青野賢一 連載:パサージュ #12 西部開拓史は男だけのものにあらず──ケリー・ライカート『ミークス・カットオフ』

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青野賢一 連載:パサージュ #12 西部開拓史は男だけのものにあらず──ケリー・ライカート『ミークス・カットオフ』

目次[非表示]

  1. 西を目指す開拓移民の3家族
  2. 先住民との遭遇
  3. 存在感を増してゆくエミリー
  4. 固定化された女性の役割を解体する
  5. 「近道」と「限界」
 ここ数年、一部で熱い注目を集めているアメリカの映画監督、ケリー・ライカート。その名前が知られるようになったのは、2020年に京都の「出町座」で特集上映が組まれて以降のことであろう。なにしろそれまでは日本で彼女の作品は劇場公開される機会がなかったのだ。かくいうわたしも、初めて彼女の作品に触れたのは2021年のこと。シアター・イメージフォーラムで「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」という特集上映が組まれたときであった。
 映画監督としての初の長篇作品は1994年の『リバー・オブ・グラス』。この作品はサンダンス映画祭やベルリン国際映画祭に出品されている。1990年代の終わりから2000年代初頭にかけて短篇、中篇を3作発表し、2006年の『オールド・ジョイ』でロッテルダム国際映画祭タイガーアワードを受賞。続く『ウェンディ&ルーシー』はカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品、パルムドッグを受賞した。その後、『ミークス・カットオフ』(2010)、『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』(2013)、『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(2016)、『First Cow』(2019)、『Showing Up』(2022)とコンスタントに作品を発表し、それらのいずれもが高い評価を得ている。そんなケリー・ライカートの映画のなかから、今回は『ミークス・カットオフ』を取り上げようと思う。

西を目指す開拓移民の3家族

 本作の舞台となるのは、1845年のアメリカ・オレゴン。アメリカは1775年からの独立戦争を経て1783年にイギリスから独立を果たし、その後、南北戦争までは領土拡大を推し進めたわけだが、この物語の時代設定はそうした領土拡大の終盤にあたる。ちなみに当時のオレゴンは英米間での領有交渉が行われており、それが最終的に決着するのは1846年のことである。
 オレゴンの荒地を幌馬車を引いて進む3家族。この3家族──テスロー夫妻、ホワイト夫妻と息子のジミー、ゲイトリー夫妻──は西部開拓の移民で、西海岸内陸部に南北に連なるカスケード山脈を越えてウィラメット・バレーを目指している。幌馬車には家財道具が積み込まれているため、人間は徒歩だ。この幌馬車隊を馬に乗って先導しているのが猟師のスティーヴン・ミーク(ブルース・グリーンウッド)。彼はガイドとしてこの移民家族に雇われている。近道を知っているとのたまうミークだったが、口ばかりというかどこか虚勢を張っているようでどうにもあてにならない。
 スティーヴン・ミークは実在する人物で、この映画同様、開拓移民のガイドを務めていた。1845年、彼はオレゴン・トレイルと呼ばれるルートから分岐してウィラメット・バレーに向かう別ルートに移民の幌馬車隊を案内したのだが、このルートは過酷で道中に命を落とす人も多数いたという。現在、オレゴン州の歴史的トレイルのひとつとして認定されている同ルートは“The Meek Cutoff”と呼ばれている。

「ミークス・カットオフ」
🄫 2010 by Thunderegg,LLC.

先住民との遭遇

 映画に話を戻すと、しばらくは砂漠をゆく3家族とミークの様子が描かれている。移動中とはいえ、妻たちの仕事は煮炊きや洗濯、編み物というように「家事全般=女性の仕事」として固定化されていて忙しい。一方の夫たちはミークの処遇も含めこれからどうするべきかを話し合うなど、この開拓の旅における政治家のような側面をみせる。ようは意思決定は男性が行い、女性はそれに従うという図式である。2週間で目的地に着く予定がすでに5週間が経過し、一行の疲労は積み重なり、また食料や水も乏しくなってゆく──。
 ある日、3家族のうちのひとり、エミリー・テスロー(ミッシェル・ウィリアムズ)がふと山の方に目をやると、山上に馬に跨った人影。それを気にしながらも先へと進む一行に遅れまいとエミリーは歩みを進めた。夕方になり、エミリーが夜の焚き火のための枯れ枝を集めていると、彼女の目の前に先住民の男が立っていた。エミリーが気づくと男は走って丘の上に。驚いたエミリーは幌馬車まで駆け戻って長銃を手に取り丘の方めがけて発砲するが、すでに先住民の姿はなかった。
 その夜、緊急の会議を開く一行。エミリーの説明を聞いたミークは先住民の男がパイユートかネズパース、もしくはカイユースという北部の先住民だとしたうえで、「1人いたということは近くに仲間もいる 今頃 武装しているはず」「連中はこちらの攻撃を待たずに襲ってくるだろう」と述べた。「いつ襲われてもおかしくない」。ミークの言葉に怯えながら一夜を明かし、また目的地へと進む幌馬車隊だったが、その途中ジミーがくだんの先住民を見たという。ミークとエミリーの夫であるソロモンが馬に乗って先住民を探しにいき、しばらくののち、ふたりが先住民に縄をつけて戻ってきた。ミークはこの男を殺すべきだと主張するが、ソロモンは水のありかを知っているだろうから彼に案内をさせようと提案し、ほかの家族の男衆もそれに賛成した。こうして一行の旅はひとり増員されることとなったのだが、このときも女たちは蚊帳の外である。

「ミークス・カットオフ」
🄫 2010 by Thunderegg,LLC.

存在感を増してゆくエミリー

 先住民とは言葉を介したコミュニケーションは叶わない。それでもどうにか彼に道案内をさせている様子の一行。あるとき、エミリーは岩肌に石で何かを書き記す先住民に水を持ってゆき、彼の足元のモカシンが破れていることに気づく。それを繕うから脱ぐようにとジェスチャーで伝えるエミリー。意味が通じたのか先住民はモカシンを脱いだ。彼女曰く、これは彼への「貸し」である。ミークは相変わらず先住民の野蛮さや残忍さ、そして嘘かまことか自分の武勇伝を口にするが、それを聞いたエミリーは「嫌なら出ていけば?」と返す。「強がってる そう見えるわ」。
 飢えと渇きに苦しみつつ旅を続ける一行のなかには精神的に不安定になる者も出てきて改めて先住民に対する疑惑の念も湧き上がってくる。そんななか、先住民は丘に立って遠方を見つつ何かを話している。当然ながら言葉はわからないものの、エミリーはその身振り手振りから「もうすぐ着くと 丘を越えた所だと言ってる」と解釈する。エミリーのその言葉に丘を越えようと決意する一行だったが、丘を越える前に一旦急勾配を下って行かねばならない。まずは幌馬車に縄を結んでゆっくりと斜面を下らせるのだが──。

「ミークス・カットオフ」
🄫 2010 by Thunderegg,LLC.

固定化された女性の役割を解体する

 これまで述べてきたように、この作品はおいそれとは抜け出せない状況におけるロードムービーであり、それは今回配信されるほかの3作(『リバー・オブ・グラス』、『オールド・ジョイ』、『ウェンディ&ルーシー』)にも同様に見られる要素だが、ロードムービー的側面に加えて極限状態で誰を信じるかという心の葛藤が緊張感たっぷりに描かれている。初めはミークが握っていた旅のイニシアチブは、やがて彼の手をすり抜けて、闖入者たる先住民──彼からしてみればこの幌馬車隊こそ闖入者なのだが──に委ねられる。しかも多数決で。この点において、本作は極めて政治的な駆け引きを含んだ作品だといえるのではないだろうか。この政治的駆け引きは途中までは男ばかりで行われていたわけだが、次第にエミリーも関わりを持つようになる。固定化された役割だけでない女性像をヒーロー的な存在として描くのでなく、極めて自然な流れで表現したことはこの作品の特筆すべき点である。ケリー・ライカートは本作を手がけるにあたり、当時の女性たちが密かに綴った日記を読み込んだというが、そのことが、アメリカのアイデンティティの根底にあるであろう西部開拓史は男だけが特権的に築き上げたものではないという理解、表現へとつながっているのではないだろうか。

「近道」と「限界」

 ところで、本作のタイトルにある“Cutoff”という言葉を辞書で引くと「切断」のほか「近道」や「抜け道」、「限界」や「打ち切り」といった意味もあることがわかる。実在する“The Meek Cutoff”を思えば「近道」、「抜け道」ということになるのだが、作品を観てゆくといつまでたっても迷ってばかりで「近道」に出られないミークの「限界」も見てとれるから面白い。そんなミークの限界から生じた一行の窮地に一筋の光らしきものをもたらすのは、ミークが自分より下とみなしている女性たるエミリーと先住民であるのは痛快でありまた批評性に富んでいるといえるだろう。
 いま、わたしは「一筋の光らしきもの」と書いたが、なぜこのような曖昧な表現を用いたかは本作を最後までご覧いただけばわかると思う。絶妙な宙吊り感覚と登場人物たちの「その先」を想像せずにはおけないラスト・シーンはライカート作品の特徴のひとつだが、本作もその意味において見事な幕切れである。なお、『リバー・オブ・グラス』と『ウェンディ&ルーシー』についてはわたしの「note」内に2021年にポストした「抜け出せないロードムービー 特集上映『ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ』」という記事があるので、ご興味ある方は併せてお読みいただければと思う。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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