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COLUMN/コラム2016.01.16
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(3)
飯森:そろそろ「インモラル物語」の話題に移りましょうか。これはセックスにまつわる4つの短編で構成されたオムニバス映画ですが、第1話の「満潮」というのがフェラチオの話なんですよね。この中でいきなり、可愛い女の子の唇のドアップが映る。先ほど述べた、肖像画がポッと出てくるような独特のテンポ感で、ワイド画面いっぱいに唇が写るんです。これは何なんだろう、という気がするんですよ。ボロフチックさんは、女性の体は本当に美しいんだ、それをフィルムに収めたかったんだということを語っているので、単純に引いて美しく寄っても美しいという理由だけなのかもしれないですが。 なかざわ:そもそも彼は、被写体=オブジェクトに対して強い執着というか、こだわりがあったみたいですね。なので、自分の映画に出てくる小道具や美術セットも、重要なものは彼自身がデザインをして作っていたらしいんですよ。彼の映画には、自分が好きなものや興味あるもの、こだわっているものだけで完璧な世界を作り上げたいという執念のようなものを感じます。以前に見た’83年撮影のインタビュー映像で、一番好きなのは短編アニメーションを作ることだと言っていました。なぜなら、他人とコラボレーションをする必要がないから。自分だけで全てをコントロールし、支配できるからなんでしょう。 飯森:「インモラル物語」でも、監督だけじゃなく撮影、編集、美術とか、何でもかんでも自分でやっていますよね。 なかざわ:そう、だからボロフチック以外の撮影監督や美術デザイナーが仮にクレジットされていたとしても、彼らは監督から指示されたことを実行するだけの人たちに過ぎないらしいんです。ボロフチック作品のイギリス盤ブルーレイ・シリーズには、初期短編時代から携わってきたスタッフのインタビュー映像が収録されているんですけれど、彼らの話によるとボロフチック作品においてスタッフが自分のアイデアを持ち込むということは、一番やっちゃいけないことだったみたいですね。良かれと思って照明の位置を変えるとか。監督の意図に沿わないものは全てやり直しさせられる。彼の頭の中では具体的なディテールに至るまでビジョンが既に出来上がっていて、あとはスタッフに命じてそれを再現するだけ、ということなんでしょうね。 飯森:ただ、もともと僕は変にアートぶった難解至極な映画ってあまり好きじゃなくて、うちで放送しないからぶっちゃけて言っちゃいますけれど、そういう意味でボロフチックさんの「愛の島ゴトー」も実は苦手なんですが、そんな僕でも「インモラル物語」は非常に楽しく見ることができる。なにか特別に言いたいことがあるわけじゃなくて、ただひたすら美しくエロを撮りたかっただけじゃないのかなって思うんです。 なかざわ:人間の営みとしてのセックスであったり、欲望としてのセックスであったりと、そのまま包み隠さずに描くことが恐らく目的ではないかなとも思います。そこに何かしらの、理に適ったストーリーを求めちゃいけない。 飯森:第1話の「満潮」にしたって、「お前ちょっとフェラしてくれよ」ってことで、可愛い従姉妹を連れて海へ行き、しゃぶってもらって、はいスッキリした、はいオシマイ!っていうね(笑)。ただ、例えばフランスのノルマンディ地方の荒涼としたような海辺の家から2人が連れ立って行く姿とか、自転車で坂を登り詰めていくと突然目の前にバーンと海岸が広がる様子とか、一つ一つのシーンのどれを取っても極めて美しく撮られている。それだけで大いに満足できるんですよ。あれが「インモラル物語」の中では一番無内容なエピソードなのかな、恐らく。 なかざわ:そうですね。 飯森:その次の第2話「哲学者テレーズ」というのも、これまたこれで無内容だった。厳格なカトリックの家庭に育てられている女の子が、大したことじゃないんだけど外出して遊んできたところを母親に見つかって、反省しなさい!ということでお仕置き部屋に入れられる。で、最初はしおらしく泣いているんだけれど、そのうちやることなくて独りエッチを始めるという、延々それだけを映している話です。 なかざわ:一応、宗教的な要素は強いですけれどね。 飯森:そうですね、ボロフチックさんは宗教も嫌いだったのかもしれない。宗教的な人たちが出てきて、そんなことやっちゃいけません!と言うような展開はよく出てきますよね。でも、そんなこと言ったってやりたいものはやりたいんだよ!と。「修道女の悶え」も同様ですが、やるなって言う方が無理な話じゃないですか、というのが彼の基本的なスタンスなんでしょう。 なかざわ:ポーランドという共産圏に生まれ育ったという、彼自身のバックグランドも影響しているかもしれません。 飯森:ポーランドは共産圏でありながら熱心なカトリック国ですからね。だからロシア語と似た言語なのにアルファベットがキリル文字じゃなくてローマ字なんです。ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世【注43】もポーランド出身でしたしね。そういう国なので、共産党への反発なのか、それとも厳格なカトリシズムへの反発なのか、それとも単に抑圧的な権力のメタファーとして描いているのか、そのへんは定かじゃないんですけれど。 なかざわ:個人的には、カトリック教会への反発があるようにも感じます。彼はグラフィック・デサイナーとして、長いこと共産党プロパガンダのポスターを作っていましたから、さほど共産主義の理念に対して抵抗を持っていたようにも思えないので。 飯森:いずれにせよ、女性が欲望を催して、自らの指で処理するまでの過程を、丁寧かつ美しく描いた「哲学者テレーズ」は、出歯亀的な好奇心をそそるという意味でも興味深く見ることができます。で、その次からですよね、凄いことになるのは。第3話「エルザベット・バトリ」の題材はバートリ・エルジェーベト【注44】という、中世のハンガリーに実在した女性貴族。“血の伯爵夫人”として有名で、よくホラー映画の題材にもなります。ハマー・フィルム【注45】の「鮮血の処女狩り」【注46】とか。 なかざわ:若い処女の血を浴びて自らの若さを保つという。 飯森:ただこの伝説、話が話なだけに、どうしてもエログロなトラッシュ映画【注47】になりがちで。村中の処女という処女を集めてきて虐殺し、その血で満たされたバスタブに浸かったらお肌がツルッツルになった美魔女、という、まさに悪趣味としか言いようのない伝説なわけですから。でもそれをボロフチックさんが描くと、一気にハイレベルなアートになってしまう。村の若い娘達をさらってきて、一堂に集めて裸にした時の、髪の色の違い、胸の形の違い、乳首の色の違い、あとテレビでは見せられませんが陰毛の色の違い。それらがまさに十人十色で、女性の裸体というのは集団になるとこれほどまでに個性的で美しいのかと驚かされます。 なかざわ:そういえば、バートリ・エルジェーベトの話は、中田秀夫監督【注48】の「劇場霊」【注49】でも描かれていましたよね。劇中劇ですけれど。 飯森:あと彼女が着ているドレスなども、トルコ支配の影響を受けた、いかにもハンガリーらしい東西折衷の独特のエスニックなテイストがあって、西欧文化圏との違いがよく分かります。絢爛たる歴史絵巻の風情ですよ。 なかざわ:しかも演じているのはパロマ・ピカソ【注50】。あのパブロ・ピカソ【注51】の娘です。本業は確かファッション・デザイナーだったと思いますけれど。 飯森:演技力のあまり要求されない役柄ですからね。セリフもないですし。で、最後の第4話「ルクレチア・ボルジア」がルクレツィア・ボルジア【注52】の話ですね。ボルジア家の乱れに乱れた、それこそ近親相姦までやっているような、権力者の性の倒錯を描いている。 なかざわ:親子でサンドイッチ3Pしちゃいますからね。しかも、パパはローマ教皇。 飯森:にも関わらず、批判めいた感じがあまりない。最後には教会の腐敗を大声で糾弾していた修道士が処刑され、それと交互するようにルクレツィアが近親相姦で産んだ子供の誕生をにこやかに祝福する姿が描かれているのだけれど、一体どっちを悪者として捉えているのか分からない。つまり、近親相姦で乱交3Pしている方を批判的に見ているとは思えないんです。それこそ、楽しげにやってるね♪くらいのノリで。逆に、説教台の上からヒステリックに「バチカンは腐っている!」って叫んでいる奴の方を、グロテスクに描いているように見えるわけです。 <注43>1920年生まれ。在位期間は’78年~’05年。2度の暗殺未遂事件も話題になった。’05年没。<注44>1560年生まれ。自らの若さと美貌を保つため、農村の若い処女を次々と殺害しては、その血を浴びていた。有力な名門貴族だったため、その残虐行為は見逃されていたが、被害者の脱走がきっかけで逮捕され有罪となった。1614年没。<注45>’50年代~’70年代に一世を風靡したイギリスの映画会社。ホラー映画やSF映画で人気を博した。<注46>1971年製作。実の娘の若さと美貌に嫉妬した中年の貴婦人が、村の若い娘たちを殺してはその血の風呂に浸かり、まんまと若返ることに成功する。イングリッド・ピット主演。<注47>文字通りトラッシュ=ゴミ映画のこと。一部のコアな映画マニアは、親愛の情と皮肉を込めて低予算のB級C級映画をそう呼ぶ。<注48>1961年生まれ。日本の映画監督。代表作は「リング」(’98)、「仄暗い水の底から」(’02)など。リメイク版「リング2」(’05)でハリウッド進出。<注49>2015年製作。舞台劇の小道具に使われる呪われた人形が、次々と関係者を殺していく。<注50>1949年生まれ。ティファニーの宝飾デザイナーとして知られる。<注51>1881年生まれ。スペイン出身の20世紀を代表する世界的な芸術家。1973年没。<注52>1480年生まれ。ルネッサンス期のイタリアを支配したボルジア家の出身で、汚職で悪名高いローマ教皇アレクサンデル6世の娘。1519年死去。 次ページ >> 『夜明けのマルジュ』…家族に見送られ都会へやって来て真っ先にするのが赤線で売春婦探し 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.15
僕が結婚を決めたワケ
シカゴ。ベンチャー企業を営むロニー(ヴィンス・ヴォーン)は「会社が軌道に乗るまでは生活の安定が保証出来ないから」と、長年のガールフレンドのベス(ジェニファー・コネリー)に結婚を切り出せないでいた。しかし共同経営者で親友のニック(ケヴィン・ジェームズ)とその妻ジェニーヴァ(ウィノナ・ライダー)から「早くプロポーズをしないと彼女を失うぞ」と忠告され、ようやくゴールインする決意を固めたのだった。 ところがプロポーズの下見に訪れた植物園で、ロニーはジェニーヴァと年下のイケメン・マッチョ(チャニング・テイタム)の浮気現場を目撃してしまう。おりしも会社は存続の命運がかかったプレゼン準備の真っ最中。小心者のニックに真実を告げたら、仕事に影響が出てしまうことは間違いなしだ。友情と仕事にがんじがらめになったロニーは、ニックに何も言い出せなくなってしまうのだった……。 そんなプロットを持つ『僕が結婚を決めたワケ』の監督が、あの巨匠ロン・ハワードであることを知ったらビックリする映画ファンは多いんじゃないだろうか。しかもハワード、本作をトム・ハンクス主演のダン・ブラウン原作映画第二弾『天使と悪魔』(09年)と男気F1ドラマ『ラッシュ/プライドと友情』(13年)の間に撮っている。わけわかんない! でもよく考えてみればハワードの俳優時代の代表作は『アメリカン・グラフィティ』(73年)やテレビドラマ『ハッピーデイズ』(74〜84年)だったわけだし、監督業に進出してからも、主演を兼ねた『バニシングIN TURBO』(77年)、マイケル・キートンの出世作『ラブ IN ニューヨーク』(82年、キートンがパンツ一丁でニューヨークの街角を歩くシーンは『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14年)でオマージュを捧げられた)、そしてトム・ハンクスとの初タッグとなった『スプラッシュ』 (84年)といった初期作品はコメディばかりだった。 一見シリアス一辺倒になっていたように見える近年だって、ジェイソン・ベイトマンやマイケル・セラのブレイク作にもなったカルト・コメディ・シリーズ『ブル~ス一家は大暴走!』(03年〜)をプロデュース、慇懃無礼なトーンのナレーションまで担当して番組の生み出す笑いに貢献している。『僕が結婚を決めたワケ』はハワードにとって異色作ではなく原点回帰作なのだ。 そんなハワードにとっては重要な本作の主演俳優に彼が選んだのがヴィンス・ヴォーンだった。いや、コラボレイターといった方が相応しいかもしれない。というのもこの作品、製作総指揮にはヴォーンも関わっており、彼の過去のプロデュース兼主演作とも作風が似通っているからだ。 ここで、日本ではあまり語られることがないヴィンス・ヴォーンのキャリアを振り返ってみよう。ヴォーンは、70年ミネソタ生まれのシカゴ育ち。俳優デビュー作はアメフト青春映画『ルディ/涙のウイニング・ラン』(93年)だった。この作品の撮影現場で、彼はやはりこれがデビュー作だったジョン・ファヴローと出会って意気投合する。二人は、オーディションに挑戦しては失敗し、酒を飲みながら愚痴を言い合う生活をロサンゼルスで送るようになった。やがてファヴローはヴォーンとの日々を脚本化してスタジオに売り込みをかけ、映画化に成功する。それがファヴロー自ら主演も務めたコメディ『スウィンガーズ』(96年)だった。 この作品で、ファヴローの親友役を実生活そのままに演じたヴォーンは大ブレイク。精悍なルックスが買われて、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97年)やリメイク版『サイコ』(98年)に出演。ジェニファー・ロペスと共演したSFXスリラー『ザ・セル 』(00年)は全米ナンバーワンに輝くなど、スター街道を駆け上がっていった。 当時の彼の呼び名は何と<ネクスト・マーロン・ブランド>! だが多くの俳優にとっては勲章のように感じられる呼び名は、ヴォーンにとっては嬉しくも何ともないものだった。むしろ<友情に厚いお気楽男<役でブレイクしたのに、ルックスばかりが騒がれて場違いな場所に来てしまったと思っていたに違いない。そんなところに救いの神が現れた。ベン・スティラーである。スティラー演じる主人公の兄役を演じた『ズーランダー』(01年)をきっかけに、彼はスティラー率いる俳優集団、所謂「フラットパック」との共演を繰り返し、コメディ映画に専念するようになっていった。 ルーク・ウィルソンやウィル・フェレルと共演した『アダルト♂スクール』(02年)、スティラーと共演した『ドッジボール』(04年)、そしてオーウェン・ウィルソンと組んだ『ウェディング・クラッシャーズ』(05年)といった大ヒット作でのヴィンス・ヴォーンのキャラクターは常に一貫している。それは<一見イイ加減だけど、恋愛よりも友情を選ぶ熱い男>だ。この頃急激に太ってしまい、女性ファンの多くを失ってしまったヴォーンだが、それ以上に同性からの圧倒的な支持を獲得。ヴォーンは一躍コメディ・スターの仲間入りをしたのだった。 そんなヴォーンが、プロデュースを兼務する形で発表した一連の主演作は、より同性のファンに向けて作られている。ジェニファー・アニストン演じる恋人と破局に至っていくまでを淡々と描いた『ハニーVS.ダーリン 2年目の駆け引き』(06年)、ヴォーンとリース・ウィザースプーン扮する夫婦がそれぞれの離婚した両親の家をクリスマスの日に巡り歩きながら人間関係に永遠など存在しないことを悟っていく『フォー・クリスマス』(08年)、大物監督になった旧友ジョン・ファヴローと共同で脚本も手がけた夫婦和合セミナーがテーマの『カップルズ・リトリート』(09年)、そして精子バンクに登録していたせいで独身でありながら何百人もの子どもの父親になっていたことを主人公が知る『人生、サイコー!』(13年)。どの作品も、男女関係を男の視点から本音で語ったビターなコメディばかりだ。 「自分勝手」「女性のことを分かっていない」そんな批判を受けてもヴォーンの視点は一切ブレない。作品の舞台の多くが今なお彼が暮らす地元シカゴ(ハリウッド・スターでロサンゼルスでもニューヨークでもない街に住んでいるのはとても珍しい)であることは、こうした作品のヴィジョンがヴォーン本人から生まれたものであることを象徴している。そんな側面からも『僕が結婚を決めたワケ』がロン・ハワードの監督作であると同時にヴィンス・ヴォーンの作品だということが、映画を観ると分かってもらえると思う。 最後に本作でヴォーンの<相手役>に扮したケヴィン・ジェームズについても触れておきたい。65年ニューヨーク生まれの彼はスタンダップ・コメディアンとしての活動を経て、シットコム『The King of Queens』(98〜07年)でブレイク。親友のアダム・サンドラーとは『チャックとラリー おかしな偽装結婚!?』(07年)や『アダルトボーイズ青春白書』(10年)、『ピクセル』(15年)などで再三共演しており、『モール★コップ』(09年)に始まる主演映画は全てサンドラー製作である。 ベン・スティラーとアダム・サンドラー自体は古くからの友人なのだが、それぞれがあまりにビッグだからか、二つの派閥が絡むことはあまり無い。そういった意味でも本作は画期的な作品である。これをきっかけに今後、色々な組み合せの共演作が実現することを期待したいものだ。
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COLUMN/コラム2016.01.15
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年2月】うず潮
西部開拓から近代へと変革する激動の30年を、ある牧場の家族を通して描いた、アカデミー賞監督賞受賞作!『エデンの東』『理由なき反抗』でスターへと駆け上がり、24歳の若さで亡くなったジェームズ・ディーンの遺作となった本作。主演のエリザベス・テイラーへの叶わぬ思いに悩み続け、牧場の使用人から石油発掘で成り上がる男を青年から初老まで変幻自在に演じる、ジェームズ・ディーンは必見です! 保守的な牧場主役をロック・ハドソンが演じ、時代のうねりから家族を守るため、自分の信念を曲げて決断していく姿と、それを叱咤激励する妻役のエリザベス・テイラーとの夫婦愛はどこか感動的です。ご夫婦一緒に見て頂きたい1本です!エリザベス・テイラーの美貌とジェームズ・ディーンのカッコ良さもご堪能ください! アカデミー賞月間である2月に、ザ・シネマでは『アカデミー賞大特集 3DAYS』と題して、作品賞、監督賞、主演・助演女優賞、主演・助演男優賞を受賞した、計14作品を特集放送!放送日は2/27(土)~29(月)の3日間です!こちらも是非! © Warner Bros. Entertainment Inc., George Stevens, Jr. & Jess S. Morgan
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COLUMN/コラム2016.01.09
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(2)
なかざわ:面白いなと思うのは、彼のようにアバンギャルドな作家性を持つ人たち、例えばティント・ブラス【注15】やピエル・パオロ・パゾリーニ【注16】、アラン=ロブ・グリエ【注17】などもそうだと思うんですが、みんな芸術やら反権力やらを突き詰めていくと最終的にセックスへと行き着くんですよね。 飯森:これもまた昔のキネ旬のインタビュー記事からの引用なんですが、「インモラル物語」について、性器のクロースアップに執着するのはどういう理由からなのでしょう、という質問をインタビュアーの山田宏一【注18】大先生がされているんですよ。確かに誰がどう見たって異常に執着している。すると、「なぜなら、それはいわゆるタブーとして、道徳の名において最も長いあいだ隠された部分であったからです」と堂々と答えている。「誰がいったいそんなタブーを作ったのか? いつだって、それを禁じた人間がいちばんそれに関心を抱いていて、自分だけは見ても、他人には見せないように抗議し、反対するものです。こうした検閲者に対する反抗が映画のモティーフの一部になかったとは言えません」と。うちの場合、僕がその検閲者に当たるんですけれどね(笑)。うちで放送する際には当然、その部分にはモザイクをかけるわけで、我ながら申し訳ない気持ちでいっぱいです(笑)。 なかざわ:そのコメントの趣旨が最も当てはまるのは、「ジキル博士と女たち/暴行魔ハイド」【注19】かもしれませんね。これはジキル博士をビクトリア朝時代【注20】の英国における偽善的な倫理観の象徴、ハイド氏をその裏で抑圧された本能や欲望の象徴としながら、最終的にタブーやモラルによる束縛からの開放を高らかに謳った作品なんですよ。つまり、ジキル博士が完全にハイド氏になってしまう=自由の勝利宣言として描かれている。 飯森:スティーブンソンの「ジキル博士とハイド氏」という題材そのものが、ボロフチックさん向きだったのかもしれませんね。彼を含めてアバンギャルド系の人や反権力の人がポルノへ行くというのは、そういう理由でとてもよく分かる。なんで陰毛がだめなのか、なんで性交を映しちゃだめなのかと。それに対して、検閲者というのは「ダメなものはダメなんだ!」と言うほかは理屈もへったくれもない連中なので、そうなると性的な表現でこの“自由の敵”どもを挑発してやろう、ということになるんでしょう。 なかざわ:大島渚の「愛のコリーダ」【注21】もそういうことですよね。奇しくも、「インモラル物語」のプロデューサーも、「愛のコリーダ」と同じアナトール・ドーマン【注22】ですし。 ヴァレリアン・ボロフチック WalerianBorowczykPhotofest/アフロ 飯森:「愛のコリーダ」って実はフランス映画なんですよね。「インモラル物語」が日本公開された翌年くらいに「愛コリ裁判」【注23】が起きた。当時は’60年代後半からのカウンターカルチャー【注24】の流れで、政治の季節【注25】というのがまだまだ続いていた時代なんですね。その中でポルノ解禁についてもしきりに議論されていて。確か「悪徳の栄え」【注26】ですよね、マルキ・ド・サド【注27】の著作を翻訳したフランス文学者の澁澤龍彦【注28】が起訴された「サド裁判」があったりと、“猥褻と芸術”裁判というのが集中していた時期。その中で一番大きなものが「愛コリ裁判」だったかもしれません。日本初のハードコア映画。ハードコアとは、撮影のために本番・挿入しているポルノのことで、擬似だとソフトコアと呼んで区別するんですが、アダルトビデオが普通に存在する今となっては考えられませんけど、当時は撮影のために本番するなどけしからん!という理由で裁判沙汰にまで発展しちゃうような時代だったわけです。そんな’70年代半ばに「インモラル物語」でボロフチックさんが日本に初めて紹介されたわけですけど、驚くことにキネマ旬報が一号まるごと割いている。要は、「インモラル物語」特集号なの。それも、発行日がよりによって僕の誕生日なんですよ! なかざわ:それはもの凄い因縁ですね(笑)。 飯森:で、中では名だたる映画評論家の先生方が“猥褻と芸術”について問題提起をされている。しかも、わざわざパリへ行ってボロフチック監督本人にインタビューまでしているんです。例えば、日本の検閲の状況について、「日本ではまだまだ最低の状態で、毛一本見せてはならないというのが現状なのです」とインタビュアーが愚痴ると、ボロフチックさんは素晴らしいことを言っている。「それは奇妙なことですね」と。「あなたがたの国には、すでに江戸時代にあんなすばらしい春画【注29】があったではありませんか」と切り返しているんですよ。「あれほどおおらかで自由でユーモアにあふれた浮世絵があったのに、いまでは性毛すら見せてはいけないというのは、なんだかひどくバカげていますね。じつにつまらない検閲だと思いますよ」ということをズバッと言っているんです。 なかざわ:春画は確かにモロ出しですからね。 飯森:毛どころの騒ぎじゃない。そういうものが19世紀に普通に見られていた国で、どうして毛一本見せちゃいけないんだよ、バカじゃねえの!?っていうのは、まったく仰る通りじゃないですか。やはりそこですよね。反逆の作家たちは「お前らバカじゃねえの!?」って言いたくなっちゃうんでしょう。芸術家として。 なかざわ:で、その「インモラル物語」の翌年に作られたのが「邪淫の館・獣人」。これは、もともと「インモラル物語」に収録されていた短編を劇場公開時にカットして、改めて長編として作り直したものです。この2作品以前のボロフチック監督って、フランス国内はもとよりヨーロッパではアート系の映像作家として一定の評価を得ていた。例えば、漫画家時代のパトリス・ルコント監督【注30】もボロフチックに強い影響を受けていて、「カイエ・デュ・シネマ」【注31】に彼の論文を何度が寄稿していますし、長編3作目の「Blanche」【注32】では助監督も務めています。 飯森:そうなんですか! ちなみに、「インモラル物語」当時のキネ旬の記事だと、パゾリーニやベルトルッチ【注33】と比較考察されています。それくらいのポジションだった。 なかざわ:テリー・ギリアム【注34】もボロフチックの初期短編アニメに多大な影響を受けていると公言していますからね。それだけ芸術家としての高い評価を一部から受けていて、当然将来を期待されていたわけですが、この辺りから誤解が生まれるというか、「インモラル物語」や「邪淫の館・獣人」で初めて彼を知った人たちから、ポルノ監督というレッテルを貼られるようになっちゃうんですよ。いきなり時の人になっちゃったせいで。 飯森:これは「夜明けのマルジュ」の頃のインタビューなんですが、「わたしはポルノを作っている気はありませんし、いわゆるポルノは嫌悪しています。醜悪そのものだからです」と述べているように、彼は明らかにポルノと呼ばれることを嫌がっていましたけれどね。 なかざわ:実際に作品を見れば、ポルノとして作られていないことは一目瞭然です。しかし、この頃から生まれた誤解のせいで、やがて徐々に撮りたい作品が撮れなくなっていく。’80年代には「エマニエル夫人」【注35】シリーズの5作目「エマニエル ハーレムの熱い夜」【注36】なんて映画を撮っていますが、お金に困っていない限りそんな仕事は引き受けないでしょう。 飯森:そういう意味では、不幸な作家と言えるかもしれませんね。 なかざわ:結果的に世間からその真意をちゃんと理解してもらえなかったように思います。 飯森:ちょっと挑発的すぎたのかもしれません。 なかざわ:彼のように性をおおっぴらに描く映像作家が、まだまだ色眼鏡で見られる時代だったということもあるでしょうし。 飯森:それは今もそうですけれどね。ただ、彼みたいにアブノーマルと言われるようなものも含めて、ありとあらゆる性のパターンをフィルムに捉えつつ、ここまで耽美的・唯美的に描いてみせたエステティシストというのは、映画史的に見てもほかになかなか思いつかない。 なかざわ:彼の作品の特徴って、先ほどからの大らかなセックスというテーマもそうですが、被写体に対する距離感というものも印象的です。要は、傍観者なんですよ。これは特に初期作品で顕著ですけれど、決してカメラが作品の世界の中へと入っていかない。画面の構図も舞台劇というか人形劇というか、とても平面的です。 飯森:「愛の島ゴトー」はその典型ですね。 なかざわ:その次の「Blanche」も同様で、登場人物なんかも画面の左右を行き来することが多くて、奥行きへの動きが少ない。しかも、俳優まで美術セットや小道具の一つとして映像に捉えることが多い。そうしたある種の様式美は、元グラフィック・デザイナーらしいと言えるかもしれません。 飯森:僕がボロフチック作品で気になるのが銅版画【注37】。紙幣の肖像画みたいな、銅板を金属の大きな針で削って緻密に描いていくやつ。その銅版画で印刷された肖像画が、映画の中で部屋の壁によく飾ってあって、突然インサート・カット【注38】でポン!とスクリーンいっぱいに映し出されたりすることがある。あの編集が不思議なんですよね。 なかざわ:初期の短編アニメで、その銅版画のイラストだけで作られたものがあります。ひたすら奇妙な動きをしている作品なんですけど。 飯森:おおお!それは見たい! アバンギャルドですね! なかざわ:彼の初期短編作品って、アニメにせよ実写にせよ、基本的にストーリーらしきストーリーがなくて、シーンの前後の関連性までなかったりすることも珍しくない。ひたすら実験的なんです。 飯森:アニメーションってもともと実験性の高いものも多いじゃないですか。ほっといても勝手に動く人間が芝居するなら、動くのは当たり前なのでドラマをどう描いていくかが目的になりますけど、アニメは絵なりオブジェなりの静物をどうやって動かせばいいのか、という映像表現なわけですから、動かすこと自体が目的化してる作品もありますよね。 なかざわ:僕がボロフチックの短編で一番好きなのは、「Renaissance(ルネッサンス)」【注39】というタイトルのストップモーション・アニメ【注40】なんですけれど、まず最初に廃墟のような部屋が出てくるんですよ。そこには、いろいろなものが壊れて散らばっている。脚の折れたテーブルとか、ボロボロに剥がれた壁紙とか。その1つ1つが元通りになっていく様子を、コマ撮りで描いていくわけです。ベローンと剥げていた壁紙が綺麗になったり、バラバラに散らばっていた毛や綿の山がフクロウの剥製になったり。で、一番最後に元通りになるのが時計なんですよ。壊れていた時計がチクタクチクタクと動き始めると、そこにくっついていた時限爆弾が起動されてしまい、バーンと爆発して再び部屋がボロボロになってしまうわけです。恐らく永遠にそれを繰り返すんじゃないかな、と思わせる作品です。 飯森:うわぁー、なんともシュールな(笑)。アニメーションというのは物を動かす喜びに満ちたジャンルだと思うんですが、ただひたすらその喜びを表現するためだけに作られた作品なんでしょうね。 なかざわ:これなんかを見ると、テリー・ギリアムがボロフチックの短編に影響を受けたというのもよく分かる。 飯森:デヴィッド・リンチ【注41】の初期短編アニメに近いものもあるかもしれませんね。 なかざわ:ギリアムはモンティ・パイソン【注42】のネタなど、ボロフチックからインスピレーションを得ているらしいんですが、そう言われると“なるほど!”と思い当たるんです。アバンギャルドな点はもちろん、ちょっと暴力的なブラックユーモア精神も似ていると思いますね。 <注15>1933年生まれ。イタリアの映画監督。代表作は「サロン・キティ」(’76)、「カリギュラ」(’80)、「鍵」(’83)、「背徳小説」(’94)など。<注16>1922年生まれ。イタリアの詩人にして映画監督。代表作は「アポロンの地獄」(’67)や「テオレマ」(’68)、「デカメロン」(’71)、「ソドムの市」(’75)など。1975年没。<注17>1922年生まれ。フランスのヌーヴォー・ロマン派の小説家で映画監督。代表作は「危険な戯れ」(’75)、「囚われの美女」(’83)など。2008年没。<注18>1938年生まれ。日本の映画評論家。<注19>1981年製作。ジキル博士の邸宅に招かれた上流階級の偽善者たちが、老若男女に関係なく次々とハイド氏に陵辱されていく。<注20>19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、ビクトリア女王が統治した時代のこと。イギリスは経済的にも文化的にも最高潮の栄華を誇った。<注21>1976年製作。愛人の局部を切り取った女性、阿部定の実話を映画化した作品。<注22>1925年生まれ。ポーランド出身のフランスの映画製作者。代表作は「二十四時間の情事」(’59)、「ブリキの太鼓」(’76)、「パリ、テキサス」(’84)など。<注23>映画「愛のコリーダ」のスチール写真と脚本を掲載した出版物が警察に押収され、大島渚監督が起訴された事件。芸術と猥褻を巡る論争が繰り広げられた。<注24>体制的な主流文化に対抗する文化のこと。主にヒッピー文化などを指す。<注25>若者を中心に、学生運動や労働組合運動などの左翼的な政治活動が活発化した’60年代の世相のこと。<注26>1801年に出版された小説で、正式なタイトルは「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」。敬虔な女性ジュリエットがあらゆる悪徳と快楽に染まっていく。<注27>1740年生まれ。フランス革命で活躍した貴族にして小説家。暴力的なセックスを追求したことでも知られ、サディズムの語源となった。1814年没。<注28>1928年生まれ。日本のフランス文学者にして小説家。エロティシズムや人類の暗黒史などを追究した著作が多い。1987年没。<注29>性風俗を赤裸々に描いた江戸時代の浮世絵。<注30>1947年生まれ。フランスの映画監督。漫画家を経て映画界へ。代表作は「髪結いの亭主」(’90)、「イヴォンヌの香り」(’94)、「スーサイド・ショップ」(’12)など。<注31>1951年に創刊されたフランスの映画評論雑誌。執筆者の中からジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどの映画監督が生まれた。<注32>1972年製作。年老いた貴族の後家として嫁いだ、若く清純な貴婦人ブランシュの美貌に魅せられた男たちが勝手に自滅していく様子を、中世のフレスコ画のような映像で描く。<注33>ベルナルド・ベルトルッチ。1941年生まれ。イタリアの映画監督。代表作は「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(’72)、「1900年」(’76)、「ラスト・エンペラー」(’87)など。<注34>1940年生まれ。イギリスの映画監督。コメディ集団モンティ・パイソンのメンバー。代表作は「未来世紀ブラジル」(’85)、「バロン」(’88)、「12モンキーズ」(’96)など。<注35>1974年製作。美貌の人妻エマニエルの奔放な性の冒険を描き、世界的なポルノ映画ブームを牽引した大ヒット作。その後シリーズ化された。主演はシルヴィア・クリステル。<注36>1987年製作。映画女優となったエマニエルの新たな性の冒険を描く。モニーク・ガブリエル主演。<注37>銅板に金属の針で細かい溝を彫り、そこにインクを流して印刷する版画の一種。ドライポイントやエッチングなど、様々な技法がある。<注38>映画やビデオなどの編集技法のひとつ。もともと編集された映像に、さらに別の映像を被せること。<注39>1963年製作。日本未公開。<注40>静止している物体を一コマづつ動かしながら撮影し、そのフィルムを連続して再生することで、あたかも本当に動いているかのように見せる映画技法。<注41>1946年生まれ。アメリカの映画監督。代表作は「ブルーベルベット」(’86)、「ロスト・ハイウェイ」(’97)、「マルホランド・ドライブ」(’01)など。<注42>イギリスの人気コメディ集団。’69年に始まったテレビ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」で有名に。メンバーはテリー・ギリアム、エリック・アイドル、ジョン・クリーズなど。 次ページ >> 『インモラル物語』…お前ちょっとフェラしてくれよ! 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.09
めくるめく恐怖と官能が渦巻く『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』で英国が生んだ特異な才能、ピーター・ストリックランドを発見せよ!
一度聞いたら忘れられないが、覚えるのも難しい奇天烈な邦題がつけられた『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』(原題:『Berberian Sound Studio』)は、1973年イングランド・レディング出身のイギリス人監督、ピーター・ストリックランドの長編第2作である。これに先立つデビュー作『Katalin Varga』(2009)はベルリン国際映画祭、ヨーロッパ映画賞ほかで賞に輝いたが、日本では劇場未公開となり、DVD化もされていない。 イギリスとルーマニアの合作映画『Katalin Varga』をひとたび観れば、ストリックランドがただ者ではないことはすぐわかる。舞台となるのはルーマニアのトランシルヴァニア地方で、主人公の美しい女性カタリン・ヴァルガが幼い息子を伴って馬車に乗り、辺境の村から村へと旅する姿が綴られていく。カタリンの目的は、かつて自分の体を弄んだ憎き男たちへの復讐を成し遂げること。カルパチア山脈の雄大さと神秘性、そして時折画面に立ちこめる不穏な気配が、このうえなく繊細な撮影と音響設計によって表現される。物語の骨子はいわゆる“レイプ・リベンジ”ものの一種と言えるが、そんなものはあってないかのように積極的にストーリーラインを逸脱し、詩的なざわめきを映画に吹き込むストリックランド監督の独特の感性がこの禍々しいロードムービーをアートの域に高めており、筆者は「観たことのないような映画を観た」との強烈な印象を受けた。 ストリックランドがその3年後に発表した『バーバリアン~』(2012)は、ルーマニアでオールロケを敢行した『Katalin Varga』とはまったく異なるヴィジュアル・ルックを持つ作品だ。舞台はイタリアの音響スタジオなのだが、撮影はすべてロンドンで行われた。なぜそんなことが可能だったかというと、この映画は風景というものがまったく映らない室内劇だからだ。 物語は主人公のイギリス人録音技師ギルデロイ(トビー・スティーヴンス)が、異国のバーバリアン音響スタジオに到着するところから始まる。ジャンカルロ・サンティーニという風変わりなイタリア人監督に腕を見込まれ、サウンド・ミキシングを依頼されたのだ。ところがサンティーニの新作『呪われた乗馬学校』は、残虐な魔女が復活して女子生徒たちを血祭りに上げていくホラー映画で、そんなジャンルに携わった経験のないギルデロイはいきなり面食らう。高圧的な態度を連発するプロデューサー、女好きのくせに高尚なことをまくし立てるサンティーニ、いつも不機嫌な美人秘書の言動に翻弄されたギルデロイは、ろくに英語も通じない完全アウェーのスタジオ内で孤立し、極度の精神的混乱に陥っていく……。 映画製作の現場を舞台にしたメタ映画はいくつもあるが、これはポスト・プロダクション、それも録音作業のプロセスに特化した珍しい作品だ。おまけに1970年代を背景に設定したストリックランドは、当時イタリアで一大ブームを巻き起こしたジャーロ(ジャッロとも呼ばれる)映画にオマージュを捧げている。ジャーロとはトリッキーなプロットや殺人描写、女優のセクシュアルな魅力などを売り物にしたイタリア製クライム・ミステリーのこと。ジャーロ映画にはしばしば黒革の手袋で凶器を握り締めた殺人鬼が登場するが、『バーバリアン~』ではスタジオのフィルム映写技師が黒革の手袋をはめている。ただし劇中劇の『呪われた乗馬学校』は典型的なジャーロではないオカルト・ホラーなので、ストリックランド監督はマリオ・バーヴァの『血ぬられた墓標』やダリオ・アルジェントの『サスペリア』あたりをイメージしたのだろう。 スタジオ内には次々と大量の野菜が運び込まれてくる。スタッフはスイカやキャベツを刃物でザクッザクッと切り刻み、瓜をグシャッと床に叩きつける。それは殺害シーンの効果音だ。マイクブースにこもった女優たちは断末魔の絶叫を放ち、魔女の呻き声をしぼり出す。『呪われた乗馬学校』の映像は一切映らないが、観客はこれらの効果音やアフレコの創作過程を通して視覚と聴覚を刺激され、いかなる血まみれの光景がスタジオ内に照射されているのかを否応なく想像させられる。単にジャーロの様式を現代に甦らせるだけでなく、物理的な手段によって架空の恐怖=フィクションが生み出され、その過剰に増幅するフィクションが主人公の現実をのみ込んでいく様を描いているところに、ストリックランド監督の並々ならぬ才気が感じられる。オープンリールのレコーダーなどのアナログな機材や小道具をずらりと揃えたプロダクション・デザインへのこだわりに加え、極めて優れた撮影、編集、音響のテクニックも凄まじい。これまた『Katalin Varga』とは別のベクトルで“観たことのない”圧倒的なオリジナリティがほとばしる異常心理劇に仕上がっているのだ。 新進のフィルムメーカーがどのようなテーマやスタイルを好んで志向するのかは2本観ればたいてい察しがつくものだが、『Katalin Varga』と『バーバリアン~』を観てもストリックランドという監督は謎が深まるばかりである。というわけで、絶好のタイミングでイギリスから届いた彼の長編第3作『The Duke of Burgundy』(2015)をブルーレイで鑑賞してみたが、またもや驚嘆させられた。 人里離れた森の洋館を舞台にしたこの最新作は、昆虫学者の女主人と若いメイドの倒錯的な関係を描いた女性同士のラブ・ストーリーだったのだ! 今度はイギリスとハンガリーの合作で、ロケ地はオール・ハンガリー。主演女優は『バーバリアン~』にも出演しているイタリア人のキアラ・ダンナと、『アフター・ウェディング』やTVシリーズ「コペンハーゲン/首相の決断」で知られるデンマーク人、シセ・バベット・クヌッセンという無国籍的な取り合わせ。1970年代のヨーロピアン・エロス映画を彷彿とさせる魅惑的なデザインにフォークバラードが流れるメインタイトルに続き、無数の蝶の標本に彩られた密室内の秘めやかなSM恋愛劇が耽美的かつフェティッシュな映像美で紡がれていく。『バーバリアン~』に通じる濃厚な夢幻性や毒々しいユーモアに加え、ヒロインたちの危うい愛のかたち、そこに生じる痛みや妄執をエモーショナルに物語ってみせたストリックランドの新たな試みに、筆者は鑑賞中に絶え間なく興奮し、わけのわからない感動にさえ襲われた。日本でも“需要”が見込まれそうな作品なので、おそらく配給会社が放っておかないだろう。 筆者にとってピーター・ストリックランドという監督は3本観ても未だ謎だらけだが、世界中を見渡しても稀なほど特異な才能の持ち主であることは断言できる。まずは、これまでに唯一日本に紹介された『バーバリアン~』で、めくるめく恐怖と官能が渦巻く世界に浸ってほしい。■ ©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012
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COLUMN/コラム2016.01.05
男たちのシネマ愛③愛すべき、ボロフチック監督作品(1)
なかざわ:早くも3回目となる今回の対談ですが、テーマは「ミッドナイト・ヴィーナス」枠で放送される文芸エロスの巨匠ヴァレリアン・ボロフチック(注1)です。 飯森:まずはボロフチック監督の総論みたいなところから始めて、その後にザ・シネマで放送する「インモラル物語」(注2)、「夜明けのマルジュ」(注3)、「罪物語」(注4)の3作品について各論でトークすることにしましょうか。 ザ・シネマ編成部 飯森盛良 なかざわ:分かりました。どうしてもソフトポルノの人というイメージの強いボロフチックですが、しかしもともとは、いわゆるアバンギャルド路線(注5)の人なんですよね。しかも、活動の拠点はフランスだったけれども、実はポーランドの出身です。特に彼の作家性が強く出ているのは、初期の短編映画だと思うんですけれど、抽象的で実験性の強い作品ばかり撮っている。中でもロシア・アバンギャルド(注6)の影響が濃厚で、彼がグラフィック・デザイナーからスタートしたこともよく分かります。彼の生まれ育った過程で、ポーランドにはナチスの侵略があり、ソビエトのスターリニズム(注7)があり、そういう時代を経験しているから基本的に物事の見方がダークで哲学的なんですよね。 飯森:デビュー作は「愛の島ゴトー」(注8)でいいんですか? なかざわ:いえ、長編デビューはアニメなんです。なので、あれは長編実写映画のデビュー作ってことになります。 飯森:物の見方がダークだと仰いましたが、でも性に対して屈託がないというか、セックスにタブーがない人でもありますよね。 なかざわ:そうですね。その通りです。 飯森:大昔のキネマ旬報(注9)のインタビュー記事を読むと、セックスについて「古代ギリシャの文明は(今より)もっと開放的で自由でした」なんてことを言っている。それはその通りだと思うんですが、その証左として具体的に挙げているのがね、「たとえば獣姦ということがそのひとつの証拠ですね」と述べているんですよ! エェっ!?って感じじゃないですか(笑)。単にみんなが裸でエーゲ海の日差しを浴びて、明るく健康的に相手かまわずセックスしてました、それは素晴らしいことじゃないですか!と言うのかと思いきや、特に獣姦が良かったと。「古代ギリシャでは、動物と交わるということが、すくなくとも芸術家にとっては、自然な、美しい行為ですらあったのです」と力説しているんです。 なかざわ:それが「邪淫の館・獣人」(注10)のルーツですかね(笑)? 飯森:そうなんじゃないですか?あれは強烈だった!ブルボン朝期のフランスの貴婦人が、ゴリラのような獣に犯されてしまう。 なかざわ:しかも、もの凄い巨根なんですよね。 飯森:どう見ても明らかに着ぐるみで、それに巨大なモノが付いている。そいつに貴婦人が追いかけ回され犯されて、その獣のDNAが代々残っちゃうという家系の話です。 なかざわ:その巨根の先っちょから出るわ出るわ、白いドロドロの液体がとめどなく流れ出るのには驚きました。そこまでやるか!って(笑)。一歩間違えればポルノですけど、あれで欲情する人はまずいない。あえて観客を挑発しているとしか思えないですよね。 飯森:そもそも獣姦をテーマにしている時点で、明らかに観客を挑発している。ポーランドってカトリック(注11)の国ですからね。移住先のフランスだって、宗教色が薄いとはいえ同じくカトリックの国だし。後の「インモラル物語2」(注12)にも、バター犬ならぬ“バターうさぎ”を飼っている女の子の話が出てきますから、確信犯にして常習犯なんですけど、ボロフチックさんはそれらを決してネガティブには描いていない。 なかざわ:「インモラル物語」にせよ「尼僧の悶え」(注13)にせよ、禁断の性を描いていながら、どこか長閑で明るいところがありますよね。だから、例えば「尼僧の悶え」は'70年代ヨーロッパにおける尼僧映画ブームの最中に撮られた作品ですけど、当時は尼僧が一線を超えて肉欲の罪を犯したことで酷い目に遭うという暗いトーンの作品が大半だったのに対し、ボロフチックの「尼僧の悶え」はある意味で真逆。確かに結末は悲劇的かもしれないけれど、性の描き方そのものは明るく朗らか。後ろめたさがないんですよね。 飯森:あと、基本的に女性の性ですよね、彼が好んで描くのは。女性にだって性の抑えがたい欲求や変態的な願望さえあるんだと。かつて無いものとされていた女性の性欲にヒロインが突き動かされることで、トラブルが起こりドラマが生まれるという作品が多い。「修道女の悶え」はその典型的な映画で、修道女全員が悶えている(笑)。 なかざわ:厳密には修道院長以外全員ですね(笑)。 飯森:そう。修道院長はあまりにも真面目だから、あとで手痛いしっぺ返しを食らうんですけどね。それ以外の修道女は、なぜかみんな若くて美人で、しかも悶々たる性的欲求を抱えている。 なかざわ:木の枝でディルド(注14)を自作しちゃったりするし。 飯森:それはポルノじゃないかという意見も確かにありますが、しかし少なくとも監督の初期のインタビューを読んでいると、ポルノとは呼ばないで欲しいと言っているんですよ。恐らく彼の言い分としては、みんなもやっているでしょ?誰にだってそういう欲求はあるでしょ?隠すなよ!と。それが常にボロフチック作品の根底にあるテーマですよね。 <注1>1923年9月2日、ポーランド生まれ。クラクフの美術学校で絵画を学び、グラフィックデザイナーを経て'46年より短編の実験映画を発表。'59年にフランスへ移住し、'66年発表の「Rosalie」(日本未公開)ではベルリン国際映画祭やロカルノ国際映画祭の最優秀短編映画賞を獲得。'67年に長編映画デビューし、'90年代前半に現役を引退。'06年2月3日、フランスのパリで死去。<注2>1974年製作。性愛にまつわる4つの短編からなるオムニバス映画。<注3>1976年製作。フランスで最も権威のある文学賞、ゴンクール賞に輝いたアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの小説「余白の街」の映画化。<注4>1975年製作。同年のカンヌ国際映画祭正式出品作。<注5>前衛芸術のこと。<注6>帝政ロシア末期からソビエト連邦初期にかけて、ロシアで花開いた前衛芸術運動。<注7>'20年代~'50年代にかけて、ソビエト連邦の最高指導者だったヨシフ・スターリンが実践した政治体制のこと。指導者に対する個人崇拝、秘密警察の監視や粛清による恐怖政治を特徴とする。<注8>1969年製作。外界から隔絶された島ゴトーを舞台に、独裁者の美しい妻に横恋慕した愚かで醜い男が、あらゆる卑劣な手段を使って権力の座を手に入れようとする。<注9>1919年に創刊された日本の映画雑誌。<注10>1975年製作。フランスの没落貴族と政略結婚することになったイギリスの裕福な女性が、相手の家系に獣人の血筋が流れていることを知る。<注11>キリスト教において最大規模の教派。ローマ教皇をその最高指導者とする。<注12>1979年製作。女性のセックスにまつわる3つの短編からなるオムニバス映画。<注13>1978年製作。中世の女子修道院を舞台に、性欲を持て余した尼僧たちの日常を描く。<注14>男性器の形を模した大人のおもちゃ。コケシや張り型とも呼ばれる。 次ページ >> あなたがたの国には、すでに江戸時代にあんなすばらしい春画があったではありませんか(ボロフチック) 『インモラル物語』"CONTES IMMORAUX" by Walerian Borowczyk © 1974 Argos Films 『夜明けのマルジュ』©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO.
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COLUMN/コラム2016.01.05
【未DVD化】英国ニュー・ウェイヴが革命の季節に放った反逆の映画『if もしも‥‥』
もし君が英国のパブリックスクールに憧れていたとしたら、『if もしも‥‥』はその幻想をコナゴナに打ち砕いてくれるはず。この映画で描かれるパブリックスクール、とにかく陰惨すぎる! それゆえに主人公の終盤の行動が説得力満点なわけだけど。 この終盤の展開を観た者ならば、本作が1969年にカンヌ映画祭でグランプリを獲っていたという事実に少なからず驚くはずだ。哲学的な作品が幅を利かすあの祭典で、こんな衝動的な映画が栄冠に輝くなんて! でも前年のグランプリ作を知ったなら納得するんじゃないだろうか。というのも、1968年のグランプリ作は該当作無し …ていうか、カンヌ映画祭自体が開かれなかったのだ。 映画祭中止の理由は、学生運動を発端にフランス全土のストライキへと発展した、五月革命にある。これに触発されたフランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダール、ルイ・マルといったヌーヴェルヴァーグの映画作家たちが騒ぎだし、映画祭自体がストライキされたのだ。だからその翌年に学生の反乱を描いた『if もしも‥‥』が栄冠に輝いたのはある種の必然だったわけだ。 ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)を英語では「ニュー・ウェイヴ」という。同時代の英国にもそう呼ばれた映画作家の集団が存在しており、『if もしも‥‥』はこの英国ニュー・ウェイヴ映画のひとつの到達点的な作品でもあった。 この集団の代表的な映画監督としては、トニー・リチャードソン、カレル・ライス、そして『if もしも‥‥』の監督リンゼイ・アンダーソンが挙げられる。ライスとアンダーソンは当初、映画評論誌『シークエンス』の同人であり、その点も『カイエ・デュ・シネマ』の同人だったヌーヴェルヴァーグの作家たちとよく似ていた。 彼らはフリー・シネマと呼ばれた社会派ドキュメンタリーの製作を経て、劇映画へと進出していった。リチャードソンは『怒りを込めて振り返れ』(59年)や『蜜の味』(61年)といった力作を発表。ライスも『土曜の夜と月曜の朝』(60年)で続いた。アンダーソンの長編劇映画デビュー作は、そのライスが製作した『孤独の報酬』(63年)である。労働者階級出身のラグビー選手を描いたこのシリアス・ドラマは、主演のリチャード・ハリスがカンヌ映画祭で主演男優賞を獲得するなど高く評価された。 だがこれに続く長編はなかなか製作されなかった。アンダーソンは自分の資質に合った脚本をじっと待っていたのかもしれない。そんなところに『十字軍』と題された脚本が持ち込まれてきた。これを読んだアンダーソンは即座にストーリーが『新学期・操行ゼロ 』(33年)をベースにしたものであることを見抜き、映像化を決断したのだった。 29歳で夭折したフランスの映画監督ジャン・ヴィゴが撮った『新学期・操行ゼロ』は、抑圧的な寄宿舎学校の生活とそれに反抗する生徒たちを描いたことが原因で、政権批判と見做され12年間も上映禁止されていたという呪われた作品だった。しかしこれをヌーヴェルヴァーグの作家たちは絶賛。フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(59年)にも絶大な影響を与えていた。 そんな『新学期・操行ゼロ』の現実版ともいえる五月革命が、ヌーヴェルヴァーグの作家たちが住むフランスでは巻き起こっていた。しかしアンダーソンの住む英国では、ロックがポップ・カルチャーを席巻してはいたものの、文化が政治そのものに影響を及ぼす度合いはいまひとつだったのである。 こうした状況に苛立ったアンダーソンが起こした<映画内英国五月革命>が『if もしも‥‥』だったのかもしれない。その証拠に、冒頭シーンで顔の下半分をマフラーで隠し続けるトラヴィスの姿からは『大人は判ってくれない』、寮の部屋に貼られたマシンガンを抱える黒人のポスターからはゴダール『ワン・プラス・ワン』(68年)といったヌーヴェルヴァーグ作品へのオマージュを感じる。 アンダーソンの母校チェルトナム・カレッジで行われた撮影は、資金不足との戦いだったという。しかしアンダーソンは一部のシーンを安いモノクロのフィルムで撮影することで、これを乗り切った。そのため本作は、シーンによって唐突にモノクロに変わってしまうのだが、それがかえって意味ありげな効果をあげている。 公開された『if …もしも』は英国内で絶賛と誹謗中傷の両方を呼び起こした。これほどの社会的なインパクトを与えたのは、これがデビュー作だった主演俳優マルコム・マクダウェルの存在感によるところが大きい。 実はアンダーソンを含めて「ニュー・ウェイヴ」の映画作家たちのほとんどが上流階級出身のインテリだった。彼らが社会派なのはそうした自分の出自にやましさを感じていたからで、それゆえ主張自体は正しいものの、どこか絵空事的な雰囲気が漂っていたのである。だが労働者階級出身のマクダウェルは、その主張を不敵な演技によってぐっと生々しいものに変えてくれたのだ。 本作一本で一躍スターになったマクダウェルは、『オー! ラッキーマン』(73年)や『ブリタニア・ホスピタル』(82年)でもアンダーソンと組んでいるが、その際の役名はいずれも『if もしも‥‥』と同じミック・トラヴィスである。決して同一人物ではないのだが、アンダーソンのもとでマクダウェルが反逆者を演じる 時、彼はトラヴィスという人格になるのだろう。 トラヴィスのまたの名をアレックスという。なぜなら『if もしも‥‥』を観たスタンリー・キューブリックが、「主人公のアレックス役を演じられるのは彼しかいない!」とマクダウェルを主演に招いたのが、『時計じかけのオレンジ』(72年)だったからだ。マクダウェル一世一代の当たり役のアレックスのプロトタイプは『if もしも‥‥』にあったのだ。 『時計じかけのオレンジ』は多くの人間の人生を変えた。五月革命を真似た学生運動を英国の大学で行って失敗して以来、冴えない人生を送っていたマルコム・マクラーレンは、映画の斬新なデザイン感覚に触発されてロンドンにブティック「SEX」をオープン。パートナーのヴィヴィアン・ウエストウッドとともに過激なファッションの服をデザインしてセンセーションを巻き起こした。店の常連はやがてロック・バンド、セックス・ピストルズを結成。彼らは政治にまで影響を及ぼすロンドン・パンク・ムーヴメントの牽引者となっていった。 アメリカでは、1972年にアーサー・ブレマーという21歳の男が、大統領選挙出馬を狙っていたアラバマ州知事ウォレスの暗殺を図って逮捕された。彼は『時計じかけのオレンジ』を見て以来、ずっとウォレス暗殺を夢想していたという。そんな彼が出版した日記をモチーフにポール・シュレイダーが書いたのが、あのマーティン・スコセッシ監督作『タクシードライバー』の脚本である。ロバート・デ・ニーロが演じた主人公の名はトラヴィスといった。 シュレーダーやスコセッシが『if もしも‥‥』を観ていたかは定かではない。だが人が社会への反抗を叫ぶとき、本人の自覚があろうがなかろうが、『if もしも‥‥』が潜在的に影響を及ぼしている可能性は結構高いのである。■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.12.28
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年1月】おふとん
貨物便で世界の空を飛び回る宅配会社社員チャックは、恋も仕事も忙しく充実した毎日を送っていた。だがある日、貨物便が墜落し無人島に漂着。手元にあるのは墜落時の漂流物のみ。果てしないサバイバル生活がはじまる。漂流物の1つバレーボールに目鼻を描いて“ウィルソン”と名付け話し相手にし、孤独を紛らす。そうして4年が経ち…。 『フォレスト・ガンプ/一期一会』でタッグを組んだロバート・ゼメキス監督とトム・ハンクスで送る無人島サバイバル。ほぼトム・ハンクスしか出演しないのですが、その独り芝居がすごい!作中で25kg減量していく様子も必見です。そしてご存知「ウィルソーーーーン!」シーンをお見逃しなく!! COPYRIGHT © 2015 DREAMWORKS LLC AND TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.12.25
男たちのシネマ愛②愛すべき、味わい深い吹き替え映画(6)
なかざわ:その他のイチオシはどれでしょう? 飯森:「ファールプレイ」(注54)ですね。これは日曜洋画劇場でやったバージョンなんですが、ローカライズが魅力的なんですよ。日本ならではの味というか、日本語吹き替えにしか出せない味。オリジナルよりも面白くなっちゃったというパターンです。なぜなら、ダドリー・ムーア(注55)を広川太一郎(注56)さんがやっているから。もう明らかにオリジナルのセリフとは関係ないことをしゃべっているんです。 なかざわ:コメディーは特にそうだと思うんですが、笑いの文化って国によって全く違うじゃないですか。その国の生活様式であったり価値観であったりが色濃く反映されますから。それをそのまま日本に持ってきてもピンと来ないことが多いですもんね。 飯森:あくまで僕の個人的な感想ですけど、某動画配信サイトで提供している字幕版の「サタデーナイトライブ」(注57)なんかも、すごく期待して見たものの、僕みたいなリアルタイムのアメリカ事情に通じてないコッテコテの日本男児でおまけに英語弱者には、面白さがいまいち分かりづらいんですよ。 なかざわ:ユーモアって言葉の組み合わせや語呂合わせ、ニュアンスなんかから生まれたりするので、そもそもの構造が違う別言語に直接変換しても意味が伝わらないんですよね。 飯森:広川太一郎さんはいつもの調子ですよ。“選り取りみどり赤黄色”、ってギャグを言うんですけど、そんなこと英語で言っているわけがない(笑)。でも、直訳しても意味がないんですよ。結果的に面白ければいいじゃんというノリで作られた吹き替えなんです。 なかざわ:結果的に面白くて、なおかつ映画を壊してなければ全然構いませんよね。 飯森:若干壊しちゃっているんですけどね(笑)。ちょっとヤンチャが過ぎるというか。なんでもこの調子で笑い倒してしまうので、そのキャラクターじゃなくて広川太一郎が前面に出てきてしまう。特にコメディーリリーフ的な脇役をやると、全部かっさらっていくような目立ち方をするんです。だって、この映画だってダドリー・ムーアなんか殆ど出ていない。たったの3回しか出てこないんですよ。その全てに変な日本語ギャグを入れているおかげで、すごく面白い。でも異常に広川太一郎の印象が残ってしまう。 なかざわ:もはやそれはダドリー・ムーアじゃない(笑)。 飯森:なのでこれには賛否両論あるかもしれませんが、でも気に入らなければ字幕版を見ればいいんですから。僕は間違いなく字幕版より面白いと思いますね。ちなみに、キャラクターよりも前に出てきてしまうといえば、野沢那智さんもその傾向がありますよね。ただ、今回初めて野沢さん版の「ゴッドファーザー」を見たんですけど、パート1の音声を最初に聞いたとき、何度聞いても野沢さんに聞こえないの。しかも完全に違うんじゃなくて、野沢那智にすごく似ている普通の人がやっている感じなんです。ミスで違う音源が納品されたのかと確認しても、テープには’76年版と書かれているし、野沢さん以外のキャストは’76年版キャスト表と照らし合わせて間違いなく一致するので、恐らく間違ってはいないはずです。でも、これオンエアしたら音源間違いの放送事故になっちゃうんじゃないかと、いまだに若干ビビってるぐらいなんですが、こればっかりは確かめようがない。結局、100%裏を取れる確実な方法が実は無いんですよ。最後に頼れるのは自分の耳だけなんです。 なかざわ:ご本人も亡くなっていますしね。 飯森:それがね、パート3になると完全に野沢那智になってるんです。アクが強くなっているんですよ。僕らの知っている野沢さんです。誰が聞いても一発で野沢さんだと分かる個性がある。山寺宏一(注58)さんみたいにカメレオンのごとく声を変えられる方もいますけど、野沢さんは野沢那智調みたいな独特の節回しがあって、パート1とパート3を聴き比べると、それが後年になるに従って強くなっていたことが分かります。恐らく吹き替えに寛容ではない人が見ると、「これはもうアル・パチーノじゃない」ってなるんでしょうけれど、その一方で「よっ!野沢那智!」って期待している人もいますから、良きにつけ悪しきにつけだとは思いますが。いずれにせよ、パート1の頃はすごく抑えて演技をしていたんでしょうね。まだ独特のクセが生み出される前だったんだろうと。 なかざわ:声優として経験を積むことで、自分のスタイルを確立して行ったんでしょうね。 飯森:するとね、「ゴッドファーザー」にも別の物語が生まれるわけですよ。堅気の道を歩もうとした若者マイケル・コルレオーネ(注59)が、やがてマフィアのボスに登りつめる。一方で、ごくごく平凡な青年の声だった野沢さんが、パート3で年季の入ったボスを演じると途端にドスが効いているんです。 なかざわ:マイケルと野沢さんの成長がシンクロするんですね。 飯森:そうなんですよ。しかも、野沢さんも意図してやっているわけじゃないですから。そういう面白い見方もできるかもしれませんよね。 なかざわ:それは確かに意外な発見です。 ■字幕絶対派だのアンチ字幕派だのということ自体がナンセンス(飯森) 飯森:さて、最後にこれだけは言っておきたいということがあるんですが、よろしいですか(笑)? なかざわ:どーぞどーぞ。 飯森:うちのザ・シネマというのは東北新社がやっているチャンネルじゃないですか。東北新社というのは映像制作会社でCM作ったり映画作ったりCSチャンネル運営したりしてますけれど、そもそもの成り立ちは外国映画やドラマの日本語吹き替え版の制作なんです。なので、もともと吹き替えに強い会社なんですよ。 なかざわ:確かに、最初に東北新社さんの社名を覚えたのは、映画だかドラマだかの最後に出てくるクレジットだったと思います。 飯森:とはいえ、字幕も作っているんですよ。両方うちで作ってる。だから、字幕絶対派だのアンチ字幕派だのということ自体がナンセンスで、両方いいに決まっているじゃないか!というのがサラリーマンとしての僕の立場なんです。だから、そういう日本における吹き替え制作の歴史を踏まえたうえで、この「厳選!吹き替えシネマ」という企画をやっているということも、是非みなさんにお伝えしておきたいと思います。 (終) 注54:1978年制作。ローマ法王の暗殺計画に巻き込まれた女性と探偵を描いたヒッチコック風コメディー。ゴールディ・ホーン主演。注55:1935年生まれ。俳優。代表作は「ミスター・アーサー」(’81)や「ロマンチック・コメディ」(’83)など。注56:1939年生まれ。声優。ロジャー・ムーアやトニー・カーティスの吹き替えのほか、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の古代守役でも知られる。2008年没。注57:1975年から続くアメリカの国民的なバラエティ系コメディ番組。ジョン・ベルーシやビル・マーレイなど数多くの大物コメディアンを輩出している。注58:1961年生まれ。声優。ジム・キャリーやウィル・スミスなどの吹き替えで知られ、バラエティ番組などでも活躍している。注59:映画「ゴッドファーザー」三部作を通しての主人公。コルレオーネ家の三男として生まれ、普通の人生を送ろうとするものの、やがて家業を継いでボスになる。 『ゴッドファーザー』COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『ゴッドファーザーPART Ⅲ』TM & COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED 『レインマン』RAIN MAN © 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012 『ファール・プレイ』COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.12.20
男たちのシネマ愛②愛すべき、味わい深い吹き替え映画(5)
なかざわ:さてさて、今回セレクトされた吹き替え版の中から特に注目して欲しい作品はありますか? 飯森:やっぱり「ゴッドファーザー」(注48)ですかね。 なかざわ:その理由とは? 飯森:まず、フェイスブックで「今度は『ゴッドファーザー』の吹き替え版でもやろうかな」って書き込んだところ、凄まじい反響があったんですよ。僕の世代(’75年生まれ40歳)にとっては「風と共に去りぬ」(注49)とか「理由なき反抗」(注50)のような“往年の名作”的な位置付けの作品ですが、恐らくリアルタイムの人にとっては僕にとっての「インディ・ジョーンズ」のような超大作という印象だったんだろうと思うんです。それがテレビ放送されるとなった時に、当時のリアルタイムの人たちは喜び勇んでテレビにかじりついたはずなんですね。で、その最初にテレビ放送された吹き替え版が、今回のこれなんです。放送枠は水曜ロードショー。水野さんが金曜ロードショーに移る前に担当されていた番組ですね。’76年に野沢那智さんがアル・パチーノをやったバージョン。その4年後の’80年に同じく水曜ロードショーでやったパート2も、吹き替えのキャストは同じ。さらにだいぶ後ですね、14年後ですか。局がフジテレビに移って、ゴールデン洋画劇場で放送されたのがパート3なんですが、これまたアル・パチーノやダイアン・キートン(注51)などの常連組を、全く同じ声優さんが担当している。実はこれ、全て東北新社(注52)が吹き替え版を作っているからなんです。 なかざわ:なるほど!分かりやすい(笑)。 飯森:でも、これらのバージョンはDVDには入ってない。昔の吹き替え版は短くカットされているし、音声自体も古くなっているので、DVD発売時の最新技術で綺麗に作り直した新録版を収録しているんですよ。それはそれで良く出来ているんです。なので、初めて見る人ならこのテレビ版じゃなくていいと思う。ノーカットだし音質もいいし。ただ、あの時代にこの放送日にかじりついて見ちゃった人、ましてやビデオに録画して何度も何度も見ちゃったという人がいるわけです。そういう人にとっては、声が違うというのは違和感以外の何ものでもない。ちょっとこれじゃないんだよなって。 なかざわ:それって、アニメ主題歌のパチソン(注53)を聞いちゃった時の感覚みたいなもんですよね(笑)。 飯森:そうそう!あの気持ち悪さですよ。で、当時実際にどれほどの視聴者が日本全国で見たか分かりませんが、決して少なくはないはずです。しかし、そうした人たちが、今はこれを見ることができないんですよ。永遠に戻らない少年の日の思い出のように。悲しいでしょ? 懐かしいというのはそういうことではないのか。そこは我々がなんとかしようじゃありませんか!ってことで、不可能を可能にするのがこの「厳選!吹き替えシネマ」。今では見る機会のほとんどない野沢那智さん版を、1から3までまとめて放送しましょうというわけです。 注48:1972年制作。イタリア系マフィア、コルレオーネ一族の波乱に満ちた運命を描く。アカデミー作品賞受賞。フランシス・フォード・コッポラ監督。注49:1939年制作。スカーレット・オハラとレッド・バトラーの宿命の激愛を描きアカデミー作品賞受賞。ヴィヴィアン・リー主演。注50:1955年制作。同年の「エデンの東」と並んで主演ジェームズ・ディーンの名声を決定づけた。注51:1946年生まれ。女優。代表作は「ゴッドファーザー」(’72)シリーズや「アニー・ホール」(’77)、「マイ・ルーム」(’96)など。注52:外国の映画やドラマの日本語版制作をはじめ、CMや映画の制作、衛星放送事業などを手がける日本の会社。注53:有名曲のパチモノ、つまり偽物を指す俗称。かつては、人気の洋楽ヒットやアニメ主題歌を無名のスタジオミュージシャンなどに演奏させた、廉価版のレコードやカセットテープが多く出回っていた。 次ページ >> 結果的に面白くて、なおかつ映画を壊してなければ全然かまわない(なかざわ) 『ゴッドファーザー』COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『ゴッドファーザーPART Ⅲ』TM & COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED 『レインマン』RAIN MAN © 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012 『ファール・プレイ』COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.