リンクレイターの実質的デビュー作『スラッカー』(1991)が日本の映画祭で上映され、処女長編『It's Impossible to Learn to Plow by Reading Books』(1988)もYouTubeで観られてしまう現在。『サバ―ビア』は日本唯一の“幻のリンクレイター作品”だった。『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995)の大成功直後だったにも関わらず日本では劇場未公開のまま捨て置かれ、今回のザ・シネマの放送が本邦初公開なのである。

 リチャード・リンクレイターはオタク気質の監督と思われがちだが、ゴリゴリの体育会系出身者である。哲学性と諧謔のある会話劇を得意とし、フィリップ・K・ディックのようなSF作家への憧憬を標榜し、ロック音楽の造詣も深いなど文化系ナード感があふれているのに、野球のスポーツ推薦で大学に入るような典型的なアスリート系=「ジョックス」の一員だった。

 リンクレイターの出世作『バッド・チューニング』(1993)は一地方の高校の夏休みが始まる一日の狂騒を膨大なキャラを配して描いた群像劇で、主演格に“ピンク”というアメフト部員が登場する。苗字がフロイドなので“ピンク(フロイド)”と呼ばれているという設定からして、リンクレイターのジョックスとナードに引き裂かれた二面性が顕れていると言っていい。

 映画のラストで“ピンク”は支配的なアメフト部のコーチに反抗し、スクールカーストでは下位に属するボンクラどもと“エアロスミス”のチケットを買いに行く。リンクレイター自身が“ピンク”が一番高校時代の自分を投影しているキャラクターだと公言しているもの当然だろう。

 リンクレイターはあるインタビューで、ジョックス時代の自分について「周りの人間は僕をクールなヤツだとチヤホヤしていたけれど、実際のところクソみたいな気分だった」と語っている。「僕が疎外感を感じているなら、他のみんなはどうなのか。(思春期の)普遍的な悩みだとわかっていたけど、早く歳を取って混乱の泥沼から抜け出したいとばかり考えていたよ」

 リンクレイターの最新作『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』は大学の名門野球チームに入った新入生の3日間を描いた『バッド・チューニング』の続編的内容だが、スポーツ推薦で入学した主人公は演劇を専攻する女生徒と恋に落ちる。これまたふたつの世界に片足ずつ突っ込んだリンクレイターの分身である。
 
 リンクレイターはキャリアを通して「ドラマチックなことが起きない等身大の青春」にこだわり続けてきた。年齢を経るに従い「ドラマチックではないが山あり谷ありの人生」にシフトしつつあるのは『ビフォア』三部作を観れば明らかだが、その際の強みになっているのがジョックスでありナードでもある、つまりはクラスタを限定しない共感力だ。

 例えば『ビフォア』三部作の主人公ジェシーは元バックパッカーから作家になる文学青年だったが、息子がサッカーを続けることが精神鍛錬になると信じるスポーツマッチョでもある。クリエイターの多くが自伝的キャラクターを描くときに陥りがちな繊細なアート系というくびきからあらかじめ逃れているのだ。

 さて、前置きが長くなったが『サバ―ビア』の話だ。

 『サバ―ビア』とは「郊外」のことで、そのまま日本の「地方」と置き換えても構わない。車社会で、街道沿いにチェーン店が並び、町の中心にはもはや活気がなく、繁華街はわずかな飲み屋を除けばシャッターが下ろされている。日本もアメリカも変わらない、というより、アメリカの地方がたどった道を日本が追いかけているのが実情である。

 主人公はそんなサバ―ビアに育ち、20歳を過ぎても実家でうだうだしている若者たち。誰ひとり自動車すら持っておらず、夜な夜な近所のコンビニの駐車場で酔っぱらったりハッパをキメながらダベるしかない。そんな退屈な毎日に今日ばかりは新鮮な風が吹く。地元を飛び出してロックスターになった幼なじみのポニー(ジェイス・バートック)が凱旋コンサートで帰郷し、いつものコンビニに顔を出すというのだ。

 傷を舐め合い、足を引っ張り合い、こいつより自分の方がマシだと考えることでかろうじて自尊心を保っていた彼らのバランスが、ポニーがリムジンに乗ってやってきたことで壊れ始める。かつてポニーと音楽をやっていたジェフ(ジョバンニ・リビシ)、ジェフの彼女でパンクス女子のスーズ(エイミー・キャレイ)、軍隊を除隊したティム(ニッキー・カット)、お気楽でお調子者のバフ(スティーブ・ザーン)。さらに情緒不安定な女の子ビービー(ディナ・スパイベイ)やパキスタン系のコンビニ店長、ポニーのパブリシスト・エリカ(パーカー・ポージー)が絡み、いつもと変わらないはずの夜が思わぬ方へと転がっていく……。

 まるで『バッド・チューニング』のニート版だが、リンクレイターにとってデビュー以来初めてオリジナル企画ではない原作物である。もとになっているのは『トーク・レディオ』(1988)の原作・主演で知られるエリック・ボゴシアンが書いた同名の舞台劇だ。

 『サバービア』の舞台を観劇したリンクレイターは「まるで自分自身の物語のように感じた」という。鬱屈と不満を持て余すジェフも、アート系をこじらせたビービーも、夢を掴んでも郷愁が捨てられないポニーも、全員がリンクレイターの一部だった。ちなみにポニーに扮したバートックの外見が驚くほどリンクレイターに似ていると感じるのは自分だけではあるまい。

 脚色はボゴシアン自身が手がけたが、ボゴシアンの地元であるボストン郊外からリンクレイターのお膝元、テキサス州オースティンへと変更された。とはいえ映し出されるのはアメリカ中のどこに行っても変わらない街道沿いの無味乾燥な景色。場所の変更は作品がもともと備えていた普遍性をより強固にしたに過ぎない。

 リンクレイターはかねてから『アメリカン・グラフティ』やジョン・ヒューズ作品のようなドラマチックな青春など神話に過ぎないと公言していたが、『サバービア』ではコメディから悲劇へと転調するメリハリのあるドラマツルギーを取り入れている。延々と続くダベりや、ストーリーの向かう先を定めない語り口などリンクレイター初期の特徴は完璧に押さえている。が、原作通りとはいえ『サバービア』では緩慢な日常をぶち壊すある「事件」が起きるのだ。

 普通の映画であれば当たり前の展開も、映画から「映画的事件」を引き剥がすことに腐心してきたリンクレイターにとっては大きな変化だった。結果として『サバービア』は、ボゴシアンのシニカルで毒々しい社会批評と、リンクレイターらしい等身大の青春要素が一体となり、倦怠と危なっかしい笑いとヘビーな悲劇が折り重なった問題作に仕上がった。

 ちなみに当時のオルタナロックのスターが揃ったサントラ盤はオルタナという音楽シーンが“地方”の閉塞感のはけ口だったことをよく表していて時代の資料としても興味深い。ただし冒頭に流れるのはジーン・ピットニーの1961年のヒット曲「非情の街」。1960年生まれのリンクレイターにとって完全に親世代のオールディーズだが、若者らしい自意識過剰で自己憐憫的な詞が印象的なロック歌謡だ。「非情の街」が醸す青臭いセンチメントは、「バーンフィールド(焼け野原)」という架空の町名も相まって、結局いつの時代も青春なんてどん詰まりなのだと宣言しているのである。■

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