■デジタル・バックロットの正当性を示した古代戦闘劇

「『シン・シティ』は原作が大好きだし、映画だってもちろん好きだ。なぜならロバート(・ロドリゲス)の全デジタル環境での撮影はアーティスティックな理由からくるもので、それはこの『300〈スリーハンドレッド〉』と同じ哲学を持っている。そういう意味でデジタル・バックロットという手法が本作によって正当化されたのではないか、と僕は思っているんだよ」

 これは『300〈スリーハンドレッド〉』(以下『300』)が日本で公開されたとき、プロモーション来日したザック・スナイダー監督に筆者(尾崎)が訊いた質問への答えだ。同作についてのコラムを提供する場で『シン・シティ』に触れるのは回りくどいかもしれないが、『300』と同じフランク・ミラーが手がけたグラフィック・ノヴェルを原作とし、わずか前年の2005年にロバート・ロドリゲス監督(『デスペラード』(95)『アリータ:バトル・エンジェル』(18))によって映画化がなされた、じつのところ兄弟のような存在である。それだけではない、作品の撮り方も『シン・シティ』と『300』では同じスタイルが共有されている。そこでスナイダーにこう確認したのだ。
「同じミラーの原作を題材にし、なおかつ同じ[デジタル・バックロット]のアプローチをとった『シン・シティ』を、あなたはどう思うのか?」と。 

 デジタル・バックロットとは、俳優をグリーン(ブルー)スクリーンの前で演技させ、CGによって作られた仮想背景と合成する手法のことだ。映画製作においてデジタル環境の整った現在、それはもはや特殊なものではない。今やハリウッド映画は、俳優をCGの背景前に置いて映像を創り出すバーチャル・プロダクションが常となり、どこまでが実景や実物で、どこまでがCGで作られているのか、容易に判別できない高度な表現域へと達している。

 しかし『300』でスナイダーは、デジタル・バックロットを観客の目をあざむくために用いるのではなく、創造性をさらに飛躍させ、極度に誇張された幻想性の高い世界を作り出しているのだ。


■コミックを読む速度までもシミュレートした狂気の再現性

 なぜスナイダーがこの手法にこだわったのかといえば、その動機は仕上げられた映像を見れば明白だろう。彼はコミックのモノクロタッチを忠実に映像化した『シン・シティ』と同様、グラフィック・ノヴェルの様式美を実写に完全置換するという大きなテーマを設けた。そしてミラーと彩色担当のリン・ヴァーリィによる描画スタイルを徹底的に再現することで、他に類例のないビジュアルを観る者に提供。わずか300人の部隊で100万人のペルシヤ軍を迎え撃つ、スパルタ戦士レオニダスの戦いをエモーショナルに、かつフェティッシュに活写したのである。

 そのためのデジタル・バックロットであり、現実的には無理が生じるアングルでも、これを駆使してスナイダーは原作一コマ一コマの構図を的確に再現している。そのこだわりは細部にまで及び、マーカーで荒々しく描画された岩肌の筆致や、また原作では飛び散るインクで血しぶきを表現しているが、これをスキャンし、飛沫の形状までも見事にミラーのタッチに沿っている。このように残酷さも「美」と捉え、原作を読んだ者に大きなインパクトを残す「死者の木」や「死者の壁」なども、じつにアーティスティックに表現されているのである。

 だが、ここまでならば『300』は『シン・シティ』の轍を踏んだものでしかない。さらにスナイダーは、ロドリゲスが踏み込めなかった領域にまで足を伸ばし、『シン・シティ』以上にグラフィック・ノヴェルに迫ったのだ。それがワンショットの中でスローから通常動作へ、そしてまたスローへと撮影速度が切り替わる「可変速度効果」だ。

 この手法は通称「クレイジーホース・ショット」と呼ばれ(クレアモント・カメラ社の特殊な撮影デバイスを使用したテレビ映画“Crazy Horse”(96)から呼称を得ている)、このクレイジーホースをスナイダーは『300』に用い、瞬時の出来事を緩やかに引き延ばすテクニックによって、激しい戦闘シーンをアートへと変えている。そしてなによりスローモーションを拡張させたこの手法が、グラフィック・ノヴェルの読み手がコマからコマへと移る目線移動の時間的な流れや、展開の衝撃度によって感情の速度が速まったり遅くなったりするリズムをも創り出し、『シン・シティ』でさえ徹底が及ばなかったこの表現域に『300』は踏み込んだのである
 
 しかし、当時はそのハイスピード撮影をおこなうのに、既製のHD24pカメラに最適な性能が備わっていなかった。そこでスナイダーはフィルムカメラを用いることで、ハイスピードによる撮像を得ているのである。さいわいなことに、この決断は可変速度効果だけにとどまらず、フィルムならではの粒状性が放つ独特の質感やダイナミックレンジの広さなど、同フォーマットならではの特徴がスナイダーの映像表現をより豊かなものにしている。事実、フィルムによる撮像は異様な世界観を放つ古代スパルタに、あたかもこの目でみてきたかのような迫真性を与えているのだ。


■『300』を手がけたことでより確立した作家性

 なぜそこまで細かく再現したのかといえば、それがザック・スナイダー流の、原作に対するリスペクトの証だからだ。彼は言う。

「僕の商業映画デビュー作である『ドーン・オブ・ザ・デッド』(04)は、オリジナルの『ゾンビ』(78)が偉大なるホラー映画の名作だし、そんなオリジンを監督したジョージ・A・ロメロも、そして『300』のミラーも、それぞれがジャンルのアイコンともいうべき存在だ。そんな彼らと、彼らの聖域をないがしろにすることに、ファンは大きな抵抗を覚えるんだよ」

 スナイダーの微に入り細に入って作り込んでいくスタイルは、なによりも原典を尊重する姿勢のあらわれだったのである。しかしそこまで従属的にならずとも、多少オリジナリティを投入するべきだったのでは? という筆者の問いには、

「『300』の複雑だったストーリーラインを一本化したのは、僕たちのオリジナル的な行為といっていいかもしれない。いちばん目立たない作業だけれど、それはそれで大変なものだったんだよ(笑)」

 と笑いながら答えてくれた。

 なにより『300』を原作により近づけるため、スナイダーがほどこした方法の数々は、おのずと彼自身のオリジナリティを形成する一助となっている。フィルムを駆使した撮影は、その後の彼自身にフィルム主義をまっとうさせ、デジタルを主流とする現在の商業映画において、彼は最近作である『ジャスティス・リーグ』(17)までフィルム撮影を敢行。こうしたアプローチが、ときにスーパーマンの存在をリアリスティックに描こうとした『マン・オブ・スティール』(13)の実録的なタッチの支えとなり、あるいは『エンジェル ウォーズ』(11)における、醜悪な現実を空想の世界で駆逐する美少女たちの勇姿も、フィルムの活用あればこその説得力といえるだろう。

 ちなみにこの『300』は、スナイダー監督が『ドーン・オブ・ザ・デッド』を手がける以前より着手していた企画で、その証に『ドーン〜』にはフランク・ミラーという名のキャラクターが登場し、ゾンビと化して悲劇的に死ぬ。また『300』の後に監督した『ウォッチメン』(09)においても、スナイダーは冒頭でスーパーヒーローが何者かに殺される部屋の番号を「300」に設定しているなど、リスペクトのわりに毒を効かせた引用が笑える。■