アメリカ深南部のミシシッピー州メンフィス。男とみれば見境なくセックスする奔放な少女レイ(クリスティーナ・リッチ)はトラブルに遭い、血まみれで路上に置き去りにされてしまう。彼女の命を救ったのは初老の黒人農夫ラザルス(サミュエル・L・ジャクソン)だった。だが彼はレイの素性を知ると、「お前から悪魔を追い払ってやる。それこそ神がワシに下された使命なのだ!」と語りだし、彼女を鎖で縛りつけるのだった …。

 サミュエル・L・ジャクソンとクリスティーナ・リッチの共演作である、この『ブラック・スネーク・モーン』。序盤のストーリーだけを文字にすると、まるで『悪魔のいけにえ』のような米南部への偏見ムキ出しの70年代B級映画みたいだ。でもその後の展開は全く違う。ストーリーは寧ろ南部賛歌へと向かっていく。というのも、本作の監督クレイグ・ブリュワーはメンフィス出身であり、やはりこの街を舞台にした『ハッスル&フロウ』(05年)で長編デビューした男だから。

 『ハッスル&フロウ』は、ピンプ(娼婦の元締め)をしていた男が突如ラッパーになることを決意して、友人や娼婦たちを巻き込んでデモテープを製作する姿を描いた異色のドラマだった。その背景にはむせかえるような南部の自然があり、あらゆる意味で「濃い」住民たち、そしてキリスト教会の存在があった。

 地元の人気ラップグループ、スリーシックス・マフィアが製作した劇中曲「It's Hard Out Here for a Pimp」はアカデミー楽曲賞をラップ・ナンバーとして初めて受賞。そしてこの曲をパフォームした主演のテレンス・ハワードとタラジ・P・ヘンソンは10年後にテレビドラマ『エンパイア~成功の代償』(15年〜)でリユニオンし、まるでその後の二人のような人気ラッパーとその妻を演じて全米に大ブームを巻き起こしている。そう、クレイグ・ブリュワーがいなかったら『エンパイア~成功の代償』は存在しなかったのだ(それを『エンパイア』の製作陣も理解しているのか、ブリュワーは第2シーズンで監督に招かれている)

 そんなヒップホップ度が高い映画で世に出ながら、続く『ブラック・スネーク・モーン』ではブリュワーが表立ってヒップホップを語ることはない。その代わりに大々的に取り上げているのはブルースだ。

 ラザルスは、かつて凄腕ブルースマンでありながら、妻を弟に奪われたショックでギターを弾くことを止めていた。しかしレイが過去の辛い体験からセックス依存症に陥っていたことを知ることで、生きていく限り自身の内面の闇と共存していくしかないことを悟る。そんなラザルスがレイの前で弾き語りしてみせる「ブラック・スネーク・モーン(黒い蛇の呻き)」は、癒しへの願望と苦痛の発露、欲望と畏れが一斉にドロリと押し寄せてくるようなナンバーだ。

 この曲のオリジナルを唄ったのは、ブラインド・レモン・ジェファーソンという1893年生まれの盲目のブルースマンだ。ブラインド・メロンのバンド名の語源となった彼は1920年代に活躍した戦前ブルースの代表的存在だ。

 加えて本作では、「ブルースとは一種類しかない、それは男と女の愛だ」「ブルースはハートから始まる」などと黒人の老人が延々と語るインタヴュー映像が物語に挟み込まれている。その老人こそ、やはり伝説的なブルースマンのサンハウスだったりする。

 1902年にミシシッピー州で生まれたサンハウスは、チャーリー・パットンが創始したデルタ・ブルースを継承し、広めた人物。ディープな声と、ギターを叩きつけるような荒々しい演奏がトレードマークだ。60年代ロックに多大な影響を与えたロバート・ジョンソンとマディ・ウォーターズは彼の弟子にあたる。

 1942年の録音を最後に音楽シーンから姿を消してしまっていたサンハウスだが、それはミュージシャンを引退してニューヨークで一労働者として働いていたから。1964年に熱心なファンによって生存が確認され、再び活躍するようになった。インタヴュー映像はその復活後に撮られたものだ。本作は、サンハウスが説く「ブルース論」をドラマ化した映画であるとも言えるだろう。

 かつて人気ブルースマンだったのに今は農夫というラザルスのキャラクターは、ロック・ファンには奇妙に感じられるかもしれない。しかし活動の基盤がクローズドな黒人コミュニティである以上、音楽一本で食べていくのは並大抵のことではない。サンハウスもそうだったし、もっと後の世代でもR.L.バーンサイドのように半農半ブルースマンの生活を送っていた者は多い。バーンサイドが音楽に専念出来るようになったのは、65歳のときにドキュメンタリー映画『Deep Blues: A Musical Pilgrimage to the Crossroads』(91年)でデルタ・ブルースのスタイルを守り続けている存在としてクローズアップされて以降のことだ。

 『ブラック・スネーク・モーン』におけるラザルスの演奏スタイルは、このR.L.バーンサイドを参考にしている。劇中、酒場でジャクソンがバックバンドを従えて「アリス・メイ」という曲を演奏して客を大いに沸かせるシーンがあるのだが、「アリス・メイ」はバーンサイドの代表曲であり、バックバンドもこの映画の撮影開始直前に亡くなっていたバーンサイドのサイドマンたちなのだ。

 不倫や煩悩、犯罪といった人間のダークサイドを歌うブルースは、日本では反キリスト教的な音楽として捉えられることが多い。だが実際にはこうした音楽を愛する南部の人々は、熱心なキリスト教信者でもある。彼らにとっては、ダークサイドも聖なるもの、永遠なるものを求める気持ちも生きる上で欠かせないものなのだ。ブルースで生きる力を取り戻したレイが歌う曲がゴスペル・ソング「This Little Light of Mine」であることがそれを証明している。

 そのレイを演じるクリスティーナ・リッチは、この作品の翌年に少女マンガのような『ペネロピ』(08年)に主演しているとはとても信じがたい捨て身の熱演を披露。対するサミュエル・L・ジャクソンも得意の説教調のセリフ回しや狂気を帯びた表情はもちろん、本作のために習得したというギターの腕も素晴らしい。個人的には『アンブレイカブル』(00年)と並ぶジャクソンのベスト・アクトだと思う。またレイの恋人に扮したジャスティン・ティンバーレイクの脆さを感じさせる演技も見ものだ。

 本作を発表後のクレイグ・ブリュワーは、残念ながらその特異な才能を全面的に活かせているとは言い難い。2011年には『フットルース 夢に向かって』を監督しているが、これはケヴィン・ベーコンのブレイク作『フットルース』(84年)のリメイク作。舞台を中西部から南部に変えたことや、脇役で出演していたマイルズ・テラーにブレイク・ポイントを与えるなど見所はそれなりにあるものの、やはりオリジナル脚本でないと内面が矛盾だらけのキャラクターが織りなす特濃ドラマは作れないようだ。

 そんなブリュワーが暖めている企画に、チャーリー・プライドの伝記映画がある。プライドはミシシッピー州生まれの黒人でありながら、子どもの時からカントリー音楽に親しみ、黒人リーグの野球選手として活躍後に、カントリー・シンガーとしての活動を開始して人種の壁を乗り越えて遂には大スターになった人物。主演には盟友テレンス・ハワードを予定しているそうで、ブリュワー曰く、「ヒップホップ、ブルース、カントリーが揃うことでメンフィス三部作が完結する」のだそう。いつの日か、その構想が実現することを期待したいものだ。■

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