世界的に性の解放が叫ばれ映画における性表現が自由化された’70年代、イタリアではセックス・コメディ映画が大ブームを巻き起こす。Commedia sexy all'italiana(イタリア式セックス・コメディ)と呼ばれるこれらの映画群は、一部の野心的で志の高い作品を除けば美女たちの赤裸々ヌードと低俗な下ネタギャグで見せるバカバカしいB級エンターテインメントで、それゆえ当時の批評家からは散々酷評されたものの、しかし大学生や労働者階級の若者を中心とした男性ファンからは大いに支持された。バーバラ・ブーシェにグロリア・グイダ、ラウラ・アントネッリにアニー・ベル、フェミ・ベヌッシにリリ・カラーチにダニエラ・ジョルダーノにアゴスティナ・ベッリにジェニー・タンブリにキャロル・ベイカーなどなど、数多くのグラマー女優たちがイタリア式セックス・コメディ映画で活躍したが、中でも特に絶大な人気を誇ったのはエドウィジュ・フェネシュである。

「イタリア式セックス・コメディの女王」と呼ばれ、イタリアでは’70年代を象徴するセックス・シンボルとして有名なエドウィジュ・フェネシュ。欧米では今もカルト的な人気が高く、クエンティン・タランティーノ監督やイーライ・ロス監督もフェネシュの大ファンを公言しているほどだが、しかし日本では劇場公開作が少ないため知名度は極めて低い。そんな彼女の代表作のひとつである『青い経験』シリーズが、なんとザ・シネマで放送されるということで、今回は作品の見どころに加えて、日本ではあまり知られていない女優エドウィジュ・フェネシュとイタリア式セックス・コメディの世界について解説してみたいと思う。

ジャッロ映画の女王からイタリア式セックス・コメディの女王へ

1948年12月24日のクリスマス・イヴ、当時まだフランス領だった中東アルジェリアの古都ボーヌ(現在のアンバナ)に生まれたエドウィジュ・フェネシュ。父親フェリックスはスコットランドやチェコの血が入ったマルタ人、母親イヴォンヌはベネチアをルーツとするシシリア生まれのイタリア人だが、2人の間に生まれたフェネシュの国籍はフランスである。裕福な家庭に育って9歳からバレエを習っていたそうだが、しかし両親の離婚とアルジェリア独立戦争の影響から、母親に連れられて南仏ニースへ移住。18歳の時に初めて結婚したが、しかし1年も経たず離婚している。

人生の大きな転機が訪れたのはちょうどその頃。ニースの街を歩いていたところ、映画監督ノルベール・カルボノーにスカウトされ、出番1シーンのみの端役ながら’67年に映画デビューを果たしたのだ。その年、当時カンヌ国際映画祭で毎年行われていた美人コンテスト「レディ・フランス」に出場して優勝したフェネシュは、さらに欧州各国代表が集まる国際大会「レディ・ヨーロッパ」にも出場。惜しくも3位に終わったものの、しかしこれをきっかけにイタリアのエージェントから声がかかり、女性ターザン映画『Samoa, regina della giungla(サモア、ジャングルの女王)』(’68)に主演。フェネシュは母親と一緒にローマへ移り住む。

ただし、フェネシュが最初に映画スターとして認められたのはイタリアではなく西ドイツ。なかなかヒットに恵まれず燻っていた彼女は、イタリアの男性向け成人雑誌「プレイメン」でヌードグラビアを発表したところ、ひと足先に性の解放が進んでいた西ドイツへ招かれてセックス・コメディ映画に引っ張りだことなったのだ。その中の一本が、西ドイツとイタリアの製作会社が共同出資した『Die Nackte Bovary(裸のボヴァリー)』(’69)。この作品でフェネシュは、その後のキャリアを左右する重要な人物と出会うことになる。イタリア側の映画プロデューサー、ルチアーノ・マルティーノである。

祖父は日本でも大ヒットしたイタリア初のトーキー映画『愛の唄』(’30)で知られる往年の名匠ジェンナーロ・リゲッティ、祖母は「イタリアのメアリー・ピックフォード」と呼ばれた大女優マリア・ヤコビーニ、母親リア・リゲッティも元女優で、5つ年下の弟もB級娯楽映画の名職人セルジオ・マルティーノという映画一家出身のルチアーノ・マルティーノ。’60年代初頭よりミーノ・ロイとのコンビでソード&サンダル映画やマカロニ・ウエスタン、モンド・ドキュメンタリーなどのB級娯楽映画を大量生産してヒットを飛ばしたルチアーノは、’70年に自身の映画会社ダニア・フィルムを設立。弟セルジオやウンベルト・レンツィ、ドゥッチョ・テッサリ、ジュリアーノ・カルニメオなどの娯楽職人を雇い、ジャッロ(イタリア産猟奇サスペンス)やクライム・アクションといった人気ジャンルの映画を次々とプロデュースしていた。

そのルチアーノ・マルティーノと’71年に結婚(年齢差は15歳)したフェネシュは、いわばダニア・フィルムの看板スターとして売り出されることになる。第1弾となったのがセルジオ・マルティーノ監督のジャッロ映画『Lo strano vizio della signora Wardh(ワルド夫人の奇妙な悪徳)』(’71)だ。これがイタリアのみならずヨーロッパ各国やアメリカでもヒットしたことから、立て続けにジャッロ映画のヒロインを演じたフェネシュ。先述した通り「イタリア式セックス・コメディの女王」と呼ばれた彼女だが、同時に「ジャッロ映画の女王」でもあったのだ。タランティーノやイーライ・ロスが夢中になったのもジャッロ映画のフェネシュ。ただ、実のところ彼女が主演したジャッロ映画はせいぜい5~6本。数としては決して多くないのだが、しかしいずれも非常にクオリティが高く、中でもセルジオ・マルティーノ監督と組んだ『Lo strano vizio della signora Wardh』と『Tutti i colori del buio(暗闇の中のすべての色)』(’72)は、当時のダリオ・アルジェント作品と比べても引けを取らない見事な傑作。いまだ日本へ輸入されないままなのは実に惜しい。

次に、ルチアーノ・マルティーノは折からのイタリア式セックス・コメディの人気に便乗するべく、ピエル・パオロ・パゾリーニの『デカメロン』(’71)や『カンタベリー物語』(’72)に影響されたエロティック時代劇コメディ『Quel gran pezzo dell'Ubalda tutta nuda e tutta calda(全裸でセクシーなウバルダの見事な作品)』(’72)をエドウィジュ・フェネシュの主演で発表。これがイタリア国内で空前の大ヒットを記録したことから、イタリア式セックス・コメディのブームが本格的に到来したと言われている。もちろん、フェネシュにとってもキャリアの大きな転機となり、これ以降、彼女は年に3~5本のハイペースでイタリア式セックス・コメディ映画に主演することとなる。

イタリア式セックス・コメディが若い男性ファンに支持された理由とは?

イタリア式セックス・コメディとは、’60年代に花開いた「Commedia all'italiana(イタリア式コメディ)のサブジャンル。高度経済成長期にさしかかった当時のイタリアでは、ローマやミラノなどの大都会を中心に庶民生活は豊かとなり、リベラルで進歩的な価値観が急速に浸透していったが、しかしその一方でカトリックの総本山バチカンのお膝元だけあって旧態依然とした保守的な価値観も根強く、さらに地方へ行けば家父長制の伝統も色濃い男尊女卑の風潮もまだまだ残っていた。そんなイタリア社会の矛盾を辛辣なユーモアで笑い飛ばしたのが、ジャンル名の語源ともなったピエトロ・ジェルミ監督の『イタリア式離婚狂騒曲』(’61)やディーノ・リージ監督の『追い越し野郎』(’62)、マルコ・フェレーリ監督の『女王蜂』(’63)といった一連の「イタリア式コメディ」映画。その中でも、イタリア庶民の大らかな性をテーマにした巨匠ヴィットリオ・デ・シーカの『昨日・今日・明日』(’63)や、デ・シーカに加えてフェリーニやヴィスコンティなどの巨匠が集結したオムニバス艶笑譚『ボッカチオ’70』(’62)辺りが、イタリア式セックス・コメディのルーツと言えるかもしれない。

そのイタリア式セックス・コメディが興隆したのは’70年代に入ってから。当時のイタリアでは学生運動や労働者運動など左翼革命の嵐が吹き荒れ、リベラルな気運が高まる中で映画の性描写も自由になっていた。実際、ヌードや濡れ場を積極的に描いたのは、ベルナルド・ベルトルッチやエリオ・ペトリ、サルヴァトーレ・サンペリなどの左翼系映画監督たちだ。パゾリーニなどはその代表格と言えよう。『デカメロン』と『カンタベリー物語』(’72)が立て続けにヒットすると、それをパクった「デカメロンもの」と呼ばれる映画群が雨後の筍のように登場。これをきっかけにイタリア式セックス・コメディが量産されるようになり、たちまち学園ものから犯罪ものまで様々にバリエーションを広げ、いわばポルノ映画の代用品として若い男性観客層から支持されるようになる。

先述したようにカトリック教会の影響などから、依然として保守的な価値観の根強かった当時のイタリア社会。それゆえ、映画における性表現の自由化は進んだものの、しかしこれがハードコア・ポルノとなるとまた話は別で、アメリカやフランスなど他国に比べると普及するのがだいぶ遅かった。イタリアで最初のポルノ映画館がミラノでオープンしたのは’79年。ちょうどアメリカとイタリアが合作したポルノ巨編『カリギュラ』(’79)が公開された年だ。最初の純国産ハードコア・ポルノ映画と言われているのは、ジョー・ダマート監督がドミニカ共和国で撮影した『Sesso nero(黒いセックス)』(’80)。それ以前は、例えばラウラ・ジェムサー主演のソフトポルノ『愛のエマニエル』(’75)のように、国外への輸出用などにハードコア・シーンを別撮りして追加するケースこそあったものの、しかし本格的なハードコア・ポルノ映画がイタリアで作られることはなかったそうだ。

ちなみに、ラウラ・アントネッリが主演したサルヴァトーレ・サンペリ監督の『青い体験』(’73)や、パスカーレ・フェスタ・カンパニーレ監督の強烈な風刺喜劇『SEX発電』(’75)などの一部作品を除くと、本国イタリア以外では滅多に配給されることもヒットすることもなかったというイタリア式セックス・コメディ。エドウィジュ・フェネシュの主演作にしたって、日本で劇場公開されたのは『ああ結婚』(’75)のみで、あとはテレビ放送やビデオ発売されただけ。それだって一握りの作品だけだ。なぜイタリア式セックス・コメディは国外で通用しなかったのか。その最大の理由は恐らく、セクシズム丸出しのユーモア・センスにあるのではないかと思う。

なにしろ、当時のイタリア式セックス・コメディは覗きや痴漢やレイプなど女性の人権を蔑ろにするような描写がテンコ盛りで、なおかつそれらを面白おかしく消費する傾向が強い。登場する女性キャラも男性に都合の良い好色な美女だったり、お堅い女性でも無理やり押し倒せばメロメロになったり。いわゆる「いやよいやよも好きのうち」ってやつですな。また、同性愛者や身体障碍者、有色人種などのマイノリティを小バカにするようなネタも多い。確かに当時のアメリカやヨーロッパ、日本などでも男尊女卑かつ差別的な表現を含むセックス・コメディは少なからず存在したが、しかしイタリア式セックス・コメディのそれはちょっとレベルが違うという印象だ。

とにもかくにも、こうしてイタリア式セックス・コメディの女王として超売れっ子となったエドウィジュ・フェネシュ。中でも特に人気を集めたのは、女性警官やらナースやらに扮したフェネッシュが、その美貌とお色気で性欲過多なイタリア男たちを大暴走させる職業女性ものである。セクシーでタフな美人女性警官が珍騒動を巻き起こす『エロチカ・ポリス』(’76)シリーズに、色っぽい女性兵士が男社会の軍隊を大混乱に陥れる『La soldatessa alla visita militare(女兵士の軍隊訪問)』(’76)とその続編の「女兵士」シリーズなど枚挙に暇ないが、今回はその中から妖艶な女教師が男子生徒ばかりかその父兄までをも悩殺する『青い経験』(’75)シリーズがザ・シネマにお目見えする。

エドウィジュ・フェネシュのセクシーな魅力が詰まった『青い経験』シリーズ

日本ではタイトルに「青い経験」を冠したエドウィジュ・フェネシュの主演作が全部で5本、テレビ放送ないしビデオ発売されているものの、しかし正式なシリーズ作品はナンド・チチェロ監督の『青い経験』(’75)とマリアーノ・ラウレンティ監督の『青い経験 エロチカ大学』(’78)、そしてミケーレ・マッシモ・タランティーニ監督の『青い経験 誘惑の家庭教師』(’78)の3本。それ以外は日本側で勝手にシリーズを名乗らせた無関係な映画である。その中から、今回ザ・シネマで放送されるのは2作目と3作目。そこで、まずはシリーズの原点である1作目を簡単に振り返っておきたい。

頭の中が女の子とセックスのことでいっぱいのお坊ちゃんフランコは、勉強などそっちのけで悪友たちとイタズラ三昧の毎日。息子の将来を心配した汚職議員の父親が、フランコの成績改善と引き換えに昇進を校長へ持ちかけたところ、エドウィジュ・フェネシュ演じる美人教師ジョヴァンナが家庭教師を務めることになり、すっかり一目惚れしたフランコは彼女をモノにするべく勉強そっちのけで猛アプローチを展開する。『青い体験』の影響下にあることは一目瞭然の性春コメディ。権力者の不正が蔓延るイタリア社会の悪しき風習をさりげなく皮肉っている辺りは、マカロニ・ウエスタンの名脚本家ティト・カルピの良心と言えるかもしれないが、しかしデート・レイプや人身売買を笑いのネタにしたり、同性愛に関する描写が偏見まみれだったり、やっぱり最後は男が女を強引に押し倒すことで結ばれてハッピーエンドだったりと、内容的に性差別的な傾向が顕著な作品でもある。

そして、今回放送されるのが2作目『青い経験 エロチカ大学』と3作目『青い経験 誘惑の家庭教師』。いずれもストーリー的には完全に独立しており、キャストの顔ぶれ自体は続投組が多いものの、しかし登場人物も設定も作品ごとに全く違うため、1作目を見ていなくても問題はないし、そればかりか見る順番すら気にする必要はないだろう。

邦題の通り大学キャンパスが主な舞台となる『青い経験 エロチカ大学』。謎の過激派グループから誘拐を予告された大富豪リカルド(レンツォ・モンタニャーニ)は、秘書ペッピーノ(リノ・バンフィ)の助言で貧乏人に化けて家族ともども下町へと引っ越すのだが、しかし大学生の息子カルロ(レオ・コロンナ)はそんなことお構いなしで、性欲を持て余した悪友たちとエッチなイタズラに勤しんでいる。そんな彼は学長の姪っ子である新任の美人英語教師モニカ(エドウィジュ・フェネシュ)に一目惚れするのだが、父親リカルドも町で偶然知り合った彼女に夢中となり、強引に理由を作ってモニカに英語の個人教授を依頼。すっかり2人が出来ているものと早合点したカルロは、なんとかしてモニカを自分のものにしようと大奮闘する。

‘70年代のイタリアといえば、過激派テロ・グループ「赤い旅団」による政治家や富裕層を狙った誘拐事件が多発して社会問題となったわけだが、本作ではそんな危うい世相を背景に取り込んで金持ちの独善的な身勝手を揶揄しつつ、美人教師のお色気に理性を失って右往左往する男どもの愚かさを笑い飛ばす。モニカが英単語を学生たちに復唱させながら服を脱いでいくという、カルロが妄想する英単語ストリップ・シーンなどは捧腹絶倒のバカバカしさ(笑)。なんとも他愛ない学園セックス・コメディに仕上がっている。

続く『青い経験 誘惑の家庭教師』は、大作曲家プッチーニが生まれたトスカーナ地方の古都ルッカが舞台。ミラノ出身の美人ピアノ教師ルイーザ(エドウィジュ・フェネシュ)は、恋人である評議員フェルディナンド(レンツォ・モンタニャーニ)の住むルッカへ引っ越してくるのだが、そんな彼女に大家の息子マルチェロ(マルコ・ゲラルディーニ)が一目惚れ。ところが、悪友オッタヴィオ(アルヴァーロ・ヴィタリ)がルイーザを売春婦と勘違いして噂を広めたところ、色めき立ったアパート管理人アメデオ(リノ・バンフィ)や大家の外科医ブッザーティ(ジャンフランコ・バッラ)など、アパートの住人であるスケベ男たちが彼女の体を狙って我先にと殺到する。

これまた老いも若きも揃って過剰な性欲に振り回される、世の男たちの滑稽さと哀しい性を笑い飛ばした作品。さらに実は既婚者であることを隠しており、なおかつ市長選への出馬で不倫スキャンダルを隠し通したいフェルディナンドとの駆け引きも加わることで、上へ下へと大騒ぎのドタバタ群像劇が繰り広げられる。暴行まがいの展開でマルチェロがルイーザをモノにするラストは少なからず問題ありだが、それも含めてイタリア式セックス・コメディらしさが詰まった映画と言えよう。

どちらの作品も、エドウィジュ・フェネシュのルネッサンス絵画を彷彿とさせるヴィーナスのような美貌と、古代ローマの彫刻も顔負けの立派なグラマラス・ボディこそが最大の見どころ。また、レンツォ・モンタニャーニにリノ・バンフィ、アルヴァーロ・ヴィタリなど、フェネシュ主演作の常連でもあったイタリア式セックス・コメディに欠かせない名優たちの、実にベタでアクの強いコメディ演技も要注目である。

その後、’79年にルチアーノ・マルティーノと離婚したフェネシュは、引き続きイタリア式セックス・コメディで活躍しつつ、ディーノ・リージやアルベルト・ソルディなど一流監督の映画にも出るようになるのだが、しかし先述したようにハードコア・ポルノの普及でイタリア式セックス・コメディが急速に衰退すると、演技力よりも美貌とヌードが売りだった彼女にとって厳しい時代が訪れる。そこで、後にフェラーリ会長やアリタリア航空会長を歴任し、当時フィアット・グループの重役だったルカ・ディ・モンテゼーモロの恋人だったフェネシュは、その強力なコネを使ってテレビ界へ転身。バラエティ番組の司会者やエンターテイナーとして活躍するようになり、おのずとヌードも封印してしまう。ティント・ブラス監督の文芸エロス映画『鍵』(’83)の主演を断ったのもこの頃だ。

ちなみに、映画会社社長ルチアーノ・マルティーノに大物実業家ルカ・ディ・モンテゼーモロと、社会的地位の高い男性パートナーの影響力に助けられてキャリアを切り拓いたフェネシュだが、これは昔のイタリア女優に共通する処世術。ソフィア・ローレン然り、シルヴァーナ・マンガーノ然り、クラウディア・カルディナーレ然り、イタリアのトップ女優たちの多くは、夫や恋人である大物プロデューサーや有名映画監督などの後ろ盾があった。「イタリアではプロデューサーの妻やガールフレンドがいい役を独占する」と不満を持ったエルサ・マルティネッリは、アメリカでブレイクしたことからハリウッドに活動の拠点を移してしまった。なにしろ、伝統的に男尊女卑の根強いイタリアでは映画界も基本的に男性社会。女優が名声を維持するためには、権力を持つ男性のサポートが必要だったのである。

閑話休題。やがて舞台女優へも進出してセックス・シンボルからの脱却を図ったフェネシュは、’90年代に入ると自らの製作会社を設立して映画やテレビドラマのプロデューサーとなり、名匠リナ・ウェルトミュラーの『Ferdinando e Carolina(フェルディナンドとカロリーナ)』(’99)やアル・パチーノ主演の『ベニスの商人』(’04)、イタリアで話題になったテレビのロマンティック・コメディ『È arrivata la felicità(幸せがやって来た)』(‘15~’18)などを手掛けている。イーライ・ロス監督のアメリカ映画『ホステル2』(’07)へのカメオ出演で久々に女優復帰も果たした。最近では巨匠プピ・アヴァティが半世紀に渡る男性2人の友情を描いた映画『La quattordicesima domenica del tempo ordinario(平凡な時代の第14日曜日)』(’23)に、ガブリエル・ラヴィア演じる主人公マルツィオの別れた妻サンドラ役で登場。若き日のサンドラの母親役をシドニー・ロームが演じているそうで、これは是非とも見てみたい。■

『青い経験 エロチカ大学』© 1978 DEVON FILM – MEDUSA DISTRIBUZIONE
『青い経験 誘惑の家庭教師』© 1979 DEVON FILM – MEDUSA DISTRIBUZIONE