ヒットに恵まれなかった初期のベルトルッチ

世界的に「革命の季節」とも呼ばれた’60年代末。イタリアでも’66年のトレント大学文学部の占拠や、’67年のサクロ・クオーレ・カトリック大学の3万人抗議デモといった学生運動が一気に盛り上がり、時を同じくして映画界でも反体制的な若手映像作家が次々と台頭する。その代表格が『ポケットの中の握り拳』(’65)のマルコ・ベロッキオであり、後に『青い体験』(’75)などのエロス映画を大成功させるサルヴァトーレ・サンペリであり、『殺し』(’62)で一足先にデビューしていたベルナルド・ベルトルッチだった。

イタリアの有名な詩人・学者であるアッティリオ・ベルトルッチの長男として生まれ、ブルジョワ階級の恵まれた家庭で育ったベルトルッチは、父親の親しい友人だったピエル・パオロ・パゾリーニの助監督として映画界入りし、そのパゾリーニの助力によって21歳という若さで監督デビューを果たす。処女作『殺し』は批評家から概ね好評で、ヌーヴェルヴァーグに多大な影響を受けた『革命前夜』(’64)もカンヌ国際映画祭で絶賛される。続く『ベルトルッチの分身』(’68)もヴェネチア国際映画祭のコンペティションに出品されたが、しかしいずれの作品も興行的には残念ながら不発に終わってしまう。

そんな折、イタリアの公共放送局RAIの出資でテレビ向けに映画を撮るという企画がベルトルッチのもとへ舞い込む。あくまでもテレビで放送されること大前提だが、しかし製作に当たっての条件は通常の映画と変わらないし、イタリア国外では劇場用映画として配給される。そこでベルトルッチは、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説「裏切り者と英雄のテーマ」を題材に選び、アイルランドが舞台の原作をイタリアへ置き換えて映画化することになる。それがこの『暗殺のオペラ』(’70)だったというわけだ。

反ファシズムの英雄だった父の死の真相を探る息子

中世の街並みをそのまま残す北イタリアの田舎町タラ。人気のない寂れた駅で一人の青年が列車から降りる。彼の名前はアトス・マニャーニ(ジュリオ・ブロージ)。タラが生んだ有名な反ファシズムの英雄アトス・マニャーニ(ジュリオ・ブロージ二役)の同姓同名の息子だ。町の老人たちは父親と瓜二つの息子を見て驚く。それは今から30年ほど前、1936年6月15日のこと。町で唯一のオペラ劇場でヴェルディの「リゴレット」を上演中、父アトスは何者かに背後から拳銃で撃たれて暗殺された。身の危険を感じた妊娠中の妻は町を出てミラノで出産。息子アトスが父親の故郷を訪れるのはこれが初めてだった。

そんな彼をタラへ呼び寄せたのは父アトスの愛人だった女性ドライファ(アリダ・ヴァリ)。たまたま見かけた新聞記事で彼の存在を知ったドライファは、息子であれば父親の死の真相を突き止め、謎に包まれた犯人を探し出すことが出来るのではないかと考えたのだ。彼女によれば、生前の父アトスにはファシストの敵も多く、中でも大地主ベカッチアは最大の宿敵だったという。その一方で、反ファシズムの志を同じくする心強い仲間もいた。それが映画館主コスタ(ティノ・スコッティ)、小学校教師のラゾーリ(フランコ・ジョヴァネッリ)、ハムの味ききガイバッツィ(ピッポ・カンパニーニ)の3人だ。しかし、父親のことをほとんど何も知らない息子にしてみれば、自分が生まれる前の事件に対する関心も薄い。ドライファの熱心な説得も空しく、彼は翌朝の列車でミラノへ戻ることにする。

とはいえ、タラの町に漂う不可解な雰囲気には引っかかるものがあった。昼も夜も人影はまばらで、しかも見たところ老人ばかりしかいない。その中には、どうやら英雄アトス・マニャーニの息子の帰還を快く思っていない住民もいるらしく、彼は何者かによって宿の馬屋に閉じ込められるなどの嫌がらせを受ける。この町の住民は何かを隠しているようだ。そう考えた息子アトスは町に残ることを決め、まずは手始めに大地主ベカッチアの屋敷を訪れるも追い返されてしまう。そんな彼に声をかけたのは、町の名産物であるハムの味ききガイバッツィ。さらにラゾーリやコスタといった亡き父親の同志たちと会った息子アトスは、彼らが30年前にムッソリーニ暗殺を計画していたことを知る。

オペラ劇場の落成式に国家元首が参列するという情報を掴んだ反ファシズムの闘士たちは、劇場に爆弾を仕掛けてムッソリーニを爆殺しようと計画。ところが、直前になってムッソリーニの来訪は中止され、隠していた爆弾も警察に見つかってしまった。何者かが警察に通報したのである。父親アトスと仲間たちは厳しい取り調べを受けたものの、証拠不十分で解放された。となると、やはりファシスト側の報復によって父親は殺されたのか。当時のタラにはファシストのシンパは少なくなかった。その親玉がベカッチアだ。彼が黒幕という可能性もある。だが、これ以上過去をほじくり返しても無駄だと感じた息子アトスは、引き留めるドライファを振り切ってミラノへ戻ろうとするが、しかしなぜか待てど暮せど駅には列車が来ない。仕方なく町へ引き返した彼は、ある思いがけない真実を突き止めることとなる…。

パーソナルな意味を含んだ「父と子の対立」のドラマ

ベルトルッチ作品に共通する「父と子の対立」「主人公とその分身の対立」というテーマをより明確に際立たせた本作。原作では19世紀のアイルランドで起きた独立運動の英雄の暗殺事件の謎を、その子孫が解き明かしていくわけだが、本作では物語の発端を第二次大戦前夜のイタリアへと移し替え、反ファシズム運動の英雄だった父親の死の真相を、同姓同名で容姿も酷似した息子が調べていく。そこには、「ファシズムの時代=自身の父親世代」の残した問題を探るという、左翼革命世代の映像作家であるベルトルッチにとっての個人的な「父と子の対立」という意味も含まれていると言えるだろう。

そして、英雄アトス・マニャーニ暗殺事件に隠された意外な真実を突き止めた息子は、しかしそれでもなお、この町から出ていくことが出来なくなる。そもそも、30年前で時が止まってしまったような町タラは、いわば外の世界と隔絶され時間の流れからも取り残されてしまった異空間だ。フラッシュバックに登場するドライファやコスタたちも30年後の今と全く容姿が変わらず、物語が進むにつれて過去と現在の時間軸も曖昧になっていく。もはや列車など通れるはずもないほど、雑草の生い茂った駅の線路を映し出す衝撃的なラストショットは、ファシズムという過去の亡霊が今なおイタリア社会のどこかに息づいていることを示唆する。そう考えると、主人公はまるで蜘蛛の巣にかかった獲物(イタリア語の原題は‟蜘蛛の計略“)のごとく、亡霊たちの住む町に囚われてしまったのかもしれない。

これ以降、本作のポスト・プロダクション中に製作の決まった『暗殺の森』(’70)に『1900年』(’76)と、引き続きファシストの時代と向き合っていくことになるベルトルッチ。そういう意味でひとつの転機となった作品とも言えると思うのだが、やはり最大のキーパーソンは撮影監督のヴィットリオ・ストラーロであろう。『革命前夜』の撮影助手としてベルトルッチと知り合ったストラーロは、初めて撮影監督として組んだ本作で見事な仕事ぶりを披露している。中でも驚かされるのは、鮮烈なまでの色彩であろう。北イタリアの夏の色鮮やかで豊かな自然を捉えた映像の美しいことと言ったら!特に印象的なのは夜間シーンにおける、まるでルネ・マグリットの絵画の如き深いブルー。青のフィルターを使ったのかと思ったらそうではなく、夕暮れ時の僅かな時間を狙って撮影したのだそうだ。左右対称のシンメトリーを意識した画面構図もスタイリッシュで素晴らしい。映画史上屈指の監督&カメラマン・コンビとなるベルトルッチとストラーロだが、本作こそその原点だったのだ。

ちなみに、舞台となるタラは架空の町であり、本作の撮影はベルトルッチの故郷パルマにほど近い古都サッビオネータで行われている。また、後に映画監督となるベルトルッチの弟ジュゼッペが助監督を務め、エキストラとしてもワンシーンだけ顔を出す。サーカスから逃げたライオンを料理して食べたという過去のエピソードで、皿に盛られたライオンの頭を運んでくる2人の男性のうち、向かって左側がジュゼッペ・ベルトルッチだ。■

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