本作『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)の原作となったのは、いわゆる「失われた世代」の代表的作家の1人、F・スコット・フィッツジェラルドの著作。代表作「グレート・ギャツビー」(1925)に遡ること3年、1922年に出版された短編小説集に所収されている。
 南北戦争さなかの1860年。ボルチモアで、バトン夫妻の子どもとして誕生したベンジャミンは、生まれながらにして、70歳の老人の姿だった。普通の人間と違って、彼は老人から青年に、そして子どもへと年々若返っていく。身近な人たち、両親をはじめ妻や我が子までが歳を取っていくのとは、真逆に…。
 この小説を執筆するに当たって、フィッツジェラルドにインスピレーションを与えたのは、アメリカの文豪マーク・トウェインの格言だという。
「もし人が80歳で生まれ、ゆっくりと18歳に近づけていけたなら、人生は限りなく幸せなものになるだろう」「残念なことに、人生の最良の部分は最初に現れ、最悪の部分は最後に来る」
「ベンジャミン・バトン」を映画化しようという試みは、度々持ち上がっては消えた。1980年代、『ファニー・ガール』(68)『追憶』(73)『グッバイガール』(77)などを手掛けたプロデューサーのレイ・スタークが、ロビン・スウィコードの脚本で企画を進めるも、頓挫。
 90年代はじめに名乗りを上げたのは、キャサリン・ケネディとフランク・マーシャルのコンビ。2人は、盟友のスティーヴン・スピルバーグを監督に、主演はトム・クルーズで映画化を企てる、しかし途中で、スピルバーグが降板。その後ロン・ハワードをはじめ、何人かの監督が候補となったが、いずれもうまく進まず、企画はペンディングとなった。
 因みに『エイリアン3』(92)で長編監督デビューしたばかりのデヴィッド・フィンチャーに最初に声が掛かったのも、この時点。フィンチャーはこの題材に惹かれながらも、断っている。
 2000年になると、ケネディ&マーシャル製作、スパイク・リー監督で話が進む。しかし2003年、ロビン・スウィコードの脚本を、エリック・ロスがリライトしたものを、リーが気に入らず、結局彼もこの企画から去る。
 以上のような紆余曲折を経て、『セブン』(95)や『ファイト・クラブ』(99)などで評価が高まっていたフィンチャーに、再びお鉢が回ってきたのである。

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 2005年ニュー・オリンズの病院で、86歳の老女デイジーが、死の床にいた。彼女は娘のキャロラインに、ベンジャミン・バトンという男性の日記を読んでくれと、頼む…。
 1918年、ニュー・オリンズで1人の男児が生を受ける。彼は生まれながらにして、80歳の肉体の持ち主。妻を亡くしたこともあり、ショックを受けた父親は、赤ん坊を老人施設の前に置いて去る。
 ベンジャミンと名付けられたその子は、施設で働く黒人女性のクイニーに育てられる。彼はやがて歩き出し、皺が減り、髪が増えていく。
 1930年、ベンジャミンは、施設に住む祖母を訪ねてきた、6歳のデイジーと仲良しに。彼は自分の秘密を明かす。
 やがてベンジャミンは、マイク船長の船で働くようになり、海、労働、女性、酒などを“初体験”。そんな中で彼に声を掛けてきた中年男性トーマス・バトンこそが、自分を捨てた実の父親とは、まだ知る由もなかった。
 クイニーやデイジーに別れを告げ、マイク船長と外洋に出たベンジャミン。様々な国を回り、人妻のエリザベスと恋に落ちる。
 しかし太平洋戦争が勃発。恋は終わり、ベンジャミンは、戦いの海に向かう。船長や仲間たちは戦死するも、彼はひとり帰還する。
 美しく成長し、ニューヨークでモダンバレエのダンサーとして活躍するデイジーとの再会。彼女に誘惑されたベンジャミンだったが、男女の仲になることを拒む。その後も再会を重ねる2人。お互いが大切な存在でありながらも、それぞれ人生で直面していることが異なり、想いはすれ違い続ける…。
 一方でベンジャミンは、重病で死期を目前にしたトーマス・バトンから、実の父だと明かされる。一旦は拒絶するも、父の最期の瞬間には、優しく寄り添うのだった。
 1962年のベンジャミンとデイジー、お互いが人生の中間地点を迎えた頃の再会。機が熟したように2人は結ばれ、デイジーは女児を産む。しかし、ベンジャミンは悩む。この後も若返りが進むであろう自分に、“父親”になる資格などあるのか!?
 そして彼は、愛するデイジーと1歳になった娘の前から、姿を消す…。

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 フィッツジェラルドの原作からは、主役と骨子だけを頂戴した形となった本作。ほぼオリジナルの設定とストーリーで構成される。
 映画の冒頭に盛り込まれるのは、第一次世界大戦で息子を失った、盲目の時計職人のエピソード。彼はニュー・オリンズの駅向けに、針が逆回転する仕様の巨大時計を作り上げるのだが、これには時間を戻し、息子を甦らせたいという、切なる願いが籠められていた…。そんな創作寓話でわかる通り、エリック・ロスは、原作を意欲的に改変している。
 ロスはアカデミー賞脚色賞を受賞した自らの代表作、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)で成功した、主人公の語りによるフラッシュバックで物語を構成していく手法を、本作で援用。ガンプのモノローグの代わりに、ベンジャミンの日記を用いた。
 フィンチャーはこの手法に、いたく惹きつけられた。と同時に、2003年に父をがんで亡くした経験と、母デイジーを看取る娘の描写が、シンクロしたという。
 90年代の最初のオファーの時、ロビン・スウィコードの脚本を読んだフィンチャーは、「これはラブ・ストーリーだ」と受け止めた。しかし改めてオファーを受け、エリック・ロスの脚本に対峙すると、考えが改まった。「これはラブ・ストーリーだが、実際は死についての物語であり、人生のはかなさをテーマにしている…」と。
 原作の舞台はボルチモアだったが、工事のラッシュだったり、フィンチャーの望むような海岸線がなかったりで、ロケ地の変更を余儀なくされた。そこでニュー・オリンズが提案された際、フィンチャーのリアクションは、「そんなのダメだ!ばからしい」というものだった。
 しかし現地の写真を見ていく内に、この街が持つ「美しさと、少し恐ろしい雰囲気」に、魅了される自分に気付く。こうしてロケ地が、決まった。
 ところが撮影開始前の2005年8月、超巨大ハリケーンのカトリーナがニュー・オリンズを襲い、甚大な被害が生じる。果して予定通りに撮影できるのか?プロデューサーたちは危ぶんだが、ハリケーンの2日後、ニュー・オリンズ市から電話が入った。それは、計画通りに撮影を進めて欲しいとのリクエストだった。

 ベンジャミン・バトン役に決まったのは、“ブラピ”ことブラッド・ピット。フィンチャーとは、『セブン』(95)『ファイト・クラブ』(99)に続く、3度目の組合せである。
 ピットとフィンチャーは随時、複数のプロジェクトについて話し合いを行う仲。話題に上る中では、「ベンジャミン・バトン」は、最も実現性が薄い企画だと、ピットは考えていた。
 しかしフィンチャーに加えて、エリック・ロスらと濃い話し合いをしていく内に、「この人たちと一緒にいるという目的のためだけでも」、この企画をやる価値があると思うようになっていった。トドメは、フィンチャーのこんな言い回し。「この映画を、お互いに頼り合う話にしてはならない。そうではなく、人が成長していく物語なんだ」。ピットは「とても美しい」表現だと感じ入った。
 80歳で生まれてくるベンジャミンの、老年期の撮影はどうするか?老いているベンジャミンを演じた何人もの俳優の顔に、特殊メイクをしたブラピの顔を貼り付けるという手法を採った。ピットの顔の動きをスキャンしてコンピューター上に再現。それから、口や表情の動きとピットの台詞をシンクロさせてから、実写のシークエンスに移植したのである。
 因みに撮影中のピットは、大体午前3時頃に起床。コーヒーを飲みつつ特殊メイクを行った後、丸1日撮影。それが終わると、また1時間掛けてメイクを落とすという繰り返しだった。眠たくても、椅子で寝るしかなかったという。
 ベンジャミンの生涯を通じてのソウルメイトであり、恋人にもなる女性デイジー。その名は、同じ作者の「グレート・ギャツビー」のヒロインから取られている。このアイディアは、エリック・ロスがリライトする前の。ロビン・スウィコード脚本からあったものだ。
 演じるは、ブラピとの共演は、『バベル』(2006)での夫婦役以来2度目となる、ケイト・ブランシェット。実はフィンチャーは、『エリザベス』(98)で彼女の演技を見て以来、彼女のことが頭から離れず、念願のオファーであった。
 10代から86歳まで演じるブランシェットの、特殊メイクに掛かる時間は、短くても4時間。長い時には、8時間ほども掛かったという。また6歳からの子ども時代に関しても、声はブランシェットが吹き替えているというから、驚きである。

 ベンジャミンがデイジーと娘の元を去って20年ほど後、少年の姿で認知症となるも、所持品から身元がわかり、昔育った老人施設に引き取られる。連絡を貰ったデイジーも、施設に入居。彼の面倒を見ることにする。
 こうして迎えるベンジャミンとデイジーの物語の終幕近く、かつての恋人が誰かもわからない、よちよち歩きの幼児となってしまったベンジャミンは、老いたデイジーと手をつなぎ、散歩をしている最中、突然立ち止まって彼女の手を引っ張る。彼はキスをせがみ、それが終わるとまた歩き始める。
 この2人の仕草は、指示などしたわけではないが、まさにベンジャミンとデイジーの長きに渡る歴史を表しているかのようだった。それをカメラに収められたのは、まさに映画の神が微笑んだかにも思える、“偶然”だったという。
 そして赤ん坊に戻ったベンジャミンは、デイジーに抱かれながら、息を引き取る…。
 フィンチャーは準備から5年もの歳月を掛かった本作の完成が近づいた時、「これは自分でも、ブルーレイで所有したい映画だな」と思ったという。

 パラマウント、ワーナー・ブラザースという2つのメジャースタジオの協力を得て、1億5,000万㌦以上に及ぶ、巨額の製作費を投じた本作。刺激的な事件やエキセントリックな人物を扱ってきた、それまでのフィンチャーのフィルモグラフィーを考えると、異色の作品となった。
 人生の考察を行うようなその内容には、賛否両論が沸き起こったが、その年度のアカデミー賞では、最多の13部門にノミネート。フィンチャーは初めて“監督賞”の候補となった。
 しかしこの年は、ダニー・ボイル監督の『スラムドッグ$ミリオネア』が、作品賞、監督賞を含む8部門を搔っ攫う。また本作の演技で“主演男優賞”候補だったブラッド・ピットも、『ミルク』で実在のゲイの運動家で政治家のハーヴェイ・ミルクを演じたショーン・ペンに敗れる
 最終的には、美術賞、メイクアップ賞、視覚効果賞という、コレが獲らなきゃさすがに嘘だという受賞だけに止まった。しかし、限られた人生に於ける“一期一会”を描いた本作の普遍的な感動は、いま尚色褪せないように思える。■

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』© Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment Inc.