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PROGRAM/放送作品
逢びき
平凡な人妻の甘い恋心を名匠デヴィッド・リーンが見事に描き、’46年度カンヌ映画祭で最高賞を受賞
『アラビアのロレンス』のデヴィッド・リーン監督の名作メロドラマ。大作イメージの強いリーン監督の繊細な演出が窺える作品で、1946年カンヌ国際映画祭で最優秀作品賞に輝く。
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COLUMN/コラム2024.06.21
ハリウッド映画のアクションを再定義した、ポール・グリーングラスのキャメラスタイル『ボーン・スプレマシー』
◆ダグ・リーマンが降りた理由 記憶を失くした男が自身のアイデンティティ(存在証明)を明らかにする過程で、命を狙われる危機に幾度となく遭遇する。だがそのつど、彼は高度な挌闘センスと優れた身体能力を発揮し、自分に危害を加えようとする者を瞬殺する。それもまったくの無意識で——。 2002年に公開された『ボーン・アイデンティティー』は、「出自を追い求めるヒーロー」という、異色の設定を持つアクションスリラーとして観客の心を見事に捉えた。スパイ小説の巨匠ロバート・ラドラムの古典的名作「暗殺者」の権利を取得した監督ダグ・リーマンが、さまざまな障壁を乗り越えて映画化へとこぎつけた執念の企画である。その甲斐あって、作品は全米興行成績1億2000万ドルを稼ぎだし、同ジャンルのものとしては空前の大ヒットを記録した。 ヒット映画の慣例として当然、続編製作のプロジェクトは動き出したものの、そこに最大の功労者であるリーマンの名はなかった。リアリティを追求し、ハンドヘルト(手持ち)カメラや即興性を徹底させたその撮影スタイルにスタジオは難色を示し、見栄えのする派手なアクションシーンを追加するようリーマンに要求。彼はそれを拒んでファイナルカット(最終編集)の権利を剥奪されるなど、双方の間に深い溝ができたのだ。だがこうしたリーマンの抵抗こそが、前述のようなシリーズを象徴する視覚スタイルを決定づけたのは言を俟たない。 ◆シネマヴェリテ 『ボーン・アイデンティティー』の続編として2004年に発表された本作『ボーン・スプレマシー』は、こうしたリーマンの意匠を汲みながら、新しい才能へのアクセスを余儀なくされた。そこで白羽の矢が立ったのが、イングランド出身のイギリス人監督ポール・グリーングラスだ。 グリーングラスのキャリアは、アルカイダのテロリストによるハイジャックを描いた『ユナイテッド93』(2006)の自著コラム(https://www.thecinema.jp/article/850)に詳しいのでそちらを読んでほしい。概略して補足すると、彼はドキュメンタリーやテレビドラマのディレクターから映像作家のキャリアを始め、ヘレナ・ボナム=カーターとケネス・ブラナー共演による1998年公開のラブコメディ『ヴァージン・フライト』で劇場映画監督デビューを果たす。そして2002年、北アイルランドでの差別撤廃を掲げる国民デモで軍隊が発砲し、13人の犠牲者を出した「黒い日曜日」の映画化『ブラディ・サンデー』を監督し、同作は第52回ベルリン国際映画祭金熊賞を宮崎(﨑)駿監督の『千と千尋の神隠し』(2001)と共に受賞する。 この写実的映画の古典『アルジェの戦い』(1966)を彷彿とさせるセミドキュメンタリー調の作品を観た『ボーン・アイデンティティー』の製作総指揮フランク・マーシャルが、彼を『ボーン・スプレマシー』の監督にどうかとスカウトしたのである。もともと続編の監督選考条件として、「ダグ・リーマンと同じインディ系の監督を」という意向もあり、そこはリーマンと符号が合う。しかもマーシャルが観た『ブラディ・サンデー』は16mmネガフィルムで撮ったものを35mmにブローアップし、撮像のほとんどをハンドヘルトによって得た、いわゆる“シネマヴェリテ”的なリアル志向の強い作品だった。グリーングラスもメジャーを舞台とする新たな挑戦として、マーシャルからのオファーを受けることにしたのだ。 ◆暗殺者ボーンの贖罪 そんなグリーングラスが『ボーン・スプレマシー』で目指したのは、「ボーン自身が暗殺者である事実とどう向き合うのか?」という“贖罪”をテーマに持つことだった。自分が暗殺者として存在し、誰かを殺めてきたことや、自身と関わる人が犠牲になってしまうことへの重責が、ジェイソン・ボーンを苛んでいく。 「重いテーマになるが、それが彼の宿命であり、もう一度ボーンの物語を描くのならば、宿命を避けることはできない」(※1) とグリーングラスは語る。本作の『ボーン・アイデンティティー』にない暗いトーンは、こうした作品志向に起因するものだ。 前作の最後、マリー(フランカ・ポテンテ)と一緒になって新たな人生を歩むはずのボーンは、あれからまだ記憶を取り戻せず、依然として追われる逃亡生活を続けていた。そしてある日、彼は潜伏していたインドのゴアで殺し屋に狙われ、追撃戦の果てにマリーを死なせてしまう。 いっぽうCIAではエージェントのパメラ・ランディ(ジョアン・アレン)が、組織内の公金横領事件の捜査にあたっており、その手がかりを追っていくうち、ボーンを生んだ殺人兵士の養成プロジェクト「トレッドストーン計画」の存在へと行き着く。そして容疑者が殺され巨額が消えたこの事件にボーンが関わっているのではと、彼との接触を図ろうとする——。 グリーングラスはトニー・ギルロイによって書かれていた第1稿を11ヶ月かけてさらに膨らませ、こうしたボーン試練の章を組み立てたのである。ちなみにラドラムの同名原作(小説邦題「殺戮のオデッセイ」)は中国での副首相暗殺に端を発する物語で、拉致されたマリーを救うべくボーンが自分の名を騙る偽の人物と対峙する。このように映画において原作の影は薄いが、ボーンが唯一心を開いたマリーの受難と、ボーンの名が一人歩きし、陰謀に加担させられる状況のみ原作と共有している。 ◆強化したアクションとリアリティ こうして『ボーン・スプレマシー』は、前作の優れた点をより鋭利にするだけでなく、さらなる進化を作品にもたらしている。とりわけ視覚的なリアリティに関しては、前作以上に強化したレベルのものを提供しているのだ。 今回もインドのゴア、ドイツのミュンヘンやベルリン、モスクワという広範囲のロケ撮影を敢行。そして「スタイルはできるだけシンプルに」を目指したグリーングラスの演出は、劇中で交わされるセリフをより排除し、登場人物のソリッドな行動だけでストーリーを観客に提示する。「俳優が考えすぎると直感力を失い、演技にリアリティが失せてしまう」と主張し、リハーサルを抜いて俳優に演技をさせたりもしている。 過去にドキュメンタリー作品を何本も手がけてきたグリーングラスは、前作のダグ・リーマンが求めたリアリティをさらに突き詰め、アクション映画として影響力の高いスタイルを創造している。例えばリーマンがステディカムとハンドヘルトを併用した撮影だったのに対し、グリーングラスはほとんどのシーンをハンドヘルトで撮影した。キャメラを被写体と観客を結ぶ“間”の存在ではなく、キャメラそのものを観客の“眼”として見立てたのだ。グリーングラスは言う。 「フィックス(固定)撮影ではリアルな映像は生まれない。カメラがアクションを観客と同時体験することで臨場感は引き出せる」(※2) そうした撮影アプローチで得たラフショットのような画を、平均2秒とジッとしていない細切れのカッティングで編集している。構成されたショットはその総数3500。しかしノンリニアなデジタル編集以降の流れにありがちな、眼前で何が起きているのか分かりにくいカオス編集ではなく、被写体の目線誘導や距離関係を把握させる編集で、観る者を混乱させることはない。この巧技を提供したクリストファー・ラウズは、その後『ユナイテッド93』そして『キャプテン・フィリップス』 (2013) 『ジェイソン・ボーン』 (2016) と、グリーングラスの専属的なエディターとなっていく。また前作から連続登板したジョン・パウエルによるアンダースコアも、本作ではバングラドールという大型の両面太鼓を導入し、多動性を極めるショット構成にマッチした律動感で演出した。グリーングラスはリーマンの構築したボーンの世界観を踏襲しつつ、彼独自のボーンを創り上げたのだ。 こうしたアプローチのうえに完成した『ボーン・スプレマシー』は、2004年7月15日に公開され、全米興行成績で1億7600万ドルを稼ぎ出し、前作以上の成果をみせた。そしてジェイソン・ボーンの物語はシリーズへと拡張し、ラドラムが遺したもうひとつのボーン登場作『ボーン・アルティメイタム』の映画化 (2007)へと発展していく。 ・『ボーン・アルティメイタム』撮影中のマット・デイモン(中央)とポール・グリーングラス監督(右) ◆真のスタイルとは何か? 後年、グリーングラスはインタラクティブな質疑応答インタビューReddit AMAでのセッション(※3)で、自身の映像スタイルに関し、 「(手持ちカメラのスタイルは)三脚を買う金銭的な余裕がなかったのさ、なんてね(笑)。私は20代でドキュメンタリーを作り始め、それはしばしば危険な場所で撮影された。だからカメラを三脚で固定する時間がなく、カメラは自分の肩や手の中になければならなかったんだ。その後、映画を作り始めたとき、ドリーやトラックなどの古典的なスタイルで撮影することを学んだが、それには結婚式でスーツを着ているような違和感を覚えたよ。だから40代でドキュメンタリーを撮影していた頃の撮影に戻り、すべてがうまくいっているように感じたんだ」 と冗談混じりでユーザーに語っている。しかしグリーングラスはあくまで「スタイルは自分の内側からくるもの」と提言し、経験を通してより固定された視点を持つことこそ、映画制作の中心だと話題を結んでいる。これは若い映画製作者への助言ではあるが、同時にジェイソン・ボーンのシリーズ以降、自身のスタイルが乱用される傾向への戒めを含んだ文言といえるかもしれない。■ 『ボーン・アイデンティティー』(C) 2002 Universal Studios. All rights Reserved. 『ボーン・スプレマシー』(C) 2004 Universal Studios. All Rights Reserved.『ボーン・アルティメイタム』(C) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved. Photo Credit: David Lee
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PROGRAM/放送作品
美女と野獣(1946)
純粋な心を持つ野獣と美しい娘が心を通わせる…ジャン・コクトーの美意識が光るファンタジーロマンス
フランスの幻想小説を芸術家ジャン・コクトーが映画化。繊細な舞台美術によって絵画のような映像美を実現。野獣が住む館で壁やテーブルから伸びた手が客をもてなすなど、特撮技術を用いない魔法描写もユニーク。
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COLUMN/コラム2024.06.12
デ・パルマ“ギャング映画3部作”の最終便!円熟の業が光る『カリートの道』
『キャリー』(1976)『殺しのドレス』(80)など、ホラーやサスペンス作品のヒットを放ち、70年代後半からそうしたジャンルの旗手のように謳われた、ブライアン・デ・パルマ監督。 “スプリット・スクリーン”“360度パン”“スローモーション”…。華麗な技巧を駆使する彼を指して、「映像の魔術師」などと称賛する、熱烈なファンが生まれた。それと同時に、「ヒッチコックのエピゴーネン(亜流/模倣)」とディスる向きも、決して少なくはなかった。 80年代以降、そんなデ・パルマの新たなキャリアを切り開いたと言えるのが、“ギャング映画3部作”である。 その第1弾は、『スカーフェイス』(83)。キューバ移民の青年トニー・モンタナが、コカインの密売でのし上がるも、やがて自滅していくまでの物語。アル・パチーノを主演に迎え、ヒット作となるも、批評家の評価は高くなかった。しかしやがてカルト作として、熱狂的に支持されるようになる。 第2弾は、『アンタッチャブル』(87)。禁酒法時代のシカゴを舞台に、暗黒街の帝王アル・カポネを摘発しようとする、エリオット・ネスら捜査官たちの戦いの日々を描いた。 デ・パルマは、『ボディ・ダブル』(84)『Wise Guys』(86/日本では劇場未公開)といった作品が不振だったため、キャリアのピンチを迎えていたが、『アンタッチャブル』が大ヒットとなり、“信用”を取り戻す。 しかしその“信用”も、続く『カジュアリティーズ』(89)『虚栄のかがり火』(90)両作の大コケで、雲散霧消。その後、ある意味先祖返りのようなサイコ・サスペンス『レイジング・ケイン』(92)で、まあまあの興行成績と評価を得たが…、というタイミングで手掛けたのが、本作『カリートの道』(93)。デ・パルマの“ギャング映画”第3弾だった。 ***** 時は1970年代中盤。かつては、プエルトリコ系ギャングの出世頭だった、カリート・ブリガンテ。麻薬の密売で30年の刑期を喰らったが、親友の弁護士クラインフェルドの尽力によって、僅か5年で釈放され、生まれ育ったニューヨークのスパニッシュ・ハーレムへと帰還する。 カリートはすぐ、麻薬取引に絡むいざこざに巻き込まれ、手を血で染めてしまう。しかし足を洗うという覚悟は、揺るがなかった。 カリートは、ディスコの経営に勤しみながら、やがてバハマのパラダイス・アイランドに渡って、レンタカー屋を営むことを夢見る。そんな時、5年前に別れた恋人ゲイルと再会。ブロードウェイのダンサーを目指していた彼女は、ストリッパーに身を落としていたが、2人は再び愛し合うようになる。 夢の実現に邁進するカリートの行く手に、暗雲が差し込む。かつての仲間が、検事の手先となってカリートをハメようとしたり、のし上がってきたチンピラが、彼に挑発的な態度を取ったり…。 そんな時、クラインフェルドがカリートに救いを求めてきた。マフィアのボスの脱獄を手伝ってくれというのだ。 躊躇するも、自分を獄から放ってくれた親友の頼みを、断れない。カリートは、ゲイルの制止も振り切って、クラインフェルドの手助けをすることを決めたのだが…。 ***** 本作の原作者は、エドウィン・トレス。ニューヨークはスパニッシュ・ハーレムで生まれ育った、プエルトリコ系アメリカ人だが、法曹界に進み、地方検事補、弁護士を経て、ニューヨーク州最高裁判事にまでなった。 トレスは、厳しい判決を下す裁判官として名を馳せながら、小説家としてもデビュー。自らの出身地を主な舞台に、実際に会った人物や自らの目で見たものを書いたのが、「カリートの道」「After Hours」という、本作の原作となった2作である。 若き主人公カリート・ブリガンテが、麻薬ビジネスに足を踏み込んでから、伝説の麻薬王になり逮捕されるまでを描いたのが、「カリートの道」。投獄後、不当裁判で無罪を勝ち取ったカリートが、出所してから最期を迎えるまでのストーリーが、「After Hours」である。 カリートのキャラで、その生い立ちに関しては、トレス自身が投影されている部分もある。しかしカリートは、犯罪者。主要な要素は、トレスが友人たちからいただいたもので、名前を明かせない3人のモデルがいるという。 これらの小説には、発表後に直ぐ映画化の話が持ち上がる。プロデューサーのマーティン・ブレグマンの元に、脚本化されたものを持ち込んだのは、アル・パチーノだった。 ブレグマンは元々は、パチーノのエージェント。そうした関係性もあって、『セルピコ』(73)『狼たちの午後』(75)そして『スカーフェイス』(83)等、パチーノ主演作の製作を行ってきた。 今となっては誰が書いたかも知れない、この時点での脚本は、2つの小説「カリートの道」「After Hours」 を折衷したような、酷い仕上がりだったという。それを読んだブレグマンは、全くやる気が湧かなかったが、パチーノが主人公のカリートに惚れ込んでいた。やむなく原作に触れてみると、そこに描かれた、ストリートの生々しい雰囲気に、惹かれたという。 ブレグマンは、『ジュラシック・パーク』(93)の脚色が評判になっていたデヴィッド・コープに、仕事を依頼。原作に対するコープの第一印象は、「映画化するには分量が多すぎる」というものだった。 コープは、自分が70年代のスパニッシュ・ハーレムについて何も知らないのも気掛かりだった。この点は原作者のトレスの助力を得てリサーチし、クリアーしたという。 分量的な問題は、当時50代前半だったパチーノの年齢を考慮し、20代後半から30代前半のカリートが活躍する「カリートの道」ではなく、それ以降の物語である「After Hours」を軸に脚色することで、解決した。それなのにタイトルが『カリートの道』になったのは、マーティン・スコセッシ監督の『アフター・アワーズ』(85)があったからである。 ブレグマンは、かつて『スカーフェイス』で組み、成果を出したブライアン・デ・パルマに監督をオファー。しかしデ・パルマの当初のリアクションは、芳しいものではなかった。「ラテン系ギャングの話」は、もうやりたくなかったのだ。 彼が考えを変えたのは、コープの脚本を読んでから。パチーノと再び仕事ができるのも、決め手になったという。かくて『スカーフェイス』から10年振りに、ブライアン・デ・パルマとアル・パチーノが組んだ、“ギャング映画”が誕生することとなった。 デ・パルマは原作者のトレスに、スパニッシュ・ハーレムを案内してもらった。ここで誰が撃たれ誰が刺された等々、事件の現場を巡りながら、スペイン系ギャングの生態をウォッチング。デ・パルマはそこで、彼らが持つ家族愛や宗教心、更には独自のラテン音楽などを見出した。 そしてクランク・イン。ロケは、原作者の生まれた場所にごく近い地域などで行われた。『スカーフェイス』でお互いのやり方を心得ていた、デ・パルマとパチーノのコミュニュケーションは、スムースだった。パチーノは、彼の動作の美しさを捉え、その演技を際立たせるようなデ・パルマ演出を、至極気に入っていたという。 本作は冒頭、駅で撃たれたカリートが搬送されていくさなかに、彼のモノローグによって回想が始まり、ここに至るまでの日々が描かれていく。これは“フィルム・ノワール”、代表的な例としては、プールに浮かぶ死体の回想から始まる、『サンセット大通り』(50)などで用いられた手法の、援用と言える。 そのような形で語られる物語には、数々の個性的な人物が登場する。中でも強烈な印象を残すのが、カリートの親友で、コカイン中毒の弁護士クラインフェルド。原作者がこれまでに会ってきた、ろくでもない弁護士たちの集合体で、悪の世界にどっぷりと浸かっているキャラクターである。 演じるショーン・ペンは、初監督作品『インディアン・ランナー』(91)が絶賛され、監督業に専念することを真剣に検討していたのを翻しての、本作への出演。それだけ、この役に入れ込んでいたのだろう。薄毛のカーリーヘアという、あまりにもインパクトの強い外見は、ペン本人のアイディア。この見た目を作るのに、自毛をかなり抜いたのだという。 後にアカデミー賞主演男優賞を2度受賞する、メソッド俳優の面目躍如であるが、ペンの執拗なリテイク要求が、デ・パルマをげんなりさせる局面もあったという。とはいえ両者の関係は、概ね良好に運んだ。 カリートが愛するゲイルには、ペネロープ・アン・ミラーがキャスティングされた。『レナードの朝』(90)『キンダガートン・コップ』(90)『チャーリー』(92)など、話題作・ヒット作への出演が続き、彼女への注目が高まっていた頃だった。 カリートが共に“楽園”に行こうとする、天使のように理想化された存在でありつつ、バストトップを曝しての、70年代っぽいストリップのシーンなども印象的である。 パチーノが作品の肝としてこだわったのは、クラインフェルドの裏切りが露見し、カリートとの関係が、決定的に断絶に至るシーンだった。そのシーンには、25ものパターンを用意。更には、脚本家のコープが撮影に立ち会ったのは、パチーノのリクエストだった。 最終的には、コープが撮影直前に書き直した脚本で、決まりとなった。カリートは負傷したクラインフェルドが入院する病室を訪ね、彼なりのやり方で落とし前をつける。因みにパチーノが訪れる病院の外観は、彼が出世作『ゴッドファーザー』(72)で、マーロン・ブランドを見舞ったのと同じ場所が使われた。 本作は、クライマックスの地下鉄を使っての逃走劇や、それに続くグランド・セントラル・ステーションのエスカレーターでの銃撃戦など、さすが「映像の魔術師」デ・パルマと思わせるシーンも、随所にある。しかし全般的には、これ見よがしな技巧に走り過ぎたりは、決してしていない。日本の任侠物などにも通じる“仁義の世界“の住人故に、足を洗い切れなかった男の悲劇が、鮮烈且つ抑制的に描かれている。 公開当時、大きな成果を上げることはなかった。またパチーノ×ブレグマン×デ・パルマの前作、『スカーフェイス』のようなカルト人気を得ることも叶わなかった。しかし、当時53歳。デ・パルマのフィルモグラフィーの中でも、彼の円熟したスキルが、最も楽しめる1本に仕上がっている。 そしてデ・パルマは、次作『ミッション:インポッシブル』(96)で再びデヴィッド・コープの脚本を得て(ロバート・タウンと共同)、彼のキャリアの中で最大のヒットをものする。■ 『カリートの道』© 1993 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
天井桟敷の人々
巨匠マルセル・カルネが描く、19世紀パリの歓楽街に集う様々な男女の波乱万丈の人生と恋愛ドラマ
映画ランキングでは上位に顔を出すフランス映画の金字塔。ナチス・ドイツ占領下、数年の製作日数を費やし完成した執念の超大作。エスプリの利いた台詞と名優達の華麗な演技合戦と共に二部構成で物語が紡がれていく。
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COLUMN/コラム2024.06.05
巨匠サム・ペキンパーが放った映画史上屈指の壮絶な反戦バイオレンス映画。『戦争のはらわた』
超有名なブロックバスター映画を断って本作を選んだペキンパー 「バイオレンス映画の巨匠」として名高いハリウッドの鬼才サム・ペキンパーが、それこそ人間のはらわたも飛び散る戦場の地獄を生々しく描いた凄まじい戦争映画だ。しかも、第二次世界大戦時のナチス・ドイツ軍部隊が主人公で、なおかつ彼らを血の通った人間として描いている。第3回アカデミー賞作品賞に輝いたルイス・マイルストーンの『西部戦線異状なし』(’30)やフランク・ボーゼージの『三人の仲間』(’38)など、第一次世界大戦を題材にした映画に限っていえば、ハリウッドの映画人がドイツ兵を人間らしく描いた作品は少なからず存在するものの、しかし第二次世界大戦となるとまた話は別。ホロコーストという人類史上最悪の戦争犯罪に手を染めたナチス・ドイツの軍人たちを、ハリウッドの映画人は往々にして許されざる絶対悪として描いてきた。ところが、本作でペキンパーは彼らを完全なる善人でもなければ完全なる悪人でもない、長所もあれば短所もある泥臭い人間の集団として描く。前年に封切られたジョン・スタージェスの『鷲は舞いおりた』(’76)と並んで、当時としては斬新な視点の戦争映画だったと言えよう。 ただしこの作品、厳密に言うとハリウッド映画ではない。まずはその辺りの背景事情から解説していこう。以前に本サイトに寄稿した『バイオレント・サタデー』(’83)のレビューでも言及したように、『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』(’73)を最後に興行的・批評的な失敗が続き、なおかつ頑固者で気難しいアルコール&ドラッグ依存症のトラブルメーカーとして悪名を馳せたことから、すっかり映画界の鼻つまみ者となってしまったペキンパー。それでも『キングコング』(’76)に『スーパーマン』(’78)というブロックバスター映画のオファーを立て続けに受けたらしいが、しかしどちらも本人の好むような企画ではなかったため、仕事がないにも関わらずあえなく断ってしまう。そんな折に舞い込んだのが、本作『戦争のはらわた』の企画だった。 発起人は西ドイツの映画プロデューサー、ヴォルフ・C・ハイドリッヒ。’50年代から主に低予算のB級娯楽映画を手掛けてきたドイツ版ロジャー・コーマンみたいな人で、中でも若い女性のセックス事情を疑似ドキュメンタリー形式でセンセーショナルに描いたソフトポルノ映画『女学生(秘)レポート』(‘70~’80)シリーズを世界的に大ヒットさせた商売人である。「ドイツ人がドイツを題材に国際規模のメジャー映画を作って成功できるかどうか試したかった」というハイドリッヒは、ドイツ側の視点から第二次世界大戦の東部戦線を描いたヴィリー・ハインリッヒの小説「Das Geduldige Fleisch(患者の肉体)」の映画化権を獲得。世界に通用する大作映画として仕上げるべく、ヨーロッパでも知名度の高い巨匠ペキンパーに白羽の矢を立てたというわけだ。ただし、今のようにネットニュースなど影も形も存在しない時代、どうやらペキンパーの悪評はハリウッドから遠く離れた西ドイツにまで届いていなかったらしく、いざ撮影が始まるとハイドリッヒは頑固で気難しい映画界の問題児に悩まされることとなる。 もともとドイツ人脚本家の用意した脚本原案があったそうで、それを土台に『カサブランカ』(’42)でオスカーに輝く大ベテランのジュリアス・エプスタインがオリジナル脚本を完成。しかし、エプスタインの脚本は極めてオーソドックスな正統派の戦争物だったらしく、これを気に入らなかったペキンパーは無名の若手ジョシュ・ハミルトンにリライトを任せ、さらに撮影中も愛弟子ウォルター・ケリーに随時指示しながら修正や追加を繰り返したという。ケリーは脚本のみならず一部シーンでペキンパーに代わって演出も手掛けている。 ロケ地は鉄のカーテンの向こう側! ロケ地に選ばれたのは旧東欧圏のユーゴスラヴィア。当時の共産圏陣営にあって一定の自由市場経済や言論の自由が認められ、ソ連ともアメリカとも距離を置いていた同国は、当時のチトー大統領が大変な映画好きだったこともあり、西側からの映画撮影誘致に積極的だった。イタリアの戦争映画や一部のマカロニ・ウエスタンはユーゴで撮影されたものが多かったし、バート・ランカスター主演の『大反撃』(’69)やクリント・イーストウッド主演の『戦略大作戦』(’70)などのハリウッド映画もユーゴでロケしている。’60年代の西ドイツではカール・メイ原作の国産西部劇映画(いわゆるザワークラウト・ウエスタン)が大変な人気を集めたが、それらも実は主に現在のクロアチアのパクレニツァ国立公園辺りをアメリカ西部に見立てて撮影されていた。人件費は安いし経験豊富なスタッフも撮影機材も揃っている。なるべくコストを抑えたい映画プロデューサーにとっては理想的なロケ地であろう。 ユーゴスラヴィア政府も撮影にはとても協力的で、戦闘シーンではユーゴスラヴィア人民軍がエキストラのみならず第二次世界大戦で実際に使われたロシア製やドイツ製の武器・戦車などを提供(ただし、ロシア製戦車は3台しか調達できず、なおかつそのうち1台は動かなかったため、編集技術で何台もあるように見せている)。しかしその一方、ディテールにまで強くこだわるペキンパー監督の演出方針に加えて、クルーやキャストがギャラの週給制度を要求し、毎週金曜日の給料日に支払いが遅れるとみんなで仕事をボイコットしたため、撮影スケジュールが大幅に伸びてしまった。また、現地の食事がお気に召さなかったペキンパーは、製作スタッフにイタリアで大量の牛肉の塊を買ってこさせ、ロケ地で薪や枯れ木を集めて火を焚き、自ら肉を切り分けてクルーやキャストにバーベキューを振る舞ったという。 そんなこんなで、当初400万ドルだった予算は最終的に600万ドルへと膨れ上がり、資金調達に行き詰まったプロデューサーたちがロケ地へ乗り込んで撮影を強制終了。「今日でクランクアップだ」と言われたペキンパーは目に涙を浮かべながら猛抗議し、主演のジェームズ・コバーンも激怒したそうだがプロデューサー陣には通用せず、仕方なく4台のカメラをフル稼働して最低限必要なシーンを滑り込みで撮り終えたのだそうだ。ペキンパー本人によると、本当ならあと数日で完了するはずだったという。その後、ロンドンでのポスト・プロダクション費用は共同制作を担当したイギリスのEMIフィルムが追加提供。当時、ドイツ映画としては戦後最高額の予算をかけた超大作と宣伝されたが、しかし例えば『遠すぎた橋』(’77)の2500万ドルや『ナヴァロンの嵐』(’78)の1050万ドルなど、同時代の戦争大作映画と比べると明らかに安価で作られている。そもそもストーリーの規模を考えてみれば、当初の400万ドルという数字自体が少なすぎたのだ。 そこに描かれるのは戦場のリアルな地獄 時は第二次世界大戦下の1943年、場所は東部戦線のクリミア半島。ソ連軍の猛反撃にナチス・ドイツ軍が苦戦を強いられる中、怖いもの知らずの英雄シュタイナー伍長(ジェームズ・コバーン)率いるならず者部隊が孤軍奮闘する。自由気ままで粗野で反抗的なシュタイナーだが、しかしリーダーシップは抜群で部下からの信頼も絶大ゆえ、上司であるブラント大佐(ジェームズ・メイソン)やキーゼル大尉(デヴィッド・ワーナー)も一目を置く存在だ。そんなところへ、西部戦線のフランスからエリート将校シュトランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)が新たに赴任してくる。ドイツ軍人最高の栄誉である鉄十字勲章が喉から手が出るほど欲しいシュトランスキーは、劣勢の東部戦線で武勲を立てれば必ずや受勲できると考えて志願したのだ。 そんなシュトランスキーのことをシュタイナーははなから軽んじる。なにしろ、見るからに威張りくさった優等生。ソ連軍の砲弾が飛んでくる度ビクビクしている様子から察するに、ろくに前線で戦った経験がないことは明らかだ。実際、戦闘中は安全な塹壕の会議室から一歩も外へ出ようとしない臆病者。そのくせ自己評価とエリート意識だけは高くて尊大なクソ野郎だ。一方、プロイセン貴族出身であることを最大の誇りにする権威主義者シュトランスキーにしてみれば、一介の無名兵士に過ぎない平民出身のシュタイナーが、生まれも育ちも特権階級である高級将校の自分に敬意を払わないことが許せない。それでも、鉄十字勲章を得るにはシュタイナーを味方につけた方が得策と考えたシュトランスキーは、彼を曹長に昇格させてご機嫌を取ろうとするものの、名誉だの階級だのに無関心なシュタイナーの反応は素っ気なかった。 ソ連軍の大規模攻撃によりナチス・ドイツ軍は大勢の犠牲を出し、さすがのシュタイナーも重傷を負ってしまう。収容された病院で久々に平穏な時間を過ごし、担当看護婦エヴァ(センタ・バーガー)と束の間の愛を交わすシュタイナー。しかし、負傷兵たちの慰問に訪れたエリート将校たちの他人事な態度に憤慨し、たまたま病院を訪れた部下の顔を見て戦場へ戻ることを決意する。そこで彼を待っていたのは、戦死したマイヤー少尉(イゴール・ガロ)の手柄を自分のものにして、念願の鉄十字勲章を手に入れようと画策するシュトランスキー。既に、右腕トリービヒ中尉(ロジャー・フリッツ)は同性愛者であることをネタに脅され、本来ならマイヤー少尉のものである武勲をシュトランスキーのものと偽証する宣誓書にサインをしていた。シュタイナーにも同様の推薦書を書いて欲しいと頼むシュトランスキー。しかし、ひと足先に鉄十字勲章を授与されたシュタイナーは「こんな鉄くずの塊に何の価値があるのか?」と、呆れるようにしてシュトランスキーの申し入れを断る。これを深く恨んだシュトランスキーは、わざとシュタイナーの小部隊だけに退却命令を伝えず、彼らを敵陣に取り残して部隊ごと皆殺しにしてしまおうとするのだが…? 砲弾で吹っ飛ばされた兵士の内臓が飛び出し、機関銃で蜂の巣にされた兵士の全身から血が噴き出し、亡骸となった兵士が戦車の下敷きでペチャンコにされる。そんな見るも無残で醜くて恐ろしい戦場のリアルな地獄を、ペキンパー監督のトレードマークであるスローモーションをフル稼働して、余すことなくスクリーンにぶちまけてくれるのだから恐れ入る。もはや戦場のヒロイズムなど微塵もなし。劇場公開当時、ペキンパーは「(観客に)戦場の匂いや空気まで感じ取って欲しい」と語っていたが、これほど戦争というものの非人間性をまざまざと見せつけるような映画は稀であろう。さながら『プライベート・ライアン』(’98)の先駆的な作品であり、映画史上屈指の見事な反戦映画であると言えよう。 そのうえで、本作は軍組織が象徴する階級制度や権威主義などを真っ向から否定しつつ、ナチス・ドイツを生んだものとは何だったのか、なぜ一度は興隆を極めた第三帝国が破滅へ向かったのかを、一介の無名兵士シュタイナーの視点から考察していく。その主軸となるのがシュタイナーと上官シュトランスキーの対立である。古き封建時代のヨーロッパを体現する支配階級出身のシュトランスキーと、どれだけ戦果を挙げようとエリートの仲間入りなど出来ない労働者階級出身のシュタイナー。前者にとって戦場は出世の踏み台だが、後者にとっては純然たるサバイバルだ。生まれながらの特権を持つシュトランスキーは最前線に立つ必要もなければ、たとえ戦争に負けたとしても社会的地位や莫大な財産を失うことなどないが、しかしシュタイナーにとって戦争の勝ち負けは自身の生死をも左右する。なんたる不公平。なんたる理不尽。シュタイナーの怒りと不満はごもっとも。戦争も軍隊も階級制度も権威主義も、みんなまとめてクソ食らえである。 お気に入り女優が振り返るスランプ期のペキンパー そのシュタイナー役にはペキンパー作品の常連でもある親友ジェームズ・コバーン。最初から候補は彼以外にいなかったという。対する宿敵シュトランスキー役を任されたのは、オーストリア出身の世界的な名優マクシミリアン・シェル。英国映画界の重鎮ジェームズ・メイソンは、節税対策のため西ドイツからもユーゴからも比較的近いスイスに住んでいたらしい。ただ、やはり大ベテランゆえギャラも高かったため、契約書で定められた拘束期間はたったの8日間。それゆえ、彼の出番を最初にまとめて撮影したそうだ。キーゼル大尉役のデヴィッド・ワーナーは、『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』(’70)と『わらの犬』(’71)に続いてのペキンパー作品で、当時は『オーメン』(’76)の写真家役が話題となったばかりだった。 もともとオリジナル脚本には存在しなかった看護婦エヴァ役には、数少ないペキンパーお気に入り女優のひとりセンタ・バーガー。’60年代にハリウッドへと進出し、ペキンパーの『ダンディー少佐』(’65)にも出演していた彼女は、当時すでに活動の拠点を母国・西ドイツに移していたのだが、本作の製作準備のためミュンヘンを訪れていたペキンパーと偶然にも業界パーティで再会。その場で出演をオファーされ、ペキンパーは彼女のために看護婦エヴァというキャラを追加したのである。そのバーガー曰く、当時のペキンパーは「イエスマンばかりに囲まれ、彼らのいいように利用されていた。本人がそのことに全く気付いていない様子だったのが残念」だったそうだ。 ちなみに、冒頭でシュタイナーの小部隊が命を助けるロシア人少年兵を演じているスラヴコ・スティマツはクロアチア出身の有名な子役スターで、後にエミール・クストリッツァ監督の『ドリー・ベルを覚えているかい?』(’81)と『ライフ・イズ・ミラクル』(’04)に主演し、カンヌ国際映画祭のパルムドールに輝いた『アンダーグランド』(’95)でも主人公マルコの弟イヴァンを演じていた。 こうして完成した『戦争のはらわた』は、ヨーロッパやアジアの各国で大ヒットを記録。中でも日本での成功は抜きん出ていたらしい。当時、宣伝キャンペーンのため来日したサム・ペキンパーとジェームズ・コバーンは、日本のアパレル企業ダイトウボウの紳士服「ロッキンガム」のCMをペキンパー演出・コバーン出演で撮っている。ただ、肝心のアメリカでは折からの『スター・ウォーズ』ブームの陰に隠れ、残念ながら全米興行では惨敗を喫してしまった。■ 『戦争のはらわた』© 1977 Rapid Film GMBH - Terra Filmkunst Gmbh - STUDIOCANAL FILMS Ltd
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PROGRAM/放送作品
邪魔者は殺せ
秘密結社リーダーの過酷な逃亡劇が、独特の映像美で彩られる。名匠キャロル・リード監督の代表作
キャロル・リード監督が『第三の男』の2年前に手がけた犯罪サスペンス。『第三の男』でも見られる画面を斜めに映す構図や、幻覚描写などの斬新な表現を駆使。陰鬱な雨や美しい雪による演出効果にも注目。
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COLUMN/コラム2024.05.31
南北統一への願いも込められた韓国発の超痛快バディ・アクション!『コンフィデンシャル/共助』
北と南の刑事がタッグを組んで悪に立ち向かう! 韓国と北朝鮮の刑事がコンビを組んで凶悪犯罪に立ち向かうという、それまでありそうでなかった斬新な設定が話題を呼び、韓国では’17年度の映画観客動員数で上半期No.1の大ヒットを記録したクライム・アクションである。現地で本作が劇場公開された’17年2月といえば、前年10月に発覚した「崔順実ゲート事件」で朴槿恵大統領が弾劾訴追され、韓国社会にリベラルな市民革命の波が押し寄せていた、いわば大きな転換期の真っ只中。その朴槿恵大統領は就任当初こそ北朝鮮と良好な関係を保っていたが、しかし政権後半になると両者の関係は著しく悪化してしまった。本作が当時の韓国で大成功を収めた背景には、もしかすると来るべき朴大統領退陣後の世界を見据えて、北との関係改善を望む国民感情が少なからず作用していたのかもしれない。 物語の始まりは北朝鮮。ピョンヤン近郊の第215工場では、秘かに米ドル紙幣の偽造が行われていた。工場の外では、人民保安部の特殊捜査隊チームが監視している。彼らは正体不明の犯罪グループを追って第215工場へと辿り着いたのだ。ほどなくして、工場内で銃声が鳴り響く。使命感の強いイム・チョルリョン少佐(ヒョンビン)は、明け方まで外で待機しろという上司チャ・ギソン大佐(キム・ジュヒョク)の指示を無視し、部下たちを引き連れて工場内へと急行。ところが、彼らの前に現れた犯罪グループの黒幕は、他でもない上司ギソンその人だった。武装した犯罪グループは、工場職員も特殊捜査隊もまとめて皆殺しに。チームの一員であるチョルリョンの妻もギソンの銃弾に倒れる。目の前で最愛の人を殺され、自身も銃撃戦で負傷したチョルリョンは、果てしない絶望の中で意識を失っていく。 ギソン率いる犯罪グループの目的は、北朝鮮の最新技術の粋を集めた偽造紙幣印刷用の銅版「明刀銭(ミョンドジョン)」の強奪。これのおかげで北朝鮮は、スーパーノートと呼ばれる100米ドル紙幣の超精巧な偽札を大量生産してきたのだ。その「明刀銭」を奪ったギソン一味は、中国を経由して韓国のソウルへ。恐らく高値で売りさばくつもりなのだろう。もし銅版の存在が世界に知れたら一大事だ。慌てた北朝鮮上層部は一計を案じる。北側からの提案で南北長官級会談を韓国ソウルでセッティングし、その使節団のメンバーとして捜査官を送り込もうというのだ。選ばれたのは九死に一生を得たチョルリョン。当初、ただひとり生き残ったことから逆に共犯を疑われて拷問を受けたチョルリョンだったが、妻を殺したギソンへの激しい復讐心に駆られて危険な任務を引き受ける。 一方その頃、ソウル警察庁の刑事カン・ジンテ(ユ・ヘジン)は、捜査中に娘からの電話に出て容疑者を取り逃がすという大失態を演じ、3ヶ月の停職処分を食らってしまう。人情に厚くて同僚や部下から愛されるジンテだが、しかしお人好しな性格から損な役回りばかり引き受けてしまい、おかげで出世コースとは縁のない万年ヒラ刑事。停職処分などと知れたら気の強い妻ソヨン(チャン・ヨンナム)から大目玉を食らってしまうし、そもそも育ち盛りの娘ヨナ(パク・ミナ)や居候の義妹ミニョン(ユナ)の生活費も稼がねばならない。さて困った…と頭を抱えていると、上司のピョ班長(イ・ヘヨン)から特別任務の相談を受ける。 その特別任務とは「南北共助捜査」。なんでも、脱北した殺人犯を秘密裏に捕らえるため、南北長官級会談に合わせて北の捜査官がソウルへ来るらしい。そこで、韓国側の刑事がパートナーとして合同捜査することになったというのだ。ただし、合同捜査はあくまでも形だけ。ジンテの役目は北の捜査官から犯人の詳しい情報を入手し、捜査に協力するふりをして遠ざけること。犯人逮捕の実務は韓国の国家情報院が行う。なぜなら、わざわざ北側が韓国まで追いかけて来るほど重要な犯罪者が、単なる殺人犯とは考えにくいから。それならば自分たちの手で捕え、犯人の正体と北側が躍起になる理由を突き止めようというわけだ。 詳細を聞いて一瞬ためらうジンテ。正直なところ、ピョ班長から厄介事を押し付けられたような形だが、しかし任務に成功すれば早期の復職が叶うばかりか出世も期待できる。そう考えて引き受けることにしたジンテだったが、想像以上にやり手だったチョルリョンの大胆で命知らずな捜査に次々と振り回されていく…。 見どころは超絶スタントばかりじゃない! 韓国映画お得意のハードなアクションとバイオレンスが満載。登場人物たちと一緒になって縦横無尽に駆け回るカメラワークの圧倒的な没入感を含め、それこそ「ジェイソン・ボーン」シリーズも顔負けの派手なスタントは、もはやハリウッド映画以外では韓国映画の独壇場と言えよう。見ていて思わず笑みがこぼれてしまうほどの迫力。日本人にもお馴染みのお洒落な繁華街・梨泰院(イテウォン)をはじめ、実際のストリートへ飛び出してのカーチェイスやら銃撃戦やらの危険なアクションは、そもそも日本では撮影許可自体が下りないはずだ。なおかつ、最大限CGに頼らないリアルなスタントを目指した本作では、その表情までもカメラに捉えるため役者自身が多くのスタントに挑戦しており、中でも主演のヒョンビンは全体の90%をスタントダブルなしで本人が演じているという。しかも、接近戦の肉弾バトル・シーンではロシア軍特殊部隊から生まれた格闘術「システマ」を採用。それこそ『イコライザー』シリーズのデンゼル・ワシントンの如く、身近にある日用品までも武器に変えてしまう驚異の格闘アクションを披露する。 ただし、本作の最大の魅力はそうした映像的に派手な見せ場の数々よりも、泥臭くて人間味のある登場人物たちのキャラクターと、サスペンスやユーモアの中に朝鮮半島の平和と南北統一への願いを込めた脚本の奥深さにあると言えよう。犯人逮捕のためなら手段を選ばない命知らずの若手エリート刑事チョルリョンと、グウタラなダメ人間だけど部下想いで家族を大事にする人情家のベテラン刑事ジンテの顔合わせは、さながら『リーサル・ウェポン』シリーズのリッグスとマータフの如し。気が強くて口も悪いけど誰よりも夫を愛するジンテの妻ソヨン、我がままだけど無邪気で愛くるしい娘ヨナ、美人だけどジンテ以上にグウタラなダメ人間の義妹ミニョンと、かなりクセ強めなジンテの家族も親しみやすくて魅力的だ。 もちろん、クールでストイックでハンサムなチョルリョンを演じる韓国のトップ俳優ヒョンビン、見るからに風采の上がらないオジサンだけどお人好しで憎めないジンテを演じる名脇役ユ・ヘジンと、実に好対照な主演コンビのキャスティングも強力な武器であろう。美女と野獣ならぬ美男と野獣(笑)。加えて、筋骨隆々の精悍な悪党ギソン役のキム・ジュヒョクがまたカッコいいのなんのって!韓流ノワール『毒戦BELIEVER』(’18)で演じた中国人麻薬商人も強烈だったが、それだけに45歳の若さで交通事故死してしまったことは本当に惜しまれる。なお、義妹ミニョン役を演じるユナは、K-POP第二世代を代表するガールズグループ、少女時代のメンバーだ。 殺された妻の復讐を果たすため、そして独裁国家へ絶対的な忠誠を誓った捜査官としての職責を全うするため、是が非でも宿敵ギソンを捕らえねばならないチョルリョン。一方のジンテはなるべく面倒なトラブルを避け、何事もなく穏便にミッションを終えて職場復帰したいのだが、しかし危険を顧みないチョルリョンの大胆不敵な行動力と、現場の刑事を便利な駒としか考えない国家情報院の理不尽な要求に振り回される。そんな2人の凸凹コンビぶりがスリルと笑いを生んでいくわけだが、同時に国家権力によって都合良く使い捨てにされる者の悲哀までもが滲み出る。だからこそ、互いに反発しつつも次第に共鳴し、やがて固い友情で結ばれていくことになるのだ。そういえば、妻を収容所で失ったことから共和国に恨みを持つようになったギソンも、よくよく考えると北朝鮮の全体主義が生み出したモンスターであり、国家権力の哀れな犠牲者とも言えますな。 そのうえで本作は、たとえ国は違ってもそこに住むのは同じ血の通った人間、しかも韓国と北朝鮮の場合は言語や文化を共有する同じ民族であることを再認識させ、両国民がお互いを理解して歩み寄ることの大切さ、朝鮮半島の平和と南北統一の実現へかける期待、そして権力者の思惑に踊らされて民衆同士が対立や分断を深めることの無益を訴える。同じようなことはロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナにも言えるだろう。表向きは超絶アクション満載の痛快・爽快なエンターテインメント映画でありながら、しかしその根底には万国共通の普遍的なヒューマニズムの精神が流れている。それこそが本作の圧倒的な強みだと言えよう。 なお、本作の韓国公開から約3ヶ月後に文在寅政権が誕生。翌’18年2月の平昌オリンピック開会式では韓国と北朝鮮の選手が統一旗を掲げで合同で入場し、4月には板門店での南北首脳会談が実現するなど、一時的にせよ南北の融和ムードが一気に高まることとなった。■ 『コンフィデンシャル/共助』© 2017 CJE&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
オクラホマ無宿
西部劇の英雄ランドルフ・スコットのアウトロー役は貴重!実在のギャング団リーダーの生きざまに迫る
実在したギャング団リーダー、ビル・ドーリンをランドルフ・スコットが熱演。正義の保安官を演じることが多い彼には珍しくアウトロー役だが、ギャング稼業から足を洗えない男の悲哀を苦渋たっぷりに魅せる。
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COLUMN/コラム2024.05.31
「いまつくらねば!」2017年のスピルバーグが『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を撮った重み。
1971年6月。「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」、後に“ペンタゴン・ペーパーズ”と呼ばれることになる、アメリカ政府の機密文書の存在を、「ニューヨーク・タイムズ」が、スクープした。 それはトルーマンからアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンといった、歴代の大統領とその政権が、泥沼化するベトナム戦争に関して、アメリカ国民に嘘をつき続けていたことを明らかにする内容だった。正義も勝算もない戦争に、多くの若者たちを兵士として送り、多大な犠牲を出してきたのである。「ワシントン・ポスト」編集主幹のベン・ブラッドリーは、「タイムズ」と同じ文書を手に入れ、この報道に参戦しようと、躍起になる。 しかし時のニクソン政権は、「タイムズ」を機密保護法違反で訴え、その続報は差し止められてしまう。ブラッドリーたちもスクープの後追いをすると、政府を敵に回し、「ポスト」も同じ憂き目に遭う可能性が高い。 折しも「ポスト」は株式公開に向けて、社主のキャサリン・グラハムはその準備に、余念がなかった。ブラッドリーたちの企ては、「ポスト」の経営を揺るがしかねないと、社の上層部や法律顧問から、猛反対を受ける。 報じるか否か、すべては社主のキャサリンに委ねられた。果して、彼女の決断は!? ***** 「いますぐこの映画をつくらなければいけない…」 実話に基づき実在の人物達を主人公にした、本作『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2017)の脚本を読んでそう考えたのは、巨匠スティーヴン・スピルバーグ。彼の動きは、果断だった。 製作中だったSF映画『レディ・プレイヤー1』(18)の撮影を、イタリアで終えると、アメリカに帰国。可能な限りスピーディに、本作を完成・公開するプロジェクトに取り組んだ。 彼をそうさせたのは、2017年1月の、トランプ政権の誕生。都合の悪い報道は、「フェイクニュース」と口汚く罵り、圧力を掛けることを辞さない新大統領と、メディアの関係は、極端に悪化していた。 スピルバーグはこうした状況に、強い危機感を覚えていた。その時に、「報道の自由」を高らかに謳い上げる、本作の脚本に出会ったのである。 元々この脚本はリズ・ハンナという、その時点ではまだ映画化作品がない、女性脚本家が執筆。「ブラックリスト」に登録したものだった。 この「ブラックリスト」とは、優れた脚本やその書き手を発掘するために、2005年にスタートしたシステム。登録された脚本は、限られた映画関係者だけがアクセスできるウェブサイトで公開される。 2016年に登録されたこの脚本を読んで、その年の10月に映画化権を獲得したのは、プロデューサーのエイミー・パスカル。そしてパスカルはこの脚本を、スピルバーグへと委ねたのだ。 元の脚本は、執筆したリズ・ハンナ曰く、「ソウルメイトたちのラブストーリー」。“ペンタゴン・ペーパーズ”の報道を巡って、「ワシントン・ポスト」の社主であるキャサリン・グラハムと編集主幹のベン・ブラッドリーの関係が培われ、育っていく。それが2人の、そして「ポスト」の強みになっていく様を描いている。 スピルバーグが「すぐに撮りたい」と思ったほどの脚本だったが、十全を期してブラッシュアップを図った。筆を加えたのは、やはり実話ベースで2015年度のアカデミー賞作品賞と脚本賞を受賞した、『スポットライト 世紀のスクープ』のジョシュ・シンガー。 彼の役割は、キャサリンが決断を下すまでの数日間を描く中で、観客が、舞台となった“1971年”に没入し、その時代に身を置けるようにすること。そこで、「歴史的な要素と時代背景」を書き加えるために、当時を知る多くの者に、リサーチを行った。 本作は、2017年5月30日にニューヨークでクランク・イン。メインの撮影は50日間で終了し、11月6日には作品が完成していた。 1993年には、革新的なVFX技術を用いたエンタメ超大作『ジュラシック・パーク』と、ナチスによるユダヤ人虐殺を描いた社会派作品『シンドラーのリスト』という、映画史に残る2本をほぼ並行して製作・監督するなど、「早撮り」で知られるスピルバーグであるが、本作は、彼が脚本を読んでから僅か9カ月での完成。その偉大なフィルモグラフィーの中でも、最も短期間で仕上げた作品となった。 そして『ペンタゴン・ペーパーズ』は、先行して製作していた『レディ・プレイヤー1』より3か月も早く、その年=2017年12月には、公開となったのである。 このハリウッド大作としては極めて短期間のプロジェクトに、主演として請われたのは、メリル・ストリープとトム・ハンクス。ハンクスがスピルバーグとタッグを組むのは、5度目だったが、メリルとスピルバーグ監督作の縁は、過去に『A.I.』(01)で声優を務めたことのみ。実質的には、スピルバーグ組への初参加と言えた。またメリルとハンクスの共演も、初めてのことだった。 メリルが演じたキャサリン・グラハム(1917~2001)は、期せずして「ワシントン・ポスト」の社主となった女性である。「ポスト」は元々、彼女の父が1933年に買収。46年にその娘婿、つまりキャサリンの夫であるフィル・グラハムが後を継いで、成長させた新聞社だった。 しかしフィルが、現在で言うところの双極性障害を悪化させて、63年に自殺。それまで4人の子どもを育てる“専業主婦”だったキャサリンは、46歳にして父と夫の会社を守るため、周囲の反対を押し切って、経営者の座に就いたのである。 アメリカの主要紙では初の女性TOP、しかもその手腕は未知数ということもあって、軽んじられることも少なくなかったというキャサリン。本作はそんな彼女が大きな決断を下し、成長していく物語と言える。 メリルは、キャサリン・グラハム自身が朗読した、自伝の録音を聴くなどして、撮影前の準備を行った。その際にキャサリンの、「エネルギー、知性、思いやり、ユーモア、そして謙虚さ」に、すっかり魅了されてしまったという。 ハンクスが演じたベン・ブラッドリー(1921~2014)は、キャサリンが「ニューズウィーク」誌から引き抜いて、「ポスト」の編集主幹に据えた人物。有能で仕事熱心なジャーナリストであったが、その強引さから“海賊”と異名を取ってもいた。 スピルバーグは生前のブラッドリーと近所付き合いがあり、何度も話した経験があった。またハンクスもブラッドリーとは、90年代に何度か夕食会で会った間柄だった。 メリルとハンクスの役作りは、例によって完璧だった。キャサリンやブラッドリーを知る識者たちが撮影現場を訪れた際、「ミセス・グラハムそのまま」「彼そのもの」と折り紙を付けるほど、精緻を極めていたという。 そんな2人の名優を擁した現場でのスピルバーグ演出は、初顔合わせだったメリル曰く、「即興的な撮り方」で、リハーサルもなかったため、彼女をとても吃驚させた。スピルバーグから、“次は違うふうに”などと、色々な撮り方を試されたメリルは、それにアドリブを交えながら応えた。 そんな彼女の即応力に、スピルバーグ組ベテランのハンクスも、「メリルは共演者を決められた演技に誘導するのではなく、最高の演技を一緒に引き出そうとする」と感服。彼女との共演を、「素晴らしい経験だった」と、称賛を惜しまなかった。 メリルが初体験だった、この「とても自由な感じ」の撮影は、「すぐに始まり、すぐに終わった」印象だったという。 本作のキャストで、いわゆる“大スター”はメリルとトムだけだったが、脇を固める俳優陣も、こうしたスピルバーグ演出の下、素晴らしい演技を見せている。 さて細かいことは観てのお楽しみとするが、本作はメインのストーリー展開が終わって1年後の1972年6月、当時野党だった民主党本部に5人の男が不法侵入し逮捕された事件を映し出して、幕となる。世に言う、“ウォーターゲート事件”である。 後にこの犯罪行為に、ニクソン大統領の「再選委員会」が関わっていることが判明。結果的にニクソンは、辞任へと追い込まれる。 この件をスクープしたのが、本作ではハンクスが演じたベン・ブラッドリーの部下で、「ワシントン・ポスト」の若き記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン。そしてその顛末を映画化したのが、アラン・J・パクラが監督し、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンが共演した『大統領の陰謀』(1976)である。 つまり本作のエンディングは、41年前の名作『大統領の陰謀』のプロローグになっているという仕掛けだ。この特ダネの報道に挑むブラッドリーのチームを全面的にバックアップしたのも、キャサリン・グラハムだったが、残念ながら今から半世紀近く前に映画化された『大統領の陰謀』は、ほぼ完全に“男社会”の作品。彼女の名前は、触れられる程度に終わっている。 1976年の『大統領…』と2017年の『ペンタゴン・ペーパーズ』。製作年度の、彼我の差という他はない。 さてトランプ大統領の誕生が、スピルバーグに本作の製作を決意させた旨は、冒頭で記した通りである。それから7年経った現在、「もしトラ」~1度は野に下り、数々の犯罪行為で訴追されているトランプが、大統領に復帰する可能性が、喧伝される事態となっている。トランプ復帰が現実のものとなった場合、再びメディアとの対決姿勢を打ち出すのは、疑いあるまい。 一方で我が国の現状を鑑みると、「世界報道自由度ランキング」の2024年版では、前年の68位から順位を下げ、70位。G7では、最下位という体たらくである。長期政権とメディアの癒着や緊張関係のなさが、危機的状況を招いている。 本作『ペンタゴン・ペーパーズ』では、「報道の自由」を保証する、「アメリカ合衆国憲法修正第1条」が再三言及される。それに基づき、本作のクライマックスで連邦最高裁が下す判決の中にある一文が、これほどまでに重く響く時代になるとは…。「報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない」■ 『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』© 2017 Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.