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コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2019.10.31
『いちご白書』吹き替え版が12月限定で「厳選!吹き替えシネマ」に登場。えっバージョン違い!?
ご無沙汰しております。懐かし系の吹き替えをお手伝いしております飯森です。ワタクシ、団塊ジュニア世代で、『いちご白書』といったら親の世代の映画。しかし、個人的に90年代の大学時代に60年代末のカウンター・カルチャーにかぶれていたことがありまして、今を去ること20年以上前に、目を輝かせてレンタルVHSで見たものです。 ソフト化されてたら絶対に買っていたでしょう。でも未DVD化。なのでザ・シネマの激レア担当だった頃に、仕事にかこつけて自分のために買った作品です。もっとも、あまりにも超有名作なので「ずっと見たかった」、「懐かしい」という人は、ワタクシだけでなくめちゃくちゃいると思いますが。 1970年の映画で、舞台は学園紛争まっただ中の某大学。政治にはあまり関心なかった男子大学生が、可愛い女学生が講堂占拠デモ隊の中にいるのを見かけそれに釣られて学生運動に参加し、ちょっと学園祭の準備のような非日常の楽しさ(『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』的な)もただよう青春の日々を謳歌する中で、次第に政治意識が芽生えてくる。やがて、大学当局は学生デモ隊を強制排除することに。講堂内に催涙ガスが撒かれると同時に、ガスマスクを着けた警官隊がキャンパスに突入し学生たちを警棒で滅多打ちに… と、いうお話で、この時代やこの作品に特段の興味がなくても、「うっわ〜何これ!? まんま今の香港じゃん!」と、誰もが間違いなく感じる、変な形でタイムリーすぎる映画になっちゃっており(俺が買った2年前は、2年後がまさかこんな未来になっていようとは…)、今こそ必見なのです! さて、今回は、素材(放送するテープのマスター素材のこと。それのコピーを作って放送している)が届くのに時間がかかったので、20年以上ぶりに旧レンタルVHSをまずゲットして試写し、後から皆様にもお届けする放送用素材が届いたのでそっちも見てみたのですが、 バージョンが違うじゃねえか! VHS版では映画中盤で、ちょっとエッチなシーンが出てきます。占拠している講堂のコピー室は学生デモ隊男女のヤリ部屋と化しており、よくカップルがしけ込んでいるのですが、主人公は知らないセクシー女から呼び出され、「やろう❤」と誘われ、やられちゃう、というシーン。そこが、放送用HD素材には丸ごとない。 エロいおねえさん。カットされちゃって今回の放送版には登場しません。残念! 2台のモニターで同時再生し見比べてみると、他に、気づかないような細かいところもチョコチョコ違う。 これは、今回の放送素材が、もともとどこかの国(本国?)のTV放映用としてテレシネされたHDマスターで、それが旧VHSのSDマスターテープと別バージョンだから、との回答を、映画会社からいただきました。「TV放映用にエロはまずい」という忖度が働いたのでしょうか?エッチなおねえさん、お口を大きく開けてパックンチョ、みたいなことを積極的にしてくるので、現代の感覚でもかなりエッチすぎる。それが理由か? しかしザ・シネマの方で映画をカットすることはなくて、もらったものがカット版であればノーカット版を再度要求するんですが、カット版しかありませんと言われてしまったら仕方がない。今回はそのパターンです。 旧VHSは1時間49分で、これはIMDbに書かれている「Runtime:109 min」という情報と一致します。が、TV放映用HDは1時間42分と、7分短くされちゃった。 また、今回のTV用HD版はビスタサイズですが、この映画は元が4:3のスタンダードサイズで(とIMDbに書いてある)、旧VHS版もそうでした。その上下をカットして横長にし、擬似的ワイドにしたもので、オリジナルや旧VHS版に比べて絵の情報量がむしろ減っているという問題も。 ということで、本当は、4:3スタンダードでフル尺が1時間49分の、HDとか4Kの素材があれば、それがオリジナルに一番近いバージョンになるようですが、無いんだから仕方ない、今回はこの別バージョンHD素材で放送します。 左がオリジナル4:3で右がワイド風に見せかけるため上下をカットしたもの。なんでもかんでもワイドが良いとは限らない。が今回は右で放送。 さらに12月は、「厳選!吹き替えシネマ」として、昭和51年1月8日木曜洋画劇場放映の富山敬による吹き替え版もお届けすることにし、これはワタクシにとっても初見でしたが、こっちはさらにこまごまと編集が違っています。無い絵が追加されているとか、あった絵が無くなっているとか。エロシーンがごっそり抜かれてるというのはカット理由として解りやすいですが、普通の雑観ショットとか、どうでもいいところがほんのちょっとだけ、しかも大量に別編集になっているのは、理由が解らない。どなたか知りませんか? この昭和51年の吹き替え版、87分50秒だったのですが、40年以上前のボっケボケのテープにはあったがHD素材には存在しない映像が、合計1分36秒分あり(それも、ほんの1カットとかこまごまとした映像)、その部分はきれいなHD映像が存在しないため再現が不可能で、泣く泣くカットとなりました。不幸中の幸いはセリフのあるシーンではなかったこと。富山敬さん以下のセリフは一切カットしておりません。 以上、ちょっと技術的なことばかり書いて退屈だったでしょうが、後世の歴史家のためにどこかにちゃんと経緯を残しておくべきかと思いまして。 とにかく、2019年の今の、香港・チリ・バルセロナの状況と、異常にダブって見えてしまう、あまりにもタイムリーすぎる映画『いちご白書』。それ自体が未DVD化の激レア作なのでHD字幕版も必見ですが、さらに昭和51年のスーパー激レア音源をHD映像に乗せて蘇らせるってんですから、これはマストで視聴して「なんだこれは、まるっきし香港じゃないか」とみんなで驚くべきでしょう。 この映画を気に入った、という人には、原作の日記文学『いちご白書』の方もお薦めします。原作者ジェームズ・クネン君は映画のモデルになったコロンビア大学の学園紛争に参加し、リーダーではないのですが当時マスコミによく登場して学生運動側の意見をメディアで語ったりと、今の香港で言うならジョシュア・ウォン君っぽいポジション。映画版にもカメオ出演しています。 子門真人、じゃなかった、「コロンビア大のジョシュア・ウォン」こと原作者のジェームズ・クネン君。 原作は日記体でつづられていて、その断片が映画本編に使われていたりするのですが、まったく違った表現物で、原作は原作で良いんです。警察から催涙ガスを浴びせられたり警棒でボコボコにされたりする二十歳前後のデモ参加者側が、何を考え革命をしているのか、若者らしいみずみずしい感性で言語化されており、今の時代を考える上で何かの役に立つかもしれません。 この映画については、他でも何ヶ所かでワタクシ紹介してるんですよね。長すぎ80分の音声解説、というか映画ライターのなかざわひでゆきさんと対談した「男たちのシネマ愛」が、YouTubeに上がっています。このブログ記事では映画の内容についてはあまり言及しませんでしたが、そっちの80分音声の方で思い残すことなく喋り倒しておりますので、何かしながらついでに聴いていただけましたら幸甚。そこでは、この時代を知る上で絶対に理解しておかないとダメなベトナム戦争について、特に力を入れて語らせていただきました。 あと、ふきカエル大作戦!!の連載では、『…you…』についても書いています。『…you…』と『いちご白書』はコンビのようなそっくりな映画なのでセットでウチでは放送してきました。『…you…』はもうザ・シネマでの放送は終わっちゃいましたが、そちらも、あわせてご笑読いただければ幸いです。我が人生五指に入る傑作吹き替え、石田太郎エリオット・グールド大演説を、テキストで再現しました(ウチでの放送見れた方はラッキーでしたね。これはお宝モンですよ?あと、タランティーノによる解説番組ってのも放送しましたんで、あっちも永久保存版です)。 ああそうそう、ついでながら、まるっきし関係ない話だけど、『求婚専科』も吹き替え版やりますんで、そちらもお楽しみに。■ © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.10.28
リチャード・ラッシュ監督が観客のモラルに挑戦した大量破壊アクション・コメディ
『フリービーとビーン/大乱戦』は、元祖『リーサル・ウェポン』(87年)のバディ・ムービーです。サンフランシスコを舞台に、ジェームズ・カーン扮する荒くれ刑事のフリービーと、アラン・アーキンが演じるあんまりやる気のない、家庭のほうが大事な中年刑事のビーンがケンカしながら事件を解決していくアクションコメディです。こういう凸凹刑事ものっていっぱいありそうで、実はこの『フリービーとビーン』の前にはなかったんですね。この映画の前は、刑事のバディものといえば、この番組で紹介した『ロールスロイスに銀の銃』(70年)くらいしかなかったんですね。 まず、この映画、とにかくカーチェイスが凄まじい。この数年前に『ブリット』(68年)で刑事に扮したスティーヴ・マックイーンがサンフランシスコで凄まじいスピードのカーチェイスを見せて、ハリウッドで刑事アクションのブームが起こりました。でも、この『フリービーとビーン』はスピードよりも数で勝負なんです。もう70台以上の車をスクラップにします。つまり『ブルース・ブラザース』(80年)の元祖なんですよ。 しかも、その撮り方がえぐい。例えば白いバンが高いところから落ちてグシャッとつぶれるところで、わずか2メートルくらい離れたところに人がいるんですよ。その人のすぐ横にバーンって落ちるんです、車が。危ねぇだろ(笑)!! 当時、コンピュータ・グラフィックスとかないですから、本当にそれをやってるんですよ。 それだけじゃない。『フリービーとビーン』はとんでもない暴力刑事です。カーチェイスや銃撃戦に周囲の一般人を平気で巻き込んで行きます。チアリーダーを車ではね飛ばし、普通の人のアパートの寝室に車で突っ込み、看護婦を間違って撃ってしまいます。それどころか、トイレに追い詰めた敵に二丁拳銃で何十発もの弾丸を撃ち込んで文字通り蜂の巣にします。ふざけながら。そんな残酷シーンをギャグとして演出してるんですよ! 監督はリチャード・ラッシュ。ハリウッドの異端の人で、独立プロデューサー、ロジャー・コーマンの下で、暴走族もの『爆走!ヘルズ・エンジェルス』(67年)を作り、学生運動を描いた『…YOU…』(70年)で注目された、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を受けた、左翼、反体制、ヒッピー系の監督です。 その反権力の人がなぜ、国家権力による暴力をジョークとして撮影したのか。ラッシュ監督自身がインタビューで答えているんですけど、当時のベトナム戦争であるとか、刑事映画ブームであるとかの、映画や現実にあふれているバイオレンスそのものを茶化したかったというんですよ。「観客は笑いながら、笑っているうちに、自分が笑っていることにゾッとする」そういう映画を撮りたかったと。ところが当時はこの実験は強烈すぎた。流れ弾で看護婦さんが血だらけになるのを観て笑えないですよ。 ただ、80年代に入ると、ジョエル・シルバー製作のアクション映画が暴力で笑わせる映画を作り始めます。『48時間』(82年)、『ダイ・ハード』(88)、そして『リーサル・ウェポン』ですね。で、そこからクエンティン・タランティーノが『パルプ・フィクション』(94年)で人の脳みそを吹き飛ばしてギャグ扱いするわけですが。『フリービーとビーン』は早過ぎたんです。タランティーノも『フリービーとビーン』に影響されたと言っています。 観ていて非常に困る映画ですが、それは、作り手の狙い通りです。これは観客のモラルに対する挑戦ですから。ある程度覚悟をしてご覧ください。俺に苦情を言わないでくださいね。作ったのは俺じゃないからね(笑)! ということで、今では考えられない、とんでもない映画ですよ!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●脚本は当初、コメディ要素のない“バディ・ムービー”だったのだが、スタッフと主演の2人が協議してアクション・コメディとなった。だが監督は、カーチェイスばかりに重点を置いていたため、主演の2人は「撮影をボイコットするぞ」と監督を脅したという。●主人公の刑事たちが使う車は、1972年型の白いフォード・カスタム500の警察車用インターセプター・セダン。スタントに使われたのは、廃棄された警察車両が1ダース以上。これはそのまま『ダーティハリー2』(73年)にも使われている。●同時期に撮影されていた『破壊!』(74年)との競合を避けるため公開時期を74年の春からクリスマスに変更した。●主演2人が続投し、監督にアーキンを迎えた正式な続編の企画があったという。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.10.21
現場目撃のないテロ行為の再現『ユナイテッド93』
■最初の9.11アメリカ同時多発テロ映画 2006年に製作された『ユナイテッド93』は、アルカイダのテロリストによって機体を占拠された「ユナイテッド航空93便ハイジャック事件」を、ドキュメンタリー仕立てのドラマにした作品だ。2001年9月11日、この旅客機を含む4機のうち2機がニューヨークの世界貿易センタービルに、そして1機がペンタゴン(アメリカ合衆国国防総省)へと同時に撃墜した、いわゆる「9.11アメリカ同時多発テロ」を劇映画へとアダプトした最初のハリウッド作品である。ユナイテッド航空93便(以下:UA93便)もワシントンD.C.のアメリカ合衆国議会議事堂への突入がテロリストによって策動していたが、乗客たちの我が身を犠牲にした抵抗が、彼らの目的を未遂に終わらせたといわれている。 物語はUA93便のニューアーク・リバティー国際空港からの離陸を起点に、当日の旅客機内での出来事と、テロ攻撃を追うさまざまな連邦や州機関など複数の視点を交え、ことの推移をリアルタイムで克明に描写していく。そのような作品の性質上、目撃者全員が亡くなった機内の様子など、想定に頼らざるをえない部分もある。しかし乗客たちによる勇気ある決断と行動を、遺族や関係者への取材、そして膨大な資料収集と可能な限りのリサーチを尽くし、迫真的な演出によって明らかにしていく。加えてリアリティを徹底させるために、乗客はスター性を排した俳優によって演じられ、また客室乗務員やパイロット、その他の航空会社のキャストは、実際の航空会社の従業員が集められた。 だが映画はテロを未然に防いだことへの称賛に比重を置くのではなく、あくまでテロ攻撃という未曽有の事態に対し、それぞれの立場の者がそれぞれの役割を果たし、ひたすら回答を出していく姿が捉えられている。現実には政府機関の官僚的な手続きが事態を混乱に陥れるなどネガティブな要素も見られたが、劇中の演出はそれを強く批判したりすることはなく、監督であるポール・グリーングラスは、あくまでもフラットな演出に徹している。 ■アクション映画に革命を起こしたグリーングラス監督の実録スタイル そう、こうした困難な演出へのアクセスが可能となったのは、本作の監督であるポール・グリーングラスの力量によるところが大きい。 記憶をなくしたエージェント、ジェイソン・ボーンを主人公としたマット・デイモン主演のスパイスリラー『ボーン』シリーズのうち3作(『ボーン・スプレマシー』(04)『ボーン・アルティメイタム』(07)『ジェイソン・ボーン』(16))を手がけ、ダイナミックなハンドヘルト(手持ち)のカメラワークやショットを細かく構成した高速編集など、ハリウッド・アクションのシークエンスをより機動性の高いものにしたグリーングラス。そんな彼の特徴的なスタイルは本作においてもいかんなく発揮され、観る者を混乱の渦中に置き、そして息をのませるような没入感を生み出している。 もともとグリーングラスはテレビディレクターをキャリアの出発点としており、アクティブな手持ちカメラによる没入型のテクニックは、英グラナダテレビが制作し、ITVネットワークが長年放送してきたドキュメンタリープログラム「World in Action」(1963~98)のディレクター時代に培われてきたものだ。 ◇ポール・グリーングラス自身が「world in action」に言及したグラナダテレビのドキュメンタリー“Granada: From the North” そんな彼のスタイルが広く評価されたのは、1999年に自身が手がけたドラマ『The Murder of Stephen Lawrence(ステファン・ローレンスの殺人)』(原題)を起点とする。ロンドン南部のエルサムで、18歳の学生が白人青年の一団に殺害された事件を描いた本作は、グリーングラスがドキュメンタリーで実践してきた映像スタイルを本格的に投入。人種差別を起因とするこの事件の核心に迫り、BAFTA(英国映画テレビ芸術アカデミー)が主催する英国アカデミー賞テレビ部門で単発ドラマ賞を得たのである。 そしてグリーングラスはこのスタイルを、1972年の北アイルランドのロンドンデリーでデモをしていた抗議者たちが、イギリス軍によって射殺された事件を描いた『ブラディ・サンデー』(02)に適応。『ユナイテッド93』に通底する実録的な再現スタイルの鋳型を作ったのである。その記録映像を思わせるような高い完成度によって、本作は劇場公開へと拡大され、第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得したのだ。 この『ブラディ・サンデー』を劇場で観た映画製作者のフランク・マーシャルは、グリーングラスの米商業映画の世界へとスカウトし、そして彼は『ボーン・スプレマシー』でハリウッド進出をはたすことになる。 ■『ユナイテッド93』を成立へと誘導した『アルジェの戦い』 グリーングラスのこうしたアプローチを下支えするものとして、『ユナイテッド93』にはもうひとつ、その存在に影響を与えた作品がある。それは1966年に製作された、イタリアとアルジェリアの合作映画『アルジェの戦い』だ。 同作は第二次世界大戦後に起こったアルジェリア戦争(1954~62)を主題にしたもので、アルジェリアが独立を勝ち取るまでの歴史を描いた政治的傑作のひとつだ。特に1957年に同国の首都でおこなわれたタイトルの「アルジェの戦い」(フランス軍が国民解放戦線(FIN)の抵抗を打ち砕こうとした紛争)に焦点が定められており、その映像演出はニュースリールのようなドキュメンタリー形式を装い、リアリティを徹底させたものになっている。また俳優もプロではなく素人を中心に起用し、両軍に公正な審理を与えるフラットな語り口など、これら要素を『ユナイテッド93』と共有しているといっていい。 ◇“The Battle of Algiers' trailer” グリーングラス自身『アルジェの戦い』に関しての言及は少なくない。代表的なものとしてはBFI(British Film Institute=英国映画協会)がおこなった「映画人の選ぶ映画ベスト10」において、選者の一人として同作を筆頭に挙げているし、また同作のBlu-rayに収録されたインタビューにおいて、この『アルジェの戦い』に対して以下のように所感をあらわしている。 「情報の伝達力が格段に飛躍し、世界情勢への理解が充分に及んだ現代においても、『アルジェの戦い』が放つ力は素晴らしい。そこには真実を超えた映像の説得力がある」 『ユナイテッド93』には、こうしてグリーングラスの瞠目した『アルジェの戦い』の創造性が細かく反映されている。そのため映画のクライマックスとなる乗客たちのテロリストへの反撃シーンは正視に耐えないほどの現場体験を観る者に強い、暴力描写への取り組み方は尋常ではない。たとえば同作の予告編が劇場で流れたさいも、席を立つ観客が後を絶たなかったという。グリーングラス自身はあくまでも遺族感情を考慮し、テロ事件から5年という経過が発表時期として妥当なのかどうかを懸念しながら、暴力の現場をどのように描くべきかに深い迷いを抱えていたという。しかし遺族から「あなたの感じたままに描いてくれればいい。どんなに描いてもわたしたちの想像を超えることはないのだ」という助言を受け、腹を決めたのだとしている。 もっとも、この『アルジェの戦い』とて、ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(45)に代表されるネオ・リアリズム映画(社会的テーマと写実的な演出を特徴とする作品動向)の系譜に連なるもので、その実録調のスタイルには、先んじて存在するひとつの潮流がある。くしくもグリーングラスがBFIのベスト10で同時に選出したイタリアの『自転車泥棒』(48 監督/ヴィットリオ・デ・シーカ)なども、このネオ・リアリズム映画の流れに身を置く作品だ。こうした映画史からの連続性、ならびに相互的な関連においても『ユナイテッド93』の位置付けを求めることもできる。 なによりグリーングラス自身、ラディカルといわれた自分のスタイルも非常に古典的なものであり、それは先述した「World in Action」に代表されるような、社会的リアリズムに肉薄した英国ドキュメンタリーの伝統のうえにあるという自覚を抱いている。そのため他のハリウッドの監督が彼のスタイルに追随したとき、その影響力の大きさに驚いたのは他ならぬ彼自身だったという。 ただ「こうであっただろう」というひとつの仮定のもと、現場目撃のないテロ行為の阻止をここまで描ききったことに、本作『ユナイテッド93』は固有の価値と意義を有している。グリーングラスはその後も、ソマリアの海賊が米国船籍の貨物船マースク・アラバマ号をハイジャックした『キャプテン・フィリップス』(13)や、2011年にノルウェーの首都ウトヤ島で起こった銃撃爆破テロを描いた『7月22日』(18)など、娯楽アクションと並行し、この実録的な検証路線を追求している。それらの嚆矢として、この『ユナイテッド93』は存在するのだ。■ 『ユナイテッド93』© 2006 Universal Studios. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2019.10.08
巨匠ブニュエルの老いへの恐れを描いた哀しき恋愛残酷譚
25歳の時にマドリードからパリへ出てシュールレアリズム運動に感化され、学生時代からの親友サルヴァトール・ダリと撮った大傑作『アンダルシアの犬』(’29)で監督デビューしたスペイン出身の巨匠ルイス・ブニュエル。スペイン内戦の勃発と共にヨーロッパを離れた彼は、アメリカを経由して同じスペイン語圏のメキシコへ。『忘れられた人々』(’50)がカンヌ国際映画祭の監督賞に輝いたことで再び国際的な注目を集め、20数年ぶりにスペインへ戻って撮った『ビリディアナ』(’61)でついにカンヌのパルム・ドールを受賞する。 その後フランスへ拠点を移したブニュエルは、当時のフランス映画界を代表するトップスター、カトリーヌ・ドヌーヴを主演に迎えた『昼顔』(’67)でヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得し、興行的にも自身のフィルモグラフィーで最大のヒットを記録。そんなブニュエルが再びドヌーヴとタッグを組み、『ビリディアナ』以来およそ9年ぶりに母国スペインで作った映画が『哀しみのトリスターナ』(’70)である。 舞台はブニュエルが学生時代に愛したスペインの古都トレド。世界遺産にも登録されているこの小さな町は、ルネッサンス期の高名な画家エル・グレコが拠点としていた場所としても知られている。若きブニュエルは親友のダリやガルシア・ロルカと連れ立って毎週のようにトレドを訪れ、地元の豊かな食文化やエル・グレコの絵画などを堪能していたという。そんな青春時代の思い出の地で彼が撮った作品は、親子ほど年齢の離れた女性の若さと美貌に執着し、老いの醜態を晒していく哀れな男の物語である。 そう、便宜上はドヌーヴ演じる美女トリスターナを中心にドラマの展開する本作だが、しかし実質的な主人公はフェルナンド・レイふんする初老の貴族ドン・レペである。広い邸宅でメイドのサトゥルナ(ロラ・ガオス)と暮らすドン・レペ。社会的な弱者を守るのが上流階級の使命だと考えている彼は、常日頃から貧しい労働者の味方として庶民から尊敬されているが、しかし実際のところ家計は火の車で、先祖代々受け継がれてきた美術品や食器などを切り売りして生計を立てている。というのも、ドン・レペは無神論者であるため、財産を管理している敬虔なカトリック教徒の姉と折り合いが悪く、金を無心しても断られてしまうのだ。 ならば商売でもすればいいのだけれど、しかし古き良き貴族の慣習やプライドを捨てきれない彼は、金儲けを卑しい者のすることと考えている。ましてや労働者を搾取する資本家などもってのほか!奴らの奴隷になんぞなるものか!と意地を張っているが、しかし自分はメイドに身の回りのことを全て任せ、昼間からカフェに入り浸る毎日。いやはや、無神論者・社会主義者・貴族という3足の草鞋をバランスよく成立させるのは、なかなかこれ矛盾だらけで難しいことらしい(笑)。 かように高潔で誇り高い紳士のドン・レペではあるのだが、しかしそんな彼にも恐らく唯一にして最大の欠点がある。なにを隠そう、部類の女好きなのだ。道を歩いていて好みの若い美女を見つければ、ついついナンパせずにはいられない性分。独身を貫いているのは自由恋愛主義者だからだ。しかし、どう見たって50歳は過ぎている白髪交じりの立派なオジサン。さすがにもはや若い女性からは相手にされないものの、本人はいつまでも若いつもりなので一向にめげない。いわゆるポジティブ・シンキングってやつですな(笑)。そんな永遠の恋する若者(?)ドン・レペを虜にしてしまうのが、父親代わりの後見人として長年成長を見守ってきた処女トリスターナだったのである。 幼い頃に資産家の父親を失い、その父親の残した莫大な借金で苦労した母親を今また亡くした16歳のトリスターナ。身寄りのない彼女を引き取ったドン・レペだが、いつの間にやら大きくなったトリスターナの胸元に目を奪われ、彼女が自分へ向ける娘としての親愛の情を恋愛感情だと勝手に勘違いし、男女の駆け引きもろくに分からない未成年の彼女を強引に押し倒して自分の妻にしてしまう。しかし、無垢な処女だったトリスターナにもだんだんと自我が芽生え、愛してもいないオジサンとの夫婦生活に不満を募らせるようになり、しまいには外出先で知り合った若い画家オラーシオ(フランコ・ネロ)と恋に落ちてしまう。 はじめこそ嫉妬に怒り狂ったドン・レペだが、しかしライバルが若くてハンサムな男とくれば到底勝ち目はない。ならばいっそのこと外で自由に恋愛してくればいい、でもどうか私の元からは離れないでくれと哀願するドン・レペ。今度は泣き落としにかかったわけですな。とはいえ、若い男女の恋の炎は燃え上がるばかり。こんな情けないオジサンとはもう一緒にいられない!とトリスターナが考えたとしても不思議ない。結局、彼女はオラーシオと一緒に出ていってしまい、またもやドン・レペはメイドのサトゥルナと2人きりで広い邸宅に残されることとなる。 それから数年後、姉が亡くなったことで莫大な遺産を手に入れたドン・レペだが、しかしトリスターナのいない生活は今なお侘しく、すっかり弱々しげな老人になってしまった。そんな折、彼はトリスターナが町に戻ってきたことを知る。聞けば、脚にできた腫瘍のせいで寝たきりになってしまい、父親代わりであるドン・レペの加護を求めているらしい。すぐさまトリスターナをわが家へ招き入れ、至れり尽くせりの看護をするドン・レペ。しかし、手術で右脚を失ったトリスターナは、すっかり人生や世の中を恨んだ苦々しい女性となってしまい、年老いたドン・レペに対しても憎しみをぶつけるように冷たい仕打ちを繰り返すのだった…。 ドヌーヴと喧嘩したブニュエルの信じられない発言とは!? 無神論者でアナーキストの老人ドン・レペに、撮影当時69歳だったブニュエルが自らを投影していたであることは想像に難くないだろう。実際、17歳年下のフェルナンド・レイをことのほか気に入っていた彼は、本作と似たような内容の『ビリディアナ』や『欲望のあいまいな対象』でも自らの分身をレイに演じさせている。我が子同然の若い娘に対する、ドン・レペの報われぬ情愛を通じて描かれる老いの残酷。終盤で、過激な無神論者だったはずの彼がすっかり丸くなり、教会の神父たちを自宅へ招いて、ホットチョコレートやケーキを楽しむ微笑ましい団欒シーンがあるが、実はあれこそが永遠の反逆児ブニュエルの思い描く、是が非でも避けたい悪夢のような老後風景だったのだそうだ。すなわちこれは、既に老いが目の前の現実となったブニュエルの、これから待ち受ける自らの老後に対する恐怖心を具現化した作品だったとも言えよう。 と同時に本作は、必ずしも夢や願いが叶うわけではない、残酷な現実から逃れようとも逃れられない、そんな満たされぬ人生とどうにか折り合いを付けなければならない人々の物語でもある。まだ初恋も知らぬまま愛してもいない年上の男ドン・レペに青春時代を奪われたトリスターナは、ようやく出会った最愛の男性と人生をやり直そうとするも、不幸な病によって再びドン・レペの元へ戻る羽目となる。そのドン・レペもまた、どれだけトリスターナのことを愛し、彼女のために全身全霊を捧げて尽くしまくっても、その気持ちが彼女に通じることは決してない。「こんな寒い吹雪の晩に、暖かい我が家があるだけでも幸せなのかもしれない」と呟く彼の言葉が沁みる。それだけに、このクライマックスはあまりにも残酷だ。 ちなみに、スペインとフランス、イタリアからの共同出資で製作された本作。トリスターナ役のドヌーヴはフランス側出資者の強い要望で、またブニュエル自身も『昼顔』で彼女と仕事をしてその実力を認めていたことから、すんなりと決まったキャスティングだったという。ただ、ドヌーヴもブニュエルもお互いに人一倍頑固であることから、『昼顔』の時と同様に撮影現場ではピリピリすることも多かったらしく、ある時などはドヌーヴに対して激怒したブニュエルが、その場にいたフランコ・ネロに「事故のふりして彼女をバルコニーから突き落とせ!」と言ったのだとか(笑)。 一方のフランコ・ネロは、当時一連のマカロニ・ウエスタンで大ブレイクしていたことから、イタリア側出資者がブニュエルに強く推薦して決まったとのこと。スペインの独裁者フランコ将軍が大嫌いだったブニュエルは、彼のことを“フランコ”ではなく“ネロ”と呼んでいたそうだ。その後、ブニュエルとジャン=クロード・カリエールが脚本を書いたもののお蔵入りになっていた『サタンの誘惑』(’72)が、アド・キルー監督のもとフランス資本で制作されることになった際、ブニュエルは映画化を許可する条件として“ネロ”を主演に起用するようプロデューサーに注文を付けたという。それほど彼のことを気に入っていたらしい。 なお、フェルナンド・レイはスペイン人、カトリーヌ・ドヌーヴはフランス人、フランコ・ネロはイタリア人ということで、撮影現場ではそれぞれが母国語でセリフを喋っている。そのため、フランス語版ではドヌーヴだけが本人の声、スペイン語版ではレイだけが本人の声、イタリア語版ではネロだけが本人の声を当て、それ以外は別人がアフレコを担当しているのだ。 これは当時ヨーロッパの多国籍プロダクションではよく見られたパターン。例えば巨匠ヴィスコンティの『山猫』(’63)はアメリカ人のバート・ランカスター、フランス人のアラン・ドロン、イタリア人のクラウディア・カルディナーレが主演を務めているが、オリジナルのイタリア語版ではいずれも本人の声は使用されていない。えっ!カルディナーレまで!?と驚く方も多いかもしれないが、彼女のイタリア語の発音は訛りが強いため、シチリア貴族の声には相応しくないと別人が吹き替えたのだそうだ。その代わり、フランス語版ではドロンとカルディナーレがそれぞれ本人の声を担当し、英語版ではランカスターが自分の声を当てた。今となってはなかなかあり得ない話だが、当時はそれが普通だったのである。■ 『哀しみのトリスターナ』© 1970 STUDIOCANAL – TALIA FILMS. All Rights reserved.
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COLUMN/コラム2019.10.08
革命の季節に生まれるべくして生まれたポリティカルなマカロニ・ウエスタン
※下記のレビューには一部ネタバレが含まれます。 ネオレアリスモの流れを汲む社会派の映画監督として’60年代初頭に頭角を現し、恋愛ドラマから犯罪アクション、マカロニ・ウエスタンからオカルト・ホラーまで、実に多彩なジャンルの映画を手掛けつつ、どの作品でも常に反権力と社会批判の姿勢を貫いてきた反骨の映画監督ダミアーノ・ダミアーニ。世代的にはピエル・パオロ・パゾリーニやカルロ・リッツァーニ、マルコ・フェレーリ、セルジオ・レーネらと同期に当たるが、しかし精神的にはひと世代後のベルナルド・ベルトルッチやマルコ・ベロッキオ、エリオ・ペトリといった、当時“新イタリア派”と呼ばれた革命世代の左翼系作家たちと親和性の高い映画監督だったと言えよう。 ‘22年7月23日、北イタリアの小さなコムーネ(共同自治体)、パジアーノ・ディ・ポルデノーネに生まれたダミアーニは、ミラノのブレーラ美術学校を卒業し、美術スタッフとして映画界入り。脚本家や助監督を経て、’46年から短編ドキュメンタリーの監督を手掛けつつ、コミック・アーティストとして活躍するようになる。日本だとあまり知られていない事実だろう。長編劇映画の監督デビュー作は、ネオレアリスモの立役者チェザーレ・ザヴァッティーニが脚本に参加した『くち紅』(’62)。これはピエトロ・ジェルミ監督の名作『刑事』(’59)にインスパイアされた作品で、ローマの下町で起きた殺人事件とそれに絡む男女の複雑な恋愛を軸にしつつ、高度経済成長に取り残された貧しい庶民の姿を映し出した作品で、ピエトロ・ジェルミが刑事役を演じていた。 さらに、テーマ曲が日本でも評判になった『禁じられた恋の島』(’62)では思春期の少年の父親に対する憧れと失望を通じてイタリア南部に根強い男尊女卑の偽善を炙り出し、アルベルト・モラヴィア原作の『禁じられた抱擁』(’63)では豊かな現代イタリア社会における愛の不毛とブルジョワの倦怠を浮き彫りにしたダミアーニ。やがて世界的に左翼革命の時代が訪れると、より政治的・社会的なメッセージ性の強い作品に傾倒していくわけだが、その先駆けともなったのが自身初のマカロニ・ウエスタン『群盗荒野を裂く』(’66)だった。 マカロニ史上初のポリティカル・ウェスタンとも呼ばれる本作。舞台は革命真っただ中のメキシコ、主人公は粗野で下品で無教養だが人情に厚いゲリラ隊のリーダー、エル・チュンチョ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)だ。政府軍の武器を奪っては革命軍のエリアス将軍(ハイメ・フェルナンデス)に売りさばいている彼は、それなりに革命の精神は理解をしているし、基本的に虐げられた貧しい庶民の味方ではあるものの、しかし根っからの反権力の闘士である弟サント(クラウス・キンスキー)とは違い、どこか革命を金儲けの手段と考えている節がある。武器の対価を将軍から得ていることを弟に隠しているのは、恐らく後ろめたさの表れだ。 そんなチュンチョがいつものように、大勢の手下を引き連れて政府軍の武器弾薬を積んだ列車を襲撃したところ、ビル・テイト(ルー・カステル)というアメリカ人と遭遇する。政府軍兵士を殺して暴走する列車を止めたビルの勇敢な行動に感銘を受けたチュンチョは、自分も革命軍ゲリラに加わって金を稼ぎたいというビルを仲間に引き入れるのだが、しかし単細胞でお人好しな彼は、ビルが襲撃の混乱に紛れて身分を偽っていたことに全く気付いていない。それどころか、身なりの良い外国人のビルが下賤な自分たちの味方となったことに気を良くし、彼のことを“ニーニョ”と愛称で呼んで一方的に親近感を抱いていく。 かくして、ビルを仲間に加えて革命軍の基地や武器庫を次々と襲撃していくゲリラ隊。そんなある日、故郷の町サンミゲルが革命軍によって解放されたと知ったチュンチョは、紅一点のアデリータ(マルティーヌ・ベスウィック)やビルなど、一部の仲間を引き連れて馳せ参じる。長年にわたって貧しい庶民を虐げて苦しめ、少女時代のアデリータを凌辱した町の権力者ドン・フェリペ(アンドレア・チェッキ)を処刑したチュンチョ。ようやく待ち望んだ正義が下されたのだ。 その直後、政府軍が町へ迫っているとの情報が入り、チュンチョとサントは住民を守るため町に残ろうと考えるが、しかしビルは一刻も早くエリアス将軍のもとに武器を届けるべきだと強く主張する。実は彼、エリアス将軍を暗殺するため、メキシコ政府に雇われたプロの殺し屋だったのだ。そんなこととはつゆ知らず、追手との戦いで次々と仲間を失いながらも、ビルに助けられて革命軍の本拠地シエラへとたどり着いたチュンチョは、そこで無二の親友と信じ始めていたビルの正体に気付くこととなる。 集ったのはイタリアの左翼系映画人たち 無学ゆえに革命家というよりは中途半端なチンピラに過ぎなかった主人公が、金のためなら何でもする日和見主義者の殺し屋と対峙することで、真の革命精神に目覚めていくという物語。靴磨きの貧しい若者に札束を渡したチュンチョが、「その金でパンなんか買うんじゃないぞ!ダイナマイトを買うんだ!」と高らかに叫びながら、線路の彼方へと走り去っていくクライマックスが象徴的だ。 脚本にはその後、警察幹部とマフィアの癒着を告発した問題作『警視の告白』(’71)で再びダミアーニ監督と組むサルヴァトーレ・ラウリーニが参加しているが、やはり’20世紀初頭のメキシコ革命に’60年代末の左翼革命の時代を投影した本作の方向性を決定づけるうえで、脚色と台詞でクレジットされているフランコ・ソリナスが大きな役割を果たしたであろうことは想像に難くない。なにしろ、ソリナスと言えばジッロ・ポンテコルヴォ監督の『ゼロ地帯』(’60)や『アルジェの戦い』(’66)、『ケマダの戦い』(’69)などを手掛けた、イタリアの左翼系映画人の代表格みたいな人物だ。コスタ=ガヴラスの『戒厳令』(’70)も彼の仕事。本作に続いて、やはりメキシコ革命をテーマにしたセルジオ・コルブッチ監督のマカロニ・ウエスタン『豹/ジャガー』(’68)も手掛けている。 左翼系映画人といえば、エル・チュンチョ役で主演を務めている名優ジャン・マリア・ヴォロンテも、俳優の傍ら左翼活動家としても有名だった筋金入りの共産主義者。父親がブルジョワ階級のファシストで、終戦後に戦犯として捕らえられて獄死したという暗い生い立ちを抱えた彼は、戦前・戦中から一転した極貧と放浪生活の中で共産主義に目覚め、キャリアの当初こそセルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』(’64)や『夕陽のガンマン』(’65)といった娯楽映画にも出演したが、次第にダミアーニやエリオ・ペトリ、フランチェスコ・ロージといった左翼系監督による政治性の高い作品ばかりを選ぶようになる。 一方、グレーの上質なスーツに身を包んだクールでキザなアメリカ人ビルを演じるルー・カステルも、マルコ・ベロッキオ監督の傑作『ポケットの中の握り拳』(’65)で抑圧された旧家の若者の屈折した怒りを演じ、反権力世代の象徴的な存在となった俳優。スウェーデン人外交官の父親とイタリア人共産主義者の母親のもとに生まれ育ったカステルは、彼自身もまた母親の強い影響で毛沢東思想に傾倒した極左活動家だった。そのため、やがてイタリア国内にいづらくなり、’73年以降はヨーロッパを転々としながらヴィム・ヴェンダースやダニエル・シュミット、クロード・シャブロルなどの作品に出演するようになる。本作の撮影現場では、先輩ジャン・マリア・ヴォロンテと意気投合したそうだが、恐らく同じ共産主義者として共鳴するところも多かったのだろう。ちなみに、先述したクライマックスのセリフはヴォロンテのアドリブだったらしい。 これが初めての西部劇となったダミアーニ監督は、あえてイタリア流のマカロニ・ウエスタンではなく、ジョン・フォードのような正統派西部劇の世界観を目指したという。それはアルゼンチン出身の作曲家ルイス・バカロフによる、およそマカロニらしからぬメキシコ民謡調の音楽スコアにも端的に表れていると言えよう。中でもフォード監督の『捜索者』(’56)を意識していたようだが、そういえばセルジオ・レオーネも『ウエスタン』(’68)ではモニュメント・ヴァレーで撮影をしたり、ヘンリー・フォンダを起用したりするなど、ジョン・フォード作品へのオマージュをひときわ強く感じさせた。そう考えると、後にレオーネが製作(と一部演出)を手掛けた西部劇『ミスター・ノーボディ2』(’75)の監督に、ダミアーニが起用されたことも納得が行くだろう。 なお、本作を機にメキシコ人の山賊やゲリラと白人のガンマンがコンビを組むマカロニ・ウエスタンのサブジャンルが生まれ、『復讐のガンマン』(’67)や『豹/ジャガー』、『復讐無頼・狼たちの荒野』(’68)、『ガンマン大連合』(’70)などの名作が世に送り出されることとなる。■ 『群盗荒野を裂く』QUIEN SABE?: 1966 – M.C.M. di Bianco Manini – Surf Film S.r.l. – All rights reserved –
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COLUMN/コラム2019.10.01
その存在自体が、スキャンダラス…。 「アラン・ドロンの時代」の問題作 『ショック療法』
今年の8月、齢83となったアラン・ドロンが、脳卒中のため入院中というニュースが流れた。2年前=2017年にすでに引退を表明していたドロンだが、今年5月には「カンヌ国際映画祭」で、映画への長年の貢献を称えられて“名誉パルムドール”が贈られ、元気な姿を見せたばかり。 子どもの頃から親しんできたスターの老齢化やリタイアといった話題は、そのまま自分自身の、寄る年波を実感させられる。長く映画を観続けるというのは、そういうことでもある。 さて改めて、1964年生まれの筆者の少年期に、“二枚目”“美男子”と言えば、イコールでアラン・ドロンだった。「アラン・ドロン=二枚目」という認識が、その頃どれほど一般的だったかを説明するには、私が中1の時=1977年のヒットCMと歌謡曲を、例に挙げるのがわかり易い。 当時若手俳優として、人気上昇中だった水谷豊が出演した、「S&Bポテトチップ」のコメディ仕立てのCM。インタビュアーに「ライバルは?」と問われた水谷が、スター気取りで「アラン・ドロンかなぁ~?」と答えながら、コケてみせる。 その年にアイドル歌手としてデビューした榊原郁恵が、「日本レコード大賞」の新人賞を獲った際に披露したのは、「アル・パシーノ+(たす)アラン・ドロン<(より)あなた」。森雪之丞作詞・作曲によるこの楽曲、「アル・パシーノのまねなんかして ちょっとニヒルに 笑うけど…」と始まる。ハリウッドスターとして全盛期で、女性人気も高かったアル・パチーノ(当時はパシーノ表記が一般的だった)に続き、歌詞に登場するのが、フランスの大スターであったアラン・ドロン。 「アラン・ドロンのふりなんかして甘い言葉 ささやくけど…」 こんな風にアイドル歌謡に登場して、聴く者がすぐにイメージできるほど、「アラン・ドロン=二枚目」だったわけである。 因みに当時は、各民放が毎週ゴールデンタイムに劇場用映画を放送していた、TVの洋画劇場の全盛期。その頃確実に視聴率を取れる“四天王”と言われたのが、スティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、ジュリアーノ・ジェンマ、そしてアラン・ドロンであった。 “四天王”と言いつつ、中には出演作がそれほど多くない者も居るし、放送権料の問題もある。つまるところ、最もコンスタントにオンエア出来て「数字が取れる」のが、アラン・ドロンの主演作品だった。 ドロンの出世作と言えば、もちろんルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(1960)。この作品をはじめ、1960年代から70年代はじめまで、ドロンの主演作には、数多の名作・人気作が並ぶ。 イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(60) 『山猫』(63)、フランスのスターとして大先輩の、ジャン・ギャバンと共演した、『地下室のメロディー』(63) 『シシリアン』(69)、ロベール・アンリコ監督による青春映画の金字塔『冒険者たち』(67)、フランス製フィルム・ノワールの最高峰『サムライ』(67)、未だに高いカルト人気を誇る『あの胸にもう一度』(68)、現代の視点からは、チャールズ・ブロンソンとのBL映画とも言える『さらば友よ』(68)、ドロンと共にフランスが誇る二大スターと称されたジャン=ポール・ベルモンドが共演の『ボルサリーノ』(70)等々。1964~66年に掛け、ハリウッド進出を試みて失敗に終わるという“蹉跌”はありながらも、豪勢なラインアップと言えよう。 しかし実は70年前後から、ドロン主演作には、ちょっと微妙な作品が増えてくる。プレイボーイとしても知られるドロンだが、かつての婚約者ロミー・シュナイダーと共演した、『太陽が知っている』(68)、当時の愛人ミレーユ・ダルクとの同棲生活を再現したような、『栗色のマッドレー』(70)、5年間の結婚生活の末69年に離婚した元妻ナタリー・ドロンと意味深に共演した、『もういちど愛して』(71)等々。ドロンの私生活を彷彿させる、スキャンダラスな作品群である。 これにはドロンが巻き込まれた、「マルコヴィッチ事件」の影響があるとも言われる。68年10月、ドロンのボディガードで近しい存在だった、ステファン・マルコヴィッチという男が、射殺体で発見された。ドロンと当時の妻ナタリーは、重要参考人として捜査当局に召喚され、特にドロンは52時間もの尋問を受けることとなった。 その最中に、様々な醜聞が噴出。ドロンとマフィアの癒着、ドロン夫妻とマルコヴィッチの“三角関係”、マルコヴィッチが経営していた上流階級相手の“社交場”に、大統領夫妻が常連客として出入りしていた等々である。結局真犯人は不明のまま、事件は迷宮入りとなったが、ドロンへの疑惑は残った。スターとして、致命的なダメージを負ってもおかしくなかったのである。 そこでドロンが打った手は、疑惑の渦中にあった自らを晒すかのように、本人を想起させるスキャンダラスな舞台設定の作品に、次々と出演することだった。そして事件に巻き込まれる以前の作品よりも、多くの観客動員を得ることに、成功したという。 ドロンの70年代前半、その他の出演作をざっと眺めれば、三船敏郎、ブロンソンと共演した『レッド・サン』(71)をはじめ、『暗殺者のメロディ』(72)『高校教師』(72)『リスボン特急』(72)『スコルピオ』(73)『燃えつきた納屋』(73)ビッグ・ガン』(73)『暗黒街のふたり』(73)『個人生活』(74)『愛人関係』(74)『ボルサリーノ2』(74)…。個々の作品の評価はさて置き、やはり粒揃いの60年代と比べると、見劣りするラインアップと言えよう。 そんな中に位置して、しかも飛び切りのスキャンダラスな内容と言えたのが、72年に製作されて本国フランスで公開、日本では73年夏の封切となった本作、『ショック療法』である。 この作品の実質的な主役は、かつて名作『若者のすべて』でドロンの相手役を務めた、アニー・ジラルド。それから12年経って本作では、日々の生活に疲れてしまったアラフォーのキャリアウーマン、エレーヌを演じている。 エレーヌは男友だちの薦めで、リフレッシュのため、海辺のサナトリウムに滞在することになった。そこの主な患者は、社会的な地位が高く、金銭的に余裕がある中高年の男女。そしてサナトリウムの医院長ドクター・デビレを演じるのが、アラン・ドロンである。 海遊びやサウナ、海藻療法などで十分リラックスした後、患者たちが受けるのが、デビレの処方による、“奇跡の注射”。正体不明の注射によって、患者たちは若さと生気を取り戻す。エレーヌもその例外ではなかった。 しかしサナトリウムの職員である、ポルトガルの青年たちが次々と倒れ、中には失踪する者も居て、エレーヌの疑念が募る。更にはここを彼女に紹介したゲイの男友だちが謎の死を遂げるに至って、エレーヌは真実の究明に乗り出す。 世にも魅力的なデビレとベッドを共にし、その隙を見て真相を探る彼女は、やがてサナトリウムの恐ろしい秘密を知る。そんな彼女に、デビレの魔の手が…。 「弱い者を、強い者が喰う」そんな“弱肉強食”思想が描かれているこの作品だが、実は最大のセールスポイントとなったのは、天下の二枚目ドロンのオールヌードであった。製作された72年は、「コスモポリタン」誌に、かのバート・レイノルズが、熊の毛皮に全裸で横たわったヌード写真が掲載されて、センセーショナルな話題になった年。それに負けじと…だったかはわからないが、時流に乗って本作では、患者たちの全裸での海遊びに誘われたドロンが、すべてを脱ぎ捨てて、フルチンで走るシーンがある。 筋肉質で均整の取れたドロンの裸体は、とても美しい。しかし当時の日本では、男性器をそのままスクリーンに映し出すことは、不可能。肝心の部分は、ボカしが掛かった状態でのお披露目となった。 そして劇場公開から4年経ち、水谷豊のCMや榊原郁恵の歌謡曲が話題になった77年の秋に、『ショック療法』はフジテレビの「ゴールデン洋画劇場」で初オンエア。その際も「売り」として押し出されたのは、ドロンのフルチン姿。もちろんボカし入りの…。 77年は、春先に最新主演作『友よ静かに死ね』(77)の公開キャンペーンで、ドロンが久々に来日したことも、大きな話題となっていた。日本のお茶の間的には、ドロン人気が相当に盛り上がった年であった。 しかし実のところで言えば、本国フランスでは、長年ライバルと目されたジャン=ポール・ベルモンドに、人気面で大きく水を開けられるようになっていた。また日本では70年代前半、「東宝東和」や「日本ヘラルド」などの洋画配給会社間で、ドロン主演作の争奪戦が繰り広げられて、上映権料が高騰。それに見合うほどの配給収入が上がらなくなってきていた。 トドメを刺したのが、札束で「東宝東和」「ヘラルド」を出し抜いた、「東映洋画」が配給した、『ル・ジタン』(75)『ブーメランのように』(76)2作の不振。続く「東宝東和」配給の『友よ静かに死ね』公開時のドロン来日は、そんな状況に危機感を抱いてのことだったと思われる。しかしお茶の間の盛り上がりの一方で、やはり興行の方は、思わしい成績を上げられなかった。 ちょうどドロン作品の主な買い手だった「東宝東和」は『キングコング』(76)など、「ヘラルド」は『カサンドラ・クロス』(76)といった“大作路線”に、買い付けの舵を切り始めた頃。「ヘラルド」配給の『チェイサー』(78)を最後に、日本ではドロン主演作が、鳴り物入りで公開される時代は終わったのである。 それから40年以上、いま80代のドロンの近況を耳にしながら、「アラン・ドロンの時代」に想いを馳せてみる。『ショック療法』のような作品は、その内容とはそぐわないが、私のように映画館とTVの洋画劇場の薫陶を受けて育った世代には、もはや甘酸っぱい思い出とも言える。■ 『ショック療法』© 1973 STUDIOCANAL - A.J. Films - Medusa Distribuzione S.r.l.
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COLUMN/コラム2019.09.27
名優ダスティン・ホフマンを引き立てた、“美青年”。 トム・クルーズ20代の軌跡 『レインマン』
26歳のチャーリー・バビットは、ロサンゼルスに住む、中古車のディーラー。車を安く買い付けては、詐欺師顔負けの巧みなトークで、顧客に高く売り付けている。 そんな彼の元にある日、不仲で没交渉だった父の訃報が届いた。チャーリーは恋人のスザンナを連れ、シンシナティの実家を訪れるが、遺言により、父の財産300万㌦が「匿名の」人物に贈られたことを知り、ショックを受ける。 納得がいかないチャーリーは、亡父の友人で財産の管財人となった医師の病院を訪問。そこで、今までその存在を知らなかった、実の兄レイモンドと出会う。 他者との意思疎通が難しい“自閉症”のため、この病院に長らく預けられていたレイモンド。そしてチャーリーは、この兄こそが、父の遺産が贈られた当人だと知る。 チャーリーは遺産を手に入れようと、レイモンドを強引に連れ出す。“自閉症”だが、天才的な記憶力を持つ兄との旅は、トラブル続き。しかし当初は金目当てだったチャーリーに、忘れていた“大切なこと”を思い出させていく。 そして長く離れ離れだった兄弟の絆も、徐々に深まっていくかのように思われたが…。 1988年12月のアメリカ公開(日本公開は翌89年2月)と同時に、観客からも批評家からも圧倒的な支持をもって迎えられた、本作『レインマン』。「第61回アカデミー賞」では、作品、監督、脚本、そして主演男優の主要4部門を制した。 その結果からもわかる通り、“タイトルロール”である“レインマン”=兄のレイモンド役のダスティン・ホフマンの演技が、とにかく素晴らしい。アカデミー賞の演技部門は、伝統的に“障害者”を演じた俳優が有利というセオリーはあるものの、そのリアルな“自閉症”演技は、製作から30年余経った今日見ても、色褪せない「名演」である。 一方で今回初見の方などは、弟のチャーリーを演じた、20代中盤のトム・クルーズの「美青年」ぶりに、驚きを覚えるかも知れない。その演技も、賞賛に値する。父との確執が起因して、傲慢且つ偽悪的に振舞いながら、兄との旅の中で、持ち前の繊細さや優しさが滲み出てくる様など、確実に、ホフマンの演技を引き立てる役割を果たしている。 1962年生まれ、50代後半となった現在は、すっかりスタント要らずの“アクションスター”のイメージが強いトム。しかしこの頃の彼には、そんなイメージは、微塵もなかった…。 元々トムが注目されるようになったのは、『タップス』(81)『アウトサイダー』(83)など、青春映画での脇役。この頃は、80年代前半のハリウッドを席捲した、若手俳優の一団“ブラット・パック”末端の構成員のような見られ方もしていた。 しかし、初主演作『卒業白書』(83)がヒット。続いて『トップガン』(86)が、世界的なメガヒットとなったことで、若手の中では頭ひとつ抜けた存在になっていく。 更に高みを目指すトムが挑んだのは、今どきの言い方で言えば、“ハリウッド・レジェンド”たちとの共演だった。年上の大先輩の演技を間近で見ることによって、彼らの仕事っぷりを吸収しようというわけだ。 その最初の機会となったのは、1925年生まれ、トムより37歳年長であるスーパースター、ポール・ニューマンが主演する『ハスラー2』(86)。ニューマンが若き日に『ハスラー』(61)で演じたビリヤードの名手エディを、再び演じるという企画だった。 ニューマンと、監督を務めるマーティン・スコセッシの熱望を受けて、トムが演じることになったのは、才能はあるが傲慢なハスラーで、エディの弟子となる若者の役。若き日のエディ≒ニューマンを彷彿させるような役どころだが、当初は偉大なニューマンの邪魔になることを恐れ、トムは出演を躊躇したという。 しかしいざ撮影を控えてのミーティングに入ると、ニューマンとトムとの相性は、最高だった。役に必要なビリヤードの腕を磨きながら、リハーサルそして撮影を通じて、交流を深めていった2人。私生活で12歳の時に実父に去られているトムは、ニューマンを父親のように慕った。数年前に28歳だった長男を、麻薬の過剰摂取で亡くしているニューマンにとっても、トムは息子のように思える存在になっていった。 因みにスピード狂で、プロのレーサーとしても実績を残しているニューマンの影響を受けて、その後トムも、カーレースに夢中になる。これはカーチェイスシーンでもノー・スタントを通す、今日のトムの在り方に、繋がっているとも言える。 『ハスラー2』は、大ヒットを記録すると同時に、それまでに6度もアカデミー賞主演男優賞の候補になりながら賞を逃し続けてきたニューマンが、7度目の候補にして、初のオスカー像を手にする結果をもたらした。ニューマンはアカデミー賞の候補になった時点で、トムに電報を送ったという。 「もし、私が受賞したら、オスカー像は私のものでなく、我々のものだ。きみは、それだけの働きをした」 自らは助演男優賞の候補にもならなかったトムだが、その電報には感動の涙を流し、大切に額に入れ、ニューヨークのアパートの壁に飾ったという。 そしてニューマンに続き、トムが共演することになった“ハリウッド・レジェンド”が、1937年生まれでトムより25歳年長の、ダスティン・ホフマンだった。 『レインマン』でホフマンには、当初弟のチャーリー役が想定されていたという。しかし脚本を読んだホフマンが、兄のレイモンドを演じることを熱望したと言われる。 その上でホフマンがチャーリー役の候補として挙げたのは、当初はジャック・ニコルソンやビル・マーレー。こちらのキャストが実現していたら、かなり毛色の違った作品になったであろうが、最終的にはトムにオファーすることとなった。 実は映画界に入りたての頃、トムは友人のショーン・ペンと共に、ビバリーヒルズのホフマン邸の前に車を乗りつけて、呼び鈴を押してみろと、お互いをけしかけ合ったことがあった。結局2人とも怖気づいて、呼び鈴を鳴らすことはなかった。それから数年が経ち、トムは憧れていた大スターのお眼鏡にかない、その弟を演じることが決まったわけである。 しかし『レインマン』の製作は、様々な局面で難航した。まず“自閉症”の男が主役という題材に、製作費を出そうという映画会社がなかなか見つからなかった。 更には、監督交代劇が相次いだ。『ビバリーヒルズ・コップ』(84)や『ミッドナイト・ラン』(88)などのマーティン・ブレストや、あのスティーヴン・スピルバーグ、ホフマンとは『トッツィー』(82)で組んでいるシドニー・ポラックなどが、製作準備に入っては、様々な事情で去っていった。 このような局面にありながらも、ホフマンとトムは、精力的に本作のための取材を進めた。サンディエゴと東海岸の医療専門家に話を聞き、数十人の“自閉症”患者やその家族と面会。患者たちと一緒に、食事やボウリングをしたりなどの交流を行った。 因みにホフマンが、“自閉症”ながら天才的能力を持つ、レイモンド役のモデルとして参考にしたと言われるのが、キム・ピーク氏(1951~2009)。本作の中でレイモンドが、宿泊したホテルの電話帳を読み、そこに載った電話番号を全部記憶してしまったり、床にばら撒かれた楊枝の数を咄嗟に言い当てるエピソードなどが登場するが、そのモチーフとなったのは、キム氏が実際に持つ能力だった。 何はともかく、監督が決まらない中でも、この企画が頓挫しなかったのは、熱心なリサーチを続けた、主演2人の情熱があったからこそだと言われる。トムにとっては、「演技の虫」とも言えるホフマンの役作りを間近に見たことは、大いに刺激となった。 そうこうしている内にようやく、それまでに『ナチュラル』(84)や『グッドモーニング,ベトナム』(87)といったヒット作を手掛けてきたバリー・レヴィンソンが、『レインマン』のメガフォンを取ることが決まった。レヴィンソンは本作に関して、チャーリーとレイモンド以外のキャラクターの葛藤を排した、兄と弟の“ロードムービー”という要素を、より強めるという方針を打ち出した。 いざ撮影が始まると、「朝早く起きてエクササイズをして、撮影が終わってからはセリフの練習。寝る前にもう一度エクササイズ。そしてその合間にはとにかくリハーサルをやりたがる」というトムの姿勢に、ホフマンからの称賛がやまなかった。トムは撮影が終わった夜も、ひっきりなしにホフマンの部屋を訪れては、相談を持ち掛けたという。 本作ではホフマンは、基本的には“自閉症”患者として、喜怒哀楽を表すことがほとんどない。一方でそれを受けるトムは、様々な演技のバリエーションを見せないと、そのシーンがもたなくなる。先にも記したが、結果的にホフマンの「名演」も、トムの頑張りがあってこそ、引き立ったわけである。 ホフマンは『レインマン』で、『クレイマー、クレイマー』(79)以来、8年振り2度目のオスカーを手にすることになった。一方で今回もトムは、アカデミー賞の候補になることはなかった。 しかしニューマンに続く、ホフマンとの共演によって、トムのこの時点での“映画スター”としての方向性は、固まった。当然偉大な先輩たちのように、いずれ“アカデミー賞俳優”になることを、視野に入れていたと思われる。 『レインマン』に続いての出演作は、オリバー・ストーン監督の反戦映画『7月4日に生まれて』(89)。ベトナム戦争の戦傷で、車椅子生活を余儀なくされる、実在の帰還兵ロン・コーヴィックを演じたトムは、初めてアカデミー賞主演男優賞の候補となった。 “障害者”を演じると、アカデミー賞が近づくセオリー…。しかしこの年のオスカーは、『マイ・レフト・フット』で、脳性麻痺の青年を演じた、ダニエル・デイ=ルイスへと贈られた。 その後トムは、『ア・フュー・グッドメン』(92)で、ジャック・ニコルソンと共演。アカデミー賞の作品賞、助演男優賞、編集賞、音響賞にノミネートされたこの作品では、自らのノミネートは逃したが、キャメロン・クロウ監督の『ザ・エージェント』(96)では主演男優賞、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』(99)では助演男優賞の、それぞれ候補となった。受賞はならずとも、いずれはオスカーを手にする俳優という評価は、この頃までは揺るがなかったように思う。 そんな中で、自ら製作・主演する『ミッション;インポッシブル』シリーズが、96年にスタート。その時はまだ、「へえ、トム・クルーズって、“アクション映画”にも出るんだ」という印象が強かった。 しかしそれから20数年経って、今や『ミッション…』は、トムの代名詞のようなシリーズに。と同時に彼は、すっかりオスカー像からは遠ざかった、“アクション馬鹿一代”的な存在のスターになっていた。 ここで比較したいのが、初のノミネート時のライバルで、トムを破ったダニエル・デイ=ルイス。彼はその後、靴職人になるための修行で2000年前後に俳優を休業するも、『ハスラー2』のスコセッシ監督に乞われて、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02)で復帰と同時に、いきなりオスカー候補に。 その後『マグノリア』のポール・トーマス・アンダーソン監督の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 (07)、スピルバーグ監督の『リンカーン』(12)で、2度目・3度目の主演男優賞を獲得。アカデミー賞史上で唯一人、主演男優賞を3度受賞するという偉業を成し遂げた。 アカデミー賞を度々獲るような俳優の方が、高級なキャリアというわけでは、決してない。しかしポール・ニューマンやダスティン・ホフマンといった名優に実地で学びながら、明らかにそちらの方向を目指していたであろうトムの歩みは、どこから大きく違っていったのであろうか? 世界各国でカルト宗教と目される「サイエントロジー」を、トムが熱心に信仰するようになったことと、無関係とは言えまい。一流の“映画スター”でありながらも、いつしかスキャンダラスな印象が拭えなくなっていったのが、こうした歩みを選ばせたのか? しかしそれはまた、別の話。稿を改めないと、とても語り尽くせないことである。■ 『レインマン』© 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. 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COLUMN/コラム2019.09.27
自由を求めたコッポラ監督が設立した「ゾエトロープ」で自由自在に撮った“自分探しの旅”
今回はフランシス・フォード・コッポラ監督の『雨のなかの女』という1969年の映画です。コッポラが設立した製作会社ゾエトロープの第1回作品です。それまでのハリウッドの映画会社によるシステムから離れて、完全に独立のプロダクションを立てて映画を作ったんですね。『雨の中の女』のヒロインは、シャーリー・ナイト演じる専業主婦ナタリーで、ある日突然、母親になって家庭に埋没していく人生が嫌になって、夫に黙って車に乗って家出します。そして、ニューヨークからペンシルバニア、ウエストバージニア、テネシー州のチャタヌガ、ケンタッキー、ネブラスカ……というルートであてもなくアメリカを放浪していくロードムービーです。 『雨の中の女』はキャスティングの段階から、学生時代のジョージ・ルーカスが密着してメイキングを撮影し、今でもYouTubeで観ることができます。それを観るとわかるのは、撮影隊がヒロインと実際に旅をしながら、その場でロケハンをして、即興的にシーンを作っていく方法で撮られたことです。つまり、『雨の中の女』は、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(60年)のような、自由で実験的な映画なのです。 コッポラは、ゴダールに代表されるフランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を強く受けて映画を撮り始めましたが、ハリウッドのメジャーであるワーナー・ブラザースに雇われて、『フィニアンの虹』(68年)というミュージカル映画を作らされてショックを受けました。とにかく撮影所の年老いたベテラン・スタッフが頑固で言うことをきかない。何十年もやってきた撮り方を固守するから、映像がどうしても古臭いんです。 もうハリウッドはダメだ、と思ったコッポラは自分の映画スタジオを立ち上げて、低予算で自由気ままに撮ることにしました。それが『雨の中の女』です。 ヒロインはコッポラ自身の母親をモデルにしています。だからイタリア式の結婚式の回想が入るんです。イタリア系の家庭は男尊女卑がひどくて、特に1950年代まで、女性は専業主婦として、家事と子育てする以外の人生がなかった。それでコッポラの母親は「私って何?」と絶望して家出したそうです。モーテルに一泊しただけで、あきらめて家に帰ったそうですが、『雨の中の女』のヒロインは愛を求めてアメリカの南部や中西部に入っていきます。 彼女はヒッチハイクしていた、たくましい元フットボール選手(ジェームズ・カーン)を拾います。カーンはコッポラの大学時代の友人なのでキャスティングされたんですが、実際に元フットボール選手です。夫以外に男を知らないヒロインは野性的なカーンと一夜の情事を体験しようとしますが、できません。カーンは試合中の事故で脳が壊れていたのです。 次にヒロインは優しい白バイ警官(ロバート・デュヴァル)を好きになりますが、彼も思っていたのとは違う男でした。 原題の「レイン・ピープル」とは、雨に流されて消えてしまう人々、涙でできた悲しく孤独な、この映画の登場人物たちを意味します。 自分自身を探してさまようヒロインには、ハリウッドをはぐれて自由を求めながら、この映画を撮影するコッポラ自身が重ねられています。 『雨の中の女』は興行的には成功しませんでしたが、この映画のジェームズ・カーンとロバート・デュヴァル、それにイタリア式結婚式が、コッポラの代表作『ゴッドファーザー』(72年)につながっていったのです。 ということで、巨匠コッポラの原点、『雨の中の女』、ぜひ、ご覧ください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●シャーリー・ナイト演じるナタリーは妊娠している設定だったのは、ナイトが実際に妊娠していたから。●ロバート・デュヴァル演じるゴードンが失った妻を回想するが、その妻を演じたの監督夫人エレノア(ノー・クレジット)だった。●フィルム・スクールを卒業したてのジョージ・ルーカスが撮影に密着して、後にこの撮影風景を短編『Filmmaker』(68年)に仕上げた。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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NEWS/ニュース2019.09.27
10月特集:「狼よさらば」シリーズ一挙放送 朝までブロンソン を記念し ブロンソンズ(みうらじゅん、田口トモロヲ)による番宣&オーディオコメンタリー放送決定!!インタビュー全文掲載!!
\10/4(金)は朝までブロンソン/ 「狼よさらば」シリーズ一挙放送!! ●『狼よさらば』21:00~22:45 © 1974, renewed 2002 StudioCanal Image. All Rights Reserved. チャールズ・ブロンソンが、犯罪被害者遺族にして、街の悪党どもを殺しまくる闇のヴィジランテ(自警団)ポール・カージーに扮した「デス・ウィッシュ」シリーズの第1作目。●『ロサンゼルス』22:45~深夜 00:30 © 1982 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved チャールズ・ブロンソン主演『狼よさらば』の8年ぶりとなる続編。前作からさらに過激になったバイオレンス描写や処刑人ブロンソンの凄みが圧巻。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが初めて映画音楽を担当。●『スーパー・マグナム』深夜 00:30 ~02:15 © 1985 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 警察が悪党を殺らないならオレが殺る!というヴィジランテ映画の原点『狼よさらば』シリーズ。当初の“法と正義の間のジレンマ”というテーマを卒業し、この第3弾は悪党を倒しまくる痛快アクション映画へと進化した。●『バトルガンM-16』深夜 02:15 ~04:00 © 1987 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved チャールズ・ブロンソン主演『デス・ウィッシュ』シリーズ第4弾。処刑人ポール・カージーの武器がロケットランチャー付のM16自動小銃にパワーアップし、麻薬組織の悪党たちに容赦ない復讐バイオレンスを見舞う。●『DEATHWISH/キング・オブ・リベンジ』深夜 04:00 ~06:00 © 1993 DEATH WISH 5 PRODUCTIONS, LTD.. All Rights Reserved 70歳を超え俳優業を引退していたチャールズ・ブロンソンが、代表作『デス・ウィッシュ』シリーズに自ら幕を降ろすため復帰。銃撃戦以外の多様な処刑方法を魅せ、さらに粋な名セリフでシリーズを締めくくる。 放送詳細はこちら⇒https://www.thecinema.jp/tag/102 ★ブロンソンズ オフィシャルインタビュー 【ブロンソンズを結成してから20年以上。しかし二人でブロンソン作品のオーディオコメンタリーを行うのは初のことだそう。】 みうらじゅん(以下みうら):初めてというか、コメンタリールームにオヤジ二人が閉じ込められて一緒に映画を観るなんてことはそうそうないですからね(笑)。そういう意味では初めてだったと言えますね。田口トモロヲ(以下田口):非常にまれな体験をさせていただきました。ただやっていることはいつもブロンソンズ内で行われているブロンソン会議と同じですからね。みうら:未来に向かっての会議の一環だと思うんですけど。今まで会議はしこたまやりましたからね。どうしたらブロンソンが雑誌の表紙になるかとか。そういう大きなお世話なことまで考えていたんで。この収録の後も二人で飲みに行こうと思ってるんですけど、きっと同じ話が続くだけなんです(笑)。なんならブロンソンズの初CDを出した1995年から話の内容は何にも変わっていないし。トモロヲさんとは、ブロンソンの話をずっとしているだけなんですよ。ただブロンソンは2003年にお亡くなりになったので。そこからは新作がないんで、同じ話しかしていないんです。田口:もうループですよね。味が出なくなるまで噛み続けているんですけど、でも噛めば噛むほどブロンソンは新鮮になってくるんですよ。だから今日も新鮮でしたね。【そんな二人が好きなブロンソン作品とは? やはり甲乙つけがたい?】田口:いや、生前からかなり明確に甲乙はつけてますね(笑)。みうら:ブロンソンの作品は明確なんですよ。名作、そうでもない作品とハッキリしています(笑)。田口:でもやっぱり絶頂期の「狼の挽歌」と「狼よさらば」あたりじゃないですかね。ヴィジランテという、自警団ものの元祖なので、そこは映画史的 に押えてももいいんじゃないかなと思いますが。 みうら:「狼よさらば」はブルース・ウィリス主演で最近リメイクもされていますからね。そこは基本ですよね。田口:ブロンソン学校に入りたいならそこは外せないですよ。みうら:入りたくない人は「チャトズ・ランド」までを見る必要は一切ありませんから(笑)。田口:必要ないですね。だからカッコいいんですよ。みうら:このチームをやってから、初期の名作だけでなく、80年代90年代のアクション一筋なブロンソン作品も面白いと気付いた具合です。田口:50過ぎてまだアクションをやっているということがグッとくるんですよね。みうら:今回放送する「デス・ウィッシュ」シリーズの最後となる「DEATH WISH/キング・オブ・リベンジ」では70を超えていますからねブロンソン。そこを含めて男気と呼んでいるわけです。田口:本当にブレがない。みうら:チャールズ・ブレンセンだよね。田口:ブレンセンって原型がもう分からないね(笑)。【そんな二人が考えるブロンソンの魅力とは?】 田口:顔ですね、あの顔はやっぱり革命ですよね。顔を見ているだけで充足しちゃいます。みうら:もはやブロンソンの“顔力映画”ですからね。あんな超人顔されてる人って今、いないですからね。田口:人類の原点に近いと言ってもいい。みうら:ですね(笑)。僕らも初ブロンソンはだいぶ戸惑いましたから。田口:価値観が転換したからね。それがカッコいいんだという。みうら:「さらば友よ」という映画で、当時、世界一男前と言われていたアラン・ドロンと共演したんですけど。最後の最後、ブチャムクレが食うんだよね。ブチャムクレの方が断然カッコいい!あの時代に価値観が変わったんですよ。田口:それをブロンソン業界では「ブロンソン革命」と呼んでいるんです。【ブロンソン未経験の人にメッセージを】みうら:まずはブロンソン未経験は羨ましいですね、もはや。知らないことはすごいことなんで。僕らは一番多感な時期に、マンダムのコマーシャルとかで日本でも大ブレイクしていて、知っていましたからね。ああいう顔力のある方が天下を取っていた時代を知らない人がどう感じるのか、逆に知りたいですね。田口:今だと顔面放送禁止みたいな状態の人がポンと主役で出てるっていうことのすごさというか、時代の許容力というか。革命的な時代だったんですよね。ブロンソンの顔も誰もやったことがないから。みうら:確実に70年代に新しい価値観が生まれたんですよ。でもそれからまた今は元に戻って、イケメンの時代になったじゃないですか。でもブロンソンの前もハリウッドはイケメンだったから。ブロンソンが革命を起こしたことになります。田口:夢がありますよね。それでブロンソンを掘っていったら、「常に愛妻と共演する」とか、映画を私物化していることが分かって。これは面白い人物だなと言いながら、また酒が進むんです。みうら:そんな話を、そのままオーディオコメンタリーしてますから。もう忘れたかのように同じ話ね。田口:ループオンです。キープオンのさらに上をいくループオンの状態に入りましたね。みうら:しかも老化もあるから、いつも初めて聞いたように盛り上がるんですよ(笑)。“老いるショック”もしめたもんなんです。田口:何回観ても新鮮ですからね。みうら:だからまずはオーディオコメンタリー付きで観て欲しいんですよね。そこから入られるのも良いかと。オーディオコメンタリーで言ってたことは、ちょっと違った見方のブロンソン入門ですから。田口:映画って自由に観ていいんだっていうことを発見すると思います。だから妄想なんですよね。データじゃなくて、思い込みで語っているので。そういうことをキャッチしていただければと思います。--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------<ブロンソンズ プロフィール>ともに文化系であるみうらじゅんと田口トモロヲが、チャールズ・ブロンソンの男気に憧れて結成したユニット。雑誌『STUDIO VOICE』に人生相談コーナー「ブロンソンに聞け」を連載し、1995年にはこれをまとめた単行本『ブロンソンならこう言うね』を刊行。同年、マンダムのCMソングとして有名なジェリー・ウォレスの『男の世界』をカバーしたシングル『マンダム 男の世界』を発表した。1997年には、アルバム『スーパーマグナム』を発表している。2017年、『POPEYE』連載の「ブロンソンに聞けRETURNS」を『男気の作法』として刊行。現在『Tarzan』に移動し、峯田和伸(銀杏BOYS)をメンバーに加え連載中。
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NEWS/ニュース2019.09.19
9/27(金)公開『パリに見出されたピアニスト』。YouTuber からクラシック奏者へ??主人公が才能を見出されたきっかけになったバッハの超難曲をムックが生演奏!
9/27(金)公開『パリに見出されたピアニスト』。YouTuber からクラシック奏者へ??主人公が才能を見出されたきっかけになったバッハの超難曲 を ムック が 生 演奏!初クラシックに挑戦、リサイタル開催!!“いつか私もパリでピアノを弾いてみたいですねぇ" 9月 27 日(金)より公開される映画『パリに見出されたピアニスト』(配給:東京テアトル)。 生い立ちに恵まれず夢を持たずに生きてきた青年マチューと、彼をピアニストに育てようとするふたりの大人の物語を描いた、音楽への情熱と愛に満ちたヒューマンドラマです! パリ北駅に設置されているピアノを演奏しているマチューの姿を見た音楽学校のディレクターがその才能を見いだすシーンから始まり、やがて教師の指導を受けながら国際コンクールに挑戦するという、数々の名曲に彩られた感動のサクセス・ストーリー! 『パリに見出されたピアニスト』の大ヒットを祈念して、YouTuberの「音楽家ムック」として大人気のムック が登壇したイベントが、サンシャインクルーズ・クルーズにて行われました! 映画は、主人公マチュー がパリ北駅に設置されたピアノで、難易度の高いクラシック曲をさらりと演奏し、それをたまたま目にした音楽学校のディレクターによってその才能を見出される場面から始まります。 ムックがYouTuber として人気になったきっかけは、今年 2 月 17 日 にアップされ、現在 視聴回が2000万回超えという驚異的な数字を叩き出している “【音楽家ムック】街中で突然、米津玄師の Lemon 弾いてみた!!"で、これは横浜市関内の地下街に設置されたストリートピアノで、ムックがサプライズ演奏をしたもの!ストリートピアノ(別名:駅ピアノ、街ピアノ)は、ここ1~2 年メディアで何度も取り上げられ、ムックの他にも、ストリートピアノを演奏するYouTuber が出てくるなど、日本でも急速に定着しはじめている人気のトピックですが、この度、映画の主人公マチューと同様に、ストリートでそのピアニストしての才能を見出されたというつながりで、ムック が イベントに登壇した~!というワケです! 何とムックは、主人公マチューに負けじと初めてクラシック曲に挑戦。しかも曲目は、マチューがその才能を見出されたきっかけの映画の冒頭で演奏する 「 J.S. バッハ : 平均律クラヴィーア曲集 第 1 巻 第 2 番 ハ短調 BWV847 」! この曲は、 “ピアニストの旧約聖書 との異名を持つ、最高のピアニストたちさえもひれ伏す練習曲と言われる、超絶難曲。運指が複雑で細やかでスピードもある難しい曲を 2 分程度に短くアレンジしたムックバージョンを披露し、集まった 取材陣の度肝を抜きました! 演奏後、いったん毛並みを整える為に退出したムックが、フランス国旗を手にもって再登場。演奏したばかりで興奮が冷めやらぬムックによる、トークも行われました! 以下、トークショーの書き起しをご紹介! ----------------------------------------------- ・素晴らしい演奏をありがとうございました。初めてクラシックに挑戦されてみて、いかがでしたか? =ありがとうございました。緊張しましたよ。ストリートピアノとは全然違いますよ。クラシックの音楽というのは、全ての音楽の礎になっているといいますか、歴史あるものですから、身の引き締まる思いで挑戦させていただきましたよ。 本当に緊張しました。上手くいって良かったです。 ・ムックさんも、『パリに見出されたピアニスト』をご覧いただいたそうですね。 =いやー、いい映画でしたよ。面白かったですよ。主人公マチューが駅のストリートピアノをきっかけに、みんなに知ってもらえるようになるというか、サクセスしていくわけで、私もストリートピアノでまさかあんなに沢山の人に聞いてもらえるとは思ってもいなかったので、重なるものがありました。 まさか 2000 万回も再生されるなんて、もちろん思ってもいませんでした。ちょっと面白いかなと思ってやってみたら、まぁ色々な方が話題にしてくださって、ニュースにも取り上げていただいて、びっくりしましたよ。ありがたいですね。 ・今回クラシックに挑戦しましたけど、今後もストリートピアノも続けられるんですか?これから他に、 挑戦したいことや叶えたい夢はありますか? =もちろんですよ。弾かせてくれるところがあるなら、全国どこでも、何ならパリに行ってみたいですねぇ。ぜひ私をパリに!お願いいたします。パリでピアノを弾くなんてとっても良いですけれども、パリに限らず、色々なところで、全国、世界中でピアノを弾かせてもらえたら嬉しいですね。そうしたら色々な人に会えるでしょう。いつかは私、ソロコンサートもできたら、いいなぁーーなんて思っちゃったりして。うふふふ。みなさん、よろしくお願いします。 ・たにまたクラシックに挑戦するとしたら、どんな楽曲にしますか? =そうですねぇ。色々と弾いてみたい曲はあるんですけど、挑戦ということでいうと、ラフマニノフですかねぇ。映画でも演奏されていますけれど、ラフマニノフのピアノ協奏曲はとっても良い曲なんですけど、あの、難しいんですよねぇ。なかなかそう簡単に、私これを弾きます!とは言えないのですが、挑戦してみたいなぁ。なんて思っております。 ・そんなムックさんに良い情報をひとつ。実は、今日から、この映画の公開を記念して、ピアノ演奏動画の投稿キャンペーンが始まるんです!一般の方も、ストリートピアノを演奏して「東京テアトル映画部」の公式twitterにハッシュタグ「見出されたピアニスト」をつけて投稿いただくと、東京⇔パリの航空券など、豪華パリ賞品が当たるかもしれないんです。 =あーーー、良いじゃないですか。素晴らしい。私も挑戦して良いんですか。私も投稿しようかな。 ・最後に、これから映画をご覧になるみなさまにメッセージをお願いします。 =この映画は本当に面白くて、 私はとっても気に入りました。 主人公マチュー君のサクセスストーリーではあるんですけども同時に、ピアノを通して周りの人たちから、何が大切か気付かせてくれる 温かい映画でもあるんです。人生で迷子になっちゃっている時なんかにこういった映画を観ると、とっても良いんじゃないかなと思うんです。私も 芸歴46年もやっているものですから(あ、でも 5 歳ですよ)、 悩むことも沢山あって、あー今日のおやつをどうしようかなとか食べ過ぎちゃったとか色々。でも、頑張っていると色々なものが見えてきて、みなさん温かいなあとか、みなさんに支えられているんだなと感じられる映画ですから。ぜひお一人でも、ご家族とでも、みなさん、観に行っていただけたらなと思います。私ももう一度、ガチャピンを誘って見に行きたいと思っています。ぜひみなさん観てください。 今日は、こんな素敵な場所でピアノを弾けてとても光栄でした。映画のお話もさせていただけて楽しかったです。 映画がみなさんに届いたらよいな。みなさんありがとうございました。この映画の第二弾はムック編ということで。 大人の方々でよろしくお願いいたしますー。 『パリに見出されたピアニスト』 物語パリ、北駅。奇跡はその場所から始まった。 駅に置かれた1台のピアノ。マチューの楽しみは、自身を追う警察官の目を盗んでそのピアノを弾くことだった。ある日、音楽学校でディレクターを務めるピエールが、マチューの旋律に足を止め、耳を傾ける。その才能に強く惹かれたピエールは、マチューをピアニストに育て上げたいと声をかける。乗り気ではないマチューだったが、ピエールと‟女伯爵“と呼ばれるピアノ教師エリザベスに手ほどきを受けることに。生い立ちに恵まれず、夢を持たずに生きてきたマチューは、周囲との格差や環境の壁にぶつかり、もがきながら、ピアノのみならず自身も成長していく。そして、彼に夢を託したふたりの大人たちもまた、図らずもマチューに影響を受け変化していく。マチューが拓く未来には、一体、何が待ち受けているのだろうかーー。 出演:ランベール・ウィルソンクリスティン・スコット・トーマスジュール・ベンシェトリ監督:ルドヴィク・バーナード 2018年/仏・白/106分/シネマスコープ/カラー/デジタル/字幕翻訳:横井和子後援:ユニフランス 配給:東京テアトル提供:カルチュア・パブリッシャーズ、東京テアトル(C)Récifilms –TF1 Droits Audiovisuels –Everest Films –France 2 Cinema –Nexus Factory –Umedia 2018 9/27(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー