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PROGRAM/放送作品
THE GREY 凍える太陽
[PG12]リーアム・ニーソンvs野生の狼!凍てつく極寒の大地での壮絶なサバイバルを描くアクション
リーアム・ニーソンが『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』のジョー・カーナハン監督と再タッグ。野生の狼が迫る極寒の大地をCGに頼らず臨場感満点に映し、荒くれ者たちが体験するサバイバルを過酷に魅せる。
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COLUMN/コラム2023.03.02
ピーター・バーグ監督が語った『バトルシップ』秘話
◆果たせなかった『砂の惑星』のリベンジ ボードゲームに基づいたSF侵略バトル映画『バトルシップ』は、公開後に日本でカルト的な人気を博し、今や地上波テレビで放送されるたびにSNSを賑わす“お祭り“コンテンツとして定着した感がある。要因は多々挙げられるが、やはりこの作品の激アツなクライマックスに起因するのではないだろうか。未見の方の楽しみのために詳述は割愛するとして、筆者(尾崎)は本作のプロモーションで来日したピーター・バーグ監督にインタビューし、『バトルシップ』が生まれるまでの経緯や裏話を聞き出している。その一部は雑誌媒体に加工のうえ発表したが、やむなく切り落とした部分が多く、プロダクションノートにも記載されてないネタが含まれている。なので意訳ではあるが、今回それらを再構成し、陽の目を与えるに至った。実際に作品をご覧になるときの参考となればさいわいだ。 ・『バトルシップ』撮影中のピーター・バーグ監督 Credit: Frank Masi 俳優から監督へと転身し、『キングダム/見えざる敵』(07)や『ローン・サバイバー』(13)などの硬質なサスペンスアクションを手がけてきたバーグは、本作『バトルシップ』以前のキャリアにおいて、SFやファンタジーに属するようなサブジャンルに着手したことがなかった。唯一、スーパーヒーロー映画の再定義化を試みたコメディ『ハンコック』(08)がかろうじてそれに該当しないこともないが、監督いわく「ウィル・スミス主演のスター映画」と自らカテゴライズし、自らSFジャンルには入れていない(理由は後述する)。しかも本来は『バトルシップ』ではなく、別のSF作品を手がける予定だったのだ。 ピーター・バーグ監督(以下:バーグ)「『バトルシップ』の話がくる前、僕はパラマウントで『DUNE/デューン 砂の惑星』(以下:『砂の惑星』)を準備していてね。それにあたって、SFや宇宙についてかなり広範囲なリサーチをしたんだ。かつて一度もSF映画を作ったことがなかったからね。その過程でSFにかなり興味を持ったので、『砂の惑星』が立ち消えになったときには非常に残念な思いをしたんだ。だから『バトルシップ』は、僕にとって『砂の惑星』のリベンジでもあるんだよ」 1984年にデヴィッド・リンチが監督し、後年ドゥニ・ヴィルヌーヴによって再映画化が果たされた『砂の惑星』は、もともとバーグによってプロダクションが進行していた時期がある。フランク・ハーバート財団から権利を取得したプロデューサーのケヴィン・ミッシャーがパラマウントに企画を持ち込み、ドウェイン・ジョンソン主演の『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』(03)で一緒に仕事をしたバーグに監督を依頼したのだ。しかし製作費の調達や度重なる脚本の改稿によってプロジェクトは棚上げとなり、バーグは『バトルシップ』に移行したのである。 『バトルシップ』はハズブロ社が同ボードゲームの権利をミルトン・ブラッドレー社の買収によって取得し、『トランスフォーマー』や『G.I.ジョー』のように映画として展開させる計画に端を発している。 しかしオリジナルのボードゲームは、艦隊どうしが戦艦の撃沈をめぐって勝敗を競い合うもので、それがなぜ対エイリアン戦を描くSF映画となったのだろう? 「やはりSFにこだわっていたんだよ」とバーグは語り、方向性を変えた起点を以下のように明かした。 バーグ「2010年にディスカバリー・チャンネルで、宇宙天文学者のスティーヴン・ホーキンス博士がナビゲートを務めるミニシリーズ“Into the Universe with Stephen Hawking”(スティーヴン・ホーキングと宇宙へ)を観たんだ。その番組内で博士は、地球からシグナルを発信していると、地球以上の文明を持つ惑星がそれをキャッチし、資源を求めてやってきて争いになる可能性にあると示唆していた。それがエイリアンの侵略をストーリーベースにしたきっかけなんだ」 この改変と同時に『砂の惑星』から同作にあったプロットの一部である「資源をめぐる争い」を骨格として組み込み、『バトルシップ』を本格的なSFものにしたのだと語った。 また『砂の惑星』のプロダクションから移行させた要素は、それだけではない。バーグによると「自分のバージョンは環境描写や戦闘場面など、とても激しいものになる予定だった」と回想し、それらを『バトルシップ』に適応させた旨や、リンチが手がけたものとの違いを示してくれた。実際にバーグ版『砂の惑星』の世界観は非常に硬質なもので、参考としてイギリスのコミックアーティストであるマーク"ジョック"シンプソンよるコンセプトデザインを以下に見ることができる(ジョックは『バトルシップ』でもコンセプトデザインを担当)。 https://www.duneinfo.com/unseen/jock 加えてバーグは「私の『砂の惑星』はオムツを履かせたりしない(笑)」と言って、リンチ版のハルコンネン男爵を揶揄していたが、奇しくもヴィルヌーヴ版では『バトルシップ』で主人公ストーンの兄を演じたアレクサンダー・スカルスガルドの父ステラン・スカルスガルドがハルコンネン男爵を演じている。 ◆二人の映画監督から得た映像スタイル また先述した「激しい攻防戦」というワードは、そのまま監督の視覚スタイルの話題へと移行するのに都合がよかった。インタビューはバーグが2004年に発表した『プライド 栄光への絆』へとターンし、同作の試合シーンの緊張感がスポーツ映画史上でもっとも高いものではないかと言及。『バトルシップ』にもその傾向が顕著に見られ、それらの多動的でラフな映像スタイルはどこから得たものかを訊ねている。 バーグ「私には監督として、二人の師匠がいる。それはジョン・カサヴェテスとマイケル・マンだ。どちらもシネマヴェリテを基調としたスタイルを持っているが、カサヴェテスは非常に俳優に自由を与えてくれる監督で、あまりコントロールしない人だ。それが自然な演出とカメラモーションに繋がっているし、逆にマイケルは脚本がぶれないくらいのコントロールフリークで、そこが面白い。彼は友人でもあるし、『キングダム/見えざる敵』のプロデュースも担当してくれた、そしてなにより、彼のビジュアルスタイルには多くを学ばせてもらった。僕は二人の正反対なアプローチをうまく折衷させながら演出をしてるけどね(笑)」 加えて、役者をコントロールしないという考え方は、バーグの中で映画における俳優の優先順位をおのずと示している。 「僕は過去にウィル・スミスと『ハンコック』を作ったけど、やはりというか観客は、ウィルのスター性に意識を支配されてしまう。違うんだ、映画のスターはストーリーなんだよ。だから『バトルシップ』はリーアム(・ニーソン)を除くと、あまり知名度の高い俳優を主要キャラクターとして劇中に置いていない。だってそのほうが、より完全にストーリーに没頭できると思ったからなんだ」 こうした俳優の話題から、質問は出演者の一人である浅野忠信に関することへと移行したのだが、「アサノの出ている作品だけでも、まずは観ておかないといけないね」と監督は言い、自分が日本映画に関して理解があまりないことを筆者に詫びていた。 しかしまさか、その日本で『バトルシップ』がこれほどまでに愛される作品になるとは、よもや思いもしなかったことだろう。■ 『バトルシップ』© 2012 Universal City Studios Productions LLLP. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
ラブ・アクチュアリー
[PG-12]英国スターが夢の集結!クリスマス目前のロンドンを舞台に、9つの“愛”を描く群像ロマンス
『ブリジット・ジョーンズの日記』の脚本家リチャード・カーティスが初監督を務めた群像ラブロマンス。ヒュー・グラントら英国を代表するスターが勢揃いし、同時進行する9つの“愛”にまつわるエピソードを紡ぐ。
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COLUMN/コラム2022.08.19
サム・ライミ、アメコミ映画までの遠い道のり。その第一歩が『ダークマン』
サム・ライミのフィルモグラフィーを眺めると、「多様」あるいは「一貫性のなさ」といった言葉が浮かんでくる。彼が監督作品として扱ってきた題材の幅広さには、驚きを禁じ得ない。 なぜそうなったのか?その事情に関わる部分は後ほど触れるが、映画ファンとして、彼の作品への入り口が何であったかは、世代で、大きく分かれると思う。 アラサーぐらいだったら、やっぱり『スパイダーマン』3部作(2002~07)か。“MCU=マーベル・シネマティック・ユニバース”誕生前夜に、コミック作品の映画化に大成功。今日のアメコミ映画隆盛の礎を築いた、立役者の1人がライミであることは、言を俟たない。『スパイダーマン』前後で評価が高い、『シンプル・プラン』(98)や『スペル』(09)などを、こよなく愛する向きも少なくないだろう。 私を含めて、ライミ作品の日本デビューに立ち会った主な層は、1959年生まれのライミに近い年代。もう50~60代になってしまった。 アメリカ公開は1981年だったインディーズ作品『死霊のはらわた』は、日本では輸入ビデオでマニアの間で話題になった後、劇場公開に至ったのは、85年のこと。それまで聞き慣れなかった、というか少なくとも日本には存在しなかった、“スプラッター映画”という言葉を広めて定着させたのは、紛れもなくこの作品だった。 その頃のライミは、まだ20代中盤。日本でも一躍大注目の存在に…と言いたいところだが、まだまだ“ホラー映画”の地位が低い時代である。一部好事家の間で関心が高まったというのが、正確なところだろう。 その後映画コラムなどで紹介されていたエピソードも、また微妙だった。それは、ライミが日本人と会うと、「ねぇねぇ僕、サム・ライミ。サムライMe!!」と笑って去っていくという内容。 当時の真っ当な(!?)映画ファンからは、「けっ!」という受け止め方をされても、致し方なかった。「東京」や「ゆうばり」で開催される「ファンタスティック映画祭」が定着し、クエンティン・タランティーノが現れる90年代前半頃までは、“オタク”的なノリには、概して冷たいリアクションが待ち受けていたのだ。 そんなサム・ライミの監督人生は12歳の時、父親の8㍉カメラを使って作品を作ったことに始まる。その後同級生の仲間などと映画を撮り続ける中で、高校時代には1学年上のブルース・キャンベルと邂逅する。 ライミ組の常連出演者となるキャンベルに続いて、ミシガン州立大学進学後には、ロバート・タパートと出会う。タパートは映画製作のパートナーとなり、現在でもホラー映画専門レーベルの「ゴースト・ハウス・ピクチャーズ」を、ライミと共同で運営している。 まだ海の者とも山の者ともつかない、二十歳前後の3人。ライミ、タパート、キャンベルが、9万ドルの資金を集めて製作したのが、『死霊のはらわた』だった。 それまで「ホラーは苦手」というライミだったが、「世に出るなら、低予算のホラーだ」とタパートに説き伏せられたことから、様々なホラー作品に触れて研究を重ねた。そしてタパートが製作、キャンベルが主演、ライミが監督を務めた『死霊のはらわた』が、世に送り出された。この作品の成功で、3人は次のステップに進むこととなる。 続いて挑んだのが、ライミが本来指向するところのスラップスティックコメディ、『XYZマーダーズ』(85)。インディペンデント系ではあるが、「エンバシー・ピクチャーズ」という、名の通った映画会社と初めて組んだ作品である。 主演に無名の俳優は据えられないという、「エンバシー」からの“口出し”によって、キャンベルをやむなく脇役に回さざるを得なくなったのをはじめ、準備から撮影、ポストプロダクションまで、映画会社の介入は続いた。その挙げ句、まともに公開してもらえず、3人組にとってこの作品は、悪夢のような結果に終わったのである。 その後起死回生を図って取り組んだのは、『死霊のはらわたⅡ』(87)。続編というよりは、第1作をスケールアップしたリメイク的な内容で、コメディ色を強めたこの作品で、3人は再び成功を収める。 そして勇躍、初めてハリウッド・メジャーの「ユニヴァーサル」と組んだのが、本作『ダークマン』(90)である。ライミのフィルモグラフィー的には、インディペンデントからメジャーへの、そして『死霊のはらわた』から『スパイダーマン』への架け橋的な位置に属する作品と言える。 ***** 科学者のペイトン・ウェストレイクは、火傷などの重症者を救える、“人工皮膚”の開発に、日夜取り組んでいた。完成まであと一歩と迫りながらも、99分経つと溶解してしまうため、研究は足踏みが続いた。 ペイトンにはもう1つ気がかりなことがあった。同棲中の弁護士ジュリーにプロポーズしたものの、新しい仕事で手一杯の彼女に、返事を保留されてしまったのだ。 そんな時、“人工皮膚”を99分以上持たせるためのヒントが見つかる。助手と共に喜ぶペイトンだったが、突然街のギャングであるデュラン一家に研究所を襲撃される。彼がそれとは知らずに持ち出してしまったジュリーの書類が、街の再開発計画を巡る汚職の証拠だったのである。 助手は惨殺され、ペイトンも拷問に掛けられる。そして顔を強酸性の溶液に突っ込まれ、火を放たれた研究所は炎上する。 駆け付けたジュリーの目前で、研究所は爆発。ペイトンも耳だけを残し、塵と化したかと思われた。 悲嘆に暮れるジュリー。しかし爆発で河川へと飛ばされたペイトンは、生きていた。身元不明のホームレスとして病院に収容され、全身40%もの火傷の苦痛を感じないように、視床の神経を切断されて。 この処置で抑制力を失い、常人を超える力を持ったペイトンは、病院を脱出。しかし二目と見られない容姿になってしまった彼は、ジュリーの前に現れるのを躊躇せざるを得ない。ペイトンは、自分をこんな姿にしたギャングたちへの、復讐を誓う。 スラムの廃工場に居を構え、研究・開発を再開したペイトン。未完成の“人工皮膚”で様々な人間に成りすましながら、高い知能と超人的パワーを駆使して、ギャングたちを次々と血祭りに上げていくのだったが…。 ***** 初メジャー作品が、『ダークマン』になったのには、深い理由がある。 サム・ライミについて言及した場合、彼がこよなく愛するものとして、必ず登場するのが、1930年代にスクリーンで人気を博した後、TV時代の到来と共に、再編集されてお茶の間で大人気となった『三ばか大将』。ライミ作品の多くに共通する、度を超えたドタバタ感は、この影響が大きい。 それと共に指摘されるのが、アメコミへの偏愛である。 ライミは『死霊のはらわたⅡ』の後、「ザ・シャドー」「バットマン」などのアメコミを原作とした作品で、メジャーデビューしようと画策した。しかし両企画とも不調に終わり、それぞれ別の監督によって、映画化されるという憂き目に遭う。 付記すればメジャーデビューを果した後も、アメコミ企画への執着は続いた。「バットマン」の映画化を成功させたティム・バートンがそのシリーズを離れる際、後を引き継ごうと目論むも、失敗。また「マイティ・ソー」の企画を「20世紀フォックス」に持ち込んだが、これも実現できなかった。 自分の愛するアメコミの映画化を、何としてでも成し遂げたい。しかし誰も、自分にその企画をやらせてくれようとはしない。だったらアメコミっぽい話を、自分で作ってしまえ! 些か乱暴なまとめ方だが、そうして出来上がったのが、『ダークマン』だった。実際に本作の製作意図として、ライミはこんなことを言っている。「やや古典的な物語を描いて、漫画のストーリーのように、できるかぎりドラマチックでインパクトが強い作品にしたかった」 この企画をプレゼンされた「ユニヴァーサル」は、すぐに製作をOKした。 さてハリウッド・メジャーが、相手である。若き天才科学者、転じて“ダークマン”となる主演俳優に、ブルース・キャンベルを当てる構想は、『XYZマーダーズ』の時と同じく、無残に却下された。結果的にキャンベルは、本作ではその意趣返しのようにも取れる形でスクリーンに登場するのだが、それは観てのお楽しみとしておく。 主演に決まったのは、まだアクションスターのイメージはなかった、若き日のリーアム・ニーソン。その相手役のジュリーには、当時ニーソンが付き合っていたジュリア・ロバーツがキャスティングされそうになったが、諸事情によりNGに。 最終的にジュリーには、ライミの“インディーズ”仲間だったコーエン兄弟のミューズにして、その兄の方のジョエル・コーエンの妻であった、フランシス・マクドーマンドが決まった。普段から親しかったマクドーマンドの起用は、当初からの希望通りであり、ライミはほっと胸を撫で下ろした。 しかしその後3度もアカデミー賞主演女優賞を獲ることとなるマクドーマンドと、本作まで女優をまともに演出したことのなかったライミとのギャップは、大きかった。現場では、衝突が絶えなかったという。 とはいえ、元々は親しい同士。マクドーマンドとのやり取りは、「創造的なプロセス」になったと、ライミは語っている。 結局は思い通りの作品に仕上げることを不可能にしたのは、やっぱり映画会社だった。ポストプロダクションで「ユニヴァーサル」が差し向けた編集マンとライミは、深刻な意見の相違を見る。 余談になるが、ライミはこれ以降も含めて、数多の苦労や屈辱をもたらした映画会社の姿勢を、反面教師としたようだ。彼とロバート・タパートが主宰する「ゴースト・ハウス・ピクチャーズ」で、Jホラーの雄である清水崇監督を招いて、『呪怨』をハリウッド・リメイクする際、他のプロデューサーの口出しがあると、「…清水が撮りたいアイディアがあればそれを撮る。ちゃんとお金を用意するから」と、間に入ったという。 さて、何とか完成に向かった『ダークマン』。しかし音楽を付ける前のバージョンで「ユニヴァーサル」の重役から、「我が社の歴史上、最低の試写評価を受けた映画だ」と、“死刑宣告”のような発言をされる。 ところが蓋を開けてみると、批評も興行も上々。ライミのメジャー処女作は、「成功」と言って差し支えない成果を収めた。『ダークマン』は、監督及び主演を変えながらシリーズ化され、また逆流するかのように、コミック化もされた。 とはいえやっぱり、自分の愛するアメコミ作品の映画化という夢は、忘れられなかった。ライミは本作の後、『死霊のはらわた』シリーズの第3作に当たる『キャプテン・スーパーマーケット』(93)を監督してからは、幅広いジャンルの作品を手掛けるようになる。実はそのほぼすべてが、念願のアメコミ企画を実現させるための、助走だった。 西部劇の『クイック&デッド』(95)、クライム・サスペンスの『シンプル・プラン』、スポーツ映画の『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』(99)、スリラーの『ギフト』(2000)。こうした多様な作品にチャレンジしたのは、デビュー以来自分に付き纏う、“ホラー映画”の監督というイメージを払拭し、巨額の製作費を投じるアメコミ映画を任せてもらうためであったと言われる。 そして、遂に長年の想いを果した『スパイダーマン』3部作で、ライミは押しも押されぬ地位を築いた。 そんな彼の最新作は、“MCU”に初参入し15年振りにアメコミの映画化を手掛けた、『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(22)。詳細は省くが、こちらは彼の原点とも言える、『死霊のはらわた』のMCU版リメイクとの評まで出る、ファンにはたまらない仕上がりだった。 映画会社との数多の戦いを経て、ライミが己の最も好きなジャンルで、こんな好き放題が出来るようになったというのも、改めて感慨深い。■ 『ダークマン』© 1990 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)アイス・ロード
危険な氷の道を走り抜け!L・ニーソンが敏腕ドライバーを熱演する決死のレスキューアクション
『アルマゲドン』の脚本家ジョナサン・ヘンズリーの監督作。鉱山事故で生き埋めになった人々を救うため氷上の道で現場に向かうトラックドライバーたちの奮闘を、CGなしの実写撮影でスリリングに映し出す。
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COLUMN/コラム2021.05.31
『ホーンティング』再評価に向けて言及したい二、三の事柄
●本格的ゴーストホラーを目指した意欲作 “その建物はいかにも不気味な感じだった。彼女はゾッとしながらそう思った——するとたちまち心の中で声がした。「〈山荘〉は気味が悪い……不気味だ……今すぐ立ち去ったほうがいい」”(*1) 山荘と呼ばれる洋館で、四人の男女が体験する恐ろしい霊的現象を描いたシャーリイ・ジャクスンの『山荘綺談』は、最も優れた、そして最も恐ろしいゴーストストーリーのひとつとして知られている。恐怖体験に関する研究プロジェクトのため、マロー博士はそれぞれに個人的な問題を抱えた3人の被験者をこの場所に誘う。しかし彼らがそこへ到着した夜から、山荘は超常的な怒りを彼らにぶつけることになる——。 1999年公開の『ホーンティング』は、同小説の二度目となる映画化作品だ。監督はシネマトグラファーとして『ダイ・ハード』(88)や『レッド・オクトーバーを追え!』(90)などに参加し、キアヌ・リーブス主演のサスペンスアクション『スピード』(94)で監督デビューを果たしたヤン・デ・ボン。スピード感あふれる演出と機動性を極めたカメラワークを主スタイルとするが、『ホーンティング』はそれとは打って変わって被写体を舐るように、そしてじっくりと捉えて恐怖を創出していく。登場人物たちの恐れの感情を高めていくために準撮り(劇中の順番に撮影していくこと)を実行し、また撮影時には音響デザインのゲイリー・ライドストロームが録音していた効果音を俳優たちに聞かせることで、音や気配に対するリアルな反応を引き出している。 なにより舞台となる洋館の外観はイギリス、リンカンシャーのハーラックストンにあるカントリーハウス〈ハーラックストンマナー〉を用いて撮影し、そのジャコビアン様式とエリザベス朝スタイルをバロック建築に融合させた異様さは、作品の真の“主役”として禍々しい存在感を放つ。加えて巨大航空機格納庫のスプルース・グース・ハンガーに建設された洋館内のセットは、ハリウッド映画における最大級のインテリアセットを誇るものだ。 だが惜しいことに、『ホーンティング』は、評論家からは芳しい評価を受けてはいない。興行的には成功を得たものの、たとえば米「サンフランシスコ・クロニクル」紙の映画評論家ミック・ラサールなどは「『ホーンティング』がもたらす唯一のいいニュースは、映画製作者たちが技術だけで名作が作れることを証明しようとしたが、うまくいかなかったということだ」(*2)となかなかに手厳しい。 こうして映画を非難する文言の中には的を射たものもあるが、じつのところ作品をとりまくいくつかの要素が、映画の評価にネガティブな影響を与えているケースも否めない。うちひとつには『山荘綺談』の最初の映画化作品である、ロバート・ワイズ監督の『たたり』(63)の存在だ。 モダンホラー文学の大家スティーブン・キングは「恐怖」について語った随筆集「死の舞踏」の中で、優れた恐怖描写は扉を開けず、その扉の向こう側にいるものの正体を見せないことだと綴り、『たたり』を絶賛している。確かに『たたり』は、奇怪な音がもたらす恐怖感や、見たり聞いたりしたものが実際にあったのかどうかを登場人物たちに疑問に思わせる創造性が、ひとつの成果をあげているといえる。 ただ『たたり』に関しては、製作予算が110万ドルと限られたものだったことと、当時の視覚表現の限界もあって、必然的に物事を見せない方法を択っている。『ホーンティング』はむしろ8000万ドルという潤沢な製作費を活かし、ゴーストを明確に可視化させることで、精神的ストレスで心に傷を負っていたエレノア(リリ・テイラー)が実際にゴーストを見たのか、それとも彼女の意識が生んだ妄想なのかを観る者に対して巧妙にミスリードしている。こうした映像への積極的な試みが、CGへの過度な依存だと受け取られたようだ。 なにより『ホーンティング』は『たたり』のリメイクではなく、原作の再映画化という位置付けにある。権利上の問題から『たたり』にアクセスすることはできず、同作にあるアイディアを汲み取ってはいない。エレノアを物語の中心人物として描いたのも原作由来のもので、ジャクスンの小説を新たな試みで映画化し、『たたり』とは根本的にアプローチを異にしている。 もうひとつ、ネガティブな作品評価を誘引したのは、製作元のドリームワークスに最終的な編集の権利があり、映画の方向性が変えられたというゴシップだ。スタジオが原作に忠実な心理的スリラーを手がけようとしていたデ・ボンのアプローチを嫌い、観客が即座に恐怖を覚えるような方向へと軌道修正し、ポストプロダクションをスティーブン・スピルバーグが引き継いだ、というものである。 しかし近年、同作のBlu-rayリリースを機にデ・ボンが語ったところによれば、『ツイスター』(96)の後の監督作として企画中だった『マイノリティ・リポート』(02)が、主演のトム・クルーズのスケジュールに空きができたことで急浮上。代わりにスピルバーグが監督を務め、彼が本来監督する予定だった『ホーンティング』をデ・ボンに譲り渡した経緯があったという。そこにスピルバーグとの確執や因縁はなく、先のような実態を欠く噂がスキャンダラスに流布されたようだ。 こうした背景には、かつてスピルバーグが監督であるトビー・フーパーを差し置いて、自ら現場で演出をしたと噂された『ポルターガイスト』(82)のゴシップが重なってくる。この問題は現在に至るも真相は藪の中で、『ホーンティング』が同じホラージャンルであることから、格好のネタとして蒸し返されてしまったとも考えられる。 もちろん、作品そのものの不評を全てスキャンダルのせいにするつもりはないが、不正確な情報が作品にバイアスをかけ、鑑識眼を曇らせてしまうケースもある。それを取り除いて評価が大きく変わるのであれば、すでに評価の定まった作品だからと禁欲的になる必要もないだろう。 ●ヤン・デ・ボン自身が語った『ホーンティング』のこと アメリカで最も影響力のあった映画評論家のひとり、ロジャー・エバートは「ロケーション、セット、アートディレクション、サウンドデザイン、そして全体的な映像の素晴らしさに基づき、わたしはこの映画を推薦したい」と、公開時に『ホーンティング』を激賞している(*3)。筆者もエバートのような感触を同作に覚えたひとりで、ヤン・デ・ボン監督に『トゥームレイダー2』(03)の取材で会ったとき、同作に対する質問を以下のようにぶつけ、高度なクリエイティビティのもとで本作が手がけられたことを確認している。 ——「アメリカン・シネマトグラファー」誌に『ホーンティング』の照明設計図が掲載されていましたが、ライトの設置が複雑すぎて、僕のような門外漢には監督が何を目指しているのか分かりかねました(笑)。 デ・ボン「専門誌まで読んでくれたんだね。屋敷の恐ろしい性質をライティングで表現したかったんだ。この映画はCGでゴーストをクリエイトしているけど、同時にできるだけオンカメラ(撮りきり)で、ゴーストの存在を表現しようと試みたんだよ。撮影現場にいるキャストが、その場で恐怖を実感できるようにね」 ——効果音もその場でできる限り聞かせて、俳優たちの恐怖感を引き出していったとか。 デ・ボン「そう、完成した作品にサウンドエフェクトを挿れず、役者の演技だけで音を感じられるならそれが究極的で理想的だよ。僕は黒澤明監督の『乱』(84)が好きで、武将の父を城ごと燃やそうとする長男と次男の謀反が描かれていたよね。あの合戦場面に黒澤さんは効果音をいっさい使わず、アンダースコア(音楽)だけを用いている。その演出がむしろ戦闘の激しい音を想像させるんだから、あの境地を目指したいものだ」 ——俳優たちのリアクションは実際どうだったんですか? デ・ボン「効果は絶大だったね。特にリーアム(・ニーソン)とキャサリン(・ゼタ=ジョーンズ)は、積極的にスタジオに入りがらないくらいだったからね。二人には相当に怖い思いをさせてしまったよ(笑)」 そう、「〈山荘〉は気味が悪い……不気味だ……今すぐ立ち去ったほうがいい」——。■ (*)『ホーンティング』撮影中のヤン・デ・ボン監督
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PROGRAM/放送作品
アイス・ロード
危険な氷の道を走り抜け!L・ニーソンが敏腕ドライバーを熱演する決死のレスキューアクション
『アルマゲドン』の脚本家ジョナサン・ヘンズリーの監督作。鉱山事故で生き埋めになった人々を救うため氷上の道で現場に向かうトラックドライバーたちの奮闘を、CGなしの実写撮影でスリリングに映し出す。
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COLUMN/コラム2013.11.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年12月】にしこ
クリスマスといえばこの映画。2003年の映画ですが既に「定番」と言えなくもない、そんなかわいらしい1本です。舞台はもうすぐクリスマスを迎えるロンドン。世代、立場が違う様々な人物が登場しますが、皆一様に小さくて大きな悩みを抱えています。夫の浮気に心を痛める妻、長年職場の同僚に片思いしている女性。妻を亡くし義理の息子の元気の無さにあたふたする父。そして恋と職務の間で悶々とする英国首相まで!!多彩な登場人物だれかしらに、観る人は感情移入できるはずです。観終わった後、自分の周りにある、ささやかな「LOVE」に気づかされる1本。外は寒くても心はホカホカに。ザ・シネマでは「ちょっといい映画を見るクリスマス」題し珠玉のクリスマス映画5本をお届けします。こちらも併せてお楽しみ下さい!! © 2003 Universal Studios. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)96時間/リベンジ
家族を愛する最強の父が再び暴走する!元CIA工作員の戦闘スキルが新たな敵に炸裂するシリーズ第2作
前作で熟年アクションスターとして新境地を開拓したリーアム・ニーソンが、愛する家族のために鬼となる元CIA工作員を再演。目隠しされたままでアジトへのルートを記憶するなど、前作以上の戦闘スキルを披露。
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PROGRAM/放送作品
96時間/リベンジ
家族を愛する最強の父が再び暴走する!元CIA工作員の戦闘スキルが新たな敵に炸裂するシリーズ第2作
前作で熟年アクションスターとして新境地を開拓したリーアム・ニーソンが、愛する家族のために鬼となる元CIA工作員を再演。目隠しされたままでアジトへのルートを記憶するなど、前作以上の戦闘スキルを披露。