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PROGRAM/放送作品
パニック・イン・スタジアム
[PG12相当]謎の狙撃者とSWATとの息詰まる対決を描いたサスペンス・パニック超大作!
70年代パニック映画ブームが生み出した傑作。主演は同ジャンルを代表するスター、チャールトン・ヘストン。米国の国民的スポーツ行事“スーパーボウル”を狙う銃乱射犯vsSWATの手に汗握る攻防が描かれる。
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COLUMN/コラム2023.05.31
‘70年代アメリカの殺伐とした世相を映し出すパニック・サスペンス巨編『パニック・イン・スタジアム』
ディザスター映画ブームの最盛期に誕生した異色作 ‘70年代のハリウッドで大流行したディザスター映画。日本ではパニック映画とも呼ばれた同ジャンルは、地震や洪水のような自然災害からテロやハイジャックのような犯罪事件に至るまで、様々な危機的状況に巻き込まれた人々による決死のサバイバルを描き、’50年代半ばにスタジオシステムが崩壊して以降、斜陽の一途を辿っていたハリウッド映画の復興に一役買った。 トレンドの口火を切ったのは「エアポート」シリーズの第1弾『大空港』(’70)。これを皮切りに『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)や『タワーリング・インフェルノ』(’74)、『大地震』(’74)に『カサンドラ・クロス』(’76)、さらには『大空港』の続編に当たる『エアポート’75』(’74)や『エアポート’77』(’77)などのディザスター映画が次々と大ヒットする。いずれも大掛かりな特撮やスタントを駆使した派手なスペクタクル描写と、新旧の有名スターを総動員した煌びやかなオールスターキャストの顔ぶれが人気の秘密。ブームの最盛期に登場した本作『パニック・イン・スタジアム』(’76)も同様だが、しかしこの作品がその他大勢のディザスター映画群と一線を画したのは、あくまでもスペクタクル描写はオマケに付いてくる豪華特典であり、基本的にはリアリズムを重視した社会派の犯罪サスペンスだったことだ。 舞台は現代のロサンゼルス。日曜日の早朝、市内のホテルに宿泊する正体不明の男が、おもむろに取り出したライフルでランニング中の中年夫婦を銃撃する。すぐにホテルをチェックアウトした男が向かったのは、アメフトの試合が行われるロサンゼルス・メモリアル・コロシアム。地元のロサンゼルス・ラムズ対ボルチモア・コルツの対戦だ。続々と入場する大勢の観客に紛れてコロシアムへ侵入した男は、会場全体を一望できる時計台の屋上に陣取り、試合の開始を待って静かに息をひそめる。 一方、会場には様々な事情を抱えつつも試合を心待ちにするアメフト・ファンたちが集まってくる。ワケアリな中年カップルのスティーヴ(デヴィッド・ジャンセン)とジャネット(ジーナ・ローランズ)、ギャンブル中毒で多額の借金を抱えた中年男スチュー(ジャック・クラグマン)、幼い子供が2人もいるのに失業した若い父親マイク(ボー・ブリッジス)と妻ペギー(パメラ・ベルウッド)、彼氏に誘われただけでアメフトには興味のない美女ルーシー(マリリン・ハセット)、そんな彼女に一目惚れして口説き始める男性アル(デヴィッド・グロー)、友人のスター選手チャーリー(ジョー・キャップ)を応援しに来た教会の牧師(ミッチェル・ライアン)、そして浮かれた観客のポケットから財布を盗むスリの老人(ウォルター・ピジョン)などなど。誰一人として会場に狙撃犯が潜んでいることなど気付かず、やがて大歓声に包まれて試合がスタートする。 ライフルの照射眼鏡を覗きながら客席の様子をじっと観察しつつ、しかし一向に行動を起こす様子のない狙撃犯。ほどなくしてテレビ中継カメラのひとつが彼の姿を捉え、不審に思ったスタッフが警備担当者サム(マーティン・バルサム)に報告する。ライフルを構えた狙撃犯の姿を見て戦慄し、慌ててロス市警の分署長ピーター・ホリー(チャールトン・ヘストン)に連絡するサム。通報を受けて現場へ到着したホリー署長と警官隊は、人目を引かぬよう注意深く時計台の男を観察する。 果たして彼は本気で凶行に及ぶつもりなのか。だとすれば単独犯なのか、それとも仲間がいるのか。会場には市長や議員も訪れているが、いったいターゲットは誰なのか。すると、事態を知った管理責任者ポール(ブロック・ピータース)が、時計台へ上がろうとして男に突き落とされ死亡する。すぐさまホリー署長はSWAT(特殊部隊)チームを招集。観客の安全を最優先に考えつつ、会場の各所に隊員を待機させて犯人確保のタイミングを狙うSWATのバトン隊長(ジョン・カサヴェテス)。やがてアメフトの試合はクライマックスへと差し掛かり、終了2分前のタイムアウト(ツー・ミニッツ・ウォーミング)が訪れる…。 ラリー・ピアース監督の代表作『ある戦慄』との類似性とは? 肝心の見せ場であるパニック・シーンは終盤の20分ほど。コロシアムに集まった9万1000人の観客が、次々と狙撃犯の凶弾に倒れる犠牲者や会場に響き渡る銃声に青ざめ、大混乱を起こして一斉にコロシアムの外へ向かって逃げ出す。もちろん、実際に9万人以上のエキストラを逃げ惑わせることなど不可能であるため、撮影はシーンやカットごとに何週間もかけて行われたのだが、それでもなお最大で1日3000人近くのエキストラを動員したという群衆パニックは圧倒的な迫力だ。これぞディザスター映画の醍醐味。しかも、ただスケールが大きいだけではなく、危機的状況に陥って冷静な判断力を失った人々の行動をつぶさに捉え、いざという時の群集心理の恐ろしさと危うさをこれでもかと見せつける。 とはいえ、本作のキモはそこへ至るまでの生々しいサスペンス描写にあると言えよう。狙撃犯の素性も動機も目的も劇中では一切明かされず、クライマックスへ至るまで顔すら殆んど映し出されず、辛うじて最後に所持品から名前が判明するだけ。その得体の知れなさが漠然とした不安と恐怖を徐々に煽り、ケネディ大統領暗殺事件やテキサスタワー乱射事件より以降の、アメリカ社会を包み込む殺伐とした空気をリアルに浮かび上がらせていく。’60年代末から顕著になったアメリカの治安悪化は、’70年代に入ってますます深刻となり、犯罪発生件数は増加の一途を辿っていた。もはやこの国に安全な場所など残されていない。平和な日常のどこに犯罪者が潜んでいるか分からないし、いつ凶悪犯罪に巻き込まれたっておかしくない。それこそが本作の核心的なテーマであり、あえて犯人像を透明化した理由であろう。 監督はテレビ出身のラリー・ピアース。黒人男性と再婚した白人女性に立ちはだかる困難に人種問題の根深さを投影した『わかれ道』(’64)や、富裕層のお嬢さまと平凡な若者の格差恋愛を通して階級間や世代間のギャップを描いた『さよならコロンバス』(’69)など、アメリカ社会の「今」を鮮やかに捉えた人間ドラマで定評のある名匠だが、中でも最高傑作との呼び声も高い『ある戦慄』(’67)と本作の類似性は見逃せない。 ニューヨークの地下鉄にたまたま乗り合わせた平凡な人々が、傍若無人なチンピラに絡まれるという理不尽な恐怖体験を描いた『ある戦慄』。『パニック・イン・スタジアム』でアメフトの試合会場に集まってくる観客たちと同様、『ある戦慄』の地下鉄乗客たちもそれぞれに複雑な事情を抱えており、そのひとつひとつに貧困や格差や差別などの社会問題が映し出される。そのうえで、まるで自然災害のごとく理屈の通用しない凶暴なチンピラたちの脅威に晒されることによって、善良な市民の赤裸々な醜い本性が暴かれていくことになるのだ。 日常空間に突如として現れる得体の知れない暴力、極限状態に置かれた人間のパニック心理、そこから浮かび上がるアメリカ社会の殺伐とした暗い世相。クライマックスの衝撃へ向けて、少しずつ不安と恐怖を煽っていくヒリヒリとした演出も含め、犯罪の増加やベトナム戦争の泥沼化などに揺れる’60年代末アメリカのリアルな実像に迫る『ある戦慄』は、それゆえに『パニック・イン・スタジアム』と符合する点が少なくない。前作『あの空に太陽が』(’75)をきっかけに、本作を含めて4本の映画で組んだ製作者エドワード・S・フェルドマンが、『ある戦慄』を念頭に置いてオファーしたのかどうかは定かでないものの、しかしピアース監督が本作を演出するに最適な人物であったことは間違いないだろう。 主演のチャールトン・ヘストンを筆頭に、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの夫婦、『十二人の怒れる男』(’57)でも共演したマーティン・バルサムにジャック・クラグマン、ハリウッド黄金時代を代表する二枚目スターのひとりウォルター・ピジョン、テレビ界の人気者だったデヴィッド・ジャンセンにデヴィッド・グローなどの名優たちを起用した豪華キャストも魅力。後にピアース監督夫人になったマリリン・ハセット、『ある戦慄』でも共演したボー・ブリッジスにブロック・ピータースなど、ピアース作品の常連組も揃う。ヘストンはピアース監督の仕事ぶりを気に入り、『原子力潜水艦浮上せず』(’78)の演出をオファーしたそうだが、しかし監督は好みのジャンルでないことを理由に断ったという。 当時まだ新人だったパメラ・ベルウッドは、その後一世を風靡したドラマ『ダイナスティ』(‘81~’89)でテレビ界のトップスターとなる。また、ウォルター・ピジョン扮するスリの相方を演じている女優ジュリー・ブリッジスは、当時すでに離婚していたボー・ブリッジスの元奥さんである。当時まだ無名だった『エクスタミネーター』(’80)のB級アクション俳優ロバート・ギンティが、売店のお兄ちゃん役で顔を出すのも見逃せない。それにしても、群衆に巻き込まれながらのメインキャストの芝居など、さぞかし大変だったろうと思うのだが、実は周囲に10~15名のスタントマンを配置してスペースを確保したり誘導したりしていたのだそうだ。 なお、劇中で展開するアメフトの試合は学生リーグで、ユニフォームを見れば一目瞭然だが、実はスタンフォード大学と南カリフォルニア大学の対戦。テレビ中継のディレクターとして登場するのは、当時実際にスポーツ中継ディレクターの第一人者だったアンディ・シダリス。そう、後に『グラマー・エンジェル危機一発』(’88)や『ピカソ・トリガー/殺しのコード・ネーム』(’88)など、一連のB級ビキニ・アクション映画を手掛けるアンディ・シダリス監督その人である。 幻のテレビ放送版も徹底検証! ちなみに、本作は1979年2月6日に米ネットワーク局NBCにて、3時間の特別枠でテレビ放送されたのだが、その際に大幅な追加撮影と再編集が行われている。かつてのアメリカでは劇場でヒットした話題作映画をテレビ放送する際、様々な理由から追加撮影や再編集を施したテレビ向けのロング・バージョンを作ることが少なくなかった。『大地震』や『キングコング』(’76)、『スーパーマン』(’78)などが有名であろう。この『パニック・イン・スタジアム』の場合は、理由なき無差別殺人という題材や血生臭い暴力描写が子供や老人も見るテレビには不向きと見做され、ゴールデンタイムの特別枠を欲しかった権利元ユニバーサルが独断で追加撮影と再編集に合意したらしい。 準備された予算は50万ドル。当時は低予算のインディーズ映画を1本撮れる金額だ。おのずと劇場版の監督であるラリー・ピアースに追加撮影の依頼があったそうだが、しかし『大地震』のテレビ放送版にも携わったフランチェスカ・ターナーの脚本が酷かったため断ったという。最終的に誰が追加撮影分の演出を担当したのか分かっていないが、完成版ではジーン・パーカーという匿名でクレジットされている。 このテレビ放送版と劇場公開版の最大の違いは、狙撃犯の正体が美術品強盗グループの一味と設定されていることだ。どういうことかというと、テレビ放送版には美術品強盗作戦というサブプロットが存在するのである。実はロサンゼルス・メモリアル・コロシアムの向かいに美術館があり、そこに展示されている国宝級の美術品を盗もうと画策する強盗グループが、目眩ましとして狙撃犯を試合会場に送り込んだというのだ。あくまでも目的は警察の注意をコロシアム側に引いて、その隙に仲間が美術品を盗み出すこと。人は殺さないというのが大前提だ。なので、狙撃犯のターゲットは会場の照明器具や誰も座っていない空席。その銃声で観客はパニックに陥るのだが、最後までメインの登場人物は誰一人として死なない。たまたま照明の陰に隠れていたSWAT隊員が1人、運悪く銃弾に当たって殺されるだけだ。 さらに、劇場公開版では最後に名前が判明するだけで、その素性も動機も目的も分からず、顔も殆んど見せなかった狙撃犯だが、テレビ放送版では最初から顔も名前も堂々と明らかにされ、美術品強盗グループの仲間であることはもちろん、実はベトナム帰還兵だったという設定まで加わっている。なるほど、ラリー・ピアース監督が関わり合いになることを拒否したのも納得。これじゃ映画本来の意図が台無しである。しかも、恐らく相当急ピッチで撮影された様子で、例えば車のリアウィンドウに映る景色がグリーンバックのままになっていたりする。これはさすがに不味いだろう(笑)。 こうした追加撮影分のサブプロットが本編に混ぜ込まれる一方、劇場公開版に存在するシーンの多くがテレビ放送版ではカットされている。例えば、ランニング中の夫婦が銃撃されるオープニングのホテル・シーンは丸ごと全て消えているし、狙撃犯が会場へ向かうドライブ・シーンや観客たちの背景を描く人間ドラマも大幅に短縮。バトン隊長の家族も一切出てこないし、狙撃犯の仲間と疑われた迷惑客を手荒に尋問するシーンも存在しない。その結果、最終的にCMを含む3時間の放送枠に収まるよう再編集された、合計で約2時間半のテレビ向けロング・バージョンが出来上がったのである。 追加撮影分に登場する主なキャストは以下の通り。美術品強盗グループのリーダー、リチャード役には『コマンドー』(’85)のカービー将軍役でお馴染みのジェームズ・オルソン。本作でもベトナム帰りの元陸軍将校という設定だ。同じく強盗グループのブレーンである美大教授には、ハリウッド・ミュージカル『南太平洋』(’58)でも有名なイタリアの名優ロッサノ・ブラッツィ。狙われる美術品のオーナーである大富豪アダムス氏は、『カーネギー・ホール』(’47)や『ガントレット』(’77)のウィリアム・プリンス。その恋人で実は強盗グループの仲間である美女パトリシアには、『007/カジノ・ロワイヤル』(’67)のマタ・ボンド役で知られるジョアンナ・ペティット。後に『スカーフェイス』(’83)で南米カルテルのボスを演じるポール・シェナーも強盗グループの一員、トニー役を演じている。なかなか豪華な顔ぶれだ。 さらに、主演のチャールトン・ヘストンも追加撮影に参加。強盗計画のタレこみ情報を受けた美術館の警備担当者からホリー署長が電話連絡を受けるシーンと、終盤でホリー署長が警官隊を美術館へ向かわせるシーンに登場するのだが、よく見ると劇場公開版の映像に比べて髪型が微妙に違う。そういえば、『大地震』のテレビ放送版でも、追加撮影シーンに出てくるヴィクトリア・プリンシパルのアフロ・ウィッグが明らかに別物だったっけ(笑)。また、追加撮影では狙撃犯役のウォーレン・ミラーも再登板。劇場公開版と同じ衣装を着用している。残念(?)ながら、日本では見ることのできない『パニック・イン・スタジアム』テレビ放送版だが、米盤ブルーレイの映像特典として収録されている。好事家の映画マニアであれば一見の価値くらいはアリだろう。■ ◆本作撮影中のラリー・ピアース監督 『パニック・イン・スタジアム』© 1976 Universal Pictures, Ltd. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
スーパー・マグナム
[PG12相当]チャールズ・ブロンソンがマグナム片手に悪党どもを退治しまくる!痛快アクション
警察が悪党を殺らないならオレが殺る!という“ヴィジランテ”映画の原点『狼よさらば』シリーズ。当初の“法と正義の間のジレンマ”というテーマを卒業し、この第3弾は悪党を倒しまくる痛快アクション映画へと進化した。
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COLUMN/コラム2017.01.25
男たちのシネマ愛Z⑤ハーロー
なかざわ:で、最後は『ハーロー』ですね。 飯森:これぞ、まさに、ゲスの極み(笑)。 なかざわ:正真正銘のハリウッド・バビロン(注15)ですね。ただ、これをジーン・ハーローの伝記映画として額面通りには受け取って頂きたくない。 注15:1965年に出版された、オカルトに傾倒しているアングラ映画監督ケネス・アンガーによる著書。すぐに発禁となったその過激な内容とは、映画黎明期以来のハリウッドの最もダーティーなゴシップとスキャンダルの数々。後に発禁は解かれ、今では邦訳版がAmazonで古本で手に入る。 飯森:そうなんですか?脚色があるってこと? なかざわ:結構あります。そもそも、本編中でジーン・ハーローは本名だと言っていますけれど、これがまず違っていて、ジーン・ハーローというのは彼女の母親の名前を拝借した芸名なんです。本人の本名はハーリーン・ハーロー・カーペンターっていいます。 飯森:それって事実誤認なんですかね?それともわざと? なかざわ:そこは分からないです。ただ、彼女ほどの大スターで有名人であれば、本名くらいの個人情報は普通に知られていたと思うんですけれどね。あとは、この作品の中ではハーローとその家族、そしてマネージャーと夫ポール・バーン以外のキャラクターは、全員実在の人物を基にした架空の人物です。映画会社の名前もそうですね。まあ、マジェスティック・ピクチャーズなんてMGMが元ネタだってバレバレですけれど(笑)。 飯森:でもまあ、話があまりにゲス過ぎて実名では描けませんよね。 なかざわ:あとは、劇中だとポール・バーンが最初で最後の夫みたいな描かれ方をしていますが、実際彼女は3回結婚していて、ポールは2度目の旦那なんですよ。 飯森:それは僕も知っていました。デビューする前のかなり若い頃、15歳とかで結婚していますよね。 なかざわ:そう、しかもかなりの大富豪と結婚してビバリーヒルズで暮らしていたんですよ。 飯森:そうなんですか!?映画の中だと、安普請の平屋の団地で貧乏暮らししてたイメージですけれど。 なかざわ:まだ有名になる前に最初の旦那と離婚していて、その後は売れない無名女優として母親と継父の家に同居していたらしいので、そこは必ずしも間違ってはいません。とはいえ、最初の結婚期間中は一時的にせよ、セレブリティの生活を経験しています。 飯森:そうなんだ!映画だとかなり底辺にいた人が、どんどんとのし上がっていって成功し、そこで心のバランス感覚が狂っちゃう、という毎度お馴染みの転落ドラマになっていますけれど…。 なかざわ:必ずしもそうではないです。 飯森:でもそうすると、とんでもないビッチというか、15歳とか16歳とかで金持ち爺さんをこましてセレブ生活を送ったような、大したタマなんだ。 なかざわ:いえ、最初の旦那って大富豪は大富豪でも、さほど年齢の違わない御曹司なんですよ。 飯森:なるほど!そうすると、世間を知らない金持ちのボンボンをうまいこと篭絡したわけね(笑)。いいっすねー!やっぱ大したタマだよ。映画より実人生の方が全然すごいな! なかざわ:あとは、本人にもともと映画女優になる意思がなかったという描写は本当なんですけれど、劇中だと強欲でゲスい継父に無理強いされてみたいな話になっているのは違っていて、実際は母親の強い要望だったみたいですね。 飯森:お母さんって、映画の中だと旦那に言われるがままのポケーッとした感じですよね。 なかざわ:実はお母さんがもともと女優志望で、実際にチャレンジもしたんだけど挫折しているんですね。なので、自分の夢を娘に託したんですよ。 飯森:そうなんですか。そりゃまたありがちな、おなじみのステージ・ママの話だ。そういえば、これも映画では描かれていなかったですけれど、お母さんはある種の宗教の影響も娘に及ぼしましたよね。とある宗旨に厳格な信仰心があって、確か病気の娘を医者に診せることを宗教的理由から拒んだって言われてますよね? なかざわ:あ、それは後になって出てきたゴシップで、実際はちゃんと医者に診せているんですよ。通院記録も残っていますし。ただ、担当医が彼女の体調不良の原因を誤診したらしいんですね。これはネタバレになりますけれど、映画だと肺炎で死んだことになっていますが、実際は腎臓病なんですよね。 飯森:大丈夫、この映画にネタバレはないです。ジーン・ハーローが若くして死んでいるということは周知の事実ですから。幾つでしたっけ? なかざわ:26歳です。 飯森:若い!それは若すぎますね!とにかく、彼女はこの映画の中ではどん底から這い上がってきて映画スターとなり、セックス・シンボルとして持て囃されてハリウッドの泥沼にずぶずぶとハマっていきアッというまに若死にする、一本道な物語なわけですけれど、今お伺いしたお話だと、現実の方がさらに紆余曲折、波乱万丈だったわけだ。まさにハリウッド・バビロンを地で行く人ですよね。あとは、旦那絡みの話ですか。これが一番ヤバいんだ! なかざわ:この映画にも出てくるポール・バーンのことですよね。 飯森:この映画だと、ポール・バーンと結婚初夜にHなことをしようとしたら、旦那のナニがダメだったという話でしたよね。 なかざわ:インポテンツだったということですね。それを責められて旦那は逆上してジーンに暴力を振るうわけですけれど。 飯森:それで彼女はマネージャーの家に泣きながら逃げてくる。あのシーンって、僕はこの映画の最大の問題で、あそこはまるっきしリアリティが無いように思うんですよ。男子たる者、ちょっと萎えちゃったって、そりゃ誰でもある話じゃないですか。体調だったりとか、酒だったりとか、年齢だったりとかで。それに対して、最初のたった1回で、あんな激越なリアクションを返す女の人っているの!?って。私を見て勃たない男なんてありえない!私の結婚は台無しよ!この辱めをどうしてくれるの!みたいな。リアリティに欠けますよ。 なかざわ:しかも、この結婚のために貞操を守って来たのに!みたいなこと言うじゃないですか。 飯森:今までの我慢が丸損よ!こんなことだったらもっと前にヤッてたのに!みたいな。そんなこと言う自称処女がこの世にいるのかと。あれって実際は結構違うんですよね。 なかざわ:はい、実際にインポテンツだったという事実はないみたいですね。 飯森:あの旦那はインポどころか相当いろんな女を食いまくっていて、長年の事実婚みたいな妻までいたらしいんですよね。それにもかかわらずジーン・ハーローと正式に結婚しちゃったんで、嫉妬に狂った内縁の奥さんに殺されたという説もあるみたいですし。 なかざわ:マフィアに殺されたという説もありますしね。その辺はね、MGMが事実を揉み消して葬り去ってしまったとも言われていて、真相は闇の中なんですけれどね。 飯森:これはアメリカで信じられている俗説だということで僕も読んだことがあって、どこまで信ぴょう性があるかは分かりませんが、インポだったポール・バーンがディルドを買ってきて股間に装着し、ごめんね、勃ちはしないんだけど今日はこれでやろう♥と言った時に、ジーン・ハーローが憐れむような、蔑むような高笑いをして、それにカチンときた旦那が自殺しちゃったというような話も、ものの本には書いてあったりするんですけれどね。いやはや、いよいよゲスの極みになってまいりました。 なかざわ:ただ、MGMといえば当時ハリウッドで最大の映画スタジオですよね。そこの幹部にまで上り詰めたような人生の成功者が、インポをバカにされたくらいで全てを捨てて自殺するとはちょっと考えられないかなとも思いますけれどね。 飯森:まあ、この映画が一番リアリティが無い、「こんな女いねえよ!」という状態になっちゃってるんですけれど、その次に信じがたいのがこのペニバン説ですね。マフィア説とか内縁の妻犯行説の方がリアリティはあるでしょう。で、実はポール・バーンの遺書というのが残されているんですね。「最愛の人へ。僕が君に対して犯した恐ろしい過ちを償い、僕自身の軽蔑すべき屈辱を拭い去るには、残念ながらこれしか方法がないんだ。愛しているよ。ポールより。 追伸:昨夜のことはほんの冗談だったんだ」と書き残して、風呂場で真っ裸で頭を拳銃で撃ち抜いたんですよ。思わせぶりな内容ですよね。いったい前の晩に何やらかしたんだ!?と。この遺書のあることが、いろんな妄想や都市伝説など全ての元凶ですね。 なかざわ:あらぬ妄想を掻き立てますもん。 飯森:そういったドロドロでグチャグチャな話なんですが、この映画が諸説の中で一番嘘くさく思えるというのは、逆に言うと強引にでもセーフに描こうとしているんじゃないかな。要するに、一番エグい話、大人のオモチャまで飛び出してくるような話とか、そういう毒々しいところまで踏み込まないためにも、リアリズムを犠牲にした。そうじゃないと本当にゲスの極みになり過ぎて映画作れませんから!この頃まだヘイズコード(注16)ありましたからね。 注16:1934〜1968年まで続いたアメリカの映画検閲制度で、宗教的・道徳的見地から様々な描写に対して規制がかけられ、当然エロは真っ先に槍玉に挙げられた。実は1934年以前の方がエロ描写(今の基準では全然大したことない、“お色気シーン”程度のもの)は許されており、それはYoutube上で「pre code」と検索すれば著作権切れの作品で容易に見ることができる。 なかざわ:それにしても、この作品は当時酷評されたというのも分からないではない。 飯森: 酷評されたんですか? なかざわ:そうなんですよ。おかげで主演のキャロル・ベイカー(注17)は、これを最後にハリウッドを去ってイタリアへ都落ちすることになりましたから。 注17:1931年アメリカ出身の女性。本作でジーン・ハーローになりきる。渡欧後はお色気系路線で活躍。特に日本人にとっては『課外授業』(1975)の、イタリアで働くアメリカ人熟女教師役で知られる。主人公の童貞少年が憧れる美人音楽教師だが、実は別の少年にヌード写真を盗撮され脅迫を受けており、ノーブラで教壇に立たせられる、少年にワキ毛を剃らさせてあげる等のセクハラ羞恥プレイを強制されていたのだが、主人公によって救われ、お礼に彼の筆下ろしをしてあげる、という童貞喪失もの。特定世代の男性にとっては忘れがたき性春映画の不朽の名作で、そのヒロインとしてキャロル・ベイカーは一番知られている。 飯森: 要するに、西部劇大作なんかに出演していた第一級の大物女優がこの映画に出演することでキワモノ扱いされ、イタリアへ行って本物のキワモノになっちゃったってことですか(笑)。 なかざわ:当時彼女のバックについていた大物プロデューサーのジョセフ・E・レヴィン(注18)という人が、彼女をセックス・シンボルとして祀り上げようとしていたんですけれど、どうもそれが気に入らなかったみたいですね。 注18:宣伝プロモーションの手腕の冴えで伝説的に語られる、ショーマンシップ溢れる映画製作者。イタリアのサンダル史劇『ヘラクレス』(1958)を買い付けてきて、TVスポットを打ちまくるなど現代に通じる宣伝キャンペーンを発明して大ヒットに導き、主演のスティーヴ・リーヴスも大スターにし、幼い日のスタローンやシュワ、ロック様にとってのアイドルに仕立てた。また『ふたりの女』(1960)も買い付けてきてソフィア・ローレンをイタリアン・セックス・シンボルではなく徹底的に演技派として宣伝。非英語作品であるにもかかわらず彼女にアカデミー主演女優賞を獲らせた。その手腕でキャロル・ベイカーのことも売ろうとしたのだが…。 飯森: なんか映画の中の話と混同してしまいそうですよね。『ハーロー』という映画自体が、無理やり映画会社にセックス・シンボルに仕立てられて、嫌なんだけど次第に諦めてその役回りを受け入れていく女優の話でしょ?まんまじゃないですか。 なかざわ:そうなんですよ。ただ、キャロル・ベイカーがそれでも我慢して続けていたところ、この『ハーロー』が興行的にも批評的にもコケてしまったもんだから、もう私やってられない!みたいな感じでキレちゃったみたいなんですよ。 飯森: ちょっと待ってください!?セックス・シンボルを嫌がったわりに、イタリアへ行ってからはお色気女優みたいになってますよね!? なかざわ:そうなんですよ。というのも、彼女は契約を巡ってジョセフ・E・レヴィンを訴えた結果、パラマウントから解雇されてしまったんですね。それでハリウッドを干されてしまったせいで、ヨーロッパへ行かざるを得なくなったわけです。 飯森: 最近の日本で言うとMUTEKIに行くパターンですね。 なかざわ:そうです(笑)。だから、イタリアでジャーロとかソフトポルノとかで脱ぐ仕事をするようになったのは、背に腹は代えられなかったからなんですよ。本当に、キャロル・ベイカーとジーン・ハーローのキャリアは被ってくるんです。 飯森: すごいのは、この映画が出来た段階ではまだキャロル・ベイカーのその転落は始まってもいないってことですよ。これが出来てから、これのせいで転落しちゃうんだから。映画の中でハーローという役を通じて、もうじき自分自身も体験することになる転落を、予行演習しちゃってたんですね。予言的というかなんというか…。 なかざわ:事実は小説よりも奇なりですね。 飯森: でもキャロル・ベイカーが幸いだったのは、セックス・シンボルになっても彼女自身がジレンマに陥ることなく輝き続けたことでしょうね。それこそラウラ・アントネッリかキャロル・ベイカーかというポジションをあの時代には築いて、性春映画のスターとして一世を風靡したわけじゃないですか。映画の中のジーン・ハーローはセックス・シンボルとしてのイメージに翻弄されて自分を見失い、最後はサセ子というか、行きずりの男にもすぐヤラせちゃうみたいなところまで堕ちて病んじゃいましたけど、キャロル・ベイカーはそうはならずに、あくまで演じているだけということで虚と実を切り離して考えられたんだ。メンタル強いですよね。 なかざわ:ただ、確かにこの映画だと旦那が自殺した後、ジーン・ハーローはアル中になって男をとっかえひっかえして自暴自棄になるという描かれ方がされていますけれど、実際はそうでもなかったんじゃないかなと思うんですよね。 飯森: 身持ちが最後まで固かったと? なかざわ:いやいや、そういうことではなくて、あんな風に荒れて自暴自棄になったりはしなかったんじゃないかと。というのも、ちゃんとその後も映画の仕事をしていますし、3度目の結婚もしていますし。しかも映画の中では、そうした荒んだ生活の結果、肺炎になってしまったと描かれていますけど、もともと彼女は腎臓に持病があったらしいんですよね。それが悪化して死んじゃったんです。 飯森: あの病死に関しても諸説ありますよね。例の大人のオモチャ亭主が勃たないのを嘲り嗤われた初夜にDVをふるって、その時に内臓破裂で腎臓にダメージを負った、なんて都市伝説までありますけど、まぁそれは、ゲスの勘ぐりもここに極まれりみたいな話で、信ぴょう性は無さそうですね。 なかざわ:あと、この作品で気に入っているのは、これって1930年代が舞台じゃないですか。でも、この作品に出てくるファッションやインテリアのゴージャス感って、1960年代初頭のものなんですよね。それが特に端的に現れているのが音楽。ニール・ヘフティ(注19)の手掛けた音楽スコアって、まさに’50~’60年代にかけてのイージーリスニング・サウンドなんですよ。マントヴァーニ楽団(注20)とかパーシー・フェイス楽団(注21)みたいな。もしくはヘンリー・マンシーニ(注22)。ボサノバのリズムまで使われていますし。どれも1930年代には存在しない音です。まあ、実際ニール・ヘフティ自身がイージー・リスニング畑の作曲家ですしね。1930年代の社交界のことを「カフェ・ソサエティー」と呼ぶのに対し、60年代は自家用ジェットで飛び回るリッチな人々という意味で「ジェット・セット」と呼ばれたんですけれど、この作品の雰囲気は明らかに後者です。個人的に大好きというか、憧れる文化なんですよね。 注19:アメリカの作曲家、ジャズミュージシャン。映画音楽も手がけ、『ハーロー』以外ではジャック・レモンの『女房の殺し方教えます』(1964)、ナタリー・ウッドとトニー・カーティスの『求婚専科』(1964)、レッドフォードとジェーン・フォンダの『裸足で散歩』(1967)、ご存知ジャック・レモン×ウォルター・マッソー『おかしな二人』(1968)などの音楽を手がける。60年代の洒脱なラブコメなどに軽妙なオシャレ感を添えた。注20:イギリスの編曲者・指揮者マントヴァーニの楽団。誰もが知る有名映画音楽や有名ヒット曲をマントヴァーニ流に華麗にアレンジし自身が率いる楽団で演奏。我々がイメージするTHEムード音楽、THEイージー・リスニングに換骨奪胎した。イギリス人(生まれはイタリアだが)音楽家としては、ビートルズに次ぐレコード・セールス記録を持つ。注21:アメリカの編曲者・指揮者パーシー・フェイスの楽団。その代表曲「夏の日の恋」はムード音楽を代表する一曲でもあるが、もともとは映画『避暑地の出来事』(A Summer Place, 1959)のテーマ曲だった。「夏の日の恋」というタイトルは日本人が付けたもので原題はただのTheme from A Summer Placeという。さらにはオープニング曲ですらなく劇中の一曲だったが、パーシー・フェイスのアレンジしたバージョンの方が普及し、記録的ヒット。グラミーまで受賞した。注22:アメリカの映画音楽家。『ティファニーで朝食を』(の「ムーン・リバー」、1961)、『酒とバラの日々』(同名主題歌、1962)ほかでアカデミー歌曲賞に輝く。他にも、『ハタリ!』(の「子象の行進」、1962)、『シャレード』と『ピンクの豹』(1963)、『ひまわり』(1970)、『スペースバンパイア』(1985)など。TVドラマでは『ピーター・ガン』や『刑事コロンボ』など、一々挙げだしたら枚挙に暇が無い。最も曲が知られている映画音楽家の一人かもしれない。 飯森: なるほど。60年代的解釈における上流階級イメージということですね。ジーン・ハーローのメイクなどもそうですよね。僕は彼女の映画って1本くらいしか見たことないんですけど、マレーネ・ディートリッヒみたいな物凄い眉型をしているんですよね。今見ると「ピエロか!」みたいな。2~3mmくらいの細い線で半円を描いたような眉毛ね。当時はそれがオシャレだったのかもしれないけれど、それこそ日本の昔のお歯黒と殿上眉(注23)みたいなもんで、今となっては怖いですよ。その流行が過ぎ去ってしまうとむしろ笑えるか怖いか、っていうくらいの変さで、あれはそのあと’70年代のフェイ・ダナウェイの頃ぐらいにもう一回リバイバルしただけで、全然定着しなかった。あまりに変すぎて。なんですけれども、この映画の中ではそんな変な’30年代風メイクは一切していないんですよね。 注23:お雛様とか能面の、例のアレ。 なかざわ:ヘアスタイルも当時のものをベースにはしていますけれど、そのまんまじゃなくて’60年代のアレンジが加わっている。 飯森: ’60年代の映画に見えますもんね。 なかざわ:ちなみに音楽について補足しておくと、ニール・ヘフティは’60年代のテレビ実写版『バットマン』のテーマ曲を書いた人です。この作品では劇中の挿入曲として書いた「ガール・トーク」というインストゥルメンタル・ナンバーがとても有名で、ジュリー・ロンドンやトニー・ベネットが歌詞を付けて歌っているんですよ。これもゆったりとしたエレガントなイージー・リスニング系バラードで、とても大好きな曲です。 飯森: そう考えると、『誘惑』といい『三文オペラ』といい、今回のセレクションは映画音楽的にも見どころが多いかもしれませんね。ちなみに、『ハーロー』で笑ったのはエンディングの歌ですね。映画のテーマを全部歌詞にしている。そのまんま。メタファーとか一切ナシで「彼女はシルクやサテンをまとった孤独で可哀想な女の子でしたとさ〜♪」みたいな、ひねりのない歌詞でね(笑)。 なかざわ:確かに!あれを歌っているのはボビー・ヴィントンですね。あの「ブルー・ベルベット」で有名なクルーナー歌手。ただ、これは「ガール・トーク」みたいなスタンダードにならなかった。 飯森: ジーン・ハーローの伝記映画にしか使いようがない、つぶしのきかない歌詞ですからね。でもこの映画って、キャンプというかドラァグというか、オカマな雰囲気があるように思いますね。この歌にしても。この感じはえもいわれぬ魅力ですよね。 なかざわ:まさにその通りですよ。 次ページ >> 閉会の言葉 『誘惑』COPYRIGHT (c) 2017 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『三文オペラ』TM & Copyright (c) 2004 by Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved. 『肉体のすきま風』TM, (r) & (c) 2017 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. 『ハーロー』TM, (r) & (c) 2017 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. CHARLIE BUBBLES (c) 1967 Universal City Studios, Inc. Copyright Renewed. All Rights Reserved. GETTIN' SQUARE (c) 2003 Universal Pictures. All Rights Reserved. THE GIRL FROM PETROVKA (c) 1974 by Universal Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)十二人の怒れる男[テレビ朝日版]
これぞ米国の良心。思い込みや偏見に満ちた人たちを、理詰めで説得していく…映画史に燦然と輝く傑作法廷劇
TVドラマで修行を積んだシドニー・ルメットが映画監督デビュー。役者の顔アップ、室内劇など当時のTVドラマのメソッドを取り入れTV時代の映画演出のあり方を打ち立てた、米国の良心が具現化したような傑作だ。
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COLUMN/コラム2017.01.25
男たちのシネマ愛Z①
飯森:ご無沙汰しています。なかざわさんとは久しぶりの対談となりますね。楽しみにしてましたよ。 なかざわ:こちらこそ、ご無沙汰しています。またまた飯森さんと熱い映画トークが出来るのは本当に嬉しいです。 飯森:一昨年末の第1回対談ですでに「愛すべき、未DVD・ブルーレイ化作品」というお題でトークしましたけど、あれがこの企画のプロトタイプなんですよ。で第5回の対談では「ザ・シネマSTAFFがもう一度どうしても観たかった激レア映画を買い付けてきました」という特集を取り上げましたが、そこで特集名称が固まって、今ではその「激レア映画、買い付けてきました」というのを準レギュラー特集として不定期にお届けするようにまでなってるんです。今回はそのシリーズ第4弾。全作品なかざわさんに選んで頂いたわけですけど、まずはその経緯の話からトークを始めましょうか。去年、連載対談をやっていた最後の方の頃で、なかざわさんにリストをお見せしたのが始まりですよね? なかざわ:はい、パラマウント映画の膨大な作品リストを見せてもらいまして、その中から自分なりの基準でチョイスさせて頂きました。 飯森:確か当初は6作品をご提案頂いたんですよね。ただ、諸般事情で買えない作品があり、結果的に残ったのが今回放送する4作品だったわけです。これは、どのような基準で選ばれたのですか? なかざわ:第一前提としてはソフト化されていない、もしくは過去に1度くらいソフト化されたかもしれないけれど、現在は見る術が殆どない作品ということです。 飯森:それはまさにうちの企画趣旨とドンピシャです! なかざわ:やはり、せっかく選んで放送して頂くのであれば、他では見る機会の少ない映画がいいと思いますからね。あともう一つの重要な基準は、世間の一般的な評価の良し悪しとは全く関係なく、あくまでも自分自身の個人的な思い入れや愛情のある作品ということ。 飯森:極私的チョイスですね。それもうちの企画趣旨どおりです。 なかざわ:なので、私の主観では面白いと思うけれど、誰が見ても面白いとは限りませんよと(笑)。 飯森:構わないんですよ。映画ってそういうものだから。それに、うちのチャンネルでもマトモな時間帯には、例えばこの春は『ハリー・ポッター』シリーズを全作品やりますとか、いわゆる売れ線の、誰が見ても面白い王道映画を当然放送してもいるわけです。でも、ド深夜くらいは「オレ色に染まれ!」じゃないですけれど、僕なりライターさんや評論家、あるいはリクエストを寄せてくださるマニアな一般視聴者の方が、極めて個人的に、異常な熱量でおススメする映画、しかも他では見れないような激レア映画をやっててもいいんじゃない?と思いますし、そういう映画チャンネルが1つくらいなくちゃダメだと考えています。なので、ウチとなかざわさんの考えが見事に合致したというわけですね。 なかざわ:それに、これだけマニアックなラインナップでも、ザ・シネマさんなら嫌な顔はしないだろうと思っていましたし(笑)。 飯森:不可抗力とはいえ、むしろ4本では物足りないぐらいですよ。今後もどんどんやっていきたい。しかも今回、日本では全作品DVDになっていない。そもそもVHS含めソフト化されていないものさえある。素晴らしい! なかざわ:ただ、海外だと『三文オペラ』以外は確か全部DVD化されています。 飯森:海外でも出てないと逆に問題がある。DVDが出てるかどうかは僕にとって、ひいては視聴者の皆さんにとっても影響大でして、DVDさえ出ていれば、DVD時代にマスターテープが作られたということですから、そのテープはSD画質だとしてもアナログではなく経年劣化のないデジタルテープで、DVDとして売れるような綺麗さで、そしてノートリミング(注1)のワイド画面で収録されているんだろうと期待できるわけで、ウチとしてはそれを取り寄せて字幕翻訳をし、上から字幕を焼き込んで日本語字幕完パケを作ればいい。 注1:かつてはブラウン管TVの画面が4:3だったため、ワイドの映画でもTV放映時には画面左右を切り落とし、4:3画面にぴったり合わせていた。これを「トリミング」と言う。HD以降、TVもワイド画面が主流になり、今では映画も切り落とさず(ノートリミング)ワイドのままで放送できるようになった。 一方、海外でもDVD化されてないとなると、これはマスターテープからしてVHSマスターしか存在しない可能性が高いので、トリミングもされてるだろうし画質も旧VHS時代のボケボケで経年劣化もしてるだろう、と察しがつくわけです。で、今回の『三文オペラ』がどうかと言うと…それは後ほどお話しすることにしましょう。もっとも、DVDが出ていても、4:3トリミング画角で収録されていたり猛烈に汚い画質で売られていたりする地雷ソフトも稀にありますんで、必ずしも安心はできませんけどね。 次ページ >> 『誘惑』
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PROGRAM/放送作品
十二人の怒れる男
これぞ米国の良心。思い込みや偏見に満ちた人たちを、理詰めで説得していく…映画史に燦然と輝く傑作法廷劇
TVドラマで修行を積んだシドニー・ルメットが映画監督デビュー。役者の顔アップ、室内劇など当時のTVドラマのメソッドを取り入れTV時代の映画演出のあり方を打ち立てた、米国の良心が具現化したような傑作だ。
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COLUMN/コラム2012.08.03
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年8月】第1航空艦隊参謀兼副官 飯森盛良
同じ真珠湾攻撃を描いた2作品だが、まさに好対照!この2作に甲乙をつけたがる向きもあるが、それぞれ映画としての目的がまるっきし違う。2001年の『パール』は戦闘シーンをCGで迫力満点に描きつつ、戦時下の恋人たちのドラマを描く、破壊×LOVEの戦争メロドラマ。オールド・ハワイのファッションもかっこいい。 一方1970年の『トラ!』は、オールド・ハワイとかチャラいことは言ってられない。日米開戦に至るまでの経緯を丹念に描いていき、そして皆さん、いよいよ今日のその時、1941年12月8日を迎えるのであります、という流れで〆る、大真面目な歴史戦争映画だ。この2つを並べて優劣つけるなんざぁ野暮ってもんよ。2作まとめて見て、「こっちはこの点が優れてる、あっちはあの点で勝ってる。みんなちがってみんないい」というのが大人というものなのであります。 (C) Touchstone Pictures and Jerry Bruckheimer Motion Picture (C) 1970 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
ハーロー
‘30年代を代表するセクシー女優、ハーローの人生を豪華絢爛かつスキャンダラスに脚色!
モンロー以前にハーローあり。男たちの野心と欲望に翻弄されたブロンドのセックス・シンボル、ジーン・ハーローの華やかで破滅的な人生を、スキャンダラスに脚色した豪華絢爛なハリウッド・バビロン的伝記映画。
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PROGRAM/放送作品
トラ・トラ・トラ・
真珠湾攻撃の全貌が日米双方の立場から明らかに!史上空前のスケールで贈る戦争スペクタクル大作
日米の一流スタッフ・俳優を結集し、太平洋戦争の幕を開けた真珠湾攻撃の全貌を日米双方の立場から公平に描き出す歴史戦争大作。大量の実機を用いた空襲シーンが迫力満点。アカデミー特殊視覚効果賞を受賞。