今回お勧めするのは、オーソン・ウェルズ監督の『審判』(62年)です。 これは有名な作家フランツ・カフカの同名傑作小説の映画化ですね。

 監督のウェルズと言えば、映画史上の傑作のひとつ『市民ケーン』(41年) の監督です。彼は26歳で老新聞王ケーンを演じながら監督も兼任して、 様々な撮影テクニックを開発していま す。たとえば「パンフォーカス」。画面の近くにいる人物も遠くの背景にも同時にピントが合っているという肉眼 ではありえない映像ですね。

『市民ケーン』は、それ以降のあらゆる 映画に影響を与えたものすごい傑作ですが、アカデミー作品賞は獲れませんでした。ケーンのモデルは、当時の実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストで、彼を茶化した内容だったため、ハーストが反『市民ケーン』キャンペーンを行い、アカデミー賞で9部門にノミネ ートされながら、脚本賞のみの受賞に終わっています。これ以降もウェルズはハリウッドでなかなか映画を作れなくなり、作品数は少ないのですが、ヨーロッパで撮ったのがこの『審判』です。

 原作がカフカの小説だと聞くと、重々しい映画じゃないの? と思う人も多いでしょうが、これコメディです。

 映画は「K」という銀行員。保険会社で働いてたカフカ自身ですね。彼は、ある日突然“起訴”されてしまいます。 何の罪でかというと判らないんです よ。判らないまま裁判にかけられて......という、本来なら怖い話ですが、 本作は怖さよりもシュールさが強調されています。ウェルズ監督が冒頭で「こ れは悪夢(の理論)である」と説明しているように、つげ義春の『ねじ式』みたいな映画になっています。

 たとえば「K」が勤めている会社では地平線の彼方まで机が並んでいて、物凄い数の従業員がタイプライターを打ち続けているんです。CGじゃなくて 実際に何百人ものエキストラとタイプライターを集めて撮影しています。こうい うありえない悪夢的なイメージはテリ ー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』(85年)に明らかに影響を与えています。

 主人公「K」を演じるのはカフカに顔が似ているアンソニー・パーキンス。彼は本作の前に、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(60年)で 変態殺人鬼の役を演じて、世界中で大当たりしたために、その後は変態殺人鬼役ばかりオファーされたんですね。彼はそれが嫌でハリウッドからヨーロッパへ逃げ出して、そのころに出た作品です。

 その「K」は次々に美女に誘惑されます。夢には願望が出てきますから。なかでもロミー・シュナイダーがやたらエロくて可愛くて困ってしまいま す。美女たちにキスされて、ふにゃふにゃと反応するアンソニー・パーキンスは『アンダー・ザ・シルバー・レイク』(18年)のアンドリュー・ガーフィールドそっくりです。

 オーソン・ウェルズ自身も「K」の弁護士役で出てきます。「私に任せとけ」と言うだけで何もしてくれない、実にウェルズらしいインチキくさい役 ですね。

『審判』というタイトルは仰々しいですが、ダークでエロチックなコメディですので、リラックスして悪夢をお楽しみください。

(談/町山智浩)

MORE★INFO.
●1960年にオーソン・ウェルズが、独立プロデューサーのアレクサンダー・サルキンドから、パブリックドメイン(PD)の文芸作品から何か映画を作らないか? と持ちかけられたのがそもそもの始まり。
●ウェルズはフランツ・カフカの『審判』の映画化に決めたが、後に原作はPDではないことが発覚、訴訟に発展した。
●ウェルズは、主役に当初ジャッキー・グ リースンを求めていた。
●ウェルズは映画中で11人の声を自ら吹替えている。
●本作と『シベールの日曜日』(共に62年) で使われた『アルビノーニのアダージョ』は、そもそもレモ・ジャゾットによる偽作で、トマゾ・アルビノーニとは直接的に関係はない。

 

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