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COLUMN/コラム2024.04.30
鬼才クライヴ・バーカーが生んだカルトホラー映画の傑作『ヘルレイザー』シリーズの魅力を紐解く!
そもそも『ヘルレイザー』シリーズとは? 謎のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を解くと地獄へ通じる門が開き、セノバイト(魔道士)と呼ばれる世にも恐ろしい魔界の使者たちが出現、好奇心で彼らを召喚した人間は地獄へと引きずり込まれ、肉体的な快楽と苦痛を極限まで追究するための実験台にされてしまう。そんな一種独特の都市伝説的な怪奇幻想の世界を描き、以降も数々の続編やリブート版が作られるほどの人気シリーズとなったのが、あのスティーブン・キングとも並び称されるイギリスのホラー小説家にして舞台演出家、劇作家、イラストレーターにコミック・アーティスト、ビジュアル・アーティストなど、マルチな肩書を持つ鬼才クライヴ・バーカーが監督したホラー映画『ヘル・レイザー』(’87)である。 原作は’86年に出版されたダーク・ハーヴェスト社のホラー・アンソロジー「Night Visions」第3集にバーカーが寄稿した小説「ヘルバウンド・ハート」(’88年に単独でペーパーバック化)。『13日の金曜日』(’80)の大ヒットに端を発する空前のホラー映画ブームに沸いた’80年代、その牽引役となったのは殺人鬼がティーン男女を血祭りに挙げるスラッシャー映画と生ける屍が人間を食い殺すゾンビ映画だが、しかし’80年代半ばにもなるとどちらも供給過多で飽和状態に陥ってしまう。そのタイミングで登場したのが本作だった。 古典的なゴシックホラーとアングラなパンク&ニューウェーヴを融合したエッジーな世界観、ボディピアシングやボディサスペンションなどのSM的なフェティシズムを取り込んだ過激なスプラッター描写。当時量産されていたスラッシャー映画やゾンビ映画と一線を画す独創性こそが成功の秘訣だったように思う。中でも、身体改造とボンデージの魅力を兼ね備えたセノバイトたちの変態チックなキャラ造形(バーカー自身がデザイン)はインパクト強烈。そのリーダー格であるピンヘッドはシリーズの実質的な看板スターとして、『エルム街の悪夢』シリーズのフレディや『13日の金曜日』シリーズのジェイソン、『悪魔のいけにえ』シリーズのレザーフェイスなどと並ぶホラー・アイコンとなった。 今のところ合計で11本を数える『ヘル・レイザー』シリーズだが、5月のザ・シネマでは初期の1作目~4作目までを一挙放送。そこで、今回は該当する4作品を中心にシリーズの見どころを振り返ってみたい。 『ヘル・レイザー』(1987) 物語の始まりは北アフリカのモロッコ。快楽主義者のフランク・コットン(ショーン・チャップマン)は、究極の快楽世界への扉を開くと言われる伝説のパズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れ、実家へ持ち帰ってパズルを解いたところ、地獄から現れたセノバイト(魔導士)たちによって八つ裂きにされる。彼らにとって究極の快楽とは究極の苦痛でもあるのだ。 それから数年後、フランクの兄ラリー(アンドリュー・ロビンソン)が妻ジュリア(クレア・ヒギンズ)を連れて実家へ戻って来る。屋根裏部屋には消息を絶ったフランクの私物がそのままになっていた。漂うフランクの残り香に身悶えるジュリア。実は彼女とフランクはかつて不倫の関係にあり、ジュリアは今もなお彼の肉体を忘れられないでいたのだ。すると引っ越し作業中にラリーが手を汚してしまい、屋根裏部屋の床に零れた血液からフランクが復活してしまう。ジュリアの目の前に現れたのは、まだ完全体ではない「再生途中」のフランク。元の姿へ戻るためには生贄が必要だ。そう言われたジュリアは、ラリーの留守中に行きずりの男性を家へ連れ込んでは殺害し、フランクは犠牲者たちの精気を吸収していく。 一方、ラリーと前妻の娘カースティ(アシュレイ・ローレンス)はジュリアの怪しげな行動に気付き、屋根裏部屋で何が行われているのか確認しようとしたところ、世にも醜悪な姿の叔父フランクと遭遇。驚いた彼女はパズルボックスを奪って逃げるも途中で気を失ってしまう。病院で意識を取り戻したカースティは、好奇心に駆られてパズルボックスを解いたところ、ピンヘッド(ダグ・ブラッドレイ)をリーダーとするセノバイトたちが地獄より出現。フランクが地獄から逃げたことを知ったピンヘッドは、カースティを使って彼を再び地獄へ引き戻そうとするのだが…? これが長編劇映画デビューだったクライヴ・バーカー監督。それまで2本の短編映画を撮った経験しかなかったバーカーだが、しかし脚本に携わった自著の映画化『アンダーワールド』(’85)や『ロウヘッド・レックス』(’86)の出来栄えに不満足だったことから、自分自身の手で演出まで手掛けることにしたというわけだ。もともとヴァージン・レコード傘下のヴァージン・フィルムが出資を検討したが最終的に手を引き、アメリカのB級映画専門会社ニューワールド・ピクチャーズが全額出資することに。ラリー役に『ダーティハリー』(’71)の殺人鬼スコルピオ役で有名なアンディ・ロビンソン、その娘カースティ役に新人アシュレイ・ローレンスと、メインキャストにアメリカ人が起用されたのはアメリカ資本が入っているため。さらにアメリカ市場で売りやすくするべく、ニューワールド幹部の指示で一部イギリス人キャストのセリフをアメリカ人俳優が吹き替え、舞台設定もイギリスなのかアメリカなのかをあえて曖昧(撮影地はロンドン)にしている。 飽くなき欲望に取り憑かれた男女による、世にも残酷で醜悪なラブストーリー。見ているだけで痛そうな生々しい残酷シーンの不快感も然ることながら、この人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられるような後味の悪さは、いわゆるハリウッド製ホラーと一線を画す英国ホラーらしい点であろう。そう、実のところ本作におけるメイン・ヴィランはジュリアとフランクであり、あくまでもピンヘッドやセノバイトたちは彼らに審判を下す存在、いわば「地獄の判事」とも呼ぶべきサブキャラに過ぎなかったりする。そもそも、この1作目ではまだ「ピンヘッド」という呼称すら使われていない。どうやら、少なくとも本作の製作時においては、バーカー監督も製作陣もピンヘッドがフレディやジェイソンに匹敵するほどの人気キャラになるとは想像もしていなかったようだ。 そのピンヘッド役を演じたのが、バーカー監督の高校時代の後輩で演劇部の仲間、彼が主催した前衛劇団「ザ・ドッグ・カンパニー」にも参加した盟友ダグ・ブラッドレー。頭部全体に待ち針を刺した異様な見た目のインパクトも然ることながら、舞台俳優ならではの発声法を活かした独特の喋り方やクールで知的な立ち振る舞いなど、その他大勢のホラーモンスターと一線を画すピンヘッドのカッコ良さは、間違いなくブラッドレーの役作りと芝居に負う部分が大きい。恐らく、演者が彼でなければピンヘッドもこれほどの人気キャラにはなっていなかったろう。当初、バーカー監督からピンヘッド役か引っ越し業者役のどちらかを選んでいいと言われたというブラッドレー。これが映画初出演だった彼は、「素顔のはっきりと分かる役柄の方が、あの映画のあの役をやっていたと証明しやすいため、自分のキャリアにとってプラスになるのではないか」と考え、一度は引っ越し業者役を選ぼうとしたらしい。いやあ、最終的に考え直してくれて良かった! 『ヘルレイザー2』(’88) 前作の予想を上回るスマッシュヒットを受け、矢継ぎ早に作られたシリーズ第2弾。日本語タイトルはこれ以降「・(ナカポツ)」が消えて「ヘルレイザー」となる。そもそもアメリカ側の出資元ニューワールド・ピクチャーズは1作目の仕上がりに大変満足したそうで、実は劇場公開前のタイミングで既に続編のゴーサインが出ていたらしい。ただし、当時のクライヴ・バーカーはちょうど『ミディアン』の製作に取り掛かったばかりで手が離せず、その代役として白羽の矢が立てられたマイケル・マクダウェルも健康問題などで降板せざるを得なくなったため、1作目の編集にノークレジットで参加した元ニューワールド・ピクチャーズ重役のトニー・ランデルが監督に抜擢される。また、脚本はバーカーと劇団時代からの友人であるピーター・アトキンスが担当。当時、売れないバンドのリードボーカリストだったアトキンスは、さすがに30代にもなって芽が出ないのは厳しいだろうと音楽のキャリアに見切りをつけ、これを機に映画脚本家へ転向することとなった。 時は1920年代。パズルボックス「ルマルシャンの箱」を手に入れた英国軍人エリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)は、箱のパズルを解いたばかりに地獄へと引きずり込まれ、セノバイト(魔道士)のリーダー、ピンヘッドとなる。 そして現在。地獄から甦った叔父フランクと継母ジュリアに最愛の父ラリーを殺されたカースティ(アシュレイ・ローレンス)は、邪悪なフランクとジュリアに復讐を果たしたものの、しかしトラウマを抱えて精神病院へ収容されていた。担当医のチャナード医師(ケネス・クラナム)と助手カイル(ウィリアム・ホープ)に事の次第を説明し、恐るべきパズルボックスやセノバイトの存在に警鐘を鳴らすカースティ。いくら説明しても信じてもらえないことに苛立つ彼女は、せめてジュリアが死んだベッドのマットレスだけは処分して欲しいと訴える。死に場所の屋根裏部屋で甦った叔父フランクのように、ジュリアもそこから復活する可能性があるからだ。 ところが、実はこのチャナード医師、長いこと「ルマルシャンの箱」を研究してきた危険人物だった。カースティの話にヒントを得た彼は、問題のマットレスを病院のオフィスへ持ち込み、そこへ患者の血を垂らしたところ地獄からジュリア(クレア・ヒギンズ)が復活。たまたまその様子を目撃したカイルは、カースティの話が本当だったことに気付いて彼女を病室から逃がす。父親ラリーが地獄に囚われていると信じ、なんとかして救い出す方法を考えるカースティ。一方、ジュリアの復活に手を貸したチャナード医師は、パズルの才能がある精神病患者の少女ティファニー(イモジェン・ブアマン)を使って「ルマルシャンの箱」を解き、長年の夢だった地獄へと足を踏み入れる。その後を追って地獄入りし、父親を探し求めるカースティ。そこは、聖書に出てくる魔物リバイアサンが支配する迷宮のような異世界だった…! ということで、地獄から甦った魔性の女ジュリアが、魔物リバイアサンの手先として大暴れするという完全に「ジュリア推し」のシリーズ第2弾。実際、ストーリー原案と製作総指揮に関わったクライヴ・バーカーは、悪女ジュリアをシリーズの顔にするつもりだったらしい。ところが、そんな思惑とは裏腹にファンが熱狂したのはピンヘッドとセノバイト軍団。そのうえ、ジュリア役のクレア・ヒギンズが3作目への出演オファーを断ったため、ピンヘッドを看板に据えたシリーズの方向性が固まったのである。 そのピンヘッドやセノバイトたちが、実はもともと人間だったことが明かされる本作。1作目の段階では「裏設定」としてスタッフやキャストに共有されていたそうだが、今回はきっちりとストーリーに組み込まれている。そのうえで本作は、地獄とはいったいどのような空間でどういう仕組みになっているのか、どうやって人間がセノバイトへと生まれ変わるのかなど、シリーズの背景となるベーシックな世界観を掘り下げていく。そのぶん、前作で見られた背徳的かつ変態的なアングラ感はだいぶ薄れたようにも感じる。恐らく、そこは評価の分かれ目かもしれない。 『ヘルレイザー3』(‘92) 前作『ヘルレイザー2』を上回る大ヒットを記録し、いわばシリーズの人気を決定づけた第3弾。しかしその一方で、ファンの間では激しく賛否の分かれる作品でもある。恐らくその最大の理由は、初めて舞台設定をアメリカのニューヨークと明確にし、実際にイギリスではなくアメリカ(ロケ地はノース・カロライナとロサンゼルス)で撮影を行ったことで、映画全体がすっかりアメリカンな雰囲気になったことであろう。しかも監督はアンソニー・ヒコックスである。前2作と著しく毛色の違う映画になったのも無理はない。 『電撃脱走 地獄のターゲット』(’72)や『ブラニガン』(’75)で知られる娯楽職人ダグラス・ヒコックス監督と、『アラビアのロレンス』(’62)でアカデミー賞に輝く伝説的な映画編集技師アン・V・コーツを両親に持つ映画界のサラブレッド、アンソニー・ヒコックス。少年時代よりハマー・ホラーを熱愛する根っからのホラー映画マニアで、そのオタクっぷりを遺憾なく発揮した『ワックス・ワーク』(’88)シリーズや『サンダウン』(’91)は筆者も大好きなのだが、しかしスタジオシステムが健在だった時代の古き良きクラシック映画の伝統を踏襲した彼の王道的な作風は、パンク&ニューウェーヴの時代の申し子であるクライヴ・バーカーのエクスペリメンタルでアナーキーな感性とは対極にあると言えよう。どちらも同じイギリス人とはいえ、持ち味はまるで違うのだ。しかもヒコックス監督によると、本作のオファーを受けた際にプロデューサーのローレンス・モートーフから、「カルト映画的なイメージを捨てたい、思いっきりメインストリーム映画にして欲しい」と指示されたという。その結果、前2作とは一線を画す極めてハリウッド的なB級ホラー映画に仕上がったのだ。 プレイボーイの若き実業家J・P・モンロー(ケヴィン・バーンハルト)は、ふと立ち寄った画廊で奇妙な彫刻の施された柱に魅了されて衝動買いし、自身が経営する流行りのナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のプライベートスペースに飾る。だがそれは、前作のラストでピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)とパズルボックスを封印した魔界の柱だった。それからほどなくして、テレビの新米レポーター、ジョーイ(テリー・ファレル)は病院の緊急救命室を取材していたところ、怪我で担ぎ込まれた若者が怪現象によって惨死する現場を目撃してしまう。付き添いの女性テリー(ポーラ・マーシャル)によると、ナイトクラブ「ボイラー・ルーム」にある奇妙な柱から出現したパズルボックスが事件に関係しているらしい。そのテリーと一緒に奇妙な柱の出所を調べ始めたジョーイは、やがて一本のビデオテープを発見する。そこに映されていたのは、パズルボックスとセノバイトの危険性を訴える女性カースティ(アシュレイ・ローレンス)の姿だった。 その頃、いつものようにクラブの女性客と適当にセックスを楽しんで追い返そうとしたモンロー。すると、柱から飛び出した鎖が女性客を惨殺し、封印されていたピンヘッドが覚醒する。外の世界へ出るためには更なる生贄が必要だ。そこで、モンローは強大な権力と引き換えに、ピンヘッドのため生贄を捧げることを約束する。一方、徐々にパズルボックスの謎を解き明かして来たジョーイの夢の中に、ピンヘッドの前世であるエリオット・スペンサー大尉(ダグ・ブラッドレー)が出現。実は前作でチャナード医師に倒されたピンヘッドは、その際に善(=スペンサー大尉)と悪(=ピンヘッド)が完全に分離していたのだ。自らがセノバイト(魔道士)となるまでの複雑な過去を明かしたスペンサー大尉は、今や純然たる悪と化したピンヘッドの暴走を阻止すべく力を貸して欲しいとジョーイに告げる…。 冒頭の手術室で看護師が器具を並べるシーンはデヴィッド・クローネンバーグの『戦慄の絆』(’88)、怪我をした若者が病院へ担ぎ込まれるシーンはエイドリアン・ラインの『ジェイコブス・ラダー』(’90)、ジョーイが自宅の窓ガラスを通り抜けて異世界へ迷い込むシーンはジャン・コクトーの『詩人の血』(’30)に『オルフェ』(‘50)といった具合に、全編に渡って大好きな映画へのオマージュが散りばめられているのはヒコックス監督らしいところ。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』(’77)へのオマージュの元ネタが、よりによってジェシカ・ハーパーがウド・キアーを訪ねるシーンなのは、さすがにマニアック過ぎてニヤリとさせられる。さらに、ナイトクラブでの虐殺シーンをはじめとして、過激なスプラッター描写は前2作以上にてんこ盛り。CDJセノバイトにカメラマン・セノバイトなど、ややコミカル寄りな新キャラの造形は少々悪乗りし過ぎという気もするが、それもまたヒコックス監督一流の「サービス精神」の為せる業と言えよう。間違いなく、シリーズ中で最もエンタメ性の高い作品だ。 ちなみに、製作会社との意見の相違からメイン撮影に一切ノータッチだったクライヴ・バーカーだが、しかしプロモーション戦略の上で原作者のお墨付きが欲しいプロデューサー陣に懇願され、製作総指揮として追加撮影およびポスプロの段階から関わったらしい。一方、前作に続いて脚本を書いたバーカーの盟友アトキンスはヒコックス監督とすっかり意気投合し、俳優としてもナイトクラブ「ボイラー・ルーム」のバーテン役&有刺鉄線セノバイト役で出演。また、これ以降『ヘルレイザー』シリーズの製作は、ミラマックス傘下のディメンション・フィルムズが担当することになる。 『ヘルレイザー4』(’96) 監督を手掛けた大物特殊メイクマン、ケヴィン・イェーガーが編集を巡る争いで降板したことから、『THE WIRE/ザ・ワイヤー』や『FRINGE/フリンジ』などのテレビシリーズで知られるジョー・チャペルが追加撮影を行い、最終的にアラン・スミシー名義で公開されたという曰く付きのシリーズ第4弾である。 映画はいきなり2127年の近未来から始まる。自らが設計した宇宙ステーション「ミノス」を占拠した科学者ポール・マーチャント博士(ブルース・ラムゼイ)は、ロボットアームで慎重にパズルボックスを解いてピンヘッド(ダグ・ブラッドレー)を召喚する。それにはある目的があったのだが、しかしそこへ武装した特殊部隊が突入。身柄を拘束されたマーチャント博士は、パズルボックス「ルマルシャンの箱」と自身の家系の忌まわしい歴史について語り始める。 時は遡って1796年のフランスはパリ。マーチャント博士の先祖に当たる玩具職人フィリップ・ルマルシャン(ブルース・ラムゼイ)は、快楽主義者の不良貴族デ・リール公爵(ミッキー・コットレル)の依頼でパズルボックス「ルマルシャンの箱」を製作する。ところが、邪悪なデ・リール公爵は道で拾った貧しい女性アンジェリーク(ヴァレンティナ・ヴァルガス)を生贄にし、「ルマルシャンの箱」を介して地獄の門を開こうとしていた。その様子をたまたま目撃したフィリップは深く後悔し、逆に地獄の門を封じるためのパズルボックスを新たに作ろうとするものの失敗。そのためルマルシャン家は末代まで呪われることとなる。 再び時は移って1996年、アメリカへ移住したルマルシャン家の子孫ジョン・マーチャント(ブルース・ラムゼイ)は建築デザイナーとして大成し、ニューヨークのマンハッタンに「ルマルシャンの箱」をモチーフにした超高層ビルを建てる。彼は秘かに全ての地獄の門を閉じるためのパズルボックスを研究開発していたのだが、そんな彼の前にセノバイトと化したアンジェリークが現れ、召喚したピンヘッドと共にジョンを亡き者にしようと画策。しかし、お互いに信念の相違からピンヘッドとアンジェリークは敵対していく…。 過去・現在・未来と3つの時間軸を跨いで、パズルボックス「ルマルシャンの箱」を作った一族の数奇な運命を描いた大河ドラマ的なエピックストーリー。クラシカルなコスチュームプレイやスペース・オペラ的なサイエンス・フィクションの要素を兼ね備えたプロットは実に贅沢だが、しかしその割にコンパクトでチープな仕上がりなのは、脚本はおろか粗筋すら読まずにゴーサインを出したミラマックス幹部が、後からスケールの大きさに気付いて予算を出し惜しみしたせいだと言われている。 それでもなお、パズルボックスのルーツが解き明かされる中世編はロマンティックな怪奇幻想の香りが漂って秀逸だし、前作のクライマックスで登場した高層ビルの正体が判明する現代編も面白い。恐らく、宇宙ステーションを舞台にした近未来編は、もっとスケールの大きな話になるはずだったのだろう。そう考えると、予算との兼ね合いでクライヴ・バーカーの初期構想を破棄せねばならなかったことが惜しまれる。 その後の『ヘルレイザー』シリーズ 興行成績はまずまずの結果を残したものの、しかし批評的には大惨敗だった『ヘルレイザー4』。これを最後に生みの親クライヴ・バーカーも手を引いてしまうのだが、しかし製作会社ディメンション・フィルムズにとって『ヘルレイザー』シリーズは依然として金の生る木だったため、これ以降もビデオスルー作品として順調に継続していくこととなる。最後にその変遷をザッと辿ってみよう。 21世紀を迎えて早々に作られた『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』(’00)は、連続殺人事件を追う汚職警官の心の闇にピンヘッドが付けこむネオノワール風ホラー。これがまるで、『ジェイコブス・ラダー』×『ロスト・ハイウェイ』と呼ぶべきシュール&ダークな仕上がりで、間違いなくシリーズ屈指の傑作となった。監督は『フッテージ』(‘12)や『ブラック・フォン』(’22)などの小品ホラーで高く評価され、マーベルの『ドクター・ストレンジ』(’16)も手掛けたスコット・デリクソン。これがデビュー作だったが、当時からその才能は抜きん出ていた。 続く『ヘルレイザー/リターン・オブ・ナイトメア』(’02)ではアシュレイ・ローレンス演じるカースティが久々に復活。’02年にルーマニアで同時撮影された『ヘルレイザー/ワールド・オブ・ペイン』(’05)と『ヘルレイザー/ヘルワールド』(’05)は、前者ではルマルシャン家の子孫の率いるカルト集団がセノバイトを支配しようとし、後者ではゲーム版『ヘルレイザー』に熱中する若者たちが次々とピンヘッドに殺されていくメタ設定を採用するなど、どちらも創意工夫を凝らしているものの、残念ながら成功しているとは言えなかった。ちなみに、『ヘルレイザー/ヘルワールド』には無名時代のキャサリン・ウィニックと、撮影当時まだ19歳の初々しいヘンリー・カヴィルが出ている。 その後、6年ぶりに『ヘルレイザー:レベレーション』(’11)が登場するのだが、しかしこれがなんとも酷かった!いよいよダグ・ブラッドレーがピンヘッド役を降板し、新たにステファン・スミス・コリンズという俳優を起用、特殊メイクのデザインも一新されたのだが、残念ながらダグ・ブラッドレー版ピンヘッドのオーラもカリスマ性も皆無。そのうえ、メキシコへヤンチャしに行った不良坊ちゃんコンビがうっかりピンヘッドを召喚してしまうというストーリーもダメダメで、明らかにシリーズ最低の出来栄え。続く『ヘルレイザー:ジャッジメント』(’18)は、『ヘルレイザー/ゲート・オブ・インフェルノ』に倣ったネオノワール・スタイルの犯罪サスペンス・ホラーで、『バートン・フィンク』や『セブン』を彷彿とさせる作風は悪くなかったが、いかんせん安っぽすぎた。 そして、満を持して発表された1作目のリブート版…というよりも原作「ヘルバウンド・ハート」の再映画化が、ディメンション・フィルムズから新たに20世紀スタジオへ権利が移って制作された『ヘル・レイザー』(’22)。といっても、ストーリーは原作とも1作目とも大きく違っている。ピンヘッドも男性から女性へ。セノバイトたちのデザインも刷新された。どうしても「誰か」に「何か」に依存してしまうリハビリ中の薬物中毒患者と、あらゆる悪徳と快楽に溺れてもなお満足できない大富豪を主人公に、人間の弱さと強さ、善と悪、理性と欲望の葛藤を描くストーリーは、『ダークナイト』三部作のデヴィッド・S・ゴイヤーも脚本原案に携わっているだけあって良質な仕上がり。同じデヴィッド・ブルックナー監督で続編も企画されているそうなので、期待して待ちたい。■ 『ヘル・レイザー』『ヘルレイザー2』『ヘルレイザー3』© 2019 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.『ヘルレイザー4』© 2021 VINE LSE INTERNATIONAL IV, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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NEWS/ニュース2025.04.23
【誰でも応募OK】【『イコライザー』シリーズ一挙放送記念】プレゼントキャンペーン
【『イコライザー』シリーズ一挙放送記念】プレゼントキャンペーン ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ ザ・シネマでは、5/10(土)に映画版イコライザーシリーズ3作を一挙放送! さらに一挙放送を記念して、映画『イコライザー THE FINAL』オリジナルグッズが2名様に当たるプレゼントキャンペーンを開催! ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ ■プレゼント賞品 映画『イコライザー THE FINAL』キーホルダー… 2名様 ■応募期間 2025年4月23日(水)12:00〜5月25日(日) 23:59 ご応募はこちら> ■Xフォロー&リポストキャンペーン映画『イコライザー THE FINAL』キャップが2名様に当たる!投稿URL:https://x.com/thecinema_ch/status/1914869333836366205応募規約URL:https://www.thecinema.jp/present/1352 ■【ご加入者様限定】プレゼントキャンペーン ひかりTVご加入者様限定映画『イコライザー THE FINAL』スマホリングが2名様に当たる!応募URL:https://www.thecinema.jp/present/1354 スカパー!ご加入者様限定映画『イコライザー THE FINAL』オリジナルグッズが3名様に当たる!応募URL:https://www.thecinema.jp/present/1355 ■ザ・シネマ放送情報 映画版「イコライザー」シリーズ3作一挙放送 特集ページ:https://www.thecinema.jp/tag/670 デンゼル・ワシントンが2つの顔を持つ処刑人を熱演する大人気アクション『イコライザー』シリーズを一挙放送! 《放送作品情報》 『イコライザー』放送日:字幕版 5月10日(土) 16:45~、吹替版 5月14日(水) 12:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/04093 『イコライザー2』放送日:字幕版 5月10日(土) 18:45~、吹替版 5月15日(木) 12:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/05665 『イコライザー THE FINAL』※CSベーシック初放送放送日:字幕版 5月10日(土) 21:00~、吹替版 5月16日(金) 12:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06910 特集【『イコライザー』一挙放送記念】品質保証!デンゼル・ワシントン 特集ページ:https://www.thecinema.jp/tag/665 『トレーニング デイ』(’01)で黒人俳優としてはシドニー・ポワチエ以来、二人目のアカデミー賞主演男優賞を受賞。質の高い良作に出演し、彼の出演作なら間違いなしと思わせる“品質保証”俳優デンゼル・ワシントン。大人気アクション『イコライザー』シリーズをはじめ、デンゼルの代表作を一挙放送! 《放送作品情報》 『イコライザー』放送日:字幕版 5月10日(土) 16:45~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/04093『イコライザー2』放送日:字幕版 5月10日(土) 18:45~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/05665『イコライザー THE FINAL』放送日:字幕版 5月10日(土) 21:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06910『サブウェイ123 激突』放送日:5月10日(土) 23:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/03228『トレーニング デイ』放送日:5月09日(金) 21:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/01603『アントワン・フィッシャー/きみの帰る場所』放送日:5月10日(土) 14:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06909『グローリー』放送日:5月09日(金) 23:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/02043『タイムリミット(2003)』放送日:5月09日(金) 19:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/04970『悪魔を憐れむ歌(1997)』放送日:5月09日(金) 16:45~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/00934『天使の贈りもの』放送日:5月09日(金) 14:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06725『デジャヴ(2006)』放送日:5月10日(土) 11:45~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06769 ■プレゼント賞品 映画『イコライザー THE FINAL』キーホルダー… 2名様 ■応募期間 2025年4月23日(水)12:00〜5月25日(日) 23:59 ■プレゼント応募URLhttps://form.run/@202505-cnm-equalizer-present ご応募はこちら>
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COLUMN/コラム2024.11.11
フランチャイズを避けた監督の「続編」秘史『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』
◆続編嫌いを返上して手がけたパート2 「僕は続編ものが嫌いなんだ。もし撮れと言われたならば、いっそホームドラマでも手がけたほうがいいと思っているよ」 この発言は、筆者(尾崎)が映画『2012』(2009)の取材で監督のローランド・エメリッヒにインタビューしたさい、「自作の続編をやる気はないのですか?」という問いに、ユーモアを交えて答えたものだ。じつはこの質問の前に「あなたは映画の中でいろんなものを壊してきたから、もう破壊する対象など残ってないですね」と訊いたところ、「そうだね、これからは心を入れ替え、ホームドラマにでも着手するしかないのかも」とおどけながら答えており、それを枕にして「自分は続編映画を監督しない主義」というのを主張したのだ。 意外に思われるかもしれないが、彼は『スペースノア』(1984)を起点とする自身のフィルモグラフィにおいて、2015年の『ストーンウォール』の時点まで、続編映画を手がけたことが一度もなかった。もっとも、同作はLGBT社会運動の嚆矢と定義されている"ストーンウォールの反乱"を描いたもので、エメリッヒが言うところのホームドラマには近いのかもしれない。だがそうした歩み寄りとは対照的に、他自作の別なくシリーズに着手することに関して、頑なに拒み続けてきたのだ。 しかし例外的に続編製作が囁かれていた作品が『インデペンデンス・デイ』(以下『ID4』)である。エメリッヒにとって初のハリウッドメジャー進出作品であり、20世紀フォックスを大いにうるおわせた、世界的な大ヒット映画だ。エイリアンの地球侵略をかつてないスケールで描き、また黙示録のような終末的世界観を提供しながら、そんな深刻さとは裏腹な呆然とさせる展開など、その独自性が多くの観客の心を奪ったのである。 続編『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』は、前作から20年という製作スパンを劇中に活かし、著しく発展した設定が観客の耳目をさらう。エイリアンの科学技術力を取得し、地球防衛を強固にしてきた人類と、さらに凶暴なテクノロジーを我が物にし、リベンジをかけるエイリアンとの、エスカレートを極めた激戦が繰り広げられるのだ。 ◆続編が動いていた『GODZILLA』 前チャプターでエメリッヒは筆者に「続編は好きではない」と告げたが、まったく開発に関与していないかというと、さにあらずだ。彼は『ID4』の後に発表した監督作『GODZILLA』(1998)の続編開発をしていたことが明らかにされている。 というのも、ソニーがゴジラのキャラクターを中心に映画を制作する権利を取得したとき、同社はフランチャイズ化を企図していた。そして映画公開に併せ、続編に関するプリプロダクションをデヴリンとエメリッヒは始めている。続編にはマシュー・ブロデリック演じるニック・タトプロスが続投し、前作に布石として示されていたら複数のゴジラと、モスラとラドンが登場するプロットが開発されていた。 しかし肝心の映画はアメリカ国内で1億3631万ドルのトータル収益しか得られず(製作費は1億3000万ドル)、ソニーは大幅に予算を抑えて続編を推し進めたが、これにデヴリンとエメリッヒは興味を失いプロジェクトを離脱。エメリッヒはSFジャンルに固執していたことによるストレスとキャリアに箔をつけるため、現実に基づく歴史大作に着手することを標榜。『ミッドウェイ』と、アメリカ独立戦争を描いた『パトリオット』を開発し、ソニーは代わりに後者を監督するよう依頼したのが実際の流れだ(後者は2019年に映画化)。 こうした経緯から推測するに、続編製作に良い思い出がないというのも、冒頭の発言に遠因していると思われる。 ◆三部作構想だった『リサージェンス』 そもそも『インデペンデンス・デイ』は後に三部作として構想され、単に正続という解釈には収まらないところ、エメリッヒの続編アレルギーには説得力がない。 『リサージェンス』のプロジェクトが動き出したのは、2011年6月。エメリッヒとプロデューサーのディーン・デヴリンは『ID4』を3部作として再構築するための、2つの続編のスクリプトを書いたことをマスコミに触れ回った(タイトルは“ID:Forever PART I“ならびに“ID:Forever PART II“)。ところが前作でヒラー大尉を演じたウィル・スミスが、続投のために5000万ドルのギャラを要求し、20世紀フォックスがこれを拒否。企画は暗礁に乗り上げる。 だがエメリッヒはウィルの関与に関係なく、映画の製作を遂行することを公にし、続編は『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』とタイトルを変えて正式に発表されたのだ。 余談だが、先述したこの三部作構想。ジェフ・ゴールドブラムのインタビューで彼が証言者して語っており、「ローランドは僕にもシリーズの構造に関して話をしてくれていて、今の段階ではまだ誰にも言えないんだけど、興奮するようなアイディアを彼はいっぱい持っている。今回の作品が成功すれば、3作目の製作も大きく進展すると思うよ」と話してくれた。 ◆望まれる再評価 『リサージェンス』は2016年6月24日に公開され、1億6500万ドルの製作費に対して全米興行成績が1億300万ドルと、大幅な赤字となった。また批評面に関しても賛否が分かれ、たとえば「ロジャー・エバート.com」のクリスティ・レミールは「望んでいなかった、あるいは必要とされていなかった続編。(中略)エメリッヒは、これらすべてのさまざまなキャラクターとストーリーラインを、ペースや一貫性の感覚をほとんどなく横断している」(※1)と手厳しいものや、米「バラエティ」のガイ・ロッジのように「本作はエメリッヒ監督が、現代映画で最もポップコーン・カオスの気鋭の指揮者であることを裏付けている。おそらく彼は作品のターゲットとなる観客にとって“遠い記憶“であるはずの前作のレガシーを盛り上げることに気を遣っているのだろうが、この映画的ビッグマックは、それ自体の良さで十分に楽しませてくれる」(※2)と称賛するものなどまちまちだ。 さらには後年、新作『ミッドウェイ』のプロモーション時にエメリッヒは、ウィル・スミスが『リサージェンス』に出ないと知った段階で、続編の制作を中止するべきだったと米「yahoo! entertainment」に述べた(※3)。監督はヒラー大尉が劇中に登場する当初の脚本のほうがはるかに優れていると言葉を費やし、ウィルの撤退に伴うリライトが映画の不調の原因に繋がったと後悔の念を示している。そのせいもあって、本作はすっかり失敗作として世間に周知されているようだ。 しかし、筆者は本作を決して悪いようには解釈していない。 例えば『リサージェンス』にはセカンドユニットを置かず、エメリッヒを筆頭とするメインユニットだけで撮影をおこなった作品として画期性を放っている。通常、本作のような規模の映画ではセカンドユニットやサードユニットが撮影して編集素材をカバーするものだが、監督は今回それを廃し、全てのショットを自身の管理下に置くことで、作家的な純度の高いものにしている。 そしてプロダクションデザインの数々も秀逸で、地球人が勝利を手にした『ID4』から20年間に及ぶ世界観の推移や発展、そしてレガシーの数々を、飛躍せず丹念に描いていて違和感がない。敵の科学技術で防衛網を強化した人類の、新型兵器や迎撃システム類などは機能美と創意にあふれ、それらは決して見飽きることがない。 なにより前回の、アナログとデジタルの混在したVFXが完全デジタルになったことで、物理法則を無視した破壊がリアルに描写され、そこにも驚きを禁じえない。特にエイリアンが街ごと引っぺがし、それを逆落としする凄まじい攻撃シーンや、クライマックスで登場するエイリアン女王は、その巨大さと暴れっぷりで、果たせなかった『GODZILLA』の続編を仮想的に展開させているかのようだ。 このように、大状況的なドラマとは真逆な細心さをもって、映画は充分に作り込まれているのだ。 なによりエメリッヒの、こうしたミニマムに収めようとする管理体制は、インデペンデントをホームとしながら大作規模の作品製作を可能にし、後の『ミッドウェイ』や『ムーンフォール』(2022)へと繋げる良好なスタイルを導き出している。当人が卑下するほどに、この『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』は決して悪いものではないのだ。■ (※1)https://www.rogerebert.com/reviews/independence-day-resurgence-2016 (※2)https://variety.com/2016/film/reviews/independence-day-resurgence-review-1201800114/ (※3)https://www.yahoo.com/entertainment/independence-day-director-roland-emmerich-regrets-making-sequel-170655100.html 『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』© 2016 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2025.04.18
陰鬱な物語が、ジュリア・ロバーツの出世作、リチャード・ギアの代表作『プリティ・ウーマン』に変身した経緯
1980年代の終わり頃、J・F・ロートンという名の、当時まだ20代だった脚本家が書いた、その作品のタイトルは、『3000』。 リッチなビジネスマンが、コカイン中毒の娼婦を、ロサンゼルスはハリウッド・ブルバードの街角で拾うのが、物語の発端となる。ビジネスマンは娼婦と、1週間の契約を結ぶ。その間は高級品を買い与えるなど贅沢三昧をさせるが、最後には同じ街角で、彼女のことを棄ててしまう…。 タイトルは、1週間の契約金として、ビジネスマンが娼婦に払う、“3,000㌦”に由来。何とも暗いお話で、リライトが重ねられたこの脚本の、何稿目であるかは定かでないが、娼婦が薬物の過剰摂取で死んでしまうという、救いのないラストを迎えるバージョンもあったという。 この脚本を、ある映画会社が買い取り、製作を進めることとなった。ところがその会社が潰れてしまったため、冷徹なビジネスマンと哀れなジャンキー娼婦の陰鬱な物語は、雲散霧消…と思いきや、何とディズニー・スタジオの手に渡り、その子会社であるタッチストーン・ピクチャーズで映画化されることとなる。 『3000』の主役である、娼婦のヴィヴィアンと、ビジネスマンのエドワード。誰が演じるか?共に数多くのスターの名前が、取り沙汰された。 ミシェル・ファイファー、サンドラ・ブロック、メグ・ライアン、マドンナ、クリスティン・デイヴィス、サラ・ジェシカ・パーカー、ドリュー・バリモア、カレン・アレン、ダイアン・レイン、モリー・リングウォルド、ウィノナ・ライダー、ジェニファー・コネリー…。単に名前が挙がっただけの者から、実際にオーディションを受けた者、オファーされながらもセックス・ワーカー役を演じることに難色を示した者まで、当時のハリウッド若手女優ほぼすべてが、ヴィヴィアンの候補だったとも言える。 そんな中で、ディズニーに企画が渡る前から有力候補としてピックアップされ、本人も強い意欲を示していたのが、ジュリア・ロバーツ。とはいえ67年生まれのジュリアは、87年に映画デビューしたばかり。サリー・フィールドやドリー・パートン、シャーリー・マクレーンといったベテラン勢と共演して、ゴールデングローブの助演女優賞を獲得し、初めてオスカーの候補にもなった、『マグノリアの花たち』(89)も、まだ世に出る前。即ち、「駆け出し」だった。 当然製作陣からは、もっと著名なスター女優を求める声が出た。そのためジュリアのヴィヴィアン役にGOサインが出るまでには、短くない時を要したという。 ヴィヴィアンより年上であるエドワード役には、多くの中堅俳優が擬せられた。クリストファー・リーヴやダニエル・デイ=ルイス、ケヴィン・クライン、バート・レイノルズ、シルヴェスター・スタローン、アルバート・ブルックス、ジョン・トラヴォルタ、ショーン・コネリー、トム・セレック、スティング…。アル・パチーノは、ジュリア・ロバーツとセリフの読み合わせまで行い、サム・ニール、トム・コンティ、チャールズ・グローディンといった辺りも、ジュリアとスクリーンテストを行っているが、決定に至らなかった。 そんな中で監督を引き受けたのは、ゲイリー・マーシャル。ヴィヴィアン役にジュリア・ロバーツが正式に決まった辺りで、彼はこう考えたという。~100%「ビューティフル」な人たちを起用したい~。 そこで白羽の矢が立ったのが、リチャード・ギアだった。『ミスター・グッドバーを探して』(77)『天国の日々』(78)といった作品で注目を集め、『アメリカン・ジゴロ』(80)そして『愛と青春の旅立ち』(82)で決定的な人気を得たギアだったが、80年代後半、アラフォーを迎えた頃には、ダライ・ラマ14世によるチベット仏教の教えに傾倒。そんなこともあって、出演作が少なくなっていた。 ギアの元に届けられた脚本は、企画のスタート時よりは、暗さを軽減。ジェントルマンが、貧しく教養のない女性を拾って、淑女に育て上げるという、「マイ・フェア・レディ」「ピグマリオン」風味が、強くなっていたと言われる。しかしながらギアにとってこの時点でのエドワードのキャラは、コミュ障の上、セクシャルな快楽だけ求めるような、冷酷で自分本位な男と映った。そんな役だったら、やりたくはない。 監督のゲイリー・マーシャルとは、初対面から意気投合。ダライ・ラマやドストエフスキーの話で盛り上がったというギアは、自分が脚本に感じた不満を、マーシャルにぶつけたという。またギアは、相手役が「ほぼ新人」のジュリアだったことにも、不安を抱いていた。 そこでマーシャルは、ジュリアの初主演作『ミスティック・ピザ』(88)のビデオをギアに見せて、彼女の演技が「素晴らしい」ことを、認識させた。その上でジュリアを引き連れ、ニューヨークに住む、ギアの元へと向かった。 まだまだ出演を断る意向の方が勝っていたというギアだったが、ジュリアとの初対面の際に、彼の心変わりを誘うアクションがあった。後年ギアの語ったところによると、テーブルの向かいに座ったジュリアが、手に取ったポストイットを裏返して、彼に渡してきたのだという。そこには「『お願い、イエスと言って』と書いてあった」。18歳年下のジュリアのこの哀願を、とても可愛らしく思ったギアは、出演をOKし、数週間後に正式な契約書を交わすこととなったのである。 ギアとジュリア、マーシャルの3人はミーティングを行い、様々なアイディアを出し合った。そして打合せの後の脚本の手直しでは、ギアの意見が全面的に取り入れられることになった。 ヴィヴィアンからは、ジャンキーの設定をカット。もっと知的で、やむにやまれず娼婦の仕事をしている女性となった。因みに、ヴィヴィアンが「生まれ落ちた時と場所が悪かった」というのは、ジュリアの考えを監督が採用したものである。またジョージア州出身のジュリアに訛りが残っていたことから、ヴィヴィアンを同じ地の出身としたのも、監督の気遣いだった。 エドワードは、クールさを保ち続けるキャラだったのを変更。偶然拾ったヴィヴィアンを本物のレディに仕立てようとする中で、やがて彼女に夢中になっていく。お互いがそれぞれが属する世界から飛び出し、その世界を広げていくのである。 ヴィヴィアンに感化されたエドワードは、企業を乗っ取っては解体する、情け容赦のない実業家から変身。思いやりのある経営者へと、成長を遂げる。 作品タイトルが『3000』から、劇中に流れるロイ・オービソンの楽曲に因んだ『プリティ・ウーマン』に正式に変わったのが、いつの時点かは判然としない。しかし内容的にも、登場人物と大まかな筋書きだけ残して、この改題に沿ったような、変更が行われたわけである。 因みに、3人のミーティングが行われた時点でのエンディングは、エドワードに棄てられたヴィヴィアンが、娼婦仲間の親友とバスでディズニーランドに向かうというもの。親友がはしゃぐ横で、ヴィヴィアンは虚ろな瞳で窓の外を見て、「The End」となる…。 これがどのような形の“ハッピーエンド”に変わったかは、未見の方には、観てのお楽しみとしておく。 2人の主役が固まった後、ジュリアは役作りとして、実際に身体を売っている女性たちに、リサーチを行うことにした。マーシャル監督の妻バーバラは看護師で、ロスの無料クリニックでボランティアを行っていた関係で、そこによく来るセックスワーカーの若い女性たちと知り合いだった。彼女たちをバーバラに紹介されたジュリアは、一緒にドライヴに出掛けるなど時間を取って親しくなり、なぜその仕事を選んだのかや、どんな暮らしを送ってるかなどを、詳しく聞き込んだ。 そして本作『プリティ・ウーマン』は、1989年7月24日にクランク・インを迎えた。エドワードとヴィヴィアンが過ごすメインの舞台は、実在の超高級ホテル「リージェント・ビバリー・ウィルシャー」の1泊4,000㌦のスイートルーム。しかし娼婦が主人公の話ということもあってか、ロケの許可は下りず、ホテルは外景しか使えなかった。そのため実際は、すでに営業を停止しているホテルの中に作ったセットで、メインの撮影が行われた。 エドワードがヴィヴィアンと遭遇するシーンで運転している車は、イギリスの「ロータス・エスプリ」。これもまた、「フェラーリ」や「ポルシェ」に協力を断られたが故の、苦肉の策であったという。 撮影中も随時、セリフの書き換えなどが行われたというが、声を荒げたり等はしないマーシャル監督の演出の下、ギアとジュリアの関係も良好だった。 本作中で有名な、エドワードがダイアモンドとルビーの詰まった宝石箱をヴィヴィアンに見せるシーン。彼女の手が宝石箱に触れた瞬間、彼がふたを閉めるシーンは、ギアによるアドリブだった。吃驚したジュリアは、甲高い声で思わず笑い出してしまう。この“笑い”が、後々彼女のトレードマークとなっていったのは、ご存じの方も多いだろう。 ギアとのラブシーンには、「おじけづいて緊張した」というジュリア。ナーバスになり過ぎて、蕁麻疹が出たのに加え、額に血管が浮き出てしまった。それを監督とギアが、マッサージして沈めてくれた。 撮影で疲れ切って帰宅すると、留守番電話には、ギアからの伝言が入っている。「きょうはお疲れさま。じゃあ、またあす」 ジュリアはギアが、エドワード役を一歩下がって演じ、演技面での静の部分を受け持ってくれたことに対して。「…彼のおかげでヴィヴィアンが面白いキャラクターに仕上がった…」と、深く感謝。ギアがそうしてくれなかったら、「彼女はいかれた女の子で終わったかもしれない…」と、後に述懐している。 本作には、ホテルの支配人役で、マーシャル組の常連俳優、ギアとの共演経験もあるヘクター・エリゾンドが、出演している。劇中でヴィヴィアンのレディへの成長をサポートする役回りの彼の存在は、ジュリア本人の助けともなった。演技のことから詩のことまで、2人で色々なことを話したという。 やがてクランクアップを迎え、打上げパーティ。ドラムを叩ける監督と、本作劇中でも披露した通りのピアノの名手ギアに、ギターの弾けるスタッフ2人、そしてコントラバスが弾けるジュリアでクインテットを組んで、様々な曲を演奏した。大いにパーティが盛り上がる様は、今でもYouTubeでご覧いただける。 さて1990年3月。『プリティ・ウーマン』が全米で公開されると、この年の№1ヒットとなった。12月公開の日本でも、配給収入30億を突破!今で言えば50億興行となるなど、全世界での興行成績は、4億5,000万㌦にも達した。 ジュリア・ロバーツは、一躍スターの仲間入り。リチャード・ギアも、TOPスターに返り咲くこととなった。 これほどのメガヒットを記録したこともあり、本作の続編を望む声は絶えなかったが、結局製作されることはなかった。監督と主演2人の組合せが実現しない限り、PART2を作ることはないというのが、3人の間での共通認識であった。マーシャル監督が2016年に亡くなったことにより、その機会は永久に失われたのである。 その代わりというわけでもないが、99年には、同じ座組。ゲイリー・マーシャル監督にリチャード・ギア、ジュリア・ロバーツ、更に脇をヘクター・エリゾンドが固めるラブコメ『プリティ・ブライド』が製作され、スマッシュヒットを飛ばしている。 ジュリアは2019年のインタビューで本作について、こんな風に語っている。「今、あの映画を作ることができるとは思えない」。娼婦を主人公とした、男性優位のシンデレラストーリー。それは現代の基準で考えると、批判が避けられない。至極もっともなコメントである。 しかしその上でジュリアは、付け加えている。「だからと言って、みんなが楽しむことができなくなるとは思いません」 1990年の本作『プリティ・ウーマン』に於ける、ジュリア・ロバーツの清新な輝きと、リチャード・ギアの円熟味は、決して失われることはない。それがまた、映画の醍醐味とも言えるだろう。■ 『プリティ・ウーマン』© 1990 Touchstone Pictures. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2023.11.29
元CIA職員が描く冷酷非情なロシアン・スパイの世界!『レッド・スパロー』
ソ連時代のロシアに実在した「スパロー」とは? 『ハンガー・ゲーム』シリーズのヒロイン、カットニス役でトップスターとしての地位を不動にした女優ジェニファー・ローレンスが、同シリーズのフランシス・ローレンス監督と再びタッグを組んだスパイ映画『レッド・スパロー』(’18)。ちょうどこの時期、シャーリーズ・セロン主演の『アトミック・ブロンド』(’17)に韓流アクション『悪女/AKUJO』(’19)、リブート版『チャーリーズ・エンジェル』(’19)にリュック・ベッソン監督の『アンナ』(’19)など、いわゆる女性スパイ物が相次いで話題となっていたのだが、その中で本作が他と一線を画していたのは、一切の荒唐無稽を排したウルトラハードなリアリズム路線を貫いたことであろう。 なにしろ、原作者ジェイソン・マシューズは元CIA職員。表向きは外交官としてヨーロッパやアジアなど各国を渡り歩きながら、その裏で工作員のリクルートおよびマネージメントを担当していたという。33年間のCIA勤務を経て引退した彼は、退職後のセカンド・キャリアとして小説家を選択。国際諜報の世界に身を置いていた時代の知識と経験を基に、初めて出版した処女作が大ベストセラーとなったスパイ小説「レッド・スパロー」だったのである。 テーマはスパロー(雀)と呼ばれるロシアの女性スパイ。彼女たちの役割は敵国の諜報員にハニー・トラップを仕掛け、自らの美貌と肉体を駆使してターゲットを誘惑し、巧みな心理戦で相手を意のままに操ること。主人公のドミニカ・エゴロワというキャラクターそのものは完全なる創作だが、しかしマシューズによるとソ連時代のロシアにはスパローの養成学校まで実在したそうだ。当時はアメリカでも同様の試みがなされたが、しかし倫理的な問題から実現はしなかったとのこと。さすがにソ連解体後のロシア諜報機関にはスパローもスパロー・スクールも存在せず、よって本作のストーリーも過去の事実を基にしたフィクションと見做すべきだが、それでもプロの女性を外部から雇ったロシアのハニー・トラップ工作は今もなお行われているという。 国家によって武器へと仕立てられた女性のサバイバル劇 舞台は現代のロシア、主人公のドミニカ・エゴロワ(ジェニファー・ローレンス)は世界的に有名なバレリーナだ。ボリショイ劇場の舞台で華やかなスポットライトを浴びるドミニカだが、しかし私生活は極めて質素なもの。ソ連時代に建てられた郊外の古い集合住宅で、病気の母親(ジョエリー・リチャードソン)と2人きりで暮らしている。そんなある日、舞台の公演中に起きた事故で片脚を骨折した彼女は再起不能に。自分の名声を妬んだライバルの仕業と知ったドミニカは、相手を半殺しの目に遭わせて復讐を遂げるものの、しかしバレリーナとしてのキャリアが断たれたことで生活が立ち行かなくなる。そこで彼女が頼ったのは、亡き父親の年の離れた弟、つまり叔父に当たるワーニャ(マティアス・スーナールツ)だった。 KGB第1総局を前身とする諜報機関、ロシア対外情報庁(SVR)の副長官を務めるワーニャ叔父さん。アパートの家賃や母親の治療費と引き換えに、彼が姪のドミニカにオファーした仕事というのが、悪徳実業家ディミトリ・ウスチノフに色仕掛けで取り入るというハニトラ工作だった。ところが、相手の携帯電話をすり替えるだけの簡単な任務だったはずが、途中から加わったSVRの殺し屋マトリンがウスチノフを殺害。結果的に要人の暗殺現場を目撃してしまった彼女は、ワーニャ叔父さんの指示に従ってスパイ養成学校へ送られることとなる。さもなければ、国家に不都合な目撃者として抹殺されてしまう。例の復讐事件で姪に工作員の素質があると見抜いた叔父は、彼女をスパイの世界へ引きずり込むための罠を仕組んだのである。 ドミニカが送り込まれたのは、ハニー・トラップ専門の工作員「スパロー」を育成する第4学校。冷酷非情な監督官(シャーロット・ランプリング)によって、美しさと強さを兼ね備えた若い男女が、己の頭脳と肉体を武器にした諜報テクニックを叩きこまれていく。中でもドミニカの成長ぶりは目覚ましく、その才能に注目したSVRの重鎮コルチノイ(ジェレミー・アイアンズ)の抜擢によって、彼女は国際諜報の最前線へ羽ばたくこととなる。その最初の任務は、SVR上層部に潜むアメリカとの内通者を炙り出すことだった。 実はドミニカがボリショイの舞台で事故に見舞われたのと同じ頃、モスクワ市内のゴーリキー公園でスパイ事件が発生。表向きはアメリカの商務参事官として米国大使館に勤務しつつ、その裏で諜報活動を行っていたCIA捜査官ネイト・ナッシュ(ジョエル・エドガートン)が、ロシア現地の内通者と接触している現場をパトロール中の警官に見つかったのである。ギリギリで米国大使館へ逃げ込んだナッシュは、外交官特権を使ってアメリカへと帰国。ロシア側は公園から立ち去った内通者がSVR内部の重要人物と睨むが、しかし身元を割り出すまでには至らなかったのだ。 そのナッシュが再び内通者と接触を図るべく、ハンガリーのブダペストに滞在中だと知ったSVRは、ドミニカを現地へ送り込むことに。ナッシュを誘惑して内通者の正体を聞き出すため、身分を偽って接触を図ったドミニカだったが、しかしすぐにSVRの工作員であることがバレてしまい、反対に二重スパイの取引を持ち掛けられる。自身と母親の身柄保護および生活保障を条件に、CIAの諜報工作に協力してSVRを出し抜こうとするドミニカだが…? ソ連時代のロシアで筆者が身近に感じたスパイの存在とは? 生き馬の目を抜く全体主義的なロシア社会にあって、国家の武器として利用され搾取されてきた女性が、自らの生き残りを賭けてロシアとアメリカの諜報機関を手玉に取っていく。多分に冷戦時代の香りがするのは、先述した通りソ連時代のスパイ工作が物語の下敷きとなっているからであろう。ハンガリーのブダペストやスロバキアのブラティスラヴァ、さらにウィーンやロンドンでも撮影されたエレガントなロケーションも、往年のスパイ映画を彷彿とさせる。ロングショットの多用やシンメトリーを意識した折り目正しい画面構図によって、冷酷非情なスパイの世界の心象風景を描いたフランシス・ローレンス監督の演出も極めてスタイリッシュだ。中でも、ドミニカの骨折事故とナッシュのスパイ事件が、インターカットによって同時進行していくプロローグの編集処理は圧巻!ヒッチコックの『見知らぬ乗客』(’51)をお手本にしたそうだが、ドミニカとナッシュが何者であるのかを観客へ的確に伝えつつ、やがて両者の運命が交錯していくことも暗示した見事なオープニングである。 そんな本作で何よりも驚かされるのは、昨今のハリウッド・メジャー映画としては極めて珍しい大胆な性描写と暴力描写であろう。なにしろセックスを武器にしたスパイの話である。そもそも原作小説の性描写や暴力描写が過激だったため、製作陣は最初からR指定を覚悟して企画に臨んだという。中でも主演のジェニファー・ローレンスには、一糸まとわぬヌードシーンが要求されたため、撮影された映像は真っ先にジェニファー本人のチェックを受けたそうで、それまではラッシュ映像の試写すら行われなかったらしい。 さらに、主人公ドミニカが元バレリーナという設定であるため、演じるジェニファーもバレエの猛特訓を受けたという。ボリショイ劇場のシーンはブダペストのオペラ座で撮影。スティーブン・スピルバーグ監督のリメイク版『ウエスト・サイド・ストーリー』(’21)も手掛けた、ニューヨーク・シティ・バレエのジャスティン・ペックが振付を担当している。ジェニファーのダンスコーチに任命されたのはダンサーのカート・フローマン。1日3時間、週6日間のレッスンを3カ月も続けたという。とはいえ、さすがにボリショイ級のレベルに到達するのは不可能であるため、ジェニファー本人のパフォーマンスは主にクロースアップショットで使用。ロングショットではアメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル、イザベラ・ボイルストンが代役を務めている。 なお、バレエ・ファンにとって要注目なのは、その卓越したテクニックと美しい容姿から日本でも絶大な人気を誇るウクライナ人ダンサー、セルゲイ・ポルーニンが、ドミニカにケガをさせるダンス・パートナー役で顔を出していることであろう。また、七三分けのクリーンカットでワーニャ叔父さんを演じるベルギー人俳優マティアス・スーナールツが、恐ろしいくらいロシアのプーチン大統領と似ているのも興味深いところ。ご存知の通り、プーチン氏はSVRの前身であるKGBの元諜報員だった。ローレンス監督曰く、特定の人物に似せるという意図は全くなかったらしいが、普段は髪が長めで髭を伸ばしているマティアスの外見を整えたところ、意外にも「ある人物」に似てしまったのだそうだ(笑)。 ちなみに、ソ連時代のモスクワで育った筆者にとって、スパイは割と身近な存在だった。なんといっても筆者の父親はマスコミの特派員。情報を扱う仕事である。当然ながら自宅の電話には盗聴器が仕掛けられ、父親が外出すればKGBの尾行が付き、家の中も外から監視されていた。なので、父親が現地の情報提供者などと電話でコンタクトを取る際は、外国人が宿泊する市内の高級ホテルの公衆電話から英語ないし日本語で連絡してもらう。また、当時は日本の本社との通信手段として、国際電話と電報とテレックスを使い分けていた時代。ただし、国際電話は盗聴されているため、ソ連当局に都合の悪い内容の場合は途中で切られてしまう。ゆえに、短い連絡は電報で、長い文章はテレックスで。もしくは、ホテルで近日中に帰国する日本人を探して原稿入りの封筒を託し、羽田もしくは成田の空港でポストに投函してもらう。時には、うちの母親が子供たちを連れて旅行へ行くふりをし、父親に車で駅まで送り届けさせる。そのままKGBの尾行は父親の車を追いかけていくので、その隙を狙って母親が電報局から日本へ電報を打つなんてこともあったそうだ。 また、日本人のみならずモスクワに住む外国人の多くが、現地のメイドや運転手などを雇っていたのだが、その外国人向け人材派遣も実はKGBの管轄だった。筆者の家でも父親の秘書や子供の面倒を見るメイドさん、ピアノ教師などを雇っていたのだが、もちろん彼ら自身がスパイというわけではない。あくまでもKGBが管理しているというだけなのだが、その代わりに勤務先の外国人家庭や外国企業オフィスなどで見聞きしたことを上に報告する義務があったらしい。それでも、筆者の家に出入りしていたメイドのシーマは孫のように我々子供たちを可愛がってくれたし、日本語の達者な秘書オーリャも明るくて愉快な女性だった。なにか悪いことをされたという記憶は殆どない。とはいえ、その一方で現地職員を装った工作員によるものと思われる日本大使館での食中毒事件なども実際に起きていたので、当然ながらダークな部分もあることは子供ながらに認識していた。今になって振り返ると異質な世界だったとは思うが、当時はそれが当たり前だったため大きな違和感はなかったのである。ほかにも、モスクワ在住時代のスパイ・エピソードは、思いがけないトラブルも含めて多々あるのだが、それはまた別の機会に…。■ 『レッド・スパロー』© 2018 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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NEWS/ニュース2025.04.23
※応募規約※【『イコライザー』シリーズ一挙放送記念】 特別番組付き映画第1作『イコライザー(2014)』上映会 Xフォロー&リポストキャンペーン
【『イコライザー』シリーズ一挙放送記念】特別番組付き映画第1作『イコライザー(2014)』上映会Xフォロー&リポストプレゼントキャンペーン ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ CS放送ザ・シネマでは、デンゼル・ワシントンの代表作『イコライザー』シリーズ3作を一挙放送。合わせて『特番:イコライザー・レトロスペクティブ』を独占テレビ初放送!これを記念して、大スクリーンで映画第1作『イコライザー(2014)』とイコライザー特番をセットで上映するプレミアムな上映会へ14名様をご招待! ■開催概要【『イコライザー』シリーズ一挙放送記念】特別番組付き映画第1作『イコライザー(2014)』上映会日時:2025年5 月28日(水) 18:00 開場 18:30 イベント開始 18:40 開映(本編2時間13分+特別番組25分)21:30頃終了予定会場:ソニー・ピクチャーズ試写室(東京都内開催)当選者数:14名様 ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇ ▼▼応募規約▼▼ ■キャンペーン名【『イコライザー』シリーズ一挙放送記念】特別番組付き映画第1作『イコライザー(2014)』上映会Xフォロー&リポストプレゼントキャンペーン ■開催概要日時:2025年5 月28日(水) 18:00 開場 18:30 イベント開始 18:40 開映(本編2時間13分+特別番組25分)21:30頃終了予定会場:ソニー・ピクチャーズ試写室(東京都内開催)当選者数:14名様 ■キャンペーン説明2つのXアカウント【①ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント公式X(旧twitter)アカウント(@SonyPicturesJP)】と【②ザ・シネマ公式X(旧twitter)アカウント(@thecinema_ch)】とをフォローし、ザ・シネマ公式X(旧twitter)アカウント(@thecinema_ch)に投稿された【該当ポスト】をキャンペーン期間内にリポストしていただいた方の中から、抽選で特別番組付き映画第1作『イコライザー(2014)』上映会に14名様をご招待!■キャンペーン期間2025年4月23日(水)18:00〜5月7日(水) 23:59 ■応募条件STEP1:2つのアカウントをフォロー!ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント公式X @SonyPicturesJPザ・シネマ公式X @thecinema_ch STEP2:Xの投稿をリポストザ・シネマ公式X@thecinema_ch のキャンペーン投稿をリポストしよう!URL:https://x.com/thecinema_ch/status/1914861788711072059 STEP3:当選者様へザ・シネマ公式X @thecinema_chよりDMでご連絡キャンペーン終了後に抽選を行い、抽選で当たった14名様にザ・シネマ公式アカウントよりDMでご連絡し上映会にご招待! ■参加資格・条件・X(旧Twitter)アカウントをお持ちであること。・X(旧Twitter)アカウント「@SonyPicturesJP」と「@thecinema_ch」をフォローしていること。※「キャンペーン対象ポスト」をリポストする前に対象の2つのXアカウントをフォローしてください。リポスト後のフォローの場合、当選時のダイレクトメッセージが届かないため、当選権利が無効となります。※13歳以下は保護者の方がご参加ください。※ご参加はX(旧Twitter)からのみとなります。郵送によるご参加は受け付けておりません。※X(旧Twitter)アカウントをお持ちでない方は、X(旧Twitter)サイト(https://twitter.com)にてアカウントを取得してください。※ご参加は、日本国内にお住まいの方に限らせていただきます。※AXN株式会社の社員並びに関係者は応募できません。 ■抽選・当選発表について・ご参加いただいた方の中から、厳正なる抽選の上、当選者を決定いたします。当選者へは、後日X(旧Twitter)のダイレクトメッセージにてご連絡いたします。・ダイレクトメッセージ受信から2日以内にご返答いただけない場合は、当選を辞退されたものとさせていただきます。・当選された方へのご連絡は2025/5/9以降を予定しております。以下の場合、ご参加は無効となりますのでご注意ください。・キャンペーン期間中および当選通知までに対象の2つののX(旧Twitter)アカウントのフォローをはずしている場合・参加リポストを削除されていた場合・アカウントを非公開にされている場合・アカウントを変更されている場合・X(旧Twitter)を退会されていた場合・リポスト内に指定のハッシュタグがない場合※抽選は、ザ・シネマキャンペーン事務局が行います。※当選や抽選の基準についてはお答えできませんのでご了承ください。※同時期に開催されている他のキャンペーンとは重複して当選できない場合があります。※期間中、何回投稿いただても当選はお1人様1回限りになります。 ■その他の注意事項本キャンペーンに参加される方は、必ず以下をお読みいただき、ご同意の上でご参加ください。ご参加いただいた方は、本規約に同意いただいたものとさせていただきます。・本キャペーンの当選に関して、本キャンペーン運営事務局からご連絡をさせていただく場合がございます。・適切な運用を行うために運営事務局が必要と判断した場合に限り、本キャンペーンの参加条件変更などの対応をとることができるものとさせていただきます。・通信機器、通信回線、X(旧Twitter)のシステム障害、瑕疵等により本キャンペーンの提供が中断もしくは遅延し、または誤送信もしくは欠陥が生じた場合の参加者が被った損害について、AXN株式会社はその責任を負わないものとします。・サイトの利用、利用停止もしくは利用が不能になったことによる損害(X等、各種Webサービスのサーバダウン等による損害も含みます。)について、AXN株式会社はその責任を負わないものとします。・X(旧Twitter)のルールとポリシーに反する不正なアカウント(架空のアカウント取得、他者へのなりすまし、複数のアカウントの所持など)を利用して参加があった場合、運営事務局の判断により当該アカウントからの参加を無効とさせていただく場合がございます。・参加者は、ユーザーアカウント(X ID)を管理する責任を負うものとします。・参加者が、有償無償を問わず、ユーザーアカウント(X ID)を第三者に譲渡・貸与・質入れし、または利用することを禁じます。・当選のご連絡を受けた場合であっても、本規約にご了承頂けない場合や本規約の規定に違反する場合などは、当選を無効とする場合がございます。・キャンペーン内容は予告なく変更させていただく場合がございます。・ 当選の権利の譲渡、他の賞品への変更はできません。・ インターネット接続料及び通信料はお客様のご負担となります。■個人情報の取り扱いについて当選されたお客様からご提供いただいた個人情報は、賞品の発送などに利用します。その他の利用目的については弊社「個人情報の取り扱いについて」の個人情報保護方針に記載しておりますので、こちらからご覧ください。■主催AXN株式会社■運営事務局ザ・シネマ キャンペーン事務局ザ・シネマ カスタマーセンターナビダイヤル:0570-006-543 または 03-6630-6298営業時間:午前10:00~午後8:00(年中無休) ■ザ・シネマ放送情報 映画版「イコライザー」シリーズ3作一挙放送 特集ページ:https://www.thecinema.jp/tag/670 デンゼル・ワシントンが2つの顔を持つ処刑人を熱演する大人気アクション『イコライザー』シリーズを一挙放送! 《放送作品情報》 『イコライザー』放送日:字幕版 5月10日(土) 16:45~、吹替版 5月14日(水) 12:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/04093 『イコライザー2』放送日:字幕版 5月10日(土) 18:45~、吹替版 5月15日(木) 12:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/05665 『イコライザー THE FINAL』※CSベーシック初放送放送日:字幕版 5月10日(土) 21:00~、吹替版 5月16日(金) 12:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06910 特集【『イコライザー』一挙放送記念】品質保証!デンゼル・ワシントン 特集ページ:https://www.thecinema.jp/tag/665 『トレーニング デイ』(’01)で黒人俳優としてはシドニー・ポワチエ以来、二人目のアカデミー賞主演男優賞を受賞。質の高い良作に出演し、彼の出演作なら間違いなしと思わせる“品質保証”俳優デンゼル・ワシントン。大人気アクション『イコライザー』シリーズをはじめ、デンゼルの代表作を一挙放送! 《放送作品情報》 『イコライザー』放送日:字幕版 5月10日(土) 16:45~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/04093『イコライザー2』放送日:字幕版 5月10日(土) 18:45~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/05665『イコライザー THE FINAL』放送日:字幕版 5月10日(土) 21:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06910『サブウェイ123 激突』放送日:5月10日(土) 23:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/03228『トレーニング デイ』放送日:5月09日(金) 21:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/01603『アントワン・フィッシャー/きみの帰る場所』放送日:5月10日(土) 14:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06909『グローリー』放送日:5月09日(金) 23:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/02043『タイムリミット(2003)』放送日:5月09日(金) 19:00~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/04970『悪魔を憐れむ歌(1997)』放送日:5月09日(金) 16:45~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/00934『天使の贈りもの』放送日:5月09日(金) 14:30~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06725『デジャヴ(2006)』放送日:5月10日(土) 11:45~ ほかhttps://www.thecinema.jp/program/06769
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COLUMN/コラム2023.04.13
不朽の名作は新たな才能の饗宴の場でもあった!『アラビアのロレンス』
第1次世界大戦の最中、中東を支配していたオスマン=トルコ帝国に対する、“アラブ反乱”が起こった。それを支援したイギリス軍人で「アラビアのロレンス」として名高い存在だったのが、トーマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)。『アフリカの女王』(1951)『波止場』(54)などのプロデューサーであるサム・スピーゲルは、ロレンスが記した回想録「七つの知恵の柱」の映画化権を60年に獲得。インドに居たデヴィッド・リーンの元へと、向かった。 リーンはかの地で、マハトマ・ガンジーの生涯を映画化する企画に取り掛かっていたのだが、そちらは棚上げ。前作『戦場にかける橋』(57)で組み、赫赫たる成果を上げたパートナー、スピーゲルからのオファーを受けた。 これが映画史に残る、未曽有のスペクタクル大作にして不朽の名作、『アラビアのロレンス』(62)のスタートだった。 リーンは、ロレンスという人物が事を為した時に28歳という若さだったことを挙げ、「…大人物であったと思う」と評しながらも、彼が普通社会には受け容れられない、“異常人物”であると断じている。その上で、ロレンスが自伝の中で自らの欠点を告白している点に、いたく興味を持ち、そこに魅力を感じたという。 ***** 1935年のイギリス。ひとりの男が、運転していたバイクの事故で死ぬ。彼の名は、T・E・ロレンス。「アラビアのロレンス」として勇名を馳せながら、彼のことを真に理解する者は、ひとりとして居なかった…。 1916年、トルコに対してアラビア遊牧民のベドウィンが、反乱を起こそうとしていた。イギリスはそれを援助する方針を固め、その適任者として、カイロの英陸軍司令部に勤務し、前身は考古学者でアラビア情勢に詳しい、ロレンス(演:ピーター・オトゥール)を選んだ。 ロレンスは、反乱軍の指導者ファイサル王子(演:アレック・ギネス)の陣営に向かって旅立つ。目的地に辿り着く前には、後に盟友となる、ハリト族の族長アリ(演:オマー・シャリフ)との出会いがあった。 反乱軍と合流したロレンスは、トルコ軍が支配し、難攻不落と言われたアカバ要塞の攻略を目指す。だがそれは、灼熱の砂漠を越えなければ実施できない、無謀な作戦だった。 しかしロレンスと彼が引き連れた一行は、見事に砂漠を横断。蛮勇で名を轟かせていたハウェイタット族のアウダ・アブ・タイ(演:アンソニー・クイン)も仲間に引き入れ、遂にはアカバのトルコ軍を撃破する。 その後もゲリラ戦法で、次々と戦果を上げるロレンス。彼が夢見るアラブ民族独立も、いつか実現する日が来るように思えた。 しかしイギリスははじめから、独立など許す気はなく、己の権益の拡大のみが、目的だった。ロレンスはやがて、理想と現実のギャップに引き裂かれていく…。 ***** リーン曰く、本作の前半は、ロレンスが英雄にまつりあげられるまでの上昇のプロセス。そして後半では、英雄気取りになった彼が、「…神のような高さからついに地上へ落下する…」という、下降のプロセスを描く。 そんな中での、ロレンスの人物造形。これについては、映画評論家の淀川長治氏が、『アラビアのロレンス』について書いた一文を引用したい。 ~ロレンスの伝記。しかも複雑怪奇なロレンス像。その砂漠の第一夜からホモの影を匂わせてこのロレンスの男の世界をリーンは身震いするほどのせんさいで描いて見せた…~ こうした一筋縄ではいかない主人公の物語を構築するに当たって、大いなる戦力となったのは、脚色を担当した、ロバート・ボルト。劇作家として高い評価を受けていたボルトだが、映画の脚本を書くのは、これが初めてだった。 プロデューサーのスピーゲルは、台詞の一部を担当させるぐらいのつもりで、ボルトに声を掛けた。しかし執筆が始まると、スピーゲルもリーンも、その才能に脱帽。6週間拘束の約束が延びに延びて、結局18か月間、ボルトは『ロレンス』にかかり切りとなった。 付記すれば、ここに始まった、ボルトとリーンの縁。『ロレンス』の後、『ドクトル・ジバゴ』(65)『ライアンの娘』(70)まで続く。 ロレンスの複雑怪奇さを表現できたのは、演者にピーター・オトゥールを得たことも、大きかった。当初この役の候補には、マーロン・ブランドやアルバート・フィニーの名も挙がったという。しかしリーンは、シェークスピアものの舞台などで評価されていたオトゥールを、大抜擢。 オトゥールは4か月の準備期間に、ロレンスを知る人物を次々と訪ね、また彼に関する本と記録を片っ端から読破。原作である「七つの知恵の柱」に至っては、暗記してしまった。 因みにファイサル王子役のアレック・ギネスは、以前に舞台で、ロレンスの役を1年近く演じ続けた経験がある。オトゥールは自分の解釈が壊されるのを恐れ、ギネスとの接触を、可能な限り避けた。 ラクダ乗りの訓練とアラビア語のレッスンに関しても、オトゥールは誰よりも熱心に取り組んだという。 そうした努力の甲斐もあって、オトゥールにとってロレンスは、「生涯の当たり役」となり、後々には“名優”と言われる存在となっていった。しかし、好事魔多し。 本作でスピーゲルやリーンには、またもやオスカー像が贈られた。それに対してオトゥールは、この初めてにして最大の「当たり役」が、“アカデミー賞主演男優賞”のノミネート止まりで終わってしまったのである。 その後はどんな役をやっても、ロレンスの上を行くのが、難しかったからでもあろう。幾度候補となっても、オスカーを手にできないジレンマに陥った。 生涯で、結局8回も“主演男優賞”の候補になりながら、彼が手にしたオスカー像は、2003年のアカデミー賞名誉賞だけ。これはまあ、「残念賞」とも言える。 新しいスターという意味では、砂漠の蜃気楼の中から陽炎のように現れる、アリ役のオマー・シャリフの登場も、鮮烈だった。中東ではすでに人気俳優だったシャリフだが、この1作で世界の檜舞台へと駆け上がった。 このようにKEYとなる人材を得たとはいえ、1962年CGがない時代に、これだけのものを作ってしまったというのは、やはり驚きだ。 撮影は大部分、ヨルダンの砂漠で行われた。スタッフは砂漠にテントを張って、寝泊りしながら撮影を行ったというが、その拠点はアカバに置かれた。 70エーカーの土地を借りて、まるで新しい町が出現した。そこには、製作事務所、撮影部、衣装部、美術部、メーキャップ部、機械整備部、資材部、大道具・小道具の製作工場、大食堂、酒舗、郵便局等々の建物が立ち並び、ラクダの放牧場や大駐車場まで在った。600人に上る撮影隊のために、そこから少し離れた海岸部には、レクリエーション・センターまで設けられたという。 当時のヨルダン国王は、撮影隊に全面協力。3万人の砂漠パトロール隊員を提供した他、1万5千人のベドウィン族が、家族や家畜と共に参加し、アラブ兵やトルコ兵に扮した。 こうした大群衆を動かすため、リーンは、「撮影開始」の合図には、ロケット弾を打ち上げさせた。そして空撮のためにヘリコプターを飛ばし、空中から拡声器で指示を出すこともあった。 撮影隊は突然起きる砂嵐や蜃気楼、日陰でも50度前後に達する昼間の高温が、夜には氷点下となることもある寒暖の差、100%近い湿度等々、大自然の脅威に悩まされながらも、ヨルダンでの撮影を終えた。 続いて、モロッコ、南スペインなどでも、ロケが行われた。 ある石油採掘業者が、本作の撮影隊を指して、こんなことを言った。「白人がこの砂漠でひと夏過ごすのは不可能だ」と。しかしその予言は、見事に外れた。リーンは本作の撮影のため、合わせて3年ほども、砂漠の中で過ごしたと言われる。 もしも現在CGやVFXなしで撮影したら“300億円”以上掛かると言われる。世紀の超大作は、こうして完成に向かっていった。 スピーゲルとのコラボで、前作『戦場にかける橋』で、ビッグバジェットは経験済みとはいえ、本作は桁違いの超大作。改めて、ここに至るまでのリーンの歩みを振り返ってみたい。 若き日は撮影所でカメラマン助手や編集など技術スタッフを務めていたリーンの才能を発見したのは、ノエル・カワード。俳優・作家・脚本家・演出家・映画監督などなど、多方面にてマルチな才能を発揮し、イギリスで一時代を築いたアーティストだった。 カワードが製作・監督・脚本・主演を務めた『軍旗の下に』(42)で、リーンは共同監督として、デビューを飾った。カワードは、9歳下のリーンを大いに気に入り、その後自らのプロデュースで、自作の戯曲を映画化するに当たって、3本続けてリーンに監督を委ねた。その中にはイギリス映画史に残る、恋愛映画の名作『逢びき』(45)がある。 カワードとの蜜月後、『大いなる遺産』(46)『オリヴァ・ツイスト』(48)と、イギリスの国民的作家チャールズ・ディケンズの小説を2作続けて映画化。評判を取った。 この頃までのリーン作品は、すべてイギリス国内が舞台だった。 初めての海外ロケ作品は、『旅情』(55)。キャサリン・ヘップバーン演じるアメリカ人の独身中年女性が、イタリアのベネチアで、旅先の恋に身を震わすこの物語から、リーンは新たなステップに入っていく。「アフリカやアメリカの西部や、アジア各地など、映画は世界中をスクリーンの上に再現して見せてくれ、私の心を躍らせた。私が『幸福なる種族』(44)や『逢びき』のようなイギリスの狭い現実に閉じこもった作品から脱皮して、『旅情』以後、世界各地にロケして歩くようになったのは、映画青年時代からの私の映画を通しての夢の反映であるわけだ。私は冒険者になった気持で、一作ごとに知らない国を旅行して歩いているのである」 そしてリーンは、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』という、異国の地を舞台にしたスペクタクル巨編へと進むわけだが、こうしたチャレンジを行うようになった下地としては、彼の恩人であるノエル・カワードから贈られた言葉もあったようだ。曰く、「いつも違う道を歩きなさい」。 これらの超大作は共通して、舞台は「脱イギリス」だが、イギリス人の冒険を求める心が描かれているのが、特徴だ。両作を手掛けた、デヴィッド・リーン本人の心持ちとも、重なっていたように思える。 さて話を『ロレンス』に戻せば、撮影が終わって仕上げに入る段階で、また1人得難い“才能”が参加する。フランス出身の作曲家、モーリス・ジャールである。 ジャールは映画音楽を書くためのインスピレーションは、脚本ではなく、スクリーンで映像を観た時に得るものが、最も大きいと語る。「脳とハートを働かせ、監督と一緒に仕事をして色々なアイディアを交換することで、インスピレーションが湧いてくる…」のだそうである。『ロレンス』は、曲を作る段階で、撮影はすべて終わっていた。そしてジャールは作品に参加後、最初の1週間は、40時間の未編集の映像を、ひたすら観ることとなった。 リーンから「これをカットして、4時間の映画にする」と言われたが、その内2時間分の音楽を、6週間で書き上げなければならないという過酷なスケジュール。昼も夜も書き続けて、レコーディングが終わる頃には、「ほとんど死んでいました(笑)」と、後にジャールは述懐している。 因みにサム・スピーゲルからは、「オペラのような感じを出したい」と、注文を出された。当時は本作のような大作の場合、映画の始まる前や休憩の時に、音楽を流すのが流行していた。まず序曲があって、それが終わるとカーテンが開いて、オペラが始まる。そんなイメージだったという。 ジャールは曲の出だしで、パーカッションを用いて、観客を「…一瞬でアラビアにいるような気持ちにさせる…」ように工夫した。そしてそれは、大成功を収める。 因みに先にも触れた、オマー・シャリフ演じるアリの登場シーン。ジャールはリーンに、観客に何かを語る音楽を作るかと提案したら、「そこに音楽は要らない」と返された。静寂の中、少しずつラクダの足音が近づいてくる方が、ずっとドラマティックというわけだ。風の音や自然の一部も、すべて音楽だというリーンの考えであった。 ジャールはリーンとは、最後の監督作品『インドへの道』(84)まで付き合うこととなる。 さて今回「ザ・シネマ」で放送されるバージョンは、全長227分もの[完全版]。実は1962年の本作初公開時は、諸般の事情でカットが重なり、リーン監督にとっては不本意な形になってしまった。 その後カットされたフィルムが見つかったのを機に、88年に本来の状態に構成し直してデジタル・リマスタリングされたものが、この[完全版]である。 再編集はリーン自らが行い、音声素材が残っていなかった未公開シーンではオトゥールをはじめオリジナルキャストが再結集。改めてアフレコを行った。 多額の資金が必要だったこのプロジェクトで、大きな役割を果たしたのが、マーティン・スコセッシとスティーブン・スピルバーグ。2人とも『アラビアのロレンス』及びデヴィッド・リーンから、ただならぬ影響を受けて育った映画監督である。 スピルバーグが最も尊敬する“巨匠”が、リーンであることは、つとに有名だ。そしてリーンの監督作品の中でも『アラビアのロレンス』(57)は、自作を撮影する前に必ず見直す作品の1本だと語っている。 [完全版]は、今や正規バージョンとなっている。劇中のロレンスの悲劇的な最期と対照的に、映画作品として「めでたしめでたし」の帰結である。 その一方で、忘れてはならないことがある。ロレンスが関わった“アラブ反乱”の、リアルなその後だ。 当時のイギリスが、アラブの独立など認める気がなかったのは、記した通り。内容が矛盾する様々な密約を、アラブ側やユダヤ勢力と結ぶ、いわゆる悪名高き「三枚舌外交」を展開していた。これが「パレスチナ問題」のような、今日でも解決の糸口が見えないような、大きな問題に繋がっている。 T・E・ロレンスは、映画を観た我々にとっては、「アラブ諸国の独立に尽力した人物」「アラブ人の英雄」のように映るが、実際はどうだったのか?実はイギリスの「三枚舌外交」の尖兵だったのでは?そんな指摘も為されている。 どうであれ、本作が紛れもない傑作であるのは、揺るぎはしまい。しかし鑑賞の際、アラブの現在やパレスチナの悲劇に思いを馳せるのは、忘れないようにしたい。 私にはそれが、砂漠とアラブの人々を愛した、本作に登場するキャラクターとしての、ロレンスの遺志に添うことのように思えるのである…。■ 『アラビアのロレンス』© 1962, renewed 1990, © 1988 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2021.01.04
すべてのホラー映画の原点 『悪魔のいけにえ』のホントに怖い顛末
1974年10月1日、アメリカ・テキサス州オースティンのドライブインシアターと映画館で、無名のスタッフ・キャストによる、1本の低予算B級映画が公開された。 その時関係者は誰ひとりとして、予想だにしなかったであろう。その作品が半世紀近く経った2020年代になっても、「ホラー映画のマスターピース」として語り継がれるようになることなど。“芸術性”が高く評価されて、MoMA=ニューヨーク近代美術館にマスターフィルムが永久保存されるという栄誉にも浴した、その作品のタイトルは、“TEXAS CHAINSAW MASSACRE(テキサス自動ノコギリ大虐殺)”。翌75年2月1日に日本でも公開された、本作『悪魔のいけにえ』である。 冒頭、上部にスクロールしていくスーパーで、5人の若者の身に、残酷な運命が待ち受けていることが予告される。続いて「1973年8月18日」と、真夏の出来事であることを示すスーパーが浮かび上がって、物語のスタートである。 テキサスの田舎町で、墓が掘り起こされては、遺体の一部が盗み去られるという事件が頻発する。若い女性サリーと、その兄で車椅子のフランクリンは、祖父の墓が被害に遭ってないかを確認しにやって来た。ワゴン車での旅の同行者は、サリーの恋人ジェリー、友人のカークとその恋人パム。 5人は墓の無事を確認すると、かつてサリーとフランクリンが暮らした、祖父の家へと向かう。しかしその途中に乗せたヒッチハイカーの男によって、彼ら彼女らの行く先に、暗雲が垂れ込め始める。 その男は、ナイフでいきなり自分の掌を傷つけた上、フランクリンに切りつける。そして車を飛び降りると、自らの血で車体に目印のようなものを付けるのだった。 男を追い払い、気を取り直した5人は、ガソリンスタンドへ寄るも、ガソリンは切れていて、夜まで届かないという。仕方なく一行は、今は廃屋のようになっている祖父の家へと向かった。 そこからカークとパムのカップルは、近くの小川で水遊びをしようと出掛ける。その時、一軒の家が目に入る。 ガソリンを分けてもらおうと、彼らが訪れたその家で出くわしたのは、人面から剥いだ皮で作ったマスクをした大男“レザーフェイス”。チェーンソーを振り回して人間を解体する彼と、その家族は皆、シリアルキラーの人肉食ファミリーであった…。 そこからは、ラストのあまりにも有名な“チェンソーダンス”に至るまで、若者たちは次々と絶叫と共に、血祭りに上げられていく。マスクを付けた殺人鬼による、若者大虐殺の展開など、今どきのホラーを見慣れた観客にしてみれば、既視感満載かも知れない。 しかしそれは、当たり前の話だ。『悪魔のいけにえ』こそが、そのすべての始まり、原点の作品だからである。70年代後半以降、ほとんどのホラー映画は、本作の影響下にあると言っても、過言ではない。「『悪魔のいけにえ』のように、宇宙を舞台にした恐怖に支配された映画を作りたい」これはあの『エイリアン』第1作(79)の製作前に、脚本を担当したダン・オバノンが、リドリー・スコット監督に本作を見せて、語った言葉である。 ここで多くの方々の誤解を、解いておこう。本作は首チョンパや内臓ドロドロなど、人体損壊のゴア描写が炸裂するような、いわゆる“スプラッタ映画”では、まったくない。直接的に皮膚に刃物を刺して人を殺すシーンなどは、1カットもないのである。血飛沫が上がるのは、犠牲者が車椅子に乗ったまま、チェンソーで切り刻まれてしまうシーンぐらい。実はTVでも放送出来るように、直接的な残酷描写は、避けて作られている。 それでいながら、いやそれだからこそ、“レザーフェイス”が初めて登場するシーンに代表されるように、予期せぬ突発的な暴力が、我々に大きなダメージを与える。また、ギリギリまで描いて、後は観客の想像に委ねるという手法が、脳内の補完によって、実際に描かれたもの以上に、強烈な印象を残すのである。それが延いては、「とにかく怖かった~」という記憶になっていく。“レザーフェイス”の妙な人間臭さも、実に効果的だ。次から次へと、来訪者=犠牲者が訪れることに泡を喰ったり、ヘマをやらかして、家族に罵倒されたりする描写などがある。『13日の金曜日』のジェイソンや、『エルム街の悪夢』のフレディのような超然とした存在よりも、人間臭い殺人鬼が行う大量殺戮の方が、よりリアルで怖いものかも知れない。 16mmフィルムによる撮影でもたらされた、粒子が粗くザラザラした画面や、BGMは一切使用せず、効果音のみという音響演出も、まるで殺人現場のドキュメンタリーを見ているかのような錯覚を、観客にもたらす。もっとも16mmを使用したのは、単に予算上の問題だったというが、結果的には怪我の功名である。 さて、本作が撮影されたのは、73年の夏。監督のトビー・フーパー(1943~2017)は、まだ30代に突入したばかりだった。 テキサス州オースティンで生まれ育ち、幼い頃からの映画好きだった彼は、テキサス大学在学中には、短編映画や記録映画を手掛けている。その後処女作『Eggshells』(69)が、映画コンテストなどで高く評価されるも、興行的には不発に終わった。 そこでフーパーは、考えた。低予算でも製作し易い、“ホラー映画”で勝負を掛けようと。参考にしたのは、墓を暴いて女性の死体を掘り返しては、それを材料にランプシェードやブレスレットなど作っていた、殺人者エド・ゲインの実話や、監督自身が子どもの頃に親戚から聞いた、怖い噂話など。脚本家のジャック・ヘンケルとの共作で、シナリオは完成した。 経験の浅い映画学生をスタッフに雇い、キャストには、地元の無名俳優を起用。そしていざ、クランク・インとあいなった。 ロケ中心で撮影された本作の撮影現場は、執拗に俳優を追い込むものとなった。リアリティーを追求し、本物の刃物を使ったために、ケガ人が出たり、予算不足から、俳優の顔に直に接着剤を塗って、特殊メイクが行われたり。血糊は口に含んだものを、俳優にぶっ掛けたという。 本作のヒロインで、いわゆる“ラスト・ガール”、最後まで生き延びるサリーを演じたのは、マリリン・バーンズ。役柄とはいえ、固い箒で殴られたり、雑巾を口に押し込められたり、とにかく悲惨な目に遭った。 ガンナー・ハンセン演じる“レザーフェイス”に、チェンソーを振り回されながら追いかけられるシーンでは、監督から「後ろから切られるかもしれないぞ」と、声を掛けられたため、「本当に殺されるかも知れない」と、恐怖に駆られて、本気で走って逃げたという。彼女の臨場感溢れる“絶叫”は、作り物ではなかったのだ。 ロケ地である夏場のテキサスは、外気が40度に上り、照明を当てれば50度以上の暑さとなる。物語上は1日の話である本作だが、撮影は1カ月近く続いた。その間、俳優たちはずっと同じ衣装を、着続けねばならなかった。途中からは、汗臭さを通り越した異臭を放つようになった。 クライマックスで描かれる、殺人一家の食卓シーンは、猛暑の中で閉め切って撮影されたため、卓上の肉料理は、すべて腐っていたという。そんな中での撮影は、カットが掛かる度に、誰かが吐きに行くという惨状を呈した。 こんなことが、本物の動物の死体を大量に解体して作られた、インテリアが散乱する中で行われたわけである。素人主体の現場故に、撮影予定や台本が場当たり的に変更されていく混乱と相まって、撮影途中でスタッフが次々と逃げ出した。 因みにインテリアのみならず、殺人一家の一軒家を作り込んだ、プロダクションデザイナーのロバート・バーンズは、“レザーフェイス”の人面マスクも作成。マスクは3タイプ作られたが、“レザーフェイス”は、局面によってマスクを替えるという設定で、クライマックスの食卓シーンでは、チークを入れるなど化粧を施した分、逆におぞましさが募るマスクで登場する。 さて狂気の撮影が終わって、先に記したような編集と音入れ作業に、フーパーは1年以上を掛けて、『悪魔のいけにえ』は完成。しかし大手配給から怪奇物の名門まで、様々な映画会社に持ち込んで観てもらっても、芳しい評価は得られず、公開のメドはなかなか立たなかった。 本作をようやく引き受けてくれたのは、ニューヨークの独立系配給会社。フーパーはじめ関係者は、ほっと胸を撫で下ろした。 そしてはじめに記した通り、フーパーの地元、テキサス州オースティンで公開されると、ストレートなタイトルと「実話の映画化」という、大ウソの誇大広告が功を奏して、劇場には長蛇の列が。多くの観客が、軽い気持ちで週末のスクリーンに臨んだが、観終わると良くも悪くも打ちのめされ、賛否両論が沸き起こった。 そして上映は、全米各地へと拡大。やがてメジャー製作の大作映画と伍して、ヒットチャートに名を連ねるようになった。“ホラー”への挑戦という、新人監督フーパーの賭けは、大勝利に終わった。…と言いたいところだが、そうは問屋が卸さなかった。 本作の配給を託した独立系配給会社は、実はマフィアが経営する、フロント企業。フーパーたちが要求する、利益の配分に全く応じようとしないという、ある意味映画の内容以上に、怖い顛末が待っていたのである。■ 『悪魔のいけにえ』© MCMLXXIV BY VORTEX, INC.
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COLUMN/コラム2020.07.28
セックスと残酷描写満載で南部の醜い現実を叩きつけようとした“呪われた映画”
今回は『マンディンゴ』(75年)という凄まじい映画を紹介します。マンディンゴとは、南北戦争前のアメリカ南部で、白人たちが最高の黒人奴隷としていた種族というか“血統”です。 これはアメリカ映画史上最も強烈に奴隷制度を描いた映画です。公開当時には大ヒットしたんですが、映画評論家やマスコミから徹底的に叩かれ、DVDも長い間、発売されませんでした。それほど呪われた映画です。 映画は南部ルイジアナ州の“人間牧場”が舞台です。アメリカはずっと黒人奴隷を外国から輸入してたんですが、それが禁止されてから、奴隷をアメリカ国内で取引・売買するようになりました。そこでマクスウェル家の当主ウォーレン(ジェームズ・メイソン) は、黒人奴隷たちを交配して繁殖させ、出来た子供を売ることで莫大な利益を得ています。 また、奴隷の持ち主たちは黒人女性を愛人にしていましたが、彼らの奥さんには隠してませんでした。しかも、 奴隷との間に生まれた子も平気で奴隷 として売っていたんです。 なぜなら、南部の白人たちは、黒人制度を正当化するために“黒人には魂 がない”と信じていました。そうしないと、「すべての人は平等である」と書かれた聖書に反してしまうからです。南部の人は黒人を人間と思っていなかったので、普通の医者ではなく獣医にみせていました。 しかしマックスウェル家の息子ハモンド(ペリー・キング)はそれが間違っていることに気づいていきます。きっかけは 奴隷の黒人女性エレン(ブレンダ・サイクス)を愛したこと。それに、マ ンディンゴの若者、ミード(ケン・ノートン)と友情を結んだからなんです。しかし、白人の妻(スーザン・ジョージ) がミードの子を妊娠して......。 原作はベストセラーでした。でもハリウッドではだれも映画化しようとせず、イタリアの大プロデューサー、デ ィノ・デ・ラウレンティスが製作しま した。彼は製作するときに“仮想敵” を掲げていました。『風と共に去りぬ』(39年)です。南部の奴隷農園をロマンチックに美化した名作映画に、醜い現実を叩きつけようとしたのです。 この番組では巨匠たちの“黒歴史” 映画を積極的に紹介してるんですが、本作もその1本。監督はリチャード・ フライシャー。『海底二万哩』(54年)、『ドリトル先生不思議な旅』(67年)、『トラ・トラ・トラ!』(70年) などを作ってきた天才職人です。彼は、「今までの南部映画はヌルすぎる。俺はこの映画で真実を全部ぶちまける」と考え、セックスと残酷描写満載の『マンディンゴ』を撮り、世界中で大当たりしました。 でも、「アメリカの恥部をさらした」 と言われ、『マンディンゴ』は長い間、「なかったこと」にされてきましたが、 90年代、あのクエンティン・タラン ティーノが「『マンディンゴ』は傑作 だ!」と言ったことでDVDが発売され、再評価されました。 そしてタランティーノが『マンディンゴ』へのオマージュとして撮ったのが『ジャンゴ繋がれざる者』です。 というわけで南部の真実を描きすぎて呪われた傑作『マンディンゴ』、御覧ください! (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作の『マンディンゴ』(1957年/河出書房)は、本国で450万部を超えるベストセラーで、1961年には舞台劇化もされている。農園から名前を取った原作の“ファルコンハースト”シリーズは全部で15作もある。●父ウォーレン役は最初チャールトン・ヘストンにオファーされたが断られ、英国人俳優ジェームズ・メイソンが演じた。彼は後年、「扶養手当を支払う ために映画に出ただけだ」とインタビューで語っている。●息子ハモンド役は、オファーされたボーとジェフのブリッジス兄弟、ティモシー・ボトムズ、ジャン・マイケル・ヴィンセントらに次々と断られ、ペリー・キングに。●シルヴェスター・スタローンがエキストラ出演している。●映画から15年後を描いた続編に『ドラム』(76年/監:スティーヴ・カーヴァー)がある。 (C) 1974 STUDIOCANAL
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COLUMN/コラム2024.09.30
「すべて本当にあったこと」を描いた、ロマン・ポランスキー畢生の傑作は今…。『戦場のピアニスト』
実話ベースの本作『戦場のピアニスト』(2002)の原作本に、ロマン・ポランスキーが出会ったのは、1999年のこと。パリで監督作『ナインスゲート』がプレミア上映された際に、友人から渡されたのである。 一読したポランスキーは、長年待ち望んだものに出会った気持ちになった…。 ***** 1939年9月、ポーランドの著名な若手ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンはいつものように、首都ワルシャワのラジオ局でショパンを演奏していた。しかしその日、ヒトラー率いるナチス・ドイツが、ポーランドに侵攻。シュピルマンの人生は、大きく変転する。 老父母や弟妹など、家族と暮らしていたシュピルマン。ユダヤ系だったため、街を占領したドイツ軍の弾圧対象となる。 ナチスがポーランド各地に作ったユダヤ人ゲットーへの移住が命じられ、住み慣れた我が家から強制退去。移った先では、ドイツ兵による“人間狩り”や“虐殺”が横行する。 42年8月、ゲットーのユダヤ人たちの多くが、強制収容所に送られることになった。しかし列車へ乗り込まされる直前、シュピルマンは、ユダヤ系ながらナチスの手先となった友人から、家族と引き剥がされ、この場を去るように促される。 家族で唯一人、収容所行きを免れたシュピルマンは、ゲットーに戻り、肉体労働に従事。このままではいつか命を落とすと考え、脱出を決行する。 ナチスに抵抗する、旧知の人々らの協力を得て、隠れ家を移りながら、命を繋ぐ。 44年、ワルシャワ蜂起が始まり、戦場となった街が、灰燼と帰していく。そんな中で必死に生き延びようとする、シュピルマンの逃走が続く…。 ***** 33年パリで生まれたポランスキーは、3歳の時に、家族でポーランドに移り住んだ。青年時代にウッチ映画大学で監督を志し、やがて長編第1作『水の中のナイフ』(62)で、国際的な評価を得る。 その後は海外へ。イギリスで、『反撥』(65)『袋小路』(66)『吸血鬼』(67)を成功させると、ハリウッドに渡って『ローズマリーの赤ちゃん』(68)を監督。更に声価を高めた。 しかし69年、妊娠中だったポランスキーの若妻シャロン・テートが、カルト集団に惨殺されるという悲劇に見舞われる。強いショックを受けた彼は、一時ヨーロッパへと移るが、『チャイナタウン』(74)の監督依頼を受けて、アメリカに戻る。 ところが77年、ポランスキーは13歳の少女を強姦するという事件を起こし、アメリカ国外へと逃亡。以降は主にフランスをベースに、監督作品を発表し続けている。 紆余曲折ある彼の監督人生の中で、ずっと胸に抱いていたこと。それは、いつかポーランドの「痛ましい時代の出来事を映画化したい」という思いだった。 ユダヤ系であるポランスキーは、ナチスの占領下で過ごした少年時代に、ゲットーでの過酷な暮らしを経験。その後両親と共に、強制収容所へ送られそうになる。寸前に、父の手で逃がされた彼は、終戦を迎えるまで、幾つもの預け先を転々とすることになった。 戦後になって、父とは再会。しかし母は、収容所で虐殺されていた…。 自分が経験した、そんな時代に起こった事々を作品にしたい。しかしながら、自伝的な内容にはしたくない…。 ポランスキーは、スティーヴン・スピルバーグから、『シンドラーのリスト』の監督オファーを受けながら、断っている。その舞台となるクスクフのゲットーが、実際に自分が暮らした地であり、描かれることが、自身の体験にあまりにも近かったためだ。「ふさわしい素材」を得て、「映画監督として、しっかりとした」ヴィジョンを持って臨まねばならない。そう心に秘めて待ち続けたポランスキーが、60代後半になって遂に出会ったのが、ウワディスワフ・シュピルマンの回想録である、「戦場のピアニスト」だったのだ! ポランスキー曰く、シュピルマンの体験と自分の間に、「ほどよい距離があった」。自分の住んでいた街とは舞台が違い、自分が知っている人間は、誰1人登場しない。それでいながら、「自分の知る事柄が書かれていた」。自らの体験を活かしつつも、客観的な視点で物語を紡ぐのに、これほど相応しいと思える原作はなかったのである。 シュピルマンの著書は、「ぞっとさせられる反面、その文章には前向きなところもあり、希望が満ちていた」。また、「加害者=ナチス/被害者=ユダヤ人」という単純な図式に陥ることなく、シュピルマンの命を救うのが、同胞から恐れられていた裏切り者のユダヤ人だったり、ナチスの将校だったりする。ナチスにも善人が存在し、ユダヤ人にも憎むべき者がいたという、原作の公平な視点にも、いたく感心したのだった。 ポランスキーは、戦後はポーランド音楽界の重鎮として後半生を送っていたシュピルマン本人と面会。映画化を正式に決めた。残念ながらその翌2000年、製作の準備中に、シュピルマンは88年の生涯を閉じたのだが…。 ポランスキーが、ポーランドで映画を撮るのは、『水の中のナイフ』以来、40年振り。資金はヨーロッパから出ており、アメリカの俳優は使わないという条件だった。 それでいながらセリフは英語とするため、ロンドンでオーディションを行うことになった。1,400人もの応募があったが、ポランスキーはその中からは、“シュピルマン”を見つけることはできなかった。 結局ポランスキーが白羽の矢を立てたのは、アメリカ人俳優。1973年生まれで、まだ20代後半。ニューヨーク・ブルックリン育ちのエイドリアン・ブロディだった。 シュピルマンに、風貌が似ていたわけではない。しかしポランスキーはブロディの出演作を数本観て、「彼こそ“戦場のピアニスト”」と思ったのだという。ポランスキーが「思い描いていた通りの人物になりきることのできる」俳優として、ブロディは選ばれたのである。 アメリカ人のブロディを起用するため、スポンサーを説得するのには、1カ月を要した。その上で、製作費の減額を余儀なくされた。 そこまでポランスキーが執心したブロディは、本作以前にスパイク・リーやケン・ローチなどの監督作品で主要な役を演じながらも、まだまだ新進俳優の身。ポランスキーの心意気に応え、戦時に大切なものをことごとく失ったシュピルマンになり切るため、住んでいたアパートや車、携帯電話など、すべてを手放して、単身ヨーロッパへと渡った。 ブロディの父は、ポーランド系ユダヤ人で、ホロコーストで家族を失った身。母は少女時代、ハンガリー動乱によって、アメリカに逃れてきた難民だった。ブロディ家では子どもの頃から、戦争のことやナチスの残虐さが、いつも話題になっていた。 クランク・インまでの準備期間は、6週間。部屋に籠りきりで行ったのは、まずはピアノの練習。少年時代にピアノを習った経験が役立ったものの、毎日4時間ものレッスンを受けた。 同時に進められたのが、ダイエット。摂取するものが細かく指示されて、体重を10数㌔落とした。撮影中に遊びに来たブロディのガールフレンドが、彼を抱き上げてベッドに運べるほど、瘦身になったという。 他には、ヴォイストレーニングや方言の練習、演技のリハーサルが繰り返される毎日を送った。 本作でもう一方の“主役”と言えるのが、1939年から45年に掛けての、ワルシャワの市街。しかしゲットーの在った地をはじめ、ほとんどの場所は戦後に再建されており、撮影に使えるような場所は、ほとんど残っていなかった。 そのためポランスキーは、広範なリサーチと自分自身の記憶を頼りに、美術のアラン・スタルスキと共に、ワルシャワとベルリン周辺で、数ヶ月のロケハンを敢行。本作の100を超える場面に必要な撮影地を、探し回った。 最終的には、ベルリンの撮影所の敷地内に、ワルシャワの街並みを建造。また、同じくベルリンに在った、旧ソ連兵舎を全面的に取り壊して、広大な廃墟を作り上げた。これは、全市の80%が壊滅したと言われるワルシャワ蜂起の、すさまじい戦禍を再現したものだった。 本作の撮影は、この廃墟が雪に覆われたシーンからスタートした。ブロディ演じるシュピルマンが、壁を上って、その向こう側に行くと、どこまでも荒涼たる光景が広がっている。「これが自分の住む街だったら」と思うと、ブロディは自然に涙がこぼれたという。 ワルシャワでは、屋内・屋外ロケを敢行。様々なシーンの撮影を行った。 ロケ地探しで至極役立った、ポランスキーの記憶力。ナチの軍服や兵士たちの歩き方、ゴミ箱の大きさに至るまで、当時の再現に、大いに寄与した。記憶でカバーできない部分は、終戦直後の46年に書かれた、シュピルマンの原作に頼った。 戦時のワルシャワで起こった様々な事件を再現するためには、多くのリサーチが行われた。クランク・イン前には、歴史家やゲットーの生存者の話を聞き、スタッフには、ワルシャワ・ゲットーについてのドキュメンタリーを何本も観てもらった。 ポランスキーは本作に、当時彼自身が体験したことも、織り込んだ。その一つが、シュピルマンが、収容所に送られていく家族からひとり引き離されるシーン。 原作ではシュピルマンは、その場から走って逃げたと記している。しかしポランスキーは、歩いて去るように、変更した。 これはポランスキーがゲットーを脱出した際に、ドイツ兵に見つかった経験が元になっている。そのドイツ兵はみじろぎひとつせずに、「走らない方がいい」とだけ、ポランスキーに言った。走るとかえって、注意を引いてしまうからである。 そんなことも含めて、本作で描かれているのは、「すべて本当にあったこと」だった。 撮影は、2001年2月9日から半年間に及んだ。その期間中、ポランスキーは当時の辛かった思い出の“フラッシュバック”に、度々襲われることになる。しかし撮影前のリサーチ段階での苦痛のほうが大きかったため、憔悴するには至らなかった。 本作のクライマックス。シュピルマンが隠れ家とした場所でナチスの将校に見つかり、ピアニストであることを証明するためピアノを演奏する、4分以上に及ぶシーンがある。 こちらはドイツのポツダムに在る、住宅街の古い屋敷でのロケーション撮影。画面から伝わってくる通りの寒さの中で、カメラが回された。 スタッフが皆、分厚いコートを来ている中で、ブロディは着たきりのスーツだけ。しかし監督は画作りのため、すべての窓を開け放しにした。ブロディは死ぬほどの寒さの中で、演技をしなければならなかった。 このシーンに登場する、トーマス・クレッチマンが演じるドイツ国防軍将校の名は、ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉。シュピルマンを連行することなく、隠れ家の彼に食事や外套を提供して、サバイバルを手助けする。 本作で詳しく描かれることはなかったが、実在したこの大尉は、ナチスの方針に疑問を抱き、迫害に遭ったユダヤ人らを、実は60人以上も救っている。シュピルマンを助けたのは、偶然や気まぐれではなかったのである。 不運にも彼はワルシャワから撤退中に、ソ連軍の捕虜となった。そしてシベリアなどの捕虜収容所に、長く拘置されることになる。 シュピルマンは戦後、自分を助けてくれたドイツ人将校を救おうと、手を尽して行方を捜索。収容所に居ることがわかると、当時はソ連の衛星国家だった、ポーランドの政界に解放を働きかけた。しかしホーゼンフェルトが自由の身になることはなく、52年に心臓病のため57歳で獄死してしまう…。 さて6ヶ月間、本作に打ち込んだエイドリアン・ブロディは、シュピルマンの“孤立感”を体感しようと試み、飢えをも経験する中で、感じ方や考え方に変化が生じた。そのため撮影が終わってから、何と1年近くも、鬱状態から抜け出せなかった。 一方でブロディは、本作に出たことによって、俳優としての自分がやりたいことが何なのか、はっきりと自覚することができたという。 ちなみにブロディがレッスンを経て、楽譜を見ずにピアノを弾けたようになったことを、ピアノ教師が絶賛。この後も続けるように勧められたが、本作が撮了するとモチベーションを保てず、やめてしまったという。 監督のポランスキー、主演のブロディが報われたのは、まずは2002年5月の「カンヌ国際映画祭」。そのコンペ上映で15分間のスタンディング・オヴェーションを得て、最高賞のパルムドールに輝いた。そして翌03年3月には「アカデミー賞」で、ポランスキーに“監督賞”、ブロディに“主演男優賞”が贈られた。 それまでは、“鬼才”という呼称こそがしっくりくる感があったポランスキー。件の事情で国外逃亡中の身だったため、オスカー授与の場に立つことはなかったが、本作『戦場のピアニスト』によって、紛うことなき“巨匠”の地位を得たのである。 しかしそれから歳月を経て、90を超えたポランスキー、そして本作への評価も、今や安泰とは言えない。 2017年に大物プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる数多くの性加害が告発されて以降、大きな高まりを見せた#MeToo運動。その文脈の中では、少女を強姦してアメリカ国外へ逃亡したポランスキーの、“巨匠”としての地位も、揺るがざるを得ない。 ポランスキーに性的虐待を加えられたと告発する者は、他にもいる。アカデミー賞受賞後、彼のアメリカ入国を認めさせようという機運が一時高まったが、もはや取り沙汰されることはない。 そして現在、イスラエルが、ガザ地区で戦争を続けている。 ナチスに母を、カルト集団に妻子を奪われた“被害者"である一方、レイプで女性の人生を狂わせた“加害者”であるポランスキー。 ナチスのジェノサイドの犠牲者であるユダヤ民族が作った国家イスラエルは、国際的な批判の高まりを無視して、パレスチナの民への攻撃を行っている。『戦場のピアニスト』は、製作から20年以上経った今観ても、衝撃的且つ感動的な作品である。ポランスキーが意図した通り、「ナチス=悪/ユダヤ=善」という単純な図式を回避したからこその素晴らしさがある。 しかしながら、2024年の今日。そんな作品だからこそ、複雑な気持ちを抱きながら観ざるを得なくなってしまったのも、紛れもない事実である。■ 『戦場のピアニスト』© 2002 / STUDIOCANAL - Heritage Films - Studio Babelsberg - Runteam Ltd