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COLUMN/コラム2024.09.30
「すべて本当にあったこと」を描いた、ロマン・ポランスキー畢生の傑作は今…。『戦場のピアニスト』
実話ベースの本作『戦場のピアニスト』(2002)の原作本に、ロマン・ポランスキーが出会ったのは、1999年のこと。パリで監督作『ナインスゲート』がプレミア上映された際に、友人から渡されたのである。 一読したポランスキーは、長年待ち望んだものに出会った気持ちになった…。 ***** 1939年9月、ポーランドの著名な若手ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンはいつものように、首都ワルシャワのラジオ局でショパンを演奏していた。しかしその日、ヒトラー率いるナチス・ドイツが、ポーランドに侵攻。シュピルマンの人生は、大きく変転する。 老父母や弟妹など、家族と暮らしていたシュピルマン。ユダヤ系だったため、街を占領したドイツ軍の弾圧対象となる。 ナチスがポーランド各地に作ったユダヤ人ゲットーへの移住が命じられ、住み慣れた我が家から強制退去。移った先では、ドイツ兵による“人間狩り”や“虐殺”が横行する。 42年8月、ゲットーのユダヤ人たちの多くが、強制収容所に送られることになった。しかし列車へ乗り込まされる直前、シュピルマンは、ユダヤ系ながらナチスの手先となった友人から、家族と引き剥がされ、この場を去るように促される。 家族で唯一人、収容所行きを免れたシュピルマンは、ゲットーに戻り、肉体労働に従事。このままではいつか命を落とすと考え、脱出を決行する。 ナチスに抵抗する、旧知の人々らの協力を得て、隠れ家を移りながら、命を繋ぐ。 44年、ワルシャワ蜂起が始まり、戦場となった街が、灰燼と帰していく。そんな中で必死に生き延びようとする、シュピルマンの逃走が続く…。 ***** 33年パリで生まれたポランスキーは、3歳の時に、家族でポーランドに移り住んだ。青年時代にウッチ映画大学で監督を志し、やがて長編第1作『水の中のナイフ』(62)で、国際的な評価を得る。 その後は海外へ。イギリスで、『反撥』(65)『袋小路』(66)『吸血鬼』(67)を成功させると、ハリウッドに渡って『ローズマリーの赤ちゃん』(68)を監督。更に声価を高めた。 しかし69年、妊娠中だったポランスキーの若妻シャロン・テートが、カルト集団に惨殺されるという悲劇に見舞われる。強いショックを受けた彼は、一時ヨーロッパへと移るが、『チャイナタウン』(74)の監督依頼を受けて、アメリカに戻る。 ところが77年、ポランスキーは13歳の少女を強姦するという事件を起こし、アメリカ国外へと逃亡。以降は主にフランスをベースに、監督作品を発表し続けている。 紆余曲折ある彼の監督人生の中で、ずっと胸に抱いていたこと。それは、いつかポーランドの「痛ましい時代の出来事を映画化したい」という思いだった。 ユダヤ系であるポランスキーは、ナチスの占領下で過ごした少年時代に、ゲットーでの過酷な暮らしを経験。その後両親と共に、強制収容所へ送られそうになる。寸前に、父の手で逃がされた彼は、終戦を迎えるまで、幾つもの預け先を転々とすることになった。 戦後になって、父とは再会。しかし母は、収容所で虐殺されていた…。 自分が経験した、そんな時代に起こった事々を作品にしたい。しかしながら、自伝的な内容にはしたくない…。 ポランスキーは、スティーヴン・スピルバーグから、『シンドラーのリスト』の監督オファーを受けながら、断っている。その舞台となるクスクフのゲットーが、実際に自分が暮らした地であり、描かれることが、自身の体験にあまりにも近かったためだ。「ふさわしい素材」を得て、「映画監督として、しっかりとした」ヴィジョンを持って臨まねばならない。そう心に秘めて待ち続けたポランスキーが、60代後半になって遂に出会ったのが、ウワディスワフ・シュピルマンの回想録である、「戦場のピアニスト」だったのだ! ポランスキー曰く、シュピルマンの体験と自分の間に、「ほどよい距離があった」。自分の住んでいた街とは舞台が違い、自分が知っている人間は、誰1人登場しない。それでいながら、「自分の知る事柄が書かれていた」。自らの体験を活かしつつも、客観的な視点で物語を紡ぐのに、これほど相応しいと思える原作はなかったのである。 シュピルマンの著書は、「ぞっとさせられる反面、その文章には前向きなところもあり、希望が満ちていた」。また、「加害者=ナチス/被害者=ユダヤ人」という単純な図式に陥ることなく、シュピルマンの命を救うのが、同胞から恐れられていた裏切り者のユダヤ人だったり、ナチスの将校だったりする。ナチスにも善人が存在し、ユダヤ人にも憎むべき者がいたという、原作の公平な視点にも、いたく感心したのだった。 ポランスキーは、戦後はポーランド音楽界の重鎮として後半生を送っていたシュピルマン本人と面会。映画化を正式に決めた。残念ながらその翌2000年、製作の準備中に、シュピルマンは88年の生涯を閉じたのだが…。 ポランスキーが、ポーランドで映画を撮るのは、『水の中のナイフ』以来、40年振り。資金はヨーロッパから出ており、アメリカの俳優は使わないという条件だった。 それでいながらセリフは英語とするため、ロンドンでオーディションを行うことになった。1,400人もの応募があったが、ポランスキーはその中からは、“シュピルマン”を見つけることはできなかった。 結局ポランスキーが白羽の矢を立てたのは、アメリカ人俳優。1973年生まれで、まだ20代後半。ニューヨーク・ブルックリン育ちのエイドリアン・ブロディだった。 シュピルマンに、風貌が似ていたわけではない。しかしポランスキーはブロディの出演作を数本観て、「彼こそ“戦場のピアニスト”」と思ったのだという。ポランスキーが「思い描いていた通りの人物になりきることのできる」俳優として、ブロディは選ばれたのである。 アメリカ人のブロディを起用するため、スポンサーを説得するのには、1カ月を要した。その上で、製作費の減額を余儀なくされた。 そこまでポランスキーが執心したブロディは、本作以前にスパイク・リーやケン・ローチなどの監督作品で主要な役を演じながらも、まだまだ新進俳優の身。ポランスキーの心意気に応え、戦時に大切なものをことごとく失ったシュピルマンになり切るため、住んでいたアパートや車、携帯電話など、すべてを手放して、単身ヨーロッパへと渡った。 ブロディの父は、ポーランド系ユダヤ人で、ホロコーストで家族を失った身。母は少女時代、ハンガリー動乱によって、アメリカに逃れてきた難民だった。ブロディ家では子どもの頃から、戦争のことやナチスの残虐さが、いつも話題になっていた。 クランク・インまでの準備期間は、6週間。部屋に籠りきりで行ったのは、まずはピアノの練習。少年時代にピアノを習った経験が役立ったものの、毎日4時間ものレッスンを受けた。 同時に進められたのが、ダイエット。摂取するものが細かく指示されて、体重を10数㌔落とした。撮影中に遊びに来たブロディのガールフレンドが、彼を抱き上げてベッドに運べるほど、瘦身になったという。 他には、ヴォイストレーニングや方言の練習、演技のリハーサルが繰り返される毎日を送った。 本作でもう一方の“主役”と言えるのが、1939年から45年に掛けての、ワルシャワの市街。しかしゲットーの在った地をはじめ、ほとんどの場所は戦後に再建されており、撮影に使えるような場所は、ほとんど残っていなかった。 そのためポランスキーは、広範なリサーチと自分自身の記憶を頼りに、美術のアラン・スタルスキと共に、ワルシャワとベルリン周辺で、数ヶ月のロケハンを敢行。本作の100を超える場面に必要な撮影地を、探し回った。 最終的には、ベルリンの撮影所の敷地内に、ワルシャワの街並みを建造。また、同じくベルリンに在った、旧ソ連兵舎を全面的に取り壊して、広大な廃墟を作り上げた。これは、全市の80%が壊滅したと言われるワルシャワ蜂起の、すさまじい戦禍を再現したものだった。 本作の撮影は、この廃墟が雪に覆われたシーンからスタートした。ブロディ演じるシュピルマンが、壁を上って、その向こう側に行くと、どこまでも荒涼たる光景が広がっている。「これが自分の住む街だったら」と思うと、ブロディは自然に涙がこぼれたという。 ワルシャワでは、屋内・屋外ロケを敢行。様々なシーンの撮影を行った。 ロケ地探しで至極役立った、ポランスキーの記憶力。ナチの軍服や兵士たちの歩き方、ゴミ箱の大きさに至るまで、当時の再現に、大いに寄与した。記憶でカバーできない部分は、終戦直後の46年に書かれた、シュピルマンの原作に頼った。 戦時のワルシャワで起こった様々な事件を再現するためには、多くのリサーチが行われた。クランク・イン前には、歴史家やゲットーの生存者の話を聞き、スタッフには、ワルシャワ・ゲットーについてのドキュメンタリーを何本も観てもらった。 ポランスキーは本作に、当時彼自身が体験したことも、織り込んだ。その一つが、シュピルマンが、収容所に送られていく家族からひとり引き離されるシーン。 原作ではシュピルマンは、その場から走って逃げたと記している。しかしポランスキーは、歩いて去るように、変更した。 これはポランスキーがゲットーを脱出した際に、ドイツ兵に見つかった経験が元になっている。そのドイツ兵はみじろぎひとつせずに、「走らない方がいい」とだけ、ポランスキーに言った。走るとかえって、注意を引いてしまうからである。 そんなことも含めて、本作で描かれているのは、「すべて本当にあったこと」だった。 撮影は、2001年2月9日から半年間に及んだ。その期間中、ポランスキーは当時の辛かった思い出の“フラッシュバック”に、度々襲われることになる。しかし撮影前のリサーチ段階での苦痛のほうが大きかったため、憔悴するには至らなかった。 本作のクライマックス。シュピルマンが隠れ家とした場所でナチスの将校に見つかり、ピアニストであることを証明するためピアノを演奏する、4分以上に及ぶシーンがある。 こちらはドイツのポツダムに在る、住宅街の古い屋敷でのロケーション撮影。画面から伝わってくる通りの寒さの中で、カメラが回された。 スタッフが皆、分厚いコートを来ている中で、ブロディは着たきりのスーツだけ。しかし監督は画作りのため、すべての窓を開け放しにした。ブロディは死ぬほどの寒さの中で、演技をしなければならなかった。 このシーンに登場する、トーマス・クレッチマンが演じるドイツ国防軍将校の名は、ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉。シュピルマンを連行することなく、隠れ家の彼に食事や外套を提供して、サバイバルを手助けする。 本作で詳しく描かれることはなかったが、実在したこの大尉は、ナチスの方針に疑問を抱き、迫害に遭ったユダヤ人らを、実は60人以上も救っている。シュピルマンを助けたのは、偶然や気まぐれではなかったのである。 不運にも彼はワルシャワから撤退中に、ソ連軍の捕虜となった。そしてシベリアなどの捕虜収容所に、長く拘置されることになる。 シュピルマンは戦後、自分を助けてくれたドイツ人将校を救おうと、手を尽して行方を捜索。収容所に居ることがわかると、当時はソ連の衛星国家だった、ポーランドの政界に解放を働きかけた。しかしホーゼンフェルトが自由の身になることはなく、52年に心臓病のため57歳で獄死してしまう…。 さて6ヶ月間、本作に打ち込んだエイドリアン・ブロディは、シュピルマンの“孤立感”を体感しようと試み、飢えをも経験する中で、感じ方や考え方に変化が生じた。そのため撮影が終わってから、何と1年近くも、鬱状態から抜け出せなかった。 一方でブロディは、本作に出たことによって、俳優としての自分がやりたいことが何なのか、はっきりと自覚することができたという。 ちなみにブロディがレッスンを経て、楽譜を見ずにピアノを弾けたようになったことを、ピアノ教師が絶賛。この後も続けるように勧められたが、本作が撮了するとモチベーションを保てず、やめてしまったという。 監督のポランスキー、主演のブロディが報われたのは、まずは2002年5月の「カンヌ国際映画祭」。そのコンペ上映で15分間のスタンディング・オヴェーションを得て、最高賞のパルムドールに輝いた。そして翌03年3月には「アカデミー賞」で、ポランスキーに“監督賞”、ブロディに“主演男優賞”が贈られた。 それまでは、“鬼才”という呼称こそがしっくりくる感があったポランスキー。件の事情で国外逃亡中の身だったため、オスカー授与の場に立つことはなかったが、本作『戦場のピアニスト』によって、紛うことなき“巨匠”の地位を得たのである。 しかしそれから歳月を経て、90を超えたポランスキー、そして本作への評価も、今や安泰とは言えない。 2017年に大物プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる数多くの性加害が告発されて以降、大きな高まりを見せた#MeToo運動。その文脈の中では、少女を強姦してアメリカ国外へ逃亡したポランスキーの、“巨匠”としての地位も、揺るがざるを得ない。 ポランスキーに性的虐待を加えられたと告発する者は、他にもいる。アカデミー賞受賞後、彼のアメリカ入国を認めさせようという機運が一時高まったが、もはや取り沙汰されることはない。 そして現在、イスラエルが、ガザ地区で戦争を続けている。 ナチスに母を、カルト集団に妻子を奪われた“被害者"である一方、レイプで女性の人生を狂わせた“加害者”であるポランスキー。 ナチスのジェノサイドの犠牲者であるユダヤ民族が作った国家イスラエルは、国際的な批判の高まりを無視して、パレスチナの民への攻撃を行っている。『戦場のピアニスト』は、製作から20年以上経った今観ても、衝撃的且つ感動的な作品である。ポランスキーが意図した通り、「ナチス=悪/ユダヤ=善」という単純な図式を回避したからこその素晴らしさがある。 しかしながら、2024年の今日。そんな作品だからこそ、複雑な気持ちを抱きながら観ざるを得なくなってしまったのも、紛れもない事実である。■ 『戦場のピアニスト』© 2002 / STUDIOCANAL - Heritage Films - Studio Babelsberg - Runteam Ltd
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COLUMN/コラム2021.07.01
“アーミッシュ”そしてピーター・ウィアーとの出会いによる、ハリソン・フォード“キャリア最高”作『刑事ジョン・ブック/目撃者』
本作『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985)が公開された頃、主演のハリソン・フォードは、TOPクラスの人気スター。『スター・ウォーズ』シリーズ(77~)のハン・ソロ役、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)に始まる「インディ・ジョーンズ」シリーズで、アクションスターとして確固たる地位を築いていた。 そんなフォードが刑事役と聞けば、当時の映画ファンは皆、もちろんアクション映画だろうと思い込む。原題の「WITNESS=目撃者」に、「刑事ジョン・ブック」とカブせた邦題も、『ブリット』(68)や『ダーティハリー』(71)といった、主人公の名前をタイトルにした、代表的な“刑事アクション”を連想させた。 しかし、そんなつもりで本作に臨んだ者は、何とも驚くべき肩透かしを喰らった。しかしそれは、期待外れだったという意味では、決してない…。 *** アメリカ・ペンシルバニア州の田舎の村落から、夫を亡くして間もない未亡人のレイチェルが、8歳のひとり息子サミュエルを連れ、旅に出る。目的地は、姉の住むボストン。 質素を旨とした2人の服装は、乗り継ぎで降りたフィラデルフィアの駅では、明らかに周囲から浮いていた。そしてすれ違う者から、囁かれる。「あの人たち、アーミッシュよ」 母子は、俗世との接触を断ち、独自のコミュニティで古の生活様式を守る、キリスト教の一派アーミッシュに属する者だった。 サミュエルは、公衆電話やエスカレーターなど、初めて見る文明の利器に驚きを覚える。しかし彼を最も驚かせたのは、トイレで偶然目撃した、殺人事件の顛末。殺されたのは、私服警官だった。 捜査の担当になったジョン・ブック刑事は、母子を強引に引き留め、協力させる。そしてサミュエルが目撃した殺人犯が、麻薬課のマクフィー刑事であることが判明する。 ブックは上司のシェイファーにその旨を報告し、極秘に捜査を進めることに。しかしその直後、マクフィーから銃撃を受ける。 上司もグルだと気付いたブックは、アーミッシュの母子も危険であると察知。重傷の身を押して、車で2人の住む村落まで送り届ける。 そこでブックは意識を失い、レイチェルの介抱を受ける。そしてそのまま、素朴なアーミッシュの生活の中に、身を潜める。 穏やかな日々が続き、ブックとレイチェルは、惹かれ合うものを感じ始める。しかし、一線は越えられない。それはこれまで培ってきた日常を、すべて捨てねばならなくなるからだ。 その一方で、シェイファーとマクフィー一味の執拗な追跡の手が、ブックたちに迫ってくる…。 *** 実在の宗派ながら、それまで多くの者にとっては未知の存在だった“アーミッシュ”が、本作の展開の肝となる。観客はハリソン・フォードが演じるジョン・ブックと共に、知られざる世界へと導かれる。 銃と暴力が蔓延る大都市で、刑事を務めてきたブック。“アーミッシュ”の社会は、彼が身を置いてきた場所とは、まさに正反対の異文化である。 厳しい戒律によって、18世紀以降の文明を拒否。農耕と牧畜による自給自足を旨として、車もテレビも電話も、ひとを傷つける武器もない。酒や煙草、更には快楽を目的としたセックスも禁忌である。そんな「絶対禁欲主義」の共同体で生まれ育ってきたレイチェルとブックの恋模様は、暫しプラトニックで、切ないものとなる。 本作はクライマックスでの悪徳警官グループとの対決など、アクションシーンが皆無というわけではない。しかしそれまでのフォード主演作とは、明らかに趣を異にした。 当時のフォードが、『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』の2大シリーズで、TOPクラスの人気スターだったことは、先に記した。しかし逆に言ってしまえば、ルーカス印・スピルバーグ印限定。それ以外のヒットを持たないスターでもあった。 他の主演作は軒並み、興行的にも批評的にも、成功と言えるものはなかった。今ではSF映画史に残る名作の誉れ高い『ブレードランナー』(82)も、例外ではない。その頃の評価は、マニアックな人気がある、1本の“カルト映画”に過ぎなかったのである。 そんなフォードにとって本作は、2大シリーズ以外で、初の大ヒットとなった。また彼の現在に至る長いキャリアの中で、ただ一回だけアカデミー賞(主演男優賞)にノミネートされる作品となったのである。 プロデューサーのエドワード・S・フェルドマンが、本作の主演として、フォードに白羽の矢を立てたのは、脚本を読んだ際に、ゲイリー・クーパーがクエーカー教徒を演じる、南北戦争映画『友情ある説得』(56)を思い出したのが、きっかけだった。 クエーカー風の服装をしたクーパーを想起して、~現代俳優の中で、この手の服を着るとクーパーと同じくらい似合わなくて、滑稽に見えるのは誰だろう?~と考えた。即座に頭に浮かんだのが、フォードだったという。 オファーを受けたフォードは、脚本を読んですぐに気に入り、出演を決めた。後に脚本家に対して、フォードはその時のことをこんな風に語っている。「この作品には、90点くらいつけてもいいと思った。私が初めて読んだ時に90点もつける脚本というのは滅多にない…」 製作会社もパラマウントに決まり、次は監督探し。いわゆるハリウッド的な監督に委ねてしまえば、“アーミッシュ”が、よくある“刑事アクション”の単なる舞台装置になりかねない。 未知の異文化と関わっていく中で、主人公が変わっていく様を、きちんと捉えることが出来る。そんな監督としてフェルドマンが第一候補に考えたのが、『ピクニックatハンギング・ロック』(75)や『誓い』(81)『危険な年』(82)などで、オーストラリアの俊英と評判を取っていた、ピーター・ウィアーだった。 しかしその時のウィアーは、初のアメリカ映画として、ポール・セローの小説「モスキート・コースト」映画化の準備中。そのためフェルドマンは彼の起用を、一旦断念せざるを得なかった。 その後半年かけて監督探しを行うも、いずれも不調に終わったタイミングで、僥倖が訪れる。「モスキート・コースト」が資金難のため製作中止になり、ウィアーのスケジュールが空いたのだ。 オーストラリアに戻っていたウィアーは、届いた本作の脚本を読むと、フェルドマンのオファーにOKを出した。通常2年ほどを作品の準備期間に当てるウィアーだが、その時点で撮影までには、僅か10週ほどの時間しかなかった。それでも本作を引き受けたのは、“アーミッシュ”の存在に惹かれるものを感じたからだ。 その時点ではまだ暴力過多だった脚本を、ブラッシュアップ。ラブストーリーであり倫理観を扱うドラマという要素を、より強く打ち出すことにした。 フォードとウィアーは、準備期間の初対面からウマが合い、信頼関係が築けたという。ヒロインにケリー・マクギリスが候補に上がった際、「ほぼ新人」だった彼女の起用に難色を示したフォードだったが、「僕を信用できないなら、君はこの映画をやるべきじゃない」と断固とした態度を示すウィアーに、あっさりと翻意するほどだった。 フォードは本物の警官と共に夜のパトロールに出るなどの役作りを行い、“アーミッシュ”に関するリサーチは、ウィアーとマクギリスに任せた。自分は“アーミッシュ”については役柄同様、「…無知なままでいるよう…」細心の注意を払ったのだという。 それに対してマクギリスは、女優ということは隠して、“アーミッシュ”の家族と共に暮らすなどしたという いざ撮影に入っても、フォードとウィアーは、良好な関係を保った。ウィアーはフォードに、その時々で最高の演技、即ち“即興”を望み、フォードはそれに応えた。 本作の中で特に有名なのは、村落の“アーミッシュ”が総出で、新婚夫婦のための納屋を建てるシーン。実際に大工として生計を立てていた時代がある、フォードが見事な腕を披露する。 一方で、最もロマンティックなシーンと言えるのが、カーラジオから流れるポップスで、フォードとマクギリスがスローなダンスを踊るところ。ここで流れる、サム・クックの「ワンダフル・ワールド」を選曲したのも、フォードである。「ピーターは、私に、生理的な解釈ではなく、知的に解釈できるようにしてくれた。…それまでの監督との関係よりも、もっと私に対して影響力を持っていた」「彼(フォード)は好きにならずにいられない男だ。…強くて無口な、ハリウッド映画の伝統的なヒーローのような気がするよ」 こう語り合う2人は、まさに名コンビであった。この信頼関係があったからこそ、本作が世評も高い大ヒット作となったのは、疑うべくもない。 とはいえ、好事魔多しである。 ウィアーはアメリカで初めて取り組んだ本作で大成功を収めた後、念願の『モスキート・コースト』に改めて取り組む。主演は本作に引き続き、ハリソン・フォード。 この現場でも、互いへのリスペクトは失われなかった。しかし86年に完成し公開された作品が、本作のように観客と批評家から好意を以て迎えられることは、残念ながらなかったのである。 フォードは、ウィアーと組んだ2作品を、俳優生活で最高の体験だったと、後々まで語っている。しかし『モスキート・コースト』の失敗(!?)が災いしてか、その後2人のコンビ作は作られていない。これは至極、残念ことのように思える。 さて話を『…目撃者』に戻せば、本作の成功は“アーミッシュ”の文化に対する大衆の興味を喚起して、そのコミュニティ周辺には観光ブームが押し寄せた。本作内にも登場するが、それ以上に“アーミッシュ”に傍若無人な振舞いやからかうようなマネをする観光客が後を絶たなくなって、問題化したという。 個人的な想い出を言えば、本作を観た時に不思議に思ったことがある。先にも挙げたシーンであるが、「絶対禁欲主義」で踊ることも禁じられている筈のコミュニティなのに、レイチェルが、ジョン・ブックのダンスの誘いに、軽やかに応じられたこと。 実はその疑問は、本作初見から四半世紀近く経って、「松嶋×町山/未公開映画を観るTV」というテレビ番組に、構成として関わることによって氷解した。2009年から11年に掛けてTOKYO MXなどで放送されたこの番組は、アメリカの知られざる一面を伝える日本未公開のドキュメンタリー映画を、映画評論家の町山智浩氏のガイドによって紹介するというもの。 その中の『DEVIL'S PLAYGROUND』(02)という作品で、“アーミッシュ”が16歳になった時から1年間の“ルムシュプリンガ”という期間が、題材として取り上げられていた。この期間は何と、「絶対禁欲主義」とは真逆に、酒、煙草、ドラッグ、セックス等々、彼ら彼女らにとってすべての禁忌が、やり放題なのである。 これは、洗礼を受けて一生戒律に従って生きるか、それとも、教会を離れて俗世に入るかを決めるための準備期間。フリーな世界で奔放な1年間を過ごした上で、自分の一生を決めるというわけだ。 俗世に入ると、家族との縁は一生断ち切られて、二度と会えなくなる。加えて、遊び放題と言っても、所詮はアメリカの田舎町での枠内。1年も経つと、やりたいこともやり尽くす。結局は、進学や就職などに希望を見出した者など以外の9割は、“アーミッシュ”の世界へと戻っていくという。 この作品には相当な驚きを感じ、同時に、『…目撃者』のことを、思い出した。そうか、あのレイチェルも、ダンスはおろか、酒、煙草、ドラッグ、セックス漬けの奔放な1年間を過ごしたのか。なるほど~と。 本作から受けた感慨を台無しにしかねないエピソードだが、ご容赦を戴き、この稿の〆としたい。■ 『刑事ジョン・ブック/目撃者』TM & Copyright © 2021 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2021.01.04
すべてのホラー映画の原点 『悪魔のいけにえ』のホントに怖い顛末
1974年10月1日、アメリカ・テキサス州オースティンのドライブインシアターと映画館で、無名のスタッフ・キャストによる、1本の低予算B級映画が公開された。 その時関係者は誰ひとりとして、予想だにしなかったであろう。その作品が半世紀近く経った2020年代になっても、「ホラー映画のマスターピース」として語り継がれるようになることなど。“芸術性”が高く評価されて、MoMA=ニューヨーク近代美術館にマスターフィルムが永久保存されるという栄誉にも浴した、その作品のタイトルは、“TEXAS CHAINSAW MASSACRE(テキサス自動ノコギリ大虐殺)”。翌75年2月1日に日本でも公開された、本作『悪魔のいけにえ』である。 冒頭、上部にスクロールしていくスーパーで、5人の若者の身に、残酷な運命が待ち受けていることが予告される。続いて「1973年8月18日」と、真夏の出来事であることを示すスーパーが浮かび上がって、物語のスタートである。 テキサスの田舎町で、墓が掘り起こされては、遺体の一部が盗み去られるという事件が頻発する。若い女性サリーと、その兄で車椅子のフランクリンは、祖父の墓が被害に遭ってないかを確認しにやって来た。ワゴン車での旅の同行者は、サリーの恋人ジェリー、友人のカークとその恋人パム。 5人は墓の無事を確認すると、かつてサリーとフランクリンが暮らした、祖父の家へと向かう。しかしその途中に乗せたヒッチハイカーの男によって、彼ら彼女らの行く先に、暗雲が垂れ込め始める。 その男は、ナイフでいきなり自分の掌を傷つけた上、フランクリンに切りつける。そして車を飛び降りると、自らの血で車体に目印のようなものを付けるのだった。 男を追い払い、気を取り直した5人は、ガソリンスタンドへ寄るも、ガソリンは切れていて、夜まで届かないという。仕方なく一行は、今は廃屋のようになっている祖父の家へと向かった。 そこからカークとパムのカップルは、近くの小川で水遊びをしようと出掛ける。その時、一軒の家が目に入る。 ガソリンを分けてもらおうと、彼らが訪れたその家で出くわしたのは、人面から剥いだ皮で作ったマスクをした大男“レザーフェイス”。チェーンソーを振り回して人間を解体する彼と、その家族は皆、シリアルキラーの人肉食ファミリーであった…。 そこからは、ラストのあまりにも有名な“チェンソーダンス”に至るまで、若者たちは次々と絶叫と共に、血祭りに上げられていく。マスクを付けた殺人鬼による、若者大虐殺の展開など、今どきのホラーを見慣れた観客にしてみれば、既視感満載かも知れない。 しかしそれは、当たり前の話だ。『悪魔のいけにえ』こそが、そのすべての始まり、原点の作品だからである。70年代後半以降、ほとんどのホラー映画は、本作の影響下にあると言っても、過言ではない。「『悪魔のいけにえ』のように、宇宙を舞台にした恐怖に支配された映画を作りたい」これはあの『エイリアン』第1作(79)の製作前に、脚本を担当したダン・オバノンが、リドリー・スコット監督に本作を見せて、語った言葉である。 ここで多くの方々の誤解を、解いておこう。本作は首チョンパや内臓ドロドロなど、人体損壊のゴア描写が炸裂するような、いわゆる“スプラッタ映画”では、まったくない。直接的に皮膚に刃物を刺して人を殺すシーンなどは、1カットもないのである。血飛沫が上がるのは、犠牲者が車椅子に乗ったまま、チェンソーで切り刻まれてしまうシーンぐらい。実はTVでも放送出来るように、直接的な残酷描写は、避けて作られている。 それでいながら、いやそれだからこそ、“レザーフェイス”が初めて登場するシーンに代表されるように、予期せぬ突発的な暴力が、我々に大きなダメージを与える。また、ギリギリまで描いて、後は観客の想像に委ねるという手法が、脳内の補完によって、実際に描かれたもの以上に、強烈な印象を残すのである。それが延いては、「とにかく怖かった~」という記憶になっていく。“レザーフェイス”の妙な人間臭さも、実に効果的だ。次から次へと、来訪者=犠牲者が訪れることに泡を喰ったり、ヘマをやらかして、家族に罵倒されたりする描写などがある。『13日の金曜日』のジェイソンや、『エルム街の悪夢』のフレディのような超然とした存在よりも、人間臭い殺人鬼が行う大量殺戮の方が、よりリアルで怖いものかも知れない。 16mmフィルムによる撮影でもたらされた、粒子が粗くザラザラした画面や、BGMは一切使用せず、効果音のみという音響演出も、まるで殺人現場のドキュメンタリーを見ているかのような錯覚を、観客にもたらす。もっとも16mmを使用したのは、単に予算上の問題だったというが、結果的には怪我の功名である。 さて、本作が撮影されたのは、73年の夏。監督のトビー・フーパー(1943~2017)は、まだ30代に突入したばかりだった。 テキサス州オースティンで生まれ育ち、幼い頃からの映画好きだった彼は、テキサス大学在学中には、短編映画や記録映画を手掛けている。その後処女作『Eggshells』(69)が、映画コンテストなどで高く評価されるも、興行的には不発に終わった。 そこでフーパーは、考えた。低予算でも製作し易い、“ホラー映画”で勝負を掛けようと。参考にしたのは、墓を暴いて女性の死体を掘り返しては、それを材料にランプシェードやブレスレットなど作っていた、殺人者エド・ゲインの実話や、監督自身が子どもの頃に親戚から聞いた、怖い噂話など。脚本家のジャック・ヘンケルとの共作で、シナリオは完成した。 経験の浅い映画学生をスタッフに雇い、キャストには、地元の無名俳優を起用。そしていざ、クランク・インとあいなった。 ロケ中心で撮影された本作の撮影現場は、執拗に俳優を追い込むものとなった。リアリティーを追求し、本物の刃物を使ったために、ケガ人が出たり、予算不足から、俳優の顔に直に接着剤を塗って、特殊メイクが行われたり。血糊は口に含んだものを、俳優にぶっ掛けたという。 本作のヒロインで、いわゆる“ラスト・ガール”、最後まで生き延びるサリーを演じたのは、マリリン・バーンズ。役柄とはいえ、固い箒で殴られたり、雑巾を口に押し込められたり、とにかく悲惨な目に遭った。 ガンナー・ハンセン演じる“レザーフェイス”に、チェンソーを振り回されながら追いかけられるシーンでは、監督から「後ろから切られるかもしれないぞ」と、声を掛けられたため、「本当に殺されるかも知れない」と、恐怖に駆られて、本気で走って逃げたという。彼女の臨場感溢れる“絶叫”は、作り物ではなかったのだ。 ロケ地である夏場のテキサスは、外気が40度に上り、照明を当てれば50度以上の暑さとなる。物語上は1日の話である本作だが、撮影は1カ月近く続いた。その間、俳優たちはずっと同じ衣装を、着続けねばならなかった。途中からは、汗臭さを通り越した異臭を放つようになった。 クライマックスで描かれる、殺人一家の食卓シーンは、猛暑の中で閉め切って撮影されたため、卓上の肉料理は、すべて腐っていたという。そんな中での撮影は、カットが掛かる度に、誰かが吐きに行くという惨状を呈した。 こんなことが、本物の動物の死体を大量に解体して作られた、インテリアが散乱する中で行われたわけである。素人主体の現場故に、撮影予定や台本が場当たり的に変更されていく混乱と相まって、撮影途中でスタッフが次々と逃げ出した。 因みにインテリアのみならず、殺人一家の一軒家を作り込んだ、プロダクションデザイナーのロバート・バーンズは、“レザーフェイス”の人面マスクも作成。マスクは3タイプ作られたが、“レザーフェイス”は、局面によってマスクを替えるという設定で、クライマックスの食卓シーンでは、チークを入れるなど化粧を施した分、逆におぞましさが募るマスクで登場する。 さて狂気の撮影が終わって、先に記したような編集と音入れ作業に、フーパーは1年以上を掛けて、『悪魔のいけにえ』は完成。しかし大手配給から怪奇物の名門まで、様々な映画会社に持ち込んで観てもらっても、芳しい評価は得られず、公開のメドはなかなか立たなかった。 本作をようやく引き受けてくれたのは、ニューヨークの独立系配給会社。フーパーはじめ関係者は、ほっと胸を撫で下ろした。 そしてはじめに記した通り、フーパーの地元、テキサス州オースティンで公開されると、ストレートなタイトルと「実話の映画化」という、大ウソの誇大広告が功を奏して、劇場には長蛇の列が。多くの観客が、軽い気持ちで週末のスクリーンに臨んだが、観終わると良くも悪くも打ちのめされ、賛否両論が沸き起こった。 そして上映は、全米各地へと拡大。やがてメジャー製作の大作映画と伍して、ヒットチャートに名を連ねるようになった。“ホラー”への挑戦という、新人監督フーパーの賭けは、大勝利に終わった。…と言いたいところだが、そうは問屋が卸さなかった。 本作の配給を託した独立系配給会社は、実はマフィアが経営する、フロント企業。フーパーたちが要求する、利益の配分に全く応じようとしないという、ある意味映画の内容以上に、怖い顛末が待っていたのである。■ 『悪魔のいけにえ』© MCMLXXIV BY VORTEX, INC.
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COLUMN/コラム2025.03.06
現代の巨匠イーストウッドが、実在の英雄を通して捉えた“イラク戦争”『アメリカン・スナイパー』
クリス・カイル、1974年生まれのテキサス州出身。8歳の時に、初めての銃を父親からプレゼントされて、ハンティングを行った。 カウボーイに憧れて育ち、ロデオに勤しんだが、やがて軍入りを希望。ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が、国際テロ組織アルカーイダが関与する自爆テロで攻撃されるなど、祖国が外敵から攻撃されていることに触発されて、アメリカ海軍の特殊部隊“ネイビー・シールズ”を志願した。 2003年にイラク戦争が始まると、09年に除隊するまで4回、イラクへ派遣された。そこでは主に“スナイパ-”として活躍し、166人の敵を射殺。これは米軍の公式記録として、最多と言われる。 味方からは「レジェンド〜伝説の狙撃手」と賞賛されたカイルは、イラクの反政府武装勢力からは、「ラマディの悪魔」と恐れられ憎悪された。そしてその首には、賞金が掛けられた。 4度ものイラク行きは、カイルの心身を蝕み、精神科医からPTSDの診断を受けた。カイルは民間軍事支援会社を起こし、それと同時に、自分と同じような境遇に居る帰還兵たちのサポートに取り組んだ。彼らを救うことが、自分自身の癒やしにもなると考えたのである。 兵士は銃に愛着があるため、それがセラピーになる場合がある。カイルは帰還兵に同行して牧場に行き、射撃を行ったり、話を聞いたりした…。 こうした歩みをカイル本人が、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリスと共に著した“自伝”は、2012年に出版。100万部を超えるベストセラーとなった。 脚本家のジェイソン・ホールは、カイルの人生に注目。2010年にテキサス州へと訪ねた。 その後カイルと話し合いながら、脚本の執筆を進めた。彼が自伝を書いているのも、そのプロセスで知ったが、結果的にそれが原作にもなった。 ホールは、俳優のブラッドリー・クーパーに、映画化話を持ち込む。クーパーは、『ハングオーバー』シリーズ(2009〜13)でブレイク。『世界にひとつのプレイブック』(12)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、まさに“旬“を迎えていた。 クーパーはこの企画の権利を、ワーナー・ブラザースと共に購入。映画化のプロジェクトがスタートした。 当初はクーパーの初監督作として検討されたが、いきなりこの題材では、荷が重い。続いて『世界にひとつのプレイブック』や『アメリカン・ハッスル』(13)でクーパーと組んだデヴィッド・O・ラッセルが候補になるが、これも実現しなかった。 その後、スティーブン・スピルバーグが監督することとなった。当初積極的にこの企画に取り組んだスピルバーグだったが、シナリオ作りが難航すると、降板。 そこで登場するのが、現代ハリウッドの巨匠クリント・イーストウッド!一説には、スピルバーグが後任を依頼するため連絡を取ったという話があるが、イーストウッド本人は、「おれはスピルバーグの後始末屋と思われているけど、それは偶然だ」などと発言しているので、真偽のほどは不明である。 イーストウッドによると、依頼が来た時は他の映画の撮影中。仕事とは関係なく、本作の原作を読んでいるところだった。 カイルは父親から、「人間には三種類ある。羊と狼と番犬だ。お前は番犬になれ」と言われて、育った。そのため、羊のような人々を狼から守ることこそ、自分の使命だと考えていた。 それが延いては、家族と一緒にいたいという気持ちと、戦友を助けたいという気持ちの板挟みになっていく。この葛藤はドラマチックで、映画になると、イーストウッドは思った。 まずは「脚本を読ませてくれ」と返答。その際依頼者から、プロデューサーと主演を兼ねるクーパーが、「ぜひクリントに監督をお願いしたい」と言ってると聞いて、話が決まったという。 クーパーは幼少の頃から、いつか仕事をしてみたいと思っていた俳優が、2人いた。それは、ロバート・デ・ニーロとクリント・イーストウッドだった。 デ・ニーロとの共演は、『世界にひとつのプレイブック』で実現した。イーストウッドについては、『父親たちの星条旗』(06)以降、いつも彼の監督作のオーディションに応募してきた。本作で遂に、夢が叶うこととなったのである。 こうして、本作にとってはクーパー曰く、「完璧な監督」を得ることとなった。実は、この物語の主人公であるクリス・カイル自身も、もし映画化するなら、「イーストウッドに監督してもらいたい」と、希望していたという。 イーストウッドが監督に決まった頃、ジェイソン・ホールは脚本を一旦完成。クーパーら製作陣に、渡した。 その翌日=2013年2月2日、クリス・カイルが、殺害された。犯人は、イラク派遣でPTSDとなった、元兵士の男。カイルは男の母親から頼まれて、救いの手を差し伸べた。ところが、セラピーとして連れ出した射撃練習場で、その男に銃撃され、命を落としてしまったのである。 クーパーもイーストウッドも、まだカイルと、会っていなかった。対面する機会は、永遠に失われた。 脚本に加え、製作総指揮も務めることになっていたジェイソン・ホールは、葬儀後にカイルの妻タヤと、何時間も電話で話をした。タヤは言った。「もし映画を作るなら、正しく作ってほしい」 イーストウッドが監督に就いたことと、この衝撃的な事件が重なって、映画化の方向性は決まり、脚本は変更となった。焦点となるのは、PTSD。戦場で次々と人を殺している内に、カイルが壊れていく姿が、描かれることとなった。 イラクへの派遣で、カイルの最初の標的となるのは、自爆テロをしようとした、母親とその幼い息子。原作のカイルは、母親の方だけを射殺するが、実際は母子ともに、撃っていた。 原作に書かなかったのは、子どもを殺すのは、読者に理解されないだろうと、カイルが考えたからだった。しかしイーストウッドは、それではダメだと、本作で子どもを狙撃する描写を入れた。 後にカイルには、再び子どもに照準を合わさなければならない局面が訪れる。その際、イラク人たちを「野蛮人」と呼び、狙撃を繰り返してきたような男にも、激しい内的葛藤が起こる。そして彼が、実はトラウマを抱えていたことが、詳らかになる。 もう一つ、原作との大きな相違点として挙げられるのが、敵方の凄腕スナイパー、ムスタファ。原作では一行程度しか出てこない存在だったが、イーストウッドは彼を、カイルのライバルに設定。その上で、その妻子まで登場させる。 即ち、ムスタファもカイルと同様に、「仲間を守るために戦う父親」ということである。この辺り、太平洋戦争に於ける激戦“硫黄島の戦い”を題材に、アメリカ兵たちの物語『父親たちの星条旗』(06)と、それを迎え撃つ日本兵たちを描いた『硫黄島からの手紙』(06)を続けて監督した、イーストウッドならではの演出と言えるだろう。 ブラッドリー・クーパーは、カイルになり切るために、肉体改造を行った。クーパーとカイルは、ほぼ同じ身長・年齢で、靴のサイズまで同じだったが、クーパーが84㌔ほどだったのに対し、筋肉質のクリスは105㌔と、体重が大きく違ったのである。 そのためクーパーは、成人男性が1日に必要なカロリーの約4倍である、8,000キロカロリーを毎日摂取。1日5食に加え、エネルギー補給のために、パワーバーやサプリメント飲料などを取り入れる生活を送った。 筋肉質に仕上げるため、数か月の間は、朝5時に起床して、約4時間のトレーニングを実施。それで20㌔近くの増量に成功した。 撮影に入っても、体重を落とさないための努力が続く。いつも手にチョコバーを握り、食べ物を口に押し込んだり、シェイクを飲んだり。撮影最終日にクーパーが、「助かった、これでもう食べなくて済む!」と呟くのを、イーストウッドは耳にしたという。 役作りは、もちろん増量だけではない。“ネイビー・シールズ”と共に、本物さながらの家宅捜査や、実弾での訓練などを行った。細かい部分では、クリス・カイルが実際に聴いていた音楽のプレイリストをかけ、常時リスニングしていたという。 こうした粉骨砕身の努力が実り、クーパーのカイルは、その家族や友人らが驚くほど、“激似”に仕上がった。 カイルの妻タヤ役に決まったのは、シエラ・ミラー。イーストウッド作品は、撮影前の練習期間がほとんどなくて、リハーサルもしない。クーパーは撮影までに、タヤ役のシエナ・ミラーとスカイプで何度か話して、夕食を1度一緒に食べた。その時彼女は妊娠していたが、それが2人の絆を深めることにも繋がったという。 クーパーとミラーはタヤ本人から、夫が戦地に居た時に2人の間で交わしたEメールをすべて見せてもらった。ミラーは目を通すと思わず、口に出してしまった。「すごい、あなたは彼のことを本当に愛していたのね」 これにより、カイル夫妻のリアルな夫婦関係を演じるためのベースができた。そのため撮影が終わって数週間、ミラーは役から抜け出すのに、本当に悲しい気持ちになってしまったという。 撮影は、2014年3月から初夏に掛けて行われた。戦争で荒廃したイラクでの撮影は難しかったため、代わりのロケ地となったのは、モロッコ。クーパーはじめ“ネイビー・シールズ”を演じる面々は、アメリカ国内で撮影して毎日自宅に帰るよりも、共に過ごす時間がずっと長くなったため、本物の“戦友”のようになったという。 その他のシーンは、カリフォルニアのオープンセットやスタジオを利用して、撮影された。 イラクの戦場に居るカイルと、テキサスに居るタヤが電話で会話するシーン。クーパーとミラーはお互いの演技のために、電話を通じて本当に喋っていた。 妊娠しているタヤが病院から出て来て、携帯電話でカイルに、「男の子よ」と言った後のシーンは、ミラーにとっては、それまでの俳優人生の中で、最も「大変だった」。喜びを伝える電話の向こう側から、銃声が響き渡る。それは愛する夫が、死の危険に曝されているということ…。 脚本のジェイソン・ホールの言う、「兵士の妻や家族たちにとって、戦争とは、リビングルームでの体験だった」ということが、最も象徴的に表わされたシーンだった。 因みにミラーが、演技する時に複雑に考えすぎていると、イーストウッドは、「ただ言ってみればいい」とだけ、彼女に囁いた。ミラーにとっては、「最高のレッスン」になったという。 脚本には、カイルが運命の日に、銃弾に倒れてしまうシーンも存在した。しかし遺族にとってはあまりにもショッキングな出来事であるため、最終的にカットされることになった。 完成した本作を観て、カイルの妻タヤは、「…私の夫を生き返らせてくれた。私は、夫と2時間半を過ごした」と、泣きながら感想を述べた。 本作はアメリカでは、賞レースに参加するため、2014年12月25日に限定公開。明けて15年1月16日に拡大公開となった。 世界興収で5億4,742万ドルを超えるメガヒットとなり、イーストウッド監督作品史上、最大の興行収入を上げた。 その内容を巡っては、保守派とリベラル派との間で「戦争賛美か否か」の大論争が起こった。イラク戦争を正当化しようとする映画だという批判に対してイーストウッドは、「個人的に私はイラク戦争には賛成できなかった」と、以前からの主張を繰り返した。 そして「これは戦争を賛美する映画ではない。むしろ終わりのない戦争に多くの人が従事しいのちすら失う姿を描いているという意味では、反戦映画とも言える」と発言している。 この作品のエンドクレジットでは、クリス・カイルの実際の葬儀の模様を映し出した後、後半部分はまったくの“無音”になる。そこにイーストウッドの、“イラク戦争”そして出征した“兵士たち”への想いが、滲み出ている。■ 『アメリカン・スナイパー』© 2014 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited and Ratpac-Dune Entertainment LLC
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COLUMN/コラム2024.04.30
鬼才クライヴ・バーカーが生んだカルトホラー映画の傑作『ヘルレイザー』シリーズの魅力を紐解く!
そもそも『ヘルレイザー』シリーズとは? 謎のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を解くと地獄へ通じる門が開き、セノバイト(魔道士)と呼ばれる世にも恐ろしい魔界の使者たちが出現、好奇心で彼らを召喚した人間は地獄へと引きずり込まれ、肉体的な快楽と苦痛を極限まで追究するための実験台にされてしまう。そんな一種独特の都市伝説的な怪奇幻想の世界を描き、以降も数々の続編やリブート版が作られるほどの人気シリーズとなったのが、あのスティーブン・キングとも並び称されるイギリスのホラー小説家にして舞台演出家、劇作家、イラストレーターにコミック・アーティスト、ビジュアル・アーティストなど、マルチな肩書を持つ鬼才クライヴ・バーカーが監督したホラー映画『ヘル・レイザー』(’87)である。 原作は’86年に出版されたダーク・ハーヴェスト社のホラー・アンソロジー「Night Visions」第3集にバーカーが寄稿した小説「ヘルバウンド・ハート」(’88年に単独でペーパーバック化)。『13日の金曜日』(’80)の大ヒットに端を発する空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代、その牽引役となったのは殺人鬼がティーン男女を血祭りに挙げるスラッシャー映画と生ける屍が人間を食い殺すゾンビ映画だが、しかし’80年代半ばにもなるとどちらも供給過多で飽和状態に陥ってしまう。そのタイミングで登場したのが本作だった。 古典的なゴシックホラーとアングラなパンク&ニューウェーヴを融合したエッジーな世界観、ボディピアシングやボディサスペンションなどのSM的なフェティシズムを取り込んだ過激なスプラッター描写。当時量産されていたスラッシャー映画やゾンビ映画と一線を画す独創性こそが成功の秘訣だったように思う。中でも、身体改造とボンデージの魅力を兼ね備えたセノバイトたちの変態チックなキャラ造形(バーカー自身がデザイン)はインパクト強烈。そのリーダー格であるピンヘッドはシリーズの実質的な看板スターとして、『エルム街の悪夢』シリーズのフレディや『13日の金曜日』シリーズのジェイソン、『悪魔のいけにえ』シリーズのレザーフェイスなどと並ぶホラー・アイコンとなった。 今のところ合計で11本を数える『ヘル・レイザー』シリーズだが、5月のザ・シネマでは初期の1作目~4作目までを一挙放送。そこで、今回は該当する4作品を中心にシリーズの見どころを振り返ってみたい。 『ヘル・レイザー』(1987) 物語の始まりは北アフリカのモロッコ。快楽主義者のフランク・コットン(ショーン・チャップマン)は、究極の快楽世界への扉を開くと言われる伝説のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れ、実家へ持ち帰ってパズルを解いたところ、地獄から現れたセノバイト(魔導士)たちによって八つ裂きにされる。彼らにとって究極の快楽とは究極の苦痛でもあるのだ。 それから数年後、フランクの兄ラリー(アンドリュー・ロビンソン)が妻ジュリア(クレア・ヒギンズ)を連れて実家へ戻って来る。屋根裏部屋には消息を絶ったフランクの私物がそのままになっていた。漂うフランクの残り香に身悶えるジュリア。実は彼女とフランクはかつて不倫の関係にあり、ジュリアは今もなお彼の肉体を忘れられないでいたのだ。すると引っ越し作業中にラリーが手を汚してしまい、屋根裏部屋の床に零れた血液からフランクが復活してしまう。ジュリアの目の前に現れたのは、まだ完全体ではない「再生途中」のフランク。元の姿へ戻るためには生贄が必要だ。そう言われたジュリアは、ラリーの留守中に行きずりの男性を家へ連れ込んでは殺害し、フランクは犠牲者たちの精気を吸収していく。 一方、ラリーと前妻の娘カースティ(アシュレイ・ローレンス)はジュリアの怪しげな行動に気付き、屋根裏部屋で何が行われているのか確認しようとしたところ、世にも醜悪な姿の叔父フランクと遭遇。驚いた彼女はパズルボックスを奪って逃げるも途中で気を失ってしまう。病院で意識を取り戻したカースティは、好奇心に駆られてパズルボックスを解いたところ、ピンヘッド(ダグ・ブラッドレイ)をリーダーとするセノバイトたちが地獄より出現。フランクが地獄から逃げたことを知ったピンヘッドは、カースティを使って彼を再び地獄へ引き戻そうとするのだが…? これが長編劇映画デビューだったクライヴ・バーカー監督。それまで2本の短編映画を撮った経験しかなかったバーカーだが、しかし脚本に携わった自著の映画化『アンダーワールド』(’85)や『ロウヘッド・レックス』(’86)の出来栄えに不満足だったことから、自分自身の手で演出まで手掛けることにしたというわけだ。もともとヴァージン・レコード傘下のヴァージン・フィルムが出資を検討したが最終的に手を引き、アメリカのB級映画専門会社ニューワールド・ピクチャーズが全額出資することに。ラリー役に『ダーティハリー』(’71)の殺人鬼スコルピオ役で有名なアンディ・ロビンソン、その娘カースティ役に新人アシュレイ・ローレンスと、メインキャストにアメリカ人が起用されたのはアメリカ資本が入っているため。さらにアメリカ市場で売りやすくするべく、ニューワールド幹部の指示で一部イギリス人キャストのセリフをアメリカ人俳優が吹き替え、舞台設定もイギリスなのかアメリカなのかをあえて曖昧(撮影地はロンドン)にしている。 飽くなき欲望に取り憑かれた男女による、世にも残酷で醜悪なラブストーリー。見ているだけで痛そうな生々しい残酷シーンの不快感も然ることながら、この人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられるような後味の悪さは、いわゆるハリウッド製ホラーと一線を画す英国ホラーらしい点であろう。そう、実のところ本作におけるメイン・ヴィランはジュリアとフランクであり、あくまでもピンヘッドやセノバイトたちは彼らに審判を下す存在、いわば「地獄の判事」とも呼ぶべきサブキャラに過ぎなかったりする。そもそも、この1作目ではまだ「ピンヘッド」という呼称すら使われていない。どうやら、少なくとも本作の製作時においては、バーカー監督も製作陣もピンヘッドがフレディやジェイソンに匹敵するほどの人気キャラになるとは想像もしていなかったようだ。 そのピンヘッド役を演じたのが、バーカー監督の高校時代の後輩で演劇部の仲間、彼が主催した前衛劇団「ザ・ドッグ・カンパニー」にも参加した盟友ダグ・ブラッドレー。頭部全体に待ち針を刺した異様な見た目のインパクトも然ることながら、舞台俳優ならではの発声法を活かした独特の喋り方やクールで知的な立ち振る舞いなど、その他大勢のホラーモンスターと一線を画すピンヘッドのカッコ良さは、間違いなくブラッドレーの役作りと芝居に負う部分が大きい。恐らく、演者が彼でなければピンヘッドもこれほどの人気キャラにはなっていなかったろう。当初、バーカー監督からピンヘッド役か引っ越し業者役のどちらかを選んでいいと言われたというブラッドレー。これが映画初出演だった彼は、「素顔のはっきりと分かる役柄の方が、あの映画のあの役をやっていたと証明しやすいため、自分のキャリアにとってプラスになるのではないか」と考え、一度は引っ越し業者役を選ぼうとしたらしい。いやあ、最終的に考え直してくれて良かった! 『ヘルレイザー2』(’88) 前作の予想を上回るスマッシュヒットを受け、矢継ぎ早に作られたシリーズ第2弾。日本語タイトルはこれ以降「・(ナカポツ)」が消えて「ヘルレイザー」となる。そもそもアメリカ側の出資元ニューワールド・ピクチャーズは1作目の仕上がりに大変満足したそうで、実は劇場公開前のタイミングで既に続編のゴーサインが出ていたらしい。ただし、当時のクライヴ・バーカーはちょうど『ミディアン』の製作に取り掛かったばかりで手が離せず、その代役として白羽の矢が立てられたマイケル・マクダウェルも健康問題などで降板せざるを得なくなったため、1作目の編集にノークレジットで参加した元ニューワールド・ピクチャーズ重役のトニー・ランデルが監督に抜擢される。また、脚本はバーカーと劇団時代からの友人であるピーター・アトキンスが担当。当時、売れないバンドのリードボーカリストだったアトキンスは、さすがに30代にもなって芽が出ないのは厳しいだろうと音楽のキャリアに見切りをつけ、これを機に映画脚本家へ転向することとなった。 時は1920年代。パズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れた英国軍人エリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)は、箱のパズルを解いたばかりに地獄へと引きずり込まれ、セノバイト(魔道士)のリーダー、ピンヘッドとなる。 そして現在。地獄から甦った叔父フランクと継母ジュリアに最愛の父ラリーを殺されたカースティ(アシュレイ・ローレンス)は、邪悪なフランクとジュリアに復讐を果たしたものの、しかしトラウマを抱えて精神病院へ収容されていた。担当医のチャナード医師(ケネス・クラナム)と助手カイル(ウィリアム・ホープ)に事の次第を説明し、恐るべきパズルボックスやセノバイトの存在に警鐘を鳴らすカースティ。いくら説明しても信じてもらえないことに苛立つ彼女は、せめてジュリアが死んだベッドのマットレスだけは処分して欲しいと訴える。死に場所の屋根裏部屋で甦った叔父フランクのように、ジュリアもそこから復活する可能性があるからだ。 ところが、実はこのチャナード医師、長いこと「ルマルシャンの箱」を研究してきた危険人物だった。カースティの話にヒントを得た彼は、問題のマットレスを病院のオフィスへ持ち込み、そこへ患者の血を垂らしたところ地獄からジュリア(クレア・ヒギンズ)が復活。たまたまその様子を目撃したカイルは、カースティの話が本当だったことに気付いて彼女を病室から逃がす。父親ラリーが地獄に囚われていると信じ、なんとかして救い出す方法を考えるカースティ。一方、ジュリアの復活に手を貸したチャナード医師は、パズルの才能がある精神病患者の少女ティファニー(イモジェン・ブアマン)を使って「ルマルシャンの箱」を解き、長年の夢だった地獄へと足を踏み入れる。その後を追って地獄入りし、父親を探し求めるカースティ。そこは、聖書に出てくる魔物リバイアサンが支配する迷宮のような異世界だった…! ということで、地獄から甦った魔性の女ジュリアが、魔物リバイアサンの手先として大暴れするという完全に「ジュリア推し」のシリーズ第2弾。実際、ストーリー原案と製作総指揮に関わったクライヴ・バーカーは、悪女ジュリアをシリーズの顔にするつもりだったらしい。ところが、そんな思惑とは裏腹にファンが熱狂したのはピンヘッドとセノバイト軍団。そのうえ、ジュリア役のクレア・ヒギンズが3作目への出演オファーを断ったため、ピンヘッドを看板に据えたシリーズの方向性が固まったのである。 そのピンヘッドやセノバイトたちが、実はもともと人間だったことが明かされる本作。1作目の段階では「裏設定」としてスタッフやキャストに共有されていたそうだが、今回はきっちりとストーリーに組み込まれている。そのうえで本作は、地獄とはいったいどのような空間でどういう仕組みになっているのか、どうやって人間がセノバイトへと生まれ変わるのかなど、シリーズの背景となるベーシックな世界観を掘り下げていく。そのぶん、前作で見られた背徳的かつ変態的なアングラ感はだいぶ薄れたようにも感じる。恐らく、そこは評価の分かれ目かもしれない。 『ヘルレイザー3』(‘92) 前作『ヘルレイザー2』を上回る大ヒットを記録し、いわばシリーズの人気を決定づけた第3弾。しかしその一方で、ファンの間では激しく賛否の分かれる作品でもある。恐らくその最大の理由は、初めて舞台設定をアメリカのニューヨークと明確にし、実際にイギリスではなくアメリカ(ロケ地はノース・カロライナとロサンゼルス)で撮影を行ったことで、映画全体がすっかりアメリカンな雰囲気になったことであろう。しかも監督はアンソニー・ヒコックスである。前2作と著しく毛色の違う映画になったのも無理はない。 『電撃脱走 地獄のターゲット』(’72)や『ブラニガン』(’75)で知られる娯楽職人ダグラス・ヒコックス監督と、『アラビアのロレンス』(’62)でアカデミー賞に輝く伝説的な映画編集技師アン・V・コーツを両親に持つ映画界のサラブレッド、アンソニー・ヒコックス。少年時代よりハマー・ホラーを熱愛する根っからのホラー映画マニアで、そのオタクっぷりを遺憾なく発揮した『ワックス・ワーク』(’88)シリーズや『サンダウン』(’91)は筆者も大好きなのだが、しかしスタジオシステムが健在だった時代の古き良きクラシック映画の伝統を踏襲した彼の王道的な作風は、パンク&ニューウェーヴの時代の申し子であるクライヴ・バーカーのエクスペリメンタルでアナーキーな感性とは対極にあると言えよう。どちらも同じイギリス人とはいえ、持ち味はまるで違うのだ。しかもヒコックス監督によると、本作のオファーを受けた際にプロデューサーのローレンス・モートーフから、「カルト映画的なイメージを捨てたい、思いっきりメインストリーム映画にして欲しい」と指示されたという。その結果、前2作とは一線を画す極めてハリウッド的なB級ホラー映画に仕上がったのだ。 プレイボーイの若き実業家J・P・モンロー(ケヴィン・バーンハルト)は、ふと立ち寄った画廊で奇妙な彫刻の施された柱に魅了されて衝動買いし、自身が経営する流行りのナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のプライベートスペースに飾る。だがそれは、前作のラストでピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)とパズルボックスを封印した魔界の柱だった。それからほどなくして、テレビの新米レポーター、ジョーイ(テリー・ファレル)は病院の緊急救命室を取材していたところ、怪我で担ぎ込まれた若者が怪現象によって惨死する現場を目撃してしまう。付き添いの女性テリー(ポーラ・マーシャル)によると、ナイトクラブ「ボイラー・ルーム」にある奇妙な柱から出現したパズルボックスが事件に関係しているらしい。そのテリーと一緒に奇妙な柱の出所を調べ始めたジョーイは、やがて一本のビデオテープを発見する。そこに映されていたのは、パズルボックスとセノバイトの危険性を訴える女性カースティ(アシュレイ・ローレンス)の姿だった。 その頃、いつものようにクラブの女性客と適当にセックスを楽しんで追い返そうとしたモンロー。すると、柱から飛び出した鎖が女性客を惨殺し、封印されていたピンヘッドが覚醒する。外の世界へ出るためには更なる生贄が必要だ。そこで、モンローは強大な権力と引き換えに、ピンヘッドのため生贄を捧げることを約束する。一方、徐々にパズルボックスの謎を解き明かして来たジョーイの夢の中に、ピンヘッドの前世であるエリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)が出現。実は前作でチャナード医師に倒されたピンヘッドは、その際に善(=スペンサー大尉)と悪(=ピンヘッド)が完全に分離していたのだ。自らがセノバイト(魔道士)となるまでの複雑な過去を明かしたスペンサー大尉は、今や純然たる悪と化したピンヘッドの暴走を阻止すべく力を貸して欲しいとジョーイに告げる…。 冒頭の手術室で看護師が器具を並べるシーンはデヴィッド・クローネンバーグの『戦慄の絆』(’88)、怪我をした若者が病院へ担ぎ込まれるシーンはエイドリアン・ラインの『ジェイコブス・ラダー』(’90)、ジョーイが自宅の窓ガラスを通り抜けて異世界へ迷い込むシーンはジャン・コクトーの『詩人の血』(’30)に『オルフェ』(‘50)といった具合に、全編に渡って大好きな映画へのオマージュが散りばめられているのはヒコックス監督らしいところ。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』(’77)へのオマージュの元ネタが、よりによってジェシカ・ハーパーがウド・キアーを訪ねるシーンなのは、さすがにマニアック過ぎてニヤリとさせられる。さらに、ナイトクラブでの虐殺シーンをはじめとして、過激なスプラッター描写は前2作以上にてんこ盛り。CDJセノバイトにカメラマン・セノバイトなど、ややコミカル寄りな新キャラの造形は少々悪乗りし過ぎという気もするが、それもまたヒコックス監督一流の「サービス精神」の為せる業と言えよう。間違いなく、シリーズ中で最もエンタメ性の高い作品だ。 ちなみに、製作会社との意見の相違からメイン撮影に一切ノータッチだったクライヴ・バーカーだが、しかしプロモーション戦略の上で原作者のお墨付きが欲しいプロデューサー陣に懇願され、製作総指揮として追加撮影およびポスプロの段階から関わったらしい。一方、前作に続いて脚本を書いたバーカーの盟友アトキンスはヒコックス監督とすっかり意気投合し、俳優としてもナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のバーテン役&有刺鉄線セノバイト役で出演。また、これ以降『ヘルレイザー』シリーズの製作は、ミラマックス傘下のディメンション・フィルムズが担当することになる。 『ヘルレイザー4』(’96) 監督を手掛けた大物特殊メイクマン、ケヴィン・イェーガーが編集を巡る争いで降板したことから、『THE WIRE/ザ・ワイヤー』や『FRINGE/フリンジ』などのテレビシリーズで知られるジョー・チャペルが追加撮影を行い、最終的にアラン・スミシー名義で公開されたという曰く付きのシリーズ第4弾である。 映画はいきなり2127年の近未来から始まる。自らが設計した宇宙ステーション「ミノス」を占拠した科学者ポール・マーチャント博士(ブルース・ラムゼイ)は、ロボットアームで慎重にパズルボックスを解いてピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)を召喚する。それにはある目的があったのだが、しかしそこへ武装した特殊部隊が突入。身柄を拘束されたマーチャント博士は、パズルボックス「ルマルシャンの箱」と自身の家系の忌まわしい歴史について語り始める。 時は遡って1796年のフランスはパリ。マーチャント博士の先祖に当たる玩具職人フィリップ・ルマルシャン(ブルース・ラムゼイ)は、快楽主義者の不良貴族デ・リール公爵(ミッキー・コットレル)の依頼でパズルボックス「ルマルシャンの箱」を製作する。ところが、邪悪なデ・リール公爵は道で拾った貧しい女性アンジェリーク(ヴァレンティナ・ヴァルガス)を生贄にし、「ルマルシャンの箱」を介して地獄の門を開こうとしていた。その様子をたまたま目撃したフィリップは深く後悔し、逆に地獄の門を封じるためのパズルボックスを新たに作ろうとするものの失敗。そのためルマルシャン家は末代まで呪われることとなる。 再び時は移って1996年、アメリカへ移住したルマルシャン家の子孫ジョン・マーチャント(ブルース・ラムゼイ)は建築デザイナーとして大成し、ニューヨークのマンハッタンに「ルマルシャンの箱」をモチーフにした超高層ビルを建てる。彼は秘かに全ての地獄の門を閉じるためのパズルボックスを研究開発していたのだが、そんな彼の前にセノバイトと化したアンジェリークが現れ、召喚したピンヘッドと共にジョンを亡き者にしようと画策。しかし、お互いに信念の相違からピンヘッドとアンジェリークは敵対していく…。 過去・現在・未来と3つの時間軸を跨いで、パズルボックス「ルマルシャンの箱」を作った一族の数奇な運命を描いた大河ドラマ的なエピックストーリー。クラシカルなコスチュームプレイやスペース・オペラ的なサイエンス・フィクションの要素を兼ね備えたプロットは実に贅沢だが、しかしその割にコンパクトでチープな仕上がりなのは、脚本はおろか粗筋すら読まずにゴーサインを出したミラマックス幹部が、後からスケールの大きさに気付いて予算を出し惜しみしたせいだと言われている。 それでもなお、パズルボックスのルーツが解き明かされる中世編はロマンティックな怪奇幻想の香りが漂って秀逸だし、前作のクライマックスで登場した高層ビルの正体が判明する現代編も面白い。恐らく、宇宙ステーションを舞台にした近未来編は、もっとスケールの大きな話になるはずだったのだろう。そう考えると、予算との兼ね合いでクライヴ・バーカーの初期構想を破棄せねばならなかったことが惜しまれる。 その後の『ヘルレイザー』シリーズ 興行成績はまずまずの結果を残したものの、しかし批評的には大惨敗だった『ヘルレイザー4』。これを最後に生みの親クライヴ・バーカーも手を引いてしまうのだが、しかし製作会社ディメンション・フィルムズにとって『ヘルレイザー』シリーズは依然として金の生る木だったため、これ以降もビデオスルー作品として順調に継続していくこととなる。最後にその変遷をザッと辿ってみよう。 21世紀を迎えて早々に作られた『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』(’00)は、連続殺人事件を追う汚職警官の心の闇にピンヘッドが付けこむネオノワール風ホラー。これがまるで、『ジェイコブス・ラダー』×『ロスト・ハイウェイ』と呼ぶべきシュール&ダークな仕上がりで、間違いなくシリーズ屈指の傑作となった。監督は『フッテージ』(‘12)や『ブラック・フォン』(’22)などの小品ホラーで高く評価され、マーベルの『ドクター・ストレンジ』(’16)も手掛けたスコット・デリクソン。これがデビュー作だったが、当時からその才能は抜きん出ていた。 続く『ヘルレイザー/リターン・オブ・ナイトメア』(’02)ではアシュレイ・ローレンス演じるカースティが久々に復活。’02年にルーマニアで同時撮影された『ヘルレイザー/ワールド・オブ・ペイン』(’05)と『ヘルレイザー/ヘルワールド』(’05)は、前者ではルマルシャン家の子孫の率いるカルト集団がセノバイトを支配しようとし、後者ではゲーム版『ヘルレイザー』に熱中する若者たちが次々とピンヘッドに殺されていくメタ設定を採用するなど、どちらも創意工夫を凝らしているものの、残念ながら成功しているとは言えなかった。ちなみに、『ヘルレイザー/ヘルワールド』には無名時代のキャサリン・ウィニックと、撮影当時まだ19歳の初々しいヘンリー・カヴィルが出ている。 その後、6年ぶりに『ヘルレイザー:レベレーション』(’11)が登場するのだが、しかしこれがなんとも酷かった!いよいよダグ・ブラッドレーがピンヘッド役を降板し、新たにステファン・スミス・コリンズという俳優を起用、特殊メイクのデザインも一新されたのだが、残念ながらダグ・ブラッドレー版ピンヘッドのオーラもカリスマ性も皆無。そのうえ、メキシコへヤンチャしに行った不良坊ちゃんコンビがうっかりピンヘッドを召喚してしまうというストーリーもダメダメで、明らかにシリーズ最低の出来栄え。続く『ヘルレイザー:ジャッジメント』(’18)は、『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』に倣ったネオノワール・スタイルの犯罪サスペンス・ホラーで、『バートン・フィンク』や『セブン』を彷彿とさせる作風は悪くなかったが、いかんせん安っぽすぎた。 そして、満を持して発表された1作目のリブート版…というよりも原作「ヘルバウンド・ハート」の再映画化が、ディメンション・フィルムズから新たに20世紀スタジオへ権利が移って制作された『ヘル・レイザー』(’22)。といっても、ストーリーは原作とも1作目とも大きく違っている。ピンヘッドも男性から女性へ。セノバイトたちのデザインも刷新された。どうしても「誰か」に「何か」に依存してしまうリハビリ中の薬物中毒患者と、あらゆる悪徳と快楽に溺れてもなお満足できない大富豪を主人公に、人間の弱さと強さ、善と悪、理性と欲望の葛藤を描くストーリーは、『ダークナイト』三部作のデヴィッド・S・ゴイヤーも脚本原案に携わっているだけあって良質な仕上がり。同じデヴィッド・ブルックナー監督で続編も企画されているそうなので、期待して待ちたい。■ 『ヘル・レイザー』『ヘルレイザー2』『ヘルレイザー3』© 2019 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.『ヘルレイザー4』© 2021 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2018.10.30
悪魔が作らせたのか?97年の予言的映画『ディアボロス/悪魔の扉』が的中させた、21世紀のモラルハザード①
当チャンネルでの放映予定は当面ないが、ジョニー・デップの『フロム・ヘル』をご記憶だろうか?“切り裂きジャック”の真犯人探しモノで、19世紀末ヴィクトリア朝ロンドンの深い闇と、酸鼻きわめる猟奇描写と、あっと驚く“切り裂きジャック”の正体が見どころの、出来の良いスリラーだった。 クライマックスでついに正体を現したその人物は、傲然とこう言い放つ。「後世の人々は語るだろう、20世紀を生んだのは私だと」 まさしくそうだ。 あれは「猟奇殺人」であり、「快楽殺人」でもあったかもしれず(映画では別の犯行動機があるという話になっていたが)、そして何よりも、犯人がマスメディア(当時は新聞)に犯行声明文を送り付け、そのメディアが発信するどぎついタブロイド的・ワイドショー的情報を大量消費した資本主義社会の都市住民が、恐怖しながらも興奮した「劇場型犯罪」だった。 マスメディアを通じてそうした類いの犯罪に触れた20世紀の大衆は、それを、生理的に恐怖し嫌悪しつつ、道徳的には怒り悲しみつつも、同時にまた、それを旺盛に消費もした。猟奇事件や未解決事件を扱うドキュメンタリーやノンフィクションに恐いもの見たさの好奇心から触れて、深淵を覗き込んでしまった覚えは、誰にだってあるはずだ。20世紀、それは大衆に消費されるコンテンツの一つになった。 『フロム・ヘル』は、19世紀末のロンドンにおいて“先行配信”された20世紀型モラルハザード※のコンテンツが、悪魔の扉を開いた、という物語なのだ。 ※「モラルハザード」という言葉の本来の意味は違う。誤用が広まっている。ここでは誤用と承知で使うが正確な国語的語義は各自でおググりあれ。 そして、本稿で取り上げる1997年の映画『ディアボロス/悪魔の扉』。こちらは、90年代末のNYに存在する社会の歪みが、21世紀型モラルハザードを先取りしており、それが悪魔の扉を開くだろう、と予言した物語で、そして、実際その通りになってしまったのである。そのことを、本稿では恨み節調に書いていきたい。 まず、あらすじから始めよう。冒頭の舞台はフロリダの田舎町だ。主人公(キアヌ・リーヴス扮演)は負け知らずの若手弁護士。いま抱えているのは、被告の男性教諭が原告の女子中学生に強制猥褻をしたという裁判だ。依頼人の教師が“黒”である真相が、我々観客とキアヌの二者にだけ明かされる。女生徒が検察の質問に答えて被害の詳細を勇敢に証言している最中、依頼人は、じっとりと汗ばんだ左手で犯行時と同じ動作を、なでるような、もむような、挿入するような指の動きを、無意識のうちに再現しており、あまつさえ、反対の右手を膨らんできた己の股間にまでこっそり持っていく始末なのだ、デスクの下で。そこは誰の目からも死角。唯一、隣に座っている弁護士キアヌ・リーヴスからのみ、そこは死角ではない。その卑猥な指の動きに気づいてしまった彼は、自分の依頼人が“黒”だと悟る。たちまち生理的嫌悪が湧き上がる。が、弁護士が被告の弁護を放り出すわけにもいかない。周到に練り上げてきた法廷戦術にのっとり、彼は、女生徒が教諭の陰口を叩いていた事実、教諭を嫌い、教諭も彼女をしばしば叱っていた事実、さらには、女生徒が同級生たちと少々エッチな秘密の遊びをしていた事実を、原告の少女本人に向かい声を荒げて突きつけ、動揺させ、泣かせ、被害者であるこの女子中学生が、問題児であり、色ガキであり、先生を逆恨みしているかのように陪審員の印象を操作することに成功する。今回も彼の勝ちだった。無罪評決だ。 この裁判を傍聴していた男から、祝勝会で声をかけられる。彼はNYの法律事務所の人間で、ぜひヘッドハントしたいと言う。条件は破格だ。詳しい話を聞きにNYまで行ってみると、職場環境も社宅も申し分ない。人生の成功者の暮らしだ。事務所はワールドトレードセンターのほど近く(倒壊4年前のツインタワーが映し出される)。オフィスビルの最上階で、モダンインテリアで統一された最先端のデザイナーズオフィスだ。住環境の方は、『ローズマリーの赤ちゃん』のダコタハウスや『ゴーストバスターズ』の高層マンションを思い出させる、19世紀末築のクラシカル&クラッシーな歴史的建築物。法律事務所の代表がその不動産を丸ごと一棟所有していてスタッフを各階に住まわせているのだ。無論本人はペントハウスに君臨し、上層階から下層階へと事務所でのヒエラルキー順にフロアが割り当てられているのである。 この初老の代表がジョン・ミルトン(すごい名前だ!アル・パチーノ扮演)。家父長的なカリスマ性を発散し、確固たる成功哲学を持ち、時にそれを雄弁に語り、夜ごとパーティーを催し、若い美女たちをはべらせ、部下にもそのオコボレを与え、事務所スタッフを完全に支配しているのである。主人公は、このミルトンにまず感謝し、次いで心酔し、その下で働けることを光栄に思う。 …が、しかし。 この『ディアボロス/悪魔の扉』には原作が存在する。1990年に書かれた小説『悪魔の弁護人』がそれで、映画化時に邦訳も出たことがある。主人公がフロリダではなく元々NY郊外に暮らしていたり、ペドフィリア教員がキモでぶハゲおやじではなくレズ女教師だったりと、多少の違いはあるが、ここまではおおむね映画版も原作も同じ展開をたどる。途中から違いが広がっていき、最後には全く別の結末にそれぞれたどり着くのだが、最大の相違は何かと言えば、まず端的に、主人公の妻のキャラクター造形であり、より根本的には、そもそものモチーフとなっているもの、テーマが違うのである。 映画版で奥さんを演じるのはシャーリーズ・セロンだ。中学教諭の強制猥褻裁判でも夫を応援し、勝訴が決まれば誰より喜ぶ。野心も強く、NYでのセレブ新生活に大興奮する。気っ風の良い田舎の元ヤン若妻みたいな辣腕カーディーラーの女性だった。しかし、そんな彼女がNYで次第に精神に変調をきたし、泣きじゃくりながら被害妄想と神経衰弱の症状に陥っていく。 一方、原作小説の方では真逆のキャラクターとして描かれている。NY郊外の弁護士家庭という中の上クラスの生活に満足している専業主婦で、その地域社会に愛着も抱いており、上を目指して別の生活に飛び込もうという気はさらさら無い。夫が強制猥褻容疑の被告の弁護を担当し原告の女子中学生を人格攻撃したことも恥じている。そんな彼女が、マンハッタンに移って豪華な暮らしを始めると、カネと消費の亡者に豹変するのだ。 要は、どちらも中盤で奥さんのキャラクターがガラリと一変してしまうのである。そのトリガーとなるのが「悪魔」という本作のキーワードだ。 映画版では、奥さんシャーリーズ・セロンが、この、人も羨む勝ち組ライフのふとした瞬間に、何か禍々しい、悪魔的な存在をチラチラ垣間見るようになり、フロリダではあれほど明朗快活だった彼女が、オカルト的な影に怯えて田舎に戻りたいと泣いて懇願しだす。主人公キアヌには悪魔の影など見えないのだが、妻の方は妄想なのか何なのか、不吉な気配を繰り返し感じるようになる。 「妄想なのか何なのか」と書いたが、これはつまり、いわゆる「ニューロティック・スリラー」的展開だ。この映画は、慣れない贅沢暮らしでノイローゼになり追い詰められていく心を病んだ庶民女性の物語なのか?それとも、本当に悪魔は実在するのに、それを旦那を含む誰からも信じてもらえない孤立した女性の物語なのか?どちらなのか!? それでクライマックスまで興味を持続させるのがニューロティック・スリラーというジャンルである。 一方、原作の方もニューロティックなのだが、悪魔が実在するのか妄想なのか、どちらなのかで読者を翻弄するのは、こちらでは主人公である旦那の方だ。ミルトン代表から殺人者の弁護を任され、良心の呵責に苦しむのみならず、ミルトンこそ実は本物の悪魔ではないのか!?と疑いだす。疑うほどに、逆に妻の方は、夫のことを精神異常あつかいしつつ、自身は浪費に明け暮れていく。悪魔に取り込まれつつあるのか? ヒロインである奥さんが、このように原作と映画化版とで正反対に描かれるのだが、より重要なのは、そもそもモチーフが違う、テーマが違う、ということの方だ。次回はそこに触れていきたい。 (つづき② 原題「悪魔の弁護人(Devil's Advocate)」は慣用句。その意味を知っているか?) © Warner Bros. Productions Limited, Monarchy Enterprises B.V., Regency Entertainment (USA), Inc. 保存保存 保存保存
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NEWS/ニュース2025.09.30
【誰でもご応募OK】【今一番熱いスター、ワン・イーボー(王一博)】放送記念プレゼントキャンペーン
【今一番熱いスター、ワン・イーボー(王一博)】放送記念プレゼントキャンペーン ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ ザ・シネマでは、今一番熱いスター、ワン・イーボー(王一博)の出演作を全4作特集放送!『銀幕の友』はTV初放送、『無名』『ボーン・トゥ・フライ』『熱烈』の3作はCSベーシック初放送でお届け! さらに放送を記念して、ワン・イーボー出演映画のオリジナルグッズやポスターが抽選で計12名様に当たるプレゼントキャンペーンを開催! ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ ■プレゼント賞品 映画『無名』B2ポスター・・・1名様 映画『無名』B3ポスター トニー・レオンver.・・・1名様 映画『無名』アクリルキーホルダー ワン・イーボーver.・・・1名様 映画『無名』アクリルキーホルダー トニー・レオンver.・・・1名様 映画『熱烈』B1ポスター・・・3名様 映画『銀幕の友』B1ポスター・・・3名様 映画『ボーン・トゥ・フライ』B2ポスター・・・2名様 ■応募期間 2025年9月30日(火)12:00〜11月4日(火) 23:59 ご応募はこちら> ■ザ・シネマ放送情報 【特集】今一番熱いスター、ワン・イーボー(王一博) 特設ページ:https://www.thecinema.jp/tag/706 放送日:【字】10/24(金)18:05~ 4作連続放送 中国・韓国の多国籍アイドルグループ「UNIQ」のメンバーとしてデビュー、ブロマンス時代劇として絶大な支持を得た華流ドラマ『陳情令』で主役を演じ大ブレイクを果たしたワン・イーボー(王一博)。活躍の場をスクリーンに移し、さらなる飛躍を図るワン・イーボーの出演作を一挙放送! 名優トニー・レオンと共演したスパイ・ノワール『無名』、ブランドアンバサダーを務めるCHANELとのコラボレーションで生まれた短編『銀幕の友』などをお届け。 『無名』Copyright 2023 (C) Bona Film Group Company Limited All Rights Reserved 10月・11月は吹替版も放送! ワン・イーボー(王一博)主演作品を、大ヒットドラマ『陳情令』からFIX声優となっている立花慎之介の吹き替えにて3作品放送! 『(吹)無名』10/24(金)12:30~、11/16(日)11:55~ 『(吹)熱烈』11/11(火)21:00~ 『(吹)ボーン・トゥ・フライ』11/25(火)21:00~ 『熱烈』(C) Hangzhou Ruyi Film Co., Ltd. ■プレゼント賞品 映画『無名』B2ポスター・・・1名様 映画『無名』B3ポスター トニー・レオンver.・・・1名様 映画『無名』アクリルキーホルダー ワン・イーボーver.・・・1名様 映画『無名』アクリルキーホルダー トニー・レオンver.・・・1名様 映画『熱烈』B1ポスター・・・3名様 映画『銀幕の友』B1ポスター・・・3名様 映画『ボーン・トゥ・フライ』B2ポスター・・・2名様 ■応募期間 2025年9月30日(火)12:00〜11月4日(火) 23:59 ■プレゼント応募URLhttps://form.run/@202509-cnm-wangyibo-present ご応募はこちら>
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COLUMN/コラム2025.04.02
デ・パルマ監督のヒッチコック愛が詰め込まれた賛否両論の問題作『ボディ・ダブル』
レーティング審査の限界に挑んだデ・パルマ アルフレッド・ヒッチコックを敬愛する熱心なヒッチコキアンとして知られ、『悪魔のシスター』(’72)や『愛のメモリー』(’76)、『殺しのドレス』(’80)に『ミッドナイト・クロス』(’81)など、ヒッチコック的な演出技法を駆使したサスペンス映画の数々で高い評価を得たブライアン・デ・パルマ監督。中でも、この『ボディ・ダブル』(’84)ほどヒッチコック映画からの引用で埋め尽くされた作品はないだろう。さながら、ヒッチコキアンとしての集大成的な一本である。 と同時に、本作はデ・パルマ監督が「私のキャリアでこれほど激しく非難された映画はない」と振り返るほど、劇場公開時に猛バッシングを受けた問題作でもあった。ちょうど当時のデ・パルマ監督は、『殺しのドレス』の大胆な性描写とショッキングな残酷描写が物議を醸し、ギャング映画『スカーフェイス』(’83)の血生臭い暴力描写や過激なセリフも問題視されたばかり。どちらの作品も映画協会のレーティング審査で大揉めし、一度受けた成人指定を取り消すために再編集を余儀なくされた。なにしろ、客層の限定される成人指定映画を上映してくれる映画館は少ない。興行を考えれば譲歩せざるを得ないだろう。苦渋の選択である。 で、これが大いに不満だったデ・パルマ監督は、本作で性描写と暴力描写の限界ギリギリに挑んでやろうと考えたらしい。『スカーフェイス』が暴力的だって?『殺しのドレス』がエロティックだって?舐めんなよ!これが本物のエロスとバイオレンスじゃい!!というわけだ。いやはや、ほぼ逆ギレみたいなもんですな(笑)。で、その結果またもやレーティング審査で成人指定を受けてしまい、それを撤回させるために再編集を施すことに。そのうえ、全米公開されるや「女性蔑視」「暴力的」「変態ポルノ」などとマスコミから猛攻撃を食らい、デ・パルマ監督自身も「ミソジニスト」のレッテルを張られることとなってしまった。今でこそカルト映画として熱烈なファンのいる「ボディ・ダブル」だが、劇場公開時は興行的にも批評的にも惨敗だったのだ。 売れないハリウッド俳優がハマっていく巧妙な罠…! 舞台は映画産業のメッカ、ロサンゼルス。売れない俳優ジェイク・スカリー(クレイグ・ワッソン)は、昔なじみの映画監督ルービン(デニス・フランツ)が手掛けるB級ホラー映画のバンパイア役に起用されるも、撮影中に閉所恐怖症の発作を起こしてクビになってしまう。しかも、自宅アパートへ帰ると恋人キャロル(バーバラ・クランプトン)の浮気現場に遭遇。居候だったジェイクが部屋を出ることになる。踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。ホームレスになったジェイクは友人の家を転々としながら、仕事を求めて幾つものオーディションを受けるのだが、しかしここは生き馬の目を抜くハリウッド。若くもない地味な無名俳優にチャンスなどなかなか転がっていない。 そんなある日、ジェイクはオーディション会場でよく見かける俳優サム(グレッグ・ヘンリー)と親しくなる。ジェイクの窮状を知ったサムは、自分が留守の間に住み込みで家の管理を頼めないかと相談を持ち掛ける。そこはL.A.一帯を見渡せる高台のお洒落な豪邸。本来の家主はヨーロッパへ旅行中の金持ちなのだという。ただ、植物の水やりが毎日欠かせないため、友人であるサムが留守番を任されていたのだが、急に地方巡業の仕事が決まったため困っていたらしい。宿なしのジェイクにとっては願ってもない話。まるで宇宙船のような建物から眺めるL.A.の夜景に見とれていると、サムが望遠鏡を覗いて見るように勧める。言われた通りの方角を望遠鏡で眺めると、その先には大豪邸の寝室でストリップダンスを踊る女性(デボラ・シェルトン)の姿が。薄暗くて顔はよく見えないが、かなりの美人と思われる。サムによると、彼女は毎晩きっちり同じ時刻に裸で踊っているらしい。 かくして、見知らぬ他人の家の留守番代行をすることになったジェイクは、例のストリップダンスをこっそり眺めるのが秘かな愉しみとなる。ところがある晩、彼は先住民と思しき怪しげなの男が女性の家を見張っていることに気付く。その翌日、たまたま女性の家の前を車で通りかかったジェイクは、その怪しい男が彼女の車を尾行する現場を目撃。思わず自分も彼らの後を追いかける。高級ショッピングモールから海沿いのお洒落なモーテルへと、先住民の男の不穏な動きを監視しつつ、女性の行く先を延々とつけて回るジェイク。すると、先住民の男が女性のハンドバッグを奪って走り去る。必死になって追いかけるジェイク。しかし、トンネルに差し掛かったところで、ジェイクは再び閉所恐怖症の発作に襲われ、ハンドバッグから何かを抜き取った犯人を取り逃がしてしまった。 女性の名前はグロリア・レヴェル。その後も引き続き、グロリアの自宅を望遠鏡で覗いていたジェイクは、いよいよ先住民の男がグロリアの邸宅へ侵入する様子を目撃。男は巨大なドリルを手にグロリアへ襲いかかる。慌てて彼女の家へ助けに駆け付けるジェイクだったが、既にグロリアは殺されてしまっていた。警察の現場検証に立ち会うジェイク。マクリーン刑事(ガイ・ボイド)は大富豪であるグロリアの資産を狙った夫による犯行の線を疑う。しかし、ジェイクの目撃証言によると犯人は正体不明の先住民。ハンドバッグから盗んだのは豪邸のカギだったようだ。捜査は難航すること必至だった。 グロリアを救えなかった罪悪感で酒浸りになったジェイクだが、放心状態で眺めていたケーブルテレビの映像に目を奪われる。新作ポルノ映画の予告編に出てくる女優の独特なストリップダンスが、死んだグロリアのものとソックリだったのだ。そこでポルノ映画の撮影現場に潜入した彼は、例のダンスを踊る人気ポルノ女優ホリー・ボディ(メラニー・グリフィス)に接近。やがて、ジェイクはホリーがグロリアのボディ・ダブル=替え玉であったことに気付く。つまり、毎晩同じ時間に薄暗い寝室でストリップを踊っていた女性はグロリアではなく、正体不明のリッチな依頼人から「友人をからかうため」との理由で雇われたホリーだったのだ。果たして、その依頼人とはいったい誰なのか…? 観客の目を欺き混乱させるデ・パルマ監督の巧妙な演出 いやあ、全編これヒッチコック映画へのオマージュのオンパレードですな!全体的なコンセプトとしては、『裏窓』(’54)と『めまい』(’58)を足して『ダイヤルMを廻せ!』(’54)で割った感じと言えよう。主人公が極度の閉所恐怖症を抱えていて、それがいざという時の弱点になってしまうのは、『めまい』における高所恐怖症のバリエーション。望遠鏡で殺人事件を目撃してしまう展開は『裏窓』そのままだ。『ダイヤルMを廻せ!』の要素については、謎解きの種明かしにも深く関わるので明言を避けるものの、これまた分かりやすい引用である。前半と後半でヒロインが入れ替わるのは勿論『サイコ』('60)。海岸で抱き合うジェイクとグロリアの周囲をカメラが360度グルグル回るのは、『めまい』や『トパーズ』(’69)などで使われたヒッチコックお得意の演出。クライマックスには、カメラをトラックバックしながらズームアップするという、あの有名な「めまいショット」も再現している。いずれにせよ、元ネタは誰が見ても一目瞭然だ。そこがサスペンス映画ファンにとっては面白い点だが、しかし同時に弱点でもあったように思う。というのも、いずれもデ・パルマ自身が過去の作品で引用してきたネタばかリだからだ。 『裏窓』ネタは『悪魔のシスター』や『ミッドナイト・クロス』で、『めまい』ネタは『愛のメモリー』でより明確にガッツリと応用されていたし、『サイコ』を模倣したヒロインの交代は『殺しのドレス』でもやっている。360度回転するカメラは『ミッドナイト・クロス』のクライマックスの方が効果的だったし、劇中劇のB級ホラー映画をオープニングとエンディングに使用するのも同作と全く同じ。複雑に入り組んだショッピングモール内でジェイクがグロリアを追跡するシーンは、『殺しのドレス』の美術館シーンの再現である。デ・パルマ作品を追いかけてきたファンにしてみれば、それもこれも既視感のあるシーンばかリ。これが、劇場公開時に当たらなかった原因のひとつではないかと思う。実際、日本公開時に劇場へ足を運んだ筆者が少なからずガッカリした理由はこれだった。 とはいえ、久しぶりに見直すとこれがなかなか面白い。確かに新鮮味こそないものの、しかし全編に渡ってこれでもかと溢れ出るデ・パルマ監督のヒッチコック愛が微笑ましいし、何よりも繰り返し見るたびに新しい発見がある。なるほど、ここもあの映画からの引用だったのか!ここが実はあのシーンの伏線になっていたのね!などなど、何度も見直すことで初めて気付かされる仕掛けがそこかしこに隠されているのだ。また、先述したように過激な性描写と残酷描写で物議を醸した本作だが、よくよく見ると直接的な描写が殆どないことにも気付かされるだろう。これは『スカーフェイス』で問題になった電動ノコギリ・シーンにも言えることだが、デ・パルマ監督は実際にスクリーンに映っていないものを観客に生々しく想像させることで映っていると思い込ませ、まるでそのものズバリの場面を見てしまったかのように錯覚させるのが非常に上手いのだ。本作はまさにその好例である。 そして、この「思い込み」と「錯覚」こそが全編を通して貫かれる本作のテーマだったりする。オープニングからして、どこかの砂漠かな?それにしてはやけに作り物っぽいなと思ったら映画のセット。でもあれ?これってバンパイア映画だったっけ?と思ったら劇中劇でした…といった具合に、見る者の思い込みと錯覚を誘発するようなトリックをそこかしこに仕込むことで、観客を巧みに翻弄して混乱させていく。まあ、唐突に始まるジェイクとグロリアの抱擁シーンなど、映像的な見せ場を優先したご都合主義な場面がないわけではないが、しかし全体的にはデ・パルマ監督の技巧派ぶりを堪能できる作品と言えよう。 窮地を救った女優メラニー・グリフィスの大胆な演技にも要注目! デ・パルマ監督が本作のアイディアを思いついたのは『殺しのドレス』の撮影中。ベテラン大物女優アンジー・ディッキンソンの大胆なヌード・シーンが話題となった同作だが、実はクロース・アップショットはヴィクトリア・ジョンソンという若い無名女優のヌードが使われていた。要するに代役=ボディ・ダブルだ。このボディ・ダブルが犯罪の重要なカギとなるような映画を作ろうと考えたのである。当初は『殺しのドレス』と同じく学生時代を過ごしたニューヨークを舞台にするつもりだったデ・パルマ監督だが、しかし長いことロサンゼルスに住んでいながら一度もロサンゼルスを舞台にした映画を撮ったことがないことに気付き、舞台設定をロサンゼルスの映画業界およびポルノ業界に変更したという。そう、本作は映画業界もポルノ業界も文字通りイケイケだった、’80年代のバブリーで華やかなロサンゼルスを鮮やかに記録した、さながらタイムカプセル的な作品としても見逃せないのだ。 冒頭でジェイクがホットドッグを買い食いする店は、ロサンゼルスの観光名所として有名なテイル・オー・ザ・パルプ。その向こう側には大型ショッピングモール、ビバリーセンターが見える。今ではその前に別の建物が出来てしまい、さらには高層ホテルのソフィテルも建っているため、あの場所からビバリーセンターが背景に映ることはもはや不可能だろう。また、ジェイクがグロリアを追跡してランジェリーの試着室を覗き見するのは、超高級ショッピング街ロデオ・ドライヴにある富裕層向けのショッピングモール、ロデオ・コレクション。当時はまだオープンしたばかりで、映画のロケに使われたのは本作が初めてだったらしい。自宅を追い出されたジェイクが居候する友人宅のアパートは、かつてジョージ・ラフトやユージン・パレットなどのハリウッドスターも住んでいた映画業界人専用の高級アパート、ハリウッド・タワー。また、サムの紹介でジェイクが住み込む高台の豪邸は、ハリウッド・ヒルズに実在するケモスフィアと呼ばれる有名なモダン建築で、ロサンゼルスの歴史文化記念物にも指定されている。ほかにも、今はなきタワー・レコードのビデオ店や、すっかり様変わりしてしまったファーマーズ・マーケットなども出てくる。35年以上に渡ってロサンゼルスと日本の間を行き来し、その移り変わりを見てきた筆者にとっては感慨深いことこのうえなし。そうでなくともL.A.好きにはたまらないはずだ。 謎解きの重要なカギを握るヒロイン、ホリー役として、デ・パルマが最初に白羽の矢を立てたのは、当時ハードコア・ポルノ映画の女王として日本でも人気だった女優アネット・ヘヴン。なにしろ、ストリップ・シーンやオナニー・シーンなど脱ぎまくらねばならない役柄なので、ハリウッドで引き受けてくれる女優がいるとはとても考えられなかったからだ。実際に本人と会って話をしたデ・パルマ監督は、頭も切れるしセリフの覚えもいいし演技も上手いヘヴンにいたく感心して出演をオファー。デ・パルマが何者か知らなかったヘヴンは、当初は会ってもくれなかったらしいが、関係者の仲介でミーティングが実現し、本人も出演に乗り気だった。ところが、カメラテストのためヘヴンがハリウッドの撮影スタジオを訪れた際に、彼女がポルノ女優だと知ったコロンビア映画幹部が激怒。重役会の猛反対で白紙撤回されてしまう。改めて何人もの女優に声をかけたが、軒並み断らたらしい。そんな窮地を救ったのがメラニー・グリフィスだった。 当時、俳優スティーブン・バウアーの妻だったメラニーは、夫が『スカーフェイス』に出演していた縁でデ・パルマ監督とも親しい間柄だったという。デ・パルマ本人から『ボディ・ダブル』のヒロイン探しに困っていると聞いた彼女は、「だったらあたしがやる!」とその場で名乗りを上げたのだそうだ。まさに灯台下暗しである。結果的に、これが絶妙なキャスティングだった。『殺しのドレス』や『ミッドナイト・クロス』のナンシー・アレンに相当するような役柄で、少女のように無邪気でキュートな親しみやすさを残しながら、一方でセックスには自由奔放かつ大胆。役作りにはアネット・ヘヴンも協力し、ポルノ女優ならではの立ち振る舞いを勉強したという。コメディエンヌとしての勘の良さも垣間見せるメラニーは素晴らしい好演で、全米批評家協会賞では見事に助演女優賞を獲得している。これを機に、それまで女優としていまひとつ芽の出なかった彼女は一気に注目されるようになった。メラニー本人も、本作がなければ『サムシング・ワイルド』('86)や『ワーキング・ガール』('88)の成功はなかっただろうと語っている。 一方、なにかと主演俳優が地味過ぎるという批判される本作だが、しかしジェイク役のクレイグ・ワッソンもサム役のグレッグ・ヘンリーも役柄のイメージにはピッタリだ。確かにどちらも有名スターではないものの、だからこそ本作の売れない俳優という設定にハマると言えよう。これが例えばジョン・トラヴォルタやアル・パチーノのようなスターだったら全くもって説得力がない。残念ながらワッソンはその後『エルム街の悪夢3/惨劇の館』('87)くらいしか代表作はないが、既に前作『スカーフェイス』でデ・パルマに起用されていたヘンリーは、その後も『レイジング・ケイン』('92)や『ファム・ファタール』('02)でもデ・パルマと組み、最近では『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの祖父役としてもお馴染みだ。デ・パルマ組と言えば、B級映画監督ルービン役のデニス・フランツも忘れてはならない。『フューリー』(’78)以来、デ・パルマ映画には欠かせない顔だったフランツ。本作の映画監督ルービンはデ・パルマ監督をモデルに役作りしたそうで、劇中で着用している衣装も実はデ・パルマ監督の私服を借りたらしい。その後、シーズン6から途中参加した国民的警察ドラマ『ヒルストリート・ブルース』(‘81~’87)の好演が評価されたフランツは、これまた国民的人気を誇った警察ドラマ『NYPDブルー』(‘93~’05)に主演。エミー賞のドラマ・シリーズ部門主演男優賞を4度も受賞し、すっかりテレビ界の大物スターとなった。 個人的に当時お気に入りだったのは、グロリア役を演じているデボラ・シェルトン。元ミスUSAのビューティー・クィーンで、正直なところ演技力はそれほどでもないのだが、ジェイクが一目惚れするのも無理ないくらいに美人で、なおかつ後姿がゴージャスだという理由で起用されたという。ただ、やはりセリフに難があったためか、デ・パルマ監督の判断で声は名女優ヘレン・シェイヴァーが吹き替えている。また、本作はフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの大ヒット曲「リラックス」が劇中でミュージック・ビデオ風に使用され、リード・ボーカリストのホリー・ジョンソンらバンド・メンバーが劇中のポルノ映画に出演していることでも当時話題になった。同じく劇中のポルノ映画には、後にスクリーム・クィーンとして有名になるB級映画女優ブリンク・スティーヴンスも登場。当時はメジャー映画の脱ぎ役エキストラとして引っ張りだこだった彼女だが、実は『サイコ3』('86)などでヌード・シーンのボディ・ダブルを請け負っていた。あと、『ゴーストバスターズ』('84)の破壊神ゴーザを演じていた女優スラヴィトザ・ジャヴァンが、ジェイクを怪しんで警備員に通報するランジェリーショップ店員役で顔を出しているのも見逃せない。■ 『ボディ・ダブル』© 1984 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2025.10.15
観客を“タイムトラベル”に誘う…。『ある日どこかで』のはじまり、そして名作として花開くまで
1972年。劇作家志望の大学生リチャード・コリアは、初公演の打上げで、多くの人々に囲まれ、称賛を受けていた。 そんな彼を、品のある老女がじっと見つめていた。彼女はリチャードに近づくと、一言。 「私のところに、帰ってきて」 見も知らぬ老女の言葉に、リチャードはただただ驚く。老女は彼の手に、懐中時計を握らせ、そのまま去っていった…。 1980年。劇作家として成功を収めたリチャードだったが、スランプで書けない状態に陥っていた。 気分転換にと、一人旅に出た彼は、ドライブの途中で見かけた、グランド・ホテルへの宿泊を決める。そして時間潰しのために寄った、ホテルの資料室で、1枚のポートレート写真に、心を鷲づかみにされる。 そこで微笑んでいる、若く美しい女性は、エリーズ・マッケナ。かつて一世を風靡した、舞台女優だった。 リチャードが彼女のことを調べると、実は8年前に出会った老女と、同一人物だとわかる。そして彼女は、リチャードに時計をプレゼントした夜に、この世を去っていた…。 ***** 本作『ある日どこかで』(1980)の原作・脚本を手掛けたのは、リチャード・マシスン(1926~2013)。小説家としては、1950年24歳の時にデビューし、現在までに3度映画化された「アイ・アム・レジェンド」(54)や、「縮みゆく人間」(57)「奇蹟の輝き」(78)など、SFホラーやファンタジーの名作をものしている。更にはウエスタンやノンフィクションまで、長年に渡ってジャンルを横断する活躍を見せた。 脚本家としても、TVシリーズの「トワイライト・ゾーン」(1959~64)、エドガー・アラン・ポー原作の映画化作品『アッシャー家の惨劇』(1960)『恐怖の振子』(1961)などをはじめ、数多くの映画、TVドラマを手掛けている。 マシスンは、モダンホラー小説の巨匠スティーヴン・キングが、「私がいまここにいるのはマシスンのおかげだ」と語るような、偉大な存在であった。 小説「ある日どこかで」執筆のきっかけは、マシスンが妻子との旅行中、ネバダ州のパイパー・オペラハウスに立ち寄った時に、初期アメリカ演劇に関する資料が展示してあったことだった。そこで彼は、モード・アダムス(1872〜1953)という名の、美しい女性のポートレートに、いたく興味を惹かれたのだ。彼女は、「小牧師」「ピーター・パン」などの作品に出演し、19世紀末から20世紀前半に掛けて高く評価された、舞台女優だった…。 ***** ポートレートの彼女=エリーズ・マッケナに会いたいという思いに取り憑かれたリチャードは、タイムトラベルの方法を探る。そして、“時間旅行”を研究する哲学者の教えを受ける。 自分がその時代に居る、その時代の人間であるという暗示を執拗に行ったリチャードは、遂に時空を越えることに成功。ポートレートが撮影された68年前=1912年のグランド・ホテルへと、辿り着く。 そこで初めて顔を合わせたエリーズは、リチャードにいきなり尋ねる。「あなたなの?」 彼女は彼の正体など知る由もなかったが、運命の男性が現れることを予感し、待っていたのだ。 しかし、惹かれ合う2人の前に、女優エリーズを育てたマネージャーの、ロビンソンが立ちはだかる…。 ***** 先に記した通り、エリーズ・マッケナのモデルになったのは、舞台女優モード・アダムス。本作ではクリストファー・プラマーが演じる、ロビンソンのモデルも、実在する。モード・アダムスをスターに押し上げた、彼女のマネージャー、チャールズ・フローマンである。 さてマシスンが書き下ろした原作小説は、シェークスピアの一文から引用した、「BID TIME RETURN」というタイトルで、75年にアメリカで出版。翌76年には、「世界幻想文学大賞」長篇部門受賞に至る。 映画化に乗り出したのは、プロデューサーのスティーヴン・ドイッチェ。彼は監督を、『ジョーズ2』(78)をヒットさせたヤノット・シュワルツに依頼した。シュワルツはかつて、マシスンが原作・脚本を担当したTVシリーズの演出を手掛けたことがあり、マシスンが推したと言われている。 映画化に当たっては、タイトルをより平明な、「SOMEWHERE IN TIME」に変更。ストーリーラインは、大筋では変わらないが、原作では主人公のリチャード・コリアが、TVドラマの脚本家だったのを、劇作家へと変更。またリチャードは、脳腫瘍のため余命幾ばくもないという設定があったのを、すっぱりとカットした。 物語の舞台となる年代は、原作では1971年と1896年だったのを、現在と過去のリンクをスムースに行うため、1980年と1912年に変更。また主人公と関わる登場人物も、足し引きされている。 リチャードは、タイムマシンなどを使わず、催眠や自己暗示によって時代を遡ろうとするのだが、そのやり方を教える哲学者は、原作には登場しない。このタイムトラベルの方法は、SF作家ジャック・フィニィの「ふりだしに戻る」(70)から戴いたものだが、フィニィは、マシスンが最も敬愛する書き手の1人。そのため本作では、リチャードが教えを乞う哲学者の名を、フィニィとしている。 原作小説に登場するホテルも、実在のものだったが、その近所は開発が進み、1912年のシーンを撮影するには、そぐわない状況だった。そこでドイッチェとシュワルツは、ロケ地をリサーチ。白羽の矢を立てたのが、ミシガン州のリゾート地に立つ、グランド・ホテルだった。 こちらは湖と湖の水路を結ぶ小さな島に、19世紀にオープン。この島では自動車の使用が一切禁止されていたため、道路や自然環境がその頃のまま残されていたのが、本作の撮影地として、最適だった。 ***** ロビンソンの執拗な妨害も乗り越えて、リチャードとエリーズは遂に結ばれる。幸せいっぱいの2人だったが、リチャードのちょっとした不注意から、不慮の別れが訪れる。 時空を超えた運命の恋人たちは、このまま永遠に引き裂かれてしまうのか? ***** クリストファー・リーヴは、『スーパーマン』(78)のヒーロー役でスターダムにのし上がったばかりの頃。彼のエージェントは、本作出演のオファーを受けた際、失笑を禁じ得なかったという。 無理もない。総製作費500万㌦の小品として、支払えるギャラは限られている。 エージェントに渡した脚本が、リーヴの元に届くことはないと、プロデューサーのドイッチは判断。リーヴの泊まるホテルを直接訪ねて、脚本を本人に手渡すという、掟破りの挙に出た。 この賭けは見事に当たった。翌日ドイッチの元に、リーヴからリチャード役での出演を受けるという電話が入ったのである。 リーヴ同様、やはり脚本に魅せられて、エリーズ役を快諾したジェーン・シーモア。彼女は監督のシュワルツに、音楽の担当は是非ジョン・バリーにして欲しいと懇願した。 しかしバリーは、『007』シリーズで広く知られ、『野生のエルザ』(66)『冬のライオン』(68)でアカデミー賞を受賞した、“大御所”的存在。とても、雇える予算はない。 しかし諦めきれなかったシーモアは、旧知の間柄だったバリーに直談判でストーリーを説明。結果的に、「言い値」で引き受けてもらえることになったのである。 さて本作に於いて、小説を映画化するに当たっての変更点を、先に列挙したが、もう一つ大きな変更が行われたのが、“音楽”に関してであった。原作のリチャードは、グスタフ・マーラーをこよなく愛する青年であり、当初は本作でも、マーラーの「交響曲第9番ニ長調」をメインに使用する予定だった。 ところがマーラーだと、壮麗すぎて、小品の本作にはハマらないことが判明。そこでバリーの提案によって、ラフマニノフの「パガニーニのラプソディ」が使用されることになった。 この変更も効果的だったが、本作でのバリーの最大の貢献は、彼自身が作曲した、美しくも哀しい、メインスコアである。映画の世界観を決定づけたこの楽曲は、バリーが最愛の父と母を続けて亡くした直後に作られたもの。“喪失感”から癒えないままの作曲により、本作の作品世界を決定づける楽曲が生み出されたのである。 本作がアメリカで公開されたのは、1980年の10月。配給元ユニヴァーサルの、低予算の小品である本作に対する期待値は、ほとんど「ゼロ」に近かった。折しも俳優組合のストライキなども重なって、リーヴとシーモアによる宣伝キャンペーンさえ行われなかった。結果的に全米の興行収入は、970万㌦に止まる。 日本公開は、翌81年の1月。筆者はメインの公開館だった有楽町の丸の内松竹で鑑賞したが、公開初日の土曜日なのに、客席が淋しかったことを記憶している。実際に2週間足らずで、上映は打ち切られている。 このまま消え去ってしまっても、おかしくない存在だった『ある日どこかで』。しかしアメリカでは、ケーブルテレビでの放送やレンタルビデオによって、徐々に「隠れた名作」として、カルト化していく。 日本では、だいぶ趣は違うものの、同じく“タイムトラベルもの”の『タイム・アフター・タイム』(79)などと名画座で併映されることが多かった。そうした場から、ファンが増えていったような感触がある。 そしてアメリカでは、1990年に熱い作品愛を持った者たちが集うファンクラブが、スタート!公式ホームページなどを通じて、世界的な規模にまで膨らんでいく。 映画の公開月となる10月になると毎年、物語の舞台となったミシガン州のグランド・ホテルには、世界中からファンが集結。映画の上映会が催される。今年は公開から45年、原作が発表されてからちょうど50年という節目もあって、例年以上の盛り上がりを見せているという話も聞く。 そもそも良き映画、名作と謳われる作品は、観客にとって、それを観た時の状況などと相まって、強く印象に残ることが多い。つまり当時の自分へと、“タイムトラベル”をさせてくれる装置として働くわけである『ある日どこかで』初公開時、高校生だった私は、当時片想いしていた女の子が、クリストファー・リーヴのファンだった。彼女に懇願されて、ガラガラの映画館へと赴いたわけだが、本作を観る度に、その当時の甘酸っぱい想い出が、甦る。 本作に於いては、主演の美男美女コンビ、クリストファー・リーヴも、ジェーン・シーモアも、30歳手前の、まさに盛りの時期である。リーヴは後年、不幸な落馬事故で半身不随になってしまったことなども考えると、最も「美しい」頃が閉じ込められた“タイムカプセル”のようなこの作品への愛おしさが、一層強まる。 時節柄“ルッキズム”などと誹られるかも知れないが、映画による“タイムトラベル”の中でも本作『ある日どこかで』は、極上の旅に誘ってくれる1本なのである。■ 『ある日どこかで』© 1980 UNIVERSAL CITY STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED
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NEWS/ニュース2025.10.01
ザ・シネマ開局20周年記念 プレゼントキャンペーン【第1弾】合計20名様
映画が生まれてから130年、ザ・シネマが生まれてからまだ20年。日本で唯一の洋画専門チャンネルとして、これからもがんばります。 ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ 2025年12月1日、ザ・シネマ開局20周年。 洋画専門チャンネルザ・シネマでは、2025年11月から2026年3月まで、「20」をキーワードにしたスペシャル編成や感謝プレゼント企画をお届けいたします。 さらに、ザ・シネマオリジナルグッズが20名様に当たるプレゼントキャンペーンを開催! ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ ザ・シネマ開局20周年記念 プレゼントキャンペーン【第1弾】 ■プレゼント賞品 合計20名様に当たる! ザ・シネマオリジナルポーチ…5名様ザ・シネマオリジナル万年筆…5名様ザ・シネマオリジナルブロックメモ…5名様ザ・シネマオリジナルサコッシュ…3名様ザ・シネマオリジナル折りたたみ傘(ブラック)…2名様 ■応募期間 2025年10月1日(水)~11月30日(日) ご応募はこちら> 【ザ・シネマ開局20周年】 ⇩特設ページはこちら⇩https://www.thecinema.jp/special/3920th/ 映画ファン必見の情報をお届け!ザ・シネマ公式メールマガジン、20周年を記念して12/1より配信開始! ⇩ご登録はこちら⇩https://www.thecinema.jp/mail/ ■ザ・シネマ放送情報 【開局20周年】スペシャルな企画が盛りだくさん! 【11月】『ワイルド・スピード』完全制覇!ワイスピ吹替ファミリーでコンプリート! 特設ページ:https://www.thecinema.jp/special/shin-roku/ 《放送作品情報》『(吹)ワイルド・スピード【ザ・シネマ新録版】【4Kレストア版】』11月16日(日)14:50〜ほか独占放送『(吹)ワイルド・スピードX2【ザ・シネマ新録版】【4Kレストア版】』11月16日(日)16:55〜独占TV初放送ほか『(吹)ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT【ザ・シネマ新録版】【4Kレストア版】』 11月16日(日)19:00〜独占TV初放送ほか 【12月~26年3月】Comming soon ■プレゼント賞品 ザ・シネマオリジナルポーチ…5名様ザ・シネマオリジナル万年筆…5名様ザ・シネマオリジナルブロックメモ…5名様ザ・シネマオリジナルサコッシュ…3名様ザ・シネマオリジナル折りたたみ傘(ブラック)…2名様 ■応募期間 2025年10月1日(水)~11月30日(日) ■応募フォームhttps://form.run/@cnm-202510-cp20-1 ご応募はこちら>