昨年11月、『処刑人』のシリーズ第3弾が製作されるという、映画ニュースがネットで流れた。第1作が製作されたのは、1999年。第2作は2009年であり、報じられた通りに『処刑人Ⅲ』が実現すれば、第1作から20年余にして、実に10数年ぶりのシリーズ再開となる。
 亀のように遅々とした歩みながら、確実にコアなファンを掴んできた、『処刑人』シリーズの生みの親は、71年生まれのトロイ・ダフィー。今はもう50代だが、『処刑人』の脚本を書き上げた時は、まだ25歳の若さだった。
 ニューハンプシャー州で育ったダフィーは、大学の医学部進学課程に入学したものの、1年半でドロップアウト。ミュージシャンの道へと進むため、93年にロサンゼルスへと移り住んだ。
 生計は飲み屋の用心棒やバーテンダーで立てながら、ダフィーは弟と共に、廃墟のようなアパートで暮らした。そしてそこで、『処刑人』のアイディアの元となる体験をする。
 96年のある夜、ダフィーが仕事から帰ると、向かいの麻薬ディーラーの部屋から、女性の遺体が台車で担ぎ出されるところだった。女性は死後数日は経っている様子で、アーミー・ブーツを履いていたが、そこに出てきたディーラーは、「そのクソ女が俺のカネを取りやがったんだ!」と叫びながら、そのブーツを、思い切り真下へと叩きつけた。
 期せずして、衝撃的なまでに不快な出来事と遭遇してしまったダフィーは、自らへのセラピー代わりに、あることに取り掛かる。それは、脚本を書くことだった。
 幼少時から、彼の身近には犯罪者の巣窟があって、「…いつも誰かが奴らを退治してくれないかと思っていた…」という。そして遂に、その時がやって来た! ダフィーは、「…武器じゃなくてペンと映画で…」悪人退治を実行することにしたのである。
 映画学校などに通ったことがないダフィーは、友人から映画脚本の書き方について手本を見せてもらうと、自らが抱えた嫌悪感を、バーテンダーの勤務中にノートへと書き殴り、仕事が終わると、借り物のPCで入力した。
「THE BOONDOC SAINTS」、直訳すれば、“路地裏の聖人たち”。日本公開時には『処刑人』という邦題が付く、この作品の脚本の完成までに要したのは、3ヶ月。時は96年の秋になっていた…。

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 ボストンの精肉工場で働き、地元の教会の敬虔な信者である、コナーとマーフィーのマクナマス兄弟。行きつけの酒場に、ロシアン・マフィアのメンバーが、借金取り立ての嫌がらせにやって来た。居合わせた2人は、マフィアたちを袋叩きにする。
 怒ったマフィアたちは数人で、兄弟のボロアパートを急襲する。それを返り討ちにして、全員を殺害。兄弟は、警察へと自首した。
 拘留された留置場の夜、兄弟は“神の啓示”を受ける。
~悪なる者を滅ぼし、善なる者を栄えさせよ~
 正当防衛が認められ、すぐに釈放となった兄弟は、大量の武器を調達。ロシアン・マフィアが集まるホテルの一室を襲撃して、ボスをはじめメンバー9人を、祈りを捧げながら、皆殺しにする。
 兄弟の親友で、イタリアン・マフィアの使い走りをしていたロッコも、仲間に加わる。そしてロッコをハメようとしたイタリアン・マフィアの幹部や殺し屋などを、次々と血祭りに上げていく。
 身の危険を感じたイタリアン・マフィアの首領ヤカヴェッタは、最強最悪の殺し屋で重要犯罪人刑務所に囚われの身だったエル・ドーチェを出獄させ、兄弟たちに刺客として差し向ける。
 一方この連続殺人を追う、FBIのキレ者捜査官スメッカーは、兄弟たちの仕業に、次第に共感を覚えるようになっていく…。

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 脚本が出来上がったタイミングで、ダフィーはかつてのバーテンダー仲間の友人と再会する。友人は「ニュー・ライン・シネマ」の重役アシスタントとなっており、ダフィーの脚本をハリウッドへと持ち込んだ。
 時は『パルプ・フィクション』(94)成功の興奮が冷めやらず、犯罪映画をスタイリッシュに描く、“タランティーノ”症候群真っ盛りの頃。時制のズラしやスローモーションなどを駆使した、本作脚本への反響は大きく、「ニュー・ライン・シネマ」「ソニー・ピクチャーズ」「パラマウント」等々の間で、争奪戦になったのである。
 しかしダフィーは、なかなか首を縦に振らなかった。そんな中で「パラマウント」との間には、本作ではなく、内容も未定で、まだ一行も書いてない2作品の脚本を50万㌦で売るという、“青田買い契約”が、先にまとまった。
 97年3月になって、本作の脚本を勝ち取ったのは、当時は「ミラマックス」の社長だった、悪名高きハーヴェイ・ワインスタイン。脚本に30万㌦とも45万㌦とも言われる値を付け、製作費として1,500万㌦を用意したと言われる。それにプラスしてダフィーは、ワインスタインに様々な条件を呑ませた。
 まず、ダフィーがバーテンダーを務めるスポーツ・バーを買い取った上で、その共同経営権を譲渡すること。そして映画化の際は、ダフィーに監督を委ね、キャスティングの最終的な決定権を渡すこと。更にはダフィーのバンドに、サウンドトラックを担当させること等々であった。
 この契約は、大きなニュースとなり、ハリウッド中の話題となった。しかし、ダフィーの“有頂天”は、6週間ほどで終わりを告げる。
「ミラマックス」との製作交渉は、なかなか最終合意に至らなかった。中途からワインスタインは、直接のコンタクトを一切拒絶するようになり、97年11月には、本作の製作は取りやめとなる。それと同時に、スポーツ・バーの買収から、バンドデビューの話まで、一切が立ち消えとなってしまった。
 巷間伝わる話によると、「ミラマックス」側が兄弟役やFBIの捜査官役に、ブラッド・ピット、ビル・マーレイ、シルベスター・スタローン、マイク・マイヤーズ、ジョン・ボン・ジョヴィといったキャストを推し当てようとしたことに、ダフィーが反発。それでいてダフィー側が、ユアン・マグレガーやブレンダン・フレーザーといったスターとの出演交渉に失敗したことなどが、積み重なった結果だと言われる。
 ダフィーは起死回生に、主役の兄弟役として、TVシリーズの「インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険」(92~93)でタイトルロールを演じ、注目されたショーン・パトリック・フラナリーと、プラダのモデルなどを務めていたノーマン・リーダスという、2人の若手俳優を見つけ出して、自費でスクリーン・テスト用のショートフィルムまで製作。それを「ミラマックス」にプレゼンしたと言われるが、功を奏さず、遂には破談に至った。
 もっともこの2人が、最終的には本作の主演となって、「他には考えられない」ような当たり役とすることを考えると、無駄骨だったとは言えないが…。

「ミラマックス」との交渉決裂後は、かつての争奪戦が嘘のように、本作の製作に乗り出そうという大手映画会社は、姿を消した。結局インディー系である「フランチャイズ・ピクチャーズ」が、「ミラマックス」の半分以下の予算である製作費700万㌦を提示。ダフィーは、それに乗った。
 兄弟役に次ぐ、重要な役どころと言える、FBIのスメッカー捜査官には、ウィレム・デフォーの出演を取り付けた。ゲイでナルシストで天才肌のプロファイラーという、キレキレの役どころにデフォーが見事にハマったのは、衆目の一致するところであろう。
 本作は、98年8月にカナダのトロントでクランクイン。その後ボストンを巡って、9月下旬には無事撮影を終えた。
 ポスト・プロダクションを経て、作品は翌99年4月末に完成。ところがその直前に、ある“大事件”が起きたことで、本作の行く手にはまたもや、暗雲が広がる。
 4月20日、コロラド州のコロンバイン高校で、銃乱射事件が発生。銃器を駆使するヴァイオレンス映画に対して、反発が強まった。その上、本作の兄弟の出で立ちが、“トレンチコート・マフィア”と呼ばれた、事件の犯人の少年たちの服装に、カブるものがあったのである。
 本作のアメリカでの一般公開は、暗礁に乗り上げそうになる。最終的にはダフィーが一部自腹を切るという条件で、2000年1月に、ニューヨーク、ロサンゼルス、ボストンの3都市5館で2週間のみの上映に漕ぎ着ける。興行収入は3万㌦しか上がらず、もはや本作、そして時同じくしてバンド活動も不発に終わったダフィーの命運は、尽きたものと思われた。
 ところが“神”は、本作とダフィーを見放さなかった。2月にビデオの販売とレンタルが始まると、口コミで徐々に人気が広がっていき、やがてインディー作品としては、ベストセラーとなる。その後DVDなども発売され、遂にはアメリカ国内だけで、5,000万㌦を超える売り上げを記録するに至った。
 海外での展開も、概ね順調な推移を見せるようになっていく。日本では当初劇場公開はせずに、ネットでのプレミア配信とビデオ発売のみの予定だったのを変更。2000年10月に『処刑人』というタイトルで、「東京ファンタスティック映画祭」で初上映。翌01年2月には、全国30館で3週間の興行を実施した。
 小規模の限定公開だったにも拘らず、興行収入は1億円に達し、その後発売されたビデオとDVDは、大ヒット。レンタル店では、高回転の超人気ソフトとなったのである。
 製作を取りやめた「ミラマックス」に対し、ダフィーは見事な意趣返しを果たした!…と言いたいところだが、実は『処刑人』が上げた収益は、契約の不備から、びた一文ダフィーの懐には入っていない。
 また世界中から届くようになった、“続編”を望む声にも、ダフィーはなかなか応えることが出来なかった。『処刑人』の製作会社「フランチャイズ・ピクチャーズ」と訴訟沙汰となったため、身動きが取れない状態が、長く続いたのである。
 結局『処刑人Ⅱ』の製作・公開は、第1作からほぼ10年後。ファンは、2009年まで待たなければならなかった。

 それから更に10年以上の時が経ち、監督だけでなく兄弟役の2人も、今や50代である。ショーン・パトリック・フラナリーは、映画やTVの中堅俳優として活躍。ノーマン・リーダスは、2010年から続くTVシリーズ「ウォーキング・デッド」で、一躍人気スターとなった。
 俳優としてのキャリアを積み重ねた、フラナリーとリーダス。それに比べて監督のダフィーは、ほぼ『処刑人』シリーズのみで語られる存在となっている。
 そんな3人の座組は変わらずに製作されるという、『処刑人』のPART3。リーダスのアイデアを盛り込みながら、フラナリーと共同で書く脚本で、ダフィー監督はメガフォンを取ると伝えられている。
 既報通りであれば、今年5月にクランクインということで、もう撮影は行われている筈だ。第1作から二十数年の歳月を経て、50代トリオがどんな『処刑人』を見せてくれるのか? まずは第1作でシリーズのスタートを体験した上で、是非想像していただきたい。■

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