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COLUMN/コラム2021.10.01
悲壮にして喜劇。コーエン兄弟映画としての完成形『ファーゴ』
◆不器用な誘拐犯罪が誘引するユーモアと暴力 『ブラッド・シンプル』(84)『赤ちゃん泥棒』(87)『ミラーズ・クロッシング』(90)そして『未来は今』(94)など、異彩を放つノワールジャンルやオフビートコメディを監督してきた兄弟監督のジョエル&イーサン・コーエンは、本作『ファーゴ』(96)で会心の傑作をモノにした。この異様なバランス感覚のもとで調律された犯罪サスペンスは、通常の同ジャンルのものとは異なる映画体験を観る者に与える。 車のセールスマン、ジェリー・ランディガード(ウィリアム・H・メイシー)は多額の借金を抱えていた。そこで彼はふたりの誘拐犯(スティーブ・ブシェミ、ピーター・ストーメア)をやとって妻を誘拐し、裕福な義父ウェイド(ハーヴ・プレスネル)に身代金を要求することで問題を解決しようとしたのだ。 ところが彼らの不器用な計画は、すべてが裏目に出てしまう。特に二人が行きがかりでパトロール中の警官と目撃者を殺害したことから、事態は深刻な問題へと発展。それらの殺人事件が妊娠中の女性警察署長マージ・ガンダーソン(フランシス・マクドーマンド)の知るところとなり、優秀な彼女は冷静に解決へと導いていく。 映画は冒頭「本作は1987年にミネソタ州で起こった実話に基づいているが、生存者への希望から名前を変更しており、それ以外は起こったとおりに正確に語られている」というキャプションから始まる。本当はコーエン兄弟がオリジナルにまとめたストーリーで、それは地味に始まる作品にインパクトを与えるためだと二人は証言している。しかしこのハッタリの利いた冒頭文が、観る者の物語に対する構えをもたらし、特別な感情を増幅させるのだ。またクランクインからしばらくの間、キャストにも脚本が史実のアダプトだと思い込ませており、俳優の演技に真実味を持たせることに成功している。 なにより『ファーゴ』は劇中の事態が悪くなっていくにつれ、逆行して映画としての優秀性を放ち始める。派手ではないが、寒気をもよおす悲壮さと呆れるような滑稽さで充ち満ち、コーエン兄弟の演出的意匠や独自の視覚スタイルは、それらを合理的に引き立てていく。監督自身の出身地である北西部北部のノースダコタ州とミネソタ州に焦点を合わせ、独特の土地柄を活かした人間性や生活感をコントラストとし、それがユーモアのひとつとして機能する。特に現地民の発するミネソタ訛りは、映画に妙なリズムの狂いと調子のはずれた雰囲気を醸し出させ、本作独自の濃厚なカラーとなっている。 ◆名匠ロジャー・ディーキンスの撮影スタイル また『ファーゴ』の作品的特徴として、本作のシネマトグラファーであるロジャー・ディーキンス(『ブレードランナー 2049』(17)『1917 命をかけた伝令』(20)で2度の米アカデミー賞撮影賞を受賞)による撮影の取り組みが瞠目に値する。それまではコーエン兄弟のパートナー的存在として、バリー・ソネンフェルドが指導していたが、彼が『アダムス・ファミリー』(91)を機に監督業へと移行し、新たにディーキンスに白羽の矢が立ったのだ。 結果、キャリアの初期は機動性を重視したコーエン兄弟作品のカメラモーションは、スタイルをトーンダウンさせ、より観察的で定点的なアプローチを取る方向へと移行。雪と灰色の空に満ちたワイドショットやロングショットを多用し、長く拡がりが構成された白色のフレームを構築。その他あらゆる視覚テクニックをクリエイティブに使用し、劇中において特定の事象に注意を向けさせる画作りが徹底された。 『ファーゴ』はインデペンデント作品らしい限られた予算の中で、小さなバスルームのセットを除き、ミネソタとノースダコタ州で実際に使われている施設や場所を使って撮影されている。窓から射し込む外光を利用したり、既存の照明を増強するなど撮影は効率的におこなわれ、それが同作のリアルな外観へとつながっている。 ところが1995年の冬におこなわれた屋外撮影では、ここ100年間で2番目に気温の高い暖冬の影響を受け、雪を製造機で偽造する必要に迫られた。他にも氷点下におけるカメラ機材の問題など、ロケならではの困難とも格闘している。 だがその甲斐あって、コーエン兄弟は最初の『ブラッドシンプル』以来、ダークなユーモアと妥協のない凄惨な暴力とを融合させるスタイルに焦点を合わせ、それを本作において見事なまでに確立させた。この感覚は米アカデミー賞作品賞を筆頭に当時の賞レースを総ナメした『ノーカントリー』(07)で認められることとなる。 もちろん『ファーゴ』自体も商業的な成功と評論家の高い評価を得た。第69回米アカデミー賞では最優秀作品賞や最優秀監督賞を含む7つのノミネートを受け、コーエン兄弟はオリジナル脚本賞を、マージを演じたフランシス・マクドーマンドは最優秀女優賞を受賞。そして後年になり、米国の放送映画批評家協会(Broadcast Film Critics Association)が1990年代の最優秀映画を選出する投票をおこなったとき、同作は堂々の第6位に選ばれている。 1位 『シンドラーのリスト』(93 監督/スティーブン・スピルバーグ) 2位 『プライベート・ライアン』(98 監督/スティーブン・スピルバーグ) 3位 『L.A.コンフィデンシャル』(97 監督/カーティス・ハンソン) 4位 『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94 監督/ロバート・ゼメキス) 5位 『グッドフェローズ』(90 監督/マーティン・スコセッシ) 6位 『ファーゴ』(96 監督/ジョエル・コーエン) 7位 『羊たちの沈黙』(91 監督/ジョナサン・デミ) 8位 『ショーシャンクの空に』(94 監督/フランク・ダラボン) 9位 『パルプ・フィクション』(94 監督/クエンティン・タランティーノ) 10位 『許されざる者』(92 監督/クリント・イーストウッド) ◆余波ーテレビドラマ版『ファーゴ』への発展 作品が初公開されてから、すでに25年の月日が経ち、この『ファーゴ』をテレビシリーズで認識している人も多いだろう。 シーズン5まで展開したこのテレビ版『FARGO/ファーゴ』は、68ページの企画用プロットがコーエン兄弟の目にとまり、すぐにエグゼクティブ・プロデューサーとして契約するといったミラクルな経緯を持つ。その出来はジョエルとイーサンが「読んでいて不気味な感じがした」というほど切実なものだったのだ。原案と脚本を手がけたノア・ホーリーは映画と同様、現実に思わせそれを越境した奇異なストーリーを開発したコーエン兄弟に賛辞を惜しまない。「コーエン兄弟は映画のルールにこだわらなかった。だから私たちはテレビ番組のルールにこだわる必要はなかったんだ」(*) 映画版を主旨よく拡張させたバージョンとして、接する機会があれば観てほしい副産物だ。■ 『ファーゴ』© 1996 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2024.12.27
ハリウッド・アクションの金字塔『ダイ・ハード』シリーズの魅力に迫る!
テレビ界の人気者だった俳優ブルース・ウィリスをハリウッド映画界のスーパースターへと押し上げ、25年間に渡って計5本が作られた犯罪アクション『ダイ・ハード』シリーズ。1作目はロサンゼルスにある大企業の本社ビル、2作目は首都ワシントンD.C.の国際空港、3作目は大都会ニューヨークの市街、さらに4作目はアメリカ東海岸全域で5作目はロシアの首都モスクワと、作品ごとに舞台となる場所を変えつつ、「いつも間違った時に間違った場所にいる男」=ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)が、毎回「なんで俺ばかりこんな目に遭わなけりゃならないんだよ!」とぼやきながらも、凶悪かつ狡猾なテロ集団を相手に激しい戦いを繰り広げていく。 1月のザ・シネマでは、新年早々にその『ダイ・ハード』シリーズを一挙放送(※3作目のみ放送なし)。そこで今回は、1作目から順番にシリーズを振り返りつつ、『ダイ・ハード』シリーズが映画ファンから愛され続ける理由について考察してみたい。 <『ダイ・ハード』(1988)> 12月24日、クリスマスイヴのロサンゼルス。ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、別居中の妻ホリー(ボニー・ベデリア)が重役を務める日系企業・ナカトミ商事のオフィスビルを訪れる。仕事優先で家庭を顧みず、妻のキャリアにも理解が乏しい昔気質の男ジョンは、それゆえ夫婦の間に溝を作ってしまっていた。クリスマスを口実に妻との和解を試みるもあえなく撃沈するジョン。すると、ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)率いる武装集団がナカトミ商事のクリスマス・パーティ会場へ乱入し、出席者全員を人質に取ったうえで高層ビル全体を占拠してしまった。 たまたま別室にいて拘束を免れたジョンは、欧州の極左テロ組織を名乗るグルーバーたちの犯行動機がイデオロギーではなく金であることを知り、協力を拒んだタカギ社長(ジェームズ・シゲタ)を射殺する様子を目撃する。このままでは妻ホリーの命も危ない。居ても立ってもいられなくなったジョンは、警察無線で繋がったパトロール警官アル(レジナルド・ヴェルジョンソン)と連絡を取りつつ、敵から奪った武器で反撃を試みる。やがてビルを包囲する警官隊にマスコミに野次馬。周囲が固唾を飲んで状況を見守る中、ジョンはたったひとりでテロ組織を倒して妻を救出することが出来るのか…? ジャパン・マネーが世界経済を席巻したバブル期の世相を背景に、大手日系企業のオフィスビル内で繰り広げられるテロ組織と運の悪い刑事の緊迫した攻防戦。この単純明快なワンシチュエーションの分かりやすさこそ、本作が興行的な成功を収めた最大の理由のひとつであろう。さらに原作小説では3日間の話だったが、映画版では1夜の出来事に短縮することでスピード感も加わった。そのうえで、ビル全体を社会の象徴として捉え、それを破壊することで登場人物たちの素顔や関係性を炙り出していく。シンプルでありながらも中身が濃い。『48時間』(’82)や『コマンドー』(’87)のスティーヴン・E・デ・スーザのソリッドな脚本と、当時『プレデター』(’87)を当てたばかりだったジョン・マクティアナンの軽妙な演出が功を奏している。これをきっかけに、暴走するバスを舞台にした『スピード』(’94)や、洋上に浮かぶ戦艦内部を舞台にした『沈黙の戦艦』(’92)など、本作の影響を受けたワンシチュエーション系アクションが流行ったのも納得だ。 もちろん、主人公ジョン・マクレーン刑事の庶民的で親しみやすいキャラも大きな魅力である。ダーティ・ハリー的なタフガイ・ヒーローではなく、アメリカのどこにでもいる平凡なブルーカラー男性。ことさら志が高かったり勇敢だったりするわけでもなく、それどころか人間的には欠点だらけのダメ男だ。そんな主人公が運悪く事件現場に居合わせたことから、已むに已まれずテロ組織と戦うことになる。観客の共感を得やすい主人公だ。また、そのテロ組織がヨーロッパ系の白人という設定も当時は新鮮だった。なにしろ、’80年代ハリウッド・アクション映画の敵役と言えば、アラブ人のイスラム過激派か南米の麻薬組織というのが定番。もしくは日本のヤクザかニンジャといったところか。そうした中で、厳密には黒人とアジア人が1名ずついるものの、それ以外は主にドイツやフランス出身の白人で、なおかつリーダーはインテリ極左という本作のテロ組織はユニークだった。 ちなみに、本作で「もうひとりの主役」と呼ばれるのが舞台となる高層ビル「ナカトミ・プラザ」。20世紀フォックス(現・20世紀スタジオ)の本社ビルが撮影に使われたことは有名な逸話だ。もともとテキサス辺りで撮影用のビルを探すつもりだったが、しかし準備期間が少ないことから、当時ちょうど完成したばかりだった新しい本社ビルを使うことになった。ビルが建つロサンゼルスのセンチュリー・シティ地区は、同名の巨大ショッピングモールや日本人観光客にもお馴染みのインターコンチネンタル・ホテルなどを擁するビジネス街として有名だが、もとを遡ると周辺一帯が20世紀フォックスの映画撮影所だった。しかし、経営の行き詰まった60年代に土地の大半を売却し、再開発によってロサンゼルス最大級のビジネス街へと生まれ変わったのである。パラマウントやワーナーなどのメジャー他社に比べて、20世紀スタジオの撮影所が小さくてコンパクトなのはそのためだ。 <『ダイ・ハード2』(1990)> あれから1年後のクリスマスイヴ。ジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は出張帰りの妻ホリー(ボニー・ベデリア)を出迎えるため、雪の降り積もるワシントンD.C.の空港へやって来る。空港にはマスコミの取材陣も大勢駆けつけていた。というのも、麻薬密輸の黒幕だった南米某国のエスペランザ将軍(フランコ・ネロ)が、ちょうどこの日にアメリカへ護送されてくるからだ。妻の到着を今か今かと待っているジョンは、貨物室へと忍び込む怪しげな2人組に気付いて追跡したところ銃撃戦になる。実は、反共の英雄でもあったエスペランザ将軍を支持するスチュアート大佐(ウィリアム・サドラー)ら元米陸軍兵グループが、同将軍を救出するべく空港占拠を計画していたのだ。 絶対になにかあるはず。悪い予感のするジョンだったが、しかし空港警察のロレンゾ署長(デニス・フランツ)は全く聞く耳を持たない。やがて空港の管制システムはテロ・グループに乗っ取られ、到着予定の旅客機がいくつも着陸できなくなってしまう。その中にはジョンの妻ホリーの乗った旅客機もあった。乗員乗客を人質に取られ、手も足も出なくなってしまった空港側。敵は必ず近くに隠れているはず。そのアジトを割り出してテロ・グループを一網打尽にしようとするジョンだったが…? 今回の監督は『プリズン』(’87)や『フォード・フェアレーンの冒険』(’90)で高く評価されたフィンランド出身のレニー・ハーリン。特定の空間に舞台を絞ったワンシチュエーションの設定はそのままに、巨大な国際空港とその周辺で物語を展開させることで、前作よりもスペクタクルなスケール感を加味している。偉そうに威張り散らすだけの無能な現場責任者や、特ダネ欲しさのあまり人命を軽視するマスコミなど、権力や権威を揶揄した反骨精神も前作から継承。また、南米から流入するコカインなどの麻薬汚染は、当時のアメリカにとって深刻な社会問題のひとつ。麻薬密輸の黒幕とされるエスペランザ将軍は、恐らく’89年に米海軍特殊部隊によって拘束された南米パナマ共和国の独裁者ノリエガ将軍をモデルにしたのだろう。そうした同時代の世相が、物語の重要なカギとなっているのも前作同様。嫌々ながらテロとの戦いに身を投じるジョン・マクレーン刑事のキャラも含め、監督が代わっても1作目のDNAはしっかりと受け継がれている。ファンが『ダイ・ハード』に何を期待しているのか、製作陣がちゃんと考え抜いた結果なのだろう。 そんな本作の要注目ポイントは管制塔と滑走路のセット。そう、まるで実際に空港の管制塔で撮影したような印象を受けるが、実際は劇中の管制塔もその向こう側に広がる滑走路も、20世紀フォックスの撮影スタジオに建てられたセットだったのである。本物の管制塔は地味で狭くて映画的に見栄えがしないため、もっとスタイリッシュでカッコいいセットを一から作ることに。この実物大の管制塔から見下ろす滑走路はミニチュアで、遠近法を利用することで実物大サイズに見せている。これが、当時としてはハリウッドで前例のないほど巨大なセットとして業界内で話題となり、マーティン・スコセッシをはじめとする映画監督や各メジャー・スタジオの重役たちが見学に訪れたのだそうだ。 <『ダイ・ハード3』(1995年)> ※ザ・シネマでの放送なし 1作目のジョン・マクティアナン監督が復帰したシリーズ第3弾。今回、ザ・シネマでの放送がないため、ここでは簡単にストーリーを振り返るだけに止めたい。 ニューヨークで大規模な爆破テロ事件が発生。サイモンと名乗る正体不明の犯人は、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)を指名して、まるで面白半分としか思えないなぞなぞゲームを仕掛けてくる。しかも、制限時間内に正解を出せなければ、第2・第3の爆破テロが起きてしまう。妻に三下り半を突きつけられたせいで酒に溺れ、警察を停職処分になっていたジョンは、テロリストからニューヨーク市民の安全を守るため、嫌々ながらもなぞなぞゲームに付き合わされることに。さらに、何も知らず善意でジョンの窮地を救った家電修理店の店主ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)までもが、ジョンを助けた罰としてサイモンの命令でゲームに参加させられる。 やがて浮かび上がる犯人の正体。それは、かつてナカトミ・プラザでジョンに倒されたテロ・グループの首謀者、ハンス・グルーバーの兄サイモン・ピーター・グルーバー(ジェレミー・アイアンズ)だった。弟が殺されたことを恨んでの復讐なのか。そう思われた矢先、サイモン率いるテロ組織の隠された本当の目的が明るみとなる…!。 <『ダイ・ハード4.0』(2007)> FBIサイバー対策部の監視システムがハッキングされる事件が発生。これを問題視したFBI副局長ボウマン(クリフ・カーティス)は、全米の名だたるハッカーたちの身柄を拘束し、ワシントンD.C.のFBI本部へ送り届けるよう各捜査機関に通達を出す。その頃、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に過保護ぶりを煙たがられたニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)は、ニュージャージーに住むハッカーの若者マシュー・ファレル(ジャスティン・ロング)をFBI本部へ護送するよう命じられるのだが、そのマシューの自宅アパートで正体不明の武装集団に襲撃される。 武装集団の正体は、サイバー・テロ組織のリーダーであるトーマス・ガブリエル(ティモシー・オリファント)が差し向けた暗殺部隊。FBIをハッキングするため全米中のハッカーを騙して利用したガブリエルは、その証拠隠滅のため遠隔操作の爆弾で用済みになったハッカーたちを次々と爆殺したのだが、マシューひとりだけが罠に引っかからなかったため暗殺部隊を送り込んだのである。そうとは知らぬジョンとマシューは、激しい攻防戦の末にアパートから脱出。命からがらワシントンD.C.へ到着した彼らが目の当たりにしたのは、サイバー・テロによってインフラ機能が完全に麻痺した首都の光景だった。かつて国防総省の保安責任者だったガブリエルは、国の危機管理システムの脆弱性を訴えたが、上司に無視され退職へ追い込まれていた。「これは国のため」だといって自らの犯行を正当化するガブリエル。しかし、彼の本当の目的が金儲けであると気付いたジョンとマシューは、なんとかしてその計画を阻止しようとするのだったが…? 12年ぶりに復活した『ダイ・ハード』第4弾。またもや間違った時に間違った場所にいたジョン・マクレーン刑事が、運悪くテロ組織の破壊工作に巻き込まれてしまう。しかも今回はテクノロジー社会を象徴するようなサイバー・テロ。かつてはファックスすら使いこなせていなかった超アナログ人間のジョンが、成り行きで相棒となったハッカーの若者マシューに「なんだそれ?俺に分かる言葉で説明しろ!」なんてボヤきながらも、昔ながらのアナログ・パワーをフル稼働してテロ組織に立ち向かっていく。9.11以降のアメリカのセキュリティー社会を投影しつつ、果たしてテクノロジーに頼りっきりで本当に良いのだろうか?と疑問を投げかけるストーリー。本格的なデジタル社会の波が押し寄せつつあった’07年当時、これは非常にタイムリーなテーマだったと言えよう。 監督のレン・ワイズマンも脚本家のマーク・ボンバックも、10代の頃に『ダイ・ハード』1作目を見て多大な影響を受けた世代。当時まだ小学生だったマシュー役のジャスティン・ロングは、親から暴力的な映画を禁止されていたため大人になってからテレビでカット版を見たという。そんな次世代のクリエイターたちが中心となって作り上げた本作。ワイズマン監督が最もこだわったのは、「実写で撮れるものは実写で。CGはその補足」ということ。なので、『ワイルド・スピード』シリーズも真っ青な本作の超絶カー・アクションは、そのほとんどが実際に車を壊して撮影されている。劇中で最もインパクト強烈な、車でヘリを撃ち落とすシーンもケーブルを使った実写だ。CGで付け足したのは回転するヘリのプロペラだけ。あとは、車が激突する直前にヘリから飛び降りるスタントマンも別撮りシーンをデジタル合成している。しかし、それ以外は全て本物。中にはミニチュアと実物大セットを使い分けたシーンもある。こうした昔ならではの特殊効果にこだわったリアルなアクションの数々に、ワイズマン監督の『ダイ・ハード』シリーズへの深い愛情が感じられるだろう。 <『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013)> 長いこと音信不通だった息子ジャック(ジェイ・コートニー)がロシアで殺人事件を起こして逮捕されたと知り、娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)に見送られてモスクワへと向かったニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事(B・ウィリス)。ところが、到着した裁判所がテロによって爆破されてしまう。何が何だか分からず混乱するジョン。すると息子ジャックが政治犯コマロフ(セバスチャン・コッホ)を連れて裁判所から逃走し、その後を武装したテロ集団が追跡する。実はCIAのスパイだったジャックは、コマロフを救出する極秘任務を任されていたのだ。ロシアの大物政治家チャガーリンの犯罪の証拠を握っており、チャガーリンを危険視するCIAはコマロフをアメリカへ亡命させる代わりに、その証拠であるファイルを手に入れようと考えていたのである。 そんなこととは露知らぬジョンは、追手のテロ集団を撃退するものの、結果としてジャックの任務を邪魔してしまうことに。ひとまずCIAの隠れ家へ駆け込んだジョンとジャック、コマロフの3人は、アメリカへ亡命するならひとり娘を連れて行きたいというコマロフの意向を汲むことにする。待ち合わせ場所の古いホテルへ到着した3人。ところが、そこで待っていたコマロフの娘イリーナ(ユーリヤ・スニギル)によってコマロフが拉致される。テロ集団はチャガーリンがファイルを握りつぶすために差し向けた傭兵部隊で、イリーナはその協力者だったのだ。敵にファイルを奪われてはならない。コマロフのファイルが隠されているチェルノブイリへ向かうジョンとジャック。実はコマロフはただの政治犯ではなく、かつてチャガーリンと組んでチェルノブイリ原発から濃縮ウランを横流し、それを元手にして財を成したオリガルヒだった。コマロフを救出しようとするマクレーン親子。ところが、現地へ到着した2人は思いがけない事実を知ることになる…! オール・アメリカン・ガイのジョン・マクレーン刑事が、初めてアメリカ国外へ飛び出したシリーズ最終章。『ヒットマン』(’07)や『G.I.ジョー』(’09)のスキップ・ウッズによる脚本は、正直なところもう少し捻りがあっても良かったのではないかと思うが、しかし報道カメラマン出身というジョン・ムーア監督の演出は、前作のレン・ワイズマン監督と同様にリアリズムを重視しており、あくまでも本物にこだわった大規模なアクション・シーンで見せる。中でも、ベラルーシで手に入れたという世界最大の輸送ヘリコプターMi-26の実物を使った空中バトルは迫力満点だ。 なお、当初はモスクワで撮影する予定でロケハンも行ったが、しかし現地での街頭ロケはコストがかかり過ぎるという理由で断念。代替地としてモスクワと街並みのよく似たハンガリーのブダペストが選ばれた。イリーナ役のユーリヤ・スニギルにチャガーリン役のセルゲイ・コルスニコフと、ロシアの有名な俳優が出演している本作だが、しかしジョンがロシア人を小バカにするシーンなど、決してロシアに対して好意的な内容ではないことから、現地では少なからず批判に晒されたようだ。実際、ムーア監督がイメージしたのはソヴィエト時代そのままの「陰鬱で荒涼とした」モスクワ。明るくて華やかで賑やかな現実の大都会モスクワとは別物として見た方がいいだろう。 <『ダイ・ハード』シリーズが愛される理由とは?> これはもう、主人公ジョン・マクレーン刑事と演じる俳優ブルース・ウィリスの魅力に尽きるとしか言いようがないであろう。ことさら勇敢なわけでもなければ正義感が強いわけでもない、ぶっちゃけ出世の野心もなければ向上心だってない、愛する家族や友人さえ傍にいてくれればいいという、文字通りどこにでもいる平々凡々とした昔ながらの善良なアメリカ人男性。刑事としての責任感や倫理観は強いものの、しかしその一方で権威や組織に対しては強い不信感を持っており、たとえお偉いさんが相手だろうと一切忖度などしない。そんな反骨精神あふれる庶民派の一匹狼ジョン・マクレーン刑事が、いつも運悪く面倒な事態に巻き込まれてしまい、已むに已まれずテロリスト集団と戦わざるを得なくなる。しかも、人並外れて強いというわけでもないため、最後はいつもボロボロ。このジョン・マクレーン刑事のヒーローらしからぬ弱さ、フツーっぽさ、親しみやすさに、観客は思わず同情&共感するのである。 加えて、もはや演技なのか素なのか分からないほど、役柄と一体化したブルース・ウィリスの人間味たっぷりな芝居も素晴らしい。もともとテレビ・シリーズ『こちらブル―ムーン探偵社』(‘85~’89)の私立探偵デイヴ・アディスン役でブレイクしたウィリス。お喋りでいい加減でだらしがなくて、特にこれといって優秀なわけでも強いわけでもないけど、しかしなぜだか愛さずにはいられないポンコツ・ヒーロー。そんなデイヴ役の延長線上にありつつ、そこへ労働者階級的な男臭さを加味したのがジョン・マクレーン刑事だと言えよう。まさにこれ以上ないほどの適役。当初候補に挙がっていたシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーでは、恐らく第二のランボー、第二のコマンドーで終わってしまったはずだ。 もちろん、重くなり過ぎない軽妙洒脱な語り口やリアリズムを追究したハードなアクション、最前線の苦労を知らない無能で横柄な権力者やマスコミへの痛烈な風刺精神、同時代の世相を巧みにストーリーへ織り込んだ社会性など、1作目でジョン・マクティアナンが打ち出した『ダイ・ハード』らしさを確実に継承した、歴代フィルムメーカーたちの職人技的な演出も高く評価されるべきだろう。彼らはみんな、『ダイ・ハード』ファンがシリーズに何を望んでいるのかを踏まえ、自らの作家的野心よりもファンのニーズに重きを置いて映画を作り上げた。これぞプロの仕事である。 その後、ブルース・ウィリス自身は6作目に意欲を示していたと伝えられるが、しかし高次脳機能障害の一種である失語症を発症したことから’22年に俳優業を引退。おのずと『ダイ・ハード』シリーズにも幕が降ろされることとなった。■ 「ダイ・ハード」© 1988 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード2」© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード4.0」© 2007 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.「ダイ・ハード/ラスト・デイ」© 2013 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2025.12.04
孤独な現代人へのメッセージも込められた古典的名作の見事なアップデート『LIFE!/ライフ』
原作小説を大胆に翻案した’47年版 1939年に雑誌「ザ・ニューヨーカー」に掲載された作家ジェームズ・サーバーの小説「ウォルター・ミティの秘密の生活」。平凡な日常生活を淡々と送る平凡で冴えない男性ウォルター・ミティが、毎週恒例である妻の美容院と買い物に付き合って出かけたところ、その道すがら自らの英雄的な活躍を妄想した5つの白日夢を見る。ある時は猛烈な嵐に立ち向かう海軍飛行艇のパイロット、ある時は困難な手術を華麗にこなす天才的な外科医、そしてある時は命がけの秘密工作に挑む英国軍兵士。そこから浮かび上がるのは、地味で控えめで温厚なため周囲から過小評価され、かといって大胆な行動を取るような勇気も度胸もなく、白日夢という束の間の現実逃避に救いを見出すしかない凡人の姿である。 恐らく、世の中に彼のような夢想家は決して少なくないはず。むしろ、誰しも心の中に「小さなウォルター・ミティ」を抱えているのではないだろうか。そんな普遍的ストーリーが多くの読者の共感を呼んだのか、たったの2ページ半にしか過ぎない短編小説「ウォルター・ミティの秘密の生活」は大変な評判となり、これまでに2度もハリウッドで映画化されている。それが当時の日本人からも熱愛された喜劇王ダニー・ケイの主演作『虹を掴む男』(’47)と、ベン・スティラーが監督と主演を兼ねた本作『LIFE!/ライフ』(’13)である。 まずは最初の映画化である『虹を掴む男』について振り返ってみよう。ダニー・ケイ扮するウォルター・ミティは、ニューヨークの出版社に勤務するしがないサラリーマン。パルプ小説雑誌の編集部で真面目に働くウォルターだが、しかし過干渉で口うるさい母親には小言ばかり言われ、自己中な社長には自分の企画やアイディアを片っ端から盗まれ、我儘な婚約者とその母親には都合よくこき使われ、幼馴染のガキ大将にはいまだ小バカにされている。日頃からウォルターの尊厳を土足で踏みつけておきながら、しかしその自覚が全くない周囲の人々。なぜなら、気が弱くてお人好しなウォルターが怒りもしなければ反論もせず、それどころか自分を卑下して相手に従ってしまうため、むしろ彼らは無能で頼りないウォルターを自分たちが助けてやっている、親切にしてあげていると勘違いしているのだ。 いつも周囲から軽んじられ不満を溜めたウォルター。そんな彼にとって唯一のストレス解消が「白日夢」である。ある時は大海原の激流に立ち向かう勇敢な船長、ある時は患者の病気だけでなく医療機器の不具合まで直してしまう天才外科医、ある時は詐欺師どもをコテンパンにやっつける西部の天才ギャンブラーなど、まるで自分が編集しているパルプ雑誌の小説に出てくるような無敵のヒーローになってブロンド美女を救う様子を夢想するウォルター。そんなある日、通勤列車の中で白日夢に出てくる美女と瓜二つの女性ロザリンド(ヴァージニア・メイヨ)と出くわした彼は、やがて行方不明になったオランダ王室の秘宝を巡る陰謀事件へと巻き込まれ、愛するロザリンドを救うため暗殺者の執拗な追跡をかわしながら、秘宝の隠し場所を記した黒い手帳を探して大冒険を繰り広げていく。 ヒーロー願望を抱えた地味で目立たない夢想家の凡人という主人公ウォルターの基本設定を踏襲しつつ、原作とは似ても似つかないストーリーに仕上がった『虹を掴む男』。アクションありサスペンスありロマンスあり、さらにはミュージカルにファンタジーにドタバタ・コメディもありという大盤振る舞い。この大胆すぎる脚色は製作を手掛けた大物プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンの意向を汲んだものだったとされる。怒り心頭の原作者サーバーからは猛抗議を食らったそうだが、しかしテクニカラーの鮮やかな色彩で描かれる愉快で賑やかな大冒険は、これぞまさしく古き良きハリウッド・エンターテインメントの醍醐味。臆病者で気の弱いウォルターが、奇想天外な事件に巻き込まれて右往左往する中で意外にも英雄的な力を発揮し、数々の困難を乗り越えることで自信をつけていくという負け犬の成長譚を通して、勇気をもって一歩踏み出せば誰だってヒーローになれる!という前向きなメッセージを込めた筋書きも実に後味が良い。名作と呼ばれるに相応しい映画と言えよう。 21世紀の現代版は原作小説よりもその映画版に近い? そんなウォルター・ミティの物語を再び映画化すべく動き出したのが、『虹を掴む男』のプロデューサーだったサミュエル・ゴールドウィンの息子サミュエル・ゴールドウィン・ジュニア。企画自体は’94年頃からあったらしく、当初はウォルター役にジム・キャリー、監督はロン・ハワードという顔合せだったという。しかしプロデューサー陣の満足するような脚本がなかなか出来ず、業界用語で開発地獄(Development Hell)と呼ばれる長期間の難産状態に陥ってしまった。 ようやくスティーヴン・コンラッドの書いた脚本でゴーサインの出たのが’10年のこと。企画立ち上げから実に15年以上が経っていた。その間に映画会社重役からプロデューサーに転身したゴールドウィン・ジュニアの息子ジョン・ゴールドウィン(つまりサミュエル・ゴールドウィンの孫)が製作陣に加わり、オーウェン・ウィルソンやマイク・マイヤーズ、サシャ・バロン・コーエンなどがウォルター役の候補に挙がっては消え、スティーヴン・スピルバーグやチャック・ラッセル、マーク・ウォーターズなどが監督候補として企画に関わったが、しかし最終的にベン・スティラーが主演と監督を兼ねることで落ち着く。こうして作られたのが本作『LIFE!/ライフ』だったのである。 ◆『LIFE!/ライフ』撮影中のベン・スティラー(中央) 今回の主人公ウォルター・ミティ(ベン・スティラー)は、世界的に有名な老舗フォトグラフ誌「ライフ」の写真管理責任者。仕事に関しては真面目で有能な完璧主義のプロフェッショナルだが、その一方で性格は几帳面かつ保守的で冒険や変化を好まず、それゆえ職場でも地味で目立たない存在だ。1ヶ月前に入社したシングル・マザー女性シェリル(クリスティン・ウィグ)に淡い恋心を抱いているが、しかし一緒の職場に居ながら話しかける勇気さえない。毎日同じことを繰り返す平凡で退屈な人生。かつてはモヒカン刈りでスケボーが大好きな腕白少年だったが、早くに父親と死別したことから母親(シャーリー・マクレーン)を支えるため働き続け、そのため外の世界を見に行くような余裕すら持てなかった。なので、シェリルと接点を持ちたいと考えて入会した出会い系サイトでも、プロフィールに書けるようなエピソードは全くなし。そんなウォルターにとって唯一の現実逃避は、勇敢なヒーローとなって大活躍する自分の姿を思い描くこと。空想の中だけでは理想の自分になれるのだ。 そんな折に「ライフ」誌の休刊が発表され、オンラインへの移行に伴って大掛かりな人員整理が行われることとなる。事業再編のため外部から送り込まれた新たなボス、テッド(アダム・スコット)は、「ライフ」誌の果たしてきた役割もその文化的な価値も全く理解していない杓子定規なビジネスマン。誰がクビを切られてもおかしくない。社員一同が戦々恐々とする中で進められる最終号の準備。その表紙を飾る写真を担当するのは、「ライフ」誌の看板フォトジャーナリストである冒険家ショーン・オコンネル(ショーン・ペン)である。ウォルターのもとにはショーンから大量の写真ネガと、ウォルターの長年の堅実な働きぶりに対する感謝の手紙、そしてささやかな贈り物として革財布が届けられるのだが、しかし最終号の表紙に使うよう指示された25番のネガだけがどこにも見当たらなかった。 いったい肝心の25番はどこにあるのか?テッドからは真っ先に表紙写真を見せるように催促されているウォルター。とにかく、ショーンと連絡を取ってネガの行方を突き止めなくてはならないが、しかし写真撮影のため世界中を飛び回っている彼の居場所を掴むのは至難の業。想いを寄せるシェリルから外の世界へ一歩踏み出すよう背中を押されたウォルターは、僅かな手がかりをもとにショーンを追いかけてグリーンランドからアイスランド、アフガニスタンへと渡り、ヘリから北海へジャンプしてサメと格闘したり、火山の大噴火から決死の脱出を試みたりと、ちょっとあり得ないような大冒険を繰り広げていくことになる。 『虹を掴む男』と同じく、ジェームズ・サーバーの原作とは大きく異なる内容となったベン・スティラーの『LIFE!/ライフ』。むしろ、アクションやサスペンスをふんだんに盛り込んだ娯楽性の高さや、主人公ウォルターが実際に平凡な日常を飛び出して奇想天外な冒険を繰り広げ、その数奇な体験を通して逞しい人間へと成長するという展開は、どちらかというと『虹を掴む男』のストーリーに近いと言えよう。ウォルターの職場が出版社というのも同じ。そういう意味で、本作は短編小説「ウォルター・ミティの秘密の生活」の2度目の映画化というより、『虹を掴む男』のリメイクと呼ぶ方が相応しいかもしれない。 全体を通して21世紀の世相を巧いこと取り込んだ脚本だと思うが、中でも特に良かったのがウォルターの勤務先を「ライフ」誌という実在の雑誌編集部に設定したことであろう。インターネットの普及に伴う出版不況によって、’07年に惜しまれつつ休刊した老舗のフォトグラフ雑誌「ライフ」。そこで屋根の下の力持ちとも言うべき写真管理を任され、たとえ目立つことのない地味な仕事であっても、コツコツと真面目に職務をこなしてきたウォルター。これは、臆病で控えめで自己肯定感の低い平凡な男性が、自分の殻を打ち破って自尊心を取り戻す物語であると同時に、テクノロジーの目覚ましい発達によって何もかもが合理化され、急速に変化する社会で上手く立ち回った人間ばかりが得をする現代にあって、ウォルターのように不器用でも目立たない存在でも、勤勉で慎ましくて思いやりのある誠実な人間こそが真のヒーローと呼べるのではないか?と見る者に問いかける。つまり、この社会を構成する我々ひとりひとりが既にヒーローなのだ。それを象徴するのが、最終号の表紙を飾るショーンの撮った写真。このように同時代の世相を通して人間の有り様を考察する視点の面白さと奥深さこそが、本作と『虹を掴む男』の最も大きな違いと言えよう。 加えて、劇中で何度も登場する「ライフ」誌のスローガンにも要注目。「世界を見よう、危険でも立ち向かおう、壁の裏側をのぞこう、もっと近づこう、お互いを知ろう、そして感じよう、それが人生(ライフ)の目的だから」。これは、今までの人生で一度も遠くへ行ったことがなかった、冒険をしたことがなかった、他者と深くつながったことのなかった主人公ウォルターへのメッセージであると同時に、インターネットの発達によって人間同士の関係性が希薄になった21世紀の現代に生きる人々全てへ向けたメッセージでもある。そうやって考えると、90年近く前に書かれた小説、80年以上前に作られたその映画版をベースにしつつ、見事なくらいに現代性を纏った作品と言えるだろう。実に良く出来た古典のアップデートである。 もちろん、最先端のCG技術をフル稼働して描かれるウォルターの奇想天外な白日夢も大きな見どころ。アナログゆえ映像表現に限界のあった『虹を掴む男』の空想シーンと違って、デジタルを駆使した本作のそれには限界が全くない。文字通り何でもアリの異世界アドベンチャーが縦横無尽に展開する。また、映画の冒頭は無機質で整然としたモノトーンの映像で統一され、カメラもほとんど動くことがないのだが、しかしウォルターが外の世界へ踏み出すと同時にカメラも大胆に動き始め、色彩も次第に豊かとなっていく。この主人公の心理的な変化に合わせた演出スタイルの使い分けも面白く、その細部まで計算されたベン・スティラー監督の洗練された映像技法にも感心する。劇場公開時には批評家から高く評価され、興行的にも大成功を収めた本作だが、しかしアカデミー賞など賞レースで殆ど無視されてしまったのは惜しまれる。■ 『LIFE!/ライフ』© 2013 Twentieth Century Fox Film Corporation and TSG Entertainment Finance LLC. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2022.09.05
平凡な兵士の勇気と戦場の悪夢を全編ノンストップで描いた戦争映画大作『1917 命をかけた伝令』
サム・メンデス監督の祖父の記憶をヒントに生まれたストーリー 処女作『アメリカン・ビューティ』(’99)がオスカーの作品賞や監督賞など主要5部門を独占し、以降も『ロード・トゥ・パーディション』(’02)や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(’08)などで賞レースを賑わせた名匠サム・メンデス。さらに、『007 スカイフォール』(’12)に『007 スペクター』(’15)と、立て続けに2本のジェームズ・ボンド映画をメガヒットさせたわけだが、しかしそれっきり撮りたいと思うような作品がなくなったという。どの脚本を読んでも、いまひとつ気に入らなかったメンデス監督。そんな折、プロデューサーのピッパ・ハリスから「それなら自分で脚本を書いてみたら?」と勧められ、真っ先に思い浮かんだのが、子供の頃より祖父から聞いていた第一次世界大戦の思い出話だったという。 サム・メンデス監督の祖父とは、トリニダード・トバゴ出身の作家アルフレッド・ヒューバート・メンデス。15歳でイギリスへ渡って教育を受けた祖父アルフレッドは、1917年に19歳で第一次世界大戦へ出征し、キングス・ロイヤル・ライフル連隊の第1大隊に配属されている。その任務は各指揮所に指示を伝える伝令役。身長163センチと非常に小柄だったため、敵に見つかることなく無人地帯を駆け抜けることが出来たらしい。その当時の様々な思い出話を、祖父の膝の上で聞いて育ったというメンデス監督。いずれは映画化したいと考えていたそうだが、今まさにそのタイミングが訪れたというわけだ。 ただし、それまで映画の脚本を手掛けたことがなかった彼は、自身が製作総指揮を務めたテレビシリーズ『ペニー・ドレッドフル 〜ナイトメア 血塗られた秘密〜』(‘14~’16)のスタッフライターだったクリスティ・ウィルソン=ケアンズに執筆協力を依頼。早くから彼女の才能を高く買っていたメンデスは、それまでにも幾度となく共同プロジェクトを準備していたが、しかし実現にまで至ったのは本作が初めてだった。メンデスが祖父から聞いた逸話の断片と、クリスティが膨大な資料の中から選んだ複数のエピソードを繋ぎ合わせ、ひとつの脚本にまとめあげたという。それがアカデミー賞10部門にノミネートされ、撮影賞など3部門に輝いた戦争映画『1917 命をかけた伝令』だった。 仲間の命を救うため戦場を駆け抜けた若者たち 時は1917年4月6日。フランスの西部戦線ではドイツ軍が後退し、連合国軍はこの機に乗じて総攻撃を仕掛けるつもりだったが、しかしこれはドイツ軍による巧妙な罠だった。航空写真によって、敵が秘かに待ち伏せしていることを確認したイギリス陸軍。明朝に突撃する予定のデヴォンシャー連隊第2大隊に一刻も早く伝えねばならないが、しかし肝心の電話線がドイツ軍によって切断されていた。そこで指揮官のエリンモア将軍(コリン・ファース)は、14.5キロ先の第2大隊へ伝令役を派遣することを決める。 この大役を任せられたのが若き下士官のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)。実際に指名されたのは、兄ジョセフ(リチャード・マッデン)が第2大隊に所属するブレイクで、スコフィールドは彼の親友であることから同行することになった。第2大隊の指揮官マッケンジー中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)に作戦中止の命令を伝え、兵士1600名の命を救わねばならない。タイムリミットは明朝。そこかしこに遺体の散らばった無人地帯を乗り越え、いつどこで敵兵と遭遇するか分からない戦場を突き進むスコフィールドとブレイク。だが、そんな彼らの前に次々と過酷な試練や困難が待ち受ける…。 味方の部隊に重大な指令を伝えるため、2人の若い兵士が命がけで戦場を駆け抜けるという極めてシンプルなプロット。そんな彼らが行く先々で目の当たりにする光景や、敵味方を含めた人々との遭遇を通じて、あまりにも不条理であまりにも残酷な戦争の現実が、まるで悪夢のように描かれていく。ストーリーそのものはフィクションだが、そこに散りばめられた逸話の数々は、メンデス監督の祖父をはじめとする当事者たちの実体験に基づいているのだ。 第二次世界大戦に比べると、映画の題材となることの少ない第一次世界大戦。その理由のひとつは恐らく、悪の権化たるナチスや大日本帝国を倒すという人類共通の大義名分があった第二次世界大戦に対して、第一次世界大戦にはそうした純然たる悪が存在しなかったからなのだろう。しかし見方を変えれば、だからこそ戦争の愚かさがよりハッキリと浮き彫りになる。要するに、未来ある若者を戦地へ送り込んだ各国リーダーの罪深さ、それこそが第一次世界大戦における本質的な悪だったとも言えるのだ。 それゆえ、本作では敵のドイツ軍兵士も残虐非道な悪人などではなく、放り込まれた戦場での殺し合いに右往左往し、直面する死に恐れおののく平凡な人間として描かれる。「自分がたまたまイギリス人だから主人公も英国兵だけれど、実際はどこの国の兵士が主人公でも通用する物語だ」というメンデス監督。きっとイギリスだけではなく、ドイツにもフランスにもロシアにも、彼らのように仲間を救うため命をかける兵士たちがいたに違いない。この時代も国境も越えた揺るぎない普遍性こそが、この映画に備わった真の強みなのであろう。 細部まで計算し尽くされた疑似ワンカット演出 劇場公開時には、全編ワンカットの臨場感あふれる映像が大きな話題となった本作。観客に戦争を追体験させることで、人類の負の歴史を次世代へ語り継ぎたいと考えたメンデス監督と製作陣。そのために最も有効な手法と考えられたのが、カメラが最初から最後まで切れ目なく主人公と一緒に戦場を疾走するワンカット演出だったのである。ただし、実際は複数の長回しショットをつなぎ目が分からないように編集した疑似ワンカット。例えば、ドイツ軍塹壕の室内はスタジオセットだが、実は出口の直前で屋外セットのロケ映像に切り替わっている。また、スコフィールドが川へ飛び込んでからの映像も、激流に呑み込まれるシーンはラフティング施設で撮影されているが、滝に落ちてから先はティーズ川でロケされている(ちなみにロケ地は全てイギリス国内)。 とはいえ、シークエンスによっては10分~20分もノンストップでカメラを回さねばならず、なおかつ被写体を後ろから追ったかと思えば前方に回ったり、クロースアップのため接近したかと思えば引きのロングショットで背景を捉えたりと、カメラワークも流動的で非常に複雑。そればかりか、クレーンショットにステディカムショット、ジープやバイクを使った移動ショットなど、ひとつのシークエンスで幾つものカメラ技法を駆使している。そのため、撮影に際しては一連のカメラや役者の動きを具体的に細かく指示した図面を作成。それを基に入念なリハーサルを繰り返したという。 さらに、リハーサルでは移動やセリフにかかる時間も細かく記録し、それに合わせてセットの寸法サイズなどを決定。例えば冒頭の塹壕シーン。まずは何もない平地で役者とカメラを動かして何度もリハーサルを行い、シークエンス全体に必要な通路の長さや避難壕の広さを計算している。その際、ハプニングが起きる場所ごとに立ち位置をマーキング。それらの記録をベースにして、塹壕セットを建設したのだそうだ。もちろん、果樹園と農家のセットなども同様の方法で建設。そう、まるで100年以上もそこに建っているかのような生活感の漂う農家も、実は本作の撮影のため更地に作られたセットだったのである。 このようにして、まるで観客自身がその場に居合わせているような、臨場感と没入感のある映像を作り上げていったサム・メンデスと撮影監督のロジャー・ディーキンス。ただ、この手法には大きな弊害もあった。照明を使えなかったのである。なにしろ、カメラは絶え間なく移動しているうえ、縦横無尽に向きを変えるため、現場に余計な機材を置くとカメラに映り込んでしまう。それでも屋外シーンでは自然光を使えるが、問題は室内シーンと夜間シーンである。そのため、ドイツ軍塹壕の室内では懐中電灯を照明代わりに使用。また、戦火に見舞われた町エクーストを舞台にした夜間シーンでは、燃え盛る教会の炎(実は巨大照明が仕込まれている)と照明弾が暗闇を明るく照らしている。 このエク―ストの巨大セットがまた素晴らしい出来栄え!もともとは破壊される前の街並みを丸ごとセットとして建設。それを撮影のためにわざわざ壊したのだそうだ。なんとも贅沢な話である。しかも、ただ照明弾を打ち上げてセットを照らすのではなく、俳優やカメラの動きと調和するようにタイミングを計算して発射。その甲斐あって、まるで夢とも現実ともつかぬ幻想的で神秘的なシーンに仕上がっている。 さらに本作は、主人公スコフィールドとブレイクのキャスティングも良かった。観客がすんなりと感情移入できるよう、メンデス監督はあえて一般的な知名度の低い若手俳優を起用。スコフィールド役のジョージ・マッケイにブレイク役のディーン=チャールズ・チャップマンと、どちらも子役時代から活躍している優れた役者だが、しかし本作以前は決してメジャーな存在とは言えなかった。中でも、古風な顔立ちと素朴な佇まいのマッケイは、100年前の若者を演じるにはピッタリ。繊細で内向的な個性と少年のように無垢な表情が、ナイーブで実直なスコフィールドの苦悩と哀しみと勇気を見事に体現している。一方のチャップマンも鬼気迫るような大熱演を披露。ブレイクがドイツ兵に腹を刺され、段々と血の気が引いて顔が青ざめていくシーンは、メイクでも加工でもなく純然たる演技だというのだから驚く。 かくして、全編ワンカットという映像的な技巧に甘んずることも頼ることもなく、悪夢のような戦争の記憶を未来へと語り継ぐ力強い反戦映画を作り上げたサム・メンデス監督。’22年12月に全米封切り予定の次回作『Empire of Light』(’22)は、’80年代を舞台にした恋愛映画とのことだが、初めて単独でオリジナル脚本を手掛けているのは、恐らくこの『1917 命をかけた伝令』で培った経験と自信あってこそなのだろう。■ 『1917 命をかけた伝令』© 2019 Storyteller Distribution Co., LLC and NR 1917 Film Holdings LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2014.08.21
『スペースバンパイア』〜マチルダ・メイのまばゆい全裸と英国風SF怪奇映画へのいざない!
ハレー彗星探査に向かった米英共同の探索船チャーチル号が宇宙を往く映像に、ヘンリー・マンシーニ作曲の豪快なテーマが高らかに鳴り響き、それを観ているだけで思わず気分が高揚してくる。そしてハレー彗星と共に現れた謎の巨大宇宙船(原作では80㎞超だとか。映画版ではそれ以上か!)の外観はまるで精子のよう。その開口部から侵入していくと女性器を彷彿させるような襞が見えるし、更に侵入してゆくと蝙蝠に似たようなエイリアンの死骸が多数漂い、しかも炭化している。更にその深奥には、人間と同じ姿をした女一人、男性二人が全裸状態で透明カプセルに入れられていた(原作では、女二人、男一人だった)。 ここで登場する全裸の女(役名は、スペースガール)に扮するのがフランス出身のマチルダ・メイ。後にセザール賞新人賞を受賞した『ふくろうの叫び』(87)をはじめ、『ネイキッド・タンゴ』(90)、『コレット・水瓶座の女』(91)、『おっぱいとお月さま』(94)等で国際的に活躍し、シンガーソングライターとしてCDも発表する才媛だが、やはり極めつけは『スペバン』なのだ。 欧州宇宙研究センターに収容された彼女が覚醒してからは、魔性の女を見るように見惚れっぱなし。丸みをおびたおっぱい、キュッとくびれた腰、均整のとれた肢体……なんともそそらせるような肢体を惜しげもなくさらし、男たちを魅了しては精気を吸い取り、センター内を歩き回る。あの艶めかしい視線にちょっと厚めのセクシーな下唇、そしてむしゃぶりつきたくなるような白い柔肌の躰で迫られたら、もうどうなってもいいと思うのは自滅の理か(?)……ウ~ン、たまらないっす。なっ、なんか変態じみたSFホラー映画のように思えてくるが、決してそんなことはない。彼女がひび割れたガラスが多数散乱する上を裸足で平然と歩く姿にも、思わずゾクゾクッとするし……やはり少々変態っぽい描写に心がうずく。 ある一定の時間内に他者から精気を吸収しないと、飢餓の果てに炭化死するらしい(このあたりも吸血鬼っぽい表現だろうか)。巨大な宇宙船内で干からびて死んでいた蝙蝠型エイリアンの残骸は、この全裸3人に精気を吸い取られたのか、或いは飢餓の果てに干からびて死んだものと解釈できる。 吸血鬼映画の吸血行為(咬みつき行為)はセックスのメタファーだが、その変種である本作の吸精鬼にも、相手を虜にするほどの妖しげな目力と接吻する口から精気を吸い取る様は、まさにセックスのメタファーそのもの。そのあたりはしっかと受け継がれている。 しかも女吸精鬼に精気を吸い取られた者が一気に痩せこけてミイラ化するあたりの特殊効果にも、それがうかがえると思う。今観れば造り物感はあるがとても素晴らしいエフェクツで、前向きな解釈(フォロー)をするなら、セックスにとり憑かれた者たちの行く末、すなわち骨と皮同然の屍人形になるたとえか。 主人公はチャーチル号のカールセン船長で、『ヘルター・スケルター』(76)でチャールズ・マンソンを、『エド・ゲイン』(00)で猟奇殺人鬼ゲインを怪演した個性派俳優スティーヴ・レイルズバック。マチルダ・メイ扮する女吸精鬼の恐ろしさを感じ取ったカールセンは、チャーチル号もろとも焼き尽くそうとしたが、そう上手くはいかなかった。 カールセンは、吸精鬼3人が地球に連れてこられて復活したとは露知らず、乗り込んだ脱出ポッドがテキサス州で発見されて助けられる。テキサスはレイルズバックだけでなく、監督トビー・フーパーの出身地でもあり、監督の出世作『悪魔のいけにえ』(73)の忌わしき舞台でもある。ファンなら思わずニヤリとするところだが、本作の主舞台は、あくまで怪奇映画の本場イギリスだ。撮影もイギリスのパインウッド・スタジオで、撮影カメラマンも英国製怪奇映画を数多く製作してきたアミカス・プロの『テラー博士の恐怖』(64)や『呪われた墓』(73)、ハマー・フィルムの『吸血鬼の接吻』(63)を手がけてきた名手アラン・ヒューム。レイルズバック以外の主要俳優のほとんどが、イギリス出身の舞台経験豊富な俳優陣で固めている。このテのジャンルに敏感な方なら、どことなくアメリカ製ホラーとは異質な空気をすぐに感じ取ったはず。 マチルダ・メイのあまりにあけっぴろげな全裸も淫らだったが、SFスリラー映画の雰囲気を醸し出しながらも、女吸精鬼がボディスナッチ(肉体強奪)するあたりから英国製怪奇映画らしい、いかがわしさが強くなる。とりわけカールセンが精神病患者を入れておく独居房で、精神病院のアームストロング院長を詰問しはじめるシークエンスが見もの。アームストロングに扮するのは、渋さが光る禿げ頭のパトリック・スチュアート(まだ『新スター・トレック』でジャン・リュック・ピカード艦長を演じる2年前だ!)。カールセンは、アームストロングの声が突然女吸精鬼(マチルダ)の声に変わったことで動揺し、その姿も彼女の姿にダブッて見えはじめ、思わず彼女の瞳に魅せられてゆく。あげくにアームストロングにブチューッと接吻! はたから見れば、まさに男同士のキスなわけ(笑)。ただし、101分の劇場公開版ではこの接吻部分はカットされているが、116分のディレクターズカット版では観ることができる(さて今回はどちらを放送?)。でもこの部分がある無しで、作品の魅力が大きく変わることはないので安心を(ただ筆者としては大好きな場面なものでして)。 『スペバン』は、全裸のセクシー美女、死を研究する博士、陰湿な精神科病院などが絡んで、終いにはスケールがどんどん膨らんで、暗く沈んだ怪奇ムードが強くなってくる。吸血鬼退治をするかのような意味深な「鉄の十字剣」を登場させたり、カールセンと女吸精鬼が対峙する舞台が「教会の地下室」であるとか、まるでSFの形を借りた英国製怪奇映画を踏襲しているかのよう。 しかもクライマックスのロンドンでは、吸精鬼になったゾンビのような人間が溢れだし、次々と人間に襲いかかっては精気を吸い取り、無数の青白い精気が渦巻きながら宙を流れ出し、宇宙に浮かぶ巨大宇宙船へとどんどん吸い込まれてゆく。死屍累々と化した惨状によりロンドンは混沌としていて、まさにこの世の終わりを告げている感じ。それを観て想起したのが、火星人の霊魂(残留思念)がロンドンを荒廃させる、ハマー・フィルムのSF怪奇映画『火星人地球大襲撃』(67)だった。 劇場公開時は、マチルダ・メイの全裸シーンとミイラ化してゆく特殊効果シーンばかりが取り沙汰されたが、次作『スペースインベーダー』(86)が古典SF『惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!』(53)のリメイクだったことを考えれば、ジャンル系映画のファンであるフーパーが本作で英国風怪奇映画をやりたかったことが見えてくる。 『スペバン』の後半部は原作小説と大きく異なり、恐怖を乗り超えたカールセンと、彼を待ち望んだ女吸精鬼の切ないラヴロマンス色をも盛り込んで、ただただ圧倒される結末を迎える。それはカールセンにとって複雑な感情が入り混じった、なんともいいようのないものだった。 フーパー監督に直接会った時、『スペバン』がアメリカでヒットしなかった要因の一つに、どんな映画なのかイメージしにくいアメリカ版ポスターにあったと言っていた。ストレートでクールな日本版のイラスト・ポスターを大変気に入っていて、自分のオフィスにそれを飾っていると語ってくれた。『スペバン』は一般的には評価されないかもしれないが、熱狂的なマニアを獲得したSF怪奇映画の傑作だと思う。■ LIFEFORCE © 1985 EASEDRAM LIMITED. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2025.03.06
現代の巨匠イーストウッドが、実在の英雄を通して捉えた“イラク戦争”『アメリカン・スナイパー』
クリス・カイル、1974年生まれのテキサス州出身。8歳の時に、初めての銃を父親からプレゼントされて、ハンティングを行った。 カウボーイに憧れて育ち、ロデオに勤しんだが、やがて軍入りを希望。ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が、国際テロ組織アルカーイダが関与する自爆テロで攻撃されるなど、祖国が外敵から攻撃されていることに触発されて、アメリカ海軍の特殊部隊“ネイビー・シールズ”を志願した。 2003年にイラク戦争が始まると、09年に除隊するまで4回、イラクへ派遣された。そこでは主に“スナイパ-”として活躍し、166人の敵を射殺。これは米軍の公式記録として、最多と言われる。 味方からは「レジェンド〜伝説の狙撃手」と賞賛されたカイルは、イラクの反政府武装勢力からは、「ラマディの悪魔」と恐れられ憎悪された。そしてその首には、賞金が掛けられた。 4度ものイラク行きは、カイルの心身を蝕み、精神科医からPTSDの診断を受けた。カイルは民間軍事支援会社を起こし、それと同時に、自分と同じような境遇に居る帰還兵たちのサポートに取り組んだ。彼らを救うことが、自分自身の癒やしにもなると考えたのである。 兵士は銃に愛着があるため、それがセラピーになる場合がある。カイルは帰還兵に同行して牧場に行き、射撃を行ったり、話を聞いたりした…。 こうした歩みをカイル本人が、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリスと共に著した“自伝”は、2012年に出版。100万部を超えるベストセラーとなった。 脚本家のジェイソン・ホールは、カイルの人生に注目。2010年にテキサス州へと訪ねた。 その後カイルと話し合いながら、脚本の執筆を進めた。彼が自伝を書いているのも、そのプロセスで知ったが、結果的にそれが原作にもなった。 ホールは、俳優のブラッドリー・クーパーに、映画化話を持ち込む。クーパーは、『ハングオーバー』シリーズ(2009〜13)でブレイク。『世界にひとつのプレイブック』(12)でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、まさに“旬“を迎えていた。 クーパーはこの企画の権利を、ワーナー・ブラザースと共に購入。映画化のプロジェクトがスタートした。 当初はクーパーの初監督作として検討されたが、いきなりこの題材では、荷が重い。続いて『世界にひとつのプレイブック』や『アメリカン・ハッスル』(13)でクーパーと組んだデヴィッド・O・ラッセルが候補になるが、これも実現しなかった。 その後、スティーブン・スピルバーグが監督することとなった。当初積極的にこの企画に取り組んだスピルバーグだったが、シナリオ作りが難航すると、降板。 そこで登場するのが、現代ハリウッドの巨匠クリント・イーストウッド!一説には、スピルバーグが後任を依頼するため連絡を取ったという話があるが、イーストウッド本人は、「おれはスピルバーグの後始末屋と思われているけど、それは偶然だ」などと発言しているので、真偽のほどは不明である。 イーストウッドによると、依頼が来た時は他の映画の撮影中。仕事とは関係なく、本作の原作を読んでいるところだった。 カイルは父親から、「人間には三種類ある。羊と狼と番犬だ。お前は番犬になれ」と言われて、育った。そのため、羊のような人々を狼から守ることこそ、自分の使命だと考えていた。 それが延いては、家族と一緒にいたいという気持ちと、戦友を助けたいという気持ちの板挟みになっていく。この葛藤はドラマチックで、映画になると、イーストウッドは思った。 まずは「脚本を読ませてくれ」と返答。その際依頼者から、プロデューサーと主演を兼ねるクーパーが、「ぜひクリントに監督をお願いしたい」と言ってると聞いて、話が決まったという。 クーパーは幼少の頃から、いつか仕事をしてみたいと思っていた俳優が、2人いた。それは、ロバート・デ・ニーロとクリント・イーストウッドだった。 デ・ニーロとの共演は、『世界にひとつのプレイブック』で実現した。イーストウッドについては、『父親たちの星条旗』(06)以降、いつも彼の監督作のオーディションに応募してきた。本作で遂に、夢が叶うこととなったのである。 こうして、本作にとってはクーパー曰く、「完璧な監督」を得ることとなった。実は、この物語の主人公であるクリス・カイル自身も、もし映画化するなら、「イーストウッドに監督してもらいたい」と、希望していたという。 イーストウッドが監督に決まった頃、ジェイソン・ホールは脚本を一旦完成。クーパーら製作陣に、渡した。 その翌日=2013年2月2日、クリス・カイルが、殺害された。犯人は、イラク派遣でPTSDとなった、元兵士の男。カイルは男の母親から頼まれて、救いの手を差し伸べた。ところが、セラピーとして連れ出した射撃練習場で、その男に銃撃され、命を落としてしまったのである。 クーパーもイーストウッドも、まだカイルと、会っていなかった。対面する機会は、永遠に失われた。 脚本に加え、製作総指揮も務めることになっていたジェイソン・ホールは、葬儀後にカイルの妻タヤと、何時間も電話で話をした。タヤは言った。「もし映画を作るなら、正しく作ってほしい」 イーストウッドが監督に就いたことと、この衝撃的な事件が重なって、映画化の方向性は決まり、脚本は変更となった。焦点となるのは、PTSD。戦場で次々と人を殺している内に、カイルが壊れていく姿が、描かれることとなった。 イラクへの派遣で、カイルの最初の標的となるのは、自爆テロをしようとした、母親とその幼い息子。原作のカイルは、母親の方だけを射殺するが、実際は母子ともに、撃っていた。 原作に書かなかったのは、子どもを殺すのは、読者に理解されないだろうと、カイルが考えたからだった。しかしイーストウッドは、それではダメだと、本作で子どもを狙撃する描写を入れた。 後にカイルには、再び子どもに照準を合わさなければならない局面が訪れる。その際、イラク人たちを「野蛮人」と呼び、狙撃を繰り返してきたような男にも、激しい内的葛藤が起こる。そして彼が、実はトラウマを抱えていたことが、詳らかになる。 もう一つ、原作との大きな相違点として挙げられるのが、敵方の凄腕スナイパー、ムスタファ。原作では一行程度しか出てこない存在だったが、イーストウッドは彼を、カイルのライバルに設定。その上で、その妻子まで登場させる。 即ち、ムスタファもカイルと同様に、「仲間を守るために戦う父親」ということである。この辺り、太平洋戦争に於ける激戦“硫黄島の戦い”を題材に、アメリカ兵たちの物語『父親たちの星条旗』(06)と、それを迎え撃つ日本兵たちを描いた『硫黄島からの手紙』(06)を続けて監督した、イーストウッドならではの演出と言えるだろう。 ブラッドリー・クーパーは、カイルになり切るために、肉体改造を行った。クーパーとカイルは、ほぼ同じ身長・年齢で、靴のサイズまで同じだったが、クーパーが84㌔ほどだったのに対し、筋肉質のクリスは105㌔と、体重が大きく違ったのである。 そのためクーパーは、成人男性が1日に必要なカロリーの約4倍である、8,000キロカロリーを毎日摂取。1日5食に加え、エネルギー補給のために、パワーバーやサプリメント飲料などを取り入れる生活を送った。 筋肉質に仕上げるため、数か月の間は、朝5時に起床して、約4時間のトレーニングを実施。それで20㌔近くの増量に成功した。 撮影に入っても、体重を落とさないための努力が続く。いつも手にチョコバーを握り、食べ物を口に押し込んだり、シェイクを飲んだり。撮影最終日にクーパーが、「助かった、これでもう食べなくて済む!」と呟くのを、イーストウッドは耳にしたという。 役作りは、もちろん増量だけではない。“ネイビー・シールズ”と共に、本物さながらの家宅捜査や、実弾での訓練などを行った。細かい部分では、クリス・カイルが実際に聴いていた音楽のプレイリストをかけ、常時リスニングしていたという。 こうした粉骨砕身の努力が実り、クーパーのカイルは、その家族や友人らが驚くほど、“激似”に仕上がった。 カイルの妻タヤ役に決まったのは、シエラ・ミラー。イーストウッド作品は、撮影前の練習期間がほとんどなくて、リハーサルもしない。クーパーは撮影までに、タヤ役のシエナ・ミラーとスカイプで何度か話して、夕食を1度一緒に食べた。その時彼女は妊娠していたが、それが2人の絆を深めることにも繋がったという。 クーパーとミラーはタヤ本人から、夫が戦地に居た時に2人の間で交わしたEメールをすべて見せてもらった。ミラーは目を通すと思わず、口に出してしまった。「すごい、あなたは彼のことを本当に愛していたのね」 これにより、カイル夫妻のリアルな夫婦関係を演じるためのベースができた。そのため撮影が終わって数週間、ミラーは役から抜け出すのに、本当に悲しい気持ちになってしまったという。 撮影は、2014年3月から初夏に掛けて行われた。戦争で荒廃したイラクでの撮影は難しかったため、代わりのロケ地となったのは、モロッコ。クーパーはじめ“ネイビー・シールズ”を演じる面々は、アメリカ国内で撮影して毎日自宅に帰るよりも、共に過ごす時間がずっと長くなったため、本物の“戦友”のようになったという。 その他のシーンは、カリフォルニアのオープンセットやスタジオを利用して、撮影された。 イラクの戦場に居るカイルと、テキサスに居るタヤが電話で会話するシーン。クーパーとミラーはお互いの演技のために、電話を通じて本当に喋っていた。 妊娠しているタヤが病院から出て来て、携帯電話でカイルに、「男の子よ」と言った後のシーンは、ミラーにとっては、それまでの俳優人生の中で、最も「大変だった」。喜びを伝える電話の向こう側から、銃声が響き渡る。それは愛する夫が、死の危険に曝されているということ…。 脚本のジェイソン・ホールの言う、「兵士の妻や家族たちにとって、戦争とは、リビングルームでの体験だった」ということが、最も象徴的に表わされたシーンだった。 因みにミラーが、演技する時に複雑に考えすぎていると、イーストウッドは、「ただ言ってみればいい」とだけ、彼女に囁いた。ミラーにとっては、「最高のレッスン」になったという。 脚本には、カイルが運命の日に、銃弾に倒れてしまうシーンも存在した。しかし遺族にとってはあまりにもショッキングな出来事であるため、最終的にカットされることになった。 完成した本作を観て、カイルの妻タヤは、「…私の夫を生き返らせてくれた。私は、夫と2時間半を過ごした」と、泣きながら感想を述べた。 本作はアメリカでは、賞レースに参加するため、2014年12月25日に限定公開。明けて15年1月16日に拡大公開となった。 世界興収で5億4,742万ドルを超えるメガヒットとなり、イーストウッド監督作品史上、最大の興行収入を上げた。 その内容を巡っては、保守派とリベラル派との間で「戦争賛美か否か」の大論争が起こった。イラク戦争を正当化しようとする映画だという批判に対してイーストウッドは、「個人的に私はイラク戦争には賛成できなかった」と、以前からの主張を繰り返した。 そして「これは戦争を賛美する映画ではない。むしろ終わりのない戦争に多くの人が従事しいのちすら失う姿を描いているという意味では、反戦映画とも言える」と発言している。 この作品のエンドクレジットでは、クリス・カイルの実際の葬儀の模様を映し出した後、後半部分はまったくの“無音”になる。そこにイーストウッドの、“イラク戦争”そして出征した“兵士たち”への想いが、滲み出ている。■ 『アメリカン・スナイパー』© 2014 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited and Ratpac-Dune Entertainment LLC
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COLUMN/コラム2022.03.08
“実話”の強みを最大限に生かしたヒーロー物語『エリン・ブロコビッチ』
アメリカ映画の保存・振興を目的とした、「AFI=アメリカン・フィルム・インスティチュート」という機関がある。この「AFI」が1998年から2008年に掛け、「アメリカ映画100年シリーズ」として、「アメリカ映画ベスト100」「映画スターベスト100」など、様々な「ベスト100」を発表した。 その中で、2003年に発表されたのが、「ヒーローと悪役ベスト100」。映画史上に輝く、ヒーローと悪役それぞれ50人(人間とは限らないが…)が選出された。 ヒーローの第1位は、『アラバマ物語』(1962)でグレゴリー・ペックが演じた、人種差別と闘う弁護士、アティカス・フィンチ。続いては、インディ・ジョーンズやジェームズ・ボンド、『カサブランカ』(42)でハンフリー・ボガートが演じたリックなど、錚々たる顔触れが並んでいく。 ヒーローと銘打ちながらも、闘うヒロインたちも、ランクインしている。第6位『羊たちの沈黙』のクラリス・スターリングを筆頭に、『エイリアン』シリーズ(79~ )のリプリー、『ノーマ・レイ』(79)『テルマ&ルイーズ』(91)のヒロインたち、そして第31位に、本作『エリン・ブロコビッチ』(2000)でジュリア・ロバーツが演じた、タイトルロールが挙がる。 エリン・ブロコビッチ、それはクラリスやリプリーと違って、実在の人物。本作は、実話の映画化なのである。 彼女の物語の映画化は、カーラという女性が、カイロプラクティックを受ける時に、施術者から信じがたい話を耳にしたことに始まる。その施術者の友人に、日々の生活費にも困っているような、バツ2で3人の子持ちの女性がいた。そんな彼女が、法律知識はゼロだったにも拘わらず、大企業を相手取った公害訴訟で、数多くの被害者たちのために、莫大な和解金を勝ち取ったというのだ。 カーラはその話を、自分の夫に伝えた。その夫とは、本作を製作することになる、ジャージー・フィルムズの経営者の1人、マイケル・シャンバーグだった。 *** ロサンゼルス郊外の小さな町ヒンクリーに住む、エリン・ブロコビッチは、今まさに窮地に立たされていた。離婚歴2回で、乳呑み児を含む3人の子どもを抱えたシングルマザーの彼女は、貯金が底を突きそうなのに、高卒で何の資格もないため、就職活動もままならない状態。 そんな最中、職探しのドライブ中に、信号無視の車に追突されて、鞭打ちになってしまう。老弁護士のエド・アスリーは、相手が一方的に悪いので、賠償金が取れると請け負うが、法廷でのエリンの暴言などから陪審員の心証が悪かったせいか、びた一文得ることができなかった。 お先真っ暗のエリンは、エドの法律事務所に押し掛け、無理矢理雇用してもらうことに。豊満なバストをはじめ、常にボディラインを強調するような服装の彼女に、同僚たちは良い顔をしなかったが、本人は注意されても言い返し、直そうとはしない。 ファイルの整理という、誰でもできるような仕事を命じられたエリンは、その中の不動産案件の書類に、引っ掛かるものを感じる。地元の大企業PG&E社が、自社工場の近隣住民の土地を買おうとしているのだが、不審に思える点があったのだ。 エリンが独自に調査を始めると、その土地が工場からの排出物に混ざった六価クロムによって、汚染されている疑いが強いことがわかる。そして近隣の住民には、癌など健康被害が続出していることが、明らかになる。 事務所に現れないエリンが、サボっていると誤解して、エドは彼女を解雇する。しかしエリンが探り当てた事実を知ると、最初は及び腰ではあったが、やがて彼女と共に、大企業相手の訴訟に乗り出す。 新たな恋人となった、隣人のジョージの愛にも支えられながら、エリンの熱い戦いが繰り広げられていく…。 *** “六価クロム”は、電気メッキ、酸化剤、金属の洗浄、黄色顔料など、広く使用されている化合物。非常に強い毒性があり、肌に付着すると皮膚炎や腫瘍を起こし、また長期間体内に取り入れると、肝臓障害・貧血・肺がん・大腸がん・胃がんなどの原因になる可能性がある。 日本でも60歳前後ならば、記憶に残っている方が多いだろう。1970年代前半から後半に掛けて、東京・江東区の化学メーカー工場が、“六価クロム”を排出。近隣の土壌が汚染されて、大きな社会問題となった。 PG&E社は、そんな有害物を大量に排出しながら、適切な処理を怠り、長年近隣住民を騙し、隠蔽し続けていたのである。エリンとエドは、634人の住民を原告に立ててPG&E社と戦い、1996年に3億3,300万㌦=約350億円という、全米史上最高額(当時)の和解金を勝ち取った。 一連の顛末を映画化した本作のことを、エリン本人は「実話度98%」と評価する。事実でない残りの2%は、例えば原告となる住民たちが実名ではないことや、エリンが実際には高卒ではなく、カンザス州立大学を卒業しているということなど。いずれにしろそれらの改変は、“実話”である強みを、損なうほどのことではない。 映画化に当たって、スティーヴン・ソダーバーグ監督へのオファーを決めたのは、マイケル・シャンバーグ、ダニー・デヴィートと共に、ジャージー・フィルムズを経営する、ステイシー・シャー。『アウト・オブ・サイト』(98)で組んだ経験から、「…あまりにもドラマティックでおもしろい…」このストーリーを、「地に足のついた現実的な映画にしてくれる」監督は、ソダーバーグしかないと、白羽の矢を立てたのである。 1963年生まれのソダーバーグは、20代中盤に撮った長編第1作『セックスと嘘とビデオテープ』(89)が、カンヌ国際映画祭で最高賞=パルム・ドールを獲るという、華々しいデビューを飾った。しかしその後はスランプに陥り、興行的にも作品の評価的にも、暫しの低迷が続いた。 そんな彼にとって、『アウト・オブ・サイト』は、久々の成功作。そのプロデューサーから依頼された本作の脚本を読んだ時、エリンのストーリーに思わず惹き込まれて、プロジェクトに参加することを決めたという。 それまでこの訴訟についてはまったく知らなかったソダーバーグは、事実のリサーチを進めていく中で、「…不必要に刺激的にしたり、ドラマティックな効果を狙うためだけのシーンがないようにすることが大切だ…」と見極めた。彼を起用した、プロデューサーの狙い通りとなったわけである。 本作の内容を精査すると、大企業側からの妨害や、エリンの強烈なキャラによって起こる軋轢などは、実にサラリと描かれている。こうした題材を映画化するに当たっては、通常は強調されるであろう、そうしたエピソードには主眼を置かず、一直線な“ヒーロー譚”に仕立て上げている。それが本作を成功に導いたと言える。 もちろんそれらは、バッチリとハマったキャスティングによるところも大きい。エリンを演じたジュリア・ロバーツは、本作の10年前に出演した『プリティ・ウーマン』(90)以来、TOPスターの1人として、活躍。30代前半となって、そろそろ大きな“勲章”を手にしたい頃であった。 そんな時に出会った本作に臨むのに、エリン・ブロコビッチ本人に会ったり、取材したりなどは、一切行わなかったという。本人を真似た役作りではなく、自分自身が『エリン・ブロコビッチ』という作品の中で、そのキャラクターを創り上げるというチョイスを行ったわけである。 エリンは実在の人物とはいえ、誰もが顔を知っているような存在というわけではなかったので、このアプローチは成立。結果的に、大成功を収めた。 因みにジュリアがエリン本人と初めて会ったのは、本作の撮影で、ジュリア演じるエリンが、子ども3人を連れて、ダイナーで食事をするシーンだった。このシーンで、エリンがカメオ出演。ウェイトレスを演じている。 自分が演じている本人とセリフのやり取りをするのは、「…とても奇妙な感じで…」戸惑いを覚えていたというジュリア。ふとエリンの胸元のネームプレートを見たら、“ジュリア”と書いてあって、「…もう少しで気が違うかと…」思ったという。 何はともかく、ジュリアは本作が代表作の1本となった。そして念願の、“アカデミー賞主演女優賞”の獲得に至った。 老弁護士エド役のアルバート・フィニーの好演も、ジュリアが栄冠を得るための、大いなるアシストになった。それほどこの作品での、エドとエリンの老若押し引きのコンビネーションは、見事である。 ソダーバーグは、この役を誰が演じるか話し合った時に、真っ先にフィニーの名を挙げた。1960年代からの彼の長いキャリアをリスペクトしていたというソダーバーグの狙いは、ここでも見事に当たったと言える。惜しむらくはフィニーが、アカデミー賞のノミネートから漏れたことである。 さてソダーバーグはこの年2000年は、本作に続いて、麻薬戦争を扱った『トラフィック』が公開されて、こちらも大成功を収めた。アカデミー賞では、『エリン・ブロコビッチ』と『トラフィック』両作で、“アカデミー賞監督賞”にノミネートされるという、62年振り2人目の快挙を成し遂げた。即ち5人の監督賞候補者の内、2人分を彼が占めたということである。 こうなると票が割れて、賞自体を逃すこともありえたが、『トラフィック』の方で、見事に受賞を遂げた。実質的には同年にこの2作があったからこそ、高い評価を得たと言えるだろう。 その後は度々「引退」を匂わせながらも、現代の巨匠の1人として、活躍を続けているのは、多くの方が知る通り。本作がそのステップに向かう、大きな役割を果たしたことは、疑うべくもない。 さて「実話度98%」の本作であったが、エリン・ブロコビッチ本人のその後の人生も、なかなか凄まじい。 本作内ではアーロン・エッカートが演じ、エリンを優しく支える存在として描かれた恋人のジョージは、実際はベビーシッターとしてエリンから報酬を貰っていた上、その後更なる金銭を求めて、彼女を相手に訴訟を起こしている。また本作で描かれる物語以前に別れた夫とも、訴訟沙汰となった。 本作では、育児もそっちのけで大企業との戦いに奔走する母エリンに、子ども達も理解を示す描写が為されている。実際は十代になった子ども達は、ドラッグ漬けになり、その治療で大変な目に遭ったという。 その後も環境活動家として、公害企業との戦いに身を投じているエリンだが、2012年には3度目の離婚となった。 本作で描かれた物語以降も、「事実は小説よりも奇なり」を地で行くエリン・ブロコビッチの人生。また新たに映画化される日が来ても、不思議ではない。■ 『エリン・ブロコビッチ』© 2000 Universal City Studios, Inc. and Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2022.11.09
ジョン・マルコヴィッチしか考えられなかった…。“カルト映画”の傑作『マルコヴィッチの穴』
本作『マルコヴィッチの穴』(1999)の原題は、“Being John Malkovich”。当代の名優とも怪優とも評される、ジョン・マルコヴィッチがタイトルロールを…というか、マルコヴィッチ自身を演じる。 日本ではアメリカから遅れること、ちょうど1年。2000年9月の公開となった。私はその頃、TBSラジオで「伊集院光/日曜日の秘密基地」という番組の構成を担当していたが、パーソナリティの伊集院氏がこの作品のことを、生放送前後の打合せや雑談などで、よく話題にしていたことを思い出す。かなりのお気に入りで、翌10月から始まった新コーナーに、「ヒミツキッチの穴」というタイトルを付けたほどだった。「ジョン・マルコヴィッチってのが、良いんだよな~」と、伊集院氏は言っていた。そして、「日本の俳優でやるとしたら、誰なんだろう?“大地康雄の穴”とかになるのかな」とも。 この例え、当時個人的には「絶妙」だと思った。今となっては、まあわかりにくいかも知れないが…。 私的にはそんな思い出がある『マルコヴィッチの穴』とは、どんな作品か?まずはストーリーを紹介しよう。 ***** 才能がありながらも認められない、人形使いのグレイグ(演:ジョン・キューザック)は、妻のロッテ(演:キャメロン・ディアス)から言われ、やむなく定職を求める。 新聞の求人欄から彼が見付けたのは、小さな会社の文書整理係。そのオフィスは、ビルのエレベーターの緊急停止ボタンを押してから、ドアをバールでこじ開けないと降りられない、7と1/2階に在った。そしてそこは、かがまないと歩けないほど天井が低い、奇妙なフロアーだった。 書類の整理に勤しむグレイグは、ある日書類棚の裏側に、小さなドアがあるのを見付ける。興味本位でドアを開け、その中の穴に潜り込むと、突然奥へと吸い込まれる。 気付くとグレイグは、著名な俳優ジョン・マルコヴィッチの脳内へと入り、彼になっていった。しかし15分経つとグレッグに戻って、近くの高速道路の脇の草っ原へと放り出される。 興奮した彼は、同じフロアーの別の会社のOLで、一目惚れしながらも相手にされなかったマキシン(演:キャスリーン・キーナー)に、この秘密を話す。マルコヴィッチ自体を知らなかった彼女だが、この体験=穴に入ってマルコヴィッチに15分間なる=を、1回200㌦でセールスすることを提案。グレイグと共にビジネスを始めると、深夜の7と1/2階には、行列が出来るようになる。 しかしこれはまだ、グレイグ&ロッテ夫妻とマキシーン、そして俳優ジョン・マルコヴィッチを巡る、不可思議な物語の入口に過ぎなかった…。 ****** ジョン・マルコヴィッチ。1953年12月、アメリカ・イリノイ州生まれで、間もなく69歳になる。『マルコヴィッチの穴』の頃は、40代半ばといったところ。 若き日に、仲間のゲイリー・シニーズらと立ち上げた劇団で評判を取り、やがてブロードウェイに進出。『True West』や『セールスマンの死』などに出演し、オビー賞など数々の賞を手にした。 映画初出演は、ロバート・ベントン監督の『プレイス・イン・ザ・ハート』(84)。主演のサリー・フィールドに2度目のオスカーをもたらしたこの作品で、盲目の下宿人を演じたマルコヴィッチは、いきなりアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。 以降は、主役から脇役まで幅広い役柄で、数多くの作品に出演。悪役やサイコパス役に定評があり、またヨーロッパのアート作品にも、度々出演している。 演技も風貌も、いわゆる「クセの強い」俳優であるが、プライベートでの言動や行動も、そのイメージを裏付ける。今ではその発言自体を否定しているが、「一般大衆に認識されているものはクソだ。彼らの考えにも吐き気がする。映画は金のためだけにやっている」などと、言い放ったことがある。 また、ニューヨークの街角で絡んできたホームレスに激怒し、大型のボウイナイフで脅したり、オーダーメードのシャツの出来上がりが遅れたテーラーに怒鳴り込んだり、バスが停車しなかったことに腹を立て、窓を叩き割る等々の、暴力的な振舞いが度々伝えられた。 その一方で、映画デビュー作の共演者サリー・フィールドが、「ただただ彼を敬愛している」と言うのをはじめ、共演者たちの多くからは称賛されている。初めてブロードウェイの舞台に立った『セールスマンの死』の共演者である名優ダスティン・ホフマンは、「彼との仕事は、私のキャリアの中でも貴重な経験だった」としている。 そんなマルコヴィッチをネタにした、摩訶不思議な本作のストーリーを書いたのは、チャーリー・カウフマンという男。それまでTVのシットコムの脚本を生業としていた彼にとっては、映画化に至った、初の長編脚本である。 本作の脚本は、「特に戦略を持たずに書き始めた」ということで、最初は「既婚者の男が恋をする」というアイディアだけだった。そこに後から、「穴を通って別人の脳内に入る」という発想が加わって、他者になりすまして名声を得たり、生き長らえようとする者たちや、逆にそうした者たちに自由を奪われて、己を失っていく者が登場する物語になったのである。『マルコヴィッチの穴』は、誰が観ても、「アイデンティティがテーマ」の作品だと、理解される。しかしカウフマンが書き始めた当初は、そんなことは考えてもいなかったわけである。 脳内に入られる人物に関しては、「マルコヴィッチ以外に考えられなかった…」という。マルコヴィッチがブロードウェイの舞台に立った時のビデオを観て衝撃を受けたというカウフマン。曰く、「彼がステージに立つと目が離せない」ようになった。そして本作の物語を編んでいくに際して、「彼は不可知な存在で、作品にフィットすると思った」と語っている。「マルコヴィッチ以外に考えられなかった…」のは、その「微妙な知名度」も、ポイントだったように思われる。映画・演劇業界の周辺では、誰も知る実力の持ち主であるが、万人にとってのスーパースターというわけではない。本作の中でマキシンが、マルコヴィッチと聞いても、誰かわからなかったり、タクシーの運転手が、マルコヴィッチ本人がやってもいない役柄で「見た」と話しかけてきたりするシーンがわざわざ設けられていることからも、作り手のそうした意図が、読み取れる。 因みにマルコヴィッチ自身は8歳の頃、“トニー”という名のもうひとりの自分を作り出していたという。その“トニー”とは、クロアチア系の父親とスコットランド及びドイツ系の母親から生まれたマルコヴィッチとは違って、スリムなイタリア人。至極人当たりがよく、首にスカーフを巻くなど、おしゃれで粋なキャラだった。 マルコヴィッチが“トニー”になっている時は、大抵ひとりぼっちだった。しかしある時はなりきったまま、野球の試合でピッチャーマウンドに上がったこともあったという。 そのことに関してマルコヴィッチは、「…たぶん多くの人が今とは別の人生を送りたいと願っているだろう…」と語っている。カウフマンが執筆当時、そんなことまで知っていたとは思えないが、そうした意味でも、本作の題材にマルコヴィッチをフィーチャーしたのは、正解だったかも知れない。役柄的には、逆の立場であるが…。 しかし、カウフマンの書いた『マルコヴィッチの穴』の脚本は、業界内で非常に評判になりながらも、なかなか映画化には至らなかった。内容が特殊且つ、エッジが立ち過ぎていたからだろう。 ジョン・マルコヴィッチ本人も、その脚本の完成度には唸ったものの、こんな形で俎上に載せられるのには臆したか、「自分を題材にしないことを条件に監督やプロデューサーを引き受ける」とカウフマンに提案。話がまとまらなかった。 もはや映画化は、不可能か?カウフマンも諦めかかった頃に、本作の監督に名乗りを上げる者が現れる。それが他ならぬ、スパイク・ジョーンズだった。 当時ジョーンズは、ビースティ・ボーイズやビョーク、ダフト・パンクなど数多の人気ミュージシャンのMVを演出した他、CMでも国際的な賞を受賞。写真家としても成功を収め、まさに時代の寵児だった。映画監督としては、短編を何本か手掛けて、やはり好評を博しており、長編デビューの機会を窺っていた。 そんな彼が「…とにかく、脚本が本当に良かった」という理由で、『マルコヴィッチの穴』に挑むことになったのである。当時の彼の妻ソフィア・コッポラの父、『ゴッドファーザー』シリーズなどのフランシス・フォード・コッポラ監督の後押しもあったと言われる。 その後ジョーンズとカウフマンで、映画化に向けての作業が進められる中で、件の経緯もあったせいか、ホントに“ジョン・マルコヴィッチ”が適切であるかどうか、2人の間で迷いが生じることもあった。このタイミングだったかどうか定かではないが、トム・クルーズの名が挙がったりもしたという。 しかし結局は、他の人物では満足できず、マルコヴィッチで行きたいということになった。マルコヴィッチの方も、スパイク・ジョーンズという希有な才能に惹かれたということか、「…あまりに途方もなくとんでもないストーリーだから、自分の目で見届けたくなった…」と、出演がOKになったのである。 完成した『マルコヴィッチの穴』は、「ヴェネツィア国際映画祭」で国際批評家連盟賞を受賞したのをはじめ、内外の映画祭や映画賞を席捲。一般公開と共に“カルトムービー”として人気を博し、アカデミー賞でも、監督賞、脚本賞、助演女優賞の3部門でノミネートされた。 この時はオスカーを逃したカウフマンとジョーンズだったが、2人とも本作が高く評価されたことから、監督、脚本家、プロデューサーとして地位を築いていくことになる。後にカウフマンは『エターナル・サンシャイン』(04)で、ジョーンズは『her/世界でひとつの彼女』(13)で、それぞれアカデミー賞脚本賞を受賞している。 因みにジョン・マルコヴィッチに関しては2010年、その軌跡を振り返る試みを、映画批評サイトの「Rotten Tomatoes」が実施。「ジョン・マルコヴィッチの傑作映画」という、ベスト10を発表した。 その際、第1位に輝いたのは、デビュー作の『プレイス・イン・ザ・ハート』。そこに、ポルトガルの巨匠マノエル・ド・オリヴェイラ監督の『家路』(01)、盟友ゲイニー・シニーズの監督・主演作『二十日鼠と人間』(92)等々が続く。そんな中で本作『マルコヴィッチの穴』(99)は、堂々(!?)第6位にランクインしている。 しかしこのベスト10以上に、本作のインパクトが、大きく残っていることを感じさせる出来事が、2012年にあった。それはマルコヴィッチが出演した、iPhone 4SのCM。この中で「マルコヴィッチ、マルコヴィッチ、マルコヴィッチ…」というセリフが繰り返されるのだが、これは『マルコヴィッチの穴』に登場する、最もヴィジュアルイメージが強烈なシーンを、明らかに模したもの。 ではその元ネタとなったのは、果してどんな場面なのか?それはこれから観る方のために、この稿では伏せておこう。 「マルコヴィッチ、マルコヴィッチ、マルコヴィッチ…」■ 『マルコヴィッチの穴』© 1999 Universal City Studios Productions LLLP. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.02.07
“1969年”という時代が生んだ、“アメリカン・ニューシネマ”の傑作『イージー・ライダー』
俳優ヘンリー・フォンダの息子としてこの世に生を授かった、ピーター・フォンダ(1940~2019)。幼少期に母が自殺したことなどから、父に対して長くわだかまりがあったと言われる。しかし姉のジェーン・フォンダと共に、名優と謳われた父と同じ“演技”の道へと進んだ。 彼が人気を得たのは、“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンが製作・監督した、『ワイルド・エンジェル』(1966)の主演による。実在するバイクの暴走グループ“ヘルズ・エンジェルス”を描いたこの作品で、若者のアイコンとなったのだ。 その翌年=67年に主演したのが、同じくコーマン作品の『白昼の幻想』。こちらは合成麻薬である、“LSD”によるトリップを描いた内容である。自身その愛好者で、「アイデンティティの危機がLSDによって救われた」と語っていたピーターは、この作品の脚本を初めて読んだ時、「こいつはアメリカでこれまでに作られたなかの最高の作品になる!」と、叫んだという。 その脚本を書いたのは、当時は「売れない」俳優だった、ジャック・二コルソン(1937~ )。いつまでも芽が出ない役者業に見切りをつけて、本格的に脚本家としての道を歩んでいくべきかと、悩んでいた頃だった。 ニコルソンが自らの豊富な“LSD”体験をベースに描いた脚本の出来に、ピーターは感激。それまでは特に親しくしていたわけではない、二コルソンの家へと車を飛ばし、感謝の気持ちを伝えたという。 しかし実際に撮影され完成した作品は、ピーターにとっても二コルソンにとっても、大きな不満が残るものとなった。いかに「安く」「早く」「儲かる」作品を作るかを優先するコーマンの製作・監督では、脚本に書かれた想像力溢れるトリップのシーンなどが、どうしてもチープな作りとなってしまう。その上配給元の「AIP」の手も入って、ピーターやニコルソンのイメージとは、まったくかけ離れたものとなってしまった。 ピーターにとって良かったのは、コーマンに頼み込んで、この作品に脇役で出演していた、親友のデニス・ホッパー(1936~2010)に、一部演出を任せられたことだ。絵画や写真にも通じていたホッパーが撮った映像は、コーマンとは明らかに異質な、美しく詩的なイメージに溢れていた。 ピーターは以前から、ホッパーと組んでの“映画作り”を目論んでおり、『白昼の幻想』が、その試金石となった。これなら彼に、“監督”を任せられる! そして67年9月。『白昼の幻想』プロモーションのために滞在した、カナダ・トロントのホテルで、運命の瞬間が訪れる。 酒を煽り、睡眠薬も飲んで、ひょっとしたらマリファナも吸っていたのかも知れない。そんな状態のピーターだったが、サインを頼まれていた、出世作『ワイルド・エンジェル』のスチール写真が目に入った。それは1台のバイクに、ピーターと共演者が跨っているものだった。 ピーターは、閃いた。1台のバイクに2人ではなく、2台のオートバイそれぞれに、1人の男が乗っていたら…。「はぐれ者ふたりが、バイクでアメリカを横断していく現代の西部劇」だ! 映画のアイディアが浮かんで、ピーターが電話を掛けた相手は、ホッパーだった。「それは凄いじゃないか!」と言ったホッパーは、続けて「それで一体どうしようっていうんだい?」と尋ねた。 ピーターは、自分がプロデューサーをやるから、ホッパーに監督をやって欲しいと伝えた。その方が、金の節約にもなる。 そこから2人は、随時集まってはとことん話し合った。そして決めたことをどんどんテープに吹き込んでいった。 アイディアを煮詰めていく最中、ピーターは1ヶ月ほど、『世にも怪奇な物語』(68)出演のため、ヨーロッパへと向かう。その間ホッパーとのやり取りは、手紙となった。 ある日ピーターの撮影現場に、脚本家のテリー・サザーン(1924~95)が、陣中見舞いに現れた。サザーンはピーターから、この企画の話を聞いて、協力を申し出た。 そしてサザーンの思い付きから、映画のタイトルが決まる。元は「売春婦とデキてて、ヒモじゃないけど女と一緒に暮らしてる奴」を意味するスラングだという。それが、『イージー・ライダー』だった。 ***** コカインの密輸で大金を得たワイアット(演:ピーター・フォンダ)とビリー(演:デニス・ホッパー)は、フル改造したハーレーダビッドソンを駆って、カリフォルニアから旅立つ。マリファナを吸いながら、向かう目的地は、“謝肉祭”の行われるルイジアナ州ニューオーリンズ…。 ***** トムとホッパーは、プロットを書いた8頁のメモしかない状態で、映画の資金を出してくれる、スポンサー探しを始める。ピーターが当初アテにした「AIP」は、これまでに撮影現場の内外で度々トラブルを起こしてきたホッパーに恐れをなして、出資を断わった。 結局スポンサーとなったのは、当時TVシリーズ「ザ・モンキーズ」(66~68)で大当たりを取っていたプロデューサーの、バート・シュナイダー。37万5,000㌦の資金を提供してくれることとなった。 そして『イージー・ライダー』は、68年2月23日にクランク・イン。この日は、ピーターの28歳の誕生日だった。 まだ脚本は完成しておらず、撮影機材も揃ってない状態だったが、まずは1週間のロケを敢行。“謝肉祭”で盛り上がるニューオーリンズの町中を、ピーターとホッパーが、娼婦2人を連れて練り歩くシーンと、その4人で墓地へと出掛けて、LSDによるバッドトリップを経験するシーンの撮影を行った。 撮影は初日から、“初監督”のプレッシャーを抱えたホッパーのドラッグ乱用によって、波乱含み。当初決まっていた撮影監督は、この1週間だけでホッパーとの仕事に嫌気が差して、現場を去った。 こうしたトラブルの一方でホッパーは、LSDトリップのシーンで、監督としての非凡な才を遺憾なく発揮。ピーター本人の内面に眠っていた、自殺した母への想いなどを、引き出してみせた。 最初の1週間を終えると、ピーターは脚本を仕上げるために、ニューヨークへ。ホッパーは、残りのシーンのロケハンへと向かった。ホッパーに言わせると、ピーターとテリー・サザーンが、結局1行たりとも脚本を書けなかったため、最終的に脚本は自分1人で仕上げたということなのだが、この辺りは証言者によって内容に食い違いがあるので、定かではない。 ***** ワイアットとビリーは、長髪に髭という風体もあって、安モーテルからも宿泊拒否され、行く先々で野宿を余儀なくされる。 旅先で心優しき人々と出会ったり、ヒッピーのコミューンで、安らぎの一時を送ることもあった。しかしちょっとしたことで、監獄にぶち込まれてしまう。 その監獄で、アル中の弁護士ジョージ・ハンセン(演:ジャック・ニコルソン)と出会う。彼の口利きで釈放された2人は、旅に同行したいというハンセンを乗せ、アメリカ南部の奥深い地域までやって来るが…。 ***** 最初の1週間で降りた撮影監督の代役には、当時B級映画の撮影を数多くこなしていた、ハンガリー出身のラズロ・コヴァックスが決まった。しかしもう1人、慌てて代役を見つけなければならない者がいた。 ジョージ・ハンセン役には、当初リップ・トーンが決まっていた。しかしギャラや脚本の手直しなどで折り合いがつかず、ホッパーと大喧嘩になって、降板。 その代役として、プロデューサーのバート・シュナイダーが推したのが、奇しくもピーター・フォンダと『白昼の幻想』で意気投合した、ジャック・ニコルソン。シュナイダーが製作総指揮を務めた、『ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!』(68)で、ニコルソンが脚本を書き、出演もしていた縁だった。『イージー・ライダー』の撮影中、ワイアットとビリーに遭遇する人々は、実際に各ロケ地で集めた人々を軸に、キャスティングされていた。その方が、おかしな出で立ちのよそ者に対する警戒心や嫌悪、敵意など、生の感情が引き出せるという、ホッパーの計算があった。 ジョージ・ハンセン役にしても、その流れなのか、ホッパーはトーンの代役には、テキサス訛りのできる田舎臭い人間を考えていたという。そのためニコルソンの起用には、猛反対。しかし渋々使ってみたところ、彼の演技はホッパーが、「最高」と認めざるを得ないものだった。 因みにワイアット、ビリー、ジョージの3人で焚き火を囲んで、マリファナを吸うシーンで、ニコルソン演じるジョージは、初体験のマリファナが、徐々にきいてくるという設定。ところが本物のマリファナを使っているこのシーンでは、何度もリテイクがあったため、ニコルソンは実際にはマリファナが相当きいていながら、しらふの状態を演じざるを得なくなったという。 ジョージは結局、3人で野営しているところを、彼らを敵視した近隣の住民に襲われて、いち早く命を落としてしまう。その直前に焚き火に当たりながら、彼がワイアットとビリーに話した内容は、本作の中で屈指の名セリフとなった。「連中はあんたが象徴する自由を怖がってるんだ」「自由について話すことと、自由であることは、まったく別のことだ。……みんなが個人の自由についてしゃべるけど、自由な個人を見ると、たちまち怖くなるのさ」 そして彼は、「怖くなった」者たちに、命を奪われてしまうわけである。残された2人も、ワイアットの「俺たちは負けたんだ」のセリフの後に、映画史に残る、衝撃的な最期を迎えることになるわけだが…。 2週間半の撮影が、終了。そして1年ほどの編集期間を経て、作品は完成に至った。 2台のバイクが疾走するシーンには、かの有名なステッペンウルフの「ワイルドでいこう!= Born to Be Wild」をはじめ、必ず既成のロック・ミュージックが掛かるが、これは当時としては斬新なスタイル。それぞれの曲の歌詞が、映画の中の主人公たちの行動と結びつけられており、またホッパーによって、音楽と画面が合うように編集されていた。 本作は69年5月、「カンヌ国際映画祭」に出品されると、「新人監督による作品賞」「国際エバンジェリ委員会映画賞」が贈られた。 そして7月14日。ニューヨークでの先行公開を皮切りに、大ヒットを記録。最終的に6,000万㌦以上の収益を上げた。これはそれまでのハリウッドの歴史上では、予算に対しての利益率が、他にないほど頭抜けた興行成績だった。 ヘンリー・フォンダはこの偉業に対して、「畏敬の念をおぼえる」と、プロデューサー兼主演を務めた、我が子を称賛。ピーター・フォンダは、長い間欲してやまなかったものを、遂に手にすることができたのだ。 デニス・ホッパーは、ハリウッド最注目の新人監督となって、本作以前に取り掛かろうとして頓挫していた、『ラストムービー』(71)の企画を本格的に動かすことに。これが彼のキャリアに長き低迷をもたらすことになるのだが、それはまた別の話。 一旦は俳優廃業も考えていたジャック・ニコルソンは、まさにこの作品を契機に、後にはアカデミー賞を3度受賞する、ハリウッド屈指の名優に育っていく。 作品自体は、いわゆる“アメリカン・ニューシネマ”の1本として、映画史にその名を刻み、1998年には、「アメリカ国立フィルム登録簿」に永久保存登録が決まった。 ピーターとホッパー、ニコルソンの3人が揃い踏みする“続編”的作品が、幾度か企画された。しかしその内2人が鬼籍に入り、1人が引退状態の今、もはやあり得ないお話である。 “リメイク”が進められているというニュースもあったが、1969年という時代にあの3人だったからこその“傑作”であった『イージー・ライダー』を、果してアップデートすることなど、可能なのだろうか?■ 『イージー・ライダー』© 1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2024.04.01
‘70年代パニック映画ブームの起爆剤となった不朽の名作!『ポセイドン・アドベンチャー』
映画の草創期からみんなパニック大作が大好きだった! ‘70年代のハリウッドを席巻したパニック映画ブーム。その原点は『エアポート』シリーズ第1弾の『大空港』(’70)とされているが、しかしブームの起爆剤となったのは間違いなく『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)であろう。アメリカでは「ディザスター映画」と呼ばれる一連のパニック映画群。その名の通り天災や事故、パンデミックなどの大規模な災害(ディザスター)パニックを題材に、そこへ運悪く巻き込まれてしまった人々による決死のサバイバルを描く。そもそも、映画業界の草創期から非常にポピュラーなジャンルのひとつだ。古くは大地震を題材にした『桑港』(’36)に『シカゴ』(’37)、南の島に巨大台風が襲来する『ハリケーン』(’37)、地球と惑星の衝突を描いた『地球最後の日』(’51)、旅客機が太平洋横断中にエンジン故障に見舞われる『紅の翼』(’54)などが有名だが、しかしなんといってもディザスター映画の王道といえば豪華客船の沈没であろう。 なにしろ、世界で最初のディザスター映画と呼ばれるのが、タイタニック号の沈没を描いたドイツ映画『In Nacht und Eis(夜と氷の中で)』(’12)である。以降も巨匠E・A・デュポンの『アトランチック』(’29)にジーン・ネグレスコの『タイタニックの最期』(’53)、ロイ・ウォード・ベイカーの『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』(’58)などなど、主にタイタニック号事件を直接的ないし間接的な元ネタとしたスペクタクルな海洋パニック映画が数多く作られてきた。この『ポセイドン・アドベンチャー』については、ポール・ギャリコの原作小説も含めてタイタニック号事件との関連性は全くないものの、しかしこうしたジャンルの伝統と系譜をしっかりと受け継いだ正統派のディザスター映画であることは間違いない。 まずはあらすじをザックリと紹介しよう。ある年の大晦日のこと。ニューヨークからアテネへ向けて航海中の豪華客船ポセイドン号では、ベテランのハリソン船長(レスリー・ニールセン)と船主代理人ライナーコス(フレッド・サドフ)が激しく対立していた。というのも、船体が老朽化していることもあって転覆の危険性があるため、安全第一を考えるハリソン船長は速度を落として慎重に航行していたのだが、しかしコスト最優先のライナーコスは3日間の遅れが出ていることを問題視し、全速力で船を走らせるよう要求していたのだ。それでも頑として譲ろうとしないハリソン船長。しかし、最終的な決定権を持つライナーコスに逆らいきれず、不本意ながらも部下へ全速前進を指示するのだった。 一方、それぞれに事情を抱えた乗客たちは、新年パーティへ出席するための準備をしている。「神は自ら努力する者だけを救う」と主張するスコット牧師(ジーン・ハックマン)は、その弱者を切り捨てるような主張が教会から非難され、左遷先のアフリカ大陸へ向かう途中だった。ユダヤ人の金物屋マニー(ジャック・アルバートソン)とベル(シェリー・ウィンタース)のローゼン夫妻は、孫に会うためギリシャ経由でイスラエルへ向かうところ。彼らは一人旅をする親切な独身中年男性マーティン(レッド・バトンズ)を何かと気にかけていた。17歳のスーザン(パメラ・スー・マーティン)と12歳のロビン(エリック・シーア)のシェルビー姉弟は、目的地のアテネで両親と落ち合う予定。ニューヨーク市警のマイク・ロゴ警部補(アーネスト・ボーグナイン)は、元売春婦の妻リンダ(ステラ・スティーヴンス)と新婚旅行でイタリアへ向かう途中なのだが、しかし昔の客と遭遇することを恐れるリンダは客室から出ようとせず、それが夫婦喧嘩の原因になっていた。 やがて夜になると大食堂ホールで盛大な新年パーティが始まり、カウントダウンへ向けて乗客たちも大いに盛り上がる。ところがその頃、操縦室では重大な問題が起きていた。クレタ島の北西部で大規模な地震が発生したとの連絡が入ったのだ。慌てて遭難信号を送信したうえで、来るべき津波を警戒するハリソン船長と乗組員たち。ところが、それは彼らの想像を遥かに超えた大きさで、あっという間にポセイドン号は津波に飲み込まれてしまう。新年を迎えて祝賀ムードに沸き立つ大食堂ホールも、一転して阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌。転覆した船体は180度ひっくり返り、乗客たちは次々と天井へ真っ逆さまに落ちていく。 ほどなくして意識を取り戻した生存者たち。責任者のパーサーは「このまま救助隊が来るまでじっと待つべきだ」と指示し、生存者たちの大半が従うことにするのだが、しかしスコット牧師はこれに強く反発する。今やここが船底だ。いつ来るか分からない救助隊を待っていても、それまでに浸水してしまう危険性が高い。ならばイチかバチかでも上へあがって、すぐに助けてもらえるような場所へ移動するべきじゃないか!というわけだ。このスコット牧師の主張に賛同したのは、ローゼン夫妻にロゴ警部補夫妻、シェルビー姉弟にマーティン氏、そしてパーティ・バンドの歌手ノリー(キャロル・リンレイ)にボーイのエイカーズ(ロディ・マクドウォール)と僅か9名だけ。巨大クリスマスツリーを伝って上へ登った彼らだが、その直後に船内で爆発が起きて大食堂ホールへ海水がなだれ込む。断末魔の悲鳴を上げながら沈んでいく大勢の人々。その光景を目の当たりにして茫然とするスコット牧師だったが、それでも生き残りを賭けて9名の生存者たちの先頭に立っていく。彼らの行く手に次々と立ちはだかる試練と難関。果たして、全員が無事に生きて脱出することは出来るのか…? 原作者の実体験から生まれた作品だった! 『ポセイドン・アドベンチャー』の生みの親はプロデューサーのアーウィン・アレン。本作に続いて『タワーリング・インフェルノ』(’74)や『スウォーム』(’78)、『世界崩壊の序曲』(’80)などを世に送り出し、「ディザスター映画の王様」の異名を取ったアレンだが、もともとはテレビ・ドラマの出身だった。当時の彼が得意としていたのは『原子力潜水艦シービュー号』(‘64~’68)に『宇宙家族ロビンソン』(‘65~’68)、『タイムトンネル』(‘66~’67)などなど、劇場用映画ばりのスケール感で大ヒットした特撮アドベンチャー物。これらの成功に手応えを感じていたアレンは、おのずとテレビから映画への進出を目論むようになり、当時ちょうど出版されたばかりだったポール・ギャリコの同名小説の映画化企画を、専属契約を結んでいた20世紀フォックスに提案したのである。 1969年に出版されたポール・ギャリコの小説「ポセイドン・アドベンチャー」。ギャリコといえば「ハリスおばさん」シリーズや「七つの人形の恋物語」などが日本でも人気の高い作家だ。ポセイドン号のモデルになったのは、実在した有名な豪華客船クィーン・メリー号。1936年から’67年まで北大西洋を横断する定期便として運行したクィーン・メリー号は、乗客2020名に乗員1200名を収容することが出来るという超大型客船で、同時期に活躍したクィーン・エリザベス号に匹敵するほどの人気を誇った。作者のギャリコも’37年に乗船。ところが、船は2日間に渡って荒波に揉まれ、ギャリコが一等客専用の食堂で昼食を取っていたところ、急な高波に襲われて船全体が激しく傾いたことがあった。大事には至らなかったものの、それでも食堂は大変なパニックに陥ったという。その時の恐怖体験を基にして書き上げた小説が「ポセイドン・アドベンチャー」だったというわけだ。 ところが…である。20世紀フォックスはアレンの企画提案をにべもなく却下してしまう。なにしろ、当時のフォックスは『ドリトル先生不思議な旅』(’67)に『スター!』(’68)、『ハロー・ドーリー』(’69)と多額の予算を投じた大作映画が立て続けに興行的惨敗を喫しており、そのせいで会社の経営自体が傾いていた。明らかに予算のかかるディザスター映画を作っている余裕などなかったのである。加えて、当時はアメリカン・ニューシネマの全盛期。映画界のトレンドは『真夜中のカーボーイ』(’69)や『イージー・ライダー』(’69)などの小規模なアート映画だった。本作のような、いかにもハリウッド的な大作映画は客の入る見込みが低かったため、どうやらスタジオは二の足を踏んだようだ。 その後、’71年に帝王ダリル・F・ザナックが財政不振の責任を取って社長の座を降り、新社長ゴードン・T・スタルバーグのもとで経営再建に舵を切った20世紀フォックス。ここへきてようやく、『ポセイドン・アドベンチャー』の企画にもゴーサインが出る。とはいえ、与えられた予算はたったの500万ドル。『大空港』の1000万ドル、『タワーリング・インフェルノ』の1400万ドルと比べると、いかに低予算だったのかお分かりいただけるだろう。しかも、途中で会社側が金を出し渋り始めたため、最終的にプロデューサーのアレンが予算の半分250万ドルを、友人・知人からかき集めて調達することとなったそうだ。 キャスティングにも予算を抑えるカラクリが!? やはり最大の見どころは、上下逆さまとなった豪華客船内で繰り広げられる決死のサバイバル・アドベンチャー。中でも、実物大のセットを本当に丸ごとひっくり返したという津波パニック・シーンは今見ても圧巻である。特撮の演出を担当したのはアーウィン・アレン。よくこれだけ大掛かりな見せ場を用意しながら、500万ドルの予算内にきちんと収めたもんだと感心するが、そこはやはり長いことテレビ・シリーズを手掛けてきた人だけあって、少ない予算でいかに見栄えを良くするのか熟知していたのであろう。一方、作品全体の演出は『ミス・ブロディの青春』(’69)で高い評価を得たイギリス出身のロナルド・ニーム監督が担当。もともと巨匠デヴィッド・リーンの脚本家だっただけあって、登場人物それぞれの人生背景を丁寧に織り込んだ濃密な人間ドラマに冴えを見せる。この手のパニック大作は人間描写がおろそかになりがちだが、本作に限っては手抜かりが全くない。 また、’70年代パニック大作映画の定番であるオールスター・キャストにも、実は予算を抑えるためのカラクリが隠されている。どういうことかというと、当時旬の大物スターはスコット牧師を演じるジーン・ハックマンひとりだけ。それ以外は、既に全盛期を過ぎた過去のスターたちで固めているのだ。何故なら、旬のスターはギャラも高くついてしまうが、しかし過去のスターであれば知名度の割にギャラは安く済むから。なので、アーネスト・ボーグナインにシェリー・ウィンタース、ジャック・アルバートソンと3名のオスカー俳優が含まれながら、実はキャストの出演料はそれほどかかっていないのだ。なお、主演のハックマンは本作の撮影中に『フレンチ・コネクション』(’71)でオスカーに輝いている。 ちなみに、劇中の新年祝賀パーティで演奏される主題歌「モーニング・アフター」も忘れてはならないだろう。地獄のような一夜を経て訪れる、希望の朝の安堵感を歌った爽やかなソフトロック・ナンバー。アカデミー賞では見事にオリジナル歌曲賞を獲得し、その直後からラジオ局へのリクエストが殺到したそうで、最終的にビルボードのシングル・チャートでナンバーワンを獲得、’73年の年間シングル・チャートでも28位をマークした。これがレコード・デビューとなった歌手モーリーン・マクガヴァーン(劇中の歌声はセッション歌手のレネー・ア-マンド)は、その後も『タワーリング・インフェルノ』やロジャー・ムーア主演作『ゴールド』(’74)などにも参加し、映画やドラマの主題歌シンガーとして引っ張りだこになる。 かくして、1972年12月12日にロサンゼルスのエジプシャン・シアターでプレミア上映され、なんと予算の25倍に当たる1億2500万ドルもの興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなった『ポセイドン・アドベンチャー』。アカデミー賞ではオリジナル歌曲賞と特別賞(特撮チーム)に輝き、’73年の年間興行収入ランキングでは堂々の第1位をマークした。この大成功を機にディザスター映画ブームが本格的に到来し、ハリウッド業界は徐々に大作主義の時代へと向かっていくことになる。■ 『ポセイドン・アドベンチャー』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation.