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PROGRAM/放送作品
マーズ・アタック!
ハリウッドスターたちが、奇才T・バートンが描く世界観の中で個性的なキャラを熱演したSFコメディ
現代屈指の奇才T・バートンが特撮工房ILMのSFX技術を得て、火星人による地球襲来を往年のB級SF映画テイスト満点に映像化。主役からチョイ役まで、豪華ハリウッド人気スターたちの悪ノリ演技は必見。
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COLUMN/コラム2023.10.02
ティム・バートン印のポップでキッチュでブラックなSFコメディの傑作!『マーズ・アタック!』
それは友情から始まった 1950年代のB級SF映画と1970年代のディザスター映画にオマージュを捧げた、ティム・バートン監督のシュールでクレイジーな愛すべきSFコメディ映画である。劇場公開時は文字通り賛否両論。アメリカでは3週間で上映が打ち切られるほど客入りが悪かったが、しかしヨーロッパでは反対にロングランの大ヒットを記録。筆者の記憶だと日本でも評判はとても良かったはずだ。まあ、いかにもティム・バートンらしいオタク趣味丸出しのポップでキッチュなビジュアルや、時として残酷なくらいシニカルなブラック・ユーモアのセンスは、なるほど確かに見る人を選ぶであろうことは想像に難くない。 元ネタになったのはベースボール・カードの老舗トップス社が、1962年にアメリカで発売した子供向けトレーディング・カード「Mars Attacks!」。グロテスクな火星人の造形やリアルな残酷描写が子供たちに受けたものの、それゆえ保護者からの猛反発を食らって呆気なく販売が中止されてしまった。その後、「Mars Attacks!」は人気のコレクターズ・アイテムとなり、高額のプレミア価格で取引されるようになったことから、トップス社は’84年と’94年に復刻版をリリース。その’94年の復刻版を購入して、ティム・バートンにプレゼントしたのが脚本家ジョナサン・ジェムズだったのである。 イギリスの著名な劇作家パム・ジェムズを母親に持ち、マイケル・ラドフォード監督の『1984』(’84)と『白い炎の女』(’87)の脚本で頭角を現したジョナサン・ジェムズ。実はティム・バートン監督の出世作『バットマン』(’89)の脚本修正にノークレジットで携わっていた。ロンドン郊外のパインウッド・スタジオで撮影された『バットマン』。撮影中に幾度となく脚本修正の必要が生じたものの、当時ちょうど全米脚本家組合がストライキの最中だったため、オリジナル脚本を手掛けたサム・ハムが手を加えることは許されず、代わりに英国人の脚本家たちが修正に駆り出された。ジェムズはその中のひとりだったのだ。 お互いに趣味や好みの似ていた2人はたちまち意気投合。ほどなくしてロサンゼルスへ活動の拠点を移したジェムズは、バートン監督のもとで幾つも脚本を書いているのだが、残念ながら『マーズ・アタック!』以外は全てお蔵入りになっている。また、バートン監督と恋人リサ・マリーのキューピッド役を務めたのもジェムズ。ロンドンのモデル時代からリサ・マリーを知っているジェムズは、たまたま共通の友人を介してロサンゼルスで彼女と再会し、バツイチの独身だったバートン監督と引き合わせたという。いずれにせよ、当時の2人は無二の親友も同然だったようだ。 ストーリーの下敷きは『タワーリング・インフェルノ』!? 時は1994年の8月。バートン監督への誕生日プレゼント(8月25日が誕生日)を探していたジェムズは、ロサンゼルスのメルローズ通りにあるギフトショップへ入ったところ、そこでトップス社の「Mars Attacks!」と「Dinosaurs Attack!」のトレカ・ボックスを発見。これはティムの好みに違いない!と思った彼は両方とも購入してプレゼントしたという。それから1週間ほどしてバートン監督から連絡を受けたそうだが、当初は「Dinosaurs Attack!」の方を映画化するつもりだったらしい。巨大な恐竜がロサンゼルスの街を破壊するなんて最高にクールじゃん!?と。しかし、打ち合わせを進めるうちに2人は気が付いてしまう。それが『ジュラシック・パーク』の二番煎じであることに。そこでバートン監督は「Mars Attacks!」の映画化に鞍替えし、まずは映画会社ワーナーに提案するためのシノプシスを書くようジェムズに依頼したのである。 その際にバートン監督から指示されたのは、’70年代にアーウィン・アレンが製作したディザスター映画群、中でも『タワーリング・インフェルノ』(’74)を参考にすること。そこから「人々が醜悪な火星人に追いかけられて右往左往するオールスター・キャスト映画」という基本コンセプトが出来上がったという。すぐさま、ハイランド大通りにあった有名なレンタル・ビデオ店ロケット・ビデオで『タワーリング・インフェルノ』のVHSをレンタルしたというバートン監督とジェムズの2人。特に印象的だったのは、ロバート・ワグナーが火だるまになって死ぬシーンだったという。悪役でもない主演級の大物スターが悲惨な死に方をするなんて最高にクールじゃん?と感動したジェムズは、『マーズ・アタック!』でもオールスター・キャストの大半を悲惨な方法で殺すことに(笑)。さらに、『大地震』(’74)や『スウォーム』(’78)などをお手本にして、アメリカ各地に暮らす様々な社会階層の人々が登場する大規模な群像劇に仕上げたのである。 ストーリーは極めてシンプル。ある日突然、火星からのUFO軍団が地球へと飛来する。果たして火星人の目的は何なのか?友好の使者なのか、それとも侵略者なのか。この状況を政治利用しようとするアメリカ大統領、核爆弾による先制攻撃を主張するタカ派軍人、火星人ブーム(?)に乗って一儲けしようとするビジネスマンなど、様々な人々の思惑が交錯する中、いよいよ火星人とのファースト・コンタクトが実現。なんだ、むっちゃ友好的じゃん!とみんながホッと胸をなでおろしたのも束の間、たちまち本性を現した火星人たちの地球侵略攻撃が始まる。 火星人のキャラ造形が極端にグロテスクであることから、地球人のキャラクターも極端なカリカチュアとして描けば、うまい具合にバランスが取れると考えたというジェムズ。メインの登場人物だけでおよそ20名、幾つものプロットが同時進行するという脚本の構成は複雑だが、そこはスタンリー・クレイマー監督のコメディ巨編『おかしなおかしなおかしな世界』(’63)が大いに参考になったという。 テーマはズバリ「権力者を信用するな」。米国大統領にせよ、科学者にせよ、軍人にせよ、はたまたテレビの人気司会者にせよ、本作に登場する権力者たちは揃いも揃って、愚かで浅はかでバカで軽薄なクズばかり。世界の危機を救うどころか事態を悪化させ、いずれも自業自得の悲惨な最期を遂げる。むしろ世界を救うのは、家庭に居場所のない孤独な少年や老人ホームに追いやられた老婆、借金返済のためカジノで働く元プロボクサーなど、名もなき普通の人々。要するに、どこにでもいる平凡で善良なアメリカ市民こそが真のヒーローなのだ。 ギクシャクし始めたスタジオとの関係 およそ1週間でプレゼン用のシノプシスを書き上げたというジェムズ。『マーズ・アタック!』の企画は無事に通り、ワーナーは’95年8月の撮影開始、’96年8月の封切というスケジュールを立てたのだが、しかし制作陣はすぐに大きな壁にぶつかってしまう。というのも、レイ・ハリーハウゼンの特撮映画を熱愛するバートン監督は、本作の特撮もストップモーション・アニメでやろうと考えたのだ。当初は『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(’93)のヘンリー・セリックに任せるつもりだったが、しかし当時のセリックは『ジャイアント・ピーチ』(’96)に取り掛かっていたため都合がつかず、セリックの推薦でイギリスのアニメ作家バリー・パーヴスに白羽の矢が立ったという。 しかし、英国人のパーヴスがアメリカでスタッフを集めて工房を作り、さらにテストフィルムを製作するまでに予想以上の時間がかかってしまった。おかげで、予定していたスケジュールが押してしまうことに。そこでプロデューサーのラリー・フランコがサンフランシスコへ飛び、ジョージ・ルーカスの特撮工房ILMと直談判。ストップモーション風のCGアニメを開発してもらうこととなる。本当にそんなことが出来るのか?とバートン監督は半信半疑だったが、しかしテスト映像の仕上がりを見て大いに納得。結局、CGを使うことでアニメ制作の時間短縮が可能になったが、その代わりに予算も膨れ上がってしまい、この頃から製作陣とワーナーの関係がギクシャクし始めたようだ。 さらに、脚本家ジェムズとワーナーの対立も表面化していく。撮影に向けて脚本のドラフトを書き始めたジェムズ。ワーナー経営陣には「クリエイティブ・チーム」と呼ばれる人々がおり、原稿は全て彼らのチェックを受けなくてはならなかったのだが、そこで様々な意見の相違が出てきたのである。それ自体はよくあることなのだが、しかしあるシーンを巡ってお互いが絶対譲らなくなってしまう。それが、本編冒頭の「燃える牛軍団」シーン。のどかな田舎で火の付いた牛の群れが暴走するという場面なのだが、これをクリエイティブ・チームは「動物愛護法に反する」としてNGにしたのだ。しかし、当然ながら実際に撮影で牛を燃やすわけじゃない。当たり前だが特撮で処理をする。「なにをバカなこと言ってるんだ!?」と呆れたというジェムズ。このシーンは観客にインパクトを与えるためにも絶対に必要だ。そう考えた彼は、何度NGを出されても無視し続けたそうだが、その結果ワーナーからクビを言い渡されてしまった。 ドラフト原稿を提出すること12回。すっかり疲れ切っていたジェムズは、むしろクビになってホッとしたという。代役には『エド・ウッド』(’94)の脚本家コンビ、スコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーを推薦。ところが、今度はワーナー経営陣の意向通りに修正した彼らの脚本をバートン監督が気に入らず、クビになってから5週間後にジェムズは呼び戻される。バートン監督の自宅で専用部屋を用意された彼は、なんとたったの5日間で新たな修正版を完成。「燃える牛軍団」シーンもシレッと復活させたのだが、どういうわけかこれが最終的に通ってしまったという。全く、いい加減なもんである(笑)。 あの役は本来ならディカプリオが演じるはずだった! こうしてなんとか脚本を完成させたバートン監督とジェムズだったが、今度はオールスターのキャスティングに難航する。スムースに決まったのは、科学者役のピアース・ブロスナンと大統領補佐官役のマーティン・ショート。どちらもナンセンスで毒っ気のある脚本の趣旨を理解し、最初から出演にとても前向きだったという。世界を救うフローレンスお婆ちゃんは、もともとシルヴィア・シドニーを念頭に置いた役柄。シルヴィア・シドニーと言えば、’30~’40年代にパラマウントの看板スターだった清純派のトップ女優。その一方で、かの大女優ベティ・デイヴィスをして「ハリウッドには私よりもタフな女優が2人だけいる。アイダ・ルピノとシルヴィア・シドニーよ」と言わしめたほどの女傑である。『ビートルジュース』(’88)でもシドニーと組んだバートン監督は、まるで自分の祖母のように彼女を敬愛していたそうだ。 しかし、それ以外のキャストはなかなか決まらなかった。アメリカ大統領役はウォーレン・ベイティに決まりかけたが、しかしワーナーが難色を示したため白紙撤回。成金の不動産業者役をオファーされたジャック・ニコルソンが、アメリカ大統領役も兼ねることで落ち着いた。このニコルソンの出演が決まった途端、ハリウッド中のスターが手のひらを返したように出演を希望するようになったという。恐らく、一歩間違えるとキワモノになりかねない映画だけあって、みんな様子を窺っていたのだろう。 ちなみに、フローレンスお婆ちゃんの孫リッチー役は、なんとレオナルド・ディカプリオが演じるはずだったが、しかし撮影スケジュールが押したせいで出演が不可能になったという。そのディカプリオが代役として推薦したのがルーカス・ハースだった。また、最後のギリギリまで見つからなかったのがフランス大統領役の俳優。撮影前日に「どうしよう!誰か知らない!?」とバートン監督から連絡を受けたジェムズは、たまたまご近所さんだった名匠バーベット・シュローダー監督を推薦。厳密にはスイス人だけとフランス国籍だし、見た目もド・ゴール大統領に似ているから適任だと考えたらしい。ダメもとで連絡してみたところ、自宅まで迎えの車が来るならオッケーとの返答。バートン監督はシュローダーが何者か全く知らなかったらしいが、あまりの芝居の上手さに舌を巻いたそうだ。 こうして当初の予定よりも大幅に遅れたものの、’96年12月に全米公開されることとなった『マーズ・アタック!』。疲労困憊したティム・バートン監督は恋人リサ・マリーとインド旅行へと出かけ、ジョナサン・ジェムズはロサンゼルスで宣伝キャンペーンが始まるのを待っていたが、しかし封切の3週間前になっても何も起こらなかったという。不安になったジェムズはワーナーに問い合わせるも、向こうは「宣伝なら1000万ドル規模の予算をかけてますから!」の一点張り。ようやく1週間前になってサンセット大通りに看板が掲げられ、映画館やテレビでも予告編が流れるようになったが、しかしジェムズに言わせれば遅すぎた。まるで自社作品を潰しにかかっているようだ。そういえば、プレビュー試写でも一般客から大好評だったにもかかわらず、同席したワーナー経営陣の反応は冷ややかだった。最初から売るつもりなどなかったんじゃないか?とジェムズは疑ったが、しかしその理由はいまだに見当がつかないという。 まあ、CGの使用による予算の増額や、脚本を巡るジェムズとの対立などで、ワーナー経営陣の心証を悪くした可能性はあるが、しかしだからといって多額の予算を投じた自社作品の宣伝をあえて放棄するようなことはしないだろう。恐らく、「ワーナー宣伝部はこの映画の売り方を分からなかっただけだ」というバートン監督の見解が正しいかもしれない。たとえ出来損ないの映画でも宣伝が上手ければ成功するが、反対にどれだけ出来の良い映画でも宣伝が下手ならば失敗する。今も昔も変わらぬ鉄則である。■ 『マーズ・アタック!』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
運命の逆転
妻の殺害未遂で告訴された貴族をジェレミー・アイアンズが見事に演じた第一級の心理サスペンス!
1980年のクリスマス、妻を植物状態にした罪で訴えられた貴族の事件を映画化。本作でアカデミー主演男優賞を受賞したジェレミー・アイアンズの見事な演技が作品に緊張感を与えている、第一級の心理サスペンス!
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COLUMN/コラム2022.12.29
見る者によって様々な感想と解釈を許容するショッキングな恋愛サスペンス『危険な情事』
※注:以下のレビューには部分的なネタバレが含まれます。 公開当時に様々な論議を呼んだ理由とは? 今からおよそ35年前、世界中で物議を醸した問題作である。どこにでもいる平凡な既婚男性が一夜限りのつもりで浮気をしたところ、相手の女性から執拗に付きまとわれて家庭崩壊の危機に瀕するという衝撃の恋愛サスペンス。妻子のいる身でありながら別の女に手を出した男の自業自得なのか、それとも男の浮気を本気に受け取ってしまった無粋な女が悪いのか。当時を知る筆者の記憶だと、劇場公開時の日本では主人公の浮気男に同情する声が多かったように思う。もちろん、それだけ真に迫った映画だったからこそ世間をざわつかせたわけだが、同時に「浮気は男の甲斐性」などと言われた昭和の日本にあって、単なる出来心では済まされない不倫の恐ろしい顛末を描いた本作は、ある意味でカルチャーショックのようなものだったのかもしれない。 かたや海外でも「不倫は恐ろしい!」との反応が大きかったらしく、エイドリアン・ライン監督は映画を見たという男性たちからたびたび「浮気をする気が失せた」などと声をかけられたそうだ。振り返ってみれば、不倫や浮気を題材にした映画は世の東西を問わず数多いが、それを「良くないこと」とする大前提がありつつも、しかしどこか「禁断の甘い果実」のように美化されてきたことは否めないだろう。ところが、本作では軽い気持ちで浮気をしてしまった男が、それゆえに悪夢のような地獄へと突き落とされ、あまりにも大きな代償を支払わされることになる。確かに、これを見てゾッとしてしまう男性も多かろう。 その一方で、本作はストーカー化する浮気相手の女性を独身のキャリアウーマンと設定したことで、フェミニストを中心とする一部の女性たちから猛反発を受けてしまう。結婚よりも仕事を選んだ女性を、まるで孤独なサイコパスのように描いたことを問題視されたのだ。もちろん、作り手側にそのような意図は全くなく、たまたま浮気した相手がバリバリ働く独身女性で、なおかつサイコパス的な気質の持ち主だったというだけなのだが、しかし不評を買ってしまった理由も分からなくはない。 これは海外も日本も同じだと思うが、なにしろ「結婚して家庭に入って子供を産み育てることこそ女性の幸せ」と考えられた時代が長かった。それゆえ、結婚もせず子供も作らない女性は孤独で不幸せ、いつまでも独身でいる女性は人間的に問題がある、キャリアウーマンは男にモテないから仕事を選んだなどと、あからさまな偏見の目を向けられる女性もかつては少なくなかった。’70年代に世界各地で盛り上がったウーマンリブの運動は、まさにそのような家父長制的な男社会で培われた女性への悪しき偏見と闘ってきたわけだ。なので、本作に反発を覚える女性がいたとしても全く不思議はないだろう。 しかも、よくよく考えてみれば「一夜限りの関係」だと考えていたのは男の方だけで、相手にその旨をきちんと伝えたわけでもない。「大人なんだから言わずとも分かるだろう」はまことに身勝手な言い分である。確かに既婚者であることは最初に明かしているものの、しかし優柔不断で中途半端な優しさは相手を勘違いさせて当たり前だ。その優しさだって、結局は「セックスをしたい」という下心からくるもの。なので、一度コトが終われば瞬時に醒めてしまう。今風に言えば「賢者タイム」だが、要するに体の良い「やり逃げ」である。「人間扱いされてない」と女性が感じたとしても仕方あるまい。女性側に立ってみれば酷い侮辱である。自分が誰かの妻でも母親でもない独身の女だから、あと腐れなく簡単にやれると思ったのか。実際、そう考えて不倫をする既婚男性も少なくなかろう。家父長制的な男社会では、家庭に属さない女性はなにかと軽んじられがちだ。本作のヒロインの怒りも当然である。 もちろん、だからと言ってストーカー行為に走ることは許されないが、しかし見方によっては同情の余地も十分にあるだろう。そんな女性を、本作では凶暴なモンスターのように描く。それもまた、公開当時にフェミニストから批判された理由のひとつだったと思う。いずれにせよ、見る者の立場や考え方によって、受ける印象も抱く感想も全く変わる作品であることは間違いない。 実は2種類あったエンディング 舞台は大都会ニューヨーク。優しくてしっかり者の妻ベス(アン・アーチャー)と可愛い娘エレン(エレン・ハミルトン)に恵まれた弁護士ダン・ギャラガー(マイケル・ダグラス)は、顧問を務める出版社のパーティで同社の女性編集者アレックス(グレン・クローズ)と知り合う。後日、会社の会議で再会した2人は意気投合。ちょうどその週末、妻が娘を連れて実家へ帰省していたこともあって、独身気分のダンはつい魔がさしてアレックスと寝てしまう。誰もいない我が家へと朝帰りするダン。すると、そこへアレックスから電話がかかり、なにも告げずにさっさと帰ってしまったことをなじられる。冷たくしてしまった負い目もあって、アレックスから求められるがまま再会するダンだったが、その優柔不断な態度が裏目に出てしまう。アレックスに「私は愛されている」と勘違いさせてしまったのだ。 帰省していた妻子が週明けに戻ってきたことから、アレックスとの関係をなかったものにしようとするダン。しかし、彼女を避けようとすればするほど、アレックスのダンに対する執着心は増して行き、遂には彼の目の前で手首を切って自殺未遂をはかる。とんでもない相手と関わってしまった。後悔したダンは自宅の電話番号を変更し、妻が希望していた郊外の一軒家へ引っ越しを決めるのだが、しかしアレックスの常軌を逸した付きまといはどんどんとエスカレート。やがて、愛する家族の身まで危険に晒すこととなってしまう…。 実は本作、元になった作品が存在する。それが、イギリスの映像作家ジェームズ・ディアデン(父親は往年の巨匠ベイジル・ディアデン)が監督・脚本を務めたテレビ向けの短編映画『Diversion』(’79)だ。主人公はロンドン在住の作家ガイ・ブルックス。妻アニーが子供を連れて実家へ戻った週末、原稿の執筆に行き詰まった彼は、先日のパーティで知り合った独身女性エリカを気晴らしのため食事に誘い、そのまま彼女の自宅でベッドインしてしまう。一度きりの関係で終わらせるつもりだったガイだが、しかしやり逃げ同然の扱いを彼女に責められ、罪滅ぼしのため再会に応じたところ泥沼にハマっていく…というストーリー展開は『危険な情事』とほぼ同じ。ただし、こちらではダンとの不倫関係に執着するようになったエリカが、彼の自宅へ電話をかけるところでジ・エンドとなり、その後ストーカー行為へ発展するであろうことを示唆するにとどめている。 この50分にも満たない短編映画に注目したのが、夫婦の離婚問題に斬り込んだ『クレイマー、クレイマー』(’79)やレイプ問題を正面から描いた『告発の行方』(’88)など、数々の問題作を世に送り出してきた映画プロデューサーのスタンリー・ジャッフェと、当時のビジネス・パートナーだったシェリー・ランシング。これを長編にしたら面白いと考えた2人は、作者のディアデンをロンドンからカリフォルニアへ招き、早々に出演の内定したマイケル・ダグラスも交えつつ、およそ半年間に渡って協議を重ねながら脚本を練り上げたという。ただし、そのディアデンが後に語ったところによると、実際の脚本執筆期間は4年にも及んだそうで、しかも当初の段階ではアレックスにもっと同情的な内容となるはずだったという。そこでネックになったのが、主人公ダン役のマイケル・ダグラスだったらしい。ハリウッドのトップスターであるダグラスが演じるからには、観客が共感できるキャラクターでなくてはならない。製作会社のパラマウントからそのような要求があったため、幾度となく脚本の書き直しを進めるうち、どんどんとアレックスが怪物化してしまったのだそうだ。 そんな本作には、実は2通りのエンディングが存在する。全米での封切直前にお蔵入りしたオリジナル版エンディングと、その代わりに差し替えられた劇場公開版エンディングだ。先述したように、本来であればアレックスに同情的な内容となるはずだった本作。その名残りなのか、オリジナル版エンディングでは絶望の淵に追いやられたアレックスが自殺を遂げ、これを他殺と疑った警察によって浮気相手のダンが逮捕されてしまう。結局、無実である証拠が見つかって終わるのだが、そこにはそもそもの原因を作ったダンに対して、それ相応の罰を与えようという作り手側の意図が垣間見える。実にフェアな結末だと思うのだが、しかしこれが一般試写では観客から大変な不評だったらしい。というのも、映画がクライマックスへ差し掛かる頃になると観客はすっかりダンに感情移入してしまい、平和で幸福な家庭を壊す悪女アレックスに対して強い怒りを覚えていたことから、彼女が自ら死を選ぶという結末に釈然としなかったのだ。要するに、観客はダンではなくアレックスを罰したかったのである。 そこで、監督やプロデューサー陣はエンディングを丸ごと撮り直すことに。みんなオリジナル版エンディングで満足していたのだが、しかし観客の反応は興行成績にも結び付くため無視できない。苦渋の決断だった。新たなエンディングの執筆には、『スタートレック』シリーズの監督や脚本で知られるニコラス・メイヤーが起用された。復讐の鬼と化したアレックスがダンの自宅へと乗り込み、バスルームで妻ベスに襲いかかるという有名なエンディングは、こうして誕生したのである。だが、この撮り直しにアレックス役のグレン・クローズが猛反対した。なぜなら、新たな結末だとアレックスが同情の余地のない悪魔となってしまいかねないからだ。頑として首を縦に振らないクローズを脚本家のディアデンが説得したそうなのだが、どうしても納得できない彼女は涙を流しながら必死に抗議したという。結局、このままでは映画に関わった全ての人に迷惑がかかるとエージェントに諭され、渋々ながらも撮り直しに応じたクローズだったが、恐らく彼女にしてみれば不本意な譲歩だったに違いない。 とはいえ、最終的に出来上がった劇場公開版を見ると、確かにこちらのエンディングの方がショッキングだし、なにより映画的にも大いに盛り上がる。オリジナル版の方が現実的であることは間違いないが、しかし地味過ぎてカタルシスに欠けることも否めないだろう。この新たなエンディングがあったからこそ、本作は様々な論議を巻き起こして大ヒットしたのだと思う。果たして、あなたは迂闊な浮気男ダンに我が身を重ねて震えあがるのか、それとも愛に飢えた孤独な女性アレックスに同情して復讐を望むのか。見る者の価値観や道徳意識が問われる映画でもある。■ 『危険な情事』COPYRIGHT © 2022 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
危険な情事
87年世界興収トップ!90年代サイコ・ホラー大ブームの口火を切った映画史に残るサイコ・ホラー代表作
ストーカーなど、一見普通に見える人間の暴走こそ、実は最恐に怖いホラーだ、という“サイコ・ホラー”ジャンル大ブームの火付け役となった作品。監督は、男女の愛欲を描き続けるエイドリアン・ライン。
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COLUMN/コラム2019.01.07
ロバート・レッドフォードの“キャッチボール”『ナチュラル』
その昔、「お箸の国の人だもの」というCMのフレーズがあったが、その言い方を借りれば、サッカーのJリーグなどが発足するより以前、私の青少年期である1970~80年代頃までの日本の男どもは、「野球の国の人だもの」という感じであった。 様々なスポーツの中でも野球人気は圧倒的で、ゴールデンタイムの巨人戦中継は、連日高視聴率を叩き出していた。そしてこの頃に野球少年だった者の多くが、父親とキャッチボールに興じた思い出を持つであろう。 私の父は仕事の都合で、連日のように帰宅は深夜になり、息子たちが通学する頃にはまだ布団の中というのが、普通であった。しかし私が小学校の高学年になって、野球に熱中し始めると、わざわざ早起きしては、キャッチボールの相手をしてくれるようになった。 息子の投げる球をしっかりと受け止めては、胸元めがけて投げ返す…。その時は何も意識してなかったが、いま振り返ればあのキャッチボールは、普段忙しい父の“想い”が伝わってくる、大切な瞬間であった。孫の顔を見せることもなく、父が早逝してから20年近く。最近になってしみじみと、そんなことを思ったりする。 「野球の国」の元祖であるアメリカにも、そんな父と子の構図が存在するのであろう。名作『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)の終幕、ケヴィン・コスナー扮する主人公が、かつて不仲だった亡父の若き日と出会い、キャッチボールに興じるシーンは、実に感動的である。 そして、『フィールド・オブ・ドリームス』に先駆けること5年。1984年公開の本作『ナチュラル』でも、父と子のキャッチボールが、重要なポイントとなる。 時代は1939年。開巻間もなく汽車に乗る主人公、ロバート・レッドフォード扮するロイ・ハブスの脳裏には、ネブラスカの農場で過ごした少年時代がよぎる。 彼は農夫である父によって、野球に対しては“ナチュラル=天性の才能の持ち主”であることを見出され、毎日コーチを受ける。ノックやピッチング練習以上に、父子にとって至福の時であったのが、キャッチボール。父が野球に臨む心構えを説きながら投げたボールを、息子は嬉しそうに受け止めては、投げ返す。そんなロイの姿を、幼馴染みの女の子アイリスが、ニコニコしながら眺めていた。 ずっと続くかと思われた父子の時間だったが、ある日父は突然倒れ、帰らぬ人となってしまう。その夜にハブス家の農場は、激しい嵐に襲われ、樫の木が雷鳴と共に引き裂かれる。ロイは亡父の遺志を感じたかのように、その木で手製のバットを作り上げ、“ワンダー・ボーイ=神童”という字と、稲妻のマークを刻印する。 それから6年後、青年になったロイは、スカウトに発掘され、大リーグのシカゴ・カブスのテストを受けることとなる。故郷を旅立つ前夜には、アイリスと結婚を誓い合い、2人は初めて結ばれる。 シカゴに向かう道中では、汽車で出会った現役大リーガーの強打者と、ひょんなことから対戦。ロイは三球三振に斬って捨てる。 「あらゆる記録を破るプレイヤーになる」そんな自信に満ち溢れた彼の前途は洋々たるものと思われたが、結局大リーグのマウンドに立つことはなかった。それどころか、カブスのテストを受けることさえ出来なかったのである。 ロイはシカゴに到着して間もなく、汽車で出会って心惹かれた黒服の美女から、ホテルの部屋と導かれる。そこで彼を待っていたのは、銀の銃弾。腹へと撃ち込まれたロイは、そのまま意識を失った…。 それから、16年の歳月が流れた。長く流浪の日々を送ってきたロイだったが、弱小球団のニューヨーク・ナイツの本拠地に、35歳の“オールド・ルーキー”として現れる。ようやく辿り着いた、大リーグ。当初は監督に疎まれたロイだが、いざ出場のチャンスを与えられるや、少年時代に作った、あの“ワンダー・ボーイ”のバットでホームランを打ちまくり、チームの大躍進に貢献する…。 1952年に出版された小説を原作とする本作は、レッドフォードが出演を熱望した作品だという。その理由は、彼のそれまでの歩みが、ロイと重なる部分があることと無関係ではないだろう。 少年時代から、スポーツ万能だったというレッドフォード。中でも野球は得意中の得意で、高校を卒業してコロラド大学に進む際には、野球選手用の奨学金で入学したほどのプレイヤーだった。 しかし、ほどなくして大学をドロップアウトした彼は、絵を習うためにヨーロッパへ。パリやフィレンツェの美術学校に通うが、画家になろうという夢は1年余りで挫折し、アメリカへと戻る。そして21歳の時に、17歳の女性と結婚する。 レッドフォードはその後、ニューヨークの演劇学校へ通って、俳優を志す。ブロードウェイの端役でデビューした後、舞台やTVドラマに出演するが、まったく売れず、2人の生活は、妻が働いて支えた。 やがてニール・サイモン作の舞台「裸足で散歩」の主演で、ブロードウェイで成功を収めるものの、その後に出演した何本かの映画は不発に終わり、結局は30過ぎまで試練の日々が続く。 レッドフォードをスターダムにのし上げたのは、1969年に公開された、“アメリカン・ニューシネマ”の代表的な1本、既に大スターだったポール・ニューマンと共演した、ジョージ・ロイ・ヒル監督の西部劇『明日に向って撃て!』のサンダンス・キッド役。1936年生まれのレッドフォードは、その時33歳。『ナチュラル』の“オールド・ルーキー”ロイ・ハブスと同じく、檜舞台に上がるまでには、短くない時間を要したのである。 さて本作では、ロイは脚光を浴びた後、再び“悪い女”にハマり、成績は下降線に。チームも優勝戦線から、離脱しそうになる。そんな時に救いの女神のように現れるのが、かつての恋人アイリスだった。 ロイの復調と共に、チームの勢いも戻り、遂にはリーグ優勝~ワールドシリーズ進出を目前にする。しかしロイは、銀の弾による古傷の悪化と球団オーナーらの八百長の陰謀によって、現役生活及び生命のピンチへと追い込まれる。 そしてその時彼が取った選択が、新たなる“父子のキャッチボール”へと繋がる。アイリスの笑顔に再び見守られながらの、“至福の時”…。 ロイ・ハブスの最高に誇れる、しかしあまりにも短かった、栄光の瞬間。それに比べれば『明日に向って撃て!』以降、1970年代から長く、ハリウッド屈指の二枚目スターとして活躍し、80年代以降は、監督としても評価が高い作品を発表していくレッドフォードの、栄光の時間は長く続いた。そしてその間に彼は、映画人として数多くの“息子たち”と“キャッチボール”を行い、大切なものを与え続けたのである。 監督デビュー作だった『普通の人々』(1980)で、自身はアカデミー賞監督賞を獲得。と同時に、二十歳の新人だったティモシー・ハットンに、助演男優賞のオスカーをもたらした。 レッドフォ―ドの監督第3作にして、「最高傑作」と推す声も多い『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)では、“ブラピ”ことブラッド・ピットのキャリアを、“レッドフォード2世”と呼ばれるまでに磨き上げ、輝かせた。その後大スターへの道を邁進し、プロデューサーとしても成功を収めるブラピは、レッドフォードのことを、「師匠であり、もう一人の父親のような存在」とまで語っている。 更には、レッドフォードが1978年にスタートさせた、「サンダンス映画祭」。彼の最初の当たり役の名に因むこの映画祭は、新人監督の登竜門として、ちょうど『ナチュラル』が公開となった辺りから、勢いが加速。コーエン兄弟やジム・ジャームッシュ、タランティーノなどから、近年ではデミアン・チャゼルまで、後のアメリカ映画を支える面々が、次々と育っていった。 多分これからの日本映画界をリードしていく1人となる、長久允監督。2017年1月、彼のデビュー短編『そうして私たちはプールに金魚を、』(2016)にグランプリを与え、世界に先駆けて認めたのも、「サンダンス」である。さすれば長久監督も、間接的ではあるが、映画人レッドフォードと“キャッチボール”をした、“息子”の1人と言えるであろう。 2018年8月、80歳を超えたレッドフォードは、俳優業の引退宣言をした。しかしプロデューサーや監督としての活動は、まだまだ続ける意向と聞く。彼との“キャッチボール”で育まれる者が、これからも増えていくことを期待する。■
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PROGRAM/放送作品
(吹)危険な情事 【ゴールデン洋画劇場版】
87年世界興収トップ!90年代サイコ・ホラー大ブームの口火を切った映画史に残るサイコ・ホラー代表作
ストーカーなど、一見普通に見える人間の暴走こそ、実は最恐に怖いホラーだ、という“サイコ・ホラー”ジャンル大ブームの火付け役となった作品。監督は、男女の愛欲を描き続けるエイドリアン・ライン。
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COLUMN/コラム2014.09.03
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年9月】おふとん
1987年世界興収トップ納得のサイコホラー。なんといっても怖いのはグレン・クローズ、あんたの顔!お風呂のシーンなんて夢に出てきちゃう!こわい! それでまた、日本語版吹き替えの沢田亜矢子の声がぴったりで、洋画でありながら、日本の話かのように感じてしまうのです。こんな女ありえないと思いつつも、グレン・クローズの狂気や嫉妬は少なからずなーんとなく理解できてしまうのでは、、 しかし一方でマイケル・ダグラスの「やべー!こえー!」みたいなところから「こいつマジで殺す…」と感情が変化していく様子も見事かつ、がっつり感情移入させるんですね。男女の気持ちをどっちも理解できるということでまさかの恋愛バイブルな一本なのでは!? ちなみに2004年の「ステップフォード・ワイフ」でもグレン様の同じような不気味な御尊顔を拝むことができます。 COPYRIGHT © 2014 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
白と黒のナイフ
この男、有罪?無罪?疑いながらも依頼人に惹かれていく敏腕女性弁護士を描いた法廷サスペンス
本作出演前、3年連続でオスカー候補に挙がっていた実力派のグレン・クローズが主人公の女性弁護士を、対する疑惑の依頼人をジェフ・ブリッジズが演じる。真犯人をめぐり最後まで息をつかせぬラブサスペンス。
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COLUMN/コラム2012.12.22
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年1月】銀輪次郎
グレン・クローズ、ジェフ・ブリッジス共演のサスペンス。日本で言う“火サス”的な展開。犯人はおそらくあの人だろうと思わせながらも、なかなかその手がかりを掴ませない。正にアメリカ発の“サスペンス劇場”と言える本作。物語は優雅な音楽のオープニングから一転、資産家の娘が殺さるシーンから始まります。サスペンス劇場によくある序盤の展開がなんだか嬉しいですね。怪しまれるのがその夫ジャック。いかにも怪しいこの夫。ですが、堂々と無実を主張。そしてよりによって、弁護を依頼した敏腕女性弁護士テディと恋仲になってイチャイチャし始めるではありませんか。そしてこのテディの御蔭で、晴れて自由の身となるわけですが、訪れるは驚愕のラストシーン。というよりもおそらく皆さん、こういう展開を想像(いや期待)してしまう訳ですが、思った通りの展開になります。既に結構なネタバレなご紹介で大変恐縮ですが、この先は是非皆様の目でお確かめ下さい。しかし、まぁやっぱりそうだよねという展開でお楽しみ頂けることと思います。「ダメージ」ファンの皆様も是非! Copyright © 1985 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.