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ニューヨーク1997 【4Kレストア版】
大統領の命運は“犯罪の帝王”に託された!ジョン・カーペンター&カート・ラッセルが放つSFアクション
鬼才ジョン・カーペンター監督がニューヨーク全体を監獄にするという奇抜なアイデアを具現化した近未来SF。アイパッチ姿のシニカルなアンチヒーロー“スネーク”をカート・ラッセルがニヒルに魅せる。
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COLUMN/コラム2023.11.08
ここからキャメロン・ディアスの快進撃が始まる!ファレリー兄弟“おバカ映画”の最高傑作!!『メリーに首ったけ』
2018年度のアメリカ映画賞レース。その頂点とも言うべき「アカデミー賞」で、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』やスパイク・リーの『ブラック・クランズマン』等々、強力なライバルを打ち破って“最優秀作品賞”に輝いたのは、『グリーンブック』だった。 この作品は、人種差別が激しかった1962年のアメリカを舞台に、実話をベースとした内容。ツアーに出た、黒人ピアニストのドン・シャーリーと、その運転手兼ボディガードに雇われた、粗野な白人トニー・ヴァレロンガの間に生まれる、友情と絆を描いた、感動的な物語である。 作品のクオリティとしては、賞レースを制したことに、何の不思議もない。トニー役のヴィゴ・モーテンセン、トニー役のマハーシャラ・アリがそれぞれアカデミー賞にノミネートされ、後者が助演男優賞に輝いたのも、納得でしかない。 しかし少なくない数の映画ファンが、大きな驚きと違和感を禁じ得なかった。この作品の製作・監督・脚本を務め、作品賞と監督賞のオスカーを手にしたのが、ピーター・ファレリーであったことに。 ピーターは、1990年代中盤から、アメリカン・コメディ・ムービーのTOPランナーとして、数々の“バカ映画”を手掛けてきた、“ファレリー兄弟”の兄の方。そんな彼が、まさか“オスカー監督”になってしまうなんて! 私の場合、アカデミー賞でのピーター・ファレリーの歓喜の表情を見ながら、彼と弟のフィルモグラフィーの中でも、特に笑い転げた傑作コメディを思い出していた。『グリーンブック』のちょうど20年前に製作・公開された、本作『メリーに首ったけ』(1998)である。 ***** 高校生のテッド(演:ベン・スティラー)は、同級生のメリー(演:キャメロン・ディアス)に恋している。しかしキュートで人気者の彼女に、冴えない自分が相手にされるなど、想像もつかないことだった ところが、知的障害のある男の子をイジメから救ったことで、幸運が訪れる。何と彼は、メリーの弟。テッドに大感謝のメリーは、彼をプロム・パーティーへと誘った。 しかしプロム当日、メリーを迎えに行ったテッドを悲劇が襲う。トイレでジッパーに、大事なイチモツを挟み、救急車で搬送されるハメに。すべては台無しとなった…。 それから13年。テッドはメリーのことが、忘れられない。そこで親友のドムから紹介された、ヒーリー(演:マット・ディロン)という胡散臭い男を、調査に雇うことに。 ヒーリーは、今はマイアミで整形外科医となったメリーを見つけ出す。彼女は眩しいほどに美しく、ヒーリーは一目惚れ。テッドには現在の彼女のことを、「体重120㌔で車椅子生活」「父親の違う4人の子の母親」などと虚偽報告を行う。その上で自らは、マイアミへと引っ越し。メリーに近づこうと、様々な策を講じる。 報告が嘘であることを知ったテッドも、マイアミへ向かう。そして再会を喜ぶメリーから、首尾良くデートの約束を取り付ける。 しかしメリーに首ったけなのは、テッドやヒーリーだけではなかった。それも皆、ストーカー行為を辞さない、一癖も二癖もある男ばかり。テッドの13年に渡る片想いの行方は!? ステキなメリーは一体、誰を選ぶのか!? ***** ロードアイランド州出身で、1956年生まれのピーター・ファレリーと、58年生まれのボビー・ファレリーの兄弟。90年代に全米で大人気だったシットコム、「となりのサインフェルド」に、2人の書いた脚本が売れたことから、業界でのキャリアが始まる。 クレジット上は、ピーターが監督、ボビーが共同製作になっている、『ジム・キャリーはMr.ダマー』(94)が、映画界に於ける2人の共同監督のはじまり。邦題通りにジム・キャリーと、ジェフ・ダニエルズが大バカコンビを演じるこの作品は、全米で製作費の10倍以上、2億5,000万㌦もの興収を上げる大ヒットとなった。 続いての作品は、ウッディ・ハレルソンとランディ・クエイド主演のボウリング・コメディ『キングピン/ストライクへの道』(96)。今度はちゃんと、ファレリー兄弟共同監督名義の作品となった。 そして第3作が、本作『メリーに首ったけ』である。元は89年に、TVのベテラン作家だった、エド・デクターとジョン・J・ストラウスが書いたオリジナルストーリー。それを、新作企画を探していたファレリー兄弟が、友人のエドから貰ったのが、はじまりだった。 本作のストーリーだけを追うと、ある意味「普遍的なラブストーリー」にも見える。それをオリジナルの作者であるエドとジョン、そしてファレリー兄弟の4人で、少しずつ書き変えた。その際に、物語の序盤でテッドを襲う“悲劇”をはじめ、ファレリー兄弟お得意の、「低俗なユーモア」を次々と盛り込んでいったのである。 因みにこの“悲劇”の元ネタとなったのは、ファレリー家で実際に起こったアクシデント。兄弟の姉がパーティを開いた際、客のひとりが同じようにジッパーにイチモツを挟んでしまい、兄弟の母がそれを助けたのだという。 そんなリライトを経て、出来上がったのは、ボビー・ファレリー曰く、「『恋人たちの予感』と『ブレージング・サドル』を足して2で割ったような…」内容。『恋人たちの予感』(89)は、“ロマコメの女王”メグ・ライアンとビリー・クリスタルが共演した、恋愛コメディの名作である。それに対して『ブレージング・サドル』(74)は、“アメリカン・コメディの巨匠”メル・ブルックスによる、西部劇をパロディにした、大バカなスラップスティックコメディだ。 因みにボビーは本作について、『恋人たちの予感』の原題“When Harry Met Sally(ハリーがサリーに出会った時)”をもじって、『ハリーがサリーをストーキングした時』と呼んでもいいとも、語っている。 配役に関しては、テッド役のベン・スティラーは、ファレリー兄弟の第一希望が通ったもの。しかし当初、製作会社側はベンでは弱いと考えたのか、他にオーウェン・ウィルソンやジム・キャリーの名前も上がったという。 結果的にベンは適役だったが、本作を成功に導いたのは、何と言っても、メリー役にキャメロン・ディアスを得たことが大きい。 十代からモデルとして活動していたキャメロンの俳優デビューは、21才の時。『マスク』(94)で、主演のジム・キャリーの相手役を務めたのが、ほぼ初めての演技だった。 この作品は大ヒット。キャメロンの知名度も上がったが、『マスク』での役どころは、あくまでも、ジム・キャリーの付属物。そこで彼女は、演技の経験を積む意味もあって、暫しの間、低予算のインディペンデント映画への出演を続けた。 そして97年、ジュリア・ロバーツ主演の『ベスト・フレンズ・ウェディング』、ダニー・ボイル監督の『普通じゃない』と、話題作に立て続けに出演。評価が高まったところでの“主演”が、本作だった。 しかしキャメロンのエージェントは、本作の脚本を一目見て、これには関わらないように、彼女に忠告したという。下ネタが目白押しで、障害者をネタにしたり、動物虐待ギャグもふんだんに入った作品に出るなど、「正気の沙汰じゃない」「キャリアが終わる」と、考えたからだ。 一方でファレリー兄弟は、キャメロンの出演を熱望。メリーのキャラには、実在のモデルが居たという。それは、ファレリー兄弟の近くにいた魅力的な女の子。ところがその子は、若くして事故で亡くなってしまった。兄弟は彼女への想いをたっぷりと籠めて、美しくも心優しいメリーのキャラを造型した。そしてキャメロンは、その役にピッタリだったのだ! 彼女のスケジュールに合わせて、撮影開始を遅らせるなどの配慮も、心に響いたのか?キャメロンは周囲の反対を押し切って、本作のオファーを受けることとなった。 実は当時のキャメロンは、ヒーリー役のマット・ディロンと交際中で、恋人同士での共演となった。しかし共演は、これが最初で最後となる。本作公開後、2人に別離が訪れたのは、キャメロンのキャリアが本作で急上昇し、ディロンと逆転してしまったことが、無関係とは言えまい。 そうした以外でも、キャメロンにとって『メリーに首ったけ』は、至極大切な作品となった。本作から10年後、キャメロンの父エミリオが、58歳の若さでこの世を去った際、彼女は本作の場面を使って、父の追悼映像を作ったのである。『メリーに首ったけ』の撮影現場で娘に同行していたエミリオは、マイアミに向かうテッドが、誤って逮捕された後の警察でのシーンにカメオ出演している。その役どころは、テッドが釈放される際に囃し立てて見送る、赤い服を着た囚人達の内の1人。長髪で髭をはやしたエミリオが、スクリーン上にはっきりと確認できる。 エキストラに友人・知人を多く起用するなど、ファレリー兄弟の撮影現場は、非常に楽しく和やかな雰囲気だったという。そんな中で、キャメロンが「懐疑的」になったのは、本作で最も有名だと言っても良い、“ヘアジェル”のギャグ。未見の方のために詳細は伏せるが、テッドとのデートに出掛ける前、メリーがある体液を、ヘアジェルと間違えて髪に付けて…というシーンである。 キャメロン曰く、これはさすがに「…行き過ぎかも」と思ったそうで、ファレリー兄弟に、「女の子がデート時に自分の髪の異変に気付かないはずがない」と異を唱えた。しかしそれに対する兄弟の答は、「…これは誰も見たことがないようなサイコーに笑えるシーンになるんだから、やってくれなくちゃダメだ!」だった。 他のやり方も試しながら、最終的にはキャメロンも納得して、このシーンを演じた。そして、「映画史に残る」…と言っても過言ではない、観てのお楽しみの、あのヴィジュアルが生まれたのである。 本作で少なくない者から不興を買ったのは、メリーの弟が知的障害であったり、メリーに惚れている男の1人が、脚が悪いのを装っているシーンなど。「障害者をバカにしている」というわけだ。 しかしながら、障害はあくまでも個性の一部であり、健常者であろうと障害者であろうと、良い奴もいれば悪い奴もいる…というのが、ファレリー兄弟のスタンス。本当に障害のある者をキャスティングすることも多い彼らによると、こうした描写にクレームを付ける者のほとんどは健常者で、障害者の側からは、むしろ強く支持されることが多いという。 『メリーに首ったけ』は公開されるや大ヒットとなり、3億7,000万㌦もの興収を上げた。自信を深めたファレリー兄弟は本作以降、“解離性同一性障害”の男をジム・キャリーが演じる、『ふたりの男とひとりの女』(2000)、美しい心を持った100㌔超の女性がヒロインである、『愛しのローズマリー』(01)、結合双生児の恋模様を描く『ふたりにクギづけ』(03)等々、“おバカコメディ”の体裁の中で、常に人々の“差別意識”を問い続けていく そして2019年2月24日、アカデミー賞の授賞式。『グリーンブック』で作品賞に輝いたピーター・ファレリーは、次のようなスピーチを行った。「…この映画は愛についての物語です。お互いに違いがありながらも愛すること。そして自分を知り、我々は同じ人間なんだと知ることです…」『メリーに首ったけ』など、弟のボビーと共に“おバカ映画”の数々で扱ってきたテーマを、ピーターがより普遍的にブラッシュアップさせたのが、『グリーンブック』だったのである。■ ◆『メリーに首ったけ』撮影中のキャメロン・ディアス(左)と、ボビー・ファレリー(中央)&ピーター・ファレリー監督(右) 『メリーに首ったけ』© 1998 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
バウンド
[R15+]エロスとバイオレンスで彩られた壮絶な戦い!ウォシャウスキー姉妹の鮮烈な監督デビュー作
『マトリックス』のウォシャウスキー姉妹がスタイリッシュな映像センスを監督デビュー作で存分に発揮。同性愛で結ばれた女2人の危険な関係をジェニファー・ティリーとジーナ・ガーションがハードに魅せる。
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COLUMN/コラム2023.10.10
ブラピとベネット・ミラー。野球好きでない製作者と監督が生み出した、21世紀型野球映画『マネーボール』
“ブラピ”ことブラッド・ピット(1963~ )が、『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)で、一躍注目の存在となった時、その作品を監督した稀代の二枚目スターに因んで、「第2のロバート・レッドフォード」と謳われた。それからもう、30年余。 ブラピはその間、ハリウッドのTOPランナーの1人として、主演・助演交えて数多くのヒット作・話題作に出演してきた。アカデミー賞は、4度目のノミネートとなった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で、助演男優賞を遂に掌中に収めた。 俳優として以上に評価が高く、辣腕振りを見せているのは、プロデューサー業である。2001年に映画製作会社「プランBエンターテインメント」を設立すると、製作を務めた『ディパーテッド』(06)と『それでも夜は明ける』(14)、製作総指揮とクレジットされている『ムーンライト』(16)の3作品で、アカデミー賞作品賞を受賞。また、製作・主演を務めた、テレンス・マリック監督作『ツリー・オブ・ライフ』(11)は、カンヌ国際映画祭の最高賞=パルム・ドールに輝いている。 そんな彼が2000年代後半、“映画化”に執心。4年の準備期間で幾多もの障害を乗り越え、2011年にリリースしたのが、実在の人物ビリー・ビーンを自ら演じた、本作『マネーボール』である。 ***** 2001年のメジャーリーグベースボール。アメリカン・リーグのオークランド・アスレティックスは、地区シリーズ優勝目前で、ニューヨーク・ヤンキースに敗退。そのシーズンオフには、チームの主力選手3人が、フリーエージェントにより、大金を積んだ他チームへ移籍することが決まった。 チームの編成を担当するのは、GM=ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーン。選手の年棒総額が1億~2億にも達する、ヤンキースのような金満球団と違って、アスレチックスが割けるのは、4,000万㌦程度。抜けた選手たちの穴を、金ずくで埋めるなど、不可能だった。 補強に当たってビリーは、球団の古参スカウトらが上げてくる、「主観的」な選手情報に、不信を感じていた。彼自身が高校卒業と同時に、スカウトの「主観的」な高評価と、多額の契約金に目が眩んで、大学進学を取りやめ、メジャーリーグへと進んだ。その結果として、プロの“適性”がなく、惨憺たる現役生活を送った経験があったのである。 ビリーは、トレード交渉でインディアンス球団を訪ねた際、イエール大卒の若きフロントスタッフ、ピーター・ブランドに出会う。ビリーはピーターが、データに基づいて選手たちを「客観的」に評価する「セイバーメトリクス」理論を駆使していることを知り、自分のアシスタントに引き抜く。 二人三脚で、データ分析に基づいたチームの補強に乗り出した、ビリーとピーター。彼らが欲した選手の多くは、元の所属球団からの評価が低いため、「安く」入手できた。 ビリーたちのそんな常識外れのやり方に、監督も含む周囲との軋轢が生まれていく。そのままシーズンへと突入するも、勝利にはなかなか、結びつかない。 それまでのメジャーの常識を打ち破らんとする、ビリーたちの挑戦の行方は果して!? ***** 原作は、マイケル・ルイスが2003年に出版した、ノンフィクションのベストセラー。ここで紹介される「セイバーメトリクス」とは、1970年代にビル・ジェイムズなる人物が生み出した、データを駆使した野球理論である。 その内容から、主なものをごく簡単に紹介する。打者を評価するに当たっては、つい目が惹かれてしまう、ホームランの本数や打点、打率などよりも、四球なども含んだ出塁率や長打率を重視する。実はその方が、「相手チームより多く得点を記録する」ことに結びつく。即ち“勝利”のためには、有効であるというのだ。 投手の評価に関しては、「ホームラン以外のフェア打球は、それが安打になろうとなるまいと投手の力量とは関係ない」と、割り切る。 送りバントや盗塁といった伝統的な戦略については、「アウト数を増やす可能性が高い攻撃はどれも、賢明ではない」と酷評し、斬って捨てている。このように、「セイバーメトリクス」は、それまでの球界の常識をことごとく覆すものだった。 この理論は、野球ファンの一部から注目されながらも、メジャー球団の関係者からは、長らく無視された。そして、ドラフトやトレードでの補強や、実際の試合に於ける選手起用などでは、データに基づいた「客観」よりも、スカウトや監督などの「主観」が優先され続けたのである。 そうした旧弊を打ち破ったのが、アスレチックス球団だった。映画ではその辺りの流れは割愛・改変されているが、まずは90年代前半、当時のGMだったサンディ・アルダーソンが、「セイバーメトリクス」をチーム作りに応用し始めた。そしてその後任となったビリー・ビーンが、本格的な実践に踏み切ったのである。 その絶大な成果、「セイバーメトリクス」がいかに球界を変えたかについては、本編で是非ご覧いただくとして、実はプロデューサー兼主演俳優のブラピは、野球自体は「あまり観ない」上、本作に関わるまでは、知識もそれほどなかったという。それは彼が子どもの頃に出場した、野球の試合での経験に起因する。 フライを捕ろうとしたら、太陽に目が眩んで、ボールが顔を直撃。病院送りとなって、18針も縫ったのである。 それ以来野球に関わらなかったブラピが、本作の原作に惹かれたのは、「負け犬が返り咲いて自分の持ってるすべてを、あるいはそれ以上のものを発揮する部分」だったという。更に主人公であるビリー・ビーンの、「長いものにまかれない…」「人がノーマルだと思うことに疑問を持つ…」「何年も継続されているからとそれを受け入れてしまわない…」そういった“精神”に魅了されたのである。 しかしながら先にも記した通り、“映画化”が実現するまでの道のりは平坦ではなかった。とりわけ大きかったのは、2度に渡る監督の交代劇。 最初に決まっていたデイヴィッド・フランケルが降板すると、スティーヴン・ソダーバーグが後任の監督に。ところが、準備が進んで、いよいよ撮影開始数日前というタイミングで、スタジオ側から製作中止を申し渡される。 それでもブラピの心は、「このストーリーに取り憑かれてしまっていて」、本作の企画を「手放すなんてとてもできなかった」のだという。何としてでも、ビリー・ビーンを演じたかったのだ。 最終的に監督は、前作『カポーティ』(05)でアカデミー賞監督賞にノミネートされた、ベネット・ミラーに決まる。実はミラーも、野球自体はまったく好きではなかった。原作本に関しても、「スポーツビジネスの専門書みたいな本で、はじめはあまり読むのに気が進まなかった…」という。 ところが読み進む内に、「この物語にとって、野球はとっかかりでしかない」と気付く。そしてブラピと同様に、ビリー・ビーンの生き様に心惹かれ、「ぜひ掘り下げてみたい」という気持ちになったのだ。 脚本は、監督がソダーバーグだった時点では、スティーヴン・ザイリアンが執筆。その後ミラーが監督になってから、アーロン・ソーキンによるリライトが行われた。 ザイリアンは『レナードの朝』(90) 『シンドラーのリスト』(93)など、ソーキンは『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』(07)『ソーシャル・ネットワーク』(10)など、それぞれ実話をベースとした脚色に定評があり、そうした作品でオスカー受賞経験のある2人。それをドキュメンタリー出身のミラー監督が演出することで、ビリー・ビーンの裏舞台での戦いが、リアルに浮き彫りになる。 同時に、チームが勝利に向かって邁進するという、ある意味王道が描かれる。こうして本作は、それまでの“野球映画”では見たことがなかったような、何とも絶妙なバランスの作品に仕上がったのである。 原作者のマイケル・ルイスは、「一本の筋あるいはドラマチックな展開があるとは必ずしも言えない」自作を、「きちんと映画化するのは非常に困難」と認識。「本と全然違う映画にするのか、あるいは本のとおり映画にしてひどい映画になるのか」どちらかだろうと考えていた。しかし完成作を観てミラー監督に、「この映画は(とても良いのに)本のとおりでした」と、大満足の評価を伝えている。 実在のビリー・ビーンは、ブラピが自分の役を演じると聞いて、少し意外な気がしたという。しかし実際に彼と接して、その役作りへの努力を目の当たりにする中で、ブラピが明確なヴィジョンを持ち、この上なく礼儀正しい人物だったことに、感銘を受けた。 一方で、この映画化に最も不満を覚えたのは、本作でのビリー・ビーンの片腕、ピーターのモデルとなった、ポール・デポデスタであった。デポデスタは己の役を、自分とは似てもにつかない太っちょのコメディアン、ジョナ・ヒルが演じることに、納得がいかなかった。またそのキャラが、オタクのように描かれることにも、我慢ならなかったようだ。 結果としてデポデスタは、実名を使うことの許可を出さなかった。そのため彼に当たるキャラは、ピーター・ブランドと、改名されたのである。 そのピーターを演じたジョナ・ヒルは、シリアスな演技が出来ることも披露した本作で、アカデミー賞助演男優賞にノミネート。高評価を得て、その後役の幅を広げていく。 因みに“野球映画”としてのクオリティを高めるのに効果的だったのは、メジャーリーグやマイナーリーグなどの元プロや大学野球の経験者などを、選手役にキャスティングしたこと。そんな本物の元野球選手たちの中で、一塁手スコット・ハッテバーグを演じたクリス・プラットは、唯一人野球経験のない俳優だった。 そのためプラットは、かなりハードなトレーニングに積んだ上で、実在のハッテバーグの特徴をよく捉えた役作りを行った。結果として本作のベースボール・コーディネーターからは、「野球選手としての成長ぶりには目覚ましいものがあった」と、高評価を勝ち取った。 この時のプラットは、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ(14~ )や『ジュラシック・ワールド』シリーズ(15~ )で、主演スターにのし上がる前夜。そんなプラットの野球選手ぶりをウォッチするのも、本作を今日観る上での、楽しみ方の一つと言えるだろう。 ブラッド・ピットは本作で、「21世紀型」とも言える、それまでになかった、新たな“野球映画”をクリエイトした。アカデミー賞では作品賞や主演男優賞など6部門にノミネートされながら、残念ながら受賞は逃したものの、ブラピにとって『マネーボール』が、俳優としてもプロデューサーとしても、代表作の1本となったことは、間違いあるまい。■ 『マネーボール』© 2011 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
アフター・アース
ウィル&ジェイデン・スミス親子共演!人類滅亡後の地球を舞台に、息子の成長物語を父がプロデュース!
ウィル&ジェイデン・スミス親子が『幸せのちから』以来、再共演。『シックス・センス』のM・ナイト・シャマランを監督に迎え、人類が滅亡した地球を監督ならではの豊かなイマジネーションで描くSFアクション。
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COLUMN/コラム2023.09.12
宇宙を舞台に、映画史に新たなジャンルを興した!フィリップ・カウフマン監督生涯の傑作『ライトスタッフ』
“ライトスタッフ”を日本語に訳すと、「正しい資質」「適性」。元々は、アメリカの著名なジャーナリストで作家のトム・ウルフによる造語である。 トム・ウルフは、1960年代後半から勢いを持った、”ニュー・ジャーナリズム”の旗手的な存在。書き手が敢えて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わることで、対象をより濃密に、まるで小説のように描くというその手法によって、数多のノンフィクションをものしている。 その内の1冊が、「正しい資質」を持った宇宙飛行士たちが、アメリカの国家プロジェクト「マーキュリー計画」に挑む姿を描いた、「ザ・ライト・スタッフ」だった。そしてこれが本作、『ライトスタッフ』(1983)の原作となった 原作が1979年に出版されると、その映画化権の争奪戦が起こる。勝ち取ったのは、『ロッキー』シリーズ(76〜 )で知られる、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーのプロデューサー・コンビだった。 彼らは、『明日に向って撃て!』(69)『大統領の陰謀』(76)で2度アカデミー賞を受賞している、ウィリアム・ゴールドマンに脚本を依頼。製作会社は、79年に設立された新興のラッド・カンパニーに決まり、1,700万ドルの予算が組まれた。 監督候補として名が挙がったのは、『がんばれ!ベアーズ』(76)のマイケル・リッチーや『ロッキー』(76)のジョン・G・アヴィルドセン。2人との交渉が不調に終わった後、フィリップ・カウフマンにお鉢が回ってきた。 カウフマンは、1936年イリノイ州シカゴ生まれ。シカゴ大学に学んだ後、紆余曲折あって、妻子を連れてヨーロッパへと渡った。そしてアメリカン・スクールの教師を務めている頃、フランスで興った映画運動“ヌーヴェルヴァーグ”と出会い、映画作りに目覚めた。 本作の前には、エイリアンの地球侵略もの『SF/ボディ・スナッチャー』(78)や、60年代を舞台とした青春映画『ワンダラーズ』(79)の監督として、或いは『レイダース/失われた聖櫃(アーク)』(81)の原案を担当したことで知られていた。綿密な時代考証に基づいたジャーナリスティックな視点と娯楽性を両立できる作り手として、評価され始めた頃だった。 カウフマンは、監督を引き受けるに当たって、脚本も自分に任せることを、条件とした。ゴールドマンが書いたものが、まったく気に入らなかったからだ。 時は80年代前半。ソ連を「悪の帝国」と名指しした、ロナルド・レーガン大統領の下、「強いアメリカ」の復活が標榜されていた。ゴールドマンの脚本は国策に沿ったのか、カウフマンにとって、「あまりにもナショナリズムが全面に出ていて辟易する…」内容だったという。 更にゴールドマン脚本では、カウフマンが原作に見出した重要な要素が、すっかり落とされていたのである。 ***** 1947年、カリフォルニア州モハーヴェ砂漠に在るエドワーズ空軍基地のテスト・パイロット、チャック・イェーガーが、新記録を作った。X-1ロケットに乗って、人類史上初めて、「音速の壁」を破ったのである。これ以降次々と、記録が更新されていく。 第2次大戦後の米ソ冷戦。両陣営の緊張が高まる中で、57年にソ連がスプートニク・ロケットの打ち上げに成功。アメリカは、宇宙開発で後れをとった。そこでアイゼンハワー大統領とジョンソン上院議員が中心となって、「マーキュリー計画」が始動した。 宇宙飛行士にふさわしい人材として、白羽の矢が立てられたのは、空軍などのテスト・パイロットたち。ジョンソンらが、「彼らは手に負えない」と、その我の強さを危惧する中での決定だった。 しかし現役最高のパイロットだったイェーガーは、宇宙飛行士を「実験室のモルモット」と揶揄。また彼は大学卒ではなかったため、その候補から外される。 508人の応募者を集め、過酷な身体検査と適性試験が繰り返される。そうして絞られた59人から、最終的にアラン・シェパード、ガス・グリソム、ジョン・グレン、ドナルド・スレイトン、スコット・カーペンター、ウォルター・シラー、ゴードン・クーパーの7人が選ばれた。 彼らは厳しい訓練を経て、次々と宇宙に飛び立ち、国民的英雄に祭り上げられていく。 一方で、孤高の闘いを続けてきたイェーガーは、最後の挑戦に臨もうとしていた…。 ****** ゴールドマン脚本は、「マーキュリー計画」に挑む宇宙飛行士たちに話を絞って、イェーガーのエピソードは、丸々削除していた。それに対しカウフマンは、物語の冒頭とクライマックスに、イエーガーのエピソードを配置したのである。 その上で、宇宙飛行士7人すべてに詳しく触れると、いかに3時間超えの長尺でも、とても描き切れない。そこで、シェパード、グリソム、グレン、クーパーの4人のエピソードをクローズアップして描くことにした。彼らは国家や政治家の思惑に時には反発しながら、“個”としての誇りを守ろうとする。「…現在の宇宙計画はすべて地球の必要性に奉仕することに重点をおいていて、人々が外宇宙を求める心理には重きをおいていない」と指摘するカウフマン。彼にとっては、逆にそうした心理こそが、興味の的だった。 カウフマンは、孤高の存在であるイェーガーと、チームでプロジェクトに対峙していく宇宙飛行士たちを対比しながら、いずれとも、「現代のカウボーイ」として描いた。そして、アメリカの精神風土である、インディペンデント・スピリットへの強い賛同を示したのである。 カウフマンははじめ、「未来が始まったとき、ライトスタッフが存在した」と考えていた。しかしその後、「いかに未来が始まったのか、それはライトスタッフを持った男たちがいたからだ」という結論に到達したという。「…時代を描くだけではなく、その時代に生きた人間たちを描こうと試みた…」カウフマンは、宇宙飛行士だけでなく、その妻たちの不安や恐怖、功名心なども、丁寧に描出している。 製作に際して、カウフマンはスタッフに指示し、揃えられる限りの資料を揃えさせた。記録映画フィルムの買い物リストを渡され、国中を歩き回ることとなったのは、編集担当のグレン・ファーら。彼らは、NASAや空軍、ベル航空機保管庫などで膨大なフィルムに目を通し、30年間人目に触れていなかった、ソ連のフィルムの発見に至った。こうして収集された映像類の一部は、編集や映像加工のテクを駆使して、本編で効果的に使用されている。 集められた大量のビデオテープは、“宇宙飛行士"たちの役作りにも、大きく寄与した。スコット・グレンは、自分が演じるアラン・シェパードの「外側をつかまえるために」それらを利用したという。しかしシェパードの内面に関しては、「ぼくが自分自身を演じる方がいい」という判断に至った。 グレンの判断の裏付けになったのは、カウフマンの姿勢。彼は俳優たちに、自分が演じる実在の飛行士に会えという指示を行わなかったのである。 自らの考えでただ1人、演じるゴードン・クーパーを訪ねたのは、デニス・クエイド。そんな彼曰く、本作の撮影は「ぼくの人生最高の恋愛」だったという。クーパーの妻を演じたパメラ・リードも“夫”と同様に、「わたしの人生で最も幸せな時間だった」とコメントしている。 カウフマンの演出は、“宇宙飛行士"たちが信頼を寄せるに足るものだった。ジョン・グレンを演じたエド・ハリスは、「何ごとにおいても決して妥協しなかった。あの人は8人目の宇宙飛行士だ」と、カウフマンを称賛。ガス・グリソム役のフレッド・ウォードはシンプルに、「彼はすばらしい人だ」と、賛辞を寄せている。 本作の評価を高めた要因に、孤高のパイロット、チャック・イェーガーの存在があることを、否定する者はいまい。彼を演じたサム・シェパードは、まさに生涯のベストアクトを見せた。 1943年生まれのシェパードは、劇作家として、20代はじめからオフ・ブロードウェイを中心に、華々しく活躍。その後演出も、手掛けるようになる。 映画に初めて出演したのは、テレンス・マリック監督の『天国の日々』(78)。この作品で彼は、若くして死病に侵された、農場主の役を印象的に演じて、主演のリチャード・ギアを完全に喰った。 映画出演5作目に当たる、本作の日本公開は、アメリカの翌年=84年の9月。その年の春には、彼が原作・脚本を手掛けたヴィム・ヴェンダース監督作『パリ、テキサス』(84)が、「カンヌ国際映画祭」で最高賞のパルム・ドールを獲ったことも、話題となっていた。 本作でのシェパードの演技について「ニューズ・ウィーク」誌は、「…あたかもゲーリー・クーパーを想わせる…」「サム・シェパードはこの映画で二枚目としての地位を永遠のものにした…」と絶賛。「…この反体制的な芸術家が、伝説の空軍のエースと合い通じるものを持っていると見抜いた」監督のカウフマンに対しても、「慧眼である」と高く評価している。 因みに本作では、当時59歳だったチャック・イェガーを、テクニカル・コンサルタントとして招き入れた。パイロットたち行きつけの店のバーテンダー役として出演もしているイェーガーと、演じるシェパードの初対面は、ある中華料理店だったという。 カウフマンによると2人は、「最初は用心深く見つめ合うという感じ」だった。しかし店を出る時にお互いの小型トラックを見て話し始めると、突然2人の間にあった垣根がとれたかのようになり、その後はまるで、“親子”のような関係を築いたという。 サンフランシスコ在住のカウフマンは、ハリウッドを嫌って、本作の大半を自分の地元で撮影した。波止場の倉庫をスタジオに改造した上、「互いに刺激を与え合える人々と組む必要がある…」と、地元の熱心な才能を数多く起用している。 CG時代到来の前、宇宙船や戦闘機などの特撮に関しては、コンピューター制御による“モーション・コントロール・カメラ”が全盛を極めていた。カウフマンは、『スター・ウォーズ』シリーズ(77~ )や『ファイヤーフォックス』(82)などで成果を上げていた、この最新技術への依存を、敢えて避けるように指示を行った。 そこでVFX担当のゲイリー・グティエレツは、特殊効果の原則に立ち返ることにした。ある時は、サンフランシスコの丘に登って、ワイヤーで吊り下げた模型飛行機と雲を作る機械を駆使して、飛行シーンを撮影。またある時は、大きな弓を作って、超音速ジェット戦闘機の模型を矢のように飛ばして、カメラで追った。このように、当時としても「アナログ」な手法にこだわったことが、いかに効果的であったかは、各々が本作を観て、確認していただきたい。 本作で描かれた「マーキュリー計画」が幕を閉じるのは、63年5月。奇しくもその年の11月、ケネディ大統領暗殺事件が起こる。後継の大統領となったのは、宇宙開発の仕掛人の1人だったジョンソンだったが、彼の政権下、アメリカはベトナム戦争の泥沼に陥っていく。 その前夜のアメリカの栄光と矛盾を描き出した本作は、アカデミー賞に於いては、作品賞やサム・シェパードの助演男優賞など、9部門でノミネート。主要部門の受賞は逃すも、編集賞、作曲賞、録音賞、音響効果賞の4部門のウィナーとなっている。 しかし興行的には、不発。当初の予算1,700万ドルを遥かにオーバーしての製作費2,700万ドルは、まったく回収できない成績に終わってしまった。 だが本作なしでは、後の『アポロ13』(95)や『ドリーム』(16)などの作品の存在は考えにくい。「実話をベースにした宇宙映画」という、それまではなかったジャンルの先駆けとなった本作は、紛れもなくエポック・メーキングを果したのである。 製作から40年経った今でも、語り継がれる作品を作り上げたフィリップ・カウフマンも、まさに“ライトスタッフ”の持ち主だったと言えよう。■ 『ライトスタッフ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
ゴーストライダー
マーベル・コミックの異色ヒーローが地獄から降臨!ニコラス・ケイジの怪演が光る炎のアクション
マーベル・コミック屈指のダーク・ヒーローを愛するマーク・スティーヴン・ジョンソン監督が、アメコミ・マニアのニコラス・ケイジを主演に映画化。地獄の炎に包まれたゴーストライダーの怪異なビジュアルが強烈。
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COLUMN/コラム2023.08.30
失われた祖国への“愛”が生んだ、クストリッツァ監督の大傑作『アンダーグラウンド』
昔、あるところに国があった…。「ユーゴスラヴィア」。それが、映画監督であるエミール・クストリッツァが生まれ育った国の名前。「単1の政党が支配し、2つの文字を持ち、3つの宗教が存在し、4つの言語が話され、5つの民族から成る、6つの共和国により構成され、7つの隣国と国境を接する」と謳われた、バルカン半島に位置する連邦国家だった。 クストリッツアは、1954年生まれ。「ユーゴスラヴィア」を構成した6つの共和国の1つ「ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国」の首都サラエボの出身である。 初の長編作品『ドリー・ベルを憶えてる?』(1981)で、「ヴェネツィア国際映画祭」の新人監督賞を受賞し、続く『パパは、出張中!』(85)で、「カンヌ国際映画祭」の最高賞=パルム・ドールに輝いた。 快進撃は止まらず、『ジプシーのとき』(89)では再び「カンヌ」で、監督賞を得ている。 その作風は彼の友人、オーストリア出身で2019年にノーベル文学賞を受賞したペーター・ハントケの言葉を借りれば、「シェイクスピアとマルクス兄弟のちょうど中間」。高尚でクラシカルなシェイクスピアのようなストーリーと、マルクス兄弟のようなスラップスティックコメディという、シリアスとユーモア両極端の要素が、混在している。それがクストリッツァの作品世界である。 80年代に手掛けた3本で、ヨーロッパを代表する映画監督の1人となった彼は、1990年にアメリカに移住。『カッコーの巣の上で』(75)『アマデウス』(84)などの名匠ミロス・フォアマンの後任として、コロンビア大学映画学科の講師に就任する。そして初のアメリカ作品『アリゾナ・ドリーム』(93)を、ジョニー・デップ主演で撮った。この作品も高く評価され、「ベルリン国際映画祭」で銀熊賞を受賞している。 チェコスロバキア出身のフォアマンのように、その後はアメリカで作品を撮り続けるという選択肢もあったろう。しかし『アリゾナ・ドリーム』撮影中に、“ボスニア紛争”が勃発。故国が内戦状態に陥ったことが、彼の運命を変える。「…僕はユーゴスラヴィアに生まれ、ユーゴスラヴィア人の誇りを持ってこれまで生きてきた。地球上のどこに滞在していようと、ユーゴスラヴィアとは心で結びついていたんだよ。その祖国が、ある日突然、消えてしまった。これはもう、自分の恋人を失ったようなもので、いつも何とかしたい、祖国を救いたいと思っていた」 本作『アンダーグラウンド』(95)を撮ろうと思ったきっかけ。それは、「祖国への愛」であった。 結果的にクストリッツァのキャリアを語る上で、絶対的に外せない“代表作”となった『アンダーグラウンド』。製作から30年近くを経たことを鑑みて、「ユーゴスラヴィア」の歴史をざっと紐解きながら、それと密接にリンクしている、全3部構成のストーリーの紹介を行う。 ***** 第1次世界大戦後に、バルカン半島に建国されたユーゴスラヴィアだったが、第2次大戦が始まると、ナチス・ドイツが進出。当時のユーゴ政府は「日・独・伊三国同盟」に加わり、「親ナチス」の姿勢を見せる。しかし、これに反対する勢力がクーデターを起こし、政権の奪取に成功する。 怒ったヒトラーは、1941年4月にユーゴを侵略して、占領・分割。そこでユーゴ共産党政治局の一員だったチトーを総司令官に、人民解放軍=パルチザンが組織され、ナチスへの武力抵抗が展開された。 *** 1941年、セルビアの首都ベオグラードでナチスが爆撃を開始したちょうどその頃、共産党員のマルコは、友人のクロを誘って入党させる。彼らはナチスやそのシンパを襲っては、武器と金を奪った。 ナチスの猛攻を避けるため、マルコは、祖父の所有する屋敷の地下室に、避難民の一団を匿う。クロの妻は、そこで息子のヨヴァンを出産。そのまま息絶えてしまう。 43年、クロは惚れた女優ナタリアを拉致。結婚を目論むが、ナチスに逮捕される。酷い拷問などで重傷を負ったクロは、マルコの手で、件の地下室へと運び込まれる。 美しいナタリアに横恋慕したマルコは、クロを裏切り、彼女を我が物とする…。 *** イデオロギーや民族、宗教を越えた“愛国主義”の立場からの、チトーの“パルチザン闘争”は勝利を収め、祖国の解放に成功。1946年には彼を国家のリーダーに頂く、社会主義体制下の連邦国家として、「ユーゴスラヴィア」の歩みが始まる。 先にも挙げた「単1の政党(共産党)が支配、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国(マケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ)」というユーゴだったが、1948年にはソ連と対立。社会主義国ながら、東西どちらの陣営にも属さない、ユニークな政治体制となる。 自主管理と非同盟政策を2本柱に、1961年には社会主義国では初めて、エルヴィス・プレスリーの楽曲がリリースされるなど、「自由化」が進んだ。 付記すれば、1954年生まれのクストリッツアは、西側からの若者文化流入の全面的影響を受けた世代。映画では、ルイス・ブニュエルから『フラッシュ・ゴードン』(80)まで幅広いジャンルを好み、音楽ではセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスがカバーした「マイウェイ」をこよなく愛するという彼の嗜好は、紛れもなくこの時期のユーゴに育ったが故である。 *** 1961年、地下室に潜ったクロたちの“戦争”は、まだ終わっていなかった。チトー政権の要人となったマルコが、15年以上に渡ってクロたちを騙し続けたからである。ユーゴはナチスの占領下に置かれたままで、地上では激しい戦闘が続いていると。 地下室の人々は、小銃や戦車などの兵器を製造。マルコはそれを密売し、私腹を肥やすが、マルコの妻となったナタリアは、罪の意識に苛まれアルコールに溺れる。 崩壊の時が、突然訪れる。クロの息子ヨヴァンの結婚式で、マルコとナタリアの関係に、クロが気付く。更にアクシデントから、戦車の砲弾が発射され、地下室に大穴が開く。 クロは、息子ヨヴァンと共に外へ。ナチスを倒そうと意気込む彼らの前に現れたのは、英雄として讃えられるクロの生涯を映画化している撮影隊。ナチの軍服を着た俳優たちを「敵」と認識したクロとヨヴァンは、攻撃を開始する…。 *** 1980年、カリスマ的な指導者だったチトーが死去。すると、ユーゴが乗り越えた筈の、民族や共和国間の対立が、経済危機を背景に激しくなっていく。 91年に連邦の一員だった、スロヴェニアとクロアチアの独立が宣言されたのをきっかけに、セルビア側からの軍事介入などで、ユーゴは内戦状態に。“ユーゴスラヴィア紛争”は、ここから2001年までの10年間にも及んだ。 そして連邦国家「ユーゴスラヴィア」は、完全に解体されることとなる…。 *** 泥沼の内戦状態となった、ユーゴの地に、クロ、マルコ、ナタリアらの姿があった。クロは戦闘の司令官として、マルコとナタリアは、強欲な武器商人とその妻として。 クロはかつての親友、そして最愛の女性と、どのような形で、再び相見えるのか? ***** 『アンダーグラウンド』のベースになったのは、デュシャン・コバチュヴィッチが20年前に書き下ろした戯曲。但し「戦争が続いているとウソをついて、人々を地下に閉じ込めた男の物語」という根幹だけ残して、他はすべて変えることとなった。 クストリッツァとコバチュヴィッチは、共同で脚本を執筆。元は家族を描いたストーリーを、国家をテーマにした作品に変えていった。コバチュヴィッチ曰く、「我々の母国をあまり知らない人たちに国民の生きざまや、この悲惨な戦争が起きざるを得なかった理由について知ってほしかった…」 クストリッツァのこの新作に、出演を熱望したハリウッドスターがいた。前作『アリゾナ・ドリーム』の主演俳優ジョニー・デップである。 ジョニーは、クロらと同様に地下室に閉じ込められる、マルコの弟イヴァン役に立候補。この役のためなら、「セルビア語をマスターする!」と決意表明したのだが、クストリッツアは、本作はユーゴの役者だけで撮ると、断わったという。 その言葉通り、主要キャストはユーゴ出身者で固めた本作の撮影は、93年10月にチェコスロヴァキアのプラハのスタジオでスタート。撮影は断続的に行われ、旧ユーゴ、ドイツのベルリンとハンブルグ、更にブルガリアを経て、95年1月に旧ユーゴのベオグラードでクランク・アップとなった。 クストリッツァは本作の製作中、ストーリーがどこに向かって行こうとしているのか、自分でも「わからなかった」と語っている。映画史に残るラストシーンも、「撮影しながら思いついた」のである。 未見の方のために詳細は省くが、ドナウ川にせり出した土地に、主要キャスト全員が揃って展開するこのシーンは、“バルカン半島”の在り方への希望と解釈する向きが多かった。しかしクストリッツァによると、「ヨーロッパ全体のメタファーのつもり」だったという。 因みに人々を騙して地下室に閉じ込めるマルコの行動は、情報を遮断して民衆の支持を集める、“共産主義”のメタファーと受け止めてかまわないと、クストリッツァは語っている。 本作は「カンヌ」で、クストリッツァにとっては2度目となるパルム・ドールを受賞。そうした絶賛を受けると同時に、大きな物議を醸すことにもなった。本作の内容が、ユーゴ内戦を煽ったセルビアの民族主義者寄りだとの批判が、フランスの知識人たちなどから行われたのである。 クストリッツァは、“ユーゴスラヴィア人”を自任し、「自分はいかなる政治グループにも属していないし、特定の宗教も信じていない」と明言していた。それ故に、様々な政治的立場の人間から、裏切り者扱いされた側面もあったと言われる。 こうした糾弾によってクストリッツァは、「カンヌ」でパルム・ド-ルという頂点を極めたその年=95年の暮れに、「監督廃業宣言」するまでに追い込まれる。それは割りとあっさりと、覆されることにはなるのだが。 その後のクストリッツァは。ほぼ3~4年に1作程度のペースで、劇映画やドキュメンタリー映画を発表し続けている。またミュージシャンや小説家としても、活動している。 それと同時に、政治的には「先鋭化」が進んだというべきか?ユーゴスラヴィア紛争におけるセルビア側の責任を否定し、西側諸国の干渉を一貫して批判するようになる。ユーゴ紛争に於いて「人道介入」の名の下に、米軍を中心とするNATO軍が、セルビア人勢力に大規模な空爆を行った上で、ユーゴに駐留するようになったことに対しては、強い憤りを表明している。 更にクストリッツァは、アメリカはじめ西側との対立を深めつつあった、ロシアの独裁者プーチンへの支持を公言するようになる。2022年、ロシアがウクライナに侵攻した前後には、「ロシア陸軍学術劇場」のディレクターに就任したとのニュースが報じられ、各方面に衝撃が走った。その後この“就任”に関しては、本人側から否定するコメントが出されたが…。 すっかり毀誉褒貶が激しい、アーティスト人生を送ることになったクストリッツァ。それは『アンダーグラウンド』という、失われた祖国への「愛」故に作り上げた、世紀の大傑作に端を発する部分が大きい。 昔、あるところに国があった。そして、この物語に、終わりはない…。■ 『アンダーグラウンド』© MCMXCV by CIBY 2000 - All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)アンタッチャブル【ゴールデン洋画劇場版】
[PG12]暗黒街の帝王に立ち向かった勇気ある男たち──正義の戦いを記録した人気TVシリーズの映画版
1960年代の人気TVシリーズを鬼才ブライアン・デ・パルマ監督が映画化。渾身の役作りでアル・カポネに成りきったロバート・デ・ニーロの演技が圧巻。ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2023.05.08
韓国の民主主義と映画の“力”。『1987、ある闘いの真実』
チャン・ジュナン監督が、本作『1987、ある闘いの真実』(2017)に取り掛かったのは、2015年の冬だった。 時の最高権力者は、朴槿恵(パク・クネ)。韓国初の女性大統領である彼女は、1963年から79年まで16年間に渡って軍事独裁政権を率いた父、朴正煕(パク・チョンヒ)に倣ったかのような、反動的な強権政治家であった。そしてその矛先は、映画界にも向けられた。 朴政権下で作成された、「政府の政策に協力的ではない文化人」のブラックリストには、パク・チャヌク監督やキム・ジウン監督、俳優のソン・ガンホやキム・ヘスなどの一流どころが載せられた。それは暗に、「こいつらを干せ」と、政権が指示しているということだった。 保守政権にとって好ましくない題材を扱った作品は、攻撃対象となった。例を挙げれば、かつて進歩派政権を率いた、故・盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の弁護士時代を、ソン・ガンホが演じた『弁護人』(13)。高い評価を受けて大ヒットしたものの、監督のヤン・ソクウは、公開後多くの脅迫電話を受け、一時期中国に身を隠さざるを得なくなった。 そんな最中に、韓国の歴史を大きく変えた、「1987年の民主化運動」を映画化するなど、虎の尾を踏む行為。チャン監督も躊躇し、逡巡したという。 最終的に監督を動かしたのは、2つの想いだった。ひとつは、この「民主化運動」こそが、韓国の民主主義の歴史に大きく刻まれるべきものなのに、それまであまり語られてこなかったことへのもどかしさ。 もうひとつは、チャン監督に子どもができて、父親になった時に抱いた、こんな気持ち。「自分は次の世代にどんな話を伝えるべきなのか」「世の中に対して何を残すことができるのか」。 チャン監督は、「民主化運動」のデモで斃れた大学生、イ・ハニョルの記念館を訪問。展示品の中には、警察が放った催涙弾の直撃を、ハニョルが受けた際に履いていた、スニーカーの片方があった。監督はそれを見て、本作を作る決意を遂に固めた。ご覧になればわかるが、このスニーカーは、本作を象る重要なモチーフとなっている。 事実に基づいた作品は、生存する関係者への取材を行って、シナリオを作成していくのが、定石である。しかし朴槿恵政権下では、そうしたことが外部に漏れた場合、映画化の妨げになる可能性が高い。そのため生存者へのインタビューなどは諦め、新聞など文字情報を中心に、極秘裏にリサーチを進めることとなった。 それでもこんな時勢の中で、政府に睨まれるのを覚悟で、出演してくれる俳優は居るのか?十分な製作費を、調達できるのか?不安は、尽きることがなかった。 しかし天が、このプロジェクトに味方した。2016年10月末、朴大統領とその友人である崔順実(チェ・スンシル)を中心とした、様々な政治的疑惑が発覚。いわゆる“崔順実ゲート事件”によって、風向きが大きく変わる。政権に抗議する民衆によって、各地で大規模な“ろうそく集会”が開かれ、朴政権は次第に追い詰められていく。 その頃から本作のプロジェクトには、投資のオファーが多く寄せられるようになった。こうして製作が軌道に乗ったのと対照的に、翌2017年3月、朴槿恵は大統領職を罷免され、遂には逮捕に至る。 韓国には、1980年代後半頃の都市の姿が、ほとんど残されていない。しかし巨額の製作費の調達に成功した本作では、大規模なオープンセットを組むことで、この問題を解消。まさに奇跡的なタイミングで、製作することが出来たのである。 ***** 1987年、「ソウル五輪」の開催を翌年に控えた韓国では、直接選挙での大統領選出など、“民主化”を求める学生や労働者などを中心に、各地でデモが行われていた。それに対し大統領の全斗煥(チョン・ドファン)は、強圧的な態度で抑え込もうとする。 そんな中、ソウル大の学生パク・ジョンチョルが、警官の拷問で死亡する事件が起こる。元は脱北者で“民主化勢力”を「アカ」と憎悪する、治安本部のパク所長(演:キム・ユンソク)は、当時の韓国では一般的でなかった火葬で、証拠となる遺体を隠滅した上、「取調中に机を叩いたら心臓マヒを起こした」などと虚偽発表。この局面を切り抜けようとする。 しかし、ソウル地検公安部のチェ検事(ハ・ジョンウ)は、拷問死を疑って早々の火葬を阻む。司法解剖は行われたものの、チェ検事は政権からの圧力で、職を解かれる。 チェは秘かに、解剖の検案書を新聞社に提供。学生の死因がスクープされ、デモは一段と激しさを増す。同時に政権側の弾圧も、日々強まっていく。 刑務所の看守ハン・ビョンヨン(演:ユ・ヘジン)は、“民主化勢力”を支援。逮捕されて獄中に居るメンバーと、指名手配中の運動家キム・ジョンナム(演:ソル・ギョング)との連絡係を務めていた。 そんな彼の姪ヨニ(キム・テリ)は、政治に関心がなく、「デモをしても何も変わらない」と考える女子大生。しかし同じ大学で運動に励むイ・ハニョル(演:カン・ドンウォン)と出会い、彼の誘いであるビデオを見て、衝撃を受ける。それは全斗煥が権力を掌握する過程で民衆の虐殺を行った、1980年の「光州事件」を映したものだった。 折しも叔父のビョンヨンが逮捕され、ヨニの意識も大きく変わっていく…。 ***** 1987年当時、日本の大学生だった私は、韓国での“学生運動”の報道に日々接して、いっぱしの興味は持っていたつもりだった。しかしいま振り返れば、「一昔前の日本の“全共闘”みたいだな~」というボヤけた感想しか持ってなかったように思う。 それを30年後、こんな苛烈且つ劇的な“エポック”として見せられ、大きく感情を揺り動かされるとは!それと同時に、現在の韓国映画の“力”というものを、改めて思い知らされた。リアルタイムで時の権力に抗うかのような内容を、“オールスター・キャスト”で映画化するという行為に、深く感銘を受けたのである。 本作の製作が軌道に乗ったのは、朴槿恵政権に崩壊の兆しが見えた頃からと、先に記した。しかしそれ以前の段階で、チャン・ジュナン監督のプロジェクトに賛意を示し、出演の意志を示したスター達が居た。 まずは、カン・ドンウォン。『カメリア』(10)で組んで以来の飲み仲間だったチャン監督が脚本を見せると、「これは作るべき映画だ」と、イ・ハニョルの役を演じることを、自ら志願したという。 チャン監督の前作『ファイ 悪魔に育てられた少年』(13)の主演だったキム・ユンソクも、いち早く出演を決めた1人。『ファイ』に続いて「また悪役か」と、ユンソクは冗談ぽく不満を言いながら、脱北者から方言を習うなど熱心に役作りを行った。また実在のパク所長に似せるため、前髪の生え際をあげ、顎下にマウスピースを入れたりなどの工夫を行った。 カン・ドンウォン、キム・ユンソクという2人を早々に得たことが、キャスティングに弾みをつけた。そして、ハ・ジョンウ、ユ・ヘジン、ソル・ギョングといった、韓国を代表する、実力派のスターたちの出演が次々と決まっていく。 主要な登場人物の中ではただ一人、実在のモデルが居ないヨニ役を演じたのは、キム・テリ。チャン監督は、パク・チャヌク監督の『お嬢さん』(16)を観て、彼女の演技の上手さに注目。実際に会ってみて、「ヨニにぴったり」と、オファーを行った。 実は劇中でヨニを目覚めさせるきっかけとなる出来事には、監督自身の1987年の経験が投影されている。当時韓国南西部・全州の高校生だった監督は、ある日友人から、「学校の近くで珍しいビデオの上映会がある…」と誘われた。そこで上映されたのは、丸腰の市民が、軍の銃弾によって次々と倒れていく映像だった。 これは、その7年前の「光州事件」の現場で、ドイツ人記者が捉えたもの。その取材の経緯は、奇しくも本作と同年公開となった、『タクシー運転手 約束は海を越えて』(17)で描かれているが、17歳のチャン・ジュナンにとって、とにかくショッキングな映像体験だった。 チャン監督は、混乱した。自分の住む街からほど近い光州で、そんな悲劇が起こっていたのを、知らなかったことに。そして大人たちが、その事実を一切語らないことに。 この“混乱”が本作では、ヨニの感情の動きとして再現されているわけである。 監督は当時、大学生による大規模なデモをよく目にしていた。時には警察が放った催涙ガスの煙が、授業中の高校の教室に、入ってくることもあったという。 そんなタイミングで、道徳の時間に討論が行われた。「デモは悪いことだ」という方向に導かれる中で、チャン監督は勇気を振り絞って、“大学生がデモをするのには理由があるのではないか”と疑問を投げ掛けた。その瞬間彼は、教師に睨みつけられるのを感じた。 1987年のこれらの経験が、本作を実現する“種”になったのかも知れない。監督は、そう述懐している。 本作で描かれた「1987年の民主化運動」によって、韓国の民衆は、傷つきながらも“民主主義”という果実を得た。それが巡り巡って2017年、文化をも弾圧する朴槿恵の腐敗政権は、新たに立ち上がった民衆によって打倒される。 機を同じくして、一時危ぶまれた本作の製作が実現に至ったわけだが、公開後、「1987年の民主化運動」に参加した女性が、娘と共に本作を鑑賞した話が、監督の元に伝わってきた。映画が終わった後、娘は涙を流しながら、「お母さん、ありがとう」と、母を抱きしめたという。 また、こんなレビューも寄せられた。「朴槿恵政権がなぜ文化界を統制しようとしたのか、この映画を見てわかりました。それは映画が与える力がいかに大きいかということを感じたからです」。『1987、ある闘いの真実』は、まさにこうした“力”を持った作品なのである。■ 『1987、ある闘いの真実』© 2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED