PROGRAM

放送作品情報

太陽はひとりぼっち

L’ ECLISSE 1962年 イタリア フランス / 124分 ドラマ ラブロマンス

巨匠アントニオーニのミューズ、モニカ・ヴィッティとアラン・ドロンで描く「愛の不毛」3部作最終章
放送日時
2019年11月07日(木) 08:00 - 10:15
解説

3大映画祭すべてで最高賞を受賞した巨匠ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品。本作もカンヌで審査員特別賞を受賞。荒涼とした映像にのせて現代文明を生きる空虚さ、虚脱感がまざまざと描かれる。

ストーリー

彼氏であるリカルドと別れたヴィットリア。彼から理由を問いただされても「分からない」と答えるばかり。未練たっぷりのリカルドにきっぱり別れを告げ、ヴィットリアは母がいる証券取引所に顔を出す。怒声が飛び交い熱気あふれる証券所に圧倒されつつ、そこで1秒を惜しむかのごとく売買にいそしむ青年の株式仲買人、ピエロと出会ったヴィットリア。出会った当日は何もなく別れた2人だったが、再会すると急速に距離を縮め…。

出演

アラン・ドロン
モニカ・ヴィッティ
フランシスコ・ラバル

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
白黒
画面サイズ
ワイド画面
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2019/5/24

    「情事」「夜」「太陽はひとりぼっち」、愛の不毛三部作。

    ミケランジェロ・アントニオーニ監督による、証券取引所・ラブストーリー。 冒頭の婚約者との別れのシーン、沈黙の空気の中、扇風機の羽音のみが流れる。 何とも、スタイリッシュ・・・。 (ストーリーのオチを期待すると、肩透かしとなるので注意。 何も起こらないし、何も解決しない。それが、愛の不毛三部作のパターンなのです。) (「赤い砂漠」(1964)のカラー作品を加えると愛の不毛四部作ともいわれる。)

  • 鑑賞日

    シュールでフォトジェニック

    虚無的な日々に埋没するほかない主人公のメランコリックな心象風景でもあろう、人影まばらな空疎な街並みを、陰影シャープなモノクロームで写し撮ったM・アントニオーニ。そのシュールでフォトジェニックな映像世界に惹かれる陰影深い人間ドラマ。 あと、「愛の不毛」というテーマに相応しいアンニュイな魅力を漂わすM・ヴィッティのミステリアスな美貌とともに、デビュー間もないA・ドロンの清新な存在感が心に残る。

  • 鑑賞日 2019/5/2

    時代背景

    1962年は、キューバ危機の年。根底に、核戦争によりすべてが失われる恐怖心があるのでは。

  • 鑑賞日 2019/3/29

    なんとなく始まり、なんとなく終わる

    スピード感がなく、冗長。現代人には向かない。ストーリーが読めなくて何を言いたいのかわからない。 珍しく陰のないアラン・ドロンを見た。

  • 鑑賞日 2019/3/8

    愛の不毛とか倦怠とか現代の不安とか不確実性とかを言いたいんだろうか? 観ているこちらが不毛や倦怠、不安、不確実になってしまいましたよ。

  • 鑑賞日 2018/9/27

    人間へのダメ出し

    株の仲買人の男と、その客の娘との奇妙な恋愛を描く。 アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティの共演。ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品。 恋愛物語なのだろうけれど、それが普通の恋愛に見えないのが、アントニオーニらしさ。 ヴィッティ演じるヴィットリアは、恋人と一晩中話し込んで、朝に、別れる。その描写が冒頭から延々描かれるのだが、観客としては訳の分からない別れ話である。 その男の建物が新興住宅街にあるのだが、展望台をもつ塔のような建物があったり、殺風景な道路と建物と植林の点在する光景は、近未来の都市のようでもある。 人通りと車の少ないその街は、人の住処とは思えないものだ。 その街と対比するように、昔ながらのレンガ造りの建物が林立する街中に、証券取引所があり、そこにドロン演じる株の仲買人ピエロが勤務し、その客がヴィットリアの母親である。 雑踏のような街中の、雑踏のような職場で、人々が右往左往して、叫びまくり、怒鳴りまくり、株と金に踊る。 そこでのヴィットリアとピエロとの会話が重ねられ、新たな恋が始まるのだが、空虚な雰囲気は変わらず、恋というよりも戯れている男女の風景が重ねられる。 都市と金と、恋に戯れる男女の風景が、すべてに空虚で、なんの実態も無い世界のように、とても軽々しいものとして描かれる。 アントニオーニは、これらを唾棄しているようにも思える。 セリフの無いモンタージュのみで語られる世界は、明日にも突然消滅するかもしれない。そんな不安がある。 そこでの恋愛に何の意味があるのか。 人間へのダメ出しをしているような映画であり、なんともやるせない思いになる。

  • 鑑賞日

    内実は空虚

    60年代娯楽性より芸術性を重んじる時代であったんだろうな。綺麗に近代化されてるヨーロッパ。しかし内実は空虚な空間に閉じ込められた人々、そう言う人々を描いているのがこの作品。と、思う。

  • 鑑賞日 2018/10/17

    うーむ。

    これは正直言ってつまらなかった。白黒映画で、1962年のミケランジェロ・アントニオーニ監督作品。イタリアの「愛の不毛三部作」のひとつらしいです。前半でモニカ・ヴィッティが婚約者と別れ、一体いつになったらアラン・ドロンとの恋が始まるのか、1時間ほどイライラ。やっとそれらしき恋愛に発展したと思ったら、ラストの謎の10分、建築物や街灯、流れる水、働く蟻、無表情の人物描写、乳母車を押すママと赤ちゃん…の台詞なし映像が続き、FINE終わり。よくわからないエンディングを迎えてしまいました。 唯一、興味を持てたのは、ローマ証券取引所での闘い。電子機器がないから、ブローカーが手書きで何かメモ帳みたいなものに走り書きをしていました。その紙を一枚ずつ切り離して、売ったり、買ったり?歩いて少し離れた電話ボックス風のところまで行かないと電話できない点も、昔の様子を垣間見ることができて面白かったです。取引されている株に、メディオバンカだの、チェントラーレなど、知らないイタリアの会社が沢山出てくるのですが、ピレリ、フィアットだけわかりました。 セリフが極端に少なくて、ひたすら写真のスライドショーを見ているように切り替わる映像。当時はこれが新しい手法だったのかな。モニカ・ヴィッティの着ているワンピースやセットアップは素敵でした。今回、初めて見た女優さんですが、ケイト・ブランシェットを思わせます。アラン・ドロンとの恋愛は、ハッピーだったり、不幸そうな表情を浮かべたり、わけわかめ。お金はあるけど、幸せをどこに見出して良いのか分からないといった風。私も、この映画の良さをどこに見出せば良いか、分かりませんでした。

  • 鑑賞日 2018/6/21

    わからへん

     M・アントニオーニ監督作を初鑑賞しました。数少ない三大映画祭すべての最高賞を受賞した監督の作品で、その中でもさらに高く評価されているということだったのですが、結論から言うと意味がよくわかりませんでした。3ヶ月ちょっと前に鑑賞したのですが、正直どういった内容だったかもよく思い出せないほど、抽象的な話だったように思います。  原題は「日蝕」を表しているようで、近代化によってそれまでの日常が侵食される不安が描かれているらしいのですが、全く以て共感できなかったです。  M・ヴィッティが演じるヴィットリアが、ノースリーブで、襟元が首から肩にかけてざっくり空いたデザインのトップス(こういうのなんて言うんですかね)を何度か着ていて気になっていたのですが、終盤、A・ドロン演じるピエロとの絡みの中で、そのトップスの肩の部分が片方切れたのが印象に残りました。意味は全く分からないんですけどね。  正直私には、まだ観るのが早かったかもしれません。ただ、見直すとしても当分先でいいかなという印象です。少なくとも、同監督の他の作品をいくつか見てからになるんじゃないかなぁ。

  • 鑑賞日 2018/10/8

    ミスキャスト

    ◎ 出演者の最初に名前が出るのはアラン・ドロンだが、主役はモニカ・ヴィッティである。彼女の気鬱が物語の中心である。気鬱の理由ははっきりとはしない。婚約者と別れた彼女と新たに関係を結ぶのがドロンの役柄である。騒々しい証券取引所で働く彼は、ヒロインの相手役にふさわしいように思えない。ドロンの起用は商業上の意味しか考えられない。ドロンが出ていなかったら、日本では公開されなかったかもしれない。もちろんこのタイトルはあり得ない。 ◎ 当時の 証券取引所の様子が興味深い。日本の魚河岸の競り市以上に、これで取引が成り立っているのか首を傾げたくなる。そもそも、監督は男の働き場所にどうして証券取引所を選んだのか。製作費の大部分はこの場所の撮影のために費やされたのではないか。

  • 鑑賞日 2018/10/7

    タイトルがおかしい

    空虚感 今の日本とほとんど変わらない 今見るとモニカ・ヴィッティは意外と良い 昔は気持ち悪く感じたのだが

  • 鑑賞日 2018/9/29

    物語性の放棄

     同じ「太陽」がタイトルにつき、アラン・ドロンが出演しているからといって「太陽がいっぱい」のような娯楽性や大衆性をこの映画に期待すると手痛いしっぺ返しを食うだろう。本作はあの映画とは真逆の色合いを持った作品だからだ。ヒット作を意識してこの邦題がつけられたのだと思うが、随分と罪深いタイトル付けだ。もっともこの監督の過去作を知っていれば、ある程度覚悟していた向きもあったかもしれないけど。  原題は「食」とか「失墜」を意味する言葉らしい。これでは確かに客は引いてしまうだろう。  恋人と別れたばかりのヴィットリア(モニカ・ヴィッティ)が何かを求めてなのか、満たされない様子で街を彷徨し、友人たちと交わる様子をこれといった脈略もなしに繋げていく。いわゆるジャンル映画に顕著な物語性を最初から放棄したような哲学的な絵作りなのである。  株の暴落で悄然としている母親や、アフリカ生まれの友人の陽気さ、酔っ払いの事故死などそれぞれ何の脈略もないエピソードが繋げられていく。その喜怒哀楽のエピソードの数々を人ごとのように見つめているヴィットリア。  仲買人のピエロ(ドロン)とつき合い始めるが、二言目には「分からない」を連発する空虚さが愛の不毛ということなのか、恋にのめり込むことができない。別れの傷が愛に疑念を萌させたのかもしれない。  愛を失った人類はやがて核戦争によって自らを滅ぼすことになるだろう、という予言めいた終盤のシークエンスにはタルコフスキーの作品などに共通する虚無感を感じてしまう。  自分も最後まで満たされない、しかしどこか心に澱のように残る映画。

  • 鑑賞日 2018/9/28

    十代の頃に観たけれどもつまらないって記憶だけが残っている。 半世紀近くたって再鑑賞。 そりゃ当然十代の少年にはつまらん映画だったろうと納得 ”愛の不毛”をテーマに、夢と希望を持った「愛」を意識しなくなると現実の「愛」はこんなものか 「愛」が生活の中の一部となった時の無機質感満載の描写 やはり、「愛」には夢と希望が必要なのか 蛇足だが、出演者たちの足音が奇妙。気になってしまった。

  • 鑑賞日 2018/9/27

    アラン・ドロンが証券マンを演じるといっても主人公は女性。なんとも不思議な味わいの映画。モノクロ映画を見ると色々考える。カラーフィルムがない時代はともかく、60年代は意図的にモノクロで撮る映画。予算の都合でモノクロにした映画、中には黒澤明監督のように緑が綺麗に発色しないからモノクロ。などなど・・・。このころモノクロ映画、特にヨーロッパの映画は難しい映画が多いといった印象がある。この映画もそう。独特の間合い、映画のリズムが不思議。こうした映画を見て何かを語る人たちが大人に見えたのを覚えている。

  • 鑑賞日 2018/8/2

    感情の停止状態

    アントニオーニ監督作品について知らずにの鑑賞。 ふつうのラブストーリーなのかと思い込んでの鑑賞。 それにしてはヴィットリアとピエロの惹かれあうまでが長い。 証券取引所のシーンが長い。、 ヴィットリアの感情がじれったくてたまらない。 これは何なのだ?と思っていたら、ラスト。 このラストで単なるラブストーリーでないことにやっと気づく。 愛や世の中の不確実性を描いたものだったのか?と軽く衝撃。 すごいラストだなぁ。 後で解説を読んだら 『原題は天文用語での「食」(たとえば日食や月食のようみある天体が背後にある他の天体を隠す現象)の意。監督によれば原題は日食の間に訪れる独特の沈黙、光闇、静けさ、そこから生じる感情の停止状態を示唆している』 と書いてあった。なるほど~、である。 監督の作詞したという主題歌も良かった。

  • 鑑賞日 2018/7/23

    イタリアが舞台 1962年キネ旬ベストテン外国映画五位

    イタリアが舞台。 モニカ・ビッティがヒロイン。アラン・ドロンよりも彼女の映画。アラン・ドロンは相手役。 今夜会いましょう、いつもの場所で。 そのあとに、いつもの場所である建築中のビルのある十字路の風景が延々と映し出される。バスを降りる男は核戦争の危機を訴える新聞を読み、工事現場の水をためているドラム缶はひび割れて水が漏れ、水は流れていき、乳母車を押す女、風になびく木々…。そのままエンディング。実相寺監督に繋がるものを感じる。 音声はイタリア語か?伊仏合作故か。

  • 鑑賞日 2018/5/22

    スタントばりの身のこなし、若いドロン。

    ヴィットリア(M・ヴィッティ)と婚約者のリカルドの別れ話から始まる。 はっきりとした理由が明かされるわけではない。ヴィットリアの内面は漠として いて、表面は倦怠感に満ちている。母親は株の投資に夢中で、なぜ裕福な リカルドと別れたのか、娘をなじるだけ。女友達にも理解されない。そんな中、 株式市場につとめるピエロ(A・ドロン)に惹かれる。 フランスからドロンを招き、大恋愛映画を撮るのか、と期待したむきもあっただろうが、 監督はあっさり無視、独自の愛の不毛のテーマのために、ドロンを壮大な無駄遣い とした。ハリウッドではとうてい出来ないヨーロッパの作家主義を貫いた。 株式市場の大暴落があり、ドラマが大きく動くかと思いきや、ヴィットリアとピエロ の愛は進展がありそうで、止まる。その繰り返し。不毛の愛というテーマが浮かび 上がるが、エピローグのカットの積み重ねに、アントニオーニ監督の狙いが 浮上する。バスから降りた乗客の見ている新聞には、各国の核兵器開発競争 の見出し。愛の不毛の背景には60年代の冷戦、核兵器配備の恐怖がある。 61年ベルリン危機、62年キューバ危機、イタリアは東方で社会主義国と 一筋縄にいかないところは、そこにある。

  • 鑑賞日

    皮肉をこめて、この監督はスゴい!

    私にとっては難関の映画監督であるジャン=リュック・ゴダール、ミケランジェロ・アントニオーニ。この二人の映画を観る時は少し鬱陶しさを感じます。 良さが分かりません。でも良さが分かりたい。だから、観てしまいます(笑) 更にアントニオーニ監督は最難関であります。この監督作品を観た方のレビューを読んでも、はっきりとココが良いと具体的な文章を書かれてるのを見たこともありません。 良さが分かる人は感性があるということでしょう。私にはその感性がありません。ですから、以下のレビューはあくまでも私個人の解釈で書きます。 ストーリーの大まかな流れですが、ヴィットリア(モニカ・ヴィッティ)が離婚するところから始まります。その後に投資家の母に会いに行きますが、株の大暴落があったみたいで大きな損失を出しました。他の投資家も大慌てで、バブル崩壊後の日本を思い出したりしました。 ヴィットリアは証券取引所に出入りした時に、ピエロ(アラン・ドロン)と知り合って恋に落ちていきます。しかしピエロは完全なる即物的な思考の持ち主で、ヴィットリアを演じたモニカ・ヴィッティの表情からも戸惑いが伝わってきます。 果たして二人の恋を実るのでしょうか?そこで映画は終わります。 本作を最後まで観て、いつまでもお金を持ち続けること、恋が続くことは叶わぬ望みであることを示唆してる思います。本作のテーマは喪失であり、その先にある虚無感を描写しているのだと思います。 それは世界情勢も同じことで、ラストの新聞記事にあった核の脅威で世界もいつ滅亡するかも分からないことを暗喩してるのではないでしょうか? もしの話ですが、私の解釈が当たってるとします。それなら、アントニオーニ監督は達観しすぎです。難解言われる他の巨匠たちの作品でも血の通う部分は感じ取れます。でも本作は達観しすぎですね。 私は映画は好きですが、ここまで哲学的すぎて興が削がれます。 キャストもアラン・ドロンとモニカ・ヴィッティという完璧なほどにカッコ良い役者さんを揃えて、美しい映像と融合してます。脚本的な満足は得られませんでした。何か噛み合わせが悪かったですね。映像の美しさにのみ満足できました。

  • 鑑賞日 2017/10/6

    44年振りに見たアントニオーニ、やっぱり良かった。

     ノーカットで見た。  こういう普通のドラマツルギーで作ってない映画は、特にオリジナルで見ないとダメだと思った。44年前は、民放がラストシーンに主題曲を勝手にかぶせたという事も、今回分かった。(多分)。ヤレヤレである。  ストーリーは極めて希薄で、最初からの3分の2は、モニカ・ヴィッティのプラプラ生活を描いている。  ヴィッティの母が株をやってるのだが、中盤の株取引場の混乱のシーンも長い。ドロンは株屋を忙しく演じてるだけで、そこにドラマはない。  後半3分の1で、やっとドロンとヴィッティが絡むのだが、キスをした後ヴィッティは逡巡するばかり。  意味深な最後の二人のシーンは、見せる。  ラストシーンについて書きます。  ここは5分半にわたって、風景が映るだけである。凡庸な映画ではありえない、従来のハリウッド映画でもありえない、いや2017年までの映画を見渡しても、そんな映画はなかったような気がする。  この長さ、描写がドロンとヴィッティの愛の姿を描いているのだ。面白くも愉快でもない映画だが、認めざるを得ない。      この苦い不愉快さは、アニェス・ヴァルダの「幸福」に似ている。       ps. 中盤で、疾走する車の前に飛び出すドロン・・・。どう見ても危機一髪・間一髪だ。            何度も見返したが、スタントマンや編集の可能性はない。             こんな危険な事をやる馬鹿な奴は、トム・クルーズしかいないはずだが・・・。              ドロンも映画に命を懸けていたのか。

  • 鑑賞日 2017/9/17

    証券取引所の喧騒感と他の静かな情景の対比が凄い。 この作品のメインはむしろそこで、モニカ・ヴィッティとアラン・ドロンの美男美女カップルの恋愛話は付け足しにしか感じられなかった。 「愛の不毛」シリーズと言われているが、その辺は意味分からず。

  • 鑑賞日 2017/8/25

    モニカ・ヴィッティの倦怠感

     アンニュイの限りを尽くしたモニカ・ヴィッティのヴィットリア、美しいし、あの気怠い表情が何とも言えずハマっていた。そして、相手は、超美男子のアラン・ドロンのピエロ。本当に整った顔立ちで、美しかった。  そして、ラストで、ヴィットリアとピエロのカップルが、明日も明後日も会おうと約束したのだが、何となく不安ばかりが印象に残る。それに続いて最後の延々と続く、倦怠の映像。長過ぎるが、これがミケランジェロ・アントニオーニらしい映像なんだろう。  映像にもあったが、この冷戦の時代、核の脅威もあったかもしれないが、それだけにとどまらない、根源的な不安かも。  「欲望」でもそうだったが、木々ざわめく映像や、モニカ・ヴィッティが婚約者と別れることを決めた時の、窓の外に映る不思議な建物が、不安な心象風景を表している。それが、素晴らしかった。    個人的には、最近、職場で人間関係が悪くなってしまい、そういう自分の精神状態とぴったりの作品であった。   

  • 鑑賞日 2016/10/9

    「愛の不毛」3作目

    ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「愛の不毛・三部作」の『情事』、『夜』に続く3作目。 個人的には『情事』が一番良かったと思う。 物語は、男女の別れ話から始まる。(結婚はしていない。) この男女の部屋を出た所に、「キノコ型の変わった建築物」があるのが印象的。 男女の女が、モニカ・ヴィッティ。相変わらず綺麗でイイ雰囲気。 途中、モニカ・ヴィッティのアフリカ踊りは、不思議な感じ。 その後、女(モニカ・ヴィッティ)は、証券取引所で他の男(アラン・ドロン)と出会うが、……… まぁまぁ雰囲気のある映画だった。

  • 鑑賞日 2013/9/26

    1962年 「情事」「欲望」のミケランジェロ・アントニオーニ監督作品 彼氏と別れた女のモヤモヤを、122分間こってり描きます。風が入る隙間などありません。一人の女のモヤモヤが最後、世界のモヤモヤとつながるラスト5分がキテます!!!

  • 鑑賞日 2008/10/20

    「わからない」

    しょっぱなの婚約者と別れる朝のシーン。 思わせぶりな映像が続くのだが、 それがまさにアントニオーニならではで、 何が始まるんだろうと気を揉ませる。 モノクロだけど、確かにアントニオーニ色なのだ。 おそろしく台詞がなくて、 部屋のモノを視覚的にとらえた構図で二人が描かれていて、 そのうちヴィットリア(モニカ・ビッティ)が ソファにのっかってみたり、立ってみたり、 落ち着かなくなって、、、 やっと一言、ってな感じで、 これまたおそろしく時間がすすまない。 モニカ・ビッティは美しい。溜息がでるほど。 でも、その美しさはどうにもけだるくて、 美しいのになぜか幸せを感じない。 声を出して大笑いしていても、乾いている。 証券取引所で働くピエロ(アラン・ドロン)は 経済の先端にいながら、 忙しなくエネルギッシュに動き回っている。 一方、経済や儲けることに興味のないヴィットリアは、 どこか醒めた目でみている。 資本主義にどっぷりつかっている無邪気なピエロと、 そこにどうにも馴染めないヴィットリア。 そんな対照的な二人だが、 ピエロが積極的にヴィットリアに誘いをかけ、 最初はキスを拒んでいたヴィットリアだが、ついに許す。 が、ピエロに対してもどこかよそよそしくて、 「わからない」といって心を許そうとはしない。 60年代という社会的背景から資本主義への懸念と 男と女の根本的な違いが浮き彫りになっているようにみえた。 (2008.10.22)

  • 鑑賞日 2016/4/29

    女性の気持ち?

    物語はない。 女性がドラム缶にたまった水の中に、何か投げ入れるのを意味あるみたいに映した。そして次に来た時も、ドラム缶の中を覗き込む。だけど何だったのか、最後まで明かされない。私が寝ている間に何かあったのかもしれない。 女性のまだ何も決めたくない気持ちを表しているのかなあ。

  • 鑑賞日

    絶望的につまらない

  • 鑑賞日 2016/2/20

    孤独が染みる……

    主人公の満たされない荒寥な心象が、象徴的な映像に表現され、胸に迫ってくる。

  • 鑑賞日 2016/2/14

    不毛の恐怖

    オープニングの無音の描写は重圧。男女のすれ違い、という言葉も不毛な恐怖。変な形のビルがあるなぁ、と思っていたら、ラストいきなりの核。キノコ雲のビルだったのだ。愛の不毛と核。悩ませるラストだ。

  • 鑑賞日 2014/11/15

    見始めてすぐにアントニオーニの中でもかなりの傑作な予感がした。 扇風機の風が髪を揺らしているだけでなんともいえない情緒がある。他に印象深かったシーンは,証券市場での黙祷とその後の喧騒,象の足の小テーブル,黒く塗りたくってのダンス,黒いプードル。時間のゆったりと流れる遊覧飛行のシークエンス(着陸後のくだりが特に美しい)。わざわざ車1台を川に沈めさせた事故。マルタに風船を撃つだけ撃たせてすぐ帰るシーン。ラストのつかみどころのない風景連写。 証券市場シーンがかなり長いが,監督はこの観念的な取引に大騒ぎする人々に感じるものがあったんだろう。確かに興味深い。個人的な心理描写が多い監督だが,この映画は社会が比較的濃く描かれている。  疵もなかったわけではない。 マルタがヴィットリアに電話を掛け,アニタが代わりに電話に出るシーン。その直後に,マルタとヴィットリアが「はじめまして」と言っている以上,マルタがヴィットリア宅に電話はすることはあり得ないだろう。字幕の誤りであればいいのだが(いや,それはそれで問題だな)。 全編にわたるミディアムショット・ロングショット多用はとてもよかった。 あとは,この邦題。「太陽がいっぱい」の影響だろうが,トンデモ邦題の部類だ。監督の承認は得ているのだろうか。 鑑賞後の印象としては,予感させたようなかなりの傑作とまではいかなかったが,愛の不毛というテーマが一番うまいこと提起されていると思う。 それにしても,結局愛の不毛とはどういうことだろうか。この映画から感じたのは,ヴィットリアのようにある種の鋭さを持った人間は,何を手にしても満ち足りない,ということだ。 この世に完全な物がないことへの諦念といったところか。

  • 鑑賞日 1973/5/9

    ジョバンニ・フスコのレコード、買いました。

      ドロンとアントニオーニは、合わないと思いますが。     ドロンの美貌は頂点の頃か。

  • 鑑賞日 2009/9/23

    意味深長なシーンが連続する。あまりにも重い空気で殴られたような衝撃。

  • 鑑賞日 1995/11/27

    ミケランジェロ・アントニオーニの佳作

    1995年11月27日に鑑賞。大阪・天六ホクテン座2にて。リバイバル上映。デラ・コーポレーション配給。 モニカ・ヴィッティ最高です。

  • 鑑賞日

    「太陽がいっぱい」で人気の出たA・ドロンとモニカ・ヴィッティの共演。婚約者と別れた倦怠感漂う女とクールな株式仲買人の刹那的な出会いと恋。モニカの気だるげな感じが何ともセクシー。

  • 鑑賞日

    日常という恐怖が押し寄せてくる。

    恋愛感情を露にするイタリア人が、お互いの感情をどこまで表現するか? 婚約、これこそ非日常、婚約破棄、これも非日常、そして再び好きになること、これは日常である。この日常の積み重ねの恐ろしさが良く表現されている。 恐ろしい映画だと思う。

  • 鑑賞日 2007/8/3

    もう一歩、踏み込めなかった

    邦題は相変わらず!?テキト~な気がする。 『太陽がいっぱい』のアラン・ドロン人気にあやかろうとしてるのかな。 原題は日食とか(名声の)失墜という意味らしい。 いきなり男女の修羅場から始まりる。 修羅場といっても激しい口論ではなく、重苦しい空気が画面から漂ってくる。 とにかく、沈黙が重い! ヴィットリアは不思議な女性だった。 恋人となぜ別れなければならなかったのか? 彼女自身もわかっていなかったみたい。 友人と笑ったりしていても、フッと素に戻る瞬間があるのだ。 急にココロを閉ざしてしまい、誰も中にいれようとしない。 ピエロと恋に落ちても、2人の距離は微妙。 ピエロが近づいてもスッと離れてしまうヴィットリア。 でも、追ってきてくれないと不安。 大人の恋愛・・・・でもないかな、ヴィットリアが気まぐれすぎた。 でも、小悪魔とか悪女ではなく、彼女自身もどうしたらいいのか迷っている感じがした。 恋愛って難しいなぁ。 ラストはよくわからなかった。急に終わってビックリ! 思わず巻き戻して観なおしたが、やっぱりよくわからなかった。

  • 鑑賞日 2012/8/4

    モニカ・ヴィッティとアラン・ドロンを取り巻く「株価暴落」「キノコ(雲)型の給水塔」「朽ちた木」といったイマージュは,エンディングに登場する紙面の「核」という文字や不信に満ちた通行人の眼差しと相まって,どうしても「世界終末」という結論に達したくなる。しかしそれらは男女の逢瀬と破局という出来事とは明らかに不釣り合いで,はっきりいって不協和音とさえいえる。監督自身,特にエンディングシーンの象徴的な解釈を否定していることがインタビューからもうかがえる。 しかし監督が何と言おうとあれだけ材料が揃っていれば象徴的解釈をしたくなるのが観客人情というもの。監督はむしろそれを狙ってるんじゃないだろうかとさえ思えてくる。ちりばめられた不協和音にたえず小首を傾げながら観る,というのがこの映画を観る正しい作法なのだろうか。

  • 鑑賞日 2012/7/19

    日々の幸福。

    本作のヴィッティは「笑う」。だが、心から笑っているわけではない。何かの答えを求めて無理やりに笑っているようだ。本作は1シークエンスがとても長い。冒頭、ヴィットリアが婚約者と別れるシーンの長回しが、煮え切らない男に対する彼女の苛立ちを的確に表現していて見事だ。この息苦しくいたたまれないシーンから、彼女の「やりきれなさ」が全編をひっぱる。そんなモチベーションの低い彼女と対照的なのが、ドロン演じる証券取引所のディーラー、ピエロ。彼はとにかく「忙しい」。仕事場ではひっきりなしに何かをしゃべったり、叫んだり。片っ端から電話をとったり、セカセカ動く。片時もじっとしていない。彼の恋愛はせっかちだ。「明日も明後日も会おう」という彼のストレートな恋愛表現に対する彼女の答えは「わからない」・・・。ヴィッティのアンニュイな表情に騙され、「愛のない愛」「情熱のない愛」に縋る現代人の虚無感を表現した作品と思いがちだが、私は本作の彼女は「幸福感」に酔いしれていると思うのだ。それを表現しているのが飛行場のシーンだ。友人の夫のパイロットが操縦するセスナに乗った彼女が、飛行場で周囲を見回すシーン。この1シークエンスもとても長い。晴れた空を見上げ彼女は「微笑む」。この恍惚とした幸福感。世界に何が起ころうとも、彼女は彼女の日常世界で幸福なはずだ。ただ、どんなに幸福でも、どこかに「不安」を感じることがあったり、突然の不幸がふりかかるかもしれない。本作は「不毛」や「倦怠」を前面に押し出しているのではなく、幸福の中に巣食う「不安」や「絶望」を表現しているのだ。それがラストシーンの荒涼とした都市の描写に繋がっているのだと思う。無機質な都市が醸し出す寂寥・・・。それは活気あるはずの大都市の正体。幸福な情事の後、また会う約束をしながら、何かの不安に駆られ振り向く彼女の凍りついたような表情に未来の希望は見えない・・・。

  • 鑑賞日 1968/8/12

    孤独を描いた代表作

    アントニオーニをリアルタイムで観始めたのは「赤い砂漠」からであるが、どれも孤独、自己喪失心の空虚を描き続けている。なかでも本作は、どうやっても埋められない孤独感を描いた代表作だと思う。