ミレニアムを目前にした、1999年。「イギリス映画協会」が、「20世紀のイギリス映画ベスト100」を発表した。

第1位に輝いたのは、キャロル・リード監督の『第三の男』(1949)。続く第2位が、本作『逢びき』(45)であった。

『逢びき』は、「第1回カンヌ国際映画祭」で“グランプリ”に輝いた他、アメリカの「アカデミー賞」で3部門にノミネートされるなど、製作・公開の時点で高く評価された。そして劇場にも、多くの観客を集めている。

しかし、「カンヌ」や「アカデミー賞」で話題になったり、大ヒットを飛ばした作品であっても、後の世に語り継がれることはなく、忘れ去られてしまう作品は、枚挙に暇がない。そんな中で本作は、イギリス映画史、いや世界の映画史に於いて、今でも燦然と輝く古典的な名作となっている。

本作の主人公は、30代の主婦ローラ(演:セリア・ジョンソン)。サラリーマンの夫と子どもたちと、平凡ながら幸せな家庭を築いていた。

彼女は毎週木曜日に、ロンドン郊外のミルフォードの町へ汽車で向かい、ショッピングや映画などを楽しんでいた。週に1度の、主婦の息抜きである。

ある時ミルフォードの駅で、汽車の煤がローラの目に入った。プラットフォーム横の喫茶室で困っていると、ちょうど居合わせた医師のアレック(演:トレヴァー・ハワード)が、親切に煤を除いてくれた。

1週間後の木曜、ローラとアレックは、ミルフォードの街角でばったりと再会。更にその翌週、ローラがレストランで独り昼食を食べていると、またも偶然にアレックが入店し、同席することとなった。

別の町で開業しているアレックは、毎週木曜だけ、友人の代診でこの町の病院に来ていた。その日の仕事を早上がりにした彼は、ローラと共に、映画を観に行く。

それ以来、週に1度、会う毎に親しくなり、会話も弾むようになった2人は、お互いに恋心を抱いている自分に気が付く。しかしアレックも、妻子ある身。2人の関係を進めることは、即ちお互いの家庭を壊すことになってしまう…。

思いが募ったアレックは、友人が留守にしているアパートに、ローラを誘う。一度は拒んで帰路に就こうとしたローラも、己の気持ちに抗い切れず、アレックが待つ部屋へと、足を運ぶ。

遂に一線を越えることになりそうだった、正にその時、予定より早くアレックの友人が帰宅。ローラは慌てて、外へと飛び出すのだった。

プラトニックな関係のまま、お互いの気持ちが、抜き差しならないものとなっていく。そんな2人が出した、結論とは…。

「元祖不倫映画」とも言われる本作だが、1974年にリチャード・バートンとソフィア・ローレンの共演で、TVムービーとしてリメイク(日本では76年に、『逢いびき』のタイトルで劇場公開)された他にも、様々な作品に影響を与えている。

特に有名なのは、ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープが、ニューヨークを舞台に、プラトニックな不倫劇を繰り広げる、『恋におちて』(84)。またソフィア・コッポラ監督は、自らの出世作となった『ロスト・イン・トランスレーション』(03)に関して、本作の影響が大きいことを、明言している。

『逢びき』と言えば、作品の随所に流れる、セルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第二番」の切ない調べを思い浮かべる方も、多いだろう。後に、やはり“不倫の恋”を扱った、『旅愁』(50)や『七年目の浮気』(55)などでも使用されたが、それも本作あってのことと言える。

本作の映画音楽としては、ラスマニノフの「第二番」1曲だけが使われた。このようにクラシックの楽曲を1曲だけ、映画音楽に用いるという試みは、本作が初めてだったと言われる。後にイタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティが、『夏の嵐』(54)でブルックナーの「交響楽第七番」、『ベニスに死す』(71)でマーラーの「交響楽第五番」を同じように使ったが、『逢びき』はその先駆けであった。またこの手法は、フランスのヌーヴェルヴァーグの監督たちにも、影響を与えている。

 『逢びき』の原作者にして、製作者だったのは、ノエル・カワード(1899~1973)。俳優・作家・脚本家・演出家・映画監督、更には作詞・作曲まで手掛ける、イギリスの生んだ才人である。

カワードは、一時期イギリスの“ファッション・リーダー”的な存在でもあった。スカーフを首に巻いたり、タートルネックセーターを着たりは、若かりし日の彼が舞台上で披露したのが、“元祖”と言われる。

そんな“洒落者”のカワードは、第2次世界大戦が始まると、「戦争は憎しみの舞台であり、私には向いていない」と発言。「非国民」扱いを受ける騒ぎとなった。それに対して、彼の友人の一人で、当時海軍大臣だったウィンストン・チャーチルが、「あんなヤツ、戦争に行っても何の役にもたたない。一人ぐらい、愛だ恋だって歌ってるヤツがいたっていい」と、庇ってみせたという。

『逢びき』のイギリス公開は1945年11月、第2次大戦が終結して間もない頃。世情はまだ落ち着かなかったにも拘わらず、チャーチルの言を借りれば、「愛だ恋だ」の「元祖不倫映画」を製作したのは、正にカワードの面目躍如とも言えた。

『逢びき』は、デヴィッド・リーン(1908~91)の監督作品という意味でも、映画史的に重要である。後に“巨匠”の名を恣にするリーンだが、本作を以って、一躍世に知られる存在になったと言っても良いだろう

リーンは二十歳の時に、映画界入り。当初は監督助手としてカチンコを叩いていたが、やがて編集技師として働くようになる。30代半ば近くまでの10数年は、そのキャリアを積み重ね、ローレンス・オリビエ主演の 『お気に召すまま』(36)、レスリー・ハワード主演の『ピグマリオン』(38)、マイケル・パウエル監督の『潜水艦轟沈す』(41)等々の作品に、クレジットされている。

彼の監督への道を開いたのが、ノエル・カワードだった。カワードが「イギリス情報省」からの要請で、製作・監督・脚本・主演を務めた『軍旗の下に』(42)の共同監督に、リーンを抜擢したのである。

共同監督はこれ1本だけだったが、カワードは、9歳下のリーンを大いに気に入った。その後自らのプロデュースで、自作の戯曲を映画化するに当たって、3本続けてリーンに監督を委ねた。『幸福なる種族』 (44)『陽気な幽霊』 (45)、そして『逢びき』である。

こうした経緯を考えると、『逢びき』はリーンの監督作というよりも、「カワード作品」と言うのが相応しいようにも思える。しかし原作となったカワードの戯曲「静物画」は、ミルフォード駅の喫茶室だけを舞台とする、短い一幕劇。それを考えると、“映画作家”としてのリーンが、本作でいかに才能を発揮したかも、見えてくる。

“映画化”に当たっては、駅の喫茶室を軸にしながらも、ローラとアレックが出会う街角やレストラン、デートで訪れる映画館や公園、密会に使おうとした友人の家からローラの自宅まで、舞台を広げている。戯曲の脚色に当たっては、カワードの関与も当然大きかったと思われるが、リーンは当時「シネギルド・プロ」という映画会社を共に営んでいた仲間、アンソニー・ハヴェロック・アラン、ロナルド・ニームと3人で脚色を行った上で、監督を務めている。

リーンの持ち味が、特に強く発揮されたように感じられるのは、喫茶室でアレックが自分の仕事について熱く語る姿に、ローラがつい見取れてしまうシーン。彼女が自分の恋心に気付く、この決定的な瞬間の演出と編集の呼吸が、正に“デヴィッド・リーン”であった。

「女が恋に落ちる」

「男女がどうしようもなく惹かれ合ってしまう」

こういった瞬間を、リーンほど的確に描出できる監督は、そうはいない。ほとんど男性しか登場しない、『戦場にかける橋』(57)『アラビアのロレンス』(62)の両作を撮ってからは、スペクタクル超大作を手掛ける、完全主義者の“巨匠”のイメージが強くなるリーンだが、こうした演出こそが本領とも言える。

それは初めて海外ロケに挑んだ『旅情』(55)、超大作路線に走った以降の、『ドクトルジバゴ』(65)『ライアンの娘』(70)といった作品にも見受けられる。特に『ライアンの娘』で、ヒロインがやはり“不倫の恋”に落ちるシークエンスの鮮烈さなどは、さすが『逢びき』から、キャリアを重ねてきた監督だと、舌を巻いてしまう。

こうした“瞬間”を活写出来るのは、リーン自身が、6回もの結婚を重ねた、「恋する男」だったからかも知れない。以前このコラムで『ドクトルジバゴ』を取り上げた時、リーンの諸作の大テーマは、「愛こそすべて」だと書いたが、その原点は『逢びき』にあると言えるだろう。

リーンは映画表現にとって彼の取っている態度を、「一に簡潔、二に決断、三に集中」であると語ったことがある。「つまり、何を描くかをよく狙い、これで行こうかと思ったら、断固ハラをきめ、ありとあらゆるものをその狙いのために集中する。つまり、恋愛と同じ要領さ」と。自らの演出術を説明するのに、“恋愛”に例える辺りも、実に“デヴィッド・リーン”なのであった。

さて冒頭で紹介した、「20世紀のイギリス映画ベスト100」。その第2位が『逢びき』だったわけだが、リーン監督作品は、続いて第3位に『アラビアのロレンス』(62)、第5位に『大いなる遺産』(46)と、上位10本の中だけで3本がランクインしている。「ベスト100」全体を見ると、11位に『戦場にかける橋』(57)、27位に『ドクトル・ジバゴ』(65)、46位に『オリヴァ・ツイスト』(48)、そして92位には、ノエル・カワードと共同監督したデビュー作『軍旗の下に』(42)まで入っている。

 監督としてデビュー以来、鬼籍に入るまでの半世紀近くの間に、監督作品が16本。特に超大作路線に走って以降は寡作だったリーンだが、その内の、実に7本がランクインしている。

そうしたキャリアは、ノエル・カワードがプロデュースした、『逢びき』があったからこそ、始まったと言えるだろう。■

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