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PROGRAM/放送作品
ロスト・イン・トランスレーション
アカデミー賞オリジナル脚本賞受賞。ソフィア・コッポラ監督・脚本による、ラブ・ストーリー一歩手前の物語
ソフィア・コッポラ監督が自身の東京での滞在経験をもとに脚本を書きメガホンもとった、ラブ・ストーリー一歩手前、年の差男女の心理的つながりの物語。すべて東京ロケ、90%が日本人スタッフというこだわりよう。
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COLUMN/コラム2017.08.15
みんな大好きポルノをオンライン決算で見やすくしたアダルト業界のイノベーターに肉薄〜『ミドルメン/アダルト業界でネットを変えた男たち』〜8月17日(木)ほか
■冒頭にピーウィー・ハーマンも登場する 恐らく劇中に下半身ネタが満載されているのと、スター不在のせいで、日本では劇場未公開となった『ミドルメン/アダルト業界でネットを変えた男たち』を観ると、そんなインターネット創生期のカオスがひしひしと伝わって来る。時代はまさにソーシャルメディアが劇的に変化しようとしていた1997年。例えば、それ以前にポルノ映画を自宅で鑑賞しようと思ったら、レンタルビデオ店に足を運ぶか、(海外からこっそり持ち込むか@日本)、製作元から直接取り寄せるか、しかなかったはず。よくもまあ、そんな面倒臭いことができたもんだと思う。仕方がない。みんな大好きなんだから。映画の冒頭に誰だってポルノを観ながらオ○ニーするのが大好きというコーナーがちゃんと用意されているし。コーナーの最後を飾るのは、ポルノ映画館でオ○ニーしているのが見つかって逮捕され、社会復帰後、時代に関係なく特にアメリカでは絶対×の児童ポルノ所持で再逮捕されたオ×ニー大好きセレブ、コメディアンのピーウィー・ハーマンことポール・ルーベンスだ。 ■オンライン決算のパイオニアはアダルトだった? さてそこで、立ち上がった直後のネット上にポルノ画像専門のサイトを開設し、有料での閲覧を思いつくのが、物語の言わば発起人である元獣医のウェインと元科学者のバックの2人組。堅気の人生を送るのはそもそもかなり難しい享楽的ジャンキーの2人だったが、システムに精通していたバックが"オンライン・カード決済システム"をたったの15分でプログラミングしたことで、上がりは一気に100万ドル超え。このシステムのおかげで、地球上の男たちは誰にも知られず、何ら手を煩わせることなく、ワンクリックで視聴料を決済するだけで、各々が好みの女性(または男性)、好みのプレイにアクセスできるようになったわけだ。実話にインスパイアーされたという本作だが、アダルト産業に革命をもたらした男たちの成功と、必然的に訪れる挫折のプロセスを描く上で、どこまで事実を踏襲しているかは定かではない。しかし、"オンライン・カード決済システム"を最初に導入したのはアダルト産業だったとも言われていて、着眼点は下半身を見据えている分、ある意味鋭い。同時期に公開され、比較された『ソーシャル・ネットワーク』(10)のFacebookに匹敵するメディア革命を扱った野心作、という見方だってできそうだ。 ■『ソーシャル・ネットワーク』とはここが違う その『ソーシャル・ネットワーク』は、開発したシステムがセンセーショナルで想定外の巨額マネーを生んでしまったばっかりに、若者たちの人間関係がマネーゲームに取り込まれ、破綻していく様子を描いて、そこはかとない虚しさを漂わせていたのとは違い、『ミドルメン』はアダルトだけに裏社会もの。かなり血生臭い。ユーザーからの注文でオリジナル動画を製作しようと、ロシアン・マフィアが経営するストリップ・クラブに入り浸り、そこでマフィアとの契約を破って窮地に陥った2人組を助けるために、弁護士を介してこのカオスに加わることになる実業家、ジャックを主軸に、これ以降の物語は進んでいくことになる。 ■成功依存症に二日酔いはないってか? 最初はポルノになど関わりたくなかったジャックだったが、オンラインシステムの導入でビジネスが一気に巨大化した時、顧客とポルノ業者の間を取り持つ仲介業(=ミドルメン)を発案。それが大成功を収めたためにもはや後戻りできなくなる。本来は真面目で家族思いのジャックが、金と権力と女を手にした途端、何かに憑かれたように浮き足立っていく様は、終始喧噪の中で展開する物語の中で、妙に胸に突き刺さる部分。男として望むものをすべて手に入れた状態に依存し、それが異常であることに気づかないジャックは、モノローグの中でそんな自分をこう振り返る。「この依存症に二日酔いはないのが怖い」と。成功とは、現実に直面する不快な翌朝は決して訪れない、永遠に続くかに思われる祭のようなものかも知れないと、この独白からは想像できる。本作に製作者として関わり、ジャックのモデルとも言われているクリストファー・マリックなる人物が、虚実入り乱れた物語の中に注入した数少ない真実が、もしやコレなのではないだろうか? ■プロデューサーもアダルト業界も変わった! 因みに、『ミドルメン』に引き続き、同じジョージ・ギャロ監督と組んでセルマ・ブレア主演のクライムミステリー『Columbus Circle』(12)を製作する等、映画プロデューサーとしての人生も開拓してしまったマリックは、その傍らでしっかり仲介業は続けているとか。どうやら、祭は場所と形を変えてしぶとく続いているようだ。 ところで、アダルト産業はさらに状況が変化している。レンタルDVDは勿論、PCでのオンデマンド視聴も減少の一途を辿り、今やスマホでポルノを見るのが主流になって来ている。アダルトサイトの"Pornhub"によると、女性の視聴者が年々増加しているとか。思えば、こんなジェンダーフリーの時代に、『ミドルメン』で描かれるような女性は見せる側、男性は見る側という区分は、過ぎ去った前世紀の遺物になりつつあるのだ。 ■ルーク・ウィルソンが"下ぶくれ"過ぎ ジャック役のルーク・ウィルソンを見て、それがルーク・ウィルソンだと気づく人は少ないかも知れない。そうでもないか。だが、かつて、ウェス・アンダーソン監督の『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(01)に兄のオーウェン・ウィルソンと出演し、ドリュー・バリモアやグウィネス・パルトロウと交際していた頃のイケメンぶりはどこへやらの"下ぶくれ顔"には、正直どん引きである。だからこそ、見方を変えれば巻き込まれ型のジャックを演じるのに、彼のヌーボーとしてつかみどころのないルックは効果てきめんだったとも言えるのだが。 ■76歳のロバート・フォスターが脇で渋い!! 地味だが脇役がけっこう充実している。ジャックにハイエナの如く付きまとう初老の弁護士、ハガティを演じるジェームズ・カーンを筆頭に、FBI捜査官役のケヴィン・ポラック、ギャング役のロバート・フォスター等は、各々1960年代から2000年代にかけて、長くハリウッド映画を支えてきたベテランたちだ。世代によって、記憶を刺激する顔は違ってくると思うが、特にアメリカン・ニュー・シネマの隠れた傑作『アメリカを斬る』(69)で、人種差別の実態を追求するTVカメラマンを演じて以来、76歳の今も現役バリバリのフォスターにシビレる人は多いはず。今現在、フォスターは『アメリカを斬る』から数えて79作目になる長編映画『What They Had』で怪優、マイケル・シャノンと共演中だ。これが日本では劇場未公開にならないことを願うばかりだ。日本にもコアなファンが多いマイケル・シャノンだから大丈夫だとは思うが。■ Middle Men © 2017 by Paramount Pictures. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
閉ざされた森
食い違う証言、深まる謎…レンジャー隊員が突然失踪した事件の衝撃の真相に迫る『羅生門』型ミステリー
嵐の密林地帯でレンジャー隊員が消息を絶った事件の調査を『ダイ・ハード』のジョン・マクティアナン監督がスリリングに描写。生存者の証言が食い違うごとに事件の姿が二転三転する様は『羅生門』を彷彿とさせる。
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COLUMN/コラム2016.11.26
【本邦初公開】ジョックスとナードを自在に行き来する男リンクレイターは、どこの国も変わらぬ“地方の若者のどん詰まり”をいかにして描いたか。〜『サバービア』〜
リンクレイターの実質的デビュー作『スラッカー』(1991)が日本の映画祭で上映され、処女長編『It's Impossible to Learn to Plow by Reading Books』(1988)もYouTubeで観られてしまう現在。『サバ―ビア』は日本唯一の“幻のリンクレイター作品”だった。『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)の大成功直後だったにも関わらず日本では劇場未公開のまま捨て置かれ、今回のザ・シネマの放送が本邦初公開なのである。 リチャード・リンクレイターはオタク気質の監督と思われがちだが、ゴリゴリの体育会系出身者である。哲学性と諧謔のある会話劇を得意とし、フィリップ・K・ディックのようなSF作家への憧憬を標榜し、ロック音楽の造詣も深いなど文化系ナード感があふれているのに、野球のスポーツ推薦で大学に入るような典型的なアスリート系=「ジョックス」の一員だった。 リンクレイターの出世作『バッド・チューニング』(1993)は一地方の高校の夏休みが始まる一日の狂騒を膨大なキャラを配して描いた群像劇で、主演格に“ピンク”というアメフト部員が登場する。苗字がフロイドなので“ピンク(フロイド)”と呼ばれているという設定からして、リンクレイターのジョックスとナードに引き裂かれた二面性が顕れていると言っていい。 映画のラストで“ピンク”は支配的なアメフト部のコーチに反抗し、スクールカーストでは下位に属するボンクラどもと“エアロスミス”のチケットを買いに行く。リンクレイター自身が“ピンク”が一番高校時代の自分を投影しているキャラクターだと公言しているもの当然だろう。 リンクレイターはあるインタビューで、ジョックス時代の自分について「周りの人間は僕をクールなヤツだとチヤホヤしていたけれど、実際のところクソみたいな気分だった」と語っている。「僕が疎外感を感じているなら、他のみんなはどうなのか。(思春期の)普遍的な悩みだとわかっていたけど、早く歳を取って混乱の泥沼から抜け出したいとばかり考えていたよ」 リンクレイターの最新作『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』は大学の名門野球チームに入った新入生の3日間を描いた『バッド・チューニング』の続編的内容だが、スポーツ推薦で入学した主人公は演劇を専攻する女生徒と恋に落ちる。これまたふたつの世界に片足ずつ突っ込んだリンクレイターの分身である。 リンクレイターはキャリアを通して「ドラマチックなことが起きない等身大の青春」にこだわり続けてきた。年齢を経るに従い「ドラマチックではないが山あり谷ありの人生」にシフトしつつあるのは『ビフォア』三部作を観れば明らかだが、その際の強みになっているのがジョックスでありナードでもある、つまりはクラスタを限定しない共感力だ。 例えば『ビフォア』三部作の主人公ジェシーは元バックパッカーから作家になる文学青年だったが、息子がサッカーを続けることが精神鍛錬になると信じるスポーツマッチョでもある。クリエイターの多くが自伝的キャラクターを描くときに陥りがちな繊細なアート系というくびきからあらかじめ逃れているのだ。 さて、前置きが長くなったが『サバ―ビア』の話だ。 『サバ―ビア』とは「郊外」のことで、そのまま日本の「地方」と置き換えても構わない。車社会で、街道沿いにチェーン店が並び、町の中心にはもはや活気がなく、繁華街はわずかな飲み屋を除けばシャッターが下ろされている。日本もアメリカも変わらない、というより、アメリカの地方がたどった道を日本が追いかけているのが実情である。 主人公はそんなサバ―ビアに育ち、20歳を過ぎても実家でうだうだしている若者たち。誰ひとり自動車すら持っておらず、夜な夜な近所のコンビニの駐車場で酔っぱらったりハッパをキメながらダベるしかない。そんな退屈な毎日に今日ばかりは新鮮な風が吹く。地元を飛び出してロックスターになった幼なじみのポニー(ジェイス・バートック)が凱旋コンサートで帰郷し、いつものコンビニに顔を出すというのだ。 傷を舐め合い、足を引っ張り合い、こいつより自分の方がマシだと考えることでかろうじて自尊心を保っていた彼らのバランスが、ポニーがリムジンに乗ってやってきたことで壊れ始める。かつてポニーと音楽をやっていたジェフ(ジョバンニ・リビシ)、ジェフの彼女でパンクス女子のスーズ(エイミー・キャレイ)、軍隊を除隊したティム(ニッキー・カット)、お気楽でお調子者のバフ(スティーブ・ザーン)。さらに情緒不安定な女の子ビービー(ディナ・スパイベイ)やパキスタン系のコンビニ店長、ポニーのパブリシスト・エリカ(パーカー・ポージー)が絡み、いつもと変わらないはずの夜が思わぬ方へと転がっていく……。 まるで『バッド・チューニング』のニート版だが、リンクレイターにとってデビュー以来初めてオリジナル企画ではない原作物である。もとになっているのは『トーク・レディオ』(1988)の原作・主演で知られるエリック・ボゴシアンが書いた同名の舞台劇だ。 『サバービア』の舞台を観劇したリンクレイターは「まるで自分自身の物語のように感じた」という。鬱屈と不満を持て余すジェフも、アート系をこじらせたビービーも、夢を掴んでも郷愁が捨てられないポニーも、全員がリンクレイターの一部だった。ちなみにポニーに扮したバートックの外見が驚くほどリンクレイターに似ていると感じるのは自分だけではあるまい。 脚色はボゴシアン自身が手がけたが、ボゴシアンの地元であるボストン郊外からリンクレイターのお膝元、テキサス州オースティンへと変更された。とはいえ映し出されるのはアメリカ中のどこに行っても変わらない街道沿いの無味乾燥な景色。場所の変更は作品がもともと備えていた普遍性をより強固にしたに過ぎない。 リンクレイターはかねてから『アメリカン・グラフティ』やジョン・ヒューズ作品のようなドラマチックな青春など神話に過ぎないと公言していたが、『サバービア』ではコメディから悲劇へと転調するメリハリのあるドラマツルギーを取り入れている。延々と続くダベりや、ストーリーの向かう先を定めない語り口などリンクレイター初期の特徴は完璧に押さえている。が、原作通りとはいえ『サバービア』では緩慢な日常をぶち壊すある「事件」が起きるのだ。 普通の映画であれば当たり前の展開も、映画から「映画的事件」を引き剥がすことに腐心してきたリンクレイターにとっては大きな変化だった。結果として『サバービア』は、ボゴシアンのシニカルで毒々しい社会批評と、リンクレイターらしい等身大の青春要素が一体となり、倦怠と危なっかしい笑いとヘビーな悲劇が折り重なった問題作に仕上がった。 ちなみに当時のオルタナロックのスターが揃ったサントラ盤はオルタナという音楽シーンが“地方”の閉塞感のはけ口だったことをよく表していて時代の資料としても興味深い。ただし冒頭に流れるのはジーン・ピットニーの1961年のヒット曲「非情の街」。1960年生まれのリンクレイターにとって完全に親世代のオールディーズだが、若者らしい自意識過剰で自己憐憫的な詞が印象的なロック歌謡だ。「非情の街」が醸す青臭いセンチメントは、「バーンフィールド(焼け野原)」という架空の町名も相まって、結局いつの時代も青春なんてどん詰まりなのだと宣言しているのである。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ロスト・イン・トランスレーション
アカデミー賞オリジナル脚本賞受賞。ソフィア・コッポラ監督・脚本による、ラブ・ストーリー一歩手前の物語
ソフィア・コッポラ監督が自身の東京での滞在経験をもとに脚本を書きメガホンもとった、ラブ・ストーリー一歩手前、年の差男女の心理的つながりの物語。すべて東京ロケ、90%が日本人スタッフというこだわりよう。
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COLUMN/コラム2016.04.18
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年5月】おふとん
ソフィア・コッポラ監督・脚本のアカデミー脚本賞受賞作。 ともに孤独と不安を抱えるハリウッド・スターのボブ(ビル・マーレイ)と若妻シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)の出会いと別れを描く。舞台はトーキョー。 監督の実体験が元になった本作。音楽・場所・服・とき、全部の要素がソフィアのスノビズムの名の元で、綺麗な丸に収まっています。セバスチャン・テリエからはっぴいえんどまで、サイバーパンクシティから神社まで、スカヨハのおしりからツーリストの滑稽さまで、と何とも贅沢&繊細に描かれるニッポン。 日本人にはメタ視点の日本を、旅行者にはロンリープラネットよりリアルなニッポンを。食わず嫌いしていた人にも、是非観ていただきたい作品です。 ザ・シネマでは5月ソフィア・コッポラ監督全5作を再放送。お見逃しなく! ©2003, Focus Features all rights reserved
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PROGRAM/放送作品
テッド2
[R15+]中年テディベアが父に?下品なユーモア&パロディがさらにパワーアップした暴走コメディ続編
外見は愛らしい人形なのに中身は毒舌オヤジというテッドによる騒動が、前作以上にお下劣かつ過激なユーモアでパワーアップ。有名映画のパロディやハリウッドの人気者たちのカメオ出演も楽しい。
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COLUMN/コラム2016.03.03
ソフィア・コッポラ、彼女の瞳にうつるもの〜『ヴァージン・スーサイズ』、『ロスト・イン・トランスレーション』、『マリー・アントワネット』、『SOMEWHERE』、『ブリングリング』
パーソナルな魅力が溢れ出した知的で美しい容姿。決して派手ではないけれどシンプル&エレガンスな、1点1点上質なアイテムをさらりと着こなすファッションセンス。 さらにはアートや音楽の洗練された感性さえを持ち合わせ、世界を代表する映画監督フランシス・フォード・コッポラを父に持つという恵まれた家柄で育った。女の人生を生きる上で、欲しいものをすべて手に入れた女性である。 映画監督としてだけでなく、新進気鋭のカメラマンとしての実績や、ファッションデザイナーとして「ミルクフェド」を設立し、最近ではその活動は映画の域を越え、ハイブランドのCM監督もこなす。 クリスチャンディオールのキャンペーンではナタリー・ポートマンを起用した「MissDior」のCM(2013年)を手がけ、オシャレ女子から圧倒的な支持をうける「Marc Jacobs」の人気フレグランス「デイジー」シリーズなどのCMも監督し、まるで映画の1シーンのようなショートトリップに世の女性達をいざなってくれたのも記憶に新しい。 更に、今年2016年には「椿姫」の後援者でイタリアのデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニがソフィアの『マリー・アントワネット』に感激したことから、イタリアのローマ歌劇場でのオペラ「椿姫」の舞台監督に抜擢された。ソフィアは、今まさに、初の「オペラ監督」としての挑戦に奮闘中なのである(公園期間は5月24日〜6月30日)。 自分の可能性を花開かせ続けるその姿から勇気をもらうと同時に、1度は彼女のような人生歩んでみたいとソフィアに強い憧れを抱く女性は少なくないはずだ。 生まれもって宝くじを引き当てたかのような特権を持つ存在でありながらも、決して家柄におごることなく自分を貫き、夢を叶える。 20世紀の「与えてもらう」ような受け身のお姫様ではなく、自分の夢を自分でつかみ取る彼女こそ21世紀の女性の憧れの的なのである。 そんな彼女が「映画」という手段を選び、発信しようとしているメッセージとは何なのであろうか。作品に共通して描かれているものがあるとすれば、それは、誰しもの心にひっそりと潜むガラス細工のような「孤独」ではないだろうか。 ソフィアと言えば、作品に合わせた色彩を効果的に使った美しい色味で描かれる世界観も特徴の1つであるが、彼女は誰よりも知っていたのではなかろうか。孤独は、色のないからっぽの感情ではなく、カラフルな世界に身を置いたときによりいっそう滲み出るものだということを。 たくさんの色や光に囲まれた瞬間にこそ、自分のむなしさや寂しさがよりいっそう際立つことを。 だからいつだって彼女の作品は美しいのかもしれない。 ソフィアが描いてきたいくつかの孤独の表現について追ってみようと思う。 彼女の長編映画デビュー作でありながらも、彼女の作品の世界観を確立させたミシガン州に住む美しい5人姉妹の自殺を描いた『ヴァージン・スーサイズ(1999)』では、一緒に過ごしていても心は離れている姉妹達の孤独感。家族という間柄であっても、満たせない見えない人と人との間の距離感を垣間みた。 次にアカデミー脚本賞を受賞した『ロスト・イン・トランスレーション(2003)』では、言葉の通じない海外に行った時に味わう異邦人としての哀愁や異文化の中での孤独の感情に寄り添った。監督自身の東京での経験を下敷きにして、海外版でも日本語の字幕は一切つけず、観る者に孤独を疑似体験させた。 世界中で注目されてきたフランス王妃を描いた『マリー・アントワネット(2006)』では、下着すら自分でつけることを許されない生活の中で、仮面を付けるかのように洋服を何着も何着も着替えることで、不安、不満をモノで満たしていく孤独な女心をこれ以上ないほど愛らしい世界観の中、表現した。 続いて、父と娘のつかの間の休暇を描いた『SOMEWHERE(2010)』では 、ハリウッドスターを主人公とし、端から見たら人気者で多くの人に囲まれるうらやましがられる生活をしていても、充実感とは裏腹に空虚な気持ちを拭えない中年男性の孤独を映し出した。 また最新作『ブリングリング(2013)』では、全米を震撼させた実際の高校生窃盗団の事件を描き、犯罪が露見する可能性がゼロではないにも関わらず、誰かに認めてもらいたいという想いも消しきれないSNSの普及した現代社会に起こりうる、承認欲求という新しいタイプの孤独を描いた。 ちなみに、彼女がはじめて監督・脚本を務めたモノクロの16mmフィルムで撮影した14分の『Lick the Star(1998年)』もスクールカースト(階級社会)の中で生まれる思春期の「孤立感」がコンセプトだ。「ヴァージン・スーサイズ」を彷彿とさせる独特の芝生の使われ方など随所に彼女の才能を感じることが出来る作品で、白黒なものの登場人物達は活き活きと描かれている。字幕付きのものが日本では観られないのが残念だが、ネットに何件かアップされている動画を映画ができる友人と観るのがおすすめだ。 彼女のこれまでの作品の中で、私は特に「リック・ザ・スター」「ヴァージン・スーサイズ」「ブリングリング」といった10代の思春期の頃に抱える抑え切れない程の強いエネルギーや、集団心理を描いた作品に興味を持っている。 特に「ヴァージン・スーサイズ」には、女性が避けることができない人生の悲哀もひっそりと閉じ込められているように感じる。 女は他人から比較されずに生きていくことができないし、同時に自分も人と比較することをやめられない生き物である。 「私は私」と思うタイプの人でさえ、年を重ねれば若い頃の自分と「あの子も昔はかわいかった」なんて比較されていく。 一生続く、毒をもった甘い戦いが女の世界には存在しているのだ。 自分の部屋がまるで世界の中心のように思うことさえある思春期。1つの空間に閉じ込められた1歳ずつしか年齢の違わない姉妹達、そこにはまるで満開のバラが咲き乱れたような、異常なエネルギーが漂っていたのではなかろうか。 男性からすると一種の連帯感かもしれないが、まるで1つの花のように見えた彼女達は、それぞれ別の花びらの集合体だったのではないか。 だからこそ一致団結していたように見えた姉妹達も最期の瞬間は、バラバラの場所、それぞれの方法で死を選んだのかもしれない。 同時に、彼女達は、自分たちが1番美しい瞬間を永遠に閉じ込めようとしたのではないだろうか。「死」という選択肢を使って。彼女達にとって「死」とは、美しいままでいるための1つの手段だったようにも思えて仕方がないのである。 また、場所も時代もおかれている状況も違うけれど「ブリングリング」にも思春期の抑えられない強いエネルギーが描かれていると同時に、「自分は自分」でいることの難しさを伝えている。 10代の頃からSNSの普及によって、幸せの基準がわからなくなってしまったブリングリングのメンバー達は、罪の意識を抱くよりも、Facebookに窃盗したセレブの持ち物をアップし続け、周囲に注目される存在であることを望んだ。 被害者の1人でありながらも自宅を撮影場所として提供したパリス・ヒルトンが被害状況を語った際、「普通の泥棒はお金や宝石を盗むけど、彼らはお金ではなく、雑誌に出ているものを欲した」と語った。 そこに理屈は存在していない。「承認されたい」という欲望を抑えることができなくなった若者達の感情は、こんがらがってしまった電線のようだ。 他人の生活が必要以上に見えるようになってしまった現代を生きる上で、人に流されず自分らしくいることが難しくなっていることについて、小さな警鐘を鳴らしたのではないか。 それにしてもなぜ、彼女は性別年代問わず、人の感情を繊細にすくいとることができるのであろうか? 世界的な巨匠を父に持ち、1歳で乳児役として「ゴッドファーザー」に出演し、小さい頃から大人の目にさらされてきたソフィア。 人の顔色に敏感にならざるを得なかったであろうし、時に誰よりも比較されてきたのは、他でもなく、彼女自身だったからのかもしれない。 余談になるが、コッポラ一族の勢いはとどまることを知らない。 2013年、フランシス・フォード・コッポラの孫ジア・コッポラは、「パロアルト・ストーリー」で映画監督デビューを果たす。原作はハリウッドの若き開拓者的存在であるジェームズ・フランコが書いた短編小説。ジェームズ・フランコ自ら、ジアに監督を依頼し、ジュリア・ロバーツの姪であるエマ・ロバーツやヴァル・キルマーの息子のジャック・キルマーが起用され、青春の不安定さから来る思春期の若者達の繊細な気持ちを描いた。 インテリアやレースのカーテンといった小物等からもソフィアの感性を受け継いだことが肌で感じられる作品である。 甘くけだるく、耳に残る音楽は「ヴァージン・スーサイズ」の音楽でもおなじみのソフィアの従兄弟であり、フランシス・フォード・コッポラを叔父に持つシュワルツマンが担当。改めて、溢れんばかりの才能に恵まれた一族である。 「アメリカン・グラフィティ」「ラスト・ショー」「ヴァージン・スーサイズ」のようなタイプの10代の繊細な感情の機微を描いた青春映画を欲している人は、こちらの作品も観ても良いかもしれない。■ ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
荒野はつらいよ 〜アリゾナより愛をこめて〜
[R15+]『テッド』のセス・マクファーレンが西部に!豪華キャスト&過激なユーモアで描く西部劇!
『テッド』のセス・マクファーレンが監督・脚本・主演を務めた西部劇コメディ。ライアン・レイノルズら人気スターのカメオ出演から、過激な下ネタやブラックユーモアまで、何でもありの痛快作に仕上がっている。
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(4)
なかざわ:ちなみに、これは全く個人的な感想なんですが、「ロスト~」は映画ライターとして非常に興味深い見所がありまして。まずはCM撮影で日本人監督の長い演技指導を、通訳がバッサリと一言で説明してしまうシーン。意訳しすぎ!っていう(笑)。 飯森:あそこは僕も爆笑しました。ウイスキーのCMで、ディレクターが「もっと感情を込めて!これ、サントリーの最上位のブランドなんだから、高級感を込めつつ、かつ、親友と再会した時のような、思いのこもった懐かしい口調(?)で、商品名を万感こめて言って」とか何とか無理難題を言って、熱っぽく指示を出しているのに、一言「もっとゆっくり言ってください」と通訳されちゃう。ビル・マーレイも「えっ、それだけ?彼は絶対もっと何か言ってたでしょ!」と当惑する。「高級感+懐かしい友と再会した時の感じ」は、確かに早口じゃダメにせよ、単に機械的にスローに言うだけでは表現できないでしょ! なかざわ:ああいう事態って、外タレの来日インタビューの現場において、さすがによくあるとまでは言いませんし、あそこまで大胆に端折る通訳さんもまずいませんけど、でも似たようなことはあるよね!とニンマリさせられました。私は多少なりとも英語が理解できるので、肝心な部分が省略されても外タレ本人のコメントから拾えますが、記者が全員英語が分かるわけではない。中にはだいぶ意訳してしまう通訳さんがいるんですよ。それでもせめてコメントの主旨が伝わればいいと思うのですが、省略しすぎたせいで発言内容の辻褄が合わなくなることもありますし、中には発音を聞き間違えて誤訳しているケースもあります。 飯森:僕も“記者会見あるある”だなと思いました。昔は来日記者会見にもよく行っていましたから。でも今の僕は、困ったことに、ああいう事態に当事者として巻き込まれちゃってるんですよ。まぁ、この CMディレクターさんみたいに偉くはないけど、僕もザ・シネマの様々な物作りをする上で、立場上は指示を出さないといけない側の人間じゃないですか。で、やはり「高級感を込めて」とか「親友と再会した感情を込めて」とか、そういった細かい感情のニュアンス指示は出しますよ。たとえや形容詞をあれこれ使い、映画のシーンやキャラを例に出して、どうにか細かいニュアンスまで相手に伝えようと長く話しちゃう。長い中のどこか一箇所でいいからピンときて、物を作る上で理解の鍵にしてくれたらと。しかしですねえ、15分も話したことが一言で済まされてしまう(笑)。そういう人が実際たまにいるんですよ!たとえば、「オシャレ」でも様々なニュアンスの「オシャレ」があるじゃないですか?「ブリングリング」のような今どきの若者っぽいオシャレさなのか、「ヴァージン・スーサイズ」のような’70年代っぽいレトロなオシャレさなのか。レトロと言ってもソフィアたん系か、それともタランティーノっぽいのがいいのか。その微妙な違いを伝えんがために15分も喋りまくって「そういうオシャレ感をもっとプラスして」と指示しているのに、「一言で言うともっとオシャレにってことですね!」で済まされちゃうと、「大丈夫かなぁ?」と心配になってくる。で、案の定、上がってきたものを見ると「そっちのオシャレじゃなくてこっちのオシャレだって説明したじゃんかよ!」みたいな齟齬が、よく生じる。一言で言えることなら15分も話してないって! なかざわ:日本語同士なのにロスト・イン・トランスレーションですか(笑)。 飯森:だから今回見直してみたら我がことのように共感できた。やたらめったら「一言で言うと」って話を単純化したがるのはよくない。それって「細かいことはどうでもいい」と言ってるのと同じですから。少なくとも、ウイスキーのCMとか映画チャンネルとかで、人と一緒に情感を視覚化するような表現の仕事においては、細かいことこそが重要なので大変よくない。いわんや通訳も。無口な通訳なんて、職場放棄ですよそれ。とにかく、そんなような、似たような経験のある人は、あそこでは笑えると思います。ただ、公開当時の僕には幸か不幸かまだそういう愉快な人生経験が足りなかったので、そこでは笑えず、全編東京ロケという点だけが唯一この映画の引きの部分だった。 なかざわ:その東京ロケの描写というのも、そこを日常の生活の場として暮らしている我々とはちょっと違う視点ですよね。確かに東京ではあるんだけれど、僕らの知っている東京とは印象が異なる。あれって、ホテルの窓から東京の表層だけを眺める異邦人の肌感覚なんですよ。取材で頻繁に海外を訪れる僕としても、それはすごく良くわかる。たとえばロサンゼルスには数え切れないほど行っていますが、僕の知っているロサンゼルスと、そこに住んでいる人のロサンゼルスは違うはずです。だから、公開当時あの作品に出てくる東京や日本人の描写に違和感を覚えた人も多かったと思うんですが、似たような経験をしている僕から見れば、逆に極めて正確だと思うんです。そもそも、生活習慣も考え方も違う外国人の見る日本が奇妙に見えるのも仕方がない。 飯森:監督自身も、短期間ではあるけど実際に日本に滞在していた経験があるらしいので、決して嘘臭い描写は無いんですよね。たとえば、「47RONIN」【注42】のように無茶苦茶な勘違いや間違いはない。逆に、そうした異邦人の感じるアウェイ感をちゃんと捉えている点は地味に凄いと思います。 あと、僕は長いこと日本のドラマやお笑い番組を全く見ていないんですけれど、この作品で「Matthew’s Best Hit TV」【注43】っていう日本のバラエティー番組が出てくるじゃないですか。そこにハリウッド俳優がゲストで出演するわけですけど、日本のお笑い文化を理解していないから、「これのどこが面白いの?」とキョトンとしてしまう。あれは普段バラエティーを見ない僕としては激しく同意しましたね。“日本のお笑いあるある”。 なかざわ:日本人では飯森さんくらいかもしれませんよ、そこで共感したの(笑)。 飯森:よく日本人で「アメリカのコメディーはつまらない」と言ってる人がいますが、それって単に「所変われば品変わる」ってだけの話で、相手からも同じことを逆に言われているんですよ。優劣じゃないってことですね。 あと面白いなと思ったのは、劇中でハリウッド俳優に付いて回る日本企業の担当者が、広告代理店の社員を紹介するシーン。スターは5~6人の日本人から次々と名刺を渡されて挨拶をするのだけれど、あれって日本人的にはよく見る光景ですよね。でも、よくよく考えると意味がなくて、無駄な習慣というか、はっきりと困った悪習だったりする。 なかざわ:ああいう、現場に直接関係のない人をズラズラと連れてくるのって、僕の知る限りでは日本特有の光景ですよ。たとえば、日本だとタレント1人につき事務所の関係者や広告代理店、スポンサー企業など、なんでこんなにいるの!?ってくらい大勢の人間が金魚のフンみたいについてくる。まあ、タレントの知名度によって人数も変わりますが。あんな光景、海外では見たことないですよ。それこそ、ハリウッドのベテラン大物俳優さんだって、自分で車を運転して1人で取材現場にぶらりとやってくることもありますし。基本的にマネジャーすら付いてこない。とあるエミー賞【注44】の主演女優賞を取ったこともある有名な女優さんなんか、取材が終わって会場ビルの玄関前に一人でタクシーを待っていましたから。「あれ!?何やっているの?」って聞いたら「車を修理に出しているから今日はタクシーなのよ。ガードマンに電話で呼んでもらったから、もうすぐ来るはず。車がないって不便よねえ」だって(笑)。 飯森:それ超カッコいい!自立してるというか大人というか。いや、僕もあの日本式の無駄な光景を見ていると「ガキの使いじゃあるまいし…」っていつも思いますよ。なんなんですかねあれは?これに限っては優劣の問題かもしれませんね。アメリカは良くて日本の悪い面。当ザ・シネマでは、ゾロゾロと連れ立って詣でるのは絶対厳禁にしている。だから今日のこの取材だって、いつも僕が独りぼっちで単身フラリと東京ニュース通信社さんにお邪魔してるぐらいです(笑)。そもそも相手に失礼じゃないですか。現場で何をするわけでもない随員から次々と名刺を貰ったって迷惑なだけですよ。 なかざわ:しかも、その人たちと今後何かしらの関わりがあるのかといったら、ほとんどないですからね。形式だけの習慣はやめて貰えますか?って思います。 飯森:本当にあんたの顔と名前も覚えなきゃいけないの?限りあるオジサンの記憶力を無駄遣いさせないでよ!と。でも、あの光景を普通のことだと思っている大方の日本人は、普通にスルーしてしまったシーンかもしれない。いや、あそこ笑うところですから!恐らくソフィアたんは日本滞在中に実際そういうことがあって衝撃を受けたからこそ、あのシーンを脚本で書いたんだろうと思います。だから、この作品は我々日本人が気付かない日本独特の不条理を描いたコメディーとしても楽しめるんです。 ソフィアたんの映画って、お高くとまっているようでいて結構お茶目なんですよね。「SOMEWHERE」でも、主人公が次の映画で老けメイクが必要だというので、石膏を使ってマスクの型どりをすることになる。で、顔中に石膏を塗られるんだけど、その鼻の穴だけ開いて喋れない状態のまま、カメラはずーっと主人公の顔だけを撮り続けるんです。聴こえてくるのはスーコースーコー鼻息だけ。あそこはなんとも間抜けで笑える。「長えよ!」って。 なかざわ:子供の頃から慣れ親しんだハリウッド業界の、実は間抜けで笑える裏側というのを随所でさらっと描くのも彼女の映画の面白さかもしれません。 飯森:そういう絶妙なギャグセンスも彼女にはありますね。ある面ではコメディーなんです。 なかざわ:だから、特定のカテゴライズが出来ない監督ですよね。 飯森:いわゆるハリウッド・メジャー【注45】とは違う点だと思います。ラブコメとか、アクションとか、お決まりの型にはまらないところが。ジャンル・ムービーじゃないんですよね。 <注42>2013年制作、アメリカ映画。日本の「忠臣蔵」を独自に解釈して映像化したものの、もはや日本ですらない無国籍な風景や美術デザイン、衣装デザインなどが失笑を買った。 <注43>2001年~2002年に放送された音楽バラエティー番組。藤井隆の扮するキャラクター、マシュー南が司会を務める。<注44>テレビ番組などに関する様々な業績を称える賞で、1949年より毎年開催されている。世界のテレビ業界で最も権威があり、テレビ版アカデミー賞とも呼ばれる。 <注45>ワーナー・ブラザーズや20世紀フォックスなどハリウッドの大手映画会社、およびそこで作られる映画作品のこと。 次ページ>> 「マリー・アントワネット」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved