■デジタル背景の正当性を示した古代戦闘劇

「『シン・シティ』は原作が大好きだし、映画だってもちろん好きだ。なぜならロバート(・ロドリゲス)の全デジタル環境での撮影は、主にアーティスティックな理由からくるもので、それはこの『300〈スリーハンドレッド〉』と同じ哲学を持っている。そういう意味でデジタル・バックロットという手法が本作によって正当化されたのではないか、と僕は思っているんだよ」

 これは『300〈スリーハンドレッド〉』(以下『300』)が日本で2007年に公開されたとき、来日したザック・スナイダー監督に筆者(尾崎)が訊いた質問への答えだ。ロバート・ロドリゲス監督(『デスペラード』(95)『アリータ:バトル・エンジェル』(18))によって映画化がなされた『シン・シティ』は、『300』と同じフランク・ミラーのグラフィックノベルを原作とし、言うなれば兄弟のような存在である。
 しかもそれだけではない。作品の撮影も『シン・シティ』と『300』とで、まったく同じスタイルが共有されている。そこでスナイダーにこう確認したのだ。

「同じミラーの原作を題材にし、なおかつ同じ[デジタル・バックロット]のアプローチをとった『シン・シティ』を、あなたはどう思うのか?」と。

 デジタル・バックロットとは、俳優をグリーン(ブルー)スクリーンの前で演技させ、CGによって作られた仮想背景と合成する手法のことだ。映画製作においてデジタル環境の整った現在、それはもはや特殊なものではない。今やハリウッド映画は、俳優をCGの背景前に置いて映像を創り出すデジタル・バックロットが比重を占め、どこまでが実景でどこまでが仮想のものか、容易に判別できないクオリティへと達している。

 しかし『300』においてスナイダーは、デジタル・バックロットを観客の目をあざむくために用いるのではなく、極度に誇張された幻想性の高い世界を創造しているのだ。


■コミックを読む速度までもシミュレートした驚異の再現性

 なぜスナイダーがこの手法にこだわったのかといえば、それは仕上げられた映像を見れば明らかだろう。彼はコミックのモノトーンのタッチを忠実に映像化した『シン・シティ』と同様、フランク・ミラーの意匠を実写に反映させるという課題を設けている。そしてミラーと彩色担当のリン・ヴァーリィによる描画スタイルを再現することで、おのずと他に類例のないビジュアルを観る者に提供し、わずか300人で100万人のペルシア軍を迎え撃つ、スパルタ戦士レオニダス(ジェラルド・バトラー)の熱い戦いをエモーショナルに、よりフェティッシュに描いたのである。

 デジタル・バックロットはそのための最適な手段であり、現実的には無理が生じるアングルでも、これを駆使してスナイダーは、原作ひとコマひとコマの構図を的確に実写へと落とし込んでいる。そのこだわりは細部にまで及び、マーカーで荒々しく描かれた岩肌の筆致や、また原作では飛び散るインクで血しぶきを表現しているところ、これをスキャンし、飛沫の形状までも見事にミラーのタッチにしたがっている。このように残酷さも「様式美」と捉え、原作既読者に大きなインパクトを残した「死者の木」や「死者の壁」なども、じつにアーティスティックな表現がなされている。

 だが、ここまでならば『300』は『シン・シティ』の轍を踏んだものでしかない。そこでスナイダーは、ロドリゲスが思いもしなかったアイディアにまで手を伸ばし、『シン・シティ』以上に原作のテイストに迫ったのだ。それがワンショットの中でスローからファスト(早い)モーションへ、そしてまたスローへと撮影速度が切り替わる「可変速度効果」である。

 スナイダーは、この瞬時の出来事をゆっくりと引き延ばすテクニックによって、観客の視覚とカメラワークとを同化させている。ハイフレームレート(高コマ数)撮影を拡張させたこの手法が、グラフィックノベルの読み手がコマからコマへと目線を移すさいのスピードや、展開次第で感情の速度が速まったり遅くなったりするリズムをも創出し、そこは『シン・シティ』さえも及ばなかった高度な領域に『300』は及んだのである。

 さらにスナイダーは、この可変速度効果ショットに急速にカメラが寄ったり引いたりするモーションを加え、より独創的な映像効果を追求している。
 このテクニックは通称「クレイジーホース」と呼ばれ(クレアモント・カメラ社の特殊な撮影デバイスを使用したテレビ映画“Crazy Horse”(96)から呼称を得ている)、ワイド、ミディアム、タイトとそれぞれのアングルに固定した3台のカメラで、同一のハイフレームレートショットを撮影。それらを編集時に速度調整し、3つのアングルをシームレスに繋げることで生み出されている。そのアクロバティックな映像アプローチは、本作『300』のスタイルを受け継いだ続編『300〈スリーハンドレッド〉~帝国の進撃~』(14)でさえマネのできなかったものだ。スナイダーは映像作家としてのキャリアにおいて、このクレイジーホースを最初にゲータレードのCMに用いた。そして本作ではレオニダスが無数のペルシア軍に斬り込むショット(本編開始から約48分ごろ)や、ディリオス(デビッド・ウェナム)らが大軍を率いて一斉に進撃するラストショットに確認することができる。


■『300』を手がけたことで確立した作家性

 しかし、なぜそこまで細かくグラフィックノベルの再現に固執したのだろう? それがザック・スナイダー流の、原作に対するリスペクトの証だからだ。彼は言う。

「僕の商業映画デビュー作である『ドーン・オブ・ザ・デッド』(04)は、オリジナルの『ゾンビ』(78)がホラー映画の名作だし、そんなオリジンを監督したジョージ・A・ロメロも、そして『300』のミラーも、それぞれがジャンルのアイコンともいうべき存在だ。そんな彼らと、彼らの聖域をないがしろにすることに、ファンは強い抵抗を覚えるんだよ」

 スナイダーの微に入り細に入って作り込んでいくスタイルは、なによりも原典を尊重する姿勢のあらわれだったのである。しかしそこまで従属的にならずとも、多少オリジナリティを投入するべきだったのでは? という筆者の問いには、

「『300』の複雑だったストーリーラインを一本化したのは、僕たちのオリジナル的な行為といっていいかもしれない。いちばん目立たない作業だけれど、それはそれで大変なものだったんだよ」

 と笑いながら答えてくれた。
 なにより『300』を原作により近づけるため、スナイダーがほどこした方法の数々は、おのずと彼自身のオリジナリティを形成する一助となっている。ハイフレームレートのためにフィルムカメラを使用したことは、その後の彼にフィルム主義をまっとうさせ、デジタルを主流とする現在の商業映画において、彼は最近作『ジャスティス・リーグ』(17)までフィルム撮影を敢行している。こうしたアプローチが、スーパーマンの存在を実録的に描こうとした『マン・オブ・スティール』(13)の支えとなり、また『エンジェル ウォーズ』(11)における、醜悪な現実を空想で駆逐する美少女たちの勇姿も、フィルムの活用あればこその説得力といえる。

 ちなみにこの『300』は、スナイダー監督が『ドーン・オブ・ザ・デッド』を手がける以前より着手していた企画で、その証として『ドーン〜』にはフランク・ミラーという名のキャラクターが登場し、ゾンビと化して悲劇的に死んでしまう。あるいは『300』の後に監督した『ウォッチメン』(09)においても、スナイダーは冒頭でコメディアンが殺される部屋番号を「300」に設定するなど、リスペクトのわりに毒を効かせた引用が笑える。■