COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
-
COLUMN/コラム2018.12.10
『コンタクト』と『コスモス(宇宙)』の間にあるもの(ネタバレあり)
■科学と信仰の融和をうながす高度なSF映画 1997年に公開された『コンタクト』は、我々が地球外知的生命体と接触したときに起こりうる事態に熟考を巡らせ、科学と信仰というテーマを尊重して扱ったハイブロウなSF映画だ(それはSFという言葉ですらも陳腐に感じさせる)。『2001年宇宙の旅』(1968)と同様、膨大な科学的根拠に基づく構築がなされ、このジャンルに知性を回復させている。その価値は公開から20年の間にスペースサイエンスが更新され、同テーマを受け継ぐ優れた後継作(『インターステラー』(2014)『メッセージ』(2016))があらわれようとも、まったく色褪せることはない。 ジョディ・フォスター演じるエリナー"エリー"・アロウェイは「我々は宇宙で一人ではない」という信念のもと、SETI(地球外知的生命体探査)計画を推進する電波天文学者。彼女は文明を持つエイリアンの存在に確信を抱いており、その実証を得るべく地球外からの信号をスキャンし、メッセージの受信を待機している。 そしてある日、ついに彼女は26万光年彼方のヴェガから発信される素数信号をキャッチし、信号は解読へと運び込まれていく。電波の中には惑星間航行を可能にするポッドの設計図が仕込まれており、それを建造してエイリアンとのコンタクトを図ることになるのだ。だがこうした行為が、世界における科学と信仰の議論を活性化させていくのである。 ■カール・セーガン博士の信念 物語の最後、エリーは子ども時代からのクセだった膝をかかえて座る姿勢をやめ、足を伸ばしてグランドキャニオンの岩場に座っていることに観る者は気づかされるだろう。彼女のこのクセは幼少時代、父親の葬儀のときから兆候を見せている。つまり父の死は神のみぞ知る運命ではなく、過失なのだというエリーの宗教的懐疑論者としての立場を体現するものだ。プロローグでその座りかたをしなくなったということは、彼女の心境の変化を暗示している。 ポッドに乗り込んだエリーは知的生命体の存在を示す驚異的な体験によって、科学者としての合理性だけでなく神秘主義を受け容れていく。そして「真理を求める」という点において科学と信仰は共通なのだと、映画は両者の融和を唱えて終わるのである。 『コンタクト』の物語が美しいのは、こうして映画が広大な宇宙への探求や、宗教科学の論議といった大きな物語を、主人公の「自己探求」というミニマルな主題ヘと換言していく点にある。物語の冒頭、無限に拡がる宇宙が幼少時代のエリーの瞳へとシームレスに重なるシーンで、物語は先述の要素を早い段階から示しているが、それを布石として最後を締める円環構造がきわめて美しく、そして洗練されている。 なによりもこの「自己探求」は、原作者であるカール・セーガンが強く唱えていた信念でもある。自身が構成し進行を務めた宇宙科学ドキュメンタリー『コスモス(宇宙)』(1980)を筆頭に、メディアを通じて地球外知的生命体の推測にあらんかぎりの可能性を感じさせてくれた稀代の天文学者は、自身の原作小説をもとにしたこの映画にアドバイザーとして関わっている(セーガン博士は本作公開前の1996年に死去)。 『コスモス』は氏の天体的な理想や理論を拡げ、それを観ている視聴者に宇宙に対する目を見開かせたテレビ番組だ。恥ずかしながら少年時代の筆者もそのひとりだが、そうした種の人間にとって『コンタクト』は、エリーの「自己探求」を、より感動的なものとして捉えさせてくれる。 というのも、この番組の最終章となる「地球の運命」の中で、セーガン博士は地球外知的生命体の可能性について、 「宇宙では化学元素や量子力学の法則も共通であり、生物はその同じ法則のもとに生息しているはずだ」 と仮定し、生物構造や言語が異なる宇宙人のメッセージを解読する方法として、そこには科学という共通の言語があると雄弁に語っている。そして知性を持つ生命体の誕生を探求することは、ひいては地球人の存在を紐解くことへとつながるとセーガン博士は結ぶ。 すなわち知的文明を探す旅は、私たち自身を探す旅でもあるのだ、と——。 『コンタクト』は、このようにセーガン博士の原作を元にしながら、同時に氏の信念に基づく製作がなされ、偉大な天文学者へのあらん限りの賛辞にあふれている。ちなみに映画の最後にエリーが砂を手にするが、これは「宇宙への探求は、広大な砂場のたった一粒を探すようなもの」という『コスモス』の作中で幾度となく繰り返されたメッセージの暗喩だ。 ただ本作について語るとき、劇中に出てくる奇異な日本描写などの瑣末に目を奪われ、我が国ではいまひとつ肯定的な意見に乏しい印象がある。また同時期の公開作に『ロストワールド/ジュラシック・パーク』や『タイタニック』(1997)といった話題作が目白押しだったことから、これらの間に埋もれたようにも感じられ、正当な掘り起こしも浅いまま現在に至っている。加えて後年、本作の映画化初期プロジェクトに関わっていたジョージ・ミラー(『マッドマックス』シリーズ)が「わたしのやろうとしていたものよりもワーナーは安全な製作をとった」とする発言などもあり、風向きもいまひとつ良好とは言えない。なので、自分こそが本作最大の理解者であると主張するつもりは毛頭ないものの、ゼメキス版『コンタクト』の復権に少しでも貢献できればさいわいである。 ■他作に散見される『コンタクト』の影響 そんな『コンタクト』だが、個人的には経年をへて、その価値を実感することがある。それは本作を構成する要素が、後続作品にエッセンスとして流用されているところだ。 実近だと2016年に公開され、怪獣ゴジラをハードに再定義した傑作『シン・ゴジラ』にそれを見いだすことができる。たとえば同作の劇中、ゴジラの擁護を唱えるデモ団体が官邸前で反対派と対立するシーンは、『コンタクト』でVLA(超大型干渉電波望遠鏡群)に押し寄せる運動団体の描写や、ひいては科学者と宗教家の対立を彷彿とさせるものだし、矢口(長谷川博己)に会いに来た米国特使のカヨコ・パターソン(石原さとみ)が着替えをせずに横田基地に来たのだと告げ「ZARAはどこ?」とファッションブランドを訊ねるシーンは、同作で政府と顧問団との懇親パーティに出るため、エリーがコンスタンティン調査委員(アンジェラ・バセット)に「素敵なドレスを売っているブティックを知らない?」と訊ねるシチュエーションからの影響が指摘できる。 なにより受信電波から抽出された装置の設計図が、平面ではなく立体で構成されるものだったという設定は、ゴジラの構造レイヤーの解析表が立体によって解読がなされたところと瓜二つだ。それらをもって『シン・ゴジラ』が『コンタクト』からエッセンスを拝借したと主張するのは短絡的だが、数多くのクラシック映画からの引用が見られる『シン・ゴジラ』だけに、『コンタクト』もそれらのひとつとしてあるのを否定することはできない。 しかし、こうしたアイディアの共有はとりもなおさず同作の価値を立証するもので、むしろ『コンタクト』が他者に影響を及ぼす優れた作品だという論を補強するうえで心強い。庵野秀明総監督は、とりわけ強力な支援者として賛辞を贈りたい気分だ。『コンタクト』の劇中「わたしたちは孤独ではない」と唱えたエリーのように。◾︎ © Warner Bros. Entertainment Inc.
-
NEWS/ニュース2018.12.09
町山さん自身が披露@コミコン! 来年1月〜3月の『VIDEO SHOP UFO』ラインナップ
先週12月1日、東京コミコンのメインステージにて『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』の公開収録が行われました。12月のセレクト・タイトル『ミュータント・フリークス』の映画本編前解説と、映画本編後用の解説をあわせて収録。ステージは立ち見の盛況っぷりでした。視聴者の皆様は12月20日からの放送回でその模様はお楽しみください。 その収録終了後、会場の別のミニステージに場所を移して(ここも立錐の余地なしでした。ご来場の皆様、ありがとうございました!)、来年1月以降のラインナップも解禁。3月までの3本についても町山さんにご紹介いただきましたので、その模様をこの場でもご披露します。 ちなみに『VIDEO SHOP UFO』とは番組名。LAに超マニア向けビデオ店があり、そこの店長が町山さんという設定。町山店長が激レア映画(ソフトになってなくて見られないとか、完全に忘れ去られちゃってる、とか)を毎月1本お薦めしてくれる、たっぷり解説も付けて、という趣旨の、映画本編の前と後をサンドイッチして付く、古き良き民放TV洋画劇場形式の映画解説番組です。月々の該当作品にはタイトルに【町山智浩撰】と付けてます。バックナンバーはこちら。 さあ、ここからがトークショーの模様です。お相手はVIDEO SHOP UFOのバイト君です。では、どうぞ! ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ ◾︎ 町山店長「どうもよろしくお願いします。お客さん多すぎですね。トムヒ※と間違えてませんか? こっちは トモヒロですよ」 (※コミコンの来日ゲストとしてトム・ヒドルストンが来場中で、向かいのサインコーナーで撮影会などをしていた) バイト君「メインステージお疲れ様でした。『ミュータント・フリークス』は今月後半にやりますが、その先のラインナップを3ヶ月分、この場では発表していただきましょう。まず1月が『哀しみの街かど』ですね」 町山店長「主演はアル・パシーノですけど、彼の初主演作なんです。この映画、僕が子供の頃はTVで何回も何回も放送してたんですが、今では地上波ではとても放送不可能な内容ですね」 バイト君「なのでザ・シネマでは今回、R15相当に指定して放送するんですよ。15歳未満の方は視聴禁止です」 町山店長「タイトルも『哀しみの街かど』なんていうとラブストーリーみたいですけど、原題は『パニック・イン・ニードルパーク』というんですよ。『針公園』というのは、1960年代にニューヨークに実際にあった公園で、そこにはいつも麻薬中毒患者が集まっていて、ヘロインを打つ注射器の針がいっぱい落ちてたんですね。『パニック』というのは麻薬の供給が切れて売人が麻薬を売らなくなると、中毒者たちが禁断症状でパニックに陥ることを意味しています。どこが『哀しみの街かど』やねん!っていう内容なんですよ(笑)。これ凄いのは、麻薬を注射するディテールを緻密に撮影してるんですよ」 バイト君「でも結局、この人たちって、堕ちるところまで堕ちていくじゃないですか。だからやっぱり、“ダメ。ゼッタイ。”っていうのがこの映画のメッセージですよ」 町山店長「まぁ、そりゃあそうなんですが、全部演技ですからね。ヘロインじゃなくてブドウ糖を打っているらしいんですが、肌がボロボロになって、目が虚ろになっていくリアリティが凄いです。これでアル・パシーノは物凄く評価されて、『ゴッドファーザー』の主演にいきなり抜擢されることになったんです。 この映画は本当に辛い辛い映画で、何も良いことが無いんですが、麻薬中毒の悲惨さをこれほど詳細に描いた映画も珍しいですよ。麻薬中毒とは一体何か、それ自体がテーマで、一切オブラートに包まないで、真正面から現実を見せます。音楽すらまったく無くて、演出もザックリと甘さがなく、ドキュメンタリーにしか見えない。 キティ・ウィン扮するヒロインが途中で真面目になろうと思ってコーヒーショップで働き始めるんだけれど、麻薬でボロボロになっているから、勘定ができなかったり、注文を覚えられなくて、結局麻薬中毒に戻っていったり。で、お金がないから体を売るんですが、最初、アル・パシーノは「俺という男がいるのに!」と怒るんですが、だんだんと麻薬のほうが大事になってきて、自分から彼女を売るようになって、彼女の方も彼を売って、どん底に落ちていくんですよ。 あと、ラウル・ジュリアが出ていますね。『アダムス・ファミリー』のお父さんですけど、デビュー作に近いですね、彼もこの映画が」 バイト君「彼女が最初に付き合ってたのがラウル・ジュリアなんですよね」 町山店長「この映画は今では忘れられていますが、マニアの間では物凄く人気があって、中古ビデオにはプレミアがついてたりしますね。ザ・シネマで観た方が安く済むと思います(笑)」 バイト君「次の2月が『モンキーボーン』です」 町山店長「これ、ヘンリー・セリックという、ストップモーション・アニメの巨匠の唯一の実写作品なんです。ただ、闇に葬り去られてしまって、ほとんど見ている人いないと思います。 ヘンリー・セリックは、ティム・バートンが製作した『ジャイアント・ピーチ』や、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の本当の監督ですね。その後『コララインとボタンの魔女』でアカデミー賞にノミネートされます。 ただ、この『モンキーボーン』は、製作会社の20世紀FOXの経営体制が変わる時にちょうど当たってしまって、撮影中にセリックは監督をクビになり、ロクに宣伝されないまま公開されたんで、あまり観ている人はいないんですけれども、凄い面白い映画なんですよ。 ブレンダン・フレイザー扮する漫画家が、モンキーボーンという猿の形をしたキャラクターの漫画を描いたらアニメ化されて大ヒットします。フレイザーは真面目で気の弱い漫画家なんですけども、彼の中に秘めている暴力性とか性的な欲望をモンキーボーンに託して表現していたんですね。ところがモンキーボーンが暴走して、作者フレイザーの肉体を乗っ取って、フレイザー自身の人格を『ダークタウン』という名前の地獄のような世界に閉じ込めてしまう。だから、彼はそこから脱出して、自らの欲望の具現化であるモンキーボーンと戦わなければならないっていう話なんです。そうしないと、婚約者のブリジット・フォンダをモンキーボーンに盗られちゃう訳ですよ。モンキーボーンっていうのは、英語のスラングでチン×ンのことです」 バイト君「ち×ちん?」 町山店長「つまり、彼自身のペニスの象徴であるモンキーボーン君に、恋人を寝取られるという、非常に象徴的な、面白い話なんですよ。 途中で監督が替わっているから、ぎこちないところもあるにはあるんですが、クライマックスのドタバタシーンはめちゃくちゃおかしくて、死ぬほど笑いますよ」 バイト君「ちょっと『ミュータント・フリークス』と似た雰囲気もありますよね」 町山店長「FOXって、途中まで変な映画を作らせておいて、『やっぱりこれはダメだ!』って、お蔵入りにしちゃうことがよくあるんですね。でも、『ダークタウン』のピカソの絵のようなシュールなビジュアルは本当に素晴らしいし、そこで主人公を助けるローズ・マッゴーワンの演じる猫娘がまた健気で可愛いいんですよ。ケモナーの人も是非見ていただきたい映画ですね」 バイト君「そして3月が『かわいい毒草』です。これは目玉タイトルですね」 町山店長「でもこの画像、ちょっと画質悪いよ?」 バイト君「悪いんです…」 町山店長「これしか無かったの?」 バイト君「それぐらい激レアな作品ってことです」 町山店長「川喜多映画財団とかでちゃんと当時のスチルを買ってくださいよ。それはともかく、これは本当に珍しい映画ですよ。日本ではDVDはもちろんVHSも出てません。劇場公開時もさっと消えてしまって、テレビの日曜洋画劇場で1971、2年に1回放送したきりです。僕はたまたまそれを観て、一生忘れられない映画になりました。アメリカでも実はずっと幻の映画で、10年くらい前にやっとDVDになって、奇跡と言われたんですよ。 これもまた20世紀FOXの作品なんですが(笑)、この時は経営難にありまして、せっかく作ったんだけど配給や宣伝するお金がなくて、消えちゃった映画なんです。でも、これが大変な傑作。主役はアンソニー・パーキンスなんですが、彼は『サイコ』というヒッチコックの映画で… ↓↓↓↓↓↓↓↓この後『サイコ』のネタバレに言及します↓↓↓↓↓↓↓↓ 二重人格の殺人鬼を演じたんですね。って『サイコ』のネタバレしてますけど(笑)、あの役が強烈すぎて、演じたパーキンスまで変態じゃないかと思われて、ハリウッドで仕事が無くなって、ヨーロッパ映画に出ていたんですね。で、10年ぐらい経って、そろそろいいんじゃないかと思ってハリウッドに帰ってきて撮った映画がこの『かわいい毒草』なんです。が、役がいきなり、精神病院から出てきた青年という役で、何のためにヨーロッパに行ってたのかわからない(笑)。『サイコ』の続編みたいな話なんです。 パーキンスは誇大妄想症で、放火事件を起こして精神病院に入っていて、だいぶ良くなってきただろうということで退院して、働き始めたところで、チューズデイ・ウェルド扮する美少女と出会います。で、パーキンスは、彼女にいいところ見せようとして、僕は実はCIAのスパイなんだ、国を守るミッションに協力して欲しいんだと言うんですが、何と彼女の方が100倍上手の、“基地の外”に出ちゃった人だった。で、大変な連続殺人に発展していくという話なんです」 バイト君「これ、この写真が悪すぎるんですけど、チューズデイ・ウェルドって凄い可愛いんですよね」 町山店長「物凄い可愛いんです。実は当時25歳で1人の子持ちなんですが、童顔なので高校生役でも違和感ないです。チューズデイ・ウェルドは少女モデル出身で、アメリカでは1950年代にセブンアップの広告に出て大変な人気になったんですが、本人はステージママにコキ使われて、グレて、中学生くらいの年齢からセックスやアルコールで大変なことになっていました。子役の転落をそのまま絵に描いたような人で、最終的には母親と決別するんですが、そういった本人のドロドロの人生をそのまま反映したような怖い話なんですよ。 監督はノエル・ブラックという人で、残念なことにこれ1本なんですよ。今では天才と言われているんですけどね。単なるサスペンス映画ではなく、チューズデイ・ウェルドという『かわいい毒草』を、アメリカのポップカルチャーや、環境破壊の問題にまで広げている刺激的な作品です。これが今回の目玉です」 バイト君「で、この番組ですけど、前解説というのがあって、だいたいこんな映画ですよ、っていう、今いただいたお話のようなものが映画の前に付いて、そこから本編をご覧いただいて、本編が終わった後には後解説というのもあるんですよね」 町山店長「やっぱりネタバレになるから、映画の後半部についての解説は普通できないんですよね。映画の紹介は山ほどあるけど、ほとんど映画を見てない人向けの記事ですよね。でも、見た後の解説のほうが本当は重要なんですよ。映画の結末に作り手のテーマがあるわけだし。昔はテレビの映画劇場で、映画が終わった後、評論家が解説してくれましたが、今はそれがなくなっちゃいましたからね。だから、この番組ではそれを復活させようと。「で、この映画は何だったの!?」という疑問に答えていこうと思いますので、是非ご覧ください!」■
-
NEWS/ニュース2018.12.06
★イベントレポート★『町山智浩のVIDEO SHOP UFO in 東京コミコン』映画『ミュータント・フリークス』を徹底解説!
ザ・シネマがお届けするオリジナル番組「町山智浩のVIDEO SHOP UFO」の公開収録が12月1日、幕張メッセで開催された「東京コミックコンベンション2018」(以下東京コミコン2018)コミコンステージで行われ、大勢の観客が詰めかけた。 ビデオショップ店長に扮した映画評論家・町山智浩が、「今の時代、忘れられかけてしまっている、またはソフトでの鑑賞も困難になってしまっている、しかし大変素晴らしい映画」という条件で作品を厳選、その映画を自ら解説するという本番組。東京コミコン2018で行われた今回の収録は「町山智浩のVIDEO SHOP UFO in 東京コミコン2018」と題して、町山店長がLAより幕張に1日限りの出張開店をするというコンセプトで実施された。 © 2014 Twentieth Century Fox Film Corporation and TSG Entertainment Finance LLC. All rights reserved. 『ミュータント・フリークス【町山智浩撰】』番組情報はコチラ 今回紹介する、幻のカルト映画『ミュータント・フリークス』(ザ・シネマで12月20日(木)に放送)は、元国民的子役だったリッキーたちが、見世物小屋の興行師に監禁されてしまうさまを描き出すブラック・コメディー。「ビルとテッド」シリーズで、キアヌ・リーヴスと共演したアレックス・ウィンターが、トム・スターンとともに共同監督を務めている。この映画のレアさについて町山は「この映画は1993年に作られたんですが、アメリカではNYとロスでひっそりと劇場公開されて、その後は封印されてしまい、劇場公開はされていません。その頃、日本では松竹富士という配給会社が公開しようとして、『東京国際ファンタスティック映画祭』などで上映されましたが、それっきりです。それ以降、少なくとも日本ではDVDになりませんでした」。 本作はハリウッドの大手映画会社20世紀フォックスが制作。キアヌ・リーヴス、ブルック・シールズというトップスターをはじめ、特殊メイクにスクリーミング・マッド・ジョージ、ストップ・モーション・アニメーション界の巨匠デヴィッド・アレンなどそうそうたるスタッフ、キャストが参加した。それにもかかわらず、封印されてしまった。実は観てみると非常に楽しくてバカバカしい映画なんですね。まずとんでもないのが、キアヌが最初から最後までずっと画面に出ているのに、どこに出てるか分からないということ。そして美人女優だったブルック・シールズがとんでもない役をやっているということ。映画が会社が期待する売りを全部破壊するというとんでもない内容だったんです。超大物たちが集まってものすごくバカな映画を作った」という説明に会場も興味津々。 だがそれが逆に話題となり、その後は知る人ぞ知る映画としてカルト化していった。この日の客席にも、キアヌ・リーヴスふんするドッグボーイのコスプレをしたファンの姿もあり、本作がファンに愛されている様子がうかがい知れた。「このようにフィギュアも発売されるほどの人気を集めたんですが、(関係者は)誰もこの映画のことを大切にしなかったため、フィルムが紛失してしまったんです。でも最近になってどこかでプリントが発見されたのでDVDが発売されることになったというわけです」とその経緯を解説する。 そして「この映画を今、見直してみると実に後生の映画に影響を与えているなということが分かると思うんです」と続けると、「例えばロブ・ゾンビの『マーダー・ライド・ショー』なんて、この映画とコンセプトが一緒ですよね。それから、この映画に出てくる、ひげを生やした女性は『誰が何と言おうが、これがわたしだから』と言うんです。最近も、ひげを生やしたレディーが『This is me』と歌う映画が大ヒットしましたよね。おそらくこの映画が、”あの大ヒット作”にも影響を与えているんだと思うんです。いい時代になりましたね」と笑ってみせた。 スペシャル応援団の犬男(※ご来場のお客様)さんとともに! ■公開収録後のミニトークショー! そして公開収録終了後は、会場内の「スカパー!」ブースに場所を移して、ミニトークショーを実施し、今後の放送予定作品を先取り解説した。こちらも多くの観客が詰めかけ、その解説に熱心に耳を傾けていたが、そんな観客に向けて「最近はネタばれということで、映画の後半部分の解説ができないんですよ。でも映画を観た後の解説というのは重要なんです。昔はテレビの映画劇場の解説はたくさんあったんですが、最近はなくなってしまった。だからこの番組でやってみようと思いました。観た後に、今のあれは何なのというところを解説したいと思います」とその重要性を語りかけた。 『ミュータント・フリークス』【町山智浩撰】番組情報はコチラ初回放送:12月20日(木) 深夜 01:15~ 『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』の番組情報はコチラザ・シネマの視聴方法はコチラ
-
COLUMN/コラム2018.12.05
成長著しいハンガリー映画界を象徴するホロコースト映画の傑作『サウルの息子』
ここ数年、ヨーロッパではハンガリー映画が熱い。『サウルの息子』(’15)がカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリに輝き、米アカデミー賞ではハンガリー映画として27年ぶりで外国語映画賞にノミネート、しかも34年ぶりに2度目の受賞という快挙を達成。ハンガリー映画史上最高額の製作費を投じた歴史大作『キンチェム 奇跡の競走馬』(’16)は、国内外で大ヒットを記録して話題になった。また、名匠イニェディ・イルディコー監督が18年ぶりに発表した長編映画『心と体と』(’17)はベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得し、米アカデミー賞でも外国語映画賞の候補に。さらに、『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(’14)と『ジュピターズ・ムーン』(’17)で立て続けに各国の映画祭を席巻した鬼才コーネル・ムンドルッツォ監督は、ブラッドリー・クーパーとガル・ガドット主演の『Deeper』(公開未定)でハリウッド進出が予定されている。 そんなハンガリー映画の躍進を象徴する『サウルの息子』。1944年のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、ゾンダーコマンドと呼ばれたユダヤ人労務部隊の実話を基にしたホロコースト映画の傑作だ。日本ではあまり目にする機会のないハンガリー映画ではあるが、それだけに本作の圧倒的なリアリズムと斬新なカメラワークに驚かされる映画ファンも少なくないことだろう。そういえば、先述した『ジュピターズ・ムーン』で話題となった空中浮遊シーンも、今まで見たことのない画期的な映像体験だった。まさにハリウッドも顔負けのハイレベルな技術力と成熟した表現力。ハンガリー映画、なんだか知らんけど凄くね!?…ということで、まずは現在までに至るハンガリー映画の歩みと背景事情を駆け足で振り返ってみたい。 かつて、ポーランドやチェコと並んで東欧随一の映画大国だったハンガリー。’56年にハンガリー社会主義労働者党書記長に就任したカーダール・ヤーノシュのもと、欧米先進国寄りの比較的自由な政策が採られた同国では、他の東欧諸国に比べて当局の検閲も緩やかだったことや、映画制作システムの大胆な改革のおかげもあって映像産業が急成長。サボー・イシュトバーンやタル・ベーラ、ヤンチョー・ミクローシュ、ゾルタン・ファーブリ、カーロイ・マックといった巨匠たちの作品が世界中の映画祭で高く評価された(残念ながら、その大半が日本では劇場未公開ないし特殊上映のみ)。しかし、’89年の民主化以降は多くの旧社会主義国と同様、資金不足や外国映画との競争にさらされ、往時の勢いと輝きを失ってしまう。 そんなハンガリー映画界にとって大きな転機となったのが、ヨーロッパにおける同国映像産業の競争力を高める目的で’04年に施行された映画法案Ⅱである。これによって、ハンガリー国内でローカルの制作会社と提携して撮影される全ての外国映画およびテレビドラマは、直接的な製作費に対して25%の税制優遇措置を受けられることとなったのだ。おかげで近年は『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(’13)や『ワールド・ウォーZ』(’13)、『ヘラクレス』(’14)、『オデッセイ』(’15)、『インフェルノ』(’16)、『ブレードランナー2049』(’17)、『アトミック・ブロンド』(’17)、『レッド・スパロー』(’17)、『ロビン・フッド』(’18・日本公開未定)などなど、数多くのハリウッド映画や英米ドラマがハンガリーで撮影されることに。来年全米公開予定のウィル・スミス主演作『Gemini Man』や『ターミネーター』最新作のロケもブダペストで行われており、今やハンガリーはイギリスに次いでヨーロッパで最も人気のある映画ロケ地となっているのだ。今年の7月には優遇税率が30%へと引き上げられ、法律の有効期間も当初の’19年から’24年へと延ばされることが決定。それだけ成果が出ているということなのだろう。 こうした政府主導による外国映画の撮影誘致が功を奏し、ハンガリーの映像産業全体も経済的に潤っている。なにしろ、昨年だけで4000万ドルもの外貨が落とされて行ったのだから。’07年には同国最大規模の撮影所コルダ・スタジオ(ハンガリー出身の世界的映画製作者アレクサンダー・コルダに因んでいる)がオープン。’12年にはたったの5本だった国産長編映画の年間製作本数も、’17年には22本にまで増えている。だが、外国映画誘致のもたらす恩恵は、なにも経済効果だけに止まらない。 筆者は今年の1月にブダペスト郊外のコルダ・スタジオを訪問し、『アトミック・ブロンド』や『レッド・スパロー』の製作に携わった現地プロダクション、パイオニア・スティルキング・フィルムズの女性プロデューサー、イルディコ・ケメニー氏にインタビューしたのだが、彼女によれば若い人材育成という面でも非常に助かっているという。なにしろ、先述したように国産映画の本数がもともと少ないハンガリー。以前は映画学校を卒業しても、未経験の若者はなかなか仕事にありつけなかったが、外国資本の映画やテレビドラマの企画が大量に流入することで雇用機会も格段に増え、インターンから徐々に経験を積んでいく人材育成システムも確立された。しかも、ハリウッドの最先端技術も実地で学ぶことが出来る。「おかげで、ハンガリー映画のクオリティも全体的に高くなった」とケメニー氏は語っていたが、ここ数年3~5%の割合で増え続けている国産映画の国内観客動員数(昨年は130万人)などは、まさにその証拠と言えるのかもしれない。 ちなみに、ハリウッドの大物撮影監督ヴィルモス・スィグモンドとラズロ・コヴァックスがハンガリー出身(しかも一緒にアメリカへ亡命している)であることは有名だろう。しかし、ハリウッドとハンガリーの繋がりはさらにずっと古く、サイレント時代にまで遡ることが出来る。例えば、20世紀フォックスの前身フォックス・フィルム・コーポレーションの創業者ウィリアム・フォックス(本名ヴィルモス・フックス)、パラマウント映画の創業者アドルフ・ズーカーは共にハンガリー系移民。ほかにも『カサブランカ』(’42)で有名なマーケル・カーティス監督(本名ケルテース・ミハーイ)や『スタア誕生』(’54)のジョージ・キューカー監督、『巴里のアメリカ人』(’51)の撮影監督ジョン・オルトン(本名ヨハン・ヤコブ・アルトマン)、特撮映画の神様ジョージ・パル、作曲家のミクロス・ローザにマックス・スタイナーと、多くのハンガリー系移民がハリウッド黄金期を支えたのである。そして、その大半がユダヤ人であったことも忘れてはなるまい。 ヨーロッパ最大のシナゴーグがブダペストに存在することからも分かるように、古くから大勢のユダヤ人が暮らしていたハンガリー。第二次世界大戦ではナチス・ドイツの同盟国として少なからぬ戦争犯罪に加担したわけだが、とりわけ’44年3月に悪名高きナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンがブダペストへ派遣されると、それまで積極的ではなかったハンガリー国内のユダヤ人迫害も本格化。最も多い時期には一日12000人ものユダヤ人がアウシュビッツへ送り込まれ、ジェノサイド(大量虐殺)の犠牲になったという。次から次へと列車で運ばれて来るユダヤ人をガス室送りにするわけだが、しかしナチス兵士だけでは現場の手が足りない。そこで死体処理や掃除などの雑務を任されたのが、ナチスによって強制的に選ばれた同胞ユダヤ人の労務部隊ゾンダーコマンドだったのである。 当時のナチスはユダヤ人の大量虐殺を秘密にしていたため、事実を知るゾンダーコマンドは他の労務に就く囚人たちとは隔離されて生活し、3~4か月ごとにメンバーの入れ替えがなされていた。つまり、古い囚人をガス室送りにして、新しく到着した囚人を補填したのだ。そうした中、アウシュビッツのゾンダーコマンドの数名が筆記用具やカメラを手に入れ、命がけで自分たちの仕事や収容所内の日常を書き記し、数枚の証拠写真も撮影していた。後世の人々へ真実を伝えるためだ。それを彼らは地中に埋めて隠し、戦後になって掘り起こされたことから、ゾンダーコマンドの実態が明らかとなった。ナチスはホロコーストの証拠を徹底的に隠滅したし、僅かに生存した元ゾンダーコマンドのメンバーも、強要されたとはいえ己の行いを恥じて証言しようとしなかったのだ。 そんな、ヨーロッパおよびハンガリーの歴史の恥部に肉迫する『サウルの息子』。アウシュビッツで実際に起きたゾンダーコマンドの反乱が登場することから推測するに、映画の設定は1944年10月6日から7日にかけてと思われる。ただし、ストーリーはあくまでも史実を背景にしたフィクションだ。主人公はゾンダーコマンドの一人であるユダヤ系ハンガリー人サウル(ルーリグ・ゲーザ)。反乱計画の準備が秘密裏に着々と進む中、彼はガス室で生き残った少年を発見するものの、すぐナチスによって息の根を止められてしまう。ところが、その少年を自分の息子だと主張するサウルは、解剖に回された死体をこっそり盗みだし、なんとかしてユダヤ教の正式な教義に則って埋葬しようと奔走する。 自分ばかりか仲間の命まで危険に晒し、狂気に取り憑かれたかのごとく、少年の死体を埋葬しようと猪突猛進するサウル。反乱計画なんてほとんど上の空だし、必要とあれば嘘や脅迫だって厭わない。その身勝手な行動にイラつく観客も少なくないだろう。何がそこまで彼を突き動かすのか。一つのヒントとなるのは、彼がユダヤ式の埋葬にこだわる点だ。収容所では骨が灰になるまで焼き尽くされ、川へと投げ捨てられてしまう。だが、キリスト教と同様にユダヤ教も、審判の日に死者が復活すると考えられており、その際に必要となる元の体を残すために土葬される。つまり、焼却炉で焼かれてしまったら復活できないのだ。 もしかすると、この世の地獄とも呼ぶべき状況で絶望の淵へ追いやられていたサウルは、毒ガス・シャワーを生き延びた少年の生命力に希望を見出し、根絶やしにされようとしているユダヤ民族の未来を少年の復活に賭けようとしたのかもしれない。そうすれば、この収容所で起きた悲劇も人類の記憶に残ることだろう。ある意味、手記や写真で記録を残した仲間たちと、手段こそ違えども同じことをしようとしていたのではないか。サウルにとって息子とは、すなわち未来へと繋がれる希望。そう考えると、少年が本当に彼の息子なのかどうか分からないという曖昧な設定も、ラストに彼が見せる晴れやかな笑顔の意味も、わりとすんなり納得できるように思える。 有名な映画監督アンドラース・イェレシュを父親に持ち、ニューヨーク大学で映画演出を学んだネメシュ・ラースロー監督は、本作が長編映画デビュー。4×3の狭いフレームサイズでカメラが終始主人公に密着して移動し、一か所にピントを合わせることでサウルの主観的視点を客観的に再現する。つまり、彼があえて目を背けているもの(殺戮風景や死体の山など)はハッキリと映らない。この斬新な演出のアイディアは目から鱗だし、細部まで徹底して計算されたカメラワークにも息を呑む。まるでアウシュビッツを疑似体験するようなリアリズムが圧巻だ。忌まわしい過去のホロコーストの歴史を、ハンガリーを含めた世界中で民族問題が噴出する今、最先端の映像テクニックを駆使して描く。復興著しい21世紀のハンガリー映画を代表するに相応しい作品と言えるだろう。◾︎ ©2015 Laokoon Filmgroup
-
COLUMN/コラム2018.12.03
監督との対話から見える『グエムル -漢江の怪物-』の輪郭
■怪獣映画というジャンルに乏しい韓国 『グエムル-漢江の怪物-』には、深い思い入れがある。 本作の日本公開を控えた頃、筆者は韓国に出向いて監督のポン・ジュノや、主演のソン・ガンホ、そしてぺ・ドゥナにインタビューをおこなった。加えて韓国最大のシネコン「メガボックス」で開催されたワールドプレミア上映を取材。現地での完成報告記者会見にも参加した。 そこでショッキングだったのは、韓国と日本との「怪獣映画」に対する温度差である。 意外に思われるかもしれないが、韓国にはいわゆる日本のゴジラやガメラ、そしてウルトラマンに代表されるような「怪獣映画」の伝統がない。 もちろん、まったく作品が存在しなかったというワケではない。国内では1962年、鉄を食らう幻獣の大暴れを、精巧な模型を駆使して描いた『プルガサリ』が嚆矢として位置づけられている(後に北朝鮮が『プルガサリ~伝説の大怪獣~』(85)として再映画化)。その後「国産初の怪物映画」と自ら惹句を掲げた『宇宙怪人ワンマギ』(67)や、日本のエキスプロダクションが造形と特撮に携わった『大怪獣ヨンガリ』(67)など、日本の第一次怪獣ブームの向こうを張る形で怪獣映画が製作されている。 また70年代には、ギム・ジョンヨンとポール・レダー(『ピースメーカー』(97)で知られる女性監督ミミ・レダーの父親)が共同監督した韓米合作3D映画『A*P*E キングコングの大逆襲』(76)や、ギム・ジョンヨン監督が日本の特撮TVのバンクシーンをマッシュアップしたひどい代物『飛天怪獣』(84)が発表されている。追って90年代にはコメディ俳優シム・ヒョンレが、自身の映画製作会社「ヨングアート」を設立し、翌年にモンスターコメディ『ティラノの爪』(93)を監督。99年には『大怪獣ヨンガリ』を欧米キャストでリメイクした『怪獣大決戦ヤンガリー』(99)を製作するなど、かろうじて命脈を保ってきたのだ。 ■日本の怪獣映画にリスペクトを捧げた『グエムル』 こうした環境が如実に影響を及ぼしているのか、『グエムル』の完成報告記者会見は、怪獣映画の文化に浴してきた自分には呆然となるものだった。現地記者による質問のほとんどは、劇中で主人公カンドゥ(ガンホ)を中心とするキャラクターに関するものばかりで、誰一人として「怪獣」のことについて触れなかったからだ。そのスルーぶりたるや「(怪獣映画に接する文化がないと)ここまで主題に関する興味や優先順位が違うのか」と吹き出しそうになったほどだ。 そのうちに記者の1人が、以下のような核心を監督のポン・ジュノに問い始めた。 「そもそもなぜ、あなたがこのような作品を撮ったのか?」 1969年生まれのジュノは、延世大学校社会学科を卒業後、映画の専門教育機関である韓国映画アカデミーを経て『ほえる犬は噛まない』(00)で長編商業監督デビューを果たした。同作はマンション内での連続小犬失踪事件をめぐる住民たちのドタバタを描いた作品だが、続く2作目の『殺人の追憶』(03)では、1986年から5年の間に10人の女性が殺され、犯人未逮捕のまま控訴時効が成立した「華城(ファソン)連続殺人事件」を材にとり、後の『チェイサー』(08)や『悪魔を見た』(10)などへと連なる「韓国犯罪映画」というジャンルを確立させている。 笑いと緊迫をミックスさせた独自の作風、見る者を圧倒させる大胆な画面の構成力、そして時代考証や細部にこだわる「リアリズム作家」の筆頭として、韓国映画の未来を嘱望される存在だったのだ。 そんなジュノが、なぜ自国に根付くことのなかった怪獣映画を? そのことを問い質した記者に対し、監督は以下のように答えている。 「本格的な怪物映画を作ってみたいという意欲が芽生えたからです。感性の土台という意味では、ハリウッド映画なら『エイリアン』(79)の亜流、例えば『ミミック』(97)であるとか、そういった作品に影響を受けてきました。また、かつて世界を騒がせたネス湖のネッシーがいましたよね。ああいったUMA(未確認生物)に僕はたいへん興味を持っており「ネッシーは本当にいるのか?」あるいは「ネッシーを捕まえることが出来るのか?」と常に想像してたんです」 しかし、当の記者はそんな熱弁に要領を得ないといった表情を見せていた。というのも映画の舞台となった漢江は、UMAなどの目撃証言や伝説(真偽はさておき)が存在せず、モンスターを喚起させるようなスポットではなかったからだ。 この記者会見の前日、筆者はポン・ジュノ監督に取材をし、同じ質問を彼に投げかけている。そこでジュノは先の記者への答えに加え、「なぜ怪獣映画を?」を腑に落ちる形で補完してくれていた。 「『グエムル』の企画そのものは高校時代から温めており、自分もまた、自国に怪獣映画の伝統がないことを憂いていたんです。僕はAFKM(American Forces Korea Network)と呼ばれた米軍用放送局で、ゴジラシリーズやウルトラマンを子どもの頃によく観ていました。その幼少体験が、怪獣映画を撮ることへの思いを膨らませていったといえるでしょう。そして在韓アメリカ軍が多量の毒物を下水口から漢江に放流した「龍山基地油流出事件」が製作の契機となり、『グエムル』の企画を具体的なものにできました」 ■ベースにあるスピルバーグ型エイリアンコンタクト映画 ジュノのこうした発言を統合すると、日本の怪獣映画に対する限りないリスペクトの心情と、それが突き動かした怪獣映画への前のめりな挑戦心。そして怪獣映画に欠くことのできない社会問題の寓意性などがうかがえてくる。 しかし『グエムル』の面白い点は、怪獣出現という途方もない事態を、政治家や軍隊、科学者といったスペシャリストが攻め打っていく同ジャンルの定型を踏襲しなかったところにある。本作で怪物と戦う主人公カンドゥは、軍人でも科学者でもなければ正義と使命感に燃える人物でもない。商売人でありながら、客の注文した食べ物をこっそり自分で食べたりする、どうしようもないダメ男なのだ。 そんなカンドゥが、一人娘を救うために得体の知れない怪物に挑んでいく「家族愛」に焦点を合わせることで、ジュノの怪獣パニックは堂々成立しているのである。 こうした構成に関してジュノは、敬愛する作家としてスティーブン・スピルバーグの名を筆頭に出し、『未知との遭遇』(77)や『宇宙戦争』(05)など、異星人コンタクトという状況下での家族愛をうたった諸作を「もっとも触発された」として挙げている。それと同時にM・ナイト・シャマランの『サイン』(02)のタイトルを出し、『グエムル』の製作にあたって同作の影響があったことを認めている。 「『宇宙戦争』は本作の撮影中にスタッフに勧められて観ました。たしかに大きな状況をパーソナルな視点で描く部分で共通点はあるんですけど、物語の方向性は異なるし、むしろ影響という意味ではシャマランの『サイン』のほうが大きいかもしれません。あの作品も『宇宙戦争』と同様に宇宙人の襲撃を受けるSFですが、決してスペクタクルに執着するのではなく“家族”に焦点を合わせて物語を構成していくところに影響を受けました」 とはいえ『グエムル』は、怪獣映画のカタルシスを決しておろそかにはしていない。特に開巻からほどなく始まる、怪物が漢江の河川敷で人間を襲うデイシーンは怪獣映画史に残るようなインパクトを放つ。巨体に見合わぬ素早い動きで、逃げまどう人々を片っ端から踏みつけ、そして殺戮の限りを尽くしていく怪物——。ジュノは非凡な画面構成力と演出力で、このおぞましいスペクタキュラーを本作最大の見どころとして可視化している。 ■『グエムル』以後の韓国怪獣映画の流れ 『グエムル-漢江の怪物-』は国内観客動員数1301万人という異例の大ヒットを記録し、2014年に公開された『バトル・オーシャン 海上決戦』に破られるまで、韓国映画興行成績ランキングベスト1の座に君臨していた。しかし、こうしたヒットが韓国に怪獣映画の興隆をうながしたのたというと、そうでもないのが本作の特異たる所以である。 じっさい『グエムル』以降の怪獣映画の流れはというと、本作公開後の翌年(2007年)には『怪獣大決戦ヤンガリー』のシム・ヒョンレが、500年ごとに起こる大蛇大戦を描いた『D-WARS ディー・ウォーズ』を監督。韓国とアメリカでヒットを記録したものの、作品は国内でも海外でも酷評の嵐に見舞われている。 さらにその翌々年、巨大イノシシによる獣害パニックを描いた『人喰猪、公民館襲撃す!』(09)が公開。同ジャンルの可能性をとことんまで追求し、今後に期待をつなぐような面白さを放ったのだが、韓国初のIMAXデジタル映画として発表されたハ・ジウォン主演のモンスターパニック『第7鉱区』(11)が、『エイリアン』(79)のリップオフ(模造品)のような既視感の強さで、せっかくの好企画を台無しにしてしまった。 当然ながら大ヒットを飛ばした『グエムル』にも続編の企画があり、その前哨戦として同作の3D化がなされ、11年の釜山国際映画祭で公開された。しかし肝心の『2』製作はプロモーション用のフィルムまでできたものの、資金不足から企画は頓挫している。ジュノ自身は後年、米韓合作による配信映画『オクジャ okja』(17)に着手。アメリカ企業に捕らえられた巨大生物を救うべく、少女が孤軍奮闘するという『グエムル』を反復するような怪獣映画を展開させ、ひとまず好評を得たのだが……。 ちなみに『D-WARS ディー・ウォーズ』のプロモーションでヒョンレが来日したさい、取材で彼に『グエムル』は観たのかと質問した。すると、 「観たよ、この2つの目でね」 という元コメディ俳優らしいギャグを飛ばしてきたが、内容に対する具体的なコメントは聞き出せなかった。もしかしたら同作に対して強いライバル意識があったのかもしれないし、日本の怪獣映画と、そして自らの作家性や意匠が塩梅よくブレンドされたジュノの力作に対し、たまらなくジェラシーを感じていたのかもしれない。そんな彼も『D-WARS 2』の企画を始動させていたものの、ヨングアート社の資金の使い込みや社員の賃金未払いなどが表面化し、2012年に自己破産を申請。『D-WARS 2』は宙に浮いたままになっている。 怪獣映画の革命作『グエムル-漢江の怪物-』の初公開から、およそ12年の月日が経った。だが韓国の「怪獣映画」の未来は、まだまだ遠い先にあるようだ。▪︎ © 2006 Chungeorahm Film. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2018.12.01
違いの分かる大人のための上質なアクション映画『メカニック』
‘70年代のアメリカで吹き荒れたチャールズ・ブロンソン旋風。もともと『荒野の七人』(’60)や『大脱走』(’63)で個性的な脇役として頭角を現し、巨匠セルジオ・レオーネのマカロニ西部劇『ウエスタン』(’68)やアラン・ドロンと共演したフレンチ・ノワール『さらば友よ』(’68)などの国際的な大ヒットで、一足先に日本やヨーロッパでスターダムを駆け上がったブロンソンだったが、しかし肝心の本国アメリカでの人気はいまひとつ盛り上がらなかった。なにしろ、この時期の出演作はどれもヨーロッパ映画ばかり。アメリカ公開までに1~2年のブランクがある作品も多かった。『夜の訪問者』(’70)なんか、全米公開は4年後の’74年。日本で大ヒットした『狼の挽歌』(’70)だって、アメリカの映画館でかかったのは’73年である。それゆえに、外国でブロンソンが受けているとの情報は入っても、そのブーム自体が本国へ逆輸入されるまで少々時間がかかったのだ。 しかし、ニューヨークでロケされたイタリア産マフィア映画『バラキ』(’72)を最後に、ブロンソンはハリウッドへ本格復帰することに。そして、チンピラに愛する家族を殺された中年男の壮絶なリベンジを描いた、マイケル・ウィナー監督の『狼よさらば』(’74)が空前の大ヒットを記録したことで、ようやくアメリカでもブロンソン旋風が頂点に達したというわけだ。そのマイケル・ウィナー監督とは、ハリウッド復帰作『チャトズ・ランド』(’72)以来、通算6本の作品で組んでいるブロンソン。中でも筆者が個人的に最もお気に入りなのが、ブロンソン=ウィナーのコンビ2作目にあたるハードボイルド・アクション『メカニック』(’72)である。 主人公アーサー・ビショップ(チャールズ・ブロンソン)は、とある組織のもとで秘かに働くメカニック。普通、メカニック(Mechanic)といえば「機械工」や「修理工」を意味するが、しかし裏社会においては「プロの殺し屋」を指すらしい。組織から送られてきた資料をもとにターゲットの詳細な個人情報を把握し、その身辺をくまなく調べることで入念な暗殺計画を練り、偶発的な事故に見せかけて相手を確実に仕留めるビショップ。足のつくような証拠は決して残さない。仕事が仕事なだけに、普段から人付き合いはほとんどなし。広々とした大豪邸にたった一人で暮らし、趣味の美術品コレクションを眺め、クラシック音楽のレコードに耳を傾けて余暇を過ごす。決して感情を表には出さず、淡々と殺しの仕事をこなしているが、しかし内面では心的ストレスを募らせているのだろう。精神安定剤と思しき処方薬は欠かせない。それでも心が休まらぬ時は、馴染みの娼婦(ジル・アイアランド)のもとを訪れては恋人を演じさせ、つかの間だけでも偽りの温もりに孤独を紛らわせる。 そんな一匹狼ビショップのもとへ、新たな殺しの依頼が舞い込む。ターゲットはハリー・マッケンナ(キーナン・ウィン)。組織の大物だった亡き父親の部下であり、ビショップがまだ子供だった頃からの付き合いだ。しかし、ビジネスに私情を一切持ち込まない彼は、普段通りに淡々と任務を遂行。何事もなかったかのようにハリーの葬儀にも出席し、そこで彼の一人息子スティーヴ(ジャン=マイケル・ヴィンセント)と知り合う。謎めいたビショップに好奇心を抱き、なにかと口実をもうけて彼に接触して素性を探ろうとするスティーヴ。一方のビショップも、父親の死に動揺する素振りすら見せず、冷酷なまでに合理的で客観的なスティーヴの言動に暗殺者としての素質を見抜き、いつしか自分の弟子として殺しのテクニックと哲学を伝授するようになる。2人はお互いに似た者同士だったのだ。 そこへ次なる仕事の指示があり、ビショップは組織に断りなくスティーヴを同伴させるのだが、弟子の判断ミスで危うく失敗しかけたことから、これを問題視した組織のボス(フランコ・デ・コヴァ)から口頭で注意を受ける。その場で新たな任務を依頼されるビショップ。すぐにターゲットがいるイタリアのナポリへ向かうよう急かされ、怪訝そうな顔をしつつも渋々引き受けた彼は、計画を相談しようとスティーヴの留守宅へ上がりこみ、そこでたまたま自分の暗殺資料を発見してしまう。要するに、組織はビショップの後釜にスティーヴを据え、もはや用済みとなった彼を始末しようとしていたのだ…。 孤独な老練の暗殺者が、育てた若い弟子に命を狙われるという皮肉な筋書きは、同じくマイケル・ウィナー監督がバート・ランカスターとアラン・ドロンの主演で、生き馬の目を抜く国際スパイの非情な世界を描いた次作『スコルピオ』(’73)へと引き継がれる。また、ストイックで寡黙な殺し屋ビショップのキャラクターは、ブロンソンの友人でもあるドロンが『サムライ』(’67)で演じた殺し屋ジェフ・コステロを彷彿とさせるだろう。そういえば、あちらも数少ない他者との接点が美しき娼婦(しかも演じるのは主演スターの妻)だった。なんか、いろいろ繋がっているな。ビショップの仕事ぶりを克明に描いたオープニングは、アメリカでも高い評価を得た加山雄三主演の東宝ニューアクション『狙撃』(’68)と似ている。安ホテルの一室からターゲットの住むアパートの室内を望遠レンズ付きカメラで何枚も撮影し、その写真を並べながら暗殺工作の段取りを計画。ターゲットが留守中に部屋へ忍び込み、予めマークしていた数か所に細工を仕込む。あとは向かいのホテルに潜んでターゲットを監視し、ここぞというタイミングで一気に仕留める。『狙撃』は冒頭7分間でセリフが一言だけだったが、こちらはここまでの15分間で一言のセリフもなし。それでいて、主人公ビショップが何者なのかをきっちりと描いている。実に見事なプロローグだ。 そのビショップと若き後継者スティーヴの奇妙な師弟関係が、本作における最大の見どころであり面白さだと言えよう。組織からの指示があれば、たとえ少年時代から良く知る恩人であろうと、顔色一つ変えず冷静沈着に殺すことの出来るビショップ。別に個人的な恨みなどない。確かに一瞬ギョッとはするものの、しかしあとはプロとして与えられた仕事をこなすだけだ。一方のスティーヴも同様だ。父親が突然死んだって何の感慨もなく、そればかりか葬儀を途中で抜け出し、自分のものになった豪邸に大勢の友達を呼んでパーティを開く。といっても、バカ騒ぎしている友達を眺めているだけ。表面上は知的で社交的で魅力的な人物だが、しかし主観的な良心や感情というものに決して流されず、常に物事を客観的かつ論理的に捉えて合理的に行動する。ある種のサイコパスと言えるかもしれない。それを強く印象付けるのは、恋人ルイーズ(リンダ・リッジウェイ)が自殺未遂を図るシーンだ。恋人とは言え、そう思っているのはルイーズの方だけ。スティーヴにとっては数いる遊び相手の一人に過ぎない。その冷たい扱いに腹を立てた彼女は、呼び出したスティーヴの前で両手首をカミソリで切って見せるのだが、彼はまるで意に介さないばかりか高みの見物を決め込む。死にたいと思って死ぬ人間になぜ同情しなくちゃいけない、君が望みを叶える様子を最後までちゃんと見届けてあげるよ、と言わんばかりに。その場に居合わせたビショップも、ルイーズの体重が110ポンドと聞いて、「だったら3時間以内に死ねるな。まずは悪寒がして、それからだんだんと眠くなるんだ」なんて平然とした顔で解説をはじめ、ルイーズに「あんたも彼と同じで人でなしね」と言われる始末(笑)。ここでビショップは、自分とスティーヴが同類の人間であるとの確信を抱き、やがて彼を自分の後継者として育てることを考え始めるわけだ。 脚本家のルイス・ジョン・カリーノによると、当初の設定ではビショップとスティーヴの関係性に同性愛的なニュアンスがあったという。要するに、恋愛とセックスの駆け引きを絡めた新旧殺し屋同士のパワーゲームが描かれるはずだったようなのだ。だが、やはり時期尚早だったのだろう。主演俳優のキャスティングが二転三転する過程で、同性愛要素がたびたび出演交渉のネックとなり、いつしか脚本から削り取られて行ったらしい。なるほど、それはそれで刺激的かつ興味深い作品に仕上がっていたかもしれない。一方の完成版では、ビショップとスティーヴは疑似親子的な関係性を築いていく。年齢を重ねることで徐々に丸くなり、長年のストレスから肉体的にも精神的にも限界を感じ始めたビショップは、若い頃の自分を連想させるスティーヴに対し、つい親心にも似た感情を抱いたのだろう。その気の緩みが結果的に仇となってしまい、自らを危険な状況へと追い詰めていくことになるわけだ。 余計な説明を極力排したハードボイルドな語り口は、ともすると表層的で分かりづらい作品との印象を与えるかもしれないが、しかし登場人物の何気ない反応や仕草、一見したところ見過ごしてしまいそうなシーンの一つ一つにちゃんと意味があり、自分以外の誰も信用することが出来ない非情な世界に生きる主人公の誇りと美学、孤独と哀しみが浮かび上がる。フレンチ・ノワール…とまでは言わないものの、しかし多分にヨーロッパ的な洗練をまとったマイケル・ウィナー監督の演出が冴える。ナポリへ舞台を移してからの終盤も、いまや師匠と弟子からライバルとなった2人の、抜き差しならぬ共犯関係をスリリングに描いて見事だ。カーチェイスや銃撃戦も見応えあり。呆気なく決着がついたと思いきや…という捻りの効いたラストのオチにもニンマリさせられる。まさに違いの分かる大人のための上質なアクション映画だ。 ちなみに、ご存知の通りジェイソン・ステイサム主演で’11年にリメイクされた本作だが、しかし両者は似て非なる作品だと言えよう。リメイク版では主人公ビショップを観客が「共感」できる親しみやすいキャラクターへと変えたばかりか、あえてオリジナル版では曖昧にされていた背景や設定に説明を加え、スティーヴがビショップに弟子入りする明確な理由を与えてしまったせいで、その他大勢のジェイソン・ステイサム映画と見分けがつかなくなったことは否めないだろう。続編『メカニック:ワールドミッション』(’16)に至っては、まるでジェームズ・ボンド映画のような荒唐無稽ぶり(笑)。それはそれで別にいいのだけれど、あえて『メカニック』を名乗る必要もなかったのではないかとも思えてしまう。まあ、それもある意味、スター映画の宿命みたいなものか。 なお、ビショップの自宅として撮影に使われた豪邸は、ロサンゼルスのウェストハリウッドに実在するが、本作の数年後に全面改修されているため、当時の面影を残しているのは門から玄関までの急な坂道だけだそうだ。また、組織のボスが暮らしている広々とした大豪邸は、サム・ペキンパー監督の『バイオレント・サタデー』(’83)のロケ地にもなった場所で、もともとはハリウッドの大スター、ロバート・テイラーが所有していた。さらに、スティーヴがチキンのデリバリーを装って押し入る邸宅も、ロサンゼルスに隣接するパサデナ市に実在しており、こちらはテレビ版『バットマン』(‘66~’68)のブルース・ウェイン邸の外観として使用されている。▪︎ © 1972 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC. All Rights Reserved
-
COLUMN/コラム2018.11.28
“大作パニック映画”!?『大陸横断超特急』のホントのところ
~愛と冒険を乗せて衝撃のノンストップ・サスペンスが始まった!~~完全犯罪をのせ狂気の極地へ突っ走る超特急「シルバー・ストリーク」号構内に突入する殺人パニック暴走列車!~ 『大陸横断超特急』が今から40年以上前、1977年のゴールデンウィークに公開される際の、宣伝用チラシに載っていた惹句である。ヴィジュアル的にも、巨大な列車が駅の壁をぶち破って突入し、客や駅員が逃げまどっている様を背景に、この映画の主演であるジーン・ワイルダー、ジル・クレイバーグ、リチャード・プライア―の3人が、必死の形相でそこから逃れようとしているコラージュがされていた。 本作の日本公開に当たっては配給会社が、“大作パニック映画”のイメージを打ち出していたことが、このチラシ1枚からよくわかる。上映館で販売されたプログラムに載った“解説”にも、「想像を絶するアドベンチャー」「パニック映画」「20世紀フォックスが1000万ドル(30億円)を投じて『ポセイドン・アドベンチャー』以来の大作として贈る」等々の、仰々しい煽り文句が躍る。 ところが後に発売されたDVDなどに収録された“本国版予告編”を観ると、最初の打ち出しは、“コメディ”!次いで“ロマンス”、最後に“アクション”なのである。更に本国版のポスターヴィジュアルも、“シルバー・ストリーク号”が駅に突入している場面が背景なのは同じだが、その前に並ぶワイルダー、クレイバーグ、プライア―の3人は、浮き浮きしたポーズでニコニコ顔なのだ。 では本作のホントのところは?その前にまず、ストーリーを紹介したい。 ロサンゼルスからシカゴまで、2日半かけてアメリカ大陸を横断する、コンパートメント付きの特急列車“シルバー・ストリーク号”。ゆったりとした旅を楽しもうと、列車に乗り込んだ出版業者ジョージ(ワイルダー)は、ヒリー(クレイバーグ)という美女と知り合う。彼女は美術史家シュライナー教授の秘書であり、その講演旅行に同行していた。 ジョージとヒリーはお互いに好意を抱き、ディナーの後にベッドイン。ムードが盛り上がったその瞬間、ジョージの目には、コンパートメントの窓に逆さ吊りになった、シュライナー教授の死体が飛び込んできた。 騒ぎ立てるジョージ。だが結局は、シャンパンの飲み過ぎによる「目の錯覚」だとヒリーに言われ、納得せざるを得なかった。 しかし本当に、殺人事件は起こっていた。犯人は、美術品の贋作を売りさばいて巨額の富を築いた、国際ギャングのデブロー一味。彼らの悪事を暴き立てようとした教授を、口封じのために殺したのである。 そして“シルバー・ストリーク号”を舞台にした、ジョージたちとデブロー一味の対決が始まる…。 このストーリーだと、日本での宣伝で強調された“大作パニック映画”的な要素よりは、“巻き込まれ型サスペンス”の色が強い。実際プログラムの“解説”にも、「ヒッチコックの『北北西に進路をとれ』を思わせるスリラー・サスペンス」という表現が出てくる。 またデブロー一味が教授を殺害するきっかけになった、贋作の証拠品となる“レンブラントの手紙”も、なぜそれが証拠になるかがは、観客に提示されない。これはヒッチコック言うところの、典型的な“マクガフィン”=物語において登場人物にとっては重要であるが、作劇上においては別の何かをそれに当てても問題はないものなのである。 では本当にヒッチコック風の“巻き込まれ型サスペンス”であったり、“スリラー・サスペンス”だったりするのか?実際は、そうしたジャンルにオマージュを捧げつつも、限りなく“コメディ”色が強い作品なのである。 ヒッチコックならば、ジェームズ・スチュアートやケーリー・グラントといった男前をキャスティングしたであろう、主人公のジョージ。ここにジーン・ワイルダーを配した辺りで、オリジナル脚本を書いたコリン・ヒギンズ、『ある愛の詩』(1970)『ラ・マンチャの男』(1972)など、何でも来いの老練なアーサー・ヒラー監督ら作り手が、もうコメディをやる気満々なのが伝わってくる。 1933年生まれのワイルダーは、ブロードウェイを経て、1967年に『俺たちに明日はない』で映画デビュー。翌68年に“コメディ映画の巨匠”メル・ブルックス監督の『プロデューサーズ』に主演してからは、その道を邁進する。 ティム・バートン監督×ジョニー・デップ主演の『チャーリーとチョコレート工場』(2005)のオリジナル版である、『夢のチョコレート工場』(1971 日本未公開)や、この頃はメル・ブルックスと並び称されるような、バリバリのコメディ監督だったウディ・アレンのオムニバス・コメディ『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』(1972)などに出演の後、西部劇パロディの『ブレージング・サドル』(1974)、フランケンシュタイン映画のパロディ『ヤング・フランケンシュタイン』(1974)と、ブルックス監督絶頂期の大ヒットコメディに立て続けに主演。翌1975年には主演も兼ねたワイルダーの初監督作で、名探偵の弟を主人公にした、『新シャーロック・ホームズ おかしな弟の大冒険』も公開されている。 そうした、コメディ映画俳優として、まさに上り調子のキャリアの時に主演したのが、『大陸横断超特急』なのである。 本作でワイルダー扮するジョージは、ヒッチコック映画のヒーローさながらに、美女といい仲になったり、命を狙われて逆襲に出たりするものの、悪党と対峙する度に列車から落とされるというギャグを繰り返す。そこで彼は、偶然知り合った老農婦に複葉機に乗せてもらったり、自分を犯人扱いした間抜けな保安官からパトカーを奪ったりしながら、何とか列車に追いついては乗り込む。 さして速いとも思えない交通手段で追いつくとは、どこが邦題にある“超特急”なのか!? (笑)。まあこの辺り、実に腹を抱える展開なのである。 乗っては落とされ乗っては落とされ…。そんな最中、奪ったパトカーの中で出会うのが、コソ泥で護送中だったグローバー。演じるは、リチャード・プライア―だ! 1940年生まれのプライア―は、60年代からスタンダップコメディアンとして活躍し、70年代前半にはエミー賞やグラミー賞も受賞。あのエディ・マーフィーやクリス・ロックも崇める、伝説的な存在である。 映画には60年代後半から出演するようになり、ブルックス監督×ワイルダー主演の『ブレージング・サドル』の脚本にも参加している。そうした意味では、ワイルダーとプライア―は既に邂逅しているものの、本作がスクリーン上での初顔合わせである。 プライア―演じるグローバーは、ワイルダー演じるジョージのピンチを救う役どころだが、同時にお笑いを増幅させる役割をも見事に果たしている。特に殺人犯人と疑われたジョージを、捜査の網から逃すために、グローバーの指導で“ある者”に変装させるというやり取りが、ホントに最高である!具体的には記さないので、是非楽しみに観て欲しい。 因みに、この後ワイルダーとプライア―は名コンビとして、『スター・クレイジー』(1980)『見ざる聞かざる目撃者』(1989)『サギ師とウソつき患者』(1991)と、本作を含めて4作品で共演を重ねることとなる。 というわけで、ワイルダーとプライア―の掛け合いが、最大の見どころとも言える『大陸横断超特急』。なぜアメリカでの大ヒットにも拘わらず、日本では看板に偽りありの、“大作パニック映画”のような売り方になってしまったのか? まず思い当るのが、日本的には、「売りになる」スターが1人も出ていない作品であったこと。アメリカで人気のコメディアンといっても、一部の例外を除いて、日本では全く集客力を持たない。ヒロインのジル・クレイバーグが、ポール・マザースキー監督の『結婚しない女』(1978)でブレイクするのも、もう少し後のことである。 付記すれば、日本では同じ年の暮れの公開で大ヒットした、『007 私を愛したスパイ』(1977)に殺し屋の“ジョーズ”役で登場し大人気となる、身長2m18cmの巨漢リチャード・キールも本作に出演している。やはり殺し屋(しかも“ジョーズ”の鋼鉄の歯と同じような、金歯をしている!)を演じているが、こちらもまだブレイク前のことであった。 そんなこんなで本作の宣伝部は、列車の突入シーンをフィーチャーして、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)『タワーリング・インフェルノ』(1974)などから本格化した、“パニック映画”ブームを利用する挙に出たのであろう。付け加えれば本作日本公開の数か月前、猛スピードで爆走する列車のパニックサスペンス『カサンドラクロス』(1976)が大ヒットしたばかりという余波も、当然あったように思える。 今回一つ勘違いしていたのは、邦題の“大陸横断…”という部分。公開当時流行っていた記憶があるTV番組、「アメリカ横断ウルトラクイズ」に由来するのかなと思っていた。ところが調べてみると、『大陸横断超特急』の日本公開の方が、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の「第1回」が放送されたのよりも、半年も早かったのである。 となると、逆に番組の方がパクったのか?多分そんなことはないであろうが、公開当時のこうしたアレコレを伝えるのも、その映画を知るための一助になるかなと思う。▪︎ © 1976 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
-
NEWS/ニュース2018.11.27
いよいよ、今週末開催!12月1日(土)『町山智浩のVIDEO SHOP UFO in 東京コミコン』
ザ・シネマが、「東京コミックコンベンション2018」の「スカパー! 」ブース内に各専門チャンネルとともに共同出展し、ザ・シネマのオリジナル番組『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』を、12月1日(金)に同イベントのメインステージにて14:15~15:00に公開収録を敢行します! 公開収録では、かつて東京国際ファンタスティック映画祭など一部で上映されただけの幻の映画『ミュータント・フリークス』(ザ・シネマで12月20日(木)に放送)を映画評論家の町山智浩さんが圧倒的知識量で徹底解説します!ぜひ、ご来場ください!※映画本編は上映しません。『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』の番組情報はコチラ『ミュータント・フリークス』の番組情報はコチラ 当日はメインステージの後に、「町山智浩さんのミニトークショー!」をスカパー!ブース(E-026)にて15:30~16:00(予定)に行います。12月1日は町山さんのトークを、メインステージでの公開収録、スカパー!ブースでのミニトークショー!と2度お楽しみいただける貴重な一日です!また、ザ・シネマのブースでは番組『町山智浩のVIDEO SHOP UFO』の世界観を展開!番組特製クリアファイルを11月30日~12月2日の三日間、無料配布します。(※数に限りがございます。)ぜひ、お立ち寄りください。 ■『町山智浩のVIDEO SHOP UFO in 東京コミコン2018』開催日時:12月1日(土)14:15~15:00(予定)開催場所:東京コミコン 2018 メインステージ会場MAPはコチラ観覧料金:東京コミコン 2018 入場料金のみ ※当日の事故・混乱防止のため、イベントではさまざまな制限を設けさせていただくことがあります。予めご了承下さい。※イベント内容は予告なく変更する場合がございます。※場内でのカメラ(携帯カメラ含む)・ビデオによる撮影、録音、及び動画撮影は固くお断りいたします。(撮影補助機材の使用も禁止致します)※当日マスコミ・メディアの取材・撮影が入る場合がございます。予めご了承ください。※番組用以外に、記録用、情報発信(オフィシャルSNS等)のため、スタッフが映像・写真の撮影をする場合がございます。※撮影内容は、お客様がうつり込む可能性がございます。また、各種メディア等に掲載される場合がありますので、あらかじめご了承ください。※観覧席は状況により入場を制限させていただく場合がございます。 ■『町山智浩ミニトークショー』日程: 12 月 1 日(土)15:30~16:00予定場所:東京コミコン スカパー!ブース(E-026)「スカパー!」公式サイト:https://www.skyperfectv.co.jp/special/promo/tokyocomiccon/ ■東京コミックコンベンション 2018(略称:東京コミコン 2018)日程:11 月 30 日(金)、12 月 1 日(土)、12 月 2 日(日)場所:幕張メッセ ホール 9-11 (千葉市美浜区中瀬 2-1)主催 :株式会社東京コミックコンベンション、東京コミックコンベンション実行委員会公式サイト:http://tokyocomiccon.jp
-
COLUMN/コラム2018.11.22
カウボーイの夢と現実を、歴史的正確さと独特の映像で切り取ったリヴィジョーニスト・ウエスタン!!
今日ご紹介する映画は『男の出発(たびだち)』。これは僕の本当に大好きな西部劇のひとつです。ものすごくリアルで、かつ瑞々しくて美しい。そして最後には男の心意気が描かれているという、まあほんとに素晴らしい映画です。 この映画はカウボーイたちが“キャトル・ドライブ”をする話です。南北戦争が1865年に終わると、人々が西部に入植していって開拓が始まりました。東部は工業も発達し、移民も増えて、人口が増え、食料の需要も増える。そこで目をつけられたのが、テキサスの牛です。もともとスペイン人がヨーロッパから連れてきた牛で、その地域はメキシコとなって、バケーロと呼ばれるメキシコ人のカウボーイが管理してましたが、米墨戦争でアメリカが西部をメキシコから奪うと、牛は放置されました。牛肉を食べる文化はスペインのもので、アメリカに住んでいた英国やスコットランドやアイルランド系の人々は牛を食べる文化がなかったんです。で、テキサスの牛は野生化して大量に増えました。これを捕まえて、食肉として東部に送ろうと思いついた人々がいたのです。そこで、テキサスから、東部行きの鉄道の駅があるカンザスまで数百頭の牛を運ぶ “キャトル・ドライブ”が始まり、その仕事に従事する人を“カウボーイ”と呼んだわけです。カウボーイが1回のキャトル・ドライブで稼ぐ額は相当なものだったらしいです。しかし、途中のオクラホマを越えなくてはならない。当時オクラホマは南部から強制移住させた先住民を住まわせる居留地で、警察も何もない無法地帯で、牛泥棒が待ち構えていました。しかも川には橋がかかっていません。牛を渡河させるのは非常に危険です。しかもスタンピードという牛の暴走が始まるかもしれない。1回のキャトル・ドライブで何人ものカウボーイが当たり前のように死んでいく、地獄の旅だったわけです。 キャトル・ドライブを描いた映画ではハワード・ホークス監督の『赤い河』(48年)が傑作です。クリント・イーストウッドの出世作『ローハイド』(59 ~65年)もキャトル・ドライブを描いたT Vドラマでした。ただ、どれも綺麗なんですよね。この『男の出発』は違います。 主役はゲイリー・グライムズ。彼は当時全世界的なアイドルでした。前作『おもいでの夏』(70年)で人妻に恋する男の子を演じて、世界的な人気を集めました。彼が演じるのは、カウボーイに憧れる農家の少年です。ある日家出してカウボーイに飛び込みます。このカウボーイたちがみんな、野獣のようなご面相です。ビリー・グリーン・ブッシュ、ボー・ホプキンス、ジェフリー・ルイス……みんなイイ顔してる、70年代ハリウッド・ピラニア軍団です。しかも、ものすごく汚い(笑)。でも、これがリアルなんです。 監督はディック・リチャーズ。日本ではレイモンド・チャンドラー原作のフィリップ・マーロウシリーズ『さらば愛しき女よ』(75年)がヒットして有名になった監督です。その映画の前に撮った監督デビュー作が『男の出発』なんですが、彼は元々広告のカメラマンで、大量のTVCMを撮っています。CM撮影中に知り合った100歳近いおじいさんが本物のカウボーイで、リチャーズは知られざるカウボーイの実態をいろいろ聞かされて、自分でも資料を調べに調べて作ったのがこの『男の出発』なんです。当時、このように学術的な研究に基づいて徹底的にリアルな西部劇が多く作られ、歴史修正主義西部劇=「リヴィジョーニスト・ウエスタン」と呼ばれました。これらの映画の特徴は、とにかく暴力描写がもの凄い。これにはサム・ペキンパーの影響などもありました。 でも西部劇の嘘を暴くと言いながら、最後にカウボーイたちが見せる心意気には、やっぱり西部のヒロイズムが表されています。この映画を最初に観たとき、僕は主人公と同じくらいの年齢で、「新宿ローヤル」という名画座で観たんですけど、クライマックスでは思わず「そうこなくちゃ!」と叫びそうになりました。ぜひお楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 原案の監督と脚本を担当したエリック・バーコヴィッチ、グレゴリー・プレンティスは、全米脚本家協会(Writers Guild of America)の脚本賞にノミネートされた。 主役ベン(G・グライムズ)の友人ティム役のチャールズ・マーティン・スミス(後に監督に転身)の映画デビュー作でもある。 映画のテーマ曲はジェリー・ゴールドスミス。だがこれは67年の『恋とペテンと青空と』からの流用だった。 ベンが映画の冒頭でティムに格好付けて見せる銃は、時代的にも正確な1858年製のレミントン・アーミー・リボルバー。1866年に時代設定されている本作では、使われる銃のほとんどが1870〜1890年製のカートリッジ式リボルバーなので時代考証的には間違っている。 © 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2018.11.22
【追悼】バート・レイノルズの時代があった。少なくともアメリカでは…『トランザム7000』
伝説のトラッカー“バンディット(山賊)”こと、ボウ・ダーヴィル(バート・レイノルズ)。ある日テキサスの大富豪親子から持ち掛けられた、無理難題な賭けに乗る。それは当時、ミシシッピー川以東に持ち出すと密輸扱いとなった、「クアーズビール」400ケースをテキサスまで出向いて積み込み、ジョージア州アトランタまで運搬する、往復3,000㎞ほどを28時間で走破するというもの。 成功すれば8万ドルもの大金が舞い込むが、道中で警察に見付かれば、即お縄となる。バンディットは、相棒のスノーマン(ジェリー・リード)にビールを運ぶトラックを運転させる一方、己はポンティアック・ファイヤーバード・トランザムに乗って、追っ手を撹乱する作戦を取った。 ビールを無事積み込み、いざアトランタへとなった復路で、バンディットはウェディングドレスを纏ったキャリー(サリー・フィールド)という女を拾う。彼女は、その名もジャスティス保安官(ジャッキー・グリーソン)のボンクラ息子との挙式中に嫌気が差して、教会から逃げ出して来たところだった。 怒りに燃えるジャスティスは、息子と共に猛追跡を開始。それが引き金となってバンディットたちは、アーカンソー州・ミシシッピ州・アラバマ州・ジョージア州の各州警察と、壮絶なカーチェイスを繰り広げることとなるのであった…。 アメリカでは1977年の5月、日本では同年10月に公開された『トランザム7000』。いま観ると驚くほどに、その時代を象徴するアイコンが満載の作品である。 1970年台後半という時節はまさに、“大型トラック”がキテいた頃。日本ではデコトラブームの真っ最中で、菅原文太主演の東映『トラック野郎』シリーズ(1975~79 全10作)が、お盆と正月ごとに松竹の『男はつらいよ』と、覇を競い合っていた。同じ頃アメリカでも、ジャン=マイケル・ヴィンセント主演の『爆走トラック'76』(1975)、サム・ペキンパー監督の『コンボイ』(1978)など、トラックが主役と言えるアクション映画が製作されている。そんな中でも最大級のヒットとなったのが、本作『トランザム7000』である。 車が主役という意味ではこの作品、当時の“スーパーカー”ブームにも乗っている。日本では、原題の『スモーキー(警官を意味するトラッカー仲間の隠語)とバンディット』のままで公開するわけにはいかなかったのであろうが、『トランザム7000』という、バンディットが乗り込む車種を、実に思い切りよく押し出して、邦題にしている。 この時分の日本の中高生男子は、「週刊少年ジャンプ」に連載されていた池沢さとし作の漫画「サーキットの狼」(1975~79)などの影響で、猫も杓子もランボルギーニ・カウンタックやフェラーリなどの“スーパーカー”に熱狂していた。もちろん、実際に手に入れたり運転出来る代物ではないので、ある者はモーターショーなどで写真を撮りまくり、ある者は“キン消し=キン肉マン消しゴム”に先立つ、“スーパーカー消しゴム”のコレクションに明け暮れたりしていたのだ。 そんなわけで日本の配給会社は、“トランザム”を敢えて「売り」にする挙に出たわけである。厳密に言うと、“トランザム”を“スーパーカー”の範疇とするのが正しいのかどうかは、かなり微妙らしいが…。 そして、“トラック野郎”“スーパーカー”と並ぶ、いや少なくともアメリカではそれ以上の“時代のアイコン”だったのが、この映画の主演男優!バンディットを演じた、バート・レイノルズその人である。 1936年、アイルランドとネイティブ・アメリカン(チェロキー族)の血を引く父と、イギリス人の母の子として生まれる。大学時代はアメリカン・フットボールの花形選手で、プロ入りを目指したものの、事故による故障で断念。その後友人の薦めもあって、俳優を志すこととなる。 撮影現場でのスタントマンなどを経て、1960年代はTVシリーズやB級アクション映画、マカロニウエスタンなどに出演。しかし1970年代初頭、30代半ばを迎えた頃のバートは、未だ世間の耳目を集める存在ではなかった。 スポットライトが当たったのは、1972年。アメリカの女性雑誌「コスモポリタン」4月号で、クマの毛皮に全裸で横たわり、左手で局部だけを隠したヌードグラビアを披露したのである。よく筋骨隆々という言葉が使われるが、この時代のそれは、1980年代中盤以降に主流となる、スタローンやシュワルツェネッガーのような、エッジの利いたステロイド系の筋肉とは違う。もっとしなやかな、自然体の筋肉とでも言うべきか。そんな、元アメフト選手らしい筋肉に分厚い体毛を纏ったバートのヌードは、センセーショナルな話題となり、“セックス・シンボル”として、大きく注目されるようになったのである。 折しもヌード発表直後に公開された主演作、ジョン・ブアマン監督の『脱出』が、大ヒットを記録!まさにブレイクの時を迎えた。 それ以降は、『白熱』(1973)『ロンゲストヤード』(1974)『ハッスル』(1975)『ラッキー・レディ』(1975)等々、主にアクション映画で男臭い魅力を放ちながら、絶大なる人気を獲得。1976年には『ゲイター』で、監督業にも進出となった。 そんなまさに上り調子の時に出演したのが、『トランザム7000』。アクションに関してはカースタントが主体となるため、バートの身のこなしがたっぷりと見られる作品ではない。しかし、『デキシー・ダンスキングス』(1975)『ゲイター』に続く3度目の共演となった、相棒役のカントリー歌手ジェリー・リードとの息のあった掛け合いや、執念の追跡をする、ジャッキー・グリーソン演じる保安官を次々と出し抜いていく様に、バートのコメディアンとしての才覚が窺える。またこの作品を皮切りに、公私共に暫しのパートナーとなった、サリー・フィールドとのロマンチックなやり取りも、見どころの一つであろう。 追記すれば、これがバートがハル・ニーダム監督と組んだ、コンビ第1作。長年バートのスタントマンを務めた縁から、この作品で監督デビューしたニーダムは、以降『グレート・スタントマン』(1978)『キャノンボール』(1981)など、バートの人気絶頂期を中心に、彼の主演作を6本監督するに至った。 本作の大ヒットによってバートは、翌1978年に初めて、“マネーメイキングスター”のトップに輝く。この“マネーメイキングスター”とは、全米の映画館オーナーや映画バイヤーが、前年度の興行成績に貢献したスターを投票し、その集計の結果として選ばれるもの。バートはこの年から1981年まで、4年連続でトップの座を勝ち取ることとなり、紛れもない人気№1スターとして、君臨した。少なくともアメリカでは…。 なぜこんな書き方になるかと言えば、バートの人気は、日本ではついぞ盛り上がることがなかったからである。『脱出』や『ロンゲストヤード』のような、今も語り継がれるような作品に出演しながらも…である。この頃アクション俳優として、バートのライバルと目されたクリント・イーストウッドと比べると、日本での人気の違いがよくわかる。 イーストウッドは、TVシリーズの西部劇「ローハイド」(1959~65)で人気を得た頃から、セルジオ・レオーネ監督のマカロニウエスタン“ドル箱3部作”に出演した1960年代中盤、そして1970年代以降『ダーティハリー』シリーズ(1971~1988 全5作)などで大スターの地位を確固とした頃に至るまで、「スクリーン」や「ロードショウ」といった日本の映画雑誌の人気投票では、常に上位にランクインしていた。一方でバートは、“マネーメイキングスター”のトップに輝いたような時期でも、そうした投票でベスト10入りしたようなことは、寡聞にして知らない。 クールで寡黙な印象が強いイーストウッドが日本人受けしたのに対し、毛むくじゃらのヌードの印象も相まって、良く言えばホット、悪く言えば暑苦しい印象を抱かせるバートのキャラは、当時の日本人には受け入れにくいものだったのかも知れない。 そんなバートのキャリアは、ライバルのイーストウッドと、2大アクションスターの共演と騒がれた、『シティヒート』(1983)が興行的に失敗した前後から、下降線に入る。イーストウッドがこの頃から監督としての評価もグングンと高め、1992年には『許されざる者』で、アカデミー賞の作品賞と監督賞を得たのとは対照的に、ヒットに恵まれなくなっていく。1989年から90年に掛けては遂に、「B.L.ストライカー」というTVシリーズの探偵ものに主演。今とは違ってこの頃は、ハリウッドでトップを取ったような俳優がTVドラマに出戻ることは、「落ちぶれた」以外の何ものでもなかった。 余談になるが、共に女性関係が派手であったイーストウッドとバート。1980年前後に公私共にパートナーであった女優に関しても、非常に対照的なこととなっている。 本作『トランザム7000』に始まり、『ジ・エンド』(1978 日本未公開)『グレートスタントマン』(1978)、そして本作続編の『トランザム7000 VS 激突パトカー軍団』(1980)まで、バート映画の付属物のように相手役を務めた、サリー・フィールド。彼女はその合間の1979年に出演したマーティン・リット監督の『ノーマ・レイ』で、アカデミー賞主演女優賞を受賞。更にバートと離別後の『プレイス・イン・ザ・ハート』(1984)で2度目のオスカーに輝き、1980年代後半にはキャリア的に、元カレを完全に逆転する形となった。 一方、『アウトロー』(1976)から『ダーティハリー4』(1983)まで、イーストウッドの監督・主演作に6本出演し、私生活でも12年を共にしたのが、ソンドラ・ロック。1989年に2人が破局後、イーストウッドは先に書いた通り、監督としてピークを迎えていくわけだが、一方でロックの方は、イーストウッドに慰謝料請求の訴訟を起こしたり、2人の関係の暴露本を書いたりと、専らゴシップばかりが取り上げられるような存在となっていく…。 些か脱線してしまったが、その後のバートの俳優人生に於いては、齢60を超えた1997年、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』で演じたポルノ映画監督の役で、キャリアでは最初で最後のオスカー・ノミネート=アカデミー賞助演男優賞の候補になるという、“復活劇”があった。それもつい昨日のことのように思っていたが、今年の9月になって、バート82歳での訃報を聞くこととなった。いかにもバートとその出演作を愛していそうな、タランティーノ監督の新作出演を目前にしての急死と聞くと、溜息が出る。 バートより6歳年長のイーストウッドが、ハリウッド屈指の大監督として、未だバリバリの現役であることを思うと、余計に…。◼️ © 1977 Universal Pictures. All Rights Reserved.