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COLUMN/コラム2023.11.29
元CIA職員が描く冷酷非情なロシアン・スパイの世界!『レッド・スパロー』
ソ連時代のロシアに実在した「スパロー」とは? 『ハンガー・ゲーム』シリーズのヒロイン、カットニス役でトップスターとしての地位を不動にした女優ジェニファー・ローレンスが、同シリーズのフランシス・ローレンス監督と再びタッグを組んだスパイ映画『レッド・スパロー』(’18)。ちょうどこの時期、シャーリーズ・セロン主演の『アトミック・ブロンド』(’17)に韓流アクション『悪女/AKUJO』(’19)、リブート版『チャーリーズ・エンジェル』(’19)にリュック・ベッソン監督の『アンナ』(’19)など、いわゆる女性スパイ物が相次いで話題となっていたのだが、その中で本作が他と一線を画していたのは、一切の荒唐無稽を排したウルトラハードなリアリズム路線を貫いたことであろう。 なにしろ、原作者ジェイソン・マシューズは元CIA職員。表向きは外交官としてヨーロッパやアジアなど各国を渡り歩きながら、その裏で工作員のリクルートおよびマネージメントを担当していたという。33年間のCIA勤務を経て引退した彼は、退職後のセカンド・キャリアとして小説家を選択。国際諜報の世界に身を置いていた時代の知識と経験を基に、初めて出版した処女作が大ベストセラーとなったスパイ小説「レッド・スパロー」だったのである。 テーマはスパロー(雀)と呼ばれるロシアの女性スパイ。彼女たちの役割は敵国の諜報員にハニー・トラップを仕掛け、自らの美貌と肉体を駆使してターゲットを誘惑し、巧みな心理戦で相手を意のままに操ること。主人公のドミニカ・エゴロワというキャラクターそのものは完全なる創作だが、しかしマシューズによるとソ連時代のロシアにはスパローの養成学校まで実在したそうだ。当時はアメリカでも同様の試みがなされたが、しかし倫理的な問題から実現はしなかったとのこと。さすがにソ連解体後のロシア諜報機関にはスパローもスパロー・スクールも存在せず、よって本作のストーリーも過去の事実を基にしたフィクションと見做すべきだが、それでもプロの女性を外部から雇ったロシアのハニー・トラップ工作は今もなお行われているという。 国家によって武器へと仕立てられた女性のサバイバル劇 舞台は現代のロシア、主人公のドミニカ・エゴロワ(ジェニファー・ローレンス)は世界的に有名なバレリーナだ。ボリショイ劇場の舞台で華やかなスポットライトを浴びるドミニカだが、しかし私生活は極めて質素なもの。ソ連時代に建てられた郊外の古い集合住宅で、病気の母親(ジョエリー・リチャードソン)と2人きりで暮らしている。そんなある日、舞台の公演中に起きた事故で片脚を骨折した彼女は再起不能に。自分の名声を妬んだライバルの仕業と知ったドミニカは、相手を半殺しの目に遭わせて復讐を遂げるものの、しかしバレリーナとしてのキャリアが断たれたことで生活が立ち行かなくなる。そこで彼女が頼ったのは、亡き父親の年の離れた弟、つまり叔父に当たるワーニャ(マティアス・スーナールツ)だった。 KGB第1総局を前身とする諜報機関、ロシア対外情報庁(SVR)の副長官を務めるワーニャ叔父さん。アパートの家賃や母親の治療費と引き換えに、彼が姪のドミニカにオファーした仕事というのが、悪徳実業家ディミトリ・ウスチノフに色仕掛けで取り入るというハニトラ工作だった。ところが、相手の携帯電話をすり替えるだけの簡単な任務だったはずが、途中から加わったSVRの殺し屋マトリンがウスチノフを殺害。結果的に要人の暗殺現場を目撃してしまった彼女は、ワーニャ叔父さんの指示に従ってスパイ養成学校へ送られることとなる。さもなければ、国家に不都合な目撃者として抹殺されてしまう。例の復讐事件で姪に工作員の素質があると見抜いた叔父は、彼女をスパイの世界へ引きずり込むための罠を仕組んだのである。 ドミニカが送り込まれたのは、ハニー・トラップ専門の工作員「スパロー」を育成する第4学校。冷酷非情な監督官(シャーロット・ランプリング)によって、美しさと強さを兼ね備えた若い男女が、己の頭脳と肉体を武器にした諜報テクニックを叩きこまれていく。中でもドミニカの成長ぶりは目覚ましく、その才能に注目したSVRの重鎮コルチノイ(ジェレミー・アイアンズ)の抜擢によって、彼女は国際諜報の最前線へ羽ばたくこととなる。その最初の任務は、SVR上層部に潜むアメリカとの内通者を炙り出すことだった。 実はドミニカがボリショイの舞台で事故に見舞われたのと同じ頃、モスクワ市内のゴーリキー公園でスパイ事件が発生。表向きはアメリカの商務参事官として米国大使館に勤務しつつ、その裏で諜報活動を行っていたCIA捜査官ネイト・ナッシュ(ジョエル・エドガートン)が、ロシア現地の内通者と接触している現場をパトロール中の警官に見つかったのである。ギリギリで米国大使館へ逃げ込んだナッシュは、外交官特権を使ってアメリカへと帰国。ロシア側は公園から立ち去った内通者がSVR内部の重要人物と睨むが、しかし身元を割り出すまでには至らなかったのだ。 そのナッシュが再び内通者と接触を図るべく、ハンガリーのブダペストに滞在中だと知ったSVRは、ドミニカを現地へ送り込むことに。ナッシュを誘惑して内通者の正体を聞き出すため、身分を偽って接触を図ったドミニカだったが、しかしすぐにSVRの工作員であることがバレてしまい、反対に二重スパイの取引を持ち掛けられる。自身と母親の身柄保護および生活保障を条件に、CIAの諜報工作に協力してSVRを出し抜こうとするドミニカだが…? ソ連時代のロシアで筆者が身近に感じたスパイの存在とは? 生き馬の目を抜く全体主義的なロシア社会にあって、国家の武器として利用され搾取されてきた女性が、自らの生き残りを賭けてロシアとアメリカの諜報機関を手玉に取っていく。多分に冷戦時代の香りがするのは、先述した通りソ連時代のスパイ工作が物語の下敷きとなっているからであろう。ハンガリーのブダペストやスロバキアのブラティスラヴァ、さらにウィーンやロンドンでも撮影されたエレガントなロケーションも、往年のスパイ映画を彷彿とさせる。ロングショットの多用やシンメトリーを意識した折り目正しい画面構図によって、冷酷非情なスパイの世界の心象風景を描いたフランシス・ローレンス監督の演出も極めてスタイリッシュだ。中でも、ドミニカの骨折事故とナッシュのスパイ事件が、インターカットによって同時進行していくプロローグの編集処理は圧巻!ヒッチコックの『見知らぬ乗客』(’51)をお手本にしたそうだが、ドミニカとナッシュが何者であるのかを観客へ的確に伝えつつ、やがて両者の運命が交錯していくことも暗示した見事なオープニングである。 そんな本作で何よりも驚かされるのは、昨今のハリウッド・メジャー映画としては極めて珍しい大胆な性描写と暴力描写であろう。なにしろセックスを武器にしたスパイの話である。そもそも原作小説の性描写や暴力描写が過激だったため、製作陣は最初からR指定を覚悟して企画に臨んだという。中でも主演のジェニファー・ローレンスには、一糸まとわぬヌードシーンが要求されたため、撮影された映像は真っ先にジェニファー本人のチェックを受けたそうで、それまではラッシュ映像の試写すら行われなかったらしい。 さらに、主人公ドミニカが元バレリーナという設定であるため、演じるジェニファーもバレエの猛特訓を受けたという。ボリショイ劇場のシーンはブダペストのオペラ座で撮影。スティーブン・スピルバーグ監督のリメイク版『ウエスト・サイド・ストーリー』(’21)も手掛けた、ニューヨーク・シティ・バレエのジャスティン・ペックが振付を担当している。ジェニファーのダンスコーチに任命されたのはダンサーのカート・フローマン。1日3時間、週6日間のレッスンを3カ月も続けたという。とはいえ、さすがにボリショイ級のレベルに到達するのは不可能であるため、ジェニファー本人のパフォーマンスは主にクロースアップショットで使用。ロングショットではアメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル、イザベラ・ボイルストンが代役を務めている。 なお、バレエ・ファンにとって要注目なのは、その卓越したテクニックと美しい容姿から日本でも絶大な人気を誇るウクライナ人ダンサー、セルゲイ・ポルーニンが、ドミニカにケガをさせるダンス・パートナー役で顔を出していることであろう。また、七三分けのクリーンカットでワーニャ叔父さんを演じるベルギー人俳優マティアス・スーナールツが、恐ろしいくらいロシアのプーチン大統領と似ているのも興味深いところ。ご存知の通り、プーチン氏はSVRの前身であるKGBの元諜報員だった。ローレンス監督曰く、特定の人物に似せるという意図は全くなかったらしいが、普段は髪が長めで髭を伸ばしているマティアスの外見を整えたところ、意外にも「ある人物」に似てしまったのだそうだ(笑)。 ちなみに、ソ連時代のモスクワで育った筆者にとって、スパイは割と身近な存在だった。なんといっても筆者の父親はマスコミの特派員。情報を扱う仕事である。当然ながら自宅の電話には盗聴器が仕掛けられ、父親が外出すればKGBの尾行が付き、家の中も外から監視されていた。なので、父親が現地の情報提供者などと電話でコンタクトを取る際は、外国人が宿泊する市内の高級ホテルの公衆電話から英語ないし日本語で連絡してもらう。また、当時は日本の本社との通信手段として、国際電話と電報とテレックスを使い分けていた時代。ただし、国際電話は盗聴されているため、ソ連当局に都合の悪い内容の場合は途中で切られてしまう。ゆえに、短い連絡は電報で、長い文章はテレックスで。もしくは、ホテルで近日中に帰国する日本人を探して原稿入りの封筒を託し、羽田もしくは成田の空港でポストに投函してもらう。時には、うちの母親が子供たちを連れて旅行へ行くふりをし、父親に車で駅まで送り届けさせる。そのままKGBの尾行は父親の車を追いかけていくので、その隙を狙って母親が電報局から日本へ電報を打つなんてこともあったそうだ。 また、日本人のみならずモスクワに住む外国人の多くが、現地のメイドや運転手などを雇っていたのだが、その外国人向け人材派遣も実はKGBの管轄だった。筆者の家でも父親の秘書や子供の面倒を見るメイドさん、ピアノ教師などを雇っていたのだが、もちろん彼ら自身がスパイというわけではない。あくまでもKGBが管理しているというだけなのだが、その代わりに勤務先の外国人家庭や外国企業オフィスなどで見聞きしたことを上に報告する義務があったらしい。それでも、筆者の家に出入りしていたメイドのシーマは孫のように我々子供たちを可愛がってくれたし、日本語の達者な秘書オーリャも明るくて愉快な女性だった。なにか悪いことをされたという記憶は殆どない。とはいえ、その一方で現地職員を装った工作員によるものと思われる日本大使館での食中毒事件なども実際に起きていたので、当然ながらダークな部分もあることは子供ながらに認識していた。今になって振り返ると異質な世界だったとは思うが、当時はそれが当たり前だったため大きな違和感はなかったのである。ほかにも、モスクワ在住時代のスパイ・エピソードは、思いがけないトラブルも含めて多々あるのだが、それはまた別の機会に…。■ 『レッド・スパロー』© 2018 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2023.12.04
元祖『ミッドサマー』と呼ぶべきカルト映画の傑作『ウィッカーマン』
英国ホラーの衰退期に誕生した異色作 海外では「ホラー映画の『市民ケーン』」とも呼ばれている伝説的なカルト映画である。タイトルのウィッカーマンとは、古代ケルトの宗教・ドルイド教の生贄の儀式に使われた木製の檻のこと。それは巨大な人間の形をしており、中に生贄の動物や人間を入れたまま火をつけて燃やされたという。いわゆる人身御供というやつだ。ただし、本作の舞台は現代のイギリス。行方不明者の捜索のため田舎の警察官が小さな島を訪れたところ、島民たちはキリスト教でなくドルイド教を今なお信仰しており、やがて余所者である警察官は恐るべき伝統行事の渦中へと呑み込まれていく。 そう、これぞ元祖『ミッドサマー』(’19)!アリ・アスター監督が本作から影響を受けたのかどうかは定かでないものの、しかし『ホステル』(’05)シリーズのイーライ・ロスや『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』(’12)のジェームズ・ワトキンス、『ハイ・ライズ』(’15)のベン・ホイートリーなど本作の熱烈なファンを公言する映画監督は少なくないし、結果としてオリジナルには遠く及ばなかったものの、ニコラス・ケイジ主演でハリウッド・リメイクされたこともある。恐らく、全く知らなかったということはなかろう。 本作の企画を発案したのは、ヒッチコック監督の『フレンジー』(’72)や自ら書いた舞台劇を映画化した『探偵スルース』(’72)、『オリエント急行殺人事件』(’74)に始まるアガサ・クリスティ・シリーズでも知られるイギリスの大物脚本家アンソニー・シェファー。実はもともと大のホラー映画ファンだったという彼は、ハマー・プロ作品のように吸血鬼やミイラ男やゾンビが出てくる古典的な怪奇映画ではなく、もっと知的で洗練されたモダン・ホラーを作ってみたいと考え、当時映画会社ブリティッシュ・ライオンの幹部だったピーター・スネルに相談したという。ちょうど当時は、『フランケンシュタインの逆襲』(’57)や『吸血鬼ドラキュラ』(’58)の大ヒットで火の付いた、英国ホラー映画ブームの勢いが急速に失われていった衰退期。ハマー・フィルムはエロス路線やサスペンス路線などを模索するが低迷し、アミカスやタイゴンもホラー映画からの脱却を試みるようになっていた。もはや古き良きゴシック・ホラーは通用しない。イギリスのホラー映画に新規路線が求められているのは明白だった。 そこでシェファーとスネルが辿り着いたのは古代宗教。イギリスではキリスト教が伝搬する以前にドルイド教が信仰されていた。しかし、ホラー映画に出てくる宗教といえばキリスト教ばかりである。これは題材として新しいだろう。そんな彼らが主演俳優として想定したのが、シェファーの友人でもあったホラー映画スター、クリストファー・リー。ハマー・プロの作品群によってホラー映画の帝王としての地位を確立したリーだが、しかしそれゆえにオファーされる仕事の幅も著しく狭められていた。いっそのこと長年に渡って培ってきたハマー・ホラーのイメージを返上し、もっとユニークな映画で興味深い役柄を演じてみたい。この切なる願いにはシェファーやスネルも大いに賛同し、リーをメインキャストに据えるという大前提で企画が進行することになったという。さらに、過去にシェファーとテレビ制作会社を共同経営していたこともあるロビン・ハーディ監督が加わり、およそ3年近くの歳月をかけて完成させたのが本作『ウィッカーマン』(’73)だったのである。 孤島に脈々と伝わる古代宗教と消えた少女の行方 スコットランド西岸のヘブリディーズ諸島。その中の小さな島サマーアイルに、本土からニール・ハウイ巡査部長(エドワード・ウッドワード)が訪れる。島に住む12歳の少女ローワン・モリソンが行方不明になったので探して欲しいと、ハウイ巡査部長宛てに匿名の捜索願が届いたのだ。サマーアイル島は領主であるサマーアイル卿(クリストファー・リー)が所有する私有地で、それを理由に島民たちはハウイ巡査部長の上陸を拒んだが、しかし彼は警察の捜査権を主張して強引に乗り込んでいく。ローワンの写真を見せても知らぬ存ぜぬを繰り返し、捜査に対して明らかに非協力的な島の人々。母親のメイ・モリソンも知らないのか?と詰め寄ると、渋々ながら島の住人であることを認めるが、しかし写真の少女はメイ・モリソンの娘じゃないと言い張る。 初っ端から島民たちの態度に不快感を覚えるハウイ巡査部長。島で唯一の郵便局を営むメイ・モリソンのもとを訪ね、娘ローワンの行方に心当たりがないのか問いただすが、しかし彼女もまた同じ答えを繰り返す。その子は私の娘なんかじゃないと。狐につままれたような心境で困惑を隠せないハウイ巡査部長。とりあえず島に留まって捜索を続けるため、地元の宿で小さな部屋を取るのだが、しかし1階のパブに集まる島民たちは酔っぱらって卑猥な歌を大合唱し、外へ散歩に出れば公園の暗がりで大勢の若い男女がセックスに興じ、部屋へ戻ると宿屋の主人マクレガー(リンゼイ・ケンプ)の娘ウィロー(ブリット・エクランド)が彼を誘惑する。敬虔なキリスト教徒で生真面目な禁欲主義者のハウイ巡査部長は、乱れ切った島民たちの倫理観に怒りを通り越して呆れてしまう。 翌朝、ローワンの通っていた学校へ聞き取り調査に向かうハウイ巡査部長。学校では五月祭の準備が進められていたのだが、祭りで使用されるメイポールを男根崇拝の象徴だと、女教師ローズ(ダイアン・シレント)が生徒たちに教える光景を見て憤慨する。そんな汚らわしいことを子供に教えるとは何事だ!というわけだ。しかも、生徒名簿にローワンの名前があるにも関わらず、教師も生徒もそんな子は知らないと白を切る。この島の住人は大人も子供も嘘つきばかりじゃないか!怒り心頭の巡査部長に対し、ようやく女教師ローズがローワンの存在を認めるも、しかしその行方については答えをはぐらかす。 こうなったら領主サマーアイル卿に問いただすしかなかろう。サマーアイル卿の邸宅に乗り込んでいったハウイ巡査部長。彼の到着を待ち受けていたサマーアイル卿は、島の住人たちが古代宗教を信仰していることを明かす。かつてこの島は食物の育たない不毛の地だったが、古代宗教の儀式を復活させたところ土地が豊かになり、リンゴの名産地として栄えるようになったのだという。現代のイギリスに異教徒の地が存在すると知って驚愕するハウイ巡査部長。やがて彼は、ローワンが昨年の五月祭で豊作を願う儀式の女王(メイクイーン)に選ばれていたこと、しかし結果的に昨年が過去に例のない凶作だったことを知り、彼女が神への生贄として殺されるのではないかと推測する。だから島民たちは終始一貫して嘘をついているのだろう。そう考えたハウイ巡査部長は、明日に控えた五月祭の儀式に潜入してローワンを救い出そうと考えるのだが…? 見る者の価値観や道徳観が問われるストーリーの本質 原作は作家デヴィッド・ピナーが’67年に発表したミステリー小説「Ritual」。ただし、そのまま映画化するには難しい内容だったため、警察官が捜査のため訪れた田舎で古代宗教の生贄の儀式が行われていた…という基本プロットを拝借しただけで、それ以外の設定やストーリーはほぼ本作のオリジナルだという。それゆえ、本編には原作クレジットがない。 アンソニー・シェファーの脚本が巧みなのは、同時代の社会トレンドや価値観の変化を物語の背景として随所に織り込みながら、見る者によって解釈や感想が大きく違ってくる作劇の妙であろう。当時は、’60年代末にアメリカで生まれた若者のカウンターカルチャーが世界へと広まった時代。ラブ&ピースにフリーセックス、反体制に反権力、自然への回帰にスピリチュアリズム。まさしくサマーアイル島の人々のライフスタイルそのものである。反対に主人公ハウイ巡査部長は、原理主義的なクリスチャンでガチガチに潔癖主義のモラリスト。そのうえ、警察権力を笠に着て島民のプライバシーを土足で踏み荒らす権威主義者だ。 なので、最初のうちは正義の味方である警察官が閉鎖的な島へ迷い込み、邪教信者の島民たちによって恐ろしい目に遭う話なのかと思っていると、だんだんとハウイ巡査部長の横柄な偽善者ぶりが鼻につくようになり、やがて気が付くと島民の方に肩入れしてしまうのだ。もちろん、そうじゃない観客もいることだろう。なので、見る者の価値観や道徳観によって受け止め方も大きく違ってくる。衝撃的なクライマックスも、人によっては恐怖よりもある種のカタルシスを強く覚えるはずだ。 また、本作の魅力を語るうえで外せないのが、ポール・ジョヴァンニによる劇中の挿入歌や伴奏スコア。なにしろ、もはや半ばミュージカル映画のようなものじゃないか?と思うくらい、本作では音楽が重要な役割を占めているのだ。ケルト音楽をベースにした牧歌的で美しいメロディは、それゆえにどこか不穏な空気を醸し出す。幾度となくCD化もされたサントラ盤アルバムはフォーク・ロック・ファンも必聴だ。 ちなみに、本作には大きく分けて3種類のバージョンが存在する。というのも、完成直後に製作会社のブリティッシュ・ライオンがEMIに買収され、プロデューサーのピーター・スネルがクビになってしまったのだ。解雇された映画会社重役の置き土産が、後継者によって杜撰な扱いを受けるのは業界アルアル。この手の映画に理解のあるアメリカのロジャー・コーマンに命運を託そうと、スネルはコーマンのもとへオリジナル編集版のフィルムを送付したが、しかし残念ながら配給契約は成立しなかった。結局、100分の本編はブリティッシュ・ライオンの指示で89分へと短縮。ハウイ巡査部長の人となりが分かる本土での仕事ぶりや生活ぶりを描いたシーンや、ブリット・エクランド扮する妖艶な美女ウィローが若者の筆おろしをするシーンなどが失われ、カットされたフィルムは廃棄されてしまったと言われる。 しかし、ロジャー・コーマンが保管していたオリジナル編集版フィルムを基に、ロビン・ハーディ監督自身が’79年に最も原型に近い99分バージョンを製作。これがディレクターズ・カット版として流通している。さらに、ハーヴァード大学のフィルム・アーカイブで本作の未公開バージョン・フィルムが発見され、それを基にした94分のファイナル・カット版も’13年に発表されている。今回、ザ・シネマで放送されるのは劇場公開時の89分バージョンだが、機会があれば是非、ディレクターズ・カット版やファイナル・カット版もチェックして頂きたい。本作が描かんとした文化対立的なテーマの本質を、より深く考察できるはずだ。■ 『ウィッカーマン』© 1973 STUDIOCANAL FILMS Ltd - All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2025.03.06
現代の巨匠イーストウッドが、実在の英雄を通して捉えた“イラク戦争”『アメリカン・スナイパー』
クリス・カイル、1974年生まれのテキサス州出身。8歳の時に、初めての銃を父親からプレゼントされて、ハンティングを行った。 カウボーイに憧れて育ち、ロデオに勤しんだが、やがて軍入りを希望。ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が、国際テロ組織アルカーイダが関与する自爆テロで攻撃されるなど、祖国が外敵から攻撃されていることに触発されて、アメリカ海軍の特殊部隊“ネイビー・シールズ”を志願した。 2003年にイラク戦争が始まると、09年に除隊するまで4回、イラクへ派遣された。そこでは主に“スナイパ-”として活躍し、166人の敵を射殺。これは米軍の公式記録として、最多と言われる。 味方からは「レジェンド〜伝説の狙撃手」と賞賛されたカイルは、イラクの反政府武装勢力からは、「ラマディの悪魔」と恐れられ憎悪された。そしてその首には、賞金が掛けられた。 4度ものイラク行きは、カイルの心身を蝕み、精神科医からPTSDの診断を受けた。カイルは民間軍事支援会社を起こし、それと同時に、自分と同じような境遇に居る帰還兵たちのサポートに取り組んだ。彼らを救うことが、自分自身の癒やしにもなると考えたのである。 兵士は銃に愛着があるため、それがセラピーになる場合がある。カイルは帰還兵に同行して牧場に行き、射撃を行ったり、話を聞いたりした…。 こうした歩みをカイル本人が、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリスと共に著した“自伝”は、2012年に出版。100万部を超えるベストセラーとなった。 脚本家のジェイソン・ホールは、カイルの人生に注目。2010年にテキサス州へと訪ねた。 その後カイルと話し合いながら、脚本の執筆を進めた。彼が自伝を書いているのも、そのプロセスで知ったが、結果的にそれが原作にもなった。 ホールは、俳優のブラッドリー・クーパーに、映画化話を持ち込む。クーパーは、『ハングオーバー』シリーズ(2009〜13)でブレイク。『世界にひとつのプレイブック』(12)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、まさに“旬“を迎えていた。 クーパーはこの企画の権利を、ワーナー・ブラザースと共に購入。映画化のプロジェクトがスタートした。 当初はクーパーの初監督作として検討されたが、いきなりこの題材では、荷が重い。続いて『世界にひとつのプレイブック』や『アメリカン・ハッスル』(13)でクーパーと組んだデヴィッド・O・ラッセルが候補になるが、これも実現しなかった。 その後、スティーブン・スピルバーグが監督することとなった。当初積極的にこの企画に取り組んだスピルバーグだったが、シナリオ作りが難航すると、降板。 そこで登場するのが、現代ハリウッドの巨匠クリント・イーストウッド!一説には、スピルバーグが後任を依頼するため連絡を取ったという話があるが、イーストウッド本人は、「おれはスピルバーグの後始末屋と思われているけど、それは偶然だ」などと発言しているので、真偽のほどは不明である。 イーストウッドによると、依頼が来た時は他の映画の撮影中。仕事とは関係なく、本作の原作を読んでいるところだった。 カイルは父親から、「人間には三種類ある。羊と狼と番犬だ。お前は番犬になれ」と言われて、育った。そのため、羊のような人々を狼から守ることこそ、自分の使命だと考えていた。 それが延いては、家族と一緒にいたいという気持ちと、戦友を助けたいという気持ちの板挟みになっていく。この葛藤はドラマチックで、映画になると、イーストウッドは思った。 まずは「脚本を読ませてくれ」と返答。その際依頼者から、プロデューサーと主演を兼ねるクーパーが、「ぜひクリントに監督をお願いしたい」と言ってると聞いて、話が決まったという。 クーパーは幼少の頃から、いつか仕事をしてみたいと思っていた俳優が、2人いた。それは、ロバート・デ・ニーロとクリント・イーストウッドだった。 デ・ニーロとの共演は、『世界にひとつのプレイブック』で実現した。イーストウッドについては、『父親たちの星条旗』(06)以降、いつも彼の監督作のオーディションに応募してきた。本作で遂に、夢が叶うこととなったのである。 こうして、本作にとってはクーパー曰く、「完璧な監督」を得ることとなった。実は、この物語の主人公であるクリス・カイル自身も、もし映画化するなら、「イーストウッドに監督してもらいたい」と、希望していたという。 イーストウッドが監督に決まった頃、ジェイソン・ホールは脚本を一旦完成。クーパーら製作陣に、渡した。 その翌日=2013年2月2日、クリス・カイルが、殺害された。犯人は、イラク派遣でPTSDとなった、元兵士の男。カイルは男の母親から頼まれて、救いの手を差し伸べた。ところが、セラピーとして連れ出した射撃練習場で、その男に銃撃され、命を落としてしまったのである。 クーパーもイーストウッドも、まだカイルと、会っていなかった。対面する機会は、永遠に失われた。 脚本に加え、製作総指揮も務めることになっていたジェイソン・ホールは、葬儀後にカイルの妻タヤと、何時間も電話で話をした。タヤは言った。「もし映画を作るなら、正しく作ってほしい」 イーストウッドが監督に就いたことと、この衝撃的な事件が重なって、映画化の方向性は決まり、脚本は変更となった。焦点となるのは、PTSD。戦場で次々と人を殺している内に、カイルが壊れていく姿が、描かれることとなった。 イラクへの派遣で、カイルの最初の標的となるのは、自爆テロをしようとした、母親とその幼い息子。原作のカイルは、母親の方だけを射殺するが、実際は母子ともに、撃っていた。 原作に書かなかったのは、子どもを殺すのは、読者に理解されないだろうと、カイルが考えたからだった。しかしイーストウッドは、それではダメだと、本作で子どもを狙撃する描写を入れた。 後にカイルには、再び子どもに照準を合わさなければならない局面が訪れる。その際、イラク人たちを「野蛮人」と呼び、狙撃を繰り返してきたような男にも、激しい内的葛藤が起こる。そして彼が、実はトラウマを抱えていたことが、詳らかになる。 もう一つ、原作との大きな相違点として挙げられるのが、敵方の凄腕スナイパー、ムスタファ。原作では一行程度しか出てこない存在だったが、イーストウッドは彼を、カイルのライバルに設定。その上で、その妻子まで登場させる。 即ち、ムスタファもカイルと同様に、「仲間を守るために戦う父親」ということである。この辺り、太平洋戦争に於ける激戦“硫黄島の戦い”を題材に、アメリカ兵たちの物語『父親たちの星条旗』(06)と、それを迎え撃つ日本兵たちを描いた『硫黄島からの手紙』(06)を続けて監督した、イーストウッドならではの演出と言えるだろう。 ブラッドリー・クーパーは、カイルになり切るために、肉体改造を行った。クーパーとカイルは、ほぼ同じ身長・年齢で、靴のサイズまで同じだったが、クーパーが84㌔ほどだったのに対し、筋肉質のクリスは105㌔と、体重が大きく違ったのである。 そのためクーパーは、成人男性が1日に必要なカロリーの約4倍である、8,000キロカロリーを毎日摂取。1日5食に加え、エネルギー補給のために、パワーバーやサプリメント飲料などを取り入れる生活を送った。 筋肉質に仕上げるため、数か月の間は、朝5時に起床して、約4時間のトレーニングを実施。それで20㌔近くの増量に成功した。 撮影に入っても、体重を落とさないための努力が続く。いつも手にチョコバーを握り、食べ物を口に押し込んだり、シェイクを飲んだり。撮影最終日にクーパーが、「助かった、これでもう食べなくて済む!」と呟くのを、イーストウッドは耳にしたという。 役作りは、もちろん増量だけではない。“ネイビー・シールズ”と共に、本物さながらの家宅捜査や、実弾での訓練などを行った。細かい部分では、クリス・カイルが実際に聴いていた音楽のプレイリストをかけ、常時リスニングしていたという。 こうした粉骨砕身の努力が実り、クーパーのカイルは、その家族や友人らが驚くほど、“激似”に仕上がった。 カイルの妻タヤ役に決まったのは、シエラ・ミラー。イーストウッド作品は、撮影前の練習期間がほとんどなくて、リハーサルもしない。クーパーは撮影までに、タヤ役のシエナ・ミラーとスカイプで何度か話して、夕食を1度一緒に食べた。その時彼女は妊娠していたが、それが2人の絆を深めることにも繋がったという。 クーパーとミラーはタヤ本人から、夫が戦地に居た時に2人の間で交わしたEメールをすべて見せてもらった。ミラーは目を通すと思わず、口に出してしまった。「すごい、あなたは彼のことを本当に愛していたのね」 これにより、カイル夫妻のリアルな夫婦関係を演じるためのベースができた。そのため撮影が終わって数週間、ミラーは役から抜け出すのに、本当に悲しい気持ちになってしまったという。 撮影は、2014年3月から初夏に掛けて行われた。戦争で荒廃したイラクでの撮影は難しかったため、代わりのロケ地となったのは、モロッコ。クーパーはじめ“ネイビー・シールズ”を演じる面々は、アメリカ国内で撮影して毎日自宅に帰るよりも、共に過ごす時間がずっと長くなったため、本物の“戦友”のようになったという。 その他のシーンは、カリフォルニアのオープンセットやスタジオを利用して、撮影された。 イラクの戦場に居るカイルと、テキサスに居るタヤが電話で会話するシーン。クーパーとミラーはお互いの演技のために、電話を通じて本当に喋っていた。 妊娠しているタヤが病院から出て来て、携帯電話でカイルに、「男の子よ」と言った後のシーンは、ミラーにとっては、それまでの俳優人生の中で、最も「大変だった」。喜びを伝える電話の向こう側から、銃声が響き渡る。それは愛する夫が、死の危険に曝されているということ…。 脚本のジェイソン・ホールの言う、「兵士の妻や家族たちにとって、戦争とは、リビングルームでの体験だった」ということが、最も象徴的に表わされたシーンだった。 因みにミラーが、演技する時に複雑に考えすぎていると、イーストウッドは、「ただ言ってみればいい」とだけ、彼女に囁いた。ミラーにとっては、「最高のレッスン」になったという。 脚本には、カイルが運命の日に、銃弾に倒れてしまうシーンも存在した。しかし遺族にとってはあまりにもショッキングな出来事であるため、最終的にカットされることになった。 完成した本作を観て、カイルの妻タヤは、「…私の夫を生き返らせてくれた。私は、夫と2時間半を過ごした」と、泣きながら感想を述べた。 本作はアメリカでは、賞レースに参加するため、2014年12月25日に限定公開。明けて15年1月16日に拡大公開となった。 世界興収で5億4,742万ドルを超えるメガヒットとなり、イーストウッド監督作品史上、最大の興行収入を上げた。 その内容を巡っては、保守派とリベラル派との間で「戦争賛美か否か」の大論争が起こった。イラク戦争を正当化しようとする映画だという批判に対してイーストウッドは、「個人的に私はイラク戦争には賛成できなかった」と、以前からの主張を繰り返した。 そして「これは戦争を賛美する映画ではない。むしろ終わりのない戦争に多くの人が従事しいのちすら失う姿を描いているという意味では、反戦映画とも言える」と発言している。 この作品のエンドクレジットでは、クリス・カイルの実際の葬儀の模様を映し出した後、後半部分はまったくの“無音”になる。そこにイーストウッドの、“イラク戦争”そして出征した“兵士たち”への想いが、滲み出ている。■ 『アメリカン・スナイパー』© 2014 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited and Ratpac-Dune Entertainment LLC
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COLUMN/コラム2023.08.14
“戦争映画”の歴史を塗り替えた!巨匠イーストウッドの“日本映画”。『硫黄島からの手紙』
2000年代中盤、70代半ばとなったクリント・イーストウッドの監督としてのキャリアは、まさにピークを迎えていた。『ミスティック・リバー』(03)は、アカデミー賞6部門にノミネート。ショーン・ペンに主演男優賞、ティム・ロビンスに助演男優賞のオスカーをもたらした。翌年の『ミリオンダラー・ベイビー』(04)では、ヒラリー・スワンクに主演女優賞、モーガン・フリーマンに助演男優賞が渡っただけではなく、イーストウッド自身に、『許されざる者』(1992)以来となる、それぞれ2度目の作品賞と監督賞が贈呈された。 もはや彼を、「巨匠」と呼ぶのに、躊躇する者は居なかった。次は何を撮るのか?常に注目される存在となっていた。『ミリオンダラー・ベイビー』に続いて選んだ監督作品は、硫黄島を舞台にした"戦争映画”。小笠原諸島の一部であり、東京とサイパンのちょうど間に位置するこの島では、太平洋戦争末期に激しい戦闘が行われ、日米双方に多大な犠牲者が出ている。戦死者は両軍合わせて、2万7,000人近くに及ぶという。 ノンフィクション小説(邦訳「硫黄島の星条旗」)をベースにした、『父親たちの星条旗』(06)。この企画を彼に持ち掛けたのは、スティーブン・スピルバーグだった。 イーストウッドは、『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家ポール・ハギスに、再び仕事を依頼。ハギスはイーストウッドとミーティングを重ねて、脚本を完成させた。 この作品の主人公は、硫黄島の戦いに参加して英雄となりながらも、その後戦争について語らなかった元米兵。彼が死の床に就いた時、その息子は関係者に話を聞いて初めて、父親の秘めたる真実を知る…。 イーストウッドは若き日、ユニバーサル・スタジオで、オーディ・マーフィーと出会った。マーフィーは第2次大戦の英雄であり、終戦後にハリウッドでスターとなった男で、彼の自伝的映画である『地獄の戦線』(55)という大ヒット作もあった。 しかし彼は、戦争のことを語りたがらなかった。彼がPTSDに苦しんでいたことを、イーストウッドは後に知る。 戦争で死に直面するような経験をした者は、多くを語らない。遠方で差配しているような者に限って、見てきたような勇ましい戦話をするのである。 戦争に英雄などいない。正しい戦争などなく、無意味な「人殺し」しかない。これがイーストウッドの、“戦争観”である。 しかしそれと同時に、死んだ兵士には、敵味方を問わず最大限の敬意が払われるべきなのだ。イーストウッドは言う。「私が観て育ったほとんどの戦争映画では、どちらかが正義で、どちらかが悪だった。人生とはそんなものではないし、戦争もそんなものではない」 そんなイーストウッドだからこそ、米兵を主人公にした『父親たちの星条旗』の製作準備中に、ある疑問に行き当たる。米軍と戦った日本兵たちは、一体どんな状況だったのか? リサーチを続ける中で、イーストウッドの興味を強く惹く、日本の軍人が現れた。硫黄島の戦いで、常識にとらわれない傑出した作戦を打ち出した最高指揮官。その名は、栗林忠道。 1944年5月に硫黄島に着任した栗林中将は、長年の場当たり的な作戦を変更。米軍の攻撃に対抗するため、島中にトンネルを掘り、地下要塞を作り上げる。5,000もの洞穴、トーチカを蜂の巣のように張り巡らせ、日本兵がそこから、米兵を狙えるようにした。 また彼は、日本軍の悪弊である、部下に対する理不尽な体罰を戒め、玉砕を許さなかった。最後の最後まで生き抜いて、1日でも長くこの島を守り抜こうとした。 米軍が欲したのは、この島の飛行場。ここが敵の手に落ちたら、B29の中継基地となって、日本本土への大規模な爆撃が可能となってしまう。栗林は、一般市民が大量に犠牲になるのを、避けるか遅らせるかしたかったと言われる。 アメリカ軍は1945年2月16日に、硫黄島への攻撃を開始。19日から上陸。23日までには、島全体を制圧できると考えていた。しかし実際は栗林の智略の前に、その後も約1ヶ月間、合わせて36日間も戦闘が続いた。 調べれば調べるほど、イーストウッドは栗林への関心が高まっていった。戦前には、アメリカに留学。ハーバード大で英語を学び、その後カナダにも、駐在武官として滞在している。その時代にできた友人も多く、アメリカとの戦争にも反対していた。これが軍の一部から、アメリカ贔屓と見られ、疎まれる結果になったとも言われる。 イーストウッドは、彼が戦地から妻と息子、娘に宛てた手紙にも心を打たれた。住まいの台所のすきま風を心配したり、硫黄島で育てているひよこの成長を、幼い娘に書き送ったり…。 また栗林が率いた若い兵士たちが、「アメリカ兵と実によく似ていた」ことにも、胸を掴まれた。「あれから何十年も経った今、どちらが勝ったとか負けたとかいうことに関係なく、わたしは日本の人々に彼らの生き様を認めてもらうことが必要だと考えた。正しいかどうかは別として、祖国のために彼らが払った犠牲に目を向けてもらいたかったー実際、彼らは犠牲者だったのだから」 そしてイーストウッドは、前代未聞のプロジェクトに挑む決断をする。硫黄島の戦闘をアメリカ側の視点から描く『父親たちの星条旗』だけでなく、日本側の視点から描いた作品も、同時に製作する。 この戦争映画の歴史に残る、画期的なチャレンジ。当初は日本人監督の起用も考えたというが、イーストウッドは『父親たちの星条旗』に続けて、自らメガフォンを取ることを決めた。 脚本はポール・ハギスの推薦で、日系アメリカ人二世の、アイリス・ヤマシタの起用となった。 戦場に於いて米兵だったら、生きて帰れる可能性に賭ける。一方日本兵は、死を覚悟して戦う。アメリカ人のイーストウッドにとっては凡そ理解し難い、この日本兵のメンタリティーに迫るため、彼は様々な勉強を重ねたという。 本作『硫黄島からの手紙』(06)は、『父親たちの星条旗』の撮影終了後、すぐにクランクイン。内容的には、栗林をはじめ主要な登場人物の過去の回想シーンなど織り交ぜながらも、硫黄島での日本軍の戦闘準備から、米軍上陸、激戦、終結までを描く。 主役の栗林を演じたのは、渡辺謙。ハリウッドデビュー作の『ラスト サムライ』(03)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、『バットマン ビギンズ』(05)『SAYURI』(05)と、大作への出演が続いていた。憧れの人イーストウッドの『父親たちの星条旗』製作の報を耳にして、1シーンでもいいから出たいと、願ったという。 それと対になる本作の栗林役に決まると、関係資料を読んだり、栗林の孫や甥に会って、彼の遺した書など見せてもらったりなどのリサーチを行った。 栗林が生まれ育った長野県の生家には、取り壊される前日に訪問。その際に墓参りをすると、雪がちらついてきて、渡辺は思った。こんな寒い場所で育った人が、南方の暑い島で死を賭して戦うとは、さぞ辛かったであろうと。 本作で渡辺は、“主役”である以上の働きを見せた。英語で書かれた脚本を、日本語の表現に換えていく作業を手伝ったのをはじめ、日本側で発見した栗林のエピソードや記録も付け加えてもらった。また若き日本兵を演じた、加瀬亮と二宮和也の役が、当初書かれていた年齢から逆転していたので、2人の関係や生まれた土地のことなども考慮して、微妙なニュアンスのリライトを行った。 危惧されたのは、全編日本語での撮影であること。しかしイーストウッドは、意に介さなかった。 彼の俳優としての出世作である、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタンでの経験が、大きかった。主にスペインでの撮影で、キャストやスタッフが全く異なる言語を話す状況の中、イタリア人のレオーネは当時、英語などろくに話せない状態だった。それにも拘わらず、主演のイーストウッドと二人三脚で、『荒野の用心棒』をはじめとした傑作群をものしているのだ。「いい演技というものは、言葉に関係なくいい演技として伝わるもの…」。セリフの間違いなどテクニカルなことは、通訳を通じて修正すれば良い。その上で、日本人俳優の目や顔など感情表現の小さな違いが、イーストウッドにとっては、「新鮮な発見」だったという。 二宮和也は、台本に書いてないことを急にやりたくなった時に、「そういうことをやっていいの?」と、イーストウッドに尋ねた。それに対する彼の答は、「いいんだよ」。イーストウッド本人が、俳優として「台本に書いてないこと、自分のアイデアを提案することが好き」だったためだ。役作りに関しては、自由に膨らませていいと、出演者たちに伝えた。 栗林と同じく、実在の人物だったバロン西を演じたのは、伊原剛志。西は、1932年のロサンゼルス五輪馬術競技の金メダリストで、ロスの名誉市民章も貰っている国際人だった。撮影前に西の息子に会って話を聞くなどした伊原は、俳優の自主性を重んじるイーストウッドの演出について、「彼の中の大きな枠、方向性があって、そこを間違うと修正されるというような感じ…」と、語っている。 伊原は、軍隊についての資料やビデオ、例えば敬礼の仕方などを収録したDVDなどを集めて、撮影地へと持ち込んだ。これが多くの“日本兵”たちの役に立った。 憲兵失格で戦地に送られた兵士を演じた加瀬亮は、オーディションに受かってから撮影までの時間がなかった。そのため、軍事訓練どころか、敬礼の仕方もわからないままの現地入りだった。伊原のDVDの存在を知った彼は、二宮らと伊原の部屋へと押しかけて、即席で勉強したという。 渡辺は文献や映像から、栗林を実践的な人と判断。硫黄島も自分の足で調査したのだろうと考えて、当初はブーツしか用意されていなかったのを、衣裳として地下足袋やゲートルを提案。日本から取り寄せてもらった。 イーストウッドに対して、“父親”を感じたという渡辺は、ある時にはっと閃いた。「(自分の)この役は、クリント自身なんだな」。それからは、イーストウッドとスタッフとのやり取りなどを、つぶさに観察。語り方や目線、立ち居振る舞いを参考にして、栗林を演じたという。 演出は本能的に行うという、イーストウッド。俳優たちが己の役を、過剰に考えたり分析しすぎたりして、あまりにも細かい要素を入れようとすると、本質を見失ってしまうと、考えている。そのために撮影も、最初のテイクこそ最良のものが出るという思想で、テストもほとんどしない。その結果として、「早撮り」になる。 下士官の1人を演じた中村獅童曰く、「「リハーサルだろうな」と思っていたら、「OK」と突然言われて、撮っていたことに気付くこともあった」 戦闘シーンなど本作の撮影の大部分は、経費や安全面から、アイスランドの火山島でロケーション。日本政府などの許可を得て行われた硫黄島ロケは、メインキャストでは1人だけ、渡辺謙が参加した。 栗林が海岸を調査するシーンや、山に登って、島全体を見渡すシーンなどが撮影されたが、この地で見聞したものは、渡辺の想像を超えていたという。 地下壕や司令部が在った場所で、その狭さや息苦しさ、暑さを実感し、僅かな食糧や水で何日も過ごすことなど、考えるだけで体が震えてきた。先にこの体験をしていたら、「…怖ろしさで演じられなかったかも…」と、渡辺は語っている。 単に日程的な問題だったのかも、知れない。しかし「役を作り込ませ過ぎない」イーストウッドの演出法から考えて、ひょっとすると硫黄島での撮影が後回しだったのも、その辺りの配慮があったのかもなどと、想像が働く。『硫黄島からの手紙』は、2006年12月に日米で公開。日本では興収50億円を超える大ヒットとなった。アメリカでは、興行的には成功したと言い難い結果となったが、評価は高く、アカデミー賞では作品賞を含む4部門にノミネート。その内、音響編集賞を受賞した。 巨匠クリント・イーストウッドによる、“日本映画”とも言える本作。製作から17年経った今日でも、“戦争映画”の歴史に於いて、エポックメーキングとして語り継がれる。■
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COLUMN/コラム2025.06.03
オカルト映画ブームを盛り上げたリチャード・ドナー監督の記念すべき出世作『オーメン』
時代の世相を如実に映し出していた’70年代のオカルト映画人気 ‘70年代のオカルト映画ブームを代表する名作である。アカデミー賞で作品賞を含む計10部門にノミネート(受賞は脚色賞と音響賞)されたウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(’73)の大ヒットをきっかけに、たちまち世界中で巻き起こったオカルト映画ブーム。ただし、そのルーツはロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)と言われており、実際に『エクソシスト』も同作の影響を抜きに語ることは出来ない。アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(’60)と並んで、いわゆるモダン・ホラーの金字塔とも称される『ローズマリーの赤ちゃん』だが、しかし公開当時はその成功が大きなムーブメントへと繋がることはなかった。これはひとえにタイミングの問題であろう。 カルト集団マンソン・ファミリーによる残忍な連続殺人事件が、全米はもとより世界中に大きな衝撃を与えたのは’69年夏のこと。折しも’60年代末から’70年代にかけて、アメリカではアントン・ラヴェイ率いるサタン教会が設立されるなどサブカルチャーの一環としてサタニズム(悪魔崇拝)が注目され、’73年には超能力者を自称するユリ・ゲラーがアメリカの国民的トーク番組「トゥナイト・ショー」への出演を機に欧米で大変なブームを巻き起こす。このユリ・ゲラー人気はほどなくして日本へも上陸。奇しくも同じ頃、日本でもベストセラー本「ノストラダムスの大予言」をきっかけに空前のオカルト・ブームが到来していた。ベトナム戦争やオイルショックによる世界的な経済不況、各国で頻発する過激派テロや犯罪増加による治安の悪化、ウォーターゲート事件に代表される権力の腐敗などなど、混沌とする国際情勢への漠然とした不安が、こうしたオカルトへ対する関心を世界中で高める要因になったのかもしれない。いずれにせよ、そういう時代だったのだ。 まさに機は熟した’70年代半ば。ホラー映画としては異例中の異例であるアカデミー作品賞ノミネートを果たし、全米年間興収ランキングでも『スティング』に次いで2位という大ヒットを記録した『エクソシスト』。これを皮切りに『魔鬼雨』(’75)や『悪魔の追跡』(’75)、『家』(’76)に『オードリー・ローズ』(’77)に『センチネル』(’77)に『マニトウ』(’78)に『悪魔の棲む家』(’79)にと、それこそ数えきれないほどのオカルト映画が作られたほか、イタリアの『デアボリカ』(’74)や『レディ・イポリタの恋人/夢魔』(’74)、日本の『犬神の悪霊(たたり)』(’77)にドイツの『ヘルスネーク』(’74)などなど、『エクソシスト』を露骨にパクったエピゴーネン作品も世界中で量産されることに。中には、脚本からカメラワークに至るまで『エクソシスト』を丸ごと完コピ(ただし製作費は本家の1/100くらい)したトルコ映画『Şeytan(悪魔)』(’74・日本未公開)なんて珍品もあった。そんな空前のオカルト映画ブームの真打として登場し、『エクソシスト』にも負けず劣らずの大成功を収めた作品がこの『オーメン』(’76)だった。 この世に恐怖と混乱をもたらす悪魔の子ダミアン それは6月6日午前6時のこと。ローマのアメリカ大使館に勤務するエリート外交官ロバート・ソーン(グレゴリー・ペック)は、出産のために妻キャサリン(リー・レミック)が入院するカトリック系病院へと駆けつける。付き添いのスピレット神父(マーティン・ベンソン)から死産だったことを告げられ、深くうなだれるロバート。長いこと子宝に恵まれなかったソーン夫妻にとって、まさしく待望の初産だったのである。しかも、キャサリンはもう2度と妊娠できない体だという。どうやって妻に伝えればいいのか…。ショックと失望で混乱するロバートに、スピレット神父が養子縁組を持ち掛ける。実は同じ時刻に同じ病院で生まれたものの、母親が死亡して身寄りのなくなった男児がいるというのだ。なんという偶然。これは神の思し召しかもしれない。養子であることを妻に隠して赤ん坊を引き取ったロバートは、この息子をダミアンと名付けて大切に育てるのだった。 それから5年後。ダミアン(ハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス)はいたずらっ子の可愛い少年へと成長し、ソーン家には明るい笑い声が響き渡っていた。そこへロバートの昇進の朗報が。駐英アメリカ大使に任命されてロンドンへ栄転することとなったのだ。このまま順調に行けば、いずれアメリカ合衆国大統領になることも夢ではないかもしれない。ところが、この頃からソーン夫妻とダミアンの周辺で不穏な出来事が重なっていく。盛大に行われたダミアンの5歳の誕生パーティ。そこで若い乳母(ホリー・パランス)が突然「ダミアン、全てはあなたのためよ」と叫び、公衆の面前で首つり自殺を遂げる。屋敷の周辺を徘徊する怪しげなロットワイラー犬。代わりにベイロック夫人(ビリー・ホワイトロー)というベテラン乳母が赴任してくるものの、しかしロバートもキャサリンも新しい乳母を依頼した覚えなどなかった。ソーン夫妻に隠れて「あなたをお守りするために来ました」とダミアンに告げるベイロック夫人、その言葉を聞いて不気味な笑みを浮かべるダミアン。息子の周辺を独断で仕切っていくベイロック夫人にソーン夫妻は困惑する。 一方その頃、ローマからやって来たブレナン神父(パトリック・トラウトン)がアメリカ大使館を訪れ、ダミアンの忌まわしき出生の秘密を知っているとロバートに警告する。当初は狂人の戯言と片付けていたロバートだったが、しかし教会へ向かったダミアンが恐怖のあまりパニックに陥る、動物園の動物たちがダミアンの存在を脅威に感じて暴れるなどの不可解な事件が相次いだため、改めてブレナン神父から話を聞いたところ、彼によればダミアンは悪魔の子供だという。しかも、キャサリンが第二子を妊娠しており、ダミアンと悪魔崇拝者たちは母子共に葬り去るつもりらしい。なんとバカげたことを!そもそも妻はもう妊娠できない体だ!デタラメを言うんじゃない!二度と我々に近づくな!怒りを露わにしたロバートだったが、その直後にブレナン神父は教会の屋根から落ちてきた避雷針が体を貫通して即死。そのうえ、妻キャサリンが本当に妊娠していたことも発覚する。 そんな折、以前より顔見知りだった報道写真家ジェニングス(デヴィッド・ワーナー)からコンタクトがある。首つり自殺をした若い乳母、避雷針が突き刺さったブレナン神父、それぞれ生前の写真に死の「予兆」を示すような影が写っているというのだ。不気味な影はジェニングス自身の写真にも写り込んでいた。まるで彼の死を預言するように。その頃、身重の妻キャサリンが大使公邸の吹抜け2階から転落する。辛うじてキャサリンは一命をとりとめたが、お腹の中の子は流産してしまった。やはりダミアンは本当に悪魔の子なのか。いったいソーン家の周辺で何が起きているのか。真相を確かめるべくローマへ向かったロバートとジェニングス。そこで亡きブレナン神父から聞かされた専門家ブーゲンハーゲン(レオ・マッカーン)に会った彼らは、もはや疑いようのない驚愕の事実と向き合うことになる…。 『オーメン』に成功をもたらした脚本と演出の妙とは? 劇中でも言及される新約聖書の預言書「ヨハネの黙示録」をヒントに、人間として地上に生まれた悪魔の子供が不思議な力と崇拝者たちによって守られ、世の中の混沌に乗じて超大国アメリカの権力中枢へ食い込もうと画策する…というお話。’70年代当時の不穏な世相を背景にした陰謀論的な筋書きは、それゆえ荒唐無稽でありながらどこか奇妙な説得力を持っている。そのうえで、本作はオカルト映画にありがちな超常現象やモンスターの類を一切排除し、徹底したリアリズムを貫くことで物語に信憑性を与えているのだ。ポランスキーが『ローズマリーの赤ちゃん』で採った手法と同じである。 ダミアンの周辺で起きる怪事件の数々は、なるほど確かに悪魔の仕業と言われればそうかもしれないが、しかし単に不幸な偶然が重なっただけとも受け取れる。その結果、ロバートもジェニングスも精神を病んだブレナン神父の妄想をうっかり信じ込んでしまい、不幸な結末へ向けて勝手に暴走してしまった…と解釈することも可能であろう。ローマで発覚する衝撃的な事実の数々だって、実のところ悪魔ではなく悪魔崇拝カルト集団の陰謀に過ぎないと考えることも出来る。もちろん、そうではないことも随所でしっかりと暗示されるわけだが、いずれにせよこのファンタジーとリアルの境界線ギリギリを狙った語り口が非常に上手い。ブームによって数多のオカルト映画が量産される中、本作が『エクソシスト』に匹敵するほどの支持を観客から得ることが出来たのは、この「世相を投影した脚本」と「リアリズムに徹した演出」があったからこそであろう。 本作の生みの親はドキュメンタリー畑出身の映画製作者ハーヴェイ・バーンハード。友人ボブ・マンガーとハリウッドのレストランで食事をしたところ、「もしヨハネの黙示録に出てくる反キリストが幼い少年だったら?」という話題になったという。これは映画のネタになる!と直感したバーンハードは、すぐさまアイディアを10ページほどの企画書にまとめ、ドキュメンタリー時代からの知人であるデヴィッド・セルツァーに脚本を依頼する。実は劇映画の脚本を書いた経験が乏しかったという当時のセルツァー。ドキュメンタリー作家として家族を養うことが厳しくなったため、脚本家としての実績を偽って周囲に売り込みをかけたところ、原作者ロアルド・ダールが降板した『夢のチョコレート工場』(’71)の脚本改訂版をノークレジットで担当したばかりだった。恐らく、バーンハードもその売り込みを信じたのかもしれない。それが結果として吉と出たのだから、まさしく「Fake It Till You Make It(本当に成功するまで成功したふりをしろ)」を地で行くような話ですな(笑)。 当初、主人公ロバート・ソーン役にチャールズ・ブロンソン、監督には『激走!5000キロ』(’76)などのB級アクション映画で知られるスタントマン出身のチャック・ベイルという顔合わせで、『エクソシスト』のワーナー・ブラザーズが出資することになっていたという『オーメン』。スイスでのロケハンも行われていたらしい。ベイル監督がカーチェイス・シーンの話ばかりするため、「一体どんな映画になるのか心配だった」というセルツァー。ところが、当時ワーナーで同時進行していた『エクソシスト2』(’77)に予算がどんどん持っていかれてしまい、最終的に本作の企画自体が暗礁へ乗り上げてしまった。そこで救いの手を差し伸べたのが20世紀フォックスのアラン・ラッド・ジュニア。このラッド・ジュニアの要望で監督がリチャード・ドナーに交代し、主演俳優にも天下の名優グレゴリー・ペックが起用されることとなったというわけだ。 それまで劇場用映画では全くヒットに恵まれず、主にテレビドラマの演出家として活躍していたドナー監督。本作における徹底したリアリズム路線を打ち出したのは彼だったという。実は、もともとセルツァーの書いたオリジナル脚本には超常現象やら魔女やらが登場し、ローマ郊外の墓地のシーンでは半人半獣のモンスターも出てくるはずだったらしい。しかし、物語に説得力を持たせることを最優先に考えたドナー監督は、脚本にあった非現実的な要素を極力排除することに。監督自身は本作をホラー映画ではなく、ヒッチコック・スタイルのサスペンス・スリラーと考えて取り組んだと振り返っている。 また、ベイロック夫人もオリジナル脚本では、一見したところ温厚そうな女性という設定だったが、しかしオーディションを受けた女優ビリー・ホワイトローの芝居に強い感銘を受けたドナー監督の判断で、本作における「悪の権化」を一手に担うようなキャラに変更。そのおかげで、普段は無邪気な少年にしか見えないダミアンの秘められた二面性が、ベイロック夫人の邪悪な存在によって引き出されていくという効果が生まれたようにも思う。そのベイロック夫人の台詞は演じるホワイトロー自身が書き直したとのこと。そうした大胆な路線変更の結果、脚本家のセルツァーをして「出来上がった映画は脚本よりも遥かに素晴らしかった」と言わしめるような作品に仕上がったのだ。 あのSFブロックバスター映画の成功も実は本作のおかげ…? ハリウッド史上屈指の大スターに数えられるオスカー俳優グレゴリー・ペックに、『酒とバラの日々』(’62)でオスカー候補になった名女優リー・レミックという主演陣の顔合わせも功を奏した。当時はまだまだ、ホラー映画がB級C級のジャンルと見做されていた時代である。出演する役者もジャンル系専門のB級スターか、もしくは落ち目の元人気スターと相場は決まっていた。それだけに、グレゴリー・ペックにリー・レミックという超一流キャストは興行的な理由ばかりでなく、観客を登場人物に感情移入させて物語に説得力を持たせるという意味においても効果は絶大だったと言えよう。脇を固めるのもデヴィッド・ワーナーにビリー・ホワイトロー、レオ・マッカーンなど、いずれも知る人ぞ知る英国演劇界の名優ばかり。演出だけでなく役者の芝居にも嘘くささがない。 なお、ホラー映画史上最もショッキングな名場面とも言われる首吊りシーンで強烈な印象を残す、若い乳母役のホリー・パランスは往年の名優ジャック・パランスの愛娘。実は、本作の以前にドナー監督はジャック・パランスとテレビで仕事をしたことがあり、その際に「何か機会があれば娘をよろしく頼む」と言われたそうで、その約束を果たすために声をかけたという。当時まだ駆け出しだったホリーはそのことを全く知らなかったそうで、エージェントの指示でドナー監督と会いに行ったところ、オーディションもカメラテストもなしで採用されたためビックリしたらしい。 一流と言えば、撮影監督を任されたカメラマン、ギルバート・テイラーの存在も忘れてはなるまい。ロマン・ポランスキーやリチャード・レスターとのコラボレーションで知られ、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』(’64)やヒッチコックの『フレンジー』(’72)でも高く評価されたテイラー。当時は映画界からセミ・リタイアして、自身がロンドン郊外に所有する農場で酪農に従事していたそうだが、その農場へ出向いたドナー監督が根気よく口説き落として現役復帰することに。空間のバランスと奥行きを細部まで計算し尽くした画面構図の美しさは、間違いなくテイラーの功績であろう。この極めてスタイリッシュなビジュアルが、映画全体の風格を高めたとも言える。そういえば、スティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』(’75)やジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(’77)あたりを契機に、かつてはBクラス扱いされていたホラーやSFなどのジャンル系映画を、メジャー・スタジオがAクラスの予算と人材を投じて作るようになったわけだが、本作や『エクソシスト』もその流れ作りに大きく貢献したのではないかと思う。 ちなみに、もともと本来のクライマックスではロバートのみならずダミアンも死亡し、エンディングはソーン親子3人全員の葬儀という設定だったのだが、撮影終了後にラフカット版を見たアラン・ラッド・ジュニアが「子供だけ生き残るってのはどうだろう?」と提案。これにドナー監督が同意したことから大急ぎで追加撮影が行われ、あの衝撃的なラストシーンが生まれたのである。ダミアン役のハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス少年は演技未経験の素人。それゆえドナー監督は、演技をさせるのではなく素のリアクションを引き出すことに腐心したそうなのだが、このラストシーンの撮影では「笑っちゃだめだからね!笑うんじゃないよ、笑うんじゃないよ、ぜーったいに笑うんじゃないよ!」とカメラの後ろからわざと煽りまくり、我慢しきれなくなったハーヴェイ少年が思わず笑みをこぼしたところでジ・エンドとなったわけだ。 かくして’76年6月6日に全米主要都市でプレミア上映が行われ、6月25日よりロードショー公開されて爆発的なヒットを記録した『オーメン』。キリスト教において「666」が獣(=悪魔)の数字であることを、世界中で広く知らしめたのは本作の功績のひとつである。脚本家セルツァー自身が書き下ろしたノベライズ本も、劇場公開に先駆けて出版されベストセラーに。2本の続編映画と1本のテレビ用スピンオフ映画、さらには1作目のリメイク版映画や2本のテレビ・シリーズも作られるなどフランチャイズ化され、最近ではダミアンの誕生に至る前日譚を描いた映画『オーメン:ザ・ファースト』(’24)も話題となった。そういえば’06年のリメイク版には、すっかり大人になったハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス(1作目のダミアン役)が取材レポーター役で顔を出していましたな。 本作で初めて劇場用映画の代表作に恵まれたドナー監督は、封切からほどなくして大物製作者アレクサンダー・サルキンドから映画『スーパーマン』(’78)のオファーを受け、そこからさらに『グーニーズ』(’85)や『リーサル・ウェポン』(’87)シリーズの成功へと繋がっていく。また、当時『スター・ウォーズ』の撮影監督ジェフリー・アンスワースが降板してカメラマンを探していたジョージ・ルーカスから問い合わせがあり、ドナー監督は後任として本作のギルバート・テイラーを推薦したという。ただし、テイラーからは「なんてことに巻き込んでくれたんだ!あの若者たちは何も分かっていない!まるでマンガみたいな映画じゃないか!」と文句を言われたのだとか(笑)。さらに、20世紀フォックスのアラン・ラッド・ジュニアは膨れ上がっていく『スター・ウォーズ』の予算を、『オーメン』の莫大な興行収入で賄ったとも言われている。もしかすると、本作の成功がなければ『スター・ウォーズ』も世に出ていなかったかも…?■
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COLUMN/コラム2022.09.02
歴史的事実をベースに、まさに“韓国の至宝”のための脚色!?『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』
1979年10月26日。韓国で朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、側近によって暗殺された。 最近ではイ・ビョンホン主演の『KCIA 南山の部長たち』(2020)でも描かれたこの事件で、16年間に及ぶ“軍事独裁政権”は終焉を迎え、それまで弾圧されていた、“民主派”の人々が表舞台へと現れた。いわゆる、「ソウルの春」である。 しかし、それから2ヶ月も経たない12月12日、暗殺事件の戒厳司令部合同捜査本部長だった軍人の全斗煥(チョン・ドファン)が、“粛軍クーデター”を起こして、全権を掌握。翌年=80年5月17日には全国に戒厳令を発布し、野党指導者の金泳三(キム・ヨンサム)氏や金大中(キム・デジュン)氏らを軟禁し逮捕した。 強権的な“軍事独裁”の再来に対して、学生や市民は抵抗。金大中氏の地元全羅南道の光州(クァンジュ)市でも、学生デモなどが行われたが、戒厳軍は無差別に激しい暴力で応じ、21日には実弾射撃に踏み切った。そして27日、光州市は完全に制圧された。 一連の過程の中で、市民や学生の中には、死傷者が続出。これが世に言う、“光州事件”のあらましである。 本作『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(2017)は、ノンポリの傍観者だった小市民が、偶然の出来事から、韓国近現代史の重要な節目となったこの事件に、対峙せざるを得なくなる物語である。 ***** キム・マンソブは、11歳になる娘を男手一つで育てている、ソウルの個人タクシー運転手。出稼ぎ先のサウジアラビアで重労働に従事したこともある彼は、業務中にデモ行進による渋滞などに巻き込まれると、「デモをするために大学に入ったのか?」「この国で暮らすありがたみがわかってない」などと、舌打ちするような男だった。 家賃や車の修理代にも事欠くマンソプは、ある日タクシードライバーの溜まり場である飲食店で、これから外国人客を乗せ、光州と往復すれば、10万ウォンもの報酬が得られるという話を耳にする。マンソプは依頼を受けた運転手になりすまし、クライアントのドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターを車に乗せる。 サウジで覚えた片言以下の英語でヒンツペーターとやり取りしながら、光州に向かったマンソプ。厳しい検問を訝しく思いながら、口八丁手八丁で何とか掻い潜り、市内へと入っていく。 ヒンツペーターの目的が、光州での軍部の横暴をフィルムに収めることと知ったマンソプは、巻き込まれるのは御免と、何度もソウルに戻ろうとする。しかし光州の学生や市井の人々と親しくなると同時に、共に行動するヒンツペーターの、ジャーナリストとしての矜持に触れ、彼の中の“何か”も変わっていく…。 ***** ドイツ人俳優トーマス・クレッチマンが演じたユルゲン・ヒンツペーターは、実在のジャーナリストで、1980年の5月20日から21日に掛けて。光州市内の取材を敢行。軍事独裁政権による強力な報道規制が敷かれる中で彼がカメラで捉えた“真実”は、22日に母国ドイツの放送局で放送され、翌日以降は各国で、ニュースとして報じられた。 彼がその後制作した、“光州事件”を扱ったドキュメンタリーは、全斗煥政権が続く韓国にも、密かに持ち込まれた。そして公的には「北朝鮮による扇動」「金大中が仕掛けた内乱」などと喧伝された事件の真相を、少なくない人々に知らしめる役割を果したのである。 韓国で1,200万人もの観客を動員する大ヒットとなった本作『タクシー運転手』は、長く厳しい闘いを経て、“民主化”を遂げた現在の韓国社会に、“光州事件”の記憶を呼び起こした。そして映画公開の前年=2016年1月に78歳で亡くなったヒンツペーターと、彼の協力者だった“タクシー運転手”の存在に、スポットライトを浴びせたのだ。 本作を“エンタメ”として成立させるために、チャン・フン監督ら作り手が、些か…というか、事実よりもかなり「盛った」描写や設定の改変を行っているのは、紛れもない“真実”である。誤解のないよう付記しておくが、私はそれを批判したいのではない。歴史的事実を活かし、時には知られざるエピソードを詳らかにしながら、血塗られた近現代史を堂々たる“社会派エンタメ”に仕立て上げる、韓国映画の逞しさや強かさには、心底驚嘆している。 詳細は観てのお楽しみとするが、本作クライマックス、光州脱出行のカーチェイスは、どう考えても「ありえない」。事実をベースにした“社会派エンタメ”の最新作、リュ・スンワン監督の『モガディシュ 脱出までの14日間』(2021)でも同様な描写が見られたが、ここまで踏み切ってしまう、その果断さが、逆に「スゴい」とも言える。 そんな本作で最も劇的な脚色が行われているのは、実は主人公である“タクシー運転手”の設定である。ソン・ガンホが演じるマンソプのモデルとなったのは、キム・サボクという人物。ヒンツペーターが2003年に韓国のジャーナリスト協会から表彰された際などに、“運転手”の行方探しを呼び掛けながらも、見付からず、生涯再会が果たせなかったのは、紛れもない事実である。 しかし本作に於ける、“タクシー運転手”が、偶然耳にした情報から客を横取りして、その目的も知らないままに光州へ向かったという描写は、映画による完全な創作。本作の大ヒットによって、サボク氏の息子が名乗り出て明らかになったのは、サボクとヒンツペーターは、“光州事件”取材の5年前=1975年頃から知り合いで、“同志的関係”にあったという事実だった。 またサボクは、マンソプのようなノンポリの俗物ではなく、“民主化”の波に参加するような人物であったという。そして、ヒンツペーターの呼び掛けにも拘わらず、サボク本人が見付からなかった背景には、“光州事件”そのものがあった。 現場を目の当たりにしたサボクは、「同じ民族どうしが、どうしてこうも残忍になれるのか」と言いながら、1度はやめていた酒を、がぶ飲みするようになったという。そして“事件”取材の4年後=84年に、肝臓癌で亡くなっている。 サボク氏の息子は本作を観て、「喜びと無念が交錯した」という。自分の父が“民主化”に無言で寄与したことが知られたのは嬉しかったが、前記の通り、マンソプのキャラが、父とはあまりにもかけ離れていたからだ。 息子さんの「無念」は理解しつつも、この“脚色”を、私は積極的に支援したい。それは、ソン・ガンホの主演作だからである。 “韓国の至宝”であり“韓国の顔”とも謳われるソン・ガンホ。出演する作品のほとんどが、代表作と言えるような俳優であるが、歴史的史実をベースにした作品も、彼の得意とするところだ。 時代劇では、『王の運命 -歴史を変えた八日間-』(15)『王の願い ハングルの始まり』(19)のように、朝鮮王朝に実在した君主を演じる“王様”俳優でもあるが、近現代を舞台にした作品こそ、印象深い。『大統領の理髪師』(04)『弁護人』(13)『密偵』(16)そして本作である。『大統領の理髪師』は1960年代から70年代を舞台に、ひょんなことから“独裁者”の大統領(朴正煕をモデルとする)の理髪師となってしまった、平凡な男が主人公。否応無しに、政府の権力争いに巻き込まれていく。『弁護人』では、後に“進歩派”の大統領となる、盧武鉉(ノ・ムヒョン)の弁護士時代をモデルにした役を演じた。政治には興味がない金儲け弁護士が、時の全斗煥政権による学生や市民への弾圧に憤りを覚え、“人権派”に変貌を遂げていく。『密偵』は、日帝の植民地時代が舞台。日本人の配下にある警察官が、スパイとして独立運動の過激派組織に近づきながら、やがて彼らの考え方に共鳴していく。こちらは、実在した組織「義烈団」が、1923年に起こした事件をモデルとしている。 ここに本作を並べてみれば、どこにでも居るような男が、歴史の大きなうねりに翻弄されて、変貌を遂げていくといった流れが浮かび上がる。時代劇の中でも、朝鮮王朝時代のクーデター事件をモチーフにした『観相師 -かんそうし-』(13)で演じた役どころなどは、この系譜と言えるだろう。 本作に関してチャン・フン監督は、シナリオを読んだ瞬間に、ガンホの顔が思い浮かんだという。そしてオファーを受けたガンホは、一旦は断わったものの、時間が経過してもその内容が頭から離れず、結局は引き受けることになった。それはこの役を演じるのに、他の誰よりも自分が適役であることを、感じ取っていたからではないのか? さて今生で再び相見えることは叶わなかった、本作登場人物のモデルである、ドイツ人ジャーナリストと、韓国人“タクシー運転手”。本作大ヒットの翌々年=2019年に、約40年振りの再会を果すこととなった。 その舞台は、光州事件の犠牲者を追悼、記憶するために設立された「国立5.18民主墓地」。その中に設けられた、ヒンツペーター氏の爪と髪が埋葬されている「ヒンツペーター記念庭園」に、サボク氏の遺骨が改葬されたのである。 これもまた、韓国のダイナミックな“社会派エンタメ”作品がもたらした、ひとつの果実と言えるだろう。■ 『タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜』© 2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2024.12.17
フィンチャー&ブラピ3度目の組合せは、超大作にして“人生讃歌”の異色作『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
本作『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)の原作となったのは、いわゆる「失われた世代」の代表的作家の1人、F・スコット・フィッツジェラルドの著作。代表作「グレート・ギャツビー」(1925)に遡ること3年、1922年に出版された短編小説集に所収されている。 南北戦争さなかの1860年。ボルチモアで、バトン夫妻の子どもとして誕生したベンジャミンは、生まれながらにして、70歳の老人の姿だった。普通の人間と違って、彼は老人から青年に、そして子どもへと年々若返っていく。身近な人たち、両親をはじめ妻や我が子までが歳を取っていくのとは、真逆に…。 この小説を執筆するに当たって、フィッツジェラルドにインスピレーションを与えたのは、アメリカの文豪マーク・トウェインの格言だという。「もし人が80歳で生まれ、ゆっくりと18歳に近づけていけたなら、人生は限りなく幸せなものになるだろう」「残念なことに、人生の最良の部分は最初に現れ、最悪の部分は最後に来る」「ベンジャミン・バトン」を映画化しようという試みは、度々持ち上がっては消えた。1980年代、『ファニー・ガール』(68)『追憶』(73)『グッバイガール』(77)などを手掛けたプロデューサーのレイ・スタークが、ロビン・スウィコードの脚本で企画を進めるも、頓挫。 90年代はじめに名乗りを上げたのは、キャサリン・ケネディとフランク・マーシャルのコンビ。2人は、盟友のスティーヴン・スピルバーグを監督に、主演はトム・クルーズで映画化を企てる、しかし途中で、スピルバーグが降板。その後ロン・ハワードをはじめ、何人かの監督が候補となったが、いずれもうまく進まず、企画はペンディングとなった。 因みに『エイリアン3』(92)で長編監督デビューしたばかりのデヴィッド・フィンチャーに最初に声が掛かったのも、この時点。フィンチャーはこの題材に惹かれながらも、断っている。 2000年になると、ケネディ&マーシャル製作、スパイク・リー監督で話が進む。しかし2003年、ロビン・スウィコードの脚本を、エリック・ロスがリライトしたものを、リーが気に入らず、結局彼もこの企画から去る。 以上のような紆余曲折を経て、『セブン』(95)や『ファイト・クラブ』(99)などで評価が高まっていたフィンチャーに、再びお鉢が回ってきたのである。 ***** 2005年ニュー・オリンズの病院で、86歳の老女デイジーが、死の床にいた。彼女は娘のキャロラインに、ベンジャミン・バトンという男性の日記を読んでくれと、頼む…。 1918年、ニュー・オリンズで1人の男児が生を受ける。彼は生まれながらにして、80歳の肉体の持ち主。妻を亡くしたこともあり、ショックを受けた父親は、赤ん坊を老人施設の前に置いて去る。 ベンジャミンと名付けられたその子は、施設で働く黒人女性のクイニーに育てられる。彼はやがて歩き出し、皺が減り、髪が増えていく。 1930年、ベンジャミンは、施設に住む祖母を訪ねてきた、6歳のデイジーと仲良しに。彼は自分の秘密を明かす。 やがてベンジャミンは、マイク船長の船で働くようになり、海、労働、女性、酒などを“初体験”。そんな中で彼に声を掛けてきた中年男性トーマス・バトンこそが、自分を捨てた実の父親とは、まだ知る由もなかった。 クイニーやデイジーに別れを告げ、マイク船長と外洋に出たベンジャミン。様々な国を回り、人妻のエリザベスと恋に落ちる。 しかし太平洋戦争が勃発。恋は終わり、ベンジャミンは、戦いの海に向かう。船長や仲間たちは戦死するも、彼はひとり帰還する。 美しく成長し、ニューヨークでモダンバレエのダンサーとして活躍するデイジーとの再会。彼女に誘惑されたベンジャミンだったが、男女の仲になることを拒む。その後も再会を重ねる2人。お互いが大切な存在でありながらも、それぞれ人生で直面していることが異なり、想いはすれ違い続ける…。 一方でベンジャミンは、重病で死期を目前にしたトーマス・バトンから、実の父だと明かされる。一旦は拒絶するも、父の最期の瞬間には、優しく寄り添うのだった。 1962年のベンジャミンとデイジー、お互いが人生の中間地点を迎えた頃の再会。機が熟したように2人は結ばれ、デイジーは女児を産む。しかし、ベンジャミンは悩む。この後も若返りが進むであろう自分に、“父親”になる資格などあるのか!? そして彼は、愛するデイジーと1歳になった娘の前から、姿を消す…。 ***** フィッツジェラルドの原作からは、主役と骨子だけを頂戴した形となった本作。ほぼオリジナルの設定とストーリーで構成される。 映画の冒頭に盛り込まれるのは、第一次世界大戦で息子を失った、盲目の時計職人のエピソード。彼はニュー・オリンズの駅向けに、針が逆回転する仕様の巨大時計を作り上げるのだが、これには時間を戻し、息子を甦らせたいという、切なる願いが籠められていた…。そんな創作寓話でわかる通り、エリック・ロスは、原作を意欲的に改変している。 ロスはアカデミー賞脚色賞を受賞した自らの代表作、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)で成功した、主人公の語りによるフラッシュバックで物語を構成していく手法を、本作で援用。ガンプのモノローグの代わりに、ベンジャミンの日記を用いた。 フィンチャーはこの手法に、いたく惹きつけられた。と同時に、2003年に父をがんで亡くした経験と、母デイジーを看取る娘の描写が、シンクロしたという。 90年代の最初のオファーの時、ロビン・スウィコードの脚本を読んだフィンチャーは、「これはラブ・ストーリーだ」と受け止めた。しかし改めてオファーを受け、エリック・ロスの脚本に対峙すると、考えが改まった。「これはラブ・ストーリーだが、実際は死についての物語であり、人生のはかなさをテーマにしている…」と。 原作の舞台はボルチモアだったが、工事のラッシュだったり、フィンチャーの望むような海岸線がなかったりで、ロケ地の変更を余儀なくされた。そこでニュー・オリンズが提案された際、フィンチャーのリアクションは、「そんなのダメだ!ばからしい」というものだった。 しかし現地の写真を見ていく内に、この街が持つ「美しさと、少し恐ろしい雰囲気」に、魅了される自分に気付く。こうしてロケ地が、決まった。 ところが撮影開始前の2005年8月、超巨大ハリケーンのカトリーナがニュー・オリンズを襲い、甚大な被害が生じる。果して予定通りに撮影できるのか?プロデューサーたちは危ぶんだが、ハリケーンの2日後、ニュー・オリンズ市から電話が入った。それは、計画通りに撮影を進めて欲しいとのリクエストだった。 ベンジャミン・バトン役に決まったのは、“ブラピ”ことブラッド・ピット。フィンチャーとは、『セブン』(95)『ファイト・クラブ』(99)に続く、3度目の組合せである。 ピットとフィンチャーは随時、複数のプロジェクトについて話し合いを行う仲。話題に上る中では、「ベンジャミン・バトン」は、最も実現性が薄い企画だと、ピットは考えていた。 しかしフィンチャーに加えて、エリック・ロスらと濃い話し合いをしていく内に、「この人たちと一緒にいるという目的のためだけでも」、この企画をやる価値があると思うようになっていった。トドメは、フィンチャーのこんな言い回し。「この映画を、お互いに頼り合う話にしてはならない。そうではなく、人が成長していく物語なんだ」。ピットは「とても美しい」表現だと感じ入った。 80歳で生まれてくるベンジャミンの、老年期の撮影はどうするか?老いているベンジャミンを演じた何人もの俳優の顔に、特殊メイクをしたブラピの顔を貼り付けるという手法を採った。ピットの顔の動きをスキャンしてコンピューター上に再現。それから、口や表情の動きとピットの台詞をシンクロさせてから、実写のシークエンスに移植したのである。 因みに撮影中のピットは、大体午前3時頃に起床。コーヒーを飲みつつ特殊メイクを行った後、丸1日撮影。それが終わると、また1時間掛けてメイクを落とすという繰り返しだった。眠たくても、椅子で寝るしかなかったという。 ベンジャミンの生涯を通じてのソウルメイトであり、恋人にもなる女性デイジー。その名は、同じ作者の「グレート・ギャツビー」のヒロインから取られている。このアイディアは、エリック・ロスがリライトする前の。ロビン・スウィコード脚本からあったものだ。 演じるは、ブラピとの共演は、『バベル』(2006)での夫婦役以来2度目となる、ケイト・ブランシェット。実はフィンチャーは、『エリザベス』(98)で彼女の演技を見て以来、彼女のことが頭から離れず、念願のオファーであった。 10代から86歳まで演じるブランシェットの、特殊メイクに掛かる時間は、短くても4時間。長い時には、8時間ほども掛かったという。また6歳からの子ども時代に関しても、声はブランシェットが吹き替えているというから、驚きである。 ベンジャミンがデイジーと娘の元を去って20年ほど後、少年の姿で認知症となるも、所持品から身元がわかり、昔育った老人施設に引き取られる。連絡を貰ったデイジーも、施設に入居。彼の面倒を見ることにする。 こうして迎えるベンジャミンとデイジーの物語の終幕近く、かつての恋人が誰かもわからない、よちよち歩きの幼児となってしまったベンジャミンは、老いたデイジーと手をつなぎ、散歩をしている最中、突然立ち止まって彼女の手を引っ張る。彼はキスをせがみ、それが終わるとまた歩き始める。 この2人の仕草は、指示などしたわけではないが、まさにベンジャミンとデイジーの長きに渡る歴史を表しているかのようだった。それをカメラに収められたのは、まさに映画の神が微笑んだかにも思える、“偶然”だったという。 そして赤ん坊に戻ったベンジャミンは、デイジーに抱かれながら、息を引き取る…。 フィンチャーは準備から5年もの歳月を掛かった本作の完成が近づいた時、「これは自分でも、ブルーレイで所有したい映画だな」と思ったという。 パラマウント、ワーナー・ブラザースという2つのメジャースタジオの協力を得て、1億5,000万㌦以上に及ぶ、巨額の製作費を投じた本作。刺激的な事件やエキセントリックな人物を扱ってきた、それまでのフィンチャーのフィルモグラフィーを考えると、異色の作品となった。 人生の考察を行うようなその内容には、賛否両論が沸き起こったが、その年度のアカデミー賞では、最多の13部門にノミネート。フィンチャーは初めて“監督賞”の候補となった。 しかしこの年は、ダニー・ボイル監督の『スラムドッグ$ミリオネア』が、作品賞、監督賞を含む8部門を搔っ攫う。また本作の演技で“主演男優賞”候補だったブラッド・ピットも、『ミルク』で実在のゲイの運動家で政治家のハーヴェイ・ミルクを演じたショーン・ペンに敗れる 最終的には、美術賞、メイクアップ賞、視覚効果賞という、コレが獲らなきゃさすがに嘘だという受賞だけに止まった。しかし、限られた人生に於ける“一期一会”を描いた本作の普遍的な感動は、いま尚色褪せないように思える。■ 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』© Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2023.10.31
アメリカ社会の分断を痛烈に風刺した衝撃の問題作!『ザ・ハント』
※注:以下のレビューには一部ネタバレが含まれます。 人間狩りの獲物はトランプ支持者!? トランプ政権以降のアメリカで進行するイデオロギーの極端な二極化。右派と左派がお互いへの敵意や憎悪をどんどんとエスカレートさせ、社会の分断と対立はかつてないほど深刻なものとなってきた。それを率先して煽ったのが、本来なら両者の溝を埋めねばならぬ立場のトランプ元大統領だったというのは、まるで趣味の悪いジョークみたいな話であろう。そんな混沌とした現代アメリカの世相を、ブラックなユーモアとハードなコンバット・アクション、さらには血みどろ満載のバイオレンスを交えながら、痛烈な皮肉を込めて風刺した社会派スプラッター・コメディが本作『ザ・ハント』(’20)である。 物語の始まりは、とあるリッチなビジネス・エリート集団のグループ・チャット。メンバー同士の他愛ない会話は、「領地(マナー)で哀れな連中を殺すのが楽しみ!」という不穏な話題で締めくくられる。その後、豪華なプライベート・ジェットで「領地(マナー)」へと向かうエリート男女。すると、意識のもうろうとした男性が貨物室から迷い出てくる。驚いてパニックに陥る乗客たち。男性を落ち着かせようとした医者テッドは、「予定より早く起きてしまった君が悪い」と言って男性をボールペンで刺し殺そうとし、プライベート・ジェットのオーナーである女性アシーナ(ヒラリー・スワンク)が男性の息の根を止める。「このレッドネックめ!」と忌々しそうに吐き捨てながら、遺体を貨物室へ戻すテッド。すると、そこには眠らされたまま運ばれる人々の姿があった。 場所は移って広い森の中。猿ぐつわをかませられた十数名の男女が目を覚ます。ここはいったいどこなのか?なぜ猿ぐつわをしているのだろうか?自分の置かれた状況が理解できず戸惑う人々。よく見ると草原のど真ん中に大きな木箱が置かれている。中を開けてみると、出てきたのは一匹の子豚と大量の武器。直感で事態を悟り始めた男女は、それらの武器をみんなで分ける。するとその瞬間、どこからともなく浴びせられる銃弾、血しぶきをあげながら次々と倒れていく人々。これで彼らは確信する。これは「マナーゲートだ!」と。 マナーゲートとは、ネット上でまことしやかに噂される陰謀論のこと。アメリカの富と権力を牛耳るリベラル・エリートたちが、領地(マナー)と呼ばれる私有地に集まっては、娯楽目的で善良な保守派の一般庶民を狩る。要するに「人間狩り」だ。やはりマナーゲートは実在したのだ!辛うじて森からの脱出に成功した一部の人々は、近くにある古びたガソリン・スタンドへと逃げ込む。親切そうな初老の店主夫婦によると、ここはアーカンソー州だという。店の電話で警察へ通報した彼らは、そこで助けが来るのを待つことにする。ところが、このガソリン・スタンド自体が人間狩りの罠だった。 あえなく店主夫妻(その正体は狩る側のエリート)に殺されてしまう男女。すると、そこへ一人でやって来た女性クリスタル(ベティ・ギルピン)。鋭い観察力と判断力でこれが罠だと見抜いた彼女は、一瞬の隙をついて店主夫妻を殺害し、やがて驚異的な戦闘能力とサバイバル能力を駆使して反撃へ転じていく。果たして、この謎めいた女戦士クリスタルの正体とは何者なのか?狩りの獲物となった男女が選ばれた理由とは?そもそも、なぜエリートたちは残虐な人間狩りを行うのか…? リッチでリベラルな意識高い系のエリート集団が、まるでトランプ支持者みたいなレッドネックの右翼レイシストたちを誘拐し、人間狩りの獲物として血祭りにあげていく。当初、本作の予告編が公開されると保守系メディアから「我々を一方的に悪者と決めつけて殺しまくる酷い映画だ!」と非難され、トランプ大統領も作品名こそ出さなかったものの「ハリウッドのリベラルどもこそレイシストだ!」と怒りのツイートを投稿。ところが、蓋を開けてみるとエリート集団の方も、傲慢で選民意識が強くて一般庶民を見下した偽善者として描かれており、一部のリベラル系メディアからは「アンチ・リベラルの右翼的な映画」とも批判されている。言わば左右の双方から不興を買ってしまったわけだが、しかし実のところどちらの批判も的外れだったと言えよう。 本作にはトランプ支持者を一方的に貶める意図もなければ、もちろんリベラル・エリートの偽善を揶揄するような意図もない。むしろ、彼らの思想なり信念なりを劇中では殆ど掘り下げておらず、その是非を問うたりすることもなければ、どちらかに肩入れしたりすることもないのである。脚本家のニック・キューズとデイモン・リンデロフがフォーカスしたのは、左右の双方が相手グループに対して抱いている「思い込み」。この被害妄想的な間違った「思い込み」が、アメリカの分断と対立を招いているのではないか。それこそが本作の核心的なメッセージなのだと言えよう。そう考えると、上記の左右メディア双方からの批判は極めて象徴的かつ皮肉である。 陰謀論を甘く見てはいけない! そもそも、本作のストーリー自体が「思い込み」の上に成り立っている。きっかけとなったのは「マナーゲート」なる陰謀論。「エリートが庶民を狩る」なんて極めてバカげた荒唐無稽であり、実のところそんなものは存在しなかったのだが、しかしその噂を本当だと思い込んだ陰謀論者たちが特定の人々をやり玉にあげ、そのせいで仕事を奪われたエリートたちが復讐のために陰謀論者をまとめて拉致し、本当に人間狩りを始めてしまったというわけだ。まさしく「思い込み」が招いた因果応報の物語。しかも、主人公クリスタルが獲物に選ばれたのも、実は「人違い」という名の思い込みだったというのだから念が入っている。なんとも滑稽としか言いようのいない話だが、しかしこの手の思い込みや陰謀論を笑ってバカにできないのは、Qアノンと呼ばれるトランプ支持の陰謀論者たちが勝手に暴走し、本作が公開された翌年の’21年に合衆国議会議事堂の襲撃という前代未聞の事件を起こしたことからも明らかであろう。 ただ、これを大真面目な政治スリラーや、ストレートな猟奇ホラーとして描こうとすると、社会風刺という本作の根本的な意図がボヤケてしまいかねない。そういう意味で、コミカル路線を採ったのは大正解だったと言えよう。血生臭いスプラッター・シーンも、ノリは殆んどスラップスティック・コメディ。その荒唐無稽でナンセンスな阿鼻叫喚の地獄絵図が、笑うに笑えない現代アメリカの滑稽なカオスぶりを浮かび上がらせるのだ。脚本の出来の良さも然ることながら、クレイグ・ゾベル監督の毒っ気ある演出もセンスが良い。 さらに、本作は観客が抱くであろう「思い込み」までも巧みに利用し、ストーリーに新鮮なスリルと意外性を与えることに成功している。例えば、冒頭に登場する獲物の若い美男美女。演じるのはテレビを中心に活躍するジャスティン・ハートリーにエマ・ロバーツという人気スターだ。当然、この2人が主人公なのだろうなと思い込んでいたら、ものの一瞬で呆気なく殺されてしまう。その後も、ならばこいつがヒーローか?と思われるキャラが早々に消され、ようやく本編開始から25分を過ぎた辺りから、それ以前に一瞬だけ登場したけどすっかり忘れていた地味キャラ、クリスタルが本作の主人公であることが分かってくる。すると今度は、それまでの展開を踏まえて「やはり彼女もそのうち殺されるのでは…?」と疑ってしまうのだから、なるほど人間心理って面白いものですな。映画の観客というのはどうしても先の展開を読もうとするものだが、当然ながらそこには過去の映画体験に基づく「思い込み」が紛れ込む。本作はその習性を逆手に取って、観客の予想を次々と裏切っていくのだ。 その主人公クリスタルを演じているのは、女子プロレスの世界を描いたNetflixオリジナル・シリーズ『GLOW:ゴージャス・レディ・オブ・レスリング』(‘17~’19)で大ブレイクした女優ベティ・ギルピン。アクション・シーンの俊敏な動きとハードな格闘技は、3年に渡って女子プロレスラー役を演じ続けたおかげなのかもしれない。しかしそれ以上に素晴らしいのは、劇中では殆ど言及されないクリスタルの人生背景を、その表情や佇まいやふとした瞬間の動作だけで雄弁に物語るような役作りである。タフで寡黙でストイック。質素な身なりや険しい顔つきからも、相当な苦労を重ねてきたことが伺える。それでいて、鋭い眼差しには高い知性と思慮深さが宿り、きりっと引き締まった口元が揺るぎない意志の強さを物語る。恐らく、恵まれない環境のせいで才能を発揮できず、辛酸を舐めてきたのだろう。夢や理想を抱くような余裕もなければ、陰謀論にのめり込んでいるような暇もない。そんな一切の大義名分を持ち合わせていないヒロインが、純然たる生存本能に突き動かされて戦い抜くというのがまた痛快なのだ。 本作が劇場公開されてから早3年。合衆国大統領はドナルド・トランプからジョー・バイデンへと交代し、いわゆるQアノンの勢いも一時期ほどではなくなったが、しかしアメリカ社会の分断は依然として解消されず、むしろコロナ禍の混乱を経て左右間の溝はなお一層のこと深くなったように思える。それはアメリカだけの問題ではなく、日本を含む世界中が同じような危機的状況に置かれていると言えよう。もはや映画以上に先の読めない時代。より良い世界を目指して生き抜くためには、分断よりも融和、対立よりも対話が肝心。ゆめゆめ「思い込み」などに惑わされてはいけない。■ 『ザ・ハント』© 2019 Universal City Studios LLLP & Perfect Universe Investment Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.12.27
ハリウッド・アクションの金字塔『ダイ・ハード』シリーズの魅力に迫る!
テレビ界の人気者だった俳優ブルース・ウィリスをハリウッド映画界のスーパースターへと押し上げ、25年間に渡って計5本が作られた犯罪アクション『ダイ・ハード』シリーズ。1作目はロサンゼルスにある大企業の本社ビル、2作目は首都ワシントンD.C.の国際空港、3作目は大都会ニューヨークの市街、さらに4作目はアメリカ東海岸全域で5作目はロシアの首都モスクワと、作品ごとに舞台となる場所を変えつつ、「いつも間違った時に間違った場所にいる男」=ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)が、毎回「なんで俺ばかりこんな目に遭わなけりゃならないんだよ!」とぼやきながらも、凶悪かつ狡猾なテロ集団を相手に激しい戦いを繰り広げていく。 1月のザ・シネマでは、新年早々にその『ダイ・ハード』シリーズを一挙放送(※3作目のみ放送なし)。そこで今回は、1作目から順番にシリーズを振り返りつつ、『ダイ・ハード』シリーズが映画ファンから愛され続ける理由について考察してみたい。 <『ダイ・ハード』(1988)> 12月24日、クリスマスイヴのロサンゼルス。ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、別居中の妻ホリー(ボニー・ベデリア)が重役を務める日系企業・ナカトミ商事のオフィスビルを訪れる。仕事優先で家庭を顧みず、妻のキャリアにも理解が乏しい昔気質の男ジョンは、それゆえ夫婦の間に溝を作ってしまっていた。クリスマスを口実に妻との和解を試みるもあえなく撃沈するジョン。すると、ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)率いる武装集団がナカトミ商事のクリスマス・パーティ会場へ乱入し、出席者全員を人質に取ったうえで高層ビル全体を占拠してしまった。 たまたま別室にいて拘束を免れたジョンは、欧州の極左テロ組織を名乗るグルーバーたちの犯行動機がイデオロギーではなく金であることを知り、協力を拒んだタカギ社長(ジェームズ・シゲタ)を射殺する様子を目撃する。このままでは妻ホリーの命も危ない。居ても立ってもいられなくなったジョンは、警察無線で繋がったパトロール警官アル(レジナルド・ヴェルジョンソン)と連絡を取りつつ、敵から奪った武器で反撃を試みる。やがてビルを包囲する警官隊にマスコミに野次馬。周囲が固唾を飲んで状況を見守る中、ジョンはたったひとりでテロ組織を倒して妻を救出することが出来るのか…? ジャパン・マネーが世界経済を席巻したバブル期の世相を背景に、大手日系企業のオフィスビル内で繰り広げられるテロ組織と運の悪い刑事の緊迫した攻防戦。この単純明快なワンシチュエーションの分かりやすさこそ、本作が興行的な成功を収めた最大の理由のひとつであろう。さらに原作小説では3日間の話だったが、映画版では1夜の出来事に短縮することでスピード感も加わった。そのうえで、ビル全体を社会の象徴として捉え、それを破壊することで登場人物たちの素顔や関係性を炙り出していく。シンプルでありながらも中身が濃い。『48時間』(’82)や『コマンドー』(’87)のスティーヴン・E・デ・スーザのソリッドな脚本と、当時『プレデター』(’87)を当てたばかりだったジョン・マクティアナンの軽妙な演出が功を奏している。これをきっかけに、暴走するバスを舞台にした『スピード』(’94)や、洋上に浮かぶ戦艦内部を舞台にした『沈黙の戦艦』(’92)など、本作の影響を受けたワンシチュエーション系アクションが流行ったのも納得だ。 もちろん、主人公ジョン・マクレーン刑事の庶民的で親しみやすいキャラも大きな魅力である。ダーティ・ハリー的なタフガイ・ヒーローではなく、アメリカのどこにでもいる平凡なブルーカラー男性。ことさら志が高かったり勇敢だったりするわけでもなく、それどころか人間的には欠点だらけのダメ男だ。そんな主人公が運悪く事件現場に居合わせたことから、已むに已まれずテロ組織と戦うことになる。観客の共感を得やすい主人公だ。また、そのテロ組織がヨーロッパ系の白人という設定も当時は新鮮だった。なにしろ、’80年代ハリウッド・アクション映画の敵役と言えば、アラブ人のイスラム過激派か南米の麻薬組織というのが定番。もしくは日本のヤクザかニンジャといったところか。そうした中で、厳密には黒人とアジア人が1名ずついるものの、それ以外は主にドイツやフランス出身の白人で、なおかつリーダーはインテリ極左という本作のテロ組織はユニークだった。 ちなみに、本作で「もうひとりの主役」と呼ばれるのが舞台となる高層ビル「ナカトミ・プラザ」。20世紀フォックス(現・20世紀スタジオ)の本社ビルが撮影に使われたことは有名な逸話だ。もともとテキサス辺りで撮影用のビルを探すつもりだったが、しかし準備期間が少ないことから、当時ちょうど完成したばかりだった新しい本社ビルを使うことになった。ビルが建つロサンゼルスのセンチュリー・シティ地区は、同名の巨大ショッピングモールや日本人観光客にもお馴染みのインターコンチネンタル・ホテルなどを擁するビジネス街として有名だが、もとを遡ると周辺一帯が20世紀フォックスの映画撮影所だった。しかし、経営の行き詰まった60年代に土地の大半を売却し、再開発によってロサンゼルス最大級のビジネス街へと生まれ変わったのである。パラマウントやワーナーなどのメジャー他社に比べて、20世紀スタジオの撮影所が小さくてコンパクトなのはそのためだ。 <『ダイ・ハード2』(1990)> あれから1年後のクリスマスイヴ。ジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は出張帰りの妻ホリー(ボニー・ベデリア)を出迎えるため、雪の降り積もるワシントンD.C.の空港へやって来る。空港にはマスコミの取材陣も大勢駆けつけていた。というのも、麻薬密輸の黒幕だった南米某国のエスペランザ将軍(フランコ・ネロ)が、ちょうどこの日にアメリカへ護送されてくるからだ。妻の到着を今か今かと待っているジョンは、貨物室へと忍び込む怪しげな2人組に気付いて追跡したところ銃撃戦になる。実は、反共の英雄でもあったエスペランザ将軍を支持するスチュアート大佐(ウィリアム・サドラー)ら元米陸軍兵グループが、同将軍を救出するべく空港占拠を計画していたのだ。 絶対になにかあるはず。悪い予感のするジョンだったが、しかし空港警察のロレンゾ署長(デニス・フランツ)は全く聞く耳を持たない。やがて空港の管制システムはテロ・グループに乗っ取られ、到着予定の旅客機がいくつも着陸できなくなってしまう。その中にはジョンの妻ホリーの乗った旅客機もあった。乗員乗客を人質に取られ、手も足も出なくなってしまった空港側。敵は必ず近くに隠れているはず。そのアジトを割り出してテロ・グループを一網打尽にしようとするジョンだったが…? 今回の監督は『プリズン』(’87)や『フォード・フェアレーンの冒険』(’90)で高く評価されたフィンランド出身のレニー・ハーリン。特定の空間に舞台を絞ったワンシチュエーションの設定はそのままに、巨大な国際空港とその周辺で物語を展開させることで、前作よりもスペクタクルなスケール感を加味している。偉そうに威張り散らすだけの無能な現場責任者や、特ダネ欲しさのあまり人命を軽視するマスコミなど、権力や権威を揶揄した反骨精神も前作から継承。また、南米から流入するコカインなどの麻薬汚染は、当時のアメリカにとって深刻な社会問題のひとつ。麻薬密輸の黒幕とされるエスペランザ将軍は、恐らく’89年に米海軍特殊部隊によって拘束された南米パナマ共和国の独裁者ノリエガ将軍をモデルにしたのだろう。そうした同時代の世相が、物語の重要なカギとなっているのも前作同様。嫌々ながらテロとの戦いに身を投じるジョン・マクレーン刑事のキャラも含め、監督が代わっても1作目のDNAはしっかりと受け継がれている。ファンが『ダイ・ハード』に何を期待しているのか、製作陣がちゃんと考え抜いた結果なのだろう。 そんな本作の要注目ポイントは管制塔と滑走路のセット。そう、まるで実際に空港の管制塔で撮影したような印象を受けるが、実際は劇中の管制塔もその向こう側に広がる滑走路も、20世紀フォックスの撮影スタジオに建てられたセットだったのである。本物の管制塔は地味で狭くて映画的に見栄えがしないため、もっとスタイリッシュでカッコいいセットを一から作ることに。この実物大の管制塔から見下ろす滑走路はミニチュアで、遠近法を利用することで実物大サイズに見せている。これが、当時としてはハリウッドで前例のないほど巨大なセットとして業界内で話題となり、マーティン・スコセッシをはじめとする映画監督や各メジャー・スタジオの重役たちが見学に訪れたのだそうだ。 <『ダイ・ハード3』(1995年)> ※ザ・シネマでの放送なし 1作目のジョン・マクティアナン監督が復帰したシリーズ第3弾。今回、ザ・シネマでの放送がないため、ここでは簡単にストーリーを振り返るだけに止めたい。 ニューヨークで大規模な爆破テロ事件が発生。サイモンと名乗る正体不明の犯人は、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)を指名して、まるで面白半分としか思えないなぞなぞゲームを仕掛けてくる。しかも、制限時間内に正解を出せなければ、第2・第3の爆破テロが起きてしまう。妻に三下り半を突きつけられたせいで酒に溺れ、警察を停職処分になっていたジョンは、テロリストからニューヨーク市民の安全を守るため、嫌々ながらもなぞなぞゲームに付き合わされることに。さらに、何も知らず善意でジョンの窮地を救った家電修理店の店主ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)までもが、ジョンを助けた罰としてサイモンの命令でゲームに参加させられる。 やがて浮かび上がる犯人の正体。それは、かつてナカトミ・プラザでジョンに倒されたテロ・グループの首謀者、ハンス・グルーバーの兄サイモン・ピーター・グルーバー(ジェレミー・アイアンズ)だった。弟が殺されたことを恨んでの復讐なのか。そう思われた矢先、サイモン率いるテロ組織の隠された本当の目的が明るみとなる…!。 <『ダイ・ハード4.0』(2007)> FBIサイバー対策部の監視システムがハッキングされる事件が発生。これを問題視したFBI副局長ボウマン(クリフ・カーティス)は、全米の名だたるハッカーたちの身柄を拘束し、ワシントンD.C.のFBI本部へ送り届けるよう各捜査機関に通達を出す。その頃、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に過保護ぶりを煙たがられたニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、ニュージャージーに住むハッカーの若者マシュー・ファレル(ジャスティン・ロング)をFBI本部へ護送するよう命じられるのだが、そのマシューの自宅アパートで正体不明の武装集団に襲撃される。 武装集団の正体は、サイバー・テロ組織のリーダーであるトーマス・ガブリエル(ティモシー・オリファント)が差し向けた暗殺部隊。FBIをハッキングするため全米中のハッカーを騙して利用したガブリエルは、その証拠隠滅のため遠隔操作の爆弾で用済みになったハッカーたちを次々と爆殺したのだが、マシューひとりだけが罠に引っかからなかったため暗殺部隊を送り込んだのである。そうとは知らぬジョンとマシューは、激しい攻防戦の末にアパートから脱出。命からがらワシントンD.C.へ到着した彼らが目の当たりにしたのは、サイバー・テロによってインフラ機能が完全に麻痺した首都の光景だった。かつて国防総省の保安責任者だったガブリエルは、国の危機管理システムの脆弱性を訴えたが、上司に無視され退職へ追い込まれていた。「これは国のため」だといって自らの犯行を正当化するガブリエル。しかし、彼の本当の目的が金儲けであると気付いたジョンとマシューは、なんとかしてその計画を阻止しようとするのだったが…? 12年ぶりに復活した『ダイ・ハード』第4弾。またもや間違った時に間違った場所にいたジョン・マクレーン刑事が、運悪くテロ組織の破壊工作に巻き込まれてしまう。しかも今回はテクノロジー社会を象徴するようなサイバー・テロ。かつてはファックスすら使いこなせていなかった超アナログ人間のジョンが、成り行きで相棒となったハッカーの若者マシューに「なんだそれ?俺に分かる言葉で説明しろ!」なんてボヤきながらも、昔ながらのアナログ・パワーをフル稼働してテロ組織に立ち向かっていく。9.11以降のアメリカのセキュリティー社会を投影しつつ、果たしてテクノロジーに頼りっきりで本当に良いのだろうか?と疑問を投げかけるストーリー。本格的なデジタル社会の波が押し寄せつつあった’07年当時、これは非常にタイムリーなテーマだったと言えよう。 監督のレン・ワイズマンも脚本家のマーク・ボンバックも、10代の頃に『ダイ・ハード』1作目を見て多大な影響を受けた世代。当時まだ小学生だったマシュー役のジャスティン・ロングは、親から暴力的な映画を禁止されていたため大人になってからテレビでカット版を見たという。そんな次世代のクリエイターたちが中心となって作り上げた本作。ワイズマン監督が最もこだわったのは、「実写で撮れるものは実写で。CGはその補足」ということ。なので、『ワイルド・スピード』シリーズも真っ青な本作の超絶カー・アクションは、そのほとんどが実際に車を壊して撮影されている。劇中で最もインパクト強烈な、車でヘリを撃ち落とすシーンもケーブルを使った実写だ。CGで付け足したのは回転するヘリのプロペラだけ。あとは、車が激突する直前にヘリから飛び降りるスタントマンも別撮りシーンをデジタル合成している。しかし、それ以外は全て本物。中にはミニチュアと実物大セットを使い分けたシーンもある。こうした昔ならではの特殊効果にこだわったリアルなアクションの数々に、ワイズマン監督の『ダイ・ハード』シリーズへの深い愛情が感じられるだろう。 <『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013)> 長いこと音信不通だった息子ジャック(ジェイ・コートニー)がロシアで殺人事件を起こして逮捕されたと知り、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に見送られてモスクワへと向かったニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)。ところが、到着した裁判所がテロによって爆破されてしまう。何が何だか分からず混乱するジョン。すると息子ジャックが政治犯コマロフ(セバスチャン・コッホ)を連れて裁判所から逃走し、その後を武装したテロ集団が追跡する。実はCIAのスパイだったジャックは、コマロフを救出する極秘任務を任されていたのだ。ロシアの大物政治家チャガーリンの犯罪の証拠を握っており、チャガーリンを危険視するCIAはコマロフをアメリカへ亡命させる代わりに、その証拠であるファイルを手に入れようと考えていたのである。 そんなこととは露知らぬジョンは、追手のテロ集団を撃退するものの、結果としてジャックの任務を邪魔してしまうことに。ひとまずCIAの隠れ家へ駆け込んだジョンとジャック、コマロフの3人は、アメリカへ亡命するならひとり娘を連れて行きたいというコマロフの意向を汲むことにする。待ち合わせ場所の古いホテルへ到着した3人。ところが、そこで待っていたコマロフの娘イリーナ(ユーリヤ・スニギル)によってコマロフが拉致される。テロ集団はチャガーリンがファイルを握りつぶすために差し向けた傭兵部隊で、イリーナはその協力者だったのだ。敵にファイルを奪われてはならない。コマロフのファイルが隠されているチェルノブイリへ向かうジョンとジャック。実はコマロフはただの政治犯ではなく、かつてチャガーリンと組んでチェルノブイリ原発から濃縮ウランを横流し、それを元手にして財を成したオリガルヒだった。コマロフを救出しようとするマクレーン親子。ところが、現地へ到着した2人は思いがけない事実を知ることになる…! オール・アメリカン・ガイのジョン・マクレーン刑事が、初めてアメリカ国外へ飛び出したシリーズ最終章。『ヒットマン』(’07)や『G.I.ジョー』(’09)のスキップ・ウッズによる脚本は、正直なところもう少し捻りがあっても良かったのではないかと思うが、しかし報道カメラマン出身というジョン・ムーア監督の演出は、前作のレン・ワイズマン監督と同様にリアリズムを重視しており、あくまでも本物にこだわった大規模なアクション・シーンで見せる。中でも、ベラルーシで手に入れたという世界最大の輸送ヘリコプターMi-26の実物を使った空中バトルは迫力満点だ。 なお、当初はモスクワで撮影する予定でロケハンも行ったが、しかし現地での街頭ロケはコストがかかり過ぎるという理由で断念。代替地としてモスクワと街並みのよく似たハンガリーのブダペストが選ばれた。イリーナ役のユーリヤ・スニギルにチャガーリン役のセルゲイ・コルスニコフと、ロシアの有名な俳優が出演している本作だが、しかしジョンがロシア人を小バカにするシーンなど、決してロシアに対して好意的な内容ではないことから、現地では少なからず批判に晒されたようだ。実際、ムーア監督がイメージしたのはソヴィエト時代そのままの「陰鬱で荒涼とした」モスクワ。明るくて華やかで賑やかな現実の大都会モスクワとは別物として見た方がいいだろう。 <『ダイ・ハード』シリーズが愛される理由とは?> これはもう、主人公ジョン・マクレーン刑事と演じる俳優ブルース・ウィリスの魅力に尽きるとしか言いようがないであろう。ことさら勇敢なわけでもなければ正義感が強いわけでもない、ぶっちゃけ出世の野心もなければ向上心だってない、愛する家族や友人さえ傍にいてくれればいいという、文字通りどこにでもいる平々凡々とした昔ながらの善良なアメリカ人男性。刑事としての責任感や倫理観は強いものの、しかしその一方で権威や組織に対しては強い不信感を持っており、たとえお偉いさんが相手だろうと一切忖度などしない。そんな反骨精神あふれる庶民派の一匹狼ジョン・マクレーン刑事が、いつも運悪く面倒な事態に巻き込まれてしまい、已むに已まれずテロリスト集団と戦わざるを得なくなる。しかも、人並外れて強いというわけでもないため、最後はいつもボロボロ。このジョン・マクレーン刑事のヒーローらしからぬ弱さ、フツーっぽさ、親しみやすさに、観客は思わず同情&共感するのである。 加えて、もはや演技なのか素なのか分からないほど、役柄と一体化したブルース・ウィリスの人間味たっぷりな芝居も素晴らしい。もともとテレビ・シリーズ『こちらブル―ムーン探偵社』(‘85~’89)の私立探偵デイヴ・アディスン役でブレイクしたウィリス。お喋りでいい加減でだらしがなくて、特にこれといって優秀なわけでも強いわけでもないけど、しかしなぜだか愛さずにはいられないポンコツ・ヒーロー。そんなデイヴ役の延長線上にありつつ、そこへ労働者階級的な男臭さを加味したのがジョン・マクレーン刑事だと言えよう。まさにこれ以上ないほどの適役。当初候補に挙がっていたシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーでは、恐らく第二のランボー、第二のコマンドーで終わってしまったはずだ。 もちろん、重くなり過ぎない軽妙洒脱な語り口やリアリズムを追究したハードなアクション、最前線の苦労を知らない無能で横柄な権力者やマスコミへの痛烈な風刺精神、同時代の世相を巧みにストーリーへ織り込んだ社会性など、1作目でジョン・マクティアナンが打ち出した『ダイ・ハード』らしさを確実に継承した、歴代フィルムメーカーたちの職人技的な演出も高く評価されるべきだろう。彼らはみんな、『ダイ・ハード』ファンがシリーズに何を望んでいるのかを踏まえ、自らの作家的野心よりもファンのニーズに重きを置いて映画を作り上げた。これぞプロの仕事である。 その後、ブルース・ウィリス自身は6作目に意欲を示していたと伝えられるが、しかし高次脳機能障害の一種である失語症を発症したことから’22年に俳優業を引退。おのずと『ダイ・ハード』シリーズにも幕が降ろされることとなった。■ 「ダイ・ハード」© 1988 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード2」© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード4.0」© 2007 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード/ラスト・デイ」© 2013 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2025.06.12
世界中で大ヒット!M・ナイト・シャマランの“ある秘密”路線第1弾!!『シックス・センス』
今年4月、俳優のハーレイ・ジョエル・オスメントが、公共の場での酩酊とコカイン所持で逮捕された。そして先頃、週3回の依存症者ミーティングに半年間の出席を義務付けられたというニュースが、飛び込んできた。 今回もそうだが、記事などに取り上げられる場合、必ず「『シックス・センス』…のハーレイ・ジョエル・オスメント」と紹介される。30代後半の今になっても、“天才子役”と謳われた時期の、1999年公開作のタイトルが冠せられるのである。 それはある意味、この作品の監督である、M・ナイト・シャマランにも共通する。彼の場合、その後何本もヒット作を出しているにも拘わらず、「『シックス・センス』…の」と、枕詞のように付いて回る。 これは本作『シックス・センス』が、初公開時にそれほどのインパクトを残した証左とも言える。 “シックス・センス=第六感”。人が備える5つの感覚=視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を超えた、第6番目の感覚を指す。 1970年生まれ、まだ20代でそれまでは低予算作品しか手掛けてなかったシャマランが世に放った、3本目の長編監督作品。原作などはない、自作の“オリジナル脚本”の映画化だった。 日本公開で耳目を攫ったのは、本編上映前にスクリーンに映し出された、次の内容のスーパー。「この映画のストーリーには“ある秘密”があります。映画をご覧になった皆様は、その秘密をまだご覧になっていない方には決してお話しにならないようお願いします」 この前口上は、主演のブルース・ウィリスとM・ナイト・シャマランの両名によるものという体裁になっていたが、実は日本公開版にだけ付加されていた。これは、70年代後半から80年代に掛け、そのコケオドシ宣伝(失礼!)が、「東宝東和マジック」などと謳われた、本作の配給会社ならではの仕掛けであったことは、想像に難くない。 一部識者などからこの前口上は、「ネタバレを招く」などとも批判を受けた。しかし一般観客へのアピールは強かったようで、口コミの拡散にも大いに繋がったものと思われる。 また、「この映画のストーリーには“ある秘密”があります」というフレーズは、その後のシャマランのフィルモグラフィーを、実に的確に予見もしていた。 ***** 小児精神科医のマルコム(演;ブルース・ウィリス)は、子ども達の心の病を治療する第一人者として、名を馳せていた。 ある時、自宅で妻のアンナ(演:オリビア・ウィリアムズ)とくつろいでいた彼の前に、10年前に治療を担当していたヴィンセントが、現れる。ヴィンセントは「自分を救ってくれなかった」とマルコムをなじり、その腹を銃で撃つ。そして自らも、頭を撃ち抜くのだった。 1年後、ヴィンセントを救えなかったことで自分を責め続けたマルコムは、いつしか妻との間に大きな溝が生まれていた。彼女に話しかけても、すげなくされてしまう…。 そんな彼が新たに担当することになったのは、8歳の少年コール(演: ハーレイ・ジョエル・オスメント)。コールの症状は、かつてのヴィンセントに酷似していた。 実はコールには、死者が見えてしまう“第六感=シックス・センス”があったが、それを周囲に明かせないまま、怯え苦しみ、学校で「化け物」扱いされるまでに。更に、その事情を知らない母親リン(演;トニ・コレット)も、自分の息子の扱いに苦慮していた。 マルコムも、当初は幽霊の存在に懐疑的だったが、やがてコールの言葉を受け入れるようになる。2人は力を合わせて、死者がコールの前に現れる理由を探る。 そうした中でマルコムは、あまりにもショッキングな、“ある秘密”に行き当たる…。 ***** シャマラン監督は、インド生まれのフィラデルフィア育ち。両親とも医者の家庭だった。 8歳の時に8㎜カメラをプレゼントされ、16歳までに、45本の短編映画を監督。高校は首席で卒業し、有名医科大の奨学金にも合格していたが、ニューヨーク大学のアートスクールに進学し、映画の道に向かった。 子どもの頃は、家に帰ってドアが開いていると、「誰かが中に潜んでいるのでは…」と考えてしまうような、大の怖がりだった。『シックス・センス』は、シャマランのそんな幼少時の記憶がベースになっているという。 企画をスタートさせたのは、2本目の長編作品の仕上げ段階だった。シャマランの発言をすべて真に受けるならば、本作はその時点から、“第六感”めいたエピソードに事欠かない。 例えば劇中でコールが言う有名なセリフ~I see dead people=僕には死んだ人が見える~。しかしシャマランは、脚本から一旦削除した。少年のセリフとはいえ、幼すぎると感じたからだ。 しかしその時、「“声”が聞こえた…」のだという。「そのセリフを元に戻せ」と。結果的に~I see dead people~は、多くの観客の口の端に上る流行語となった。 シャマランは監督前作のポスプロ中に、その編集スタッフに、『シックス・センス』という脚本を書こうと思っていると、告げていた。その際に彼は、こんな予言をしていた。「主演はブルース・ウィリスになるよ、きっと」と。 もちろんそのスタッフからは、「あ、そう」と一笑に付された。監督として駆け出しのシャマラン作品に、当時すでにスーパースターだったウィリスが出ることなど、夢物語だったのだ。 シャマランは、『エクソシスト』『シャイニング』『ローズマリーの赤ちゃん』『反撥』などのホラー映画の名作に、様々な形でインスパイアされて、脚本を書き上げた。それをまだ無名な存在の彼自身が監督するという条件付きだったのにも拘わらず、ディズニーに300万㌦の高額で競り落とされた。こうして、ウィリスへの交渉ルートが開けた。 シャマランは、『ダイ・ハード』シリーズ(1988~)などで、一般的にアクションスターのイメージが強いウィリスのことを、「非常に芸域の広い俳優」と評価していた。元々はTVシリーズの「こちらブルームーン探偵社」(1985~89)のコメディ演技で人気となったウィリスを、ドラマティックな役やごく普通の人も演じられると、見込んだのである。 まずはウィリスに脚本を読んでもらった上で、面会という段取りになった。彼の主演を前提とした当て書きをしたシャマランも、さすがに極度の緊張状態に陥った。ところがそこにウィリスが現れると、いきなり「ノー・プロブレム」と口に出し、シャマランを抱きしめたのだという。 当時のウィリスは、悪たれ野郎のイメージが強かった。しかしそれと同時に、クエンティン・タランティーノの出世作『パルプ・フィクション』(94)に出演するなど、有望な新人監督の作品をチョイスする、目利きの側面もあったのだ。 1年前にシャマランの予言を鼻で笑った、件のスタッフは、ブルース・ウィリスが主演に決まった旨の連絡を受けて、ビックリ仰天することとなった。 この頃1本の出演料が2,000万㌦にも達していたウィリスの主演にも拘わらず、『シックス・センス』の製作費は、4,000万㌦程度に抑えられている。それはウィリスが、出演料を100万ドル以下にディスカウントしてくれたからである。その代わりに、映画がヒットして利益が出た場合には、歩合を貰う条件が付いた。結果的にウィリスの懐には、1億㌦以上が転がり込むこととなる。 ウィリスが演じるマルコムと並んで重要だったのは、コール少年役。シャマランは、オーディションで数多くの子役と面会したが、なかなかピンとくるものがなかった。 そんな時にシャマランの前に現れたのが、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)で主人公の息子を演じたことで知られていた、ハーレイ・ジョエル・オスメント。シャマランはその演技を見て、すぐにOKを出した。『シックス・センス』の撮影は、シャマランの生まれ故郷で、アマチュア時代からずっと映画の舞台にしてきたフィラデルフィアで、42日間のスケジュールで行われた。市内の古い市民センターを拠点に、この地区の主な展示施設に、7つのオープンセットが組まれた。 オスメント演じるコールは、己の持つ“シックス・センス”のせいで、不幸でいつも暗い表情。笑顔は見せない。 これまでの作品では、自分の体験との共通項を見出して役を演じてきたというオスメントだったが、本作ではそれが不可能だった。そのため役作りとしては、「脚本を何度も読み返すしかなかった」という。 そこからが、さすが“天才子役”。オスメントは脚本を何度も読み返す内に、コールの考え方が理解できるようになっていった。そして撮影時には、スイッチをON・OFFするかのように、コールになったり自分に戻ったりできるようになったという。普段は普通の10歳の少年であるオスメントが、「“あと5分”で本番の声がかかったとたん、コールになりきってしまう」と、ウィリスも感心しきりだった。 因みにウィリスは撮影中、自分が映ってないショットでも、オスメントの見える所に居て、演技しやすいように協力したという。 さて本作は、1999年8月6日にアメリカで公開されると、5週連続で興行成績TOPを記録。全米で300億円、全世界で700億円稼ぎ出す、特大ヒットとなった。 アカデミー賞でも、作品、監督、脚本、助演男優(オスメント)、助演女優(トニー・コレット)、編集の計6部門でノミネート。“ホラー映画”というジャンルとしては、快挙と言える成果を上げた。 ブルース・ウィリスは本作がメガヒットとなったことについて、その第一の理由として、「ハリウッド映画の90%が何らかのかたちで“原作もの”であるなか、『シックス・センス』は完全に“オリジナル”なストーリーである…」ことを挙げている。しかし本作が、“オリジナル”と言い切れるかどうかは、実は微妙なのである。 さてここからは、日本公開版冒頭で謳われた、“ある秘密”に関わる話となってしまう。本作は非常に有名な作品なので、その“ある秘密=オチ”をご存知の方も多いであろうが、もしもまだ知らないのであれば、この後を読み進むのは、本作鑑賞後にした方が良いかも知れない。 『シックス・センス』の“ある秘密”は、ラストで明かされる。それはマルコムが、実は冒頭で腹を撃たれた時に死んでおり、それを本人が気づいていないということ…。 このプロットはシャマラン自身、TVの子ども向けホラー・シリーズから戴いたことを認めている。しかしそれ以上に、『恐怖の足跡』(62)という、それほど有名ではないホラー作品と「そっくり」であることが、指摘されている。 シャマラン作品はこの後暫し、「実は死んでいた」のバリエーションの如く、“ある秘密”が、物語のクライマックスで明かされるパターンが続いていく。「実は“不死身”だった」「実は“宇宙人”の仕業だった」「実は“現代”だった」等々。 どの作品も、「サプライズなオチ」目掛けて、ストーリーが進んでいく。そしてそれぞれが、元ネタと思しき、先行するB級作品を、識者から指摘されるところまで、同じ轍を踏んでいく。 そうこうする内に、段々とその展開に、強引さや無理矢理な部分が目立つようになっていく。やがてシャマランも、方針転換を余儀なくされ、現在に至るわけだが…。 何はともかく、シャマランの“ある秘密”路線の第一弾だった本作『シックス・センス』。その初公開時の衝撃は、当時の観客にとって、凄まじいものであった。それだけは、紛れもない事実である。■ 『シックス・センス』© Buena Vista Pictures Distribution and Spyglass Entertainment Group, LP. All rights reserved.