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PROGRAM/放送作品
地獄の黙示録【4Kレストア版】
[PG12]コッポラ監督のベトナム戦争映画の最高傑作。カンヌ国際映画祭では最高賞パルムドールを受賞
フランシス・フォード・コッポラ監督がベトナム戦争を舞台にその暴力性と狂気を描いた、映画史に残る戦争映画の金字塔。カンヌ国際映画祭パルムドール受賞。オリジナル劇場公開版の4Kレストア版。
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COLUMN/コラム2023.05.02
アメリカン・ドリームの不都合な真実を暴いた鬼才ヴァーホーヴェンの問題作『ショーガール』
劇場公開時に受けた不当なバッシングの理由とは? ハリウッド映画史上、恐らく最も不当に過小評価された作品のひとつであろう。劇場公開から30年近くを経た今でこそ、カルト映画として熱狂的なファンを獲得しているものの、しかし当時は「中身のない低俗なポルノ映画」「ハリウッドは一線を越えてしまった!」などとマスコミから猛攻撃され、一般の観客からも「不愉快な映画」「生々しすぎる」と総スカンを食らってしまった。中には、脚本家ジョー・エスターハスの出世作『フラッシュダンス』(’83)にひっかけ、本作を「トラッシュダンス」などと呼ぶ映画評論家まで出てくる始末。おのずと興行収入でも大赤字を出してしまう。さらに、’95年度のラジー賞では最低作品賞や最低監督賞、最低女優賞など、史上最多となる合計13部門を獲得。その4年後の同賞では、過去10年間で最も出来の悪い映画に贈られる「’90年代最低作品賞」にも選ばれてしまった。 その一方で、当時から本作を高く評価する向きも少ないながら存在した。例えばフランスの名匠ジャック・リヴェット監督は「過去数年間で最も偉大なアメリカ映画のひとつ」と評しているし、クエンティン・タランティーノ監督もたびたび本作を擁護していたと記憶している。筆者も日本公開時に本作を見て、「なんたる傑作!最高じゃないですか!」と大満足して映画館を後にしたのだが、それだけにアメリカでの低評価やバッシングはなんとも理解し難く感じたものである。 とはいえ、確かに激しく賛否の分かれる映画であることは間違いない。ラスベガスの夜を彩るトップレスダンサーたちの熾烈な競争を描いた、欲望と策略と虚飾の渦巻くサクセス・ストーリー。しかも、監督を務めるのはオランダ出身の鬼才ポール・ヴァ―ホーヴェンである。母国で手掛けた『ルトガー・ハウアー/危険な愛』(’73)や『娼婦ケティ』(’75)、『SPETTERS/スペッターズ』(’80)などで国際的に注目され、ハリウッドへ拠点を移してからは『ロボコップ』(’87)と『トータル・リコール』(’90)の大ヒットでメジャー監督の仲間入りを果たしたヴァーホーヴェン。人間や社会の醜悪な部分を包み隠すことなく描き、あえて見る者の神経を逆撫でする過剰で挑発的な作家性はハリウッドにおいても健在で、ちょうど当時はエロティック・スリラー『氷の微笑』(’92)で物議を醸したばかりだった。そのストーリーや題材ゆえ、本作はさらに過激なセックスとバイオレンスがてんこ盛り。ヨーロッパに比べて遥かに倫理観の保守的なアメリカの観客が、本作に少なからぬ嫌悪感や拒否感を覚えたのも、冷静になって考えてみればそれほど不思議でもあるまい。 弱肉強食のショービズ界を這い上がるヒロイン 舞台はギャンブルとショービジネスの街ラスベガス。トップダンサーを目指してやってきた若い女性ノエミ・マローン(エリザベス・バークレー)は、ヒッチハイクで乗せてもらったドライバーの男に騙され、身ぐるみを剥がされて途方に暮れる。そんな彼女に声をかけたのが、ステージの衣装デザイナーとして働くモリー(ジーナ・ラヴェラ)。ノエミの窮状を知って同情したモリーは、自宅トレーラーに彼女を住まわせることにする。 過激なサービスが売りのトップレス・クラブでダンサーとして働くようになったノエミ。ある日、彼女はモリーの職場を見学させてもらう。そこはラスベガスでも随一の人気を誇る高級ホテル、スターダスト・カジノの看板トップレスショーの舞台裏。自分の働くクラブとは比べ物にならない豪華なステージに目を奪われ、トップスターのクリスタル(ジーナ・ガーション)に紹介されて興奮を隠せないノエミだったが、しかしそのクリスタルから場末のダンサーであることをバカにされて憤慨する。そこで彼女は憂さ晴らしにモリーと夜遊びへ繰り出すことに。無我夢中になって踊り狂う彼女を、売れないダンサーのジェームズ(グレン・プラマー)が見染める。 それからほどなくして、ノエミの職場にクリスタルが恋人の舞台プロデューサー、ザック(カイル・マクラクラン)を連れて来店する。ザックにラップダンスのサービスをさせようとノエミを指名するクリスタル。場末のダンサーなんて娼婦も同然よと、ノエミを侮辱する魂胆は見え見えだ。頑として要求をはねつけるノエミだったが、しかしクリスタルから提示された500ドルに目のくらんだ店長アル(ロバート・デヴィ)が引き受け、ノエミは仕方なくクリスタルの目の前でザックに性的サービスを提供する。その様子をたまたま目撃し、娼婦のような真似をして才能を無駄にするんじゃないと忠告するジェームズ。彼は自身のプロデュースするダンスショーを企画しており、そのメインダンサーをノエミにオファーする。再び男になど騙されまいと警戒しつつ、ジェームズの熱意に少しずつ心を開くノエミ。しかし結局、彼は行きずりでセックスをしたノエミの同僚ダンサー、ホープ(リーナ・リッフェル)と組むことになる。 一方、ノエミのもとにはスターダスト・カジノから欠員オーディションのオファーが舞い込む。喜び勇んで会場へ向かうノエミだったが、しかし演出家トニー・モス(アラン・レイキンズ)によるセクハラまがいの指導にブチ切れてしまう。これでオーディション落選も決定的かと思いきや、なぜか合格の連絡を受けて驚くノエミ。どうやらクリスタルが裏で手を回したようだ。持ち前の負けん気でハードなトレーニングをこなし、念願だった一流のステージに立つノエミだったが、そんな彼女に同性愛的な欲望の眼差しを向けるクリスタルは、その一方で若くて野心家のノエミからトップスターの座を守らんと屈辱的な嫌がらせも仕掛けていく。愛憎の入り雑じった一触即発のライバル関係を築いていくノエミとクリスタル。そんな折、クリスタルの代役ダンサーが怪我で入院し、ノエミにチャンスが巡って来る。女の武器を使ってザックを誘惑し、代役の座を得ようとするノエミだったが…? アメリカ的なるものへ批判の目を向けたハリウッド時代のヴァーホーヴェン いわば、男性が権力を握る男社会のショービジネス界で、その搾取構造に抵抗しながらも成功を掴もうとする女性の闘いを描いた物語。他人を蹴落としたり騙したり陥れたりと、とにかく嫌な奴ばかり出てくる映画だが、その中でも特に男性キャラは揃いも揃って女性を食い物にするクズばかりなのが印象的だ。結局、「女の敵は女」とばかりに女性同士を対立させるのも、男たちが作り上げた性差別的なシステムが原因。そのことに無自覚だったノエミだが、しかしある事件をきっかけに男社会の搾取構造へ加担することを拒絶し、むしろ女性の誇りと尊厳を守るために男たちへ反旗を翻すことになる。これが実に痛快!胸がすくような思いとはまさにこのことだろう。 劇場公開時には「男尊女卑的な映画」との批判も受けた本作だが、しかしその評価は明らかに全くの的外れ。これはあくまでも「男尊女卑的なシステムを批判的に描いた映画」であって、作品の趣旨そのものはヴァーホーヴェンの最新作『ベネデッタ』(’21)と同様に極めてフェミニスト的だ。よくよくストーリーや設定を紐解いていくと、その基本プロット自体が『ベネデッタ』と酷似していることにも気付かされるだろう。 思い返せば、『ロボコップ』ではアメリカの警察組織を、『氷の微笑』ではアメリカ男性のマチズモを、『スターシップ・トゥルーパーズ』(’97)ではアメリカの帝国主義をと、ヨーロッパ人の視点からアメリカ的なるものへ鋭い批判の目を向けたハリウッド時代のヴァーホーヴェン監督。本作でもショービズ界の男尊女卑的なシステムを風刺しつつ、その背景として「金と権力」がものを言うアメリカ型資本主義の在り方そのものを痛烈に批判し、男たちの野心と欲望によってスターへと仕立て上げられていくノエミの成功を通してアメリカン・ドリームの不都合な真実を暴く。もしかすると、アメリカの観客が「不愉快だ」と感じた最大の理由はそこにあるのかもしれない。 そもそも、そのキャリアの初期から一貫して、ヴァーホーヴェン監督は社会や組織や権力への全般的な不信を露わにしてきたと言えよう。そういう意味でも、本作は紛れもないヴァーホーヴェン映画。『ベネデッタ』との類似性はすでに指摘した通りだが、男性からの暴力に対する女性の復讐劇は『ブラックブック』(’06)や『エル ELLE』(’16)とも共通するし、ノエミやクリスタルのようなタフで強い女性はもはやヴァーホーヴェン映画のトレードマークみたいなものだ。そういえば、ノエミもクリスタルも貧困時代にドッグフードを食べていたそうだが、『SPETTERS/スペッターズ』のヒロインも料理にドッグフードを使っていたっけ。なお、日本では「ノエミ」と表記される主人公だが、厳密にはノーミ(Nomi)と発音するのが正しい。 そのノエミ役に抜擢された主演女優エリザベス・バークリー。日本ではほぼ無名に等しかったが、しかしアメリカではテレビの人気シットコム『Saved By The Bell』(‘89~’93・日本未放送)でフェミニストの優等生少女ジェシー役を演じ、お茶の間のアイドルとして親しまれたスターだった。本作は満を持しての映画初主演作だったのだが、しかし世間からは映画と共に彼女の演技も酷評されてしまう。なるほど確かに、感情直下型ですぐに激昂する短絡的なノエミは、なかなか共感しづらいキャラクターではある。しかし、本編後半で明かされる通り、不幸な生い立ちから悲惨な人生を歩んできた彼女は、その過程で他者からさんざん傷つけられたであろうことは想像に難くない。彼女の攻撃的で感情的なリアクションは、恐らく辛酸を舐めてきた人間だからこその自己防衛本能が働いているのだろう。要するに、自分を傷つけようとする人間への威嚇だ。そう考えれば、ノエミの直情的な行動原理も理解できるし、エリザベス・バークリーの芝居にも納得がいく。むしろ非常に説得力があると言えよう。それだけに、本作の悪評が災いして大成できなかったことは誠に気の毒だった。 ちなみに実はヴァーホーヴェン監督、当初は本作の企画をパスするつもりだったらしい。というのも、ジョー・エスターハスが最初に仕上げた脚本が、あまりにも『フラッシュダンス』とソックリだったため、ヴァーホーヴェンも製作者マリオ・カサールも食指が動かなかったのだそうだ。ちょうどその時期、アーノルド・シュワルツェネッガーを主演に十字軍を題材にした歴史大作『Crusades』の企画が浮上し、ヴァーホーヴェンはそちらへ着手することに。ところが、製作準備開始から半年が経っても資金が集まらず、そのうえ製作会社カロルコが『カットスロート・アイランド』(’95)に多額の予算を注ぎ込んだため、モロッコにエルサレムのセットを組み始めたタイミングで『Crusades』の製作中止が決定。その代わりにフランスの製作会社が『ショーガール』の企画に興味を示し、製作資金の提供を申し出たことから本作のゴーサインが出たのだそうだ。 ブロードウェイの内幕を描いた名作『イヴの総て』(’50)を参考に、なるべく『フラッシュダンス』から遠ざかるよう脚本を書き直したヴァーホーヴェン監督。実際のラスベガス以上にラスベガスらしい世界を創出し、煌びやかな虚構の裏側でうごめく醜いアメリカン・ドリームの実像を徹底的に炙り出すべく、あえて演出も脚本も演技も音楽も全てを過剰なくらい大袈裟にしたという。劇場公開当時はあまりに不評だったため、果たして自分の演出方針は正しかったのかと自信が揺らいだそうだ。’16年のインタビューでは「今になって見直すと、興味深いスタイルだったと思う」と語っているヴァーホーヴェンだが、まさしくその過剰で大袈裟なスタイルこそ、本作が時を経てカルト映画として愛されるようになった最大の理由ではないかとも思う。■ 『ショーガール』© 1995 - CHARGETEX
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PROGRAM/放送作品
アギーレ/神の怒り
[PG12相当]伝説の黄金郷を目指す男達が狂気に陥っていく…あの『地獄の黙示録』にも影響を与えた作品
ニュー・ジャーマン・シネマを代表する鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督の出世作にして傑作。アマゾン奥地の黄金郷を目指す探検隊の実話を基にした冒険を、壮大なスケールの自然描写とともに壮絶に映し出す。
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COLUMN/コラム2023.04.13
不朽の名作は新たな才能の饗宴の場でもあった!『アラビアのロレンス』
第1次世界大戦の最中、中東を支配していたオスマン=トルコ帝国に対する、“アラブ反乱”が起こった。それを支援したイギリス軍人で「アラビアのロレンス」として名高い存在だったのが、トーマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)。『アフリカの女王』(1951)『波止場』(54)などのプロデューサーであるサム・スピーゲルは、ロレンスが記した回想録「七つの知恵の柱」の映画化権を60年に獲得。インドに居たデヴィッド・リーンの元へと、向かった。 リーンはかの地で、マハトマ・ガンジーの生涯を映画化する企画に取り掛かっていたのだが、そちらは棚上げ。前作『戦場にかける橋』(57)で組み、赫赫たる成果を上げたパートナー、スピーゲルからのオファーを受けた。 これが映画史に残る、未曽有のスペクタクル大作にして不朽の名作、『アラビアのロレンス』(62)のスタートだった。 リーンは、ロレンスという人物が事を為した時に28歳という若さだったことを挙げ、「…大人物であったと思う」と評しながらも、彼が普通社会には受け容れられない、“異常人物”であると断じている。その上で、ロレンスが自伝の中で自らの欠点を告白している点に、いたく興味を持ち、そこに魅力を感じたという。 ***** 1935年のイギリス。ひとりの男が、運転していたバイクの事故で死ぬ。彼の名は、T・E・ロレンス。「アラビアのロレンス」として勇名を馳せながら、彼のことを真に理解する者は、ひとりとして居なかった…。 1916年、トルコに対してアラビア遊牧民のベドウィンが、反乱を起こそうとしていた。イギリスはそれを援助する方針を固め、その適任者として、カイロの英陸軍司令部に勤務し、前身は考古学者でアラビア情勢に詳しい、ロレンス(演:ピーター・オトゥール)を選んだ。 ロレンスは、反乱軍の指導者ファイサル王子(演:アレック・ギネス)の陣営に向かって旅立つ。目的地に辿り着く前には、後に盟友となる、ハリト族の族長アリ(演:オマー・シャリフ)との出会いがあった。 反乱軍と合流したロレンスは、トルコ軍が支配し、難攻不落と言われたアカバ要塞の攻略を目指す。だがそれは、灼熱の砂漠を越えなければ実施できない、無謀な作戦だった。 しかしロレンスと彼が引き連れた一行は、見事に砂漠を横断。蛮勇で名を轟かせていたハウェイタット族のアウダ・アブ・タイ(演:アンソニー・クイン)も仲間に引き入れ、遂にはアカバのトルコ軍を撃破する。 その後もゲリラ戦法で、次々と戦果を上げるロレンス。彼が夢見るアラブ民族独立も、いつか実現する日が来るように思えた。 しかしイギリスははじめから、独立など許す気はなく、己の権益の拡大のみが、目的だった。ロレンスはやがて、理想と現実のギャップに引き裂かれていく…。 ***** リーン曰く、本作の前半は、ロレンスが英雄にまつりあげられるまでの上昇のプロセス。そして後半では、英雄気取りになった彼が、「…神のような高さからついに地上へ落下する…」という、下降のプロセスを描く。 そんな中での、ロレンスの人物造形。これについては、映画評論家の淀川長治氏が、『アラビアのロレンス』について書いた一文を引用したい。 ~ロレンスの伝記。しかも複雑怪奇なロレンス像。その砂漠の第一夜からホモの影を匂わせてこのロレンスの男の世界をリーンは身震いするほどのせんさいで描いて見せた…~ こうした一筋縄ではいかない主人公の物語を構築するに当たって、大いなる戦力となったのは、脚色を担当した、ロバート・ボルト。劇作家として高い評価を受けていたボルトだが、映画の脚本を書くのは、これが初めてだった。 プロデューサーのスピーゲルは、台詞の一部を担当させるぐらいのつもりで、ボルトに声を掛けた。しかし執筆が始まると、スピーゲルもリーンも、その才能に脱帽。6週間拘束の約束が延びに延びて、結局18か月間、ボルトは『ロレンス』にかかり切りとなった。 付記すれば、ここに始まった、ボルトとリーンの縁。『ロレンス』の後、『ドクトル・ジバゴ』(65)『ライアンの娘』(70)まで続く。 ロレンスの複雑怪奇さを表現できたのは、演者にピーター・オトゥールを得たことも、大きかった。当初この役の候補には、マーロン・ブランドやアルバート・フィニーの名も挙がったという。しかしリーンは、シェークスピアものの舞台などで評価されていたオトゥールを、大抜擢。 オトゥールは4か月の準備期間に、ロレンスを知る人物を次々と訪ね、また彼に関する本と記録を片っ端から読破。原作である「七つの知恵の柱」に至っては、暗記してしまった。 因みにファイサル王子役のアレック・ギネスは、以前に舞台で、ロレンスの役を1年近く演じ続けた経験がある。オトゥールは自分の解釈が壊されるのを恐れ、ギネスとの接触を、可能な限り避けた。 ラクダ乗りの訓練とアラビア語のレッスンに関しても、オトゥールは誰よりも熱心に取り組んだという。 そうした努力の甲斐もあって、オトゥールにとってロレンスは、「生涯の当たり役」となり、後々には“名優”と言われる存在となっていった。しかし、好事魔多し。 本作でスピーゲルやリーンには、またもやオスカー像が贈られた。それに対してオトゥールは、この初めてにして最大の「当たり役」が、“アカデミー賞主演男優賞”のノミネート止まりで終わってしまったのである。 その後はどんな役をやっても、ロレンスの上を行くのが、難しかったからでもあろう。幾度候補となっても、オスカーを手にできないジレンマに陥った。 生涯で、結局8回も“主演男優賞”の候補になりながら、彼が手にしたオスカー像は、2003年のアカデミー賞名誉賞だけ。これはまあ、「残念賞」とも言える。 新しいスターという意味では、砂漠の蜃気楼の中から陽炎のように現れる、アリ役のオマー・シャリフの登場も、鮮烈だった。中東ではすでに人気俳優だったシャリフだが、この1作で世界の檜舞台へと駆け上がった。 このようにKEYとなる人材を得たとはいえ、1962年CGがない時代に、これだけのものを作ってしまったというのは、やはり驚きだ。 撮影は大部分、ヨルダンの砂漠で行われた。スタッフは砂漠にテントを張って、寝泊りしながら撮影を行ったというが、その拠点はアカバに置かれた。 70エーカーの土地を借りて、まるで新しい町が出現した。そこには、製作事務所、撮影部、衣装部、美術部、メーキャップ部、機械整備部、資材部、大道具・小道具の製作工場、大食堂、酒舗、郵便局等々の建物が立ち並び、ラクダの放牧場や大駐車場まで在った。600人に上る撮影隊のために、そこから少し離れた海岸部には、レクリエーション・センターまで設けられたという。 当時のヨルダン国王は、撮影隊に全面協力。3万人の砂漠パトロール隊員を提供した他、1万5千人のベドウィン族が、家族や家畜と共に参加し、アラブ兵やトルコ兵に扮した。 こうした大群衆を動かすため、リーンは、「撮影開始」の合図には、ロケット弾を打ち上げさせた。そして空撮のためにヘリコプターを飛ばし、空中から拡声器で指示を出すこともあった。 撮影隊は突然起きる砂嵐や蜃気楼、日陰でも50度前後に達する昼間の高温が、夜には氷点下となることもある寒暖の差、100%近い湿度等々、大自然の脅威に悩まされながらも、ヨルダンでの撮影を終えた。 続いて、モロッコ、南スペインなどでも、ロケが行われた。 ある石油採掘業者が、本作の撮影隊を指して、こんなことを言った。「白人がこの砂漠でひと夏過ごすのは不可能だ」と。しかしその予言は、見事に外れた。リーンは本作の撮影のため、合わせて3年ほども、砂漠の中で過ごしたと言われる。 もしも現在CGやVFXなしで撮影したら“300億円”以上掛かると言われる。世紀の超大作は、こうして完成に向かっていった。 スピーゲルとのコラボで、前作『戦場にかける橋』で、ビッグバジェットは経験済みとはいえ、本作は桁違いの超大作。改めて、ここに至るまでのリーンの歩みを振り返ってみたい。 若き日は撮影所でカメラマン助手や編集など技術スタッフを務めていたリーンの才能を発見したのは、ノエル・カワード。俳優・作家・脚本家・演出家・映画監督などなど、多方面にてマルチな才能を発揮し、イギリスで一時代を築いたアーティストだった。 カワードが製作・監督・脚本・主演を務めた『軍旗の下に』(42)で、リーンは共同監督として、デビューを飾った。カワードは、9歳下のリーンを大いに気に入り、その後自らのプロデュースで、自作の戯曲を映画化するに当たって、3本続けてリーンに監督を委ねた。その中にはイギリス映画史に残る、恋愛映画の名作『逢びき』(45)がある。 カワードとの蜜月後、『大いなる遺産』(46)『オリヴァ・ツイスト』(48)と、イギリスの国民的作家チャールズ・ディケンズの小説を2作続けて映画化。評判を取った。 この頃までのリーン作品は、すべてイギリス国内が舞台だった。 初めての海外ロケ作品は、『旅情』(55)。キャサリン・ヘップバーン演じるアメリカ人の独身中年女性が、イタリアのベネチアで、旅先の恋に身を震わすこの物語から、リーンは新たなステップに入っていく。「アフリカやアメリカの西部や、アジア各地など、映画は世界中をスクリーンの上に再現して見せてくれ、私の心を躍らせた。私が『幸福なる種族』(44)や『逢びき』のようなイギリスの狭い現実に閉じこもった作品から脱皮して、『旅情』以後、世界各地にロケして歩くようになったのは、映画青年時代からの私の映画を通しての夢の反映であるわけだ。私は冒険者になった気持で、一作ごとに知らない国を旅行して歩いているのである」 そしてリーンは、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』という、異国の地を舞台にしたスペクタクル巨編へと進むわけだが、こうしたチャレンジを行うようになった下地としては、彼の恩人であるノエル・カワードから贈られた言葉もあったようだ。曰く、「いつも違う道を歩きなさい」。 これらの超大作は共通して、舞台は「脱イギリス」だが、イギリス人の冒険を求める心が描かれているのが、特徴だ。両作を手掛けた、デヴィッド・リーン本人の心持ちとも、重なっていたように思える。 さて話を『ロレンス』に戻せば、撮影が終わって仕上げに入る段階で、また1人得難い“才能”が参加する。フランス出身の作曲家、モーリス・ジャールである。 ジャールは映画音楽を書くためのインスピレーションは、脚本ではなく、スクリーンで映像を観た時に得るものが、最も大きいと語る。「脳とハートを働かせ、監督と一緒に仕事をして色々なアイディアを交換することで、インスピレーションが湧いてくる…」のだそうである。『ロレンス』は、曲を作る段階で、撮影はすべて終わっていた。そしてジャールは作品に参加後、最初の1週間は、40時間の未編集の映像を、ひたすら観ることとなった。 リーンから「これをカットして、4時間の映画にする」と言われたが、その内2時間分の音楽を、6週間で書き上げなければならないという過酷なスケジュール。昼も夜も書き続けて、レコーディングが終わる頃には、「ほとんど死んでいました(笑)」と、後にジャールは述懐している。 因みにサム・スピーゲルからは、「オペラのような感じを出したい」と、注文を出された。当時は本作のような大作の場合、映画の始まる前や休憩の時に、音楽を流すのが流行していた。まず序曲があって、それが終わるとカーテンが開いて、オペラが始まる。そんなイメージだったという。 ジャールは曲の出だしで、パーカッションを用いて、観客を「…一瞬でアラビアにいるような気持ちにさせる…」ように工夫した。そしてそれは、大成功を収める。 因みに先にも触れた、オマー・シャリフ演じるアリの登場シーン。ジャールはリーンに、観客に何かを語る音楽を作るかと提案したら、「そこに音楽は要らない」と返された。静寂の中、少しずつラクダの足音が近づいてくる方が、ずっとドラマティックというわけだ。風の音や自然の一部も、すべて音楽だというリーンの考えであった。 ジャールはリーンとは、最後の監督作品『インドへの道』(84)まで付き合うこととなる。 さて今回「ザ・シネマ」で放送されるバージョンは、全長227分もの[完全版]。実は1962年の本作初公開時は、諸般の事情でカットが重なり、リーン監督にとっては不本意な形になってしまった。 その後カットされたフィルムが見つかったのを機に、88年に本来の状態に構成し直してデジタル・リマスタリングされたものが、この[完全版]である。 再編集はリーン自らが行い、音声素材が残っていなかった未公開シーンではオトゥールをはじめオリジナルキャストが再結集。改めてアフレコを行った。 多額の資金が必要だったこのプロジェクトで、大きな役割を果たしたのが、マーティン・スコセッシとスティーブン・スピルバーグ。2人とも『アラビアのロレンス』及びデヴィッド・リーンから、ただならぬ影響を受けて育った映画監督である。 スピルバーグが最も尊敬する“巨匠”が、リーンであることは、つとに有名だ。そしてリーンの監督作品の中でも『アラビアのロレンス』(57)は、自作を撮影する前に必ず見直す作品の1本だと語っている。 [完全版]は、今や正規バージョンとなっている。劇中のロレンスの悲劇的な最期と対照的に、映画作品として「めでたしめでたし」の帰結である。 その一方で、忘れてはならないことがある。ロレンスが関わった“アラブ反乱”の、リアルなその後だ。 当時のイギリスが、アラブの独立など認める気がなかったのは、記した通り。内容が矛盾する様々な密約を、アラブ側やユダヤ勢力と結ぶ、いわゆる悪名高き「三枚舌外交」を展開していた。これが「パレスチナ問題」のような、今日でも解決の糸口が見えないような、大きな問題に繋がっている。 T・E・ロレンスは、映画を観た我々にとっては、「アラブ諸国の独立に尽力した人物」「アラブ人の英雄」のように映るが、実際はどうだったのか?実はイギリスの「三枚舌外交」の尖兵だったのでは?そんな指摘も為されている。 どうであれ、本作が紛れもない傑作であるのは、揺るぎはしまい。しかし鑑賞の際、アラブの現在やパレスチナの悲劇に思いを馳せるのは、忘れないようにしたい。 私にはそれが、砂漠とアラブの人々を愛した、本作に登場するキャラクターとしての、ロレンスの遺志に添うことのように思えるのである…。■ 『アラビアのロレンス』© 1962, renewed 1990, © 1988 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
セブン
[R15相当]ブラッド・ピット&モーガン・フリーマンの刑事コンビが猟奇殺人に挑むサイコ・サスペンス
サスペンスとカルト・ホラーの混ざり合う独特の世界を、類まれな映像センスで描いた本作はデヴィッド・フィンチャー監督の出世作だ。重々しい緊張感のもと、主演コンビの名演とともに一気に衝撃の結末へ導かれる!
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COLUMN/コラム2023.04.07
スコセッシ&デ・ニーロ“ギャングもの”3部作の最終作!?『カジノ』
2012年、イギリスの「Total Film」誌が、映画史に残る「監督と俳優のコラボレーション50組」を発表した。第3位の黒澤明と三船敏郎、第2位のジョン・フォードとジョン・ウェインを抑えて、堂々の第1位に輝いたのが、マーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロだった。 この時点で、スコセッシ&デ・ニーロが世に放っていた作品は、8本。その内には、『タクシードライバー』(76)や『レイジング・ブル』(80)など、今日ではアメリカ映画史上の“クラシック”として語られる作品も含まれる。 しかしながらこのコンビと言えば、まずは“ギャングもの”を思い浮かべる向きも、少なくないだろう。これは多分、デ・ニーロがスコセッシ作品と並行して出演した、『ゴッドファーザー PARTⅡ』(74)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)『アンタッチャブル』(87)などの印象も相まってのことと思われるが…。 何はともかく、95年までのコンビ作8本の内3本までが、“ギャングもの”に分類される作品だったのは、紛れもない事実である。スコセッシ&デ・ニーロの“ギャングもの”3部作、それはコンビ第1作の『ミーン・ストリート』(73)を皮切りに、『グッドフェローズ』(90)、そして95年に発表した本作『カジノ』へと続いた。 ***** 1970年代初頭、サム“エース”ロスティーン(演:ロバート・デ・ニーロ)は、ギャンブルでインサイダー情報などを駆使。儲けさせてくれるノミ屋として、知られていた。 そんなサムに目をかけていたギャングのボスたちの肝煎りで、彼はラスベガスへと送り込まれる。任されたのは、巨大カジノ「タンジール」の経営。サムはカジノの売り上げを大幅にアップさせ、ボスたちの取り分も倍にする。 サムと同じ街で育ったギャング仲間の親友ニッキー・サントロ(演:ジョー・ペシ)も、ラスベガスに現れる。ニッキーは、いとも簡単に人を殺してしまう、荒くれ者。サムは危惧を抱きながらも、用心棒として頼りにする。 ある時サムは、カジノの常連で、ギャンブラーにして詐欺師のジンジャー(演:シャロン・ストーン)と出会い、惚れ込む。彼女が自分に愛は抱いておらず、腐れ縁のヒモに金を注ぎ込んでいるのも知っていたが、いずれ「愛させてみせる」と、自信満々にプロポーズ。2人の間には、早々に娘が生まれる。 しかしジンジャーは変わらず、やがて夫婦生活は暗礁に乗り上げる。彼女は酒とドラッグに溺れ、手に負えなくなっていく。 凶暴性を抑えることがない、ニッキーの暴走も、サムの頭痛の種に。しかもジンジャーが、慰めてくれるニッキーと、不倫の関係に陥ってしまう。 妻と親友の裏切り。そしてFBIの捜査の手がカジノに伸びてくる中で、サムは破滅への道を歩んでいく…。 ***** 1905年に砂漠の中に設立されて始まった、欲望渦巻くギャンブルの街ラスベガスを舞台にした、本作『カジノ』。登場人物はいずれも、「生まれつきかたぎの道には無縁の者たち」である。 原作&脚本でクレジットされているのは、ニコラス・ビレッジ。主に70年代のラスベガスに材を取り、実在のギャングたちとその興亡に関して、5年がかりで取材を進めた。 ビレッジは、スコセッシ&デ・ニーロの“ギャングもの”3部作の前作、『グッドフェローズ』の原作者兼脚本家でもある。しかし前作が、すでに出版されていた自作を、スコセッシと共に脚本化するというやり方で映画化したのに対し、今作でスコセッシから共同脚本の依頼を受けた時は、まだ書籍は書き始めたばかりだった。 当初は撮影が始まる前には、本も仕上げようと考えていたビレッジだったが、そのプランは雲散霧消。結局はスコセッシと共に、5か月間もシナリオの執筆に没頭することになる。 ビレッジ曰くスコセッシは、彼が提供したリサーチやメモに目を通して、「…何もないところから、つまりただのメモから脚本を書いた…」という。その作業は『グッドフェローズ』の時よりも、「…数段難しかった…」と述懐している。 そんな中でビレッジが驚かされたのは、スコセッシが脚本に、音楽を書き、カット割りを書き、ビジュアルの絵を描き、作品のトーンまで書いてしまうことだった。この時点でスコセッシの頭の中では、トータルな映画が出来上がっていたわけである。『カジノ』は、『グッドフェローズ』で成功した手法に、更に磨きを掛けた作品と言える。ひとつは“ヴォイス・オーバー・ナレーション”。 登場人物の心理をナレーションで語らせてしまうのは、ヘタクソな作り手がやると、目も当てられないことになる。しかしスコセッシは、サムそしてニッキーの胸の内をガンガン語らせることで、説明的なシーンの省略に成功。3時間近くに及ぶ長大なストーリーを、中だるみさせることなく、テンポよく見せ切ってしまう。 音楽の使い方も、前作を踏襲。できるだけその時代に合わせることを意識しながらも、ローリング・ストーンズからフリードウッド・マックなどのポップス、バッハの「マタイ受難曲」のようなクラシック、『ピクニック』(55)や『軽蔑』(63)のような作品のサントラまで、様々なジャンルの音楽を使用。エンドロールを〆る、ホーギー・カーマイケルの「スターダスト」まで、実に50数曲がスクリーンを彩る。 本作に登場する「生まれつきかたぎの道には無縁の者たち」の相当部分は、実在の人物を基にしている。主人公サムのモデルとなったのは、フランク“レフティ”ローゼンタールという男。実際にフランクがラスベガスで仕切っていたのは、4つのカジノだったが、本作では1箇所に集約。架空の巨大カジノ「タンジール」を作り出した。 因みに、この映画のファーストシーンで描かれる、サムがエンジンを掛けた車が爆発して吹き飛ばされるシーンは、モデルとなったフランクが、82年に実際に経験したことである。映画で描かれたのと同様に、フランクは九死に一生を得たものの、彼のラスベガスでのキャリアは、終焉を迎えることとなる。 そして後々、ニコラス・ビレッジの取材に対して自らの半生を語り、それが本作『カジノ』となる。そうした流れを考えても、あれ以上のファーストシーンは、なかったと言えるだろう。 さて、「生まれつきかたぎの道には無縁の者たち」を演じる俳優陣。デ・ニーロはもちろん、『グッドフェローズ』でアカデミー賞助演男優賞を獲得しているジョー・ペシにとっても、そんな役どころはもはや、「お手の物」のように映る。 そんな2人に対して、当時「意外」なキャスティングと話題になったのが、ジンジャー役のシャロン・ストーンだった。シャロンは『氷の微笑』(92)で、セックスシンボルとして注目を集め、一躍スターの仲間入りした印象が強い。 本人もスコセッシに対して、「…私のようなタイプの役者を必要とする映画とは無縁の人…」のように感じていたという。まさか彼の映画に出ることになるとは、夢にも思わなかったわけである。 しかしスコセッシは、シャロンがぽっと出のスターなどではなく、そこに至るまで20年近く、この世界で頑張っていたことを知っていた。スコセッシはシャロンと何度か話をして、彼女の中にジンジャーを自分のものとして演じられる重要な要素、死にもの狂いの必死さを見出したのである。 シャロンの起用はスコセッシにとって、「冒険ではあったけれど、一方では充分な計算に基づいてもいた…」という。 いざ撮影に入ると、シャロンに対して、デ・ニーロが惜しみなく助言を行った。それに励まされてか、シャロンは次々と有機的な提案を行う。子どもの前でコカインを吸うシーンや、衣装に少々たるみを出すことで、生活が崩れてボロボロになった様を表す等々は、彼女のアイディアが、スコセッシに採用されたものである。 本作のクランクアップが迫る頃になると、シャロンには、最高の仕事を成し遂げた実感が湧いてきたという。その実感に、間違いはなかった。本作での演技は彼女のキャリアでは唯一、“アカデミー賞主演女優賞”にノミネートされるという成果を上げた。 さて本作で、俳優陣以上の存在感を発揮しているのが、文字通りのタイトルロールである、“カジノ”だ!スタジオにセットを建てるよりも、実際のカジノで撮った方が、独特の熱気や照明が手に入るという判断に基づいて、ロケ地探しが行われた。 結果的に120か所以上のロケ地が使用されたが、メインの「タンジール」のシーンでは、1955年にラスベガスに建てられた、「リヴィエラ・ホテル」を使用することとなった。このホテルは90年に入ってから改装されていたが、それはちょうど本作の舞台である、70年代風へのリニューアル。お誂え向きだった。「リヴィエラ」での撮影は、カジノの一部を使って、週4日、夜の12時から朝の10時まで、6週間以上の期間行われた。本作では売上げをマフィアへ運ぶ男が、ラスベガスの心臓部を早足で通り抜けていくシーンがある。これはこの撮影体制があってこそ可能になった、ステディカムでの長回しである。 賭場のシーンでは、前方にこそ、70年代の服装をさせたエキストラを配置したが、後方に控えるは、実際に徹夜でギャンブルに勤しんでいる、「リヴィエラ」の本物のお客。スロットマシーンなどのサウンドは鳴りっぱなしで、勝った客が、大声で叫んだりしているというカオスだった。「まるで人とマシーンと金が一つの大きな固まりになって、息をしている…」この空間で撮影することを、スコセッシは大いに楽しんだ。もちろん大音響の中で聞き取れないセリフは、アフレコでフォローすることになったのだが。 そんな中で撮影された一つが、ジョー・ペシ演じるニッキーが、立ち入り禁止にされているにも拘わらず、カジノに押し入ってブラック・ジャックに挑むシーン。ペシはアドリブで、トランプのカードをディーラーに投げつけたり、汚い言葉で悪態を突いたりする。 その撮影が済んだ後ディーラーを務めていた男が、スコセッシにこんなことを言ってきた。「本物はもっと手に負えない奴でしたよ」。何と彼は、ニッキーのモデルになったギャングと、実際に相対したことがある、ディーラーだったのだ。 このエピソードからわかる通り、本作では本物のディーラーやゲーム進行係が、カードやチップ、ダイスを捌いている。更には、カジノの連絡係などを、コンサルタントに雇った。“本物”にこだわったのである。 そんな中でなかなか見つからなかったのが、「騙しのテクニックを教えてくれる人間」。そうした者は、「カジノでは絶対に正体を知られたくない…」からである。 ・『カジノ』撮影現場での3ショット(左:ジョー・ペシ、中央:マーティン・スコセッシ、右:ロバート・デ・ニーロ) スコセッシは本作で、マフィアなどの組織犯罪が力を失っていく姿を、「…1880年代にフロンティアの街が終りを告げた西部大開拓時代の終焉…」に重ね合わせたという。そして、落日の人間模様を描くことにこだわった。 また、敬虔なクリスチャンとして知られるスコセッシは、本作の物語を「旧約聖書」にも重ねた。主人公たちは、高慢と強欲があだとなって、1度は手にした楽園を失ってしまうのである。 そうして完成した本作は、後に「監督と俳優のコラボレーション50組」の第1位に輝くことになる、スコセッシ&デ・ニーロにとって、一つの区切りとなった。お互いの手の内がわかり過ぎるほどにわかってしまう2人は、この後暫しの間、コラボの休止期間に入る。 21世紀に入って、スコセッシのパートナーは、レオナルド・ディカプリオへと代わった。『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)から、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13)まで、そのコンビ作は5本を数える。 スコセッシとデ・ニーロとの再会は、『カジノ』から実に24年後の、『アイリッシュマン』(19)まで待たなければならなかった。70代になった2人が組んだこの作品もまた、“ギャングもの”である。■ 『カジノ』© 1995 Universal City Studios LLC and Syalis Droits Audiovisuels. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ナイン・マンス 【4Kレストア版】
[R15+]自分らしく生きようとする女性の覚悟が刺さる──メーサーロシュ・マールタが綴る迫真のドラマ
メーサーロシュ・マールタ監督が後に生涯のパートナーとなるヤン・ノヴィツキと初めて組んだ作品。虚構を超越したラストが圧巻。カンヌ国際映画祭の国際映画批評家連盟賞とベルリン国際映画祭OCIC特別賞を受賞。
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COLUMN/コラム2023.03.02
ピーター・バーグ監督が語った『バトルシップ』秘話
◆果たせなかった『砂の惑星』のリベンジ ボードゲームに基づいたSF侵略バトル映画『バトルシップ』は、公開後に日本でカルト的な人気を博し、今や地上波テレビで放送されるたびにSNSを賑わす“お祭り“コンテンツとして定着した感がある。要因は多々挙げられるが、やはりこの作品の激アツなクライマックスに起因するのではないだろうか。未見の方の楽しみのために詳述は割愛するとして、筆者(尾崎)は本作のプロモーションで来日したピーター・バーグ監督にインタビューし、『バトルシップ』が生まれるまでの経緯や裏話を聞き出している。その一部は雑誌媒体に加工のうえ発表したが、やむなく切り落とした部分が多く、プロダクションノートにも記載されてないネタが含まれている。なので意訳ではあるが、今回それらを再構成し、陽の目を与えるに至った。実際に作品をご覧になるときの参考となればさいわいだ。 ・『バトルシップ』撮影中のピーター・バーグ監督 Credit: Frank Masi 俳優から監督へと転身し、『キングダム/見えざる敵』(07)や『ローン・サバイバー』(13)などの硬質なサスペンスアクションを手がけてきたバーグは、本作『バトルシップ』以前のキャリアにおいて、SFやファンタジーに属するようなサブジャンルに着手したことがなかった。唯一、スーパーヒーロー映画の再定義化を試みたコメディ『ハンコック』(08)がかろうじてそれに該当しないこともないが、監督いわく「ウィル・スミス主演のスター映画」と自らカテゴライズし、自らSFジャンルには入れていない(理由は後述する)。しかも本来は『バトルシップ』ではなく、別のSF作品を手がける予定だったのだ。 ピーター・バーグ監督(以下:バーグ)「『バトルシップ』の話がくる前、僕はパラマウントで『DUNE/デューン 砂の惑星』(以下:『砂の惑星』)を準備していてね。それにあたって、SFや宇宙についてかなり広範囲なリサーチをしたんだ。かつて一度もSF映画を作ったことがなかったからね。その過程でSFにかなり興味を持ったので、『砂の惑星』が立ち消えになったときには非常に残念な思いをしたんだ。だから『バトルシップ』は、僕にとって『砂の惑星』のリベンジでもあるんだよ」 1984年にデヴィッド・リンチが監督し、後年ドゥニ・ヴィルヌーヴによって再映画化が果たされた『砂の惑星』は、もともとバーグによってプロダクションが進行していた時期がある。フランク・ハーバート財団から権利を取得したプロデューサーのケヴィン・ミッシャーがパラマウントに企画を持ち込み、ドウェイン・ジョンソン主演の『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』(03)で一緒に仕事をしたバーグに監督を依頼したのだ。しかし製作費の調達や度重なる脚本の改稿によってプロジェクトは棚上げとなり、バーグは『バトルシップ』に移行したのである。 『バトルシップ』はハズブロ社が同ボードゲームの権利をミルトン・ブラッドレー社の買収によって取得し、『トランスフォーマー』や『G.I.ジョー』のように映画として展開させる計画に端を発している。 しかしオリジナルのボードゲームは、艦隊どうしが戦艦の撃沈をめぐって勝敗を競い合うもので、それがなぜ対エイリアン戦を描くSF映画となったのだろう? 「やはりSFにこだわっていたんだよ」とバーグは語り、方向性を変えた起点を以下のように明かした。 バーグ「2010年にディスカバリー・チャンネルで、宇宙天文学者のスティーヴン・ホーキンス博士がナビゲートを務めるミニシリーズ“Into the Universe with Stephen Hawking”(スティーヴン・ホーキングと宇宙へ)を観たんだ。その番組内で博士は、地球からシグナルを発信していると、地球以上の文明を持つ惑星がそれをキャッチし、資源を求めてやってきて争いになる可能性にあると示唆していた。それがエイリアンの侵略をストーリーベースにしたきっかけなんだ」 この改変と同時に『砂の惑星』から同作にあったプロットの一部である「資源をめぐる争い」を骨格として組み込み、『バトルシップ』を本格的なSFものにしたのだと語った。 また『砂の惑星』のプロダクションから移行させた要素は、それだけではない。バーグによると「自分のバージョンは環境描写や戦闘場面など、とても激しいものになる予定だった」と回想し、それらを『バトルシップ』に適応させた旨や、リンチが手がけたものとの違いを示してくれた。実際にバーグ版『砂の惑星』の世界観は非常に硬質なもので、参考としてイギリスのコミックアーティストであるマーク"ジョック"シンプソンよるコンセプトデザインを以下に見ることができる(ジョックは『バトルシップ』でもコンセプトデザインを担当)。 https://www.duneinfo.com/unseen/jock 加えてバーグは「私の『砂の惑星』はオムツを履かせたりしない(笑)」と言って、リンチ版のハルコンネン男爵を揶揄していたが、奇しくもヴィルヌーヴ版では『バトルシップ』で主人公ストーンの兄を演じたアレクサンダー・スカルスガルドの父ステラン・スカルスガルドがハルコンネン男爵を演じている。 ◆二人の映画監督から得た映像スタイル また先述した「激しい攻防戦」というワードは、そのまま監督の視覚スタイルの話題へと移行するのに都合がよかった。インタビューはバーグが2004年に発表した『プライド 栄光への絆』へとターンし、同作の試合シーンの緊張感がスポーツ映画史上でもっとも高いものではないかと言及。『バトルシップ』にもその傾向が顕著に見られ、それらの多動的でラフな映像スタイルはどこから得たものかを訊ねている。 バーグ「私には監督として、二人の師匠がいる。それはジョン・カサヴェテスとマイケル・マンだ。どちらもシネマヴェリテを基調としたスタイルを持っているが、カサヴェテスは非常に俳優に自由を与えてくれる監督で、あまりコントロールしない人だ。それが自然な演出とカメラモーションに繋がっているし、逆にマイケルは脚本がぶれないくらいのコントロールフリークで、そこが面白い。彼は友人でもあるし、『キングダム/見えざる敵』のプロデュースも担当してくれた、そしてなにより、彼のビジュアルスタイルには多くを学ばせてもらった。僕は二人の正反対なアプローチをうまく折衷させながら演出をしてるけどね(笑)」 加えて、役者をコントロールしないという考え方は、バーグの中で映画における俳優の優先順位をおのずと示している。 「僕は過去にウィル・スミスと『ハンコック』を作ったけど、やはりというか観客は、ウィルのスター性に意識を支配されてしまう。違うんだ、映画のスターはストーリーなんだよ。だから『バトルシップ』はリーアム(・ニーソン)を除くと、あまり知名度の高い俳優を主要キャラクターとして劇中に置いていない。だってそのほうが、より完全にストーリーに没頭できると思ったからなんだ」 こうした俳優の話題から、質問は出演者の一人である浅野忠信に関することへと移行したのだが、「アサノの出ている作品だけでも、まずは観ておかないといけないね」と監督は言い、自分が日本映画に関して理解があまりないことを筆者に詫びていた。 しかしまさか、その日本で『バトルシップ』がこれほどまでに愛される作品になるとは、よもや思いもしなかったことだろう。■ 『バトルシップ』© 2012 Universal City Studios Productions LLLP. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
メカニック(2011)
[R15+]鮮やかな殺しのテクニック。J・ステイサム主演でブロンソンの同名アクションをリメイク
1972年のブロンソン主演同名作品を『エクスペンダブルズ2』の監督がリメイク。ブロンソンの演じたヒットマン役に当代一のアクション俳優J・ステイサムを起用し、アクション演出も21世紀に相応しく派手に。
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COLUMN/コラム2023.01.30
マイケル・マン監督の映画版リメイクをテレビ版オリジナルと徹底比較!『マイアミ・バイス』
そもそも『特捜刑事マイアミ・バイス』とは? ‘80年代を代表する人気テレビ・シリーズ『特捜刑事マイアミ・バイス』(‘84~’89)を、同番組に製作総指揮として携わっていたマイケル・マン監督が劇場版リメイクした作品である。『スパイ大作戦』を映画化した『ミッション:インポッシブル』(’96)シリーズの成功に端を発した、往年の名作ドラマの映画リメイク・ブームは、『チャーリーズ・エンジェル』(’00)シリーズのヒットによってさらに加速。『刑事スタスキー&ハッチ』(‘75~’79)のような知名度の高い作品から、『特別狙撃隊S.W.A.T.』(‘75~’76)のようにカルトな人気を誇るマニアックな作品まで、’00年代は数多くのテレビ・シリーズがスクリーンに甦った。ちなみに、前者はベン・スティラーとオーウェン・ウィルソン主演の『スタスキー&ハッチ』(’04)、後者はコリン・ファレル主演の『S.W.A.T.』(’03)。そうした中、筆者のような80年代キッズにとっては、まさに真打登場!といった感のあったのが本作『マイアミ・バイス』(’06)だった。 日本では’86年~’88年まで夜9時より放送された『特捜刑事マイアミ・バイス』。そう、昔は地上波のゴールデンタイムに海外ドラマが放送されていたのである。恐らく、本作はその最後の番組のひとつだったはずだ。常夏のリゾート地にして全米有数の犯罪都市マイアミを舞台に、ペットのワニとボートで暮らす喧嘩っ早い熱血刑事ソニー・クロケット(ドン・ジョンソン)と、ニューヨークからやって来た女好きのプレイボーイ刑事リカルド・タブス(フィリップ・マイケル・トーマス)が、得意の潜入捜査で麻薬密売組織や人身売買組織などの凶悪犯罪に立ち向かっていく。設定自体は必ずしも目新しいとは言えないバディ物の犯罪ドラマだったが、しかし当時としては様々な点で画期的な番組でもあった。 まずは、主人公のクロケットとタブスのファッションである。それまでアメリカの刑事ドラマといえば、むさ苦しいスーツ姿のオジサンかジーンズにTシャツ姿の若者か、いずれにせよオシャレとは程遠いヒーローが主人公だった。なにしろ警察官は公務員である。安月給なうえに多忙な仕事では、ファッションに気を遣う余裕などなかろう。ところが、本作の主人公たちは2人ともトレンディな高級イタリアン・スーツを着用。実にファッショナブルでスタイリッシュだった。実際、番組ではアルマーニやヴェルサーチなど高級ブランドの最新コレクションを撮影に使用していたという。一般的にアメリカ人男性はファッションに無頓着な人が多いのだが、本作の影響によってアメリカでもヨーロッパの男性向け高級ブランドが普及したとも言われる。クロケットが愛用するレイバンのサングラスも流行った。 さらに、ミュージックビデオを彷彿とさせる洗練された映像もまた抜群にオシャレだった。当時はMTVが世界中の若者の間で大ブームだった時代。’81年に開局した音楽専門チャンネルMTVは、最新ヒット曲のミュージックビデオを24時間流し続けるというコンセプトで大当たりし、それまであまり一般的ではなかったミュージックビデオを普及させ、いわば最強のプロモーションツールへと押し上げた。映画界でも『フラッシュダンス』(’83)や『フットルース』(’84)のようにMTV的な演出を取り入れた作品が次々と登場したが、テレビドラマの世界では『特捜刑事マイアミ・バイス』が最初だったように思う。そもそも、番組のコンセプト自体が「MTV世代向けの刑事ドラマ」だったらしい。そのため、番組中では当時の全米トップ10ヒットソングがたっぷりと使用され、よりミュージックビデオっぽさを盛り上げていた。しかも全てオリジナル・アーティストのオリジナル・バージョン。そのため楽曲使用料が大変な金額にのぼったとも言われている。シーズン1のパイロット・エピソードで、フィル・コリンズの名曲「夜の囁き」が流れる夜のドライブシーンは特に印象的だ。ヤン・ハマーの手掛けた番組テーマ曲も、全米シングル・チャートでナンバーワンとなった。 また、実際にマイアミで全て撮影されたことも大きな特色だったと言えよう。今でこそアメリカのテレビ・シリーズは舞台となる場所の現地でロケ撮影することが主流だが、しかし『ハワイ5-0』(‘68~’80)や『刑事コジャック』(‘73~’78)のような一部の例外を除くと、10年ほど前までは舞台の設定がどこであれ、基本的にロサンゼルス周辺やハリウッドのスタジオ、もしくはカナダのトロントやバンクーバーで撮影されるのがテレビ・シリーズの定番だった。『特捜刑事マイアミ・バイス』も当初はロサンゼルスをマイアミに見立てる予定だったが、しかし古いアールデコ様式の建物が並ぶマイアミ独特の街並みの再現が難しいこともあって、現地での撮影が選ばれることになった。おかげで、アメリカの南の玄関口とも呼ばれるマイアミならではのエキゾチックな雰囲気が、番組自体のトレードマークともなった。中でも、マイケル・マンの映画を彷彿とさせるネオン煌めく漆黒のナイトシーンと、明るい太陽がビーチに降り注ぐカラフルなデイシーンの強烈なコントラストが印象的だ。 あえてテレビ版とは差別化を図った映画版だが…? そんな懐かしの刑事ドラマを21世紀に甦らせた映画版『マイアミ・バイス』。クロケット役にコリン・ファレル、タブス役にジェイミー・フォックスとキャスト陣も刷新し、オリジナルとはまた一味違うクライム・アクション映画に仕立てられている。まずはそのストーリーを振り返ってみよう。 マイアミ・デイド郡警察の特捜課に所属する潜入捜査官のソニー・クロケット(コリン・ファレル)とリカルド・タブス(ジェイミー・フォックス)。ある時、2人と付き合いの長い情報屋アロンゾ(ジョン・ホークス)の妻が殺害され、悲嘆に暮れたアロンゾ自身も自殺してしまう。そのちょうど同じ頃、南米コロンビアの麻薬組織を追っていたFBIの潜入捜査官も殺された。どうやら、相手は仲介役のアロンゾがFBIのスパイだと知っており、その妻を拉致監禁して脅迫することで潜入捜査の情報を得ていたようだ。この一件はFBIだけでなく麻薬捜査局や税関、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)も加わった共同特別捜査。当局の管理システムがハッキングされ、そのどこかからか情報が洩れている。そこでFBIの責任者フジマ(キアラン・ハインズ)は、組織の実態と情報の漏洩元を把握するべく、クロケットとタブスに潜入捜査を依頼する。地元警察は共同捜査に参加していないため、相手方に素性のバレる危険性が少ないからだ。 組織の元締めと見られるのは大物密売人ホセ・イエロ(ジョン・オーティス)。コロンビアの麻薬はボートで運ばれ、カリブ海経由でマイアミへ密輸される。その運び屋を叩いたクロケットとタブスは、馴染みの情報屋ニコラス(エディ・マーサン)の仲介でイエロにコンタクトを取り、代わりの新たな運び屋として自分たちを売り込む。タブスの恋人で同僚のトルーディ(ナオミ・ハリス)は彼の妻役だ。指定場所のハイチへ飛んだクロケットとタブスは、綿密に捏造された犯罪歴と巧みな芝居で用心深いイエロを納得させ、組織の黒幕モントーヤ(ルイス・トサル)を紹介される。ボスだと思われたイエロは単なる仲介人で、組織の実態はFBIの想定よりも遥かに大規模だったのだ。モントーヤにも認められ、麻薬の運び屋を任されることとなったクロケットとタブス。その傍らでクロケットはモントーヤに関する情報を得るため、彼の愛人で組織のナンバー2である美女イザベラ(コン・リー)に接近するのだが、いつしか本気で愛し合うようになってしまう…。 実はこのストーリー、テレビ版シーズン1の第15話「運び屋のブルース」が下敷きとなっている。これは’84年に発表されたグレン・フライのアルバム「オールナイター」収録の楽曲「スマグラーズ・ブルース」をモチーフに、そのグレン・フライ自身も役者としてゲスト出演したエピソード。テーマソングとしても使用された「スマグラーズ・ブルース」は、エピソードの放送に合わせてシングルカットもされ、全米チャートで最高12位をマークした。 ストーリーの基本的な設定や流れはテレビ版とほぼ同じ。ただし、当時は管理システムのハッキングなるものが存在しないため、クロケットとタブスはFBI内部の密通者を突き止める。組織の黒幕モントーヤとその愛人イザベラも映画版オリジナルのキャラクターだが、その一方でテレビ版でグレン・フライが演じた飛行機パイロットも映画版には出てこない。最初に犠牲となる家族同然の情報屋も、ドラマ版だと警察がマークしていた下っ端の運び屋。FBIの協力者だった運び屋が家族を人質に取られ、麻薬組織に捜査情報を流した挙句に家族もろとも殺されるという事件が相次ぎ、組織に顔の割れていないクロケットとタブスが運び屋に化けて南米へ飛び、潜入捜査でFBI内部の密通者を炙り出す。同僚トルーディがタブスの妻役で、組織に拉致され爆弾が仕掛けられるという展開も一緒だが、しかしテレビ版ではトルーディとタブスが恋仲という設定はないし、トルーディが大怪我を負うこともない。かように映画版では随所で独自の脚色や改変が施され、2時間を超える劇場用映画らしいスケールの大きな物語に生まれ変わっている。ちなみに、クロケットとイザベラの間に芽生える悲運のロマンスは、売春組織に潜入したタブスがボスの娘と恋に落ちるシーズン1第16話「美少女売春!危ない復讐ゲーム」を彷彿とさせる。もしかするとヒントになったのかもしれない。 映画化に際してマイケル・マン監督は、なるべくテレビ・シリーズのイメージを避けることにしたという。そのため、番組のトレードマークだったヤン・ハマーのテーマ曲は使用されず、テレビ版では白やパステルカラーを基調にしていたクロケットとタブスのファッションも黒やグレーのモノトーンに統一され、陽光眩しい白砂のビーチもカラフルな水着姿の美男美女も出てこない。クロケットの住居であるボートもペットのワニも存在しないし、テレビ版ではチャラ男キャラだったタブスも映画版ではクールなタフガイとして描かれている。あえてテレビ・シリーズとの差別化を図っているのは一目瞭然であろう。 とはいえ、テレビ版で特に印象的だったフィル・コリンズの「夜の囁き」が映画版ではフロリダのロックバンド、ノンポイントによるカバーバージョンで流れるし、ジェイミー・フォックスが劇中で着用するスーツはイギリスの有名デザイナー、オズワルド・ボーテングのものだし、そもそもテレビ版のナイトシーンはマイケル・マン作品の世界観を明らかに踏襲していた。実際、テレビ版と酷似したようなシーンは少なからず見受けられる。映画版のクロケットとタブスがハイチで宿を取る場末のホテルも、元ネタになったエピソード「運び屋のブルース」に出てくる南米のオンボロ・ホテルと内装が瓜二つだ。むしろ、本作はマイケル・マン流にアップデートされた進化版『マイアミ・バイス』と見做すべきではないかと思う。■ 『マイアミ・バイス』© 2006 Universal Studios. All Rights Reserved.