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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(6)
飯森:最後に語っておきたいのが、ザ・シネマ社内で勃発した“「ブリングリング」ゲイ論争”です。 なかざわ:へ? どういうことです? 飯森:いや、あの作品が公開された時に、いつもの調子でうちのスタッフと感想や解釈について雑談していたんですけれど、僕は主人公の男の子がゲイだとは全く気付かなかったんです。本国のティーザー【注73】版ポスターには、主人公たちが格好つけてかけるサングラスだけが縦に並んでいて、そこに各キャラクターそれぞれの肩書きが書いてあるんですね。こいつが「首謀者」、こいつは「スター」みたいな感じに。で、この男の子のサングラスにはThe Right-Hand Manと書かれているんです。直訳すると「右手男」。これはどういう意味だろうと。日本では頼りにしている手下のことなどを「ボスの右腕」なんて呼んだりしますが、果たして英語の慣用表現でもそう言うのか?まあ、辞書で調べれば一発で分かったものを、調べるまでもなく、僕はマスタベーションのことだろうと即・思ったわけです(笑)。「右手が恋人」って表現が日本語にはあるじゃないですか。 なかざわ:はいはい、だったら左利きの人はどうするんだって話ですけどね(笑)。 飯森:左手だと他人に手コキされてるみたいでもっと気持ちいいという真面目な学説もありますが(笑)。まあ、それはいいとして、僕はThe Right-Hand Manというのを、オナニーしまくっている童貞野郎という意味に曲解したんです。 なかざわ:いやいや、英語でも「右腕」で正解ですよ(笑)。 飯森:首謀者である中国系の娘の右腕ってことが正解だったんですけどね。僕は、転校生で友達のいない主人公が、たまたま仲良くなった女の子とつるんで女子グループに入れてもらい、あわよくば誰でもいいから一発やらせてくれ!一番気が合う中国娘だったら最高だけれど、ハーマイオニー【注74】でも相手にとって不足はない、他の名も無き脇役みたいな娘たちでも一手ご指南願えるんだったら選り好みはしないんで是非とも!というわけで、彼女たちに気に入られようとワンチャン狙いでパシリとして仕える“童貞残酷物語”だと勘違いしちゃったんですよ。これがね、うちの女性スタッフによると「違う!彼はもともと男子グループよりむしろ女子グループにこそ入りたいようなメンタルの持ち主なんだ」と。男同士つるんでマッチョにスポーツなんかするよりは、女子に混じってファッションの話をしたいゲイの男の子なんだと言うんですが、悔しいことに僕には1ミリたりともゲイの要素がないので、当時はその解釈に納得いかなくて大論争にハッテン、もとい発展したんですよ。僕はゲイの考えは分からないけど、童貞の考え方なら理解できる。っていうか残念ながらそれしか理解できない。なので、主人公と主犯格の中国系の女子とは波長の合う親友、という描き方をソフィアたんはしていただけだったんですが、僕には主人公が彼女に惚れていて、やりたがっているようにしか見えなかった。そして、最後には捕まって刑務所送りになる。刑務所行きの護送車で、ダニー・トレホ顔【注75】とかアイス・キューブ顔【注76】が並ぶ囚人の中、ツルンとした顔の紅顔の美少年がただ1人。これはもう… なかざわ:完全にやられちゃうなと(笑)。 飯森:女子とやりたい一心で犯罪にまで手を染めちゃった童貞小僧が最後はダニー・トレホにやられちゃうという、まことに皮肉な、因果応報なお話でしたとさ!と綺麗にオチがつく解釈のはずだったんですけれど、うちの女性スタッフからは「どこをどう見たらそんな話になるんだ!ソフィアを汚すな!!」って憤慨されましてね(笑)。その後で、いろんな人の話を聞いても、僕以外は全員、あの子はどう見てもゲイじゃん?って言うんですよね。 なかざわ:まあ、確かに彼の立ち位置は微妙ですけれどね。明確に彼はゲイです、っていう直接的な描写もありませんし。 飯森:でも、彼がパリス・ヒルトンの家から盗んだ靴を、下着姿になって履くシーンがありますよね。 なかざわ:とはいえ、世の中にはノンケでも女装が好きな人は結構いますし、なにしろ、パリス・ヒルトンの靴ですから、思わず履いてみるっていうのも有り得ますよね。シャンパンを注いで飲む奴もいそうですけど(笑)。 飯森:それじゃ元彼のタランティーノじゃないですか(笑)。でも、ですよねえ!僕だって絶対に履いちゃいます。綺麗な女性芸能人の靴が手元にあったら、そりゃノンケだって普通は履いてみるでしょう。でもね、今となっては、この論争は勝負アリなんですよ。僕の完敗です。まず過去の監督やキャストのインタビューを見ると、「彼はゲイ」と明言していたんですよ。もちろん、映画は作り手のものではなく我々観客のものなので、受け手によって解釈は自由です。見る方がノンケだと感じたのならそれがその人にとっては唯一絶対の正しい解釈なんですけど、ただしこの論争に関しては、僕が全面的に間違っていたと負けを認めざるをえない。というのも、もしこいつがノンケだとしたら、今まで述べてきたソフィアたんの作家性と合致しなくなってしまうから。 最後に刑務所へ護送車で送られていく彼の表情がその決定的証拠です。罪の意識や後悔の念を感じているようには見えない。女子たちの誰かに童貞を捧げられなかった無念さも無論ありません。彼が脱童貞のために女子のパシリをしていたノンケなんだったら、ここで「女とやりたくて犯罪にまで手を染めたのに、結局やれず終いで、逆に男にやられちゃうのかよ、チキショー!」という顔をしていなければならない。でも、 それどころか、満足気な達成感すら見て取れるんです。微妙に眩しそうに微笑んでいるように見える。たまたま異性だった、恋愛には発展しえない親友の女子と、思いっきりやりたい放題を楽しんだ、そのキラキラした瞬間の数々、“10代キラキラ”と“ラブストーリー一歩手前キラキラ”を思い返して眩しそうに目を細めている。そう解釈したほうがよほどソフィアたんらしい。 なかざわ:そう考えると、彼女はセックスというものを、結構どうでもいいものに分類しているように思えますね。 飯森:だから、前月のヴァレリアン・ボロフチック特集の次にソフィア・コッポラを特集できるというのは、本当に良かったと思うんです。セックスというものが人間にとって欠くべからざる重要なファクターだというボロフチックに対して、セックス?恋愛?どーでもいいわ!というのがソフィアたん。彼女はそういう白か黒かみたいなことには興味がなくて、その中庸にこそホンワカとした機微のようなものを見出している。ここはぜひ、オジサンたちもボロフチックは見るでしょうから、今回ソフィアたんの作品にも触れていただいて、十代の頃に戻ってもう一度“キラキラ感”を体感して欲しいと思いますね。うおっまぶしっ! (終) <注73>一般的には本格的な広告展開を行う前の段階として、商品などの詳細を明かさないことで消費者の注意を喚起する宣伝手法のこと。映画やテレビドラマなどにおいても、作品のタイトルやイメージ画像のみを使用したポスターや予告編を流布し、その次に展開する正式なポスターや予告編へと繋げていく。 <注74>「ハリー・ポッター」シリーズのキャラクター。演じるのはエマ・ワトソン。1990年生まれ。イギリスの女優。「ブリングリング」では、空き巣に積極的に加わりながら家庭では良い子を演じ、事件発覚後は巻き込まれただけと主張する悪役を好演している。<注75>1944年生まれ。アメリカ出身の俳優。元ギャング。コワモテの悪役俳優として活躍し、「マチェーテ」シリーズ(’10、’13)で主演し注目される。<注76>1969年生まれ。アメリカ出身のラッパー、俳優。伝説のヒップホップグループN.W.A.の元メンバーで、映画に進出してからは出演だけでなく、製作、脚本、監督までこなす。 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(5)
なかざわ:そろそろ「マリー・アントワネット」に行きましょうか。 飯森:これまでに説明したソフィアたんの良いところが全部詰まっていて、製作費的にも一番お金がかけられていて、しかもマリー・アントワネットという日本人にも馴染みのある題材を取り上げている、個人的なイチオシです。と同時に、実は僕が一時的にソフィアたんを嫌いになる決定的要因となった作品でもあるんですよ。というのも、司馬遼太郎【注46】なんかを好んで読んでいる僕みたいなオジサンが、マリー・アントワネットの映画を見に行くということは、当然のことながらドラマチックな歴史大作を期待していたわけです。ところが、お話は確かにみんなが知っているマリー・アントワネットの伝記なんですけれど、この映画にはドラマチックな要素が全くない。なので、歴史にロマンを求めるオジサンとしては、これにはカチンときちゃいましてね。「いいとこのお嬢ちゃんが俺の領分にまでチャラチャラ入ってきたな!あんたに歴史が分かるの!?」と。 なかざわ:実際、当時はそういった批判もありましたよね。 飯森:しかし、今となってはそんな自分の見る目の無さを恥じ入るばかりです。ソフィアたん、ごめんね…。彼女の作家性の核となるのが“キラキラ感”であることは申してきましたが、「マリー・アントワネット」も同じだったんですよ。歴史のロマンを描こうとしていなくて、見どころは“キラキラ感”なんです。特にこの作品は、彼女の作品群の中でもダントツに眩しい。見た目的にはキャンディ・ポップ【注47】で、サーティワン・アイスクリーム【注48】みたいなというか、マカロン【注49】みたいなというか、そういう色彩に溢れている。 なかざわ:実際にマカロンも出てきますしね。 飯森:衣装の色彩設計も本当にマカロンを参考にしたらしいです。でも、そんなドレスは当時存在しない。 なかざわ:時代考証的には完全に間違っていますよね。靴だってマノロ・ブラニク【注50】だし。 飯森:だから、公開当時は「こんなものけしからん!キューブリックの『バリー・リンドン』【注51】を見習え!」って無茶なキレ方をしていたんですが、でも見習わなくて本当によかった!だって、忠実な時代考証に基づいたドラマチックな歴史映画を見たければ、まさに「バリー・リンドン」を見ればいいんだから。ソフィアたんは確信犯で「従来のような歴史映画には絶対したくない」とはっきり宣言している。つまり、司馬遼好きの歴史オジサンなんて、はなっから相手にしていないんですよ。だから、本作で衣装を担当したのは「バリー・リンドン」でオスカーを獲ったミレーナ・カノネロ【注52】なんです。ミレーナ・カノネロ本人が、その、時代考証的には間違っているマカロン色の衣装も本作では手がけている。で、またアカデミー衣装デザイン賞を獲った。人と同じことを真似してやっても無価値ってことなんです。その当たり前のことに今回僕は初めて気づいた。 なかざわ:音楽だって’80年代のニューロマ系【注53】が中心ですし。バウ・ワウ・ワウ【注54】とかアダム・アント【注55】とかですよね。 飯森:そのバウ・ワウ・ワウのヒット曲「アイ・ウォント・キャンディ」【注56】が流れるシーンが、“キラキラ感MAX”なんです。フランス宮廷での生活に慣れてきて、楽しくて楽しくて仕方ないマリーは、めいっぱい浪費をするわけです。高いものや綺麗なものが大好き。どんどんお買い物をして、靴やらマカロンやらが堆く積み上がっていく。パーティーやって夜遊びもやる。そういう映像をパッパとつないでいくミュージックビデオのようなイメージシーンでその「アイ・ウォント・キャンディ」が流れる。あと、「ブリングリング」でパリス・ヒルトンの豪華なクローゼットを披露したように、本作でもありとあらゆるお洒落アイテムを収蔵したマリー・アントワネットのウォークイン・クローゼットが出てくる。 なかざわ:ファッション好きな人が見たら興奮が止まらないでしょうね! 飯森:“クローゼット・パラダイス”って言葉もまた作ってみたんですが、そろそろ作りすぎですかね(笑)。“クローゼット・パラダイス”は着道楽の人には堪らない、いつまででも見ていたいシーンですよ。あんなクローゼットがあったら、もうどれを着ていこうか悩まなくて済む。あらゆる色、素材の衣類やアクセサリーが自宅にある。「これと合う色がない」とか「素材感がチグハグ」とかいった朝の悩みから永久に解消される!どんなコーディネートも自由自在で、思いついたことが即・形にできる。パラダイスは天上になくてもよくて、自宅のあの程度の空間で十分なんだ、それを眺めているだけで観客は多幸感に満たされるんだ、って演出を最初に発明したのは「SATC」【注57】の方が先かもしれませんけど、ソフィアたんはこの「クローゼット・パラダイス」表現をさらに一歩進めてみせた。 あと、マリー・アントワネットは夜遊びにもはまって、夜な夜な無断外泊をしてパリの舞踏会で踊りまくるんですけれど、この朝帰りのシーンにも注目して欲しい。馬車に揺られたマリーが、徹夜明けでちょっとグッタリし、ガラス窓にもたれかかって朝焼けを眺めながら、パリの盛り場から自宅であるベルサイユ宮殿【注58】へと戻っていく。この感覚がね、渋谷で夜遊びをした若い子が始発の山手線に乗って、電車に揺られながら、東から昇る朝日の暖かさを頬に受けて自宅へと帰っていく、あの二十歳前後にしかない達成感と虚脱感の入り混じった感覚そのものなんですよ。オジサンになった今となっては遊びで徹夜なんて楽しくもなんともないから極力御免被りたい。体力的にあとを引くし仕事にも支障が出るし。でも若い頃は楽しかったでしょ?世界に対する征服感というか、つい数年前まで許されなかった夜遊びをして、見たことのなかった朝焼けを見るわけです。あの朝焼けは間違いなくキラキラしていたでしょ?その“キラキラ感”を、18世紀のフランスを舞台にした映画で再現しちゃっている。凄いことですよ! しかも、それが重要な意味を持つことを示すかのように、同じようなシーンは二度出てきます。同性・異性の友人たちグループと夜っぴて遊び疲れ、一緒に昇る朝日を見に屋外に行く時、疲れ切ってて会話もろくに無い状態で、朝焼けに刻々かわる空をグッタリ虚脱しつつウットリ陶然としながら、惚けたようにみんなで見つめる。その、彼ら込みの風景の、なんとキラキラしていることか! あと、オールナイトの夜会で旦那のルイ16世【注59】がベルサイユ宮殿へ帰りたがるくだりが出てくるんですよ。眠いし疲れたと。でも、マリーにとって夜はこれから。そこで彼女はこう言うわけです。「あなた、朝日の昇るところ見たことないでしょ?」と。朝日童貞だと。すると、旦那は「朝日くらい見たことあるさ!」と切り返す。「夜も明けきらないうちから公務で狩りに行くから、朝日なんて何度でも見たことがある」と言い返すわけです。野暮天としか言い様がないんですよ!するとマリーは「その朝日じゃないのよね…」という呆れ顔をしてみせる。つまり彼女が言っているのは、午前4時台の山手線の車窓から見える朝日、冒険の成果として獲得した朝日のことなんだけれど、ルイ16世にはその違いが分からない。 なかざわ:それもまた、ある年齢の若者だけが見ることのできる“キラキラ感”ですね。 飯森:ルイ16世が言っているのは、「部活の朝練で俺はいつも夜明け前に起きてる」とか「新聞配達のバイトで夜明け前に起きてる」とかですよね。どんだけ野暮天なんだよ陛下は!まぁ、遊び好きの女の子にとっては、あんまり一緒にいて楽しい奴じゃないだろうとは思いますね。 だから、ということでもないんですけど、先ほども言ったように、本作では「ベルばら」でもお馴染みのスウェーデン貴族フェルゼンが出てきます。マリー・アントワネットと運命の大恋愛を繰り広げた人物ですね。ところが、アンチ恋愛主義者と思われるソフィアたんは、まるっきりと言っていいほど彼との恋愛を描かない。ちょっとした恋の駆け引き的なセリフこそあれど、特にそこ広げるでもなくフェルゼンはフェードアウトしていきます。「ベルばら」だと例の野沢那智さん【注60】が声をやっていて、止め絵【注61】とか3回パン【注62】とかの出崎演出【注63】が大げさに炸裂して、一世一代、運命の恋が劇的に描かれているんですけどね。 なかざわ:ソフィアのロマンスに対する無関心って、清々しいくらいに一貫していますね。 飯森:そして、最後はフランス革命【注64】が起こるわけですが、そこは異常にアッサリ。これに僕なんかは公開時に噛み付いたんですが、ソフィアたんはそこを描きたいわけじゃないからアッサリだったんです。民衆がベルサイユ宮殿になだれ込んできて、マリー・アントワネットは彼らに対して深々と頭を下げる。それでも許されずにベルサイユを追放されてパリで幽閉されることになる。その際、馬車に乗せられて連れて行かれるのだけれど、同じ馬車に子供たちと野暮天の旦那もいる。その旦那さんとマリーは優しく見つめ合ってね、「酷いことになっちゃったけど、一人で連れて行かれるわけじゃないからお互いに良かったわよね、貴方もいるし子供たちもいるし…」みたいなことを、ふっと苦笑いみたいな微笑みで表現する。ルイ16世も同じように微笑み返す。幼いうちに政略結婚させられた上、ルイ16世は性的不能者だったらしいので、マリーは結婚後も7年くらいに渡って処女だったと言われています。つまり、好きで結ばれたわけではないし、二人の間に恋愛要素はなかった、一人は派手好きの遊び好きで一人は野暮天。だけど、それでも一応はいたわりあいながら共に生きてきた異性のパートナーとして描かれている。ラブストーリー一歩手前の男女を描いてきたソフィアたんの面目躍如たるところだと思います。ここにも“ラブストーリー一歩手前キラキラ”の眩しさがちょっとあったように記憶してます。この眩しさが描きたかったんでしょうね。どぎつい革命の流血沙汰なんか描きたくなかったんだろうと今なら分かります。 なかざわ:そう言われると確かにそうです。 飯森:ちなみに、マリー・アントワネットの夜遊び仲間として、ポリニャック夫人【注65】とランバル公妃【注66】が出てきます。ポリニャック夫人は仲間の中でも一番賑やかで騒々しくて、ランバル公妃はいつもニコニコしながら黙っている控えめな女性。そんな彼女たちが、その後どうなったのか。この映画では描かれていませんが、うるさい女ポリニャック夫人は真っ先にマリーを見捨てて亡命します。一方の大人しいランバル公妃はマリーのことをかばい、最期までともに行動をしたせいで暴徒に惨殺されてしまった。民衆はその首を棒に突き刺して、マリーのいる監獄の窓へ向かって掲げて見せたと言われています。お前もこうしてやるから覚悟しろ、ってことですね。フランス革命というのは、ある面では今のIS【注67】みたいな状態になっていたわけですよ。「余談ながら」とこういうエピソードをどうしても付け足したくなるのが、司馬遼オジサンの悪い盛り癖なんですけれど(笑)。 なかざわ:ポリニャック夫人を演じているのはローズ・バーン【注68】ですね。彼女はドラマ「ダメージ」【注69】の真面目な若手弁護士とか、映画「インシディアス」【注70】シリーズのお母さんの印象が強いので、しとやかで清楚なイメージだったのですが、そういう意味では異色のキャスティングでしたね。まあ、「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」【注71】ではビッチな役どころでしたけど。 飯森:ランバル公妃役はメアリー・ナイって女優さんで、「誰だお前!?」って感じですけど、なんとビル・ナイ【注72】の娘さんということで、ソフィアたんとは七光りつながりのお友達なのかな?ふくよかで温厚そうで、セリフも大してない割にはすごく印象的で美味しい役でしたね。こんな女性が生首を串刺しにされたとはねぇ…劇中では出てきませんけど。 とにかく、フランス王国の国家財政を遊興で破綻させたという悪名高い歴史上の人物マリー・アントワネットを、ソフィアたんは“10代キラキラ”の次元まで引き戻してくることで、ちょっとはヤンチャもした全ての元10代が共感できる少女として見せているんです。買い物しまくって夜遊びして朝帰りしただけの女の子のお話。誰でも身に覚えのある若さゆえの放逸。「それって首まで斬られなくちゃいけないほどの悪かよ!?」と見終わった後で思わずにはいられない。今“お馬鹿セレブ”なんて呼ばれて叩かれている、パリス・ヒルトンとかそれに続く向こうの若い有名人の派手で無軌道なライフスタイルにしたって、彼らはマリー・アントワネット同様、我々庶民と違いカネを持ってるから乱痴気騒ぎのスケールがおのずと大きくなってしまうだけで、カネの無い我々にしても無いなりのスケールで若い頃は乱痴気騒ぎをしてたじゃないか。カネに比例したスケールの大小こそあれ、やってることの性質は同じ。誉められたものではないにしても、そこまで叩かれるべき悪なのか?大人ぶって常識ぶって叩けるほど我々元10代のオジサンは潔白だったっけ?なんてことまで思います。 いずれにしても、ソフィアたんの作品を振り返ってみると、彼女は単なる親の七光りでもなければ、ガーリーという言葉で片付けられる監督でもない。10代後半のキラキラをもう一度追体験してみたいという、全ての老若男女が見る価値のある映画を作り続けている、唯一無二の映像作家です。 なかざわ:それが彼女の作家性というものですね。 <注46>1923年生まれ。日本の小説家。「梟の城」で直木賞を受賞。歴史を題材にした小説で知られる。その他の代表作に「龍馬がゆく」「国盗り物語」など。1996年死去。 <注47>キャンディのようにカラフルでポップなアイテムなどのことを指す俗称。<注48>アメリカ発祥のアイスクリームのチェーン店。<注49>フランスを代表する焼き菓子。メレンゲに砂糖とアーモンドパウダーを加えたもの。カラフルな色合いと風味が人気。<注50>イギリスの高級靴ブランド。故ダイアナ妃やマドンナなどのセレブも愛用。 <注51>1975年制作、イギリス映画。全編をロウソクの光や自然光のみで撮影するなどし、18世紀ヨーロッパの雰囲気を忠実に再現した。アカデミー賞で4部門を獲得。スタンリー・キューブリック監督。 <注52>1946年生まれ、イタリアの映画衣装デザイナー。「バリー・リンドン」(’75)、「炎のランナー」(’81)、「マリー・アントワネット」(’01)、「グランド・ブダペスト・ホテル」(’14)で4たびアカデミー衣裳デザイン賞に輝く。<注53>正式名称はニューロマンティック。’70年代末から’80年代にかけて、イギリスから生まれたロック音楽のジャンル。代表的なアーティストはカルチャー・クラブやデュラン・デュランなど。 <注54>1980年に結成されたイギリスのロックバンド。日本でもTVCMに出演するなど大ブレイクした。 <注55>1954年生まれ。イギリスのロック歌手。’77年に結成したバンド、アダム&ジ・アンツでブレイクし、’82年の解散後はソロとしても活躍。 <注56>1982年に全英チャート9位をマークしたヒット曲。 <注57>1998〜2004年制作。アメリカのテレビドラマと、それをもとにした2008年と2010年の映画。NYに暮らすキャリア女性4人組の、奔放、かつ、お買い物中毒・ファッション・アディクトともいえる派手な暮らしぶりが話題となりヒット。<注58>1682年に建築されたフランスの宮殿。王族らが住んでいた。現在は世界遺産に指定されている。 <注59>1754年生まれ。フランスの国王。フランス革命で捕らえられて処刑された。1792年死去。 <注60>1938年生まれ。声優。2010年没。その代表作でありながらDVD/BD未収録だった『ゴッドファーザー』吹き替え特集をザ・シネマ10周年特集として放送し話題を集めた。前々回の対談のトークテーマ。 <注61>出崎演出の特徴の一つで、劇的なシーンでアニメの動きを止め、セル画調のベタ塗りではなく水彩画のような濃淡のムラのある一枚絵で印象を強調する手法。 <注62>出崎演出の特徴の一つで、映像で、キャメラを横に振ることが「パン」。それを同じ短い絵で3回リフレインして、印象を強調する手法。 <注63>止め絵や3回パン、透過光による逆光表現などを用いて、アニメにドラマチックな効果をもたらす演出術。出崎統は1943年生まれのアニメ監督。代表作は「あしたのジョー」(’70)や『エースをねらえ!』(’73)、「ベルサイユのばら」(’79)など。2011年死去。 <注64>18世紀後半に起きたフランスの市民革命。それまでの絶対王政から共和制へと移行した。 <注65>1749年生まれ。マリー・アントワネットの取り巻きとして、その優位な立場を私利私欲に使ったことで悪名高い。1793年、亡命先のウィーンで死去。<注66>1749年生まれ。マリー・アントワネットの女官。フランス革命時には国王一家を救うために奔走し、そのせいで1792年、暴徒に首を切り落とされた。 <注67>イスラミック・ステートの略。イラクやシリアの一部を支配しているイスラム過激派組織。 <注68>1979年生まれ。オーストラリア出身の女優。「トロイ」(’04)でブラッド・ピットの相手役を演じて注目される。 <注69>2007年から2012年まで放送されたアメリカのテレビドラマ。冷酷非情なベテラン弁護士パティと真面目な若手弁護士エレンの女同士の対決を描く。 <注70>2010年制作、アメリカ映画。怪奇現象に見舞われた一家の恐怖を描く。<注71>2011年制作、アメリカ映画。親友の花嫁介添え人に選ばれた女性を描くコメディ。アカデミー賞2部門ノミネート。 <注72>1949年生まれ、イギリスの俳優。「ラブ・アクチュアリー」(’03)の高齢者ロックシンガー役で英国アカデミー助演男優賞を受賞。代表作に「パイレーツ・ロック」(’09)、「マリーゴールド・ホテル」シリーズ(’12、’15)など。 次ページ>> ザ・シネマ社内で勃発!“「ブリングリング」ゲイ論争”の顛末 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. 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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(4)
なかざわ:ちなみに、これは全く個人的な感想なんですが、「ロスト~」は映画ライターとして非常に興味深い見所がありまして。まずはCM撮影で日本人監督の長い演技指導を、通訳がバッサリと一言で説明してしまうシーン。意訳しすぎ!っていう(笑)。 飯森:あそこは僕も爆笑しました。ウイスキーのCMで、ディレクターが「もっと感情を込めて!これ、サントリーの最上位のブランドなんだから、高級感を込めつつ、かつ、親友と再会した時のような、思いのこもった懐かしい口調(?)で、商品名を万感こめて言って」とか何とか無理難題を言って、熱っぽく指示を出しているのに、一言「もっとゆっくり言ってください」と通訳されちゃう。ビル・マーレイも「えっ、それだけ?彼は絶対もっと何か言ってたでしょ!」と当惑する。「高級感+懐かしい友と再会した時の感じ」は、確かに早口じゃダメにせよ、単に機械的にスローに言うだけでは表現できないでしょ! なかざわ:ああいう事態って、外タレの来日インタビューの現場において、さすがによくあるとまでは言いませんし、あそこまで大胆に端折る通訳さんもまずいませんけど、でも似たようなことはあるよね!とニンマリさせられました。私は多少なりとも英語が理解できるので、肝心な部分が省略されても外タレ本人のコメントから拾えますが、記者が全員英語が分かるわけではない。中にはだいぶ意訳してしまう通訳さんがいるんですよ。それでもせめてコメントの主旨が伝わればいいと思うのですが、省略しすぎたせいで発言内容の辻褄が合わなくなることもありますし、中には発音を聞き間違えて誤訳しているケースもあります。 飯森:僕も“記者会見あるある”だなと思いました。昔は来日記者会見にもよく行っていましたから。でも今の僕は、困ったことに、ああいう事態に当事者として巻き込まれちゃってるんですよ。まぁ、この CMディレクターさんみたいに偉くはないけど、僕もザ・シネマの様々な物作りをする上で、立場上は指示を出さないといけない側の人間じゃないですか。で、やはり「高級感を込めて」とか「親友と再会した感情を込めて」とか、そういった細かい感情のニュアンス指示は出しますよ。たとえや形容詞をあれこれ使い、映画のシーンやキャラを例に出して、どうにか細かいニュアンスまで相手に伝えようと長く話しちゃう。長い中のどこか一箇所でいいからピンときて、物を作る上で理解の鍵にしてくれたらと。しかしですねえ、15分も話したことが一言で済まされてしまう(笑)。そういう人が実際たまにいるんですよ!たとえば、「オシャレ」でも様々なニュアンスの「オシャレ」があるじゃないですか?「ブリングリング」のような今どきの若者っぽいオシャレさなのか、「ヴァージン・スーサイズ」のような’70年代っぽいレトロなオシャレさなのか。レトロと言ってもソフィアたん系か、それともタランティーノっぽいのがいいのか。その微妙な違いを伝えんがために15分も喋りまくって「そういうオシャレ感をもっとプラスして」と指示しているのに、「一言で言うともっとオシャレにってことですね!」で済まされちゃうと、「大丈夫かなぁ?」と心配になってくる。で、案の定、上がってきたものを見ると「そっちのオシャレじゃなくてこっちのオシャレだって説明したじゃんかよ!」みたいな齟齬が、よく生じる。一言で言えることなら15分も話してないって! なかざわ:日本語同士なのにロスト・イン・トランスレーションですか(笑)。 飯森:だから今回見直してみたら我がことのように共感できた。やたらめったら「一言で言うと」って話を単純化したがるのはよくない。それって「細かいことはどうでもいい」と言ってるのと同じですから。少なくとも、ウイスキーのCMとか映画チャンネルとかで、人と一緒に情感を視覚化するような表現の仕事においては、細かいことこそが重要なので大変よくない。いわんや通訳も。無口な通訳なんて、職場放棄ですよそれ。とにかく、そんなような、似たような経験のある人は、あそこでは笑えると思います。ただ、公開当時の僕には幸か不幸かまだそういう愉快な人生経験が足りなかったので、そこでは笑えず、全編東京ロケという点だけが唯一この映画の引きの部分だった。 なかざわ:その東京ロケの描写というのも、そこを日常の生活の場として暮らしている我々とはちょっと違う視点ですよね。確かに東京ではあるんだけれど、僕らの知っている東京とは印象が異なる。あれって、ホテルの窓から東京の表層だけを眺める異邦人の肌感覚なんですよ。取材で頻繁に海外を訪れる僕としても、それはすごく良くわかる。たとえばロサンゼルスには数え切れないほど行っていますが、僕の知っているロサンゼルスと、そこに住んでいる人のロサンゼルスは違うはずです。だから、公開当時あの作品に出てくる東京や日本人の描写に違和感を覚えた人も多かったと思うんですが、似たような経験をしている僕から見れば、逆に極めて正確だと思うんです。そもそも、生活習慣も考え方も違う外国人の見る日本が奇妙に見えるのも仕方がない。 飯森:監督自身も、短期間ではあるけど実際に日本に滞在していた経験があるらしいので、決して嘘臭い描写は無いんですよね。たとえば、「47RONIN」【注42】のように無茶苦茶な勘違いや間違いはない。逆に、そうした異邦人の感じるアウェイ感をちゃんと捉えている点は地味に凄いと思います。 あと、僕は長いこと日本のドラマやお笑い番組を全く見ていないんですけれど、この作品で「Matthew’s Best Hit TV」【注43】っていう日本のバラエティー番組が出てくるじゃないですか。そこにハリウッド俳優がゲストで出演するわけですけど、日本のお笑い文化を理解していないから、「これのどこが面白いの?」とキョトンとしてしまう。あれは普段バラエティーを見ない僕としては激しく同意しましたね。“日本のお笑いあるある”。 なかざわ:日本人では飯森さんくらいかもしれませんよ、そこで共感したの(笑)。 飯森:よく日本人で「アメリカのコメディーはつまらない」と言ってる人がいますが、それって単に「所変われば品変わる」ってだけの話で、相手からも同じことを逆に言われているんですよ。優劣じゃないってことですね。 あと面白いなと思ったのは、劇中でハリウッド俳優に付いて回る日本企業の担当者が、広告代理店の社員を紹介するシーン。スターは5~6人の日本人から次々と名刺を渡されて挨拶をするのだけれど、あれって日本人的にはよく見る光景ですよね。でも、よくよく考えると意味がなくて、無駄な習慣というか、はっきりと困った悪習だったりする。 なかざわ:ああいう、現場に直接関係のない人をズラズラと連れてくるのって、僕の知る限りでは日本特有の光景ですよ。たとえば、日本だとタレント1人につき事務所の関係者や広告代理店、スポンサー企業など、なんでこんなにいるの!?ってくらい大勢の人間が金魚のフンみたいについてくる。まあ、タレントの知名度によって人数も変わりますが。あんな光景、海外では見たことないですよ。それこそ、ハリウッドのベテラン大物俳優さんだって、自分で車を運転して1人で取材現場にぶらりとやってくることもありますし。基本的にマネジャーすら付いてこない。とあるエミー賞【注44】の主演女優賞を取ったこともある有名な女優さんなんか、取材が終わって会場ビルの玄関前に一人でタクシーを待っていましたから。「あれ!?何やっているの?」って聞いたら「車を修理に出しているから今日はタクシーなのよ。ガードマンに電話で呼んでもらったから、もうすぐ来るはず。車がないって不便よねえ」だって(笑)。 飯森:それ超カッコいい!自立してるというか大人というか。いや、僕もあの日本式の無駄な光景を見ていると「ガキの使いじゃあるまいし…」っていつも思いますよ。なんなんですかねあれは?これに限っては優劣の問題かもしれませんね。アメリカは良くて日本の悪い面。当ザ・シネマでは、ゾロゾロと連れ立って詣でるのは絶対厳禁にしている。だから今日のこの取材だって、いつも僕が独りぼっちで単身フラリと東京ニュース通信社さんにお邪魔してるぐらいです(笑)。そもそも相手に失礼じゃないですか。現場で何をするわけでもない随員から次々と名刺を貰ったって迷惑なだけですよ。 なかざわ:しかも、その人たちと今後何かしらの関わりがあるのかといったら、ほとんどないですからね。形式だけの習慣はやめて貰えますか?って思います。 飯森:本当にあんたの顔と名前も覚えなきゃいけないの?限りあるオジサンの記憶力を無駄遣いさせないでよ!と。でも、あの光景を普通のことだと思っている大方の日本人は、普通にスルーしてしまったシーンかもしれない。いや、あそこ笑うところですから!恐らくソフィアたんは日本滞在中に実際そういうことがあって衝撃を受けたからこそ、あのシーンを脚本で書いたんだろうと思います。だから、この作品は我々日本人が気付かない日本独特の不条理を描いたコメディーとしても楽しめるんです。 ソフィアたんの映画って、お高くとまっているようでいて結構お茶目なんですよね。「SOMEWHERE」でも、主人公が次の映画で老けメイクが必要だというので、石膏を使ってマスクの型どりをすることになる。で、顔中に石膏を塗られるんだけど、その鼻の穴だけ開いて喋れない状態のまま、カメラはずーっと主人公の顔だけを撮り続けるんです。聴こえてくるのはスーコースーコー鼻息だけ。あそこはなんとも間抜けで笑える。「長えよ!」って。 なかざわ:子供の頃から慣れ親しんだハリウッド業界の、実は間抜けで笑える裏側というのを随所でさらっと描くのも彼女の映画の面白さかもしれません。 飯森:そういう絶妙なギャグセンスも彼女にはありますね。ある面ではコメディーなんです。 なかざわ:だから、特定のカテゴライズが出来ない監督ですよね。 飯森:いわゆるハリウッド・メジャー【注45】とは違う点だと思います。ラブコメとか、アクションとか、お決まりの型にはまらないところが。ジャンル・ムービーじゃないんですよね。 <注42>2013年制作、アメリカ映画。日本の「忠臣蔵」を独自に解釈して映像化したものの、もはや日本ですらない無国籍な風景や美術デザイン、衣装デザインなどが失笑を買った。 <注43>2001年~2002年に放送された音楽バラエティー番組。藤井隆の扮するキャラクター、マシュー南が司会を務める。<注44>テレビ番組などに関する様々な業績を称える賞で、1949年より毎年開催されている。世界のテレビ業界で最も権威があり、テレビ版アカデミー賞とも呼ばれる。 <注45>ワーナー・ブラザーズや20世紀フォックスなどハリウッドの大手映画会社、およびそこで作られる映画作品のこと。 次ページ>> 「マリー・アントワネット」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(3)
飯森:次に「ロスト・イン・トランスレーション」【注29】と「SOMEWHERE」【注30】をセットで喋らせて頂きたいと思います。「ロスト~」はアカデミー脚本賞に輝いた作品ですが、日本人にとっても「マリー・アントワネット」【注31】と並ぶソフィアたんの代表作として知られているかもしれません。なにしろ東京が舞台ですし。主人公はウイスキーのCMに出演するため来日したベテランのハリウッド俳優と、お洒落なファッション・フォトグラファーの夫にくっついてきた大学出たばかりの新婚奥さん。この2人がたまたま同じホテルに宿泊するわけです。 なかざわ:新宿のパークハイアット東京【注32】ですね。 飯森:このハリウッド俳優の置かれた状況がまさにロスト・イン・トランスレーション状態で、言葉が通じなかったり、日本人の習慣や感性が分からなかったりする。CM撮影やスチール撮影の現場で、どうにも歯車の噛み合わないもどかしさを感じているわけです。一方の若妻の方も旦那がさっさと一人で撮影旅行に出かけちゃって、いきなり右も左もわからない新宿に一人で放置される。そんな彼らがホテルのラウンジ・バーで知り合い、お互いにアメリカ人だってことで言葉を交わしていくうち、だんだんと仲良くなっていくわけです。で、誰かと一緒にいるってハッピーなことだな、と噛み締めながら、あっという間に東京滞在の期間が終わってしまい、それぞれの人生へと戻っていく。 なかざわ:面白いのは、お互いに親近感というか、惹かれあうものがありながらも、具体的にロマンスへは踏み込まないんですよね。 飯森:そこですよ!決してロマンスには行かない。でもベッドシーンはあるんです。そこは後ほど説明しますね。で、もう一方の「SOMEWHERE」ですけれど、これもハリウッド俳優の話。主人公は人気のアクションスターで、ロサンゼルスのシャトー・マーモント【注33】という実在するセレブ御用達の高級ホテルで暮らしながら、自堕落な生活を送っている。暇になると部屋にポールダンサー【注34】を呼んでエロ踊りを踊らせたり、映画スターの余得で向かいの部屋の宿泊客とセックスしちゃったり。そこへ、離婚した奥さんが連れて行った中学生くらいの愛娘が転がり込む。元奥さんの都合で、しばらく娘を預かることになるんです。それで一緒にお出かけして、一緒にご飯を食べて、一緒にTVゲームをする。なんてことはない娘との時間を過ごす。最後も別にドラマチックに娘と死に別れたりするわけでもなく、ただ単に預かり期間が終わったので娘が去っていくだけで、映画はアッサリおしまい。 なかざわ:確かサマーキャンプに行くんですよね。 飯森:で、その娘といた時間というのがまた、なんともキラキラしているんですよ。「ロスト~」の主人公たちの東京滞在もキラキラしていた。このキラキラは先ほどの「ヴァージン・スーサイズ」や「ブリングリング」の“10代キラキラ”とはちょっと性質が違うので、“ラブストーリー一歩手前キラキラ”と名付けたい。ショッキングなことを言うと、実は「SOMEWHERE」にもベッドシーンはある。父娘の間で。「ロスト~」でもハリウッド俳優と若妻のベッドシーンがある。 なかざわ:ただ一緒にベッドで横になっているだけでしょ? 飯森:そう!そういう意味での文字通りの“ベッドシーン”で、これは意図的だろうと思うんですよ。ラブストーリー一歩手前だからベッドの上では何も起きない。そもそも「SOMEWHERE」でそれが起きたら大変です!ボロフチック【注35】になってしまいますから(笑)。主人公はラブストーリーには絶対に発展するはずのない男女。「SOMEWHERE」は父娘だから当たり前ですが、「ロスト~」だってそうだと思いますよ。あの映画を恋愛映画だと言っている人もいますけど、本当か!?と。スカーレット・ヨハンソン【注36】がビル・マーレイ【注37】に恋愛的な意味で惚れていたと思いますか? なかざわ:思わないですよ。親愛の情は抱いていたと思いますけど。 飯森:そう!まさに「親愛の情」としか表しようのない感情ですよね。ビル・マーレイにしたって、確かに一般論として男は下心が最優先になる不便な生き物だけれど、彼という役者の場合、そんな印象をほとんど受けない。若い頃からそういう俳優で、女を食っちゃうにしても飄々とした斜に構えた感じを若いのに漂わせてましたけど、この歳になるとその方面では完全に枯れ果てた出涸らしに見える(笑)。あの天下のスカヨハのプリケツを前にして、しかもベッドで一緒に寝るのに!だから、恋に落ちることは絶対ないカップルに見えるんです。 なかざわ:最後にキスをして別れますけど、あれも恋愛のキスではなく親子のキスみたいな印象でしたし。 飯森:どちらの作品でも主人公たちは“デート”をしますが、でも、「今日はパパとデート」、「今日は異性の知人とデート」っていうノリですよね。〆でホテルに行かない方のデート。その楽しそうな時間を支配しているのは、またしても“キラキラ感”。ベッドを共にしても、例えば「ロスト~」の場合だと寝転がってお悩み相談大会になっちゃうし、「SOMEWHERE」ではベッドの背もたれに寄りかかって一緒にアイス食いながらテレビを見ている。恋愛一歩手前とか、父娘とか、男女のフレンドリーな関係の心地よさが、この2作品ではキラキラした感じで描かれているんです。 なかざわ:他者と繋がって心が触れ合うことで、前向きに生きていけるようになるというテーマが、どちらでも共通しているように思いますね。 飯森:「SOMEWHERE」の父親は泣いていましたよね。娘がいなくなったことで、またあの空っぽな生活に戻らねばならないのかと慄然とする。娘とのあのキラキラした日々が、いかに充実していたかを思い知らされるわけです。 なかざわ:確か最後に車を乗り捨てますよね。 飯森:そう、最初のシーンではフェラーリらしき車に乗ってグルグル回っていて、あれは解釈に苦しみましたが、ラストではフェラーリを乗り捨てていました。 なかざわ:あれって、それまでの自堕落な生活との決別を心に決めた瞬間だと思うんですよ。 飯森:だから冒頭ではフェラーリで同じ所を無意味にグルグル回ってたんだ!フェラーリは虚栄の象徴か! なかざわ:そういうことだと思います。 飯森:あとね、これは僕の私見なんですけれど、ソフィアたんは恋愛が嫌いだと思うんです。「ヴァージン・スーサイズ」でも、確かに近所の小僧どもはリスボン家の美人姉妹に憧れますけれど、彼女らは自分たちだけの閉鎖された世界でキャッキャしていて、外の男子と恋愛する気がなさそう。小僧どもはそれを遠くから指をくわえて見守ることしかできない。 なかざわ:彼女たちはさながら妖精のサークルですよね。 飯森:唯一恋愛っぽくなるのは、ジョシュ・ハートネット【注38】演じるイケメンの不良に三女のキルステン・ダンスト【注39】が憧れる展開ですけど、これにはとんでもないオチが付く。あの美少年が25年後にはどうなっているか。「あんた少女時代にイケメンから何か酷い目にでも遭わされたの!?」とソフィアたんの恋愛相談に乗ってあげたくなる、それくらい、憎悪さえ込めたような衝撃の展開(笑)。だから、彼女は恋愛が嫌いなんじゃないかと思えるんです。まあ、小僧どももジョシュ・ハートネットも原作通りではあるんですが。 なかざわ:そういえば、ソフィア・コッポラの作品で純然たる恋愛映画ってないですよね。 飯森:「ブリングリング」も主人公の転校生はゲイだから、親友の女子と意気投合こそすれ恋愛には発展しえない。あとで話す「マリー・アントワネット」ではフェルゼン【注40】が出てきますけど、「ベルサイユのばら」【注41】とは大違いで、何も起こらない。もしかすると、ソフィアたんの理想というのは、この人とは恋に落ちることはないけれど一緒にいるとすごくハッピーになれる、そんな異性のパートナーがいるって素敵じゃない?ってことなのかもしれない。女だからってラブストーリーを描くと思ったら大間違い、恋だの愛だのなんて私大っ嫌いなのよ!ダサっ!!とでも言わんばかりの剣幕を感じてしまう。勝手にそう僕が感じてるだけなんですが、本当に、過去に何かあったのか(笑)? <注29>2003年制作、アメリカ映画。アカデミー賞では作品賞など4部門にノミネートされ、脚本賞を獲得。 <注30>2010年制作、アメリカ映画。ヴェネチア国際映画祭では最高賞の金獅子賞を受賞。 <注31>2006年制作、アメリカ映画。アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞。 <注32>新宿新都心の新宿パークタワーに入居しているホテル。 <注33>1929年に創業したロサンゼルスのホテル。フランスの古城シャトー・アンボワーズを模したヨーロッパ風建築で、古くからハリウッド映画人に人気がある。 <注34>垂直の柱を使用したアクロバティックなダンスを踊るダンサーのこと。現在ではダンス競技の一種として認められているが、もともとはストリップクラブの出し物の一つで、本作に登場するポールダンサーもストリッパー。 <注35>ヴァレリアン・ボロフチック。1923年生まれ。ポーランド出身のフランスの映画監督。タブーを恐れない大胆な性描写で有名。代表作は「インモラル物語」(’74)など。2006年死去。ザ・シネマ10周年記念として前月に特集を組んだ。前回対談のトークテーマ。 <注36>1984年生まれ。アメリカの女優。本作では若妻役を演じる。そのほかの代表作には「真珠の耳飾りの少女」(’03)や「それでも恋するバルセロナ」(’08)、「アベンジャーズ」(’12)など。 <注37>1950年生まれ。アメリカの俳優。本作では中年のハリウッド俳優役。その他の代表作には「ゴーストバスターズ」(’84)や「3人のゴースト」(’88)、「天才マックスの世界」(’98)など。 <注38>1978年生まれ。アメリカの俳優。代表作は「パール・ハーバー」(’01)や「ブラックホーク・ダウン」(’01)、「ブラック・ダリア」(’06)など。 <注39>1982年生まれ。アメリカの女優。代表作は「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(’94)、「スパイダーマン」(’02)、「メランコリア」(’11)など。 <注40>「ベルサイユのばら」に登場するスウェーデン貴族。モデルとなったフェルセン伯爵もマリー・アントワネットの愛人だった。映画に登場するのは、こちらのフェルセン伯爵の方。 <注41>池田理代子による日本の漫画。フランス革命前後を舞台に、マリー・アントワネットら実在の人物と男装の麗人オスカルなど架空キャラクターの激動の運命を描く。宝塚歌劇団による舞台化を契機に空前の大ブームを巻き起こし、テレビアニメや実写映画にもなった。 次ページ>> 「ロスト・イン・トランスレーション」&「SOMEWHERE」(続き) 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(2)
なかざわ:では、そろそろ作品の方に話題を移しましょうか。 飯森:まずは「ヴァージン・スーサイズ」【注22】と「ブリングリング」【注23】をセットにしてお話したいと思います。 なかざわ:なるほど。どちらの作品も、ある特定の時期の少女たちに顕著な感受性というものを、ソフィア・コッポラならではの視点から描いているように思えますよね。 飯森:確か彼女って、一時期タランティーノ【注24】と付き合っていたことありましたよね?あれ彼女の方がファンだったんじゃないですか?まぁタラの方にもコッポラ一族とコネクションが欲しかったというのもあったのかもしれませんが。というのも、今回改めて「ヴァージン・スーサイズ」を見て、タランティーノの影響がかなりあるなって気がしたんですよ。 なかざわ:とおっしゃいますと? 飯森:ソフィアたんというと音楽のセンスが良くて、過去のポップミュージックから「よくぞこれを選びました!」という絶妙な楽曲を引っ張り出してくる。それが、その後も彼女の顕著なスタイルであり続けるわけですが、「ヴァージン・スーサイズ」にはタランティーノに共通するような音楽使いの良い意味での“雑さ”がある気がするんですよ。例えば、カットが変わると同時に引用した音楽もぶつ切りに終わらせちゃうとか。「この雑な感じ、70’sっぽくてダサかっこいいっしょ?」というのが’90年代のタランティーノの大発明だったじゃないですか。あの頃は’70年代がリバイバルで流行ってましたから。音楽だけでなく洋服のセンス、車のセンス、テロップや編集の過剰なケレン味なども含め、クール70’sの匂いが妙にタラ臭いんですよ。あれの女子版。まあ時代設定が’70年代の映画だからそうしてるってこともあるのでしょうが。 なかざわ:王道的な名曲とマニアックな楽曲を無造作に混ぜ込むあたりもタランティーノ的かもしれませんね。彼女って、幼少期に当たる’70年代の楽曲は結構王道寄りだけど、思春期に差しかかった’80年代以降の楽曲になると途端にエッジが効いていたりする。そんな選曲の傾向を見ていると、’90年代の申し子だなという印象を受けます。 飯森:それ!僕がタラっぽいと言っているのは、まさにその点なんです。非常に’90年代っぽい。タランティーノのフォロワーというか、ポスト・タランティーノというか。ただ、だから悪いと言っているわけじゃないですよ、「ヴァージン・スーサイズ」は事実上の長編デビュー作ですから、誰かの影響があるのは当然のことだと思います。と言っても、僕の気のせいかもしれませんけどね。 なかざわ:でも間違ってはいないように思いますよ。 飯森:で、この作品。冒頭でナレーションが入って、いきなり映画のオチを明かしちゃうんです。リズボン家の5人姉妹が自殺したと。なぜ彼女たちは自殺してしまったのか…ということを、近所に住んでいた、もしくは学校で同じクラスだった男子たちが、大人になった25年後に回想するというお話なんです。でも、結局その理由は最後まではっきりとは分からない。特に、一番下の妹がリストカットをし、一度は助かったのに結局投身自殺してしまう動機は一番不可解です。 映画開始直後、理由を描く暇もなく早速自殺しようとする。後からも答えは一切描かれない。でも、答えはその娘自身が最初の未遂の時に医師に向かってハッキリと明言してるんですけどね。 で、上のお姉ちゃんたち4人が遺されるわけですが、彼女らも特段に号泣したり精神的に荒れたりなどすることもなく、淡々と日常へ戻ってしまうのも、映画的には控え目すぎる気がするし、およそドラマチックじゃない。男の子たちに誘われて夜遊びなどもするけど、それも大して悪さをするわけじゃない。で、お母さんから厳しく叱られる。でも「厳しく」と言っても常識の範囲内ですよ?どの家でもあれぐらいは怒られる。「キャリー」【注25】の狂った母親みたいではないから、そこにも映画的な大げささは盛っていない。なのに、どうやらそれを苦にして自殺しちゃったみたいなんですよ。4人の姉妹全員が同じ屋根の下で同時に。これは何なのか?と。 なかざわ:唐突で意味が分からないですよね。死ぬほどのことなのか?と。 飯森:でもね、我々は今は分からなくなっちゃったかもしれない。なぜならオジサンになったから。最初に自殺未遂をしでかした妹が冒頭で医者にハッキリ明言してるんですよ、「10代の女の子じゃなければ死のうとした理由は分からない。先生には絶対分からない。オジサンだから」って。これは原作小説にはないから、脚本も書いてるソフィアたんが加えたと思われるセリフなんですが、答えは映画開始直後に出てたんです。「理由は10代にしか分からない」がこの物語にソフィアたんが出した結論なんですよ。 お姉ちゃん達の場合は、夜遊びの罰として外出禁止にされたから、って理由っぽいものが一応あるにはある。でもだからって「死んでやる!」という、その二つの釣り合わなさということは、我々はオジサンだから分かる。そんな損な話はないと。でも、それが分からなかった時期ってあるんじゃないですか?っていうことを描いた映画だと思うんですよ。 もう一方の「ブリングリング」ですが、こちらはある男の子がロサンゼルスに引っ越してきて、一人の中国系の女子と意気投合をする。お互いにお洒落とかファッションが好きなんですよね。この二人が学校帰りに旅行中の知人の家に空き巣へ入ろうということになり、味をしめて次からはパリス・ヒルトン【注26】やオーランド・ブルーム【注27】など有名人の豪邸を狙うようになる。有名人のフェイスブックを見ると「今パリにいます」とか書いてあるけど、それって家が留守ってことじゃん?だったら住所もセレブマップですぐ分かるから、空き巣に入って盗もうよ♪みたいな軽いノリで。そこに他の女子も仲間として加わって、次から次へとセレブの豪邸に忍び込んでは高級ブランド品を盗んでいく。でも、彼らにとっては盗みが本当の目的なんではなくて、ただ単にセレブの自宅やワードローブの中身を見て、友達同士「わー!」「すごーい!」「ステキー!」ってキャッキャやりたいだけなんですよね。そのついでに戦利品も頂いていっちゃう。 なかざわ:それっていうのは、今のSNS文化【注28】はもちろんのことですけれど、若者たちの過剰なセレブ崇拝というのもバックグラウンドにあると思います。ある時期から、アメリカではゴシップ誌を賑わせる“セレブ”と呼ばれる人々が、テレビのリアリティー番組で自分の豪邸や華やかな暮らしぶりを自慢げに披露するようになり、若い人たちがやたらと興味を惹かれて憧れるようになったんですよね。 飯森:とはいえ、興味があるからといって空き巣に入るというのも発想が飛躍している。でも一番理解不能なのは、その犯行をSNSでイエーイ!みたいな感じでアップして自ら晒しちゃう感覚ですよ。それは捕まるに決まってるよね?と。確かに、悪いとは分かっていても衝動が抑えられないってことはあるかもしれない。それは分かる。でも、証拠隠滅するなり何なり自分が逮捕されない悪知恵も普通は働かせるはずですよ。それを、シッポ出さないようにするんじゃなくて逆に自らネットに晒すとは!これもまた、大人になった今なら「バカなクソガキどもめ」と思うだけかもしれないけれど、ある限られた年頃だったら理解できるんじゃない?と感じるんです。 なかざわ:そうですね。人間の死だとか犯罪だとか、そういった重大な事柄に対する想像力の欠如ですよね。モノを知らない若者ならではの無軌道というか。 飯森:かといって、その無軌道をソフィアたんは批判しているようにも見えない。もちろん共感しているわけでも推奨しているわけでもないとは思うのですが。しかし高校生くらいのガキが調子に乗って、ここではそれこそ警察に捕まるような悪いことをしているわけですけれど、刑務所に入れられたら大変だ、家族や周りにも迷惑がかかる、という大人の理性がストッパーにならない年頃ってあるじゃないですか。友達と一緒になって、いいじゃん!やっちゃおうよ!と盛り上がっている時の楽しさ。それを得意気に自慢する楽しさ。つまりは調子ぶっこいている楽しさ。もちろん犯罪行為までは普通いかないけれど、10代の頃を振り返ってみた時に、誰しも多かれ少なかれ身に覚えがある、あの感覚。ソフィアたんはその年代の子供たちにしか見えないであろう世界の“キラキラ感”を描いているんですよ。“キラキラ感”って言葉も作ってみたんですが、これもどうにもオジサン臭いな(笑)。 なかざわ:言うなれば危険な冒険ですよね。一歩間違えれば犯罪に巻き込まれてしまう、もしくはその行為そのものが犯罪になりかねない。でも楽しいからやってしまった。そういう経験がある人は多いと思いますよ。 飯森:それはさっきの「ヴァージン・スーサイズ」も同様で、夜遊びで無断外泊して親から怒られるなんて、「ブリングリング」の空き巣以上に誰にでも経験がありますよね?それが原因で自殺するというのは、一見すると飛躍ですけど、彼女らのような10代だったら共感できるかも知れない。一切の外出を禁じられてしまったことで、姉妹は日々変化していく学校生活や友達関係に参画できなくなってしまう。1ヶ月後に外出禁止が解かれたとき、どんな顔をして学校へ行けばいいのか。長い人生の中で後から振り返れば取るに足らないことですが、いま10代だったらそれがどれほど重大かは、我々も何十年か昔を思い出せば共感できると思うんです。そんなの堪えられない!そうなるぐらいならいっそ死んでしまいたい!って衝動的に思うのも、10代ならありうる。 なかざわ:彼女たちにとっては生き地獄だったのかもしれませんね。 飯森:かといって全然地獄っぽくは描かれてないですけれどね。むしろきれいに描かれている。地獄だから自殺したんじゃなくて、世界がきれいすぎて見えるほど感受性が敏感な年頃だったから自殺しちゃった。だから全編、徹底的にきれい。この映画、とにかく景色がきれいなんですよ。もう異常なんです。25年前の出来事の回想なので、思い出の中の風景のようにも見えるし。美人姉妹の目には世界がこういう風に見えていたのかとも思える。世界がキラキラに描かれているんです。大人にとってはなんの面白みもない住宅街の退屈な風景であっても、10代の女の子の目を通すと、世界はこんなにも輝いて見えるのか!と思うわけです。あるいは、あれは男子たちの目線なのかもしれない。遺された近所の男の子達が、あの25年前の夏の集団自殺は何だったのだろう?と40歳ぐらいになってから思い返す映画なので、男子目線のノスタルジックな美しさなのかもしれない。どちらにせよ、ティーンの頃に我々の目にも確かに見えていたはずの、信じられないくらいの世界の“キラキラ感”を視覚化することに成功しているんです。 なかざわ:確かに、感受性が豊かで多感な時期の記憶というのは、実際よりもかなり美化されて脳裏に焼き付きますからね。 飯森:これを描ける人はソフィアたん以外にはなかなかいない!才能ですね。親のコネだけじゃ無理です。偉大すぎる親父さんでもこれだけは描けそうにない。オジサンだから(笑)。 <注22>1999年制作、アメリカ映画。 <注23>2013年制作、アメリカ映画。 <注24>クエンティン・タランティーノ。1963年生まれ。アメリカの映画監督。「レザボア・ドッグス」(’92)で脚光を浴び、カンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを獲得した「パルプフィクション」(’94)で時代の寵児となる。<注25>1976年制作、アメリカ映画。狂信者の母親に悪魔の子と冷遇されて育った超能力イジメられっ娘のパワーが、イジメのエスカレートにより暴走して大惨劇を引き起こす。<注26>1981年生まれ。アメリカのソーシャライト(社交界の名士)。ヒルトンホテル創業者一族の出身で、お騒がせセレブとしても有名。劇中に登場する自宅は本物。 <注27>1977年生まれ。イギリスの俳優。「ロード・オブ・ザ・リング」(’01)シリーズのレゴラス役でブレイクし、その後も「パイレーツ・オブ・カリビアン」(’03)シリーズや「キングダム・オブ・ヘブン」(’05)などのヒット作に出演。<注28>TwitterやFacebookなどのSNSを利用した生活様式のこと。 次ページ>> 「ロスト・イン・トランスレーション」&「SOMEWHERE」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. 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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(1)
なかざわ:今月は「シネマ・ソムリエ」枠で放送される、映画監督ソフィア・コッポラ【注1】の特集企画が対談テーマですね。 雑食系映画ライター なかざわひでゆき 飯森:ザ・シネマというのは基本的に40~60代の男性視聴者が多いオジサン向けチャンネルなので、ガーリームービー【注2】の教祖的なソフィア・コッポラを特集しても見ない方が多いかもしれない。ちなみに、“ガーリームービーの教祖”ってキャッチフレーズは僕が考えたんですけど、そのネーミングセンス自体が既にオジサン臭い(笑)。教祖なんてナウなヤングは絶対言わない。とはいえ、そういうオジサンたちに今回ここではあえてオススメしたいんです。 なかざわ:個人的に彼女は、映画界の巨匠フランシス・フォード・コッポラ【注3】の娘として育った、裕福でインテリなお嬢様という印象があって、作品そのものに関しても、そうした生い立ちが色濃く出ているようにも思います。 飯森:アメリカ映画界の最高峰と呼べる巨匠のもとで、彼の映画作りを間近で見ながら育ったわけですから、ありえないほど恵まれた環境ですよね。しかも、例えばファッションの勉強がしたいと言ったら、誰のもとで修行をすることになったかというと、あのカール・ラガーフェルド【注4】なんですよ。太ってた頃の。父親の口利きなのかどうかは分かりませんが、いずれにせよパリス・ヒルトンみたいな単なるお金持ちのお嬢様ではない。最高レベルのクリエーターたちに実地で手とり足とり教えられ、監督デビューのレールを敷いてもらえたという、完全に姫。「ブリングリング」を見ると、若干パリスのことを見下しているような印象も受ける。「金だけ持ってたってダメなのよ。あんたと違って私はクリエイティブ帝王学を学んでるよの」と。 ザ・シネマ編成部 飯森盛良 なかざわ:まさに究極のサラブレッド。恐らく、映画ばかりか芸術の世界を志したことのある人にとっては、羨望の的のような人ですね。ただ、基本的に自分の経験や興味の対象から外れるものは描かない。それこそ、アガサ・クリスティ【注5】が「私はパブに集うような男たちの話は書けない」と言っていたように、自分のテリトリーから外れるような題材はよく分からないので手を付けません、という姿勢が感じられます。 飯森:職人監督のように様々なジャンルを股にかけるのではなくて「私には描きたいものがあるし、描けるものはこれしかない」ということで、同じ主題を描き続けている。それこそが作家性というものでしょう。 なかざわ:どの作品を見ても、彼女独自の感性で見える世界を描いているように思います。 飯森:実は、僕はある時期からソフィア・コッポラ映画が嫌いになったんですよ。今回も、対談のかなり直前まで、僕は嫌がってましたよね(笑)? なかざわ:嫌がっているとまでは思いませんでしたが、でも躊躇されているのはありありでしたよ(笑)。どうしよー、難しいなあーって仰ってましたし。 飯森:もう一度見直さなくちゃいけないのかと思うと憂鬱だったんです。でもね、これが結果的には良かった!これは本当に今の本心なんですけれど、ソフィア・コッポラのことが大好きになりましたね。だから心からの萌えの情を示すために「ソフィアたん」と呼ばせてください(笑)。およそガーリーとは縁のないオジサンたちにも、これは是非とも見ていただきたい!と思うようになったわけです。 なかざわ:なるほど、そうだったんですね! 飯森:改めて彼女の全作品を短期一気見したことで、ソフィアたんが描きたいテーマはこれじゃないか!?というものが明確に見えてきた気がする。それが各作品の公開時にリアルタイムでは分からなかった。公開に数年タイムラグがあると気づきにくいんですよ。短期間で一気見したからこそ魅力に気づけた。で、今回ウチでも一挙放送しますから、これはお客さんにも是非とも一気に全作見ていただきたいんです。 今日は彼女の作品を幾つかに分類してお話しながら、僕が考えるソフィアたんの作家性、そのテーマについてトークしたいと思います。まあ、僕の気のせいというか、思い込みに過ぎないのかもしれないですけれど(笑)。 なかざわ:ただ、ちょっとその前に触れておきたいのは、監督デビュー前の女優としてのキャリアについて。ホント、女優を続けなくて良かったね!って思うんですけれど(笑)。 飯森:あれこそ親のコネ以外の何物でもない。「ゴッドファーザーPARTⅢ」【注6】でラジー賞【注7】を取ったんでしたっけ? なかざわ:そうです。「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」【注8】では再度ノミネートされています。 飯森:あれは、どこに出ていたのか未だに分からない。まさかジャー・ジャー・ビンクス【注9】の中の人だったんじゃないでしょうね? なかざわ:いやいや、あれはCGですから! 飯森:声を担当した黒人の俳優さんが、モーション・キャプチャーのモデルもやってたんでしたっけ。 なかざわ:アミダラ【注10】の脇にいる侍女の役です。1人がキーラ・ナイトレイ【注11】で、もう1人がソフィア。もっとも、セリフは殆どないので、あれでラジー賞というのも気の毒だとは思いますけど。 飯森:完全にやっかみでしょう。でも親父さんの友達のルーカスに使わせるってところが、これぞまさしくゴリ押しというやつですね。 なかざわ:ただ、やはり「ゴッドファーザーPARTⅢ」を見たときは、さすがの巨匠コッポラも娘に関しては贔屓の引き倒しなのかな~、やっちまったなあ~と思いましたね。 飯森:あれは事前に当時人気絶頂のウィノナ・ライダー【注12】が決まっていたんですよね。それが直前になって降板したため、急遽代役を探さねばならなくなったわけですけど、あのブリジット・フォンダ【注13】にどうでもいい役を振っておきながら、よりによって自分の娘を、あまつさえあの最盛期ウィノの代役でヒロインに据えちまうのかよ!?と(笑)。せめて逆にしなさいよ!と。当時は親の七光りだとかブ●だとか散々なことを言われて、僕も正気なところ同じように思っていました。あれはものすごいバッシングで、姫は姫でもマリー・アントワネットになっちゃった(笑)。まあブリジット・フォンダも七光りですが、あっちは文句のつけようも無い絶世の美人ですからね。でも、今見るとソフィアたんもそんなに悪くないんですよ。むしろ案外良い!確かにウィノナ・ライダーほど可愛くはないかもしれないけれど、普通にそこらへん歩いてたら結構良い方だぞ、あそこまでバッシングされるほど悪くないぞ、いや全然有りだぞ!と。なんか可哀想という気になってくる。アイドルグループでそんなに人気の無いブ●カワな娘を一番応援したくなる心理に似ている(笑)。 それと、あの時のソフィアたんの、バブル時代を象徴するような、ワンレンボディコン【注14】が似合うサラサラのストレートヘア。以降彼女はボブにしちゃってますけど、あのワンレン姿は今見るとゴージャスで意外とイケてますよね。ちなみに、あの映画って時代設定がいつだか知っていますか? なかざわ:え、’80年代とか’90年代とかじゃないんですか? 飯森:そう思うでしょ?公開年イコール劇中年で1990年が舞台なのかと。ところがですね、実はリアルタイムの話じゃないんですよ!今回、野沢那智吹き替え特集で仕事で改めて見ていて気がついたんですが、冒頭に1970年代のニューヨークってテロップが出てくるんですよ。 なかざわ:マジっすか!? それ全く記憶にない! 飯森:あれはバブル時代の工藤静香【注15】とか千堂あきほ【注16】のワンレンではなくて、アグネス・チャン【注17】とか栗田ひろみ【注18】のロングヘアだったんです(笑)。 なかざわ:麻丘めぐみ【注19】とか小林麻美【注20】とかの(笑)。 飯森:そうそう、そっちなの。それをやりたくて、あのロングヘアーにしていたのかもしれないけど、そうは見えねえよバカヤロー!っていう(笑)。ある意味でラジー賞も仕方がない。 なかざわ:随分な衝撃ですね。 飯森:でしょ?恐らく、コルレオーネ家の“ファミリー・ヒストリー”をきちんと年表に整理していくと、あの時点が’70年代という設定でなければ辻褄が合わなくなるんですよ。しかし、そうは全く見えない。アメリカ映画って古い時代の雰囲気を出そうと思えば余裕で出せるじゃないですか。そこは日本映画が苦手としているところで、どんなに「ALWAYS 三丁目の夕日」【注21】が頑張ってみても、リアルに再現はできない。その点、「ゴッドファーザーPARTⅢ」は最初からそこ放棄してたってことですね。 <注1>1971年5月14日生まれ。ニューヨーク出身。アメリカの映画監督で元女優。「ロスト・イン・トランスレーション」(’03)でアカデミー賞脚本賞を受賞、監督賞にノミネート。 <注2>若い女性向け映画のことを意味する俗称。 <注3>1939年生まれ。アメリカの映画監督。代表作「ゴッドファーザー」(’73)でアカデミー賞脚本賞を、続く「ゴッドファーザーPART2」(’74)でアカデミー賞作品賞や監督賞など3部門を受賞。「地獄の黙示録」(’79)ではカンヌ映画祭の最高賞パルム・ドールなどを獲得。 <注4>1933年生まれ。ドイツ出身の世界的ファッション・デザイナー。 <注5>1890年生まれ。イギリスの女流ミステリー作家。「オリエント急行の殺人」や「そして誰もいなくなった」などの名作を世に送り出し、ミス・マープルやエルキュール・ポワロなどの名探偵を生んだ。1976年死去。<注6>1990年制作、アメリカ映画。アカデミー賞で2部門にノミネート。フランシス・フォード・コッポラ監督。 <注7>正式にはゴールデンラズベリー賞。その年の“最低”映画を部門ごとに表彰する。 <注8>1999年制作、アメリカ映画。「スター・ウォーズ」シリーズの第4弾。ジョージ・ルーカス監督。 <注9>「スター・ウォーズ」エピソード1~3に登場するエイリアン。ファンからは総スカンを食らった。 <注10>「スター・ウォーズ」エピソード1~3のヒロイン。惑星ナプーの女王。 <注11>1985年生まれ。イギリスの女優。代表作は「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」など。「プライドと偏見」(’05)ではアカデミー賞主演女優賞にノミネート。 <注12>1971年生まれ。アメリカの女優。「若草物語」(’94)でアカデミー主演女優賞にノミネート。その他、「シザーハンズ」(’90)や「リアリティ・バイツ」(’94)などが代表作。 <注13>1964年生まれ。アメリカの女優。父は俳優ピーター・フォンダ、祖父はオスカー俳優ヘンリー・フォンダ。代表作は「ルームメイト」(’92)、「アサシン 暗・殺・者」(’93)など。 <注14>ワンレングスの髪型にボディコンシャスな服装という、バブル期の典型的な女性のファッションスタイルのこと。 <注15>1970年生まれ。日本の歌手。元おニャン子クラブのメンバーで「禁断のテレパシー」(’87)でソロデビュー。その他、代表曲に「嵐の素顔」(’89)、「恋一夜」(’89)など。夫はSMAPの木村拓哉。<注16>1969年生まれ、日本の女優。’90年代初頭に“学園祭の女王”として活躍。「マジカル頭脳パワー!!」(’90〜’99)などのバラエティや、「振り返れば奴がいる」、(’93)などのドラマで活躍。<注17>1955年生まれ。香港出身の日本の元アイドル歌手。’72年に「ひなげしの花」でデビューして大ブレイク。当時は真ん中分けのロングヘアもトレードマークだった。 <注18>1957年生まれ、日本の女優。代表作は「夏の妹」(’72)、「放課後」(’73)など。丸ポチャで清純派風のルックスとヌードも厭わない大胆さで、’70年代前半に活躍。<注19>1955年生まれ。日本の女優で元アイドル歌手。モデルを経て、’72年の歌手デビュー曲「芽生え」が大ヒット。翌年の「私の彼は左きき」でトップアイドルに。おかっぱのロングヘアを真似する女性ファンも多かった。 <注20>1953年生まれ。日本の女優で元アイドル歌手。’72年にデビュー。華奢な体と長い黒髪で多数の化粧品CMでも活躍。’84年のシングル「雨音はショパンの調べ」が大ヒット。<注21>2005年制作、日本映画。昭和30年代の東京を舞台にした人情劇。日本アカデミー賞の最優秀作品賞など12部門を獲得。山崎貴監督。 次ページ>> 「ヴァージン・スーサイズ」&「ブリングリング」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2016.02.08
抗いようのない恐怖にさらされるヒロイン! 『恐怖ノ黒電話』は、多層的構造による恐怖が見もの!!
原題の“THE CALLER”には、呼び出す者や訪問者の意味がある。でも邦題では、ストレートに電話機が恐怖の題材だと明確化している。電話をかけてくる者と電話を受ける者は物理的な距離は離れているのに、相手が恐ろしい人物だと分かった途端、一気にその距離が縮まるという衝撃性を併せもつ……それが電話機だ。怪しい人物であれば、もしや身近にいて身を潜めているのでは?なんて不安感に苛まれてしまう。電話をかけてきた相手の姿が見えない分、恐怖感や切迫感が増幅され、真綿でジワリジワリと首が絞められてゆくような感覚に苛まれる。 過去のホラー映画にも、電話を用いて恐怖表現に秀でた作品が多数あった。精神的に孤立してゆくヒロインに、猟奇殺人鬼から電話がかかってきてショックを受け、やがて電話機そのものが恐ろしいモノに見えてくる。 例えば、『暗闇にベルが鳴る』(74年)、『夕暮れにベルが鳴る』(79年)、『スクリーム』(96年)等の代表作がある。かと思えば、電話線を通じて高電圧を流して感電死させるという『ベル』(82年)だとか、怨念が電話機を通じて不気味な電子音を放ったり、公衆電話からコインを飛ばして殺害するというキッカイな見せ場を盛り込んだ『ダイヤル・ヘルプ』(88年、監督は『食人族』のルッジェロ・デオダートだ!)など、異色作やカルトな珍品まである。日本では、円谷プロの特撮TVシリーズ『怪奇大作戦』(68年)の第4話「恐怖の電話」(監督は実相寺昭雄)があって、これは前述の『ベル』の先駆けともいえるようなアイデアが用いられていたし、携帯電話を通じて呪いが連鎖・拡散していく三池崇史監督のJホラー『着信アリ』(04年)が有名だ。 でも『恐怖ノ黒電話』は、それらの作品と比しても恐怖度はもちろん、一筋縄ではいかない展開に思わず唸ってしまう秀作である。本来なら、まっさらな状態で作品に触れて欲しいところだが、スター俳優が出演していないためか、認知度があまり高くない。そこで斬新性の一端を記しておきたい。 DV夫スティーヴンと離婚訴訟中のメアリー・キーが、年代物の古びたアパートに引っ越してくる。メアリー役には、スティーヴン・キング原作のTVシリーズ『アンダー・ザ・ドーム』のヒロイン、レイチェル・レフィブレ(※ラシェル・ルフェーブルの日本語表記もあり)が演じた。『~ザ・ドーム』のジュリア役のように、果敢に行動する気丈な女性像を作りあげている。 DV夫はメアリーに対し、150m以内接近禁止令が出ているほどの暴力魔。そのため一刻も早く、密かに新たな住居を決める必要があったため、物件をあれこれ吟味する余裕がなかった。そのアパートの部屋には、黒い電話機が設置されていて、引っ越してまもなく、激しくベルが鳴り出した。 メアリーは、最初は夫からの嫌がらせ電話か?と思ったが、電話に出てみると中年女性の声だった。その女は、「夕べ、部屋の前を通ったら、窓際にボビーの姿を見たわ」と言った。彼女はボビーをとても愛しているらしいが、メアリーには何のことかサッパリ分からない。ボビーが住むアパート名を聞くと、エル・フランステリオL2号室だという。それは、メアリーが住みはじめたアパートの部屋だった。 その日以来、メアリーは時々、フラッシュバックのような幻覚に悩まされ、毎日かかってくる黒電話のベルにうんざり。メアリーは、間違い電話につきあう暇はないと中年女性に激しく言うと、「ボビーはベトナム戦争から帰還し、告白してくれたのよ」と言う。 “ベトナム戦争”の言葉に引っかかったメアリーに対し、中年女性は、「こっちは、1979年9月4日よ」と言う。部屋の窓から見ると、通りの向こう側に黒い人影が見える……。 中年女性からの電話は、DV夫スティーヴンによる嫌がらせかも?と思うが、どうも違うらしい。DV夫の怪しげな行動(どこで調べたのか、彼女のアパートにいきなり押しかけてくる)と中年女性の謎の電話攻撃によって、メアリーに不安が押し寄せる。ここで、原題の“THE CALLER”の2つの意味(訪問者と呼び出す者)の真意が理解できるはずだ。そして心配と不安がいっぱいの新天地で生活するメアリーに対し、観る者は、一気に共感し感情移入することになる。 頻繁に電話をかけてくる中年女性は41歳で、名はローズ・ラザー。孤独で誰かと話したがっているローズは、「台所に収納庫があるでしょ? 入って右手の壁に絵を描くわ。その絵が、私が過去にいる証拠になるはず。確認してみて」と言い、電話を切った。メアリーは収納庫の内側の壁を見るが、絵はなかった。だがヘラで壁紙を剥がしてみると、そこにバラの絵が描いてあった。 メアリーは、前の部屋に住む古株のジョージに、昔の住人のことを尋ねた。「1979年にメアリーの部屋に住んでいたのは、暗い感じのローズ婦人だった。軍人と交際していてね、時々ケンカしていた。でもある日から男の姿を見かけなくなり、ローズがその部屋に越してきたんだよ。そして電話線を天井にかけ、首を吊ったんだ」と言う……。 79年に生きるローズからの電話が、なぜ現代のメアリーが住む部屋の黒電話にかかってきたのか? なんらかの理由で電話が繋がってしまったと説明があるぐらいで、それ以上の詳細な理由は語られていないものの、意外な展開と緻密に練られた幾つもの恐怖に魅せられ、観る者も理不尽な設定にのまれてゆく。しかもDV夫スティーヴンが、メアリーの周囲にたびたび現れて混乱させるから、たまったものじゃない(観ている方は、実に愉しいんだけど!)。 さらにローズが、メアリーの新たな恋人の79年に生きる両親に接近してたことが判明したり、79年に生きる少女期のメアリーに近づく等、タイムパラドックス物としての醍醐味(メアリーからしてみれば、それは恐怖!)もプラス。言うなれば、過去が変われば、現代も変化してしまう。生きている時代が違っていても、実に身近な恐怖として迫ってくるわけだ。 ここで映画ファンなら、電話機は用いていないが、『恐怖ノ黒電話』と似たようなアイデアを用いた作品が過去にあったことを思い出すだろう。父子が30年の時空を超えて無線機で語り合い、連続殺人事件の犯人を追いつめてゆくSFアクション・スリラー『オーロラの彼方へ』(00年)だ。太陽フレアの活発化により、NY上空にオーロラが出現した1999年、ある警察官が亡き父の無線機の電源を入れてみると、かつてNY上空にオーロラが出現した1969年の父と交信することに! それにより、消防士の父は死ぬはずだった火災から命拾いをし、しかも父親は容疑をかけられたナイチンゲール(看護婦)連続殺人事件の真犯人を追いつめることに……。 初公開時、アイデアは秀逸だがあまりに都合のいい展開と綺麗なまとめ方に少々落胆した覚えがあった。ちなみに同じ時期、別の時代を生きる若い男女が、無線機を通じて時空を超えて語り合う、韓国のラヴロマンス物の秀作『リメンバー・ミー』(00年)もあったと思いだした。 『恐怖ノ黒電話』の最大の面白さは、DV夫の恐怖に脅えながら、過去からの電話ストーカーの数々の行為により、現代に浸食してくるタイムパラドックスの恐怖にさらされるところにある。W(二重)の恐怖……いや、様々な恐怖が織りなす四面楚歌状態から逃れることができないメアリーの姿は、心に深い痛手を負いながらも難関に対峙しなければならない現代女性の代表かもしれない。■ ©The Caller Productions, LLC 2010
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COLUMN/コラム2016.02.03
ドリー・尾崎の映画技術概論 〜第1回:フィルムとデジタル〜
映画はその誕生から1世紀の長きにわたり、フィルムという記録媒体によって記録され、それを映写機でスクリーンに投影することで形を成してきたメディアである。しかし現在、映画はフィルムを使わない、チップやセンサーを用いて電子的に撮像を記録する「デジタルシネマ」が主流となった。 かつて映画におけるデジタル技術は、劇中におけるCGI(視覚効果)や編集、そしてドルビーデジタルなどのサウンド・システムに用いられてきた。しかし、デジタルを映画の構成要素として使うのではなく、フォーマットそのもののデジタル化を図る動きが2000年代初めに台頭してきたのだ。 商業長編映画の世界では、2001年にピトフ監督のフランス映画『ヴィドック』(撮影:ジャン=ピエール・ソヴェール)が、そして2002年にジョージ・ルーカス監督が『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(撮影:デヴィッド・タッターサル)においてこれを実現させた。ルーカスはソニーとパナビジョン社に依頼し、両社はHD-1080/24Pを共同で開発。[シネアルタ]と呼ばれるHDW-F900型のそれは、毎秒24pというフィルムと同じフレームレート(コマ速度)をもち、35mmフィルムカメラに使用されていたレンズの共有など、既存の映画制作フォーマットとの互換性に優れたデジタルHD24pカメラだ。 同カメラの開発がソニーの厚木研究所でもおこなわれたことから、日本映画でのシネアルタの活用は『スター・ウォーズ エピソード2』の撮影とほぼ時期を同じくしている。我が国のデジタルシネマ、すなわちHDW-F900で全編撮影が行われた長編映画は、2001年の田崎竜太監督作『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』(撮影:松村文雄)が嚆矢となった。それに続いて岩井俊二監督の『リリィ・シュシュのすべて』(撮影:篠田昇)や、高橋巌監督の『infinity ∞ ~波の上の甲虫~』(撮影:八巻恒存)などが同年に発表されていく。また、デジタルHD24pカメラはソニーのみならずパナソニックでも開発が進められ、撮影監督の坂本善尚が開発に関わったAJ-HDC27F型デジタル24pカメラ[バリカム]は、原田眞人監督『突入せよ! あさま山荘事件』(02)の撮影に用いられ、シネアルタに引けをとらない性能を発揮した。 ■デジタルシネマの現況 それからおよそ15年を経た2016年。映画撮影の現場は、ほぼフィルムからデジタルにとって代わられ、カメラも[ジェネシス]や[レッドワン]といった2K、4K、さらには8K(シネアルタの後継機[F65])といった高解像度のハイスペック機が生み出されている。これらは35mmフィルムとフィルムカメラが持つポテンシャルを、もはや凌駕しているといっていいだろう。 画質の向上だけではない。何度も加工や上映をしても映像の劣化がないことや、撮影で自由にテイクが重ねられるなど、製作において妥協を余儀なくされる点が低減されている。 「高感度のデジタル24Pが開発されたことで、照明設計が簡易になり、低予算で作品を実現できた」 上記のように筆者に話してくれたのは、侵略SF映画『スカイラインー征服ー』(10/撮影:マイケル・ワトソン)のグレッグ・ストラウス監督だが、こうした経済面での利点も無視できない。なによりもフィルムにあった、ネガフィルムからのプリント現像にかかるコストが抑えられ、DLP上映との連携を図ることができる。 そう、映画は上映に関しても方式が大きく変わった。フィルム映写ではなく光半導体を用い、デジタルデータをスクリーンに投影するDLP(デジタル・ライト・プロセッシング)が、アメリカでは1999年、ロサンゼルスとニューヨークでの『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(99)プレミア上映を皮切りに実用化された。国内では2000年より採用され、同システムの設置された日劇プラザでは『トイ・ストーリー2』(00)が初のDLP上映となった。『トイ・ストーリー2』はデジタルベースによる3DCGアニメーションで、コンピュータ上からダイレクトにDCP(デジタル・シネマ・パッケージ=DLP上映のためのデータパッケージ)を作ることが容易だったが、『スター・ウォーズ エピソード1』のようにフィルム撮影された映画はネガをスキャンし、データ化する行程を経なければならない。しかしデジタルシネマはそれを省き、フルデジタルによって撮影から完パケまでを一貫させ、物質的、コスト的なムダを省くことができる。映画興行主にとっての利便性や経済性を考えれば、デジタルシネマの普及は必然といっていいかもしれない。 事実、今や国内のスクリーン数3.437のうちデジタル設備は3.351と全体の約97.5パーセントを占め(一般社団法人 日本映画製作者連盟「日本映画産業統計2015年12月」より)、フィルムプリント上映による映画の時代は終わりを迎えている。 そんなフィルムからの解放は、映画の作り方を大きく飛躍させた。映像加工をひときわ容易にし、どこまでが実写でどこまでがバーチャルな映像なのか、判別不可能なイメージ作りを実現させたうえ、立体視をもたらすデジタル3Dや、ドルビーサラウンド7.1、ドルビーアトモスといった音響の多チャンネル化を促している。そしてコマ数を毎秒24フレームから48フレームへと上げ、映像を高精細化するハイフレームレイト(2012年に『ホビット 思いがけない冒険』で実施)など、多様な展開を劇場長編作品にもたらしたのである。 もはや映画は、フィルムでは踏み込めなかった領域に足を下ろしているのだ。 ■フィルムにこだわる監督たち しかし、フィルムが持つ粒状性や質感こそが「映画を映画らしいものにしている」という考え方も根強く、120年にも及ぶフィルム映画の歴史を、やすやすと消滅させるわけにはいかないとする見方もある。特に日本では「デジタルか?」「フィルムか?」という芸術的観点からの議論が慎重になされないまま、シネコンへのDLP設置が早駆けで進み、また2013年に富士フィルムが映画用35mmフィルムの生産を廃止するなど、なし崩しのようにフィルムからデジタルへの移行がなされてきた。そのためデジタルシネマに対し「単にシステムの合理化にすぎないのでは?」という声も出ているのだ。 そんな声に呼応するかのごとく、映画作家の中には今もフィルム撮影を敢行する者たちがいる。 たとえば山田洋次監督は最新作『家族はつらいよ』(15/撮影:近森眞史)をフィルムで撮り、自身の半世紀以上にわたる監督人生において、フィルム主義をまっとうする構えだ。また同じ松竹で製作された『ソロモンの偽証』(15/撮影:藤澤順一)も、成島出監督にインタビューしたさい「中学生役の子たちの未熟な演技を、映画的な外観でカバーするべくフィルム撮影に踏み切った」と答え、フィルムの優位性を唱えた。 他にも周防正行監督の『舞妓はレディ』(14)では実景部分を富士フィルム、それ以外のセットなどのシーンをコダックフィルムで撮るという、ハイブリッドなフィルム撮影の手法がとられている。これは「京都の風景と舞妓のあでやかな姿をフィルムで撮りたい」という寺田緑郎撮影監督の希望に、プロデューサーが「フィルムが無くなるのならば、富士フィルムとコダックを両方使いたい」と相乗する形で実現したものだ。いずれもフィルムプリントによる上映配給が難しい現状「撮影はフィルムでも完パケはDCP」という制限はあるが、そこには映画人ならではの、滅びゆくフィルムへの愛着が深く感じられてならない。 いっぽうハリウッドでも、クリストファー・ノーラン(『ダークナイト』シリーズ『インターステラー』)やスティーブン・スピルバーグ(『ブリッジ・オブ・スパイ』)、そしてクエンティン・タランティーノ(『ヘイトフル・エイト』)といった、強い影響力と発言権を持つ映画監督たちがフィルム撮影を現在も続けることで、同手法への啓蒙がなされている。 ポール・トーマス・アンダーソン監督が『ザ・マスター』(12/撮影:ミハイ・マライメア・Jr)を65mmフィルムで手がけた理由は、舞台となる第二次世界大戦前後の時代がフィルムのスチールカメラで記録され、同時代のイメージがフィルムと同化していることに言及するためだ。 またフィルムは時代性だけでなく、劇中で描かれている舞台の空気や、キャラクターの心境をすくいとって演出する。キャスリン・ビグロー監督のイラク戦争映画『ハート・ロッカー』(08/撮影:バリー・アクロイド)は、戦場における爆弾処理班たちの緊迫したドラマを描いているが、その緊迫感を盛り上げるのは独特の荒々しい画調だ。これは16㎜フィルムで撮影した画を35㎜にブローアップしたもので(使用カメラはAatonのスーパー16㎜撮影用カメラ)、報道映像のようなリアリティに併せ、死を隣人とした主人公ウィリアム(ジェレミー・レナー)の感情をあらわしている。はたしてこれが、デジタルのスキッと鮮明な映像でアプローチできるのだろうか? あるいは現在公開中の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15/撮影:ダン・ミンデル)。シリーズの創造者ルーカスが推し進めてきたデジタル撮影の轍を踏まず、フィルム撮影に徹した本作は、単にフィルム撮りだったエピソード1ならびに4から6までのスタイルに倣ったのではない。35mmアナモフィック(歪像)レンズ撮影で得られるフレア効果や、被写界深度の浅いメリハリの利いた画など、監督であるJ・J・エイブラムス(『スーパー8』『スター・トレック イントゥ・ダークネス』)が、フィルム固有の表現にこだわっているからだ。 こうしたこだわりが反映された作品は、いずれはこの「ザ・シネマ」で放映される機会もあることだろう。そのときには是非じっくりと観賞していただき、デジタル興隆のなかフィルムがもたらす映像の意味を、意識しながら確認していただきたい。フィルムかデジタルかを明確に判別できなくとも、直感的に感じ得られるものはあるはずだ。■ ©2008 Hurt Locker, LLC. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.01.30
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(6)
飯森:最後に、今回はせっかくこういうテーマだったので、ちょっとばかりモザイクの話をしたいと思います。まず、映画屋でありテレビ屋でもある僕は、個人的に映画館とテレビとでは倫理の基準が違って然るべきだと思っているんですが、海外ではどうなんですかね。さすがにテレビでは規制がかかりますでしょ? なかざわ:アメリカの場合で言えば、ネットワークかケーブルかによっても基準が分かれますよね。ケーブルだとモロ出しもありだと思います。 飯森:HBO【注70】とかですかね。 雑食系映画ライター なかざわひでゆき「ダン・オバノン監督『ヘルハザード/禁断の黙示録』(‘91)のドイツ盤ブルーレイを購入。日本盤未収録の特典映像&オーディオコメンタリーてんこ盛りで、まさに至福のひと時を過ごしております」 なかざわ:そうですね、あとはStarz【注71】とか、Showtime【注72】とか、いわゆるプレミアム・チャンネルですよね。ケーブルの基本契約料金に加えて、別料金を支払わないと見れないチャンネル。HBOやStarzのオリジナルドラマだと、女性のヘアや男性器のモロ出しも珍しくありません。親が番組の視聴制限を設定できる仕組みになっているようですし。 飯森:「ウォーキング・デッド」【注73】なんかも、ケーブル局だから残酷シーンの規制がないって聞きますしね。日本の場合ですと、うちも子供がいるからよく分かるんですが、簡単にチャンネルを合わせることが出来るんですよね。さんざん陰毛を映して何が悪いと言っておきながら恐縮ですけれど、我が家で子供がそうしたものを見てしまうというケースが起こり得ると想定すると、それはよろしくないなと思うわけです。 なかざわ:それは確かにその通りですね。 飯森:なので、テレビに関しては仕方がない。我が国では、たとえCS放送であったとしても、リモコンでザッピングすれば子供でも見れてしまう状況ですので。何かしらの対応策は講じなくてはならない。ただ、劇場なりパッケージ商品なり、入口できちんと観客を選別できるものに関しては、日本ももうちょっと進んでいて欲しかったなと残念には思いますね。僕が生まれた日のキネ旬で、ポルノに関して日本はあまりにも遅れていると書かれ、ボロフチックさんにも昔は春画のような素晴らしい文化があったのに酷い有様だねと苦言を呈されていて、それから40年経っても大して変わってはいない。 なかざわ:それもケースバイケースですけれどね。配給会社の姿勢にもよるとは思います。最近であれば、男性器でも勃起さえしていなければモザイクなしでOK…かも?とか(笑)。結局、基準が明確化されていないので、確実に大丈夫なのかどうかは誰もハッキリと太鼓判を押せない。だから、例えば最近だと「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」【注74】なんかはガッチガチに修正されていましたし。もう、今時こんなのアリか!?ってくらい真っ黒でした(笑)。 飯森:あれは話題作でしたから、なおさら神経を使ったんでしょうね。その昔、「黒い雪事件」【注75】という“猥褻と芸術”裁判があったのご存知ですか? 映倫【注76】の審査を通った映画が、わいせつ図画公然陳列罪【注77】で起訴されちゃったんですよ。後出しジャンケンじゃないですか!でもよく考えると、そもそも映倫って公的機関ではない。あくまでもお上とのトラブルを避けるために、これだったら問題ないんじゃないですか、映画館でお客さんに見せても大丈夫だと思いますよ、というお墨付きを与える業界団体に過ぎないんです。だから、先ほどなかざわさんが仰ったように、どこからがアウトなのかは当局の気分次第という側面があるんです。とはいえ、この40年の間にヘアヌードも解禁になったわけだし、男性器でもちょっと写っているくらいなら問題視されなくなりましたけれど。 なかざわ:実際、映画版「セックス・アンド・ザ・シティ」【注78】の日本公開バージョンでも、堂々と男性器が写っていましたからね。 飯森:なんとなく、なし崩し的にはなっているけれど、まだまだ遅れていますよね。 なかざわ:欧米の常識に比べるとですね。 飯森:レイティング【注79】の基準があるんだからいいのでは?とも思うんですけれど。 なかざわ:海外でもそれを基にして、青少年の目に触れないようになっているわけですから。 飯森:とはいえ、やはりテレビは別です。そこは視聴者の方にも理解して頂きたい。自宅に小さな子供がいることを想定すれば分かると思うんですが、簡単にアクセスできてしまいますから。今の時代、インターネットの海外ポルノサイトで何でも見れるじゃないかという声もありますが、それは大人の感覚で、Googleのエロブロックフィルター外して画像・動画検索し、そこまでたどり着ける子供はなかなかいない。テレビの場合は、少なくとも日本だと子供でも見れてしまうので、そこは一線を引かないといけない。テレビは一番保守的であって然るべきでしょうね。 (終) <注70>1972年に創設されたケーブルテレビ局。「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」や「セックス・アンド・ザ・シティ」、「ゲーム・オブ・スローンズ」などのドラマを生んでいる。<注71>1994年に設立されたケーブルテレビ局。もともとは映画専門チャンネルだが、近年は「スパルタカス」シリーズや「アウトランダー」などのドラマも放送。<注72>1976年に設立されたケーブルテレビ局。「デクスター 警察官は殺人鬼」や「Lの世界」、「HOMELAND」などの問題作ドラマを次々と放送している。<注73>2010年より米ケーブルテレビ局AMCで放送されているドラマ。ゾンビの蔓延によって文明の崩壊した世界で、僅かな生存者が決死のサバイバルを試みる。<注74>2015年製作。過激な性描写が各国で問題視された。ダコタ・ジョンソン主演。<注75>1965年に公開された日本映画「黒い雪」の関係者が警察に書類送検され、武智鉄二監督が起訴された。69年に無罪確定。<注76>映画倫理委員会。1956年に設立され、映画作品の内容を審査してレイティングを設定する日本の任意団体。<注77>わいせつな図画を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者を罰金若しくは科料に処すこと。<注78>2008年製作。同名テレビシリーズの劇場用映画版。ニューヨークに住む大人の女性4人組の恋愛とセックスを描く。<注79>映画やテレビ番組などの内容に応じて、その対象年齢の制限を設定するシステム。 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.27
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(5)
飯森:本当にこれこそボロフチック監督の実力が遺憾なく発揮された作品だということで、もうちょっと注目されても良かったんじゃないかなと思っているのが「罪物語」なんです。 なかざわ:日本では’81年の劇場公開ですが、実は「邪淫の館・獣人」と同じ’75年に作られている。日本へ輸入されるのがかなり遅かったんですね。 飯森:これがまた、格調高い大河メロドラマみたいな作品なんですよ。今回、うちでこれを放送できるのはとても良かったと思います。あらゆるエロがショーケース的に詰まった「インモラル物語」、当時の大スターを招いてフランスらしい雰囲気を醸し出した「夜明けのマルジュ」、そして重厚な文芸大作と呼ぶべき「罪物語」。ボロフチック監督の多様な作家性を象徴する3つの作品が揃ったわけです。 なかざわ:これは母国ポーランドに戻って撮った映画ですよね。当時のポーランドは共産圏だったので、性的な描写がけっこう問題視されたとも聞いていますが。 飯森:ただね、当時のキネ旬の映画評には「ポルノ解禁度が日本よりずっと進んでいるポーランド(後略)」って書かれているんですよ。 なかざわ:そう言われると確かに、アンジェイ・ワイダ監督【注61】の映画でもけっこう過激なエロ描写があったりしますもんね。 飯森:僕は大学時代に東ヨーロッパを専攻したんですが、助教授の研究室にエロ本が置いてあったんですよ。ベルリンの壁の崩壊前にハンガリーで買ってきたと言っていましたが、ヘアも女性器も丸出しでした。旧東側ブロックというと、各国がそれぞれ共産党の一党独裁体制で、ソ連の指示を仰いでえらく怖い社会だった、表現の自由なんてカケラすらあるわけがない、という印象を持つかもしれませんが、必ずしもそんなことはなかった。特に中央ヨーロッパ。具体的にいうと、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーの3カ国ですけれど。かつて政治的に東側陣営に属していた、地理的には中欧国ですね。ここはもともと文化先進地域だったんですよ。神聖ローマ帝国【注62】が栄えて、ハプスブルグ家【注63】が君臨して、モーツァルト【注64】が訪れて。例えば、モーツァルトのオペラというのは当然ウィーンで初演されましたが、代表作の中にはプラハで初演されたものもある。それはチェコの話ですけど、ポーランドだってショパン【注65】を生んでますし。もともとポーランドはハプスブルグではないですがヨーロッパの超大国だったし、政治的に開けた、進んだ国だった。だから、その後の歴史で国を分割されたり、ナチスに荒らされたり、解放だと称してやって来た共産軍によってソ連の衛星国に落とされちゃったりしても、そう簡単に先進国だった頃の栄光は消えない。「罪物語」を見ると、そういうことがよく分かります。 なかざわ:確かに、’80年代初頭だったと思うんですけれど、うちの父親がポーランドのワルシャワに出張で行って、街の様子などを撮影してきた写真を見せてもらったことがあるんですけれど、街頭のキオスクで普通にポルノ雑誌を売っているんですよ。中には、ゲイ雑誌なのか分かりませんが、全裸の男性が表紙になっているものもあったりして。もちろんモロ出しですよ。ソ連とは大違いだなと思った記憶があります。 飯森:旧ソ連といいますかロシアは、歴史上、先進国になった経験があんましないんですよね。帝政ロシア【注66】後期にやっとたどり着けたプーシキンとかトルストイとかチャイコフスキーといったせっかくの輝かしい文化的な豊穣も、革命によって自分でぶち壊しちゃったし。まして政治的先進性からはずっと縁遠いまま。せっかくの革命も、ツァーリズムがぐるっと回ってスターリニズムになっちゃったという、悪い冗談のような事態になってしまった。 なかざわ:そもそもロシアという国自体、他のヨーロッパ諸国に比べると歴史が浅いですしね。もともとは未開地ですから。 飯森:帝政ロシア時代の皇帝ツァーリというのも、東ローマ皇帝の後継者を自任しているけど、どっちかって言うと蒙古の皇帝ハーンに似ているという。白人の顔をしているのに、なんともアジアの専制主義【注67】的な政治制度を導入しちゃっている不思議なヨーロッパの国。そもそもヨーロッパなのかどうかも疑問なんですけれど。そんな国が革命によってソビエト連邦を形成して、ちょっとヨーロッパのメインストリームとは違う近代史を歩んできちゃっているから、考え方も独特なんですよね。その前の中世にはずっとモンゴル帝国の奴隷だったし。その点、ポーランドやハンガリーやチェコはヨーロッパの王道の近代史を歩んできたから、ロシアと同じように弾圧したり禁止したりはできない文化的な素地がある。「罪物語」では、そんなポーランドがプロイセン王国【注68】とオーストリア帝国【注69】、そしてロシア帝国によって三分割された時代が舞台になっている。要は、ポーランドという国自体が実質的になくなってしまった悲劇の時代です。ポーランド分割というのは高校時代に世界史の授業で習いますが、この時代のポーランドの様子を描いた映画はなかなかありませんから、それだけでも貴重な作品です。 なかざわ:日本でポーランド映画というと、どうしてもアンジェイ・ワイダとか一部の巨匠の作品しか見る機会がありませんもんね。 飯森:この映画では冒頭にカトリックのお坊さんが出てきて、懺悔に来たヒロインに「あなたはものすごく綺麗で可愛いから、男たちが言い寄ってくるだろうけれど、誘惑に負けちゃだめだ」と釘を刺すわけです。つまり、彼女は誰が見ても美しい汚れなき処女で、男が隙あらば言い寄ってくるくらいの美少女というわけ。そんな彼女に、神父は「自由な性欲に身を委ねちゃダメだよ」と禁圧するわけです。ボロフチック監督って、普段ならこういうものを批判的に描こうとしますよね。自由にやったらいいじゃないかと。でもこの映画だとね、神父の言うことを聞かなかったヒロインは、実家の下宿屋に部屋を借りた胡散臭い男に惚れちゃう。こいつが、どうしようもないクズなんですよ。最初からおかしい。実は俺には妻がいる、でも妻のことはもう愛していない。離婚調停中で近々別れる予定だっていうことで、2人は出来ちゃうわけです。 なかざわ:よくあるパターンですね(笑)。 飯森:はい、つい最近もあったばかりです(笑)。で、結局やっぱり無理でしたと。妻が難条件を突きつけてきたせいで離婚が不成立になりました、って手紙を送りつけただけで姿をくらます。ゴメン、離婚はもうないから諦めてくれってことですね。すると、ヒロインは仕事も手がつかなくなっちゃって、彼を探してヨーロッパ中を追い掛け回すんですよ。つまらない喧嘩から決闘沙汰を起こして死にかけた男を病院に見舞いに行ったり、今度は詐欺か何かで逮捕された男を探してイタリアの刑務所まで行ったり。そうした過程が多言語で描かれる。普段はポーランド語、ロシア領のポーランドにいるから時々ロシア語、イタリアではイタリア語という感じで、セリフの言語も次々と変わる。これぞヨーロッパです!で、とにかくこの男をつかまえて幸せになりたいと奔走しているうちに、ヒロインはどんどん身を持ち崩していくわけです。 なかざわ:ダメだと分かっていても、どうしようもできない人間の性(さが)を描いているんでしょうね。そういう激情こそが、実は人を人たらしめるものなんじゃないですか?という。好きになったら最後っていうのは、恋愛においてよくある話ですし。こればっかりは、理性ではどうにもならない。ダメ男ばかり好きになる女性ってのも実際にいますしね。 飯森:ボロフチック映画の中において、この作品はエロというものがそこまで前面に出ておらず、一番普通の映画の装いをしているんです。主人公を駆り立てて暴走させるものも、今回は性欲ではなくて恋。あくまでも、恋に狂った女が果てしなく堕ちていくという物語になっている。 なかざわ:ボロフチックの懐の深さというか、作家としての幅広さががよく分かりますね。 <注61>1926年生まれ。ポーランドの映画監督。代表作は「灰とダイヤモンド」(’58)、「大理石の男」(’77)、「コルチャック先生」(’90)など。<注62>10世紀~19世紀初頭にかけて、現在の中央ヨーロッパの一帯に存在した国家。<注63>中世から20世紀初頭まで、中央ヨーロッパ各国の皇帝や大公などの権力者を輩出した名門貴族の家系。<注64>ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。1756年生まれ。オーストリアの作曲家。1791年没。<注65>フレデリック・ショパン。1810年生まれ。ポーランドの作曲家。男装の麗人ジョルジュ・サンドとの恋愛でも有名。1849年没。<注66>16世紀半ば~20世紀初頭まで存在した国家。現在のロシアを中心にフィンランドから極東まで支配していたが、ロシア革命で消滅した。<注67>君主が絶対的な権力を有する政治形態のこと。<注68>18世紀から20世紀初頭にかけて、現在のドイツを中心に栄えた王国。<注69>1804~1867年までオーストリアに存在したハプスブルグ家の国家。 次ページ >> 男性器でも勃起してなければモザイクなしでOK…かも?(なかざわ) 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.