スマートな二枚目からいぶし銀の名優へ

もはや日本では半ば忘れかけられた感のある俳優ランドルフ・スコット。しかし、かつてのハリウッドでは、ジョン・ウェインやゲイリー・クーパーにも負けないほどの人気を誇る西部劇スターだった。

34年間のキャリアで、実に100本以上もの映画に出演したと言われるスコットだが、そのうちの半分以上が西部劇。若い頃はハンサムな顔立ちと立派な体格で、見栄えだけはいいが演技は大根と呼ばれ、B級西部劇のヒーローか大物女優の相手役が関の山であったものの、年齢を重ねるごとに渋い存在感と人間味のある芝居を身につけ、50歳を過ぎたあたりから本格的に人気が爆発。’50~’53年にかけては、ハリウッドのマネー・メイキング・スター、つまり最も興行価値の高い映画スターのトップ10に4年連続でランクインしている。そのまさに全盛期の真っ只中に作られた主演作のひとつが、この『馬上の男』(’52)だった。

1898年1月23日にヴァージニア州の裕福な家庭に生まれ、ノースカロライナ州のシャーロットに育ったスコットは、学生時代からフットボールや野球など様々なスポーツを愛する根っからのアスリートだった。第一次世界大戦に従軍してフランス戦線に配属され、除隊後は帰国して役者を目指すように。すると、父親が知人である大富豪にして映画製作者ハワード・ヒューズに息子を託し、そのヒューズの口添えで’28年に映画デビューを果たす。

といっても、最初の数年間はエキストラ同然の端役ばかり。なにしろ、まともに演技の勉強をしたことがないため、運動神経は抜群でも芝居はからっきしダメだったのである。そんな彼に巨匠セシル・B・デミルは、とりあえず映画よりも舞台に出て演技の基礎を磨けとアドバイス。その言葉に従ったスコットは、西海岸の有名な劇団パサデナ・プレイハウスに入門してシェイクスピア劇などをこなし、その舞台を見た関係者にスカウトされ、’32年にパラマウント映画と専属契約を結ぶ。

パラマウントでは、その身体能力を生かしたB級西部劇アクションに多数主演。依然として芝居は堅苦しくて上手いとは言えなかったが、しかしハンサムでスマートなルックスと紳士的で礼儀正しい南部訛りのセリフ回しは好感度が高く、勧善懲悪な西部劇の颯爽としたヒーローにはうってつけだった。また、RKOに貸し出されてアステア&ロジャースのミュージカル映画にも出演。やがてAクラスの大作映画にも起用されるようになり、移籍したフォックスでは『地獄への道』(’39)や『西部魂』(’41)などの名作に出演、さらにユニバーサルではジョン・ウェイン、マレーネ・ディートリヒとの黄金トリオで『スポイラース』(’42)と『男性都市』(’42)に主演する。

しかし、その人気が不動のものとなるのは第二次世界大戦後のこと。町から悪人を一掃する勇敢な保安官を演じた『静かなる対決』(’46)で渋みのある寡黙な中年タフガイのイメージを確立したスコットは、さらに旧知の映画製作者ハリー・ジョー・ブラウンと組んで自身の製作会社スコット=ブラウン・プロダクションズを設立し、自らのイメージを十二分に生かした純然たる娯楽西部劇の数々で大成功を収める。当時の彼は特定の映画監督とのコラボレーションを好んだのだが、その中でも特に名コンビとして知られているのがバッド・ベティカーと、本作のアンドレ・ド・トスであった。

悪徳牧場主から土地を守るために戦う勇敢なヒーロー

アンドレ・ド・トス監督とは、通算6本の西部劇で組んだスコットだが、これはその第1弾に当たる。ハンガリー出身のド・トス監督は、その生々しいバイオレンス描写やダークな心理描写に定評があり、『落とし穴』(’48)や『土曜日正午に襲え』(’54)などのフィルム・ノワール映画でカルト的な人気を誇るが、その一方で純然たる正統派のハリウッド西部劇も数多く撮っていた。この『馬上の男』などはその好例と言えよう。

ランドルフ・スコットが演じるのは頑固だが人間味のある牧場主オーウェン・メリット。若い部下の牧童ジョージ(キャメロン・ミッチェル)とジューク(リチャード・クレイン)のバード兄弟からは父親のように慕われ、牧場主仲間のプライン(グイン・“ビッグ・ボーイ”・ウィリアムズ)やランカーシム(クレム・ビーヴァンズ)からも頼りにされる男だが、しかし女性に対してはいまひとつ不器用で、恋人のローリー(ジョーン・レスリー)をライバルの大牧場主アイシャム(アレクサンダー・ノックス)に奪われてしまう。

このアイシャムという男、独占欲と支配欲が人一倍強く、付近一帯の土地を我が物とせんがため、時として暴力を伴う強引な手段を使い、中小の牧場を次々と買占めていた。しかし、オーウェンは頑として買収に応じないため、アイシャムにとっては文字通り目の上のたんこぶ。だがそれ以上に、アイシャムはオーウェンに対して個人的な恨みを持つ理由があった。なぜなら、自分の妻となったローリーが、いまだにオーウェンのことを愛しているからだ。

父親が大酒飲みでろくに仕事をせず、貧しい生活の中で母親が苦労する姿を見てきたローリーは、貧乏生活だけは絶対に嫌だと常日頃から考えていた。それゆえ、オーウェンとの愛情よりも今や町一番の有力者となったアイシャムとの結婚を選んだのだ。なので、彼女にとって結婚とは単なる契約と同然。夫に対して妻としての義務は負うが愛情は一切ない。今なお愛しているのはオーウェン一人だけ。プライドの高いアイシャムにはそれが何よりも我慢ならず、恋敵オーウェンに対して激しい憎悪の念を燃やしていたのである。

そして、いよいよオーウェンの隣の牧場を手に入れたアイシャムは、この機に乗じてオーウェンとその仲間たちを一網打尽に…つまるところ皆殺しにして土地を奪ってしまおうと考える。よそ者のガンマン、ダッチャー(リチャード・ロバー)や一匹狼の無法者クラッグ(ジョン・ラッセル)らを刺客として差し向けるアイシャム。一人また一人と大切な仲間を失ったオーウェンは、以前から彼に秘かな想いを寄せる女性牧場主ナン(エレン・ドリュー)に助けられ、自分の土地を守り仲間の復讐を果たすため、アイシャム一味に孤独な戦いを挑んでいく…。

小気味よいストーリー展開と派手なアクションで押し切る

女性と土地を巡って繰り広げられる、2人の男のプライドを賭けた熾烈な戦いを描くウエスタン活劇。物語の背景を説明する前置きもそこそこに、あっという間に本題へ入っていく序盤を含め、余計なぜい肉をそぎ落としたシンプルな語り口が非常に分かりやすい。なにしろ上映時間は90分未満である。全体的に人物描写が浅いため、ウォーレンとローレンとアイシャムの三角関係も心情的に十分理解できるとは言えず、良くも悪くも単純明快な勧善懲悪のドラマに終始している感は否めない。しかし、その欠点をスピーディで小気味よいストーリー展開と派手なアクションで存分に補い、見せ場に次ぐ見せ場で観客を飽きさせることなく押し切っていくド・トス監督の演出は、優れたB級プログラム・ピクチャーのお手本だ。

そう、このあまり深く考える必要のない問答無用の面白さこそが、当時のランドルフ・スコット作品の醍醐味であり、彼が一般大衆に絶大な人気を誇った理由だとも言える。折しも、’50年代に入るとハリウッドの西部劇も急速に変容し始め、以前のような分かりやすい勧善懲悪が必ずしも通用しなくなっていく。ゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』(’52)やジョン・ウェインの『捜索者』(’56)などはその代表格だ。しかしその一方で、古き良き大衆娯楽としての西部劇を求める観客も依然として存在したわけで、恐らくその需要をスコットが一身に請け負っていたような側面はあったのだろう。

とはいえ、そんなスコットも時代の流れには逆らえず、ジョン・ウェインの代役として主演した『7人の無頼漢』(’56)を皮切りに、バッド・ベティカー監督とのコンビで数々の野心的な西部劇に挑戦し、複雑で多面的なヒーロー像を演じることになる。今現在アメリカでの評価が高いのも、主にこれらベティカー監督とのコンビ作群だ。しかし、本作を筆頭に『ブラックストーンの決闘』(’48)や『西部のガンベルト』(’52)、『ネバダ決死隊』(’52)など、それ以外にも正統派B級ウエスタンの魅力に溢れた作品が多く、決して過小評価すべきではないだろう。

その後、60代に差しかかったスコットはベティカー監督との『決闘コマンチ砦』(’60)を最後に引退を決意するが、サム・ペキンパー監督に請われる形で『昼下りの決斗』(’62)に主演し、輝かしいキャリアに有終の美を飾ることとなる。引退後は株式投資に成功して悠々自適な老後を過ごし、1987年3月2日にビバリーヒルズの自宅で亡くなっている。享年89歳の大往生だ。

なお、2度の結婚で自身の子供は授からなかったスコットだが、若い頃の12年間に渡って同居生活を送ったケイリー・グラントと恋人同士だったとも言われている。その真偽のほどは定かでないものの、ゲイであることを隠すために偽装結婚したロック・ハドソンやヴァン・ジョンソンなどの例も実際にあるわけだから、別にあり得ないことではないだろう。それにしても、若き日のランドルフ・スコットとケイリー・グラントのカップルって、出来過ぎなくらいお似合いじゃありませんか。■

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