いくら真剣に話しても「そんなわけないでしょう」と一笑に付される映画がある。そんな代表例がケン・ラッセルの1975年作『リストマニア』だ。詳細に説明すればするほどにウソくさく、じゃあ実際に観てみてくれよと懇願しても、日本では劇場未公開でVHSビデオがリリースされたきり。ほとんど視聴する方法がなかったのだ。そんなカルト中のカルト映画がザ・シネマにお目見えするというから、いくら感謝しても足りないくらいである。
「リストマニア」とは19世紀の音楽家フランス・リストの熱狂的ファンを指す言葉。長身のイケメンで超絶技巧の天才ピアニストだったリストのコンサートでは、詰めかけた女性客が失神し(時にはリスト自身も失神し)、リストマニアたちがわれ先にステージに突進して贈り物を投げ与え、リストが使った後の風呂の湯を飲もうとした不届き者までいたという。言うなればリストは19世紀のロックスターで、世界初のアイドルでもあった。ビートルズ全盛期のファンの狂騒を「ビートルマニア」と呼ぶのも「リストマニア」から派生したバリエーションである。
そんなリストの生涯を鬼才ケン・ラッセルが映画化――と言うは易いが、完成した作品は伝記映画のカテゴリーに入れるにはあまりにもブッ飛び過ぎている。主演はラッセルの前作でもあるロックオペラ『トミー』(1975)に主演したザ・フーのボーカリスト、ロジャー・ダルトリー。音楽はプログレバンド、イエスのキーボーディストだったリック・ウェイクマンが担当。この時点で正統派のクラシック音楽に寄せる気がなかったのは明白だろう(ただし劇中曲の大半はリストやワーグナーの楽曲のアレンジ)。
舞台は19世紀のヨーロッパ。人気絶頂のピアニスト・リストは伯爵夫人マリー(フィオナ・ルイス)の間男になり伯爵に殺されかけるが、マリーと一緒に出奔して3人の子供に恵まれる。やがて倦怠期が訪れ、ロシア貴族のカロライン(サラ・ケッスルマン)に鞍替えするも、ローマ教皇(リンゴ・スター)に結婚を阻まれてしまう。一方リストの舎弟だったワーグナー(ポール・ニコラス)はリストの娘コジマ(ヴェロニカ・キリガン)を略奪婚して新興宗教の教祖に成り上がる。カギ十字マークの武装軍団を結成して世界征服に乗り出したワーグナーとコジマをリストは“愛の力”で止めることができるのか?
文字にすると本当にバカげている。でもふざけているわけでも盛っているわけでもないのだ。本当にこれが『リストマニア』のストーリーなのだ。もうちょっと簡潔にすると「セックス三昧のモテモテ音楽家リストが、悪の権化ワーグナーに戦いを挑む壮大なコント」ということになるだろうか。
もちろんナチスの台頭は20世紀なのでリストともワーグナーとも直接の繋がりはない。ただしヒトラーがワーグナーの音楽に心酔し、ワーグナーの遺族を援助したことは事実なので、ワーグナーとヒトラーを同一視したトンデモ描写を歴史への皮肉と解釈することはできる。しかしチョビ髭を付けたワーグナーがエレキギター型マシンガンで暴れまくるクライマックスを観て歴史の教訓を読み取ることは常人には至難の業だろう。
ケン・ラッセルのやりたい放題はまだまだある。ラッセルは『恋人たちの曲/悲愴』(1970)や『マーラー』(1974)でも音楽家の生涯を独自のスキャンダラスな解釈で描いているが、『リストマニア』では冒頭からメトロノームに合わせて伯爵夫人マリーのおっぱいを吸う下ネタギャグで幕を開ける。突然チャップリンの無声映画を完コピしたり、新興宗教の制服がスーパーマンのコスチュームだったり、ワーグナーが狼男とドラキュラとフランケンシュタインになってみたり、ジャンルの壁を飛び越えまくるアバンギャルド精神が尋常じゃない。
前作『トミー』では原作者であるピート・タウンゼントがラッセルの過剰な演出に不満を唱えていたと聞くが、自ら脚本も書いた『リストマニア』は『トミー』なんて目じゃないほどにイカレている。猥雑でデタラメでぶっ壊れていて、ある意味では作家主義の行きつく果てを教えてくれる啓示のような作品なのだ。
と、いかに『リストマニア』がムチャクチャかについて書いてみたが、リストの生涯や19世紀の音楽シーンを知るうちにデタラメな中にもラッセルなりの裏付けがあることがわかってきた。例えば映画の序盤に文化人でごった返すパリのサロンが登場する。そこにはなぜか男声で吹き替えられているSMの女王がいて、Mっ気のある男がすがりついている。この2人は誰あろう。天才音楽家フレデリック・ショパンと、ショパンの恋人で女性作家のジョルジュ・サンドなのだ。
ジョルジュ・サンドは男装で社交界に出入りしたゴリゴリのフェミニストとして知られ、ショパンは初めて彼女に会った時の印象を「男のような女」と書き残している。そういった史実をラッセルのけばけばしいフィルターを通すと、前述のようなSMカップルができあがるのだ。
また同じサロンのシーンで、ワーグナーがメンデルスゾーンのことを「金で音楽を作る男」と揶揄するセリフにも根拠がある。ワーグナーはユダヤ系のメンデルスゾーンを嫌っており、「音楽におけるユダヤ性」という論文で名指しで攻撃したことさえあるのだ。ヨーロッパにはユダヤ人を守銭奴扱いする伝統があり、その傾向が最も過剰な形を取ったのがナチスドイツによるホロコーストだったわけだが、この何気ないセリフの背景にはワーグナーからヒトラーへと繋がっていく反ユダヤ思想が横たわっているのである。
リストの伝記映画としても実はポイントポイントをちゃんと押さえている。リストが最初に不倫する伯爵夫人はパリの社交界の華だったマリー・ダグーで、リストとの間に3人の子供が生まれ、コジマ以外の2人が早世したのも史実の通りだし、カロラインとの結婚がバチカンに認められずに破局したのも現実そのまま。娘のコジマがリストの弟子で指揮者のハンス・フォン・ビューローと結婚していたのにワーグナーに奔ったドラマティックなエピソードはクラシック通以外にもよく知られた話だ。
ケン・ラッセルは前述したようにリスト、マーラー、チャイコフスキー、エドワード・エルガーと19世紀に活躍した音楽家の伝記ものを多く手がけており、当時の音楽事情にもっとも通じている映画監督だったろう。19世紀はブルジョワ階級が台頭し、サロン文化が花開いた。新しい価値観が現れて旧来の常識が良くも悪くも覆されていく。そんな世相や時代の空気を最もケン・ラッセル色を強めて映像化してみせたのが『リストマニア』ではなかったか。
本人が生きていれば深読みのし過ぎだと笑い飛ばすかも知れない。大好きな不謹慎ネタで歴史を混ぜっ返したかっただけかも知れない。しかしながら長らく底抜けのバカ映画だと信じてきた『リストマニア』が、実はアカデミックな教養と理解に裏打ちされた、もっと多角的に掘り下げられるべき作品であることは大きな発見だった。とにもかくにもこの貴重な機会を逃す手はない。未見の方には「こんな珍奇な映画には人生でも滅多に出会えない」という一点においてだけでも、ザ・シネマでの放送を目撃していただきたい。■
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