りの荒野』(’67)を手掛けたエルネスト・ガスタルディに脚本を依頼し、監督としてレオーネの愛弟子サンティに白羽の矢を立てる。というのも、もともとマルコ・フェレーリ監督作品のプロデューサーだったクロシスキーは、当時助監督だったサンティとも親しい間柄だったのだ。 期せずして監督デビューのチャンスを得たサンティ。しかも師匠レオーネの『夕陽のガンマン』(’65)でマカロニ・スターとなった、リー・ヴァン・クリーフ主演の西部劇である。おのずと、彼の脳裏には『夕陽のギャングたち』での苦い経験が甦る。あの時俺を認めなかった奴らを見返してやりたい…と考えても不思議はなかろう。この『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』が、あからさまなくらいセルジオ・レオーネの演出スタイルを意識し、時として模倣までしている背景には、そのような経緯があったのである。 まさにマカロニ・ウエスタンの「グレイテスト・ヒッツ」 物語はリー・ヴァン・クリーフ演じる謎めいた黒衣の元保安官クレイトンが、無実の罪で指名手配犯となった若者フィリップ(ピーター・オブライエン)の逃亡を助けつつ、街を牛耳る悪徳資産家のサクソン3兄弟(ホルスト・フランク、マルク・マッツァ、クラウス・グリュンベルグ)に立ち向かうというもの。そのクレイトンが納屋に身を潜めたフィリップへ向けて、さりげなく周りを取り囲む賞金稼ぎたちの位置を教えていくオープニングからしてレオーネ節が炸裂する。 馬車から下りて寂れた酒場へとゆっくりとした足どりで向かうクレイトン。その道すがら、あちこちで意味もなく立ち止まるのだが、その全てに実は賞金稼ぎたちが身を隠している。そして、ようやく酒場へとたどり着いたクレイトンがテーブルに座り、辺りは不穏な静寂に包まれる。緊迫した空気の中で刻々と過ぎていく時間、突如として鳴り響く銃声と急転直下のガンバトル。この実際にアクションが起きるまでの徹底した「溜め」の演出といい、フィリップが納屋の隙間から外を監視する「フレーム・イン・フレーム」の画面構図といい、極端なロングショットとクロースアップの切り替えといい、ハーモニカの音色を響かせたモリコーネ風の音楽スコアといい、このオープニングだけを見ても本作がセルジオ・レオーネ作品(中でも『ウエスタン』)の多大な影響下にあることは一目瞭然であろう。 興味深いのは、本作における復讐のモチベーションというのが、主人公たち正義の側だけでなく悪の側にもあるということ。というのも、銀山を所有するフィリップの父親はそれゆえ強欲なサクソン家の罠にかかって殺され、そのサクソン家の当主(3兄弟の父親)もまた何者かによって殺されたのだ。銀山の所有権を奪うための便宜上、跡取りのフィリップに自分たちの父親殺しの濡れ衣を着せたサクソン兄弟だが、その傍らで正体不明の真犯人を探している。実はクレイトンだけが真犯人を知っているものの、なぜか口をつぐんで明かそうとはしない。その理由は最後になって分かるのだが、いずれにせよこの複雑に絡み合った正義と悪の双方の復讐ドラマを軸としながら、徐々に全体像を解き明かして謎の真相へと迫る脚本は巧みだ。 なお、老練ガンマンと無鉄砲な若者の師弟関係という図式は、『怒りのガンマン』をはじめ『復讐のガンマン』(’66)や『風の無法者』(’67)など、まさしくリー・ヴァン・クリーフ主演作の定番的なシチュエーション。そのヴァン・クリーフが若者の過去と深い関りがあるという設定は、『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(’67)とそっくりだ。また、白いスーツに身を包んだサクソン3兄弟の末っ子アダム(K・グリュンベルグ)のサディスティックなサイコパス・キャラは、ルチオ・フルチ監督『真昼の用心棒』(’66)のニーノ・カステルヌオーヴォを彷彿とさせる。邦題にもなった銀山の大虐殺で使用されるマシンガンは、セルジオ・コルブッチ監督『続・荒野の用心棒』(’66)をはじめイタリア産西部劇では定番の武器。こうした、さながら「グレイテスト・ヒッツ・オブ・マカロニ・ウエスタン」とも呼ぶべき見せ場の数々も本作の魅力であろう。 さらに、本作で忘れてならないのは音楽スコアだ。基本的に映画音楽というのはストーリーやシーンを盛り上げるための脇役的な存在だが、時として映画そのもののイメージを左右し、さらには作品全体の格を上げてしまうことさえある。本作などはまさにその好例と言えるだろう。中でもルイス・エンリケ・バカロフが作曲したメインテーマ(それ以外はバカロフの盟友セルジオ・バルドッティの作曲)の素晴らしいことと言ったら!レオーネの『ウエスタン』でエンニオ・モリコーネが書いたスコアを意識していることは明白ながら、しかしこの壮大でドラマチックな高揚感はなんとも筆舌に尽くしがたい。なるほど、タランティーノが『キル・ビルVol.1』(’03)で引用するわけだ。ちなみに、本作はマカロニ・ウエスタンとしては珍しく、スペインのアルメリアではなくイタリア本国で撮影されているのも要注目ポイント。主なロケ地はローマおよびピサの郊外だ。 名優リー・ヴァン・クリーフを取り巻く個性的な役者陣 フィリップ役を演じているピーター・オブライエンは、本名をアルベルト・デンティーチェというイタリア人。もともと’60年代半ばからロック・ミュージシャンとして活動していた彼は、ボブ・ディランの楽曲をモチーフにした舞台ミュージカル「Then An Alley」を友人と組んでプロデュース。自らも出演を兼ねたこの舞台が大成功したことから役者へと転向した。その後、2年ほど芸能活動を休止してインドとチベットを放浪していたところ、ミケランジェロ・アントニオーニ監督から「Tecnicamente dolce」という作品のオファーを受け、旅費の足しになるならばくらいの軽い気持ちで帰国。結局、この企画はボツになってしまったものの、当時アントニオーニのもとでロケハンを担当していたサンティ監督がアルベルトのことを覚えており、本作のフィリップ役に起用したのである。 劇中での軽業的なアクションはスタントマンに任せているものの、しかし本人は柔道の心得がある上に当時はまだ若かったこともあり、自らスタントを演じたシーンも多いという。ただ、もともと映画界での野心がなかった彼は、本作で賞金稼ぎの1人を演じた俳優ミミ・ペルリーニに誘われ、彼が主催するアングラ劇団ラ・マスケラに参加して舞台に専念。さらに結婚を機に俳優業を引退し、現在は大手週刊誌「レスプレッソ」の映画ジャーナリストとして活動している。 また、脇役陣で注目したいのはサクソン3兄弟の長男デヴィッドを演じるホルスト・フランク、次男イーライ役のマルク・マッツァ、そして三男アダム役のクラウス・グリュンベルグである。ホルスト・フランクはマカロニ・ウエスタンのみならずジャッロ映画の悪役としてもお馴染みのドイツ人俳優。マルク・マッツァはフランス人のタフガイ俳優で、数多くのギャング映画やアクション映画で端役を演じていたが、恐らく最も有名なのはチャールズ・ブロンソン主演の『雨の訪問者』(’69)における正体不明の「訪問者」役であろう。実はフランスの化粧品会社Hei Poaの創業社長(現在は娘に譲っている)でもある。クラウス・グリュンベルグは、バーベット・シュローダー監督の『モア』(’68)でミムジー・ファーマーと共演していたドイツ人俳優。あの朴訥とした爽やかな好青年が、本作では別人のようなサイコパスに扮しており、そのカメレオンぶりに思わず唸ってしまう。 なお、日本では当時劇場公開の見送られた本作だが、欧米では見事にスマッシュヒットを記録し、これを見た師匠レオーネはサンティ監督に『ミスター・ノーバディ』(’73)の演出をオファーする。しかし、『夕陽のギャングたち』の二の舞になることを恐れたサンティはその申し出を断り、結局もう一人の弟子トニーノ・ヴァレリーにお鉢が回ることとなった。そして、この『ミスター・ノーバディ』をもって、マカロニ・ウエスタンのブームは終焉を迎える。その後、サンティ監督は大衆コメディを手掛けるも畑違いゆえに実力を発揮できず、再び助監督生活へと逆戻りすることとなった。もう少し早くに独り立ちしていれば、また違ったキャリアが開けていたのかもしれない。■ 『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』© 1972 - Mount Street Film /Corona Filmproduktion/ Terra Filmkunst/ S.N.C. - Sociéte Nouvelle De Cinématographie. Surf Film S.r.l. All rights reserved.