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PROGRAM/放送作品
コロニア
カルト教団に囚われた恋人を救え!独裁政権下チリで起きた実話をエマ・ワトソン主演で描く社会派サスペンス
1973年に独裁政権下チリで起きた実話を映画化。脱出不可能とされるカルト教団施設に囚われた恋人を救おうとするドイツ人キャビンアテンダントの奮闘を、『ハリー・ポッター』シリーズのエマ・ワトソンが熱演。
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COLUMN/コラム2017.03.27
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年4月】キャロル
ハリー・ポッターの何が面白いのか?魅力は沢山あるけれど、一つ挙げるとしたら、その「普遍性」。年代、性別、国籍などのバックグラウンドを問わず、誰もが物語とリンクするポイントが必ずあるということ。子供のときに観たことがある人は、大人になって、親になってから観なおすと、今まで気付かなかったキャラクターの存在や心理が手に取るように分かったりして。そうやってそれぞれのエピソードを多角的に捉えられるようになると、この果てしなく奥深い世界観に気付くはず。 未だ観たことがないという方や、1、2作目以降は脱落してしまった・・・という方。むしろ大人向きとも言える、ハリー・ポッターの“本当の”面白さは、後半の4作品に集中しています。最初の4作品は前フリだと思ってがんばってクリアさえすれば、後半はアッという間にサスペンスドラマに引き込まれてしまうこと必須です。 単なるティーンエイジャーの青春物語だと思ったら大間違い。11歳の少年が成人し、自己犠牲を覚悟で世界を救うまでを描いた、大河ドラマともいえる壮大なスペクタクルを、4月のザ・シネマで見逃すなかれ。■ TM & © 2011 Warner Bros. Ent. , Harry Potter Publishing Rights © J.K.R.
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PROGRAM/放送作品
ノア 約束の舟
旧約聖書の“ノアの箱舟”伝説が壮大なスケールで映像に!ラッセル・クロウ主演のスペクタクル歴史ドラマ
旧約聖書に記された“ノアの箱舟”伝説を鬼才ダーレン・アロノフスキー監督が映画化。神から託された任務と家族への思いの間で葛藤するノアをラッセル・クロウが熱演。世界が大洪水で覆われるスペクタクルは圧巻。
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COLUMN/コラム2016.07.25
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年8月】キャロル
8月のザ・シネマは、『ハリー・ポッター』4作一挙放送!毎週土日に1作品ずつ放送します。 今、巷ではハリー・ポッター旋風が巻き起こっていることをご存知の方は多いはず。2017年に第1作目『ハリー・ポッターと賢者の石』刊行から20周年という節目を向える同シリーズは、今年から既に盛り上がりを見せています。7月にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンで大人気の『ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター』がオープン3周年を向え、さらにシリーズ続編となる新作『ハリー・ポッターと呪われた子』が本国イギリスで刊行、舞台化もされ20周年イヤーに向けて上演開始。またさらに11月には『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』が劇場公開。2011年のシリーズ完結からひと段落して、2016年のいま、いよいよハリー・ポッターは第2のフェーズへと動き始めています! 「実は第2作目までしか観てないんだよね・・・」という方は(たいがい皆さんそう仰います)、是非この機会に大人向けダーク・ファンタジーとしてのハリーポッターを体験してみて。 「実はいまだに観たことがないんだよね・・・」という方も(大丈夫!たくさんいます)、子供向けといって侮れないサスペンス満載の巧みなストーリーを味わって。また言わずとしれた数々の名優たちが、いつもと違う姿で熱演するのも楽しんで。 「なんで今ハリポタなの?」なんて思ったならばアナタは既に乗り遅れてる!さあ危機感を持って(汗)、ザ・シネマでハリポタシリーズ4作を観ましょう!基礎を学びしっかりと準備して、記念すべき節目を共に迎えようではありませんか。 TM & © 2001 Warner Bros. Ent. , Harry Potter Publishing Rights © J.K.R.TM & © 2002 Warner Bros. Ent. , Harry Potter Publishing Rights © J.K.R.TM & © 2004 Warner Bros. Ent. , Harry Potter Publishing Rights © J.K.R.TM & © 2005 Warner Bros. Ent. , Harry Potter Publishing Rights © J.K.R.
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PROGRAM/放送作品
リグレッション
[R15+]不気味な悪魔崇拝が人間の恐るべき闇を暴き出す…実話に着想を得た戦慄のサイコサスペンス
『アザーズ』のアレハンドロ・アメナーバル監督が、1980〜90年代に全米で多発した悪魔的儀礼虐待を基に描いたサスペンス。事件の深い闇を覗くうちに精神的に追い詰められていく刑事をイーサン・ホークが熱演。
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COLUMN/コラム2016.03.03
ソフィア・コッポラ、彼女の瞳にうつるもの〜『ヴァージン・スーサイズ』、『ロスト・イン・トランスレーション』、『マリー・アントワネット』、『SOMEWHERE』、『ブリングリング』
パーソナルな魅力が溢れ出した知的で美しい容姿。決して派手ではないけれどシンプル&エレガンスな、1点1点上質なアイテムをさらりと着こなすファッションセンス。 さらにはアートや音楽の洗練された感性さえを持ち合わせ、世界を代表する映画監督フランシス・フォード・コッポラを父に持つという恵まれた家柄で育った。女の人生を生きる上で、欲しいものをすべて手に入れた女性である。 映画監督としてだけでなく、新進気鋭のカメラマンとしての実績や、ファッションデザイナーとして「ミルクフェド」を設立し、最近ではその活動は映画の域を越え、ハイブランドのCM監督もこなす。 クリスチャンディオールのキャンペーンではナタリー・ポートマンを起用した「MissDior」のCM(2013年)を手がけ、オシャレ女子から圧倒的な支持をうける「Marc Jacobs」の人気フレグランス「デイジー」シリーズなどのCMも監督し、まるで映画の1シーンのようなショートトリップに世の女性達をいざなってくれたのも記憶に新しい。 更に、今年2016年には「椿姫」の後援者でイタリアのデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニがソフィアの『マリー・アントワネット』に感激したことから、イタリアのローマ歌劇場でのオペラ「椿姫」の舞台監督に抜擢された。ソフィアは、今まさに、初の「オペラ監督」としての挑戦に奮闘中なのである(公園期間は5月24日〜6月30日)。 自分の可能性を花開かせ続けるその姿から勇気をもらうと同時に、1度は彼女のような人生歩んでみたいとソフィアに強い憧れを抱く女性は少なくないはずだ。 生まれもって宝くじを引き当てたかのような特権を持つ存在でありながらも、決して家柄におごることなく自分を貫き、夢を叶える。 20世紀の「与えてもらう」ような受け身のお姫様ではなく、自分の夢を自分でつかみ取る彼女こそ21世紀の女性の憧れの的なのである。 そんな彼女が「映画」という手段を選び、発信しようとしているメッセージとは何なのであろうか。作品に共通して描かれているものがあるとすれば、それは、誰しもの心にひっそりと潜むガラス細工のような「孤独」ではないだろうか。 ソフィアと言えば、作品に合わせた色彩を効果的に使った美しい色味で描かれる世界観も特徴の1つであるが、彼女は誰よりも知っていたのではなかろうか。孤独は、色のないからっぽの感情ではなく、カラフルな世界に身を置いたときによりいっそう滲み出るものだということを。 たくさんの色や光に囲まれた瞬間にこそ、自分のむなしさや寂しさがよりいっそう際立つことを。 だからいつだって彼女の作品は美しいのかもしれない。 ソフィアが描いてきたいくつかの孤独の表現について追ってみようと思う。 彼女の長編映画デビュー作でありながらも、彼女の作品の世界観を確立させたミシガン州に住む美しい5人姉妹の自殺を描いた『ヴァージン・スーサイズ(1999)』では、一緒に過ごしていても心は離れている姉妹達の孤独感。家族という間柄であっても、満たせない見えない人と人との間の距離感を垣間みた。 次にアカデミー脚本賞を受賞した『ロスト・イン・トランスレーション(2003)』では、言葉の通じない海外に行った時に味わう異邦人としての哀愁や異文化の中での孤独の感情に寄り添った。監督自身の東京での経験を下敷きにして、海外版でも日本語の字幕は一切つけず、観る者に孤独を疑似体験させた。 世界中で注目されてきたフランス王妃を描いた『マリー・アントワネット(2006)』では、下着すら自分でつけることを許されない生活の中で、仮面を付けるかのように洋服を何着も何着も着替えることで、不安、不満をモノで満たしていく孤独な女心をこれ以上ないほど愛らしい世界観の中、表現した。 続いて、父と娘のつかの間の休暇を描いた『SOMEWHERE(2010)』では 、ハリウッドスターを主人公とし、端から見たら人気者で多くの人に囲まれるうらやましがられる生活をしていても、充実感とは裏腹に空虚な気持ちを拭えない中年男性の孤独を映し出した。 また最新作『ブリングリング(2013)』では、全米を震撼させた実際の高校生窃盗団の事件を描き、犯罪が露見する可能性がゼロではないにも関わらず、誰かに認めてもらいたいという想いも消しきれないSNSの普及した現代社会に起こりうる、承認欲求という新しいタイプの孤独を描いた。 ちなみに、彼女がはじめて監督・脚本を務めたモノクロの16mmフィルムで撮影した14分の『Lick the Star(1998年)』もスクールカースト(階級社会)の中で生まれる思春期の「孤立感」がコンセプトだ。「ヴァージン・スーサイズ」を彷彿とさせる独特の芝生の使われ方など随所に彼女の才能を感じることが出来る作品で、白黒なものの登場人物達は活き活きと描かれている。字幕付きのものが日本では観られないのが残念だが、ネットに何件かアップされている動画を映画ができる友人と観るのがおすすめだ。 彼女のこれまでの作品の中で、私は特に「リック・ザ・スター」「ヴァージン・スーサイズ」「ブリングリング」といった10代の思春期の頃に抱える抑え切れない程の強いエネルギーや、集団心理を描いた作品に興味を持っている。 特に「ヴァージン・スーサイズ」には、女性が避けることができない人生の悲哀もひっそりと閉じ込められているように感じる。 女は他人から比較されずに生きていくことができないし、同時に自分も人と比較することをやめられない生き物である。 「私は私」と思うタイプの人でさえ、年を重ねれば若い頃の自分と「あの子も昔はかわいかった」なんて比較されていく。 一生続く、毒をもった甘い戦いが女の世界には存在しているのだ。 自分の部屋がまるで世界の中心のように思うことさえある思春期。1つの空間に閉じ込められた1歳ずつしか年齢の違わない姉妹達、そこにはまるで満開のバラが咲き乱れたような、異常なエネルギーが漂っていたのではなかろうか。 男性からすると一種の連帯感かもしれないが、まるで1つの花のように見えた彼女達は、それぞれ別の花びらの集合体だったのではないか。 だからこそ一致団結していたように見えた姉妹達も最期の瞬間は、バラバラの場所、それぞれの方法で死を選んだのかもしれない。 同時に、彼女達は、自分たちが1番美しい瞬間を永遠に閉じ込めようとしたのではないだろうか。「死」という選択肢を使って。彼女達にとって「死」とは、美しいままでいるための1つの手段だったようにも思えて仕方がないのである。 また、場所も時代もおかれている状況も違うけれど「ブリングリング」にも思春期の抑えられない強いエネルギーが描かれていると同時に、「自分は自分」でいることの難しさを伝えている。 10代の頃からSNSの普及によって、幸せの基準がわからなくなってしまったブリングリングのメンバー達は、罪の意識を抱くよりも、Facebookに窃盗したセレブの持ち物をアップし続け、周囲に注目される存在であることを望んだ。 被害者の1人でありながらも自宅を撮影場所として提供したパリス・ヒルトンが被害状況を語った際、「普通の泥棒はお金や宝石を盗むけど、彼らはお金ではなく、雑誌に出ているものを欲した」と語った。 そこに理屈は存在していない。「承認されたい」という欲望を抑えることができなくなった若者達の感情は、こんがらがってしまった電線のようだ。 他人の生活が必要以上に見えるようになってしまった現代を生きる上で、人に流されず自分らしくいることが難しくなっていることについて、小さな警鐘を鳴らしたのではないか。 それにしてもなぜ、彼女は性別年代問わず、人の感情を繊細にすくいとることができるのであろうか? 世界的な巨匠を父に持ち、1歳で乳児役として「ゴッドファーザー」に出演し、小さい頃から大人の目にさらされてきたソフィア。 人の顔色に敏感にならざるを得なかったであろうし、時に誰よりも比較されてきたのは、他でもなく、彼女自身だったからのかもしれない。 余談になるが、コッポラ一族の勢いはとどまることを知らない。 2013年、フランシス・フォード・コッポラの孫ジア・コッポラは、「パロアルト・ストーリー」で映画監督デビューを果たす。原作はハリウッドの若き開拓者的存在であるジェームズ・フランコが書いた短編小説。ジェームズ・フランコ自ら、ジアに監督を依頼し、ジュリア・ロバーツの姪であるエマ・ロバーツやヴァル・キルマーの息子のジャック・キルマーが起用され、青春の不安定さから来る思春期の若者達の繊細な気持ちを描いた。 インテリアやレースのカーテンといった小物等からもソフィアの感性を受け継いだことが肌で感じられる作品である。 甘くけだるく、耳に残る音楽は「ヴァージン・スーサイズ」の音楽でもおなじみのソフィアの従兄弟であり、フランシス・フォード・コッポラを叔父に持つシュワルツマンが担当。改めて、溢れんばかりの才能に恵まれた一族である。 「アメリカン・グラフィティ」「ラスト・ショー」「ヴァージン・スーサイズ」のようなタイプの10代の繊細な感情の機微を描いた青春映画を欲している人は、こちらの作品も観ても良いかもしれない。■ ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
ウォールフラワー
孤独に苦しむ若者たちの姿が切なくも瑞々しい…エマ・ワトソンら若手スター競演の青春映画
『ワンダー 君は太陽』の監督/脚本のスティーヴン・チョボスキーが自作の小説を映画化。主人公が恋する上級生を『ハリー・ポッター』シリーズのエマ・ワトソンが好演し、若者たちの甘くほろ苦い青春模様を彩る。
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(6)
飯森:最後に語っておきたいのが、ザ・シネマ社内で勃発した“「ブリングリング」ゲイ論争”です。 なかざわ:へ? どういうことです? 飯森:いや、あの作品が公開された時に、いつもの調子でうちのスタッフと感想や解釈について雑談していたんですけれど、僕は主人公の男の子がゲイだとは全く気付かなかったんです。本国のティーザー【注73】版ポスターには、主人公たちが格好つけてかけるサングラスだけが縦に並んでいて、そこに各キャラクターそれぞれの肩書きが書いてあるんですね。こいつが「首謀者」、こいつは「スター」みたいな感じに。で、この男の子のサングラスにはThe Right-Hand Manと書かれているんです。直訳すると「右手男」。これはどういう意味だろうと。日本では頼りにしている手下のことなどを「ボスの右腕」なんて呼んだりしますが、果たして英語の慣用表現でもそう言うのか?まあ、辞書で調べれば一発で分かったものを、調べるまでもなく、僕はマスタベーションのことだろうと即・思ったわけです(笑)。「右手が恋人」って表現が日本語にはあるじゃないですか。 なかざわ:はいはい、だったら左利きの人はどうするんだって話ですけどね(笑)。 飯森:左手だと他人に手コキされてるみたいでもっと気持ちいいという真面目な学説もありますが(笑)。まあ、それはいいとして、僕はThe Right-Hand Manというのを、オナニーしまくっている童貞野郎という意味に曲解したんです。 なかざわ:いやいや、英語でも「右腕」で正解ですよ(笑)。 飯森:首謀者である中国系の娘の右腕ってことが正解だったんですけどね。僕は、転校生で友達のいない主人公が、たまたま仲良くなった女の子とつるんで女子グループに入れてもらい、あわよくば誰でもいいから一発やらせてくれ!一番気が合う中国娘だったら最高だけれど、ハーマイオニー【注74】でも相手にとって不足はない、他の名も無き脇役みたいな娘たちでも一手ご指南願えるんだったら選り好みはしないんで是非とも!というわけで、彼女たちに気に入られようとワンチャン狙いでパシリとして仕える“童貞残酷物語”だと勘違いしちゃったんですよ。これがね、うちの女性スタッフによると「違う!彼はもともと男子グループよりむしろ女子グループにこそ入りたいようなメンタルの持ち主なんだ」と。男同士つるんでマッチョにスポーツなんかするよりは、女子に混じってファッションの話をしたいゲイの男の子なんだと言うんですが、悔しいことに僕には1ミリたりともゲイの要素がないので、当時はその解釈に納得いかなくて大論争にハッテン、もとい発展したんですよ。僕はゲイの考えは分からないけど、童貞の考え方なら理解できる。っていうか残念ながらそれしか理解できない。なので、主人公と主犯格の中国系の女子とは波長の合う親友、という描き方をソフィアたんはしていただけだったんですが、僕には主人公が彼女に惚れていて、やりたがっているようにしか見えなかった。そして、最後には捕まって刑務所送りになる。刑務所行きの護送車で、ダニー・トレホ顔【注75】とかアイス・キューブ顔【注76】が並ぶ囚人の中、ツルンとした顔の紅顔の美少年がただ1人。これはもう… なかざわ:完全にやられちゃうなと(笑)。 飯森:女子とやりたい一心で犯罪にまで手を染めちゃった童貞小僧が最後はダニー・トレホにやられちゃうという、まことに皮肉な、因果応報なお話でしたとさ!と綺麗にオチがつく解釈のはずだったんですけれど、うちの女性スタッフからは「どこをどう見たらそんな話になるんだ!ソフィアを汚すな!!」って憤慨されましてね(笑)。その後で、いろんな人の話を聞いても、僕以外は全員、あの子はどう見てもゲイじゃん?って言うんですよね。 なかざわ:まあ、確かに彼の立ち位置は微妙ですけれどね。明確に彼はゲイです、っていう直接的な描写もありませんし。 飯森:でも、彼がパリス・ヒルトンの家から盗んだ靴を、下着姿になって履くシーンがありますよね。 なかざわ:とはいえ、世の中にはノンケでも女装が好きな人は結構いますし、なにしろ、パリス・ヒルトンの靴ですから、思わず履いてみるっていうのも有り得ますよね。シャンパンを注いで飲む奴もいそうですけど(笑)。 飯森:それじゃ元彼のタランティーノじゃないですか(笑)。でも、ですよねえ!僕だって絶対に履いちゃいます。綺麗な女性芸能人の靴が手元にあったら、そりゃノンケだって普通は履いてみるでしょう。でもね、今となっては、この論争は勝負アリなんですよ。僕の完敗です。まず過去の監督やキャストのインタビューを見ると、「彼はゲイ」と明言していたんですよ。もちろん、映画は作り手のものではなく我々観客のものなので、受け手によって解釈は自由です。見る方がノンケだと感じたのならそれがその人にとっては唯一絶対の正しい解釈なんですけど、ただしこの論争に関しては、僕が全面的に間違っていたと負けを認めざるをえない。というのも、もしこいつがノンケだとしたら、今まで述べてきたソフィアたんの作家性と合致しなくなってしまうから。 最後に刑務所へ護送車で送られていく彼の表情がその決定的証拠です。罪の意識や後悔の念を感じているようには見えない。女子たちの誰かに童貞を捧げられなかった無念さも無論ありません。彼が脱童貞のために女子のパシリをしていたノンケなんだったら、ここで「女とやりたくて犯罪にまで手を染めたのに、結局やれず終いで、逆に男にやられちゃうのかよ、チキショー!」という顔をしていなければならない。でも、 それどころか、満足気な達成感すら見て取れるんです。微妙に眩しそうに微笑んでいるように見える。たまたま異性だった、恋愛には発展しえない親友の女子と、思いっきりやりたい放題を楽しんだ、そのキラキラした瞬間の数々、“10代キラキラ”と“ラブストーリー一歩手前キラキラ”を思い返して眩しそうに目を細めている。そう解釈したほうがよほどソフィアたんらしい。 なかざわ:そう考えると、彼女はセックスというものを、結構どうでもいいものに分類しているように思えますね。 飯森:だから、前月のヴァレリアン・ボロフチック特集の次にソフィア・コッポラを特集できるというのは、本当に良かったと思うんです。セックスというものが人間にとって欠くべからざる重要なファクターだというボロフチックに対して、セックス?恋愛?どーでもいいわ!というのがソフィアたん。彼女はそういう白か黒かみたいなことには興味がなくて、その中庸にこそホンワカとした機微のようなものを見出している。ここはぜひ、オジサンたちもボロフチックは見るでしょうから、今回ソフィアたんの作品にも触れていただいて、十代の頃に戻ってもう一度“キラキラ感”を体感して欲しいと思いますね。うおっまぶしっ! (終) <注73>一般的には本格的な広告展開を行う前の段階として、商品などの詳細を明かさないことで消費者の注意を喚起する宣伝手法のこと。映画やテレビドラマなどにおいても、作品のタイトルやイメージ画像のみを使用したポスターや予告編を流布し、その次に展開する正式なポスターや予告編へと繋げていく。 <注74>「ハリー・ポッター」シリーズのキャラクター。演じるのはエマ・ワトソン。1990年生まれ。イギリスの女優。「ブリングリング」では、空き巣に積極的に加わりながら家庭では良い子を演じ、事件発覚後は巻き込まれただけと主張する悪役を好演している。<注75>1944年生まれ。アメリカ出身の俳優。元ギャング。コワモテの悪役俳優として活躍し、「マチェーテ」シリーズ(’10、’13)で主演し注目される。<注76>1969年生まれ。アメリカ出身のラッパー、俳優。伝説のヒップホップグループN.W.A.の元メンバーで、映画に進出してからは出演だけでなく、製作、脚本、監督までこなす。 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2
ハリーとヴォルデモートが壮絶な一騎打ち!壮大な物語が終結する大ヒット・ファンタジー最終章の後編
善と悪の決着戦を描く最終話は、ハリーの苦難をじっくり描いた『PART1』とは対照的にアクションが満載。トロッコ・チェイスや魔法バトルなど迫力満点のシーンが連続する。
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(2)
なかざわ:では、そろそろ作品の方に話題を移しましょうか。 飯森:まずは「ヴァージン・スーサイズ」【注22】と「ブリングリング」【注23】をセットにしてお話したいと思います。 なかざわ:なるほど。どちらの作品も、ある特定の時期の少女たちに顕著な感受性というものを、ソフィア・コッポラならではの視点から描いているように思えますよね。 飯森:確か彼女って、一時期タランティーノ【注24】と付き合っていたことありましたよね?あれ彼女の方がファンだったんじゃないですか?まぁタラの方にもコッポラ一族とコネクションが欲しかったというのもあったのかもしれませんが。というのも、今回改めて「ヴァージン・スーサイズ」を見て、タランティーノの影響がかなりあるなって気がしたんですよ。 なかざわ:とおっしゃいますと? 飯森:ソフィアたんというと音楽のセンスが良くて、過去のポップミュージックから「よくぞこれを選びました!」という絶妙な楽曲を引っ張り出してくる。それが、その後も彼女の顕著なスタイルであり続けるわけですが、「ヴァージン・スーサイズ」にはタランティーノに共通するような音楽使いの良い意味での“雑さ”がある気がするんですよ。例えば、カットが変わると同時に引用した音楽もぶつ切りに終わらせちゃうとか。「この雑な感じ、70’sっぽくてダサかっこいいっしょ?」というのが’90年代のタランティーノの大発明だったじゃないですか。あの頃は’70年代がリバイバルで流行ってましたから。音楽だけでなく洋服のセンス、車のセンス、テロップや編集の過剰なケレン味なども含め、クール70’sの匂いが妙にタラ臭いんですよ。あれの女子版。まあ時代設定が’70年代の映画だからそうしてるってこともあるのでしょうが。 なかざわ:王道的な名曲とマニアックな楽曲を無造作に混ぜ込むあたりもタランティーノ的かもしれませんね。彼女って、幼少期に当たる’70年代の楽曲は結構王道寄りだけど、思春期に差しかかった’80年代以降の楽曲になると途端にエッジが効いていたりする。そんな選曲の傾向を見ていると、’90年代の申し子だなという印象を受けます。 飯森:それ!僕がタラっぽいと言っているのは、まさにその点なんです。非常に’90年代っぽい。タランティーノのフォロワーというか、ポスト・タランティーノというか。ただ、だから悪いと言っているわけじゃないですよ、「ヴァージン・スーサイズ」は事実上の長編デビュー作ですから、誰かの影響があるのは当然のことだと思います。と言っても、僕の気のせいかもしれませんけどね。 なかざわ:でも間違ってはいないように思いますよ。 飯森:で、この作品。冒頭でナレーションが入って、いきなり映画のオチを明かしちゃうんです。リズボン家の5人姉妹が自殺したと。なぜ彼女たちは自殺してしまったのか…ということを、近所に住んでいた、もしくは学校で同じクラスだった男子たちが、大人になった25年後に回想するというお話なんです。でも、結局その理由は最後まではっきりとは分からない。特に、一番下の妹がリストカットをし、一度は助かったのに結局投身自殺してしまう動機は一番不可解です。 映画開始直後、理由を描く暇もなく早速自殺しようとする。後からも答えは一切描かれない。でも、答えはその娘自身が最初の未遂の時に医師に向かってハッキリと明言してるんですけどね。 で、上のお姉ちゃんたち4人が遺されるわけですが、彼女らも特段に号泣したり精神的に荒れたりなどすることもなく、淡々と日常へ戻ってしまうのも、映画的には控え目すぎる気がするし、およそドラマチックじゃない。男の子たちに誘われて夜遊びなどもするけど、それも大して悪さをするわけじゃない。で、お母さんから厳しく叱られる。でも「厳しく」と言っても常識の範囲内ですよ?どの家でもあれぐらいは怒られる。「キャリー」【注25】の狂った母親みたいではないから、そこにも映画的な大げささは盛っていない。なのに、どうやらそれを苦にして自殺しちゃったみたいなんですよ。4人の姉妹全員が同じ屋根の下で同時に。これは何なのか?と。 なかざわ:唐突で意味が分からないですよね。死ぬほどのことなのか?と。 飯森:でもね、我々は今は分からなくなっちゃったかもしれない。なぜならオジサンになったから。最初に自殺未遂をしでかした妹が冒頭で医者にハッキリ明言してるんですよ、「10代の女の子じゃなければ死のうとした理由は分からない。先生には絶対分からない。オジサンだから」って。これは原作小説にはないから、脚本も書いてるソフィアたんが加えたと思われるセリフなんですが、答えは映画開始直後に出てたんです。「理由は10代にしか分からない」がこの物語にソフィアたんが出した結論なんですよ。 お姉ちゃん達の場合は、夜遊びの罰として外出禁止にされたから、って理由っぽいものが一応あるにはある。でもだからって「死んでやる!」という、その二つの釣り合わなさということは、我々はオジサンだから分かる。そんな損な話はないと。でも、それが分からなかった時期ってあるんじゃないですか?っていうことを描いた映画だと思うんですよ。 もう一方の「ブリングリング」ですが、こちらはある男の子がロサンゼルスに引っ越してきて、一人の中国系の女子と意気投合をする。お互いにお洒落とかファッションが好きなんですよね。この二人が学校帰りに旅行中の知人の家に空き巣へ入ろうということになり、味をしめて次からはパリス・ヒルトン【注26】やオーランド・ブルーム【注27】など有名人の豪邸を狙うようになる。有名人のフェイスブックを見ると「今パリにいます」とか書いてあるけど、それって家が留守ってことじゃん?だったら住所もセレブマップですぐ分かるから、空き巣に入って盗もうよ♪みたいな軽いノリで。そこに他の女子も仲間として加わって、次から次へとセレブの豪邸に忍び込んでは高級ブランド品を盗んでいく。でも、彼らにとっては盗みが本当の目的なんではなくて、ただ単にセレブの自宅やワードローブの中身を見て、友達同士「わー!」「すごーい!」「ステキー!」ってキャッキャやりたいだけなんですよね。そのついでに戦利品も頂いていっちゃう。 なかざわ:それっていうのは、今のSNS文化【注28】はもちろんのことですけれど、若者たちの過剰なセレブ崇拝というのもバックグラウンドにあると思います。ある時期から、アメリカではゴシップ誌を賑わせる“セレブ”と呼ばれる人々が、テレビのリアリティー番組で自分の豪邸や華やかな暮らしぶりを自慢げに披露するようになり、若い人たちがやたらと興味を惹かれて憧れるようになったんですよね。 飯森:とはいえ、興味があるからといって空き巣に入るというのも発想が飛躍している。でも一番理解不能なのは、その犯行をSNSでイエーイ!みたいな感じでアップして自ら晒しちゃう感覚ですよ。それは捕まるに決まってるよね?と。確かに、悪いとは分かっていても衝動が抑えられないってことはあるかもしれない。それは分かる。でも、証拠隠滅するなり何なり自分が逮捕されない悪知恵も普通は働かせるはずですよ。それを、シッポ出さないようにするんじゃなくて逆に自らネットに晒すとは!これもまた、大人になった今なら「バカなクソガキどもめ」と思うだけかもしれないけれど、ある限られた年頃だったら理解できるんじゃない?と感じるんです。 なかざわ:そうですね。人間の死だとか犯罪だとか、そういった重大な事柄に対する想像力の欠如ですよね。モノを知らない若者ならではの無軌道というか。 飯森:かといって、その無軌道をソフィアたんは批判しているようにも見えない。もちろん共感しているわけでも推奨しているわけでもないとは思うのですが。しかし高校生くらいのガキが調子に乗って、ここではそれこそ警察に捕まるような悪いことをしているわけですけれど、刑務所に入れられたら大変だ、家族や周りにも迷惑がかかる、という大人の理性がストッパーにならない年頃ってあるじゃないですか。友達と一緒になって、いいじゃん!やっちゃおうよ!と盛り上がっている時の楽しさ。それを得意気に自慢する楽しさ。つまりは調子ぶっこいている楽しさ。もちろん犯罪行為までは普通いかないけれど、10代の頃を振り返ってみた時に、誰しも多かれ少なかれ身に覚えがある、あの感覚。ソフィアたんはその年代の子供たちにしか見えないであろう世界の“キラキラ感”を描いているんですよ。“キラキラ感”って言葉も作ってみたんですが、これもどうにもオジサン臭いな(笑)。 なかざわ:言うなれば危険な冒険ですよね。一歩間違えれば犯罪に巻き込まれてしまう、もしくはその行為そのものが犯罪になりかねない。でも楽しいからやってしまった。そういう経験がある人は多いと思いますよ。 飯森:それはさっきの「ヴァージン・スーサイズ」も同様で、夜遊びで無断外泊して親から怒られるなんて、「ブリングリング」の空き巣以上に誰にでも経験がありますよね?それが原因で自殺するというのは、一見すると飛躍ですけど、彼女らのような10代だったら共感できるかも知れない。一切の外出を禁じられてしまったことで、姉妹は日々変化していく学校生活や友達関係に参画できなくなってしまう。1ヶ月後に外出禁止が解かれたとき、どんな顔をして学校へ行けばいいのか。長い人生の中で後から振り返れば取るに足らないことですが、いま10代だったらそれがどれほど重大かは、我々も何十年か昔を思い出せば共感できると思うんです。そんなの堪えられない!そうなるぐらいならいっそ死んでしまいたい!って衝動的に思うのも、10代ならありうる。 なかざわ:彼女たちにとっては生き地獄だったのかもしれませんね。 飯森:かといって全然地獄っぽくは描かれてないですけれどね。むしろきれいに描かれている。地獄だから自殺したんじゃなくて、世界がきれいすぎて見えるほど感受性が敏感な年頃だったから自殺しちゃった。だから全編、徹底的にきれい。この映画、とにかく景色がきれいなんですよ。もう異常なんです。25年前の出来事の回想なので、思い出の中の風景のようにも見えるし。美人姉妹の目には世界がこういう風に見えていたのかとも思える。世界がキラキラに描かれているんです。大人にとってはなんの面白みもない住宅街の退屈な風景であっても、10代の女の子の目を通すと、世界はこんなにも輝いて見えるのか!と思うわけです。あるいは、あれは男子たちの目線なのかもしれない。遺された近所の男の子達が、あの25年前の夏の集団自殺は何だったのだろう?と40歳ぐらいになってから思い返す映画なので、男子目線のノスタルジックな美しさなのかもしれない。どちらにせよ、ティーンの頃に我々の目にも確かに見えていたはずの、信じられないくらいの世界の“キラキラ感”を視覚化することに成功しているんです。 なかざわ:確かに、感受性が豊かで多感な時期の記憶というのは、実際よりもかなり美化されて脳裏に焼き付きますからね。 飯森:これを描ける人はソフィアたん以外にはなかなかいない!才能ですね。親のコネだけじゃ無理です。偉大すぎる親父さんでもこれだけは描けそうにない。オジサンだから(笑)。 <注22>1999年制作、アメリカ映画。 <注23>2013年制作、アメリカ映画。 <注24>クエンティン・タランティーノ。1963年生まれ。アメリカの映画監督。「レザボア・ドッグス」(’92)で脚光を浴び、カンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを獲得した「パルプフィクション」(’94)で時代の寵児となる。<注25>1976年制作、アメリカ映画。狂信者の母親に悪魔の子と冷遇されて育った超能力イジメられっ娘のパワーが、イジメのエスカレートにより暴走して大惨劇を引き起こす。<注26>1981年生まれ。アメリカのソーシャライト(社交界の名士)。ヒルトンホテル創業者一族の出身で、お騒がせセレブとしても有名。劇中に登場する自宅は本物。 <注27>1977年生まれ。イギリスの俳優。「ロード・オブ・ザ・リング」(’01)シリーズのレゴラス役でブレイクし、その後も「パイレーツ・オブ・カリビアン」(’03)シリーズや「キングダム・オブ・ヘブン」(’05)などのヒット作に出演。<注28>TwitterやFacebookなどのSNSを利用した生活様式のこと。 次ページ>> 「ロスト・イン・トランスレーション」&「SOMEWHERE」 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. 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