1985年生まれの、デイミアン・チャゼル。ハイスクール時代はミュージシャンを目指してジャズを学ぶが、ハーバード大学に進む頃には、幼き日の夢だった映画監督への想いが甦る。チャゼルは貪るように古今東西の映画を観まくったというが、そんな中でも、“ミュージカル映画”に夢中になった。
 本作『ラ・ラ・ランド』(2016)のアイディアが浮かんだのは、ハーバード在学中。チャゼルは学友で、その後共に歩むことになる、作曲家ジャスティン・ハーウィッツと、ストーリーを練り始めた。
 そのハーウィッツと共に、ハーバードの卒業製作として作り上げたのは、16mmフィルムで撮影した、全編モノクロのミュージカル『Guy and Madeline on a Park Bench』(2009)。ジャズに執心する主人公Guyのキャラクターは、チャゼルのその後の作品にも、引き継がれていく。
 この卒業製作が評判となり、小規模ながら劇場公開に至った。ちょうどその頃、2010年にチャゼルは、『ラ・ラ・ランド』の脚本初稿を書き上げる。
 プロデューサーを雇っての売込みに、『ラ・ラ・ランド』に興味を持つ製作会社が現れた。しかし、主人公が愛する音楽をジャズでなくてロックに変更することや、オープニングの曲の差し替え等を求められたため、プロジェクトは頓挫する。
 チャゼルは、方針を転換。商業映画デビュー作としては、『ラ・ラ・ランド』よりは低予算でイケる、『セッション』(14)に、取り組むことにした。
 ハイスクール時代の自身の経験も多く盛り込んだという『セッション』は、名門音楽学校に入学した若きドラマーと伝説の鬼教師の攻防を、息も突かせぬド迫力で描いた作品。
 330万ドルの製作費に対し、世界中で5,000万ドルの興行収入を上げ、またその年度のアカデミー賞で、5部門にノミネートされた。結果として、作品賞及びチャゼルがノミネートされた脚色賞は逃したものの、鬼教師を演じたJ・K・シモンズに助演男優賞、更に編集賞、録音賞の計3部門での受賞となった。
『セッション』をリリースした際、まだ30歳になる前だったチャゼルは、「若き天才」との呼称を恣にする。ここに、『ラ・ラ・ランド』映画化の機は熟した。製作会社のライオンズゲートに提案すると、製作費3,000万㌦を掛けて、チャゼルが思い描いた通りの内容で撮れることになったのだ。
 当初主役のカップルには、エマ・ワトソンと、『セッション』の主演だったマイルズ・テイラーの名が挙がった。しかしワトソンは、ディズニーの実写版『美女と野獣』(17)ヒロインのオファーを選ぶ。そしてテイラーとの交渉も不調に終わったため、新たなキャスティングが進められることとなった。決まったのは、同じエマでも、エマ・ストーン、そしてライアン・ゴズリングである。

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 クリスマスが近くても暑い、冬のロサンゼルス。
 女優になる夢を叶えるためこの街に来たミア(演:エマ・ストーン)は、映画スタジオ内のコーヒーショップに勤めながら、様々なオーディションを受ける日々。
 ある日、ピアノの音色に誘われて足を踏み入れたレストランで、その奏者に感動を伝えようとする。しかし当のピアニスト、セブことセバスチャン(演:ライアン・ゴズリング)は、店長の指示に従わず、勝手な曲を演奏したため、その場でクビに。セブは近寄ってきたミアを無視し、店外へと消えた…。
 春が訪れ、ミアとセブは再会。偶然の出会いが続き、2人は言葉を交わすようになる。
「時代遅れ」と揶揄されるようなジャズをこよなく愛するセブの夢は、いつか好きな曲を好きなだけ演奏する、自分の店を持つこと。お互いの夢を熱く語り合う内に、2人は惹かれ合い、やがて結ばれる。
 夏が来る頃には、ミアとセブは同棲。互いの夢を支え合い、幸せの絶頂にいた。
 生活のための術が必要と考えたセブは、かつての音楽仲間が組んだバンドに、キーボード奏者として参加。その楽曲は、セブが愛するフリージャズとはかけ離れており、ライヴに出向いたミアは、戸惑いを覚える。
 しかしバンドは大人気となり、セブはツアーやレコーディングで多忙に。2人は、会えない時間が多くなる…。
 秋。ツアーを抜け出して、ミアにサプライズを仕掛けたセブ。しかしミアのちょっとした一言から、大喧嘩となってしまう。
 そんな折り、ミアがセブの勧めで書き上げたひとり芝居が、幕を開ける。しかし客席はガラ空き。公演後には酷評が耳に届く。打ちのめされたミアは、仕事のため公演に間に合わなかったセブに、「何もかも終わり」と告げ、故郷に帰ってしまう。
 数日後、ひとり残されたセブの元に、ミアを探す配役事務所から電話が入るが…。

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 ミア役のエマ・ストーンは、ブロードウェイでミュージカル「キャバレー」に出演。評判になったのを受けてのキャスティングだった。
 チャゼルは、セブ役にライアン・ゴズリングを得たことを、本作の「製作の長いプロセスのキーになった」ポイントとして、挙げている。
 ストーンとゴズリングの共演は、『ラブ・アゲイン』(11)『L.A. ギャング ストーリー』(13)に続いて、本作で3度目。そのすべてでカップルを演じている2人の相性が、フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース、ハンフリー・ボガート&ローレン・バコール、マーナ・ロイ&ウィリアム・パウエルといった、ハリウッドの伝説のカップルのように、「しっくり合っている」と、チャゼルには感じられたのだ。
 撮影前の準備期間、ゴズリングはジャズ・ピアノを、3ヶ月練習。その成果として、本作では全編、本人による演奏が見られる。手元のクローズアップでも、代役は使っていない。
 セブが加入するバンドのリーダーを演じた、ミュージシャンのジョン・レジェンドは、ゴズリングのあまりの習得の早さに驚愕。嫉妬すら覚えたという。
 ピアノと同時に、ゴズリングはエマ・ストーンと、ダンスの練習にも励んだ。ストーン曰く、2人は売れないアーティストの役なので、圧倒的な歌唱力やダンスといったものは、「求められなかった」という。2人の関係がある意味では未熟に見えることを、チャゼルが望んだが故である。

 さて本作のタイトル『ラ・ラ・ランド』は、チャゼルによると、ロサンゼルスを「からかうような感じで呼ぶとき」に使うという。それに加えて、空想にふけるという意味もあり、夢を見るのはすてきなことだというメッセージも籠めたのである。
 そんな『ラ・ラ・ランド』は、40日間掛けて、グリフィス天文台から歴史あるジャズクラブまで、ロサンゼルスの各所でロケ撮影が行われた。
 チャゼルが愛する、1930年代から50年代に掛けての、アステア&ロジャースやジーン・ケリーが主演したミュージカルは、スタジオにセットを組み、先に歌声を録音した楽曲を流しながら、ダンスシーンを撮った。しかし本作は、ロケ地で演者が歌って踊り、生歌を同時に録音する方式で、撮影が行われた。
 しかもすっかりデジタル撮影が主流になっていたこの時代に、フィルムを使用。並大抵の準備では、済まなかった。
 オープニングのつかみとなる、ハイウェイの大渋滞を縫っての群舞シーン。警察の協力で、高速道路を封鎖して、ロケが行われた。
 驚異のワンカット撮影を、限られた時間で行わなければならないため、スタジオの駐車場に、作り物の分離帯や車を沢山置いて、丁寧にリハーサル。いざ本番は、気温が43度という猛暑の中で行われた。
 一発OKとはいかないため、撮影が終わる度にダンサーたちはアシスタントに抱えられて、スタート地点に戻る。そして汗を拭き取り予備の衣装に着替えてから、リテイクに臨んだという。
 因みに本作の振り付けを担当したのは、TVのミュージカルドラマ「glee/グリー」で評判をとった、マンディ・ムーア。高速道路のシーンでは、撮影中に写り込んでしまうことを避けるため、車の下に隠れて指示を出したという。
 ハリウッドの丘の上で、ストーンとゴズリングが踊るシーンも、現地ロケ。日没直後のマジックアワーを狙ったため、撮影のチャンスは、2日間で30分ほど。そんな中で2人は、長回しのダンスシーンを、繰り返し撮影した。

 先に記した、ハリウッド黄金期のミュージカル以上に、チャゼルが影響を受けたのは、実はフレンチ・ミュージカル。ジャック・ドゥミー監督、ミシェル・ルグランが音楽を担当した『シェルブールの雨傘』(1964)こそが最大級の意味で、「僕を成長させてくれた映画」と、語っている。そして当然のように本作でも、オマージュが捧げられている。
 その一方でチャゼルが腐心したのは、ノスタルジックや演劇的になり過ぎないようにすること。曰く、「ミュージカルには他のジャンルにない楽しさ、高揚感があるけれど、同時に現実的で正直なストーリーが必要だ。ファンタジーとリアルがね」
 ファンタジーとリアル/夢と現実が一体となった、新しいミュージカル映画のスタイルを作り出すための一助となったのが、マーティン・スコセッシ監督のボクシング映画『レイジング・ブル』(80)。この作品では、カメラをボクシングのリング内に持ち込んで、常にボクサーの動きに焦点を合わせる形で、撮影が行われている。スコセッシは、リング上では観客がボクサーの眼を持ち、殴られているのは自分だという意識を持たせるために、この手法を考案した。
 これを「表現主義的なカメラワーク」と言うチャゼルは、スコセッシがリングの中にカメラを置いたように、自分はダンスの中にカメラを置きたかったと語っている。
 スコセッシ作品からの影響という意味では、『ニューヨーク・ニューヨーク』(77)も忘れてはいけない。この作品でカップルを演じたのは、ライザ・ミネリとロバート・デ・ニーロ。ミネリは無名の俳優からハリウッドの大スターに、デ・ニーロは売れないサックス奏者からジャズ・クラブのオーナーへと成功の道を歩みながら、別れ別れとなっていく。『ラ・ラ・ランド』のミアとセブの軌跡は、『ニューヨーク・ニューヨーク』の2人の歩みと、ほぼほぼカブる。
 さて本作『ラ・ラ・ランド』の別れた2人は、ラスト近くになって、5年振りに再会。そこで実際にはそうならなかった、2人が添い遂げる人生が、イメージの中で展開する。
 チャゼルが「ただの夢じゃない」と語るこのシーン。たとえ今は別々の人生を送っていても、あの時2人で愛し合った、素晴らしき時間があったからこそ、今の自分たちがある。「あり得た人生」を想うのは、単なる後悔ではなく、希望ともなる…。

『ラ・ラ・ランド』はクランクアップから、編集に1年掛けて完成。まずは2016年秋の「ヴェネチア映画祭」オープニング作品として、大きな話題をさらった。
 その後本国アメリカで大ヒットを記録すると同時に、各映画賞で受賞ラッシュとなる。その本命と言うべき、2017年2月に開催されたアカデミー賞では、史上最多タイの14ノミネート。監督賞、主演女優賞など6部門で受賞を果したが、それ以上に前代未聞のアクシデントに巻き込まれたことが、大ニュースとなった。
 この年の“作品賞”のプレゼンター、ウォーレン・ベイティが受賞作品の封筒を開け、『ラ・ラ・ランド』と発表を行った。しかし受賞スピーチが始まった直後に、これがスタッフのミスによる封筒取り違えと判明。改めて『ムーンライト』(16)に“作品賞”が与えられるという、大珍事が起きてしまったのだ。
 “作品賞”という大魚を逃しながらも、それ以上にインパクトの残る形で、記録や記憶に残った、『ラ・ラ・ランド』。それもまたデイミアン・チャゼル、当時の「若き天才」ぶりに贈られた、勲章のようにも思える。■

『ラ・ラ・ランド』© 2017 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved. Sebastian (Ryan Gosling) and Mia (Emma Stone) in LA LA LAND. Photo courtesy of Lionsgate.