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放送作品情報

(吹)十二人の怒れる男[テレビ朝日版]

12 ANGRY MEN 1957年アメリカ / 97分 / サスペンス社会派ドラマ

これぞ米国の良心。思い込みや偏見に満ちた人たちを、理詰めで説得していく…映画史に燦然と輝く傑作法廷劇
解説

TVドラマで修行を積んだシドニー・ルメットが映画監督デビュー。役者の顔アップ、室内劇など当時のTVドラマのメソッドを取り入れTV時代の映画演出のあり方を打ち立てた、米国の良心が具現化したような傑作だ。

ストーリー

父親を殺害したとされるスラム街の不良少年の裁判が行われ、いま評決が12人の陪審員に委ねられた。陪審室に移った12人は決を採る。有罪11対無罪1。「無実だと確信してはいないが、絶対に有罪だという確信もない。だったら無罪にすべき」と、ただ1人無罪を主張するのは陪審員8号。「疑わしきは罰せず」の推定無罪の原則を掲げ、多勢に無勢の中、穏やかに、理性的に、論理的に、容疑少年を有罪にできない理由を説いていく。

出演 ※(声優)は吹き替え作品が対象です

ヘンリー・フォンダ (小山田宗覗)
リー・J・コッブ (富田耕生)
E・G・マーシャル (穂積隆信)
マーティン・バルサム (小林修)
ほか

字幕/吹替
吹替
掲載制限
なし
カラー/白黒
白黒
画面サイズ
ワイド
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日

    ヘンリーフォンダの説得力に脱帽

    「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」、「ア・フュー・グッドメン」等、たった一人(二人の場合も)が多数派に対して反対意見を述べ説得させる映画は好きな映画の一つで、この映画もその一つ。ヘンリーフォンダの演技が光る。

  • 鑑賞日 2017/10/9

    密室のみで濃い内容

    12人の陪審員が評決のために部屋に籠って有罪の賛否を問う。1人の疑問から始まり、証拠や検事、弁護人の進め方に疑問を感じて、各々が事件を見返す。当初は個人的な偏見あって、有罪を主張していた陪審員が、他の陪審員の言葉や説明によって判断を変える。一人の疑問が他を取り込んでいく様が、密室の中のみで進められ、違和感なく1時間半の作品を見切ることが出来る。

  • 鑑賞日 2017/7/29

    陪審員が密室で繰り広げる議論を通じて、事件の概要を浮き彫りにして行く構成となっているのだが、最初はたった一人の意見だった無罪の見解が、証拠の再検討をする過程で、一人また一人と無罪の支持者が増えて行く展開は見事の一言。映画の宣伝文句通り、手に汗握る良質なサスペンスである。陪審員の一人一人がそれぞれ、こういう人っているよなあ、と思わせるほど人物描写が巧みで、リアリティに富んでいる。陪審員の構成が男性だけというのも、当時の時代背景を思わせる歴史的な作品。

  • 鑑賞日 1995/3/1

    民主主義

    レンタルレーザーディスクで観た。 自分自身が納得いくまで議論する、納得いくまで議論するという話。これは民主主義であることに絶対の信頼を持ったシドニー・ルメット監督の力強い演出によって描き出された。 アメリカの正義も絶対の自信があるころの映画ですね。その迫力は「アラバマ物語」にも共通しているし、外国人の自分にも感動させる力を持っている。凄いことだと思う。こういう迫力は他国ではなかなかでないと思うんで。

  • 鑑賞日

    傑作。密室劇でここまで面白くなるのかという感じ。

  • 鑑賞日 2017/4/23

    話し合いから生まれる真実の可能性

    古い映画で大がかりな仕掛けがあるわけでもないのに、長年観続けられて、後世の映画作品に影響を与えた続けた作品の一つである。 私も名前だけ知っていて今まで観たことがなかった人間の一人だ。 この映画の凄さは何といっても脚本の作りこみと12人の個性的な演技である。 ここまで人間の本性を自然と表現している作品に感嘆させられる。 事流れ主義、むき出しのエゴ、個人的心情、偏見、差別、主観による先入観、誤解、猜疑心などなど。 いろんな人間の意見や感情が一つのテーブルの上でぶつかり合って、一つの事件の結論を出すことの難しさ、客観的な立場でいることの難しさをよく教えてくれる。 この映画の主人公たちである陪審員とは日本には馴染みが薄いが、裁判の被告を有罪か無罪かを評議する人たちのことである。 12人はもちろん事件にも裁判にも関わりがない、ただただ公民としての義務を果たすためだけに呼ばれた純粋な第三者である。 評議の結果がどうなっても陪審員自身には何も損得がないわけである。 そう考えてしまうと人間は不思議なもので、この評議に対する責任感よりも、各々の利己的な気持ちが勝ってしまいがちになる。 早く評決を下して解散したい、長引けば割に合わないという具合に。 そんな流れの中、8号のようにほんの少しの疑問点から無罪の可能性が捨てきれないと異議を主張するのはかなり勇気がいるものである。 得することは何もないのに、自分にとって見知らぬ少年のために、その場の11人を同時に敵に回すことになるわけだから。 こうなると、裁判の内容以外の関係ない各々の感情がむき出しになって罵声を浴びることになる。 場を読まない主張に嫌気を感じて怒る者。 時間を引き延ばされたことに怒る者。 自分の意見を否定されたことに怒る者。などなど。 しかし、忍耐強く事件をいろんな方面から見ていき、意見を出し合い、有罪の理由を解きほぐしていくと今まで見えなかった可能性がどんどん出てくる。 この映画の特徴として、被告人の姿や事件の全貌は鑑賞側には何も伝えられず、いきなり評議がはじまり、陪審員の話の中から事件を観ていくような形になっている。 いえば話の中からでしか真実を探れない状態であり、先入観を排除して話の広がりから客観的視点で可能性に気づきやすいようにしている。 どの人がどんな発言をしていて、どういうキャラクターでどこまでが信用できる発言なのかまで、もちろん見えてくる。 8号の言う「話し合いましょう」というのは、単に事件の話をしましょうというのではない。 冒頭で書いたように話している側のエゴや偏見、差別、先入観、誤解などを話し合いの中から解き放つことをも含んでいるのである。 話をしなければ表面だけしかみえない。それは事件のことだけでなく、人間も同じである。 また話を重ねることは決して無駄なことではなく、どんなに明らかなような有罪事案に見えるものでも、最終的には推定無罪まで突き詰めることができたわけである。 有罪と思われていた事件の中に、それだけ判断する側の色眼鏡が重なりあっていたことがあらわとなったのだ。 日本でも裁判員制度が始まって、システムは違えど一般人が裁判に関わる機会が巡ってくる今日に、私たちは一人の人間を裁く自覚と議論を尽くして責任を果たす重要さを改めて考えさせられた。 それにしても、肝心な真犯人は誰だったのか。それはこの映画のテーマではないので明らかにされなかったが、気になるところである。

  • 鑑賞日

    法廷ものの一種だが、

    陪審員12人の密室劇というユニークな展開です。人物設定も事件も実によく作り込まれていまして、完璧の域に達しております。 作り込みが過ぎてウソくさい、という批判はあるでしょうね。特に、理想国家アメリカを支える良識ある市民、という図式を気味悪く感じる方、いるだろうなあ。 でもまあ、法廷ものミステリーとしてはやっぱり抜群の面白さで、佳作です。

  • 鑑賞日 2017/3/18

    俳優全員の演技力に注目

    三谷幸喜の「12人の優しい日本人」をオススメされて見ようとしたところ、これはパロディでオリジナルがあると聞き、急遽見ました! 陪審員制度の議論が舞台なので、動きはほとんど無いですが、見ていて飽きさせない、むしろ引き込まれる俳優陣の演技力がすごかったです。 オススメです。

  • 鑑賞日 2016/12/25

    名作だが・・・。

     42年ぶり3回目の、初ノーカット鑑賞。     小山田宗徳氏吹き替えのテレビ朝日版。  気になった事をいくつか。 被告の18才の少年は、ヒスパニック系であろうか、白人ではない。そして陪審員は12人とも白人で、しかも男ばかりである。   (女性が一人でもいれば、こうも怒鳴りちらす修羅場にはならなかったのであろう。)   2016年、この作品をリメイクしたら黒人がゼロなんて事はないだろう。「荒野の七人」もデンゼル・ワシントン主演だし、けっこう陪審員8番はデンゼルかも。  脱線するが見ながら考えたのは、「ray/レイ」でバスの座席後方に「カラード」の文字があり、そこに黒人が坐らされた事。   実際アメリカでは、1955年にそれに従わなかった女性が逮捕され、抗議運動がおこり1956年に裁判所から差別禁止の判決が出た。しかし南部を中心に60年代に入っても差別は続いたらしい。   この映画のオリジナル・テレビドラマは1954年、本作は1957年である。黒人の陪審員が白人を有罪にするなんて設定は、絶対にあり得なかっただろうな。逆に被告の少年を黒人にするのも、問題ありと判断されたのかも。     だから映画は立派だが、なにか白人優位社会の匂いがしてしまった。     あとはブルーレイで見たせいもあるが、みんな大汗を本当にかいて演技しているのが、よく判る。照明のせいもあろうが、本当に30度くらいの中で演技させたのではないか。あの汗は、偽物には見えないが。   そんな中で、平然と上着を着たまま「汗はかきません。」と言ってのけるE・G・マーシャル、どうやって撮影したのでしょう。      そして、そんなマーシャルをフォンダが質問攻めにする。3・4日前に見た映画の事をしつこく聞かれた時に、マーシャルが、おでこからタラーっと汗を流したカットがあり、思わず巧いなぁと思った。   オリジナル・テレビは「猿の惑星」のフランクリン・J・シャフナーの演出で、なんと生放送だったとの事。今じゃ考えられません。    ルメットのデビュー作だが、本邦では「女優志願」の翌年公開だった。   ベストテンでは「女優志願」が10位、「十二人」が1位。  

  • 鑑賞日 2016/12/17

    動きがないのに緊張感が凄い

    お薦めされて鑑賞。 レビュータイトル通り、画面の動きがほぼない映画。 陪審員のお話で、有罪か無罪かを議論していく12人の男達。 こんなに動きがなく映像もほぼ固定なのに、緊張感と熱気が伝わってきます。 私の好きなドラマの1つに『名探偵モンク』があるのですが、こちらの『評決に意義あり』のエピソードは、もしかして、この作品を下敷きにしていたのかも。 何の作品か思い出せないのだけれど、 他でも似たようなのを観た事があった気がして、 この『12人の怒れる男』の衝撃と影響力って、凄かったんだなぁというのと、影響作品からでなく、まっさらな状態からこの作品を鑑賞したかった…!と思いました。 俳優さん達も熱演していて良かったです。 リメイクもあるようなので、観てみようかなと。

  • 鑑賞日

    アカデミー賞で『戦場にかける橋』に敗れた先進性

     原題"12 Angry Men"で邦題の意。もとは1954年に放映されたテレビドラマで、レジナルド・ローズの脚本。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞している。  父親を刺殺した罪で裁判にかけられたスラムに住む18歳の少年の評決をめぐる12人の陪審員のドラマで、冒頭とラストで裁判所の入口が出てくる以外は、総てが陪審員室で進行するという舞台劇風の作品。  この間、BGMもなく、12人の俳優が演じる台詞劇がすべてだが、一時も緩むことなくサスペンス風にドラマが進行し、クーラーのない部屋でのその夏一番の暑さがひしひしと伝わってくるシドニー・ルメットの演出が堪能できる。  国選弁護士のやる気のなさから、誰の目にも有罪が明らかな裁判が結審し、陪審員室に入った12人は冒頭に票決を下すことにする。そこで臍曲がりなヘンリー・フォンダが、電気椅子に送られる可哀想な少年のためにせめて討議してやろうじゃないかと無罪の1票を投じ、残り11人の非難を浴びながらの討議となる。  訳では有罪か無罪かだが、英語ではguiltyかnot-guiltyで、ヘンリー・フォンダがいわんとするのは、心証は有罪だが、有罪の確証が得られないという主張。凶器のナイフ、刺し傷、階下の老人の証言、向かいの窓の女の証言といずれもその信憑性に疑問が生じ、1人、2人とnot-guiltyに転じていくシナリオが上手い。  だったら裁判をやり直せばいいじゃないかということになるが、制作当時を思えば、女性の陪審員や、まして黒人やマイノリティの陪審員もなく、劇中でも移民やスラム育ちを蔑視する発言も飛び出し、本作が一時代のアメリカの姿を記録していることがわかる。そうした社会背景を写し込んだルメットの人権感覚と手腕も見どころか。  最後まで有罪を主張するリー・J・コッブが、アメリカの強き父親の代表で、そのために息子が離れて行ってしまったという慚愧にさいなまれていて、その男の信念を曲げて無罪に転じるラストも、西部劇ヒーローの時代からヒューマニズムの時代へと向かうハリウッドの新時代を感じさせる。  もっとも、この年、アカデミー賞にノミネートされながら、作品賞を受賞したのはデヴィッド・リーンの『戦場にかける橋』という第二次世界大戦で日本軍と戦った英軍の戦争ヒーローを描いた作品だった。  冒頭の陪審員が裁判所にやってくるシーンと、ラストの外階段を降りていくシーンのカメラワークが秀逸。(キネ旬1位)

  • 鑑賞日 2016/12/3

    時間が経つのが早い! 本当に面白い映画です

  • 鑑賞日 2016/11/19

    シドニー・ルメット監督のデビュー作にして密室劇の傑作。 何度も観た作品だけど、改めて観ると色々と疑問が出てくる。 冒頭の裁判所のシーンで被告の顔がアップで出るが、どう見ても15、6歳の子供であり、劇中でも少年と呼ばれている。時代は50年代とはいえ、未成年も大人と同じく死刑確定で電気椅子に送られ死刑だったのだろうか? そもそもこの事件、被告を犯人に確定する物的証拠が何も無い。かなりアヤフヤな2つの証言だけで、一つは逃げる少年を見かけたというのと、もう一つは電車を経立てた向かい側の部屋から目撃したというものだけで、凶器のナイフに指紋も残っていない。 結局、いつも親子喧嘩していたから子が親を殺したに決まっているという理由で逮捕したという、何とも呆れる事件なのである。国選弁護士どころか誰も弁護する者がいない裁判みたいだ。これじゃあ、ヘンリー・フォンダも変だと言い出すよ。 とはいうものの、12人の俳優達の演技は素晴らしく、ジャック・ウォーデン演じるセールスマンなんて本当に嫌な奴に見える。一度舞台劇版を見たい話である。

  • 鑑賞日 2016/11/8

    12人という必要不可欠な数字。

    裁判員制度で選ばれた十二人の男たち。父親殺しの容疑をかけられた少年の裁判をする事に。最初は有罪11の無罪1だった彼らが話し合いを元に自分達の意見をぶつけ合う。 これは講義中に見た映画であったのだが、人間性、ストーリーがよくできたとても面白い映画だった。様々な立場の12人の男達が意地やプライド、そして事実を導き出そうとただひたすらの話し合いを繰り広げる。一見して有罪に違いない少年の容疑に疑問を感じた1人の男により、わからないが証拠はあるのか?この疑問によりそれを実証していく。1人では気づかないような事象に、様々な立場の男がいる事により気付いていく。老人にしかわからない事、スラム生まれにしかわからない事。1人の少年の命に関わるという重い事実を、皆が考え始める。 自分がいくら優秀でも気づかない視点というのがあるわけで、12人が揃うとこんなにも様々な事実が目に入ってくるものなんだなと、不思議な人間の力に驚かされた。

  • 鑑賞日 2013/9/28

    アメリカ人は

    すぐに泣く。 エアコンがない、オンナがいない、BGMがない でも強いアメリカがある。 アメリカには正義と民主主義がある。 とさ。 アメリカの良心はマイノリティたちが守り育ててきたのかも。

  • 鑑賞日

    密室劇であることを忘れさせる躍動感あふれる撮影

    暑い暑い夏の日 扇風機も回らない狭い陪審員室。被告の少年に不利な状況証拠が揃い、誰が見ても有罪は決定的だった。暑さで疲れ切った陪審員たちは、さっさと「有罪」を決定して帰りたかった。だが、一人の陪審員(ヘンリー・フォンダ)が無罪を主張。 うだるような暑さから解放されたい陪審員たちは、ウンザリした思いでイライラを募らせる。彼らのシャツは汗でビッショリ濡れ、有罪・無罪の白熱した議論が繰り広げられていく…。 暑い夏という設定により、陪審員たちのイラつきや怒りの描写に説得力があり、よりいっそう緊迫感のあるドラマになっている。 そして、ボリス・カウフマンの素晴らしいカメラ! タイトルバックで無人の陪審員室が映り、そこに1人2人と陪審員たちが入って来る。上着を脱ぎ、雑談を交わしながらそれぞれ過ごす時間…。全員揃って着席し、議論が始まるまでの時間は、長い長いワンカットで撮影されています。そして、議論が始まると、短い切り返しでメリハリを付けながら、各人の演説は長回し、白熱すればクローズアップの切り返しと変化自在のカメラワーク。狭い一室が舞台の密室劇であることを忘れさせるような躍動感あふれる撮影です! 【物語】父親殺しの容疑をかけられた被告の少年は、日頃から不良と言われていて、彼に不利な目撃証言が揃っていた。父親の胸に刺さっていた凶器のナイフは珍しいデザインで、同じものを少年が買ったことを店員が証言している。誰が見ても少年の有罪は決定的だと思われたが、陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)はただ1人無罪を主張。「犯人かもしれないが、有罪の証拠が不確かである」という陪審員8番の説得に、1人また1人と、無罪に変更する者が増えて行く。 議論を交える中で、陪審員1人1人の人物像や、それぞれが抱える偏見や問題が浮き彫りになっていく…。やがて、最後まで有罪を主張していた陪審員(リー・J・コッブ:熱演です!)もついには負けを認めた… 陪審員室という密室を出て、それぞれ夕立のやんだ町へと散っていくラストシーンが爽やかです。 少年に対する有罪評決をどうやって覆すのか、そのドラマの盛り上げ方が醍醐味のとても面白い作品です!「疑わしきは罰せず」の精神が貫かれていて、考えさせられることも多いです。 ベルリン国際映画祭(1957) 金熊賞・国際カトリック映画事務局賞受賞 アメリカ国立フィルム登録簿2007年 新規登録作品 ぜひご覧ください

  • 鑑賞日 2016/7/7

    この清々しい感動はなんだ?!

    2001年にビックカメラで購入したDVD、なんと3580円で 特典は予告編のみ。ヨーロピアン・ヴィスタ サイズで画面が小さい! と、商品としてのDVDに不満はあるが「12人の怒れる男」という映画には手をあわせたいぐらいだ。 開巻、被告(眼のギョロリとしたアングロサクソンではない少年)のアップ、勿論何も喋らない、当然移民でしょう、このアップで被告がいじけた性格で、今までいじめ抜かれた人生だっただろうと観客に思わせる。 そして陪審員の会話で、あの若造はスラムで育ち、ロクな教育も受けてなく、まともな英語も喋れないとネガティヴな評価が次々と下される。だが陪審員の中にも移民がいるしスラム育ちがいる。 批判してるあなただってきちんとした英語を喋ってないよね?he does でしょ?と移民の時計職人がエド・ベグリーに言う。 12人中11人は有罪。8番のヘンリー・フォンダだけがもっと話そうと主張する。 犯行に使われた特殊なナイフ、テーブルに突き刺されたアップ。だが同じものを8番はその横に突き刺す。少年の住んでる町の質屋で買ったと。このナイフのアップで映画の中にグっと引き込まれる。 8番は本来、弁護士がやらねばならない反証を次々出してくる。75歳の脚を引きずった老人が15秒で人が倒れる音を聞いてドアまでたどり着けるか?実際にその距離を脚を引きずって歩いてみる。 何秒でした?40秒です!あの老人の証人は孤独で世間から注目されたこともなく自分の証言が取り上げられる事に初めて自分の存在価値を見出した可能性もあり得る。 電車が通過してる時に「殺してやる!」という声が聞こえるだろうか? Switch knifeは刃を上に向けて使うもので、使い慣れてる人間は(当然、被告も含む)絶対にそんな刺し方はしない。 と、スラム育ちの陪審員が語る。 8番に共感し初めに有罪から無罪に転じた老人は冷静で汗もかかないブローカー E・G・マーシャルになぜ鼻の上をそんなに擦る?と聞く。ここでの両者のアップの切り替えによる緊迫感は見事!あの45歳の中年女性の証人も同じように擦ってましたよ。彼女も眼鏡をかけてるんです。 寝る時にも眼鏡をかけますか?リー・J・コッブは遠視かもしれないじゃないか!と怒鳴りつけるが、眼鏡を外した中年女性にガラ空きとはいえ、走り過ぎる列車越しに殺人現場を見る事は出来ないだろうとほぼ全員が一致する。 次々に有罪から無罪に転じていく陪審員。その中でエド・ベグリーは人種、階級差別から少年が犯人である!と決めつける発言を続ける。ここで1人また1人と陪審員はテーブルを離れ、彼に背を向ける。ここがこの映画で最も感動的なシーンだろう。 差別に凝り固まったエド・ベグリーも息子との確執から有罪に固執していたリー・J・コッブも遂に無罪を認める。 皆から離れ机にうつぶさるエド・ベグリーの背中。息子との写真を引きちぎり負けを認めたリー・J・コッブに8番はジャケットをかけてやる。 裁判所の外は豪雨も上がり熱気も和らいだようだ。 施錠されエアコンもなく扇風機も動かない蒸し暑い部屋の中で長時間、議論を続けてきた12人はそれぞれ別れて行く。9番の老人が8番を呼び止め名前を聞く。お互い名乗り握手を交わす。最後に裁判所前の階段を歩いていくのは3番のリー・J・コッブである。見事なラスト・シーンである。 差別、偏見に眼を曇らされずに一人一人が自分の考えを語り行動してこそ民主主義は機能していく。

  • 鑑賞日 2009/7/19

    人が人を裁く

    人が人を裁く。。。 むずかしい。 はじめに違和感を覚えたのは、白人しかいないこと。 しかも男性だけ(タイトルも男だった、、、) 50年も前のアメリカじゃ、 公民権運動やウーマンリブの前だから、 当たり前といえば当たり前なのか。 スラム街出身や移民の人がいただけでも、 画期的なことだったのかも。 11人が有罪という立場の中、 ひとりだけ無罪を主張する男(ヘンリー・フォンダ) その勇気には敬服する。 有罪側はほとんどが感情で動かされていたり、 または早く終わらせたいだけで多数意見になびいていたりで、 とうてい議論と呼べるようなものではない。 それに対して男(ヘンリー・フォンダ)は、 理路整然と無罪を主張する。 そうしていくうちに、ひとり、またひとりと、 無罪へと流れる。 観ていて、なんだか気持ちが悪くなってきた。 ワタシはどちらかといえば死刑には疑問を持っているので、 無罪になるなら、それだけでほっとする立場である。 でもあまりに簡単に意見が変わっていくことに、 どうすることもできない違和感を覚えてしまった。 陪審員とは、所詮素人の集まりだ。 有罪側に立っている理由も、 証拠や証言がすべてで、後は感情的なもので、 深く考えて有罪の立場にいるわけではない。 議論の上手い人や冷静な人がちょっとつついただけで、 崩れてしまうような理由でしかない。 この映画の場合なら、 陪審員がちゃんとした議論をするためには、 有罪側にも相等の論理が必要だったのではないかと思う。 ここで扱っているものだったら、この結論で何も異論はないし、 観客のほとんどが納得するだろう。 しかし実際にもっと判断できない、 むずかしい裁判だったら、、、 男(ヘンリー・フォンダ)は一見正しいように見えるけど、 最後の方はほとんど有無を言わさなくなってた。 有罪側の最後のひとりになった感情的な男は、 無理矢理「無罪」と言ってたように見えた。 言わされているかのようだった。 これって、どうなんだろう。 会議室一室で、12人の男の丁々発止の迫力。 場面はほとんど変わらないのに、全然飽きなかった。 映画として、面白いんだと思う。 力もあるのだと思う。 でもどうしようもない違和感だけは拭いきれなかった。 (2009.7.22)

  • 鑑賞日 2016/4/30

    民主主義への自負と自信

    頭からものごとの判断を決めてかかるととんでもない間違いに到ってしまう。 有罪が濃厚な殺人事件の裁判の陪審員の会議で、陪審員の1人が疑問を投げかけ、次々に有力な証拠や証言の信憑性に疑問が出る。 陪審員の会議の冒頭の投票で「有罪」としたのは陪審員12人のうち11人だ。「有罪」としなかった1人が言う。「もっと話しましょう。被告は18歳の少年です。電気椅子に送るのをたった5分で決めていいのでしょうか」そこから議論が始まり、決め手となる証言や証拠に疑問が出てくる。 全編、ほぼ陪審室で話が進み、事件の疑問を解いていくミステリとして第1級の作品だが、それだけにとどまらない。陪審員それぞれの発言が、彼らの立場や考え方、心情を徐々に明らかにする。さらに証言をした人々の心理にも迫る。それらが当時のニューヨークの人々の、米国の社会の姿をも見せる。さらに、議論が尽くされて全てが解決された時、そこには米国という国が持っている民主主義への自負、自信までが見えてくる。名作と呼ばれる所以だ。 ものごとを判断する前に目の前を丹念に見つめることから、民主主義は始まるのかもしれない。

  • 鑑賞日 2015/10/17

    大好きなラストシーン

    審議を終え評決が出た後、裁判所から出て雨上がりの階段をそれぞれ下りて帰路につく陪審員たち。そのなかで初老の紳士が主人公に名前を聞く。ただ名前を聞いただけなんだけど、「あなたのおかげで一人の青年が救われたのだ。」そう言っているようでした。それまで、陪審員たちは名前もなく番号で呼び合っていたけど、名乗ることにも大きな意味があるのでしょうね。淡々としたラストシーンですが、とても好きなシーンです。

  • 鑑賞日 1980/2/5

    十代の頃に観た感想

    人間と人間のぶつかり合い。11対1の有罪を、不審な証言を明確にして無罪に導いていくまでの人間模様。12人それぞれに言い表せぬほどの魅力を感じる。見知らぬ12人が話し合いを重ねていくうちに他人でなくなるのも、また素晴らしい。 -十代の頃に観た感想-

  • 鑑賞日

    初めて見たのは中学時代

    翌日、クラスでみんな面白い、面白いと評判だった。

  • 鑑賞日 2015/10/11

    シンプルだが緊迫感があって良い映画だった。陪審員たちの葛藤が見ものだった。民主主義のあるべき姿だな。

  • 鑑賞日 2015/4/18

    キャラクター性が魅せるドラマ

    半世紀以上前に製作された映画でありながら、現代でも視聴に耐えうるどころか大いに楽しめる。時代のフィルターに淘汰されないこういった作品をこそ名作と呼ぶのだろう。 ほぼ終始一貫して一つの部屋の中で繰り広げられる物語。登場人物も12人でほぼ固定だ。しかもこの12人には名前も与えられず、席順と番号での識別が行われる(白黒なので顔の判別も少しつきづらい)。にも関わらずそれぞれの個性が存分に発揮され、誰が誰だかわからなくなるようなことはない。 ひたすら議論、議論、議論。コロコロ変わる陪審員の意見。謎を究明していくストーリーだが決してミステリーではない。全く違った個性を持つ男たちが魅せるこれはドラマだ。

  • 鑑賞日

    臨場感溢れる語り口80

    十二人のキャラクターが見事に描き分けられた洗練されたシナリオをベースに、登場人物の思惑と葛藤がぶつかり合う人間ドラマの佳編は、H・フォンダをはじめとした俳優陣の好演とともに、「正義」へと到るデモクラティックなプロセスをスリリングに再現した完成度の高い法廷劇であり、抑揚に富んだカメラワークとカッティングを駆使し、画面に重い緊迫感を醸し出す名匠S・ルメットの臨場感溢れる語り口に魅せられる秀逸の密室劇でもあった。ただ、何度か繰り返し観ているうちに登場人物の心情推移の甘さが気になって、少し辛目のこの点数とした。

  • 鑑賞日 2012/10/3

    わが国で裁判員制度が出来るとは思わなかったよね。

    長らく舞台劇が原作だと思っていたが、オリジナルはテレビドラマ、それも1時枠の生放送。 当時、録画技術は途上段階だったので、ドラマはすべて生放送だった。 わが国の「私は貝になりたい」を思わせる成り立ちだ。 テレビ版のライターのレジナルド・ローズがそのまま脚本を書き、シドニー・ルメットが監督を務めた。 とても1時間では治まらない内容なので、満を持して映画脚本を仕上げたのだろう。 そのまま脚本の教科書として、祭り上げられるほどになった。 12人の人間を作り上げるだけでなく、裁判の経過にそって、心証の変化を描く。 つまり陪審員の人生まるごと事件を受け止めないと、変化は描けない。端役はありえないのだ。 ギルティからノット・ギルティへ票が変わっていく。ただの見学者から陪審員に成長する。 すべて密室劇で進行し、真夏の暑さや夕立など操作できる要素はごくわずか。 小道具もナイフや室内見取り図など数えるほど。カメラワークも長回し、カット割りとも陪審員の心理のそって動く。 席を立って問題点を上げ、持論に引き込もうとする。たわごとに対しては拒否を示すように席を立ち、背を向ける。 限られた手法で完璧な演出を披露するルメット監督。

  • 鑑賞日

    やはり名作☆

    名作の誉れ高い本作、じっくりと観ました。人が持つ集団心理の面を非常に鋭く描いてるなという印象でした。 日本でも裁判員制度を導入されるようになりましたが、アメリカのそれはかなり違うものだったんですね。 日本は量刑を決めるのも裁判員が加わり、基本的には多数決です。アメリカでは量刑は判事側だけで決めて有罪無罪は陪審員の全員一致を条件として決めるそうで…。 同じ民主主義でも、アメリカの方がより人権を尊重してるように私は感じました。 このようなストーリーの映画を50年以上も前に制作するんですから、本当に驚かされます。 但し、女性や有色人種の方がいなかったことは時代を感じましたけど…。

  • 鑑賞日 1974/11/27

    今度は日本テレビ制作の、吹き替え。

     ブルーレイは、テレビ朝日版も入っているので、比較してみよう。    当然、原語にも挑戦したい。

  • 鑑賞日 2014/8/16

    息の詰まる丁々発止の遣り取りが、迫力。 男たちの演技にわくわくしてしまった。 密室劇ながら、人物一人一人の背景を想像させる。 舞台はとても狭いのに、感じる世界は広い。 本当によくできていると思った。

  • 鑑賞日 2014/7/20

    我々もいつか仲間入り

    舞台をほとんど動かず、セリフ、演技、カメラワークで展開していく。なのに、ここまでどきどきハラハラさせるのだからすごい。人と人がぶつかりあうだけで、これだけストーリーがつくれるんだ、と思わせられる。タイトルもいい。 日本でも裁判員制度がはじまったのだし、こんな場面が日々繰り返されてる、のだろうか?いつか私たちも、スクリーンを超えてこの場に立つ日がくる。

  • 鑑賞日 2014/7/17

    「密室劇の金字塔」と呼ばれるだけはあって、物語がほぼ陪審員室の中だけで進んでいくにも関わらずとても楽しめる。「疑わしきは罰せず」というのが刑事裁判における原則ではあるけど、改めて陪審員の責任の重さ、個人の感情や周囲の意見に流されることの危なさを実感。

  • 鑑賞日 2014/6/7

    個人的偏見を排除するのはいつも難しい…しかも偏見は真実を曇らせる…

    セリフでもありましたが、民主主義の素晴らしさ、話し合う事の大切さが描かれていて良かった。と同時に人が人を裁く難しさ、恐ろしさ、重さも痛感しました。蒸し暑さと議論の熱さで汗だくの人物たちが印象的で、有罪を疑う余地なしの状況から、終わってみれば見事な逆転劇でこちらも熱くなった。約90分、ワンシチュエーションで持たせた監督の職人技と俳優陣の個性が隅々まで冴え渡る!

  • 鑑賞日

    人間は変化できる

    スラム街に住む少年が父親を刺殺。彼は有罪か無罪か。12人の陪審員が繰り広げる白熱のディスカッション・ドラマ。 かたくなに譲らなかった男が、遂に非を認める。人間は変化できるという事を見た。目が洗われた。

  • 鑑賞日 2014/5/1

    場所も陪審室からほぼ変わらず、いくつかの証言と少年が父親を殺したかもしれないというただの事件からここまでストーリーとして広げられることに感心した。ヘンリー・フォンダとリー・J・コッブの口論の演技が素晴らしい

  • 鑑賞日

    密室がもたらす季節感

    映画って俳句みたいなところがあって、季語とか使われるでしょ。この映画の限定された環境、季節、密室の汗など見事に情景描写ができていて面白い。 この映画にもたらされる感情とは、この暑さに秘められていて、密室の中の十二人の動作が物語を強く推進するんですね。暑いとか、ヤンキースの試合があるとか、のどがかわいたとか、みんながそれぞれに欲望とたぎらせる。つまり陪臣にかけられた容疑者の少年のことなどどうでもよくなってくるんですね。そういう人間の本性のようなものがぐいぐい前半によどんでいる。 このシノプシスはいろいろデフォルメされていて『12人の優しい日本人』とかニキータ・ミハルコフの作品もそうですが、いずれも人を追い詰める作業がこのドラマなんですよね。 いずれも特徴はその密室感であり季節感。 映画ファンの心理をくすぐりますね。

  • 鑑賞日 2014/3/8

    議論が熱い!

    誰もが有罪と考えた一人の少年の裁判が、たった一人の陪審員 の疑問から少しずつ考えが変わっていく。 その一つ一つの疑問に関してきちんと解決していくように描かれているにもかかわらず、展開はスピーディで、議論がかなり熱い。 誰もが12人のうちの一人に当てはまるのではないでしょうか。

  • 鑑賞日 2009/10/2

    ミステリ映画としても優れた名作。裁判員制度が導入された今だからこそ、真実を明らかにする難しさを知りたい。

  • 鑑賞日 2013/12/29

    大がかりなセットや撮影技術がなくても、密室の中で喋っているだけも面白い映画はつくれるということを示したお手本のような作品。日本人が学ぶべきところも多い。

  • 鑑賞日 1970/12/17

    この映画を見たのは、1970年、17才の時。

     僕のまわりの映画好きで、この映画を見てない奴なんていなかった。(日曜洋画劇場で。)  みんな映画、好きだったな。  「地上より永遠に」の3日後に、この作品を見てる。    ハリウッドの名作に痺れっぱなし。  

  • 鑑賞日 2013/7/6

    脚本が良ければCGなんていらない

    「脚本が良ければCGなんていらない」という議論が巻き起こる時に必ずと言っていいほど紹介される映画。 スラム街出身の黒人少年が父親殺しの罪で裁判にかけられたところから物語は始まる。 裁判で明かされた証拠や犯行当時の状況、聞き込み捜査の結果を見ると明らかに有罪のような事件。 陪審員たちが集まった部屋で有罪か無罪を決める話し合い中、MLBのナイターゲームを観るために早く帰りたい、黒人なので有罪と決めつけるなど、短絡的な理由を述べるものもおり、少年の有罪は揺るがないかと思われた。 そこに、ひとりの老人が「本当に有罪なのか?一人の、しかも少年の命をそんなに簡単に奪っていいのか」と思い、有罪に異論を唱え始める。しかし、そんな声に耳を傾ける陪審員はおらず・・・。 ディベート講師がのディベート初心者におすすめすることもあるので、 どうやって自分の主張を伝えるか。大衆を味方につけるのか。などを学ぶにも良い映画です。

  • 鑑賞日 2013/10/5

    しゃべくり映画史における重要作

    少年の父親殺害事件に対する、陪審員達の白熱した議論と評決を追った話。 11人の陪審員が有罪を主張する中、ある陪審員が無罪を主張。 彼が状況証拠を一つ一つ論破していくうちに、陪審員達の心境にも変化が起き始める。 声高に有罪を主張する陪審員は、皆犯人の境遇を基にレッテル貼りするような人間ばかり。 逆に無罪を主張する陪審員は、自らの責任の大きさを自覚し、冷静に証拠の妥当性を見極めていく。 漫画的なまでに善玉と悪玉をはっきりと描いた、実に痛快な物語だ。 そのキャラクター造形があまりに単純なのは。昔の作品なので仕方がないのかもしれない。 ただ、殆どが狭い密室のシーンだけで構成されているにも関わらず、 これだけ面白く見られる作品になっているのは、さすがという他ない。

  • 鑑賞日 2011/9/22

    日本・ロシアでリメイク有り

    何度目だろう。午前10時の映画祭で見ました。ロシア版が話が複雑で深く一番面白い。

  • 鑑賞日

    傑作

    1969年~1975年にTVにて。

  • 鑑賞日 1997/3/3

    シドニー・ルメットの傑作

    1997年3月3日に鑑賞。大阪・十三第七藝術劇場にて。2本立て。同時上映は「ガルシアの首」。当日割引1200円。 シドニー・ルメットの傑作である。

  • 鑑賞日 2013/5/14

    こういうの好きです

    疑わしきは罰せずが法廷の鉄則であるが、実際は見た目で裁いてしまうのが人の習いである。 そのため法廷では、陪審員に偏見のある可能性を確認し弁護士、検事とも一定の人数は理由無く陪審員忌避が可能になっている。アメリカの法廷ものでもそのあたりの駆け引きが良く描かれている映画がある。陪審員が主人公のドラマもアメリカ映画では良く目にするその名も「評決」「評決のとき」などと言うのも名作である。私の中では評決ものは基本的に名作なのである。 1957年の映画でそれに先がけ1954年にテレビドラマとして作られているとのことなのでこの手のドラマの先駆け的な映画。また、ほぼ最後まで評議室(と言うのでしょうか)の中だけで進められるのである。演技力のある役者がそろっていないと持たない映画である。 ヘンリーフォンダが演じる主人公・陪審員8番の職業が建築家というのもなかなか良い設定である。 彼が強調するのは被告が殺したかもしれないということである。事の真実は陪審員の誰も判らない。判らないから真摯に検討しようでは無いかという事である。 陪審員8番もひょっとして良心証としては被告が殺したのではないかと思っているかもしれない。また、多くの有罪とする陪審員と同様、こんなどうしようも無いやつは死刑にした方が世のためだと思っている可能性もある。それでも有罪の証拠に合理的な疑いがある以上被告を有罪として死刑を宣告することはできないのである。 私は基本的にモノクロの映画は好きで無くおかげでヒッチコックの映画などはほとんど見ないのだが、この映画は最後まで楽しめた。基本的に色が必要でないドラマではある。

  • 鑑賞日 2013/5/6

    グループディスカッションの勉強になった

     正直私も最初に状況証拠を聞いた限りでは、有罪としか思えず、「ヘンリー・フォンダは何を言っているのだ」「同じナイフが売ってたからなんだ!」と思った。結論を言えば、最初から最後まで主人公にあまり好感を持てなかった。ここで好感を持てるかはさておき8番の行動から、あのような論議の場では、他人の意見を否定せず、着実に事実と論拠を突き付けて行くことの重要性が良く分かる。その真逆が10番で彼は被告の少年がスラム出身と言うだけで、有罪と決めつけ傍若無人な主張を続けた結果、有罪側にも無罪側にも呆れられ、「もうよせ、座って二度と口を開くな」と言われてしまう。このシーンが非常に印象的で、正直ラストよりも清々しい気分になった。  見事な構成により、意見が逆転する流れを巧みに演出しているが、あまりにも上手く出来すぎていることが、最終的に8番に好感を持てなくなってしまった原因かもしれない。また、短い作品ながらも人間模様が多様であり、登場人物たちの職業が性格に現れているため、彼らの職業を先に把握してから見るとより楽しめるだろう。

  • 鑑賞日

    法廷物の傑作の一つ。法廷物とは言え裁判シーンがメインではなく、12人の陪審員が有罪か無罪かを決める過程がスリリングに描かれる。当時は全員一致が原則であったらしく、当初誰もが有罪で簡単に決着すると思っていた案件が最初の有罪への賛否投票で11対1(反対)となったところからドラマが動き始める。最初は1票しかなかった反対票(H・フォンダ)が徐々に味方を増やしていく、そのロジックの展開の絶妙さも見事だが、全編に渡って緊迫感が張り詰めている見応えのある作品。

  • 鑑賞日 2012/10/13

    人間を描いている

    有罪から無罪への逆転劇も見事

  • 鑑賞日 2007/4/7

     再見する。昔は孤軍奮闘するヘンリー・フォンダに随分と感動したものだが、今見るとなにか憎々しく感じてしまう。特に無罪とする人数が11人となった時に最後まで有罪にこだわるリー・j・コップに対して得意げに迫るシーン。実に嫌なやつと思ってしまう。  凶悪犯が増加する現代ではこの映画に対しても違った見方が迫られているのかも。少なくとも私は有罪に最後まで固執したリーに感情移入してしまう。  筒井康隆がこの映画のパロディ小説で無罪の男を寄ってたかって有罪にしてしまう話にしたが、そうしたくなる気持ちが今ごろわかったという感じ。

  • 鑑賞日 2013/3/31

    やっぱり名画

    2013年3月31日、この映画を久しぶり(35年ぶりぐらい)に、観た。 やはり、面白くて、物語にのめり込まされる。 12人の陪審員によるドラマ。全員一致の場合のみに「有罪」か「無罪」かが決まり、有罪の場合は電気イスが確定するという状況。 あとは、既に有名な物語が展開するが、今回笑えたのは「“細かいこと大好き賞”だな」というセリフ。 また、ヘンリー・フォンダの「偏見なしで考えるのは難しい」というセリフは重みが感じられた。 名画は、何時観ても良いものである。

  • 鑑賞日 2011/9/17

    すごい

    室内で演じられる、俳優たちの演技にただただ脱帽。じっくり見るべし。

  • 鑑賞日 2013/3/27

    責任重大

    『12人の優しい日本人』からの逆行で名作の初見。改めて陪審員の責任の重さと感情に流される危うさを実感。自分に人は裁けるのか?

  • 鑑賞日 2013/3/25

    台詞だけで成立してしまう素晴らしさ

    子どもの頃から何度見たか分からない。DVDを持っているが、たまたまテレビで放送しているのを観た。 一つの事件の概要、裁判の様子、事件(捜査)の落とし穴、それらが12人の陪審員のセリフだけで見事に浮かび上がってくる。そして、それらの台詞が自然な流れの中で展開される。陪審という特殊な空間設定だからこそ成立しているわけだが、それにしても見事な展開。 何よりもテンポやリズム感が絶妙だ。適度なタイミングで登場人物が時間をせっかちに気にする事もテンポいいリズム感を観客に与える。 12人のキャラクターがそれぞれ立っている点も見逃せない。当時のアメリカ市民のあらゆる階層や立場をうまく表している(もっとも黒人は陪審員にいないわけだが)。 ほぼ1シチュエーションなのでスケール感はないが、とかく映像や音響効果を重視しがちな「映画」が、台詞だけで観客の想像力を刺激すれば十分に成り立つエンターテインメントであることを見事に証明している作品だ。

  • 鑑賞日 2013/2/28

    シドニー・ルメット

    キャストが素晴らしい。本作の脚本はすばらしいのは周知の所だか、これを演じる役者たちが素晴らしい。そして、これを見事に映画化したルメットは、いつまでたっても「十二人の-」の、という修飾語が最期までついてまわる。本作はまた、吹き替えによっても印象が違う。やはりヘンリー・フォンダは小山田宗徳だ。

  • 鑑賞日 2013/2/13

    史上最高の映画の一本。

    密室で繰り広げられる議論。 それぞれ異なる性格で、社会の縮図を表しているかのよう。 これほどテンポ良く、展開される映画は現代では類を見ない。アクションも殺しもセクシーシーンもないが、間違いなく傑作。

  • 鑑賞日 2012/12/6

    重く、深い映画だった

    最初にこの作品をテレビで見たのは、45年ほど前だったかな。その時から「一番みたい映画は」と聞かれるとこの作品名を上げた。 最初、たった一人が「有罪」に疑問を持った・・・というか、偏見、先入観を持たずに真実を見抜こうとした。 他の11人はどうだったか。偏見、先入観、そしておそらくは裁判の流れもあっての事だろうが、「有罪」を疑おうともしなかった。あるいは、「有罪」「無罪」などどうでも良い連中もいた。 多数を相手に「有罪」の根拠を崩して行く論戦。密室の中での討論。 結果的に「無罪」の証明はなされず、「有罪」の根拠を崩していった。 「疑わしきは罰せず」に基づいた結果を導き出した。 主人公の勇気ある言動。素晴らしい映画でした。

  • 鑑賞日 2012/10/3

    12人のキャラクターづくりが見事!

    これで何回目だろうか?とにかく放映されるたびに見始めるとつい最後まで見てしまう。それだけ会話力(脚本)と演技力がすばらしいということだろうか。  日本でも裁判員制度が導入され、いつ自分も映画のような立場になるかもしれないのだが、12人のうち誰に親近感がもてるかというと、さしずめジャック・ウォーデン演ずる陪審員番号7番の男だろうな。とにかく面倒なことは早く終わらせたいと思うだろうからね(実に無責任)。ひょっとするとこの12人中一番の顰蹙者かもしれないが。  逆に自分にはとてもムリ、と思われるのが8番のヘンリー・フォンダの役どころ。初めて見たときは、実に勇敢な男、だと思ったのだが(もちろん今もそう思うのだが)何回も見ていると、有罪多数が無罪多数にと風向きが変わる後半にだんだん嫌味なヤツに見えてくるからフシギだ。徐々に自分の味方を増やしていき、ニヤッと笑うところなど特にいやらしい。

  • 鑑賞日 2007/4/5

    話し合いは大切

    密室で12人の男たちが話し合うだけで、アクションなんてまるでないのに、 ものすごい緊迫感でグイグイひきつけられて観てしまう作品。 事実は1つしかないけれど、偏見や思い込みにより本人の意図しないところで曲がってしまう事がある。 そういう点をついていく非常におもしろい映画だ。 12人の行き着いた結論はもしかしたら間違っているかもしれない。 でも、時間をかけて話し合い、評決に達した事に意義があるのだ。 また、この映画を観ていつも思う事は人が人を裁くというのは本当に難しいという事だ。 事実なんてその場にいても正確に記憶できるわけでもないけれど、 他人の証言を元に少年を有罪にするか、無罪にするか決めなければならない・・・・・ 自分の決定が人の生死に関わるというのは本当は大変なプレッシャーなのだ。 でも、最初はほとんどの人はそれを感じていない。 自分が死刑と決めたところで実際にスイッチを押すわけではないし、 刑が執行されたのを知る事はかなり先の話になるだろうから。 世間話をしたり、つまらないジョークを言ったり・・・ それをヘンリー・フォンダ演じる8号はどんな気持ちで聞いていたのかなぁと思った。

  • 鑑賞日 2012/11/14

    緊張感と妙なリアルさ

    1時間半あまりがリアルタイムに進行していく。そこに緊張感が生み出される。 暑苦しい雰囲気が、夕立と共に変わっていく。物語の展開も天候につれて変化していく。 男臭い俳優たちの演技はそれぞれに面白い。

  • 鑑賞日 2011/5/8

    とても丁寧な映画らしい映画。

    完全な密室劇でここまで観客をひきつけることができるのは、 はやり俳優たちのせりふ回しや表情のつくり方がとても丁寧だからだと。 個人的には、リメイク版の方がキャラが立っていて好きでした。

  • 鑑賞日 2012/10/19

    ワキ汗

    暑くて湿っぽい部屋で粘るイライラ、ジリジリ感が、結論に至る爽やかさを増幅させる。男たちのワキ汗がきいていたなあ。

  • 鑑賞日 2012/10/7

    面白かった

    陪審員制度で起こる斉一性の原理に焦点をあてている、ぜひ一度観てもらいたい作品。

  • 鑑賞日

    能弁な正義への不安

    若い頃には分からなかったが、たとえそれが明らかな事実であっても、人によって受け取り方が違う。そういう場合はたいてい、多勢の受け取り方が「正しい」とされて、それが「事実」と見なされることになる。そして多勢の意見を支えるのはいつも筋の通った「理屈」だ。しかし理屈が通っているだけで支持を集めるとは限らない。言ってることは正しいんだけど何か釈然としない、ということもよくある。この辺りの思いが、私のこの名作に関する評価を混乱させる。 ところで昨今の日本では、凶悪で卑劣な殺人事件の容疑者が捕まった際、容疑者が成人である場合にはたいてい実名と写真が報道される。そこで筋の通った犯行理由や経緯が予想され、それを知った人々が怒りを感じる習慣になっている。裁判員制度も始まったが、それによって量刑が重くなると予想する声がもっぱらだ。死刑制度には存続を望む意見が多い。現在の日本は、この映画「十二人の怒れる男」の幕開けの状況と似ていると言えないか。 そんな状況で陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)は一人、「こんなに簡単に死刑を決めちゃうのもどうかと・・・」という理由だけで多勢に反対する。彼以外の全員が早く帰りたがっている中での、まったく空気を読めていない態度だ。案の定彼は周囲から呆れられ、被告が無罪だと主張する理由を問いただされることになる。 実は私がこの映画に単純に入り込めたのはこの部分までだ。この後、観客はヘンリー・フォンダが、実は素晴らしく弁舌がたつ男で、しかも事件の背景に並々ならぬ関心を寄せ、この話し合いのために周到な準備をし、裁判の進行中にいくつもの矛盾点を発見できるほど優秀な男だったことに気づく。フォンダが他の陪審員を説得していく下りはこの映画の重要な見所なのだが、率直に言えば、私にはやや英雄的すぎるように見えた。そして、フォンダの「事実への疑問」が筋の通ったものである、と認めた陪審員たちは、結構あっさりとフォンダの側について行くことになる。 しかし私の未熟な経験で言わせてもらえば、私を含めて、少なくとも周囲の日本人は、そんなに簡単に説得されないのだ。仮に正しいと認めても、釈然としない気分が残るものだ。理屈が通っても、感情が許さない。そして「事実」とはいつも、それが科学的に実証されたことであれ何であれ、感情が判断できる曖昧さを残すものなのだ。 人々が理屈を根拠にする時は、あくまで自分の感情に理屈が当てはまる時だ。仮にあのきれいな瞳の被告の少年を、11人の陪審員が「無罪」とする中、ひとりフォンダが立ち上がって「有罪」と主張し始めたなら、この映画はこれほど多くの支持を得ただろうか。フォンダの「有罪」の根拠に説得された陪審員たちが、一人一人と無罪の主張を取り下げて行く姿に快哉を叫べるだろうか。英雄フォンダが武器とした「理屈」も、結局は私たちや陪審員たちの善悪の感覚の共通性に頼っている。 そこで私は不安になる。時代は人間の価値観をどんどんバラバラにしていくからだ。昨今は共通の善悪の感覚を持つのも難しいことがある。この名作はいつまで時代のテストに合格できるのか、そんな心配をしてしまう。しかし思い起こしてみれば、その価値観のバラバラさ加減こそ、フォンダが反旗を翻す土台だったのだ。人によって「事実」の受け取り方は違うのだと。その違いを超えた「善」がこの映画ではまだ機能している。たとえスラム街出身の親不孝な不良で、いかにも殺人しそうな男であっても、無罪かも知れないじゃないかと疑うことが「善いこと」だという共通感覚。そのような感覚が存在することを前提にして映画は作られている。 もちろん多勢が感動し、本作は名作の称号を得ている。しかし心もとなく感じるのも事実だ。本作が呼び起こす感動は、もしかしたら時代特有の正義感に拠っているのではないか。フォンダの正義感を古臭く感じる時代は来ないのか。この映画が描いた「善」は、普遍的なところまで到達しているのか。時代によって「善いこと」など変わる、と言い切るのは私は好まない。それこそ、今に至るまですべての価値観が変化してきたと言い切る証拠はないのだ。本作は2009年現在、いまだに非常に高く評価されている。50年の時の試練には耐えた。

  • 鑑賞日 2012/10/5

    久しぶりに観た。 もっと張りつめた感じだったと記憶していたが、いま観るとそこまででもなかった。 どれほどの不朽の名作であっても、時代が進めばすこしずつ色褪せるんだろうな。

  • 鑑賞日 2012/3/9

    密室劇の金字塔っ!

    『12人の優しい日本人』は以前観たことがありましたが、その元ネタ(?)のこちらは今回初めて観ました。めちゃくちゃ面白い!、という程ではありませんが、全員が無罪で一致するという結末だけは知っている中で、どのような経緯で、皆が無罪と判断するようになるかという点が興味深く、最後までダレずに観られました。ほぼ一つの部屋の中でお話が完結していて、「密室劇の金字塔」と呼ばれるだけはありますね!(12/03/09鑑賞)

  • 鑑賞日 2012/5/19

    人間くささ

    舞台:ニューヨーク 12人の陪審員の討論のみの映画. 12人それぞれの配役に人間くささが現れていて,面白い.

  • 鑑賞日

    人が人を裁くということ

    幾度となく映画で描かれている陪審員制度も、本作を観た時には日本では陪審員裁判すら始まっていないし、陪審員制度自体がストップしたままだったため、法で人が裁かれるということ自体ちょっと自分の範疇を超える雲の上のような話だった。しかし本作を観てその考えはひっくり返る、ある事件について陪審員それぞれが自分の正義をぶつけて話し合っている姿を見ると、人はやはり人によって裁かれるべきなんだなと強く思えて仕方がなかった。法を作るのも人なら、法によって裁かれるのもまた人。自分たちが作り上げた規範を犯せば、そりゃ裁かれるのは当然なわけで。そこに人情を持ち込むか否かはまた別問題だが、こういった作品が作られるということは、やはり法にも血を通わせたいという人の思いがあるのだろう。

  • 鑑賞日 2012/3/30

    アメリカだからこその映画!

    1人の命をたった5分で決めて良いのか?すぐに終わると思われた採決だったが、1人の男が無罪に手を挙げたことから事件の証拠を洗いなおす。今季一番の猛暑日で怒りが湧いていき、12人の男たち人間性が浮き彫りになっていく。狭い一室で12人がディスカッションするだけの映画だが見劣りすることなくストーリーが進むにつれスクリーンに引き込まれていく。脚本の上手さが際立った作品だ。民主主義で陪審員制度を設けているアメリカ。さらに多民族国家であり、スラム街やウォール街と貧富の差があり、偏見がはびこっている。そんな中で些細な疑問点に目を向け、発言する。空気を読めという日本人に難しい。自己主張がモットーの国アメリカだからこそ制作された作品である。

  • 鑑賞日

    密室で繰り広げられる人間同士の言葉の駆け引き。脚本が面白いからこそできる技です。 見ている観客も役者に引きずられ、気付くと熱くなりながら見ていること間違いなし。

  • 鑑賞日 2012/2/1

    言いたいことを言えるとはいっても、やはり最初の空気は彼にとって決して喜ばしくはない。早く帰れると思ったのになんだよこいつ、と。結局有罪だろうが無罪だろうがどうでもいい。一人の意見が他人の心を動かすこともある。

  • 鑑賞日 2010/7/14

    「偏見は事実を曇らせる」ハンクをスクリーンで観ることの喜び!

  • 鑑賞日 2010/4/3

    「十二人の怒れる男」はアメリカにおける民主主義の自信が漲る作品である

    以前に見たときは非常に緊迫感があり、スピーディーな展開という 印象であったのだが、今回見たら、その点はそれほどでもない。 これはつまらなかったという意味ではない。あくまでも印象の問題 である。室内での会話劇において緩急のリズムの取り方が見事なの である。 事件はどう見ても有罪の印象が強く、評決は簡単なのではないかと 思われていたが、一人の疑問の発言がそれを大きく変える。 議論を重ねるうちに、その空気が変化していき、最終的には12人全 員が無罪の意見となる。 陪審員長がいて、その人が議長のような立場であるが、議長として リードするわけではない。 少数意見を無視したり、非難したりするわけではない。 「疑問があるから話し合いたいんだ」という少数意見が、少しずつ 受け入れられていく過程が非常に素晴らしく感動的である。 このようなことは日本で起きるであろうか。 この映画は、会議の進め方について、小数意見を持った人も少数だ からといって卑下する必要はなく堂々と意見を言うことが大事だと 教えてくれる。 この映画はまさに民主主義の教科書のような内容である。 それだけにここには赤狩りの時代を乗り越えたアメリカの民主主義 の自信が漲っている。

  • 鑑賞日 2010/4/3

    「十二人の怒れる男」は日本で生まれるのか?

    この作品の中でヘンリー・フォンダが「疑問があるから話し合いたい」 という原点には「疑わしきは罰せず」ということであり、 少数意見で あってもそれを堂々と言えるというのは本人の勇気とは別にそれを認め る風土もあるのではないか。 それは共同体の安定や維持以上に個の尊厳が大事であるという認識が根 付いた風土である。 このような風土は日本にあるだろうか? 「空気を読め」とか個人が危機に陥っても「自己責任だ」というバッシ ングが平然となされる日本の風土は、この映画が生まれる風土とは大き く異なるのではないか。 「十二人の怒れる男」が日本で出来ても、それはほとんど嘘っぱちのわ ざとらしい空疎な作品にしかなるまい。