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COLUMN/コラム2024.09.30
「すべて本当にあったこと」を描いた、ロマン・ポランスキー畢生の傑作は今…。『戦場のピアニスト』
実話ベースの本作『戦場のピアニスト』(2002)の原作本に、ロマン・ポランスキーが出会ったのは、1999年のこと。パリで監督作『ナインスゲート』がプレミア上映された際に、友人から渡されたのである。 一読したポランスキーは、長年待ち望んだものに出会った気持ちになった…。 ***** 1939年9月、ポーランドの著名な若手ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンはいつものように、首都ワルシャワのラジオ局でショパンを演奏していた。しかしその日、ヒトラー率いるナチス・ドイツが、ポーランドに侵攻。シュピルマンの人生は、大きく変転する。 老父母や弟妹など、家族と暮らしていたシュピルマン。ユダヤ系だったため、街を占領したドイツ軍の弾圧対象となる。 ナチスがポーランド各地に作ったユダヤ人ゲットーへの移住が命じられ、住み慣れた我が家から強制退去。移った先では、ドイツ兵による“人間狩り”や“虐殺”が横行する。 42年8月、ゲットーのユダヤ人たちの多くが、強制収容所に送られることになった。しかし列車へ乗り込まされる直前、シュピルマンは、ユダヤ系ながらナチスの手先となった友人から、家族と引き剥がされ、この場を去るように促される。 家族で唯一人、収容所行きを免れたシュピルマンは、ゲットーに戻り、肉体労働に従事。このままではいつか命を落とすと考え、脱出を決行する。 ナチスに抵抗する、旧知の人々らの協力を得て、隠れ家を移りながら、命を繋ぐ。 44年、ワルシャワ蜂起が始まり、戦場となった街が、灰燼と帰していく。そんな中で必死に生き延びようとする、シュピルマンの逃走が続く…。 ***** 33年パリで生まれたポランスキーは、3歳の時に、家族でポーランドに移り住んだ。青年時代にウッチ映画大学で監督を志し、やがて長編第1作『水の中のナイフ』(62)で、国際的な評価を得る。 その後は海外へ。イギリスで、『反撥』(65)『袋小路』(66)『吸血鬼』(67)を成功させると、ハリウッドに渡って『ローズマリーの赤ちゃん』(68)を監督。更に声価を高めた。 しかし69年、妊娠中だったポランスキーの若妻シャロン・テートが、カルト集団に惨殺されるという悲劇に見舞われる。強いショックを受けた彼は、一時ヨーロッパへと移るが、『チャイナタウン』(74)の監督依頼を受けて、アメリカに戻る。 ところが77年、ポランスキーは13歳の少女を強姦するという事件を起こし、アメリカ国外へと逃亡。以降は主にフランスをベースに、監督作品を発表し続けている。 紆余曲折ある彼の監督人生の中で、ずっと胸に抱いていたこと。それは、いつかポーランドの「痛ましい時代の出来事を映画化したい」という思いだった。 ユダヤ系であるポランスキーは、ナチスの占領下で過ごした少年時代に、ゲットーでの過酷な暮らしを経験。その後両親と共に、強制収容所へ送られそうになる。寸前に、父の手で逃がされた彼は、終戦を迎えるまで、幾つもの預け先を転々とすることになった。 戦後になって、父とは再会。しかし母は、収容所で虐殺されていた…。 自分が経験した、そんな時代に起こった事々を作品にしたい。しかしながら、自伝的な内容にはしたくない…。 ポランスキーは、スティーヴン・スピルバーグから、『シンドラーのリスト』の監督オファーを受けながら、断っている。その舞台となるクスクフのゲットーが、実際に自分が暮らした地であり、描かれることが、自身の体験にあまりにも近かったためだ。「ふさわしい素材」を得て、「映画監督として、しっかりとした」ヴィジョンを持って臨まねばならない。そう心に秘めて待ち続けたポランスキーが、60代後半になって遂に出会ったのが、ウワディスワフ・シュピルマンの回想録である、「戦場のピアニスト」だったのだ! ポランスキー曰く、シュピルマンの体験と自分の間に、「ほどよい距離があった」。自分の住んでいた街とは舞台が違い、自分が知っている人間は、誰1人登場しない。それでいながら、「自分の知る事柄が書かれていた」。自らの体験を活かしつつも、客観的な視点で物語を紡ぐのに、これほど相応しいと思える原作はなかったのである。 シュピルマンの著書は、「ぞっとさせられる反面、その文章には前向きなところもあり、希望が満ちていた」。また、「加害者=ナチス/被害者=ユダヤ人」という単純な図式に陥ることなく、シュピルマンの命を救うのが、同胞から恐れられていた裏切り者のユダヤ人だったり、ナチスの将校だったりする。ナチスにも善人が存在し、ユダヤ人にも憎むべき者がいたという、原作の公平な視点にも、いたく感心したのだった。 ポランスキーは、戦後はポーランド音楽界の重鎮として後半生を送っていたシュピルマン本人と面会。映画化を正式に決めた。残念ながらその翌2000年、製作の準備中に、シュピルマンは88年の生涯を閉じたのだが…。 ポランスキーが、ポーランドで映画を撮るのは、『水の中のナイフ』以来、40年振り。資金はヨーロッパから出ており、アメリカの俳優は使わないという条件だった。 それでいながらセリフは英語とするため、ロンドンでオーディションを行うことになった。1,400人もの応募があったが、ポランスキーはその中からは、“シュピルマン”を見つけることはできなかった。 結局ポランスキーが白羽の矢を立てたのは、アメリカ人俳優。1973年生まれで、まだ20代後半。ニューヨーク・ブルックリン育ちのエイドリアン・ブロディだった。 シュピルマンに、風貌が似ていたわけではない。しかしポランスキーはブロディの出演作を数本観て、「彼こそ“戦場のピアニスト”」と思ったのだという。ポランスキーが「思い描いていた通りの人物になりきることのできる」俳優として、ブロディは選ばれたのである。 アメリカ人のブロディを起用するため、スポンサーを説得するのには、1カ月を要した。その上で、製作費の減額を余儀なくされた。 そこまでポランスキーが執心したブロディは、本作以前にスパイク・リーやケン・ローチなどの監督作品で主要な役を演じながらも、まだまだ新進俳優の身。ポランスキーの心意気に応え、戦時に大切なものをことごとく失ったシュピルマンになり切るため、住んでいたアパートや車、携帯電話など、すべてを手放して、単身ヨーロッパへと渡った。 ブロディの父は、ポーランド系ユダヤ人で、ホロコーストで家族を失った身。母は少女時代、ハンガリー動乱によって、アメリカに逃れてきた難民だった。ブロディ家では子どもの頃から、戦争のことやナチスの残虐さが、いつも話題になっていた。 クランク・インまでの準備期間は、6週間。部屋に籠りきりで行ったのは、まずはピアノの練習。少年時代にピアノを習った経験が役立ったものの、毎日4時間ものレッスンを受けた。 同時に進められたのが、ダイエット。摂取するものが細かく指示されて、体重を10数㌔落とした。撮影中に遊びに来たブロディのガールフレンドが、彼を抱き上げてベッドに運べるほど、瘦身になったという。 他には、ヴォイストレーニングや方言の練習、演技のリハーサルが繰り返される毎日を送った。 本作でもう一方の“主役”と言えるのが、1939年から45年に掛けての、ワルシャワの市街。しかしゲットーの在った地をはじめ、ほとんどの場所は戦後に再建されており、撮影に使えるような場所は、ほとんど残っていなかった。 そのためポランスキーは、広範なリサーチと自分自身の記憶を頼りに、美術のアラン・スタルスキと共に、ワルシャワとベルリン周辺で、数ヶ月のロケハンを敢行。本作の100を超える場面に必要な撮影地を、探し回った。 最終的には、ベルリンの撮影所の敷地内に、ワルシャワの街並みを建造。また、同じくベルリンに在った、旧ソ連兵舎を全面的に取り壊して、広大な廃墟を作り上げた。これは、全市の80%が壊滅したと言われるワルシャワ蜂起の、すさまじい戦禍を再現したものだった。 本作の撮影は、この廃墟が雪に覆われたシーンからスタートした。ブロディ演じるシュピルマンが、壁を上って、その向こう側に行くと、どこまでも荒涼たる光景が広がっている。「これが自分の住む街だったら」と思うと、ブロディは自然に涙がこぼれたという。 ワルシャワでは、屋内・屋外ロケを敢行。様々なシーンの撮影を行った。 ロケ地探しで至極役立った、ポランスキーの記憶力。ナチの軍服や兵士たちの歩き方、ゴミ箱の大きさに至るまで、当時の再現に、大いに寄与した。記憶でカバーできない部分は、終戦直後の46年に書かれた、シュピルマンの原作に頼った。 戦時のワルシャワで起こった様々な事件を再現するためには、多くのリサーチが行われた。クランク・イン前には、歴史家やゲットーの生存者の話を聞き、スタッフには、ワルシャワ・ゲットーについてのドキュメンタリーを何本も観てもらった。 ポランスキーは本作に、当時彼自身が体験したことも、織り込んだ。その一つが、シュピルマンが、収容所に送られていく家族からひとり引き離されるシーン。 原作ではシュピルマンは、その場から走って逃げたと記している。しかしポランスキーは、歩いて去るように、変更した。 これはポランスキーがゲットーを脱出した際に、ドイツ兵に見つかった経験が元になっている。そのドイツ兵はみじろぎひとつせずに、「走らない方がいい」とだけ、ポランスキーに言った。走るとかえって、注意を引いてしまうからである。 そんなことも含めて、本作で描かれているのは、「すべて本当にあったこと」だった。 撮影は、2001年2月9日から半年間に及んだ。その期間中、ポランスキーは当時の辛かった思い出の“フラッシュバック”に、度々襲われることになる。しかし撮影前のリサーチ段階での苦痛のほうが大きかったため、憔悴するには至らなかった。 本作のクライマックス。シュピルマンが隠れ家とした場所でナチスの将校に見つかり、ピアニストであることを証明するためピアノを演奏する、4分以上に及ぶシーンがある。 こちらはドイツのポツダムに在る、住宅街の古い屋敷でのロケーション撮影。画面から伝わってくる通りの寒さの中で、カメラが回された。 スタッフが皆、分厚いコートを来ている中で、ブロディは着たきりのスーツだけ。しかし監督は画作りのため、すべての窓を開け放しにした。ブロディは死ぬほどの寒さの中で、演技をしなければならなかった。 このシーンに登場する、トーマス・クレッチマンが演じるドイツ国防軍将校の名は、ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉。シュピルマンを連行することなく、隠れ家の彼に食事や外套を提供して、サバイバルを手助けする。 本作で詳しく描かれることはなかったが、実在したこの大尉は、ナチスの方針に疑問を抱き、迫害に遭ったユダヤ人らを、実は60人以上も救っている。シュピルマンを助けたのは、偶然や気まぐれではなかったのである。 不運にも彼はワルシャワから撤退中に、ソ連軍の捕虜となった。そしてシベリアなどの捕虜収容所に、長く拘置されることになる。 シュピルマンは戦後、自分を助けてくれたドイツ人将校を救おうと、手を尽して行方を捜索。収容所に居ることがわかると、当時はソ連の衛星国家だった、ポーランドの政界に解放を働きかけた。しかしホーゼンフェルトが自由の身になることはなく、52年に心臓病のため57歳で獄死してしまう…。 さて6ヶ月間、本作に打ち込んだエイドリアン・ブロディは、シュピルマンの“孤立感”を体感しようと試み、飢えをも経験する中で、感じ方や考え方に変化が生じた。そのため撮影が終わってから、何と1年近くも、鬱状態から抜け出せなかった。 一方でブロディは、本作に出たことによって、俳優としての自分がやりたいことが何なのか、はっきりと自覚することができたという。 ちなみにブロディがレッスンを経て、楽譜を見ずにピアノを弾けたようになったことを、ピアノ教師が絶賛。この後も続けるように勧められたが、本作が撮了するとモチベーションを保てず、やめてしまったという。 監督のポランスキー、主演のブロディが報われたのは、まずは2002年5月の「カンヌ国際映画祭」。そのコンペ上映で15分間のスタンディング・オヴェーションを得て、最高賞のパルムドールに輝いた。そして翌03年3月には「アカデミー賞」で、ポランスキーに“監督賞”、ブロディに“主演男優賞”が贈られた。 それまでは、“鬼才”という呼称こそがしっくりくる感があったポランスキー。件の事情で国外逃亡中の身だったため、オスカー授与の場に立つことはなかったが、本作『戦場のピアニスト』によって、紛うことなき“巨匠”の地位を得たのである。 しかしそれから歳月を経て、90を超えたポランスキー、そして本作への評価も、今や安泰とは言えない。 2017年に大物プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる数多くの性加害が告発されて以降、大きな高まりを見せた#MeToo運動。その文脈の中では、少女を強姦してアメリカ国外へ逃亡したポランスキーの、“巨匠”としての地位も、揺るがざるを得ない。 ポランスキーに性的虐待を加えられたと告発する者は、他にもいる。アカデミー賞受賞後、彼のアメリカ入国を認めさせようという機運が一時高まったが、もはや取り沙汰されることはない。 そして現在、イスラエルが、ガザ地区で戦争を続けている。 ナチスに母を、カルト集団に妻子を奪われた“被害者"である一方、レイプで女性の人生を狂わせた“加害者”であるポランスキー。 ナチスのジェノサイドの犠牲者であるユダヤ民族が作った国家イスラエルは、国際的な批判の高まりを無視して、パレスチナの民への攻撃を行っている。『戦場のピアニスト』は、製作から20年以上経った今観ても、衝撃的且つ感動的な作品である。ポランスキーが意図した通り、「ナチス=悪/ユダヤ=善」という単純な図式を回避したからこその素晴らしさがある。 しかしながら、2024年の今日。そんな作品だからこそ、複雑な気持ちを抱きながら観ざるを得なくなってしまったのも、紛れもない事実である。■ 『戦場のピアニスト』© 2002 / STUDIOCANAL - Heritage Films - Studio Babelsberg - Runteam Ltd
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COLUMN/コラム2023.06.21
デップとディカプリオ、美しき兄弟“黄金の瞬間”を名匠ハルストレムが紡ぐ『ギルバート・グレイプ』
スウェーデン出身のラッセ・ハルストレム(1946年~ )は、70年代中盤に監督デビュー。ワールドワイドな人気を博した、自国の音楽グループABBAのコンサートを追ったセミドキュメンタリー『アバ/ザ・ムービー』(77)でヒットを飛ばしたが、より大きな注目を集めたのは、1985年製作の『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』だった。 1950年代後半を舞台に、母の結核が悪化したために田舎の親戚に預けられた、12歳の少年の1年を描く。主人公を悲劇的な境遇に置きながらも、その成長をユーモラスにスケッチしたこの作品の人気は、自国に止まらなかった。 当時「アメリカで最もヒットした外国語映画」となり、ゴールデングローブ賞の最優秀外国語映画賞を受賞。またアカデミー賞でも、監督賞と脚本賞にノミネートされ、ハルストレムがハリウッドに招かれるきっかけとなった。 アメリカでの第1作『ワンス・アラウンド』(90/日本未公開)を経て、ハルストレムが取り組んだのが。本作『ギルバート・グレイプ』(93)である。 ハルストレムがプロデューサーに、「やっと見つけたよ」と伝えたという、この物語。「悲劇と喜劇がうまくミックスされていて楽しいけれど、どこか悲しい」まさに彼の求めていたものだった。 ピーター・ヘッジスによる原作小説が書店に並んで数日後に、ハルストレムは「映画化」のオファーを行った。そしてそれまで戯曲を中心に書いてきたヘッジスに、本作に関して、「絶対に脚本も書くべきだ」と勧めたのだという。原作の「…楽しいけれど、どこか悲しい」感じを、大切にしたかったのだろう。 ***** アイオワ州エンドーラ。人口1,000人ほどのスモールタウンに、24歳のギルバート・グレイプは暮らしていた。 大型スーパー進出の影響で客が来なくなった食料品店に勤務する彼の家族は、母と妹2人、そして末弟のアーニー。母は17年前に夫が自殺して以来引きこもりとなり、気付くと体重が250㌔を超え、この7年間は一歩も外出していない。 知的障害を抱えたアーニーは、生まれた時に10歳まで生きないと言われたが、間もなく18歳となる。時々町の給水塔に上っては、警察から注意されるのが、家族にとっては悩みの種となっていた。 エンドーラはシーズンになると、トレーラーを駆る多くの旅行者が通り掛かる。そのほとんどが素通りしていく中で、車が故障したために足止めを喰らったのが、祖母と旅をしているベッキーだった。 街の保険会社の社長夫人と不倫の仲だったギルバートだが、アーニーに対して偏見なく接するベッキーに、出会った時から心惹かれる。しかし車が直れば、彼女は居なくなってしまう…。 問題だらけの家族を棄てて、旅立つことなど決してできない。自分は「どこへも行けない」と思うギルバート。 そんな日々の苛立ちが爆発し、ある時アーニーの無邪気なふるまいに、つい手を上げてしまう。そのショックで家を飛び出したギルバートは、エンドーラから出て行こうとするのだが…。 ***** 典型的なアメリカのスモールタウンであるエンドーラは、架空の街。撮影はテキサス州のオースティンで、3ヶ月に渡って行われた。 主演のギルバート役に決まったのは、ジョニー・デップ。1990年に『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年の『シザーハンズ』で大ヒットを飛ばして、スターの仲間入り。『アリゾナ・ドリーム』『妹の恋人』に続く主演作として本作を選んだのは、ハルストレムの監督作ということが、大きかった。 デップはフロリダの南東にある、小さな町ミラマーで育った。デップの両親は、幼い頃に離婚。彼は憔悴する母親を気遣って、父親から送られてくる小切手を、受け取りに行っていた。 そんな彼にとって、母親と知的障害の弟の面倒を見るギルバートは、自分に近く、役作りは楽だったという。 デップはギルバート役について、こんな風に解釈していた。環境のせいで夢見ることをあきらめてきたが、心の奥に何かを秘めている。何もかも投げ捨てて、そこから逃れ、新しい人生を始めたいという強い思いを持ちながらも、いつの日からか自分を殺すようになっていった。その歪みによって、ある時に愛と献身は怒りと罪悪感に変わって、遂には自分自身を見失ってしまう…。 ギルバートと重なる部分が多かったことが、撮影中逆にデップを苦しめることになる。当時彼が抱えていた、私的な問題と相まって…。 ギルバートと恋に落ちるベッキー役には、ジュリエット・ルイス。ハルストレムは、マーティン・スコセッシ監督の『ケープ・フィアー』(91)で彼女を観た時から、いつか仕事をしたいと考えていた。そしてルイスも、「監督がラッセ・ハルストレムなら…」と、オファーを快諾した。 アーニー役に選ばれたのは、レオナルド・ディカプリオ。14歳から子役の活動を始めたディカプリオは、本作に先立つ『ボーイズ・ライフ』(93)に、ロバート・デ・ニーロ直々の指名を受けて出演。その演技が高く評価された。 ハルストレムはアーニー役に関しては、「実はあまりルックスがいいとは言えない役者を探していたんだ」と語っている。ところがオーディションに集まった役者の中で、ピンと来たのが、ディカプリオだった。 ディカプリオはそのオーディションで、「一週間で役作りする」と宣言。アーニーと同じようなハンディキャップを持った人々と数日間一緒に過ごし、彼らの雰囲気を摑んだ。更に本を読んだり、ビデオを撮って仕種などを研究した。その上で、自分の想像をミックス。顔の表情を作るため、口に特製のマウスピースを入れて、アーニー役を作り上げた。 ハルストレムはそもそも、「俳優の創造力を助けるのが監督の仕事」という考え方の持ち主。ディカプリオのやることをいちいち気に入って、自由にやらせたという。 ハルストレム言うところの「知的な天才」ディカプリオは、カメラが回ってない時でも、アーニー役が抜けず、木に上ったり水をかけたりして、スタッフを困らせた。あまりにハイになり過ぎて、ハルストレムに嘔吐物をかけてしまったこともあったという。 そんな彼と兄役のデップの関係は、ディカプリオ曰く「…優しくて、僕のことをいつも笑わせてくれた」。実年齢では11歳上のデップと、本当の兄弟のような関係が築けたという。 劇中でアーニーは、嫌なことがあると、顔をクシャとさせる。その表情が気に入ったデップは、ギャラを払っては、ディカプリオに腐った卵やソーセージの酢漬け、朽ちた蜂の巣などの匂いを嗅がせては、その演技をさせるという遊びを行った。ギャラの合計は、500ドルほどに達したという。 因みに撮影中は、共演者とはあまりフレンドシップを結んだりはしないというジュリエット・ルイスだったが、彼女は『ケープ・フィアー』で、ディカプリオは『ボーイズ・ライフ』で、それぞれロバート・デ・ニーロの洗礼を浴びた同士。ディカプリオには、「あんたは私の男版よ」と、親しみを示したという。 奇しくもジュリエット・ルイスが、『ケープ・フィアー』でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされてブレイクを果したのと同様、ディカプリオは本作でオスカーの助演男優賞候補となり、大注目の存在となっていく。 ディカプリオが本作の中で、「特別に好き」というのが、母役のダーレン・ケイツとのシーン。主演のデップも、ケイツの演技と人柄には、深く感動を覚えたという。 実際に250㌔を超える身体の持ち主であるケイツは、本作が初めての演技だった。92年に出演したTVのトーク番組で、“肥満を苦にしての外出恐怖症”で5年間家から出なかった経験を語ったのを、原作&脚本のピーター・ヘッジスに見出されての抜擢だった。 彼女が出演をOKしたのは、肥満の人々がどれだけの偏見や残酷な眼差しにさらされているかを、伝えたいという考えから。「この映画で人々がより寛大になってくれれば嬉しい」と語る彼女の勇気に、デップは感銘を受けたのだった。 さてそんなデップは、義歯を入れて、長髪をさえない赤に染めて、ギルバート役に挑んだ。先に記した通り、「まともじゃない家族とその面倒を見るギルバート」のジレンマに痛いほど共感できたのが一因となって、撮影中は鬱状態。眠らず食事を摂らず、ひらすら酒を飲み煙草を吸い続けていた。またこの頃は、ドラッグに最もハマっていた時期だったという。 デップの問題は、役への共感だけではなかった。長く恋愛関係にあった女優のウィノナ・ライダーとの仲が、ちょうど暗礁に乗り上げた頃だった。 そんなこんながあって、デップ個人にとっては、「…無意識のうちに自分を追い込んでいたのかもしれない…」本作の撮影現場は、決して楽しいものではなかった。作品が完成して公開されても、その後ずっと本作を観ることができなかったほどに。 そんな中でもハルストレムは、デップの心の拠りどころになった。デップはスウェーデン語を教えてくれと、せがんだという。 ハルストレムもデップに対しては、絶対的な信頼感を示した。「目で演技する若者で、その演技たるやとても繊細だから私が口を出す必要は全然ない」と考えて。 そうは言っても、やっぱり監督は監督である。ハルストレムは、ロケ地から役者の演技まで、確固たるイメージを持っていたため、何度もリテイクを重ねることもあった。「50テイク撮っても、使えるのはせいぜい2、3テイク目までだよ」と、デップが愚痴をこぼしたこともある。 そんな2人だったが、7年後に『ショコラ』(2000)で再び組んでいる。デップにとっては意外なオファーだったというが、ハルストレムにとってデップは、やはり得難い俳優だったということだろう。 ハルストレムは言う。「監督業の醍醐味は、カメラの前で何かを作り出すその瞬間生まれると思う。予想もしていなかったことがパッと起こり、真実に近いものができる。その黄金の瞬間がつぎつぎに生まれてくるのを見るとき、監督になって本当に良かった、と思う…」『ギルバート・グレイプ』は、まさにそんな瞬間が結実した作品である。若き日のデップやディカプリオの“美しさ”も楽しみながら、皆様もその目で確かめていただきたい。■ 『ギルバート・グレイプ』© 1993 DORSET SQUARE FILM PRODUCTION AND DISTRIBUTION KFT / TM & Copyright © MCMXCIII by PARAMOUNT PICTURES CORPORATION All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2024.04.30
鬼才クライヴ・バーカーが生んだカルトホラー映画の傑作『ヘルレイザー』シリーズの魅力を紐解く!
そもそも『ヘルレイザー』シリーズとは? 謎のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を解くと地獄へ通じる門が開き、セノバイト(魔道士)と呼ばれる世にも恐ろしい魔界の使者たちが出現、好奇心で彼らを召喚した人間は地獄へと引きずり込まれ、肉体的な快楽と苦痛を極限まで追究するための実験台にされてしまう。そんな一種独特の都市伝説的な怪奇幻想の世界を描き、以降も数々の続編やリブート版が作られるほどの人気シリーズとなったのが、あのスティーブン・キングとも並び称されるイギリスのホラー小説家にして舞台演出家、劇作家、イラストレーターにコミック・アーティスト、ビジュアル・アーティストなど、マルチな肩書を持つ鬼才クライヴ・バーカーが監督したホラー映画『ヘル・レイザー』(’87)である。 原作は’86年に出版されたダーク・ハーヴェスト社のホラー・アンソロジー「Night Visions」第3集にバーカーが寄稿した小説「ヘルバウンド・ハート」(’88年に単独でペーパーバック化)。『13日の金曜日』(’80)の大ヒットに端を発する空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代、その牽引役となったのは殺人鬼がティーン男女を血祭りに挙げるスラッシャー映画と生ける屍が人間を食い殺すゾンビ映画だが、しかし’80年代半ばにもなるとどちらも供給過多で飽和状態に陥ってしまう。そのタイミングで登場したのが本作だった。 古典的なゴシックホラーとアングラなパンク&ニューウェーヴを融合したエッジーな世界観、ボディピアシングやボディサスペンションなどのSM的なフェティシズムを取り込んだ過激なスプラッター描写。当時量産されていたスラッシャー映画やゾンビ映画と一線を画す独創性こそが成功の秘訣だったように思う。中でも、身体改造とボンデージの魅力を兼ね備えたセノバイトたちの変態チックなキャラ造形(バーカー自身がデザイン)はインパクト強烈。そのリーダー格であるピンヘッドはシリーズの実質的な看板スターとして、『エルム街の悪夢』シリーズのフレディや『13日の金曜日』シリーズのジェイソン、『悪魔のいけにえ』シリーズのレザーフェイスなどと並ぶホラー・アイコンとなった。 今のところ合計で11本を数える『ヘル・レイザー』シリーズだが、5月のザ・シネマでは初期の1作目~4作目までを一挙放送。そこで、今回は該当する4作品を中心にシリーズの見どころを振り返ってみたい。 『ヘル・レイザー』(1987) 物語の始まりは北アフリカのモロッコ。快楽主義者のフランク・コットン(ショーン・チャップマン)は、究極の快楽世界への扉を開くと言われる伝説のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れ、実家へ持ち帰ってパズルを解いたところ、地獄から現れたセノバイト(魔導士)たちによって八つ裂きにされる。彼らにとって究極の快楽とは究極の苦痛でもあるのだ。 それから数年後、フランクの兄ラリー(アンドリュー・ロビンソン)が妻ジュリア(クレア・ヒギンズ)を連れて実家へ戻って来る。屋根裏部屋には消息を絶ったフランクの私物がそのままになっていた。漂うフランクの残り香に身悶えるジュリア。実は彼女とフランクはかつて不倫の関係にあり、ジュリアは今もなお彼の肉体を忘れられないでいたのだ。すると引っ越し作業中にラリーが手を汚してしまい、屋根裏部屋の床に零れた血液からフランクが復活してしまう。ジュリアの目の前に現れたのは、まだ完全体ではない「再生途中」のフランク。元の姿へ戻るためには生贄が必要だ。そう言われたジュリアは、ラリーの留守中に行きずりの男性を家へ連れ込んでは殺害し、フランクは犠牲者たちの精気を吸収していく。 一方、ラリーと前妻の娘カースティ(アシュレイ・ローレンス)はジュリアの怪しげな行動に気付き、屋根裏部屋で何が行われているのか確認しようとしたところ、世にも醜悪な姿の叔父フランクと遭遇。驚いた彼女はパズルボックスを奪って逃げるも途中で気を失ってしまう。病院で意識を取り戻したカースティは、好奇心に駆られてパズルボックスを解いたところ、ピンヘッド(ダグ・ブラッドレイ)をリーダーとするセノバイトたちが地獄より出現。フランクが地獄から逃げたことを知ったピンヘッドは、カースティを使って彼を再び地獄へ引き戻そうとするのだが…? これが長編劇映画デビューだったクライヴ・バーカー監督。それまで2本の短編映画を撮った経験しかなかったバーカーだが、しかし脚本に携わった自著の映画化『アンダーワールド』(’85)や『ロウヘッド・レックス』(’86)の出来栄えに不満足だったことから、自分自身の手で演出まで手掛けることにしたというわけだ。もともとヴァージン・レコード傘下のヴァージン・フィルムが出資を検討したが最終的に手を引き、アメリカのB級映画専門会社ニューワールド・ピクチャーズが全額出資することに。ラリー役に『ダーティハリー』(’71)の殺人鬼スコルピオ役で有名なアンディ・ロビンソン、その娘カースティ役に新人アシュレイ・ローレンスと、メインキャストにアメリカ人が起用されたのはアメリカ資本が入っているため。さらにアメリカ市場で売りやすくするべく、ニューワールド幹部の指示で一部イギリス人キャストのセリフをアメリカ人俳優が吹き替え、舞台設定もイギリスなのかアメリカなのかをあえて曖昧(撮影地はロンドン)にしている。 飽くなき欲望に取り憑かれた男女による、世にも残酷で醜悪なラブストーリー。見ているだけで痛そうな生々しい残酷シーンの不快感も然ることながら、この人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられるような後味の悪さは、いわゆるハリウッド製ホラーと一線を画す英国ホラーらしい点であろう。そう、実のところ本作におけるメイン・ヴィランはジュリアとフランクであり、あくまでもピンヘッドやセノバイトたちは彼らに審判を下す存在、いわば「地獄の判事」とも呼ぶべきサブキャラに過ぎなかったりする。そもそも、この1作目ではまだ「ピンヘッド」という呼称すら使われていない。どうやら、少なくとも本作の製作時においては、バーカー監督も製作陣もピンヘッドがフレディやジェイソンに匹敵するほどの人気キャラになるとは想像もしていなかったようだ。 そのピンヘッド役を演じたのが、バーカー監督の高校時代の後輩で演劇部の仲間、彼が主催した前衛劇団「ザ・ドッグ・カンパニー」にも参加した盟友ダグ・ブラッドレー。頭部全体に待ち針を刺した異様な見た目のインパクトも然ることながら、舞台俳優ならではの発声法を活かした独特の喋り方やクールで知的な立ち振る舞いなど、その他大勢のホラーモンスターと一線を画すピンヘッドのカッコ良さは、間違いなくブラッドレーの役作りと芝居に負う部分が大きい。恐らく、演者が彼でなければピンヘッドもこれほどの人気キャラにはなっていなかったろう。当初、バーカー監督からピンヘッド役か引っ越し業者役のどちらかを選んでいいと言われたというブラッドレー。これが映画初出演だった彼は、「素顔のはっきりと分かる役柄の方が、あの映画のあの役をやっていたと証明しやすいため、自分のキャリアにとってプラスになるのではないか」と考え、一度は引っ越し業者役を選ぼうとしたらしい。いやあ、最終的に考え直してくれて良かった! 『ヘルレイザー2』(’88) 前作の予想を上回るスマッシュヒットを受け、矢継ぎ早に作られたシリーズ第2弾。日本語タイトルはこれ以降「・(ナカポツ)」が消えて「ヘルレイザー」となる。そもそもアメリカ側の出資元ニューワールド・ピクチャーズは1作目の仕上がりに大変満足したそうで、実は劇場公開前のタイミングで既に続編のゴーサインが出ていたらしい。ただし、当時のクライヴ・バーカーはちょうど『ミディアン』の製作に取り掛かったばかりで手が離せず、その代役として白羽の矢が立てられたマイケル・マクダウェルも健康問題などで降板せざるを得なくなったため、1作目の編集にノークレジットで参加した元ニューワールド・ピクチャーズ重役のトニー・ランデルが監督に抜擢される。また、脚本はバーカーと劇団時代からの友人であるピーター・アトキンスが担当。当時、売れないバンドのリードボーカリストだったアトキンスは、さすがに30代にもなって芽が出ないのは厳しいだろうと音楽のキャリアに見切りをつけ、これを機に映画脚本家へ転向することとなった。 時は1920年代。パズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れた英国軍人エリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)は、箱のパズルを解いたばかりに地獄へと引きずり込まれ、セノバイト(魔道士)のリーダー、ピンヘッドとなる。 そして現在。地獄から甦った叔父フランクと継母ジュリアに最愛の父ラリーを殺されたカースティ(アシュレイ・ローレンス)は、邪悪なフランクとジュリアに復讐を果たしたものの、しかしトラウマを抱えて精神病院へ収容されていた。担当医のチャナード医師(ケネス・クラナム)と助手カイル(ウィリアム・ホープ)に事の次第を説明し、恐るべきパズルボックスやセノバイトの存在に警鐘を鳴らすカースティ。いくら説明しても信じてもらえないことに苛立つ彼女は、せめてジュリアが死んだベッドのマットレスだけは処分して欲しいと訴える。死に場所の屋根裏部屋で甦った叔父フランクのように、ジュリアもそこから復活する可能性があるからだ。 ところが、実はこのチャナード医師、長いこと「ルマルシャンの箱」を研究してきた危険人物だった。カースティの話にヒントを得た彼は、問題のマットレスを病院のオフィスへ持ち込み、そこへ患者の血を垂らしたところ地獄からジュリア(クレア・ヒギンズ)が復活。たまたまその様子を目撃したカイルは、カースティの話が本当だったことに気付いて彼女を病室から逃がす。父親ラリーが地獄に囚われていると信じ、なんとかして救い出す方法を考えるカースティ。一方、ジュリアの復活に手を貸したチャナード医師は、パズルの才能がある精神病患者の少女ティファニー(イモジェン・ブアマン)を使って「ルマルシャンの箱」を解き、長年の夢だった地獄へと足を踏み入れる。その後を追って地獄入りし、父親を探し求めるカースティ。そこは、聖書に出てくる魔物リバイアサンが支配する迷宮のような異世界だった…! ということで、地獄から甦った魔性の女ジュリアが、魔物リバイアサンの手先として大暴れするという完全に「ジュリア推し」のシリーズ第2弾。実際、ストーリー原案と製作総指揮に関わったクライヴ・バーカーは、悪女ジュリアをシリーズの顔にするつもりだったらしい。ところが、そんな思惑とは裏腹にファンが熱狂したのはピンヘッドとセノバイト軍団。そのうえ、ジュリア役のクレア・ヒギンズが3作目への出演オファーを断ったため、ピンヘッドを看板に据えたシリーズの方向性が固まったのである。 そのピンヘッドやセノバイトたちが、実はもともと人間だったことが明かされる本作。1作目の段階では「裏設定」としてスタッフやキャストに共有されていたそうだが、今回はきっちりとストーリーに組み込まれている。そのうえで本作は、地獄とはいったいどのような空間でどういう仕組みになっているのか、どうやって人間がセノバイトへと生まれ変わるのかなど、シリーズの背景となるベーシックな世界観を掘り下げていく。そのぶん、前作で見られた背徳的かつ変態的なアングラ感はだいぶ薄れたようにも感じる。恐らく、そこは評価の分かれ目かもしれない。 『ヘルレイザー3』(‘92) 前作『ヘルレイザー2』を上回る大ヒットを記録し、いわばシリーズの人気を決定づけた第3弾。しかしその一方で、ファンの間では激しく賛否の分かれる作品でもある。恐らくその最大の理由は、初めて舞台設定をアメリカのニューヨークと明確にし、実際にイギリスではなくアメリカ(ロケ地はノース・カロライナとロサンゼルス)で撮影を行ったことで、映画全体がすっかりアメリカンな雰囲気になったことであろう。しかも監督はアンソニー・ヒコックスである。前2作と著しく毛色の違う映画になったのも無理はない。 『電撃脱走 地獄のターゲット』(’72)や『ブラニガン』(’75)で知られる娯楽職人ダグラス・ヒコックス監督と、『アラビアのロレンス』(’62)でアカデミー賞に輝く伝説的な映画編集技師アン・V・コーツを両親に持つ映画界のサラブレッド、アンソニー・ヒコックス。少年時代よりハマー・ホラーを熱愛する根っからのホラー映画マニアで、そのオタクっぷりを遺憾なく発揮した『ワックス・ワーク』(’88)シリーズや『サンダウン』(’91)は筆者も大好きなのだが、しかしスタジオシステムが健在だった時代の古き良きクラシック映画の伝統を踏襲した彼の王道的な作風は、パンク&ニューウェーヴの時代の申し子であるクライヴ・バーカーのエクスペリメンタルでアナーキーな感性とは対極にあると言えよう。どちらも同じイギリス人とはいえ、持ち味はまるで違うのだ。しかもヒコックス監督によると、本作のオファーを受けた際にプロデューサーのローレンス・モートーフから、「カルト映画的なイメージを捨てたい、思いっきりメインストリーム映画にして欲しい」と指示されたという。その結果、前2作とは一線を画す極めてハリウッド的なB級ホラー映画に仕上がったのだ。 プレイボーイの若き実業家J・P・モンロー(ケヴィン・バーンハルト)は、ふと立ち寄った画廊で奇妙な彫刻の施された柱に魅了されて衝動買いし、自身が経営する流行りのナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のプライベートスペースに飾る。だがそれは、前作のラストでピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)とパズルボックスを封印した魔界の柱だった。それからほどなくして、テレビの新米レポーター、ジョーイ(テリー・ファレル)は病院の緊急救命室を取材していたところ、怪我で担ぎ込まれた若者が怪現象によって惨死する現場を目撃してしまう。付き添いの女性テリー(ポーラ・マーシャル)によると、ナイトクラブ「ボイラー・ルーム」にある奇妙な柱から出現したパズルボックスが事件に関係しているらしい。そのテリーと一緒に奇妙な柱の出所を調べ始めたジョーイは、やがて一本のビデオテープを発見する。そこに映されていたのは、パズルボックスとセノバイトの危険性を訴える女性カースティ(アシュレイ・ローレンス)の姿だった。 その頃、いつものようにクラブの女性客と適当にセックスを楽しんで追い返そうとしたモンロー。すると、柱から飛び出した鎖が女性客を惨殺し、封印されていたピンヘッドが覚醒する。外の世界へ出るためには更なる生贄が必要だ。そこで、モンローは強大な権力と引き換えに、ピンヘッドのため生贄を捧げることを約束する。一方、徐々にパズルボックスの謎を解き明かして来たジョーイの夢の中に、ピンヘッドの前世であるエリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)が出現。実は前作でチャナード医師に倒されたピンヘッドは、その際に善(=スペンサー大尉)と悪(=ピンヘッド)が完全に分離していたのだ。自らがセノバイト(魔道士)となるまでの複雑な過去を明かしたスペンサー大尉は、今や純然たる悪と化したピンヘッドの暴走を阻止すべく力を貸して欲しいとジョーイに告げる…。 冒頭の手術室で看護師が器具を並べるシーンはデヴィッド・クローネンバーグの『戦慄の絆』(’88)、怪我をした若者が病院へ担ぎ込まれるシーンはエイドリアン・ラインの『ジェイコブス・ラダー』(’90)、ジョーイが自宅の窓ガラスを通り抜けて異世界へ迷い込むシーンはジャン・コクトーの『詩人の血』(’30)に『オルフェ』(‘50)といった具合に、全編に渡って大好きな映画へのオマージュが散りばめられているのはヒコックス監督らしいところ。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』(’77)へのオマージュの元ネタが、よりによってジェシカ・ハーパーがウド・キアーを訪ねるシーンなのは、さすがにマニアック過ぎてニヤリとさせられる。さらに、ナイトクラブでの虐殺シーンをはじめとして、過激なスプラッター描写は前2作以上にてんこ盛り。CDJセノバイトにカメラマン・セノバイトなど、ややコミカル寄りな新キャラの造形は少々悪乗りし過ぎという気もするが、それもまたヒコックス監督一流の「サービス精神」の為せる業と言えよう。間違いなく、シリーズ中で最もエンタメ性の高い作品だ。 ちなみに、製作会社との意見の相違からメイン撮影に一切ノータッチだったクライヴ・バーカーだが、しかしプロモーション戦略の上で原作者のお墨付きが欲しいプロデューサー陣に懇願され、製作総指揮として追加撮影およびポスプロの段階から関わったらしい。一方、前作に続いて脚本を書いたバーカーの盟友アトキンスはヒコックス監督とすっかり意気投合し、俳優としてもナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のバーテン役&有刺鉄線セノバイト役で出演。また、これ以降『ヘルレイザー』シリーズの製作は、ミラマックス傘下のディメンション・フィルムズが担当することになる。 『ヘルレイザー4』(’96) 監督を手掛けた大物特殊メイクマン、ケヴィン・イェーガーが編集を巡る争いで降板したことから、『THE WIRE/ザ・ワイヤー』や『FRINGE/フリンジ』などのテレビシリーズで知られるジョー・チャペルが追加撮影を行い、最終的にアラン・スミシー名義で公開されたという曰く付きのシリーズ第4弾である。 映画はいきなり2127年の近未来から始まる。自らが設計した宇宙ステーション「ミノス」を占拠した科学者ポール・マーチャント博士(ブルース・ラムゼイ)は、ロボットアームで慎重にパズルボックスを解いてピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)を召喚する。それにはある目的があったのだが、しかしそこへ武装した特殊部隊が突入。身柄を拘束されたマーチャント博士は、パズルボックス「ルマルシャンの箱」と自身の家系の忌まわしい歴史について語り始める。 時は遡って1796年のフランスはパリ。マーチャント博士の先祖に当たる玩具職人フィリップ・ルマルシャン(ブルース・ラムゼイ)は、快楽主義者の不良貴族デ・リール公爵(ミッキー・コットレル)の依頼でパズルボックス「ルマルシャンの箱」を製作する。ところが、邪悪なデ・リール公爵は道で拾った貧しい女性アンジェリーク(ヴァレンティナ・ヴァルガス)を生贄にし、「ルマルシャンの箱」を介して地獄の門を開こうとしていた。その様子をたまたま目撃したフィリップは深く後悔し、逆に地獄の門を封じるためのパズルボックスを新たに作ろうとするものの失敗。そのためルマルシャン家は末代まで呪われることとなる。 再び時は移って1996年、アメリカへ移住したルマルシャン家の子孫ジョン・マーチャント(ブルース・ラムゼイ)は建築デザイナーとして大成し、ニューヨークのマンハッタンに「ルマルシャンの箱」をモチーフにした超高層ビルを建てる。彼は秘かに全ての地獄の門を閉じるためのパズルボックスを研究開発していたのだが、そんな彼の前にセノバイトと化したアンジェリークが現れ、召喚したピンヘッドと共にジョンを亡き者にしようと画策。しかし、お互いに信念の相違からピンヘッドとアンジェリークは敵対していく…。 過去・現在・未来と3つの時間軸を跨いで、パズルボックス「ルマルシャンの箱」を作った一族の数奇な運命を描いた大河ドラマ的なエピックストーリー。クラシカルなコスチュームプレイやスペース・オペラ的なサイエンス・フィクションの要素を兼ね備えたプロットは実に贅沢だが、しかしその割にコンパクトでチープな仕上がりなのは、脚本はおろか粗筋すら読まずにゴーサインを出したミラマックス幹部が、後からスケールの大きさに気付いて予算を出し惜しみしたせいだと言われている。 それでもなお、パズルボックスのルーツが解き明かされる中世編はロマンティックな怪奇幻想の香りが漂って秀逸だし、前作のクライマックスで登場した高層ビルの正体が判明する現代編も面白い。恐らく、宇宙ステーションを舞台にした近未来編は、もっとスケールの大きな話になるはずだったのだろう。そう考えると、予算との兼ね合いでクライヴ・バーカーの初期構想を破棄せねばならなかったことが惜しまれる。 その後の『ヘルレイザー』シリーズ 興行成績はまずまずの結果を残したものの、しかし批評的には大惨敗だった『ヘルレイザー4』。これを最後に生みの親クライヴ・バーカーも手を引いてしまうのだが、しかし製作会社ディメンション・フィルムズにとって『ヘルレイザー』シリーズは依然として金の生る木だったため、これ以降もビデオスルー作品として順調に継続していくこととなる。最後にその変遷をザッと辿ってみよう。 21世紀を迎えて早々に作られた『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』(’00)は、連続殺人事件を追う汚職警官の心の闇にピンヘッドが付けこむネオノワール風ホラー。これがまるで、『ジェイコブス・ラダー』×『ロスト・ハイウェイ』と呼ぶべきシュール&ダークな仕上がりで、間違いなくシリーズ屈指の傑作となった。監督は『フッテージ』(‘12)や『ブラック・フォン』(’22)などの小品ホラーで高く評価され、マーベルの『ドクター・ストレンジ』(’16)も手掛けたスコット・デリクソン。これがデビュー作だったが、当時からその才能は抜きん出ていた。 続く『ヘルレイザー/リターン・オブ・ナイトメア』(’02)ではアシュレイ・ローレンス演じるカースティが久々に復活。’02年にルーマニアで同時撮影された『ヘルレイザー/ワールド・オブ・ペイン』(’05)と『ヘルレイザー/ヘルワールド』(’05)は、前者ではルマルシャン家の子孫の率いるカルト集団がセノバイトを支配しようとし、後者ではゲーム版『ヘルレイザー』に熱中する若者たちが次々とピンヘッドに殺されていくメタ設定を採用するなど、どちらも創意工夫を凝らしているものの、残念ながら成功しているとは言えなかった。ちなみに、『ヘルレイザー/ヘルワールド』には無名時代のキャサリン・ウィニックと、撮影当時まだ19歳の初々しいヘンリー・カヴィルが出ている。 その後、6年ぶりに『ヘルレイザー:レベレーション』(’11)が登場するのだが、しかしこれがなんとも酷かった!いよいよダグ・ブラッドレーがピンヘッド役を降板し、新たにステファン・スミス・コリンズという俳優を起用、特殊メイクのデザインも一新されたのだが、残念ながらダグ・ブラッドレー版ピンヘッドのオーラもカリスマ性も皆無。そのうえ、メキシコへヤンチャしに行った不良坊ちゃんコンビがうっかりピンヘッドを召喚してしまうというストーリーもダメダメで、明らかにシリーズ最低の出来栄え。続く『ヘルレイザー:ジャッジメント』(’18)は、『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』に倣ったネオノワール・スタイルの犯罪サスペンス・ホラーで、『バートン・フィンク』や『セブン』を彷彿とさせる作風は悪くなかったが、いかんせん安っぽすぎた。 そして、満を持して発表された1作目のリブート版…というよりも原作「ヘルバウンド・ハート」の再映画化が、ディメンション・フィルムズから新たに20世紀スタジオへ権利が移って制作された『ヘル・レイザー』(’22)。といっても、ストーリーは原作とも1作目とも大きく違っている。ピンヘッドも男性から女性へ。セノバイトたちのデザインも刷新された。どうしても「誰か」に「何か」に依存してしまうリハビリ中の薬物中毒患者と、あらゆる悪徳と快楽に溺れてもなお満足できない大富豪を主人公に、人間の弱さと強さ、善と悪、理性と欲望の葛藤を描くストーリーは、『ダークナイト』三部作のデヴィッド・S・ゴイヤーも脚本原案に携わっているだけあって良質な仕上がり。同じデヴィッド・ブルックナー監督で続編も企画されているそうなので、期待して待ちたい。■ 『ヘル・レイザー』『ヘルレイザー2』『ヘルレイザー3』© 2019 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.『ヘルレイザー4』© 2021 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2020.07.28
セックスと残酷描写満載で南部の醜い現実を叩きつけようとした“呪われた映画”
今回は『マンディンゴ』(75年)という凄まじい映画を紹介します。マンディンゴとは、南北戦争前のアメリカ南部で、白人たちが最高の黒人奴隷としていた種族というか“血統”です。 これはアメリカ映画史上最も強烈に奴隷制度を描いた映画です。公開当時には大ヒットしたんですが、映画評論家やマスコミから徹底的に叩かれ、DVDも長い間、発売されませんでした。それほど呪われた映画です。 映画は南部ルイジアナ州の“人間牧場”が舞台です。アメリカはずっと黒人奴隷を外国から輸入してたんですが、それが禁止されてから、奴隷をアメリカ国内で取引・売買するようになりました。そこでマクスウェル家の当主ウォーレン(ジェームズ・メイソン) は、黒人奴隷たちを交配して繁殖させ、出来た子供を売ることで莫大な利益を得ています。 また、奴隷の持ち主たちは黒人女性を愛人にしていましたが、彼らの奥さんには隠してませんでした。しかも、 奴隷との間に生まれた子も平気で奴隷 として売っていたんです。 なぜなら、南部の白人たちは、黒人制度を正当化するために“黒人には魂 がない”と信じていました。そうしないと、「すべての人は平等である」と書かれた聖書に反してしまうからです。南部の人は黒人を人間と思っていなかったので、普通の医者ではなく獣医にみせていました。 しかしマックスウェル家の息子ハモンド(ペリー・キング)はそれが間違っていることに気づいていきます。きっかけは 奴隷の黒人女性エレン(ブレンダ・サイクス)を愛したこと。それに、マ ンディンゴの若者、ミード(ケン・ノートン)と友情を結んだからなんです。しかし、白人の妻(スーザン・ジョージ) がミードの子を妊娠して......。 原作はベストセラーでした。でもハリウッドではだれも映画化しようとせず、イタリアの大プロデューサー、デ ィノ・デ・ラウレンティスが製作しま した。彼は製作するときに“仮想敵” を掲げていました。『風と共に去りぬ』(39年)です。南部の奴隷農園をロマンチックに美化した名作映画に、醜い現実を叩きつけようとしたのです。 この番組では巨匠たちの“黒歴史” 映画を積極的に紹介してるんですが、本作もその1本。監督はリチャード・ フライシャー。『海底二万哩』(54年)、『ドリトル先生不思議な旅』(67年)、『トラ・トラ・トラ!』(70年) などを作ってきた天才職人です。彼は、「今までの南部映画はヌルすぎる。俺はこの映画で真実を全部ぶちまける」と考え、セックスと残酷描写満載の『マンディンゴ』を撮り、世界中で大当たりしました。 でも、「アメリカの恥部をさらした」 と言われ、『マンディンゴ』は長い間、「なかったこと」にされてきましたが、 90年代、あのクエンティン・タラン ティーノが「『マンディンゴ』は傑作 だ!」と言ったことでDVDが発売され、再評価されました。 そしてタランティーノが『マンディンゴ』へのオマージュとして撮ったのが『ジャンゴ繋がれざる者』です。 というわけで南部の真実を描きすぎて呪われた傑作『マンディンゴ』、御覧ください! (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作の『マンディンゴ』(1957年/河出書房)は、本国で450万部を超えるベストセラーで、1961年には舞台劇化もされている。農園から名前を取った原作の“ファルコンハースト”シリーズは全部で15作もある。●父ウォーレン役は最初チャールトン・ヘストンにオファーされたが断られ、英国人俳優ジェームズ・メイソンが演じた。彼は後年、「扶養手当を支払う ために映画に出ただけだ」とインタビューで語っている。●息子ハモンド役は、オファーされたボーとジェフのブリッジス兄弟、ティモシー・ボトムズ、ジャン・マイケル・ヴィンセントらに次々と断られ、ペリー・キングに。●シルヴェスター・スタローンがエキストラ出演している。●映画から15年後を描いた続編に『ドラム』(76年/監:スティーヴ・カーヴァー)がある。 (C) 1974 STUDIOCANAL
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COLUMN/コラム2024.06.12
デ・パルマ“ギャング映画3部作”の最終便!円熟の業が光る『カリートの道』
『キャリー』(1976)『殺しのドレス』(80)など、ホラーやサスペンス作品のヒットを放ち、70年代後半からそうしたジャンルの旗手のように謳われた、ブライアン・デ・パルマ監督。 “スプリット・スクリーン”“360度パン”“スローモーション”…。華麗な技巧を駆使する彼を指して、「映像の魔術師」などと称賛する、熱烈なファンが生まれた。それと同時に、「ヒッチコックのエピゴーネン(亜流/模倣)」とディスる向きも、決して少なくはなかった。 80年代以降、そんなデ・パルマの新たなキャリアを切り開いたと言えるのが、“ギャング映画3部作”である。 その第1弾は、『スカーフェイス』(83)。キューバ移民の青年トニー・モンタナが、コカインの密売でのし上がるも、やがて自滅していくまでの物語。アル・パチーノを主演に迎え、ヒット作となるも、批評家の評価は高くなかった。しかしやがてカルト作として、熱狂的に支持されるようになる。 第2弾は、『アンタッチャブル』(87)。禁酒法時代のシカゴを舞台に、暗黒街の帝王アル・カポネを摘発しようとする、エリオット・ネスら捜査官たちの戦いの日々を描いた。 デ・パルマは、『ボディ・ダブル』(84)『Wise Guys』(86/日本では劇場未公開)といった作品が不振だったため、キャリアのピンチを迎えていたが、『アンタッチャブル』が大ヒットとなり、“信用”を取り戻す。 しかしその“信用”も、続く『カジュアリティーズ』(89)『虚栄のかがり火』(90)両作の大コケで、雲散霧消。その後、ある意味先祖返りのようなサイコ・サスペンス『レイジング・ケイン』(92)で、まあまあの興行成績と評価を得たが…、というタイミングで手掛けたのが、本作『カリートの道』(93)。デ・パルマの“ギャング映画”第3弾だった。 ***** 時は1970年代中盤。かつては、プエルトリコ系ギャングの出世頭だった、カリート・ブリガンテ。麻薬の密売で30年の刑期を喰らったが、親友の弁護士クラインフェルドの尽力によって、僅か5年で釈放され、生まれ育ったニューヨークのスパニッシュ・ハーレムへと帰還する。 カリートはすぐ、麻薬取引に絡むいざこざに巻き込まれ、手を血で染めてしまう。しかし足を洗うという覚悟は、揺るがなかった。 カリートは、ディスコの経営に勤しみながら、やがてバハマのパラダイス・アイランドに渡って、レンタカー屋を営むことを夢見る。そんな時、5年前に別れた恋人ゲイルと再会。ブロードウェイのダンサーを目指していた彼女は、ストリッパーに身を落としていたが、2人は再び愛し合うようになる。 夢の実現に邁進するカリートの行く手に、暗雲が差し込む。かつての仲間が、検事の手先となってカリートをハメようとしたり、のし上がってきたチンピラが、彼に挑発的な態度を取ったり…。 そんな時、クラインフェルドがカリートに救いを求めてきた。マフィアのボスの脱獄を手伝ってくれというのだ。 躊躇するも、自分を獄から放ってくれた親友の頼みを、断れない。カリートは、ゲイルの制止も振り切って、クラインフェルドの手助けをすることを決めたのだが…。 ***** 本作の原作者は、エドウィン・トレス。ニューヨークはスパニッシュ・ハーレムで生まれ育った、プエルトリコ系アメリカ人だが、法曹界に進み、地方検事補、弁護士を経て、ニューヨーク州最高裁判事にまでなった。 トレスは、厳しい判決を下す裁判官として名を馳せながら、小説家としてもデビュー。自らの出身地を主な舞台に、実際に会った人物や自らの目で見たものを書いたのが、「カリートの道」「After Hours」という、本作の原作となった2作である。 若き主人公カリート・ブリガンテが、麻薬ビジネスに足を踏み込んでから、伝説の麻薬王になり逮捕されるまでを描いたのが、「カリートの道」。投獄後、不当裁判で無罪を勝ち取ったカリートが、出所してから最期を迎えるまでのストーリーが、「After Hours」である。 カリートのキャラで、その生い立ちに関しては、トレス自身が投影されている部分もある。しかしカリートは、犯罪者。主要な要素は、トレスが友人たちからいただいたもので、名前を明かせない3人のモデルがいるという。 これらの小説には、発表後に直ぐ映画化の話が持ち上がる。プロデューサーのマーティン・ブレグマンの元に、脚本化されたものを持ち込んだのは、アル・パチーノだった。 ブレグマンは元々は、パチーノのエージェント。そうした関係性もあって、『セルピコ』(73)『狼たちの午後』(75)そして『スカーフェイス』(83)等、パチーノ主演作の製作を行ってきた。 今となっては誰が書いたかも知れない、この時点での脚本は、2つの小説「カリートの道」「After Hours」 を折衷したような、酷い仕上がりだったという。それを読んだブレグマンは、全くやる気が湧かなかったが、パチーノが主人公のカリートに惚れ込んでいた。やむなく原作に触れてみると、そこに描かれた、ストリートの生々しい雰囲気に、惹かれたという。 ブレグマンは、『ジュラシック・パーク』(93)の脚色が評判になっていたデヴィッド・コープに、仕事を依頼。原作に対するコープの第一印象は、「映画化するには分量が多すぎる」というものだった。 コープは、自分が70年代のスパニッシュ・ハーレムについて何も知らないのも気掛かりだった。この点は原作者のトレスの助力を得てリサーチし、クリアーしたという。 分量的な問題は、当時50代前半だったパチーノの年齢を考慮し、20代後半から30代前半のカリートが活躍する「カリートの道」ではなく、それ以降の物語である「After Hours」を軸に脚色することで、解決した。それなのにタイトルが『カリートの道』になったのは、マーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』(85)があったからである。 ブレグマンは、かつて『スカーフェイス』で組み、成果を出したブライアン・デ・パルマに監督をオファー。しかしデ・パルマの当初のリアクションは、芳しいものではなかった。「ラテン系ギャングの話」は、もうやりたくなかったのだ。 彼が考えを変えたのは、コープの脚本を読んでから。パチーノと再び仕事ができるのも、決め手になったという。かくて『スカーフェイス』から10年振りに、ブライアン・デ・パルマとアル・パチーノが組んだ、“ギャング映画”が誕生することとなった。 デ・パルマは原作者のトレスに、スパニッシュ・ハーレムを案内してもらった。ここで誰が撃たれ誰が刺された等々、事件の現場を巡りながら、スペイン系ギャングの生態をウォッチング。デ・パルマはそこで、彼らが持つ家族愛や宗教心、更には独自のラテン音楽などを見出した。 そしてクランク・イン。ロケは、原作者の生まれた場所にごく近い地域などで行われた。『スカーフェイス』でお互いのやり方を心得ていた、デ・パルマとパチーノのコミュニュケーションは、スムースだった。パチーノは、彼の動作の美しさを捉え、その演技を際立たせるようなデ・パルマ演出を、至極気に入っていたという。 本作は冒頭、駅で撃たれたカリートが搬送されていくさなかに、彼のモノローグによって回想が始まり、ここに至るまでの日々が描かれていく。これは“フィルム・ノワール”、代表的な例としては、プールに浮かぶ死体の回想から始まる、『サンセット大通り』(50)などで用いられた手法の、援用と言える。 そのような形で語られる物語には、数々の個性的な人物が登場する。中でも強烈な印象を残すのが、カリートの親友で、コカイン中毒の弁護士クラインフェルド。原作者がこれまでに会ってきた、ろくでもない弁護士たちの集合体で、悪の世界にどっぷりと浸かっているキャラクターである。 演じるショーン・ペンは、初監督作品『インディアン・ランナー』(91)が絶賛され、監督業に専念することを真剣に検討していたのを翻しての、本作への出演。それだけ、この役に入れ込んでいたのだろう。薄毛のカーリーヘアという、あまりにもインパクトの強い外見は、ペン本人のアイディア。この見た目を作るのに、自毛をかなり抜いたのだという。 後にアカデミー賞主演男優賞を2度受賞する、メソッド俳優の面目躍如であるが、ペンの執拗なリテイク要求が、デ・パルマをげんなりさせる局面もあったという。とはいえ両者の関係は、概ね良好に運んだ。 カリートが愛するゲイルには、ペネロープ・アン・ミラーがキャスティングされた。『レナードの朝』(90)『キンダガートン・コップ』(90)『チャーリー』(92)など、話題作・ヒット作への出演が続き、彼女への注目が高まっていた頃だった。 カリートが共に“楽園”に行こうとする、天使のように理想化された存在でありつつ、バストトップを曝しての、70年代っぽいストリップのシーンなども印象的である。 パチーノが作品の肝としてこだわったのは、クラインフェルドの裏切りが露見し、カリートとの関係が、決定的に断絶に至るシーンだった。そのシーンには、25ものパターンを用意。更には、脚本家のコープが撮影に立ち会ったのは、パチーノのリクエストだった。 最終的には、コープが撮影直前に書き直した脚本で、決まりとなった。カリートは負傷したクラインフェルドが入院する病室を訪ね、彼なりのやり方で落とし前をつける。因みにパチーノが訪れる病院の外観は、彼が出世作『ゴッドファーザー』(72)で、マーロン・ブランドを見舞ったのと同じ場所が使われた。 本作は、クライマックスの地下鉄を使っての逃走劇や、それに続くグランド・セントラル・ステーションのエスカレーターでの銃撃戦など、さすが「映像の魔術師」デ・パルマと思わせるシーンも、随所にある。しかし全般的には、これ見よがしな技巧に走り過ぎたりは、決してしていない。日本の任侠物などにも通じる“仁義の世界“の住人故に、足を洗い切れなかった男の悲劇が、鮮烈且つ抑制的に描かれている。 公開当時、大きな成果を上げることはなかった。またパチーノ×ブレグマン×デ・パルマの前作、『スカーフェイス』のようなカルト人気を得ることも叶わなかった。しかし、当時53歳。デ・パルマのフィルモグラフィーの中でも、彼の円熟したスキルが、最も楽しめる1本に仕上がっている。 そしてデ・パルマは、次作『ミッション:インポッシブル』(96)で再びデヴィッド・コープの脚本を得て(ロバート・タウンと共同)、彼のキャリアの中で最大のヒットをものする。■ 『カリートの道』© 1993 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2023.04.03
‘80年代の日本の映画ファンを熱狂させたロックンロールの寓話『ストリート・オブ・ファイヤー』
アメリカよりも日本で大ヒットした理由とは? 日本の洋画史を振り返ってみると、本国では不入りだったのになぜか日本では大ヒットした作品というのが時折出てくる。その代表格が『小さな恋のメロディ』(’71)とこの『ストリート・オブ・ファイヤー』(’84)であろう。リーゼントに革ジャン姿のツッパリ・バイク集団にロックンロールの女王が誘拐され、かつて彼女の恋人だった一匹狼のアウトロー青年が救出のため馳せ参じる。ただそれだけの話なのだが、全編に散りばめられたレトロなアメリカン・ポップカルチャーと、いかにも’80年代らしいMTV風のスタイリッシュな映像が見る者をワクワクさせ、不良vs不良の意地をかけた白熱のガチンコ・バトルと、ドラマチックでスケールの大きいロック・ミュージックが見る者の感情を嫌が上にも煽りまくる。血沸き肉躍るとはまさにこのことであろう。 当時まだ高校生1年生だった筆者も、映画館で本作を見て鳥肌が立つくらい感動したひとりだ。その年の「キネマ旬報」の読者選出では外国映画ベスト・テンの堂々第1位。エンディングを飾るテーマ曲「今夜は青春」は、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌「今夜はエンジェル」として日本語カバーされた。当時の日本で『ストリート・オブ・ファイヤー』に熱狂した映画ファンは、間違いなく筆者以外にも大勢いたはずだ。それだけに、実は本国アメリカでは見事なまでに大コケしていた、どうやら興行的に当たったのは日本くらいのものらしいと、だいぶ後になって知った時は心底驚いたものである。 ではなぜ本作が日本でそれだけ受けたのかというというと、あくまでもこれは当時を知る筆者の主観的な肌感覚ではあるが、恐らく昭和から現在まで脈々と受け継がれる日本の不良文化が背景にあったのではないかとも思う。実際、良きにつけ悪しきにつけ’80年代はツッパリや暴走族の全盛期だった。なにしろ、横浜銀蝿やなめ猫やスケバン刑事が大流行した時代である。加えて、当時の日本ではロックンロールにプレスリーにジェームズ・ディーンなど、本作に登場するような’50年代アメリカのユース・カルチャーに対する憧憬もあった。まあ、これに関しては、同時代のイギリスで巻き起こった’50年代リバイバルやロカビリー・ブームが日本へ飛び火したことの影響もあったろう。さらに、’70年代の『小さな恋のメロディ』がそうだったように、劇中で使用される音楽の数々が日本人の好みと合致したことも一因だったかもしれない。いずれにせよ、アメリカ本国での評価とは関係なく、本作には当時の日本人の琴線に触れるような要素が揃っていたのだと思う。 実は『ウォリアーズ』の姉妹編だった!? 冒頭から「ロックンロールの寓話」と銘打たれ、続けて「いつかどこかで」と時代も舞台も曖昧に設定された本作。まるで’50年代のニューヨークやシカゴのようにも見えるが、しかしよくよく目を凝らすと様々な時代のアメリカ文化があちこちに混在しているし、確かにリッチモンドやバッテリーという地名は出てくるものの、しかしどうやら実在する土地とは全く関係がないらしい。つまり、これは現実とよく似ているが現実ではない、この世のどこにも存在しない架空の世界の物語なのだ。 とある大都会の寂れかけた地区リッチモンドで、地元出身の人気女性ロック歌手エレン・エイム(ダイアン・レイン)のコンサートが開かれる。詰めかけた大勢の若者で熱気に包まれる会場。すると、どこからともなくバイク集団ボンバーズの連中が現れ、リーダーのレイヴン(ウィレム・デフォー)の号令で一斉にステージへ乱入する。バンドマンやスタッフに殴りかかる暴走族たち、パニックに陥って逃げ惑う観客。悲鳴や怒号の飛び交う大混乱に乗じて、まんまとレイヴンはエイミーを連れ去っていく。その一部始終を目撃していたのが、近くでダイナーを経営する女性リーヴァ(デボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ)。警察なんか頼りにならない。なんとかせねばと考えた彼女は、ある人物に急いで電報を打つのだった。 その人物とはリーヴァの弟トム・コディ(マイケル・パレ)。かつて地元では札付きのワルとして鳴らし、兵隊を志願して出て行ったきり音沙汰のなかった彼は、実はエレンの元恋人でもあったのだ。久しぶりに再会した弟へ、誘拐されたエレンの救出を懇願するリーヴァ。だが、音楽の道を目指すエレンと苦々しい別れ方をしたトムは躊躇する。なぜなら、今もなお心のどこかで彼女に未練があるからだ。それでも姉の説得で考えを変えたトム。しかし、エレンのマネージャーで現在の恋人でもある傲慢な成金男ビリー(リック・モラニス)から負け犬呼ばわりされた彼は、カチンときた勢いで1万ドルの報酬と引き換えにエレンを救い出すことに合意する。別に未練があるわけじゃない、単に金が欲しいだけだという言い訳だ。 ボンバーズの本拠地はリッチモンドから離れた貧困地区バッテリー。バーで知り合ったタフな女兵士マッコイ(エイミー・マディガン)を相棒に従え、古い仲間から武器を調達したトムは、依頼人のビリーを連れてボンバーズが根城にする場末のナイトクラブ「トーチーズ」へ向かう。客を装って潜入したマッコイがエレンの監禁場所を押さえ、その間にトムが表でたむろする暴走族を銃撃して注意をそらすという作戦だ。これが見事に功を奏し、エレンを無事に奪還することに成功したトムたちだが、しかし面目を潰されたレイヴンと仲間たちも黙ってはいなかった…! 本作の生みの親はウォルター・ヒル監督。当時、エディ・マーフィとニック・ノルティ主演の『48時間』(’82)を大ヒットさせ、ハリウッド業界での評判もうなぎ上りだった彼は、それこそ「鉄は熱いうちに打て」とばかり、すぐさま次なる新作の構想を練る。その際に彼が考えたのは、自作『ウォリアーズ』(’79)の世界に再び挑戦することだったという。実際、本作を見て『ウォリアーズ』を連想する映画ファンは多いはずだ。ニューヨークのコニー・アイランドを根城にする不良グループが、ブロンクスで開かれたギャングの総決起集会に参加したところ罠にはめられ、逃亡の過程で各地区の不良グループと戦いながら地元へ辿り着くまでを描いた『ウォリアーズ』。「都会のヤンキーがよその縄張りへ行って帰って来るだけ」というストーリーの基本プロットは本作と同じだ。雨上がりの濡れたアスファルトに地下鉄や車などを乗り継いでの逃避行、アメリカ下町の不良文化など、それ以外にも符合する点は少なくない。グラフィックノベルの実写版的な世界観も共通していると言えよう。さながら姉妹編のような印象だ。 400万ドルの製作費に対して2200万ドルもの興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなった『ウォリアーズ』だが、しかしウォルター・ヒル監督にとってはいろいろと悔いの残る作品でもあった。同作をグラフィックノベルの実写版として捉え、ポスプロ段階でコミック的な演出効果を加えようと考えていたヒル監督だが、しかしパラマウントから指定された締め切りを守るために断念せざるを得なかった(’05年に製作されたディレクターズ・カット版でようやく実現)。しかも、劇場公開時には映画の内容に刺激された若者たちが各地で暴動を繰り広げ、恐れをなしたパラマウントはプロモーション展開を自粛。一部の映画館では上映を中止するところも出てしまった。そもそもヒル監督によると、パラマウントは最初から同作の宣伝に非協力的だったという。紆余曲折あって『48時間』では再びパラマウントと組んだヒル監督だが、しかし同社から次回作を要望された彼が、あえて本作の企画をパラマウントではなくユニバーサルへ持ち込んだことも頷ける話だろう。 恐らく彼としては、『ウォリアーズ』で叶わなかった理想を本作で実現しようと考えたのかもしれない。シーンの切り替わりで象徴的に使われるギザギザのワイプなどは、なるほどコミック的な演出効果とも言えよう。また、今回はユニバーサルから潤沢な予算が与えられたこともあり、一部のシーンを除く全てをスタジオのセットで撮影。高架鉄道や多階層道路のシーンはシカゴで、貧困地区バッテリーはロサンゼルス市内の工場廃墟で撮影されているが、主な舞台となるリッチモンド地区はユニバーサル・スタジオに大掛かりなオープンセットを組み、夜間シーンはそこに天幕を張って撮影されている。おかげで、狙い通りのコミック的な「作り物感」が生まれ、より「ロックンロールの寓話」に相応しい世界を構築することが出来たのだ。 ‘80年代のトレンドを吸収したウォルター・ヒル流「MTV映画」 もちろん、ヒル監督が熱愛する西部劇の要素もふんだんに盛り込まれている。そもそも、郷里に舞い戻ったヒーローが相棒を引き連れ、無法者たちにさらわれたヒロインを救い出すという設定は西部劇映画の王道である。中でも、監督が特に意識したのはセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタン。ニヒルでクールで寡黙な主人公トム・コディは、さながら若き日のクリント・イーストウッドの如しである。また、本作の主要キャラクターはほぼ若者で占められ、中高年は全くと言っていいほど出てこないのだが、これは当時ハリウッドを席巻していたスティーヴン・スピルバーグとジョン・ヒューズの映画に倣ったとのこと。つまり、若い観客層にターゲットを定めたのである。実際、’80年代のハリウッド映画は若年層の観客が主流となり、その需要に応えるかのごとくトム・クルーズやモリー・リングウォルドやマイケル・J・フォックスなどなど、数えきれないほどのティーン・アイドル・スターが台頭していた。そこで本作が集めたのは、駆け出しの新人を中心とした若手キャストだ。 主人公トム・コディにはトム・クルーズ、エリック・ロバーツ、パトリック・スウェイジがオーディションを受けたが、最終的にヒル監督はマイナーな青春ロック映画『エディ&ザ・クルーザーズ』(’83)に主演した若手マイケル・パレに白羽の矢を当てる。ヒロインのエレン役には、当時18歳だったダイアン・レイン。本作のキャストでは唯一、知名度のある有名スターだ。もともとはダリル・ハンナが最有力候補だったが、結局はキャリアもネームバリューもあるダイアンが選ばれた。恐らく、マイケル・パレがまだ無名同然だったため、引きのあるスターが欲しかったのだろう。エレンのいけ好かないマネージャー、ビリー役は、当時テレビのお笑い番組「Second City Television」で注目されていたコメディアンのリック・モラニス。プロデューサーのジョエル・シルヴァーがモラニスの大ファンだったのだそうだ。 さらに、当初トムの姉リーヴァ役でオーディションを受けたエイミー・マディガンが、トムの相棒マッコイ役を演じることに。本来、この役はラテン系の巨漢男という設定で、役名もメンデスという名前だったという。しかし「これを女に変えて私にやらせて!絶対に面白いから!」とエイミー自らが監督に直訴したことで女性キャラへと変更されたのだ。そういえば、ヒル監督が製作と脚本のリライトを手掛けた『エイリアン』(’79)の主人公リプリーも、もともとは男性という設定だったっけ。代わりに姉リーヴァ役に起用されたのは、『ウォリアーズ』のヒロイン役だったデボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ。さらに、ヒル監督がキャスリン・ビグローの処女作『ラブレス』(’82)を見て注目したウィレム・デフォーが、暴走族のリーダー、レイヴン役を演じて強烈なインパクトを残す。本作で初めて彼を知ったという映画ファンも多かろう。 そのほか、ビル・パクストン(バーテン役)にE・G・デイリー(エレンの追っかけベイビードール役)、エド・ベグリー・ジュニア(バッテリー地区の浮浪者)、リック・ロソヴィッチ(新米警官)、ミケルティ・ウィリアムソン(黒人コーラスグループのメンバー)など、後にハリウッドで名を成すスターたちが顔を出しているのも要注目ポイント。デイリーは歌手としても成功した。また、『フラッシュダンス』(’83)でジェニファー・ビールスのボディダブルを担当したマリーン・ジャハーンが、ナイトクラブ「トーチーズ」のダンサーとして登場。ちなみに、トーチーズという名前のクラブは、ヒル監督の『ザ・ドライバー』(’78)や『48時間』にも出てくる。 ところで、ヒル監督が本作を撮るにあたって、実は最も影響されたというのがその『フラッシュダンス』。全編に満遍なく人気アーティストのポップ・ミュージックを散りばめ、映画自体を1時間半のミュージックビデオに仕立てた同作は空前の大ブームを巻き起こし、その後も『フットルース』(’84)や『ダーティ・ダンシング』(’87)など、『フラッシュダンス』のフォーマットを応用した「MTV映画」が大量生産されたのはご存知の通り。要するに、『ストリート・オブ・ファイヤー』もこのトレンドにちゃっかりと便乗したのである。そのために制作陣は、パティ・スミスやトム・ペティのプロデューサーとして知られるジミー・アイオヴィーンを音楽監修に起用。ジョン・ヒューズの『すてきな片想い』(’84)では当時のニューウェーブ系ヒット曲を総動員したアイオヴィーンだが、一転して本作ではユニバーサルの意向を汲んで、映画用にレコーディングされたオリジナル曲ばかりで構成することに。オープニング曲「ノーホエア・ファスト」を書いたジム・スタインマンを筆頭に、トム・ペティやスティーヴィー・ニックス、ダン・ハートマンなどの有名ソングライターたちが楽曲を提供している。 ダイアン・レインの歌声を吹き替えたのは、ロックバンド「フェイス・トゥ・フェイス」のリードボーカリスト、ローリー・サージェントと、ジム・スタインマンの秘蔵っ子ホリー・シャーウッド。「ノーホエア・ファスト」と「今夜は青春」には、「ファイアー・インク」なるバンドがクレジットされているが、これは「フェイス・トゥ・フェイス」のメンバーを中心に構成された覆面バンドだ。また、挿入曲「ソーサラー」と「ネヴァー・ビー・ユー」は、サントラ盤アルバムのみ前者をマリリン・マーティン、後者をマリア・マッキーと、当時売り出し中の若手女性ボーカリストが歌っている。つまり、映画とサントラ盤では歌声が別人なのだ。これは黒人コーラスグループが歌う「あなたを夢見て」も同様。劇中ではウィンストン・フォードという無名の黒人男性歌手が歌声を吹き替えていたが、しかしサントラ盤アルバムを制作するにあたって作曲者のダン・ハートマンが自らレコーディング。これが全米シングル・チャートでトップ10入りの大ヒットを記録する。 ちなみに、映画の最後を締めくくる楽曲は、本作とタイトルが同じという理由から、ブルース・スプリングスティーンの「ストリーツ・オブ・ファイアー」のカバー・バージョンが選ばれ、実際に演奏シーンも撮影されていたのだが、しかしレコード会社から著作権の使用許可が下りなかった。そこで、急きょジム・スタインマンが「今夜は青春」を2日間で書き上げ、改めてラスト・シーンの撮り直しが行われたのである。ダイアン・レインの髪型がちょっと不自然なのはそれが理由。というのも、当時の彼女は次回作(恐らくコッポラの『コットン・クラブ』)の撮影で髪を切っていたため、本作の撮り直しではカツラを被っているのだ。 一方、ポップソング以外の音楽スコアは、『48時間』に引き続いてジェームズ・ホーナーに依頼されたのだが、しかし出来上がった楽曲が映画のイメージとは全く違ったためボツとなり、ヒル監督とは『ロング・ライダーズ』(’80)と『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(’81)で組んだライ・クーダーが起用された。確かに、ロックンロール映画にはロック・ミュージシャンが適任だ。むしろ、なぜジェームズ・ホーナーに任せようとしたのか。そちらの方が不思議ではある。 ロックンロールに暴走族に西部劇にレトロなポップカルチャーと、ウォルター・ヒル監督が少年時代からこよなく愛してきたものを詰め込んだという本作。プレミア試写での評判も非常に良く、製作陣は「絶対に当たる」との自信を持っていたそうだが、しかし結果的には大赤字を出してしまう。ヒル監督やプロデューサーのローレンス・ゴードン曰く、カテゴライズの難しい作品ゆえにユニバーサルは売り出し方が分からず、アメリカでは宣伝らしい宣伝もほとんど行われなかったという。映画でも音楽でも小説でもそうだが、残念ながら内容が良ければ成功するというわけではない。本作の場合、アメリカではビデオソフト化されてから口コミで評判が広まり、今ではカルト映画として愛されている。これをいち早く評価していたことを、日本の映画ファンは自慢しても良いかもしれない。■ 『ストリート・オブ・ファイヤー』© 1984 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.01.04
すべてのホラー映画の原点 『悪魔のいけにえ』のホントに怖い顛末
1974年10月1日、アメリカ・テキサス州オースティンのドライブインシアターと映画館で、無名のスタッフ・キャストによる、1本の低予算B級映画が公開された。 その時関係者は誰ひとりとして、予想だにしなかったであろう。その作品が半世紀近く経った2020年代になっても、「ホラー映画のマスターピース」として語り継がれるようになることなど。“芸術性”が高く評価されて、MoMA=ニューヨーク近代美術館にマスターフィルムが永久保存されるという栄誉にも浴した、その作品のタイトルは、“TEXAS CHAINSAW MASSACRE(テキサス自動ノコギリ大虐殺)”。翌75年2月1日に日本でも公開された、本作『悪魔のいけにえ』である。 冒頭、上部にスクロールしていくスーパーで、5人の若者の身に、残酷な運命が待ち受けていることが予告される。続いて「1973年8月18日」と、真夏の出来事であることを示すスーパーが浮かび上がって、物語のスタートである。 テキサスの田舎町で、墓が掘り起こされては、遺体の一部が盗み去られるという事件が頻発する。若い女性サリーと、その兄で車椅子のフランクリンは、祖父の墓が被害に遭ってないかを確認しにやって来た。ワゴン車での旅の同行者は、サリーの恋人ジェリー、友人のカークとその恋人パム。 5人は墓の無事を確認すると、かつてサリーとフランクリンが暮らした、祖父の家へと向かう。しかしその途中に乗せたヒッチハイカーの男によって、彼ら彼女らの行く先に、暗雲が垂れ込め始める。 その男は、ナイフでいきなり自分の掌を傷つけた上、フランクリンに切りつける。そして車を飛び降りると、自らの血で車体に目印のようなものを付けるのだった。 男を追い払い、気を取り直した5人は、ガソリンスタンドへ寄るも、ガソリンは切れていて、夜まで届かないという。仕方なく一行は、今は廃屋のようになっている祖父の家へと向かった。 そこからカークとパムのカップルは、近くの小川で水遊びをしようと出掛ける。その時、一軒の家が目に入る。 ガソリンを分けてもらおうと、彼らが訪れたその家で出くわしたのは、人面から剥いだ皮で作ったマスクをした大男“レザーフェイス”。チェーンソーを振り回して人間を解体する彼と、その家族は皆、シリアルキラーの人肉食ファミリーであった…。 そこからは、ラストのあまりにも有名な“チェンソーダンス”に至るまで、若者たちは次々と絶叫と共に、血祭りに上げられていく。マスクを付けた殺人鬼による、若者大虐殺の展開など、今どきのホラーを見慣れた観客にしてみれば、既視感満載かも知れない。 しかしそれは、当たり前の話だ。『悪魔のいけにえ』こそが、そのすべての始まり、原点の作品だからである。70年代後半以降、ほとんどのホラー映画は、本作の影響下にあると言っても、過言ではない。「『悪魔のいけにえ』のように、宇宙を舞台にした恐怖に支配された映画を作りたい」これはあの『エイリアン』第1作(79)の製作前に、脚本を担当したダン・オバノンが、リドリー・スコット監督に本作を見せて、語った言葉である。 ここで多くの方々の誤解を、解いておこう。本作は首チョンパや内臓ドロドロなど、人体損壊のゴア描写が炸裂するような、いわゆる“スプラッタ映画”では、まったくない。直接的に皮膚に刃物を刺して人を殺すシーンなどは、1カットもないのである。血飛沫が上がるのは、犠牲者が車椅子に乗ったまま、チェンソーで切り刻まれてしまうシーンぐらい。実はTVでも放送出来るように、直接的な残酷描写は、避けて作られている。 それでいながら、いやそれだからこそ、“レザーフェイス”が初めて登場するシーンに代表されるように、予期せぬ突発的な暴力が、我々に大きなダメージを与える。また、ギリギリまで描いて、後は観客の想像に委ねるという手法が、脳内の補完によって、実際に描かれたもの以上に、強烈な印象を残すのである。それが延いては、「とにかく怖かった~」という記憶になっていく。“レザーフェイス”の妙な人間臭さも、実に効果的だ。次から次へと、来訪者=犠牲者が訪れることに泡を喰ったり、ヘマをやらかして、家族に罵倒されたりする描写などがある。『13日の金曜日』のジェイソンや、『エルム街の悪夢』のフレディのような超然とした存在よりも、人間臭い殺人鬼が行う大量殺戮の方が、よりリアルで怖いものかも知れない。 16mmフィルムによる撮影でもたらされた、粒子が粗くザラザラした画面や、BGMは一切使用せず、効果音のみという音響演出も、まるで殺人現場のドキュメンタリーを見ているかのような錯覚を、観客にもたらす。もっとも16mmを使用したのは、単に予算上の問題だったというが、結果的には怪我の功名である。 さて、本作が撮影されたのは、73年の夏。監督のトビー・フーパー(1943~2017)は、まだ30代に突入したばかりだった。 テキサス州オースティンで生まれ育ち、幼い頃からの映画好きだった彼は、テキサス大学在学中には、短編映画や記録映画を手掛けている。その後処女作『Eggshells』(69)が、映画コンテストなどで高く評価されるも、興行的には不発に終わった。 そこでフーパーは、考えた。低予算でも製作し易い、“ホラー映画”で勝負を掛けようと。参考にしたのは、墓を暴いて女性の死体を掘り返しては、それを材料にランプシェードやブレスレットなど作っていた、殺人者エド・ゲインの実話や、監督自身が子どもの頃に親戚から聞いた、怖い噂話など。脚本家のジャック・ヘンケルとの共作で、シナリオは完成した。 経験の浅い映画学生をスタッフに雇い、キャストには、地元の無名俳優を起用。そしていざ、クランク・インとあいなった。 ロケ中心で撮影された本作の撮影現場は、執拗に俳優を追い込むものとなった。リアリティーを追求し、本物の刃物を使ったために、ケガ人が出たり、予算不足から、俳優の顔に直に接着剤を塗って、特殊メイクが行われたり。血糊は口に含んだものを、俳優にぶっ掛けたという。 本作のヒロインで、いわゆる“ラスト・ガール”、最後まで生き延びるサリーを演じたのは、マリリン・バーンズ。役柄とはいえ、固い箒で殴られたり、雑巾を口に押し込められたり、とにかく悲惨な目に遭った。 ガンナー・ハンセン演じる“レザーフェイス”に、チェンソーを振り回されながら追いかけられるシーンでは、監督から「後ろから切られるかもしれないぞ」と、声を掛けられたため、「本当に殺されるかも知れない」と、恐怖に駆られて、本気で走って逃げたという。彼女の臨場感溢れる“絶叫”は、作り物ではなかったのだ。 ロケ地である夏場のテキサスは、外気が40度に上り、照明を当てれば50度以上の暑さとなる。物語上は1日の話である本作だが、撮影は1カ月近く続いた。その間、俳優たちはずっと同じ衣装を、着続けねばならなかった。途中からは、汗臭さを通り越した異臭を放つようになった。 クライマックスで描かれる、殺人一家の食卓シーンは、猛暑の中で閉め切って撮影されたため、卓上の肉料理は、すべて腐っていたという。そんな中での撮影は、カットが掛かる度に、誰かが吐きに行くという惨状を呈した。 こんなことが、本物の動物の死体を大量に解体して作られた、インテリアが散乱する中で行われたわけである。素人主体の現場故に、撮影予定や台本が場当たり的に変更されていく混乱と相まって、撮影途中でスタッフが次々と逃げ出した。 因みにインテリアのみならず、殺人一家の一軒家を作り込んだ、プロダクションデザイナーのロバート・バーンズは、“レザーフェイス”の人面マスクも作成。マスクは3タイプ作られたが、“レザーフェイス”は、局面によってマスクを替えるという設定で、クライマックスの食卓シーンでは、チークを入れるなど化粧を施した分、逆におぞましさが募るマスクで登場する。 さて狂気の撮影が終わって、先に記したような編集と音入れ作業に、フーパーは1年以上を掛けて、『悪魔のいけにえ』は完成。しかし大手配給から怪奇物の名門まで、様々な映画会社に持ち込んで観てもらっても、芳しい評価は得られず、公開のメドはなかなか立たなかった。 本作をようやく引き受けてくれたのは、ニューヨークの独立系配給会社。フーパーはじめ関係者は、ほっと胸を撫で下ろした。 そしてはじめに記した通り、フーパーの地元、テキサス州オースティンで公開されると、ストレートなタイトルと「実話の映画化」という、大ウソの誇大広告が功を奏して、劇場には長蛇の列が。多くの観客が、軽い気持ちで週末のスクリーンに臨んだが、観終わると良くも悪くも打ちのめされ、賛否両論が沸き起こった。 そして上映は、全米各地へと拡大。やがてメジャー製作の大作映画と伍して、ヒットチャートに名を連ねるようになった。“ホラー”への挑戦という、新人監督フーパーの賭けは、大勝利に終わった。…と言いたいところだが、そうは問屋が卸さなかった。 本作の配給を託した独立系配給会社は、実はマフィアが経営する、フロント企業。フーパーたちが要求する、利益の配分に全く応じようとしないという、ある意味映画の内容以上に、怖い顛末が待っていたのである。■ 『悪魔のいけにえ』© MCMLXXIV BY VORTEX, INC.
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COLUMN/コラム2023.12.04
元祖『ミッドサマー』と呼ぶべきカルト映画の傑作『ウィッカーマン』
英国ホラーの衰退期に誕生した異色作 海外では「ホラー映画の『市民ケーン』」とも呼ばれている伝説的なカルト映画である。タイトルのウィッカーマンとは、古代ケルトの宗教・ドルイド教の生贄の儀式に使われた木製の檻のこと。それは巨大な人間の形をしており、中に生贄の動物や人間を入れたまま火をつけて燃やされたという。いわゆる人身御供というやつだ。ただし、本作の舞台は現代のイギリス。行方不明者の捜索のため田舎の警察官が小さな島を訪れたところ、島民たちはキリスト教でなくドルイド教を今なお信仰しており、やがて余所者である警察官は恐るべき伝統行事の渦中へと呑み込まれていく。 そう、これぞ元祖『ミッドサマー』(’19)!アリ・アスター監督が本作から影響を受けたのかどうかは定かでないものの、しかし『ホステル』(’05)シリーズのイーライ・ロスや『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』(’12)のジェームズ・ワトキンス、『ハイ・ライズ』(’15)のベン・ホイートリーなど本作の熱烈なファンを公言する映画監督は少なくないし、結果としてオリジナルには遠く及ばなかったものの、ニコラス・ケイジ主演でハリウッド・リメイクされたこともある。恐らく、全く知らなかったということはなかろう。 本作の企画を発案したのは、ヒッチコック監督の『フレンジー』(’72)や自ら書いた舞台劇を映画化した『探偵スルース』(’72)、『オリエント急行殺人事件』(’74)に始まるアガサ・クリスティ・シリーズでも知られるイギリスの大物脚本家アンソニー・シェファー。実はもともと大のホラー映画ファンだったという彼は、ハマー・プロ作品のように吸血鬼やミイラ男やゾンビが出てくる古典的な怪奇映画ではなく、もっと知的で洗練されたモダン・ホラーを作ってみたいと考え、当時映画会社ブリティッシュ・ライオンの幹部だったピーター・スネルに相談したという。ちょうど当時は、『フランケンシュタインの逆襲』(’57)や『吸血鬼ドラキュラ』(’58)の大ヒットで火の付いた、英国ホラー映画ブームの勢いが急速に失われていった衰退期。ハマー・フィルムはエロス路線やサスペンス路線などを模索するが低迷し、アミカスやタイゴンもホラー映画からの脱却を試みるようになっていた。もはや古き良きゴシック・ホラーは通用しない。イギリスのホラー映画に新規路線が求められているのは明白だった。 そこでシェファーとスネルが辿り着いたのは古代宗教。イギリスではキリスト教が伝搬する以前にドルイド教が信仰されていた。しかし、ホラー映画に出てくる宗教といえばキリスト教ばかりである。これは題材として新しいだろう。そんな彼らが主演俳優として想定したのが、シェファーの友人でもあったホラー映画スター、クリストファー・リー。ハマー・プロの作品群によってホラー映画の帝王としての地位を確立したリーだが、しかしそれゆえにオファーされる仕事の幅も著しく狭められていた。いっそのこと長年に渡って培ってきたハマー・ホラーのイメージを返上し、もっとユニークな映画で興味深い役柄を演じてみたい。この切なる願いにはシェファーやスネルも大いに賛同し、リーをメインキャストに据えるという大前提で企画が進行することになったという。さらに、過去にシェファーとテレビ制作会社を共同経営していたこともあるロビン・ハーディ監督が加わり、およそ3年近くの歳月をかけて完成させたのが本作『ウィッカーマン』(’73)だったのである。 孤島に脈々と伝わる古代宗教と消えた少女の行方 スコットランド西岸のヘブリディーズ諸島。その中の小さな島サマーアイルに、本土からニール・ハウイ巡査部長(エドワード・ウッドワード)が訪れる。島に住む12歳の少女ローワン・モリソンが行方不明になったので探して欲しいと、ハウイ巡査部長宛てに匿名の捜索願が届いたのだ。サマーアイル島は領主であるサマーアイル卿(クリストファー・リー)が所有する私有地で、それを理由に島民たちはハウイ巡査部長の上陸を拒んだが、しかし彼は警察の捜査権を主張して強引に乗り込んでいく。ローワンの写真を見せても知らぬ存ぜぬを繰り返し、捜査に対して明らかに非協力的な島の人々。母親のメイ・モリソンも知らないのか?と詰め寄ると、渋々ながら島の住人であることを認めるが、しかし写真の少女はメイ・モリソンの娘じゃないと言い張る。 初っ端から島民たちの態度に不快感を覚えるハウイ巡査部長。島で唯一の郵便局を営むメイ・モリソンのもとを訪ね、娘ローワンの行方に心当たりがないのか問いただすが、しかし彼女もまた同じ答えを繰り返す。その子は私の娘なんかじゃないと。狐につままれたような心境で困惑を隠せないハウイ巡査部長。とりあえず島に留まって捜索を続けるため、地元の宿で小さな部屋を取るのだが、しかし1階のパブに集まる島民たちは酔っぱらって卑猥な歌を大合唱し、外へ散歩に出れば公園の暗がりで大勢の若い男女がセックスに興じ、部屋へ戻ると宿屋の主人マクレガー(リンゼイ・ケンプ)の娘ウィロー(ブリット・エクランド)が彼を誘惑する。敬虔なキリスト教徒で生真面目な禁欲主義者のハウイ巡査部長は、乱れ切った島民たちの倫理観に怒りを通り越して呆れてしまう。 翌朝、ローワンの通っていた学校へ聞き取り調査に向かうハウイ巡査部長。学校では五月祭の準備が進められていたのだが、祭りで使用されるメイポールを男根崇拝の象徴だと、女教師ローズ(ダイアン・シレント)が生徒たちに教える光景を見て憤慨する。そんな汚らわしいことを子供に教えるとは何事だ!というわけだ。しかも、生徒名簿にローワンの名前があるにも関わらず、教師も生徒もそんな子は知らないと白を切る。この島の住人は大人も子供も嘘つきばかりじゃないか!怒り心頭の巡査部長に対し、ようやく女教師ローズがローワンの存在を認めるも、しかしその行方については答えをはぐらかす。 こうなったら領主サマーアイル卿に問いただすしかなかろう。サマーアイル卿の邸宅に乗り込んでいったハウイ巡査部長。彼の到着を待ち受けていたサマーアイル卿は、島の住人たちが古代宗教を信仰していることを明かす。かつてこの島は食物の育たない不毛の地だったが、古代宗教の儀式を復活させたところ土地が豊かになり、リンゴの名産地として栄えるようになったのだという。現代のイギリスに異教徒の地が存在すると知って驚愕するハウイ巡査部長。やがて彼は、ローワンが昨年の五月祭で豊作を願う儀式の女王(メイクイーン)に選ばれていたこと、しかし結果的に昨年が過去に例のない凶作だったことを知り、彼女が神への生贄として殺されるのではないかと推測する。だから島民たちは終始一貫して嘘をついているのだろう。そう考えたハウイ巡査部長は、明日に控えた五月祭の儀式に潜入してローワンを救い出そうと考えるのだが…? 見る者の価値観や道徳観が問われるストーリーの本質 原作は作家デヴィッド・ピナーが’67年に発表したミステリー小説「Ritual」。ただし、そのまま映画化するには難しい内容だったため、警察官が捜査のため訪れた田舎で古代宗教の生贄の儀式が行われていた…という基本プロットを拝借しただけで、それ以外の設定やストーリーはほぼ本作のオリジナルだという。それゆえ、本編には原作クレジットがない。 アンソニー・シェファーの脚本が巧みなのは、同時代の社会トレンドや価値観の変化を物語の背景として随所に織り込みながら、見る者によって解釈や感想が大きく違ってくる作劇の妙であろう。当時は、’60年代末にアメリカで生まれた若者のカウンターカルチャーが世界へと広まった時代。ラブ&ピースにフリーセックス、反体制に反権力、自然への回帰にスピリチュアリズム。まさしくサマーアイル島の人々のライフスタイルそのものである。反対に主人公ハウイ巡査部長は、原理主義的なクリスチャンでガチガチに潔癖主義のモラリスト。そのうえ、警察権力を笠に着て島民のプライバシーを土足で踏み荒らす権威主義者だ。 なので、最初のうちは正義の味方である警察官が閉鎖的な島へ迷い込み、邪教信者の島民たちによって恐ろしい目に遭う話なのかと思っていると、だんだんとハウイ巡査部長の横柄な偽善者ぶりが鼻につくようになり、やがて気が付くと島民の方に肩入れしてしまうのだ。もちろん、そうじゃない観客もいることだろう。なので、見る者の価値観や道徳観によって受け止め方も大きく違ってくる。衝撃的なクライマックスも、人によっては恐怖よりもある種のカタルシスを強く覚えるはずだ。 また、本作の魅力を語るうえで外せないのが、ポール・ジョヴァンニによる劇中の挿入歌や伴奏スコア。なにしろ、もはや半ばミュージカル映画のようなものじゃないか?と思うくらい、本作では音楽が重要な役割を占めているのだ。ケルト音楽をベースにした牧歌的で美しいメロディは、それゆえにどこか不穏な空気を醸し出す。幾度となくCD化もされたサントラ盤アルバムはフォーク・ロック・ファンも必聴だ。 ちなみに、本作には大きく分けて3種類のバージョンが存在する。というのも、完成直後に製作会社のブリティッシュ・ライオンがEMIに買収され、プロデューサーのピーター・スネルがクビになってしまったのだ。解雇された映画会社重役の置き土産が、後継者によって杜撰な扱いを受けるのは業界アルアル。この手の映画に理解のあるアメリカのロジャー・コーマンに命運を託そうと、スネルはコーマンのもとへオリジナル編集版のフィルムを送付したが、しかし残念ながら配給契約は成立しなかった。結局、100分の本編はブリティッシュ・ライオンの指示で89分へと短縮。ハウイ巡査部長の人となりが分かる本土での仕事ぶりや生活ぶりを描いたシーンや、ブリット・エクランド扮する妖艶な美女ウィローが若者の筆おろしをするシーンなどが失われ、カットされたフィルムは廃棄されてしまったと言われる。 しかし、ロジャー・コーマンが保管していたオリジナル編集版フィルムを基に、ロビン・ハーディ監督自身が’79年に最も原型に近い99分バージョンを製作。これがディレクターズ・カット版として流通している。さらに、ハーヴァード大学のフィルム・アーカイブで本作の未公開バージョン・フィルムが発見され、それを基にした94分のファイナル・カット版も’13年に発表されている。今回、ザ・シネマで放送されるのは劇場公開時の89分バージョンだが、機会があれば是非、ディレクターズ・カット版やファイナル・カット版もチェックして頂きたい。本作が描かんとした文化対立的なテーマの本質を、より深く考察できるはずだ。■ 『ウィッカーマン』© 1973 STUDIOCANAL FILMS Ltd - All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2023.08.14
“戦争映画”の歴史を塗り替えた!巨匠イーストウッドの“日本映画”。『硫黄島からの手紙』
2000年代中盤、70代半ばとなったクリント・イーストウッドの監督としてのキャリアは、まさにピークを迎えていた。『ミスティック・リバー』(03)は、アカデミー賞6部門にノミネート。ショーン・ペンに主演男優賞、ティム・ロビンスに助演男優賞のオスカーをもたらした。翌年の『ミリオンダラー・ベイビー』(04)では、ヒラリー・スワンクに主演女優賞、モーガン・フリーマンに助演男優賞が渡っただけではなく、イーストウッド自身に、『許されざる者』(1992)以来となる、それぞれ2度目の作品賞と監督賞が贈呈された。 もはや彼を、「巨匠」と呼ぶのに、躊躇する者は居なかった。次は何を撮るのか?常に注目される存在となっていた。『ミリオンダラー・ベイビー』に続いて選んだ監督作品は、硫黄島を舞台にした"戦争映画”。小笠原諸島の一部であり、東京とサイパンのちょうど間に位置するこの島では、太平洋戦争末期に激しい戦闘が行われ、日米双方に多大な犠牲者が出ている。戦死者は両軍合わせて、2万7,000人近くに及ぶという。 ノンフィクション小説(邦訳「硫黄島の星条旗」)をベースにした、『父親たちの星条旗』(06)。この企画を彼に持ち掛けたのは、スティーブン・スピルバーグだった。 イーストウッドは、『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家ポール・ハギスに、再び仕事を依頼。ハギスはイーストウッドとミーティングを重ねて、脚本を完成させた。 この作品の主人公は、硫黄島の戦いに参加して英雄となりながらも、その後戦争について語らなかった元米兵。彼が死の床に就いた時、その息子は関係者に話を聞いて初めて、父親の秘めたる真実を知る…。 イーストウッドは若き日、ユニバーサル・スタジオで、オーディ・マーフィーと出会った。マーフィーは第2次大戦の英雄であり、終戦後にハリウッドでスターとなった男で、彼の自伝的映画である『地獄の戦線』(55)という大ヒット作もあった。 しかし彼は、戦争のことを語りたがらなかった。彼がPTSDに苦しんでいたことを、イーストウッドは後に知る。 戦争で死に直面するような経験をした者は、多くを語らない。遠方で差配しているような者に限って、見てきたような勇ましい戦話をするのである。 戦争に英雄などいない。正しい戦争などなく、無意味な「人殺し」しかない。これがイーストウッドの、“戦争観”である。 しかしそれと同時に、死んだ兵士には、敵味方を問わず最大限の敬意が払われるべきなのだ。イーストウッドは言う。「私が観て育ったほとんどの戦争映画では、どちらかが正義で、どちらかが悪だった。人生とはそんなものではないし、戦争もそんなものではない」 そんなイーストウッドだからこそ、米兵を主人公にした『父親たちの星条旗』の製作準備中に、ある疑問に行き当たる。米軍と戦った日本兵たちは、一体どんな状況だったのか? リサーチを続ける中で、イーストウッドの興味を強く惹く、日本の軍人が現れた。硫黄島の戦いで、常識にとらわれない傑出した作戦を打ち出した最高指揮官。その名は、栗林忠道。 1944年5月に硫黄島に着任した栗林中将は、長年の場当たり的な作戦を変更。米軍の攻撃に対抗するため、島中にトンネルを掘り、地下要塞を作り上げる。5,000もの洞穴、トーチカを蜂の巣のように張り巡らせ、日本兵がそこから、米兵を狙えるようにした。 また彼は、日本軍の悪弊である、部下に対する理不尽な体罰を戒め、玉砕を許さなかった。最後の最後まで生き抜いて、1日でも長くこの島を守り抜こうとした。 米軍が欲したのは、この島の飛行場。ここが敵の手に落ちたら、B29の中継基地となって、日本本土への大規模な爆撃が可能となってしまう。栗林は、一般市民が大量に犠牲になるのを、避けるか遅らせるかしたかったと言われる。 アメリカ軍は1945年2月16日に、硫黄島への攻撃を開始。19日から上陸。23日までには、島全体を制圧できると考えていた。しかし実際は栗林の智略の前に、その後も約1ヶ月間、合わせて36日間も戦闘が続いた。 調べれば調べるほど、イーストウッドは栗林への関心が高まっていった。戦前には、アメリカに留学。ハーバード大で英語を学び、その後カナダにも、駐在武官として滞在している。その時代にできた友人も多く、アメリカとの戦争にも反対していた。これが軍の一部から、アメリカ贔屓と見られ、疎まれる結果になったとも言われる。 イーストウッドは、彼が戦地から妻と息子、娘に宛てた手紙にも心を打たれた。住まいの台所のすきま風を心配したり、硫黄島で育てているひよこの成長を、幼い娘に書き送ったり…。 また栗林が率いた若い兵士たちが、「アメリカ兵と実によく似ていた」ことにも、胸を掴まれた。「あれから何十年も経った今、どちらが勝ったとか負けたとかいうことに関係なく、わたしは日本の人々に彼らの生き様を認めてもらうことが必要だと考えた。正しいかどうかは別として、祖国のために彼らが払った犠牲に目を向けてもらいたかったー実際、彼らは犠牲者だったのだから」 そしてイーストウッドは、前代未聞のプロジェクトに挑む決断をする。硫黄島の戦闘をアメリカ側の視点から描く『父親たちの星条旗』だけでなく、日本側の視点から描いた作品も、同時に製作する。 この戦争映画の歴史に残る、画期的なチャレンジ。当初は日本人監督の起用も考えたというが、イーストウッドは『父親たちの星条旗』に続けて、自らメガフォンを取ることを決めた。 脚本はポール・ハギスの推薦で、日系アメリカ人二世の、アイリス・ヤマシタの起用となった。 戦場に於いて米兵だったら、生きて帰れる可能性に賭ける。一方日本兵は、死を覚悟して戦う。アメリカ人のイーストウッドにとっては凡そ理解し難い、この日本兵のメンタリティーに迫るため、彼は様々な勉強を重ねたという。 本作『硫黄島からの手紙』(06)は、『父親たちの星条旗』の撮影終了後、すぐにクランクイン。内容的には、栗林をはじめ主要な登場人物の過去の回想シーンなど織り交ぜながらも、硫黄島での日本軍の戦闘準備から、米軍上陸、激戦、終結までを描く。 主役の栗林を演じたのは、渡辺謙。ハリウッドデビュー作の『ラスト サムライ』(03)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、『バットマン ビギンズ』(05)『SAYURI』(05)と、大作への出演が続いていた。憧れの人イーストウッドの『父親たちの星条旗』製作の報を耳にして、1シーンでもいいから出たいと、願ったという。 それと対になる本作の栗林役に決まると、関係資料を読んだり、栗林の孫や甥に会って、彼の遺した書など見せてもらったりなどのリサーチを行った。 栗林が生まれ育った長野県の生家には、取り壊される前日に訪問。その際に墓参りをすると、雪がちらついてきて、渡辺は思った。こんな寒い場所で育った人が、南方の暑い島で死を賭して戦うとは、さぞ辛かったであろうと。 本作で渡辺は、“主役”である以上の働きを見せた。英語で書かれた脚本を、日本語の表現に換えていく作業を手伝ったのをはじめ、日本側で発見した栗林のエピソードや記録も付け加えてもらった。また若き日本兵を演じた、加瀬亮と二宮和也の役が、当初書かれていた年齢から逆転していたので、2人の関係や生まれた土地のことなども考慮して、微妙なニュアンスのリライトを行った。 危惧されたのは、全編日本語での撮影であること。しかしイーストウッドは、意に介さなかった。 彼の俳優としての出世作である、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタンでの経験が、大きかった。主にスペインでの撮影で、キャストやスタッフが全く異なる言語を話す状況の中、イタリア人のレオーネは当時、英語などろくに話せない状態だった。それにも拘わらず、主演のイーストウッドと二人三脚で、『荒野の用心棒』をはじめとした傑作群をものしているのだ。「いい演技というものは、言葉に関係なくいい演技として伝わるもの…」。セリフの間違いなどテクニカルなことは、通訳を通じて修正すれば良い。その上で、日本人俳優の目や顔など感情表現の小さな違いが、イーストウッドにとっては、「新鮮な発見」だったという。 二宮和也は、台本に書いてないことを急にやりたくなった時に、「そういうことをやっていいの?」と、イーストウッドに尋ねた。それに対する彼の答は、「いいんだよ」。イーストウッド本人が、俳優として「台本に書いてないこと、自分のアイデアを提案することが好き」だったためだ。役作りに関しては、自由に膨らませていいと、出演者たちに伝えた。 栗林と同じく、実在の人物だったバロン西を演じたのは、伊原剛志。西は、1932年のロサンゼルス五輪馬術競技の金メダリストで、ロスの名誉市民章も貰っている国際人だった。撮影前に西の息子に会って話を聞くなどした伊原は、俳優の自主性を重んじるイーストウッドの演出について、「彼の中の大きな枠、方向性があって、そこを間違うと修正されるというような感じ…」と、語っている。 伊原は、軍隊についての資料やビデオ、例えば敬礼の仕方などを収録したDVDなどを集めて、撮影地へと持ち込んだ。これが多くの“日本兵”たちの役に立った。 憲兵失格で戦地に送られた兵士を演じた加瀬亮は、オーディションに受かってから撮影までの時間がなかった。そのため、軍事訓練どころか、敬礼の仕方もわからないままの現地入りだった。伊原のDVDの存在を知った彼は、二宮らと伊原の部屋へと押しかけて、即席で勉強したという。 渡辺は文献や映像から、栗林を実践的な人と判断。硫黄島も自分の足で調査したのだろうと考えて、当初はブーツしか用意されていなかったのを、衣裳として地下足袋やゲートルを提案。日本から取り寄せてもらった。 イーストウッドに対して、“父親”を感じたという渡辺は、ある時にはっと閃いた。「(自分の)この役は、クリント自身なんだな」。それからは、イーストウッドとスタッフとのやり取りなどを、つぶさに観察。語り方や目線、立ち居振る舞いを参考にして、栗林を演じたという。 演出は本能的に行うという、イーストウッド。俳優たちが己の役を、過剰に考えたり分析しすぎたりして、あまりにも細かい要素を入れようとすると、本質を見失ってしまうと、考えている。そのために撮影も、最初のテイクこそ最良のものが出るという思想で、テストもほとんどしない。その結果として、「早撮り」になる。 下士官の1人を演じた中村獅童曰く、「「リハーサルだろうな」と思っていたら、「OK」と突然言われて、撮っていたことに気付くこともあった」 戦闘シーンなど本作の撮影の大部分は、経費や安全面から、アイスランドの火山島でロケーション。日本政府などの許可を得て行われた硫黄島ロケは、メインキャストでは1人だけ、渡辺謙が参加した。 栗林が海岸を調査するシーンや、山に登って、島全体を見渡すシーンなどが撮影されたが、この地で見聞したものは、渡辺の想像を超えていたという。 地下壕や司令部が在った場所で、その狭さや息苦しさ、暑さを実感し、僅かな食糧や水で何日も過ごすことなど、考えるだけで体が震えてきた。先にこの体験をしていたら、「…怖ろしさで演じられなかったかも…」と、渡辺は語っている。 単に日程的な問題だったのかも、知れない。しかし「役を作り込ませ過ぎない」イーストウッドの演出法から考えて、ひょっとすると硫黄島での撮影が後回しだったのも、その辺りの配慮があったのかもなどと、想像が働く。『硫黄島からの手紙』は、2006年12月に日米で公開。日本では興収50億円を超える大ヒットとなった。アメリカでは、興行的には成功したと言い難い結果となったが、評価は高く、アカデミー賞では作品賞を含む4部門にノミネート。その内、音響編集賞を受賞した。 巨匠クリント・イーストウッドによる、“日本映画”とも言える本作。製作から17年経った今日でも、“戦争映画”の歴史に於いて、エポックメーキングとして語り継がれる。■
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COLUMN/コラム2024.12.27
ハリウッド・アクションの金字塔『ダイ・ハード』シリーズの魅力に迫る!
テレビ界の人気者だった俳優ブルース・ウィリスをハリウッド映画界のスーパースターへと押し上げ、25年間に渡って計5本が作られた犯罪アクション『ダイ・ハード』シリーズ。1作目はロサンゼルスにある大企業の本社ビル、2作目は首都ワシントンD.C.の国際空港、3作目は大都会ニューヨークの市街、さらに4作目はアメリカ東海岸全域で5作目はロシアの首都モスクワと、作品ごとに舞台となる場所を変えつつ、「いつも間違った時に間違った場所にいる男」=ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)が、毎回「なんで俺ばかりこんな目に遭わなけりゃならないんだよ!」とぼやきながらも、凶悪かつ狡猾なテロ集団を相手に激しい戦いを繰り広げていく。 1月のザ・シネマでは、新年早々にその『ダイ・ハード』シリーズを一挙放送(※3作目のみ放送なし)。そこで今回は、1作目から順番にシリーズを振り返りつつ、『ダイ・ハード』シリーズが映画ファンから愛され続ける理由について考察してみたい。 <『ダイ・ハード』(1988)> 12月24日、クリスマスイヴのロサンゼルス。ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、別居中の妻ホリー(ボニー・ベデリア)が重役を務める日系企業・ナカトミ商事のオフィスビルを訪れる。仕事優先で家庭を顧みず、妻のキャリアにも理解が乏しい昔気質の男ジョンは、それゆえ夫婦の間に溝を作ってしまっていた。クリスマスを口実に妻との和解を試みるもあえなく撃沈するジョン。すると、ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)率いる武装集団がナカトミ商事のクリスマス・パーティ会場へ乱入し、出席者全員を人質に取ったうえで高層ビル全体を占拠してしまった。 たまたま別室にいて拘束を免れたジョンは、欧州の極左テロ組織を名乗るグルーバーたちの犯行動機がイデオロギーではなく金であることを知り、協力を拒んだタカギ社長(ジェームズ・シゲタ)を射殺する様子を目撃する。このままでは妻ホリーの命も危ない。居ても立ってもいられなくなったジョンは、警察無線で繋がったパトロール警官アル(レジナルド・ヴェルジョンソン)と連絡を取りつつ、敵から奪った武器で反撃を試みる。やがてビルを包囲する警官隊にマスコミに野次馬。周囲が固唾を飲んで状況を見守る中、ジョンはたったひとりでテロ組織を倒して妻を救出することが出来るのか…? ジャパン・マネーが世界経済を席巻したバブル期の世相を背景に、大手日系企業のオフィスビル内で繰り広げられるテロ組織と運の悪い刑事の緊迫した攻防戦。この単純明快なワンシチュエーションの分かりやすさこそ、本作が興行的な成功を収めた最大の理由のひとつであろう。さらに原作小説では3日間の話だったが、映画版では1夜の出来事に短縮することでスピード感も加わった。そのうえで、ビル全体を社会の象徴として捉え、それを破壊することで登場人物たちの素顔や関係性を炙り出していく。シンプルでありながらも中身が濃い。『48時間』(’82)や『コマンドー』(’87)のスティーヴン・E・デ・スーザのソリッドな脚本と、当時『プレデター』(’87)を当てたばかりだったジョン・マクティアナンの軽妙な演出が功を奏している。これをきっかけに、暴走するバスを舞台にした『スピード』(’94)や、洋上に浮かぶ戦艦内部を舞台にした『沈黙の戦艦』(’92)など、本作の影響を受けたワンシチュエーション系アクションが流行ったのも納得だ。 もちろん、主人公ジョン・マクレーン刑事の庶民的で親しみやすいキャラも大きな魅力である。ダーティ・ハリー的なタフガイ・ヒーローではなく、アメリカのどこにでもいる平凡なブルーカラー男性。ことさら志が高かったり勇敢だったりするわけでもなく、それどころか人間的には欠点だらけのダメ男だ。そんな主人公が運悪く事件現場に居合わせたことから、已むに已まれずテロ組織と戦うことになる。観客の共感を得やすい主人公だ。また、そのテロ組織がヨーロッパ系の白人という設定も当時は新鮮だった。なにしろ、’80年代ハリウッド・アクション映画の敵役と言えば、アラブ人のイスラム過激派か南米の麻薬組織というのが定番。もしくは日本のヤクザかニンジャといったところか。そうした中で、厳密には黒人とアジア人が1名ずついるものの、それ以外は主にドイツやフランス出身の白人で、なおかつリーダーはインテリ極左という本作のテロ組織はユニークだった。 ちなみに、本作で「もうひとりの主役」と呼ばれるのが舞台となる高層ビル「ナカトミ・プラザ」。20世紀フォックス(現・20世紀スタジオ)の本社ビルが撮影に使われたことは有名な逸話だ。もともとテキサス辺りで撮影用のビルを探すつもりだったが、しかし準備期間が少ないことから、当時ちょうど完成したばかりだった新しい本社ビルを使うことになった。ビルが建つロサンゼルスのセンチュリー・シティ地区は、同名の巨大ショッピングモールや日本人観光客にもお馴染みのインターコンチネンタル・ホテルなどを擁するビジネス街として有名だが、もとを遡ると周辺一帯が20世紀フォックスの映画撮影所だった。しかし、経営の行き詰まった60年代に土地の大半を売却し、再開発によってロサンゼルス最大級のビジネス街へと生まれ変わったのである。パラマウントやワーナーなどのメジャー他社に比べて、20世紀スタジオの撮影所が小さくてコンパクトなのはそのためだ。 <『ダイ・ハード2』(1990)> あれから1年後のクリスマスイヴ。ジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は出張帰りの妻ホリー(ボニー・ベデリア)を出迎えるため、雪の降り積もるワシントンD.C.の空港へやって来る。空港にはマスコミの取材陣も大勢駆けつけていた。というのも、麻薬密輸の黒幕だった南米某国のエスペランザ将軍(フランコ・ネロ)が、ちょうどこの日にアメリカへ護送されてくるからだ。妻の到着を今か今かと待っているジョンは、貨物室へと忍び込む怪しげな2人組に気付いて追跡したところ銃撃戦になる。実は、反共の英雄でもあったエスペランザ将軍を支持するスチュアート大佐(ウィリアム・サドラー)ら元米陸軍兵グループが、同将軍を救出するべく空港占拠を計画していたのだ。 絶対になにかあるはず。悪い予感のするジョンだったが、しかし空港警察のロレンゾ署長(デニス・フランツ)は全く聞く耳を持たない。やがて空港の管制システムはテロ・グループに乗っ取られ、到着予定の旅客機がいくつも着陸できなくなってしまう。その中にはジョンの妻ホリーの乗った旅客機もあった。乗員乗客を人質に取られ、手も足も出なくなってしまった空港側。敵は必ず近くに隠れているはず。そのアジトを割り出してテロ・グループを一網打尽にしようとするジョンだったが…? 今回の監督は『プリズン』(’87)や『フォード・フェアレーンの冒険』(’90)で高く評価されたフィンランド出身のレニー・ハーリン。特定の空間に舞台を絞ったワンシチュエーションの設定はそのままに、巨大な国際空港とその周辺で物語を展開させることで、前作よりもスペクタクルなスケール感を加味している。偉そうに威張り散らすだけの無能な現場責任者や、特ダネ欲しさのあまり人命を軽視するマスコミなど、権力や権威を揶揄した反骨精神も前作から継承。また、南米から流入するコカインなどの麻薬汚染は、当時のアメリカにとって深刻な社会問題のひとつ。麻薬密輸の黒幕とされるエスペランザ将軍は、恐らく’89年に米海軍特殊部隊によって拘束された南米パナマ共和国の独裁者ノリエガ将軍をモデルにしたのだろう。そうした同時代の世相が、物語の重要なカギとなっているのも前作同様。嫌々ながらテロとの戦いに身を投じるジョン・マクレーン刑事のキャラも含め、監督が代わっても1作目のDNAはしっかりと受け継がれている。ファンが『ダイ・ハード』に何を期待しているのか、製作陣がちゃんと考え抜いた結果なのだろう。 そんな本作の要注目ポイントは管制塔と滑走路のセット。そう、まるで実際に空港の管制塔で撮影したような印象を受けるが、実際は劇中の管制塔もその向こう側に広がる滑走路も、20世紀フォックスの撮影スタジオに建てられたセットだったのである。本物の管制塔は地味で狭くて映画的に見栄えがしないため、もっとスタイリッシュでカッコいいセットを一から作ることに。この実物大の管制塔から見下ろす滑走路はミニチュアで、遠近法を利用することで実物大サイズに見せている。これが、当時としてはハリウッドで前例のないほど巨大なセットとして業界内で話題となり、マーティン・スコセッシをはじめとする映画監督や各メジャー・スタジオの重役たちが見学に訪れたのだそうだ。 <『ダイ・ハード3』(1995年)> ※ザ・シネマでの放送なし 1作目のジョン・マクティアナン監督が復帰したシリーズ第3弾。今回、ザ・シネマでの放送がないため、ここでは簡単にストーリーを振り返るだけに止めたい。 ニューヨークで大規模な爆破テロ事件が発生。サイモンと名乗る正体不明の犯人は、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)を指名して、まるで面白半分としか思えないなぞなぞゲームを仕掛けてくる。しかも、制限時間内に正解を出せなければ、第2・第3の爆破テロが起きてしまう。妻に三下り半を突きつけられたせいで酒に溺れ、警察を停職処分になっていたジョンは、テロリストからニューヨーク市民の安全を守るため、嫌々ながらもなぞなぞゲームに付き合わされることに。さらに、何も知らず善意でジョンの窮地を救った家電修理店の店主ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)までもが、ジョンを助けた罰としてサイモンの命令でゲームに参加させられる。 やがて浮かび上がる犯人の正体。それは、かつてナカトミ・プラザでジョンに倒されたテロ・グループの首謀者、ハンス・グルーバーの兄サイモン・ピーター・グルーバー(ジェレミー・アイアンズ)だった。弟が殺されたことを恨んでの復讐なのか。そう思われた矢先、サイモン率いるテロ組織の隠された本当の目的が明るみとなる…!。 <『ダイ・ハード4.0』(2007)> FBIサイバー対策部の監視システムがハッキングされる事件が発生。これを問題視したFBI副局長ボウマン(クリフ・カーティス)は、全米の名だたるハッカーたちの身柄を拘束し、ワシントンD.C.のFBI本部へ送り届けるよう各捜査機関に通達を出す。その頃、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に過保護ぶりを煙たがられたニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、ニュージャージーに住むハッカーの若者マシュー・ファレル(ジャスティン・ロング)をFBI本部へ護送するよう命じられるのだが、そのマシューの自宅アパートで正体不明の武装集団に襲撃される。 武装集団の正体は、サイバー・テロ組織のリーダーであるトーマス・ガブリエル(ティモシー・オリファント)が差し向けた暗殺部隊。FBIをハッキングするため全米中のハッカーを騙して利用したガブリエルは、その証拠隠滅のため遠隔操作の爆弾で用済みになったハッカーたちを次々と爆殺したのだが、マシューひとりだけが罠に引っかからなかったため暗殺部隊を送り込んだのである。そうとは知らぬジョンとマシューは、激しい攻防戦の末にアパートから脱出。命からがらワシントンD.C.へ到着した彼らが目の当たりにしたのは、サイバー・テロによってインフラ機能が完全に麻痺した首都の光景だった。かつて国防総省の保安責任者だったガブリエルは、国の危機管理システムの脆弱性を訴えたが、上司に無視され退職へ追い込まれていた。「これは国のため」だといって自らの犯行を正当化するガブリエル。しかし、彼の本当の目的が金儲けであると気付いたジョンとマシューは、なんとかしてその計画を阻止しようとするのだったが…? 12年ぶりに復活した『ダイ・ハード』第4弾。またもや間違った時に間違った場所にいたジョン・マクレーン刑事が、運悪くテロ組織の破壊工作に巻き込まれてしまう。しかも今回はテクノロジー社会を象徴するようなサイバー・テロ。かつてはファックスすら使いこなせていなかった超アナログ人間のジョンが、成り行きで相棒となったハッカーの若者マシューに「なんだそれ?俺に分かる言葉で説明しろ!」なんてボヤきながらも、昔ながらのアナログ・パワーをフル稼働してテロ組織に立ち向かっていく。9.11以降のアメリカのセキュリティー社会を投影しつつ、果たしてテクノロジーに頼りっきりで本当に良いのだろうか?と疑問を投げかけるストーリー。本格的なデジタル社会の波が押し寄せつつあった’07年当時、これは非常にタイムリーなテーマだったと言えよう。 監督のレン・ワイズマンも脚本家のマーク・ボンバックも、10代の頃に『ダイ・ハード』1作目を見て多大な影響を受けた世代。当時まだ小学生だったマシュー役のジャスティン・ロングは、親から暴力的な映画を禁止されていたため大人になってからテレビでカット版を見たという。そんな次世代のクリエイターたちが中心となって作り上げた本作。ワイズマン監督が最もこだわったのは、「実写で撮れるものは実写で。CGはその補足」ということ。なので、『ワイルド・スピード』シリーズも真っ青な本作の超絶カー・アクションは、そのほとんどが実際に車を壊して撮影されている。劇中で最もインパクト強烈な、車でヘリを撃ち落とすシーンもケーブルを使った実写だ。CGで付け足したのは回転するヘリのプロペラだけ。あとは、車が激突する直前にヘリから飛び降りるスタントマンも別撮りシーンをデジタル合成している。しかし、それ以外は全て本物。中にはミニチュアと実物大セットを使い分けたシーンもある。こうした昔ならではの特殊効果にこだわったリアルなアクションの数々に、ワイズマン監督の『ダイ・ハード』シリーズへの深い愛情が感じられるだろう。 <『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013)> 長いこと音信不通だった息子ジャック(ジェイ・コートニー)がロシアで殺人事件を起こして逮捕されたと知り、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に見送られてモスクワへと向かったニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)。ところが、到着した裁判所がテロによって爆破されてしまう。何が何だか分からず混乱するジョン。すると息子ジャックが政治犯コマロフ(セバスチャン・コッホ)を連れて裁判所から逃走し、その後を武装したテロ集団が追跡する。実はCIAのスパイだったジャックは、コマロフを救出する極秘任務を任されていたのだ。ロシアの大物政治家チャガーリンの犯罪の証拠を握っており、チャガーリンを危険視するCIAはコマロフをアメリカへ亡命させる代わりに、その証拠であるファイルを手に入れようと考えていたのである。 そんなこととは露知らぬジョンは、追手のテロ集団を撃退するものの、結果としてジャックの任務を邪魔してしまうことに。ひとまずCIAの隠れ家へ駆け込んだジョンとジャック、コマロフの3人は、アメリカへ亡命するならひとり娘を連れて行きたいというコマロフの意向を汲むことにする。待ち合わせ場所の古いホテルへ到着した3人。ところが、そこで待っていたコマロフの娘イリーナ(ユーリヤ・スニギル)によってコマロフが拉致される。テロ集団はチャガーリンがファイルを握りつぶすために差し向けた傭兵部隊で、イリーナはその協力者だったのだ。敵にファイルを奪われてはならない。コマロフのファイルが隠されているチェルノブイリへ向かうジョンとジャック。実はコマロフはただの政治犯ではなく、かつてチャガーリンと組んでチェルノブイリ原発から濃縮ウランを横流し、それを元手にして財を成したオリガルヒだった。コマロフを救出しようとするマクレーン親子。ところが、現地へ到着した2人は思いがけない事実を知ることになる…! オール・アメリカン・ガイのジョン・マクレーン刑事が、初めてアメリカ国外へ飛び出したシリーズ最終章。『ヒットマン』(’07)や『G.I.ジョー』(’09)のスキップ・ウッズによる脚本は、正直なところもう少し捻りがあっても良かったのではないかと思うが、しかし報道カメラマン出身というジョン・ムーア監督の演出は、前作のレン・ワイズマン監督と同様にリアリズムを重視しており、あくまでも本物にこだわった大規模なアクション・シーンで見せる。中でも、ベラルーシで手に入れたという世界最大の輸送ヘリコプターMi-26の実物を使った空中バトルは迫力満点だ。 なお、当初はモスクワで撮影する予定でロケハンも行ったが、しかし現地での街頭ロケはコストがかかり過ぎるという理由で断念。代替地としてモスクワと街並みのよく似たハンガリーのブダペストが選ばれた。イリーナ役のユーリヤ・スニギルにチャガーリン役のセルゲイ・コルスニコフと、ロシアの有名な俳優が出演している本作だが、しかしジョンがロシア人を小バカにするシーンなど、決してロシアに対して好意的な内容ではないことから、現地では少なからず批判に晒されたようだ。実際、ムーア監督がイメージしたのはソヴィエト時代そのままの「陰鬱で荒涼とした」モスクワ。明るくて華やかで賑やかな現実の大都会モスクワとは別物として見た方がいいだろう。 <『ダイ・ハード』シリーズが愛される理由とは?> これはもう、主人公ジョン・マクレーン刑事と演じる俳優ブルース・ウィリスの魅力に尽きるとしか言いようがないであろう。ことさら勇敢なわけでもなければ正義感が強いわけでもない、ぶっちゃけ出世の野心もなければ向上心だってない、愛する家族や友人さえ傍にいてくれればいいという、文字通りどこにでもいる平々凡々とした昔ながらの善良なアメリカ人男性。刑事としての責任感や倫理観は強いものの、しかしその一方で権威や組織に対しては強い不信感を持っており、たとえお偉いさんが相手だろうと一切忖度などしない。そんな反骨精神あふれる庶民派の一匹狼ジョン・マクレーン刑事が、いつも運悪く面倒な事態に巻き込まれてしまい、已むに已まれずテロリスト集団と戦わざるを得なくなる。しかも、人並外れて強いというわけでもないため、最後はいつもボロボロ。このジョン・マクレーン刑事のヒーローらしからぬ弱さ、フツーっぽさ、親しみやすさに、観客は思わず同情&共感するのである。 加えて、もはや演技なのか素なのか分からないほど、役柄と一体化したブルース・ウィリスの人間味たっぷりな芝居も素晴らしい。もともとテレビ・シリーズ『こちらブル―ムーン探偵社』(‘85~’89)の私立探偵デイヴ・アディスン役でブレイクしたウィリス。お喋りでいい加減でだらしがなくて、特にこれといって優秀なわけでも強いわけでもないけど、しかしなぜだか愛さずにはいられないポンコツ・ヒーロー。そんなデイヴ役の延長線上にありつつ、そこへ労働者階級的な男臭さを加味したのがジョン・マクレーン刑事だと言えよう。まさにこれ以上ないほどの適役。当初候補に挙がっていたシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーでは、恐らく第二のランボー、第二のコマンドーで終わってしまったはずだ。 もちろん、重くなり過ぎない軽妙洒脱な語り口やリアリズムを追究したハードなアクション、最前線の苦労を知らない無能で横柄な権力者やマスコミへの痛烈な風刺精神、同時代の世相を巧みにストーリーへ織り込んだ社会性など、1作目でジョン・マクティアナンが打ち出した『ダイ・ハード』らしさを確実に継承した、歴代フィルムメーカーたちの職人技的な演出も高く評価されるべきだろう。彼らはみんな、『ダイ・ハード』ファンがシリーズに何を望んでいるのかを踏まえ、自らの作家的野心よりもファンのニーズに重きを置いて映画を作り上げた。これぞプロの仕事である。 その後、ブルース・ウィリス自身は6作目に意欲を示していたと伝えられるが、しかし高次脳機能障害の一種である失語症を発症したことから’22年に俳優業を引退。おのずと『ダイ・ハード』シリーズにも幕が降ろされることとなった。■ 「ダイ・ハード」© 1988 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード2」© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード4.0」© 2007 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード/ラスト・デイ」© 2013 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.