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COLUMN/コラム2017.01.22
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年2月】たらちゃん
ついに開催まで1か月を切った第89回アカデミー賞。今回ご紹介するのは今から64年前にアカデミー作品賞を獲得した『地上(ここ)より永遠(とわ)に』です! 時は1941年、夏のホノルルの兵営にやってきたラッパ手のプルー(モンゴメリー・クリフト)。ウォーデン曹長(バート・ランカスター)が取り仕切るこの部隊は一見平和に見えるものの、一筋縄ではいかない曲者揃い。その内情は惨憺たるものだった。正義感の強いプルーは、上官や同僚からの壮絶なしごきやいじめに遭い孤立無援となるが、お調子者のアンジェロ(フランク・シナトラ)だけは彼に優しく接するのだった。内部での嫌がらせがエスカレートする中、やがて第二次世界大戦の激化が、兵士たちをさらに翻弄することになる。 ジェームズ・ジョーンズのベストセラー小説の映画化である本作は、国を守るはずの軍隊の腐敗しきった内部を、戦争を背景に赤裸々に描いています。1950年代といえば、戦後の混乱した時期とは一変、アメリカが世界を牽引する国家へと成長した時代。ヒーローが活躍する勧善懲悪もの、男女が健全な愛を育むラブストーリーなど、いわゆる「ハリウッドらしい」娯楽作があふれる中、リアリティを追求した社会派の作品も流行していました。 まず本作の見どころは、当時を代表する豪華スターの夢の共演。モンゴメリー・クリフト、バート・ランカスター、デボラ・カー、ドナ・リード、そしてアメリカを代表する歌手フランク・シナトラ!本作で彼はプルーを支える陽気な同僚アンジェロを好演、見事アカデミー助演男優賞を受賞しています。さらに『北国の帝王』『ポセイドン・アドベンチャー』などで渋い演技を見せた名脇役アーネスト・ボーグナインは、憎たらしさ満点の悪役を熱演しており、これまたハマり役です。こんな豪華すぎる名優たちがリアルな人間ドラマを織りなすのだから、面白くないわけがない!嫉妬や憎悪、そして許されぬ愛。本作が描くのは、人間の心の奥に潜むエゴそのもの。モノクロの映像で淡々とつづられていく中、夜の兵舎でラッパを吹くプルーや、禁断の愛に燃えるデボラ・カーとバート・ランカスターの波打ち際のキスといった要所に登場する有名なシーンはドラマチックなものばかり。現代の私たちが見ても思わず熱くなる、本能のままに感情をむき出しにする人々の姿が垣間見えます。 戦争という狂気の時代で起きる悲劇の数々。本当の正義とは。人間は何のために生きるのか。そして、タイトルの「地上(ここ)」の真の意味とは。プルーがこれらを自覚したとき、残酷な時代の波がホノルルに襲い掛かります。あの日、あの時、あの場所で、人々は今の私たちと同じように、それぞれの人生を精一杯生きていました。ストーリーはフィクションですが、背景に描かれる1941年のあの出来事は、まぎれもなく歴史上本当にあった事実なのです。壮絶なラスト30分間、皆さまは何を思うでしょうか。 「生きる」とは何かを教えてくれる、名匠フレッド・ジンネマンの時代を超えた一作。アカデミー作品賞受賞の珠玉の名作を2月のザ・シネマでご堪能ください! Copyright © 1953, renewed 1981 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2017.01.14
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年2月】飯森盛良
シン・シティ1&2は短編集みたいな映画で、それぞれのエピソードはユルくつながってる。けど、時系列が映画も、原作コミックでさえもメチャクチャで、わかりづらい。そこで、時系列順で見るならこうだ!という懇切丁寧なガイドをここに発表! まず①1のブルース・ウィリス主役のエピソード前後編をセットで ↓②2のアバンタイトル、ミッキー・ロークがホームレス狩りしてる調子コイてる大学生どもをシバくくだり ↓③2のエヴァ・グリーンがファム・ファタル無双のノワールなお話 ↓④2のジョゼフ・ゴードン=レヴィット主役の前後編セット ↓⑤2ラストの、逆襲のジェシカ・アルバ ↓⑥1のミッキー・ロークが一発ヤラせてくれたマブい女の仇を討つお話 ↓⑦1のクライヴ・オーウェン主役エピソード と、いう順番なんです実は。これでもう安心ですね?2本丸ごと録画して、ぜひ2度目はこの順番で再生してみてください。当方で編集してこう流すと著作権侵害で訴えられそうなのでゴメン無理! ©2014 Maddartico Limited. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2017.01.10
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年2月】うず潮
ルイ・ペルゴーの小説「ボタン戦争」を原作にした1961年のフランス映画。インターネットもケータイもTVゲームもなかった頃のケンカを描く、子供抗争映画の名作。演技経験ゼロの子供たちが元気いっぱいに暴れまわる、フランス版「あばれはっちゃく」とも言える作品です。見ているうちに、自然と自分の子供時代に戻って、いつの間にか彼らの一員になっています。また、劇中の子供たちはフランス憲法を理解し、全てにおいて平等の精神で描かれているところも注目です。 「フニャチン」「〇〇はケツの穴」といった大人になって決して口にしなくなったことを叫び、全員まっ裸で戦ったり、秘密基地を作ったり、男子たるもの子供の頃、絶対にやりたかった、やっていたことを満載に描いた映画です。さらに映画の中では、両津勘吉バリに子供たちだけで商売をはじめ、軍資金をつくって必要な備品を揃える始末(逞しすぎ!)。そして色々見つかって、当然、親たちにめっちゃ怒られます(笑)。40歳以上の男子は是非見てほしい1本。見た後は、思わず竹馬の友に連絡したくなりますよ! 余談ですが、本作は1995年に『草原とボタン』のタイトルでリメイク。さらに、劇中で「来るんじゃなかった」が口癖の小さな男の子を演じたアントワーヌ・ラルチーグは、愛くるしい笑顔で本作公開後に人気者となり、彼が主演の映画『わんぱく旋風』が作られました。 © 1962 ZAZI FILMS.
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COLUMN/コラム2017.01.24
トランプさんの演説が『ダークナイト ライジング』のベインのアジ演説と激似の件について
ここ数日来、この件でネット上がちょっとザワザワしていますね。今なら以下の各ニュースサイトのリンクがまだ生きているはず。 http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1768238.html https://www.businessinsider.jp/post-458 http://news.livedoor.com/article/detail/12572697/ https://www.buzzfeed.com/bfjapannews/people-cant-get-over-how-much-trump-sounded-like?utm_term=.ewGQwJa1l#.wjRM1O0rx でもこういうリンクはすぐに切れちゃうものなんで、経緯を簡単にワタクシの方でも記しときましょう。 去る2017年1月20日の大統領就任式で、トランプさんは15分という短尺の就任演説をブったのですが、この中で、 “we are not merely transferring power from one administration to another, or from one party to another - but we are transferring power from Washington, D.C. and giving it back to you, the people.” 「(前略)我々は、ある政権から別の政権へ、またはある政党から別の党へ、ただ権力の移行をしているのではない。我々は、権力をワシントンD.C.から移譲させ、お前たち人民に取り戻してやるのである!」 とおっしゃられました。この “and giving it back to you, the people.” の部分が、『ダークナイト ライジング』劇中におけるベインのアジ演説のワンフレーズ “and we give it back to you... the people.” というくだりを丸パクリしたんじゃないの!?との疑惑が出てネット界隈がザワついてるのです。 ここ、全文ですと、 “We take Gotham from the corrupt! The rich! The oppressors of generations who have kept you down with myths of opportunity, and we give it back to you... the people. Gotham is yours.” 「我々が腐敗からゴッサムを奪い返すのだ!金持ちの手から!迫害者どもはチャンスという言葉をチラつかせ、長らく我々を搾取してきた。ゴッサムを奪い返すのだ、市民の手に。街は市民のものだ」 と言ってるんですな。ベインがゴッサム市庁舎の前でブつ大演説からの一節であります。 ワンフレーズだけ見ると確かにほとんど100%同じですが、こうして前後の文脈ごと読み比べてみると、全体としては当然、2人はまるで違うことを言ってる。でも、実はベインもトランプさんも、ある決定的に同じことを“口実”にすることによって、一部の層から人気を博して権力を握ったので、やっぱり最も根本的な根っこの部分ではこの2人、モロにやってることとキャラがかぶっているのです(2人とも、あくまでそれは“口実”にしてるにすぎないところまで同じ)。 それは何かと言うと、格差社会批判です。 当チャンネルの土日メイン作品枠「プラチナ・シネマ」でも、昨年末から立て続けに『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や『パワー・ゲーム』、来月も『アップサイドダウン』をお送りしますが、まさに、今の時代に映画が描き、糾弾している、現代最大の社会悪こそが“格差”ではないでしょうか? ■ ■ ■ ベインはゴッサム版ウォール街のような証券取引所を襲い、ゴッサム市民の前にはじめてその姿を現します。後に革命軍みたいな連中を率いて「我々は解放者だ!」と叫びながらゴッサムのアリーナに現れ、さらに先の市庁舎前演説では、 「刑務所にいる抑圧された者たちを解放する」「今より市民軍を結成する。志願する者は前に出ろ」「金持ちの権力者どもを豪華な住まいから引きずり出せ」「今まで我々が味わってきた冷酷な世界に放り出すのだ」「我々の手で裁きを下す」「贅沢は皆で分け合え」 などともアジ演説をブち続けます。言っとることはまさしく「革命」ですな。 『ダークナイト ライジング』の『ライジング』とは「立ち上がる」、「蜂起する」、「蹶起する」といった意味。つまりは「革命」です。この映画、革命のイメージに満ち溢れておりまして、 ①ベイン革命軍は真っ赤なスカーフを巻いており、まるで文革の時の紅衛兵みたい。 ②人民法廷に資本家や旧体制の官憲が引き出され、上訴なしの即決裁判で死刑判決を受けるシーンがあるが、あの絵ヅラは世界史の教科書で見覚えがある。フランス革命のルイ16世の裁判↓か、 もしくは、「球戯場の誓い」のページに載っていた挿絵↓にソックリ。被告席の椅子もなんだかとってもヴェルサイユ風だし。 ちなみに「球戯場の誓い」とは、フランス革命の直接原因となった事件。税金を払わされている圧倒的多数の平民が「一握りの特権階級が税金を免除されているのはおかしい!」、「三部会で特権階級の主張ばかりが通るのはおかしい!」と訴え、自分たちこそが国民の真の代表なんだと立ち上がった出来事。 さらにこのシーン、判事席(裁判官はスケアクロウ!)は、机や椅子などを雑然とうず高く積み上げたもので、『レミゼ』の六月暴動やパリコミューンにおける「バリケード」を連想させる。「バリケード」はかつて革命市民軍にとって基本戦術だった(普通選挙が広まると、革命勢力は選挙による政権奪取を目指すようになり、エンゲルスが亡き同志マルクス著『フランスにおける階級闘争』1895年版に寄せた序文で「あの旧式な反乱、つまり1848年までどこでも最後の勝敗をきめたバリケードによる市街戦は、はなはだしく時代おくれとなっていた。」と批判し、バリケード戦術は廃れていった…かと思いきや日本では昭和40年代の大学紛争においてもまだまだバリバリ現役だったけど)。 ③その革命裁判で死刑を宣告されると凍った川を渡らされ、途中で氷が割れて死んでしまう。これは原作コミック『バットマン:ノーマンズ・ランド』の中ですでに描かれているイメージだが、この映画ではさらに、ロシア革命の時に赤軍に追われた人々が凍結したバイカル湖を渡ろうとして沈んだ歴史的悲劇“バイカル湖の悲劇”をも想起させる。 ④ベイン率いる革命軍とバットマン率いる警官隊が衝突するシーンでは、バットマンは珍しくなぜだか日中に戦う。そのシーン、晴れた日で粉雪が舞っている昼間なのだが、ここはロシア革命の導火線となった「血の日曜日事件」の光景を彷彿させる。雪の積もる晴れた日の出来事だった。 こうした革命のイメージの数々に、さらに9.11のNYのイメージや(ベインがテロを仕掛けるシーンではグラウンドゼロをわかりやすく空撮してます)、そしてコミック『バットマン:ノーマンズ・ランド』のイメージを掛け合わせ、見てると心臓に若干のプレッッシャーすら覚えるような、凄まじいまでに圧迫感のあるリアリズムを漂わせながら、このまま理不尽な格差社会が是正されないと遠からず現実になるかもしれない革命と混乱の様相を『ダークナイト ライジング』という映画は生々しく描出しているのです。 ■ ■ ■ つい数年前の“ウォール街を占拠せよ”運動というのをご記憶でしょう。正確には2011年の出来事です。この『ダークナイト ライジング』のまさに撮影中に全米を揺るがしていた社会運動で、特にウォール街があるためロケ地ニューヨークがかなり騒然としていた様を、ワタクシもニュースで連夜見ていた記憶があります。 アメリカは、上位1%の富裕層がケタちがいの富を独占している格差社会とよく言われます。しかもその1%が2008年リーマンショックを起こして世界を経済危機に陥れ、99%の中からは失業する人もおおぜい出たのに、1%は税金で救済され、挙げ句の果てにその公的資金を自分たちのボーナスに回したということで、99%側の人たちの間で「フザけんじゃねえ!」という機運が高まり、”We are the 99%”をスローガンにデモを行ったのが“ウォール街を占拠せよ”運動でした。 この運動とちょうど同時期に撮影・公開されたため、当時から『ダークナイト ライジング』はこれと結び付けられて論じられるケースが多くて、実際、ベインと彼の革命軍の姿と“ウォール街を占拠せよ”運動の様子はものすごくオーバーラップします。一時は実際のデモの模様をノーラン隊が撮影し、劇中にそのフッテージを使うのではという噂まで流れていたぐらい。 ノーラン監督自身は「この映画に政治的な意図はない」、「モデルはフランス革命だ」と語っており、他の制作陣も「ベインと“ウォール街を占拠せよ”運動が似ているのは単なる偶然」と言ってはいますけれど、その言葉を鵜呑みにはできません。たまたま似ちゃったのか、炎上沙汰にならないようしらばっくれているのか定かではありませんが、しかし、意図してやってはいないとしても、時代が感じとっている理不尽感をこの映画が生々しく撮らえていることは間違いありません。 そして今、2017年、格差社会を徹底的に攻撃し、貧しき人びとの“味方”を自称して大統領選を勝ち抜いてきたトランプさん就任に際して、再びこの『ダークナイト ライジング』と時事・世相がシンクロしたのです。 映画史に残る文句なしの傑作『ダークナイト』と、ヒース・レジャーが命をかけて演じたジョーカーは、誰もが、全員が全員、高く評価するところでしょう。それに比べて毀誉褒貶あることは否めない『ダークナイト ライジング』ですけれども、ジョーカーというヴィランが「正義とは何か」という普遍的かつ哲学的な問題提起をしてくるのに対し、ベインの主張は逆に、きわめてタイムリーかつアクチュアル。トランプさんと同じ、“ウォール街を占拠せよ”運動とも同じ、格差社会批判です。 格差社会、暴走するマネー資本主義。こんなのおかしい!こんなの理不尽だ!という至極ごもっともな鬱積した怒りが、昨年2016年には、数年前なら想像すらできなかったような“極端な政治的選択肢”に世界中の人々を飛びつかせてしまいました。 文革やフランス革命、ロシア革命は、やがては反対派を弾圧・粛清しまくる恐怖政治になっていきました。ベインの革命も、ちょっと良いことを言ってるようでいて、歴史を知っているとその恐ろしさとオーバーラップして見えてきます。 “極端な政治的選択肢”に飛びつきたい気になったら「まずは落ち着け」と、ひとまず深呼吸して見るべき映画、それこそが『ダークナイト ライジング』!このような時代になってしまった2017年、この作品の重要性は今こそ相対的に高まっているように思えるのであります。 ちょっと良いことを言ってる人、「権力を大衆の手に取り戻すのだ!」とか胴間声でアジってる人、実はこいつベインじゃねえのか!? ということを慎重に見極めないといけない時代に、なんか、なっちゃいましたなぁ…。寒い時代だとは思わんか…。 © Warner Bros. Entertainment Inc. and Legendary Pictures Funding, LLC© 2012 Universal Pictures. All Rights Reserved. 保存保存
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COLUMN/コラム2008.04.08
昭和の洋画吹き替えを無形文化財に指定せよ
きたる4月29日は、去年夏の『ダーティハリー』全作、そして年末とお正月にやってご好評いただきました「吹き替え特集」を、またまたお届けします。この日の朝6時から翌朝6時まで、怒涛の24時間、吹き替え映画のみを放送する、題して「4月29日は吹き替えの日」。 今回の放送タイトルは、『ラストマン・スタンディング』、『デッド・カーム 戦慄の航海』、『ファイヤーフォックス』、『テキーラ・サンライズ』、『パパとマチルダ』、『張り込み』の6本です。 正直、再放送もあります…が、この機会を逃したら、次はいつお目にかかれるか分からない貴重な作品もありますので、滅多にないチャンスがもう1回増えた、ラッキー!ぐらいに温かく受け止めてくださいね(笑)。 たとえば『パパとマチルダ』なんて、ネットで調べてみたらDVDは未発売、14年前に出たビデオの吹き替え版があるだけなんです。今回の当チャンネルのオンエア、再放送ではありますが、お正月放送時に見逃した人は今度こそお見逃しなく。これ、スティーヴ・マーティン定番声優の故・富山敬による名盤なんです。 あとDVDによくあるパターンで、英語音声しか入っていなくて、やはり今となっては吹き替えで見たくても見れない、という作品。これが『デッド・カーム 戦慄の航海』と『ファイヤーフォックス』、『張り込み』の3本。特に後ろ2本は、これが当チャンネル最後の放送で、次の放送予定はありませんので、必見です。 残った『ラストマン・スタンディング』と『テキーラ・サンライズ』は、DVDに日本語音声が入っているので、正直、見ようと決意さえすれば誰でもいつでも見れるんですけどね(笑)。 ただまぁ、買うより安いし、レンタルと違って借りたり返したりしに行く手間もかかりませんからねぇ。当チャンネルのこの機会、是非ともお役立てください! ちなみに、 『デッド・カーム 戦慄の航海』のニコール・キッドマン…『マクロス』世代永遠の憧れ・土井美加『ファイヤーフォックス』のイーストウッド…もちろん山田康雄で決まり『張り込み』のリチャード・ドレイファス…広川太一郎(ご冥福お祈りしちゃったりなんかして。…崇拝してました。合掌)『ラストマン・スタンディング』のブルース・ウィリス…安心の定番・野沢那智『テキーラ・サンライズ』のメル・ギブソン…神谷明、って、え!? メルギブが神谷明? という、まさに豪華絢爛きまわりない声の出演陣でございます。 ところで、民放の洋画劇場って、最近は番組数自体が減ってますよね。それに、そこでは70年代や80年代の、山田康雄とか富山敬とか広川太一郎といった大御所がアテた昭和の名盤なんて、もうあまりかかりません。関東ではテレビ東京の『午後のロードショー』という神番組が孤塁を守って孤軍奮闘し続けてくれてるのですが、日本全国津々浦々では見れませんし…。 昭和のテレビ洋画劇場の吹き替えを無形文化財に!と訴えるザ・シネマでは、日本全国津々浦々の皆様に向けて、今後もこうした名盤を、不定期ながらも積極的にお届けしていきますので、お楽しみに。 視聴者の皆々様も、このホームページの「ご意見・ご要望」のところからリクエストをどしどしザ・シネマまでお寄せください。 とくに、DVD未発売とかDVDに日本語音声未収録とかの理由で、いまや見たくても見れない、みたいな昭和の傑作吹き替えは大歓迎です。いかに名盤か縷々切々と説く、とか、見たすぎてどうにかなりかけてる!みたいな切羽詰った感じですと、こちらが知らない作品でもハートに響きやすいです。 最後に、文中「DVD発売されていない」とか「DVDに日本語音声未収録」と書いたのは、2008年4月8日現在の情報でございますので、念のため。■
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COLUMN/コラム2008.04.18
『レッドソニア』 字幕版vs吹き替え版
5月、まず字幕版を放送します。続いて6月、吹き替え版をお届けします。これはおそらく金曜ロードショー放送版です。シュワルツェネッガーといえば玄田哲章がフィックス声優ですが、本作はちびまる子ちゃんの父ヒロシ役で有名な屋良有作がアテてます。ヒロインのソニア役ブリジット・ニールセンは戸田恵子です。 公開時の邦題はなんとビックリ『アーノルド・シュワルツネッガーのキング・オブ・アマゾネス』!! 確かにシュワちゃん(死語)ことアーニー加州知事の出演作ではありますが、あくまで主人公は赤毛の女戦士ソニアでして、この邦題、本編内容と著しくかけ離れておりました(アマゾネス出てこないし、そもそもアマゾネスは女だけの部族だからキングいないし)。 アーニー知事はいてもいなくてもいい役なので、以下、一切この駄文中では知事閣下には触れないことを、前もってお断りしておきます。悪しからずご了承ください。 さて、あらすじを簡潔に申しますと、ヒロインのソニアが、女王ゲドレンを倒そうと仲間たちと共に冒険の旅に出る、というモロにRPGな物語です。 なぜ倒そうとするのか。吹き替え版ですと、女王ゲドレンがソニアのことを「侍女にしようと考えた」、しかしソニアは「それに剥き出しの憎悪で応え」(なんで?)、ヘビメタ調のトゲが生えた女王の王笏をかっさらって突然暴れ出し、あろうことか女王様のご尊顔を傷モノにしてしまった。 舞台は古代ですから、そんなことしたら家族に累が及び、当然、一族郎党皆殺しにされてしまうワケですが、騒動の張本人ソニア独りオメオメと生き残ってしまい、そういうワケで彼女は女王ゲドレン逆恨み復讐の旅に出るのであります。 侍女に取り立ててくれようって人に対し突如キレて殴りかかるのはいかがなものかとワタクシ思うのでありますが、しかし原語で見てみると、女王様、実は百合族なんです。どうもレズ相手としてソニアを狙ったということのようです。 吹き替え版では、そういう性的なハラスメントがあったという超重要情報が欠落しているため、ソニアがただのキレやすい若者みたくなってしまってます。 ただ女王様、その後もソニアとの百合プレイをあきらめきれず、「身体に傷をつけず連れて来い」などと手下に命じてますし、レズの相手役みたいな年若い美女をいつも連れて歩いてますし…。一応、オトナが見れば女王様はそっちのケがある人だって分かる作りにはなってますね。 にしても、女王様はどう見てもタチなキャラ。マッチョなソニアもどっちかと言ったらそっちでしょう。それで女王様は満足できるんでしょうか?連れ回してる年若い美女というのはネコ系なんですが…。女王陛下、いったいどんなプレイを想定しておられたのでしょうか? で、そのネコなキャラの美女というチョイ役を演じているのが、ララ・ナツィンスキーというブルネットの女優。実はこの映画の女性キャストの中で一番かわいいんじゃないか、と思うのは僕だけでしょうか。『怒霊界エニグマ』なる、イジメられっ娘の生霊が無数のカタツムリを操り人間にたからせて窒息死させるという物凄い映画で主役を張っていますので、気になる人はチェックしてみてください。ザ・シネマでは放送しませんが。 話を戻しますと、レズという重要情報を封印してしまっているので、吹き替え版ではソニアが女王様を拒む意味が分からない。そこで金曜ロードショー、なんと勝手にオープニング作っちゃいました。 「遥か昔、伝説の王国アトランティスが滅び、天下は麻のごとく乱れ、世はまさに世紀末の様相を呈していた」とかなんとかいうオリジナルには無い北斗の拳ばりのナレーションが、いきなり、石田太郎住職のジーン・ハックマン風こもり声で入ります。キリスト生誕前なので世紀末という概念は無いかと思うのですが…。 続けて、「悪の女王ゲドレンは、悪行の限りを尽くしていた」とナレーションで断言しちゃってるので、これだけでもう、ヘビメタ調トゲつき王笏で女王をしばく十分な理由を、ソニアは手に入れちゃってるワケです。 無茶するなぁ金曜ロードショー…。でもこの臨機応変な感じ、いいねー! 昔のテレビ洋画劇場ってこれだから面白い! あと、昔のテレビ洋画劇場の見どころと言えば、日本語訳の妙(≒日本語訳が妙)。 女王様の腰巾着みたいな佞臣で、アイコルというキャラが出てきます。クライマックス・シーンで、このアイコルがコソコソ逃げ出そうとしてる現場に出くわした、ソニアたちパーティーの一員のヤンチャ王子。果敢に勝負を挑もうと王子が叫ぶのが、ヒロイック・ファンタジー全開のこんなセリフ。 「アイコル!このゲドレンの黒い蜘蛛めが!!」 これが吹き替え版だと、 「待てッ!ゲドレンの手先のブラック・スパイダー将軍だなっ!!」 に。 …やっすい名前だなー、ブラック・スパイダー将軍って。東映特撮か! レズ情報封印といい、このブラック・スパイダー将軍といい、もはや、オリジナルとは微妙に別物の、似て非なる映画になっちゃってるんですけど…。 …いゃーそれにしても、昔のテレビ洋画劇場って、本っ当にいいもんですね! とまぁ、強引に話をまとめにかかりましたけど、字幕版と吹き替え版、見比べてみると面白い発見がいろいろとあるもんです。 5月と6月、視聴者の皆々様に2ヶ月連続でどちらもお楽しみいただけたら、編成冥利に尽きるというものです、ハイ。■ ©1985 Famous Film Productions.B.V.
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COLUMN/コラム2017.01.14
1/27(金)公開『スノーデン』。アメリカを激怒させたエドワード・スノーデンとは何者なのか?史上最大の内部告発を行った若者の実像に迫る社会派サスペンス
もはやエドワード・スノーデンの名前を聞いたことのない人は、ほとんどいないだろう。2013年6月にアメリカ政府による国際的な監視プログラムの存在を暴露した元NSA(米国国家安全保障局)職員。NSAやCIAが対テロ捜査の名のもとに、同盟国の要人や自国の一般市民を含むあらゆるケータイの通話、メール、SNSなどの情報を違法に大量収集していた実態を、世界中に知らしめた張本人だ。 この“史上最大の内部告発”とも呼ばれる大事件においてもうひとつ特筆すべき点は、“ミスターX”のような匿名で行われる通常のケースとは違い、本人の強い希望により顔出し付きの実名で堂々と告発が行われたことだ。メガネをかけた青白い顔、ひょろっとした体型。それに何より見た目の若さ、普通っぽさに驚かされる。スパイ映画を見慣れた者にとっては、この手の重大な機密情報を握るキャラクターはいかにも老練で険しい顔つきのベテラン俳優が演じるのが常だからだ。 NSAとCIAで極秘機密へのアクセス権を与えられていたスノーデンは、さぞかし高給取りだっただろう。将来のさらなる出世を約束されていた若者は、なぜそれを捨てて告発に走ったのか。捨てたのはカネだけではない。こんな告発をすれば外国に無事亡命できたとしても、国際的なお尋ね者となって二度と祖国の地を踏めなくなってしまうことはわかりきっている。繰り返しになるが、アメリカ政府を敵に回した“事の重大さ”と、スノーデンの“見た目の若さ、普通っぽさ”とのギャップがとてつもなく大きな事件なのだ。 いささか前置きが長くなったが、『プラトーン』『JFK』『ワールド・トレード・センター』などでアメリカ現代史を描いてきたオリバー・ストーン監督の最新作『スノーデン』は、上記のさまざまな疑問や謎を解き明かしてくれる実録サスペンスである。すでにスノーデンに関してはアカデミー賞にも輝いた『シチズン・フォー/スノーデンの暴露』という極めて優れたドキュメンタリー映画が作られているが、そちらは2013年6月、香港の高級ホテルの一室を舞台に、スノーデンとジャーナリストによる“告発の始まり”を記録したもの。それに対して『スノーデン』は、告発を決意するに至るまでのスノーデンの約10年間の軌跡を描いている。いわゆる実話に基づいたフィクション=劇映画だ。若き実力派俳優のジョゼフ・ゴードン=レヴィットが入念な役作りを行い、スノーデンの外見はもちろん、仕種やしゃべり方までほぼ完全コピー。ルービックキューブを手にした彼が初めてスクリーンに姿を現すオープニングから、あまりの違和感のなさに逆にびっくりさせられ、一気に映画に引き込まれる。 先述した2013年6月、告発を決意したスノーデンが香港でジャーナリストと初めて会うシーンで幕を開ける物語は、そこから2004年へとさかのぼる。9.11同時多発テロ後のアメリカ社会に役立ちたいと考えていたスノーデンは、この年、大怪我を負って軍を除隊。2006年には持ち前のコンピュータの知識が生かせるCIAに合格するのだが、この頃に運命の女性リンゼイ・ミルズとめぐり合う。ふたりを結びつけたのは“Geek Mate Com.”なるオタクたちが集う交流サイト。劇中、ほんの数秒だけ映るサイトの画面には「『ゴースト・イン・ザ・シェル』が好き!」などというチャットのテキストが表示されている。スノーデンは日本のサブカル愛好家でもあるのだ。そんな国を愛し、シャイでオタク気質の青年と、リベラルな思想の持ち主で趣味がポールダンスという奔放なくらいアクティブなリンゼイは、性格も物の考え方も正反対だったが、その後のCIAやNSAにおけるスノーデンの転勤に合わせ、スイスや日本での海外生活を共にすることになる。 こうした“私”の部分のエピソードが観る者の親近感を誘う一方、“公”のスノーデンは政府による諜報活動のダークサイドを垣間見て、不安や疑念に駆られていく。自分が構築した画期的なコンピュータ・システムが、まったく意図せぬ一般人への大量情報収集プログラムに使われていたことを知らされたときの衝撃。守秘義務ゆえにリンゼイに相談することさえできず、その苦悩を内に溜め込んだスノーデンの危うい二重生活のバランスは激しく揺らぎ出す。さらに厳格なCIA上官からの脅迫めいたプレッシャーが追い打ちをかけ、映画はサイコロジカル・スリラー、すなわち異常心理劇の様相を呈していく。 ここで興味深いのは“極限の危機”に陥ったスノーデンにも、まだその悪夢のような状況から脱出しうるふたつの道が残されていたことだ。ひとつは情報機関を退職し、守秘義務に則りながら別世界で穏やかに生きること。もうひとつは国家や組織の論理に染まって、違法行為だろうと何だろうと仕事として受け入れること。スノーデンはどちらも選択しなかった。最も過酷で険しい3つめの道、“告発”へと突き進んでいったのだ。 およそ6:4の割合でスノーデンの公私両面の歩みをたどった本作は、極めて複雑怪奇な題材を取っつきやすく、わかりやすい社会派エンターテインメントとして見せていく。同時にスノーデンの“心の旅”を映画の中心軸にすえることで、現代のサイバー諜報活動の非情さや薄汚さと、それを黙って見過ごすことができなかったひとりのナイーヴな若者の高潔さとのコントラストを鮮やかに浮かび上がらせてみせた。 ちなみに本作の宣伝キャッチコピーは「世界を信じた、純粋な裏切り者」というものだが、ラスト・シーンにおけるスノーデンのスピーチを聞けば言い得て妙と感じるほかはない。たったひとりの普通の若者が、なぜアメリカを激怒させ、世界を震撼させるほどの告発を行ったのか。この文章の始めのほうにも記したそのギャップが埋まったとき、多くの観客がスノーデンが発する“純粋な”メッセージに心揺さぶられるに違いない。■ ©2016 SACHA, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2018.04.01
【男たちのシネマ愛ZZ⑥】『フランソワの青春』
飯森:先月に続く激レア映画対談、もとい映画闇鍋対談の後半戦ですね。今回は4月にお届けする20世紀FOXの激レア映画3本について、またまた熱く語り合いたいと思います! なかざわ:宜しくお願いいたします! 飯森:じゃあまずは『フランソワの青春』から始めましょうか。 なかざわ:いかにもあの時代、’60年代末の、ヨーロッパ映画、フランス映画の抒情的な香りを漂わす作品だと思いました。ジャンル的にいうと、いわゆる初恋ものですよね。童貞の少年が年上の大人の女性に恋をするというジャンル。ただし、主人公が年齢的にまだ小学生なので、『青い体験』とか『おもいでの夏』みたいに筆おろしまではいかない。 飯森:そこまでいったら『思春の森』になっちゃいますって(笑)。 なかざわ:主人公は、おじさん夫婦のもとで育てられている孤独なフランスの少年。ある出来事のせいで心に傷を負っている。その彼が、イギリスからやって来た、おじさんの戦友の娘だという美しい大人の女性に秘かな恋心を寄せる。この女性を演じているのがジャクリーン・ビセットなんですよね。 飯森:これですよ!僕は今回初めてこの作品を見たんですが、ずっと前からタイトルだけは知ってて見たいと思ってたんですけど、日本ではソフト化自体一度もされたことがないようで、中古VHSをヤフオク!で落とすという奥の手さえも使えずに困っていたんです。だったら最終手段、仕事にかこつけて(笑)買っちまおうと。全盛期ジャクリーン・ビセットの美貌を拝んでみたかったんですが、さすがにウルトラ綺麗っすね! なかざわ:ちょうどこの直前辺りが『ブリット』なんですけど、今まさに美貌の大輪が花開かんとする時期ですからね。ここから『大空港』や『映画に愛をこめて アメリカの夜』などを経て、’70年代を代表する美人女優となる。 飯森:濡れTシャツから乳首が透ける海洋アドベンチャー『ザ・ディープ』も眼福だったなぁ。だいたい、各時代に1人いるんですよね、彼女みたいな絶世の美人って。俺のタイプとか、好きな系統の顔とか、そんな個人的なつまらん趣味をはるかに超越した存在で、誰もが認めざるを得ない美人。言うなれば、美人の基準標本ですよ。「一般論として美人の典型例がこれです」と、例として示せるぐらいの。 なかざわ:ちょうど去年かな、『ナインイレヴン 運命を分けた日』という映画に出ていましたけど、お婆さんになっても絶世の美人でしたよ。 飯森:それは見れてないな。お婆さんになったジャクリーン・ビセットかぁ、う~ん、見たくないような…。見ても言われないと気づかないかもしれませんね。 なかざわ:いや一目で彼女だって分かります。恐らくリフトアップやボトックス注射などしてないので、皴の数なんかは年相応という感じですけれど、とても上品で美しい年齢の重ね方をしている。 飯森:おお、ほんとだ!iPhoneで検索したら、まんまですね。この人が道を歩いてたら「何者だあの婆さんは!?」とザワつきますな。 なかざわ:そのジャクリーン・ビセットが、主人公の11歳の少年がおじさん夫婦と暮らすフランスの田舎にある古いお屋敷に泊まりに来るわけです。 飯森:あれがまた、凄い大豪邸ですよね! なかざわ:いわゆるシャトーですよ。フランスの王侯貴族が、田舎の田園に別荘として建てたお屋敷です。 飯森:あのシャトーに暮らすおじさん夫婦って、王侯貴族にしちゃ地味に見えますけど? なかざわ:これってイギリスやイタリアもそうなんですが、ああいう古いお屋敷って維持費がかかるので、経済的に苦しい没落貴族だと比較的安く手放したりするケースもあるんですよね。田舎だと過疎化で人も少なくなってしまいますし。それを、裕福な中産階級や金持ちが買うことはよくあるんです。 飯森:確かに過疎化というのはその通りで、この映画の舞台って、本当に、凄まじい田舎ですもんね!ほぼ無人の世界に近い。 なかざわ:でも、それがいいんですよ。寂しげで哀愁が漂って。あの時代のフランス映画ならではの雰囲気だと思います。個人的な印象で言うと、ちょうどジャン=ガブリエル・アルビコッコの『さすらいの青春』辺りを彷彿とさせるような。で、監督のロバート・フリーマンという人、もともとは有名な写真家なんですね。 飯森:それもビートルズのアルバム・ジャケットなどを撮っていた。ちらっとネットで名前を検索してみたら、ビートルズの見たことのあるお馴染みの写真ばかりだったんで、あーこれこれ!とビックリしました。 なかざわ:確か映画監督としては、これを含めて数本しか撮っていない。 飯森:でも、言われてみると納得ですよね。これは確かに写真家の撮った映画だと。 なかざわ:そうです。セリフよりも映像の醸し出す雰囲気で淡々とストーリーを紡いでいく作品なんですよ。実際、初恋のほろ苦さをテーマにしたプロットそのものはシンプルでたわいない。 飯森:ただ、『おもいでの夏』みたいな映画と違うのは、一夏の思い出、童貞卒業、みたいなスッキリとしたヌキ所が無くって、最後まで見ても、なんとも言えないモヤモヤした未消化感と、あとはゾワゾワと心を波立たせるような不穏さがある。それが味ですよね。 例えば、風景がとても綺麗な映画で、これ今回ウチでHDで放送できますので(※HDサービス環境でご視聴の方は)、その綺麗さを存分にご堪能いただけると思うんですが、ただ、綺麗なだけじゃなくて、すごくシンメトリーな構図で画を捉えようとしますでしょ?お屋敷の門の真正面にカメラを置いて、まるで絵画のように全て左右対称に撮らえて。 なかざわ:視覚的なアプローチが写真家らしいですよね。 飯森:絵の中のような世界で、逆に、綺麗すぎて薄ら寒いんですよ。絵に閉じ込められて出られなくなったら怖いよな…と思わせる。綺麗なんだけど非日常的な感じに思わずゾワっとする。あと、主人公もすごい美少年で、女の子みたいな顔した男の子なんだけど、どこか暗い影があるというか、感情が乏しいというか。 なかざわ:いわゆる可愛らしい少年というより、ちょっと普通とは違う子だよねって雰囲気を醸し出している。 飯森:それがなぜか、ボロッボロの穴だらけの汚いセーターを着ているんですよね。あそこにもゾワっとくる。綺麗な風景の中にボロをまとった美少年。なんなんだこれは、と。 なかざわ:そう、あれがまた不思議なんだけど。別に虐待されているわけではない。確かにおばさんの接し方はちょっと冷たいけれど、虐められているわけじゃないですからね。 飯森:彼は普段は学校にも行かず家庭教師に勉強を教わっていて、しかも家にはおじさんとおばさん、召使のお爺さんがいるだけ。日常的な遊び相手がいないから、ずっとペットのウサギちゃんを抱っこしてて、ツリーハウスに上って独りぼっちで工作をしたりと、本当に孤独なんですよ。滅亡後の世界に独り取り残されたボロをまとった子、みたいなゾワゾワ感がある。 なかざわ:同年代の子供との交流もほんの僅かですもんね。 飯森:友達はちょっと出てくるけれど、学校に通ってないからたまにしか会ってないようだし、遊び場となると、東映特撮の採石場のような、あまり綺麗じゃない所で、あそこにもゾワっとする。そこへ行く道は、雑草の生い茂る野っ原で、そこにはセメントで護岸された汚い用水路が通ってるんだけど、水は濁ってて、なんか得体の知れん物が浮いてて、そこにドブ板みたいなのが橋として渡したあるだけで、まあ薄汚い。ゾワゾワする不穏な絵がチョイチョイ差し挟まれてくる。 これがこの子の世界の全てなのかよ、なんか閉じた世界だな…と。そんな、絵の中に閉じ込められたような、崩壊後の世界のような毎日が、来る日も来る日も繰り返される永劫の中で、ある日ジャクリーン・ビセットがお泊りにやって来て、彼は彼女に恋して、日常に変化の兆しが訪れるわけだけど、その恋の仕方がどうにも子供らしくない。 なかざわ:夜中にベッドで寝ているジャクリーン・ビセットにこっそり忍び寄っていってね。 飯森:おーはーよーございまーす、って感じで。マーシーか! なかざわ:でも布団にソッと入り込むのではなくて、髪の毛をハサミでちょん切る(笑)。 飯森:女の髪にフェティッシュな執着はあまり抱かんだろ、あの歳で。ジャクリーン・ビセットもビビりますよね。 なかざわ:あれがもうちょっとエスカレートして、バスルームでオッパイを触ったりするようになると『ナイト・チャイルド』のマーク・レスター君になるんですよ(笑)。あどけない美少年が実は変態サイコパスだったと。これはそういう映画じゃありませんが。ジャクリーン・ビセットはそんな少年を大人の対応で優しくたしなめるわけですけど。 飯森:でも理想的な大人の女性なのかというと、実はそんな女でもなさそうだということを、映画は徐々にほのめかしていく。僕が、ここ上手いなぁ!と感心したのは、男の子がジャクリーン・ビセットの部屋に忍び込んでクローゼットを漁る。下着でも盗むのかと思いきや、そういう変態マセガキ『ナイト・チャイルド』行為はせずに、香水だけ失敬して、あとは彼女の服をただウットリ眺めるだけなんですよね。大人の女の人のお洋服って綺麗だなぁ、ポォ~って。その中に、金属のドレスが一着ある。鎧かたびらのようなAラインのマイクロミニのノースリーブワンピね。当時流行ってた。あれって、パコ・ラバンヌというデザイナーのプレタポルテで、この頃のフランスだとフランソワーズ・アルディがよく着てたイメージですよ。映画だと『冒険者たち』でジョアンナ・シムカスも着てた。あの中でジョアンナ・シムカスは女流写真家で、自分の個展かなにかを開くときに、これからは私の時代よ!ってなノリであの派手な勝負ドレスで着飾って会場に乗り込みフラッシュを浴びる。でも、結局は大して注目されず鳴かず飛ばずで、中年負け犬男2人とトリオを組んで海洋トレジャーハントに夢をかけるようになる。つまりあの服って、虚栄心の象徴だと思うんですよ。自らを飾り立てて盛り立てて。でないとあんな金属で出来たドレスなんか着ませんよ普通! なかざわ:そもそも、あの頃のスウィンギン・ロンドンな最先端モードって、例えば全身が鎖で出来ているドレスとか、汗かいたら絶対に蒸れるビニール素材の『ブレードランナー』みたいなドレスとか、およそ実用的とは思えないようなファッションが多かったじゃないですか。 飯森:パコ・ラバンヌはその中でも極めつけで。なんせ『バーバレラ』の衣装担当ですからね。あれを生身の一般人が着るか普通!?という話ですよ。あの金属ドレスで、ジャクリーン・ビセットがどんな女か監督は描こうとしていると思うんですよね。当時のパコ・ラバンヌが持っていた意味合いは、ビートルズに付いて回ってたフォトグラファーなんだから百も承知してたはず。あれを着てる芸能人気取りの目立ちたがりの女を飽きるほど見てきたはず。その意味合いは何かと言えば、意外と、派手な場が好きな浮っついたチャラ女なんですよ、ということ。要はパリピなのよ。純真な少年の初恋に値するような、清純なマトモな女じゃないんですと。そのことを観客にだけ知らせるためのサインじゃないかと思うんです。子供は見てもわからない。でも当時の観客なら、あれ見ただけで一発でピンときたんだろうと想像するんですが、子供は誤解するんだ。金属の服を着ているから彼女はスパイだと(笑)。外国から来たって聞いたもんでソビエトによって追われてきたチェコの女スパイじゃないかって、『007』の見過ぎみたいなことを言う。 なかざわ:無知って素晴らしいですよね(笑)。 飯森:なぜに唐突にチェコと言い出したかというと、この映画の前年がプラハの春でしたからね。TVでプラハの春のニュース映像を見て、映画館では『007』を見て、おそらくその2つがゴッチャになっちゃってる。ちょっと夢見がちなところがあるんですかね、あの少年は。 なかざわ:ああいう周りに何もない環境で、しかも普段から独りぼっちということであれば、あらぬ空想や妄想を逞しくしてしまうのも頷ける話ではありますけどね。 飯森:で、ここから先はネタバレになりますが、 【この先ネタバレが含まれます。】 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 飯森:優しく綺麗なお姉さんだなぁと思っていたら、実はおじさんの知人の娘でもなんでもなくて、若い愛人だったと観客には後半でバーンと明かされる。パコ・ラバンヌの伏線、汚い用水路の伏線、もろもろここで回収です。 なかざわ:大人の世界は汚いですからねえ…。 飯森:あとは、少年を冷遇しているおばさん。少年のことを、息子も独立し久しぶりに夫婦水入らずだったはずの生活を台無しにするお邪魔虫として目の敵にしていて、すごくトゲトゲしく接するんですよね。だから彼は気にして家ではなくツリーハウスの方にずっといるんですが、この人がまたちょっと痛くて、成人した息子もいるのに未だに変に乙女なところがある。ヤな感じで色気づいているんですよね。大昔に旦那がくれたラブレターを引っ張り出してきて読み上げたりとか。妙な恋愛モードなのね。 なかざわ:髪を染めたりとかもして。ジャクリーン・ビセットに対抗意識燃やして。でも結局、旦那には「次に髪染めるときは色を変えろ」とか言われちゃうし(笑)。 飯森:まあ、あの奥さんの、大人になりきれていない、いつまでも腰を据えない乙女チッックテンションに、旦那はウンザリしてたのかもしれませんね。そして、そんな理由でおばさんに意地悪されてるあの男の子は一番可哀想。おばちゃん、いい歳なんだからもう落ち着いてくれよと。キャピキャピしてる暇があるんだったら俺のことちゃんと育てろよって(笑)。 なかざわ:悪い人じゃないんだけど自己中。 飯森:でもって最後はチャラ男ですよ。ジャクリーン・ビセットの滞在と時を同じくして、おじさん夫婦のチャラい放蕩息子が家に帰ってくる。 なかざわ:マルク・ポレルですね。彼はルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルードウィヒ/神々の黄昏』と『イノセント』に出ていて、恐らく晩年のヴィスコンティが第2のヘルムート・バーガーに育てようとしていたのだろうと思うんですけど、結局はB級アクション俳優みたいになっちゃった。 飯森:次に寵愛しようとしてたのかな?(笑) まあ、ヘルムート・バーガーもB級ポルノ俳優みたいになっちゃいましたけどね。そう言われると、この主人公の男の子もヴィスコンティ映画に出ていてもおかしくないような彫刻的な超絶美少年ですね。で、チャラ男に話を戻しますが、奴は親父の愛人だとはつゆ知らずにジャクリーン・ビセットを口説きまくるんだけど、ことごとくソデにされる。 こうして狂騒曲を、滑稽に、愚かしく、しかしこの映画ですから静謐に、大人どもが演じた挙句に、とうとうジャクリーン・ビセットが帰る日がやって来る。そして、これは究極のネタバレだな、でもハッキリ言っちゃいますけど… 少年の恋は最後まで実りませんよ。そりゃ当然でしょ!まだ11歳なんだもの、付き合ったり結婚したりというオチになろうはずがない。筆下ろしにしたって早すぎる。恋は実らず終い、結局は、全てが元に戻って終わる。 なかざわ:そうなんですよね。あそこで少年が何か突拍子もない行動にでも出るのかなと思ったら、まるで全てを受け入れるかのような表情でしたからね。 飯森:彼女のクローゼットからパクった香水を頭から1瓶丸ごとかぶるという奇行には出ますけどね。せいぜいがそれで、むせるような彼女の香りに全身包まれて、お終い。ゾッとする終わり方ですよ。絶望的になんにもない日常に戻る。「べた凪」って言葉あるじゃないですか。風や波がやんで、海の水面が鏡のように静まり返ってしまう。昔の帆船時代なら死ぬところ。そういう状態に戻っちゃう怖さですよ。綺麗なお姉さんがやって来て、性の目覚めではないかもしれないけど、少なくとも恋を知り、何かが変わってくれるかと思ったら、何一つ変わらなかった!ほろ苦い初恋というより救いのない絶望ですよ。せめて別れ際にエヴァでミサトさんがシンちゃんにしてくれたようなご褒美のチューでもくれてやって、「大人のキスよ。帰ってきたら続きをしましょ♥」とでもリップサービスの1つも言ってやればいいのに、それさえあげない。けっこう絶望的な、怖い怖い終わり方だなーとゾワッとしましたね。 なかざわ:でも、この映画の場合はそれで正しいんだ思いますよ。こういう、ほんのりと暗くて寂しくてセンチメンタルな作品は好きですね。 飯森:そう。褒めてます。胸にグッと迫る哀感があると思います。 なかざわ:この手の映画ってヨーロッパではいつの時代にも作られていて、なおかつ常に一定の映画ファン層に受け入れられる土壌があるように思います。 飯森:孤独と閉塞感というテーマに興味がある人にもオススメな1本ですね。 なかざわ:日常の中で何か決定的な不満があるわけじゃないんだけれど、漠然と満たされないものや息苦しさを抱えている人が、共感できるような部分はあるかもしれません。 飯森:人生のうちそういう瞬間って、誰しもあるかもしれません。僕も今こういう業界にいると、目まぐるしすぎてそれが悩みなんですけど、その前の仕事では、毎日が同じことの繰り返しで全く変化がない、という生活を送っていたことがあるんです。そうするとやがて閉塞感に襲われるんですよ。あれはなかなかしんどい!出口のない怖さを感じるんですね。あの息苦しさを上手く描出している映画だと思いました。それと、ジャクリーン・ビセットはとにかく綺麗と! なかざわ:歌手のシャンタル・ゴヤも出てきますよね。’60年代フレンチ・ポップス界のイエイエ・ガール。 飯森:プールのシーンですね。水着姿で。ジャクリーン・ビセットとシャンタル・ゴヤって、よくよく考えるとすごい顔合わせですよね!そういうキューティーたちの’60年代ヨーロッパ・カルチャーにアイドルを探せって感じで憧れてずっと見たいと願い続けてきた作品なんで、ほんとに、念願叶って良かった!! なかざわ:それと、あの意地悪なおばさん役をやっているジゼル・パスカルという女優さん、モナコ公国のレーニエ公がグレース・ケリーと結婚する前に付き合っていた元カノなんですよ。 飯森:ええっ!? マジですか?ほんとに王侯貴族予備軍だったのかよ! なかざわ:若い頃はムチャクチャ美人だったらしくて、あのゲイリー・クーパーと付き合っていたこともあるそうです。レーニエ公とはお互いに結婚まで考えたらしいんですけど、自分の息子を跡継ぎにしたいレーニエ公の姉アントワネット公女に「ジゼルは子供が生めない体だ」って根も葉もない噂を流されて、それが原因で破局してしまったと言われています。 飯森:そりゃまた、エグい話ですなあ…。意地悪バアさんどころか、気の毒な人だったのね…。 なかざわ:オードリー・ヘプバーンの『シャレード』で切手鑑定士を演じていたポール・ボニファスも、召使のお爺さんとして出てきますし、脇役のキャスティングにも注目して欲しいですね。■ © 1969 Les Productions Fox-Europa S.A.R.L. and Les Films du Siecle. Renewed 1997 Twentieth Century Fox Film Corporation and Les Films du Siecle. All rights reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存
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COLUMN/コラム2018.04.11
【男たちのシネマ愛ZZ⑦】『MOVE』
飯森:次にご紹介するのが、先月の『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』と同じく、これが恐らく本邦初公開となる激レア未公開作品で邦題もまだ付いてない『MOVE』ですね。 なかざわ:のっけから人を食ったような展開で、思わず呆気にとられましたよ(笑)。マーヴィン・ハムリッシュによる、いかにも’70年代らしいポップなテーマ曲がまた良いんだよなあ。 飯森:マーヴィン・ハムリッシュとは? なかざわ:作曲家です。恐らく一番有名なのはバーブラ・ストレイサンド主演の『追憶』と、ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォードの『スティング』ですかね。あとはブロードウェイ・ミュージカル『コーラスライン』の音楽も彼の仕事ですよ。 飯森:うわっ!ものすごい超大物じゃないですか!! この映画では、それほど耳に残る音楽がなかったような気もしますけど…(笑)。 なかざわ:いや、僕はこういう’70年代的なイージーリスニング風の爽やかサウンドは好きですね。確かに『追憶』や『スティング』ほどの強烈なインパクトはないかもしれませんが。で、冒頭で主演のエリオット・グールドが道を歩いていると、反対側から道路工事のローラー車が近づいてきて、とんでもないことになっちゃう。 飯森:両足がアスファルトにくっついちゃって動けなくなる。そこへローラー車がどんどんと近づいてきて、「動けねーよー!」と叫んでいるうちにペッチャンコに轢き潰されるという(笑)。まるっきし漫画。あれって夢落ちでしたっけ? なかざわ:いや、これが白日夢というか、要するにストレスを抱えた主人公の妄想で、全編に渡ってあちこちで、こういった妄想が差し込まれるんですよ。 飯森:しかも、どこまでが現実でどこからが妄想なのか、その境界線が全く分からないような描き方がわざとされていますよね。 なかざわ:そう!他にもほら、近所の奥さんが赤ちゃんにオッパイをあげていると… 飯森:胸が3つあるという。『トータル・リコール』かっつーの(笑)。赤ん坊嫌いという意味なのか、エリオット・グールドいつもイラついてますからね。 なかざわ:現実と妄想の線引きが全くなされないまま、いきなりあれが出てくるからビックリしますよ。これが『暴力脱獄』や『マシンガン・パニック』のスチュアート・ローゼンバーグ監督の作品だっていうんだから、なおさら狐につままれたような気分になっちゃいます。 飯森:以前になかざわさんとの対談でも語った『マジック・クリスチャン』に通じる雰囲気がありますよね。あの時代特有のシュールな空気感は似ているんだけど、でもあそこまでぶっ飛んでいるわけでもない。本作には物語のすじはちゃんとありますからね。エリオット・グールド扮する主人公は脚本家を目指しているんだけどスランプ気味で、今現在はエロ小説の執筆で生計を立てている。それと犬の散歩バイト。 なかざわ:犬の散歩のアルバイトって他の映画でも見たことあるんですけど、実際にああいう仕事があるんですかね? 飯森:それがアメリカでは今もバリバリあるらしいです。中堅以下の大学を卒業しても就職口が見つからない、とはいえ学費ローンは卒業後すぐから返済せねばならない、ということで卒業して犬の散歩師になった若者の話題を、どこかの経済ニュースでここ数年以内に見た記憶がありますから。お客さんから預かったペットの犬を外へ連れ出し、散歩がてらウンチやオシッコをさせる仕事らしんですが、アメリカは家の中に犬用のトイレはないのかよ!?と。 なかざわ:ない方がおかしいような気もしますけどね。 飯森:でしょ?にしても、当時の日本では考えられないことですよね。今だと普通ですが。 なかざわ:確かに、昔のマンションはペット厳禁のところが多かったと思います。 飯森:さすがアメリカは進んでいて、あの頃からすでにマンハッタンのマンションでは大型犬が飼われていた。 なかざわ:その依頼人のお婆ちゃんをメエ・クェステルがやっているんですよね。アニメの『ベティ・ブープ』の声優として有名な。 飯森:ああ!そういえば、そんな声のお婆ちゃん出てきましたね。 なかざわ:彼女は晩年にウディ・アレンの『ニューヨーク・ストーリー』にも出ているので、恐らくニューヨーク在住だったんでしょうね。 飯森:で、まあ、エロ小説書いて犬を散歩させて、それで食っていけて本人も自由で楽しい人生だと言うんだったら別に一向に構わないと思うんですけど、彼自身は「こんな人生クソだ…」と、あせりとイラ立ちを覚えてる。 なかざわ:上昇志向というか、より豊かな生活をしたいという野心は強いんでしょうね。というのも、これからもっと広いアパートに引っ越しをするという設定じゃないですか。 飯森:美人の奥さんもいますし、いずれ子供もできるかもしれないし、エロ小説と犬の散歩だけで一家を養っていくというのは、さすがに自由奔放すぎるかもしれない、それじゃダメだと。脚本家として認められたいと思いつつ、嫌々ながらも食うために今の仕事をやっているんですよね。しかもエロ小説書いてるわりに自身の下半身はインポ。そういう環境の中で自信を失っているのかな。 なかざわ:男性としてってことですね。 飯森:それでも奥さんは文句を言わない。いい奥さんなんですよね。自分で仕事も持っていて。旦那さんに「もっと稼いできなさいよ!」なんてガミガミ言うこともないし。むしろ、夫がインポ気味でセックスレスになっていることに寂しさを感じている。とても優しい奥さんなんだけど、エリオット・グールドはイライラして八つ当たりするんですよね。で、よりによってそんな時に引っ越しをしようとしている。 なかざわ:で、よりによってその引っ越し屋がなかなか来ない(笑)。そればかりか、彼の思い通りにならないようなことが次から次に起きる。 飯森:あれを見ていて『インサイド・ヘッド』を思い出したんですけど、あの映画でも引っ越し屋が約束の日になかなか来ないじゃないですか。 なかざわ:日本だったらあり得ませんね。そんな業者はすぐに廃業ですよ。 飯森:確かに、賃貸契約が明日までっていう時に引っ越し屋が来なかったら大事になっちゃいますもんね。そういうわけで、主人公が引っ越したいのに肝心の引っ越し屋は来ず、家中段ボールだらけで困った!という中でイライラもますます募り、しかも現状の自分には不満だし性的にも萎えちゃっている。そんな八方塞がりで悩んでいる時に、すげえ良い女から逆ナンされちゃうわけですけど、あのシーンって現実なんですかね?妄想なんですかね? なかざわ:それがこの映画だと分からないんです。あと、ちょいちょい社会風刺をぶっ込んでくるじゃないですか。 飯森:拳銃夫婦とかね。これ最近だと笑うに笑えないタイムリーすぎるギャグになっちゃってるんだけど、当時NYは治安が凄まじく悪かったじゃないですか、’60年代に政治の季節で荒れた名残りで。で、ここら辺は物騒だから銃規制すべき!ではなくて、むしろ物騒だから逆に銃武装しよう!という、アメリカ人以外には納得しづらいワイルドウエストの論理で拳銃を持った夫婦が、アパートで賊と銃撃戦を始めちゃう。 なかざわ:40年以上経った今もアメリカそこは全く変わってませんね。 飯森:ってか200年変わってない(笑)。せめてこの時代に手を打っていればねぇ…。でも、この映画の良いところは、そういうこと言っている奴らをおちょくっている点ですよ。エリオット・グールドが買い物から帰ってくると、アパートの踊り場で、拳銃夫婦の奥さんがどっかの田舎州の元ミスだったからとミスコンの格好をしていて、旦那の方は西部劇のガンマンみたいないで立ちで、同じく西部のアウトローみたいな格好しているチンピラと銃撃戦していて、自衛のために銃武装ってお前ら西部劇か!と風刺している。このシーンは現実ではなく妄想だって分かりやすいんですけど、そういう社会風刺的な見どころも多いですね。 なかざわ:この映画って’70年の7月にアメリカで封切られていて、ちょうど『ボブ&キャロル&テッド&アリス』や『M★A★S★H』でエリオット・グールドがブレイクしたばかりの時期なんですよね。それにもかかわらず、なぜかアメリカ本国でも滅多に見ることが出来ない。 飯森:そうなんですよ。残念ながら今回はあまり画質が良いとは言えない4:3の、つまりブラウン管時代の古いTV用マスターかVHSマスターで放送するんですが、その理由はアメリカ本国でもワイドのニューマスターのテープを作っていないから。それだけ貴重な作品をウチが発掘してきたということの証ではあるのですけどね。 なかざわ:もしかすると、当時の観客もこれを見て困惑してしまったのかな。それが理由でマイナーのまま? 飯森:いや、’70年代の観客であれば、この映画を理解できるだけのリテラシーは持ち合わせていたと思いますよ。 なかざわ:とはいえ、IMDbのユーザー・レビューも数えるほどしかない。よっぽど見ている人が少ないんでしょうね。 飯森:僕的には、「そんな映画も見れるザ・シネマって凄くないですか!?」とは、声を大にして訴えたい。そういえば、逆ナンしてくる女の子を演じているジュヌヴィエーヴ・ウェイトって、『ジョアンナ』に出ていた女優さんですよね。あの娘も’60年代~’70年代らしいというか、あまり肉感的ではなくて、ツィッギーみたいに細くてキュートな娘なんだけど、ここでは惜しげもなくヌードを披露している。 なかざわ:しかもエリオット・グールド相手に(笑)。 飯森:背中まで毛だらけで、あれは衝撃的!でも、エリオット・グールドがカッコいいっていうのも、いかにも’70年代っぽいですよね。 なかざわ:服を着ていても脱いでも、どこからどう見たってただのメタボ気味なオッサン。今のハリウッドではあり得ない体型ですよ。 飯森:でも、あの斜に構えたところと、その中に漂うシニカルな知性というのが、’70年代ならではの「いい男」なんでしょうね。彼とか『ソルジャー・ボーイ』のジョー・ドン・ベイカーとか、ブサイクなモッサいオッサンが最高にカッコ良かった、古き良き時代。俺もあの頃生まれていたら相当モテてたな(笑)、なんて言ったら怒られますが。 なかざわ:’70年代に持て囃されたスターたちって、’80年代以降の落ちぶれ方が激しい人も多いですもんね。エリオット・グールドだって、最近でこそテレビドラマで復活していますけど、一時期はまるでそっぽ向かれていましたから。 飯森:’70年年代後半、『スター・ウォーズ』とか日本だとピンク・レディーとか、あそこらへんを境に時代の求める顔や性格がガラリと一変しましたよね。それこそ、反体制の知的なムードやニヒリズムを売りにしていた人は、’80年代以降は悲惨だったかもしれない。エリオット・グールドだって、反体制的でやさぐれた感じが売りでしたからね。 なかざわ:そう、その不健康な感じが’80年代以降、彼にとって不利になったのかもしれません。 飯森:それにしても、こういうナンセンスな不条理コメディってのも、最近ではすっかり見かけなくなりましたねぇ…。 なかざわ:僕の記憶にある限りでは『マルコビッチの穴』が最後ですかね。 飯森:それだってもうずいぶん昔ですよ。 なかざわ:そういうちょっと首を傾げるようなユーモアの中にこそ、実は社会風刺なり人間風刺なりを滑り込ませやすいと思うんですけどね。そう考えると、これは非常に知的で様々な解釈を許容する大人向けの不条理コメディと言えるかもしれません。 飯森:この映画って、最後の終わり方もまたちょっと不思議なんですよね。ここから先はネタバレですけど、 【この先ネタバレが含まれます。】 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 引っ越し業者が来ないせいで無駄に何日も過ごしてしまい、外泊したエリオット・グールドが自宅へ帰ってみたら荷物はなくなっているし、奥さんの姿もないし、次の入居者がもう入っちゃってた。どうしよう!俺の居場所はもうない!とパニクって、一応ためしに新居の方を覗いてみたら、既に引っ越しは終わっていて奥さんがお風呂に入って待っていて、彼はなあんだとホッとする。 なかざわ:あの奥さん役の女優、ポーラ・プレンティスっていう’60年代の青春映画のスターだったんですよ。コニー・フランシスの主題歌で有名な『ボーイハント』とか。コメディエンヌとしても人気で、ピーター・セラーズの映画にも出ていましたね。 飯森:本作の頃にはいい具合に熟してます(笑)。その奥さんとエリオット・グールドが仲良く泡風呂で体を洗いっこしていると、カメラが俯瞰で真上から2人の姿を捉えながらグーッと上昇していってTHE ENDとなるんですが、カメラはいつまでも天井に突き当らず無限に上昇していく。浴室の四方の壁もそれにともなってビョ~ンと上に伸びていくんですよね。つまり、天井高が数百メートルもある縦穴みたいなありえない形の浴室で、最初は役者の数メートル上にあったカメラが、上昇して浴槽の夫婦からどんどん遠ざかり、穴の底の2人は点みたいになっていく。 これって、とりあえず引っ越しは終わったし、何か差し迫って困っているわけでもない、食ってはいけてるんだし、新居で夫婦水入らずで、幸せだから別にいいんじゃないの?ってことなんですかね?世界の底の狭い穴蔵に2人きりだけど、案外これも良いもんじゃないか、と。 なかざわ:いずれにせよ、この映画が非常に寓話的であることを物語るシーンですよね。 飯森:僕としては、『フランソワの青春』と同じテーマを逆から描いて正反対の結論に持っていってる映画だという気がするんですよ。要するに、閉塞感。閉塞感のある日常がまた無限に繰り返されて、主人公は脚本家として成功することもなく、これまで通り不本意なエロ小説の執筆と犬の散歩をずっと続けていくのかもしれないけれど、ちょっとMOVEして気分も変わり、今の俺の人生にも満足すべき要素だってあるじゃないか、そこに喜びを見出せばいいじゃないか、ってことに気が付いた。奥さんの存在ですね。 なかざわ:ささやかな幸せを噛み締めるというやつですね。 飯森:そう、閉塞感とささやかな幸せって、実は≒なのかもしれませんよね。日々激動するドラマチックすぎる人生に、ささやかな幸せなんて無いでしょう?『フランソワの青春』でネガティヴに描かれたテーマを、ここでは「それもまた良し」とポジティヴに描いている。その違いのように思うんですよね。だから、この2本はセットで見ていただいて確かめてもらえるといいかもしれませんね。 最後に、今回僕が20世紀フォックスから貰った画像の中にはなくて、本編の中でも出てこないんですけど、この映画の宣材写真で、奥さんのポーラ・プレンティスがヌードになっているお宝カットをネット上で発見したんですよ。エリオット・グールドと一緒に泡風呂に入っていて、泡にまみれながらオッパイ丸出しでカメラ目線。これがまた形の良いオッパイなんだ!さすがに商売柄、ネットで拾ってきた画像をここに著作権侵害で晒すわけにもいきませんので、リンクを貼ったツイートを僕のツイッターのトップに期間限定で4月いっぱい固定しておきますから、見たい人は見にきてください(笑)。 なかざわ:そうだ、あと今回も『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』と同様に、邦題も決めなければいけないんだった!しかし、これは難しいですね…。 飯森:僕も今回は降参ですわ。原題の『MOVE』には「動き出す」という意味と、「引っ越し」という意味の両方が含まれているわけですが、この英語のダブルミーニングを上手いこと邦題に生かそうとするのは無理!もう『MOVE』のまんまでいいんじゃないかと。 なかざわ:それは私も同感です。前回、飯森さんが仰っていたように、独創的過ぎるタイトルを考えても配給元からNGを喰らう可能性がありますしね。■ © 1970 Pandro S. Berman Productions, Inc. and Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation and Pandro S. Berman Productions, Inc. All rights reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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COLUMN/コラム2016.12.29
極限の緊張サスペンスに込めたクルーゾ監督の狙いと、それを継受した1977年リメイク版との関係性を紐解く〜
わずかの振動でも爆発をおこす膨大な量のニトログリセリン(高度爆発性液体)を、悪路を眼下にトラックで輸送する--。それを耳にしただけでも、全身の毛が逆立つような身震いをもたらすのが、この『恐怖の報酬』だ。この映画が世に出て、今年で63年。その間、いったいどれほど多くの類似ドラマや引用、パロディが生み出されてきたことだろう。 だが一度は、それらを生み出したオリジンに触れてみるといい。先に挙げた設定をとことんまで活かした、観る者を極度の緊張へと至らしめる演出と仕掛けが、本作にはたっぷりと含まれている。 「この町に入るのは簡単さ。だが出るのは難しい“地獄の場所”だ」 アメリカの石油資源会社の介入によって搾取され、スラムと化した南米のとある貧民街。そこは行き場を失ったあぶれ者たちの、終着駅のごとき様相を呈していた。そんな“地獄の場所”へと流れてきたマリオ(イブ・モンタン)を筆頭とする四人の男たちは、貧困がぬかるみのように足をからめとる、この呪われた町から脱出するために高額報酬の仕事に挑む。その仕事とは、爆風で火を消すためのニトログリセリンを、大火災が猛威をふるう山向こうの石油採掘坑までトラックで運ぶことだった。 舗装されていないデコボコの悪路はもとより、道をふさぐ落石や噴油のたまった沼など、彼らの行く手には数々の難関が待ち受ける。果たしてマリオたちは無事に荷物を受け渡し、成功報酬を得ることができるのかーー? 仏作家ジョルジュ・アルノーによって書かれた原作小説は、南米グァテマラの油田地帯にある石油採掘坑の爆発と、その消火作業の模様を克明に描いた冒頭から始まる。その後は、 「四人が同じ地に集まる」「ニトログリセリンを運ぶ」 と続く[三幕構成]となっているが、監督のアンリ・ジョルジュ・クルーゾはその構成を独自に解体。映画は四人の男たちの生きざまに密着した前半部と、彼らがトラックで地獄の道行へと向かう後半の[二部構成]へと配置換えをしている。そのため、本作が爆薬輸送の物語だという核心に触れるまで、およそ1時間に及ぶ環境描写を展開していくこととなる。 しかし、この構成変更こそが、物語をどこへ向かわせるのか分からぬサスペンス性を強調し、加えて悠然とした前半部のテンポが、どん詰まりの人生に焦りを覚える男たちの感情を、観る者に共有させていくのだ。 そしてなにより、視点を火災に見舞われた石油資源会社ではなく、石油採掘の犠牲となった町やそこに住む人々に置くことで、映画はアメリカ資本主義の搾取構造や、極限状態におけるむき出しの人間性を浮き彫りにしていくのである。 ■失われた17分間の復活 だが不幸なことに、クルーゾによるこの巧みな構成が、フランスでの公開から36年間も損なわれていた時代があったのだ。 今回ザ・シネマで放送される『恐怖の報酬』は、クルーゾ監督の意向に忠実な2時間28分のオリジナルバージョン(以下「クルーゾ版」と呼称)で、前章で触れた要素が欠けることなく含まれている。 しかし本作が各国で公開されたときにはカットされ、短く縮められてしまったのだ(以下、同バージョンを「短縮版」と呼称)。 映画に造詣の深いイラストレーター/監督の和田誠氏は、脚本家・三谷幸喜氏との連載対談「それはまた別の話」(「キネマ旬報」1997年3月01日号)での文中、封切りで『恐怖の報酬』を観たときには既にカットされていたと語り、 「たぶん観客が退屈するだろうという、輸入会社の配慮だと思うんですけど」 と、短縮版が作られた背景を推察している。確かに当時、上映の回転率が悪い長時間の洋画は、国内の映画配給会社の判断によって短くされるケースもあった。事実、本作の国内試写を観た成瀬巳喜男(『浮雲』(55)監督)が、中村登(『古都』(63)監督)や清水千代太(映画評論家)らと鼎談した記事「食いついて離さぬ執拗さ アンリ・ジョルジュ・クルゾオ作品 恐怖の報酬を語る」(「キネマ旬報」1954年89通号)の中で、試写で観た同作の長さは2時間20分であり、この時点でクルーゾ版より8分短かったという事実に触れている。 しかし本作の場合、短縮版が世界レベルで広まった起因は別のところにあったのだ。 1955年、『恐怖の報酬』はアメリカの映画評論家によって、劇中描写がアメリカに対して批判的だと指摘を受けた(同年の米「TIME」誌には「これまでに作られた作品で、最も反米色が濃い」とまで記されている)。そこでアメリカ市場での公開に際し、米映画の検閲機関が反米を匂わすショットやセリフを含むシーンの約17分、計11か所を削除したのである。それらは主に前半部に集中しており、たとえば石油の採掘事故で夫を亡くした未亡人が大勢の住民たちの前で、 「危険な仕事を回され。私たちの身内からいつも犠牲者が出る。死んでも連中(石油資源会社)は、はした金でケリをつける」 と訴えるシーン(本編37分経過時点)や、石油資源会社の支配人オブライエン(ウィリアム・タッブス)が、死亡事故調査のために安全委員会が来るという連絡を受けて、 「連中(安全委員会)を飲み食いさせて、悪いのは犠牲者だと言え。死人に口なしだ」 と部下に命じるシーン(本編39分経過時点)。さらにはニトログリセリンを運ぶ任務を負った一人が、重圧から自殺をはかり「彼はオブライエンの最初の犠牲者だ」とマリオがつぶやく場面(本編45分経過時点)などがクルーゾ版からカットされている。 こうした経緯のもとに生み出された短縮版が、以降『恐怖の報酬』の標準仕様としてアメリカやドイツなどの各国で公開されていったのである。 なので、この短縮版に慣れ親しんだ者が今回のクルーゾ版に触れると「長すぎるのでは?」と捉えてしまう傾向にあるようだ。それはそれで評価の在り方のひとつではあるが、何よりもこれらのカットによって作品のメッセージ性は薄められ、この映画にとっては大きな痛手となった。本作は決してスリルのみを追求したライド型アクションではない。社会の不平等に対する怒りを湛えた、そんな深みのある人間ドラマをクルーゾ監督は目指したのである。 1991年、マニアックな作品選定と凝った仕様のソフト制作で定評のある米ボイジャー社「クライテリオン・コレクション」レーベルが、本作のレーザーディスクをリリースするにあたり、先述のカットされた17分を差し戻す復元をほどこした。そしてようやく同作は、本来のあるべき姿を取り戻すことに成功したのである。この偉業によってクルーゾの意図は明瞭になり、以降、このクルーゾ版が再映、あるいはビデオソフトや放送において広められ、『恐怖の報酬』は正当な評価を取り戻していく。 ■クルーゾ版の正当性を証明するフリードキン版 こうしたクルーゾ版の正当性を主張するさい、カット問題と共に大きく浮かび上がってくるのは、1977年にウィリアム・フリードキン監督が手がけた本作の米リメイク『恐怖の報酬』の存在である。 名作として評価の定まったオリジナルを受けての、リスクの高い挑戦。そして製作費2000万ドルに対して全米配収が900万ドルしか得られなかったことから、一般的には失敗作という烙印を捺されている本作。しかし現在の観点から見直してみると、クルーゾ版を語るうえで重要性を放つことがわかる。 フリードキンは米アカデミー賞作品賞と監督賞を受賞した刑事ドラマ『フレンチ・コネクション』(71)、そして空前の大ヒットを記録したオカルトホラー『エクソシスト』(73)を手がけた後、『恐怖の報酬』の再映画化に着手した。その経緯は自らの半生をつづった伝記“THE FRIEDKIN CONNECTION”の中で語られている。 フリードキンは先の二本の成功を担保に、当時ユニバーサル社長であったルー・ワッサーマンに会い「わたしが撮る初のユニバーサル映画は本作だ」とアピールし、映画化権の取得にあたらせたのだ。 しかし権利はクルーゾではなく、原作者であるアルノー側が管理しており、しかも双方は権利をめぐって確執した状態にあった。だがフリードキン自身は「権利はアルノーにあっても、敬意を払うべきはクルーゾだ」と考え、彼に会って再映画化の支えを得ようとしたのだ。クルーゾは気鋭の若手が自作に新たな魂を吹き込むことを祝福し、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』という二つの傑作をモノした新人にリメイクを委ねたのである。 こうしたクルーゾとフリードキンとの親密性は、作品においても顕著にあらわれている。たとえば映画の構成に関して、フリードキンはマリオに相当する主人公シャッキー(ロイ・シャイダー)が、ニトログリセリンを輸送する任務を請け負わざるを得なくなる、そんな背景を執拗なまでに描写し、クルーゾ版の韻を踏んでいる。状況を打破するには、命と引き換えの仕事しかないーー。そんな男たちの姿をクローズアップにすることで、おのずとクルーゾーの作劇法を肯定しているのだ。 しかしラストに関して、フリードキンの『恐怖の報酬』は、シャッキーが無事にニトログリセリンを受け渡すところでエンドとなっていた。そのため本作は日本公開時、このクルーゾ版とも原作とも異なる結末を「安易なオチ」と受け取られ、不評を招く一因となったのである。 ところがこの結末は、本作の全米興行が惨敗に終わったため、代理店によってフリードキンの承認なく1時間31分にカットされた「インターナショナル版」の特性だったのだ。アメリカで公開された2時間2分の全長版は、クルーゾ版ならびに原作と同様、アレンジした形ではあるがバッドエンドを描いていた。にもかかわらず場面カットの憂き目に遭い、あらぬ誤解を受けてしまったのである。 そう、皮肉なことにクルーゾもフリードキンも、改ざんによって意図を捻じ曲げられてしまうという不幸を、『恐怖の報酬』という同じ作品で味わうこととなってしまったのだ。 さいわいにもクルーゾ版は、こうして自らが意図した形へと修復され、本来あるべき姿と評価をも取り戻している。なので、クルーゾ版の正当性を証明するフリードキン版も、多くの人の目に触れ、正当な評価を採り戻してもらいたい。それを期待しているのは、決して筆者だけではないはずだ。■