楠木雪野のマイルームシネマ vol.6「Kさんの勘違いと、子どもが子どもだった頃」

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楠木雪野のマイルームシネマ vol.6「Kさんの勘違いと、子どもが子どもだった頃」
 私の住んでいる京都には「京都みなみ会館」という映画館がある。1960年代に開館したミニシアターで、映画好きな人々に長く愛されてきたが、2018年3月に一旦閉館、そして2019年8月に元あった場所のすぐ近くに再び新しくオープンした。

 2009年の1月、そのみなみ会館でヴィクトル・エリセ特集があり、「ミツバチのささやき」を友人のKさんと観に行った。映画のあらすじもヴィクトル・エリセのこともよく知らなかったけれど、主演の子役アナ・トレントがりんごを差し出しているあのメインビジュアルを当時よく読んでいた映画本で目にしていてとてもかわいかったし、名作と書いてあるし、タイトルもかわいいし、「かわいいお話っぽい」と勝手に思い込んでいつか観てみたいと思っていた。そんな折に運良く上映があったのだった。

 かわいいお話っぽいという勝手な先入観を抱いて観たその映画はしかし、かわいいなんてものではなくて、とても静かで詩的で美しかった。あまりの美しさに、「ミツバチのささやき」はその後ずっと特別な一角を陣取って私の記憶の中に残ることになった。オープニングの子どもの絵や、フランケンシュタインの映画をみた少女の感情のざわざわ、寝る前の幼い姉妹のひそひそばなし、大きなお屋敷、光と闇の神秘的なコントラスト、アナ・トレントのこぼれんばかりの大きな瞳など、断片的な美しいイメージはその後ずっと忘れることなく、色褪せなかった。

 以降、時々誰かと映画の話題になって「ミツバチのささやき」の話をすることが何度かあったが、この映画について話すとき、人は決まってみんなしみじみと嬉しそうで満足げで、どこかうっとりとしているように見えた。


 そうやってみなみ会館で観てから12年経った今年の1月、ザ・シネマメンバーズの配信で再びこの作品を鑑賞することができた。12年分、子ども時代がより遠のき、郷愁を感じることも前よりは多くなったせいか、初めて観たときよりもアナへの共感がかえって強くなったように感じた。

 何かに怯えたり、祈ったり、架空の存在に話しかけたり、空想したりしていたこと。友だちやきょうだいとの無邪気な遊びや、小さないたずらや喧嘩、親との記憶。もうとっくに昔の思い出になってはいるのだが鮮明に覚えていて、年々思い出す機会が増え、いまだに影響を受けていると思うこともある。大人になってからは自分で自分を作ってきたはずなのに、その時間の方が長いのに、子どもだった頃の原体験には結局かなわないのか、と思う。

 また今回再びこの映画を観て、別の作品だが、ヴィム・ヴェンダースの「ベルリン・天使の詩(うた)」の冒頭に出てくるペーター・ハントケの「わらべうた」という詩を思い出した。「子供は子供だった頃、」と始まるこの詩もとても美しいのだが、今読み返してみると「ミツバチのささやき」が表現しているものにぴったりすぎるくらいぴったりな気がした。

 色々な解説を読むと、スペインの内戦やそれに伴う検閲がこの映画に影響を与えており、政治的な隠れた意味も込められているという話もあるが、私は単純に子どもの、アナの目を通して描いた世界という素朴な見方が好きだ。それだけでも十分に楽しめると思う。
 ところで、「ミツバチのささやき」といえば必ず思い出すエピソードがある。みなみ会館で映画を観終わったあと、一緒に行った友人のKさんがこう言った。「いやあ、それにしてもあの男の子、ほんまかわいかったなあ」「???」私は一瞬頭の中がはてなマークで一杯になった。そして事態を理解してから言った。「Kさん、主役の子、あれ、女の子ですよ。」

 Kさんはなぜか、アナ・トレントを終始男の子だと思って観ていたらしい。スカートも履いていたし、かわいいフリフリのネグリジェも着てたのに。12年ぶりに観返してみた今、ペーター・ハントケの詩を連想したり、当時の時代背景(スペインの内戦)をふまえて物語を咀嚼してみたり、新たに思ったことは色々あったが、Kさんがなぜアナ・トレントを男の子と間違えたのかは、あいかわらず謎のままだった。


 みなみ会館は移転して新しくなったので、その時の建物は今はもうない。この冬、12年ぶりに「ミツバチのささやき」をゆっくりと観て、当時のみなみ会館のロビーの雰囲気や、Kさんの可笑しな勘違い、1月の寒かった空気などを、懐かしく微笑ましく思い出していた。

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この記事のライター

楠木雪野
楠木雪野
楠木雪野 くすききよの
イラストレーター。1983年京都生まれ、京都在住。会社勤めを経てパレットクラブスクールにてイラストレーションを学び、その後フリーランスに。エリック・ロメールの『満月の夜』が大好きで2015年に開催した個展の題材にも選ぶ。その他の映画をモチーフにしたイラストも多数描いている。猫、ビールも好き。

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