ホラー映画脚本家リー・ワネルが初挑戦した本格的なSF世界

ホラー映画『ソウ』シリーズや『インシディアス』シリーズで知られる脚本家リー・ワネルが、長年の盟友ジェームズ・ワンとのコラボではなく単独で監督・脚本を手掛けた近未来SFアクションである。もともとオーストラリアのメルボルン出身で、地元の名門RMIT大学メディア・コミュニケーション学科に入学したワネルは、周囲の学生がヨーロッパのアート映画を志向する中にあって、「ジェームズ・キャメロンが好き」と臆せず公言する同級生ジェームズ・ワンと意気投合。一緒にホラー映画の脚本を書くようになった2人のデビュー作が、世界規模のサプライズヒットとなった『ソウ』(’04)だった。

ジェームズ・ワンが監督を、リー・ワネルが脚本をという役割分担で、以降も『デッド・サイレンス』(’07)や『インシディアス』(’10)をヒットさせた2人。その傍らで、『ソウ』と『インシディアス』の続編シリーズなどの脚本も手掛けていたワネルだが、しかし学生時代から映画監督志望だった彼は、シリーズ3作目に当たる『インシディアス 序章』(’15)で念願の監督デビューを果たす。そして、盟友ワンが『ワイルド・スピード SKY MISSION』(‘15)でブロックバスター映画へと大きく飛躍したのを機に、インディペンデント志向の強いワネルは予てから温めていたSF映画の企画を低予算で実現することとなる。それがこの『アップグレード』(’18)だったというわけだ。

舞台はそう遠くない近未来。社会がますますテクノロジーに依存していく中、昔ながらのアナログ技術にこだわり続ける自動車整備士グレイ(ローガン・マーシャル=グリーン)は、大手のハイテク企業に勤める愛妻アイシャ(メラニー・バレイヨ)と満ち足りた生活を送っていた。そんなある日、ハイテク業界の風雲児エロン・キーン(ハリソン・ギルバートソン)に依頼されていた自動車の修理を終えたグレイは、納品のため妻を伴ってエロンのもとへ向かう。そこでエロンが開発した革命的なAIチップ「STEM」を紹介された2人。その帰り道、夫婦の乗った自動運転車が突然制御不能となり、暴走を繰り広げた挙句に横転してしまう。そこへ襲いかかる4人の男たち。彼らはグレイに暴行を加えたばかりか、冷酷にもアイシャを殺害して姿を消す。

それから3か月後、辛うじて一命を取り留めたものの四肢が麻痺してしまったグレイ。妻を失った悲しみに加え、車いす生活を余儀なくされて絶望した彼は、思い余って自殺を図るものの失敗する。そこへ現れたのがエロン。彼はグレイにある提案を持ちかける。例のAIチップ「STEM」を脊髄に埋め込む人体実験に協力してみないかというのだ。人間の脳に反応する「STEM」は、脳からの信号を切断された神経へ送り届ける役割を果たす。つまり、以前のように手足を自由に動かせるようになるのだ。結果的に手術は成功。守秘義務契約書にサインしたグレイは、すっかり体の機能が回復したものの、表向きは車いすの生活を続けることになる。

ところが、自宅へ戻ったグレイに何者かが突然語りかける。それは人格を持った「STEM」の声だった。脊髄から鼓膜を通して音声を送るため、その声はグレイにしか聞こえない。想定外の事態に困惑するグレイだったが、しかしそれは同時に天の恵みでもあった。高度な知能を持ち、様々なハイテクマシンにアクセス可能な「STEM」は、彼の‟ある目的“を叶えるために有効だったのだ。それは妻アイシャを殺した犯人グループを自らの手で探し出すこと。警察のコルテス刑事(ベティ・ガブリエル)による捜査はなかなか進展せず、グレイは苛立ちを募らせていたのである。

監視ドローンの記録映像を検証した「STEM」は、犯人グループのひとりブラントナーの居所を突き止めることに成功。ブラントナーの留守宅で、警察へ届け出るための証拠を探していたグレイだったが、そこへ運悪く本人が帰ってくる。しかも、ブラントナーは肉体改造されたサイボーグだった。襲いかかるブレントナーになす術もないグレイ。すると、にわかに「STEM」が彼の身体機能を制御し、超人的なパワーを発揮してブラントナーを殺してしまう。思いがけない強力な武器(=ハイテクな肉体と頭脳)を手に入れたグレイは、さらに残りの犯人グループを突き止めようとするものの、やがて襲撃事件の驚くべき真相を知ることになる…。

CGでは再現できないリアルな臨場感にこだわった撮影

テクノロジーの進化に疑問を抱いてアナログに強くこだわる昔気質な主人公が、人体実験によって最先端のAIテクノロジーを備えたスーパーヒーローに生まれ変わるという皮肉な話。はじめのうちこそ『ナイトライダー』のマイケル・ナイトと「K.I.T.T.」のごとく、お互いに持ちつ持たれつの関係で謎の犯人グループを追跡していくグレイと「STEM」だが、しかし次第にグレイは「STEM」なしでは何もできなくなってしまい、やがて科学技術を利用する立場だった人間が科学技術によって支配されていく。

『アイアンマン』や『ブラックパンサー』などのスーパーヒーロー映画において、高度なテクノロジーは諸刃の刃ではあれども人類に恩恵をもたらすものとして描かれるが、しかし本作はむしろ人間の生命や存在までをも脅かすものとして捉えられ、過度な技術革新がもたらす未来に強い警鐘が鳴らされる。冒頭の制御不能となる自動運転車などはまさに象徴的だ。そのダークでサイバーパンクな映像美を含め、『ターミネーター』(’84)や『ハードウェア』(’90)など、ハイテクの暴走を描いた古典的なSFアクション映画の延長線上にある作品と言えよう。この傾向はワネル監督の次回作『透明人間』(’20)にも相通じる。

ワネル監督が本作のアイディアを思いついたのは2010年前後のこと。そもそもは「車いすに座った四肢麻痺の男性がいきなり立ち上がり、よく見ると首の後ろに埋め込まれたコンピューターに操作されていた」という光景を思い浮かべたことがきっかけだったという。この漠然としたイメージを基にして脚本を書き上げたワネル監督は、作品自体もテクノロジーに頼り過ぎないオーガニックな世界観を目指した。CGで作り込まれた派手な特殊視覚効果よりも、昔ならではのプラクティカルな特撮や特殊メイクが好きだというワネル監督は、もしかすると主人公グレイと似たようなアナログ人間なのかもしれない。

その際に参考としたのが、まさしく『ターミネーター』に『ハードウェア』、そして『ロボコップ』(’86)といった、CG以前のアナログ技術を使ったSFアクション映画群だったという。サイボーグ同士の格闘を描く激しいスタント・シーンは、そのものズバリな『サイボーグ』(’86)や『ネメシス』(’92)などのアルバート・ピュン作品を彷彿とさせるものがある。撮影もグリーンバックではなくロケや実物セットが中心。もちろん、低予算映画ゆえの諸事情もあったとは思うが、しかし作品のテーマと傾向を考えれば正しいアプローチだったと思う。

ちなみに、徹底してリアルな臨場感にこだわったワネル監督は、主人公グレイと人工知能「STEM」の会話もアフレコではなく撮影現場で同時録音している。「STEM」の声を担当する俳優サイモン・メイデンがモニター画面を見ながらセリフを喋り、それをグレイ役のローガン・マーシャル=グリーンが耳に装着した超小型イアピースで聞き取ることで、まさしく劇中のグレイと「STEM」のようなコミュニケーションを成立させているだ。

また、アクション・シーンでは「STEM」に制御されたグレイの素早い動作を細かく捉えた独特なカメラワークが印象的で、後からデジタル加工を施したようにも見えるのだが、実はこれにも意外なトリックが隠されている。専用アプリを使ってiPhoneとデジカメ「Alexa Mini」を同期させ、そのiPhoneをローガン・マーシャル=グリーンの衣装に仕込むことで、ローガンの動きとカメラレンズの動きを完璧にシンクロさせているのだ。これによって、主人公グレイの動作に超人的な印象が与えられているのである。シンプルだが非常に効果的な演出だ。

300万ドルというハリウッド基準ではかなりの低予算映画ながら、興行収入1700万ドルのスマッシュヒットを記録した本作。続編の可能性を予感させるようなエンディングに対して、劇場公開時には「続編を撮る予定はなし」「これはこれで完結した作品」と断言していたワネル監督だが、しかし昨年になってテレビシリーズ化の企画が浮上。医療ドラマ『シカゴP.D.』の脚本家ティム・ウォルシュとワネル監督が共同でクリエイターを務め、本作から数年後のさらに進化した人工知能「STEM」を埋め込まれた新たなキャラクターを主人公に、アメリカ政府がハイテク技術を犯罪捜査のため利用する世界が描かれるという。現時点ではまだ脚本準備の段階だが、ひとまず平凡なSF犯罪ドラマになってしまったテレビ版『マイノリティ・リポート』の二の舞だけは避けて欲しいところだ。■

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