「その一瞬 ── 永遠とも思える一瞬ののち、ラインホールドが見守り、そして全世界が見守るうちに、その巨大な宇宙船の群は圧倒的な威厳をもって降下してきた。そして、ついに彼の耳にも、それらが成層圏の稀薄な大気の中を通過するかすかな悲鳴のような音が聞こえてきた」

アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」(福島正美:訳 早川書房)より

 

◆A picture is worth a thousand, words.(1枚の絵は1000の言葉に値する)

 1996年に公開された侵略SFスペクタクル『インデペンデンス・デイ』(以下『ID4』)を観たとき、世界主要都市上空に降り立つ異星からの訪問者──巨大デストロイヤー艦の登場ショットに、文頭に掲げた小説のプロローグが脳内をよぎった。稀代のSF作家アーサー・C・クラークが、持てる叙述力と知性あふれる表現力を費やして描いた異星人コンタクトを、この映画はものの見事に視覚化していたのだ。これこそまさに英語の慣用句「一枚の絵は1000の言葉に相当す」を示した格好のケースといえるだろう。

 もっとも、劇中の展開はクラークの代表作のようにスノッブでもなければ深遠なものでもない。そこには愛国心を高らかに謳う、エイリアン対人類の一大決戦が描かれる。むろん、その迫力あるスペクタクルシーンこそが本作の売りであり、そして目玉であるのだが。

 ヒット作だけに多くの人がストーリーを既知しているだろうが、改めて概説しておきたい。1996年7月2日、無数の巨大なスペースクラフトが世界各国の上空に出現。アメリカ合衆国ホイットモア大統領(ビル・プルマン)は未知の来訪者とのコンタクトをはかるも、地球侵略を目的とする彼らは主要都市を一斉攻撃する。都市は大破し機能を失い、ヒラー大尉(ウィル・スミス)率いるF-18戦闘機の攻撃チームは報復を開始するも、無数のデストロイヤー機の襲撃を受けてあえなく撤退し、人類の命運は尽きたかに見えた。

 映画はコンピュータ技師デイビッド(ジェフ・ゴールドブラム)の機転で難を逃れた大統領と、からくも生き残ったヒラーらがエイリアンの極秘研究を進めるネバダ州エリア51に集結し、そこで再攻撃のための計画を進めていく。そしてアメリカの独立記念日7月4日、人類の存亡を賭けた最終決戦がおこなわれるのである。

 本作の監督ローランド・エメリッヒは、母国ドイツのミュンヘン映画学校でプロダクション・デザインを学び、監督業に着手して学生映画『スペースノア』(1984)を発表。同作はべルリン映画祭で上映されるや絶賛を浴び、世界20カ国以上で公開された。
 その後、米独合作による2本目の監督作『MOON44』(1981)に出演したディーン・デヴリンと「セントロポリス・フィルム・プロダクション」という製作会社を設立し、ジャン=クロード・ヴァン・ダムとドルフ・ラングレンの共演による『ユニバーサル・ソルジャー』(1992)で世界市場を相手とした商業映画製作に乗り出す。そして同作のヒットを機にアメリカへと創作の拠点を移し、砂漠の惑星を舞台にした時空間SFスペクタクル『スターゲイト』(1994)を手がけ、多様なVFXが内外の話題を呼び映画は大ヒットとなった。

◆インハウスによる視覚効果への取り組み

 そんなエメリッヒにとって、『ID4』は初のメジャー(20世紀フォックス)資本による映画となったが、企画を買う代わりとして製作費7.000万ドルという、低い額を必須としたのである。
 しかし彼は『スターゲイト』で、一億ドルはかかると試算された同作を5000万ドルで仕上げた実績を持ち、要求は想定内だった。そこでエメリッヒは製作にあたり、視覚効果を当時主流だったILMやデジタルドメイン、ソニーピクチャーズイメージワークスといった既存のVFXのスタジオに外注するのではなく、インハウス(社内)で製作することにしたのだ。
 加えて20世紀フォックスが宣伝効果をねらって劇場公開を1996年7月4日(アメリカ独立記念日)に設定したため、製作日程は1年あまりに限られてしまう。うち視覚効果ショットの撮影準備期間は、わずか3カ月しかなかったのである。
 そこでエメリッヒは一点集中によって生産効率が高まることを熟慮し、模型制作部やハイスピード&モーションコントロールのミニチュア撮影ステージ、編集室に製作オフィスをすべてをカリフォルニア州カルバー・シティのヒューズ空港跡地にまとめようとした。同時にそこのいくつかの格納庫にセットが作られ、周辺地域でロケ撮影を組むことで、慌ただしい撮影スケジュールの間も、あらゆる側面に目を配ることができると考えたのだ。

 まずは映画の視覚的な方向性を決定するために、『スターゲイト』でコンセプチュアルイラストレーターを務めたパトリック・タトプロスとオリヴァー・ショールをプロダクションデザイナーとして起用。ショールはエメリッヒのドイツ時代からの友人で、『MOON44』ではプロダクションデザイナーを担当。いっぽうタトプロスはヨーロッパでコミックアーティストとイラストレーターを兼任し、アメリカに渡ってからは『ドラキュラ』(1992)や『デモリションマン』(1993)『ダークシティ』(1998)などさまざまな映画でコンセプチュアルイラストレーターを担当。エメリッヒがエイリアンの宇宙船にストレートなUFO型のイメージを要求してきたものを、ひとつの都市が隠れるくらい巨大にしたのはタトポロスの提案によるものだ。
 それらを可視化する特殊効果スーパーバイザーに、『ユニバーサル・ソルジャー』でモデルユニットを担当したヴォルカー・エンゲルと、ジェームズ・キャメロン監督の諜報コメディアクション『トゥルー・ライズ』(1994)でモーションコントロールの撮影監督をつとめたダグラス・スミスが就任した。特に後者の採用は重要で、当時はまだデジタルによる合成処理などにコストがかかることと、合成素材に必要な、露出を保ちながら撮影するにはモーションコトロールが不可欠だったからだ。
 そんな両者が時間を有効に使うために仕事を分担して進めるよう指示。前者はF-18戦闘機とエイリアン・アタッカーとの空中戦や、マザーシップの屋内と屋外場面、それ以外の地球側とエイリアン側のさまざまな航空機などだった。後者はクルーとデストロイヤーのモーションコントロール撮影とハイスピード撮影による合成ショット、他には都市破壊や戦闘機や宇宙船を飛ばすなどプラクティカル・エフェクトを担当した。
 撮影期間はわずか7カ月。その間にエンゲルとスミスの撮影班は4チームに分けられ、400種ものミニチュアショットを期限内に完成させた。合成素材は8パーフォレーションのヴィスタヴィジョンではなく、4パーフォレーションのスーパー35フィルムを用いることでコストを抑え、粒状性の問題は高感度フィルムを用途に応じて使い分けて解決へと導いている。
 しかし撮影開始と同時に、デヴリンとエメリッヒはデジタル合成の必要性に直面し、デジタル効果スーパーバイザー兼プロデューサーのトリシア・アシュフォードに、社内で臨時のコンピュータ・グラフィックスの施設を作るよう要請。データ輸送の手間を惜しみ、合成作業の大半を依頼してあったパシフィック・オーシャン・ポスト社(以下 POP)の中に部門を設けた。
 それでもCG効果ショットの数は日ましに増え、アシュフォードはCG画像と合成作業の監督をいくつかの会社に振り分けた。350ショットに及ぶ合成作業はPOPでおこない、うち200はコダック、デジスープ、ポストグループ、OCSそれぞれが担当し、ヴィジョン・アートがそれを引き受けた。

 いっぽうで本編の撮影は1995年7月28日にニューヨーク市で開始。その後カリフォルニア州フォンタナの旧カイザー製鉄所に移ってロサンゼルス攻撃後のシーンを撮影する前に、ニュージャージー州近くのクリフサイドパークで撮影。併せてセカンドユニットがワシントンD.C.のマンハッタン、アリゾナ州フラッグスタッフのRVコミュニティ、ニューメキシコ州サンアグスティン平原でプレートショットを撮るという効率的、かつ効果的な撮影がおこなわれている。

◆爆破の芸術 

 また視覚効果に戻って言及を続けるなら、本作の素晴らしいポイントは、地球全体で一斉にエイリアンの攻撃が始まるシークエンスだろう。デストロイヤーによるパイロエフェクト(爆破効果)を駆使した都市の大破壊は、火薬技術の第一人者であるジョー・ヴィスコシルと彼のクルーが手がけたものだ。
 火球がごうごうと盛り上がりながら、エンパイア・ステート・ビルやホワイトハウスに迫り来る破壊ショットを作るために、ヴィスコシルは火が上昇する性質を活用。ミニチュアセットを90度に傾け、その下に火薬を配置し、セット上から構えるカメラで高速度撮影をおこなった。それを正常再生することで、フェティッシュな破壊映像が得られるのだ。こうして生まれたシーンの影響力は絶大で、日本でも『ガメラ3 邪神覚醒』(1999)の渋谷で起こった巨大怪獣による都市破壊のシーンで、本作に触発されたとおぼしきパイロエフェクトを見ることができる。そしてなにより、映画は第69回(1997)米アカデミー賞の視覚効果賞を受賞し、『ID4』のインハウスによる特殊効果のアプローチは、アカデミックな場でその価値を認められたのである。

 そんな『インデペンデンス・デイ』が公開されて、はや28年の歳月が経つ。当時はエイリアン侵略SFの先鋒たる輝きを放っていたが、もはや同ジャンルを代表する立派なクラシックだ。そして監督エメリッヒは本作を機に『デイ・アフター・トゥモロー』(2004)や『ムーンフォール』(2022)などデザスタームービーの量産者となり、愛憎込めて「破壊王」の名を欲しいままにしている。

 本作の成功の後、デブリンとエメリッヒは、監督を降りたヤン・デ・ボンに代わって『GODZILLA』(1998)のプロジェクトに参加。同作を8.000万ドルで仕上げることをプレゼンし、エメリッヒは監督の座についた。ゴジラが登場するエリアをニューヨークに限定するなど、設定をマイナーチェンジしてコストダウンをはかり、『ID4』で活用した手段を活かし、(最終的には1億2000万ドルかかった)、肝心のゴジラが日本のものと大きくかけ離れていたために、多くのファンから否定的見解を示されたが、スケールの巨大な怪獣映画として観た場合、そこに『インデペンデンス・デイ』の独立性(インデペンデント)が正しく活かされていると肯定的に捉えられるだろう。■

『インデペンデンス・デイ』© 2016 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.