苅田梨都子 連載:WORD-ROBE file9「光と影の魔術、未完成の物語」 

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苅田梨都子 連載:WORD-ROBE file9「光と影の魔術、未完成の物語」 

目次[非表示]

  1. 魅惑的な光と影の魔術師
  2. 両親、そして秘密の父という存在
  3. 完成と未完成
 例年よりも気温が高く、猛暑が続く8月。先日友人と映画を観る約束をして遊んだ時のこと。「最近『マルメロの陽光』を観たんだよね。なかなか観たい映画がないからDVD買っちゃった。知ってる?」と、話題が上がった。「え〜監督誰?」と言いながら私はすぐにiPhoneで検索したところビクトル・エリセ監督だった。私は「そういえば新作やるよね。」と話し、「え、そうなの?」と飲食売店前の待ち時間中に盛り上がった。2024年公開予定の『Close Your Eyes』は31年ぶりの長編で今から楽しみで仕方がない。フランス版のポスタービジュアルにも大変魅了される。

 ビクトル・エリセ監督作品は『ミツバチのささやき』しか鑑賞できていなかったが、一作品でも監督の唯一無二な世界に引き込まれた。リバイバル上映として映画館で観たときの記憶がすぐに蘇る。今回は未鑑賞だった『エル・スール』を鑑賞し、取り上げることにした。

魅惑的な光と影の魔術師

 ビクトル・エリセ監督作品の個人的なイメージを語ると、秋から冬にかけての空気が冷たくなり始めた季節。辺りには褐色の落ち葉が広がり、見渡す限り枯れ木に囲まれている。こっくり深いオリーブ色や、からし色やレンガ色が似合う。風が吹いて髪が靡く、静かな空間。コーデュロイやベルベットのような毛足があり温もりと高級感ある生地を連想させる。映像全体はどちらかと言えば暗めのトーンである。

 そんな静謐な印象の作品の中、暗闇の中に段々と光が現れる。同時に少女の顔の半分は影で覆われる。もう半分は光が当たっている。巧みな光と影の操り方。視覚的な効果と技術が巧妙で思わずうっとりしてしまう。 それは『ミツバチのささやき』にも同様に言えること。目をじっくり凝らさないと見えないような暗さの中に室内や家具、洋服、人物などに対して仄明るい光が差し込み、照らし出される。
 この暗さは夜、部屋にキャンドルをつけてゆったりと過ごしている時間と同じようなムードに近いと感じている。そんなムードの映画に私は必ずと言っていいほど眠たくなってしまう。映画がつまらないのではなく、むしろ安心してしまい心地良くなってしまうからだ。映画館のソファだと余計に眠りに誘われるけれど、ビクトル・エリセの作品はお家の中で観ていても頭がふわふわしてくる。幸福な睡魔が襲いかかってくる。まるでエリセの魔法にかけられたかのように。お家では度々巻き戻して字幕の台詞を確認する。一つ一つの言葉も魅力的で見逃したくない。

 “光と影”のキーワードに着目してつい連想してしまうのは、台湾の映画監督、エドワード・ヤンである。『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』と『台北ストーリー』は特に暗闇の中に光を感じる。ビクトル・エリセ、エドワード・ヤン二人の監督は“光と影の操り方”や“撮影場所・スタイル”は異なるけれど、繊細で思わず引き込まれてしまう。私はスクリーンに映る全てのシーンをまばたきする度に、自身の瞳でシャッターを切る感覚で見つめる。その行為や意識はまるで、丁寧に一枚ずつアルバムに写真を貼っていくような作業にも思える。

両親、そして秘密の父という存在

 主人公である少女、エストレリャは目覚めると枕元に父アグスティンの振り子を見つける。エストレリャは父が死んだことを悟る。その後、彼女は回想し本作は始まる。

 スペイン北部で暮らす家族。城壁に囲まれた川沿いの町からはフランス画家“クロード・モネ”の描く美しい絵画のような神秘的な景色が広がっている。本作では幼いエストレリャの視点で、父と共に過ごした生活を追う。郊外に借りた家には名称がついており“かもめの家”と呼ぶ。

「エル・スール」
© 2005 Video Mercury Films S.A.

 エストレリャと父・母との関係性については、詳しいことはわからない。しかし、度々大声で名前を呼び続ける母親の姿には少し警戒してしまう。エストレリャが屋根裏部屋にいる父の様子を伺おうと、ボールを持ちながら階段を慎重に上る。部屋の覗き穴を見つけると同時にボールを床に落とし騒音を立ててしまう。階段に転がり落ちるボール。すると母親が咄嗟に怒鳴る。エストレリャは母親のことをあまり好いてはいなさそうだ。反対に父と過ごしている時は穏やかで、素直。父とは心地良く過ごせているように見えた。

 今の暮らしである北の反対側で、ヤシの木があるところが南=エル・スール。エストレリャはエル・スールの景色や建物、人々の描かれた複数のポストカードを見つけ眺める。父が南へ行かない理由が気になってしまう。

 時が経ち彼女が成長すると、ある時、父の机の引き出しの中に“イレーネ・リオス”という名の女性のデッサンが入っているのを見つけ、父の心に別の女性がいると知る。そして数ヶ月後の冬、学校の帰りに映画館の前に父のバイクが止めてあることに気づき、上映されている映画のポスターを見ると、そこにはイレーネ・リオスの名前が載っていた。本当に居るかどうかも分からなかったリオスの存在を初めて知る。
そして映画館のドアから中を覗く。私はこのシーンで四つ星の装飾に思わず目がいった。エストレリャの薬指には、シルバーの六つ星の指輪が冒頭からラストまで輝き続け、気になっていた。​​​​エストレリャとはスペイン語で“星”を意味する。ずっと大切に身につけている小さな輝きは、父から貰った宝物のように見えた。

「エル・スール」
© 2005 Video Mercury Films S.A.

 映画館の受付でチラシをもらい、金髪の方の女優がリオスだと教わる。スクリーンの中では銃に打たれて倒れるリオスと、スクリーンを眺める父の姿が。
上映が終わった後、あるカフェの窓際に座り手紙を綴る父を見つける。父は何か後ろめたそうだった。あの時の父の顔は忘れられない。前から霊感を持っている父のことは不思議に思っていたが、リオスに対して想いを馳せている姿にはとても驚いたであろう。人間らしさが垣間見えてさらに父のことが気になった。エストレリャはきっと父のことが大好きで堪らないからだろう。

 中盤には私自身と重ねてしまった大好きなエストレリャのシーンがある。ベッドの下に隠れて母が名前を沢山呼んで探していることを知っていながらも、日が暮れるまで寝て隠れていた場面だ。

 エピソードとして幼少期、母と喧嘩することが多くエストレリャのように小さな抵抗として色んなところに隠れていた。お手洗いに鍵をかけて長時間居ることで困らせたり、犬小屋に寝ていたり、少し離れたバーベキュー会場まで歩いて隠れたり、体操座りをして嘘泣きの演出をしていたものだった。今思うと相当ズル賢いし、呆れてしまう。でも、それらの行動は幼いながらも力や言葉では大人には勝てないことを知っていたからだったのだろう。自分から謝るのではなく心配させることで互いに自然と和解できたらと思っての行動だったのかなと。

完成と未完成

 エリセ監督にとって2作目の長編であり、“アデライダ・ガルシア・モラレス”による同名の短編小説を原作としている本作。当初、この映画の上映時間は3時間の予定だったそう。プロデューサーが後半部90分の上映を許さず、『エル・スール』は上映時間95分の映画となった。

 よって、南=エルスールに向かうこれからの物語は本作に登場しない。さまざまな事情があり、このようなことになったという。続きもあるのならば気になってしまうかもしれないが、私はそんなことは知らずに鑑賞し、充分な作品であると感じた。後ほど本作に続きがあると知った。95分の映画になったことは、ビクトル・エリセの本望ではないかもしれないが、敢えて見せないのも私にとっては美しく感じた。余白と捉えることでこの作品は輝いてみえたのではないか。

 ものづくりをしている人たちは少しばかり本作のケースに共感や理解もできるだろう。私は服のコレクション製作をする度に実は100%、120%の状態でなかなか届けられないでいる。それは、努力不足であれば改善できるけれどその他にもさまざまな支障や要因が突然やってくる。そこには金銭問題や素材の有無、継続できない原因、商品化できない理由など露出後には見えない理由が潜んでいる場合もある。しかし、限られた時間の中でできるだけ自分の思想や提案したいものに近づけ、第三者にはまるで100%だという風に見せなければならない。妥協したくない気持ちと、発表するにあたって抑制される箇所。自分にとっては少しだけ未完成である作品も世に出すにはNGにするか、完成している風を少しは装いながらも仕事をしている。

 ビクトル・エリセ監督は1969年から2023年迄に長編を4作品しか発表していない。きっとこのエル・スール公開に至った時は悔しくて堪らなかっただろうと想像できる。一つ一つの作品へのまなざしや拘りは人一倍だろう。仕事のサイクル的に10〜15型のアイテムを半年ごとに生み出す私は私で、ビクトル・エリセのような真摯なまなざしを追いながら発表をしていきたいと思う。

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この記事のライター

苅田梨都子
苅田梨都子
1993年岐阜県生まれ。

和裁士である母の影響で幼少期から手芸が趣味となる。

バンタンデザイン研究所ファッションデザイン科在学中から自身のブランド活動を始める。

卒業後、本格的に始動。台東デザイナーズビレッジを経て2020年にブランド名を改める。
現在は自身の名を掲げたritsuko karitaとして活動している。

最近好きな映画監督はエリック・ロメール、濱口竜介、ロベール・ブレッソン、ハル・ハートリー、ギヨーム・ブラック、小津安二郎。

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