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PROGRAM/放送作品
栄光への脱出
“約束の地”パレスチナを目指すユダヤ人たちの長く険しい旅。ポール・ニューマン主演の歴史ドラマ大作
パレスチナへの入植を目指すユダヤ人たちが起こした“エクソダス号事件”を、同じユダヤ人のオットー・プレミンジャー監督が感動的に映画化。勇壮な主題曲が物語とマッチし、アカデミー劇・喜劇映画音楽賞を受賞。
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COLUMN/コラム2019.07.14
過ぎ去り行く開拓時代、大西部の田舎町に情け容赦ない正義の銃声がこだまする
イギリス出身の映画監督マイケル・ウィナーの本格的なハリウッド進出作である。オリヴァー・リードやチャールズ・ブロンソンとのコンビで次々とヒットを放ち、中でもブロンソンが主演したヴィジランテ映画の金字塔『狼よさらば』(’74)の大ヒットで名を上げたウィナー。キャノン・フィルムと組んだ’80年代以降の失速ぶりが目立ってしまったせいか、なにかにつけ「B級映画監督」のレッテルを貼られがちな人だが、しかしある時期までのマイケル・ウィナーは紛れもない鬼才だった。 ロンドンの裕福な家庭の一人っ子として何不自由なく育ったお坊ちゃん(ギャンブル中毒の母親には悩まされたようだが)。14歳にして新聞に芸能ゴシップの連載コラムを持つという早熟な少年で、映画ジャーナリストを経て短編映画を監督するようになる。転機となったのは、クリフ・リチャードやマーティ・ワイルドと並ぶアイドル・ロック歌手ビリー・フューリーが主演したロック・ミュージカル『Play It Cool』(’62・日本未公開)。これが初めて商業的成功を収めたことから、当時まだ26歳だったウィナーは、英国映画界の新世代監督として売れっ子になる。そして、英米合作の戦争映画『脱走山脈』(’69)がアメリカでもヒット。ユナイテッド・アーティスツから声がかかったウィナーが、満を持してのハリウッド進出第一弾として選んだプロジェクトが、自身にとって初の西部劇『追跡者』(’71)だったのである。 舞台は19世紀末のニューメキシコ州。サバスという町から牛を運んだカウボーイたちが、その帰り道に途中の町バノックで酒に酔って暴れ、拳銃の流れ弾を受けた老人が死亡する。それからしばらく後、サバスの保安官ジャレド・マドックス(バート・ランカスター)が、犯人の一人コーマンの死体を持参してサバスへ到着。地元の保安官コットン・ライアン(ロバート・ライアン)に、残りの6人の引き渡しを求めるが、しかしライアンはそれを「不可能」だとして断る。 というのも、6人のうち1人はサバスの名士ヴィンセント・ブロンソン(リー・J・コッブ)。残りの5人は彼の子分たちだ。鉄道も石炭もない町サバスの住人たちは、ブロンソンが経営する牧場に依存して生活している。つまり、彼は町の実質的な支配者。ここではブロンソンこそが法律であり、保安官ライアンとて彼には手を出せないのだ。 しかし、「法を欺くものは絶対に許さない」が信念のマドックスは引き下がらない。当初、ブロンソンは慰謝料を支払うことで解決しようとするが、しかし清廉潔白なマドックスは取引に応じる相手ではなかった。「ならばマドックスを殺してしまおう」と考える血気盛んなカウボーイたち。だが、苦労して手に入れた土地や財産を失いたくないブロンソンは平和的な妥協策を模索し、かつては名うてのガンマンだったライアンもマドックスが彼らの敵う相手ではないと忠告する。 とはいえ、マドックスの執拗な追及に苛立つカウボーイたち。追い詰められた彼らは、無謀にもマドックスとの決闘に挑み、一人また一人と銃弾に倒れていく。夫を見逃して欲しいと嘆願するかつての恋人ローラ(シェリー・ノース)、迷惑だから町を出て行けと迫る住民たち。しかし、妥協することも罪を見逃すことも良しとしないマドックスは、彼らの要求を頑として受け付けず、ただひたすらに職務を全うしていく…。 主人公マドックスの体現するものとは? 『チャトズ・ランド』(’72)のチャトのごとく己の信念を決して曲げず、『メカニック』(’72)のビショップのごとくプロとしての美学を徹底して貫き、『狼よさらば』のポール・カージーのごとく執念深いマドックスは、紛うことなきマイケル・ウィナー映画のヒーローだ。彼の行動原理はただ一つ、法執行官としての責任を最後まで果たすこと。カウボーイたちにはそれぞれ、逮捕されては困るような生活の事情がある。そもそも、彼らは故意に老人を殺したわけではなく、マドックスが来るまでその事実すら知らなかった。情状酌量の余地もあるように思えるが、しかし頑固一徹なマドックスには通用しない。なぜなら、それは裁判官や弁護士が考えるべきことで、保安官の役割ではないからだ。 そこまで彼が己の職務と法律順守にこだわる背景には、たとえ僅かな違法行為でも見逃してしまえば、社会の秩序がそこから崩壊してしまうという危機感がある。確かに、カウボーイたちは根っからの悪人ではない。それは彼らのボスであるブロンソンも同様で、少なくとも町の人々にとっては良き独裁者だ。しかし、保安官として罪を犯した者を捕らえるのはマドックスにとって当然であり、そこに個人のしがらみや感情が介在してはいけない。ましてや、うちの旦那だけは見逃してとか、よその町で起きた犯罪なんてうちには関係ないとか、法律よりも町の利益の方が重要だなどという理屈は、彼に言わせれば言語道断であろう。 一見したところ、融通の利かない非情な男に見えるマドックスだが、しかし法律における正義とは本来そうあるべきもののようにも思える。特に、「今だけ・金だけ・自分だけ」などと揶揄され、忖度や捏造や改竄が平然とまかり通る昨今の某国では、彼のような人物こそが必要とされている気がしてならない。 と同時に、本作は時代の岐路に立たされた者たちのドラマでもある。マドックスがホテルの宿帳に記した日付によると、本作の時代設定は1887年。無法者たちが荒野を駆け抜け、開拓民が自分たちのルールで未開の地を切り拓いた時代も、もはや過去のものとなりつつあった頃だ。着実に近づいてくる近代化の足音。その象徴が、国家の定めた法の番人マドックスだと言えよう。 そして、かつてネイティブ・アメリカンを殺戮して土地を奪い、その戦いの過程で大切な家族を失ったブロンソンも、名うてのガンマンとして勇名を轟かせたライアンも、その事実を否応なしに受け止めている。暴力のまかり通る野蛮な時代は、もうそろそろおしまいだと。いや、むしろあんな時代はもう沢山だとすら考えている。しかし、フロンティア精神への憧憬が抜けきらないカウボーイたちは、まるで時代の変化に抗うかのごとくマドックスに挑み、そして無残にも命を散らしていくのだ。 必ずしも好人物とは呼べないアンチヒーロー的な主人公、あえて観客の神経を逆撫でする無慈悲なバイオレンス、そして世の中を斜めから見つめたシニカルな世界観。その後の『スコルピオ』(‘73)や『シンジケート』(’73)などを彷彿とさせる、いかにも当時のマイケル・ウィナーらしい作品だ。常連組ジェラルド・ウィルソンの手掛けた脚本の出来栄えも素晴らしい。撮影監督のロバート・ペインターも、ウィナー監督とは『脱走山脈』以来の付き合い。やはり、気心の知れた仲間とのコラボレーションは大切だ。徹底してリアリティを追求したウィナー監督は、劇中に出てくる小道具にも本物のアンティークを使用。石油ランプひとつを取っても、同時代に使われた実物を、わざわざイギリスからスタッフに運ばせたという。 鬼才マイケル・ウィナーのもとに集ったクセモノ俳優たち しかし、なによりも賞賛すべきは、バート・ランカスターにロバート・ライアン、リー・J・コッブという、ハリウッドでもクセモノ中のクセモノと呼ぶべきベテラン西部劇俳優たちを起用し、彼らから最高レベルの演技を引き出したことであろう。なんといったって、オリヴァー・リードにチャールズ・ブロンソン、オーソン・ウェルズ、マーロン・ブランドといった、気難しくて扱いづらいことで有名な大物スターたちを、ことごとく手懐ける(?)ことに成功したウィナー監督。ランカスターとは撮影中に何度も衝突し、胸ぐらを掴まれ「殺してやる」とまで脅されたらしいが、結果的には彼の当たり役のひとつに数えられるほどの名演がフィルムに刻まれ、2年後の『スコルピオ』でも再びタッグを組むこととなった。その秘訣をウィナー監督は、「そもそも私は根っからのファンで、彼らのことを怖れたりしなかったから」と語っている。 脇役の顔ぶれも見事なくらい充実している。アルバート・サルミにロバート・デュヴァル、ジョゼフ・ワイズマン、J・D・キャノン、ラルフ・ウェイト、ジョン・マクギヴァーなどなど、映画ファンならば思わず唸ってしまうような名優ばかりだ。これが映画デビューだったリチャード・ジョーダンは、同年の『追撃のバラード』(’71)でもランカスターと再共演し、ウィナー監督の西部劇第2弾『チャトズ・ランド』にも出演。当時は下賤なレッドネックの若者といった風情だったが、いつしか都会的でスマートな悪役を得意とするようになる。ブロンソンの息子ジェイソン役のジョン・ベックは、『ローラーボール』(’75)や『真夜中の向こう側』(’77)など、一時期は二枚目タフガイ俳優として活躍した。 そして、マドックスの元恋人ローラを演じるシェリー・ノースである。もともと第二のマリリン・モンローとして、20世紀フォックスが売り出したグラマー女優だったが、脇に回るようになってから俄然本領を発揮するようになった。中でも彼女を重宝したのがドン・シーゲル監督。『刑事マディガン』(’68)の場末のクラブ歌手を筆頭に、『突破口!』(’73)の胡散臭い女性カメラマン、『ラスト・シューティスト』(’76)のジョン・ウェインの元恋人など、酸いも甘いもかみ分けた年増の姐御を演じさせたら天下一品だった。 本作でも、かつて若い頃は相当な美人だったであろう、しかし今ではすっかり生活に疲れ果てた女性として、なんとも味わい深い雰囲気を醸し出す。20年ぶりに再会したマドックスに、忘れかけていた情愛の念を掻き立てられるものの、かといって臆病者で卑怯者だけど憎めない夫を見捨てることも躊躇われる。クライマックスのどうしようもないやるせなさは、彼女の存在があってこそ際立っていると言えよう。これぞ傍役の鏡である。
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PROGRAM/放送作品
追跡者(1970)
信念を貫く男らしい厳格な保安官をバート・ランカスターが熱演。早撃ち保安官の活躍を描いた西部劇。
バート・ランカスターが信念を貫く男らしい厳格な保安官を演じる。正義とは何かを描く辛口の西部劇。相手より先には銃を抜かないが、抜けば必ず勝つという保安官のガンさばきが見どころ。
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COLUMN/コラム2019.06.24
ハリウッド・レジェンドたちのターニング・ポイント 『栄光への脱出』
今から60年近く前に、70㎜超大作映画として華々しく製作・公開された、『栄光への脱出』。その物語は、第2次世界大戦終結から2年経った1947年、当時はイギリスの直轄統治領だった、東地中海に浮かぶキプロス島から始まる。 この島には難民キャンプが設けられており、3万人を超えるユダヤ人が収容されていた。彼ら彼女らは、ヨーロッパでナチス・ドイツのホロコーストを生き延びた後、戦後に聖地の復興を目指し、パレスチナへと移住しようとした人々。しかし周辺のアラブ諸国を刺激したくないイギリスに捕まり、キャンプへと送り込まれたのであった。 そんなキプロス島に、ユダヤ人地下組織のリーダー、アリ・ベン・カナン(演;ポール・ニューマン)が、潜入した。彼の計画は、キャンプの同胞2,800人を、エクソダス(脱出)号と名付けた貨物船で、パレスチナの地へと送り込もうというもの。 イギリス軍による出港阻止など紆余曲折を経ながらも、アリの作戦は国際世論も味方に付けて、見事に成功。そして2,800人は、パレスチナへと辿り着く。 しかしイギリス、そしてアラブを敵に回して、祖国の建国を目指すアリらの苦難の戦いは、この後更に激しさを増していくのであった…。 1958年に発表されたレオン・ユリスの小説を映画化し、その2年後=1960年に公開(日本では翌61年)された本作『栄光への脱出』。“イスラエル建国”という、20世紀の歴史的事件をヒロイックに描いて、世界的な大ヒットとなった。 ご存知の通り“イスラエル”という国家は、建国を巡る経緯やその後の歩みが、国際社会で常に物議を醸し続けている。それによって引き起こされた“パレスチナ問題”など、「親イスラエル」を強く打ち出した、アメリカのトランプ大統領の強硬な外交姿勢もあって、悪化の一途を辿っている感が強い。 そうした点から、間違っても「公平な描写とは言えない」本作の今日的意味を探るのも大変意義深いことではある。しかし本稿では、後にハリウッドのレジェンドとなる偉大な2人の映画人にとって、本作がどんな役割を果たしたかを紹介したいと思う。 レジェンドの1人目は、脚本を担当したダルトン・トランボ(1905~76)。1930年代後半より脚本家として活躍していたトランボだったが、戦後のハリウッドに吹き荒れた“赤狩り=マッカーシズム”の直撃を受ける。 47年にトランボは、ハリウッドの労働組合への共産主義の影響を調査していた「非米活動委員会」の聴聞会に呼び出された際に、証言を拒否。そのため実刑判決を受けて、禁固刑に服す。同時にハリウッドの“ブラックリスト”に載せられ、映画界から長らく追放されることとなった。 その後彼が書いた脚本を、友人のイアン・マクラレン・ハンター名義でクレジットした『ローマの休日』(53)、ロバート・リッチという偽名を用いて執筆した『黒い牡牛』(56)の2作が、アカデミー賞原案賞を受賞したものの、トランボの名は秘せられたまま。しかし彼が偽名で仕事しているという噂は徐々に広まり、カーク・ダグラスの依頼で59年に『スパルタカス』(60)の脚本を担当する頃には、「公然の秘密」となっていた。 そのタイミングで、トランボとは旧知の仲だった、オットー・プレミンジャー監督が59年の12月に、脚本のリライトを依頼してきた。それが本作、『栄光への脱出』である。本作の脚本はそれ以前に、原作者のレオン・ユリスともう1人の脚本家によって、何度も書き直しが行われていたのだが、映画化に適した仕上がりにならなかったのである。 翌60年の4月には製作に入る予定で、主要キャストとの契約も済ませていたため、プロデューサーも兼任するプレミンジャーは焦った。そこで以前から、切迫した状況での素早い仕事ぶりを高く評価していたトランボに、白羽の矢を立てたわけである。 本作の原作小説は、旧約聖書の時代に遡り、そこからホロコーストに至るまで、何世紀にも渡るユダヤ人の苦難の歴史を描く。そして最後にパレスチナへ戻って、イスラエルという近代国家の誕生に至るという筋立てであった。前任の2人は、この小説全体をスクリーンに移そうとして、失敗したのである。 トランボは原作にはあまりにも多くの物語が盛り込まれているため、このまま映画化するのは不可能であると判断。プレミンジャーにどの物語を映画にしたいのかと尋ねた。ウィーン出身のユダヤ人であるプレミンジャーから、「イスラエルの建国を描きたい」という答を得ると、その後は彼と密に連携しながら執筆を進め、明けて60年の1月半ばには、脚本を完成させた。 プレミンジャーは、こうしたトランボの功績に報いる意味も籠めて、サプライズを用意した。1月20日の「ニューヨーク・タイムズ」の一面で、『栄光への脱出』の脚本家に、ダルトン・トランボを起用した旨を公表したのである。同年秋に『スパルタカス』が公開された際に、トランボの名がクレジットされたのも、こうした流れを受けてのことである。 『スパルタカス』そして『栄光への脱出』は、腕利きの脚本家だったトランボを、正式に表舞台へとカムバックさせた記念碑的な作品と言える。そして“赤狩り”によってハリウッドにもたらされた“ブラックリスト”の時代も、遂に終わりを告げた。 本作が記念碑的な作品となった、ハリウッド・レジェンドの2人目。それは、主役のアリ・ベン・カナンを演じた、ポール・ニューマン(1925~2008)である。 アクターズ・スタジオ出身という出自もあって、銀幕デビュー時は「マーロン・ブランドの亜流」扱いされ、燻ぶっていたニューマン。しかし三十歳を過ぎて出演した、ロバート・ワイズ監督の『傷だらけの栄光』(56)で、実在のプロボクシング元世界チャンピオン、ロッキー・グラジアノを演じて高い評価を受け、一躍スターダムにのし上がった。 その後1950年代後半に、着実にキャリアを積み上げたニューマンが、60年代を迎えて、遂に“スーパースター”の地位を築く第一歩となったのが、架空の存在ではあるが、イスラエル建国のヒーローを演じた、『栄光への脱出』である。この作品は記録的な大ヒットとなって、ニューマンの出演作の中では長らく、TOPに位置する興収を稼ぎ出した。因みにこの記録を塗り替えたのは、アメリカン・ニューシネマの代表的な作品で、ロバート・レッドフォードと共演した、『明日に向って撃て!』(69)である。 父がハンガリー系ユダヤ人であるニューマンは、本作ロケ地のイスラエルに、クランク・イン数週間前に入って、その風土や国民の生い立ちを身をもって感じ取ろうとした。本作は、父方のユダヤの血のルーツを探るという意味でも、彼にとっては意義深い仕事となる筈だった。 そうした記念碑的作品であるにも拘らず、実は本作についてニューマンが後年語ることは、ほとんどなかった。あるインタビューで一言だけ、「寒々としたものだった」と素っ気なく述べたのみである。 なぜそうなったかと言えば、偏にオットー・プレミンジャー監督との“相性”。それまでに『帰らざる河』(54)『悲しみよこんにちは』(57)など数々のヒット作や秀作を手掛けてきたプレミンジャーだが、撮影現場では俳優に対する専制的な態度を取ることで知られ、「ろくでなしのファシスト」呼ばわりされるほど、悪名が高い監督であった。 そしてプロデューサーを兼ねた本作では、スケジュール通りに撮り上げるために、膨大な技術スタッフのチームを組織し、パノラマ的群衆シーンを動かすことばかりに集中。それまでにも増して、俳優の役作りに気を配ろうとはしなかった。 それに対しニューマンの演技は、アクターズ・スタジオ仕込み。演技の細部にまで深い関心を示してくれたり、準備に掛ける時間と空間を十分に提供してくれるような監督以外とは、なかなか良好な関係を築きにくい。 例を挙げるならば、ニューマンが最も敬愛した監督は、『ロイ・ビーン』(72)『マッキントッシュの男』(73)で組んだジョン・ヒューストン。それらの現場でのニューマンは、頻繁にヒューストンに話しかけに行って、様々な提案を行ったという。ニューマン曰く「とにかく彼(ヒューストン)はどんなときでも引き金を捜してるよ。名案を撃ち出す引き金だな。それを誰が引くかは関係ない。彼自身でもいいし、役者か、スクリプト・ガールだっていいわけだ。そこに連帯感というものが生まれてくるだろう」 本作撮影に当たって、ニューマンはロケ地到着後、プレミンジャーとの打合せで数頁に渡る提案を差し出した。するとプレミンジャーは、こう言ったという。 「非常に興味深い提案だ。君が監督する作品ならぜひ使いたまえ。しかし、この作品の監督を務める私がこれを使うことはないね」 本作関係者の証言では、このやり取りがあった後、ニューマンは要求されたことだけをするようになり、それ以上の努力をやめてしまったという…。 そんなこともあってだろう。本作の主人公アリ・ベン・カナンは、預言者モーゼに準えられるヒーローでありながらも、陰影に乏しく、その葛藤や煩悶が真に迫ってこないキャラクターになってしまっている。超大作として製作年度が近い『アラビアのロレンス』(62)などと比べると、人物描写が浅いことが、一目瞭然である。 そうした点も含めて、初公開当時は業界受けも評論家受けも決して良くはなかった本作だが、繰り返し記すように、大ヒットを記録した。プレミンジャーが個々の俳優の演技を蔑ろにしてまでこだわったスペクタクル感の強調や、ハリウッドを長年追われていたダルトン・トランボが脚本を手掛けたこともあってか、ユダヤ人たちの「自由への希求」が、ロマンスも交えてドラマチックに打ち出される仕上がりとなったことが、大衆の心を捉えたのであろうか。ニューマン演じる主人公も、薄っぺらさは否めないながら、実に格好良く描かれていることは、紛れもない事実である。 この作品の大ヒットは、“イスラエル”という国家の存在を、アメリカの世論が好意的に捉えるきっかけになったとも言われる。そうした意味でも、“映画史”的な語りしろが、意外に多い作品なのである。■ 『栄光への脱出』EXODUS © 1960 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)十二人の怒れる男[テレビ朝日版]
これぞ米国の良心。思い込みや偏見に満ちた人たちを、理詰めで説得していく…映画史に燦然と輝く傑作法廷劇
TVドラマで修行を積んだシドニー・ルメットが映画監督デビュー。役者の顔アップ、室内劇など当時のTVドラマのメソッドを取り入れTV時代の映画演出のあり方を打ち立てた、米国の良心が具現化したような傑作だ。
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PROGRAM/放送作品
十二人の怒れる男
これぞ米国の良心。思い込みや偏見に満ちた人たちを、理詰めで説得していく…映画史に燦然と輝く傑作法廷劇
TVドラマで修行を積んだシドニー・ルメットが映画監督デビュー。役者の顔アップ、室内劇など当時のTVドラマのメソッドを取り入れTV時代の映画演出のあり方を打ち立てた、米国の良心が具現化したような傑作だ。
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PROGRAM/放送作品
波止場
『エデンの東』のエリア・カザンが若きマーロン・ブランドを起用、アカデミー賞受賞の名作ドラマ
戦後を代表する名優マーロン・ブランドを『欲望という名の電車』で見い出した巨匠エリア・カザン監督が、再び本作品で若いブランドを主役に据えた社会派ドラマ。アカデミー賞8部門受賞のクラシック映画の名作。
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PROGRAM/放送作品
追跡者
信念を貫く男らしい厳格な保安官をバート・ランカスターが熱演。早撃ち保安官の活躍を描いた西部劇。
バート・ランカスターが信念を貫く男らしい厳格な保安官を演じる。正義とは何かを描く辛口の西部劇。相手より先には銃を抜かないが、抜けば必ず勝つという保安官のガンさばきが見どころ。
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PROGRAM/放送作品
(吹)マンハッタン無宿
田舎の保安官が都会で大捕物!『ダーティハリー』へと続くハード・ボイルド刑事アクションの元祖
『ダーティハリー』等の傑作を生み出した名コンビ、ドン・シーゲル監督とクリント・イーストウッドが初めて組んだ作品であり、後のクリント・イーストウッド主演刑事モノの原型とも言えるハードボイルド・アクション。
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PROGRAM/放送作品
西部の人
西部劇の巨匠アンソニー・マンが主役のゲイリー・クーパーを元無法者として描いた異色の西部劇
『ウィンチェスター銃’73』で知られる西部劇の巨匠アンソニー・マンが主役のゲイリー・クーパーをさわやかなヒーローとしてではなく、かつて無法者であった男として描いた1950年代ウエスタンとしては異色の傑作。